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ブラット親爺のつっこみ映画評

ここ10数年映画館に行ったことがないブラット親爺が、DVDで観た泣ける映画、笑える映画、よーできた映画、しょーもない映画を関西訛りのつっこみを入れながら論じる格調高い(?)映画批評メルマガです。

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ブラット親爺のつっこみ映画評

2004/04/05

                         Vol.067 04/05/2004
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         ◇◇ブラット親爺のつっこみ映画評◇◇  
 
   東京画  (1985)西ドイツ TOKYO-GA 
   監督:ヴィム・ヴェンダース 
   出演:笠智衆、厚田雄春
 
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ネタバレになりそうな話の前には、◆◆ネタバレ注意◆◆がついています。まだ、
その映画を観ていない人は、そこから先はすっ飛ばして◆解除◆の後から読みま
しょう。ただし、読める部分があまり残ってない場合があります。(^_^)
 
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小津安二郎大好きのヴィム・ヴェンダースが小津に捧げたおまんじゅうとちゃう
がな、オマージュや。こーゆー映画につっこみ入れてもしようがないけど、ま、
普通の映画館で金払って見るよーな映画ではない。小津安特集の上映会やとか、
生誕100年特番としてTV放映される類の映画やった。

映画は1985年製作になってるが、1983年の撮影だとかで、当時の東京の
画(イメージ)がいっぱい出てくる。ロードムービーが得意な監督が撮影した風
景やから、イカにもタコにもそれらしい。 『都会のアリス』で、エンパイアステ
ートビルに登ってたこの監督は、お定まりのように東京タワーにも登っとる。ま
た、日本に関心のある外国人が興味を示しそーな代物が次々に出てくる。ロウで
作る食品サンプルの製造現場やらパチンコ屋(釘師の仕事ぶりまで紹介してた)、
ゴルフ練習場、人通りの絶えた夜更けの飲屋街、青山墓地の花見客、3角ベース
をする子供たち、新幹線、どう見ても顔はジャパニーズなのにアメリカの50年
代ファッションに身を包んでツイストを踊りまくっとる原宿の何とか族の若い衆
たち(彼らも今はもう40前のおっちゃん、おばちゃんや)、工事現場、派手な
ネオンサイン、タクシーの中のテレビと、われわれ日本人にとっても、いつかき
た道、あの頃映像のオンパレや。 

しかし、このドキュメンタリー映画を観ていて、昔の日本、昔の東京とゆー感じ
はあまりせんかった。70年代初め頃の大阪万博の記録映画などを見ると、一昔
も二昔も前の日本とゆー印象があるんやが、この映画に映し出されてる80年代
の日本を見ると、確かにこの時代の延長線上に現在の日本があることが分かる。
町並みの基本的な所があんまり変わってないことがそー感じさせるのんかも知れ
んが、バブルの前の東京には、普通の顔つきをした老若男女がいた。金髪・顔黒・
鼻ピアスはまだおらんかった。戦後生まれが人口の半分を超えたのは75年
(50.6%)らしいが、71年以降に生まれた、いわゆる「団塊ジュニア以降の世
代」も、94年には29.9%と総人口の約3分の1を占めた。戦後はずっと田舎者
の町やった東京が、やっと東京生まれの東京人の町になりつつあったのが、この
頃なんやね。 

確かにフェンダーミラーは野暮ったかったが、80年代以降の日本車のデザイン
は現在見ても、さほど古くささを感じない。これが70年代初めだと、目を覆う
ほどにダサいのやが。。。ウオークマンもすでに世に現れてたし、一眼レフカメ
ラも世界中で売れまくってた。つまり、日本の工業製品が、かつての「安からろ
う、悪かろう」から、名実ともに世界に通用するブランド商品になったのも80
年代初めや。東京や大阪では都市機能のインフラもほとんど整っていて、生活基
盤の面でも現在と隔世の感はない。

ヴィム・ヴェンダーは、小津が描いた日本も日本人の暮らしも、このドキュメン
ト映画の時点ですでに失われてしまってると嘆いとったが、この映画を観ておっ
ちゃんが感じたんは、ノスタルジックな懐かしさでもなければ、昔の身内の写真
を見せつけられたときに感じるよーな恥ずかしーて赤面するやないかとゆーよー
な恥の感覚でもない。この頃から現在までの20年は、間にバブル景気と崩壊、
その後の失われた10年があって、日本が経済成長率NO.1の座から下り、デフレ
スパイラルの急降下不況に陥って、東京や大阪は地上げで歯抜けの町が出来あが
り、インターネットや携帯電話の登場がパーソナルなコミュニケーションのカタ
チを根底から変えてしまいよった20年や。世界は明らかに変わった。日本も変
わった。しかし、現在の日本人のアイデンティティーは、80年代に根っこがあっ
て、その延長線上で現在も日々の暮らしが営まれてる。本質的には80年代から
何にも変わってない。もちろん、都庁も六本木ヒルズも出来てないから、町の景
観は今の東京と同じではないけど、庶民の暮らしレベルでは何ほども変わってな
いことを再確認出来た。ちなみに、この年東京ディズニーランドが開園したらし
い。

◆◆ネタバレ注意◆◆小津映画ファンにとってのこの映画の白眉は、戦後の小津
作品のほとんどを撮影した厚田雄春氏へのインタビューやろ。例の猫の目アング
ルのための三脚の実物やら、50mmのレンズしか使わんかった話やら、一旦フ
レームを決めるとパンやらズームアップは一切させんかったことやら、ロケには
常にゴザ(寝転がって撮影せんといかんから)を持って行ったことなど、小津映
画の素人にとっても面白いエピソードをいろいろ話してた。もう一人、俳優の笠
智衆も、相変わらず淡々と小津は細部にわたって自分のイメージどおりになるま
で何度も何度もテストを繰り返させられたと語ってた。◇解除◇

小津安の墓碑銘が『無』やったり、フランス語版の『東京物語』の題は『Tour a 
Tokyo』やったりすることを初めて知った。映画の筋からすると、この『東京へ
の旅』の方が合うてるやないかと妙に納得したりした。 
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