政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針5244 号  2019・11・30(土)

2019/11/30



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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5244号
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      2019(令和元年)年 11月30日(土)



            旧アスタナを蔽う中国の影:宮崎正弘

          「中曽根君を除名する!」:渡部亮次郎

       桜を見る会の攻防が示す政治の劣化:櫻井よしこ
                      
                      話 の 福 袋    
                       反     響
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旧アスタナを蔽う中国の影
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)11月27日(水曜日)通巻6288号    
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カザフスタンの首都ヌルスルタン(旧アスタナ)を蔽う中国の影
  砂漠のシルクロード拠点、「一帯一路」の要である筈だが。。。。
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世界最大の内陸国家(日本の7倍の面積)であるカザフスタンを27年間統 治したのはナゼルバエフ前大統領。先月の「即位の礼」にも、国の顔とし て出席した。

新大統領のトカエフは副首相時代を含めて2回来日しているが、まだ「国 の顔「として国際的には認知されておらず、相変わらず、ナゼルバエフ前 大統領が活躍している。大統領ポストを降りても、事実上のカザフの顔な のである。

ヌルスルタン・ナゼルバエフを、国民は「ナゼルカーン」と俗称してきた。

ナゼルバエフは旧ソ連時代の共産党書記。ソ連が崩壊するやまっさきに独 立し、レーニン像をすぐに撤去させた。

円滑に独裁の政治を確立出来たのも、豊富な石油、ガス、稀少金属に恵ま れるからだ。日本が重視するのも、カザフスタンのウランとレアアースで ある。

ナゼルバエフは突如、アルマトイからアスタナへ首都を移転した。 (1997年)。
黒川紀章が設計したオアシス都市建設に邁進した。筆者はそれまで首都 だったアルマトイには2回行っているが、緑の美しい都市で、砂漠のオア シスの典型。鉄道もモスクワと繋がっており、英語の新聞があった。
♪「月の砂漠をはるばると」のシルクロードの浪漫が浮かんでくるような 街づくりだった。

ナゼルバエフは穏健な方法での権力委譲を模索してきた。副官として忠実 に彼に使えたトカエフに大統領ポストを継がせ、政治の裏に徹して国民の 不満を和らげる。しかし、依然としてこの国を統治しているのはナゼルバ エフ一族であり、資源輸出利権を掌握していると言われる

2019年3月、新都市アスタナを「ヌルスルタン」と改称することになる。 ヌルスルタンは、ナゼルバエフの本名。しかも議会は圧倒的な賛成で、承 認したのだった。

カザフスタンの人口は1860万人。国土が日本の7倍。人口は日本の7 分の1強。


 ▲やっぱり浸透を始めたのはチャイナだった

なぜこの国に国政的な焦点が当たっているのか。
 
旧ソ連の枢要な地位をしめてきたカザフスタンは、深く静かに中国の浸透 ぶりが見られ、それがプーチンの神経に障っている。カザフスタンの人口 の15%はロシア人である。
 
旧宗主国ソ連の中核ロシアの顔色を見ながら、中国は最初にカザフスタン と鉄道を繋ぎ、中国企業がそろりそろりと進出していたのが2000年頃 までの図である。

中国進出のラッシュアワーがやってきた。

鉱山開発、インフラ建設、石油基地など建設分野に中国企業はどっと、う なるように進出し、おまけに中国人労働者を大量につれてきたため、どの 国でもそうだが、かならずもつれる。

パキスタンは現地雇用が殆どなく、中国からの労働者が囚人であったこと をパキスタン国会が問題にした。スリランカで、モルディブで現地の雇用 はほとんどなく、不満が爆発して、ときおり反中暴動がおこる。アフリカ 諸国では逆に現地人を奴隷のように酷使するので、これまた反中国暴動が 頻発する。

それでも開発途上国はチャイナマネーが欲しい。中国の投資大歓迎、 AIIB歓迎となって、気が付けは「借金の罠」に陥落していた。

ナゼルバエフは自国のGDPが比較優位にあり資源を武器に外交力も確立 したが、彼はロシアを牽制するために中国の浸透を政治的武器として利用 したのだ。地政学上のパワー・バランスを熟慮すれば、カザフスタンが生 き残る道は、それしかない。周囲をすべて外国に囲まれ海の出口を持たな い内陸国家の宿命である。

2019年9月10日から3日間、トカエフ新大統領は北京を訪問し、習 近平の出迎えを受けた。中国とカザフスタンは「永久的総合的パートナー シップ」を声明し、全方位、相互互恵、共同挑戦などの綺麗な語彙を並べ て、共同で開発に勤しむことなどを内外に鮮明にした。

中国はカザフスタンへ5G,スパコン、ブロックチェーンなどの技術供与、 技術開発援助など、従来のインフラ投資を超えたレベルの投資を約束し、 またシルクロードを「光明之路」などとして、ウィンウィンの関係を強調 した。

この新事態をどう見るか。
 
中国は知的財産権の保護などと、自国が守らない条項も平気で強調した が、5G,スパコンなどの技術開発協力は「釣り餌」である。カザフスタン の優秀な学生達はむしろロシアでの就労機会を模索する。


 ▲「中央アジア」の一帯一路の要

カザフスタンへ300億ドルの巨額をぶち込むとアドバルーンをあげた中 国の目的は地政学的に重要な位置を占めるカザフスタンの民衆と、隣接す る新彊ウィグル自治区のムスリムと連帯させないためだ。

両国の共同宣言には「お互いの核心利益を尊重し、それぞれの分裂活動、 独立運動を支援しない」との文言を挿入している。

実際にカザフスタンにはウィグル暴動の際に夥しいウィグル人が逃げ込ん でいる。

カザフスタンの85%をしめるカザフ人はイスラム教徒である。東トルキ スタン独立運動の秘密基地もあり、トルコやドイツにあるウィグル独立運 動の諸団体と連携しているため、中国はSCO(上海協力機構)でテロ対 策を第一義として、各加盟国と情報の交換などをしてきた。

しかしながら世界的に拡がった人道主義に悖る中国のウィグル弾圧批判を うけて、さすがのカザフスタンも中国への協力に熱心ではない。

またカザフタンが不満を抱くのは環境汚染、貿易不均衡、労働者の移入な どであり、中国人労働者との賃金格差。加えての中国の領土的野心への警 戒などがあげられる。

上層部は中国歓迎、しかし底辺のカザフ国民は中国への不満を強めている という構造になっている。

日本とカザフスタンとの関係は良好である。とくにカザフ国民が親日的な 理由はソ連に抑留された多くの日本兵が建設したオペラホウスなどの建物 が、巨大地震にも耐えて健全なこと、トヨタの進出などによって近代化が 進み、またJICAなどの農業支援で、農作物生産が顕著に伸びたことな どによる。

日本外交はとくに資源外交の展開に力点を置いており、閣僚クラスの往来 も頻繁である。ナゼルバエフ前大統領は五回来日している。

2006年には小泉首相が歴代初の現職総理として公式訪問した。

2015年10月には安倍首相が「中央アジア外交」の核心として公式訪 問し、ナゼルバエフ大学で講演をしたが、ナゼルバエフ大統領も陪席し た。同大学学長は日本人である。



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「中曽根君を除名する!」
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         渡部亮次郎

河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。 死ぬ2日前(6日)の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソ ファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては 殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで 建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら
「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。
奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、 川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行き たいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と 目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に 党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を 拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天 王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と 滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし 記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の 七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、 今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年 67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人 (大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法 蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、NHKテレビで河野 一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の 言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫 だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだ という。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年 後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を 歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由 民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選 出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので 神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自 由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議 員、防衛大臣河野太郎は孫である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元 よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・ との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例 であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬 で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍 団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川 崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起 こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際 に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日 は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい た、終生。2008・07・05

追記:中曽根さんは29日逝去された。享年101.



   
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桜を見る会の攻防が示す政治の劣化
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           櫻井よしこ

問題だらけの朝鮮半島、要求する米国、一党独裁の不気味さを偽りの微笑 で隠して膨張する中国。日本はこうした難題に直面している。どれも解決 は容易ではない。そこでいま、一番働かなければならないのが政治家だ。 厳しい国際情勢を理解し、解決策を打ち出し、国益を守り通さずして、政 治家たる意味はない。

にも拘わらず、彼らは一体何をしているのか。日本共産党の田村智子氏が 11月8日の参議院予算委員会で首相主催の「桜を見る会」を取り上げた。 以降、多くの野党は恰(あたか)もこれが日本の最重要問題であるかのよう に政権を攻め始めた。立憲民主党国会対策委員長、安住淳氏らは「徹底的 に」追及するそうだ。

首相は13日、来年春の会は中止し、招待の基準などを見直すと発表した。 確かに、桜を見る会への招待者は年々ふえており、ここで一旦中止して見 直すのは正しい判断であろう。元民主党衆議院議員で、現在は立憲民主・ 国民・社保・無所属フォーラムに属する松原仁氏が批判した。

「我々も枠をもらって招待していましたが、安倍首相の場合、人数が多い のが際立ちます。事務所が動員をかけたような形になっているのはどう見 てもやりすぎです」

民主党から自民党に移籍した衆議院議員の長島昭久氏はこう見る。

「民主党のとき、我々も全く同じことをしていました。各議員に招待枠が あって、後援会の人々を招きました。招待客一人一人にどんな功績がある のか明らかにせよと立憲民主は首相に要求していますが、地域で頑張って いる方ではあっても特別の功労者ではない人を、私たちも沢山招いた。日 頃お世話になった方たちという意味では支援者の方々です。これは皆、同 じでしょう」

国会で説明すると明言

安住氏らは、安倍後援会は前夜祭を開いたが、1人5000円の参加費は安す ぎると問題視する。最低「1人1万1000円かかる」と主張し、その差額を首 相側が補填していれば公職選挙法違反だと息巻く。この点についても長島 氏が語った。

「我々がパーティを開くとき、1人2万円の会費で、ホテルに支払う食事代 は精々1人2000〜3000円です。ホテル側にとって、数百人単位のお客が宿 泊し、食事をしてくれるのは大変有難いことで、格安にするのは自然なこ とでしょう。立憲民主を含めて野党政治家はこのことを十分理解していま す。にも拘わらず、細かなことに拘り追及し続けるのは、選挙を意識して いるからです」

立憲民主、国民民主の両党はいまや共産党の支持なしに選挙に打ち勝つの は難しい。とりわけ、立憲民主の若い政治家達の後援会組織はほとんど無 いに等しく、全国に支援組織を有する共産党の協力なしにはとても選挙を 戦えないとして、長島氏は厳しく分析する。

「旧民主党勢力、とりわけ立憲民主党にとっての共産党は、自民党にとっ ての公明党よりも重要だと思います」

安倍首相が来春の会の中止と招待基準の見直しを決定しても、野党側は納 得せず、追及チームを11人態勢から3倍規模に拡大した。安住氏の徹底追 及の意向は首相のぶら下がり会見への批判からも読みとれる。「立憲民主 党国会Twitter」の「安住委員長ぶら下がり(総理ぶら下がりの受 け止め)2019年11月15日」から見てみよう。

氏が問題視する総理に対する取材は、15日の昼と夕方の2度、官邸記者ク ラブの要請で行われた。昼の回で、「国会で説明するか」と問われ、首相 は「国会から求められれば、説明するのは当然です」と答えた。

立ち去りかけた首相に、記者が「集中審議に応じるか」との質問を放っ た。それで首相は記者達の所に戻り、「当然です」と答えている。

求められれば必ず国会で説明すると明言したのだ。野党が論難する逃げの 姿勢ではない。

夕方、前述したように記者クラブ側の要請で首相は再び対応した。21分間 続いた説明は、「異例の長さ」と報じられた。この場で首相は前夜祭など の費用は全て参加者の自己負担だったことなどを説明している。質問が途 絶えたとき「何か、ご質問どうぞ」と促してもいる。

さらに14〜15の質問の後、「本日時間がない中ということで、後日会見を 開く予定はあるか」と問われた。それに対して首相は「もし質問されるの であれば、今、質問された方がよいと思いますよ」と答えた。

「改めて……」と記者が口ごもりながら重ねて問うと、首相は「改めて会見 ということであれば、今質問して下さい」と促した。

安住氏こそ記者を侮辱

昼の短いぶら下がりでは不十分だったとして記者クラブ側が要求し、夕方 に2度目の取材となった経緯を考えれば、夕方の時間までに、否、それ以 前から記者たちは調査し、質問を準備したはずだ。だからこそ首相は、い ま聞いてくれれば答えますと言っている。首相は答えようとしていたので あり、そこには他意も悪意もない。だが、安住氏はこのやりとりを以下の ように批判した。

「大変驚きました。(略)失礼ですけど、総理番の記者のところに、突 然、準備のない記者さんに対して『私の言うことを聞け、私に質問し ろ』っていう態度は(略)メディアの皆さんに対する冒涜でもあるしね」

どのような思考回路でこんな解釈になるのか。氏は前後の状況を知らずに 発言したのだろうか。繰り返すが、夕方の会見は記者側がもっと問いたい として要求したものだ。当然、質問は準備されていた。首相は誠実に答え こそすれ、「私の言うことを聞け」などという態度で臨んではいない。メ ディアを冒涜してもいない。

安住氏の言う「準備のない記者さん」も事実ではない。記者達はこれまた 前述したが、準備していた。安住氏こそ記者を侮辱している。

安住氏はほかにも官邸の記者について次のように語っている。

「何もそういう準備をしていない、総理番の若い記者さんのところに突然 総理が降りてきて」「何にも知らない記者の前に来て」「何も基礎知識を 持っていない記者さんの前に突然来られて」「余りこのことに基礎知識の ない記者さんたちを前に」と、延々と繰り返したのである。

官邸詰めの記者達も随分と軽く見られたものだ。立憲民主のたかだか一政 治家にここまで見下されて口惜しくないのか。政治の中枢を取材する記者 らが憤らないとしたら、これまた、なんと誇りなきことか。

日本は本当に多くの深刻な問題を抱えている。政治家なら、桜を見る会の 在り方は見直すとして、日本の運命を左右するより大きな課題に命懸けで 取り組むことだ。その心構えも発想もない野党政治家の存在の余りの無意 味さに、私は戦慄する。

『週刊新潮』 2019年11月21日号日本ルネッサンス 第877回


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重 要 情 報
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https://access01.com/2019/10/22/imperial-palace-rainbow-image/

ここは天照大御神がしろしめすおほやまとひかりのくにニッポンです。

このやうな瑞祥が起るのです。

今思ひ出すのは、昭和39年10月10日、東京オリンピックの開会式の日。前日までの雨は完全に止み、空は雲一つない日本晴れ(天皇晴れ)でした。
万感の感謝の涙と共に、天皇陛下万歳!(北村維康)

◎昔はボケ老人はいなかった:前田正晶

私は以前にも述べたことがあったが、何故かバス停での待ち時間に高齢の ご婦人方に話しかけられるのだ。25日も高田馬場駅前で2人に話しかけ ら れた。切っ掛けは2人分しかないベンチの席を譲って下さった後で、毎 度 のことだが「若く見えますね」と語りかけられたのだった。その方々の 意見が面白かった。

その方は自分から80歳だと名乗られたが「自分たちの親の世代というか時 代には、皆長生きせず精々60歳台で亡くなっているのが普通だった。それ だから、その頃には先ずボケてしまった人など見かけなかった。皆がボケ る前に亡くなってしまっていたのではないでしょうか」という説を展開さ れた。なるほど、そう言われて見れば、往年には本当に今で言う認知症の 老人の話などは余り聞いたことがなかったので、素直に賛成した。尤も  一人のご婦人は「家の人が外に出さなかっただけかも知れない」とも言わ れたが。

その後ではお定まりの「戦時中や戦後間もなくはろくに食べるものがな かったのに、私たちは時代が変わって食べるものが沢山あるようになった ので、多くの人たちが自分たちの親よりもずっと長生きしている」という 話になった。そこで、私も87歳の貫禄を示すべく、中学の1年生の頃には 軍事教練もあったし、農村動員にも行かされて、ご褒美にお米や薩摩芋を 貰って感激して帰って来たものだ」と回顧して見せた。すると、その方は 「少しばかりのお金も貰えたでしょう」と言うのだ。その通りであり、良 くあの時代のことをご存知だと感心した。

この辺りまででバスが入ってきて興味深い懇談会は終了した。それにし ても、何故私は高齢のご婦人方に屡々話しかけられるのだろう。余程人畜 無害のように見えるのだろうか。



◎ローマ教皇の来日の機会に上智大学の4年間を回顧すれば:前田正晶


既に指摘したことだが、教皇の来日を信者なのか一般人なのか知る由もな いが、あれほど多くの人が集まって歓迎したのには、私は寧ろ違和感にと らわれて見ていた。キリスト教国でもない我が国で何の為にあれほど教皇 が移動される度に大騒ぎをしてスマートフォンで写真を撮りまくるのか と、あの光景は異常だと感じていた。また、如何なるメディアも「カト リックとは」といったような解説もせず、付和雷同的な報道をしていたの も軽佻浮薄だと思って眺めていた。そこで、私が経験した限りのイエズス 会(「キリスト教でも良いか?」の大学での経験を回顧してみよう。


私は愚かにも1951年に何も知らずに上智大学(Sophia University)に進 学したのだが、そこで身を以て体験したことはといえ、ばカトリックのイ エズス会の神父様であり教授たちの想像もしていなかった規律の厳格さ だった。唯々驚くだけだった。先ずは通学には制服と制帽着用のことと就 学規則に定められており、毎朝校門に教授(=神父様)たちが立って見 張っておられた。その規則の違反者はその場で学生証を没収され、会計課 に行って罰金50円だったかを納めて返して貰う規則になっていた。その他 にも喫煙には厳しい規則があり、教室内は厳禁で見つかれば学生証取り上 げだった。


当時は教授陣にはドイツを主体にしたヨーロッパ人の神父様が多く、英語 での講義も多かった。その為に英語を聞くのに慣れていなかった地方から 来た学生は苦しめられたいた。また、ヨーロッパ人の教授たちはKing’s Englishの発音だったので、American English系の発音で読んだり話した りすると「下品だ」と叱られることがあった。ところが、アメリカ人の教 授にはKing’s Englishにすると「古い」と直される事もあったので、発音 には注意しなければならないのだった。ではあっても、両方の英語の相違 点を学べたことになったのは幸運か。


特に脅威を感じたのが膨大な量の宿題だった。それは教室にガラガラと音 を立てて教務課の担当者が分厚い原書を山積みにしたカートを運んできて 全員に配り、教授から「この本を来週までに読んで、感想文を提出せ」と 言われるか「何ページから何ページまでを読んで概要を纏めたレポートを 提出せよ」と命じられるのだ。その重さと厚さから「到底出来る訳がない 無理な話だ」と誰しもが思う。だが、要点は「感想文かレポートを出した か否か」が問題であって、1週間内に出来る訳がないと提出しないと、こ の面では「0点」の評価となり、落第への一里塚となるのだ。それを知ら ずに提出しなかった者は馴れるまでは多かった。


この点に関しては40歳を過ぎてからハーバード大学のビジネススクールに 進学した畏友YM氏にも尋ねてみた。彼もハーバードに来るようなアメリカ 人たちにもこのような無理筋の宿題が課されると、院生たちは何名かが組 んで適当にページ数を割り当てて分担し、出来上がったものを纏めて一本 のレポートに編集して切り抜けていたと聞いた。要するに、アメリカや ヨーロッパの大学や大学院では膨大な量の宿題が出るのは普通のことであ り、それをやり遂げたかどうかが評価の対象になるので、不参加では「0 点」なってしまうという教訓でもある。この辺りは我が国の勉強との相違 点ではないだろうか。


また、当時の上智大学の規則では授業には出席するのは当然であり、もし も欠席が1/3を超えると試験を受ける資格を失うと定められていた。特に1 年生の場合は必須科目である宗教学や哲学を落とすと有無を言わせず落第 と定められていた。中にその厳格さの為か落第した者は非常に多く、また 規則の厳しさに耐えきれずに止めていった者もいた。我々の学年では300 人入学して卒業できたのは180名という状態だった。尤も、神父様たちは この厳格さは当然と思っておられたようだ。換言すれば「入学は出来て も、卒業は難しい」大学だったということ。


ここで再びYM氏の話に戻れば「スタンフォード大学でも何処でも、アメリ カの大学院では、教授の評価の点数、出席点、レポートの点、試験の成 績、講義の中での討論の発言の点等々を各教授が学務課とでもいう担当部 署に何の感情も交えずありのまま提出し、それを何の手も加えずに算術平 均して成績を出すのだそうだ。故に、レポートを提出したかしなかった 等々は成績に大きく影響することになる」のだそうだ。即ち、自分から高 額な授業料を払って入学した大学や大学院で、授業をサボることなどあり 得ないという意味であるようだ。


このようにアメリカの大学の規則の厳格さの実態を知って解ったことは、 ヨーロッパとアメリかでは「大学で学ぶということは、このようにキチン と規律正しい姿勢でなければならない」ということだった。その点をマス コミが同じイエズス会の「フォーダム大学に留学された小室圭氏の勉強や 宿題や予習・復習で大変だ」などとさも驚いたような報道をしているのを 見てチャンチャラおかしいと笑わせられた。「そのことくらい心得て報道 せよ」と言いたいのだ。私の得意の表現を用いれば「これぞ、我が国との 文化の違いである」となる。彼らの厳格さは何もカトリックの会が運営す る大学だからではないと思う。


私はこの上記のような点から見れば、不真面目な学生だった。即ち、良い (悪い?)仲間に恵まれて当時の上智大学では少数派になる麻雀ばかり やっていた。それだけではなく、アルバイトで学費を稼いでいたし、サッ カー部を背負って立っていた(?)有力な部員だった事であり、非常に多 忙な大学生だった。それ故に、神父様たちとの接触は最低限だったと思 う。それでも、何とか無事に規定の単位を取得して卒業できた。上記のよ うなカトリックの厳格な規律の下で4年間を過ごして「文化の違い」を学 習できたことが、39歳にしてアメリカの会社に転進しても、それほど異文 化に強烈に面食らわずに済んだと思っている。


現在の上智大学には往年のような厳しさはなく、教授陣も神父様が少なく なったと仄聞している。そのような変化が良かったのかどうかなど知る由 もないが、最早私が入学した頃のように上智大学生と知るや「矢張り、お 経などは唱えるのですか」などと尋ねられることはないだろう程の、有名 な存在になったのは誠に結構な事であると思う。その人気たるや、英文学 科などは入学試験の点数だけで合否の判定すれば、女子だけしかいなく なってしまうとの話も聞いたことがあった。矢張り、時代が変わったのだ ろう。



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身 辺 雑 記
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東京湾岸は30日、2日続きの快晴。

東京湾岸は29日になってやっと快晴、しばらくぶりに爽快だった。

毎日散歩させてもらっている都立猿江恩賜公園の散歩道は一面銀杏の落 葉。さながらゴールデン・ロードだ。

私は自分で言うのもおかしいが、大酒?みだ。亡兄もそうだった。
何しろ 小学生の時に二人で麹を買ってきてドブロクを作って飲んだ。
その兄は死んだ。まだ81.だった。私は83.当分死にそうもない。
母親は98.まで生きた。母より長生きしそうな気がする。
29日の血糖値146.最高血圧131。
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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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