政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針5231 号  2019・11・17(日)

2019/11/17


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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5231号
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      2019(令和元年)年 11月17日(日)


  
雀庵の「恐るべし台湾、熱帯病で兵力半減」:“シーチン”修一 2.0

 「青い山脈」の頃:渡部亮次郎
    
   文化の日は悪意:高山 正之



                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

      

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雀庵の「恐るべし台湾、熱帯病で兵力半減」
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          “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/52(2019/11/15】孫が柚子の枝にしがみついて
いたままの緑の幼虫、2匹を採ってきた。室内飼育で温かいせいだろう、
数日でサナギになり、1匹は数日で羽化し、部屋を飛び回っている。アゲ
ハ蝶だった。

この命のご先祖様は1億4500〜6600万年前、植物が花を誕生させた白亜紀
初期に誕生したそうだ。さらに遡れば菌に至るのかもしれない。宇宙から
最初の菌、微生物が隕石に乗って地球に来たのか・・・「命のタネ、地球
着陸!」、感動的だ。

命とか生物の進化・成長過程の中でたまたまアゲハ蝶になった。下手をす
れば人間になって「地球の敵」の汚名を蒙ることになったのかもしれな
い。アゲハ蝶よ、君は幸運だった。だがしかし、人間に捕まえられなけれ
ばもっと幸福だったろう。

同類同属同種で殺し合うこと甚だしき最たるものは人間だろう。群れ、部
族を作り、弱肉強食、敵対したり合体したりの合従連衡で、今の人間は大
中小微、200ほどの国家/集団になった。

国家と言ってもISO規格があるわけではなく、言語も7000ほどあり、使用
者が少ない言語は消えていき、間もなく3500ほどになるそうだ。日本でも
方言は年々消えている。今世紀末には2000ほどに絞られるとか。

今の世界秩序はうんざりするほどの戦争を経て1945年にとにもかくにも造
られた。

新大陸発見に湧いた16世紀、欧州列強が分捕り合戦をしていた1562年、フ
ランス軍がブラジルから先住民/蛮族を本国に連れてきて、時の王様、12
歳のシャルル9世にお目見えさせた。モンテーニュはこの一大イベントを
見ており、こう記している。

<人食人(先住民、野蛮人)の中の3人が、こちらの悪風に染まることが
他日、いかに彼らの平和と幸福とを損なうか、われらとの交際によりやが
て己らの破滅が生まれるかを知らずに、破滅はすでに相当進んでいるの
に、好奇心に欺かれ、われらの国が見たさに、彼らの静かな天地を捨て
て、シャルル9世がいませしルアンの町にやってきた。

王は長時間、彼らと語られた。

人は彼らに、われらの習慣、儀式、麗しい一都市の様を見せた後、彼らの
意見を求めた。彼らはこう言った。

「第一に、不思議千万と思うのは、王のまわりにいる武装したひげ面の逞
しい大勢の男たち(近衛のスイス兵のことらしい)が、一人の子供の前に
平身低頭すること、そして誰も大男の一人を選んでその王と戴かぬこと。

第二に、(我々が同胞を「半分=モワチエ、わが友」と呼ぶ相互扶助の習
慣、道義を持っているのに対して)フランスでは、あらゆる種類の安楽に
満ち膨れている者があるかと思うと、それらの人たちの「半分」が貧と飢
えのためにやせ衰えて、彼らの門前に食を乞うていることである。

しかも、ああまで窮迫したこれらの「半分」が、よくもあのような不正を
耐え忍んで、あの富める人たちの喉を絞めようとも、その家に火を放とう
ともしないのは、いかにも不思議である」>

モンテーニュはこの「共同記者会見」の後、酋長に単独インタビューをし
たが、通訳の力量不足から以下の話しか聞き出せなかったという。

<――酋長は同胞の長としてどんな特権があるのか

「戦争の場合は先頭に立つことだ」

――幾人ほどを従えていくのか

(彼はある広さの地面を指さした。およそ4、5000人と察せられる)

――戦争がすむと酋長の権威はなくなるのか

「いや、後になっても、かつて自分が指揮した村落を訪れれば、、皆が自
分のために森の中に通路を開いてくれるから、楽々とそこを通ることがで
きる」

彼らはモモヒキなんて穿かないから(それは歓迎と敬意の表れなのだろう)>

生産する者、一方でそれを搾取する特権階級。どこの国でもありそうだ
が、ある程度生産力が高まると、分業が始まる。やがて優秀な人物、識見
豊富な長老などが村、部族集団など共同体の指揮者になり、生産現場から
離れて独自の職業、地位になっていく。

これが世襲制になったりすると、共同体の拡大とともにやがては酋長や王
様になり、道を間違うと「無為徒食の搾取階級、特権階級、貴族」になっ
てしまうのだろう。

一方で汗を流して生産する者は徒に搾取されるだけの奴隷、被搾取階級に
なっていったり。まあ、これは一般論だ。

大体、世の中は「とてもできる奴」「できる奴」「並」「劣る奴」、最後
に「足を引っ張る奴」の5種類に分類できる。それぞれが自分の得意分野
を見つけて、腕を磨けばそこそこの生活ができる。ただ、福翁も言ってい
るように、難しい重い仕事は報酬が高い、誰でもできる簡単な軽い仕事は
報酬が低い。

努力して難しい仕事に就き、高い報酬を蓄積しているうちに、その子供も
恩恵を受けて高等教育を学び、上位の仕事に就きやすい。これは自然だ
が、国によってはこれが特権階級になり、既得権益になり、やがては「無
為徒食の搾取階級」に堕す例は実に多い。

江戸時代の日本は人口の7%が武士、農民84%、工商6%、その他(僧侶、
医者など)3%だったそうだが、武士でも役に登用されない、役職手当の
ない「劣る奴」「足を引っ張る奴」など無為徒食のダメンズ武士は多かっ
たろうから、主持ち武士の3分の2、日本人口の5%はまずダメンズ寄生虫
だったろう。

藩は石高に応じて武士を抱えていなければならなかったから、リストラが
できない。小生の母方の久保家は代々ダメンズ武士で、「遊びをせんとや
生まれけん」のDNAだった。知行地などからの収入があったのかもしれない。

上士は禄だけで暮らせたろうが、下士以下は役についても軽い仕事だから
禄は少なく、生活はちっとも楽ではなかった。山川菊栄の「武家の女性」
から。

<水戸藩士約千人のうち、百石以下(平士)が七百人、平士は内職を許さ
れていましたし、禄だけでは生活できないので、家族も、無役の当主まで
もいろいろの内職をしました。機織りも武士の妻や娘の内職の一つでした。

平士以下の同心(足軽)ともなれば、半農半工、田畑も作り、内職もし
て、辛うじて暮らしていたのでした・・・五千石取りの城代家老、鈴木石
見守は家来の三十人も持っている豪勢さでした>

30人で「豪勢」なら、印刷所経営のタコ社長はかなりの上層階級だな。

江戸時代は身分制が厳しく、農民はひどく搾取された・・・というのはど
うも針小棒大的な見方かも知れない。百姓一揆という騒擾はあったが、殺
し合いという内乱はほとんどなかったろう。大飢饉を受けた一揆、最大規
模の「大塩平八郎の乱」でも、

「大塩勢の戦死者は3名、巻き込まれて死亡した者15名に対し奉行所側は
負傷者すらいなかった。 大火災で当時の大坂の人口約36万人の5分の1に
当たる7万人程度が焼け出され、焼死者は少なくとも270人以上であり、そ
の後の餓死者や病死者を含めるとそれ以上だといわれている」(WIKI)

捕縛されたもののうち死刑は50人ほどと蜂起側の損害が少ないのは、納税
者=百姓を殺せば為政者=自分が損をするどころか、幕府から「治世怠
慢」で藩取り潰しの処分を受けかねないからでもあった。

無為徒食の者が(大方は貧乏暮らしとは言え)人口の5%ほどか。当時の
朝鮮では両班(ヤンバン、リャンバン)という無為徒食の貴族(寄生虫)
が人口の20〜30%もいて、ひたすら百姓、町民を貪り食っていた。本家の
支那も似たようなもので、今は10%ほどか。

そういった欧州、支那、朝鮮など階級社会/身分制度と、江戸時代に代表
される日本のそれは、名称は同じでも「似て非なるもの」という感じがする。

封建時代から近代国家へと舵を切った明治維新、戊辰戦争では、1年
ちょっとの戦争で戦死者は旧幕府軍の死者8625名、新政府軍3588名、その
他1359名の計1万3562名だという(「幕末維新全殉難者名鑑」)。

平岡昇著「平等に憑かれた人々」には1789年のフランス革命から始まった
混乱を1799年にナポレオンが「ブリューメルのクーデター」で収めたが、
以後のナポレオン戦争で500万人が死んだとあった。

ナポレオンは1814年に強制的に退位させられ、エルバ島に幽閉されたが、
フランス革命からナポレオン失脚までの25年間で600万人が戦死、処刑な
どで死んだ。平均すると年に24万人、1か月に2万人、1日に600〜700人が
殺されるという時代が25年も続いたのだ! ほとんど発狂!

階級社会/身分制度が強固であればあるほど、それからの脱却と新秩序の
建設には非常に大きな代償を払うということだろう。

支那、朝鮮時代の特権階級/貴族は、今では中共党員リベラル≒アカ集団
としてしっかりと、サナダムシのごとくに国民に寄生している。虫下し、
治療法はあるやなしや。

感染病の研究、治療法がそこそこ先進国に普及していったのは1900年前後
だ。台湾清軍討伐の石光真清らの戦いは熱帯病との壮絶な戦いでもあっ
た。石光の手記「城下の人」から。

<(明治28年)7月下旬になると、新竹城警備の二百余人のわが中隊も、
健康者はわずかに八十名になってしまった。ほとんどがコレラであった。
予防法も治療法もなかったので、成り行き任せの状態であった。

いよいよ苦しくなって、下痢が続いて、水を飲んでも吐くようになると、
軍医の診療を受けて入院する。入院は死の宣告と同じであった。戦友に今
日までの礼を言い、遺言を述べて、担架で運ばれていった。何の治療もで
きなかった。

病室には消石灰を厚く撒き、その上に蓆を敷いてあるだけで、病室という
より死体置き場であった。

数か所に水を満たした桶が置いてある。ひどい下痢と吐瀉で体の水分が欠
乏してくるが、飲めば吐いてしまう。渇に耐えかねて、下痢をしながら、
吐きながら、身を引きずるように、石灰にまみれて、桶に辿り着き、水を
飲み、水を吐き、そして死んでいった。

死体は蓆で巻き、三か所を麻縄で締めて、名札を付けてから、東門外で、
火葬された。こうして病死者の数は戦死者の十倍に達したのである。

将校も兵士も毎朝床を離れると便所に行き、硬い便が出ると、やれやれ今
日は助かったと胸を撫でおろすのであった。

私もついにコレラに罹った。便所でひどい下痢をして兵舎に戻り、従卒の
井手口寅吉(経験豊富な猛者)を呼んだ。

「おい、やられた・・・」

井手口はすぐ覚った。私の顔色が変わっていたのであろう。「中尉殿、大
丈夫であります。井手口がついております。自分が必ず直してさし上げます」

そう言って、部屋に病床を作った。軍医に報告すれば入院させられ、必ず
死んでしまうから、この部屋で秘密に治療しようというのであった。私は
自分の運命を彼に任せた。

井手口はビール瓶を五、六本集めて、その中に熱い湯を入れて、私の腹に
当てた。冷えてくると順々に熱い湯を入れては腹に結びつけて不眠の看病
が始まった。



「中尉殿、下痢が出そうになっても、出さないでください。我慢してくだ
さい。いいですか、決して出してはいけません」

私が耐えられなくなると、井手口は手の親指で私の肛門を押さえて下痢を
止めた。遂には疲れてきたのであろう、足の踵で私の肛門を押さえて夜を
徹した。

「おい、井手口、済まん、ありがとう、こうまでされれば、僕は死んでも
悔いないよ」と言えば、井手口も泣き声になり、

「中尉殿、しっかりして下さい。弱いことを言ってはいけません。必ず、
必ず井手口が治して差し上げます」と寝台に縋りついて肛門を押さえたま
ま泣き出した>

戦場での命懸けの絆、友情・・・我々も倒れるまで戦う、「入院しませ
ん、勝つまでは」!、大和男児は戦い抜くぞ!

発狂亭“終日パジャマはダメ、絶対!”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(169)2017/1/21】産経、河崎真澄「中国成
長率6.7%に鈍化 公共投資頼み 統計の水増し疑惑も」。

<遼寧省は統計に捏造があったことを初めて公式に認めた。氷山の一角
で、「経済成長率は水増し疑惑分を除けば3%がせいぜい」(大手商社幹
部)。水増しが難しい貿易統計で、輸出入総額は2015年が8.0%減、16年
は6.8%減と2年連続のマイナスだった>

支那は賃金の安さが魅力で「世界の工場」になったが、賃金が上がり過ぎ
た。今はアジア諸国への工場シフトが進んでいる。「せいぜい3%」とい
うのは現場の体感成長率なのだろう。(つづく)2019/11/15

 
       
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「青い山脈」の頃
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        渡部亮次郎

恥かしい話を書く。多分生まれて初めて観た劇映画が「青い山脈」であ
り、昭和26(1951)年の早春、新制中学を卒業寸前の15歳、教師引率で、町
の映画館で観た。

もちろん白黒。公開されて既に2年経っていたらしいが、それは今になっ
て調べて分かった事。町と言いながらド田舎だったのである。

昭和の御世。15歳まで映画も観られなかったとは万事、貧しかった。
もっとも戦争中は見ようにも映画が製作されてなかったらしい。

映画「青い山脈」(あおいさんみゃく)は石坂洋次郎原作の日本映画。
1949年・1957年・1963年・1975年・1988年の5回製作されたが最も名高い
のは1949年の今井正監督作品である。私の観たのがこれだ。

主題歌の『青い山脈』は日本映画界に於いて名曲中の名曲ともいえる作品
で、過去の映画を紹介する番組などでは定番ソングともなている。2007年
10月24日のラヂオ深夜便で久しぶりに聴いたので映画の事を思い出したの
である。

西條八十(やそ)作詞、服部良一作曲の名曲。映画を見たことが無い人でも
歌だけは歌える人が多い。また映画ではラブレターで「戀(恋)しい戀し
い」というところを「變(変)しい變しい」と誤記してしまうエピソード
は大いに笑わせた。

長編小説『青い山脈』は1947年に「朝日新聞」に連載。

東北の港町を舞台に、高校生の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた
青春小説。また、民主主義を啓発させることにも貢献した。

私は新憲法は中学生ながらに全文を読んだが、民主主義の実際については
「青い山脈」に教えられた。

1949年に原節子主演で映画化され、大ヒットとなった。その3ヶ月前に発
表された同名の主題歌も非常に高い人気を得た。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石坂洋次郎(いしざか ようじろう 1900年1月25日―1986年10月7日)は、
小説家。青森県弘前市代官町生まれ。戸籍の上では7月25日生まれになっ
ているが、実際は1月25日生まれ。

弘前市立朝陽小学校、青森県立弘前中学校(現在の青森県立弘前高等学校
の前身)に学び、慶應義塾大学国文科を卒業。1925年に青森県立弘前高等
女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)に勤務。

翌1926年から秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学
校)に勤務。1929年から1938年まで秋田県立横手中学校(現在の秋田県立
横手高等学校)に勤務し教職員生活を終える。

『海を見に行く』で注目され、『三田文学』に掲載した『若い人』で三田
文学賞を受賞。しかし、右翼団体の圧力をうけ、教員を辞職。戦時中は陸
軍報道班員として、フィリピンに派遣された。

戦後は『青い山脈』を『朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり、
「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となる。数多くの映画化、ド
ラマ化作品がある。

他に、『麦死なず』『陽のあたる坂道』『石中先生行状記』『光る海』など。

「青い山脈」では作者は青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中
央高等学校)の教師であった。当時疎開中の女子学生達から聞いた学校生
活をこの小説の題材にしたと思われる(「東奥日報」2005年8月15日新聞
記事による)。

この記事は間違っている。現在の青森県立弘前中央高等学校の教師であっ
たのは1925年(大正14年)であって「当時疎開中の女子学生達」とは何の
ためにどこから疎開してきたのか。東奥日報の我田引水もいい加減にしろ。

閑話休題。1949年版映画のスタッフ。監督:今井正、脚本:今井正、井手
俊郎、音楽:服部良一。作曲を電車の中で、数字で作曲していたら、折か
らの闇物資を売買する闇商人に間違えられた、という作り話のようなエピ
ソ−ドがある。

主なキャスト 島崎先生(女学校の教師):原節子、沼田校医:龍崎一郎
、金谷六助(旧制高校生):池部良、寺沢新子(女学生):杉葉子、 ガン
ちゃん(旧制高校生):伊豆肇、 笹井和子(女学生):若山セツ子、梅太
郎(芸者):木暮実千代だった。

2007年、『映画俳優 池部良』が出版される。2007年2月、東京池袋の新
文芸座のトークショーにて、その本の編集者から「青い山脈の時に31歳で
したが…」と池部が質問され、

実は1916年生まれで当時33歳なのに『青い山脈』の18歳の高校生の役を
渋々受けたことや原節子先輩からガリガリに痩せていたため「豆モヤシ」
という迷惑なあだ名をつけられたり、原節子の尻をデカイと本人の目の前
で口を滑らせたために 張り手を食らいそうになったりといったエピソー
ドを話している。

「ウィキペディア」による誕生日は1918年2月11日(建国記念の日)89歳
 血液型B型となっているが、池袋の新文芸座のトークショーでの「実は
1916年生まれ」だとすると92歳(2008年6月現在)になってしまう。映画俳
優協会の理事長としてご活躍中ということで不問にしよう。

この作品は藤本プロと東宝の共同作品となっている。著作権の保護期間が
終了したと考えられることから現在激安DVDが発売中(但し監督没後38年以
内なので発売差し止めを求められる可能性あり)。出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

この映画を観た当時は大東亜戦争の敗戦から未だ6年。人口数千人の町に
よく劇場があったものだが、小中学生の映画鑑賞は禁じられていたし、カ
ネも持っていなかったから観たいとも考えなかった。

出来て間もない中学校では野球に夢中。3年になったら主将に指名され
た。投手で4番打者。校舎の中では生徒会長でもあったから忙しかった。
家では教科書を広げる事はなかった。

中学校も間もなく卒業という春、秋田は3月と言っても当時は雪の降る日
があった。ゴム長靴にアメリカ軍払い下げのオーバーを着て寒さに耐えな
がらの映画鑑賞。

生まれて初めて観る映画だったはずだが、あらすじも画面も、未だに思い
出せるところをみると興奮はしていなかったようだ。後年、父親を映画に
誘ったら「暗くて厭だ」との感想。

明るくとも見える映画といえるテレビがド田舎にも普及したのは「青い山
脈」を見てから10年以上経っていた。ましてあの頃、テレビ会社(NHK)に入
社(記者)するとは夢にも思わぬことだった。

恥かしくて退屈な思い出話。御退屈様。2007・10・25執筆



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文化の日は悪意
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高山 正之



【変見自在】文化の日は悪意  高山 正之 『週刊新潮』令和元年
(2019)11月21日号



昭和天皇の誕生日だった4月29日がなぜか「みどりの日」になった。

何で緑なのか。次は黄色の日でも作る気かと批判が百出して素直に「昭和
の日」になった。

実はそういう意味不明の祝日がまだある。11月3日の「文化の日」もそうだ。

もとは明治天皇の誕生日の「明治節」なのはみな知っている。これも素直
に「明治の日」にしようとする声が広まっている。

それに朝日新聞が因縁をつけた。「狙いは戦前回帰だ」と編集委員の藤生
明がコラムで指摘する。昔、明治節を推した一人が「八紘一宇を唱えた宗
教人」で、その流れをくむ者が今回の動きの背後にいる。

明治節を復活すればすぐ軍国主義が復活し教室に軍靴が轟く。だから「文
化の日」でいいのだと。

日教組の口吻で断固言い放つが、その割に記事には嘘と隠しごとが多い。

その一つが八紘一宇の説明だ。日本書紀の「八紘を掩(オオ)ひて宇(イエ)と為
す」が元で、その意味は「世界は一家、人類みな兄弟」だ。

藤生の言う「日本軍のアジア侵略のスローガン」説はあの偏頗な東京裁判
ですら却下している。記事の要からして嘘なのだ。

コラムは「文化の日」が「明治の日」に勝るとしながら勝る点を書いてい
ない。

彼が劣るという明治天皇の意義の方は大きい。陛下は側近政治に固執する
長州の足軽たちを諭して国会開設を急がせた。

支那の軍艦が東京湾に闖入(チンニュウ)し、その軍事脅威が明らかになると、
がやがややっている国会をよそに「宮廷費の半分を今後6年間、建艦費に
回すよう」「官吏も俸給の1割を出すように」詔を出した。

国会は慌てて国防と基幹産業の整備予算を通した。

おかげで日本は二度の国難、日清と日露の戦争を乗り切れ、欧米に伍す工
業国に成長していった。

意義は大いにある。

では「文化の日」の意義は何か。筆者はそれを隠す。

で、字引を見たら「自由と平和を愛する日」とある。

祝日としての厳かさも何もない。ではなぜ隠したか。書けば勘のいい読者
は「もしかしたらマッカーサー憲法が出典?」と思うのを恐れたか。

実際、それが正解だ。新憲法の前文にある「自由」と「平和を愛する」を
つなげてつくったものだ。

実は、コラムは避けて回るが、この日がまさにマッカーサー憲法公布の記
念日なのだ。

なぜマッカーサーは明治節に新憲法公布を重ねて且つ「文化の日」と呼ば
せるようにしたのか。

この男は日本を深く恨んでいた。フィリピンの司令官だった彼はホントは
臆病で、開戦を知らされてひたすら狼狽(ウロタ)えた。何の手も打たずに虎
の子の空軍機を日本軍に潰され、コレヒドールに逃げ、さらに兵を捨てて
豪州に逃げた。

おまけに逃げる前にフィリピン政府から50万ドルを脅し取っていた。

この臆病と強欲が全米に知れ渡った。だから戦後トルーマンに解任される
までの10年間、帰国もできなかった。彼を「さ迷える元帥」に追い込んだ
元凶は日本人だと逆恨みしていた。

彼は日本に来てまず戦力放棄の新憲法を書いて昭和21年2月22日、幣原首
相に受け入れさせた。

マーク・ゲインの『ニッポン日記』に「その日がワシントンの誕生日だか
ら」とある。ワシントンには父が大事にしていた桜の木を切ったエピソー
ドがある。桜の国・日本の命脈を絶つという暗喩だと。

マッカーサーはその年の昭和天皇の誕生日にA級戦犯を起訴させた。

戦犯7人の死刑が決まると彼は皇太子の誕生日12月23日に刑を執行させた。

そういう悪趣味でマッカーサーは仕返しした。

その仕上げが戦力放棄という滅びの憲法の公布日を近代日本をつくられた
明治天皇の誕生日にぶつけることだった。

GHQはそれを命じたあと、悪意を隠すため祝日の名は「憲法記念日以外
なら何でもいい」と言った。

朝日はその悪意を今も忠実に守っているわけだ。



出典:『週刊新潮』2019年11月21日号  【変見自在】文化の日は悪意

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




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重 要 情 報
━━━━━━━
◇◆◇写真映像情報網◇◆週刊AWACS 2019年11月17日◇◆◇◆◇

▼唸声一言/さくらを見る会にご執心の朝日と野党

紅葉見て朝日の騒ぐさくらかな



毎日のように桜を見る会で安倍叩きをする朝日と野党、特に大騒ぎをすることもないのに、野党の皆さんも自民の異端児石破氏も真剣な顔をして騒いでいます。ご自分でも同じようなことは経験されているのではないでしょうか?既に鳩山元首相のさくらを見る会でも「雨の友こそ真の友」とか後援会関係者を大勢招待していましたね。



又、前日の5000円会費のパーティーも足りない分はどうしたのかとの話がありますが、政治家のパーティーを皆さんは知らない筈がありません。パーティー券が15000円しても、出て来るものは一人当たり15000円ではありません。とくに政治家のパーティーでは10分くらいで食べるものが無くなります。つまり、500人集まったとしても100人分くらいしか用意をしないのですから、アッと言う間に無くなります。要するに5000円でやろうと思えばやれるのです。



一流ホテルだから高いと言うことも分からない訳ではありませんが、先日、呑兵衛の友人とヒルトンの中華料理7品コース飲み放題で4980円(税・サービス込)に行ってきました。

https://restaurant.ikyu.com/105283/?plan_id=11021559



ヒルトンとニューオータニじゃ格が違うのかは分かりませんが、味もサービスもまずまずでしたよ。その前はモエ・エ・シャンドンモエ アンペリアルも飲み放題で同コースが7000円(税・サービス込)でしたから、呑兵衛二人で3本も飲んでしまいました。市販で1本4800円くらいですから、3本飲めば、ホテルは赤字かも・・・。でも、追加料金はありません。



@5000円に調整するのも政治家の事務所の大切な仕事です。



一番初めの俳句ですが、紅葉の季節にさくらを見る会の話をするのですから、何だかタイミングがおかしいですね。また、たくさんのメディアのさくらも入っているのでしょう。二人の大臣辞任と合わせ技で一本取りたいところですが・・・。くだらないし、バカバカしい!



では、今週号をお楽しみください。

https://ameblo.jp/unarigoe/entry-12545993172.html

2019/11/17 唸声


◎「夜と朝の間に」:渡部亮次郎

このタイトルの歌を唄ったのは女装で有名になったピーターである。作詞
のなかにし礼は男なのか女なのか判然としないピーターを夜と朝の境目の
判然としない時間に譬えて作詞した。

「夜と朝の間に」

唄 ピーター
作詞 なかにし礼
作曲 村井邦彦

<夜と朝の間に ひとりの私 天使の歌を聴いている死人のように

夜と朝の間に ひとりの私 指を折っては繰り返す 数はつきない

遠くこだまをひいている 鎖につながれた むく犬よ
お前も静かに眠れ お前も静かに眠れ

夜と朝の間に ひとりの私 散るのを忘れた一枚の花びらみたい

夜と朝の間に ひとりの私 星が流れて消えても 祈りはしない

夜の寒さに耐えかねて 夜明けを待ちわびる小鳥たち
お前も静かに眠れ お前も静かに眠れ>

ピーター 本名:池畑 慎之介 いけはた しんのすけ
1952年8月8日(62歳) 大阪府堺市西区 生まれ。
血液型 A型 俳優、タレント、歌手

慎之介は、上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝 の長
男として生まれた。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳
しく仕込まれた。5歳の時に両親が離婚。母・池畑清子と暮らすことを選
択、鹿児島市で少年時代を過ごした。慎之介が母方の池畑姓を名乗るのは
これ以降である。

池畑の性的指向は長らく公表されていなかったが、のちになってバイセク
シュアルであることを明言し、男女共に恋愛経験があることを公にした。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そう言えば私はラヂオとテレビの記者として育ったので、「きょう」とか
「きのう」「おととい」「今月」「先月」「今年」「去年」というテンスの原
稿を書き続けた。だが、これは新聞や雑誌では通用しない言葉であった。

たとえば、きょうに「きょう」とラジオやテレビで放送するのは当然だ
が、新聞で「今日」と書いても、配達されるのは「あす」だから、きょう
は昨日になってしまっている。だから日付を書くしかない。

TVの記者の古手になったら、盛んに雑誌から原稿を依頼されるようになっ
て、このことを厳しく実感した。原稿は例えば、2月に「今月」と書いても
発売される頃は「先月」になってしまっているから原稿はもともと「今
月」ではなく「2月」と書かなくてはならない。

このことはインターネットの世界でも同様である。今日はすぐ明日になっ
てしまい、4,5日経ったらいつの今日かわからなくなってしまうではな
いか。

投稿してくる人はTVを見ながら「今夜の番組で」と打ち込んでくるが、明
後日になってメルマガやブログに掲載しようとしても、「今夜」とはいつ
の今夜か分からなくて困る。今夜とか昨夜ではなくて初めから日付で語っ
ていただかないと、主宰者泣かせの原稿になっている。

これきりのことを書くのに、ピーターのことから書きはじめた。

「夜と朝の間に」と言えばピーターだから、こうなった。私はNHKで政治
記者を約20年やったが、正式なNHK教育を受けていない。

非正式職員に採用されて、秋田県大舘市駐在の記者(単身)になり、放送用
(耳から聞かせる)文章を独りで考えて送った。1年後、試験に合格して正
式記者に採用されたが、もはや教えるところは無いのか研修所(東京・
砧)へは入れられず仙台の現場に突っ込まれた。ネタや文章がNHK的でな
いのは、その所為だろう。2010・2・27



◎文在寅大統領は「GSOMIAの維持は難しい」と言った:前田正晶

文在寅大統領に思う:

私も事が文在寅大統領となると不快感に襲われ、ついつい感情的になっ
てしまうのだ。実に度しがたい人物であるが、韓国民の過半数が彼を支持
して大統領に選んだのだから、櫻井よしこさん先日のPrime Newsで「反日
種族主義」を引用して指摘されたように、韓国の人たちはそもそも我が国
が嫌いだったのかと思わずにいられないのだ。文大統領は我が国以外の人
たちに見られる現象で、「一切自らには非はなく全ては相手側、即ち我が
国が悪いのか誤っているのだ」という主張をしているに過ぎないのだとも
思う。

15日のPrime Newsでも森本、中谷、小野寺という防衛大臣経験者の一致し
た見解が「文大統領はGSOMIA破棄を選ぶだろう」となっていたのには「矢
張り彼らでもそう見ているのか」と妙に納得させられたのだった。事がこ
こまでに及べば、残された1週間に如何にアメリカのエスパー国防長官以
下が説得された後にも拘わらず、確信犯である文在寅大統領が心変わりす
る可能性は限りなくゼロに近いだろう。

我が国からの「輸入した半導体の原材料の処理は如何なっているのか」と
の問い掛けに3年間もに答えなかった事実などは、彼の北朝鮮との統一へ
の大理想の前にあっては、些末なことだったとでも言うのだろうか。日米
韓の同盟乃至はアメリカとの同盟関係などは、最早彼の眼中にはないのだ
としか考えられないのだ。全く理解不能なのだが、文大統領は今更その自
らが掲げた大方針の転換は出来ないところに追い詰められているのではな
いのか。



◎医師の承認を得て藤沢でのクラス会に参加:前田正晶

15日は「日頃の行動範囲を逸脱しても良し」との2人の主治医の承認を得
たので、色々と工夫した上で体調を整えてJR新大久保駅からクラス会出席
の為に小田急線藤沢駅に向かった。勿論不安ではあったが、安全を期して
無慮¥630を投じて9時40分発のロマンスカーを利用して座席を倒し(リク
ライニングのこと、念の為)1時間ゆっくりと過ごしていた。この路線で
も神奈川県に入って相模大野を過ぎる辺りからメッキリと高層アパートが
減っていく傾向が解る。即ち、未だ長閑な田園風景のような感じが多少は
残っていると言えるのかも知れない。

藤沢駅に降り立ったのは昨年の4月以来だと思うが、正直に言ってこの永
年馴染んだこの街に来ると矢張り違和感を覚えてしまうのだ。それは日本
大学のT教授が新宿区百人町を訪れらた何度目かに「もうこの街の異常さ
にも馴れました。だが、異常と感じなくなった自分が怖いです」と言われ
たのの反対で、藤沢でも何処でもここ新宿区百人町を離れると、周囲から
日本語しか聞こえてこないのが不思議でならないと感じてしまうのだ。そ
れは、中国人もイスラム教徒も見当たらないのには、寧ろ違和感を覚える
と同時に何とも言えない爽やかさを感じると言うこと。

そこでクラス会である。我々昭和7年と8年生まれの者たちは昭和20年
(1945年)に旧制中学に入ったのだから、何と74年間の付き合いがある仲
間なのだ。戦時中は何度か組替えがあったが、昨日集まった9人は新制高
校とやらにさせられてからは3年間同じ組だったのだ。欠席した4人を加え
て(妙な言い方かも知れないが)生存者は13人なので、36人の同級生の約
3割に当たる訳だった。何年前だったか、当時の幹事が「この生存者率は
10組みあった中でも最低である」と言っていたのは忘れられない。

幹事からは事前に「全員の高齢化を考える時に今回で最後として、これか
ら先はその時々の状況次第で任意に集まることにでもしようか」との提案
があった。だが、結果的には未だ未だ元気な者も多いようなので、来年も
開催しようということに全員が合意したのだった。中には「87歳になって
しまったということは、こういうものか」という体力と気力の衰えをしみ
じみと語った慶応のサッカー部のOBもいた。その点では私は全く同感で、
遙かなる藤沢まで電車で行くのは一種の賭けのような悲壮感すらあったの
だった。

翌日、私の日頃の体調の衰えというか悪さを承知している幹事から「無事
か」と確認の電話を貰ったが、何とかこうしてPCに向かっていられる状態
だ。余談だが、芦屋に住んでいる先頃野球の殿堂入りした元高野連会長の
脇村春夫君は流石に欠席だったのは残念だった。



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身 辺 雑 記
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東京湾岸は17日も快晴。

16日の東京湾岸は快晴、爽快。元気に散歩を終えた。隣の中学校は土曜日
で休み。騒音無く寂しいくらいだ。

ところで15日の内科定期検診でも問題「ナシ」。83歳にしては珍しい。

実兄は81で死んだ。私は100を超すと予想している。母は98まで生きたか
ら私の100は夢ではないと思っている。
娘は3人の子持ちながら朝日新聞の管理職である。だが私は朝日を読まな
い。熱烈な産経読者である。

                         読者:6003人




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