政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針5218 号  2019・11・4(月)

2019/11/04


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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5218号
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      2019(令和元年)年 11月4日(月)



           書評しょひょうBOOKREVIEW:宮崎正弘

          「世界観」に基づいて"流れ"を判断する:和田憲治

             正倉院 〜 世界最古の国際美術館:伊勢雅臣
             
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

      

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書評 しょひょう BOOKREVIEW
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)11月2日(土曜日)
         通巻第6260号
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((読書特集))
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川口マーン惠美『移民難民』(グッドブック)
老村・著。夛田狷介・訳『騒土』(中国書店)
宇山卓栄『韓国暴政史』(扶桑社新書) 

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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 
BOOKREVIEW〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「かれら」のDNAとは「自国民虐殺」「政敵暗殺」「市街戦」
  「従北勢力」(文政権)の巨大な陰謀に韓国は自滅して果てるのか

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宇山卓栄『韓国暴政史  文在寅現象を生み出す社会と民族』(扶桑社新書)
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福沢諭吉は後世に残る『脱亜論』を世に問うたが、主宰した『時事新報』
(1985年2月26日)の社説でこう書いている。

「この国(朝鮮)を目して野蛮と評するよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と
云わん」。

その「妖魔悪鬼の地獄国」で「反日」の暴走がとまらない。その結果、日
本では韓国批判が嘗てない高まりを見せる一方で、多くの批評家、歴史
家、学者、ジャーナリストらの韓国・朝鮮史研究の深化によって、従来の
歴史観がひっくり返った。

これまでの左翼学者や朝日新聞が書いてきた現代朝鮮史は嘘だらけだった
ことが同時に明らかにされた。歴史学者の朝鮮史も出鱈目だった。

第一は稲作をもたらした弥生人が朝鮮半島から来た渡来人であるというい
かがわしい説に対して多角的な歴史検証がなされ、虚説であることが立証
された。

評者(宮崎)も、拙著『神武天皇以前』で触れたが、稲作はむしろ日本か
ら半島に伝えられた。ついでに言えば縄文後期から稲作は日本で定着して
いた。その遺構が発掘され、誰も反論が出来ない。

第二に民族のDNAが医学の進歩によって明らかにされ、日本民族と朝鮮
の人々との遺伝子に共通性が低いことが判明した。考古学者らは、DNA
やミトコンドリアなどで、日本人と朝鮮人、中国人、モンゴル人がまった
く人種的に異なることがわかっても、知らん顔をしているのは、自分たち
の視野狭窄による「学説」が崩壊するからである。これは言語学系列の研
究でも明らかになっていることだ。

第三は、中国の正史が侮蔑した『倭』とは、じつは日本人が統治した半島
の南を含めていた事実が再認識されたことである。かくて戦後の歴史教育
がネグレクトしてきた史実が浮かんだ。『魏志倭人伝』における「倭」の
意味は北九州の豪族による地域政権だけではなく、朝鮮半島南部を包括し
ての総称だった。

本書が改めて指摘する下記のポイントがとくに重要だろう。

北朝鮮と韓国を「一つの民族」と喩え、統一朝鮮と叫ぶのは間違いであ
り、漢江を挟んで北は遊牧の満州族が主体、南は農耕民族の韓人だが、そ
の「韓人」とて、ひとくくりには出来ず百済、新羅、任那のように「三韓
の地にいた人々」だとする。
 
本書は言う。

「世宗は『貢女』と呼ばれる性奴隷を中国に積極的に差しだして」ご機嫌
を取ってきた。自国の「民を売り飛ばすようなことは朝鮮では日常的に行
われていた」。だから、日本も同じだろうという劣等根性から世界各地に
「慰安婦像」を建てることになる。考え方によっては、あれは自らを反省
する材料ではないのか?

自らの劣等感を、日本を侮ることによって精神の安定を得ているのだ。

「日本書紀の雄略紀や欽明紀では、日本(大和王権)が任那をはじめ伽耶
を統治していたことが記されています。(中略)『広開土王碑』には、倭
が新羅や百済を臣従させたと記されています。新羅と百済は王子を日本に
人質に差しだしています」。

それゆえ前方後円墳が半島南西部にまで分布しているのは、日本の統治下
だったからだ。

そのうえ白村江の戦いに関する戦後の歴史認識も、改められる。つまり任
那日本府があったように、朝鮮の南は日本の統治下にあって、唐が新羅を
攻め立て、ついで百済を侵略した。

唐の大軍に対して日本にいた王子が大和朝廷に救援を求め、斉明天皇自ら
が大軍を率いて瀬戸内海からの出軍、途次の福岡で急逝する。防衛路線を
継いで日本は出兵したが、白村江の戦いで敗れた。

この歴史の真実は「百済の滅亡が日本にとって、『遠い外国の話』ではな
かったからです。事実上の自国の領土を侵犯されたという当事者意識とそ
の国辱に対する憤激が日本を突き動かした」と見るべきだと著者は強調す
るのである。
 
そして新羅が裏切り、唐の属国となって以来、彼らには奴隷根性が染みつ
いた。それが韓人のDNAである、と著者は言う。

 以下、本書には書かれていないが、嘗て司馬遼太郎が書いた「日本人の
祖先の国」が韓国だとする虚言。面妖な司馬遼太郎史観の虚構がつぎつぎ
と暴かれている。

また大手メディアはいまもって「渡来人が日本にきて」、弥生式文化をも
たらし、「縄文の子孫と混血して日本民族が生まれた」トカの陳腐な俗説
がある。これらがすべて嘘であることが近年の科学、医学、遺伝子探求な
どで鮮明になった。

これによって溝口優司や八幡和郎らが言ってきた虚説もまた嘘の列にある
ことが晒された。
 
くわえて近年の邪馬台国を巡る珍説、奇説、愚説の洪水のなかでも「邪馬
台国が東征し大和朝廷がはじまった」という井上光貞や井沢元彦、武光
誠、古田武彦、上田正昭らの説も正しくないことが傍証される結果となった。
         
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 難民と移民との区別なく、EUの移動の自由がもたらした地獄
  遣唐・隋使の逆「遣日使」は日本へ亡命者を満載、元寇も実態は農民
の亡命だった

  ♪
川口マーン惠美『移民難民 ドイツ・ヨーロッパの現実 2011−2019
――世界一安全で親切な国日本がEUの轍を踏まないために』(グッドブック)
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長い題名である。いや題名だけで内容の概要が呑み込めるから、あるいは
便利かもしれない。だが、難民問題のディテールは本書を読まないと本質
を掴めない。

日本の政治はじつに悠長である。

情勢の激変に対して反応が鈍く、鋭利な国際感覚はゼロに近いと言える。
世界が激動し、危機が迫っているというのに、五千円の香典を秘書がもっ
ていったとか、選挙の宣伝嬢への謝礼が相場より多かったとか、そんな理
由で大臣の頸が飛ぶ。永田町は閑だなぁ。

難民の危機が迫っている。

シリア問題は日本から遠いが、香港なら近いだろう。あの香港大乱で、不
動産暴落が始まり、マンションを叩き売ってマレーシア、シンガポール、
最近は日本のマンションを買っているのは誰なのだ?
 
「富裕層は騒乱になると、さまざまなコネを使って早々に国を離れる。そ
して、残された貧しい弱い人たちが、戦乱に巻き込まれ、抑圧され、ある
いは干ばつに見舞われ、病気に晒され、結局、二進も三進もいかなくな
り、着の身着のままで、近隣の難民キャンプにたどり着いた」。(中略)
「犯罪者たちは、生活に絶望した人々に、『EUに行けば仕事がある』と
いう甘い言葉を吹き込んだ」(33p)

シリア難民の事態は深刻化した。ドイツを目指して数百万の民族大移動が
始まって各国が国境の門を閉めた。

ドイツのメルケルは人道主義を楯に難民をかたっぱしから受け入れた。
 「このころのEUは、まさに非常事態に陥っていたと言っても良い。膨
大な難民が自国に雪崩れ込むことを懼れ、各国は次々に国境を閉じた。つ
まり、国境検査を廃止したシェン源協定までが崩れたのである」(58p)。

ついで地中海を渡ってくるアフリカ難民でEU諸国は難民に溢れかえり、
一気に治安が悪化したばかりか不景気となって、政治の方向が難民排斥に
転化した。

トランプはメキシコに高い壁をつくった。一部の偽善ヒューマニストを除
いて大半のアメリカ人はトランプを支持した。

いったい何が起きたのか。そして、この難民危機は、じつは明日の日本を
直撃する大問題なのだ。それなのに五千円香典騒ぎで朝から晩まで吠えま
くる日本のメディアってアホの骨頂ではないのか。

 危機の本質とは何か?

難民達は自力で地中海を泳いでわたり難民申請をするわけではない。小舟
にすし詰めとなって、ヤクザ組織など難民斡旋業者に大金を払い、海の藻
くずとなるかも知れない危険を顧みず、洋上で助けを待つのだ。
 どこからともなくあらわれるNGOの救助船。おかしくないか?
「このNGOの「遭難救助」活動の裏には、それをちゃんと経済的に援助
している人たちがいる」。

そして「シャトル便のように、救助した難民をせっせとイタリアやマルタ
に運んでくる」。だから「NGOと犯罪組織が連携している可能性も疑わ
れている」と川口さんが指摘している。

難民はパスポートを持っていない。どこの国かも分からず送還先さえ分か
らず、これらの難民は居座り、やがて事実上の移民となり、EUの移動の
自由という隠れ蓑に紛れる。いや、テロリストが混入している。潜在的敵
国でテロ活動をやるのに格好の隠れ蓑にもなる。

なぜ日本に差し迫っているかと云えば、北朝鮮、韓国、台湾、そして香港
という潜在的な難民輸出国があり、日本に難民を振り向けるには、NGO
を装う左翼が日本国内にごろごろいるではないか。

そのうえ中国、韓国の犯罪組織はおそらく日本のヤクザと手を組んで、大
量の難民を斡旋して日本海や東シナ海に届けるだろう。

人道上、これらの遭難者を海で見つけたら最後、航海中の船は助けなけれ
ばならないのだ。
 
目の前の脅威。川口さんは声を大にして訴える。

「日本は、いまこそが正念場だ。グローバリズムの荒波をどうにか乗り越
えて行くには、みなが状況の深刻さを理解しなければならない」。
つまり、難民という大問題は、いまから悠長に対策シナリオの立案をする
ことではない。押し寄せてくるのは時間の問題なのである。

さて評者(宮崎)、本書を読みながら、次のことを考えていた。

遣隋、遣唐使は十数回派遣されたが、それを上回る規模でシナから「遣日
使」がやって来た。殆どは帰化を希望し、帰国しなかった。船は日本亡命
希望者を満載してきた。

かの「元寇」とて朝鮮半島からの部隊と南宋からの部隊があったことは知
られるが、じつは南宋からの『元寇』とは農民の亡命希望者が多かったの
である。これは沈没船の積載貨物や船内に積み込まれていた小舟の量、遺
体の骨の鑑定などから判明している。

ベトナム難民も多くが中国人の偽装難民だった。

人間の密輸を斡旋する犯罪組織は、最近も英国で冷凍車から数十のも遺体
がでたように、その実態は密入国ルートだった。

日本はいよいよ目の前に迫った大量難民への多角的な対策を急ぐ必要がある。
 
         
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ようやく出現した中国農村の、糞尿まじりの土の匂い、騒擾の文学
  政治と性事。弾圧と抵抗。その悲喜劇こそ砂塵に暮らす人々だった

  ♪
老村著。夛田狷介訳『騒土』(中国書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@

「大江健三郎は縦に書いたフランス語だ」と、かつて杉森久英が言ったこ
とがある。このデンといくと、たまたま日本語で書いた無国籍小説がムラ
カミハルキということになる。凜として華麗で絢爛な日本語を駆使した作
家は三島由紀夫だろう。

近代日本文学で日本人の魂と武士道精神を描いたのは森鴎外が筆頭、維新
以来の迅速すぎた近代化の過程で日本の精神喪失の懊悩を吐瀉したのが夏
目漱石であろう。永井荷風は外国に憧れながら日本の下町の情緒に戻り、
庶民の江戸の情緒をそこはこと訴えたのが樋口一葉だった。

もっと時代を遡れば、『古事記』は縄文の薫りと、弥生の匂いの混在した
浪漫が濃厚だが、中国語で書かれた『日本書紀』はすっかり唐風である。
江戸時代は朱子学に染まった儒者だったが、彼らも、夜になると、秩序重
視、体制維持の御用学問をよこに置いて陽明学を学んでいた。世間では国
風の復権が澎湃となって、本居宣長、賀茂真淵、平田篤胤らの輩出をみ
た。これらは官界外の世界だった。しかし江戸時代こそ、美人画、春画、
文学、浄瑠璃、歌舞伎、義太夫、小唄、日本は世界に冠たる芸術大国だった。

現代の日本文学を見よ。

日本の精神は死んでいる。何処にも古代の浪漫が存在せず、外つ国の真似
事をもって現代文学などと獅子吼し、縄文的風土が喪失されてしまった悲
劇を誰も嘆かない。
 
このような比喩を最初に書いたのは、もはや説明の必要がないだろう。
 近代中国文学も同じだったのである。魯迅も胡適も、器用に外国文学の
スタイルで中国人を語ったが、そこの土着の匂いがなかった。文革以後に
輩出した若い中国人作家は、「中国のサガン」「中国のガルシア・マルケ
ス」などが出てきて欧米で騒がれたが、中国の百姓たちの、土着の雰囲気
がない。
 
評者(宮崎)は嘗て、台湾に亡命した文豪・無名氏(卜内乃)に何回も、
時間をかけて単独インタビューを重ね、彼の文学の詳細を論じたことがあ
る(拙著『中国の悲劇』)。

やはり近代知識人の懊悩がテーマ、米国へ亡命した陳若?(チェンルォ
シー)をサンフランシスコの自宅に訪ねて中国文学の宿命や知識人の現状
を聞いたことがある。やはり土の匂いが希薄だった。前者は文革中、自宅
に逼塞し、静かに秘かに小説を綴り、原稿は巧妙に外国へ持ち出されて筆
名で出版されていた。後者は文革最中に北京にあってホテル暮らし、文革
の悲劇を見つめた。

文革期、共産党の宣伝一色でプロパガンダとしての「芸術」なるものが
あった。党御用達文学で糊口を凌いだ作家らを顧みる人はいない。
 いずれ文革の悲劇を壮大に悲壮に、しかし中国人らしくダイナミックに
描く作品が出てくるだろうと期待して、はや四十年を閲した。
ようやく出てきたのだ。

老村はもちろん筆名である。苦労を重ね、北京へ出て映像のプロデュース
にも携わったが、やがて引き籠もり創作に専念した。

中国土着の物語の執筆に余生を賭けた。

この小説『騒土』は、中国文学に伝統的な『金瓶梅』や『紅楼夢』に技法
を借りながらも、文革初期の遠隔地で、途方もない田舎に暮らした人々を
活写する。黄色の砂塵を巻き上げる農村に文革宣伝隊もやってきた。

ムラは政治的人間やら軍人崩れやら、金持ちの妾やらが入り乱れ、滑稽な
ほど隠微で乱倫なのに、倫理観が希薄な所為か人々は原始的に本能的に動
き回る。無神だが迷信を信じる。嗚呼、これが中国の農村の底辺で暮らし
た人々の実相だったのだ、と感嘆するに至る。

それにしても長い小説である。
 
「生きていることと愉しむことだけが人生第一の喫緊事」ゆえに「男は自
分の女房を守らず、ひたすら他人の女房を盗むことばかりを考えている。
女は婦道を守らず、いつだって良家の子弟を誘惑する」。

このような雑駁な人々が「世間から後ろ指を指される類の」「愚鈍頑固で
腹黒い輩、権勢に阿って利をみては義を忘れる人等が、秋の蝗のように上
の方にはブンブン飛び回り、下の方ではぴょんぴょんはね回り」、繁栄し
てきた豊穣な郷は荒廃した。「残ったのは禿山と乾河、耕地は荒れ果て、
人里には雑草」という時代を迎えるのだった。巨大なニヒリズムが砂塵と
ともに到来し、去った。

 題名の『騒土』は、騒ぎ乱れる、浮ついている、かる弾み、淫らなどの
意味を掻き混ぜた、全体を象徴する語彙を選んで冠された。

 

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「世界観」に基づいて"流れ"を判断する
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            和田憲治 


みなさんこんにちは。和田です。

米中20年戦争に備えよ!ver.3ですが、
やっと編集書き出しが終わりそうです。

早期予約購入特典として、

ーーーーーーーーーーー
・私、和田が買った、戦争銘柄(アメリカ株)を教えます。
  
・奥山先生が戦略家ルトワックについて語ります。
 (各国の動きや国際情勢を読んできたルトワックの源泉に触れます)

ーーーーーーーーーー

と、先日のメールで報告しました。

奥山さんの内容についてはともかく、
株については、普段から私に質問が多かったので
少し答えられればと思っています。

私は大学卒業してから証券会社に少しの期間勤めました。
勤務期間中もそして退社してからも、
ずっと株式投資を続けてきました。

(1)その投資スタンスは?
というと、中長期投資です。

短期の信用取引などはほとんどやりません。
ずっと株価を見てないといけないからです。
本業の仕事には集中できるようにしつつ、
補足で株式投資をするというスタンスです。

株は博打という人がいますが、
勉強さえすれば、博打の部分を減らすことができます。

バイクに全く興味なかった人間が、
興味持ったり、買ったりすると、
街を走っているバイクを
目で追いかけるようになります。

自分がこだわって買ったものを
他人が持っていると気づきます。
今まで気づきもしなかったものが見えてきます。

同じく、

(2)少額であっても株を買うと、
その業界のニュースがどんどん頭に入ってきます。
政治の問題、国際政治の問題もウォッチする力が
上がると思います。
これが一番いい点です。

経済政策の下手な政治が許せなくなります。
株式すら買ったことない政治家に
経済政策をやってもらいたくないくらいに思います。

で、続いて、自分の中で大事なことは何かというと、

(3)常に世の中がどうなっているのか?
の、世界観です。

以前のメルマガで書きましたが、
日本はグローバル化とITの世界観がなかったため、
IT競争で負けました。
これは日本に世界観がなかったからです。

でも、自分の世界観としては、
日本は負けているが、米国のIT覇権は拡大する。
というのは見えました。

世界中から人材はシリコンバレーになだれ込んで
日本にはそのレベルの人間は少ない。
(私は東大ITベンチャーを経営する機会がありましたが、
東大内でもIT人材は少なかったのです。)

これじゃあ、日本のITはボロボロに負けると
あきらかに思いました。
アマゾンやアップルは個人的には使いまくっているし、
この会社にずっとカネを払い続けざるをえない人は
自分以外にもたくさんいるだろうと思ったからです。
これは私だけでなく、誰もが思ったと思います。
思ったときに買うかどうかです。


GAFAとかFANGと言われる銘柄はすべてそうです。
google,Apple,Facebook、Amazon,Netflixなどです。

ということで、ずっとホールドしつつ
利食いもしています。

中国のBATH(バイドゥ、アリババ、
テンセント、ファーウェイ)も
上がるだろうと思いましたが、
応援したくない。

自分の世界観に合わないので買ってません。

ついでに、なぜ、アメリカ株かというと、
人口が流入し続け人口増加が続き、
国内でも個人も企業も競争が激しく、
結果、国外企業には勝ち続ける状況にあること。
これが大きいです。

奥山さんの「世界を変えたいなら武器を捨てよう」
という本を読んだことがある方は
わかると思いますがそこに書いているとおり、

アメリカは日本にモノ造りで敗北してから、
金融、ハイテクIT、流通、バイオ&ヘルスケアに
集中してます。
そのセクターの株は今でも持っています。

日本が誇る?家電や自動車産業なんかは成長産業でもなく、
単なる循環銘柄です。
にもかかわらず、政府はエコカー減税やエコ家電への
助成をやっていた期間もあります。
放送でもいいましたが、まったくアホですね。
モノづくりのメーカーは、
アメリカでは金融と流通の奴隷です。

あの本は自分の世界観を持とうという本です。
自分の資格や技術を一旦捨てて、
世の中の世界観を感じ、自分の世界観を作って
(世の中に自分を)対峙させようというものです。

で、現在は、

(4)米中冷戦の世界観も加わります。

さて、では銘柄は?です。

というつもりで、
参考にしてもらえればと思っています。

(1)中長期投資
(2)カネをかけると調べるようになる
(3)世の中の動きの世界観と自分の世界観
(4)現在の世界観は?米中冷戦じゃね?

という流れの判断です。


          
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正倉院 〜 世界最古の国際美術館
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            伊勢雅臣


国柄探訪: 正倉院 〜 世界最古の国際美術館

「全アジアのもっとも美しい時代の姿が、正倉院に保存されている」。こ
の奇跡はどのように実現されたのか?
■転送歓迎■ R01.11.03 ■ 50,324 Copies ■ 6,785,844Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/


■1.テヘランで見つけた正倉院所蔵品とそっくりの水差し

「これを初めて見たときには思わずハッとした」と早稲田大学でシルク
ロード史を研究されていた長澤和俊・名誉教授は言う。昭和41(1966)年
春にテヘラン考古博物館を訪れた時のことである。そこで見つけたガラス
製の水さしは、正倉院所蔵のものとそっくりだった。

__________
鳥の嘴(クチバシ)をかたどった口、流れるような曲線を示す胴体や把手
(トッテ)、とくに注ぎやすいように親指をかける突起など、驚くほど似て
いる。[1,p89]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ただし、正倉院のものは大切に保存されてきただけに透明な美しさに溢
れているが、こちらの方は出土品のようで、表面が銀化したり、汚れたり
している。

__________
 少なくともこれを見た瞬間には、あの正倉院の水さしはおそらくぺルシ
アからはるばる伝来したものと直感したのである。[1, p90]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■2.「世界最古の国際美術館」

 この水差しは、正倉院宝物の二つの特徴をよく表している。

第一は「正倉院はシルクロードの終着点である」と言われる国際性であ
る。宮内庁正倉院事務所長・杉本一樹氏の『正倉院 歴史と宝物』[2]では
次のように指摘されている。

__________
 デザインや装飾技法、容器のかたちなどについてみれば、宝物には、イ
ンド、イランからギリシア、ローマ、エジブトにおよぶ各国の諸要素が包
含される。[2,p56]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 第二は保存性である。

__________
 一方、永世保存が当初からの目的とされることにも注意したい。同じ目
的の、宝物の一括献納の例として、エジプトの諸王朝の宝や、中国では法
門寺地宮や遼代の慶陵白塔の事例がある。
しかし、永世保存の手法として選ばれたのは、埋納という形式であり、正
倉院の例のように、人の手によって、地上で守られた例を知らない。つま
り、永世保存という意思が発信され、それが一度も途切れずに、人から人
に引き継がれて継続しているということである。[2, p33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 正倉院は世界最古の国の世界最古の王朝に護られてきた「世界最古の国
際美術館」なのである。なぜ、これが実現されたのか、歴史を辿ってみれ
ば、そこにわが国の国柄が見えてくる。


■3.長安で流行したペルシア風文化

 618年に成立した唐はササン朝ペルシア(226〜651)年との間で、文化交
流が盛んだった。仲介に立ったのが、商才に長けた西トルキスタンのソク
ド人である。ソグド人はペルシア人と同じイラン系アーリア人で、言語も
宗教も近かった。

 彼らはペルシアの絨毯、宝石細工、楽器、ガラス、金属器、香料、薬品
などをラクダの背に載せ、今日のイランからパミール高原やタクラマカン
砂漠を越えて長安まで運んだ。

 651年にアラブ軍(イスラム・カリフ国)がササン朝を滅ぼすと、王子た
ちやその一族郎党が唐に亡命した。彼らに従って、多くの工芸家が長安に
やってきた。

 玄宗皇帝(唐の第9代皇帝、685〜762年)の宮廷内の工房には織物刺繍
工、木工、玉工、金工が千人規模でいて、様々な工芸品を作っていた。そ
の中には多くのペルシア人工匠やその弟子となった唐人工もいて、ペルシ
ア風の工芸品も制作していた。それらが国内の貴族の褒賞や周辺国の朝貢
への返礼として配られていたのである。

 唐の首都長安でもペルシア風の文化が流行した。『旧唐書』は「太常の
楽は胡曲を尚び、貴人の御饌(しょくじ)はことごとく胡食で、士女はみ
な胡服を着ている」と書いている。「胡」とはペルシアやソグドのことで
ある。

 玄宗の下で軍人としてのし上がった安禄山は、ソグド人と突厥(トルコ
系遊牧民族)の混血で、755年に「安禄山の乱」と呼ばれる叛乱を起こし
た。この際に、唐のある王族が逃れる際に、持ちきれない財宝を大きな唐
壺2つに入れて、長安南郊に埋めた。

 その唐壺が見つかり、中から出てきた宝物には、銀薫炉や琉璃(るり)
碗など、正倉院の宝物と瓜二つのものが少なくない。またササン朝の銀
貨、東ローマの金貨、日本の和銅開宝銀銭も出てきて、当時の国際交流の
盛んな様を窺わせる。


■4.遣唐使やその返礼使節による交易

 長安の国際性豊かな様は、わが国から赴いた遣唐使の一行も見聞してい
る。7世紀から9世紀にかけて、我が国は17回にわたって遣唐使を派遣
した。長澤教授は彼らの長安での滞在についてこう語る。

__________
遺唐使の一行は長安で大食、吐蕃、その他多くの外国人と会い、それぞれ
のすぐれた文化も肌で感じていたと思われる。中国の西方には西域、吐
蕃、吐火羅、大食、波斯、天竺等の国々があり、西方には緑眼朱髯の人が
住むというようなことは、大和朝のインテリには実際に彼らと会い、話を
かわすことによって、すっかりわかってい
たのである。[1, p211]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東アジアの遣唐使は、それぞれの国の特産品を唐に献納し、それに数倍
する回賜(返礼品)を貰って帰国するのが常であった。いわば当時の国際
貿易である。また、日本からの遣唐使は総勢100人から600人程度
で、彼らは命がけの渡航であったから、無事、唐に着くと、唐物の購入に
精を出した。

 それらの中には、ペルシアから唐にもたらされたもの、あるいは唐に亡
命したペルシア工人が造った工芸品も含まれていたろう。これらの一部が
日本に持ち帰られ、正倉院の宝物とされたようだ。

 また日本から遣隋使・遣唐使が派遣されると、その返礼として使節が我
が国にやってくるのが通例であった。天智天皇の治世の669年と671年には
それぞれ2千人規模の夥しい船と唐人が来朝している。その中には夥しい
数の商人が含まれていて、莫大な唐物を持ってきたようだ。

 分量から見ると、遣唐使が持ち帰った物以上が輸入され、その中には正
倉院に献納された多くの工芸品が含まれていたと推測されている。


■5.唐のすぐれた技術の吸収につとめた職人たち

 興味深いのは、諸国からの遣唐使の中で、日本人は特に書籍の購入に熱
心だったことだ。『旧唐書』の「倭国日本伝」には、「得るところの錫賚
(しらい、下されもの)尽(ことごと)く文籍(ぶんせき、書籍)を市(か)
い、海に泛(うか)んで還(かえ)る」と、記録されている。

 書籍を熱心に求めるのは、昔からの学問や技術を重んじる日本人の習性
だろう。さらに遺唐使の一行には、医師、楽師、画師、玉・鍛冶・鋳物な
どの職人などもいて、唐のすぐれた技術の吸収につとめた。

 第17次遺唐使(838〜840)とともに入唐した藤原貞敏は、もともと琴
の名手であったが、唐の琵琶の名人劉二郎に砂金二百両を贈ってに師事
し、わずか数ヶ月でことごとく妙曲を伝授された。劉二郎はその天分に感
心し、譜数十巻を与え、その愛娘を貞敏に嫁がせたという。

 翌年の帰朝にあたり、劉二郎は紫檀・紫藤琵琶各一面を餞別として貞敏
に与えた。「正倉院宝物中の数多い琵琶も、何回かこうした経緯をくり返
して輸入されたものかもしれない」と長澤教授は指摘する。


■6.新羅商人の中継貿易

 正倉院の宝物の中でも有名な鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)
は、六扇にわたって豊満な唐美人が描かれ、一見、唐からの舶来品と考え
られたが、この屏風の下貼りの反故(ほご)紙に天平勝宝4年(753)の年
記があり、結局、わが国で製作されたことが明らかになった。

 この下貼りに使われた文書は、天平勝宝4年に新羅使がやってきた際
に、奈良朝の貴族が新羅使から購入予定の物の種類・価格などを報告した
ものであると見られている。購入品の中でも多いのは香料で、その原産地
は中国南部からインド、マレー半島、スマトラに及び、新羅商人の広範囲
な活動が窺われる。

 しかし、長澤教授は「この国には古い金銀器や金銀平脱(JOG注: 紋様の
形に切った金や銀の薄い板を貼り付けた)漆器等が残っておらず、新羅、
百済はわが国と唐との中継貿易を試みたとみられる点があり」と言われて
いる。唐からの返礼品や輸入品も、ほとんど日本へ輸出してしまったとい
う事か。

 いずれにしろ、その文書が反故として、朝廷で工芸品の制作にあたって
いた内匠寮(ないようりょう)に払い下げられ、下貼りとして使われた。作
者は唐で技術を学んだ日本人か、あるいはもう一つ可能性があるのが帰化
人である。


■7.帰化人たちの貢献

 長澤教授によれば、正倉院の御物には日本で制作されたと判明していな
がら、ペルシア人の工芸家がいたとしか考えられないものがある、という。

 それは二つの屏風で、両方とも樹木の下で鹿や猿をなどを配置したペル
シャ風の模様が描かれているが、専門家によれば、これは、ゾロアスター
教の最高神オフルマズドが悪の神アフレマンを追放する様が描いていると
いう。

 様式だけ見れば、ペルシアから中国を経て日本にやってきたもののよう
に見えるが、屏風の下端には、絹布の銘識の一部と思われる墨書きで「天
平正宝三年十月」とあり、わが国で造られたものである事が明らかになった。

 帰化人が工芸の面でも活躍していたことは記録にも残されている。唐の
高僧・鑑真は日本側の招請を受けて、5回の失敗を乗り越えて来朝した。
その際に、弟子14人のほか、ペルシア人(または現在のウズベキスタン
のブハラ人)らしき安如宝、ベトナム人軍法力など24人が同行したという。

 鑑真は後に唐招提寺を建立したが、その金堂、地蔵堂などは安如宝、講
堂の丈六弥勒菩薩などは軍法力の作であるという。

 その外にも、遣唐使の帰朝にあたり、唐のつけた送使が遭難などで帰れ
なくなったため、帰化した唐人も多く、彼らはそれぞれ姓を賜り、官位を
授けられ、唐文化の普及に貢献した。わが国では技術や学問をもった帰化
人も歓迎され、彼らがまた優れた工芸品を後世に残したのである。


■8.「世界最古の国際美術館」

 ペルシアや唐で優れた工芸品がたくさん作られ、また貿易などでアジア
各地に広まった。しかし、それらの多くは永世保存のため、あるいは戦火
や略奪から護るために土中に埋められたりした。さらには新羅のように貿
易で多くの工芸品を扱いながら、利のためか、自国ではほとんど残されて
いない、という国もある。

 こういう歴史と比べてみれば、正倉院で海外からの多くの宝物が人の手
によって残されてきたことは、世界史的な奇跡であることが理解できよう。

 イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーはこう語っている。

__________
 七、八世紀のさまざまな遺品を、あれほどまでに数多く、しかも完璧な
姿で保存されてきた正倉院の宝物は、まさにかけがえのない「宝石」であ
る。[3, p11]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 また、ヨーロッパの東洋学ではもっとも進んでいるフランスのギメ東洋
美術館の館長だったルネ・グルッセも、こう評価している。

__________
 全アジアのもっとも美しい時代の姿が、今日、正倉院に保存されてお
り、われわれの眼の前にその姿をほうふつとさせてくれる。あらゆる点に
おいて、七、八世紀はアジア大陸のもっとも偉大な時代であったとおも
う。そして、その偉大な世紀が、まさにこの正倉院
に保存されているのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 正倉院がこれらの「宝石」「全アジアのもっとも美しい時代の姿」を
1200年以上も保存できたのには、二つの要因がある。

 第一は皇室の保護である。正倉院は初期の頃から「勅封」がかけられて
いた。扉を開けるには勅許(天皇の許可)が必要であり、開閉には天皇の命
を受けた使者が立ち会う。中世以降は「勅封」とは「天皇ご自身が書かれ
た封」と解されるようになり、紙にお名前あるいは花押が書かれる。この
伝統が現在まで続いているという。

 第二は、1200年以上にわたって9千点もの品を丁寧に記録し、厳重に虫
干し・点検し、時には高度な技術によって復元修理してきた無数の人々の
精魂込めた作業である。

 正倉院とは、「世界最古の国」の皇室と先人たちの努力によって護られ
てきた「世界最古の国際美術館」である。まさに「和の国」[a]ならでは
の伝統である。

 おりしも御即位記念の第71回正倉院展[4]が11月14日(木)まで奈
良国立博物館で開催されており、東京国立博物館では御即位記念特別展
「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」[5]が11月24日(日)まで開
催されている。

 この世界史の奇跡を我々は国内で見られるというのも、ご先祖様たちの
お陰である。
(文責 伊勢雅臣)

          
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重 要 情 報
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◎「ライス・ウオーキング」って何のこと:前田正晶

当方にオーストラリア人独得の訛りというかアクセントを論う気はない
が、IOCのコーツ調整委員長のこの発言を聞いて「アレッ」と感じた。正
直に言えば、あの複雑なようで単純な使命を担って来日されたコーツ氏の
表情が私にはかなり傲慢に見えたので、矢張りヨーロッパ人で固めた(と
ばかり思っていた)IOCには、こういう人物がいるものかと思って眺めて
いた。ところが、それまでは字幕だけで音声が流されなかった同氏の発言
を聞くと「マラソンとライス・ウオーキングを札幌に移す」と言っていた
のだった。明らかにヨーロッパ人の英語ではないのだ。中には“rice
walking”などという競技があるのかと訝った人もいたようだ。

そこで早速Wikipediaに訊いてみた。すると「John D. Coatesは
Chairman, Coordination Commissionとあり、オーストラリアのオリン
ピック委員会(AOC)の会長にして弁護士」とあった。嘗てはボートを
やっておられ、矢張り選手のご出身だったようだ。敢えて解説すれば、
コーツ氏は“race walking”をオーストラリアやニュージーランド及びイン
グランドのロンドンの一部にある訛り(London cockney)で、“a”を「ア
イ」と発音する為に race が「ライス」になっていたのだった。

発音よりも何よりも意外だったのは、ヨーロッパの一定の階層以上の人た
ちで固められているとばかり思っていたIOCの委員に、大洋州の人物がい
たという事実だった。そういうことが認められているというか許されるの
であれば、我が国からも何も選手上がりでなくとも良いから、外国語が堪
能でスポーツ界の事情に精通した有能な人材を送り込んで、IOCの内部や
会合で思い切り発言させて、我が国の意向や立場を明言できてIOCの決定
に反映できるようにしたらどうかと考えた次第だ。

今回の札幌移転の件でJOCの会長が何らかの意見を表明したとも聞いてい
ない。これでは立場は弱くないか。小池都知事が冒頭で英語で語っておら
れたのは聞こえたが、私はもっと突っ込んでも良かったのではないかとす
ら感じていた。森組織委員会長も最初から「逆らえない」というようなこ
とを言っておられたようだが、「受けざるを得ないとは思うが、斯く斯く
然々の点で極めて遺憾である」くらいを述べても、「決定事項」だったの
であれば、何も失うものはなかったと思う。だがしかし、もしかして報道
されていなかった場では意見は述べておられたのかも知れないが。

私は在職中でも余りオーストラリアの方とは交流がなかったが、明らか
なことは全てのオーストラリア人がこういう発音をする訳ではないと承知
していた。だが、以前にオーストラリアの首相がごく当たり前のように
“nation”を「ナイション」と言われるのも聞いたし、オーストラリア独得
の挨拶“Good day, mate.”が「グッド・ダイ・マイト」となるのも実際に
聞いている。これはオーストラリアという国がUKからの移民で構成されて
いたからだと認識している。

だが、我が事業部で国内と日本以外の海外市場担当の“sales and
marketing”担当のマネージャーのニュージーランド人はそういう発音をし
ていなかったし、彼のオーストラリア人の奥方は聞いているだけでウット
リとなるような美しいクイーンズ・イングリッシュの発音をしていた。同
じ国内でも地域によっては訛りも放言があるということだと思う。

ここから先は私の勘ぐりだが、コーツ委員長はバッハ会長の意を帯して
我が国の抑え込む為に来られてのであって、IOCを代表しても我が国の意
見をIOCの反映できる立場にはおられない「お使い」だったのだろうとい
うこと。だからこそ、取り付く島もないとしか聞こえない「上から目線」
的な高圧的なものの言い方だったのだと思えば、妙に納得できるのだ。

今や方々で専門家も野次馬も言い出しているように「札幌に今からどう
やって選手村を作るか、ホテルでも借り切るのか」等々の実務的に処理す
べき案件が山積している。中には「札幌の8月は今や東京よりも涼しくは
ない。IOCは何処まで精密に調査したのか」という現地の人も出てきた。
全体の費用だって大変なことだ。であるから、上記の指摘に戻るが、IOC
の委員になって堂々と我が国のというか自説を展開する人物を送り込んで
おけば事情も変わっていただろうし、あそこまで居丈高に「これは決定」
などと言わせずに済んだのではないかという気がするのは誤りか。



参考資料: Wikipedia
◎日韓関係の改善策は文大統領の決断次第だ:前田正晶

私が考える結論は一にかかって「文在寅大統領が考え方を変えるか否
か」にあり、彼が変心するかどうかにしかないと思っている。

そういう根拠は、2晩続けて日韓議連の会談乃至は会合をPrime Newsと報
道1930で聞いたが、議員たちが如何に熱心に討論し提案をしあっても、最
後の決断(トランプ大統領の大統領令に倣えば“executive decision”とな
るか)を下すのは文大統領であり、どちらの国の議員の権限ではないから
である。問題はあの熱心に論じあった内容が何処まで文大統領に上がるか
であるとは思うが、私の勘ぐりでは「彼ら韓国の国会議員たちは文大統領
の意向を帯してやってきたのであれば、無駄骨になりかねないのだ」なのだ。

その根拠はPrime Newsに登場した韓国側の会長と幹事長の2人は「日本側
がホワイト国から外した原因の一つが安全保障上の問題だと言うのなら
ば、これまでに韓国側から提供した情報が30件で日本からが1件でしかな
かったGSOMIAは、最早DPRKは脅威ではないと看做している状況下では、そ
の仕返しに破棄するのは当然ではないか」と堂々と延べて、司会の反町を
して何度も「北朝鮮が脅威ではないのというのは本気で言っているのか」
と確認させていた。反町は衛星を持っていない韓国はそれで良いのかとも
質したが、糠に釘だった。一寸衝撃的だった。

戦中の半島からの労働者問題についても、1965年の協定を守っていないこ
とについても、3年間も我が国の呼びかけに応じず懇談しなかった半導体
原材料の貿易問題についても、彼らの姿勢は頑なで、一歩も譲る気がな
かったのは明らかだった。私の見方では「彼ら国会議員には何らの譲歩も
妥協も出来る権限などハナからないのであり、青瓦台の方針に背くことな
ど出来る訳がないのだ」となる。彼らは矢張り首脳会談でしか事が進まな
いと思っているように聞こえる論調だったが、大統領制の国であればそう
なるのは仕方がないと思う。

1日にはあの優柔不断振りに望みはないと思っている岸田政調会長(だっ
たか)がPrime Newsで反町に「もし今文在寅大統領と会談されるとすれ
ば、何を仰りたいか」と振られて「お会いしたこともない人との会談で何
を言うべきかは言えない。それにその段階に至るまでに事務方が準備会談
を積み上げていってその態勢が整って始めて会談するのが普通である。仮
定の質問には云々」と言ったのには驚かされたし、その慎重さと決断力の
欠乏には呆れた。

岸田氏は理論上は正しいことを言っているのは間違いないとは思う。だ
が、もしもこの人物を総理大臣に戴いたらどうなるのかと、矢張り不安に
なった。しかし、屁理屈めいたことを言えば、韓国の国会議員たちも大統
領の許可無しに何かをコミットできないのも同じ事かと考えている。

確かに安倍総理対文大統領の首脳会談は必要だとは思うが、岸田氏が指摘
されたようにその前に積み上げておくべき事務方というか外交筋の準備会
談は必要だろう。だが、確か額賀福志郎は「水面下でも水面上でも話し合
いな行われている」と強調していたが、その現実的な効果は一向に現れて
いない。私は文在寅大統領が膝を屈してまでも首脳会談を望むような状況
に持っていく力量(カタカナ語では「パワー」とでも言うか)が外務省に
あるのかどうかの問題もあると思っている。



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身 辺 雑 記
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4日の東京湾岸は快晴、爽快。

3日午前、隣の第三亀戸中学校の芝生の校庭には父兄が沢山集まり、生徒
たちのテニスを見ていた。最高血圧:136.

                          読者:6003人


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