政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針5202 号  2019・10・19(土)

2019/10/19


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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5202号
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       2019(令和元年)年 10月19 日(土)



雀庵の「オランダの台湾支配終わる」:“シーチン”修一 2.0

         香港の製造業が、香港回帰へ:宮崎正弘      
文在寅打倒なるか、保守のデモが街を埋めた:櫻井よしこ

            
                      話 の 福 袋    
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雀庵の「オランダの台湾支配終わる」
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      “シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/36(2019/10/17)】朝夕の室温が20度程になっ たので、冬に備えて厚手のカーテンを使えるようにした。全部閉めると 真っ暗、何やら巣ごもりだ。蓑虫になったような、カフカの「変身」の虫 になったような、ヒッキーになったような、複雑な感じがする。



カミサンは自宅療養中の患者を定期的に(小生の部屋にはしょっちゅう) 訪問するが、ほとんどがヒッキーで、狭い部屋で掃除もしない、窓も開け ないから臭い、座るのも気持ち悪いと言う。小生の部屋はまあ奇麗な方だ ろう。脳みそはずいぶん穏やかになってきたとは思うし、死神はここ1か 月ほどは来なくなった。面白い夢もよく見る。

昨夜はロイヤルホストとかいうファミレスの本部へ行って、「料理を出す だけでは勝てない、これからはそこにいるだけでもお客さんが楽しい気分 になるようにディズニーランド化すべきだ、いるだけで楽しい、落ち着く とか、付加価値がものをいう」なんて説教を垂れていた。

「演出が大事で、ストリップと同じ。初めはクネクネ、チラチラ、挑発 していき、最後はかぶりつきのお得意さんに御開帳。ソープだって出会 い、恋、結ばれる、という“恋に似たもの”を演出している。ファミレスも ワクワクドキドキの体験を売るように工夫すべきです。プレイボーイクラ ブのバニーガール、マックのミニスカコスプレ、ロッキー青木の「紅花オ ブ東京」の愉快なパフォーマンス・・・あの店ならいつも Something Else がある、そんなソフトで差別化を図るんです」

こういう講演は交通、質疑応答を含めて半日はかかるが、最低10万円の 収入にはなる。やっているうちに成功例なんてどんどんできてくると、有 名人、カリスマになり、50万、100万円とかになる。人気商売だからその うち落ち目になるのだが、知名度がまだあるうちに作家、芸人、コメン テーター、議員にでもなっておけば数年は食えるのではないか。野垂れ死 んだりする可能性もあるが、まあ週刊誌が「あの人は今」特集で供養して くれるだろう。

台風19号で床上浸水になった長女のマンションは、消毒屋さんが多分公 共施設から手を付けるから(長女の勤め先の保育園は厨房が浸水)民間住 宅にまでは手が足りずに復旧のめどが立たないという。結局、オーナーの お見舞金で引き下がり、1年前に長女夫妻が契約したマンションが来年の3 月に完成するまで我が家に仮住まいすることになった。

つまりだ、同志諸君、毎日孫二人(小2と年長)は我が家にいることに なる! いっぺんに2匹のペット、オモチャが来るわけで、ヂイヂはとて も楽しみだ。ちっこいのを捕まえて抱きしめると実に気分がいい。ぺろぺ ろ舐め放題! 今のうちだで!

いつも週末に来る小5の孫の算数の勉強を見ていて思ったのだが、テス トの問題は当然ながら日本語で、しかし、とても分かりにくい設問だ。つ まり「国語理解力がないと分からない問題が多い」のだ。「読書の訓練」 が算数などにも必要だということ、これは小生が成人してから痛感したこ とだ。

で、国語を孫に教えることにした。教材は子供がわくわくするようなや つ、「金瓶梅」とか「ファニーヒル」「ロリータ」「チャタレー夫人の恋 人」・・・ちょっと早いか? まあ、アリスとかオズの魔法使い、かぐや 姫とか、赤毛のアン、イソップ物語とか、読みと暗記、感想文、創作など 折に触れて教えていけば少しは役立つだろう。

さてさて激動の「台湾」史。喜安幸夫著「台湾の歴史」から要約、咀 嚼、調理する。

<最強の海賊頭目、鄭芝龍が明朝官僚の支那的マジックで福建海防遊撃 (海軍司令)になると、彼は本拠地を台湾から福建省に移した。まさに 「故郷に錦を飾る」。そして平戸から妻と6歳の息子、福松(鄭成功=国 姓爺)を呼び寄せた。鄭芝龍は「この世をば我が世とぞ思う」絶頂気分 だったろう。

鄭芝龍の配下には台湾から大陸に拠点を移したことに賛成しない郭懐一 らもいた。

台湾南部では大陸からの移住民がオランダ支配の重税にあえいでいた。 オランドは初めは資源をむさぼり尽くす「重商主義」(インカ、マヤ絶 滅)だったが、島民を働かせて鶏に卵を産ませて儲けるという「植民地主 義」(拡大再生産だが先住民搾取)に変わっていった。拡大再生産で先住 民を駆逐するわけではないが、生かさず殺さず、要は重税による搾取強奪だ。

移住民の不満は募るが、鄭芝龍は明国に取り込まれ懐柔されて動かない。 それならと1651年、郭懐一は満足な武器もないままオランドのゼーラン ジャ城を攻撃したが敗退、移住民4000〜8000人が殺された。これにより台 湾移住民のオランダに対する憎しみは倍加したという。

鄭芝龍の息子、鄭成功は文武両道の好青年に育ったが、後ろ盾の明国は 風前の灯火になっていた。北方の満州族が北京に入り、1644年に清朝を樹 立した。明国は南に後退し、鄭芝龍の縄張りである福建に辛うじて残っ た。そして明国は功績高い鄭芝龍の子、福松=鄭成功に明の名門「朱」姓 を与え、朱成功(=国姓爺、国が姓を与えた人)近衛隊長が誕生した。

鄭芝龍は利に敏かったのだろう、勝ち馬に乗れとばかりに清の誘いに 乗ったが、鄭成功は明への恩義からだろう、その誘いを断った。二君にま みえず的な心があったのかもしれない。そのために父・鄭芝龍は処刑さ れ、母親も自害、明国の降武帝も食を絶って死を選んだ。

明に恩義を感じていただろう鄭成功は「滅清復明」を誓い、3000隻の船 を主力に清軍と一進一退の攻防を重ねた。「二君にまみえず」的な武士道 精神があったのだろうか。1652年、郭懐一がオランダに反旗を翻したころ だ。清は陸戦では優位だったが、「海賊と呼ばれた男」の息子、鄭成功の 海上封鎖は突破できなかった。

この封鎖で台湾のオランダ人は大陸との交易ができずに困惑した。1660 年、台湾のドン、オランダ長官コイエットは調停に入るが、鄭成功の船団 は清の圧迫を避けるために一時的に台湾に退去することになった。コイ エットは2つの台湾の城から砲撃すれば「鄭成功の船団なんぞチョロイ」 とバタビヤ本部に援軍を頼まなかった。「功」を独占してご褒美に本国に 帰りたかったのか。

1661年3月23日、金門島に集結していた鄭艦隊400隻、2万5000人は抜錨 し、澎湖諸に立ち寄り、台湾南部に向けて進発した。浅瀬が多く水路が複 雑なため漁船でも接岸が難しく、オランドもまったく無防備だったという セッカム海岸、まさしく「義経の一ノ谷逆落しの奇襲」で上陸した。多く の移住民がそれを支援したという。

鄭軍は瞬く間にプロビデンジャ城を包囲し、ゼーランジャ城との連絡を 絶った。プロビデンジャ城は一か月後の5月1日陥落。ゼーランジャ城は孤 立し、バタビヤからのオランダ軍、戦艦10隻、兵700人も鄭軍の海上封鎖 を突破できずに敗退した。12月、ゼーランジャ城はついに白旗を掲げた。

武士道精神なのか、鄭成功はコイエットに最後の名誉を与え、1661年12 月13日、オランダ人一行は城門を開き、国旗を掲げ、国歌を奏しながら4 隻の帰国船に乗り込み、統治38年にして台湾を離れていった。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰 の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけ き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」


コイエットはその後バタビヤでの裁判で死刑を宣告され、のち終身禁固と なり、多額の金を積んで12年後に釈放され、オランダ本国に戻った>


勝ったり負けたりは兵家の常とはいえ、現代の戦争はスパンが長すぎ、し かも「ノーサイドや!グッドルーザーやで!」と言われて、2回戦、雪辱 の機会がなかなかないから、負け戦は100年は身を苛むね。


発狂亭“出発はまだかいな、ヂヂイ待たすな、弾寄こせ”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(153)2017/1/17】産経「会員制リゾート クラブ 市場拡大で多様化」って・・・イメージとして「詐欺」臭いが、 どうなのか。小生は同じ相手から2回、計150万円を詐取された。詐欺師は 実に誠実に見えるのだ。小生のような怪しい奴は詐欺師にはなれない。


この詐欺師、小生の取材先の東京商工リサーチの調査部長の紹介で小生に 接触してきた。嘘を見破るプロが勧めるのだから信用しちゃうよな。120 万円騙された後で調査部長から「ごめん、アイツ詐欺師だった」と連絡が きたが、遅かりし由良之助。大手の有名企業も巻き込んだ詐欺プロジェク トで、こういうのは素人はまず見破れない。

65年生きてきて「ああ、買わなくてよかったなあ」と思うものが3つあ る。筆頭はログハウスの別荘(4000万円)。利用は月2回→ 1回、やがて 春夏秋冬の年4回になる。痛みが進むから営繕作業もせにゃならんから、 リゾートライフどころではない。そのうち体力、気力が萎えて持ちこたえ られず、売りに出したところで買い手がつかずに朽ち果てるのだ。そんな 別荘はごろごろしている。

小生の叔父さんも高原別荘を持っていたが、喘息で酸素の薄い高原は行 けなくなって放置、今は跡形もなく崩れているだろう。

キャンピングカーも「いいなあ」と思うが、これもすぐに飽きる。1年 で中古屋に売ることになるだろう。

三番目はリゾート会員権。年に数回利用するくらいだから、メリットは 薄い。

若いときは大いに遊びたいが、仕事も育児も忙しくなるから遠出の1泊2 日なんてめったにできるものではない。「週末くらいのんびりしたい」と ゴロゴロしていると、「アンタ、庭掃除くらいしたら!」と奥さんから怒 られるのである。

以上の3つの贅沢品は大体処分に困る。確かに夢の商品だが、一時的に 夢を楽しめても実態は詐欺的ではないか。高値で売り抜けた、なんていう 話は聞いたこともない。血迷って買うとまずしくじるね。(つづ く)2019/10/17


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香港の製造業が、香港回帰へ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)10月18日(金曜日)
         通算第6240号  
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 香港の製造業が、香港回帰へ
  もはや中国で製造し、米国へ再輸出するメリットはなくなった
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香港から対米輸出の19%が通信関連、18%が宝飾品、そして17%が 電子部品である。香港と言えば安物の繊維製品だったが、これもミシン工 場のあらかたが中国の、それも奥地へ移転し、香港に輸送されて再輸出に まわされる。対米輸出の12%である。

福建省は嘗て女工が集合したミシン工場が林立していた。いまや影も形も なく、電機部品や機械の製造部品工場は広州周辺の仏山、東莞、厚街など に集中していたが、このあたりも様変わり。香港に隣接の深センはハイテ ク企業ばかりが目立つ。この深センからトラック輸送されて香港でコンテ ナに積み込まれ、米国へ輸出される。

米国は香港に特恵関税の優遇措置を与えてきた。それが10月16日、米 議会下院を通過した「香港人権民主法」により、人権の改善がないと、優 遇扱いもなくなる。

ただでさえ米中貿易戦争で、高関税を課せられたため、香港企業は中国大 陸で製造するメリットがなくなった。

ついで人件費が高騰し、中国大陸より、ベトナム、カンボジア、ミャン マー、そしてバングラデシュへ工場を移管した。くわえて香港企業が悩ま されたのは知財を軽視し、あるいは知財を盗んで類似品をつくり、かれら の競合者として市場をかき荒らすという、中国人のビジネスモラル欠如で ある。

振り返れば、栄枯盛衰、生々流転、波瀾万丈。1970年代後半から香港 の製造業は、改革開放の波に真っ先にのって中国大陸へ本格的に進出し、 人件費の安さが大きく宣伝されて、台湾華僑が続いた。
もちろん日本の企業も慌てふためいた。

2004年に香港から深センに「逆通勤」する香港人が24万人いた。 2010年には17万5000人に減って、最近はもう少し減った。
香港の紅石勘駅から羅府への電車、いまでは3分から5分おきにある。早 朝から満員である。

1970年代後期、まだ中国が鎖国していた頃、国境の展望台から双眼鏡 で中国を見ることがあった。73年だったか、列車は旧式で一日に五本ほ どしかなく、乗ると給仕がお茶をつぎにきた。

羅府の手前の駅で、タクシー運転手が乗り込んできた。展望台まで乗れ、 いくらにまけるからとセールスである。


 ▲深センはうら寂しい漁村だった

70年代の終わりだったか、80年代初頭だったか、香港から日帰りツ アーで蛇口コースがあり、フェリーで渡って、深セン市内を見学し、幼稚 園もみたりして香港へ戻る。参加者はほぼ外国人だった。人口30000 人ほどの裏寂しい漁村だった。

次に外国人ツアーに紛れ込んで、日帰りの広州ツアーというのがあった。
広州は広州交易会で栄える国際都市で、広州ホテルのバアで呑んでいたら バーテンダーの若い男が、「あんたは日本で何をしている。所属はどんな 単位か」と訊いてきた。

「自由で所属する単位はない」と答えると目を丸くしたものだった。「日 本では自分で職業を選べるのか?」って。

90年代には経済発展が顕著となり、東京で逐一ビザをとるより、香港へ 飛んで羅府へ行き、ここの中国旅行社で26000円也を支払うと数次ビ ザが、いとも簡単に取得できた。

それも半年間有効だったから、半年に一度は香港経由、あとは北京や上海 や、東京から乗り入れている都市なら直接行けた。

もう一つの穴場は海南島で、アライバルビザが空港で発給され、一ヶ月以 内なら数次ビザという特典が例外的にあった。

こうした利便性に、中国も国際的になったもの、と感心したのも束の間、 2003年頃から日本人はビザ不要となった。それまでのビザ取得の苦労 は何だったのか。

 さて香港企業である。
 
メリットがなくなったと嘆く経営者は、いっそ香港へ戻ろうという考え方 に傾く。茶湾や九龍糖あたりはまだ工業地帯が残っていて、空地もあるか らだ。

     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「虚言と捏造で固めた歴史」が中国共産党と人民解放軍の歴史だ
  凄まじい軍内の腐敗、輪をかけて凄まじい主導権争いという内ゲバ

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矢板明夫『中国人民解放軍 2050年の野望』(ワニブックス)
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きわめて要領よく、中国軍の全貌をまとめている。
 
「90分で分かる中国人民解放軍の歴史」という題名のほうが意外にすっ きりしたかも。

軍の実権を握るのは党中央軍事委員会だが、すると「国防部」とは、何の ためにあるのか?
 
国防部長」というのは中国軍のヒエラルキー上、どの程度の力があるのか?

こうした初歩的な疑問も、やさしく解き明かす一方で、毛沢東以来の人民 解放軍というおそるべき軍隊の成り立ちから構成上の秘密。その誕生の歴 史から、指導者の主導権争い、毛沢東の軍隊認識と、トウ小平の方針変更 との比較、江沢民・胡錦涛時代の軍が、如何に凄まじく汚職にまみれてい たか。

ところが習近平は毛沢東を尊敬し、軍の再編をおこなって新しい独裁者の 道を選んだ。

目を覆うばかりの軍の腐敗、それに輪をかけて凄まじいのが軍指導者の主 導権争いという内ゲバだった。劉少奇、朱徳、林彪らはいかにして消され たか。

他方で、「軍人烈士」「模範兵士」とされた雷峰などの『英雄』たちは でっち上げの宣伝、兵士たちの洗脳に都合良く使われただけだった。

振り回され、くたくたに疲れているのに軍人は経済的に恵まれず、退職金 がちょろまかされ、また待遇に格段の差別があり、たまりたまった不満ガ スが退役軍人の抗議行動となって暴発した。退役軍人は5700万。

また上層部がそこまで腐敗しているのなら、金儲けのためには軍事機密を 外国に売って巨万の富を手にしようとばかり、機密書類や軍機をせっせと 盗んで台湾やアメリカに売っていた軍人がいる。スパイの跋扈する軍に落 ちぶれてしまったのだ。

いったい、この軍隊が機能するのか、どうか。
 
1989年の天安門事件のおり、38軍のトップは弾圧出動命令に従わな かった。北京へ動員された軍は、北京市民の激しい罵倒と妨害に遭遇し、 天安門広場へ進軍するに数日を要した。つまり中国軍は統率が取れていな い前近代的な性格が濃厚であり、これを克服するために兵器装備の近代化 とAIへの集中に重点が移されたのだ。

本書は、その実態、とりわけ軍の汚職、賄賂、アルバイト、ちょろまか し、目を覆いたくなるような腐敗の実態を具体例をあげて説明する。
 日本の自衛隊は弾丸一箇を持ち出すにも管理されている。中国軍は在庫 管理が出鱈目、武器や備品の横流し、手当のピンハネ、軍用地の払い下げ における賄賂の巨額さ。

そもそも中国軍は人民の生活と安全を護る軍隊ではない。習近平皇帝と、 その一族を守る私兵なのである。

「中国共産党と人民解放軍の今日までの歩み」とは、すなわち「虚言と捏 造で固めた歴史」であると断言している。
ダイナミックな展開でまとめられ、軍の歴史を俯瞰できる貴重な一冊である。
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五十までが「第一の人生」なら、以後は「第二の人生だ」
喫煙しない博士が「タバコは健康によい」とのたまう大胆な逆説が山盛り
 

武田邦彦『50歳から元気になる行き方』(マガジンハウス)
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著者の武田邦彦氏は工学博士だという。御年76。専攻は原子力とか。
 テレビをみない評者(宮崎)は、迂闊にも、この先生が地球温暖化論議 は嘘だと言っている人と同一人物だと気がつくまでにちょっと時間がか かった。武田博士はテレビで大活躍の由だから、当方が知らないのは自然 の流れかも。「テレビ評論家」というのは、情報も垂れ流しだし、教養に 深みのない人が多い。

「インテリはテレビに出ないほうが良い」と西部遭氏に言ったことがある が、じっと見返された。

本書を読んで目から鱗が落ちる箇所、じつに5箇所。何回も膝を打ったの だが、おそらく人生観と生き方が似ているからかなと考えた

まず「血圧は気にしなくて良い」ということ。個性にあったデータがあ り、医者の言う標準は参考意見でしかない。市販の血圧計、売れなくなる なぁ。

次に「タバコは肺ガンの原因ではない」。なにしろ嫌煙権が世界に広まっ て愛煙家が肩身の狭い思いをしているご時世に、本人は喫煙しないのに、 科学的に考えての結論だから、妙に説得力がある。

「流行の健康食」は危険、日本人は和食をと説かれる理由も栄養学に話が 及び、分かりやすかった。

4つめは、「睡眠とは七時間横になっていれば良い」

5つめ。「世間に溢れる健康法」というのは「こうすれば死ぬ可能性がす こし減りますよ」というだけのことで、「死ぬのが一年か一年半ぐらい先 にのびるかのびないか」のレベルだというのも、納得がいく説だった。
読後感は爽快、コンパクトに編集されているので、30分で読めた 
          
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読者の声  どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)宮崎さんの著作『神武天皇以前』(育鵬社)を読みまし た。特に縄文文明関連のことについては、戦前生まれの私が学校で習った ことから全く変わっており、さらに新しい縄文の知識が、日本人のルーツ からアイヌが北海道の先住民ではないなど、諸々のことに拡大し、実に新 鮮な知識を得ることができました。

ただ一か所「179ページのフランスのブルゴーニュ地方にあるカルナッ クの列石群」とあるのは、「ブルターニュ」の間違いです。1977から 1979年頃、休日にブルターニュ地方に1〜2泊で家族旅行した際、見 ました。

ストーンヘンジは、1977年にイギリスを車でほぼ一周した際見まし た。当時は、有名観光地も柵などはなく、見るのに行列したりすることは ありませんでした。ルーブルとかベルサイユも行列などなく気軽に入れま した。

なお、ブルターニュ人は他のフランス人から頑固だとか、多少偏見を持た れていました。(関野通夫)


(宮崎正弘のコメント)福田恒存先生一家が英国滞在の折、やはりストー ンヘンジを見に行かれ、息子の福田逸氏によれば、柵もなくよじ登れたと 言っていました。1972年に小生もはじめてルーブル美術館へ行くと、 ミロのヴィーナスに直接触(さわ)れました。バチカンもすぐに中へ入れ ましたが、いまや早朝一番で並んでも一時間待ちです。


    
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文在寅打倒なるか、保守のデモが街を埋めた
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               櫻井よしこ

10月3日、平穏な年なら韓国は国民こぞって「開天節」を祝っていただ ろう。開天節は朝鮮の神話に出てくる檀君即位の日、韓国の建国記念日 だ。だが、今年のこの日、首都ソウルは文在寅政権に反対する保守派の怒 りで埋まった。

インターネット配信の「言論テレビ」でデモの映像を紹介しながら、朝鮮 問題専門家の西岡力氏がデモの参加人数を面積を基に計算すれば約50万人 になると説明した。

デモに関しては往々にして過大な数字が発表されるが、誇張ではなく、正 味50万人がデモに参加したことの意味は大きい。

「2017年3月1日、保守派勢力が当時の大統領、朴槿恵氏に対する弾劾に反 対してデモをしました。光化門からソウル市庁前、南大門まで人が一杯に なり、その時はやはり面積比で30万人とされました。今回は南大門からさ らにソウル駅までの大通りが人で埋まっています。50万人説には信頼性が あると思います」

と西岡氏。

朴前大統領擁護の保守派デモより、はるかに多い人々が街に繰り出したの だ。他方、産経新聞ソウル支局の黒田勝弘氏は、朴氏を辞任に追いやった 左翼勢力主導の「ロウソクデモ」よりも今回の人数が多かったと報じている。

2年前の左右のデモを超える人々が、いま、反文在寅の旗を立ててデモを しているのである。「言論テレビ」で「統一日報」論説主幹の洪熒氏が説 明した。

「主催、参加団体は多様でした。キリスト教の牧師、YouTubeなどのメ ディアや言論機関、大学の教授たち、これまで文政権と連携してきた弁護 士、会計士などまでが曺国法相の辞任を求めて、文批判を強めました」

今回のデモは、或いは、韓国世論が大きく変化する予兆ではないのか。普 通の人の姿も目立った。キリスト教会の動員力のせいか、若い男女や主婦 も少なくなかった。

多くの脱北者も座り込んだ

彼らを突き動かしている要因のひとつが香港だという。750万の香港人 が、14億人を擁する中国共産党と戦っている。その気迫に韓国人は目を醒 まされたと洪氏は指摘する。

香港以前に、全世界は、中国共産党が中国本土で国民からあらゆる自由を 奪い取るのを見詰めている。宗教弾圧はとりわけ厳しく、キリスト教徒も 無慈悲な迫害の対象だ。

だが、文氏も曺氏も韓国民の中国共産党支配に対する危機感には鈍感であ る。むしろ中国共産党に近づくかのように、社会主義革命路線をひた走 る。一般の国民が、そのような彼らに国政を委ねることへの危機感を抱き 始めた。それが、10月3日の大規模デモだ。

キリスト教徒に加えて、デモに参加した海兵隊予備役官らも注目を集めた という。

「彼らは皆、文政権への抗議の意味を込めて剃髪したのです。坊主頭の屈 強な男たちの一群ですから、目立つでしょう」

と洪氏。

大学の教授たちも1万人以上が「正義と真実」を求めて抗議声明に署名 し、デモに合流した。

YouTuberの若者たちはデモの現場で大手メディアに抗議した。西岡氏の説 明だ。

「10.3デモの取材に大手テレビ局のKBSが来ていたのです。大手テレビ は本当に左傾化しています。保守の言動どころか存在さえ報じません。で すから若者たちは大型放送車の窓に『本当のことを報道しろ』と書いたプ ラカードを貼り付けたのです。暴力も破壊もありませんでしたが、KBS の記者たちには痛烈なメッセージになったでしょう」

10.3デモは、史上最大規模のデモでありながら、香港のような激しい暴力 沙汰は起きなかった。事前に各団体が注意事項を呼びかけたからだ。武器 と誤解されるようなものは一切身につけないこと、台風の影響で雨が懸念 されるため、雨合羽を持参すること、但し、傘は武器と見做されかねない として禁止した。

「体力のある者は徹夜でデモをして、そのまま青瓦台の前に座り込む。 従って、寝袋と腹ごしらえの食糧を持参するようにという通達も出ました」

と洪氏。

6月から青瓦台前で一人で座り込みをしてきた全光焄牧師が指導して、3日 夜、1000人単位の人々が青瓦台前で夜をすごした。週末になっても人数は 減らず、座り込みが続いている。多くの脱北者も一緒に座り込んだ。彼ら は人間を人間として扱わない北朝鮮から命がけで脱北した。それなのに、 韓国はいま、北朝鮮に同調しようとしている。彼らはそれだけは決して許 せないのである。

政治運動と関わったことのない多様な人々が街に繰り出したのは、文政権 の所業が「臨界値を超えた」からだと洪氏は強調する。

反日が支柱

社会の中間層に属する「大人しい人たち」までもが行動を起こしたことを どう解釈すべきか。明らかに暫く前とは様子が違う。それを向こう側から 息を詰めるようにして、逆転劇を恐れつつ見詰めているのが文氏と曺氏で はないか。娘の不正入学、不正論文、妻の金銭疑惑、その背後の黒幕であ る曺氏本人は暴力革命を信奉するレーニン主義者である。曺氏を罷免すれ ば、文氏への評価は好転するかもしれないが、文氏はそうはしない。ここ で退けば彼の革命の夢は潰れてしまうことを知っているのだ。

この段階でも文氏にはまだ4割弱の支持がある。理由は主として二つ、第 一の理由を洪氏が説明した。

「共産主義への盲信から目が覚めることは、自分の頭で考える力がどれだ けあるかということに直結します。文氏支持の左翼たちは盲信が深いため に、自分の目で見て自分の頭で考えることがなかなかできないのです」

第二の理由を西岡氏が熱を込めて語った。金日成の主体思想を奉ずる人々 が今日まで存在し続けているのは、マルクス・レーニン主義に依拠するか らではなく、反日民族主義に依拠しているからだという。

金日成の「偉大さ」は「日本と戦った」ことによるが、韓国の主流派は残 虐な日本と手を組んだ。その汚れた親日派が親米派になり、反共派になっ て韓国を支配した。世界で社会主義が衰退しても関係ない、親日派を倒せ ば韓国は再生する。そのように信ずる人々は、日本が悪いと言っている間 は大丈夫なのだ。反日が支柱である限り、社会主義や共産主義がすたれて も、彼らは倒れない。

であれば、韓国再生のためには反日の間違いを正さなければならない。そ のことを韓国の保守派はようやく悟った。それがベストセラー、『反日種 族主義』を書いた李栄薫教授であり、弟子の李宇衍教授らだというのだ。 ストンと納得のいく分析である。彼らと連帯していくのが日本の正しい道 である。

『週刊新潮』 2019年10月17日号 日本ルネッサンス 第872回

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重 要 情 報
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◎被災者をどのように救済するのだろう:前田正晶

19号の通過した後では、テレビのニュースで連日連夜その被害の凄まじさ と、被災者の窮状がこれでもかと言わんばかりに報じられている。見てい る方はその余りの悲惨さにご同情申し上げているし、胸が痛くなるのだ。 あれだけ多くの家が破壊され、あれほど多くの瓦礫があちこちに積み上げ られている様子を見れば、果たしてこの状況から被災者を救済して被害地 域を復興できるのかと疑いたくなってしまう。15号で屋根を破壊された千 葉県では未だに修理の手が回っていないと聞いているところに、今回の大 規模災害が襲ってきたのに対して、如何なる対策が打てるのかと本当に気 懸かりだ。全部の救済となると、気が遠くなりそうな規模で金額だろう。 被災者生活再建支援法でどれほどの予算措置が執れるのか。

聞くところでは、床上と床下浸水の家屋は、群馬県を除いて12,000軒に達 しているそうだ。その家々には全壊や半壊等々があって、その損傷状態に よって公的な補償が最高で300万円まで出るというような報道を聞いた。 だが、その最高額の補償でどれほどの住宅の再建や修理が出来るのだろう か。以前に聞いた話では保険求償にしたところで、あれほど大規模な災害 では損保会社が査定に回るだけでもかなりの日数を要すると言うではない か。公的な補償を受けた方は、3ヶ月も待ったと語っておられた。

今回の被災状況を見ると、地方が多い為に殆どが一戸建ての住宅であっ て、東京都内のような高層アパートは一軒もなかったかのように見えた。 私の在職中に地方を頻繁に回った経験からも言えるのだが、地方には広い 敷地内に大きな家が建っているのが普通の光景で、何も高層アパートなど を建てる必要がない農家が多かったようだ。その多くの農家の田畑や果樹 園までもなぎ倒す豪雨による水害が襲ったのだから、事は重大であり深刻 だろうと思う。私は激甚災害何とやらを適用する程度のことで済む事態で はないように思えてならない。

安倍内閣は国会会期中であり多くの処理すべき政治的事案を抱えているだ けではなく、野党の揚げ足取り攻勢に必死の防戦に努めている大臣までい る状態だ。だが、一刻も早く可能な限りの人手を動員して被災地を視察し て回り、どれほどの救済策をどのように講じるかの策を立てるべきだ。と 言うのは、このままに推移せんか、来年とは言わないまでも又々台風が 襲ってくることがあり得る地球温暖化の影響下にある気象状態なのだ。決 壊した堤防に応急処置を講じていることで済む状況かと言うこと。確か民 主党政権下では堤防の強化は不要といった奴がいた。

私はお粗末なことに、つい最近まで台風や豪雨に襲われて大規模な災害が 出るのは西日本だけのことかと思っていた。自分は圏外にいると思ってい た。ところが、15号に19号と続けば日本全体が災害を被ることが明らかに なってきた。今から被災地の水が引くのを待ってから河川対策を講じるの では遅きに失しているのかも知れない。だが、Better late than neverで はないか。避難所だって何時までも学校の体育館に頼っている訳にも行く まいし、万が一の為の食料や備品の十分な準備も必要ではないか。コンビ ニで廃棄する食品があるにも拘わらず、被災地で食糧が不足しているよう な事態を如何に解消すべきか、所管官庁も頭を使うべき時ではないか。



◎1分で読む日本の偉人(18)
宮沢賢治 〜 農民と共に生きた詩人・童話作家


昭和元年(一九二六)、賢治は四年六カ月勤めた花巻農学校を自ら退職し ました。生徒に卒業後農業をやるように強く勧める一方で、自分は教師と いう立場に甘んじていることに耐えられなくなったのです。そして、(肺 結核でなくなった妹の)トシに誓ったとおり、農民のために農民とともに 生きる道を真っ直ぐに進んでいく決意をしたのです。

 賢治は宮沢家の別宅を改築し「羅須地人(らすちじん)協会」を設立。 独居自炊の生活を送りながら、農業支援の活動を開始しました。昼間は農 作業に従事し、近くの村に出かけて、農事講演を行ったり、多くの農民か ら肥料の相談を受けたりしました。夜は、農民たちでつくった楽団の演奏 練習や童話の語り聞かせなどを行いました。農民の忙しくつらい仕事に追 われる生活に少しでも明るさと生きる喜びを生み出そうと懸命な努力を続 けたのです。

昭和三年の東北地方の夏は干ばつが四十日以上も続き、農作物が全滅する という凶作に見舞われました。賢治は自分が肥料設計を行った稲が倒れな いようにと疲れた体に鞭打ち、農作指導に奔走しました。その無理がたた り、吉向熱を発して四十日間病の床に伏しました。肺結核との診断でした。

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身 辺 雑 記
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19日の東京湾岸は雨。9時には上がるか。午後にはふるさと飯田川会。

18 日の東京湾岸はまたまた曇天。太陽が恋しい。
 
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