政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針5170 号  2019・9・17(火)

2019/09/17


□■■□──────────────────────────□■■□
 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5170号
□■■□──────────────────────────□■■□

        
 
       2019(令和元年)年 9月17日(火)




  「香港は燃えているか?」:宮崎正弘

             「バカヤロー」はつぶやき:渡部亮次郎

       ある東ドイツ・スパイの忠告ーCIA−:クライン孝子
    
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

         御意見・御感想は:ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
        下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/
    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/



━━━━━━━━━━━━
「香港は燃えているか?」
━━━━━━━━━━━━
                         
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)9月16日(月曜日)弐
         通算第6198号 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「香港は燃えているか?」。「ええ、本日(9月16日)で百日目になり
ます」
  またも香港の中心街は火炎瓶、ショットガン。乱戦、混沌。駅が燃や
された
****************************************

 9月16日の日曜日。前夜のランタン祭り、中秋の名月が政治色濃厚な
集会や抗議活動になったが、ひきつづき香港の随所で抗議活動が行われ
た。夕暮れとともに「ブレーブス」と呼ばれる武装集団が登場、金鐘駅周
辺から政府庁舎へ火炎瓶と投石を始めた。

 「ブレーブス」(勇敢)と呼ばれるようになった「民主派」側の武装集
団の実態は謎のベールに包まれている。
毎回、黒服、ヘルメット、特殊ゴーグル、手袋、ガスマスクで顔を隠す一
方、火炎瓶などが周到に用意されている。きっとアジトがあり、軍資金も
必要だろう。行動も統率がとれており、動作がきびきびしている。だから
軍人が民主行動の波に混入しているのではないか、中国の工作隊ではない
か、という疑念が以前から囁かれてきた。

デモ行進や集会の一般参加者は香港市民であり、穏健派である。ただし多
くが放水を避けるため傘を持参している。乱闘がときおり発生するのは警
官の乱暴な遣り方にいきり立つ付和雷同組、行きがかり上、乱戦に加わる
地元のチンピラ、失業者など、逃げ遅れて巻き添えとなり、あげくに拘束
されるのは一般市民のハプニング組が多い。

当局によって穏健派の「民戦」が申請した集会が禁止されたため、9月
15日の行動は、SNSによる呼びかけに自発的集まった参加者だ。みる
みるうちに数万人。日頃の逆コース、解散予定地だった銅鑼湾から湾仔、
金鐘、中環へと行進をはじめ、平和的な行動で、メインストリートは参加
者で埋め尽くされた。「リンゴ日報」は参加者が十万と報じた。

英国領事館前にはおよそ千名が結集し、「英国は何をしているのか、香港
の自由のために協力せよ」とユニオンジャックの旗をなびかせながら訴えた。
 
 午後五時ころから武装集団が火炎瓶を投げ始め、警官隊は催涙ガス、放
水車で応戦、乱闘現場では警官隊がショットガンを構えた。

 地下鉄の金鐘(アドミラリティ)駅は先週と同様に入り口にバリケー
ド、道路工事用のプラスチック標識や段ボールが摘まれ、放火された。
火は燃え広がり、付近を明るくした。火傷による重傷者がでた。駅に設置
された監視カメラは殆どが破壊された。
またこの日予定されていたテニスのトーナメント予選会、音楽会などは中
止を余儀なくされ、この夜の逮捕者は49名と発表された。英紙ガーディ
アンは「逮捕者は千名」と報じたが、これは累計数字だろう。

 穏健派の別グループ「香港人権擁護」(CIVIL RIGHT 
ADVOCATES=香港では「香港民権抗争」と名乗る)は、台湾へ活
動家を派遣し、連帯を呼びかける署名運動。台湾各地にもレオンの壁があ
らわれた。

「香港は燃えているか?」。
15日で連続99日、本日でちょうど百日目。
香港は燃え続けている。
      

  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1956回】               
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(11)
!)田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

      △
 ここで徳田の目は日本に転ずる。「日本でも古くから三井、大倉、高田
という財閥が、この古武器商賣をやつていた。むろん中國えの輸出であ
る」。こういう商売は「各國の條約で禁止されている」が、「平氣で政府
の援護の下にこのボロい商賣が行われた」。「これらの財閥がとくに陸海
軍御用商人であつたことを忘れてはならない」。
「こういうやり方が日本軍閥の本性なのである。天皇の支配の下に世界平
和をめざすという、あの八紘一宇を讀者は思い出すであろう」。

当然、徳田は非合法活動に従事しているわけだから、要らぬゴタゴタは
起こしたくない。南京では旅館のボーイが部屋に「いきなり十四、五くら
いの娘を二人つれてきた」。もちろん「うしろには、卅代の女がちやんと
ついている」。そこで?田は「ははア」と察した。「要するに娼婦なの
だ」。そこで「さて知らない國のことだし、重大な任務をおびているの
で、これが因でけんかを始めたりしてどんな災難が降つてかかるかしれな
いと思つたから」、幾許かの金を渡して「『かえれ』と手ぶりをした」そ
うだ。
はて「要するに娼婦」だったのか、それともハニートラップか。

ところが「金をもらつたからには、そう簡單にはかえれません」。脅迫
ではなく、「金をただもらつて追い拂われるのが心外だといつた樣子」。
だが「どうもこちらも相手にする氣はない」。さんざん手こずったが「よ
うやくのことで撃退できた」そうだ。

 じつは『わが思い出 第一部』は単行本として出版される以前に共産党
機関紙『アカハタ』に連載されたというが、この件を当時の生真面目な読
者はどのように受け取っただろうか。
「これでみると南京の町は一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもい
いくらいで」、それというのも「地方の土ごう連中が地方では得られない
享樂を求め集るのと」、「地方の戰爭や殺人強盗の難をさけて南京によつ
て來るから」であり、要するに「他にする仕事はなく、享樂を追い求めて
暮らすばかりになつている」。

 徳田の南京に対する発言を今風に言い換えるなら、さながら徹底したヘ
イト・スピーチということになるだろう。それはそれとして首を傾げるの
が、徳田が南京大虐殺の一件に一切言及していないことである。

たしかに?田の南京滞在は1922(大正11)年であり、南京大虐殺が行わ
れたとされる1937(昭和12)年の15年前に当たる。『わが思い出 第一
部』が出版されたのは1948(昭和23)年であり、それ以前に『アカハタ』
に連載されているはず。
だが南京大虐殺が日本軍の「戦争犯罪」として告発された極東国際軍事裁
判が行われたのは1946(昭和21)年5月から1948(昭和23)年11月まで。
つまり同裁判と同時並行的に『アカハタ』連載が行われ、『わが思い出 
第一部』が出版されている。

にもかかわらず、「一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもいいく
らい」の南京で起こったと言われる南京大虐殺についての言及が一切な
い。ということは徳田は南京大虐殺に興味を示さなかったのか。それとも
デッチ上げのヨタ話と考えていたのか。

 いずれにせよ、南京大虐殺に対する敗戦後数年間における日本共産党
幹部の「立ち位置」が浮かび上がってくる。『わが思い出 第一部』から
判断する限り、故意か偶然か、あるいは特別の理由があってかは不明だ
が、徳田が南京大虐殺に関心を示すことはなかった。

 南京を後に上海へ。日本式旅館で働く女性たちは「いずれも天草、島
原、長崎あたりの人々」で、「中國全體からシンガポールあたりまで賣ら
れて行く哀れな娘子軍である。女中とはいいながら、何かしら一種變つた
ふぜいを帶びている」。
村岡伊平次の世界か。
《QED》
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆ 
読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
(読者の声1)経済評論家の言をみていて、違和感があるのはネオコンの
ボルトン補佐官がトランプによって解任されたので、政権に強硬派がいな
くなり、今後、米中貿易戦争は緩和されるという、明らかな基盤のない論
説です。
 米中戦争は貿易戦争の段階から、技術覇権争奪戦、そして金融戦争へ移
行するだろうと宮?さんは著作などで予測されていて、ボルトン解任の動
きとは無関係ではないかと思いますが、如何でしょう?
  (GH生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)対中強硬派は議会とメディアです。とくに民主党
は人権がらみで中国制裁を言っていて、むしろ緩和を言ってきたのがトラ
ンプですから、分析はあべこべに近いですね。
 それからボルトンが「ネオコン」というのは明らかな間違いで、保守の
人です。ネオコンというのはアービン&ウィリアム・クリストル親子が代
表するように元トロツキストからの転向組で、ユダヤ系が多い特徴があ
り、その親玉がチェイニー元副大統領などと言われましたが、チェイニー
元副大統領も、ネオコンではなく、政策がときおり一致したにすぎません。



━━━━━━━━━━━━
「バカヤロー」はつぶやき
━━━━━━━━━━━━


       渡部亮次郎

産経新聞(2010.1.3)の【産経抄】に

 <昭和28(1953)年2月28日、衆院予算委の席だった。右派社会党の西村
栄一氏が国際情勢について吉田茂首相に質(ただ)していると、首相は次
第に興奮してきた。西村氏が「興奮しない方がいい」などといさめるうち
に、とうとう「バカヤロー」と叫んでしまった。>とあるが、あれは叫ん
だのではなかった。「つぶやき」だった。

あの頃私は、高校3年生、まだテレビは無かった時代。それでも国会紛糾
の図が脳裡に残っているという事は、映画の「ニュース」を見たのだろう。

西村氏への答弁の最後に「バカヤロー」と呟き、それが録音れてしまった
のだ。産経抄の筆者は戦後生まれか。いずれ、現場は現認してなくて知識
としての「バカヤロー」だから、つい「叫んだ」と覚えたのだろう。筆者
の若輩さを感じる。若さと未熟さ。調べればすぐ分かることなのに調べて
いない。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
1953年2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と右派社会党の西村栄
一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と暴言を吐い
たことがきっかけとなって衆議院が解散された。

「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えるが、映像資料で
見れば分かるように、吉田は非常に小さな声で席に着きつつ「ばかやろ
う」とつぶやいたのみで、それを偶然マイクが拾った為に騒ぎが大きく
なったというのが実態である。

問題となった、吉田茂と西村栄一の質疑応答の内容。

西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべき
であるという根拠は一体どこにお求めになりましたか」

吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が
遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハ
ウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておる
から、私もそう信じたのであります(中略)」

西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総
理大臣の翻訳を承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽
観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、

(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。
(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお
述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」

吉田「ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたので
あります。私は確信するのであります」

西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃ
ないか」

吉田「無礼なことを言うな!」

西村「何が無礼だ!」

吉田「無礼じゃないか!」

西村「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻
訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが
何が無礼だ! 答弁できないのか、君は……」

吉田「ばかやろう……」
西村「何がバカヤローだ!国民の代表に対してバカヤローとは何事だ!!
(以下略)」

直後に吉田は発言を取り消し、西村栄一もそれを了承したものの、この失
言を議会軽視の表れとした右派社会党は、吉田首相を「議員としての懲罰
事犯」に該当するとして懲罰委員会に付託するための動議を提出(この背
景には鳩山一郎・三木武吉ら自由党非主流派の画策があったといわれる)。

3月2日に行われた採決に際しては自由党非主流派ばかりか主流派と見られ
ていた広川弘禅農相らの一派も欠席し(この欠席を理由に広川は農相を罷
免された)、懲罰委員会への付託動議は可決された。

さらに追い討ちをかけるように内閣不信任決議案が提出され、先の懲罰事
犯の委員会付託動議採決で欠席した自由党鳩山派三十余名が脱党し不信任
案に賛成したために3月14日にこれも可決。これを受けて吉田は衆議院を
解散し、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われることになった。

さすがの吉田茂も発言当初は「つい言ってしまったのがマイクに入った」
としょげ返っていたが、数日後には元気を取り戻し、会合で「これからも
ちょいちょい失言するかもしれないので、よろしく」と余裕しゃくしゃく
のスピーチを行っている。

吉田と西村栄一の関係は以前からしっくりいっていなかった。第2次世界
大戦中、吉田は親英派として軍部に睨まれ、一時憲兵に身柄を拘束される
憂き目にも遭っていた。

逆に西村は軍人との繋がりがあり、戦時中かなり力が強かった。その様な
やっかみも手伝って、吉田は西村に好感情を抱いていなかった。これが
「バカヤロー発言」の一因とする見方がある。

このときの新聞記事では、2人の興奮したやり取りの後、場内は鎮まり返
り、そんな中、岡崎勝男外相に何事かを囁かれた吉田は「ニヤリと笑って
立ち上がり丁重に取り消すとある。このことから、吉田の心中は「緊張の
ための照れ笑いといい過ぎたとの思いが交錯した複雑な心境であったこと
がうかがわれる。

解散後の総選挙では吉田の率いる自由党は大敗、かろうじて政権を維持し
たものの少数与党に転落し吉田の影響力は急速に衰えていった。これが吉
田退陣につながる。

晩年吉田はその回想録の中で「取るに足らない言葉尻をとらえて」不信任
案に同調した与党の仲間を「裏切り」と糾弾し、「当時起こった多くの奇
怪事」で最大のもので「忘れる事が出来ない」と述べている。

上記のように、吉田が発言を取り消したため、議事録の中の、西村と吉田
が発言した「無礼」と「バカヤロー」という部分は削除されており、現在
の議事録で全てを確認する事はできない。

西村氏は西村真悟氏(落選中)の父であり、鳩山首相は、当時、吉田の足を
引っ張った鳩山一郎の孫である。

産経抄も冒頭でチョンボはしたが、材料にして突いた点はただしい。
▼そこらの夫婦げんかではない。国会での首相の発言だった。歴史家の半
藤一利氏は著書『21世紀への伝言』で、映画の寅さんの「それをいっ
ちゃおしめえよ」のそれだったと書く。その通りこの暴言は、首相懲罰動
議や内閣不信任案の可決へと展開していった。

▼こんな古い話を持ち出すのは鳩山内閣の閣僚の言動がちょっと気になる
からである。先日の参院予算委の質疑で答弁中に野党からヤジが飛ぶと
「うるさい!」と怒鳴る。質問者が「全大臣にお聞きしたい」と言うと
「私は全という名前ではない」と答弁を拒否する。

▼野党を小馬鹿にしたようなこの「高圧病」は鳩山由紀夫首相にも伝染し
たようだ。米軍普天間飛行場の移設先を5月までに決められなかった場合
の責任を何度も問われると、すぐけんか腰になる。「その質問自体があり
えない」と答えるのを拒否してしまった。

▼民主党などが野党であれば、ある程度許されるかもしれない。だが権力
を握る与党になった以上、常に謙虚に自らを律しなければならない。民主
主義の要諦(ようてい)である。「それをいっちゃおしめえよ」がわから
ないようでは「政権交代をしたのだから」と胸を張る資格はない。

 ▼もっとも民主党などのイラダチもわからなくはない。小沢一郎幹事長
への疑惑などで、守勢一方に立たされているからである。そういえば「バ
カヤロー」も、吉田の「ワンマン政治」に対する与野党の批判が強まって
いるころに飛び出した。2010・1・30



━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ある東ドイツ・スパイの忠告ーCIA−
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
              
              クライン孝子


拙著『日本人の知らないスパイ活動の全貌』 8章
1部ご紹介いたします。
 ご参考にしていただければ幸甚です。

===================
ある東ドイツ・スパイの忠告ーCIA−

■インタビューは森の中
「ベルリンの壁」崩壊直後のことであったから、かれこれ三十年前の話だ。
そのころ最後の北朝鮮大使だった旧東ドイツの人物にインタビューを申し
込んだことがある。’’
東ドイツという国家が消滅し、北朝鮮大使を解任された直後であったか
ら、彼には一種の解放感があったらしく
気軽に応じて貰った。

それはいいのだが、最初に会う場所を「グリーニッケ橋のちょうど真ん
中、白線のあるところ
と指定したのには、苦笑いしてしまった。

実は、この場所、東西ドイツを分断する橋という因縁つきのもので、冷戦
中、大物小物を問わず、
頻繁にスパイ交換に利用された俗称「スパイ交換橋」で知られていた場所
だったからだ。

インタビューも、盗聴の危険を回避するためか、森の中を歩きながら行わ
れた。

彼に会う前に収集した情報では、ポツダム所在の俗称スパイ養成大学卒
とあったから
プロのスパイであることは把握していたものの、これほど徹底していると
は思いもしなかった。

話題は多岐にわたった。
中でも、その彼から当時、聞いた話でショッキングだったのは「恐らく
この『ベルリンの壁』崩壊で

目下もっとも狼狽しているのは弱小国北朝鮮とキューバだ。
けれども、それだけにいずれも大国に勝るとも劣らない強かさがある」と
いう話であった。

アメリカの半植民地だったキューバをそのくびきから解放したのはカスト
ロである。

彼は、一九五九年一月、それまでアメリカの傀儡政権であり腰巾着だっ
たバティスタ独裁政権を倒し、
を社会主義国家に変え、その後キューバの最高権力者としての地位をもの
にした。

対するアメリカの怒りは相当なもので、キューバはその返り血をあび、
一九六一年、大統領ケネディのもとで国交断絶を宣告されてしまった。
そのような処置を受けたキューバは、すばやくカストロがソ連の
最高権力者フルシチョフに接触しソ連了解の下、「キューバ危機」を演出
し、アメリカの鼻先キューバに核を持ち込もうとした。

これに仰天したのはほかならぬアメリカだった。さっそくソ連と直談判す
ることで、米ソ両大国同士の妥協点として、ソ連を標的としてトルコに持
ち込んだアメリカの核を撤去する代わりに、

キューバへのソ連の核持ち込みを断念させることで片をつけた。
それだけではなかった。おりしもこの時期、冷戦の最前線ドイツでは東西
ドイツの国境線に「ベルリンの壁」が構築されたばかりで、そのにらみ合
いたるや、一触即発の緊迫した状況にあった。

そこで、米ソ両大国は、国際社会を安心させるためにも、両国同士、水面
下でスパイ交換を成立させることにした。
 アメリカには一九五七年以来、三十年の懲役刑を言い渡された名スパイ
KGB所属アペル陸軍大佐

東ドイツ人だが第二次世界大戦中は英国籍を所持し英国スパイとして暗
躍?)が、 一方、ソ連には、
一九六〇年にU2スパイ機でソ連領空に侵入し撃墜されたパワーズ操縦士
が十年の刑を言い渡され投獄されていた。この二人のスパイを、

しかも東西ドイツの境界線「グリーニッケ橋」
のちょうど中央に当たる場所で、交換しようというのである。

■平和ボケの日本よ、やられっぱなしでいいのか
 こうした両大国のエゴを見せ付けられ、地団駄を踏んだのは、ほかなら
ぬカストロだった所詮キューバは弱小国で、彼ら両大国に逆らう策術など
あろうはずがない。

そうと悟ったカストロは涙を呑んでこの決定に従うことにした。とはい
え、ソ連も気が咎めたのか、
その後キューバには何かと支援の手を差しのべた。
とりわけキューバは、アメリカの対キューバ経済制裁で窮地に陥っていた
だけに、ソ連の経済支援はキューバにとってはまさに「神頼み」! 大助
かりだった。
それだけではない.

ソ連は、今一つ、ソ連流諜報機関のノウハウをカストロに譲与し、件のア
メリカCIAをしのぐ
キューバ諜報機関設立に貢献しその強化に手を貸した。

カストロが、これまでに亡命キューバ人を含むアメリカによる合計六三八
回(うち一四七回はCIAが接関与)もの暗殺計画を仕掛けられながら
も、生き延びてこられたのは、まさにそのおかげである
(決して言い過ぎではない)。

ー中略ー

-それに比べて、平和ボケ日本は北朝鮮にやられっぱなしで目も当てられ
ない」とは、
かの元北朝鮮大使ならずとも、私もそう思う。
北朝鮮には、一九五九年から一九八四年まで行われた在日朝鮮人の
帰還事業により
約一〇万人(うち日本人妻及び日本国籍を持つ子供七〇〇〇人)が北朝鮮
に渡っており、その彼らを人質に

北朝鮮は日本からカネや物品をせしめて、逼迫した北朝鮮経済を潤すマ
シーンとして利用してきたばかりか
彼ら日本人の一部をスパイとして徹底的に養成し直し、その後、日本へ送
り込み

各界に潜伏させ高度な技術を盗んだり、時には女性ベテランスパイをも日
本国内に送り込み
日本の要人を狙いうちにしハニートラップを仕掛ける。 けれどもその彼
女たちときたら、通名を名乗ることで、日本の極秘情報をいとも簡単に失
敬していると聞く。

「こんなことが白昼堂々と日本国内で可能なのは、北朝鮮にはある諜報機
関が日本にはないからだ
と、件の元北朝鮮大使は示唆していたのである。私もそう思う。

 
           
━━━━━━━
重 要 情 報
━━━━━━━
            前田正晶

◎文在寅大統領はは左傾した新たな国の建設を目指している:

私なりに大統領就任以来の文在寅氏が強硬に推し進めてきた反日と抗日の
数々の厭がらせと言いがかりは、彼が理想として目指してきた故盧武鉉大
統領の遺志を継承した現在までの民主主義国家である大韓民国

(Republic of Korea)を捨てて、DPRKと合体した仮に高麗連邦共和国と
でも言う左傾した国の建設に向かってまっしぐらであると思えば解りやす
いと見るようにしている。そう思えば、遂にここまでやるかと思わせられ
た、我が国の企業283社だかの製品に「戦犯企業」のステイッカー(「ス
テッカー」はカタカナ語だ)を貼ろうとなどというのは、未だ穏やかな方
だと思っている。


文大統領は既に「積弊精算」だの「親日排除」などという無理無体で極端
の排日作戦も実行段階に入っていったが、これらは皆来たるべき来年4月
の総選挙に勝って過半数の議席を確保して,彼が目指す左傾した新国家を

作る為の足がかりにする手段であり、その為には「日本叩き」と「日本を
貶めること」は彼とその支持者に受けると見込んでの強硬姿勢だと、私は
受け止めている。彼の「選挙での勝利」を目指した作戦はトランプ大統領
のそれと似た点がなきにしもあらずだが、文大統領の大統領の場合には日
本叩きの一点に集中している点が異なっていると思う。



私は既に文大統領の場合は選挙で過半数を確保すれば憲法を改正し、大統
領の多選乃至は再選を妨げないという方向にまで進むと危惧して見せた。
日本叩きと貶めることが人気取りの作戦だとすれば、そこに生ずる疑問は
「では、文在寅大統領は究極的に何がしたいのか」ではないか。それでは

韓国民の全体が民主主義と資本主義の大韓民国を捨ててまで文大統領政権
を支持しているのかという疑問が生じる。私は多くの専門家の方々と報道
で,文在寅大統領は職権で閣僚、国会、大法院等に腹心を配置し、残すは
検察だけだったのでその上に最側近の曽国氏を任命したとのことだと理解
している。


ここまでの言わば鉄壁の態勢を固めて「日本貶め作戦」を敢行してきてい
る文大統領政権に対して、今後我が安倍改造内閣がどのように対応してど
のように反論して行かれるかが最大の課題だと思う。いえ、黙って「静か
な無視」では済まない状況に来ているのではないかと思っている。河野新

防衛大臣はブルームバーグに投稿されたそうだが、これなどは無法な文在
寅政権に対する反抗の小さな一歩に過ぎないと思う。私は文大統領があそ
こまで回りを固めた状態では、仮に安倍総理が首脳会談を敢行されても文
大統領はそう簡単には姿勢を変えないと危惧している。



まさか、直ちに韓国に乗り込んで真っ向から論戦を挑むか、または全世界
に打って出て韓国と文政権の虚言と虚報振りを知らしめるかという手段も
ある。だが、外交ルートを通じての茂木新外務大臣の抜群の交渉力を活か
して貰うか、安倍総理のトランプ大統領との強力な外交関係を以て、一刻
も早くDPRKのことしか脳裏にない文在寅大統領を洗脳して頂きたいと絶大
な期待を寄せている。

                   前田正晶



━━━━━━━
身 辺 雑 記  
━━━━━━━

17 日野東京湾岸は快晴、爽快。




規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。