政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針5169 号  2019・9・16(月)

2019/09/16

□■■□──────────────────────────□■■□
 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5169号
□■■□──────────────────────────□■■□

        
 
       2019(令和元年)年 9月16日(月)敬老の日



             中秋の名月、ランタン祭:宮崎正弘

              「風立ちぬ」の命日:渡部亮次郎
      
        16世紀アルゼンチンでの日本人奴隷:伊勢雅臣


              
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

         御意見・御感想は:ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
        下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/
    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/
                         

━━━━━━━━━━━
中秋の名月、ランタン祭
━━━━━━━━━━━
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)9月15日(日曜日)弐
         通算第6196号 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 中秋の名月、ランタン祭り、ビクトリアピークも夜の公園も
 各地でSNSが呼びかけ、集会、乱闘、歌声広場、カオス続く香港
*******************************
 14日、やはり香港のあらゆる場所が「戦場」となった。
 親中派と民主派の暴力的激突は、とくに九龍半島の旧工業地帯で発生
し、レオンの壁を破壊する白シャツ隊と、抗議する黒シャツの学生との乱
闘となり、数十のけが人が病院に運ばれた。民主派はただちに破壊された
レオンの壁を修復し、「解放香港」「時代革命」「光復香港」などと書き
込んだ。

中秋の名月、各所で龍の踊り、ランタン祭りが行われたが、大きなランタ
ンにも、「只有暴政、没有暴徒」(あるのは暴政だけ、暴徒なぞいな
い)。とくにユニークなのは、ビクトリアピークやライオンピークに数千
名が登山し、スマホのレーザーで自由香港などの呼びかけ、大きな垂れ幕
が山頂から降ろされた。

中学の教師が音頭を取っての公園集会、銀行員があつまって民主派支持の
集会、地下鉄職員らは「これ以上の暴力的破壊をやめろ」と叫び、それぞ
れが、全体的に統一がないが、おのおののネットワークで集合し、若者ら
が中心にばらばらに集まり、香港中が騒然とした日となった。

厦門プラザでは親中派が中国国旗を掲げて中国国歌を歌い、ほかのショッ
ピングプラザ、公園などでは「自由香港」の歌が大合唱された。おりから
のブットボール競技場でも、両派がにらみ合った。

この混乱は15日(日曜日)、各地で無許可の集会とデモが予定されてお
り、ふたたび流血と混乱の巷に化ける懼れが高まっている。
     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
(読者の声1)14日夜放映された「日本文化チャンネル桜」の討論番組
「香港、台湾そして日本の運命」ですが、冒頭6分目から13分目あたり
に、宮?先生が登場されて、香港の現況を写真入りで解説されています。
https://www.youtube.com/watch?v=N8u_j_6inQQ
 写真がリアルで、何が起きているかを掌握でき、参考になります。
   (TY生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)あのパネル写真は小生が撮影しました。
  ♪
(読者の声2)貴誌前号、香港と中国の関係の記事で、日本の知識人達の
「中立幻想」について、なるほどと思いました。
なんでもかんでも「ニュートラル」の立場に立つことが高等であるという
ような謝った認識を、そして一国平和主義に陥没してしまった日本の知識
人は、國際常識でいうところのインテリとはほど遠いわけですね。
  (HG生、水戸)



━━━━━━━━━
「風立ちぬ」の命日
━━━━━━━━━


    渡部 亮次郎

5月28日。名作「風立ちぬ」の作者。20世紀の業病肺結核をモチーフに
し、肺結核に倒れた堀辰雄の命日である。今から61年前、1953(昭和28)
年のことだった。

「風立ちぬ」という松田聖子のアルバムもあるが「立ちぬ」という感傷的
な語感を借りただけで、堀の作品とは無関係である。

堀 辰雄(ほり たつお)のことを知ったのは中学生の頃で、兄が読んでい
たのを勝手に読んだのかも知れない。死去した時は既に高校2年生。関心
は別のところに変わり、その死は知らなかった。

堀 辰雄は 明治37(1904)年12月28日、東京市麹町区平河町(現在は東京
都千代田区)で生まれた。 最終学歴は東京帝国大学国文科。

東京府立三中から第一高等学校へ入学。入学とともに神西清と知り合い、
終生の友人となる。

高校在学中に室生犀星や芥川龍之介とも知る。一方で、関東大震災の際に
母を失うという経験もあり、その後の彼の文学を形作ったのがこの期間で
あったといえる。

東京帝国大学文学部国文科入学後、中野重治や窪川鶴次郎たちと知り合う
かたわら、小林秀雄や永井龍男らの同人誌にも関係し、プロレタリア文学
派と芸術派という、昭和文学を代表する流れの両方とのつながりをもった。

1930(昭和5)年に『聖家族』で文壇デビュー。 このころから肺結核を
病み、軽井沢に療養することも多く、そこを舞台にした作品を多くのこし
たことにもつながっていく。

1934年、矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を病んでいたために、翌年、
八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。しかし、綾子はその
冬に死去。この体験が、堀の代表作として知られる『風立ちぬ』の題材と
なった。

この『風立ちぬ』では、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』を引用して
いる。このころから折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受ける。

王朝文学に題材を得た『かげろふの日記』のような作品や、『大和路・信
濃路』(1943年)のような随想的文章を書き始める。また、現代の女性の
姿を描くことにも挑戦し、『菜穂子』(1941年)のような、既婚女性の家
庭の中での自立を描く作品にも才能を発揮した。

戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代
の中にも多くの支持を得た。また、堀自身も後進の面倒をよく見ており、
立原道造、中村真一郎、福永武彦などが弟子のような存在として知られて
いる。

戦争末期からは症状も重くなり、戦後はほとんど作品の発表もできずに、
信濃追分で闘病生活を送った。

代表作「風立ちぬ」は1936(昭和11)年から執筆、『改造』などに分載さ
れたのち38年4月野田(のだ)書房より刊行。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」とバレリーの詩句の引用をもって始め、リ
ルケの『鎮魂歌(レクイエム)』をエピローグに置く。

高原療養所とそこから山一つ隔てた「K村」とを舞台に、婚約者節子の病
床に寄り添い、やがて彼女に先だたれていく「私」が、死にさらされた自
分たちの生の意味と幸福の証(あかし)とを模索し、ついにそれらについ
ての確信を得ていく過程を描く。

婚約者矢野綾子の死という自らの痛切な体験を、詩情あふれることばのな
かで昇華し永遠の生の思想を訴えかけてくる点において、堀文学の代表的
名作となっている。
昭和28( 195年5月28日信濃追分(現・長野県北佐久郡軽井沢町)で死去
(満48歳没)2010・5・26
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



━━━━━━━━━━━━━━━━
16世紀アルゼンチンでの日本人奴隷
━━━━━━━━━━━━━━━━

伊勢雅臣

「移民は壮大な民族学的実験だ」とは、ブラジルの邦字紙「ニッケイ新
聞」の前編集長・吉田尚則氏の言葉である。現編集長・深沢正雪氏の新著
『移民と日本人』は日本人移民の足跡を辿って、この実験の結果を提示し
てくれている。

 同書は、南米への移民のごく初期、なんと400年前のケースから記述
を始める。1596年、日本では豊臣秀吉の晩年、アルゼンチンの古都ゴルド
バで日本人青年が奴隷として、ある神父に売られたという古文書が残って
いる。「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利
品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を800ペソで売る」と記録さ
れている。

「この日本青年は心身共に強健で才能に富んだ傑人と思われ、それなりに
他の奴隷に較べて3、4倍の高値で買い取られている」と、ある研究書は
述べている。

 戦国時代には戦争捕虜や、誘拐されたり親に売られた子供が数万人規模
で、奴隷として南蛮商人によって東南アジアからポルトガル本国にまで
「輸出」されていた。秀吉が天正15(1587)年にキリスト教宣教師追放令
を出したのも、これに怒った事が一因のようだ。また、国内で身の置き所
がなくなったキリシタン浪人が自らポルトガル船に乗り込んだというケー
スもあったようだ。

 深沢氏は、このフランシスコ・ハポンも自由渡航者、すなわち移民とし
て出国したが、途中でポルトガル商人に騙され、奴隷として売り飛ばされ
たと推測している。


■2.「私は奴隷として売買される謂われはない」

 さらに興味深いのは、この青年が売られてから8か月後に、「私は奴隷
として売買される謂われはない。従って自由を要求するものである」と訴
えて、裁判に勝ち、自由の身になったことである。裁判所は、代金の
800ペソを神父が奴隷商人から取り戻す権限を与えている。

 このような裁判事例は他にもある。ルシオ・デ・ソウザ著『大航海時代
の日本人奴隷』では、メキシコ、アルゼンチン、ポルトガル、スペインな
どで、「自分は本来ならば奴隷ではない」と主張して、我が身の解放を求
めた訴訟の記録が相当数、残されているという。

 そもそも裁判所に訴え出る行為自体が、スペイン語のみならず法と裁判
制度の知識を必要とするので、売られて8か月後の日本人奴隷が単独でで
きる可能性はまずない。弊誌が推測するに、日本人青年の宗教心と知性を
見込んだ神父が、彼に訴えさせて裁判に勝てば、彼をその後も弟子として
使えるし、代金も取り戻せると踏んで、訴えさせたのではないか。

 これが事実だとしても、神父にそう見込ませるだけの器量、法と裁判制
度を理解する知性、裁判所での証言での論理的説得力も必要だったはず
だ。「移民は壮大な民族学的実験だ」という視点から見れば、彼はこの異
国の地での実験において、日本人の長所を大いに発揮したと言えるだろ
う。同様の事が、黒人奴隷や支那人奴隷にできたとは考えにくい。

 当時、日本で布教したフランシスコ・ザビエルは、日本人の理性や知識
欲に驚いて「日本人は新たに発見された諸地域の中で最高級の国民」と母
国に書き送っている。しかし、ザビエルにとっては不幸なことに、その日
本人の理性は、キリスト教の教義の不合理さを見逃さなかった。

 例えば宣教師たちは「キリスト教を知らなかった日本人の先祖は救われ
ない」と言うが、「もしデウスが本当に全能なら、大昔から日本でも教え
を広めたはずだ。今頃、日本に教えをもたらして、それを知らなかった
我々の先祖の霊を救わない、というなら無慈悲だ」などと、先祖思いの日
本人はザビエルを問い詰めた。[a]

 仏教や儒教との格闘を通じて鍛えられた合理的思考能力と、それを大衆
に普及させた教育は日本社会の特質だが、日本移民が異国に置かれると、
その特質が明瞭に浮かび上がってくる。まさに「移民は壮大な民族学的実
験だ」という事の一つの例証である。


■3.移民たちのフロンティア・スピリット

 移民という「壮大な民族学的実験」を大規模に行っているのが、ブラジ
ルである。ここには190万人もの日系人がいる。群馬県が195万人だ
から、それと同規模の日系人が地球の裏側に住んでいることになる。この
事実の重要性を日本国内の日本人はほとんど認識していない。

 その「民族学的実験」の結果は明らかである。190万人と言ってもブ
ラジルの人口2億人の1%に過ぎないが、ラテンアメリカ世界の最難関で
あるサンパウロ大学では日系人学生は14%も占める。「大学生全体でも
10%を占める」と、筆者がアメリカで出会った白人系ブラジル人は称賛
していた。[b]

 学力だけではない。ブラジルには「ジャポネース・ガランチード」、す
なわち「日本人は保証付き」という言葉がある。約束はかならず守る、借
りた金は返す、仕事でもきちんと責任を果たす。日本人なら間違いはな
い。そういう絶大な信用をブラジル国内で築き上げてきた。[c]

 私もブラジルで、ある日系企業が持つ3工場を訪問したことがあるが、
日系人が幹部を務める一つの工場が、日本からの駐在員が運営する他の2
工場よりも優れていたことを覚えている。

 移民は「国内で食い詰めて、海外に出て行った」という見方は一面的で
ある。というのは、食い詰めたまま国内に留まっている人間の方がはるか
に多いからである。食い詰めた境遇に屈せずに、はるか彼方の異郷に飛び
出していった移民たちのフロンティア・スピリットを見逃してはならない。

 さらに、その異郷で直向(ひたむ)きな努力を通じて、現地でも尊敬さ
れる地位を築き、異国で日本と日本人への評価を確立してくれたブラジル
の日系人には敬意と感謝の言葉しかない。


■4.「社会が開いているから文化的には閉じる」

 しかし、どうして異郷に住みながら、日本人らしさを何代にもわたって
維持できるのだろう。この疑問を深沢氏は「社会が開いているから文化的
には閉じる」と説明している。これは「社会が閉じるから文化が開く」と
いう説を裏返した表現である。

 たとえば、明治日本は外国人はごくわずかしか住んでいない「閉ざされ
た社会」だった。その中で、ごく一部の日本人が留学などで西洋文化を学
び、よく咀嚼して国内に伝えた。それゆえに日本社会は拒絶反応を起こさ
ずに、西洋文化を導入することができた。つまり、社会が閉ざされていた
からこそ、文化の流入がコントロールでき、スムーズに西洋文化を導入で
きた。

 ブラジルに暮らす日系移民は、ちょうどこの逆の現象が起きたと、深沢
氏は指摘する。

__________
 日本移民は、ブラジルという西洋文化圏の真っ只中で生活している。ブ
ラジル人という西洋文化を持つ圧倒的な大衆に囲まれ、異文化と生のまま
接しているので、拒絶反応を起こしやすい。・・・
 異国において自分たちはか弱い存在であることを前提に、常に回りの強
者(ブラジル人農場主、官憲、圧倒的多数のイタリア農民など)との力関
係に気を使いながら、日の丸を心の中で背負い、どう生き延びていくかを
日々考えていた。
 その結果、集団的な自己防衛本能が強く働いて、エスニック集団の中で
はナショナリズムが昂揚し、独自の強い日本人意識を持つようになった。
[1, p167]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 評論家の大宅壮一は1954(昭和29)年に取材でブラジルを訪問した際に
講演して、「ブラジルの日本人間には、日本の明治大正時代がそのまま
残っている」と言ったそうだが[1, p10]、それもこの「社会が開いている
から文化的には閉じる」現象だろう。

 弊誌でも、美しい日本語をブラジル人子弟に教育している川村真倫子先
生をご紹介したが[d]、先生の学校も、ブラジルの開かれた社会で、日本
文化を維持しようとする努力の一環と言えよう。


■5.異郷で「根っこ」の大切さに気がつく

 上に引用した「エスニック集団の中ではナショナリズムが昂揚し」の一
節は、「エスニック」は「民族的」、「ナショナリズム」はラテン語の
「natio(生まれ)」を語源とする。平たく言えば「自分が生まれた民族
的共同体を大切に思う心」と捉えても良いだろう。

 弊誌ではこれを「根っこ」と表現してきた。異郷で自分自身の「根っ
こ」の大切さに気がつくというのは、筆者がアメリカでの留学時代に経験
したことだ。また海外在住の方が、日本の事を聞かれて何も説明できない
事に気がつき、インターネットを探し回って、本講座に辿り着いたという
読者も少なくない。外国の「開かれた社会」に出ると、「根っこ」の大切
さに気がつくのである。

 逆に、国内で「根っこ」を同じくする同胞に囲まれていると、その大切
さに気がつかない人が多い。美しい豊かな国土の中だけで暮らしてきた
人々は、それを当たり前だと思って、その美しさ、豊かさには気がつかない。

 自虐史観を吹聴する輩、日本を卑下する「拝外」主義者などは、「閉ざ
された社会」で「根っこ」に支えられながら、その有り難さに気がつかな
い人々である。近年、こうした人々が減り、日本の「根っこ」を求める
人々が増えてきているのは、外国旅行の機会が増え、来日外国人も激増し
て日本が「開かれた社会」になりつつあるからだろう。


■6.「世界のウチナーンチュ大会」

「開かれた世界」で、特に「根っこ」を大切にして逞(たくま)しく生き
ているのが沖縄出身者のようだ。深沢氏は2011年に那覇で開催された第5
回「世界のウチナーンチュ大会」を取材した時の驚きをこう語っている。


・・・世界から沖縄県系人が5300人も集まり、ものすごい熱気にあふれて
いて驚いた。ブラジルからだけで1200人以上、ハワイからは1千人で飛行
機を2機もチャーターして乗り入れているというので恐れ入った。


 沖縄県の人口140万人は日本全体の1%強にしか過ぎない。だが、海
外日系人350万人の中では35万人、10%を占める。ブラジル日系社
会でも約1割、ペルーやアルゼンチンでは9割以上に達するという。沖縄
県人口の25%に匹敵する人数が海外で暮らしている事になる。

 沖縄県からの移民が多いのは、戦前は差別と来たるべき戦争への恐怖で
都道府県別の2位となり、戦後は地上戦のトラウマからダントツの1位に
なったからだという。

 海外ばかりではない。「世界のウチナーンチュ大会」には、東京都沖縄
県人会とか、兵庫県沖縄県人会の人たちも集まる。深沢氏は彼らと話して
いて、「島から一歩出たら、本土もブラジルも一緒」という感覚を持って
いる事に気がついた、という。

 島から「開かれた社会」に出ると「根っこ」を大切にする気持も強まる
のだろう。今でもブラジル沖縄県人会の催しではウチナーグチ(沖縄言
葉)で話す人がいるという。深沢氏が取材に行っても、何を言っているの
か全然わからないが、会場では皆が理解しているので驚く。

 ウチナーグチが分かるのだから、日本語も分かるかと思って話しかける
と、「日本語はダメ」という2世、3世が思いのほか多い。ウチナーグチ
を日常的に使っている世帯で育った人々だろう。一方、沖縄ではウチナー
グチの話者が激減しているという。その結果「ブラジルには明治の沖縄が
残っている」と言われるようになった。


■7.なぜ、沖縄系が活躍しているのか

 太い「根っこ」で繋がり、互いに力を合わせる沖縄系はブラジルの日系
人社会の中でも存在感を増している。1994年の総選挙でサンパウロ州選出
の下院議員として当選した3人の日系人はすべて沖縄系子孫だった。その
一人、具志堅ルイスは2003年の大統領選で当選した労働党党首ルーラの懐
刀として活躍した。

 ジャーナリズム界でも沖縄系が活躍している。深沢氏がエスタード・
デ・サンパウロ紙論説委員の保久原ジョルジ淳次に、「なぜジャーナリズ
ム界で沖縄系が多いのか」と質問したところ、次のような答えが返ってきた。


 そのことは、金城セルソ(元ジョルナル・ダ・タルデ紙編集長)とも話
し合ったことがある。自分たち沖縄系は日系社会においてもマイノリティ
だ。おなじマイノリティなら一般社会でのし上がったほうが価値があると
考えた。


 このように、沖縄系はブラジル社会でのし上がり、それが結果的に日系
社会の中での地位も引き上げてきた。サンパウロの日経主要5団体のう
ち、2018年現在では沖縄系が3団体のトップを占めている。


■8.「根っこ」を同じくする同胞

 深沢氏は「世界のウチナーンチュ大会」の開会式で、仲井真弘多(なか
いま・ひろかず)知事(当時)が「おかえりなさい!」とまず挨拶したの
を聞いて、すごいことだと感じ入ったそうだ。現在、日本国内には17万
人の日系ブラジル人が働き、暮らしているが、我々は「おかえりなさ
い!」という気持ちで歓迎しているだろうか?

 グローバル化が進み開かれた社会になるほど、「根っこ」が国際社会を
生き抜くエネルギーを与えてくれる。「根っこ」を同じくする同胞を温か
く迎え、ともに助け合う日系、特に沖縄系の生き方は、まさに移民という
「壮大な民族学的実験」で成功する鍵であり、これからのグローバル時代
の「在日」日本人が学ぶべき姿勢だと思われる。

 我々以上に日本人としての「根っこ」を持ったブラジルの日系人から学
ぶ事は多い。その太く深い「根っこ」をもって、190万人もの同胞が地
球の裏側の人口2億人の大国で逞しく生き、かつ尊敬されている。その有
り難さを我々はよく認識すべきである。
(文責 伊勢雅臣)


━━━━━━━
重 要 情 報
━━━━━━━

◎英語の発音と文化比較論:前田正晶

私は英語の発音については「綺麗であり正確であり元の英語に近いのに
越したことはない」とずっと主張して来た。しかしながら,一般論として
我が国では発音がカタカナ語式であったりローマ字的である人が圧倒的に
多いのは否定出来ない事実だと経験上も考えている。そうなってしまった
理由として先ず考えられることは「そもそもそのような発音しか出来ない
先生方に育てられた英語の先生方が多いからだ」と推定している。もし
も、我々日本人がnative speakerに近いような発音まで出来るようにしよ
うと思えば、現在の先生方の奮起を促すしかないと思うのだ。

ではあっても、20年以上の対日交渉を経験する間には、キチンとした英
語力とある程度以上綺麗で正確な発音になっている方々にも出会ってきた
ものだった。その中には帰国子女もおられたが、私のように旧制中学1年
次に幸運に恵まれた例もあるが、先生方の発音の指導法次第では正確な発
音が出来るようになるものだと信じている。発音の指導の目的でnative
speakerを活用するのは中学校(現在では小学校も入るか)初期において
は有効かとも思う。

だが、外国人を採用する際には、出自がハッキリしていて正確で品位があ
る英語を話す人物を選択せねばならない。私は遺憾ながらそういう者が日
本まで職を求めてくる例は極めて少ないと危惧するものだ。良家のご子息
たちでハーバートでMBAを取得したような前途有為な青年が日本で英語を
教えようとしてやってくるかどうかは、深く考えなくても分りそうなこと
ではないか。

また発音の内容だが、我が国では何故か最も重要な同盟国であるアメリカ
式も発音よりも世界的には、英連邦の存在を考えてもその人口がアメリカ
よりも少ないとしか思えない英連合王国(UK)のQueen’s Englishを有り
難がる風潮があ。私は戦後間もなくから自然にアメリカとUK式の中間が最
も発音がしやすいと考えて、その方向を目指してきた。具体的にはアメリ
カの“r”の前に母音が来る発音は避けるようにして、後はアメリカ西海岸
のアクセントを真似たと言うこと。

この私の中間方式の発音はUK系であるカナダ、オーストラリア(ニュー
ジーランドは訪れる機会がなかった)では“beautiful English”と言われ
たのだった。理由は「アメリカン・イングリッシュではないから」だっ
た。このことをアメリカの同僚に語って見れば「何処がQueen’s English
か。君はアメリカン・イングリッシュそのものの発音だ」と大笑いされ
た。この挿話は双方で嫌い合っているという実体を表していると思った次
第だ。

色々と論じてきたが、私は発音には固執しない。何と言っても肝腎なこと
は「英語の質であり、論旨の構成能力であり、説得力の有無」であるから
だ。彼らに負けない交渉力を身につける為には、英語式三段論法的な議論
を展開出来るようにdebate力を備えておく必要がある。そこに求められる
要素は「慣れと度胸」であり「論争と対立を恐れない強さ」と「感情的に
ならない」という3点だと思っている。

最後に言っておきたいことは、アメリカ人たちは厳しい論争をした後で
も「今日は良い討論が出来て良かった。ここまでにして食事でもするか」
と言って握手をして場所を変える。そこで、私が何度か経験したことを挙
げておこう。それは得意先と激しいクレーム補償等の交渉をした後で、
我々の方から「本日はこれにて終了として、デイナーでも如何ですか」と
提案した時のことだった。先方は寧ろ激怒されたかの表情で「こんな不愉
快な議論をさせられた人たちと飯を食う気分にはなれない。断って下さ
い」と感情的になって拒否されたのだった。

私はこういう結果になるのは、我が国とアメリカの文化の違いと国民性
の相違の表れだと思って受け止めていた。だが、苦心して通訳をして何と
か交渉を妥結させた者としては、ドッと疲れが出たのだった。


◎前田様

先日、「Me too.」という表現がmeは目的格だから文法としておかしいこ
と、米英の上流階級では決してそういう表現をしないことをご教示頂きあ
りがとうございました。とはいえ、今、売り出している会話翻訳機ポケ
トークでは、「私もそう。」を翻訳すると「Me too.」と下等な表現をす
るのでいささか困っています。

それはさておき、米国映画を観ていると「It's me.」という表現がよく出
てきます。このmeも目的格だから文法的におかしいと思うのですが、なら
ば主格の 「I」を使って「It's I」とはどうも言わないようです。

ではどういう表現をすべきなのか、文法の解説も含めてご教示頂けたら幸
いです。

英語が苦手な一読者より



━━━━━━━
身 辺 雑 記  
━━━━━━━

16日の東京湾岸は雨、散歩は午後。
                     読者:6003人

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。