政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針5166 号  2019・9・13(金)

2019/09/13


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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5166号
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       2019(令和元年)年 9月13日(金)


    香港の民主活動家、ドイツから世界を行脚へ:宮崎正弘

      NHK終戦報道は相変わらず問題山積:櫻井よしこ

               「青い山脈」の頃:渡部亮次郎

                 たかるだけの国:高山正之
     
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

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香港の民主活動家、ドイツから世界を行脚へ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)9月12日(木曜日)
         通算第6192号  
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 香港の民主活動家、ドイツから世界を行脚へ
  ワシントンで超党派議員団と懇談のほか、政権幹部とも面会へ
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香港の民主活動、香港政庁への抗議行動が世界のメディアの関心を集めて
いる。

11日夜あたりから、抗議行動はさらに多角化し、市内に数多い巨大
ショッピングモールの吹き抜けロビィに集まって合唱大会などを開き、引
き続き市民の支援を呼びかける戦術に切り替えた。

リーダーのひとり、王之峰(22歳)は保釈中である身を利用し、宣伝役
として世界行脚の旅を続ける。最初の訪問国ドイツでは、なんと外務大臣
と面会した。

親中路線を突っ走るメルケル政権の複雑な顔を同時に示したが(というの
も、先週メルケルは訪中し、李克強首相と経済協力を約束したばかり)、
中国は怒り心頭、駐北京ドイツ大使を召還して抗議した。

王之峰はドイツのメディアに対して、「民衆を弾圧している香港警察の放
水車はドイツ製です。放水車の輸出を止めて欲しい」などと、具体的にド
イツと弾圧側のダークサイドを力説した。そのうえで、民主化工程を聞か
れ、「まずは香港、つぎが中国大陸です」と運動の展望を語った。

来週、王は渡米し、NYなどで支援者の集会に出席し、支援とカンパを呼
びかける予定だが、ついでワシントンに移動して、超党派の議員団と会合
をもつ予定という。

議会では共和党、民主党を問わず、「香港人権民主法 2019」の法案討議
が、議会日程にのぼっており、トランプ政権の支援姿勢にも変わりがない。

ワシントン滞在中、王之峰はペンス副大統領か、ポンペオ国務長官あたり
との面会が実現するかも知れないと観測される。
     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 迷路に迷い込んだメイ前政権、ジョンソン新政権も立ち往生
  「英国のトランプ」ことジョンソンは英国の救世主になれるのか?

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岡部伸『イギリスの失敗』(PHP新書)
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ブレグジットで大揺れ、政治の貧困がもたらした大英帝国の未曽有の挫折。

迷走の挙げ句、辞任に追い込まれたメイ政権に替わって、『英国のトラン
プ』として威勢良く飛び出したジョンソン新政権は、いきなりガツンと議
会の抵抗に遭遇し、またまた迷路に迷い込んでしまったかのようだ。
 はたしてどうなるのか、何故こうなったか。

産経新聞ロンドン支局長として3年半にわたり、英国に滞在した著者が、
この今日的課題の深奥に挑んだ。岡部氏は、『消えたヤルタ密約緊急電』
で山本七平賞を受賞した実力派である。

評者(宮崎)、じつは本書を旅行鞄に入れて、「大英帝国の植民地」だっ
た香港へ飛んで、ホテルでも少しづつ読み続けた。が、帰国後も時間が取
れず、ようやく読み終えた朝、新聞はボリス・ジョンソン首相が目論んだ
議会解散が否決され、議会が休会に入ったと伝えている。

揉め続ける現況を岡部氏は「民主主義の呪縛」にあると喝破する。
 つまり多数決原理のデモクラシーの発祥の地を自負する英国では、いっ
たん皆が決めた決定には従うのであり、EU残留派は、「多数の意見を尊
重するのが民主主義だ。考えを変えられないなら、民主主義ではない」と
するが、反対に離脱派は「国民投票で決まった民意を無視した民主主義の
敵」が残留派だ、と批判する。デモクラシーの原理で論争しているのである

「英国は離脱交渉自体、EUが最後に折れて、『いいとこ取り』ができる
と過信していたフシがある。共通通貨ユーロに入らず、シェンゲン協定に
も加わらず、半身の姿勢で経済の合理性のみを目的に参加してきた英国
は、『EUで最大の軍事力、インテリジェンスを有する重要な邦なので、
交渉も優位に進められる』との幻想があったのかもしれない」と岡部氏は
分析する(35p)。

ところが旧態依然の2大政党の谷間を縫ってUKIP、ブレグジット党、
自由民主党が大躍進し、気がつけば保守党、労働党の支持率はどん底に近
くなっていた。政党が多数化し、「二大政党制は崩壊したとも言える」状
況が生まれた(44p)。

なにしろ英国第一をスローガンのブレグジット党が第一党なのである。そ
のうえ混乱に拍車をかけたのは『移民』と『中国』である。

あまつさえフランスの英国イジメという欧州独特の入り組んだ政治事情が
加わり、じつは英国政治は中国とのビジネスに前のめり、これが尾を引い
て、トランプ政権が進める中国敵視政策と英国は軌を一にできなかったのだ。

離脱派のチャンピオンはジョンソン首相ではない。

彼は党利党略から、残留組から離脱派に乗り換えた機会便乗主義政治家で
あり、彼の弟は閣僚を辞任し、反対派へ馳せ参じた。

離脱組のオピニオン・リーダーは、『ジャッカルの日』『オデッサ・ファ
イル』『戦争犬たち』で著名な作家フレデリック・フォーサイスである。
 かれは昔から「欧州懐疑派」として知られたが、EU本部を「頑迷なブ
リュッセル」と批判し、4月26日のディリーエクスプレス紙に再度寄稿し
て、こう主張した。

「混乱しているブレグジッドは至って簡単である。英国の歴史上、最も大
きな民主的選択をしてEUから抜けること、主権を取り戻すことを決めた
のである。EUに跪く隷属ではなく、立ち上がって自ら国を取り戻すこ
と」(117p)だ。

英国は一度も戦争に負けたことがないとういうプライドがある(大東亜戦
争の緒線での日本海軍との交戦、大壊滅は、その後、大局的に米国が勝っ
たので敗戦には加えない)。

だから民意を得ていないエリート官僚が跋扈するEU本部に従属すること
なぞ、その自負心が許さないのだ、それが英国民の決断だったではない
か、とフォーサイスは英国人の愛国心とナショナリズムに訴えた。

静かな、着実は変化が、一方で進んでいる。

それは亀裂がはいっていた米英同盟の強化、日本重視へ舵取りに変更(つ
まり中国重視から転換し台湾海峡へ空母派遣など)、そして移民排斥である。

直近までの英国の政治の流れを適確かつ端的にまとめた本である。
          
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1954回】             
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(9)
徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

               △
アメリカとの間で「単独作戦行動はしない」「兵力は双方ともに8000人程
度」などを取り決め、1981年夏、日本は赤軍の東漸を押さえるべくシベリ
アに出兵する。

これに米・英・仏・加・伊・中(中華民国)などが続き、?田が「ツアー
ル軍隊」と呼んだ白軍支援の戦いを展開した。1918年11月に起こったドイ
ツ革命によって第一次大戦が終結したことで、シベリア出兵の目的は失わ
れ、多くの国は撤兵する。

日本は作戦区域をバイカル湖の西に位置するイルクーツクまで拡大し、戦
線を維持した。だが、肝腎の白軍が瓦解したこともあり、1922年に撤兵する。

この時、当初予定を遥かに超える広大な地域を占領したことで、日本は参
加各国から領土拡大の野心を疑われた。

それが以後の日本外交にマイナス要因として働いたとも見られる。

徳田に依れば、「ソヴエト赤軍が滿州の日本帝國主義軍隊を疾風のごとく
破碎したとき」、「ツアール軍隊」は「いち速くソヴエト軍隊を名乗って
殘虐を試みた。強盗、強姦まつたく目にあまることをやつたのである」。
「ソヴエト軍が囚人軍を使つたと滿州から歸つた反動的日本人がいいふら
しているのは他でもなくこのツアール・ロシアの殘物共のしわざである」
とのことだが、さすがに?田は共産主義者である。「日本帝國主義軍隊」
「滿州から歸つた反動的日本人」、それに「ツアール軍隊」は飽くまでも
悪であり、「ソヴエト赤軍」は断固として善であり正義であらねばならな
かった。

モスクワを目指す徳田はハルピンで中東鉄道(西部線)に乗車し、チチハ
ル、博克図、ハイラルを経て蒙古との接点である満洲里へ。小さな満洲里
駅は厳重に警戒され、駅舎の外には「日本の憲兵が二人ながい刀をブラ下
げて長グツをはいて狼のような眼をしてギヨロギヨロ私を見ていた」そう
だが、ならば?田も大きなギョロ目で見返したのだろうか。

日本式旅館に入った。そこでは「たしかに日本人だが朝な夕にバクチは打
つ、酒は飲む、まるで無頼漢や暴徒のあつまりみたようなかつこうだつた」。

そこで「長居は無用」と荷物をまとめ、「約束している同志のところをた
ずね」たことで、「何となくソヴエト同盟入りの目的をその日のうちに達
したのである」。

ここで話は、すでに述べた「1922年の4月中旬、ゴビの砂漠を越えて張家
口に入」った頃に移る。つまり徳田は満洲里での「ソヴエト同盟入り」し
てからイルクーツクから外蒙古に入るまでのソ連における活動については
――おそらくは意図的だろうが――記してはいないことになる。

張家口から北京にむかう途中で、鉄鉱石の産地で知られる宣化に立ち寄
る。「日本帝國主義が中国侵略の後、この鐵鑛石を大々的に開發する計畫
を立てて相當仕事をしていたようだ」。
 やがて北京へ。

「城壁には上にも入口にも出口にも相當の部隊が劒つき鐵砲で警備したい
た」。張作霖軍の兵士だったと思われるが、「例によつて無感覺の顔をし
て、だらしないかつこうでブラブラしているだけだつた」。
やはり徳田は中国の兵士に好印象は持っていない。

北京の中央部で宿を探す。外見は中国風だったが、「中は相も變わらず日
本風になおしてタタミを敷いた日本座敷だつた」。

そこで徳田は「日本人はどこまでいつても、その風土にも氣候にもとん着
なく日本流の生活をしなければ我慢できないとみえる」。どうも徳田の目
には、日本人はおしなべて無頼漢でグズに見えたようだ。

「權力の鐵の威嚇以外には何ら經濟的基礎を見いだしえないで、封建主義
のたい廢してゆく悲哀を發散しているにすぎない」北京に、徳田は「陰慘
な氣持ち」を抱く。堅固な城壁が物語るように、北京は「大衆を威嚇して
いるけど内容はまつたく空つぽ」だった。《QED》
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)10月19日、アジアの自由と民主主義を促進するシンポジウ
ムの場所が変更となりました。
ぜひとも、多くの皆様のご参加をよろしくお願いいたします。
http://freeasia2011.org/japan/archives/5639(三浦生)
  ♪
(読者の声2)自動車販売台数が一年以上前年比マイナスでも、貿易が縮
小しても、海外からの直接投資が前年比マイナスでも、失業率が上昇して
も、セメント価格が急落しても、人民元が11年ぶりの安値でも、MMTの
せいでしょうかね。

常に経済成長を続けるシナですが、米産飼料の値上がりや豚コレラで豚肉
が前年比5割以上上昇しているようです。
将来の経済学テキストでは「不景気の物価高」の典型例として今のシナが
語られるかもしれません。
Https://money1.jp/?p=10093

一方、ベトナムです。先週から日系直接投資企業各社を訪問し、中秋節の
月餅を配ったのですが、ほとんどの企業は「絶好調」です。

よく言われるシナからの工場移転を「実感」できました。現行の設備では
増産対応ができないので工場拡大したり、新工場に投資する企業もあります。

来年辺りは設備投資需要が上向きになるかも。なにしろグローバルバ
リューチェーンからシナと韓国が抜ければ、設備過剰(オーバーカパセ
テ)が解消するわけですから。なお、比較的信頼できるマクロ統計では、
8月のPMI44か月連続50超でベトナム景気の拡大を示しています。
 一方、サムスン電子はベトナムで16万人の雇用を創造していますが、現
在、特に南部で大量のレイオフをやっている様子、北部でも一部やってい
ます。

但し、給料の70%支給して帰郷させられたワーカーが将来の不安を感じ
て、日系直接投資企業の門をたたくケースも頻出中です。

ただしワーカー回転率は日本と比較すると格段に高いです。ベトナムでは
毎年、生産年齢人口が100万人増えているのですが、最近はワーカー不足
でしたが、今後、日系企業はサムスン電子のワーカーの受け皿になりそう
です。

とはいえサムスン電子の輸出はベトナム輸出の多くの部分(2018年は
35%)を占めているので、今後、ベトナム輸出にどれほどのインパクト
を与えるか、注視要です。

またベトナム物価ですが、シナ向け輸出代替地としてアメリカのベトナム
向け輸出が増えて、アラスカ産のエビやロブスターは半値近くまでさがっ
ています。米産チェリーやイチゴなども下落。フィリピンや日本もおそら
く同じでは?

ベトナムは引き続き低インフレが継続です。

まとめると、サムスン電子の凋落と、シナからの生産移転企業の好調の綱
引き状態です。

なお、私のアパートに入居していたKマートから日本米や日本のインスタ
ントラーメンや調味料やお菓子などが撤収されました。

また聞きですが韓国カラオケでは胸倉掴まれた日本人駐在員がいるとか、
昨日、エレベータのなかでたぶん韓国人に睨まれましたが、視線(眼)は
合わせません(笑)。

バックに戦後ずっといたアメリカが消滅したことにまだ気づいていない韓
国人ですが、将来、シナ共産党が崩壊し、半島統一した後のアメリカの
ジャパンマネー利用リスクを感じて・・・あまり・・・韓国人を笑えません。

むしろ気の毒。しかし、そうなるまでにはかなりの時間がかかるでしょ
う。現在、日本に追い風が吹き始めたのを実感します。

8月の貿易統計によると、シナの対米輸出額は前年同月比16%減となり
ました。7月は6%減に過ぎず、縮小傾向が強くなっています。一方、ベ
トナムの対米輸出(上半期)は27.3%増。両国ともに対米貿易で大幅
黒字。ベトナムがシナの穴を埋める格好です。

また台湾の上半期の設備投資は33.6%増。グローバルバリューチェー
ンの「ハブ」はシンセンの電子部品業で、現在、各国はシナから競争力あ
る価格の電子部品を輸入せざるえません。

シンセンには設備、安いワーカー、技術が揃い、「規格化」部品を低価格
で供給できます。しかし台湾電子部品業の設備投資の伸びをみれば、将来
は台湾がシンセンの代替地となる可能性もあるのかもしれません。
https://www.nna.jp/news/show/1949216

ところで宮崎先生が「FRONT JAPAN」の番組のなかで「香港の
不動産価格が2割下落」とおっしゃっていましたが、逆にシンガポールの
オフィスビルの賃貸料は上昇しています。(R生、ハノイ)


(宮崎正弘のコメント)シンガポールの賃貸上昇は、香港でも問題視され
ていました。MMTは、いま日本の保守経済論壇で議論の的ですが、丹羽
理論に比べると粗製濫造の観ありますね。

   ♪
(読者の声3)世界が激動の時代に突入して、景気が悪くなることが確実
な中で、大半の国は何と景気を浮揚しようと躍起になっているのに、わざ
と自分の国の景気を悪くしようとしている国が、この世界の中に、たった
二つだけ存在します。云うまでもなく、日本と韓国です。

韓国のことはさておき、日本の財務省がどうしてこのようなバカげたこと
をするのか?

識者の間では、いろいろと分析がなされています。前轍しか踏めない官僚
体質とか、頭が悪いからとか、帳簿さえ合えば日本の経済がどうなっても
知らんと思っているとか、極めつけは、日本をガタガタにしようと思って
いる、中共の差し金というものまであります。

しかし私は、少し違った見方をしています。今の財務省が大蔵省といって
いたころは、日本を発展させようと積極財政をしていましたためで、日本
の経済はトップのアメリカを脅かすほどに成長しました。

ところが、米国から、共産主義、とりわけソ連と一緒に闘おうと誘われた
時、日本は憲法九条を盾に断ったそうです。そこで、米国は、やむなく当
時ソ連と仲が悪かった中共と組んで、ソ連と闘うことにしたそうです。そ
の時に、中共から出された条件が、日本を潰すことだったそうです。
 そこから米国による日本叩きがはじまりました。

当時世界の最先端を行っていた、日本の半導体のメーカーが狙い撃ちにさ
れ、たまらず日本は、半導体の製品の最終的組み立てから手を引いて、韓
国のメーカーなどに移していったのだそうです。これが、日本ブランドの
衰退の舞台裏のようです。

財務省は、この経験があるために、以来、羹に懲りて膾を吹くようになっ
て、財務省は、日本の経済が発展して、米国の逆鱗に触れないように、意
図的に、日本の経済が発展しない財政をするようになった、のだろうと思
います。

これは丁度、お隣の国が李氏朝鮮の時代に、宗主国の清からにらまれない
ように、自ら文化を破棄していった結果として、服を染める染料の技術
や、馬車の車輪を作る技術などが廃れて、ずっと原始的な生活をして目立
たない相手にされないでいることが属国の処世術として、自ら選択してい
たのと、全く同じことです。

これは本当の恐ろしいことです。情けなや属国根性、このままでは日本
も、かの国のようになってしまうかも・・・(稲村 正治)
   ♪
(読者の声4)日本文化チャンネル桜の番組のお知らせです。
「闘論!倒論!討論!2019 日本よ、今...」。テーマ:「中国の
侵略行為と香港・台湾・日本の未来」

放送予定:令和元年9月14日(土)夜公開。日本文化チャンネル桜。
「YouTube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト。インターネッ
ト放送So-TV
<パネリスト:50音順敬称略> 加瀬英明(外交評論家)、河添恵子
(ノンフィクション作家)、ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究
所教授・チベット文化研究所名誉所長)、三浦小太郎(評論家)、宮崎正
弘(作家・評論家)、鳴霞(月刊『中国』編集長)。
矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜)

      
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NHK終戦報道は相変わらず問題山積
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           櫻井よしこ
 
毎年8月になるとNHKのいわゆる“歴史もの特集”が放送される。NHK
の歴史に関する作品には、たとえば2009年4月の「JAPANデ
ビュー」、17年8月の「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」のよ
うに、偏向、歪曲、捏造が目立つものが少なくない。そのために私は
NHKの歴史ものは見たくないと思って過ごしてきた。

だが、今年はどうしても見ておく必要があると考えて視聴した。視聴した
のは「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~」、「昭和天皇は何
を語ったのか─初公開・秘録 拝謁記」の2作品である。

前者は8月12日のNHKスペシャルで、戦前に10年間だけ発行されてい
「日本新聞」を取り上げている。後者は17日の放送で、初代宮内庁長官、
田島道治氏の日記によるものである。両作品共に役者を起用したドラマ仕
立てだった。

期待どおりというのは皮肉な表現だが、前者は想定どおりの「NHK歴史
もの」らしい仕上がりだった。後者についても多くの疑問を抱いた。

まず「新聞」の方だが、番組は暗い声音のナレーションで説明されてい
く。日本新聞は大正14(1925)年に司法大臣小川平吉が創刊し、賛同者に
平沼騏一郎や東条英機が名を連ねる。彼らは皆「明治憲法に定められた万
世一系の天皇を戴く日本という国を絶対視する思想を共有していた」との
主旨が紹介される。

明治憲法においても現行憲法においても国柄を表現する基本原理のひとつ
である「万世一系」の血筋が、まるで非難されるべき価値観であるかのよ
うな印象操作だ。

番組のメッセージは、創刊号で天皇中心の国家体制「日本主義」を掲げた
のが日本新聞で、その日本主義が日本全体を軍国主義へと走らせたという
ものだ。

不勉強の極み

だが、番組は説得力を欠く。歴史の表層の一番薄い膜を掬い取ってさまざ
まな出来事を脈絡もなくつなぎ合わせただけの構成で、どの場面の展開も
その因果関係が史料やエビデンスをもって証明されているものはない。飽
くまでも印象だけの馬鹿馬鹿しいこの作品を、NHKが国民から強制的に
徴収する受信料で制作したかと思うと怒りが倍加する。

日本全国に軍国主義の波を起こし、日本を戦争に駆り立てるほどの影響力
を発揮したとされる日本新聞の発行部数はわずか1万6000部程度だった。
しかも先述のように昭和10年までの10年間しか発行されていない。NHK
の主張するとおり、日本新聞に世論と政治を動かすほどの力があったのな
ら、言い換えれば、それだけ国民に熱烈に支持されていたのなら、なぜ10
年で廃刊に追い込まれたのか。

当時もっと影響力のあった新聞のひとつに朝日新聞がある。朝日は日本新
聞よりはるかに早い明治12(1879)年に大阪で創刊、9年後には東京に進
出、日本新聞創刊の1年前には堂々100万部を超える大新聞となっている。
朝日は満州事変などに関して極右のような報道で軍部を煽り部数を伸ばし
たが、なぜNHKは軍国主義を煽ったメディアとして日本新聞にのみ集中
したのか。不勉強の極みである。

この日本新聞の番組があり、8月15日をはさんで田島日記、即ち「拝謁
記」の方が放送された。二つの作品を対にした構成の背後には、軍国主義
の弊害を安倍晋三首相が実現しようとする憲法改正に結びつけ阻止しよう
とする意図があるのではないかと感じた。なぜなら拝掲記は昭和天皇が再
軍備と憲法改正を望んでおられた事実をかつてなく明確にしたからだ。

「拝謁記」の内容にさらに入る前に、NHKは田島道治日記の全容を公開
していないことを指摘しておきたい。私たちにはNHKの放送が全体像を
正しく反映しているのかどうか、判断できないのだ。

NHKは宮内庁記者クラブで田島日記に関する資料を配布したが、配布さ
れたのは日記全体ではなく、NHKが選んだ部分だけだった。田島氏のご
遺族が了承した部分だという説明もあったが、それはNHKが報道した分
にすぎない。新聞メディアをはじめ各社がその後報じた内容は、NHK配
布の資料が各社の持てるすべての素材であるために、NHKと基本的に同
じにならざるを得ず、NHKの視点を拡大することになる。

もう一点、NHKは今回の放送を「初公開」「秘録」と宣伝するが、田島
日記は16年前の03年6月号と7月号の「中央公論」と「文藝春秋」で加藤恭
子氏が紹介済みだ。加藤氏が伝えたのは昭和天皇が頻りに戦争を反省し、
後悔されていたという点で、NHKの番組でもそうした思いを述べるくだ
りが俳優の重々しい口調で演じられている。

天皇の政治利用

16年前の「文藝春秋」には「朕ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧ヅ」として「昭
和天皇 国民への謝罪詔書草稿」全文も報じられている。この草稿は吉田
茂首相らの反対で、過去への反省の表現などが「当たり障りのない表現
に」(加藤氏)変えられたことを、加藤氏は、昭和天皇の思いを実現させ
るべく懊悩する田島氏の取り組みを通して紹介した。

NHK報道の新しい側面は、この点を昭和天皇と田島氏の対話形式で明ら
かにしたことだ。

他方、NHK報道で最も印象的なのが先述の憲法改正に関する点だ。これ
まで御製等を通じて推測可能だった再軍備と憲法改正への思いを、昭和天
皇は具体的に語っていらした。

昭和天皇は1952年には度々日本の再軍備や憲法改正に言及され、2月11日
には「他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してや
つた方がいゝ」と述べられていた。3月11日には「侵略者のない世の中ニ
なれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得己(やむを
えず)必要だ」と指摘され、53年6月1日には米軍基地反対運動に「現実を
忘れた理想論ハ困る」と常識的見解を示された。

こうして明らかにされた昭和天皇のお気持を知って、日本国の在り方に責
任を持とうとするそのお姿には感銘を受ける。だが、国民も政府も慎重で
なければならない。日本は立憲君主国で、君主たる天皇は君臨はするが統
治はしない。何人(なんぴと)も天皇の政治利用は慎まなければならない
からである。

そもそも側近の日記がこのように、公開されてよいのかと疑問を抱く。こ
れまでも多くの側近が日記やメモを公開してきたが、天皇に仕えて見聞し
た、いわば職務上知り得た情報の公開には極めて慎重でなければならない
はずだ。公開されれば当然、私たちは強い関心を持って読む。しかし、そ
のようなことは、側近を信頼なさった天皇への裏切りではないか。こんな
ことで皇室、そして皇室を戴く日本は大丈夫か、国柄はもつのかと問わざ
るを得ない。皇室に仕える人々のルール作りが必要だ。
『週刊新潮』 2019年9月12日号 日本ルネッサンス 第866号




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「青い山脈」の頃
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   渡部 亮次郎

恥かしい話を書く。多分生まれて初めて観た劇映画が「青い山脈」であ
り、昭和26(1951)年の早春、新制中学を卒業寸前の15歳、教師引率で、町
の映画館で観た。

もちろん白黒。公開されて既に2年経っていたらしいが、それは今になっ
て調べて分かった事。町と言いながらド田舎だったのである。

昭和の御世。15歳まで映画も観られなかったとは万事、貧しかった。
もっとも戦争中は見ようにも映画が製作されてなかったらしい。

映画「青い山脈」(あおいさんみゃく)は石坂洋次郎原作の日本映画。
1949年・1957年・1963年・1975年・1988年の5回製作されたが最も名高い
のは1949年の今井正監督作品である。私の観たのがこれだ。

主題歌の『青い山脈』は日本映画界に於いて名曲中の名曲ともいえる作品
で、過去の映画を紹介する番組などでは定番ソングともなている。2007年
10月24日のラヂオ深夜便で久しぶりに聴いたので映画の事を思い出したの
である。

西條八十(やそ)作詞、服部良一作曲の名曲。映画を見たことが無い人でも
歌だけは歌える人が多い。また映画ではラブレターで「戀(恋)しい戀し
い」というところを「變(変)しい變しい」と誤記してしまうエピソード
は大いに笑わせた。

長編小説『青い山脈』は1947年に「朝日新聞」に連載。

東北の港町を舞台に、高校生の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた
青春小説。また、民主主義を啓発させることにも貢献した。

私は新憲法は中学生ながらに全文を読んだが、民主主義の実際については
「青い山脈」に教えられた。

1949年に原節子主演で映画化され、大ヒットとなった。その3ヶ月前に発
表された同名の主題歌も非常に高い人気を得た。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石坂洋次郎(いしざか ようじろう 1900年1月25日―1986年10月7日)は、
小説家。青森県弘前市代官町生まれ。戸籍の上では7月25日生まれになっ
ているが、実際は1月25日生まれ。

弘前市立朝陽小学校、青森県立弘前中学校(現在の青森県立弘前高等学校
の前身)に学び、慶應義塾大学国文科を卒業。1925年に青森県立弘前高等
女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)に勤務。

翌1926年から秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学
校)に勤務。1929年から1938年まで秋田県立横手中学校(現在の秋田県立
横手高等学校)に勤務し教職員生活を終える。

『海を見に行く』で注目され、『三田文学』に掲載した『若い人』で三田
文学賞を受賞。しかし、右翼団体の圧力をうけ、教員を辞職。戦時中は陸
軍報道班員として、フィリピンに派遣された。

戦後は『青い山脈』を『朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり、
「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となる。数多くの映画化、ド
ラマ化作品がある。

他に、『麦死なず』『陽のあたる坂道』『石中先生行状記』『光る海』など。

「青い山脈」では作者は青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中
央高等学校)の教師であった。当時疎開中の女子学生達から聞いた学校生
活をこの小説の題材にしたと思われる(「東奥日報」2005年8月15日新聞
記事による)。

この記事は間違っている。現在の青森県立弘前中央高等学校の教師であっ
たのは1925年(大正14年)であって「当時疎開中の女子学生達」とは何の
ためにどこから疎開してきたのか。東奥日報の我田引水もいい加減にしろ。

閑話休題。1949年版映画のスタッフ。監督:今井正、脚本:今井正、井手
俊郎、音楽:服部良一。作曲を電車の中で、数字で作曲していたら、折か
らの闇物資を売買する闇商人に間違えられた、という作り話のようなエピ
ソ−ドがある。

主なキャスト 島崎先生(女学校の教師):原節子、沼田校医:龍崎一郎
、金谷六助(旧制高校生):池部良、寺沢新子(女学生):杉葉子、 ガン
ちゃん(旧制高校生):伊豆肇、 笹井和子(女学生):若山セツ子、梅太
郎(芸者):木暮実千代だった。

2007年、『映画俳優 池部良』が出版される。2007年2月、東京池袋の新
文芸座のトークショーにて、その本の編集者から「青い山脈の時に31歳で
したが…」と池部が質問され、

実は1916年生まれで当時33歳なのに『青い山脈』の18歳の高校生の役を
渋々受けたことや原節子先輩からガリガリに痩せていたため「豆モヤシ」
という迷惑なあだ名をつけられたり、原節子の尻をデカイと本人の目の前
で口を滑らせたために 張り手を食らいそうになったりといったエピソー
ドを話している。

「ウィキペディア」による誕生日は1918年2月11日(建国記念の日)89歳
 血液型B型となっているが、池袋の新文芸座のトークショーでの「実は
1916年生まれ」だとすると92歳(2008年6月現在)になってしまう。映画俳
優協会の理事長としてご活躍中ということで不問にしよう。

この作品は藤本プロと東宝の共同作品となっている。著作権の保護期間が
終了したと考えられることから現在激安DVDが発売中(但し監督没後38年以
内なので発売差し止めを求められる可能性あり)。出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

この映画を観た当時は大東亜戦争の敗戦から未だ6年。人口数千人の町に
よく劇場があったものだが、小中学生の映画鑑賞は禁じられていたし、カ
ネも持っていなかったから観たいとも考えなかった。

出来て間もない中学校では野球に夢中。3年になったら主将に指名され
た。投手で4番打者。校舎の中では生徒会長でもあったから忙しかった。
家では教科書を広げる事はなかった。

中学校も間もなく卒業という春、秋田は3月と言っても当時は雪の降る日
があった。ゴム長靴にアメリカ軍払い下げのオーバーを着て寒さに耐えな
がらの映画鑑賞。

生まれて初めて観る映画だったはずだが、あらすじも画面も、未だに思い
出せるところをみると興奮はしていなかったようだ。後年、父親を映画に
誘ったら「暗くて厭だ」との感想。

明るくとも見える映画といえるテレビがド田舎にも普及したのは「青い山
脈」を見てから10年以上経っていた。ましてあの頃、テレビ会社(NHK)に入
社(記者)するとは夢にも思わぬことだった。

恥かしくて退屈な思い出話。御退屈様。2007・10・25執筆


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たかるだけの国
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  高山 正之 

儒学者、雨森(アメノモリ)芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」とな
るか。

若宮とは朝日新聞の主筆だった人。北京のホテルで変死したことと「いっ
そ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたことで人々の記憶に
残っているかも知れない。

とにかくあの国が好きだった。そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に
会ったことだ。社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。

そのあとはもう韓国贔屓のネタばかり書いた。

1995年には、日本開催が決まっていたサッカーW杯を「韓国と共同開催に
せよ」と社説に書いた。

朝日に盲従する宮沢喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。

しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。

決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった。

若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。

それだけじゃない。閉会直前に9・11テロが起きてそれに伴う不況のさ
ざ波で競技場を建てるカネもなくなった。

やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億
ドル融資を強いられた。

かくて開催されたものの韓国人のラフプレイと審判買収で「最も汚いW
杯」の汚名だけが残った。

若宮は韓国と同じくらい女にも入れ揚げた。その醜聞を手土産に退社後、
念願の韓国の大学の先生に納まった。変死するまではいい人生だった。

雨森芳洲は男色という一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人
生の軌跡は似ている。

彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳のとき釜山の倭館に派遣されて生の朝
鮮を見た。若宮が金日成に会ったのと同じ歳頃で、同じようにのめり込ん
でいった。

その頃の李氏朝鮮は貧困の極みにあった。だから徳川将軍の代替わりがあ
ると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。彼らは丸一
年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸
までかっぱらっていった。

老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減する
よう命じた。ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするように朝鮮
側に求めた。幇間並みに扱った。

このとき通信使の接待役が芳洲だった。

朝鮮人に生まれたかったと、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処
置に怒りまくった。

二人の応酬はホントに激しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。

最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝
えた。世にいう易地聘礼(エキチヘイレイ)だ。

二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での
質素な供応を最後に二度と来なくなった。

 先日の天声人語がこの雨森芳洲を取り上げていた。

今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟み
になった」芳洲が半白になるほど苦労したと書き出す。

いや日本は体面などどうでもいい、大所帯で押し掛けて、接遇に100万
両もかかるたかりをやめてくれと言ってるだけだ。

コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と
冗談も理解できない。ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気に
なっている。

それに通信使側はたかっておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄え
るは嘆くべし恨むべし」(金仁謙『日東壮遊歌』)と感謝の気持ちもな
い。デフォルトを救ってやったときと同じだ。ここは誰もが白石の対応を
褒めるだろう。

コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実をもって交わること」という芳
洲の言葉で結ぶ。

それは日本が百歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、カネだ
け失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。

日本人読む新聞に載せるのは失礼ってものだ。

出典:『週刊新潮』2019年9月19日号 【変見自在】たかるだけの国
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文さん採録 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



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重 要 情 報
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◎【真・人民日報】米中貿易協議で中国が「大物」投入か 懸念される2
つのシナリオ、脱米で日本に冬の時代到来

8月の末、北京で会った人物は、今後の米中経済戦争の見通しについて、
こう声を潜めた。

「中国は、トランプ政権との貿易協議の責任者として王岐山(おう・きざ
ん)国家副主席を投入することを検討し始めたようだ。もし、そうなれば
中国の本気度は確実に伝わる。劉鶴(りゅう・かく)副総理へのダメ出し
というわけじゃないが、11月までに大きな山があると踏んでいるじゃな
いだろうか」

ただ一方では、「安易な合意よりも、一度は双方がルーズルーズによって
被る損害の大きさを、米中それぞれの国民が冷静さを取り戻すまで、徹底
して関係を悪化させるのも、長期的にはかえってメリット」だとの考え方
も働いていて、決断は持ち越されているという。

王岐山といえば、中国共産党中央規律検査委員会書記として反腐敗に辣腕
(らつわん)を振るったイメージが強いが、習近平政権がスタートする以
前は、金融の専門家として経済を担当。世界銀行やIMF(国際通貨基
金)など国際機関のトップとの交流も深く、アメリカにも友人が多いこと
で知られる。

米中貿易摩擦が本格的に火を噴いた直後の2018年10月にはイスラエ
ルを訪れ、翌月には訪中したヘンリー・キッシンジャー元米国務長官と北
京で会談した。いずれも、米中の火消し役としての動きだったと解釈された。

大統領選挙を見据え、さらに年末のクリスマス商戦への影響を低く抑えた
いとすれば、米中の合意の期待が高まるのは、秋である。加えて米中首脳
が顔を合わせるAPEC(アジア太平洋経済協力)で進展を望むのであれ
ば、それに向けた調整は、いまから始めないと間に合わない。そんな計算
が働いたのかもしれない。

だが、大物投入となれば、中国の合意への意思は伝えられるが、一方で失
敗すればダメージは大きい。メンツの問題にも響き、中国が交渉から一気
に引いてゆくことも考えられる。

 懸念されるシナリオはおおむね2つだ。

 1つは、ドナルド・トランプ大統領が、「中国には強硬姿勢で臨むべ
し」と主張する人物の意見を取り入れ、次なる圧力をちらつかせて譲歩を
迫るというシナリオだ。この場合、物別れに終わったベトナムでの米朝首
脳会談の二の舞いとなること間違いない。そしてもう1つのシナリオが、
トランプ大統領がいったん、習近平国家主席と合意に至るも、アメリカに
持ち帰った後に、合意がひっくり返されるというパターンだ。

 懸念が払拭できない以上、中国はトランプ大統領との合意ができるか否
かにかかわらず、やはり緩やかな“脱米”に向かわざるを得ない。

 それは日本経済にとっても冬の時代となる。

米中貿易戦争で中国の投資が振るわなければ日本経済の強さの象徴であ
り、また稼ぎ頭でもある電子部品や自動車部品の対中輸出が滞ることは避
けられない。同時に、円高を招いて日本からの輸出品にダメージがおよ
び、株価も下落する。

何より、円高は日本への旅行にブレーキをかけかねない。

 その意味では王岐山に交渉の窓口に出てきてもらいたいものだ。

 ■富坂聰(とみさか・さとし) 拓殖大学海外事情研究所教授。
1964年生まれ。北京大学中文系に留学したのち、週刊誌記者などを経
てジャーナリストとして活動。中国の政・官・財界に豊富な人脈を持つ。
『中国人民解放軍の内幕』(文春新書)など著書多数。近著に『中国は腹
の底で日本をどう思っているのか』(PHP新書)。

【ZakZak】 2019.9.11 〔情報収録 − 坂元 誠〕



◎私の感性はアメリカの影響を受けている:前田正晶

私が言わば副業的に物書き業に入っていったのは1990年4月頃だった。そ
の時までは全く「書くこと」について何の勉強もしたことがないずぶの素人
以下だったが、紙パルプ業界専門出版社の編集長に「何を書いても結構で
すから」と言われ、無謀にもその気になって月2回の連載を始めてしまっ
たのだった。即ち、自分が書いたものが活字になって多くの方に目に入っ
ていく事態になったのだった。

この時はエッセイというか軽い読み物として月2回刊行の専門誌に「この
向こうにアメリカとは如何なる国かが見えてくれれば良いか」という狙い
もあって、思い浮かんでくることを書き連ねていただけだった。他にはア
メリカの視点から見た業界の評論の如きものも頻繁に寄稿していた。

その頃長男に言われたことが「本人を知っていて、そういう人物ではない
と承知しているから言えるが、活字になった文章を読んだ方にはかなりの
硬派で愛国主義者的な人だと思われるだろう。とんだ誤解だがね」と言わ
れた。何を言っているのかピンとこなかった。

次いで今となっては30年を超えるお付き合いをして頂いている某私立大学
法学部のT教授には「永年アメリカの会社で過ごす間に磨かれた感性で書
いておられる愛国者だと理解しております」と言われた。

2000年代に入っては初めてお目にかかる機会を得たメールマガジン主宰者
には「会ってみて優しい人だったので安心した」とも言われてしまった。
私は主宰者のこの一言は長男が言う「書いたものを見れば硬派と思われる
のでは」を裏書きしていると解釈したのだった。

私が長い間のアメリカの会社でアメリカの思想信条と思考体系と文化の下
で彼ら(と自分の職安全)の為に働いてきた経験と、A型である事による
批判的な物の考え方に基づいて発表する意見は、屡々アメリカナイズされ
た物の見方が理解されないか、意図しなかったように解釈されるか、批判
乃至は反論されてしまう結果になることは非常に残念だと思っている。

尤も、そういう結果になる原因に「表現が曖昧で、断言してないからだ」
との意外なご指摘もあったのだ。そこで、あらためて私の考え方が何故そ
うなったかを振り返ってみようと思う次第。

私自身が認識していることは、22年半にも及んだ異文化のアメリカの会社
でアメリカの為に働いていたことと、終戦直後から英語で自己を表現する
アメリカ式な思考体系の中でも育ってきたことが、今日までの私の思考体
系に大きな影響を与えていた点なのである。

特にウエアーハウザーを1994年1月末にリタイアするまでの最後の10年間
は、明らかにアメリカ人たちの思考体系で「日本語でではなく、明らかに
英語で物を考えねば間に合わない」という世界で過ごしていた。言うなれ
ば、良いことかどうかは別として、アメリカ系日本人のような思考体系に
なっていたと自覚している。

私は英語で語り且つ文章を書く際には、英語の特徴であり我が国にはあり
得ない二進法的思考(断定的に言う)が自然に働くようになっていて、断
言する表現を多用するようになっていた。だが、一旦自国語に戻ると、
チャンと「ここまで書けば後は言わずとも先方は解ってくれるだろう。以
心伝心はあるだろう」のような日本語の思考体系なってしまうことが多い
のだ。それは当然で公私両面で二つの言語を操る以上、頭の中で使い分け
が出来ないことには、私は日本人ではなくなってしまう危険性があり、私
は如何なる時でも「日本人であり続けよう」と努めてきた。

その辺りを同僚たちに言わせると「君はその着ている物、話している英
語、仕事の進め方を見れば明らかに我々の仲間だとしか思えない。だが、
よくよく観察してみれば、君は明らかに骨の髄まで日本人だった」となる
のです。事の序でに「骨の髄まで日本人」を英語では“You are Japanese
to the core.”だったと記憶する。

頭の中で日本語から英語、更にまた日本語と常にギアを切り替えて話すよ
うに努めている為に、日本語にシフトした途端に英語の場合のように断定
や断言することを避けてしまう傾向が出て来たのだ。即ち、日本語から英
語に切り替えれば、二進法的な断定的な考え方になるという具合。このよ
うに切り替えて考えることは、英語を学ぶ場合では非常に重要な要素だと
長年述べてきた、念の為。

日本語と英語の間にある違いの例として挙げておきたいことは「我が国の
文化というか仕来りでは会話の中にユーモアというか諧謔的なことを言う
のは非礼であるし、不謹慎であると捉えられるのが普通であるが、英語で
はビジネスの席でも一般的な会話でも何時何処でユーモアと冗句が飛び出
してくるかが解らない」点があると思う。

具体的な例を挙げておくと、私が最初に移ったM社の日本代表だった故M氏
などは普段は言わば謹厳実直な方だったが、一度native speaker並みの英
語で話し始められると、ユーモアに溢れた表現の連発で人が変わったよう
になってしまうのだった。

私はアメリカの文化と思考体系等の我が国との明らかな相違点とその実情
を、ごく一般的な同胞より少しは余計に経験し認識している者だと自負し
ている。同時にその経験に基づいて、内側からアメリカとそのビジネスの
世界、アメリカ人たちの物の考え方を、飽くまでも我が国と対比して解説
し、時にはかなり手厳しく批判もしてきた。改めてお断りするまでもな
く、私の主張はアメリカの会社で彼らの一員として彼らと共に仕事を推し
進めてきた経験に基づいているのだ。極端に言えば「日本人としての視点
で見ているのではない」とでもなるだろうか。

私は誰もが承知しているだろう、アメリカに数多ある我が国にはない優れ
た点を今更採り上げて礼賛する意図はない。これまでは両国の会社を経験
したが故に見えてきた相互の相違点を取り上げて比較してきた。故に、今
回も自分で学びとったアメリカの長所も礼賛をして来なかった。だが、ア
メリカが世界でも最も優れた良い国である事を疑いもない事実だと認める
に吝かでない。

私はアメリカは我が国以外で最も好ましく永年親しんできた国ではあって
も、アメリカに永住する気があったかと尋ねられれば、断固「ノー」と言
うだろう。何分にも自動車の運転が出来ないことも一つの理由であるから
だが、それだけが理由ではないと申し上げて終わる。

◎安倍改造内閣についての私の感想:前田正晶

私はこれまでの何度かの改造を見ていると、第2次というのか民主党政権
から自民党に戻った時の閣僚の顔触れが、最も優れていたと思えてならな
い。そして、改造される度に質が落ちた閣僚が入ってきたように見えて仕
方がなかった。そこには党内の事情等々色々な背景があったのだろうが、
しなくても済む改造で、言わば改悪かなと見ていた。専門家の先生方は未
だに政治を志す者は「何時かは大臣になることを夢見ている」と解説され
る。だが、果たしてその適性とそれに相応しい見識があったかと思う大臣
が増えたのは否定出来ないと思う。

そこで今回の安倍政権最後かとも言われている改造だが、野党と海外の
諸国、就中韓国等の毎回決まり切ったように言う悪口は放っておけば良い
ので、それを採り上げて報じるマスコミも如何なものかと言いたくもな
る。彼らは最側近の人たちを入れたというが、もしも4期目がないと言う
か総理にその意向ないとすれば、今日までそばにいて支えてくれた能力あ
りと評価されてきた「お友達」を起用されたのには、不思議はないのでは
ないかと思っている。

総理が閣内に止めるとされた河野太郎氏、茂木敏充氏は使ってみても能
力ありと評価されて横滑りの処置を執られたのだろう。私は茂木氏がアメ
リカのライトハイザーUSTR代表とのさぞかし大変だっただろうと思って見
ていた交渉を、あの線で纏め上げられたのをみて凄い手腕と能力の閣僚
だったのかと思っている。11日のPrime Newsでは笹川氏が「能力は素晴ら
しいが人望がないと言われるのは下に対して厳し過ぎるからで、派閥の顧
問としては忠告している」と言っておられたのが印象的だった。

私は対外的な交渉能力と組織の上に立って統率する能力とは別物だと思
うが、茂木外相がどのように能力と手腕を発揮されるかに注目したい。茂
木氏はハーバードで行政学修士をとっておられるので、英語力にも期待し
ても良いかと。河野新防衛相にも同じような見方ができるかと思っている。

私が唯一少し気になるのが橋本聖子氏のオリンピック担当大臣への起用
である。現時点ではマスコミも適任などと言っているが、私は各種の競技
団体の会長や幹部たちのその業界を離れて衆目に曝された時に見せた醜態
を何度も批判してきた。それは如何に優れた運動選手であっても、その限
定された世界に中だけに止まっていたのでは一般社会とは途絶された存在
になってしまうと言うこと。極端な例が相撲協会であろう。私は「彼らは
長い歴史と伝統の下にある異文化の世界に生きてきた人たちの集団で、一
般社会の常識と尺度で彼らを批判するのは無意味」と指摘して来た。



橋本氏もオリンピックピックで3位に入賞されてメダルとやらを獲得され
た輝かしき選手としての実績がある。だが、中央官庁のような大きな組織
の上に立たれた経験があるのかなと危ぶんでしまいたくなるのだ。後難を
恐れずに更に言えば、山下JOC会長と同様の個人競技のご出身である点
だ。参議院議員5期の政治経験に期待しよう。



安倍新内閣には色々と期待したい事案があるが、どうしても即座に思い浮
かぶのが「対韓国問題と言うか、あの国との関係」である。世論の動向を
マスコミが報じるままに見れば最上位に来るのが「社会保障」だそうだ。
私はそういう問題も非常に重要だとは思うが、日々変化し難しくなってい
く一方の国際情勢に対する対応には、海外向けの広報宣伝活動の強化とと
もに機敏に臨んで頂きたいと願っている。



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身 辺 雑 記  
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13 日の東京湾岸は曇天。

12日の東京湾岸は快晴。セミ時雨を聴きながら家人に乗ってもらった車椅
子を転倒防止用に押しながら都立猿江恩賜公園を散歩した。









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