政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針5159号 2019・9・6(金)

2019/09/06


□■■□──────────────────────────□■■□
 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5159号
□■■□──────────────────────────□■■□

        
 
       2019(令和元年)年 9月6日(金)



        ロシアの同胞的同盟国の中枢を訪問:宮崎正弘

           「わが祖国」を聴きながら:渡部亮次郎

     香港危機、日本は北京に厳しく警告せよ:櫻井よしこ
               

                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

         御意見・御感想は:ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
        下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/
    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/
                         

━━━━━━━━━━━━━━━━
ロシアの同胞的同盟国の中枢を訪問
━━━━━━━━━━━━━━━━
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)9月4日(水曜日)弐
       通算第6185号   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ボルトン補佐官、ロシアの同胞的同盟国の中枢を訪問
  ルカシェンコのベラルーシへ米国高官訪問は20年ぶり
**********************************

 ジョン・ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障担当)は、先週から東 欧四カ国を訪問している。とくにウクライナでは航空機エンジンのモトー ル・シーチ社を狙って中国が株式の過半を買収しようとている動きに「重 大な関心がある」として、直近の中国の「借金の罠」を説明した。

その後、ボルトンはベラルーシを訪問し、ルカシェンコ大統領と会談し た。ブレジンスキー補佐官以来の米国高官のベラルーシ訪問であり、20 年以上の空隙があった。

最近、ルカシェンコはエネルギー問題でモスクワの態度に立腹、ロシアか ら距離をおく政治的動きを見せていた。

またモルドバを訪問し、親米的な新首相(女性)と友好的な雰囲気の中で 会談した。モルドバは国内に親露のドリエステ自治区を抱えており、付近 は治安が悪いうえ、隣接するのがウクラナイナのオデッサ港。ルーマニア との合邦は民族的理想の目標だが、現実は夢想に近い。

ボルトンは最終訪問地のワルシャワに入り、同国のファーウェイのスパイ 逮捕や5G基地局の関連などを突っ込んで話し合うと見られる。ポーラン ドは政府調達からファーウェイを外したが、民間でのスマホ市場では中国 製品が溢れている。

ボルトンの旧東欧、とりわけウクライナ、ベラルーシはソルジェニツィン が言ったように「スラブ兄弟国」であり、加えてのモルドバ、ポーランド への米国政府高官の訪問はプーチンにとっては愉快なことではないだろう。
     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  菅原道真はなぜ遣唐使廃止を建言したのに失脚したのか
   太宰府での禊ぎ、怨念は天変地異をもたらしたという伝説

  ♪
松本徹『六道往還記、天神の道・菅原道真』(鼎書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

松本徹全集第5巻である。この巻に納まった作品のなかで、前者の『六道 往還記』については、嘗て小覧で紹介した。

したがって本稿では、菅原道真に絞ってみたい。

 評者(宮崎)が小学、中学の頃、学生服着用だったが、かならず「管 公」か、「楠公」ブランドだった。管公は学問の神様、楠公は日本武士道 の象徴。それほど親しまれた。楠公像は皇居前広場にあり、神戸へ行けば 湊川神社に祀られている。

菅原道真を祭る神社と言えば、京都の北野天満宮だけではない。天神とい う地名も、天満宮も日本中にある。評者の街のなかにも天満宮があり、受 験シーズンとなると境内に合格祈願の絵馬が溢れだす。全国に天満宮は無 数、総本山は京である。

それほど尊敬を集めている歴史上の英雄であるのに、菅原道真の人とな り、その作品を知る人はそれほど多くはない。

道真は第一に文章の達人であった。漢詩をこよなく愛し、作詩する一方 で、和歌にも大きな足跡を残した。

漢詩と和歌の天才というのは、その唐風にあきたらず和風に力点を置きつ つバランスを取ったという意味だけではない。しかし道真は和歌の天才歌 人として、現代に伝えられている。漢詩も多く残したという側面を知らな い人が多い。

当時の日本の文化、芸術、言語的環境は、唐風に染まっていた。いまの日 本で言えばグローバリズムに染まっているような他律的精神環境があった。

古事記、日本書紀は漢字で書かれているが、古事記は大和言葉を、漢字を 借用しているのに対して日本書紀は最初から漢文、中国語である。
 ひらかな、カタカナの発明は道真の後の時代である。

松本氏はこう書く。

「この時代、公の文書はあくまで漢文であり、政務を公事たらしめる要の 役割を担っていた。漢字という異国の文字を綴って文章とすることが、こ の国の政治的体制を築き、定め、かつ、動かすことに直結していた」 (239p)。

変化が起きた。日本文化、文学の変容だった。
 
「宇多天皇の関心は、漢詩から離れることはなかったが、唐風一色の朝廷 の在り方に飽きたらぬものを覚え、かつ、後宮の女たちの好みの変化をう けて、この国土に根差した、より自らの感覚に添った催しや歌に関心を向 けるようになっていた。それに対して道真は、讃岐での日々における自ら の『詩興』の変化を自覚して、その展開を考えながら、適確に応じて行っ たと、と捉えてよかろう」(253p)

遣唐使廃止の建言に至る心境、芸域の変化を下記のようにまとめられる。
 
前提として宮廷の文化的感覚の変化、服装、装飾から絵巻もの、角張った ものをさけ、きつい色彩を遠ざけ、「なよやかな優美さを追求するように なっていた」。

ゆえに、「このような変化を公式に、きちんと認めるのに、遣唐使の廃止 決定ほど相応しいものはなかったろう。(中略)これは或る意味では、道 真自身が拠って立つところを、自ら掘り崩す方向へ時代を導くことでも あったのも確かであった」(266p)

道真の失脚は、遣唐使廃止が原因ではなかった。

あまりに顕然と出世しすぎたことが、ライバル達の嫉妬を倍加させ、加速 させ、讒言を呼び込んだと考えられる。

令和日本の現代。太宰府にある天満宮は参道に人が溢れるが、驚くことに 多くが中国人ツアーである。遣唐使を廃止した日本の英雄を、なぜ中国人 が拝みに来るのか訝しい現象だ。まして日本の神道の意味もわからずに、 名所だから立ち寄って、要するに土産を買うのが目的である。

太宰府政庁跡にも観光客が溢れだした。日頃、観光コースから外れた場所 であり、地面があるだけで、訪れる人が少ない、というよりいない。政庁 跡地という看板と、柱の跡くらいしか残っていないからである(ただし菅 原道真は太宰府に「左遷」され、蟄居を命じられていたため、政庁にも 通ってはいない)。

さて道真の出生地と伝承される場所は6つも7つもある。「ここが管公生 誕地だ」という伝説となった土地があり、じつは特定されていない。

松本氏はまず、出生地伝説の土地をたずねる。この作品は旅日誌風であ り、ともかく菅原道真が辿ったすべてを巡礼の如く、思いを込めて巡るの である。果てしなく歩き、その現場にたって、土地の風を、土地の匂い を、そして土地の人々の会話を通じて、一歩でも実相に近付こうという、 一種ルポルタージェ技法を用いての、道真論である。

出生地から、京都での自宅跡地、讃岐赴任時の旅路、讃岐の住まい。そし て太宰府に左遷となって船で瀬戸内海を各地に寄港しながら尾道、防府と 一ヶ月かけた失意の旅の跡を、克明にたどりながら、松本氏は残された歌 を思い出し、解釈し直し、そのときの道真の心境に迫ろうとする。まさに 意欲的な労作である。文学論でもありながら、この本は評伝の域を超えた 歴史志操を中軸に置いている。思想ではない、「志操」である。

道真の生涯は、言ってみれば志操で一貫した。

幼きときから文章の才能を見出されて天皇の側近として政治にかかわりな がらも、俗世の出世、嫉妬、派閥争いには恬淡として距離を置き、だから こそ疎まれ、嫉妬され、讒言された。

ところが道真は百年後には神となり、天皇が参拝に行くことになった。

           
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 訃報
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ▲●■▲
佐藤雅美(さとうまさよし)氏
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

直木賞作家の佐藤雅美氏が7月29日死去された。享年78。

筆者は彼と3年ほど会っていなかった。佐藤氏は『大君の通貨』で文壇に 鮮烈デビュー。その後、独自な味わいのある捕物帖などでベストセラー作 家となる。そんな佐藤氏を紹介してくれたのは西尾幹二氏で、当時、江戸 時代の通貨改革等で辣腕をふるった新井白石や荻生?来などの研究会が あった。江戸時代の経済情勢など佐藤氏は学者でもないのにやたら詳しい 人だった。

伊東に引き籠もっての執筆活動で、伊豆から都内の会合にでるときはホテ ル泊まりだった。夕方から酒をはじめ、早寝が得意というのは筆者とたい そう意見が合い、ちなみに「何時に寝るのか?」と聞くと「午後5時」の 由。いくらなんでも早すぎますね、と言いあった会話を思い出す。

意外な逸話は昭和45年、三島事件の直前に佐藤氏は(たぶん『週刊現代』 の取材で)、馬込の三島邸を訪問した経験があり、インタビューがおわっ て帰ろうとすると「もう、帰るのかね?」と三島由紀夫から引き留められ た逸話を披露されたことがある。

それで、筆者は佐藤氏に『憂国忌』の発起人をお願いしたのだった。
 合掌。



━━━━━━━━━━━━
「わが祖国」を聴きながら
━━━━━━━━━━━━


          
       渡部 亮次郎

高く済んだ秋空の下(もと)、ひさしぶり、MDでスメタナの「わが祖国」 を聴きながら、落葉で金色に輝く公園の道を散歩した。いつもは「ラジオ 深夜便」の録音を再生したのにつづいて聴くのはモーツアルトかベートー ヴェンなのに。

なにか壮大で厳粛な気分に浸ることができるからである。とても演歌や フォークソングではこうは行かない。祖国、国土、独立、さらに故郷の風 物への愛を強烈に感じる。

連作交響詩『わが祖国』 (わがそこく、Ma Vlast) は、ベドルジハ・スメ タナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響 詩から成る。スメタナは聾唖者になっていた。

全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にあ る会場で行われた。この曲は、近来、毎年行なわれるプラハの春音楽祭の オープニング曲として演奏されることが恒例になっている。

1 ヴィシェフラド  2 ヴルタヴァ  3 シャールカ  4 ボヘミアの牧場 と森から  5 ターボル  6 ブラニークの6曲から成るから、通しで聴け ば1時間20分ぐらいかかる。

音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、ある貴族の家の音楽教師の 座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受 け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)となるが、作曲活動を続け、この 出来事の後に書かれた代表的な作品が『わが祖国』である。

1 ヴィシェフラド
『高い城』とも訳される。かつてボヘミア国王の住んでいた、プラハの大 きな城が描かれた作品。1874年に作曲された。吟遊詩人が古代王国の栄枯 盛衰を歌う、という内容である。

この作品の冒頭に現れ、全曲を通じて繰り返し用いられる旋律の最初の部 分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭)が音として刻まれている。

2 ヴルタヴァ 『モルダウ』の名で知られる。一連の交響詩群の中で最 も知られた作品であり、単独で演奏されたり、録音されることも多い。ヴ ルタヴァ川(モルダウ川)の、源流近くからプラハへと流れ込むまでの様 子が描かれている。1874年に作曲された。 スメタナの故郷を思う気持ち が現れている。

3 シャールカ 1875年に作曲された。シャールカとはチェコの伝説に登 場する勇女の名である。恋人に裏切られたことによって男への復讐を決意 した、という。そのシャールカが男の兵士達を策略にはめて皆殺しにす る、という(男性にとっては首筋が寒くなる)内容である。

4 ボヘミアの牧場と森から 1875年に作曲された。ボヘミアの美しい風 景を音楽としたもの。途中、ドイツ風の歌やボヘミア風の歌といった民族 的な旋律も現れる。

5 ターボル 1879年に作曲された。ターボルとはボヘミア南部の町の名 である。フス派の人々の拠点であった。フス派の戦士の不屈の戦いを描い ている。彼らの間で歌われたコラール『汝ら神の戦士たち』が用いられて いるが、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

6 ブラニーク 1879年に作曲された。ブラニークとはボヘミア中部の山 地の名である。その山々の深い森の中にて1000年前のチェコ民族の守護聖 人と勇士達が眠っており、チェコ民族が存続の危機に瀕した時に彼らがよ みがえって救いの手を差し伸べる、という伝説がある。

曲は、邪悪に覆われた祖国をその勇士達が勝利を収めて解放する、という 内容である。

ベドジフ(またはベドルジハ、ベトルジヒ)・スメタナ(Friedrich) Smetana, 1824年3月2日― 1884年5月12日)

ビール(チェコ・ビール)の醸造技師の息子として、ボヘミア北部のリト ミシュル(Leitomischl)に生まれた。若い頃にピアノとヴァイオリンを 学び、家族の参加していた趣味的な弦楽四重奏団で演奏していた。

父親の反対にも拘らず、音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、あ る貴族の音楽教師の座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストか らの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)になっても作曲をつづけた。のち 1884年に正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で生涯を終え た。ヴィシェフラトの有名人墓地に葬られている。

スメタナは、明確にチェコの個性の現れた音楽を書いた最初の作曲家であ るといわれる。そのため、チェコ国民楽派 の開祖とされる。

彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』 は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを 多用している。

また、彼の旋律は民謡を彷彿とさせる。同じ様にチェコの題材をその作品 中に用いた作曲家として知られる アントニン・ドヴォルザークに大きな 影響を与えた。

主な作品

歌劇
『ボヘミアのブランデンブルク人』(1862)
『売られた花嫁』(1863)
『ダリボル』(1867)
『リブシェ』(1872)
『二人のやもめ』(1874)
『口づけ』(1876)
『秘密』(1878)
『悪魔の壁』(1882)
『ヴィオラ』(未完)

管弦楽曲
祝典交響曲 作品6(1853)
交響詩『リチャード三世』(Richard III)作品11(1857-58)
交響詩『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858-59)
交響詩『ハーコン・ヤルル』(Hakon Jarl)作品16 (1861-62)
連作交響詩『わが祖国』(Ma Vlast)(6曲)(1874-79)
祝典序曲 ニ長調 作品4(1848-49)
プラハの謝肉祭

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876)
弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83)
ピアノ三重奏曲ト短調作品15(1855)
『わが故郷から』(ヴァイオリンとピアノのための、2曲)(1880)

「わが祖国」の初演から100年に当たる1982年に、記念演奏会が東京で開 催された。(演奏は、ヴァーツラフ・ノイマンの指揮によるチェコ・フィ ルハーモニー管弦楽団)同公演はライブ録音され、翌年レコードとして発 売された。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2007・11・14




━━━━━━━━━━━━━━━━━━
香港危機、日本は北京に厳しく警告せよ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━


             櫻井よしこ

1週間前の8月18日、香港で170万人、住民の約4分の1に当たる群衆が街路 を埋め尽した。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」 改正案に反対するデモだ。参加者数は凄まじかったが、デモは全体的に統 制がとれており、香港人は中国政府の非民主的香港政策を拒否するとの強 いメッセージを、全世界にきちんとした形で伝えた。

人口750万の香港は14億の北京に力で勝てるはずはなく、国際社会の道理 を味方にするしかない。香港人は国際社会の賛同を得るべく、また北京政 府につけ入る隙を与えないよう、街頭活動も暴力的局面に至る前に、さっ と退いている。

ところがその1週間後の25日、香港警察はデモ隊に初めて発砲し、人間を 吹き飛ばす程の水圧で鎮圧する放水車も初めて導入した。

発砲の理由を、香港警察は26日未明の記者会見で、「生命の危険があり、 6人の警官が拳銃を抜いた」、「うち一人が空に向けて威嚇射撃した。必 要で適切な行動だった」とし、発砲を正当化した。だが、説明をそのまま 受け入れることはできない。

北京政府は強い力で香港の自治権と香港人の自由剥奪を試みる。デモ終息 に向けて軍事介入も止むなし、の方向に向かっている。この決定は、8月1 日から11日まで開催された北戴河会議で定められた。「産経新聞」外信部 次長の矢板明夫氏が語る。

「10日余りの会議の前半はかなり紛糾して、長老たちが習近平を批判した といいます。米中貿易戦争も香港問題も何ひとつ上手くいっていないから です。しかし長老たちにも名案はない。10月1日の建国70周年も近づいて くる。それまでに香港問題を解決しなければならない。それで軍介入とい う強硬手段も仕方がない、という結論になったのです」

その場で反対したのは朱鎔基元首相ただ一人だったという。北戴河会議に 出席する長老たちには香港問題の早期解決を欲するもうひとつの理由がある。

香港人を悪者にする

たとえば温家宝元首相の息子やその妻らが香港利権にどっぷり浸かってい る事例が2012年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙で特集されたよう に、長老たち全員が香港利権の受益者だと考えてよい。彼らは甘い利権の 蜜をすする邪魔をされたくない、早く混乱を鎮めてほしいのだ。

北戴河会議終了直後に、二つの顕著な動きがあった。まず、12日、北京政 府は香港に隣接する広東省深圳(しんせん)に10万人規模の武装警察を集 結させ、その映像を国営メディアで報じさせた。同日、中国政府は香港で の抗議活動に「テロリズムの兆候が現れ始めた」と批判し、香港の裁判所 は抗議運動参加者に撤去命令を発した。命令に従わなければ逮捕も当然と いう法的条件が整えられたのだ。

第二の動きは楊潔篪(ようけつち)中央政治局委員が訪米し、ポンペオ国 務長官と会談したことだ。楊氏は米国側に、香港問題解決のために強硬手 段もあり得ると説明したと見られる。

この間の8月9日、学生や市民らは香港国際空港に集結し始めた。11日には 香港市内のデモで警官が至近距離から水平に構えて撃ったビーンバッグ弾 が、女性の右目を直撃し、女性は失明したと伝えられる。無残な映像は瞬 時に拡散された。市民らは強く反発し、12日も空港を占拠し、午後全便が 欠航した。警官が市民を装ってデモ隊に潜入し、暴力行為を煽っていたこ とも判明した。

約1世紀、イギリスの統治下で民主主義を楽しんだのが香港人だ。彼らの 骨身に刻まれた民主主義を踏みにじる習氏の戦略が成功する地合は香港に はないだろう。矢板氏が語る。

「結論から言えば習近平は悉く失敗したのです。学生や市民らは、北京政 府の思惑を警戒して、13日以降、さっと退いた。米国では、それまで香港 に関心を抱いているとは思えなかったトランプ大統領が、14日になって急 に『香港問題は人道的に解決すべきだ』と発言しました。18日にトランプ 氏は更に踏み込んで『天安門事件のようなことになれば中国との貿易問題 でのディールははるかに難しくなる』と牽制しました。すべて藪蛇になっ たのです」

北京政府の狙いは、香港人が襲撃したという状況を捏造して、香港人を悪 者にすることだ。そうすれば香港基本法18条を適用できる。18条とは、 「動乱が発生して」「緊急事態に突入」した場合、中央人民政府、つまり 北京政府は中国の法律を香港に適用できるというものだ。

現在の香港の秩序は「一国二制度」の下で守られている。だが、18条を適 用すれば、香港の法秩序全てを白紙にして、中国本土と同じ法の下に置く ことが可能になる。

最も強い声を発する責任

矢板氏の説明だ。

「抗議行動に参加して拘留されている香港人はいま、700人です。投石な どはみんな微罪です。彼らはすぐに釈放され、ヒーローになりますから、 北京から見ると逆効果です。中国の国内法を適用すれば何千人も何万人も 逮捕して、中国本土に連行し懲役15年とか20年、無期にしたり、拷問も虐 殺も可能になります。中国共産党はこの種の強硬手段で抗議活動を終息さ せられると考えているのです」

そうした中、冒頭の170万人参加の8.18抗議行動が行われた。共産党のや り方を知悉する香港人だから、8.18デモでは一切の暴力行動を慎んだ。卵 やトマトも投げてはならないと申し合わせた。中国に口実を与えないよう に賢くデモをした。

にも拘わらず、1週間後の8月25日の抗議集会では、警官を「生命の危険」 に突き落とす暴力行為があったという。果たして事実か。

実は、デモ隊の中に香港人ではない大陸の人間が紛れ込んでいて、警官に 殴りかかっていた事例が判明した。その映像もSNSで広く拡散された。 矢板氏は、天安門事件のときも同じだったと語る。

「あのとき市民の中に大量の私服警官が入っていて、天安門で軍の車両や バスを襲撃し、火をつけたのです。彼らは放火してすぐに逃げ、後に残さ れた市民や学生が大量に逮捕され殺されました。これが中国共産党の常套 手段です」

天安門事件当時、鄧小平は天安門での動きが中国全土に広がるのを恐れて 弾圧に乗り出した。香港人の民主主義を求める心が中国本土の人々の胸に 届けば届くほど、習氏も弾圧と軍介入に傾くだろう。

ここで日本は何をすべきか。天安門事件後、北京政府をまっ先に許したの は日本だった。今回、日本は北京政府に30年前と同じ甘い態度をとっては ならない。最も強い非難と警告の声を発する責任があるのは日本政府だ。 香港は日本に期待し、台湾も日本を見ている。香港の学生や市民の側に立 ち、中国政府に厳しく注文をつけることなしに、価値観外交を唱える資格 など無いのである。
『週刊新潮』 2019年9月5日号  日本ルネッサンス 第866号

━━━━━━━
重 要 情 報
━━━━━━━
◎19年8月の新宿区の人口は446人増加し348,587人に:前田正晶

夏休み期間中だったにも拘わず、8月には446人ほど人口が増加してい た。確か8月中にネパール人が急増しているという報道があったが、ここ 大久保通りにはネパール料理店や酒場が増えてきている。彼らはここ新宿 が住みやすいと思ったのか。ヒンドウーと仏教の国だと思っていたが、何 故にイスラム教徒がが跋扈する新宿を選んだのだろうか。先ほども別個に 採り上げたが、今年になって大久保通りを3回訪れられた某大学教授は 「この街の異常さにももう馴れて何とも感じなくなったのが恐ろしい」と 言われた。住んでいる方は正直に言ってもっと恐ろしいと感じる時がある。

人口は対前年同月比では+0.1%増だった。その内訳は日本人が186人の増 加で,外国人は7月の425人の減少から一転して260人の増加で43,065人と なっていた。彼らが全体に占める比率は12.4%で7月の12.3%を僅かに超 えていた。その増加現象を見れば、依然として海外送金の事務所がが増え つつあることの裏には,矢張り出稼ぎに来ている連中が増えているのは間 違いないと思わせるのだ。それでいながら、政府は未だ外国人労働者の導 入を唱えている。日本語学校の増加を放任しているのは矛盾ではないのか。

先頃も指摘したが、明らかに大久保通りというか百人町界隈では日本人を 相手の店が消えていくのだ。先日も大久保通りの総武線の大久保駅の近く を歩いていて気が付いたのだが、今流行りのタピオカ入りドリンクの店が また1軒増えていたし、ロッテリアがタピオカ入りのミルクティーを宣伝 する看板を出していた。既にタピオカの供給不足が報じられている時に、 この手のキワモノ的な商売がどれほど長続きするかに少しだけ興味があ る。既に、放置されるあの大型のプラスティック容器の処理をどうするか の問題まで起きているではないか。

テレビ局は未だに必ずと言って良いほどこの百人町/大久保界隈を「新 大久保」と呼んでいるが、そういう地名はない。あるのは山手線新大久保 駅と総武線の大久保駅だけだ。紛らわしいことは言わないで貰いたいもの だ。歴史的にも百人町の方が由緒正しき地名なのである。なお、新大久保 駅は連日連夜押しかける大勢の外国人と若き女性に対応すべく目下鋭意増 改築中なので、改札口周辺の混雑は一層酷くなった。お陰様で?この駅の たった一箇所しかない階段を上がるのはその人の波に巻き込まれて何時転 落させられるかと恐怖に曝されている。

ではあっても、この界隈は恐らく広い新宿区の何処と較べても物価は安 いと思う。察すに外国人が蝟集する理由の一つにその点があると思う。例 えば「業務スーパー」と「ドンキホーテ」が並んで競い合い外国人たちが 群がっているような通りが他にあるだろうかと、何時も考えている。

参考資料:新宿区広報19年9月5日号

◎我が国はミーハー天国か:前田正晶

5日は午前3時50分に目が覚めたので、二度寝を試みる気にもならずに起 床。4時からTBSのニュースみたいな番組を見ていた。すると、いきなり 「昨日ジャニーさんのお別れ会が東京ドームで開催され8万8千人の一般の ファンが訪れた」と聞かされた。盛会となるだろうとは少しは考えていた が、彼らミーハーがジャニーズのガキどもかその成れの果てを有り難がる だけではなく、故人となった親玉まで慕っているとは知らなかった。そう だったとしたら「何だ、たった8万8千人しか来なかったのか」とも言いた くなった。

現代ではJohnny喜多川の他に優れたミーハー族養成に手腕を発揮する者 に秋元康という人物がいる。彼は喜多川が男の子専門であるのに対して 「何とか48とか46」だかを主催して専ら若い女子ばかりで売っている。大 した手腕だと思っている。彼は喜多川とともにミーハー育成の功績で叙勲 しても良くはないかとすら考えている。そこに、そういう層を目指して番 組を編成しているとほざくテレビ局が「コラボ」(どうだ、「カタカナ 語」だ)するのだから堪ったものではない。

だからこそ、我が国向けの観光客を自粛させ、日本品の不買運動を奨励 し、日本製のボールポイントペン(これが正式名称だ)を曽国氏が持って いたと非難するメデイアがある韓国品を商う大久保通りに連日連夜殺到す る能天気な若き女性たちが増加するのだ。今年になってここ大久保通りを 3回訪れられた日本大学法学部のT教授は、先月「この街の異常さにももう 馴れて,何とも感じなくなったのが恐ろしい」と言われた。

各テレビ局は今や競って恰もミーハー向けの芸能番組のように曽国氏の問 題を採り上げている。私は龍谷大学の李相哲教授が予測されたように、文 在寅大統領は何が何でも強行任命されるだろうと指摘されたのと同じよう に推測している。武藤正敏元駐韓大使は「文在寅大統領は任命するも地 獄、しないのも地獄」と述べておられた。この曽国氏のお陰でアメリカ対 中国の貿易を巡る争いの報道の影が薄くなったし、安倍総理の内閣改造と 党役員人事の件も同様だ。私は産経だけが二階幹事長を「留任」と書いた のが気に入っている。それは「続投」は野球用語から不適切だと主唱して きたのだから。

◎ 東京国立博物館で「特別展 三国志」が開催されています。公式図録の 『三国志 THREE KINGDOMS UNVEILING THE  STORY』は為になります。三国志の時代に天下統一を果たせなかっ た曹操と戦国時代に天下統一を果たせなかった織田信長には共通点があり ます。 曹操は、まず新興勢力としてのし上がり、その過程で名門国の 袁紹と戦い、圧倒的な不利をくつがえして「官渡の戦い」に勝って、いち 早く時の皇帝を自分の陣営に迎え入れ、錦の御旗を手に入れました。曹操 は武略の天才でしたが、漢詩、草書、音楽など、芸術にも秀でていまし た。 織田信長も、まず新興勢力としてのし上がり、その過程で名門国 の今川義元と戦い、圧倒的な不利をくつがえして「桶狭間の戦い」に勝っ て、いち早く時の足利将軍を保護し、その後見役になりました 。信長も 武略の天才でしたが、茶道を保護し、舞をたしなむなど、 芸術にも秀で ていました。(まこと)


━━━━━━━
身 辺 雑 記  
━━━━━━━
6日は久し振りの快晴、爽快。

5日の東京湾岸は曇天。それでもセミ時雨を聴きながら公園を散歩した。

隣の中学校のプールでは朝の9時から女生徒たちが泳いでいた。


                      読者:6002人

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。