政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針5154 号  2019・9・1(日)

2019/09/01



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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5154号
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       2019(令和元年)年 9月1日(日)



                  亡父の薫陶:加瀬英明

雀庵の「井上円了と日本の仏教」:“シーチン”修一

             色々結果:地球温暖化:渡部亮次郎
   
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記


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亡父の薫陶
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加瀬 英明


私は幼いころから、父から「女と動物を苛めてはならない」と教えられ て、育った。

もう一つ、小学校に進むようになってから、正座して『論語』の素読をさ せられた。父が同じ歳のころに、祖父から強いられたことだった。

私が漢籍から引用できるようになったのと、女性と動物を大切にするよう になったのは、この2つの躾によるもので、感謝している。

父は私が高校生のころから、馴染みの座敷に連れていってくれて、芸妓の 伽羅の香りや、絃歌の世界を知った。私は父の秘密を共有するようになっ たから、父をいっそう好きになったし、母を大切にするようになった。

父は人が羨むほど夫婦仲がよかったし、犬と猫を可愛がった。母が逝って からは、純白の雌のペルシア猫を溺愛した。

それでも、生物のなかで、ペットが存在するのは人間だけだが、なぜなの だろうか。

動物はいつも本心だけで、嘘をつかない。そこで私たちの心が和み、癒さ れるからだろう。

父がある時、愛犬の頭を撫でながら、「もし、人間に尻尾があったら、こ の世から騙し合いがなくなることだろう」といった。私は人間は進化が遅 れているから、まだ尻尾がはえていないにちがいないと、思った。

植物も、嘘をつかない。だから森のなかを散歩すると、爽快になる。人は 自分を偽って生きなければならないから、疲れる。

女性に出会うとおだてるのは、父譲りである。女性のほうが男性よりも強 いから、諍わないほうがよい。

科学的にいって、女性と言い争ったら、男に勝ち目はない。女性の声の高 さは200から300ヘルツであるのに対して、男性は100から150 ヘルツしかない。100ヘルツは声帯が1秒間に、100回震動している のをいう。

女性は男性よりエネルギーに溢れているから、際限なく喋ることができる が、男性はすぐに畏縮してしまう。「君子危キニ近カヨラズ」と、中国の 聖賢が宣うているではないか。

男が女性に甘えるのは、弱いからだ。女性は男性より強いから、耐える。 男性は合理的だから、女性に負ける。女性はその証拠に占いを信じるが、 占いの語源は「うらづけがない」というものだ。

明治の日本を創った賢人の福沢諭吉先生が、「無力な道理は、有力な無道 理に勝てず」と諭しておられる。



            
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雀庵の「井上円了と日本の仏教」
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“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/20(2019/8/31)】哲学者で哲学堂(後の東洋 大学)を創立した井上円了は幕末の1858/安政5年、浄土真宗東本願寺派の 末寺の子として生まれた。「安政」、政治の安泰を期した元号で、1853年 の黒船来航で火がついた幕末の激動期の真っ最中だ。この年に日米修好通 商条約が締結されている。

円了は1919年、61歳で亡くなったので今年は没後100年。いろいろなイ ベントが催されている。彼はとにかく凄まじい勉強家で、なおかつ凄まじ い行動家だった。各地で記録が残っているだけでも5000回以上、講演を 行っている。著書は180冊、論文を含めれば軽く1000、2000に達するので はないか。

円了の名はあまり知られていない。狭い、因循姑息、徒弟制度的になり がちな学窓の博士、研究者ではなく、その世界を離れた独立自尊、孤峰孤 高の啓蒙家、新思想のアジテーターだった。福翁に似ているが、福翁は文 明開化を急ぐインテリレベルに説き、円了は狐狸妖怪に慄く民衆レベルに 説いた、という印象だ。

浄土真宗の寺に生まれたのなら「門前小僧」以上に仏教徒だろうが、そ うならなかったのは子供の頃から「何でも見てやろう、解剖、分析、研究 してみよう」という好奇心、批評精神が横溢していたからだろう。

仏教を身近に見れば「ま、癒し系ビジネスね」と小生は思っている。
日本の仏教は基本的に十三派だ。WIKIから。

<日本の仏教は、日本書紀によれば西暦552年に百済よりもたらされ た。約8470万人が仏教徒であるとされる(2013年統計)。現代では、仏教 と神道は区別されることが多いが、幕末までは仏と神を一体で不可分とす る神仏習合の時代であった。

伝統的な仏教の宗派としては、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台 宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄 檗宗の13宗がある。

文化庁の宗教年鑑の統計によると、現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる 鎌倉仏教に属している。浄土宗系(浄土真宗)の宗派と、日蓮宗系の宗派 が特に大きな割合を占めている>

浄土真宗(一向宗、門徒宗、真宗、浄土宗とも)の宗祖は親鸞で、法然 上人の念仏の教えに感化され、『教行信証』を著して浄土真宗の開祖に なった(1224年)。真宗10派のうち本願寺派が「浄土真宗」、他9派が 「真宗」だという。

(合従連衡は世の常。昨日の敵は今日の友、その逆もあり。キリスト教 や自動車業界は混血ばかりで訳が分からん。日本の野党は今や野合党、カ ネと議席のためには平気でパンツを脱ぐ。あ、ゴメンね、最初からパンツ はいてなかったのね)

円了は遠慮会釈なく仏教諸派を叱咤する。

「真宗識無く、禅宗銭無く、浄土情無く、法華骨無し」とわざわざ韻を 踏み挑発し、「念仏は物知らず、禅は頓馬、真言は盆鎗(ぼんやり)、律 は間抜け、天台は阿房、日蓮は馬鹿」

ほとんど挑発だ、「怒ったか、かかってこいよ、怖いか・・・ちっ、イ ンポ野郎め!」てな感じ。著書「奮闘哲学」にこうも記している。

<世人みな仏教を目して厭世教となすから、仏教は果たして人生を悲観 したる教えなるか否かを一言しておきたい。

外面よりこれを見れば、仏教は全部厭世、悲観の如くなれども、内容に 入りてうかがわば、人生を悲観するものをして、楽観せしめたいという教 えであることが分かる。

釈迦仏が家を出でて山に入られたのは悲観の境涯であるも、菩提樹下に おいて正覚の悟りを開かれたるは楽観の境涯である。

最初説かれた小乗教(出家して修行した人しか救われない)は厭世を免 れぬけれども、大乗経(すべての人が救われる)に至りては此土寂光(修 一:この世は安らかで、静かな光。理・智の世界)とまで説きたりて、万 法(修一:ばんぽう。物質的、精神的なすべての存在)は有(実在)にし て空(虚無)にあらざるゆえんを示している。

しかるにその教えがインド、シナなどに行わるるにあたりて、社会の事 情のために厭世の方面にのみ重きを置くようになり、今日にてもわが日本 の仏教家が依然としてその厭世を継続するは、まったく釈迦の本意に背く ものと思う。仏教は厭世主義にあらずして、活動主義、奮闘主義たれ>

人民が「厭離穢土、欣求浄土」で不平不満を言わずに「あの世で幸せに なるんだ」と羊のごとく大人しくしている・・・これは為政者にとってと ても便利、具合がいい。だから仏教は厭世的なのだろう。

洋の東西、宗教を問わず昔から宗教の大スポンサーは為政者だから、ス ポンサーに逆らう坊主はいない。坊主に逆らう為政者もいない(カノッサ の屈辱で懲りたらしい。ボリシェベキは宗教を抱き込んだ)。マスコミ、 特にTVは花王、味の素、QP、パナソニック、トヨタには絶対噛みつかな い。祟りが恐ろしい、「報道しない自由だ、文句あっか!」てな印象。

一流のアジテーターである円了が「葬式仏教でいいんですか」と問う、 あざ笑う、挑発する。しかし、ここまで言われても仏教界は反発しなかっ た、できなかった。その代わりに徹底的に無視したのだと思う。既得権 益、利権を優先し、社会に貢献する道を拒んだのだ。

第一、反論しようもない。明治18年の東大全学部卒業生の総代で、まる で知の巨人(ゴジラ)みたいな博学、行動家に論争を挑んでも勝てるわけ がない、それなら無視、君子危うきに近寄らず、と大人(俗塵界)の保身 でやり過ごしたのだ。

都合が悪いと無視、それを非難されると「誤解を招いたのは遺憾」と引 き籠る。まるで処世訓みたい。

現在の仏教界が家制度、檀家制度の崩壊、少子化などで衰退しつつある ことはずいぶん前から話題になっている。廃仏毀釈でひどい目に遭ったか ら、普遍性のない政治と距離を置くのは分かるが、人間としてこの世でど う生きるべきかを人々にアピールする必要はないか(十七条の憲法、五カ 条のご誓文、教育勅語、軍人勅諭などのように)。

まずはナンジャモンジャのお経を分かりやすく「日本語で」と説くこと から始めてほしい。キリスト教聖書は結構な頻度で改訂している。かなり 以前から文語体を口語体にしたし、今では「らい病」は「重い皮膚病」 「ハンセン氏病」などと表記を変えつつある。

WHOハンセン病制圧特別大使でもある笹川陽平氏がバチカンを「このバ カチン!」と叩きまくっていたからカトリックも同病の意味付け(この世 で最も不浄な汚物)、表記を改めたのかもしれない。泣く子と大旦那の苦 情には逆らえない。

廃寺や墓仕舞いが話題になっている、大旦那、大檀家は死に絶えつつあ る、これからは中檀家、小檀家、個人がスポンサーになっていく。「お経 は分からないから有難みがある」なんていう時代ではない。自らが変わら なければ淘汰されるだけだ。

発狂亭“釈迦に説法”雀庵の病棟日記から。昨日は緑色、今日はピンク、 明日はアカ?・・・数年後に日本の野党は限りなく透明に近いブルーに なっているだろう。「明治〜令和 負の遺産展」なんて絶対当たると思がの。

【措置入院 精神病棟の日々(136)2017/1/9】承前【産経】青木伸行 「読めないトランプ方程式」。

<今年、世界はリベラルなグローバリゼーションへの反動として、ナ ショナリズムと保守主義が一層台頭し、さらには国際秩序が多極化するこ とも予想される。その行方にトランプ政権が大きく影響することはない>

新味がない話。

「環球異見 トランプ時代到来」。ワシントンポストやWSJは相変わら ず困惑しつつも「米国の成功、繁栄を応援しよう」「政治に騒乱はつきも の」と少しずつ現実を理解し始めたようだ。独アルゲマイネ紙は「仏独選 挙次第でEUは危機にさらされるが、国民は破局を望まない」と一縷の望み を託している。

小堀桂一郎「正論 国家理性に基づく力の発揮を」。

<現在の日本国が直面している運命に、国民はいかなる覚悟をもって臨 むべきか。我々は言葉の正しい意味での「国家理性」の統御のもとに、国 際関係において存分に力を蓄え且つ、揮うことを躊躇せぬ気概を持たなけ ればならない>

先生、甘い、甘すぎる。

そもそも米国に防衛を頼んでいるのだから「力」がない。これが現実で、 理性的に考えれば力を発揮することはできない。米国の協力がなければ、 他国からの恫喝、攻撃には降参、尻尾を巻いて屈服するしかない。マキャ ベリ曰く――

「自国の防衛を傭兵に頼って防御できた国は一つもない」

「おきれいごと」は沢山だ! 現実を語れ! リアルを見よ! 戦力、 戦法を論じよ! 必殺クロスカウンターを教えてくれ! 戦争は理性の沙 汰ではなく、狂気の沙汰だ、「狂」だから討幕でき、対米英蘭の大東亜解 放も成し遂げられたのである、違うか?

天野健作「電通『鬼十則』ルーツは昭和26年の第4代吉田秀雄社長訓示  半生記残る」。鬼十則と24歳社員の“過労自殺”は関係あるのか? こ れって創業社長なら皆実践していることだぜ。「才能とは努力する能力 だ」と小生は思っている。社員には言ったことはないが「死ぬ気で頑張 る、鬼になる、吶喊する」は当たり前だった。

仕事はゲーム、スポーツ、喧嘩、戦争であり、「おきれいごと」では済 まない。

騒動屋の多くは嘘八百で銭を稼ぐ、被害者面をする。櫻井よしこ「和解 は追及の始まり」は日本に巣食う売国奴をあぶり出した。嘘八百に対して 「真実を力に、正攻法の戦いをすべきだ」と氏は結ぶが、カツアゲにすぐ に応じる政府、外(害)務省にそれを求めるのは無理筋。

おきれいごとではなく、報復、制裁、脅迫、恫喝、プロパガンダ、謀 略・・・を総動員して「狂」を発揮しないと、敵の「狂」に負けるのだ。

古人曰く「勝てば官軍、負ければ賊軍」。(つづく)2019/8/31


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色々結果:地球温暖化
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            1万人の死んだ大気汚染

          渡部亮次郎

霧のロンドンは日本の歌謡曲にもなっているほど有名だが、実際の霧はそ んなのんびりしたものではない。秋だった。ロンドン郊外で貸切バスが霧 に包まれて動きが取れなくなった。

興味から、外に出て驚いた。まるで牛乳瓶に飛び込んだみたい。上も下も 右も左も見えない。急に殴られても相手を確認する事は不可能だ。歌謡曲 でロンドン霧を称えた作詞家はロンドンへ行ったことが無かったに違いない。

このように濃い霧だから、ヨーロッパには悪魔がやってくるのも霧に乗っ て、凶悪犯も霧に紛れてやってくると考えられている。そんな話をフリー 百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で捜していたら「ロンドンス モッグ事件(Great Smog of 1952、London Smog Disasters)」が出てき て驚いた。

1952年にロンドンで発生し1万人以上が死亡した、史上最悪級の大気汚染 による公害事件だという。現代の公害運動や環境運動に大きな影響を与え た。日本で言えば昭和27年。高校生のころだったから知らずに育った。

ロンドンは冬に濃い霧が発生する事で知られている(実はこの霧も大気汚 染の一つ)が、19世紀以降の産業革命と石炭燃料の利用により、石炭を燃 やした後の煙や煤が霧に混じって地表に滞留する。

それがスモッグと呼ばれる現象を起こして呼吸器疾患など多くの健康被害 を出していた。1950年代までの100年間にも10回ほどの大きなスモッグが あったが、その中でもっとも健康被害が大きくなったのが1952年である。

1952年12月5日から10日の間、高気圧がイギリス上空を覆い、その結果冷 たい霧がロンドンを覆った。

あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使った。同じ 頃、ロンドンの地上交通を路面電車からディーゼルバスに転換する事業が 完了したばかりだった。

こうして暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガ ス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、 滞留し濃縮されてpH2ともいわれる強酸性の高濃度の硫酸の霧を形成した。

この濃いスモッグは、前方が見えず運転ができないほどのものだった。特 にロンドン東部の工業地帯・港湾地帯では自分の足元も見えないほどの濃 さだった。

建物内にまでスモッグが侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やス クリーンが見えない」との理由で上演や上映が中止された。同様に多くの 家にもスモッグは侵入していた。

人々は目が痛み、のどや鼻を傷め咳が止まらなくなった。大スモッグの次 の週までに、病院では気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの重い患者が 次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明ら かになった。

その多くは老人や子供、慢性の患者であった。その後の数週間でさらに 8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。

この衝撃的な結末は大気汚染を真剣に考え直す契機になり、スモッグがす ぐそこにある深刻な問題であることを全世界に知らしめた。

イギリスでは多くのすす(煤)を出す燃料の使用を規制し、工場などが煤 を含んだ排煙を出すことを禁じる新しい基準が打ち出され、1956年と1968 年の「大気浄化法(Clean Air Act)」と、1954年のロンドン市法(City of London (Various Powers) Act 1954)の制定につながった。


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重 要 情 報
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◎英会話は結局は慣れと度胸になるが:前田正晶

英語は総合的に勉強すべきだ:

いきなり否定的なことから入っていくが、私は「英会話」などという独立 した勉強の科目などないと信じている。即ち、「会話とは英語で自分の思 うところを淀みなく表現出来て誰かと話が出来るようになる為には、英語 そのものを基礎から基本的に勉強して理解出来ているかいないかの問題で ある」のだ。

より具体的に私の持論を展開すれば「英語の勉強の過程で,英文解釈だ の、英作文だの、単語だの、文法などとバラバラに教えるか勉強するので はなく、教科書を音読・暗記して、覚えている内容を淀みなく暗唱出来る ように総合的に学習して置くべきだと言いたいのである。実際に、私は英 文和訳や英作文などという勉強の仕方をしてこなかったし、GHQの秘書の 方に教えられた英語のままで考え、流れの中で覚え記憶した言葉の使い方 で、英語だけはまともな成績を挙げることが出来ていた。また、高校1年 になった頃にはアメリカ人たちと英語で話し合う時に何ら不自由しなかっ たのだ。

と、ここまで言ってしまえば、それだけで英会話の勉強法を語ったこと になってしまったと思う。だが、これだけでは何ら諸賢のご参考にはなら ないと思うので、もう少し具体的なことを論じていこうと思う。


英会話とは:

一口に英会話などと言うが、私にはこれだけでは何のことを言っているの か不明確だと思えてならない。雑談なのか世間話なのか、何か主題 (「テーマ」とも言うがこれはドイツ語で、英語はthemeであり強いてカ タカナ書きすれば「スイ―ム」とでもなるか)が決められていて、その範 囲内で語り合うのかはハッキリしていないと思う。私は要するに何らかの 話題を、知っている限りの表現と単語というか言葉を使って自然に話し合 うのが会話だと思っている。会話とは思いがけなかったような広い範囲に 話題が展開していくのかなどは事前に分からないのが普通だろう。

世間では英会話など言えば、何かよほど美しい表現や言葉を散りばめねば ならないと思う人は多いのではないか。または、如何なる話題にも対応せ ねばならないと緊張しておられる方がおられるだろう。だが、雑談や世間 話ならば中学校(現代では、もしかして小学校のか?)1〜2年の教科書に 出てくるような易しい言葉(口語的表現か慣用句を構成しているような解 りやすい単語)だけで出来るものなのだ。要するに、難しく考えるとか、 気取る必要などないということだ。

その為には可能な限りキチンとした教養があるアメリカ人乃至は英語を母 国語とする人と会話をする機会を求めることが良い勉強になると思ってい る。それは「なるほど、こういうことを言う時にはこういう風に表現する のか」と言うお手本に接することが出来るからである。

だが、この方式の難点は「貴方にその外国人が話している英語が果たし程 度も高くて真似をする価値があるかないかが容易に判断は難しかろう」と いうこと。即ち、「無闇矢鱈にnative speakerを有り難がるな」というこ とだ。解りやすく言えば、一般の方では彼らが「何処の馬の骨か」を判定 できるだけの英語力と判断力は備わっていないだろうという意味。

嘗てシアトル支店で最高の英語の使い手という商社マンから聞いた苦労話 では「赴任した当初に最も苦しんだことは、アメリカ人が余りにも早く話 すように聞こえたし、一つの文章が何処から始まって何処で終わったかと いうか、何処で切れたのかが全く聞き取れなかったこと」だそうだ。

この何処で切れるのか聞き取れないと言うことは「英語には連結音と“rー linking”という次に来る単語の頭の母音と連結してしまう発音がある点」 が正確に聞き取りにくくしているのだ。簡単な例を挙げれば“There is 〜.”は「デアリイズ」のように繋がってしまって「デア・イズ」とはなら ないのである。

その駐在員はそれだけではなく、話の途中で「済みません、もう一度 言って下さい」と言うタイミングが取れなくて、解らないままに半紙が進 んでしまったのも悩みの種だったと述懐していた。。

こういう経験談を纏めてみると「学習法としては結局のところ経験を積 んでいくしかないのだが、その間にこれと思う表現と言い方を沢山覚えて 表現の小引き出しを増やしていくしかない」というような結論になってし まうのだ。

私の幸運:

私はそういう意味では、幸いにもアメリカの大手製造業の会社に入ってい たので、品格というか教養があると思う上司か同僚が使う表現を覚えて真 似する機会が常にあったのだった。このように native speakerに学ぶの は良い方法なのだが、問題点は「彼らは日本人がどういうことで悩むの か、どういうことが解らなくて苦しんでいるのか」などほとんど解ってい ないので、痒いところにまで手が届くその点では、私は支配階層のアメリ カ人の中にあっては外国人だったので、寧ろ気楽に何でも質問することが 出来たし、聞くは一時の恥だと割り切っていた。


Native speakerに無闇に依存しないこと:

その昔に「アメリカ人がゆっくりと我々にも解るように話してくれたの で、何とかついて行けた」などと言う人もいたが、私はほとんど嘘だと 思っている。彼らにそんな器用なことが出来る訳がないし、彼らが一般の 日本人が聞き取れる速度など承知しているとは思えないのだ。故に、私は 無闇矢鱈にnative speakerから学ぶことを積極的には勧めないのだ。

後難を恐れずに言えば「ましてや、そのアメリカ人か外国人の教養の程度 や出自をどうやって判断するのかも問題だろう。いや、一般の方には解る 訳がないと言って誤りではない」と断言する。後難を恐れずに言えば、我 が国の学校教育で英語を学ばれた方々にはアメリカの南部やオーストラリ アやニュージーランドの訛りなどを聞き分けられる訳がないのだと言いたい。

生きた英語の例:

そこで「もう一度言って下さい」は我が国ではごく普通に“I beg your pardon.”と教えられているようだが、私は何故かこういう言い方を聞いた 記憶がない。仲間内では“What’s that?” と簡単に言うか “Excuse me.” の語尾を上げて言えば十分だ。または“What did you say now?” か“I'm sorry.”の”sorry”にアクセントを置いて語尾を上げるかでも通じる。時に は“Say that again?”とズバリと来る場合もあるが、ここでは前に“Could you”と付ければ、より丁寧になる。一寸ひねった言い方では、“Would you please rephrase rain check for me?”のように解説を求める言い方をす ることもある。

以上、難しい単語など一つも出てきていない点に注目されたい。ここで更 に強調しておきたいことは、こういう文例を黙読するだけでは覚えきれな いので、何回も音読して覚えてしまおうとする姿勢が必要なのだという点 だ。換言すれば、英語の表現を効率良く覚える為には、読んで目から入れ ようとせずに耳から入れようとことが肝腎なのだ。これこそが私が主張す る音読・暗記・暗唱による学習法である。

1970年代前半に、あるカナダ人の青年とどうしても面談してフランス語と 英語の日本語への通訳を依頼せねばならないことがあって、知り合いのカ ナダ大使館の商務官に彼の連絡先を教えていただきたいと電話でお願いし た。その時に電話の向こうで聞こえたのが彼が誰かに向かって言った“Do you know his whereabouts?” だった。「彼の所在を知っているか?」を こう言うのかと知った。

更に “Can you get hold of him?” も聞こえた。「彼に連絡がつくかい」 はこのように言えば良いのかと学べた。私は既に “Can you reach him? ” は承知していたが、カナダ大使館との電話連絡のお陰で「どのようにして 誰々と連絡するか」の表現の引き出しが一つ増えた次第だった。私は会話 が上達するかどうかは、こういう場合に「これは使えそうだ」と覚える気 があるかないかだと思うのだ。

これらの表現は言わば口語体での会話にはごく普通に出てくるのだが、私 の現場での経験では、我が国の学校教育ではここまで踏み込んだ言い方を 教えられていないようだと見ていた。実は、この種類の表現を覚えていて も、現実にはなかなか使える機会は訪れないだろうと思っている。だから 敢えて教えないのかとも考えた。だが、現実の会話ではこのような優しい 単語を使った口語体や慣用句での表現の洪水である事が多いのだから英会 話が大変なのだ。

結び:

それも、「何時始まって何処で切れるのかサッパリ解らない早さで話され るので“rain check”のような言葉が出てきたところで集中力が切れてしま うようだ。対策はどうすれば良いのか」と尋ねられれば、結局は「習うよ りは馴れろ」しかないのではと、突き放したような言い方になるのだが、 悪しからず。だからこそ、私は長年英会話とは「習うより慣れろ」であり 「慣れと度胸だ」と言ってきたのだ。




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身 辺 雑 記  
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31日の東京湾岸は予報に反し晴れ。爽快。
午後、家人に散髪してもらった。玄人はだしの腕前。すっきりした。

               読者:6001人












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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
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