政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針5089 号  2019・6・28(金)

2019/06/28



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 わたなべ りやうじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」5089号
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        2019(令和元年)年 6月28日(金)



            「日米安保条約は不平等」:宮崎正弘

           「わが祖国」を聴きながら:渡部亮次郎

             香港で想定外の大デモ:櫻井よしこ
           
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記

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「日米安保条約は不平等」
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)6月26日(水曜日)
         通巻第6117号  
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「日米安保条約は不平等、破棄すべきだ」とトランプ大統領が発言していた
いよいよ日米安保条約の再改訂が政治課題にのぼってくる
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「われわれが押しつけた、あの憲法を日本はまだ守っているのか」と押し
つけた憲法草案を起草したアメリカ人責任者その人が、日本人ジャーナリ
ストのインタビューに答え驚いたそうな。さもありなん、押しつけた側
は、あれは一時的占領基本原則のつもりだったのだから。

昨今の政界は改憲議論がやや遠のき、小手先の加憲論とか、国民投票の方
法など枝葉の議論に時間を空費してきた。歴史原則にたち還ると、占領側
が被占領国の基本法を強要すること自体は重大な国際法違反である。

したがって「日本国憲法」なるシロモノは早急に破棄するだけでよい。
法律的には明治憲法に復元改正となるが、枢密院もない現在の状況では無
理が多い。とりあえず「五ヶ条の御誓文」に戻し、もろもろの付随法を自
動的に変えればよい。もっと正論を言えば、英国のように日本には成文法
は不要である。慣習ならび伝統で解釈し、あとは法律を整備していけば済
むことではないのか。

むろん、法律家、裁判所。そして内閣法制局なる「法匪」が跋扈する現況
にあって、上のような正論が迅速に受け入れることはないだろうが、歴史
的原則だけは忘れるべきではない。

こう考えてくると6月25日にブルームバーグが報じたように、トランプ政
権内部の議論で日米安保条約におよび、大統領が「戦闘になってアメリカ
だけが日本防衛の義務を負い、日本はアメリカを助けなくても良いという
のは不公平ではないか。日米安保条約は破棄するべきである」としたこと
も、じつは「正論」である。
 
6月24日にトランプ大統領が発進したツィッターでも「ホルムズ海峡でタ
ンカーを守るのは日本がやるべきことだ」と書いた。NATO諸国に対し
て「防衛分担が不公平だ。GDPの2%にしてほしい」と不満を漏らし続
けてきた。

過去30年、米国は政権が共和党であろうと民主党であろうと、日本に対し
て防衛負担増大を要求してきた。日本は「憲法」を縦にして、防衛負担増
を拒み続けてきたことは周知の通りである。

だから、こうした対日認識はアメリカ人政治家に共通している。選挙予備
選でトランプは「日本が核武装しても構わない」とも主張してきたことを
思い出したい。


 ▲安保改正議論が本格化するべきだろう

いつしか、こういう場面が来るだろうと予測してきた筆者にとって、驚き
でもなく、いや歓迎すべき事態の到来と言える(拙著『日本が在日米軍を
買収し、第七艦隊を吸収合併する日』、ビジネス社参照)

1980年、日米安保条約改正20年を記念して日米セミナーを開催した。日本
側は岸信介氏が、米国側からはフォード元大統領が代表格で、このとき米
国側から「安保条約の再改訂」の提言が為され。

新聞はほとんどこの重要問題をスルーした。筆者はホテルに泊まり込んで
事務方を担当し、とくにメディア対策の広報係をやれと加瀬英明氏から頼
まれ、連日報道陣とのやりとりがあったので、日本のメディアが当時、い
かに関心が薄かったかを知っている(日米セミナーの記録は『日米安保条
約二十年』、自由社)。

あれからでも40年の歳月が(正確には三十九年が)過ぎた。ようやくトラ
ンプが不平等に認識し、「日米安保条約は不平等、破棄すべきだ」と内部
の会議で発言するに至った。

いよいよ日米安保条約の再改訂が政治課題にのぼってくる。
 
過去のトランプの『実績』を見よ。

TPP、パリ協定が離脱、NAFTAの見直しは短時日に実現し、
NATOへの公平な分担要求はEUを悩ませ、イランとの核合意を離脱し
たではないか。

その実行力を目撃してきたのだから、いずれトランプは、公式的に日米安
保条約の再改訂を言い出すことは、時間の問題となった。

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1915回】              
 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(9)
  見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

       ▽
日本人と中国人の間で互いの「意志」を的確に仲立ちできる言葉は日本語
か、中国語か、それとも英語か。

双方の英語力が同程度なら、やはり英語が無難だろう。もちろん日本語で
も中国語でも構わないと思うが、その場合の必須条件は互いが相手の文化
的背景を相手以上に知っておくことだろう。

一知半解式の相手理解では、所詮は『宴会の座興』といった程度の会話に
終わってしまい、行き着く先は誤解であり憎悪であり嘲笑ということにな
りかねない。

だからこそ、「同文同種」などという戯言で世間を誑かしてはダメなのだ。

「一衣帯水」だの「子々孫々にわたる友誼」だのといった類のホラ話は断
固として口にすべきではない。

さて鶴見は王寵惠との話を終え、「自分は北京に來て、初めて頭のいい
人に會つたと思」い、次に会見した王正廷に対しは「自分は北京にきて、
初めて堅いものにぶつかつたと言ふ感じがした」と呟く。

「頭のいい人」の王寵惠に対するに「堅いもの」である王正廷は1882年
に浙江省寧波で生まれ、王寵惠と同じようにキリスト教牧師の家庭で育
ち、一貫して英語教育を受け、20代前半には英語教師を務めている。

中華キリスト教青年会の要請で日本に留学し、孫文の中国革命同盟会に参
加した後、1907年には教会の支援でアメリカへ。ミシガン、イェールの両
大学で法律(国際公法)を学ぶ。1911年夏に帰国し、革命後に成立した中
華民国政府の歴代政権に参画する。

1919年のパリ講和会議に全権代表として参加。ドイツが山東省に持つ権益
を日本が継承することに最も強く反対している。

その後、デン・ハーグの常設仲裁裁判所仲裁人に就任。1922年末には短期
間だが代理国務総理。1923年3月から1年間、対ソ連交渉に当たる。

1928年には国民政府外交部兼国民党中央政治会議委員として済南事件の
交渉に臨むが、日本への弱腰を指摘するデモ隊によって自宅を襲撃された。

1931年の満州事変に際しては対日交渉に当たったが、学生デモ隊から襲撃
を受け重傷を負い外交部長を辞任。

1936年8月から38年9月まで駐米大使。政界引退後は中国紅十字会会長、交
通銀行董事、太平洋保険公司董事長など。晩年を香港で送り、1961年に没。

ところで日米開戦直後の昭和17(1942)年3月に中央公論社から出版され
た『支那問題辭典』の収められた「附録 人名辭典」では王正廷は概略で
次のように紹介されている。

――北洋大学卒業後、日本留学を経て渡米し、ミシガン、イェールの両大学
卒。辛亥革命に参加。1919年のパリ講和会議に全権代表として参加。 山
東還付問題につき大いに活躍。帰国後、1920年に一時実業界(貿易・繊維
会社経営)するも失敗。1922年の山東交渉に当たっては外交総長(汪大燮
政権)として、山東協定に調印。1928年には国民政府外交部長として済南
事件の処理に当たる。その後、国民政府委員、国民党中央執行委員など党
と政府の中枢に。1931年の満州事変後、政府の外交政策に反対する学生に
襲撃され重傷を負い外交部長辞任。国民党文治派の政学会系。1936年に駐
米大使に就任するも38年に辞任。39年5月に英国訪問の後、同6月に帰国

ここから判断して、当時の日本では王は一貫して対日交渉に当たり、満州
事変処理に際しては学生に襲撃されるほどの不興を買っていたと見ていた
ことになる。

ところで鶴見が王正廷を訪ねたのは1922(大正11)年5月のことだから、
デン・ハーグの常設仲裁裁判所における仲裁人の任務から離れた後、魯案
督弁というポストに就き山東半島に関する日本との交渉に当たっていた頃
のことだ。

その後の王正廷の軌跡も知った上で鶴見とのやり取りを考えるのも、一興
だろう。《QED》
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者
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(読者の声1)貴誌前号にあった書評に関連して、アインシュタインの日
本びいきについて、以前日経新聞に掲載された記事を覚えているので、以
下ご紹介します。

アインシュタインは日本への航海中、下血をしました。そこで大腸ガンと
思い込み真っ青になりました。しかし丁度、船に日本人外科医が乗り合わ
せており、診断した結果痔であることが判明しました。

そこでアインシュタインは大喜びし、元気百倍です。東京での大歓迎会の
あいまを見て地方の恩人の医師を訪ねました。

すっかり日本が気に入ってさらに旅を続けました。この話はこの医師のご
子息の方が回想したものです。

なおアインシュタインがルーズベルトに原爆製造を提言したのはヒトラー
が製造すると思ったからです。

独にはノーベル賞を受賞した核物理学者ハイゼンベルグがおり、チェコに
は大ウラン鉱山がありました。

しかしヒトラーは原爆には関心を持ちませんでした。それは核物理学を理
解出来なかったことと、ユダヤ人の学問と思い混み嫌ったからと言います。

この点、スターリンと違っています。

スターリンは核物理学を理解出来ませんでしたが、原爆が政治的に重大な
意味を持つことは理解出来ました。

そのためナチスドイツは敗戦までに動力用の実験原子炉を作っただけでし
た。アインシュタインは原爆が日本攻撃に使われると知ったら悲しんだこ
とでしょう
しかしこれはもはや政治決断になっており、現場の科学者の手から離れて
いました。(落合道夫)

  ♪
(読者の声2)御新刊『地図にない国を行く』(海竜社)を超特急で読み
終えました。ミャンマー、ラオス、カンボジア、ネパール、マレーシアな
ど東南アジア諸国に加えて東チモール、パプアニューギニア、フィジーな
どの南太平洋の島嶼国への旺盛な中国資本の進出ぶりと対中外交の激変ぶ
りが描かれていて大変参考になります。

 加えて第二次世界大戦中、アメリカ軍の軍港として使われた良港と戦闘
機用滑走路を備えるタックスヘブンの国、バヌアツのエスピリッツサント
島への中国資本の港湾工事や道路・通信等インフラ工事への大規模な投資
は、いずれ中国海軍・空軍基地の転用も視野にあるのではと疑いたくなる
ほど不気味な戦略投資です。

樋泉教授の『アジア・マーケットレビュー』(6月15日号)のレポートに
よると、タイのプラユット暫定首相はカンボジアのプノンペンからバンコ
クまでの鉄道再開協定に調印し、さらに、バンコクからラオスのヴィエン
チャンを経由し中国雲南省、昆明までの鉄道路線も建設に向け動き出した
とのこと。

東南アジアの主要国のタイにおいても華僑と組んで中国資本の進出ぶりが
一層堅調のようです。(鵜野幸一郎)

     
      
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「わが祖国」を聴きながら
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       渡部 亮次郎

高く済んだ秋空の下(もと)、ひさしぶり、MDでスメタナの「わが祖国」
を聴きながら、落葉で金色に輝く公園の道を散歩した。いつもは「ラジオ
深夜便」の録音を再生したのにつづいて聴くのはモーツアルトかベートー
ヴェンなのに。

なにか壮大で厳粛な気分に浸ることができるからである。とても演歌や
フォークソングではこうは行かない。祖国、国土、独立、さらに故郷の風
物への愛を強烈に感じる。

連作交響詩『わが祖国』 (わがそこく、Ma Vlast) は、ベドルジハ・スメ
タナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響
詩から成る。スメタナは聾唖者になっていた。

全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にあ
る会場で行われた。この曲は、近来、毎年行なわれるプラハの春音楽祭の
オープニング曲として演奏されることが恒例になっている。

1 ヴィシェフラド  2 ヴルタヴァ  3 シャールカ  4 ボヘミアの牧場
と森から  5 ターボル  6 ブラニークの6曲から成るから、通しで聴け
ば1時間20分ぐらいかかる。

音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、ある貴族の家の音楽教師の
座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受
け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)となるが、作曲活動を続け、この
出来事の後に書かれた代表的な作品が『わが祖国』である。

1 ヴィシェフラド
『高い城』とも訳される。かつてボヘミア国王の住んでいた、プラハの大
きな城が描かれた作品。1874年に作曲された。吟遊詩人が古代王国の栄枯
盛衰を歌う、という内容である。

この作品の冒頭に現れ、全曲を通じて繰り返し用いられる旋律の最初の部
分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭)が音として刻まれている。

2 ヴルタヴァ 

『モルダウ』の名で知られる。一連の交響詩群の中で最も知られた作品で
あり、単独で演奏されたり、録音されることも多い。ヴルタヴァ川(モル
ダウ川)の、源流近くからプラハへと流れ込むまでの様子が描かれてい
る。1874年に作曲された。 スメタナの故郷を思う気持ちが現れている。

3 シャールカ
 1875年に作曲された。シャールカとはチェコの伝説に登場する勇女の名
である。恋人に裏切られたことによって男への復讐を決意した、という。
そのシャールカが男の兵士達を策略にはめて皆殺しにする、という(男性
にとっては首筋が寒くなる)内容である。

4 ボヘミアの牧場と森から
 1875年に作曲された。ボヘミアの美しい風景を音楽としたもの。途中、
ドイツ風の歌やボヘミア風の歌といった民族的な旋律も現れる。

5 ターボル
 1879年に作曲された。ターボルとはボヘミア南部の町の名である。フス
派の人々の拠点であった。フス派の戦士の不屈の戦いを描いている。彼ら
の間で歌われたコラール『汝ら神の戦士たち』が用いられているが、これ
は『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

6 ブラニーク
 1879年に作曲された。ブラニークとはボヘミア中部の山地の名である。
その山々の深い森の中にて1000年前のチェコ民族の守護聖人と勇士達が
眠っており、チェコ民族が存続の危機に瀕した時に彼らがよみがえって救
いの手を差し伸べる、という伝説がある。

曲は、邪悪に覆われた祖国をその勇士達が勝利を収めて解放する、という
内容である。

ベドジフ(またはベドルジハ、ベトルジヒ)・スメタナ(Friedrich)
Smetana, 1824年3月2日― 1884年5月12日)

ビール(チェコ・ビール)の醸造技師の息子として、ボヘミア北部のリト
ミシュル(Leitomischl)に生まれた。若い頃にピアノとヴァイオリンを
学び、家族の参加していた趣味的な弦楽四重奏団で演奏していた。

父親の反対にも拘らず、音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、あ
る貴族の音楽教師の座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストか
らの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)になっても作曲をつづけた。のち
1884年に正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で生涯を終え
た。ヴィシェフラトの有名人墓地に葬られている。

スメタナは、明確にチェコの個性の現れた音楽を書いた最初の作曲家であ
るといわれる。そのため、チェコ国民楽派 の開祖とされる。

彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』
は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを
多用している。

また、彼の旋律は民謡を彷彿とさせる。同じ様にチェコの題材をその作品
中に用いた作曲家として知られる アントニン・ドヴォルザークに大きな
影響を与えた。

主な作品

歌劇
『ボヘミアのブランデンブルク人』(1862)
『売られた花嫁』(1863)
『ダリボル』(1867)
『リブシェ』(1872)
『二人のやもめ』(1874)
『口づけ』(1876)
『秘密』(1878)
『悪魔の壁』(1882)
『ヴィオラ』(未完)

管弦楽曲
祝典交響曲 作品6(1853)
交響詩『リチャード三世』(Richard III)作品11(1857-58)
交響詩『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858-59)
交響詩『ハーコン・ヤルル』(Hakon Jarl)作品16 (1861-62)
連作交響詩『わが祖国』(Ma Vlast)(6曲)(1874-79)
祝典序曲 ニ長調 作品4(1848-49)
プラハの謝肉祭

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876)
弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83)
ピアノ三重奏曲ト短調作品15(1855)
『わが故郷から』(ヴァイオリンとピアノのための、2曲)(1880)

「わが祖国」の初演から100年に当たる1982年に、記念演奏会が東京で開
催された。(演奏は、ヴァーツラフ・ノイマンの指揮によるチェコ・フィ
ルハーモニー管弦楽団)同公演はライブ録音され、翌年レコードとして発
売された。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2007・11・14



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香港で想定外の大デモ
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     櫻井よしこ

「香港で想定外の大デモ、習近平の窮地」



習近平国家主席の大誤算といってよいであろうが、それも含めて自業自得
ではないか。

香港で「逃亡犯条例」改正への反対の声はおさまらないどころか、国際社
会が一斉に、香港政府と、背後で実権を握っている北京政府への非難の声
を強めている。

逃亡犯条例改正への反対デモは、6月9日の日曜日には主催者発表で103万
人、16日には200万人に倍増した。香港住民700万人の29%が街頭に繰り出
し、中国本土と一体化した香港政府に抵抗の意思を示した。米欧メディア
はデモを生中継で報じ、香港人の人権も自由も危機に瀕していると伝え続
ける。

7月1日は香港が英国から中国に返還された記念日である。この日に向け
て、デモはさらに拡大する可能性がある。その前に習氏は大阪でのG20に
出席しなければならず、そこで国際社会の非難の集中砲火を浴びるだろう。

一連の負の連鎖現象を「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏は「習主席の
もらい事故」と表現する。矢板氏の説明だ。

「去年、香港の男が台湾で女性を殺害し、香港に逃げ帰ったのです。台湾
当局は犯人引き渡しを要求しました。香港は米英などとは引き渡し条約を
結んでいますが、中国や台湾とはそのような取り決めをしておらず、引き
渡せなかった。それで香港行政長官の林鄭月娥(りんていげつが)氏は条
例改正に取りかかった。習近平や中国共産党の直接の指示ではないのです」

実はこの話には続きがある。殺人犯とされる男性の引き渡しを要求した台
湾当局は、今年5月、男性の引き渡しは求めないと方針を転換させたので
ある。理由は二つ、台湾当局は逃亡犯引き渡し条例が、後述するように中
国共産党政府に悪用されると気付いたこと、香港住民の反対の声に耳を傾
けたこと、だった。

自由は次々と奪われた

他方、林鄭月娥氏はこの機会を逃そうとはしなかった。彼女は昨年11月、
北京を訪れ習氏と長時間の面談を果たしている。その席で習氏は香港によ
り厳しい「法的整備」を求めたという。

彼女がこだわった逃亡犯条例改正案は、容疑者の引き渡し先に「中国、マ
カオ、台湾」を新たに加えた内容で、改正されれば同条例は間違いなく反
中勢力弾圧強化の手段として中国政府に利用されると、香港人は恐れた。

改正案は、引き渡されるのは香港人だけでなく、香港在住の外国人、香港
にビジネスや観光で渡航する人まで含んでいた。これには香港を支えてき
た国際ビジネス界の重鎮たちも驚いた。

殺人事件をきっかけにした改正案はこのように多方面から反対を受けなが
らも香港政府によって進められ、国際政治の渦の中で、200万人もの人々
を駆り立てるという、予想を越えた反応を生み出した。矢板氏が指摘する
ように、習氏にとっては「もらい事故」の側面もある。だが、中国政府の
年来の弾圧は尋常ならざるものであり、中国共産党の手法は国際法や人類
普遍の価値観と余りにも隔たっていて、それらが一連の反応を引き起こし
たという意味で、自業自得としか言いようがない。

1997年の香港返還以降、周知のように50年間は一国二制度の下で高度な自
治が保障されるはずが、香港の自由は次々と奪われた。2014年、香港人は
民主的選挙の実現を雨傘革命で訴えた。彼らの要求は完全に退けられ、い
ま、香港議会の議員70人の内、中国共産党が事実上指名する議員が半分以
上を占める。多数を得た彼らは香港人代表ではなく、中国共産党を代表し
て香港を監視し、香港社会を中国化するための権力者集団となっている。

彼らは如何なる意味でも中国共産党への批判を受け入れない。中国共産党
に批判的な書籍を扱っていた銅鑼湾書店の経営者らが失踪したのは雨傘革
命の翌年だった。書店の経営者らは家族にも連絡できず中国当局に拘束さ
れていた。

解放されても、彼らは以前のように自由に書籍を扱って言論、出版の自由
を楽しめるわけではない。いつ何時再び、誰にも知られずに拘束され、大
陸に連行され、最悪の場合、拷問、虐殺の悲劇に見舞われないとも限らな
い。現に書店の元店長は逃亡犯条例改正の動きを察知して、4月26日台湾
に“亡命“した。

このような一連の事実があるために、香港人は中国共産党の支配強化を恐
れ、警戒心を強めるのだ。国際社会が香港人の抱く恐怖心に共感するのも
当然だ。国際社会はかつての宗主国である英国を筆頭に、デモの市民たち
への支持を打ち出した。とりわけ強烈に反応したのが米国である。

共和党のマルコ・ルビオ氏ら8人の上院議員に下院議員も加わった10人が
連名で、香港を米国の「特別貿易相手国」リストから外す法案を提出する
構えだ。

米中対立は「文明の衝突」

現在米国が香港との貿易にかけている関税は、大陸中国とは別扱いであ
る。中国の製品であっても、一旦香港に持ち込んで加工し、「香港製品」
にすれば、関税は通常レベルにとどまる。中国製品がそのまま香港経由で
米国に輸出される場合は、現在米国がほぼ全ての中国製品に課している
25%の関税が適用される。

ルビオ氏らの法案が実現すれば香港には大打撃だ。企業の香港離れが進
み、投資も減少するだろう。中国にとっても痛手だが、香港政府の多数派
を占める中国系議員にとっては死活問題だ。香港は自由貿易で成り立って
おり、香港の中国系議員の多くは経済界の幹部だからだ。

矢板氏は、習氏には現在打つ手がなく、「死んだふり」をするしかないと
語る。

「去年、中国共産党指導部内では習氏降ろしの動きもあったのですが、た
とえ李克強氏に交替してもアメリカの対中姿勢は変わらないと、彼らは
悟ったのです。米中対立の構造が変わらないのであれば、指導者を引きず
り降ろす意味もない。このような認識が内政も外交も手詰りの習氏の立場
を逆に安定させています」

共産党内の権力闘争が米国の「固い意思」の前で暫時休止しているという
のである。米中対立はいまや「文明の衝突」にもたとえられる。米国の要
求は中国がルールを守るフェアな国になることだ。知的財産も情報も先端
技術も盗んではならず、少数民族を弾圧してはならず、人権を尊重せよと
いう当然の要求だ。だが米国の要求を容れれば中国共産党の一党支配体制
は崩壊する。

米中の戦いで、わが国は日本の依って立つ価値観をもっと鮮明にしなけれ
ばならない。価値観外交を標榜してきた安倍政権は、いま、最低限、香港
の人々のデモに明確な支持を表明すべきだ。さらにウイグル人への弾圧に
も、台湾に対する圧力にも、日本ははっきりと反対の姿勢を打ち出し、中
国に物申すのがよい。
『週刊新潮』 2019年6月27日号 日本ルネッサンス 第857回



     
        
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重 要 情 報
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◎年齢を基準に物事を考えると:前田正晶

「先輩対後輩の間柄」とは異なる話題になるかも知れないが、サッカー界
では出身大学が異なっても学年が上の人に対しては当然敬語を使うし、下
の人を「君」で呼んでいるのだった。今となっては先輩・後輩の関係を嫌
う私でもサッカー界の習慣に従って、余所の大学のサッカー部出身の財界
人OBの某氏は3学年下なので「君付け」にしていたし、未だにそれで通し
ている。だが、昨年久しぶりに会った時に彼を「君」と呼んで、何となく
失礼ではないかと気が咎めた感があったりしたものだった。

私が未だ母校のサッカー部の非公式なコーチをしていた頃に、全日本代表
が練習するグラウンドがないからと、あの砂埃が舞い立つ四谷のお堀のグ
ラウンドを借りにきたことがあった。昭和30年代の全日本はこういう何と
なく寂しい存在だったことなど、現在では想像も出来ないだろう。その中
に弟の慶応の下級生だった選手が2名いて、何を差し置いても(私の好み
ではない表現だが)先輩である私に挨拶に来て、我がサッカー部の学生た
ちは「コーチが如何に偉いのか」を知らしめたのだった。私はこういう先
輩・後輩関係は尊重しても、決して好みではないのだ。

それは、既に述べたことで、私が先輩対後輩の間柄を尊ばないようになっ
たのは、年齢や性別による差別というが区別をしていないアメリカのビジ
ネスの世界に20年以上も在籍して、そのアメリカ文化の方が私には居心地
が良かったからに他ならない。だからこそ、我が国独特の文化であり習慣
である年功序列であり、年長者を先輩として敬う世界というか仕組みに今
更戻って行きたくはないと思うようになったのだ。アメリカは「実力の世
界」の如くに考えておられる向きもあるだろうが、必ずしもその通りでは
ないのが実態で、この件は別の機会に解説する。

あの神奈川県下を大騒ぎさせた逃亡犯の小林誠が神奈川県下で泊まり歩け
ていたのは、泊めた者たちが「先輩の要請を断り切れなかった」と報じて
いた。私はアメリカの影響もあって「自分とは異なる分野で十分に活躍し
て実績を挙げておられる方が、仮令私よりも年下であっても私は先輩面を
するべきではない」と思っている。解りやすく言えば、我が国の伝統であ
る「先輩対後輩の間柄」をこの期に及んで、自分から尊重しようとは思っ
ていないということ。




◎先輩を敬うのは我が国独特の文化というか美風かも知れない:前田正晶

テレビ報道によれば、26日に採り上げた吉本興業所属の者たちで反社会
的勢力の宴会に闇営業とやらで出演したのは輩の中には「先輩の誘いを断
ることが出来なかった為」という言い訳をして者がいるとかである。

確かにテレビだけでしか知り得ない事だが、彼らは「先輩は後輩の面倒を
見るべき存在であり、その時の状況によって先輩が食事代や飲み代を負担
するものである」と常に言っているようである。思うに「芸人というかタ
レントたちの世界にはそういう風習があり、後輩は先輩の言うことに何を
さて措いても従うべきである」という基準があるようなのだ。

私は彼らの世界の文化には全く関心がないので、「先輩」と「後輩」が
どのように定義されているかは知らない。年齢なのか、あの世界に入った
年次を指すのか不明であるという意味。間違ったらご免なさいだが、プロ
野球の世界では「生まれ年」で決まるようで、高卒で入った者と4年後に
大卒で入団した同い年の者は対等であると聞いた記憶がある。私はそのよ
うな厳密な文化?(決め事)がある訳ではない湘南中学から高校までの間
のサッカー部では学年が基準になっていたし、それが長幼の序が存在する
我が国では普通のことだと思っていた。

私が今回の騒動を見ていて思うことは、彼ら芸人の世界では我が国独特
の文化であり年長者を敬うというのは美徳でもあるのだろう。だが、「先
輩。後輩」という間柄が価値判断の絶対的な基準になっていることがあの
闇営業をもたらす原因にもなっていたのであれば、決して美しいことでも
何でもないとしか思えないのだ。。私も運動部の世界で育っては来たが、
1972年からはアメリカの会社に転じ、そこは年齢も経験年数が地位や偉さ
や物事を決める基準にはなっていないと知ったのだった。

即ち、何処の企業に行っても同じだとは思うが、少なくとも我が事業部
内では副社長兼本部長の下に部員全員が横一線であり、そこには先輩や後
輩とかいう基準は一切存在していなかった異文化の世界だった。現実的に
は、私が生涯最高の上司と敬っていた副社長兼事業本部長は10歳年下だっ
たが、とても太刀打ちしようとも思ったことない凄い能力の持ち主で、前
歴が地方の工場の会計係であったにも拘わらず、何時の間に学習したのか
と驚倒させられたほど技術的な面では博士号を持つ技術者たちと対等にマ
シン操業の技術論を交わすほどの知識を蓄えていた。

要するに、彼には黙って従っていくしかなかったほどの明晰な頭脳の持
ち主である優れた経営者だったのだ。同じ事業部内の同僚も私よりも年下
の者ばかりだったが、彼らと私の間も、全員も皆対等な間柄であって「先
輩、後輩」という基準乃至は関係は全く存在しなかった。ましてや、全員
が中途入社だから年齢は何の基準にもなり得なかったのは当然のこと。故
に、私にとっては「先輩対後輩」という関係が尊重される我が国の文化圏
を離れたことは、結果的に私の為には良かったのだと考えている。

言い換えれば、アメリカとは年齢と入社年次による「先輩と後輩」とい
う束縛がないで世界だということ。あの未だにテレビ局が採り上げて騒い
でいる闇営業騒動について何が言いたかったのかと言えば、彼らが「先輩
芸人に誘われたから、宴会に参加するしかなかった」という事態を、一般
の常識的な世界に住む人たちに何処まで解って貰えるのかという疑問であ
る。私はテレビ局が採り上げて騒いでいるのは、彼らの仲間内の価値の基
準に根ざした彼らの世界の中での騒動だからではないのか」と解釈してい
る。一般の社会の常識人は放っておけば良いことではないか。



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━

28日の東京湾岸は曇天。

隣の江東区立第三亀戸中学校ではプールが27日から賑わい始めた。


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  • 名無しさん2019/06/29

    LED 目に刺さる

    https://www.google.co.jp/search?biw=1280&bih=640&tbm=isch&sa=1&ei=i38WXd-rJ8nemAXV3LaQDA&q=%EF%BC%AC%EF%BC%A5%EF%BC%A4+%E7%9B%AE%E3%81%AB%E5%88%BA%E3%81%95%E3%82%8B&oq=%EF%BC%AC%EF%BC%A5%EF%BC%A4+%E7%9B%AE%E3%81%AB%E5%88%BA%E3%81%95%E3%82%8B&gs_l=img.3..0i24.7974.15348..16335...0.0..0.931.3157.3-2j1j2j1......0....1..gws-wiz-img.u5sPh8t_KD8

    【コンス・マンセー!!!】日本の伝統的なしきたりや礼儀作法のすばらしさを(金儲けのために)見直したのは私(明石伸子 あかし のぶこ)です 

    https://blog.goo.ne.jp/chaos1024/e/635d2b1c1f62065a54aa250fa4245501

    朝鮮化する日本 / アジア人になってしまう日本人 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68771291.html

    元東京入国管理局入国警備官が激白!”不法外国人”の実態とは? https://ameblo.jp/japangard/entry-12484180042.html

    フクイチがヤバいぞ! http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-787.html

    ナポリタン

    https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwidw7Olio3jAhVjFqYKHdqzCYgQ_AUIECgB&biw=1269&bih=305&dpr=1.5

    舛添要一湯河原は創価学会嫁の実家で政治家はトップリーダーの意味? http://hatekorea.blog.fc2.com/blog-entry-335.html

    夫婦別姓反対! https://ameblo.jp/konichiwa/theme4-10019530156.html

    驚きです。 https://ameblo.jp/yamada-masahiko/entry-12463277163.html

    寝観音

    https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AF%9D%E8%A6%B3%E9%9F%B3&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj5zaazi43jAhU5JaYKHaJaBscQ_AUIECgB&biw=1269&bih=305&dpr=1.5

  • 名無しさん2019/06/28

    世界は「革命」と言うべき変革の時代を迎えた。そのタイミングで平成天皇が譲位を求めたのは偶然ではない。新しい時代が来たからこそ、新しい元号(令和)を求めたのだ。そして変革の時代は、旧世代の血を求める。旧世代の支配者たちの排除が行われるからである。



     世界は、毎日のように「信じられないニュース」で溢れ返っている。従来の価値観では理解しがたい事象に多くの人が混乱している。全ては改革に伴い流された血であり、戦いによって生じた結果だ。それでは、正式に平成の終わりが決まった2017年12月から2019年3月にかけての世界の動きを列挙してみる。



    旧支配者の代理人マクロン仏大統領の支持急落



    レームダックのメルケル独首相



    EUに従わないと宣言したイタリア右派連立政権



    加速するEU解体



    宗教会の不気味な動き



    殺害されたジョン・マケイン



    世界に広がる各界トップの怪死・変死



    アメリカは既に内戦状態



    アメリカ解体はもはや不可避



    サルマン皇太子はすでに死んでいる



    ネタニヤフ首相の逮捕は時間の問題



    3・11テロの真実が暴かれる日も近い



     旧支配者の代理人マクロン仏大統領の支持急落



     2018年11月17日、ガソリンの値上げに抗議した市民が、「国の主要道路を封鎖する」という手法で大規模なデモを敢行し、「黄色いベスト」運動が勃発した。



     フランス当局の発表では、フランス国内1000カ所で30万人がこれに参加したという。世論調査ではフランス人の73%がこれを支持した。結果、ロスチャイルドの元銀行マンであるエマニュエル・マクロン大統領の辞任を呼びかけるデモは、政権を崩壊させるほどの勢いへと拡大し、デモ隊の一部が暴徒化し、投石や放火を行うなど過激な抗議活動は、「第2のフランス革命」と感じた者が多かった。



     同年11月28日に公表された世論調査では、フランス人の84%が「デモ隊を支持する」と答えている。さらにフランス軍幹部10名がマクロンに対する抗議文を公開した。その書簡には、「マクロンが国連のグローバル・コンパクト(GCM)に調印したことが反逆行為に当たる」との内容が綴られている。



     マクロンは大統領でありながら、フランス当局(治安組織)から相当に嫌われているため、外国人の警備隊を雇っている。しかも、マクロンはその警備隊らと英語で会話をしている。そのことから、フランス市民にとって、今のフランスは「ナチスの支配下にある」と感じている。フランス市民は、マクロンを「ナチスの子分」と思っているのだ。その証拠に、マクロン大統領が2018年11月6日にフランスメデイアのインタビューで「中国、ロシア、アメリカから身を守るために、ヨーロッパ独自の欧州軍が必要だ」と息巻き、アメリカのドナルド・トランプを激怒させた。要するに、「EU軍=ナチスの軍隊を作る」と言ったも同然だった。これに対し即座にトランプ大統領が「非常に屈辱的」とツイッターで批判、トランプ政権を支える米軍主導の軍事政権にせよ、「EUは敵」という認識を強めるきっかけとなっている。



     フランス市民がマクロンを否定するのは、彼がフランス大統領という意識がないためである。マクロンは元ロスチャイルド銀行という経歴からもわかるように、旧支配者たちの代理人である。大統領でありながら、その感覚は市民ではなく、雇用者である旧支配者たちしか見ていない。フランス市民を奴隷としか思っていないわけである。



    レームダックのメルケル独首相



     フランスで巻き起こった「黄色いベスト運動」は、2019年にかけてベルギーやオランダ、イスラエルなどへと次々に飛び火し始めている。ドイツのアンゲラ・メルケル首相も、当然のように追い詰められている。2018年10月29日、メルケル首相は「12月のキリスト教民主同盟の党首選には立候補せず、2021年で首相の任期が切れたらすべての政治活動から身を引く」と宣言した。



     実は、「先のフランスデモは、メルケル首相の退任宣言が引き金だった」とフランス情報誌は伝えている。盤石な権力を誇っていたメルケル首相が追い込まれたのは、移民問題によるドイツ政府の足並みの乱れがあった。



     ホルスト・ゼーホーファー内相は、移民受け入れを推進するメルケル首相と以前から対立していた。さらに、メルケル政権の側近中の側近であるフォルカー・カウダーが「与党内の反乱」で失脚した。つまり、院内総務選挙でメルケルが推すフォルカーが破れ、与党内の別の議員が推薦したラルフ・ブリンクハウス議員が選出されたのだ。これについてドイツ議会やマスコミは「政権内には首相への不満が渦巻いている」とし、メルケル時代の幕を下ろす出来事だと伝えている。メルケルは既に党首のみならず、首相の地位から実質引きずりおろされた。少なくとも完全なレームダック(死に体)になっている。