政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針5027 号  2019・4・27(土)

2019/04/27

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わたなべ りや うじらう のメイル・マガジン「頂門の一針」5027号
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        2019(平成31)年 4月27日(土)



           日本語は私と台湾の架け橋:Andy Chang 

              「風立ちぬ」の命日:渡部亮次郎

         文在寅、親北反米路線で確信犯:櫻井よしこ
                      
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記



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日本語は私と台湾の架け橋
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      Andy Chang 

台中の喜早天海さんからメールが来て、今年1月の忘年会を最後に
「台日会」(台日交流聯誼会)を解散することになった、以後は食事
会だけとすることにしたとのことだった。

「台日会」は1999年10月に喜早天海さんが世話人となって立ち上げた「台 中会」(台湾中部地区聯誼会)を2005年に「台日会」に変えた日本語世代 と日本人の聯誼会である。

つまり喜早さんはこの20年来、台湾中部における台湾人日本語世代と在台 日本人、及び在日湾生(台湾生まれ日本人)の聯誼会の発起人、世話人で ある。20年にわたる台湾と日本の架け橋、まこと
にご苦労様でした。

1945年に太平洋戦争が終わってから74年たって台湾人の日本語世代が
少なくなり会員も減ってしまったので台日会の解散は当然の成り行き
だった。

日本語世代とは戦争が終わるまで日本語教育を受けた人たちのことであ る。戦争前に台湾に生まれ、ある程度の日本語教育を受けた世代は昭和一 桁までである。日本語を聞いてわかる、話せる、書けるという3階段を自 在にこなせる世代とは少なくとも終戦までに中学3年ぐらいの日本語教育 をうけた人達のことだから90歳前後で、今ではほとんど居なくなった。

私は昭和9年、つまり昭和一桁最後の年に台湾嘉義市に生まれた。旭
小学校で四年まで日本語教育を受けたことになっているが実際には4
年に上がってまもなくアメリカの飛行機が毎日のように爆弾を落とす
ようになったので二学期が始まるとまもなく田舎に疎開した。

つまり私が正式に受けた日本語教育は小学校3年プラス1学期だけである。

戦争が終わって中学、大学と中国語の教育を受け、1年半の兵役のあ
と1959年に24歳でアメリカに留学し、博士号を取得した後就職してア
メリカに帰化した。それから2019年の今日まで60年余りアメリカで暮
らしている。台湾に生まれて24年、アメリカで60年、日本に住んだこ
とはない。それでも私の母語は日本語で、日本語のお蔭で台湾との繋
がりが続いている。

60年もアメリカに住んでアメリカで仕事をしていた約40年間は台湾の
父母が健在だったが、父母が亡くなり、アメリカの職を引いた後の20
年は個人的な台湾と繋がりである。

アメリカに住んでいながら台湾との繋がりがあったのは、一つには台北俳 句会に加入したこと、もう一つは日本のメルマガでAC通信を立ち上げて日 本語で記事を書き、日本語世代の先達が記事をコピーして友人に送った り、宮崎正弘さん、渡部亮次郎さん、金谷譲さんなどがそれぞれのブログ に転載してくれたおかげで台湾と日本の読者や友人が増えた。

つまり台北俳句会とAC通信で書き続けたおかげ、日本語が私と台湾、私と 日本の架け橋となったのである。アメリカで英語で暮らしている私が日本 語の物書きとなったおかげで日本や台湾に友人知人がたくさん出来たのは 誠に不思議な縁と言える。

台北俳句会に入会したのはひょんな出来事からだった。中学の先輩
で私と兄弟付き合いをしていた陳錫恭さんが台北俳句会で披講役をし
ていて、ときどき句会報を送ってくれるので、92年の夏に私が「台北
俳句、みんなうまくなった。

以前はオレの方が…と思っていたのが、やがてオレだって…となり、今では オレよりも…となった」と冗談メールを送ったところ、錫恭さんが「生意 気なことを言うな。それなら自分でやってみろ」と言って無理やり入会さ せられ、アメリカから台北俳句会にファックスで投句していたのである。

それから間もなく母がボケて、父も白内障と難聴で日常生活が困難
になったので兄弟に助けを求めた。ところが日本の兄弟たちいろいろ
口実をつけて親の世話をしないので仕方なく私が引退してアメリカと
台湾を行き来して親の世話をすることになった。

こうして俳句会に出席する機会もあるようになり友人も増えた。俳句会で 仲良くなった陳蘭美さんは新竹高女の出身で、96年ごろに彼女の同窓生 だった台中の鄭順娘さんを紹介された。鄭さんは有名な台中県霧峰の林献 堂氏の後裔で、社会奉仕に熱心な方で画家でもある。順娘さんのお宅を訪 問するようになったお陰で喜早さんと知り合ったのは98年ごろである。

劉丕さんとも仲良くなってときどき鄭順娘さんのところで一緒になって
いた。

父母の世話をしていた頃はまだパソコンの日本語ソフトが普及して
いなかったので、ワープロで「フライディ・ランチクラブ」を書き、
1996年に日本の新風舎で出版した。このあと兄弟のあまりにもひどい
親不孝を書き綴った「不孝のカルテ」を1999年に東京図書出版会から
出版した。

2000年になってパソコンでメールマガジンを発行するようになり、
メール通信で私の記事を読んだ神保隆見さんに誘われて、神保さんと
田中宇と私の三人でMicrosoft Magazineに「国際通信」を立ち上げた
が数か月で解散になったので、Melma!から私個人の「AC通信」を立ち
上げ今日で19年目になる。

AC通信に登録した読者は今では805人だが、「宮崎正弘の国際ニュース」 と渡部亮次郎氏のメイ ル・マガジン「頂門の一針」が私の記事を転載し てくれるので日本の読者は多い。
以前は金谷譲氏も転載していたが最近の事情は知らない。他にも二
三、転載許可を求めた来たブログがあったが転載は自由なので確かな
読者数は知らない。

 台湾の日本語世代はパソコンが出来ない人が多いので台北の「友愛
会」の張文芳主宰が「AC通信」をコピーして頒布していた。友愛会の
ほかに品川淳さんがパソコンを指導した台中一中の先輩たちと知り合い、
親しく付き合っていたが今ではみんな亡くなった。日本語世代は台湾
にもアメリカにもいるのでAC通信のお蔭で友人がずいぶん増えた。日本
語は私と台湾と日本の架け橋なのだ。日本語世代の人たちが記事をコ
ピーして友人に分けているので知らない読者も多い。

 AC通信を始めた2000年はちょうど陳水扁が台湾総統に当選して新政
権を始めたばかりだったが、国民党の陳水扁政権に対する迫害があま
りにも酷いので、台湾丸の沈没?」シリーズを書き始めた。

このシリーズが日本と台湾で非常に受けて、読者から中国語で書けと言わ れるようになった。私には日本語で書く方が早いし中国語のワープロが複 雑で不便である。それでもなんとか中国語の手書きワープロで翻訳して 「台湾号会沈没?」を前衛出版社から出したのが2002年。

続けて日本語の記事「ガンバレ台湾丸」を翻訳して2004年に「台湾号加 油!」を発表した。日本語版に続けて中国語版を作る作業は二重の労苦で ある。

2004年に陳水扁の第2回総統選挙で狙撃事件が起きた。もちろん国
民党の陰謀だが、国民党はこれを陳水扁の自作自演の陰謀と言い張っ
て大々的なでっち上げ調査を行ったので、国民党の嘘を暴くためAC通
信で狙撃事件を追及し、2005年に前衛出版社から「連宋之乱的真相」
を出版した。

これに続けて「台湾丸の難航」(日本語)と「台湾号的難航」(中国語) を2005年、「台湾丸的航向(台湾丸の針路)」を2009年に発行した。メル マガの「台湾丸」記事を中国語に訳して台湾で発行する仕事は2009年限り で止めた。

台湾丸シリーズの外に私が国民党の汚職の真相を追求した事件がラ
ファイェット事件である。1987年に台湾の海軍がフランスからラファ
イェット型巡洋艦を6隻購入する計画を立てたが、同じ巡洋艦6隻をシ
ンガポール海軍が12.5億ドルで購入したのに、台湾の中華民国海軍は
予算をどんどん追加して最終的に26億ドル余で契約し、おまけに18%
のリベートと言うとんでもない契約である。

ところが契約を結んだ直後に中国が抗議し反対したのでフランス政府は販 売を一時中止し、デュマ外相がラファイェットの設計図を中国に「進呈」 したあと、台湾の海軍は巡洋艦の武器系統全部を中国に献上し、空になっ た船の武器装備のために新たに20億ドルの武器購買予算を組んだのである。

12.5億ドルから26億ドルに膨れ上がった予算のうち13億ドルを台湾海
軍、フランスと中国の三国で分けたのである。新しい武器購買のため
にフランスに赴いた尹清楓海軍大佐が台湾海軍のとんでもない汚職の
事実を発見し、告発しようとして93年12月に殺害された。これがラフ
ァイェット疑獄である。

ラファイェット疑獄は海軍のチンパン(青幇)と竹聯幇が中国と繋
がっているので、調査が進むと台湾では尹清楓大佐の外に12人ほどの
関係者が不審死を遂げたし、フランスでも関係者12人ほどが不審死を
遂げている。

私はAC通信で2005年12月年から2006年12月までラファイェット疑獄を
追及し、まとめて「拉法葉弊案的研究」を2006年に出版した。続いて
2008年にはラファイェット疑獄のスライドを作って台北の楊基詮中心
で台湾語で講演、友愛会で日本語の講演をしたあと日本に赴き靖国会
館で日本語、東京の外人記者クラブで英語の講演を行った。

日本での講演は宮崎正弘先生と東海子さんのお世話になった。

日本と台湾の繋がりはアメリカでもいろいろな会合を作って行われた。
2003年ごろからロスアンゼルスの台湾人十数人と「南加州台湾会」を立
ち上げ、定期的に会合があった。当時の台湾問題についてスライドを
作り、年に3回ほど台湾に行き、台北の楊基詮中心、新竹や台中、嘉義
などで講演していた。

また、台湾人の会合とは別にロス在住の日本人と台湾人数人で「緑の会」 を作り、台湾の現状や独立問題について講演会を開いていたが2011年に解 散した。

台湾独立宣言については有名な1964年に有名な彭明敏の「台湾自救
運動宣言」がある。これは台湾独立運動の重要な文献で彭明敏、謝
聰敏、魏廷朝の3人がコピーを作成した時点で逮捕された。

私はこの独立宣言を読んだあと、2009年9月に南加州台湾会で「彭明敏の 独立宣言は台湾人に向けて書かれたものだが、台湾人が外国に向けて書
いた宣言ではない。よって我々が外国に向けた独立宣言を発表したら
どうだろう」と提案したところ全員が大賛成、我われの宣言を作るこ
とになった。これで12人が原稿作りを始めたが、10月に私が英語、
日本語、中国語の原稿を作成したものの、もう一つの原稿は外国向けと
台湾向けの内容となり、私の「外国向け宣言」とその他の「外国と
台湾人民向け」の2つの原稿で論争が起きた。

2010年4月に二つの原稿を台湾に持ち帰って鄭自才氏と2人で6箇所
ほどの団体を訪問して意見を聞いて回ったところ、台湾の諸団体は
みな「台湾向けの独立主張は我われがやっている」と言い、「外国
向け宣言」に賛成だった。この結果をアメリカに持ち帰って報告し
たが賛成を得ることが出来なかったので、やむなく私が一人で資金
を集め、2010年7月10日にニューヨークタイムスで「台湾人民独立
宣言」を発表した。この発表は親友の郭さん、林さん、呉さんの援
助で発表したのである。このように台湾人には独立願望があるにも
拘らず意見がなかなか纏まらないのが実情である。

台湾独立は政府に頼ることが出来ない。今の台湾政府は中華民国
政府で台湾国政府ではない。人民団体は意見がまとまらず実践行動
が少ない。中国の金銭と武力外交によって台湾とが外交関係のある
国はどんどん減っていく。政府がやらないなら国民外交をやるべき
だが意見が一致しない。

2011年に私が「東南アジア平和聯盟」(PASEA:Peace Assosiation
of SouthEast Asia)を提案し、南加州台湾会では全員賛成だった。
PASEAはマハティールが提案したASEAN、2012年に安倍首相が提案し
たダイアモンド構想と同じだが、違うのは台湾の民間団体が主導し
て行うことである。ところが台湾で幾つかの民間団体にPASEAを説明
したら誰も賛成しなかった。台湾の民間団体は国民外交に興味が
なく政府もやらない。これでは国際的に孤立した台湾の状況を改善
できない。私の提案も机上の空論となった。

思いつくままこの20年間の私と台湾の繋がりを書いてみた。この
20年のあいだAC通信を通じていろいろな人と知り合い、いろいろな
人に大変お世話になった。感謝の心でいっぱいである。

室生犀星は「ふるさとは遠くにありて思ふもの、そして悲しくうたふ
もの」と書き、「よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰ると
ころにあるまじや」と続けた。そうだろうか?

私にとって「骨は異郷に朽ちるとも、こころは故郷台湾に」である。
遠くカリフォルニアに居ても台湾を思うこころは変わらない。
私と台湾の架け橋は日本語であることにも変わりはない。
台北俳句会は続けるし、AC通信も可能な限り続ける。



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「風立ちぬ」の命日
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    渡部 亮次郎

5月28日。名作「風立ちぬ」の作者。20世紀の業病(号病)肺結核をモ チーフにし、肺結核に倒れた堀辰雄の命日である。今から61年前、 1953(昭和28)年のことだった。

「風立ちぬ」という松田聖子のアルバムもあるが「立ちぬ」という感傷的 な語感を借りただけで、堀の作品とは無関係である。

堀 辰雄(ほり たつお)のことを知ったのは中学生の頃で、兄が読んでい たのを勝手に読んだのかも知れない。死去した時は既に高校2年生。関心 は別のところに変わり、その死は知らなかった。

堀 辰雄は 明治37(1904)年12月28日、東京市麹町区平河町(現在は東京 都千代田区)で生まれた。 最終学歴は東京帝国大学国文科。

東京府立三中から第一高等学校へ入学。入学とともに神西清と知り合い、 終生の友人となる。

高校在学中に室生犀星や芥川龍之介とも知る。一方で、関東大震災の際に 母を失うという経験もあり、その後の彼の文学を形作ったのがこの期間で あったといえる。

東京帝国大学文学部国文科入学後、中野重治や窪川鶴次郎らと知り合うか たわら、小林秀雄や永井龍男らの同人誌にも関係し、プロレタリア文学派 と芸術派という、昭和文学を代表する流れの両方とのつながりをもった。

1930(昭和5)年に『聖家族』で文壇デビュー。 このころから肺結核を 病み、軽井沢に療養することも多く、そこを舞台にした作品を多くのこし たことにもつながっていく。

1934年、矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を病んでいたために、翌年、 八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。しかし、綾子はその 冬に死去。この体験が、堀の代表作として知られる『風立ちぬ』の題材と なった。

この『風立ちぬ』では、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』を引用して いる。このころから折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受ける。

王朝文学に題材を得た『かげろふの日記』のような作品や、『大和路・信 濃路』(1943年)のような随想的文章を書き始める。また、現代の女性の 姿を描くことにも挑戦し、『菜穂子』(1941年)のような、既婚女性の家 庭の中での自立を描く作品にも才能を発揮した。

戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代 の中にも多くの支持を得た。また、堀自身も後進の面倒をよく見ており、 立原道造、中村真一郎、福永武彦などが弟子のような存在として知られて いる。

戦争末期からは症状も重くなり、戦後はほとんど作品の発表もできずに、 信濃追分で闘病生活を送った。

代表作「風立ちぬ」は1936(昭和11)年から執筆、『改造』などに分載さ れたのち38年4月野田(のだ)書房より刊行。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」とバレリーの詩句の引用をもって始め、リ ルケの『鎮魂歌(レクイエム)』をエピローグに置く。

高原療養所とそこから山一つ隔てた「K村」とを舞台に、婚約者節子の病 床に寄り添い、やがて彼女に先だたれていく「私」が、死にさらされた自 分たちの生の意味と幸福の証(あかし)とを模索し、ついにそれらについ ての確信を得ていく過程を描く。

婚約者矢野綾子の死という自らの痛切な体験を、詩情あふれることばのな かで昇華し永遠の生の思想を訴えかけてくる点において、堀文学の代表的 名作となっている。
昭和28( 195年5月28日信濃追分(現・長野県北佐久郡軽井沢町)で死去 (満48歳没)2010・5・26
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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文在寅、親北反米路線で確信犯
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        櫻井よしこ

南北両朝鮮が米国に追い詰められている。とりわけ韓国の文在寅大統領へ の米国の圧力は巧妙である。

4月11日、文氏は“建国”を祝う予定だったが、米韓首脳会談のため、大事 なその記念式典を諦めて訪米した。にも拘わらず、ホワイトハウスでのト ランプ大統領との会談は、前代未聞の哀れな結果に終わった。

文氏は10日にソウルを出発し、同日夕方にワシントンに到着したが、米国 側との予定は一切組まれていなかった。翌11日午前中に、ポンペオ国務長 官、ボルトン大統領補佐官、ペンス副大統領とそれぞれ面会したが、三氏 共に文氏の北朝鮮寄りの姿勢に批判を加えたと見られる。北朝鮮に非核化 の意思は読みとれず、制裁緩和はあり得ない、米国はむしろ制裁強化を考 えていることなどが強調されたと考えてよいだろう。

その後、トランプ、文両首脳は夫人を伴って首脳会談を行った。夫人同伴 の首脳会談など通常はあり得ない。トランプ氏は文氏と二人で語り合う必 要を認めていなかったのだ。現に会談冒頭、メディアからゴルフのマス ターズトーナメントの勝者は誰になると思うかと問われ、トランプ氏は文 氏を横においたまま延々と語った。結局27分間もトランプ氏の話が続き、 文氏との会談時間は驚きの2分間、しかも通訳つきだ。その後に他の閣僚 たちも参加しての昼食となった。4月12日、ネット配信の『言論テレビ』 で元駐日韓国大使館公使の洪熒(ホンヒョン)氏が語った。

「2月末にベトナムの首都ハノイで米朝会談が決裂した後、文氏は康京和 (カンギョンファ)外相や鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防部長官を米国に送 り、三度目の米朝首脳会談の開催や対北朝鮮制裁の解除を要請させまし た。対北経済援助で米国には負担をかけない、韓国が負担するので開城 (ケソン)工業団地も金剛山(クムガンサン)観光も再開させてほしい、など とも言わせました。米国側は全て拒否し、そのような話題であれば、米韓 首脳会談はなしだと、通告したのです」

一人飯

朝鮮問題の専門家でシンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力 氏も『言論テレビ』で語った。

「朝鮮語で『一人飯』をホンバプといいます。韓国の若者の間で一人でご 飯を食べるのが増えていて、ホンバプという言葉が流行っているのです。 文氏は米国到着の10日夜がホンバプ、11日朝もホンバプ、11日昼にようや く米国側との食事にあり付いた。本当に相手にされなかったのです」

米国の厳しい態度は文政権の裏切りに対する冷遇だと洪氏が断じる。文氏 の裏切りとは、米朝首脳会談を実現させるために、文氏が金正恩氏は北朝 鮮の非核化を決意していると米国に伝えたことだ。正恩氏が表明したのは 北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化である。これは韓国を守るた めに米国の核を使うという発想自体もなくしてしまうこと、即ち米韓同盟 の破棄を目指す言葉であり、北朝鮮が所有する全ての核や関連施設の一掃 とは、全く異なる。

当初、北朝鮮の非核化に希望を抱いたトランプ政権は、やがて正恩氏に非 核化の意思がないこと、文氏の嘘を確信したと思われる。国連制裁に違反 してでも北朝鮮支援に動こうとする文氏を牽制するために、米国政府は文 政権の頭越しに韓国の経済界に働きかけ始めた。

昨年9月には、ニューヨークにある韓国の七つの銀行の支店に米財務省が 直接電話をして、米国が北朝鮮に制裁をかけていることを承知しているか と警告した。西岡氏が語った。

「韓国系の銀行は現在、送金業務を止めているといわれます。もし送金に 北朝鮮と関係する資金が入っていれば、米国の副次的制裁(secondary sanction)を受け、一切のドル決済が停止されるやもしれない。そうなっ たら銀行は潰れます」

昨年4月27日の板門店での南北首脳会談にも、9月18日の平壌での南北首脳 会談にも、文氏は多くの韓国企業代表と開城工業団地の組合長らを同行さ せた。文氏は金正恩氏と共に白頭山に登ったが、そのとき正恩氏に開城工 業団地組合長を紹介し、組合長に直訴させた。「委員長様、何とか開城工 業団地を再開させて下さい」と。

正恩氏は今年新年の辞で「南朝鮮の人民の要望に応えて、無条件で開城工 業団地を再開する」と演説し、それを受けて文氏は開城工業団地再開で米 国を説得すると公言した。だが、北朝鮮を利するだけの工業団地再開に は、前述のように米国が完全拒絶の姿勢を貫いた。

支持率は下がる一方

その間、ソウルの米大使館の専門官は文氏に同行した財閥や企業に直接電 話攻勢をかけた。米政府が北朝鮮に制裁をかけているのは承知か、と警告 したのである。洪氏が強調した。

「米国は朝鮮半島での70年間に多くの教訓を得ています。そしていま、文 在寅と韓国企業を切り離しているのです。文は米国の警告を聞かない。な らば企業や韓国国民に直接働きかけようというわけです。核を諦めない北 朝鮮に送金を続けるのか、米国との貿易や自由社会との絆を選ぶのか、と 米国は迫っています」

韓国国民も文氏の危うさを実感しているに違いない。支持率は下がる一方 だ。経済は停滞し失業率は高まり続けている。にもかかわらず、文氏は最 低賃金をこの2年間で約30%も引き上げた。残業を規制し労働時間を大幅 に短くした。人件費は高騰し、倒産は急増、失業率がさらにはね上がる悪 循環である。笑い話のような現実を西岡氏が紹介した。

「統計上失業者が増えると困るので、文氏は60歳以上の失業者に週1回大 学に行って電気を消す、又はゴミ拾いをするなどの仕事を作り、役所が賃 金を払うことにしました。税金で失業率の統計に化粧を施しているのです」

支持率低下や米国の警告にもめげず、親北路線を変えない強い反米の意思 が文氏の人事から読みとれる。一例が統一部長官に指名された金錬鉄(キ ムヨンチョル)氏である。この人物は米国が韓国に要請した THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に反対し、開城工業団地の早 期再開を主張する反米主義者である。

同人事は韓国議会の反対にも拘わらず、文氏は考えを変えなかった。文氏 は米国に公然と対立姿勢を見せたに等しく、米国を欺く手法で開城工業団 地再開をはじめ北朝鮮支援に走り出しかねない。

暴走の気配を見せる文氏に、米国が対決姿勢を強め、韓国国内では対抗勢 力が力をつけつつある。2月27日、自由韓国党の代表に黄教安(ファンギョ アン)氏が選ばれた。朴槿恵政権で法務部長官や首相を務めた公安検事出 身の62歳は、文政権の安保政策と経済政策を「亡国政策」と批判する。

野党勢力はまだ弱いが、それでも文氏の足下は決して盤石ではない。韓国 はいつ何が起きてもおかしくない緊張の中にある。
『週刊新潮』 2019年4月25日号 日本ルネッサンス 第849回


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重 要 情 報
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◎続「英語はこうやって学ぼう」:前田正晶

私の持論は「英語には『答えは一つ』という考え方は通用しない。人に よって(と時と場合によって)考え方が違うのだから」である。「ここで 携帯電話の使用禁止」と言いたければ、先日採り上げたい表現以外にも未 だ色々とあると思う。そこで、思いつくままに例を挙げてみよう。

“You are not allowed to use mobile phone, here.”でも良いだろうし、
“Use of cellphone is strictly prohibited here.”でも通じると思うし、

“We don’t permit anyone to use smartphone, here.”でも理解して貰え ると思うし、

“Please don’t use your mobile phone in this room.”でも意味を為すだ ろう。

これら以外にも未だ幾らでも言い方があると思うので、考えて見た頂きた い。要するに「自分が何を言いたいのか」を瞬時に日本語ででも思いつか ないとか、理解できていないようでは英語で言える訳がないし、またそう いうことを日本語で考えているようでは、未だ未だだということでもある のだと言いたい。この辺りを私は「頭の中のギアを如何にして速やかに日 本語から英語に切り替えられるように日頃から訓練しておくべし」と言っ てきた。そして、そのように個人指導した某商社の若手にもそのように強 制して、結果としてチャンとものにした実績がある。

話は少し変わるかも知れないが、こういう風に国語で考えねばならない し、そういう国語の能力が求められる外国語の学習を、小学生から教えて 成果が挙がる訳がないと指摘したいのだ。即ち、日本語での思考力が固 まっていない時期に教えて、英語の思考体系が滑らか且つ速やかに児童の 頭の中に入ってはいくか、受け入れられるかという問題だと思う。その時 期に「一般的な日本人が英語の勉強にどういうことで苦しみ、悩んでいる かが解らないnative speakerなどに教えさせて如何なる効果が挙がるかを 考えて見よ」ということ。

それでも分って貰えない方には「貴方が外国人に日本語を教える立場立 たされたとして『動詞の五段活用』などを完全に理解させられますか」と 問いかけてみたい。自慢じゃないが、この私は外国人に「日本語の文法の 講釈」など一言でもできるかと思うほど自信がない。だが、逆にアメリカ 人に「お前は学者だから、解っているだろう」と英文法の解説を頼まれた ことがあった。私以外にも英文法に精通された方は多いのではないか。


◎規制委は原子力発電所を止めさせたいようだ:前田正晶

この度、原子力規制委員会が「テロ対策施設を期限通りに完成しないと、 原発の運転を認めないと決めた」と報道された。私もこの規制委の無茶苦 茶な決定にはには呆れて物も言えなかった。テロ対策を営利事業である電 力会社がやれなどと言うのは暴論や愚論の域を遙かに超えていると思う。 テロリストが空から飛行機で突入する対策を採れと言っているようだ。そ こまで出来る組織がもしあれば、それは自衛隊か駐留するアメリカの軍隊 だ。彼らにでも委託する業務だろう。こういう規制こそ当に「禁止的」で 「原発を止めろ」と言っているのに等しいのだ。

私は徹底した菅直人嫌いなので、この主張は偏見かも知れないが、我が国 の原子力発電に関する規制や膨大なコストばかりかかり消費者にも負担を 強いる太陽光発電などは、全て菅直人内閣の悪政の置き土産だと認識して ている。自民と公明の政権下で偏向した規制委如き組織の言い分に何時ま で従っていなければならないのか。私は安倍政権が可及的速やかに全面的 に改革して貰いたいと願っている。

そもそも大地震と大津波が同時に発生して襲ってくるという予測無しに、 第2電源を同一平面に置くという愚かな設計がなされた原発での事故の処 理 を誤ったのが民主党政権だった。あのような事態が二度と発生しない とは 断言できないとは思うが、その対策が終わったかと思えばテロを想 定した 対策を期限内に終えないと停止させるとは、最早脅迫に近い。か かる無茶 苦茶を言う規制委員会は、我が国の電力事情と法外なコストを 負担させら れている産業界に対して全く配慮していないのだから、国に 損害を与える だけの存在ではないのか。。

とは思うが、先頃のスリランカにおける爆破テロの凄惨で悲惨さを見せら れ、未だに生息しているISが犯行声明の如きものを出したことを考えれ ば、確かにテロ対策は必要かとは思わせてくれる。だが、どうやってその 襲撃を未然に防げば良いのか。規制委には模範解答の如き案があるのか。 また、テロリストどもが原発だけを対象にするのだろうか。原発があるの は我が国だけではないし、スリランカでもまたもやソフトターゲットが狙 われたではないか。規制委はもっと現実を注視し経済性を重視すべきでは ないのか。

◎勝ち運に見放された無残なDeNA:前田正晶

25日夜は余りに気前よく負け続けるDeNAが、到底戦力が整っているとは 評価できない阪神に何回負け続けるのかを見たいだけで観戦していた。試 合とは関係ない話だが、東京オリンピックの野球の会場となる横浜スタジ アムが、右翼側に3,500人収用の観客席を増築していたと初めて知った。 私はそんなことよりも内野席と外野席を柵で仕切っているような心の狭い 設計こそ改善されるべきだと思うのだ。言いたくはないが、アメリかでは そんな小汚いスタジアムは滅多ないぜ。

所で野球の試合である。TBSのBSでの中継が始まって直ぐに「DeNAには 勝ち目はないな」と閃いた。私の目にはあのテイーム全体の暗さがかなり 顕著で、こんな感じを与えるようでは8連敗だなと閃いたのだった。後は その閃きが当たるかどうかだけの興味で観戦していた。確かにDeNAの今永 も阪神の岩田も好投していた。だが、私は1回の表に今永が「こんな打者 に打たれる方が悪い」と評価している打率だって2割5分程度の大山にホー ムランを打たれて2点も失ったところで「勝負は終わった」と思ってい た。残された興味はDeNAがどれほど反撃できるかだけだった。

結果的にはホームランでしか点が入らない試合だったが、阪神が2 ラン と3ランだったのに対してDeNAは全て走者なしでしか打てなかった辺 りに このテイームの現在の低迷振りがイヤと言うほど現れていたと見た。 負 ける時というのはそんなもので、私はDeNAが1点のリードで逃げ切ろう と して9回表の守備に山崎康晃を出してくるのだろうが、それが上手く行 け ば良いのだがとすら思っていた。解説の大魔神こと佐々木主浩は阪神の 打者が山崎が投じるトウシームなる釣り球をピクリともせずに見送る状態 を見て言外に危機を訴えていると思った。

そこからが勝負の恐ろしさと勝ち運に見放されたテイームの弱みが一気 に現れたのだった。バント処理の失敗があって阪神に絶好のチャンスが 巡ってきてしまった。「なるほど、勝負とはこういうものだったか。山崎 というかDeNAというべきか、ここを逃げ切れる力は残っていないのではな いか」と思わせられた。しかも、TBSは続く「報道1930」の為に中継を間 もなく打ち切ると宣告した。ところが、残酷にも勝ち運に見放されたテ イームは中継が修了するまでに左打者の近本に左翼席にホームランを打ち 込まれてしまったのだった。万事休すだった。

当に私が常に引用する野村克也の名言「負けに不思議なし、勝ちに不思議 あり」を絵に描いたような結果に終わったと思わせてくれた。、中継は試 合終了まで行かなかったが、私には後刻結末をNHKのニュース等で確認す る必要などないだろうとまで思わせてくれた無残な勝負の結末だった。

DeNAの敗因はこの勝ち運に見放されただけではなく、私に目には肩が十分 に回っておらず手打ちのようなスウイングをする筒香(佐々木主浩は「あ れほど力まなくても左を狙えばホームランになるのに」と言っていた)の 不振と、宮崎の崩れ方では連敗も仕方がないかと見えていた。

だが、張本勲を始めとして多くの解説者が「未だ30試合にも達していな い時点で強いの弱いのと論じても意味がない。リーグ戦は先が長いのだ」 と言うのを聞いても明らかなように、DeNAの大不振も言わば一過性である と言えると思っている。だが、昨夜のような負け方をするのでは、これも 古くからある言い慣わし「運不運も腕のうち」であり、勝負には「ツキを 腕で消ししまう」ようなことは常に起きるもの。ラミレス監督は「如何に して運とツキを取り戻すか」の工夫をするべきかも知れない。


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身 辺 雑 記
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27 日の東京湾岸も雨、うんざり。

26日の東京湾岸は雨。やむを得ず傘を差しての散歩。                    
                 読者:6001人                                                                              




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創刊日:2004-01-18  
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