政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針5024 号  2019・4・24(水)

2019/04/24



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わたなべ りや うじらう のメイル・マガジン「頂門の一針」5024号
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        2019(平成31)年 4月24日(水)



          花房晴美室内楽シリーズin上野:馬場伯明
         
           アサンジ逮捕の顛末は漫画的:宮崎正弘    
      
     ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り:櫻井よしこ

          インフルエンザの常識・非常識:石岡荘十

                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記



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花房晴美室内楽シリーズin上野
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          馬場 伯明

2019.4.18(木)19:00〜上野の東京文化会館小ホールでコンサートが
あった。「花房晴美室内楽シリーズ:パリ・音楽のアトリエ〈第16集 ピ
アノ、西洋と日本の笛〉」だ。満席だった。

私は花房晴美氏を近くで見たことはあるが話したことはない。受付で貰っ
た「プログラムノート」から紹介する。(以下「花房さん」の呼称でお許
しいただきたい)。

《 華麗な演奏が魅力の、日本を代表するピアニストの一人。国際的にも
高く評価されている。桐朋学園高校を首席で卒業後、パリ国立音楽院で学
ぶ。エリーザベト王妃国際コンクール他、数々の国際コンクールに入賞。
国内でのリサイタルの他、NHK交響楽団をはじめとする日本の主要オーケ
ストラとの共演も数多い。CDも数多くリリース、最新CDは「フランス室内
楽作品集〜花房晴美 ライブ・シリーズ?」で、レコード藝術、朝日新聞等
で高い評価を受ける。

国外の活動も活発で、2011年1月にはニューヨーク カーネギー・ホールで
ニューヨークデビュー公演を行ない、2013年3月にはマイケル・シンメル
芸術センター(ニューヨーク)にて、「西村朗:ピアノ協奏曲〈シャーマ
ン〉」をアメリカで初演し、大きな話題を呼んだ。2010年からシリーズ:
「パリ 音楽のアトリエ」をスタートさせ第17集を2019年11月15日に予定
している》。

まずお断りしておきたい。私は音楽についてはまったくの素人である。
かつて本誌に「音痴とカラオケ(2005.6.28)」を書き、とくにリズム音
痴であることの悲哀を告白した。もっと昔の大学時代、学園祭の教養部ク
ラス等対抗合唱コンクールがあり、指揮をしたバイオリニスト(京響コン
サートマスター)の同級生のM君から「馬場君、口を開け動かしてもいい
が、声は出さないでね!」と頼まれた。

青信号の前で1人だけ走りだされては困るというわけだ。私の(沈黙の)
参加によりクラスは見事に優勝した。混声合唱の女性パートはK女子大の
協力を得ていたが、ある女子学生から「優勝できよかったですね」と言わ
れ、喜怒哀楽の複雑な気分だったことを思い出す。

もう一つ。「いい音楽を聴けば眠くなる」。経験を書く。1970年大阪万博
でS・リヒテル(ソ連:当時)が初来日。当時私は倉敷市の製鉄所に勤務
していた。岡山市での公演に、友人のT君が8,000円の券を買ったが都合が
悪くなり4,000円で私に押し付けた。しかし、私は2時間演奏の半分は眠っ
ていた。つまり、単価は8,000円相当である(笑)。

だから、私には、このコンサートの「内容!」に立ち入り語る資格も評価
する能力もない。著名なピアニストである花房さんの演奏の形式的な紹介
と私的な感想を述べるだけである。当日は辛うじて睡魔に勝った。

まず、この夜のプログラムは、1.(楽器)ファゴットとピアノの共演。
ファゴット演奏はマティアス・ラッツ氏。スイス・ムーリのコンクールに
おけるファゴット部門の音楽監督、およびチューリッヒ芸術大学教授と。
2つの作品が演奏された。「フランセ:ファゴットとピアノのための2つの
小品」「サン・サーンス:ファゴット・ソナタ」。

ファゴットという楽器の単独演奏は初めて聴いた。長身のラッツ氏は長い
ファゴットを自由自在に操る。穏やかで澄み切った音色と、それを追いか
けるような花房さんのピアノの音がなじんでいた。

次は、アメリカ人のジョン・海山・ネプチューン氏。尺八奏者である。彼
も背が高く花房さんは大きく見上げるほど。日本をはじめ東南アジア、欧
米、豪などで演奏活動をしている。日本の代表的な尺八奏者の一人でもあ
り、千葉県鴨川市に住み、作曲、尺八の製作・改良も手がける、と。

演奏曲は、一柳彗(とし)氏の「尺八とピアノのための『ミラージュ』」
と海山氏の書き下ろしの「TIE TOGETHER」。「和洋楽器のこんなコラボも
あるんだ!」と私は正直驚いた。ピアノの高低音域の間を尺八の音が通り
抜け、響き合う。混然とした不思議な音が小ホールを満たした。

花房さんが190cmもありそうな大男の2人を紹介した。両手を広げた彼女の
姿は小さくは見えず、2人はお姫様のボディガード風に見えた。

花房さんのピアノの単独演奏はフランツ・リストの曲だった。一つは「二
つの伝説」。「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」と「波の上
を渡るパオラの聖フランチェスコ」。でも、仏教徒の私にはキリスト教の
宗教音楽や聖フランチェスコとやらの説教や法話のような解説がわかるは
ずもない。ただ、花房さんのピアノの音色は心地よいものであった。

リストの演奏のもう一つは「『超絶技巧練習曲』より第4番『マゼッ
パ』」。私は入口通路右手の席(自由席)だったので、身体全体の動きも
手元の指の動きもよく見えた。「目にもとまらぬ早業」とはこういうこと
を指すのだろう。超高速で寄せては返すアルペジオ。何という忙しさ。終
盤、天が落ちてくる心配(杞憂)をしなければならないような轟音であ
る。すごい〜〜〜。でも、この轟音はunder controlなのである。

花房さんは紅いドレスの裾をひらりと翻し椅子に掛ける。黒いアンダー
ウェア・タイツの奥が見えるかのような勢いだ。ドレスはふわりと宙を舞
い椅子を覆った。「さあ、弾きますよ!」。強い意思が漲る。花房さんの
「細腕繁盛記」だ。白い「細腕」から魔法の音が紡がれる。その技術と体
力・・・その能力に驚嘆する。その力はどのようにして蓄積されたのか。

演奏者は曲目が終わる毎にお辞儀をする。お辞儀と言えば思い出す。
2018.9.9三笠宮彬子妃殿下が、トルコのケマル・アタチュルク廟に献花さ
れた後の所作(お辞儀)がトルコ国内のweb siteで大きな反響となった。
「私たちの英雄にあんなに心のこもった敬礼をしてくれたプリンセス!」
「なんてエレガントで美しいのでしょう」と。

花房さんのお辞儀は彬子妃殿下のそれに勝るとも劣らないものであった。
でも、会場は撮影禁止だから、花房さんのお辞儀を見るためには現場へ行
くしかない(笑)。次の2019.11.15公演までお待ちください。

花房さんとともに歳を重ねてきたのであろう。ホールには年配の人が多
かった。たまたま私の横には若い女性が座った。休憩時間に話せば中国か
ら来ている揚琴奏者(Yang Qin Player)という。弦を叩いて鳴らす中国
の伝統的打弦楽器。尺八奏者ネプチューン・海山氏とは知己らしい。

ところで、「花房」って何だろう。「1. (花の)萼(がく)の異称。2.
総状をなして咲く花(広辞苑)」。枕草子にもある。「めでたきもの 唐
錦。飾り太刀。(中略)色あひよく、花ぶさ長く咲きたる藤の、松にかか
りたる」(第九十二段・能因本 枕草子全注釈 二 田中重太郎)。 

【通釈】「すばらしくてりっぱなもの。唐の錦。飾りを施した太刀。(中
略)色あいがよく、花房が長く咲いている藤(の花)が、松の枝にかかっ
ている風情(もすばらしい)」。

それでは、ここで、私の腰折れ(歌)を一つ。長崎県雲仙市の実家の小庭
には古い藤棚がある。

ふるさとの花房の藤咲きしとふ
縁に顕(た)ちくるたらちねの亡母(はは)

藤の花房は晴れやかで美しい。鳴りやまぬアンコールに応え花房さんがピ
アノの前で挨拶をした。身体は細いが見目麗しく洋風の艶やかな容姿であ
る。ところが、話しぶりは、少女のようにはにかみかわいらしい。

「(超絶技巧練習曲の)音の洪水(!)でしたので、ショパンを(笑)」
と。心が洗われるようなピアノの音色だった。そして、花房さんは、会場
の拍手に惜しまれつつ退出。コンサートは静かに幕を閉じた。

プログラムノートに《″巨匠ピアニスト名鑑のHの項に、クララ・ハスキ
ル、ウラディーミル・ホロヴィッツ(Horowitz 1903~1989)に並んで、い
ずれ花房晴美の名が刻まれるであろう″ハイファイステレオ誌》とあった。
1980年頃の(大胆な)記事らしいが、ぜひ、そうなってほしい。
(2019.4.21千葉市在住)

(追記)日経電子版「ビジュアル音楽堂」2016.4.16より抜粋する。
《・・・「日本では印象派をはじめフランス近代絵画がすごく人気なの
に、同時代のフランスの音楽はなぜあまり聴かれないのか。そんな疑問が
出発点です」。東京都心の花房さんの自宅。地下2階なのに陽光も取り込
める広々とした練習室で、彼女は“パリ・音楽のアトリエ”のシリーズ公演
を続ける理由を話し始めた。三方を鏡の壁に囲まれた西欧風の部屋にスタ
インウェイやヤマハのピアノが5台並ぶ。香水や壁掛けの絵画、食器や写
真などに彼女のフランス趣味が感じられる。・・・(池上輝彦)》





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アサンジ逮捕の顛末は漫画的
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019)4月19日(金曜日)
        通巻第6049号  <前日発行>
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一連のドタバタ、アサンジ逮捕の顛末は漫画的でさえある
裏切り者の末路なのに、アサンジ支持の左翼は抗議集会、ウィルス攻撃
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ウィキリークスの創業者、少年時代からの天才的ハッカー、世界の情報漏
洩のセンター、婦女暴行常習犯、奇行愛好家、そして自由世界の機密を漏
らした裏切り行為の数々。世界にその悪名を轟かせたジュリアン・ポー
ル・アサンジが4月11日にロンドンで逮捕され、起訴された。

米国は国防総省、国家安全保障局などから機密情報を盗み出しウィキリー
クスに掲載したことを反逆罪と見なしており、いずれ身柄の引き渡しを英
国に要求すると見られる。

アサンジは2016年の大統領選挙のおりも民主党本部のコンピュータに忍び
込んで機密を盗んだとされ、げんにヒラリー・クリントンは「わたしがト
ランプに負けたのはアサンジの所為よ」と批判しているくらいだ。

また国防機密は米国内における協力者マニングという共犯者がすでに逮捕
され、服役しているため米司法省は主犯格のアサンジを法廷で裁くのは当
然としている。

アサンジがロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んで亡命を求めたの2012
年6月だった。

爾来7年、寛大なエクアドルは彼を大使館内に住まわせ、その大使館とい
う治外法権を活用したアサンジのスパイ行為を黙認した。アサンジ警護の
ためにエクアドル政府はおよそ6億5千万円、くわえて食費など大使館七
年間滞在中にアサンジに使われた金額はおよそ7億円に達する。エクアド
ルは貧困な国であり、この出費は納税者の税金でまかなわれる。

エクアドルは赤道直下という意味だが、政治的にも不思議のくに、でもあ
る。太平洋上はるか沖1000キロにはガラパゴスをかかえ、他方でバナナ、
カカオ、珈琲など輸出国としても知られるが、法定通貨は米ドルなのである。

首都はグアイキル。人口は1400万。ひとりあたりのGDPは6000ドル弱。
最大都市はキトだ。

これらの輸出に携わる商社、明治時代からの移民があって、ささやかな日
系社会もあるが、国民の主力は原住民とスペインの混血である。

アサンジは英国のエクアドル大使館をスパイ活動のセンター化し、施設内
では寄行を繰り返し、さんざんな悪態のうえ、エクアドル政府の機密を
ウィキリークスに漏らしていた。とくにモレノ大統領の私的会話やら、家
族の機密を漏らしたため、大統領側も激怒していた。

もともとエクアドル政府が、アサンジ亡命を受け入れたのは、反米という
政治イデオロギーからである。

コレア前大統領は反米政治家で、騒ぎを大きくしようと受け入れ指示を出
したとされる。その証拠に、現在、事実上ベルギーに亡命しているコレア
は「モレノ政権のアサンジ逮捕は自由言論への野蛮な挑戦だ」と反米意識
丸出しの非難声明を出している。

世界をかき荒らしたアサンジの直接の犯罪容疑は、2010年にスウェーデン
で四件の婦女暴行で訴えられ、裁判となり、保釈が認められたが、2012年
に保釈中の身でありながらスイスに亡命を申請し却下されたりした。

そこでロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んだが、エクアドルはアサン
ジに市民権をあたえたばかりか、2017年には国籍も与えた。それほど厚遇
だった。今回の逮捕により、市民権剥奪、国籍取り消しも予定している。
なおスエーデンは告訴を取り下げている。


 ▲反米国家なのに通貨は米ドル、急速に親米外交に修正していた

温厚で福祉政策を推進するレーニン・モレノ(エクアドル大統領)を激怒
させたのは、限界を超えた悪行で、壁に汚物を塗りたくったり、警備員を
殴ったりのやりたい放題を、これ以上放置できなくなったからだとされる。

しかし実際は反米路線から大規模な軌道修正で、エクアドル外交を親米路
線に切り替えたことが基本の流れにある。

その前段階にエクアドルは、南米諸国家のALBA(ボリバル同盟)から
脱退し、ついでUNASUR(南米諸国連合)からも脱退。米国と急速に
関係修復に動き、ペンス副大統領が訪問したあたりから、米国は武器供与
を再開した。

そもそもモレアは、コレア政権十年の時代、副大統領であった。また1990
代に銃撃を受けて半身不随となり、車いす生活。世界でも珍しい車いす元
首として福祉予算を50倍にするなどノーベル平和賞推薦の動きがあったほ
どだった。


 ▲南米で親米路線は難しい選択なのだ

モレアはタイミングを選んだ。

南米諸国の中でエクアドルは孤立を避けたい。なにしろアサンジ保護は反
米諸国からは歓迎され、称賛されていたのだから。

しかし、南米諸国の団結は脆かった。

転機はベネズエラだった。原油価格暴落によって経済が立ちゆかなくなっ
たベネズエラは中国に救いを求めたが、ひややかにあしらわれた。インフ
レ率はついに280万倍、通貨は紙くず化し、国民の350万人がブラジ
ルとコロンビアに避難した。

資金枯渇のベネズエラはニカラグア支援が困難となり、このタイミングを
選ぶかのようにトランプ政権はニカラグア、ベネズエラ、キューバの三カ
国に対して規制強化と経済制裁を加えるとした。

このタイミングを見逃してはならない。モレアはアサンジ追放を決定した。

他方、アサンジ逮捕に抗議し、言論の自由の弾圧だなどと豪、スペインな
どでは極左グループが集会を開催したほか、ハッカーにとってアサンジは
英雄。逮捕直後からエクアドル政府にかけられたサイバー攻撃は4000万回
を超えた。

     
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★読者の声 ★READERS‘ OPINIONS ★どくしゃのこえ
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(読者の声1)戦後体制が壊れてきている今こそ、日本が自らすすんで自
らを虜としてきたその呪縛を解き放って、本来の自分を取り戻す絶好の
チャンスだと、青山繁晴氏が檄を飛ばしていますが、そんな時に「令和」
の時代への御代替わりを迎えるということは、まさしく絶妙なる天の配剤
と云うべきでしょう。

そういう日本を取り戻す「令和」の時代を迎えるにあたって、誰もが問題
にもしていないであろう問題、否、むしろ克服すべき課題として認識され
ている問題について、全く新たな視点からの問題提起をしてみたいと思い
ます。

それは何かと云いますと、日本の伝統的な言霊思想についてです。

私はこの日本の言霊思想について、大方の批判的な議論に反して、これこ
そが、日本が、全人類の中で唯一、かのヘーゲルが羨むほどの、世界の本
質である絶対精神としての歩みを、見事にしてきた国であることの証しで
ある、と考えています。

「令和」の出典となった「万葉集」や「古事記」に、この言霊思想が濃厚
に貫かれている意味・意義は何か?

それは、日本の国造りにこの言霊思想が大きく関わっていたことを物語る
ものです。
 ところが、この言霊思想に批判的な人々、とりわけその代表格と云える
故山本七平氏や井沢元彦氏は、憲法9条を後生大事に守ろうとする日本人
の心底には、この言霊思想が存在すること、臭い物に蓋をして済まそうと
する心理が、自由な議論を阻んでいる、と指摘しています。

この批判は、事実としてはこの通りであり、その事実を否定するものでは
ありません。しかしながら、これはまだ現象論に過ぎず、問題の核心は更
にもっと奥に存在するのですが、その奥の構造への切込みがないという意
味で、表面的な皮相な批判でしかないと思います。

なぜならその言霊思想が、今より支配的だった時代に、日本は強大な大
国・隋に対して臆することなく対等であることを宣言し、侵略してきた
元・高麗連合軍を撃退して、独立国家としての歩みを見事に守り切ったと
いう歴史を持っているからです。

言霊思想を説く場合は、この両者を統一して解かなければ、正しい答は得
られません。言霊思想から脱皮しなければ本当の自由は得られない、とい
う指摘は本当に正しいのか?の検証も必要になると思います。

この問題を正しく解くためには、まず言霊思想とは何か? が正しく説か
れなければなりません。

では、言霊思想とは何かと云いますと、人間の精神・言葉には世界を変え
る力がある、という思想です。

これは自分が世界の本質であり世界を変える主体であるという思想ですか
ら、強烈なと言って良いほどに主体的な思想です。
ところが、戦後の日本人はどうでしょうか?

主体性を喪失した抜け殻になってしまった日本人と云わざるを得ません。
そういう主体性を喪失した日本人の言霊思想は、はたして本当の言霊思想
といえるでしょうか。つまり、本物でないものを批判しても、本当に言霊
思想を批判したことにはならないということです。

ここはむしろ安易に批判することよりも、本物の言霊思想を持て!と叱咤
することの方が大事だと思います。

では、本物の言霊思想とはどういうものでしょうか?

それをより鮮明にするために、ここで言霊思想と、ヘーゲルの本物の学問
との共通点について見ていきたいと思います。言霊思想では、「言と事」
とを同一性・一体と見ます。じつは、ヘーゲルの学問も「存在と認識・精
神」とを同一性・一体と見ます。西洋社会では、神はあくまでも神であっ
て、人間は絶対に神にはなれない存在ですが、そんな西洋社会にあって、
ヘーゲルは人間が神になる道を説きました。それによって、彼は、ものす
ごいバッシングを浴びることになったのです。

ところが日本では人間が神になるのです。

その人間が神になる方法・道が、言霊思想です。ヘーゲルは、世界の本質
である絶対精神が、現実の様々な存在になって発展していって、最終的に
人間の精神となった時、絶対精神は本来の自分自身に回帰したと見ます。
そしてさらに、即自的な絶対精神が、己自身を対自的な絶対的理念へと発
展させて、学問的な世界創造をするようになることを、ヘーゲルは、人間
が神になる、と説いてのです。

一方、古代の日本人は、「カタカムナ」の第七首にある通り
マガタマノ・・・・本物の世界の本質=魂は

アマノミナカヌシ・・・天(全宇宙)の御中主である。その全世界の魂が
タカミムスヒ・・・・現実世界に存在する多くの神すなわち八百万の神と
なったり

カムミムスヒ・・・・本質の世界におわす八百万の神の大元となる神その
ものに戻ったり

ミスマルノタマ・・・・その魂が、現在の現実の世界にみ住まって人間と
なる、つまり、人間は、世界の本質すなわち神なのだ。(人間よ神として
の自覚を持て!ー稲村)と考えていました。

人間が世界の本質=魂となる方法・道としての言葉を創り上げて実践して
いたのが、古代の日本人だったのです。

だから全人類の中で、日本人のみが、即自の自分の利己的な自由を他人に
押しつけて、皆殺しをしたり、奴隷としてこき使ったりせず、天の気(全
体性=国家)と自分とを一体化して把えた自由の観念を持ていました。

だから、日本人の自由観は、他と分かち合う自由、全体の中の自分を自覚
した自由でした。これこそが、本当の言霊の自由であり、ヘーゲルの云う
「自由とは必然性の洞察」の自由であり、すなわちこれが、「令和の自
由」なのです。

人間は動物と違って、本質的に自分の周りの世界を変えようとする存在です。

言霊によって、自らを即自的に絶対精神化した人間は、その言霊によって
直接に世界を変えていきます。

これに対して対自的に自らを客観化して学問的に対象の構造を解明して、
それに則って世界を大きく造り変えてきたのも、人間の別の一面でもあり
ます。

その両方の統一が、真の人間なのです。即自的な絶対精神として歩んでき
た日本が、学問的な技術力を持った西洋と遭遇した時に、瞬く間にそれを
自分のものとすることができたのも、即自的な絶対精神と、対自的・学問
的な絶対理念とは、本来同一のものだったからに他なりません。

言霊思想とは、世界と一体化した即自の自分の整え、それを通じて世界を
変える思想です。

自分自身を整えるために、不吉な考え・言葉を排除するのです。それに
よって即自の自分が乱され、それが周りの世界にも悪影響を及ぼすことを
防ぐためです。

もちろん、それに影響されない方法も存在します。そのことを分かってい
れば言霊思想が問題から逃避させているという批判が、見当違いであるこ
とが分かるはずです。

なぜなら、問題の解明と対策は、対自の問題だからです。

言霊批判の多くは、この即自と対自の区別と連関が分かっていないので
す。なぜなら、問題から逃げずに真正面から問題に対処しようとする、即
自の自分の整えとしても、この言霊思想は非常に有効な方法だからです

令和の時代を迎えるにあたって、日本人は日本の歴史における言霊思想の
意義を、もう一度噛み締めるべきであると考えます。

絶対精神の道を歩んできた歴史的な日本の凄さを改めて見直し、それを受
け継ぎ発展させていく覚悟を持つべきだと思います。(稲村正治)

  ♪
(読者の声2)「大阪都構想」について、前稿で「組織論などは、それほ
ど新奇なものが出てくるわけもなく、歴史的に見ると『逆行』のような場
合も多いのです。」と述べました。

たとえば衆議院小選挙区制などもそうです。

戦前を含めた歴史を見ると、我が国も、大選挙区制、中選挙区制、小選挙
区制をすべて「体験」しています。小選挙区制については、戦後だけで
も、鳩山一郎内閣、田中角栄内閣で提言されています。

したがって小選挙区制の実行も、「変革」ではあったとしても、新規性は
なく、革新性もない、いわば回帰というにすぎません。そして、予期され
た以上の弊害が顕在化しているのが現状のように私には思えます。

しかし、これを実施しようとした際は、多くの人が、「政治改革」の切り
札かのごとき口調で、熱気をもって唱導したのではなかったか。

組織論で言えば、たとえば、多くの金融グループが、純粋持株会社の合法
化(これも、GHQの占領政策以来、長く禁止されていたものが、規制緩
和で「復活」したもの)にともなって、純粋持株会社を設立しました。
しかし、「二層構造」とする以上は、そこでは当然に、持株会社と個別企
業との間で相克、二重統治の問題が生じることは必然でしょう。

グループ経営を所掌する持株会社と傘下企業との間で、グループ経営施策
と個別企業施策を調整できない弊害が大きく、これを一元化したいという
のならば、組織的に、持株会社と主要企業を合併して、事業持株会社にす
るほかないでしょう。

しかしそうすると、事業持株会社と子会社企業群との間で、明白な支配・
被支配関係、上下関係が生じますから、グループ経営という面では問題と
なります。

また、これでは、元々の問題局面に回帰するということに過ぎず、組織的
に、以前から取られてきたグループ体制、資本政策に「復帰」するという
ことです。

今回の、大阪府と大阪市を、実体的に合体するという案は、従来は、広域
行政を行う府と基礎行政を行う市の間で、その権限(財源)配分が円滑に
行われていなかったことから、これを一体化するということでしょうか
ら、少し粗っぽい比喩をすれば、純粋持株会社体制で二重統治の弊害が大
きくなりすぎてきたので、持株会社と最大子会社が合併して、事業持株会
社体制に変えるということでしょうか。

もちろん、それが望ましいのならば、そうすればよいのでしょうが、提案
者とそのお為ごかし連中が言うほどの「改革性」はない。

要するに私が言いたいことは、組織体制など、しょせんは完全ではありえ
ず、メリット・デメリットは夫々に想定され、不可避なのであって、安易
な組織いじりに頼るのは愚策だということです。

まずは、作用的に、運用的に問題解決を図っていくべきです。

私の知る限り、大阪府と大阪市の水道事業の一体化を図ろうとしたもの
の、成功せず、個別事業の統合ではなく、組織全体の統合に「転換」した
というのが、今回の提案経緯ではないでしょうか。

それも当初の構想のように、政令指定都市である堺市はもちろんのこと、
大阪市周辺都市の相当部分をも包含した、構造的一体化というような「建
設的」「未来展望的」な構想ならともかく、現在の案は、単なる大阪市解
体論に矮小化されてしまっています。

橋下元知事・市長というか「維新」と称する怪しげな組織体は、水道事業
の統合さえ実行できなかった自らの統治能力、調整能力の不足を隠したま
ま、「大阪市解体論」に逃げているのでしょう。

単に大阪市を解体するだけでは、現在の大阪市水道事業は、特別区から成
る一部事務組合が管理主体とならざるを得ず、「改革」どころか、まった
くの「改悪」でしかない。

何よりも水道事業の統合さえ実行できなかったような者が、さらに大きな
統合政策を建設的、未来指向的に実行できるわけがないではないか。
こんな簡単なごまかしに騙されようとしている大阪市民には哀しくなりま
す。(椿本祐弘)
 


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ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り
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            櫻井よしこ

「ドゥテルテ比大統領が示す中国への怒り 国際社会で共に対処する発想
こそ重要だ」

フィリピンのドゥテルテ大統領が4月4日、自国が領有する南シナ海の島周
辺に数百隻の中国船が押し寄せているとして、中国に強い不快感を表した。

「パグアサ島に手を出すな。手を引かない場合、自爆任務を担う部隊を送
り込むことも辞さない」と、当然のことだが、領土に関しては一歩も引か
ない構えを示した。

パグアサ島は南シナ海のスプラトリー諸島の一部で、フィリピンが領有す
る9つの島の内、最大の島だ。住民はおよそ100人である。

今年2月4日、国防大臣のロレンザーナ氏は、同島の港湾施設の改良工事が
進行中だと発表した。空港の滑走路などが老朽化しており、早急に修理が
必要で、資材搬入に港の整備が必要だという。同計画は前年末には完成予
定だったが、中国の不当介入で進行は遅れ、現在も未完成だ。

中国はどのように介入してきたのか、ロレンザーナ氏が昨年11月に語って
いる。

「フィリピン駐在中国大使がパグアサ島の港の整備計画中止を要求
(urged)してきました」

フィリピン政府が自国領の島を整備するのに、中国が口を挟むべき理由な
どない。だが、中国は以前から露骨に介入し続けている。2017年8月、
フィリピン漁民が同島の砂州に休憩用の小屋を建てたとき、中国側は小艦
隊を派遣して島を取り囲んだ。100隻近い漁船も押し寄せた。フィリピン
政府は米沿岸警備隊から譲り受けたハミルトン級の艦船を派遣した。

シンクタンク「アジア海洋透明化構想(AMTI)」によると、パグアサ
島に押し寄せた中国漁船はすべて中国海洋軍への所属を示す旗を立ててい
た。さらに注目点は、漁船の大半がGPS(全地球測位システム、中国の
GPSは「北斗」)を搭載していなかったことだ。約100隻の漁船の内、
「北斗」搭載は一隻だけだった。残りの小型漁船は何を期待されているのか。

シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員で東海大学教授の山田吉彦氏
は語る。

「中国政府は彼らを、パグアサ島に置き去りにするということでしょう。
漁民たちにはその島の住人となって、中国政府の次の指令を待つことが求
められていると思います」

漁民の中には軍人も当然交じっている。彼らはいざという時には立ち上
がって中国軍と一緒に島を奪う。彼らの常套手段だ。

中国は南シナ海を派手に埋めたてて国際社会の反発を招いたが、派手な立
ち回りの陰で、パグアサ島のように、国際社会が余り注目しない、目立た
ない島々でも確実に侵略の手を広げている。まさにその点で憂慮すべき事
態が起きていると、AMTIが警告する。

南シナ海の北部にあるパラセル諸島のボンベイ礁に中国が新たなプラット
ホームを建てた。灯台しかなかった島に、27メートル×12メートルのプ
ラットホームが海面から一定の高さの所に造られ、124平方メートルの太
陽光パネルが設置された。隣に航空機用のレーダーアンテナを保護する屋
根も見てとれる。建造物の下部構造は、衛星情報では判断できない。

AMTIの専門家はこれを次のように分析した。ボンベイ礁はパラセル諸
島とスプラトリー諸島間の航行路の要衝に当たるため、ここにレーダーを
設置して行き交う船の情報すべてを得ることが目的と思われる。比較的小
型の設備で十分に機能するため、インテリジェンスの視点では非常に重要
な役割を果たし得る。目立たない形で、中国は情報戦における対米優位を
確立できる。国際社会の非難の的になる派手な大規模工事から隠密行動へ
と、中国は戦術転換をしたとの分析だ。

ドゥテルテ大統領の怒りを共有して、共に対処する発想こそ重要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1276


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インフルエンザの常識・非常識
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石岡 荘十


正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し
始めたが、まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持ってい
た知識・感覚、“常識”がいかにいい加減で、非常識なものだったかという
ことである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家
を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病につ
いていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、

・病名について、である。

「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思って
いたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエ
ンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運
動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣

歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっと
ずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそ
れと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めた
のは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフ
リカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのもの
が消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデ
ミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフル
エンザは「スペイン風邪」である。

というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエン
ザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカの
どこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ
州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃、世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッ
パ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開
いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続け
たといわれる。

ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、
大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測され
ている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな

スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めな
がら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東
海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき
集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体
がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生
学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現す
るほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うの
が今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるか
に強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめては
いけない。

・「寒い地域の病気」はウソ

つい先まで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでい
た。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはど
うしたことか。

インフルエンザは、熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。
だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似て
いるので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないとい
う。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に
移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本の
あの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れに
なってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して
衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフ
ルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」
というのが常識である。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかな
いと私は考えている。(元NHK社会部記者)   



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重 要 情 報
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◎ 言霊思想の投稿を読みました。琵琶湖が好きなので、柿本人麻呂の「近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ」という歌が好きなんですが、人麻呂に「しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ」という歌がありますね。 (まこと)

◎我が国の英語教育の限界が見えた気がした:前田正晶

先日ある場所で「ここでの携帯電話とスマートフォンの使用禁止」とい
うポスターが貼られていて、そこには外国人も出入りするので、ご丁寧に
英文で“You can’t use cellphones here.”とも記載されていた。失礼を顧
みずに言えば、それを見て「我が国の英語教育ではどうしてもこういう結
果になってしまうのだ」と痛感したし、1994年のリタイア後にあるアメリ
カの会社をお手伝いして当時としては未だ斬新の部類だった金融商品の販
売促進に、ほぼ通訳として見込み客を回った時の経験を思い出した。

それは某金融機関でのことで、その案件を担当されていた課長さんは通
訳は必要ありませんという意思表示をされたので、私は非常に気楽なただ
単なる同席者というだけの立場で成り行きを見守っていた。プリゼンテー
ションを聞き終わられた課長さんは“I can’t recommend such a project
up to my superior.”と言って拒絶の意思を表明されたつもりだった。と
ころが、アメリカ側は「貴職が出来ないのであれば、どうすれば上司に推
薦して頂けるのか。出来るようになるようにお手伝いしたいので、我が社
が何をすれば良いかご指示頂きたい」とあらためて願い出たのだった。

それを聞いた課長さんは不愉快な表情で“I said I can’t. That is my
answer.”と言い返されたのだった。それを聞いたアメリカ側は「だから、
どうすれば上司にご推薦願えるかのと伺っているのです」と念を押したの
だった。課長さんは一層不愉快そうになって同じ事を繰り返されて拒絶の
意志を示されたのだった。そして交渉は言わば押し問答のような妙な形に
なってしまった。要するに課長さんの”can’t“の使い方が適切ではなかっ
たために、アメリカ側に理解されなかったのだった。

ここまででお分り頂いた方があると思うが、携帯電話などは誰でも何処
ででも操作できるのであって、”You can’t use cellphone.“では「貴方は
携帯電話の操作できないか、その能力がない」という意味になってしまう
のだ。「使用禁止」を表現したければ「禁止」即ち、“prohibit”か“ban”
という言葉を使うか、せめて“You should not use 〜.”という表現を使っ
ておけば良かったのだということなのだ。

それと同様に、その課長さんも“I can’t”ではなくて“I will not
recommend your proposal to my superior, because timing is a little
too early for us.”とでも言うか、単純に“I don’t want to promote
your idea to my boss.”でも良かったのかも知れない。この方はかなり上
手に英語で意思表示をされていたが、ここでは「出来ない」か「上司に上
げたくない」を余りに素直に“can’t”で表現されたので行き違いが生じた
のだと思う。英語が通じるか通じないかなどという問題は、このように日
本語の表現をそのまま安易に英語にしてしまうことからも発生するのだと
ご理解願いたい。

私が強調しておきたいことは「自分が言いたいことが、どういう意味に
なるかと十分に分析して考えてみることが必要であり、余り気安く逐語訳
的に英語にしないこと」を英語教育の早い時点で教えておくべきではない
か」という点である。と言うのも、この種類の行き違いに我が国とアメリ
カとの交渉の現場で何度も遭遇してきたからである。


◎皆が一緒になって:前田正晶

私は安倍内閣が「働き方改革」を唱え始めた頃から「如何にも日本的と
いうか、発想が企業社会における我が国の文化に基づいているようだな」
と思って見ていた。私自身がそもそもそういう「皆で一緒になってやって
いこう」というか「一丸となって」という考え方の文化の世界で育てられ
てきた後で、そのような文化とは正反対(「真逆」などというおかしな熟
語を流行らせたのは誰だ)とでもいうべきアメリカの会社に移ったので、
残業を何か悪の如くに見る考え方は正直に言えば「余りにも日本的過ぎる
な」と感じていた。

こんな事を言えば、私がアメリカ式の働き方が優れているとでも思って
いるのかと批判されそうだが、私は何れが優れているかという問題ではな
く「文化と歴史の違いではないのか」と捉えている。例えば、以前にも採
り上げたことで、アメリカから初めて来日して「遅刻」という制度がある
と知った女性の社長は「それは良い制度だ。我が社でも採用しよう」と
唸ったものだった。そこで某大手メーカーの人事・勤労の専門家だった常
務さんにこの話をしたところ「遅刻制度とは朝は全員が集まって『これか
ら皆で一緒に仕事を始めよう』という精神の表れである。アメリカにはそ
ういう『皆で一緒に』という思想がないのだ」と解説された。

「厚切りジェイソン」(本名は Jason D. Danielson)という芸名でテレ
ビに登場するアメリカの在日企業の役員はPresident誌上で「日本は連帯
責任の国で、欧米では個人の力に依存している」という趣旨のことを指摘
していた。実際にアメリカの会社の一員として二十何年か過ごしてきた経
験から言えば「その通りだと思う」なのである。この点はこれまでに何度
も採り上げたことで、アメリカの会社に日本式に言えば「中途入社」で
入っていけば、何をすべきかが箇条書き的に記されている“job
description”を渡され、それに従って働くだけのことだ。

しかも、即戦力として中途採用されたのであるから、何をどうのように
して仕事をするのかといったような細部についての指示などない。採用し
た者の判断に任されるのだ。採用された者はそこに定められた各項目を遅
滞なく達成する為には、朝は何時に出勤するとか夜は何時になったら帰る
かなどは重要なことではなく、果たすべき責任と仕事が無事に完了したか
どうかが問題なのである。従って、本社では6時に出勤してビル内のカ
フェテリアで朝食を摂りながら仕事をしている者もいれば、「本日は午後
3時で終了したので帰宅する」と宣言する者もいるという具合だ。

これ即ち、個人の能力が軸になっていることを表しているのだ。しかも、
本社機構にいる者は須く年俸制であるから、そもそも残業料などという手
当は存在していないのだ。視点を変えれば、本社機構にいるということは
その年俸に見合うだけの成果が挙がっていなければ、いつ何時“You are
fired.”と宣告されるか解らない世界に身を置いているのだ。であれば、
出勤・退勤の時間の問題でははないということだ。常に彼らの念頭にある
のは“job security”という自分自身のことだ。

我が国でも某商社でこういう実例があった。新入社員が2晩続けて本社の
会議室に泊まって仕事を続けたというので理由を質したことがあった。彼
の答えは「この会社の1年生である私に対する仕事の割り当て量を著しく
誤っていたか、あるいは私の能力が不十分だったかの何れだと思います。
だが、私としては私の能力不足の為に課全体の仕事に遅滞を来してはなら
ないと思って敢えて徹夜を選んで会議室で寝る選択をしました」だった。
彼の脳裏には「課の為」というか「会社の為」が優先されていたのだった。

当方もW社をリタイアして早くも25年。仕事を辞めてからも6年も経って
しまった。その間に我が国の雇用事情もそれなりに変化したようで、往年
とは異なってアメリカ並みには至っていないまでも「職の流動化」が進ん
だようだ。数社の大手企業を移って役員なり社長なりに就任する人たちが
増えてきたようだ。だが、未だに終身雇用の特徴だと私が看做している
「年功なり何なりで段階的に昇進する」仕組みは残っているようだ。私に
はそういう制度とアメリカ式の学歴尊重且つ実力主義の何れが良いかと
いった議論をする気はない。

それは即ち、文化の問題であり、一朝一夕に変わって行くことではない
と思っている、だが、アメリかでは大手企業内で生き残ろうとすれば
MBA(経営学修士)等の学歴が必須に近くなってきているとも聞いてい
る。アメリかでは飽くまでも個人が主体であり、各人が生き残りと出世の
為に大袈裟に言えば命を賭けている文化であり、我が国では未だ「会社の
為」と「皆の為に一丸となって」という文化が厳然として存在しているの
ではないかと思っている。

そのような異文化の世界を22年余りも経験してきたので、現在の我が国
における企業社会での働き方が如何なる方向に進んでいくかに興味も関心
もある。しかし、伝え聞くような「自分に何が向いているかを見出そう」
とか「この会社は自分の能力に適していなかった」などいって2〜3年で辞
めてしまうという傾向は、アメリカ式の個人の能力を如何にして発揮する
かという仕組みとは違うと思う。自分には何が向いていたかなどというこ
とは、実際に一定以上の年数を経てみないと解らないのだと思う。

私は何も考えずに転進したアメリカの会社の方が適していたという幸運
があっただけだと思っている。それもリタイアした後で来し方を振り返っ
て初めて見えてきたことだった。与えられた環境下でどうやれば生き残れ
るかばかり考えていたものだった。だからこそ、何が自分に適しているか
などを勝手に決めないことではないかと思うのだ。




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身 辺 雑 記
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24日の東京湾岸は曇天。

散歩する都立猿江恩賜公園。今は躑躅が真っ盛り。綺麗だ。
     
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