政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針50220(0 号  2019・4・20[土)

2019/04/20


□■■□──────────────────────────□■ 
わたなべ りや うじらう のメイル・マガジン「頂門の一針」5020号
□■■□──────────────────────────□■■□

        
        2019(平成31)年 4月20日(土)



           「馬」の渡来地先は四條畷市:毛馬一三
         
        パキスタンで未曾有の「軍人」テロ:宮崎正弘

      福澤諭吉論に見る、皇室と国民の関係:櫻井よしこ    
         
                      話 の 福 袋    
                       反     響
                      身 辺 雑 記



━━━━━━━━━━━━━
「馬」の渡来地先は四條畷市
━━━━━━━━━━━━━


         毛馬一三


わが国古代王朝の威光を軍事面で支えた「馬」の渡来終着先が、なんと大
阪府四条畷(しじょうなわて)市であることを知らされ、ビックリした。

大阪湾(古代は難波津)に接している大阪柏原市に鉄技術、堺市に土器焼
成技術が古代に朝鮮半島から渡来していたことは知っていたが、まさか生
駒山系が迫り、大阪湾と些かも面していない四条畷市が、「馬」の渡来終
着地だったとは夢にも思っていなかった。

ところが、先般、四條畷市主催の会合で、古代王朝や豪族たちの権力の象
徴となる「馬」の渡来先が四条畷市で、これを証明する「蔀屋北遺跡(し
とみやきたいせきあと)」が、四條畷市にあることを知らされたのだ。

四條畷市の西にある現在の寝屋川は、古代には難波津に繋がる海路ルート
となっていた。しかもこの海路の条件と、清い水と牧草に恵まれた肥沃大
地の馬飼いの環境が見事に合致したことから、ここが朝鮮半島からの渡来
先の終着地になったらしい。

しかも、四條畷を南北に横たわる生駒山系を越えれば、比較的なだらか下
り坂となり、「馬」に負担を掛けず「大和」へ供給できた立地の良さが王
朝・豪族に認められ、四條畷(当時・讃良)を「馬」の機動力を軍事制度
に組み入れる「馬飼いの里」として定着させたという。

朝鮮半島からは、比較的穏やかな初夏の海に「馬」を乗せた丸木船を2ヶ
月かけて、玄界灘から筑紫(福岡)・豊浦(下関)・瀬戸内海、そして大
阪湾(難波津)を経て、河内湖から寝屋川を通じて「蔀屋北遺跡」に辿り
着いている。「馬」に同伴してきた渡来人もここに定住したそうだ。

そう云えば、「国内最古 馬の乳歯 四條畷」という記事が出ていたこと
を思い出した。

四條畷市の「蔀屋北遺跡」で、国内最古となる5世紀中頃の馬の乳歯が2
頭分、大阪府教委の調査で出土した。2〜2歳半とみられ、同時期の遺跡
で、若い馬の存在が確認されたのは初めて。

同遺跡は、国内で初めて馬を本格的に飼った牧場とされ、府教委は「朝鮮
半島から子馬を船に乗せて連れてきたか、生まれた子馬を飼育し、軍馬と
して増産したとみられ、国内最初期の馬生産の実態がわかる」としている。


3世紀の中国の史書「魏志倭人伝」に、日本に馬はいないと記されてお
り、5世紀頃、朝鮮半島から馬と乗馬の風習が伝わったとされる。(略)
松井章・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長(動物考古学)は「乳歯
はもろく、「蔀屋北遺跡」からの出土は珍しい。馬飼が、大規模に馬を生
産していた様子がうかがえる」と話している。

たしかに「蔀屋北遺跡」とその周辺から、これまでに丁寧に埋葬された馬
の骨(性別は不明)や永久歯計約500点、それにアブミ、鹿角製のハ
ミ、鞍などの馬具も出土している。総数26基の井戸も発掘されており、こ
のうち7基は、「馬」運びに使った舟を転用して、井戸枠を作っているの
が分かっている。

その船は、西都原式といわれる準構造船で、実物が日本で初めてこの「蔀
屋北遺跡」で発掘されている。復元船は、全長10?、幅1?、10人乗りの
船。航海は2ノットぐらいの速度の船団だったと専門家は説明している
が、果たして1隻の船に一体何頭乗せて来たかは明らかではない。

四條畷市の「馬飼いの里」で繁殖された「馬」は、王朝や豪族の間で軍
事・通信・運輸の活用に重用され、いわゆる権力誇示の証とされた。それ
だけに四條畷市の「馬渡来の終着地」の意義と「馬飼いの里」からの
「馬」の供給価値が、権力側から高く受け入れられていた。

しかし文武4年(700年)になると、天皇に献上する公の牧場が諸国に作ら
れ始められるようになり、そののち平城京遷都の時には、騎兵500人が威
儀を正して行進し、「馬」が国家の資としての威容をみせつけている。

こうした時代の変遷のともない、平城京遷都の頃には、四條畷市の「馬渡
来の終着地」の役割は終焉し、「馬飼いの里」は姿を消したという。

名所旧跡の多い大阪四條畷市では、こうしたあまり知られていない歴史を
積極的に広報して、まちへの集客へ繋げる「観光政策」に力を入れたいそ
うだ。(了 再掲)
 参考―四條畷市立歴史民族資料館刊「馬は船にのって」   


━━━━━━━━━━━━━━━━
パキスタンで未曾有の「軍人」テロ
━━━━━━━━━━━━━━━━
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019)4月19日(金曜日)弐
        通巻第6050号 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
パキスタンで未曾有の「軍人」テロ、海軍と沿岸警備隊員を狙い
 落下傘部隊の制服は偽装か。14人を殺害。軍内の抗争、それとも?
**********************************
パキスタンのパロチスタン地方。この地ではパキスタンからの独立を主張
し、これまでも頻発したテロはグアダール港開発の中国人を標的としてきた。

州都クエッタでは誘拐殺人。中国人のいる工事現場へのテロ攻撃など、こ
のため中国主導のCPEC(中国パキスタン経済回廊)プロジェクトは遅
延箇所がいくつか出ている。

4月12日にはクエッタの野菜市場で爆弾テロが発生し、20人が爆死、ほか
に50人が重軽傷を負った。同地区はハザラ人が多い地区として知られる。

4月18日午前0時過ぎ、カラチからグアダールへ向かうバスが、オルマラ
地区へさしかかったところ、落下傘部隊の制服を着込んだ男たち15人、な
いし20人があらわれ、6台のバスに停止を命じた。

乗客のパスポート、IDカードのチェックがあって乗客は選別され、14人
が殺害された。東社の殆どは頭部を撃たれた。2人が負傷しながらも逃げ
出したが、国境警備隊員も銃撃戦で死亡した。

パキスタンの有力紙『ドーン』紙や『アルジャジーラ』英語版によれば、
落下傘部隊の制服を偽装したテロリストは、乗客のなかから、パキスタン
海軍兵士ならびに沿岸警備隊を選別していたという。

現場はカラチからグアダール港へいたる653キロの国道で、アラビア湾に
面した沿岸の幹線道路である。

標的が中国人から軍人に変化した。その理由は何か?

パキスタンの軍のなかで抗争が起きているのか、それともバロチスタン警
備と独立運動活動かの間に恨みが深まっていたのか? 

バロチスタンは英国がかつてにパキスタンに編入した経緯があり、住民は
独立を叫んでおり、英国に亡命している国王が居る。治安は悪く、タリバ
ンの秘密基地は、国際的テロリスト集団の根拠地にもなっていると言わ
れ、中国のプロジェクト現場はパキスタン軍が警備をしている。

インド、パキスタンのメディアはトップニュースにしているが、日本のメ
ディアはまだ一行も報道もない。

      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1万年にわたる縄文時代、草創期から前期、中期、後期にかけての変化
土偶のデザインの変化が意味する創造力の深さ、工芸の巧緻さ

   ♪
江坂輝彌『日本の土偶』(講談社学術文庫)
@@@@@@@@@@@@@@@@

30年前の名書が学術文庫に入った。本書は縄文土偶を、じつに300点を超
える図版を用いて、1万年以上前の日本人の生活や祈り、食事、その文化
を考察している。学者だけに推理も想像もなく、淡々と客観的事実だけを
列記し、それとなく推理小説のような解釈をした梅原猛らを言外に批判し
ている。

夥しい縄文遺跡の発見と、出土した土偶、こうした縄文土偶は草創期から
製作されていたことが近年の縄文考古学でひろく認定され、しかも縄文土
偶は世界的な考古学者、美術史家の関心を集めている。

「土偶を作ったのは私たち同様近代的な人間だった」。「縄文人が抽象的
思考や表現、そして言語能力を私たちと共有し、また私たちと同じように
精巧な職人技や奇抜さを評価していた」(セインズベリーの序文)
 評者(宮崎)は中学時代の歴史教科書で、静岡の登呂遺跡が日本で最古
の遺跡と教わった。

それが固定観念のように脳裏にこびりついて離れず、高校時代に無銭旅行
であちこち旅をしたときにわざわざ登呂へ見学に行った。近くの小・中学
は遠足のコース、遠くからも観光バスを仕立てて、もの凄い人出があっ
た。連日、登呂遺跡は超満員で周囲にはお土産や、レストラン、駐車場が
足りないと悲鳴を挙げていた。

過日、新幹線を静岡で降りて、登呂遺跡を再訪してみた。

じつに半世紀以上前に来てから歳月は流れてしまった。驚いたのはレスト
ランも土産店も閉鎖され、そもそも見学者がほとんど居ない。駐車場はが
ら空き、寂れ果てているではないか。

地元のタクシーの運転手が言う。

「あれから縄文遺跡があちこちに発見されて、登呂遺跡は弥生式時代でも
あって、『新しい』遺跡。いまじゃ、駐車場はいつもあいている」

本書は、縄文遺跡を全国に訪ねた専門家が、出土した土偶を中心に、装身
具や祭器などを分析し、その用途に思いを馳せながら、考察を深める。

一覧できる羅列形式なので、ロマンを期待する向きには、文章に綾もな
く、ひたすら淡々と事実が並び、土偶やアクセサリーの出土場所、発見日
時、発見者、出土したときに状態と形状、寸法などを克明に紹介している。

1万年にわたった縄文時代は草創期から前期、中期、後期に別れるが、そ
の期間の移行に伴っての変化が土偶のデザインにあらわれた。その変化が
意味することは縄文人の創造力の深さ、工芸の巧緻さである。

さて評者にとって本書を読んでの大発見は、次の箇所だ。評者は歴史学者
でも考古学者でもないから、素人の発想から注目したのである。
 江坂氏はこう書いている。

 「1940年頃、奈良県橿原神宮外苑、現在の橿原公苑地区の遺跡の発掘調
査に(亀岡遺跡の遮光土偶の影響を受けた)多数の土偶が出土した」
(191p)

多くは破損していたが、出土品のなかには「耳の位置に小円孔のある土
偶」が含まれており、縄文後期のものと認定される(211p)。

装飾品はペンダント、腕輪、イヤリング。つまり縄文女性はピアスをして
いたのである。

このさりげない文章には重要な意味がある。

橿原神宮と言えば、神武天皇が即位した神社であり、畝傍山麓にあって同
敷地内には神武天皇陵、綏靖天皇陵がある。

すなわち『古事記』によると、神武天皇の即位は紀元前660年であり、世
界史的にいえば同時代にはバビロニア帝国が築かれたネブカドネザル大帝
の時代に重なる。日本史では縄文後期から弥生時代の重複期にあたる。

林房雄が『天皇の起源』のなかで述べたように、天皇の原型が縄文中期に
成立したという仮説は、神武以前の統治者たち、集落の長、そして地方の
豪族の長を統一していった王、大王、スメラミコトと変貌した統治者が神
武以前にも何代も続いていたことを傍証することにも繋がっている。
       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★読者の声 ★READERS‘ OPINIONS ★どくしゃのこえ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)桜が散り、ようやく長い冬があったことを忘れます。4月
は冬忘れ月です。

さて御近著『明智光秀 五百年の孤独』(徳間書店)を読了しましたが、
前作ニーチェにつづいて深い感銘でした。

歴史に対する知性と魂が存分に込められていて、たとえば国文学の研究者
は、和歌なら和歌の専門領域にこもってしまう。それが作品の中にあるべ
き解釈と考えてしまうわけですが、それでは大切なものが奪われてしまう。

失うときに客観的な作品解釈が成り立ち、同時に自分を失い、全体的展
望、本質の歴史を失ってしまう。

そうして意味で御著は歴史を揺さぶり、掘り起こしており、心に染みました。

記憶の残照を留めつつ作品が理解されて生き延びる。歴史の真実は和歌か
ら解きほぐされていくのも真実だと思います。(HN生、新潟)


   ♪
(読者の声2)ノ−トルダムと云えばジ−ナ・ロロブリジ−ダが主演した
「ノ−トルダムのせむし男」が記憶にありますが、搭が中腹から焼け落ち
る様を見て吃驚しました。

「漏電ではないか」との噂もあるようですが、いずれにしても安全管理に
手抜かりがあったのではないでしょうか。

安全保安管理業務者としてはその様に捉えますが、人のちょっとした油断
があの様な災害を招くいのですね。実に勿体ない話です。(TK生、佐賀)

  ♪
(読者の声3)国際シンポジウム「日米台安全保障協力の方向性─台湾有
事に備えた日米台の連携」のお知らせです。

中国は現在、台湾統一に向けた攻勢を強化し、台湾への圧力を強めつつ南
シナ海の聖域化を図るなど、その覇権的動きがアジア太平洋の平和と安定
を脅かしています。

米国はこのような中国を主要脅威とみなし、大統領府や連邦議会は、これ
までにない危機感をもって、中国と対峙する姿勢を顕著にするようになり
ました。そして台湾との関係を強化するために「台湾旅行法」や「アジア
再保証促進法」などの国内法を制定しました。米国に比べると、日本政府
の台湾問題への対応は緩慢で明示的行動は避けているように思われます
が、民間交流は活発で、日台交流を更に深化、強化するため「日台交流基
本法」制定の声が高まっています。

こういった情勢下、5月29日、日本、米国、台湾の安全保障問題の専門家
を招き、台湾をめぐる地域安全保障環境を整え、日米台安全保障協力の方
向性を見出すため、3国の連携をテーマに国際シンポジウムを開催しま
す。参加ご希望の方は、申し込みフォーム、メール、FAXにてお申し込
み下さい。
【使用言語=英語・日本語(同時通訳有り)】

               記

とき   5月29日(水)13時15分〜16時30分[受付開始:12時30分]
ところ  ホテルグランドヒル市ヶ谷 東館3階 瑠璃(中)
     東京都新宿区市谷本村町4-1 TEL:03-3268-0111
     【交通】JR・地下鉄 市ヶ谷駅 徒歩3分
     www.ghi.gr.jp/
登壇者:日本 浅野 和生(平成国際大学教授)
        川村 純彦(川村研究所代表)
        金田 秀昭(岡崎研究所理事)
        渡部 悦和(日本戦略研究フォーラムシニアフェロー)
        小野田 治(日本安全保障戦略研究所上席研究員)
        矢野 一樹(安全保障懇話会研究員)
     米国 ウォレス・グレグソン(元国防次官補)
        ジェームス・アワー(ヴァンダービルト大学名誉教授)
        マーク・ストークス(プロジェクト2049研究所事務局長)
        イアン・イーストン(プロジェクト2049研究所研究員)
        グラント・ニューシャム(元米海兵隊大佐)
        ケリー・ガーシャネック(戦略国際問題研究所上級参与)
     台湾 頼 怡忠(台湾シンクタンク副執行長)
        林 彦宏(国防部国家安全研究院研究員)
    コーディネーター:梅原克彦(台湾・中信金融管理学院教授、元
仙台市長)
    *都合により登壇者が変更になる場合があります。
参加費  2,000円
申込み  申し込みフォーム、メール、FAXにて。 *締切:5月27日
(月)
     E-mail:just.japan2018@gmail.com
FAX:03-3868-2101
主催   一般社団法人 日米台関係研究所[理事長:渡辺利夫]

   ♪
(読者の声4)「維新」に属する参議院議員に藤巻健史という人物がいま
すが、この藤巻議員は、次のように述べています。

http://www.fujimaki-japan.com/takeshi/7635
(引用始)「大阪以外の方は都構想ってなに?と思う方も多いだろうと思
います。東京都の例で述べてみましょう。今の東京都のほかに23区だけの
東京市を作り市議会や市長を新しく作ったら壮大な無駄づかいになると思
いませんか?広域行政を預かるところが二重にできてしまうのです。喜ぶ
のは新しく東京市議会議員という職場ができる議員職希望の人だけだと思
います。日本維新の会が大阪でやろうとしているのはその逆です。今の東
京都のような仕組みとしニ重行政の弊害を無くそうというものです。自民
から共産党まで一緒になって「反維新」になったことはいかに既得権益を
守ろうという政治家がいかに多いかを物語っているように私は思います」
(引用終)

これも底の浅いというか、ひどい誤魔化しとしか言いようがない奇妙な主
張です。まず、現在の東京都の人口総数は約1374万人で、区部の人口は約
949万人ですから(人口、各自治体のサイトから取ったもので、わずかの
時点の差はありますが、最新のものです)、都全体のうちの区部人口の比
率は69.0%です。

これに対して大阪府の総人口は約882万人、その内の大阪市の人口は約273
万人ですから、夜間人口比率では約31.0%に過ぎません。府下の他の大き
な市では、政令指定都市である堺市が約84万人、東大阪市が約50万人と
なっています。

私が既に主張しているように、大阪都構想なるものも、せめて現在の東京
都区部並みに、府全体の70%近くを特別区化するというのなら、府下行政
の統一・一元化、各市が単独で行っている公営企業の広域化・統合に資す
るものと言えるでしょう。

しかし少なくとも夜間人口比率ではわずかに30%程度に過ぎない大阪市
「だけ」を「解体」して、「市長のいない都市」にすることに経済合理性
があるとは思えない。また、それを、藤巻議員のように「二重行政」解消
というのは、あまりにも、現行の府県制度、政令指定都市制度(政令指定
都市制度では、そもそもが、府県の中に「二重行政」を作り出していくも
のとも言える)を無視した妄論でしょう。

東京にも、「東京市」復活論が一部では主張されていますが、人口949万
人もの巨大市を作ろうなどというものではなく、例えば、明治の当初に発
足した15区程度のまとまった区域を市域とし、その他に幾つかの市を作ろ
うというようなものです。

東京都区部には、世田谷区のように単独で指定都市の資格さえ備えている
ほどの規模を有する「特別区」が存在するのです。

また、仮に、東京市と幾つかの市に再編成したとしても、その場合の市が
指定都市となったとしても、その市に置かれる区は、行政区であって特別
区ではないわけですから、区会議員などは存在しなくなり、都議会議員と
市会議員の二層構造になるわけです。藤巻議員の主張は、無知からなの
か、ごまかそうとしているのか、とにかく酷い妄論です。

なお、東京の区部が、東京府・市体制から、東京都・区体制に移管したの
は昭和18年7月のことですが、この経緯については、サイデンステッカー
氏が次のように述べています(『立ちあがる東京』;117)。

(引用始)「昭和7年に市域が拡大され、隣接する五つの郡が市に編入さ
れた後も、市と府の二重の行政組織をどうするかという議論は、10年以上
相変わらず続いていた。区と郡部、それに府の利害が、ことに金の問題に
関して食い違っていたのである。けれども非常時の色が濃くなるにつれ
て、首都東京を中央政府のより強力な監督下に置き、できれば直接に管轄
すべきだという意見がしだいに強くなっていた。

こうして昭和18年7月、その頃にはすでに、洞察力のある人々、情報に通
じた人々の間では、太平洋戦争が幸福な結末に終わりそうにもないことが
明らかになり始めていたが、東京の行政組織の改組が実施され
る。・・・・・・・

・・・・改革はかならずしも徹底したものではなかった。つまり、府と市
を一体化するばかりでなく、郡部を一挙に廃止するほどラディカルなもの
ではない。ただ市を廃止し、府を都に改めるという程度に終わった。

危惧されたのは、区の権限が縮小されるのではないかという点だった。区
と都の間に、市という緩衝壁がなくなってしまうからである。確かにこの
危惧は当たっていた。区の自治権は、結局、一般の市や町よりも限定され
てしまったのである。」(引用終)

この戦時下という非常時下に実施された東京府・市体制の変革が「ただ市
を廃止し、府を都に改めるという程度に終わった」こと、「区と都の間
に、市という緩衝壁がなくなってしまう」こと等、「維新」などという笑
止なネームを関した怪しげな組織が大阪で行おうとする「改革」にそのま
まというより、もっとひどく、懸念されるものでしょう。
(椿本祐弘)



━━━━━━━━━━━━━━━━━
福澤諭吉論に見る、皇室と国民の関係
━━━━━━━━━━━━━━━━━


          櫻井よしこ

約150年前、日本人は列強諸国の脅威の前で、潰されず呑みこまれず、祖
国の未来を確固たるものにしようと必死の想いで努力した。徳川幕府の統
治から転じて天皇の権威の下に皆が結集して、明治維新という大変化を乗
り切った。おかげで日本は大半のアジア諸国とは異なり、辛うじて独立独
歩で前進できた。

国の形が大転換したとき、先人たちはどんな発想で国家、民族の一体性を
守り通したのか。現在、1945年から続いてきた戦後体制が大変革中なのは
否定しようのない現実だ。わが国も、何かしら根本的な変化は避けられな
いと、多くの人が感じている。

今上陛下のご退位が近づき、皇太子殿下のご即位が近づいている。新天皇
と皇室はどうあるのがよいのか。私たち国民はどのように新天皇皇后両陛
下を支え、向き合うのがよいのか。先人たちは、明治維新で突然、立憲君
主として国を統治する立場に立たれた天皇にどのように向き合ったのか。
皇室の在り方も含めて何を理想としたのか。

明治15(1882)年5月に、福澤諭吉が上梓した『帝室論』が多くを教えて
くれる。冒頭で福澤は「帝室は政治社外のものなり」と説いている。

政治と皇室を結びつけてはならないということだが、これは現代の日本人
にとっては当然の心得だ。現行の日本国憲法は、第四条で書いている。
「天皇は、(中略)国政に関する権能を有しない」と。

これは日本を占領した米軍が、出来得るならば皇室も消滅させたいとの悪
意ある思いから定めた憲法だ。日本国民が絶大な信頼を寄せていた皇室の
力を殺ぎたいとの思惑がそこにはあったと考えてよい。

だが、福澤の説く「皇室は政治にかかわってはならない」という意味は全
く異なる。明治の人々は天皇及び皇室を敬うが故に、政治と皇室は別のも
のと考えたのだ。皇室は政治の外にあったからこそ、「我が日本国におい
ては、古来今に至るまで真実の乱臣賊子なし」だったのである。

大岡裁きに人気が集まる

福澤は、少なくとも鎌倉時代以降、日本人は「北条や足利のような反乱分
子と見られるもの」でさえ、皇室に敵対しなかった、彼らは皇室に奉ずる
方法について争ったにすぎないという。その世俗の争いを、皇室は「父母
が子供の喧嘩の騒々しさを叱るような」姿勢で見ていたのであって、その
種の争いを「憎むのではない。唯これを制止するものであり、騒ぎがおさ
まればもはや問題視はしない」のだと説いている。

政治とかかわらない皇室は、「万機を統(す)ぶる」存在であり、「万機に
当たる」存在ではないとの指摘には深い意味があるだろう。

政治や政党を、「自由改進」や「保守守旧」を自称して論争するが、結局
「政権の受授を争って自らが権力を執ろうとする者にすぎない」と手厳し
く批判する。政治は世の中の多岐にわたる事柄に携わるが、皇室はそうで
はない。にもかかわらず、そうした事象のすべてが、自ずと皇室の下で治
まっていくという見方を福澤は取っている。

現実問題として日本では争い事はどのように解決されるのか。大岡越前守
の大岡裁きに人気が集まるように、必ずしも厳格な法による解決が善い解
決ではなかった。たとえば江戸市中の火事場で鳶の組同士が喧嘩する。す
ると公の裁きのかわりに親分が仲裁し、喧嘩の当事者が坊主頭になって和
解する。なぜ坊主頭になるのか。実際に寺に入らずとも、寺に入り、俗世
と別れるという覚悟を、示すためだろう、と福澤は見る。

だが、西洋の合理性を重視した福澤は日本における宗教の力は評価しない。

「我が日本の宗教の功徳は人々の営みにまでは浸透していない。宗教はた
だわずかに、寺院の中の説教にとどまっている。宗教の力のみで、国民に
倫理や徳を浸透させ維持することができないのは明らかだ」

福澤は宗教の力は評価しないが、社会の潤滑油としての宗教の機能は大い
に認めている。たとえば、として次のような事例を挙げている。古く歴史
を遡れば敗軍の将が高野山に登り、国事犯の罪人が尼寺に入り、あるい
は、藩法に背いた家来に止むを得ず切腹を命ずるようなとき、君家菩提寺
の老僧が仲裁に入ったり、罪人を寺に引き取ったりしておさめてきた。

宗教は法以外の力、法以外の存在として、社会の安寧を維持するのに役
立ったということなのだ。社会を暮らし易いものとするための力として評
価しているのだ。

それでも前述したように、宗教は寺院の中の説教にすぎず国民に倫理や道
徳を行き渡らせる役割は担えていないと強調して、「帝室に依頼するの要
用なることますます明らかなり」というのだ。

敬愛の情

政治も宗教も社会問題の解決や摩擦解消の力にはなり得ない。それは皇室
にしか果たせない役割だと結論づけるが、そんなオールマイティーな力
は、皇室のどこから生まれてくるのか。皇室の「統べる力」の源泉は何か。

福澤は「一国の帝王は一家の父母の如し」と説く。良家の父母は子供に
「このようにしなさい」と諭すが、「このようにしなければ鞭で打つぞ」
とは言わない。言わないだけでなく実際に手に鞭を持つことはしない。よ
き両親は慎むのである。

日本の皇室と国民の関係も同じである。そこが政治と国民の関係との違い
だとして、ざっと以下のように説いている。

国会は立法する。法を守ればよし、破れば罰せられる。懲らしめることは
善きことを勧めることではない。罰することは誉め奨励することではな
い。規範規律で縛り上げて社会の秩序を整えるのでは、国民は「畳のない
部屋に坐らされ空気のない地球に住まわされる」ようなものだ。これでは
道理道理と詰め寄られて、窒塞することもある。

それを救って、国中にあたたかい空気を通し、人心を落ち着かせ、国民に
安寧をもたらし得るのは、ただ皇室のみだ。

明治維新の荒波の中、皇室が国家の根本を担い、人々をまとめた。日本は
立派に危機を乗り切った。皇室の力は和らぎをもたらす力であり、緩和力
だ。如何なる政党にも党派にも#与#くみ#せず、公正な視点で一段と高い
所から全体を見渡す。穏やかに春のようなあたたかさで国全体を包み込
む。そのような姿勢から皇室の力は生まれたと福澤は説いている。

先人たちのこのような感じ方は、次代の皇室、ひいては新天皇皇后両陛下
とどのように向き合うかについて、自ずと私たち国民への大いなる導きと
なるのではないか。敬愛の情をもってお守りする心を、私たち国民が抱く
ことの重要性を強調したい。
『週刊新潮』 2019年4月18日号日本ルネッサンス 第848回


 


   
━━━━━━━
重 要 情 報
━━━━━━━

 ◎私の守備範囲外というか興味の対象外だったので:前田正晶

18日辺りまで方々のテレビ局が“Queen”が何度目だったかの訪日をするといって大騒ぎをしていたので、当方は「何のことかな」くらいの印象で捉えていた。ところが良く聞けば、屡々聞かされる“We will rock you.”という曲を歌って大流行させたUKのロックミュージックのバンドのことらしいと解ったのだった。そう言われて見れば Freddie Mercury という歌い手の名前を何処かで聞いたなと言う程度の知識はあった。また、「ボヘミアン・ラプソディ」という大ヒット曲もあったとも聞かされた。

だが、それでも英語の慣用句にある表現でいえば “That does not ring my bell.”状態であり、何のことかサッパリ思いつかなかったのだった。それで思い立って、先ほどWikipediaに伺いを立ててみた次第だ。そこにあったことは、彼らは1971年辺りに結成され、1974年から79年が第1次黄金期だったそうで、第2次が80〜86年だったということ。であれば、如何に忙しく日本とアメリカの間を往復してただけではなく、来日した上司や同僚たちと日本中を飛び回っていて、東京にいたのは年間に100日程度いう頃のことだったようだ。

であれば、極めて多忙であってQueen だろうとエルビス・プレスリーだろうと、興味や関心を持つ余裕などあり得なかった訳だと納得した。特に「ボヘミアン・ラプソディ」という曲は同名の映画も出来ていたそうだが、全く知らなかった。ということは、それほど仕事に熱中していて余裕がなかったのか、あるいはその昔西新宿にあったジャズファンにとっては聖地のようなジャズレコードの専門店「オザワ」に入り浸っていた頃であり、ロックミュージックなどには聞く耳持たなかっただろうと思う。

正直に回顧すれば、1988年4月まで住んでいた藤沢市からは青山一丁目にあったW社ジャパンの事務所には時間的に通いきれなくなって、というか仕事の都合で遅くなった時には帰宅する余裕がなくなってしまうことが余りにも多くなったので、東京都内への移転を真剣に考え始めていたのだった。仕事の為に私生活を犠牲にしていたと言うよりも、朝でも片道100分以上かかる通勤時間では体力が続かないとすら考えるようになっていた。Queen とやらのお陰で、ついそんな昔のことを懐かしく思い出す機会を得たのだった。

そこで締めくくりに矢張りカタカナ語について一言。「ボヘミアン」と聞いて思ったことは「これは例によって例の如きローマ字読みだな」と直感した。恐らく原語の綴りは“Bohemian”であり、発音は「ボウヒーミアン」だろうと察しがついた。また性懲りもなくそんなことを言っているなとお思いの方がおられるだろうが、どうしてカタカナ語の制作者は原語の発音を無視してローマ字読みを尊重するのかなと何時も不思議に思っている。

しかし、我々日本人同士で「ボウヒーミアン」などと発音したら「キザな奴だ」と嫌われるか軽蔑の対象となるだろうと危惧する。誰が「外国語は迷わずにローマ字読みして表記しよう」と原則を決めて全国津々浦々に普及させたのだろう。だが、こういう表記の方式も我が国の独自の文化だと思えば、仕方がないことかなと考えるようにしている。でも、片割れの “rhapsody”は何故「ルハプソデー」とはならなかったのだろう。嫌みを敢えて言えば、この辺りに先人の工夫の跡が読める気もする。

最後にもう一言をお許し願えば「Queenを知らなかったことは大いなる屈辱的なことではない」と信じているのだ。

 ◎消費税率引き上げと軽減税率導入の時期が迫ったか:前田正晶

我が家の近くの西戸山公園の桜が散り終えてしまったかと思えば、我が
家の前の歩道の植え込みには延々とツツジが咲き始め消費税率引き上げの
時期が迫ってきたのかと思わせてくれている。その時期にあって18日には
自民党幹事長代行の萩生田氏が「如何にも10月に迫った消費税率引き上げ
をの日銀の7月の短観次第では、崖っぷちに国民を誘う訳にはいかない」
という意味の発言をして物議を醸していた。そしてTBSは「報道1930」で
は、我が国の実質賃金がマイナス成長であるという事を内外の論客に論じ
させて「なるほど、そうなのか」とも思わせてくれていた。

ところがである、私の好みではない恵が司会を務めるTBSのヒルオビでは
時事の田崎氏と政治解説者の伊藤氏を招いてこの件を論じさせている最中
に、話題の中心だった荻生田幹事長代行の記者会見が割って入って彼の
「軌道修正した」と田崎氏が表現した昨日の発言が訂正されていた。萩生
田氏は発言は撤回せず、訂正が適切であると思うと述べていた。観測気球
ではないかと田崎氏は指摘していたが、まさか安倍総理の意中を忖度はし
ていないだろうとも観測していた。何れにせよ、萩生田氏は人騒がせであ
ると思う。



18日はこの萩生田発言を捉えて立憲民主党というのだったか野党の常に安
倍内閣の揚げ足取りの先頭に立っている福山哲郎は「これぞアベノミクス
の破綻以外の何物でもない」というようなことを嬉しそうに言っていた。
このような輩の発言をまともに採り上げるテレビ局も福山同様に揚げ足取
りが好きで堪らないようのだ。救いようがない連中であると思う。では本
当にアベノミクスが破綻していて我が国は不景気にあるのだろうか。正直
なことを言えば「私には判断のしようがない」のである。だが、菅官房長
官は「リーマンショック級の事態が生じない限り延期はあり得ない」と断
言されたではないか。

私はこれまでに一度たりと雖も「アベノミクスは失敗であった」とは
言ったことはなくて、「アベノミクスは未だに成功の途上にあるのだ」と
断言してきた。だが、確かなことは国の景気は誰しもが肌で感じるほど往
年のバブル期のような活況を呈してはいないと言えると思っている。私は
多くの人々がそのような感覚の景気感を持っていることの最大の原因の一
つが、TBSも採り上げていた「実質賃金がマイナス成長である」という現
象があると思っている。

安倍総理が繰り返して財界に賃上げを求められたにも拘わらず、街頭で
のインタビューなどでは「有り難いことに給料が大幅に上昇した」などと
語る者は見たことも聞いたこともない。上場企業では立派にネット利益が
上がっていてもそれが皆内部留保に回されてしまうほど、経営担当者たち
は「景気は安心出来る状況にある」とは認識していないようで、思い切っ
た賃上げには踏み切れていない状況が続いているようだ。確かに、現時点
ではアメリカ対中国の貿易赤字削減問題に端を発して争いは不安材料であ
るし、世界の何処を見ても不安材料だらけである。

ではあっても「鶏が先か卵が先か」という陳腐な論争の視点から考えて
も、賃金を上げないことには消費景気は盛り上がってこないだろうし、経
営者側から見ればこの国の内外に不安材料が多い最中に今や固定費である
賃金を上げるような危険は犯したくないという慎重さ(度胸の無さ)があ
ることも否定できまいと思う。それに大規模小売業であろうと個人商店で
あろうと、迂闊に仕入れ原価をそのまま消費者向けの末端価格に転嫁して
しまえば、競争相手に商売を取られてしまうという危機感からついつい
「歯を食いしばって利幅を切り詰めて末端価格を維持してしまう」傾向が
あるようだ。私は所謂「ステルス値上げ」にはかなりの数の商品(食品関
連)で経験している。

私はそういう価格競争と大規模小売業対個人商店の争いもさることなが
ら、我が国の市場には絶えず供給過剰というか如何なる製品においても過
当競争の種が尽きないと思って見ている。要するに「迂闊にコストの上昇
を最終価格に転嫁して取引先を競争相手に獲られてしまうことや、単純に
売上高が減少してしまっては運転資金が回らなくなってしまう」という切
実な危機感があるということだ。私はそのような過剰在庫を投げ売りして
も資金の回転を図ろうとする傾向はなくならないと思っている。

それが証拠には某DJの店舗には常に明らかに処分品と思わせるとんでもな
い投げ売り価格の商品が陳列されているという現象が見られるのだ。私に
はそういう安売りが未だにデフレ傾向が続いているのか、過剰生産と過当
競争(ある専門業者の社長は嘗て「オーバー・ストア現象」と形容された
が)の結果かどうかの判断は出来ない。だが、最終需要者は常に敏感に新
聞に挿入されてくるチラシ等を通じて「投げ物が出てくる」現象を捉え
て、「安く買える店」を選んで購入していると見ている。そのような店舗
が近場で歩いても行けるような場所になくても、消費者(主婦)たちは出
向いていくのだと見ている。

それに止まらず、今やアマゾン等を中心とする電子商取引は花盛りであ
る。昨日も朝9時過ぎにエレベーターに乗ったところ、上の階から降りて
きてM太郎という配送業者の係員が5〜6個のアマゾンの箱を抱えて乗って
いた。思うに配達先が不在だったのだろう。彼はエレベーターを降りるや
否や隣の棟に向かって疾走していった。ところが、数分後にはその荷物を
抱えたまま出てきて軽自動車に乗って我がアパートを後にした。アマゾン
はM太郎も使っているのだと解ったが、午前9時過ぎだと多くの家は全員が
外出した後だったのだろうと解るが、配送業者としては朝9時には始動開
始しなければならないのだから、再配達が多くなる訳だと思って見ていた。

再配達が増えることは兎も角、経済的な価格で買えるネット通販も増える
一方では、末端における価格競争というか最終消費者も安値を狙える時代
となっては、経営者も経費の合理化や人件費を抑える方向を目指すのだろ
うと、荷物を抱えて疾走するM太郎の配達員を見ながら考えさせられた。
世の中にかかる人件費と輸送費をかける販売方法が増えていけば、製造業
界でも何時何処でどのように経費を合理化し、尚且つ給与を上げても人員
を確保せねばならないという難しいというか、如何にして容易ならざる競
争の時代を切り抜けるかを懸命に考えねばならぬ事態に直面したと覚悟せ
ねばなるまい。




━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━

20日の東京湾岸は快晴、爽快。

19日は夜に赤坂の料亭で元高級官僚らと懇談。

                      読者数:6001人
                        



規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。