政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針4997 号  2019・3・28(木)

2019/03/28

                                 
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わたなべ りやう じらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」4997号
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        2019(平成31)年  3月28日(木)



      中国インターネットの帝王、14年の実刑:宮崎正弘

              3度目は意図的失脚:渡部亮次郎

       キラキラネームが示す『親の変質』:櫻井よしこ
                           
                      話 の 福 袋
                        反     響
                      身 辺 雑 記

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中国インターネットの帝王、14年の実刑
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)3月27日(水曜日)
   通巻第6028号  
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 中国インターネットの帝王、14年の実刑、300万元の罰金
  TIMEの「50人」にも選ばれたハイテク分野の実力者がなぜ失脚し たのか?
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江蘇省寧波裁判所は、嘗て中国のインターネットの帝王(網絡皇帝)とま で言われた魯偉に対して14年の懲役と罰金300万元を言い渡した。

魯は2017年10月に「党規約を深刻に逸脱し、3200万元の賄賂を受け取っ た」として職を解かれ、収監されていた。

判決による罪状は収賄と権力を利用しての女漁りという醜聞だった。

魯の経歴が凄い。

新華社党委員会秘書長、副社長。継いで北京市党委員会常務委員。同市宣 伝部長、北京市副市長。国務院新聞弁公室副主任。中央宣伝部副部長(サ イバーセキュリティ小委員会弁公室主任)。準閣僚である。

ファイスブックのザッカーバーグが北京を訪問し、習近平と表敬訪問した 折、となりに紹介者のように振る舞っているのが当時「中央宣伝部副部 長」として、ネット監視の重責を担い、権勢の頂点にいた魯である。
米有力週刊誌の『TIME』が「将来有望な世界の指導者50」のリスト に、この魯を加えるほど世界的にも有名人だった。

インターネット監視の立場にあって、なぜ収賄が可能なのか、或いは機密 漏洩という別の側面があるのではないかと、様様な揣摩憶測が世界のイン ターネット業界に飛び交う。なにしろインターポール総裁だった中国人が 北京に召喚され拘束、王岐山と関係の深い「海航集団」のCEOがアルプ スの崖から落ちて「事故死」したり、将来を嘱望されて物理学者がサンフ ランシスコで「自殺」したり、不思議な事件が頻発しているくにだけあっ て、ネット帝王の失脚事件くらいで驚いてはいられない。

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 天皇皇后両陛下、神武天皇陵に御親拝。
  皇祖御即位の畝傍の麓。「東宮への御譲位」の「親謁の儀」
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平成31年(西暦2019年)3月26日、天皇皇后両陛下は奈良橿原にある神武 天皇の御陵を御親拝され、「親謁の儀」を厳粛におこなわれた。

近鉄の特別列車で到着された橿原駅から橿原神宮までの沿道には、両陛下 をお迎えする国民およそ2万2千余人が、厳粛に並び、国旗をふりながら 御即位以来の御訪問を歓迎した。

メディアは「退位」の「報告」などとあっさり報じているが、皇祖神武天 皇が即位されたのが橿原神宮、我が国の肇国は畝傍山の麓でなされたので ある。

その日が紀元節となって皇紀2679年の歴史が刻まれ、光格天皇から二百年 ぶりに御譲位の儀となった。


前夜に京都に立ち寄られた両陛下はゆかりの深い御所において茶会を行わ れ、往時の京の繁栄、その歴史の中枢の舞台となった場所における伝統の 儀式に、多くの国民は深い思いを寄せた。

戦後、喧しかった議論は「神武天皇はいなかった。日本書紀はつくり話」 という左翼の天皇制否定論だが、こんにち神武天皇の実在は疑う余地のな い歴史的事実とされ、むしろ外つ国の宣伝文書(魏志倭人伝)による卑弥 呼の存在が疑わしいこととなった。

邪馬台国は一豪族が支配した地域の名称と想像され、卑弥呼は霊力をおび た巫女と考えられるものの、卑弥呼神社は全国何処を探しても存在しない ように、その実在は極めて疑わしい。外国の宣伝文書を、日本の歴史学者 がまじめに議論したこと自体が、意味のない作業であったのだ。
      
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読者の声 READERS‘ OPINIONS  どくしゃのこえ 
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(読者の声1)御新著『明地光秀 五百年の孤独』(徳間書店)をすぐに 拝読しました。

「えぇーっ」と声を挙げること数回、いまのいままで明智は竹藪で百姓の 竹槍に倒れたと思っていましたから、これが天下を簒奪した秀吉の創作 だったとは!

文中、和歌の本家取りの素養、実際に愛宕百韻の霊峰に登山されて、ここ で連歌会の解釈が光秀の悲壮な決意、それを参加者は十分に理解してお り、また細川と吉田兼見が義挙を予兆していたことなど、歴史の深淵をの ぞく思いで夢中で読みふけりました。

それにしても中国経済の著作が多い宮崎正弘先生が、このところ吉田松 陰、西?隆盛と歴史物を次々とまとめられ、ときに三島由紀夫論からニー チェへ飛躍し、これは同一人物なのか、いや、中国論はひょっとして余業 なのだろうかと思ったり、十分堪能させていただきました。(MK子、杉並)

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(読者の声2)御新刊の『明地光秀 五百年の孤独』(徳間書店)、さっ そく拝読、一気呵成に読み終えました。

最後に引用されている福田恒存の『光秀』の舞台を観た記憶が懐かしく思 いおこされ、高麗屋の光秀と杉村春子の妖婆は記憶に鮮明です。

又五郎の秀吉も(おそらくカリカチュアもあったのでしょう)面白く創ら れていました。 来年の大河ドラマ(「麒麟がくる」貴著同様に面白くな るといいのですが。(HF生、神奈川)

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(読者の声3)またまた御新著、じつに八面六臂、迅速は筆力に脱帽です が、この度のタイトルが「五百年の孤独」とはじつにぴったりです。
なにしろ明地光秀は五百年もの長きにわたって謀反人のレッテルを貼られ たまま、孤独に耐えてきたのです。

その孤独から救い出した本書もまた義挙でしょうか。あの霊峰・愛宕神社 に登攀された紀行文の記述も読ませます。
ますますのご健筆を祈ります。(HS生、奈良)


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3度目は意図的失脚
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   渡部 亮次郎

トウ(鄧)小平は1973年周恩来の協力を得て中央委員に復帰するが、1976年 には清明節の周恩来追悼デモの責任者とされ、この第1次天安門事件に よって3度目の失脚をした。

しかし【トウ小平秘録】(83)第3部「文化大革命」 失脚選択 (産経 新聞2007年7月19日 筆者伊藤正中国総局長=当時)によると、トウは 1975年11月の時点で自ら失脚の道に踏み込んだようだ。意識的失脚であ る。「時代は我にあり。老衰著しい毛沢東以後に再起をかけたに違いな い。時代は我にあり」、と確信して。(伊藤正)

1975年9月24日、同月中旬の「農業は大寨(だいさい)に学ぶ」会議で、 毛の妻の江青(こうせい)が「水滸伝批判は2つの路線(文革か、修正主 義か)の闘争だ」と話したとトウ小平から聞くと、毛沢東は怒りを表した。

梁山泊(りょうざんぱく)の英雄豪傑を描いた古典小説「水滸伝」につい て、首領の宋江(そうこう)を「投降主義」とした毛沢東の批評を、江青 ら文革派「四人組」は強引にトウ氏批判の材料に利用したからである。

「でたらめだ! 意味が違う。農業を学ぶ会議なのに、水滸(すいこ)批 判をやるとは。分からんやつだ」と怒ってみても、頼みの毛沢東は老衰激 しく、時折は江青支持にさえ廻る。

「大寨会議」で、あらゆる分野での整頓(反対者の追放)の必要を強調し たトウに対し、江青は痛烈な反対演説をした。

「水滸伝の要は、宋江が(前の首領の)晁盖(ちょうがい)を排除、棚上 げし、土豪劣紳(地主や地方ボス)らを招き入れて主要なポストを占拠 し、投降したことにある。わが党内にも毛主席を棚上げにする投降派がいる」

文革が終わって復活幹部を重用、経済建設に努める周恩来(しゅうおんら い)首相やトウ小平への露骨なあてこすりだった。共産党内の主導権をと られると危機感を募らせたのだ。

その3日後、毛沢東の実弟毛沢民の遺児、毛遠新(もうえんしん)が訪ね てきてトウ批判を毛の耳に入れた。実子同様に育てた甥の言う事だ。

毛遠新は文革前に東北のハルビン軍事工程学院に入学、造反派としてなら し、いまは遼寧省党委書記、瀋陽軍区政治委員の要職にある。毛沢東は甥 の成長を喜び、その話に耳を傾けた。

「社会には、文革に対して、肯定、否定の2つの風が吹いています。トウ 小平同志は文革の成果を語ることも、劉少奇(りゅうしょうき)(元国家 主席として失脚)修正主義路線を批判することも極めて少ないのです」

露骨なトウ小平批判だ。現実社会から遊離している毛沢東に大きな影響を 与えた。毛沢東は遠新を非公式の連絡員にする。遠新が「ママ」と呼ぶ江 青は、強力な援軍を得た。

毛遠新と再会した後の毛沢東は別人になっていた。11月2日、毛沢東は毛 遠新に話す。

「2つの態度がある。文革への不満と文革の恨みを晴らそうとするもの だ。トウ小平にだまされないよう言え」。

この意見は政治局に伝えられ、「水滸伝」批判は「右からの巻き返しの風 に反撃する」というトウ小平批判運動に発展した。それでも毛沢東はトウ の反省に期待し、何度も会議を開かせた。

ポイントは文革の評価だった。11月13日、毛沢東は復活幹部について 「(古代中国の)魏(ぎ)や晋(しん)はおろか漢(かん)があったこと も知らない桃源郷(とうげんきょう)にいる人物がいる」と話す。

それを聞いたトウ小平氏は「自分は文革期、(初期に打倒され)桃源郷に いた人物であり、魏や晋も漢も知らない」と言った。トウ氏の失脚が事実 上決まった瞬間だった。しかし、これが明らかになったのは今回が初めて である。

当時の北京市党委第1書記の呉徳(ごとく)は、トウと李先念副首相の3 人で当時語った話を後に証言している。

「トウ小平は毛主席の決心が下された以上、辞めるほかないと言った。そ の後、彼は(副首相の)紀登奎(きとうけい)、李先念、華国鋒(かこく ほう)らに、自分を批判し地位を保持するよう話した」(呉徳口述「十年 風雨紀事」当代中国出版社)。

その時、トウ小平は、妥協を重ねた周恩来の道ではなく、失脚の道を選択 した。「トウ小平は毛沢東と同じく、言い出したら引かない性格だった」 (トウ榕著「我的父親トウ小平『文革』歳月」)。

<それだけでなく、老衰著しい毛沢東以後に再起をかけたに違いない。時 代は我にあり、と確信して。>(伊藤正)

確かに1976年1月8日に周恩来が腎臓癌で死去し、それを追悼する4月の清 明節が混乱した責任を取らされる恰好でトウは生涯3度目の失脚をした。 しかし5ヶ月後の9月9日には、確かに毛沢東も死んだ。

トウは広州の軍閥許世友に庇護され生き延びた。毛沢東が死去すると後継 者の華国鋒支持を表明して職務復帰を希望し、江青ら四人組の逮捕後1977 年7月に再々復権を果たす。そこはもはや独り舞台に等しかった。

1978年10月、日中平和友好条約締結を記念して中国首脳として初めて訪日 し、日本政府首脳や昭和天皇と会談したほか、京都・奈良を歴訪した。

1978年の訪日時には様々な談話を残した。「これからは日本に見習わなく てはならない」という言葉は、工業化の差を痛感したもので、2ヶ月後の 三中全会決議に通じるものであった。

また、帝国主義国家であるとして日本を「遅れた国」とみなしてきた中華 人民共和国首脳としても大きな認識転換であった。新幹線に乗った際には 「鞭で追い立てられているようだ」という感想を漏らしている。

その2ヵ月後の同年12月に開催されたいわゆる「三中全会」(中国共産党 第十一期中央委員会第三回全体会議)において、文革路線から改革開放路 線への歴史的な政策転換を図る。またこの会議において事実上中国共産党 の実権を掌握したとされる。

この会議の決議内容が発表されたときは全国的な歓喜の渦に包まれたとい う逸話が残っている。

経済面での改革に続き、華国鋒の掲げた「2つのすべて」と呼ばれる教条 主義的毛沢東崇拝路線に反対して華国鋒を失脚へと追い込み、党の実権を 完全に握った。

毛沢東の死後、約20年を生きて経済の改革開放により工業、農業、国防、 科学技術という4つの分野の現代化(近代化)を目指す路線を定着させて死 んだ。

とはいえ、4つの現代化が果たして中国の如何なる将来を約束するかは誰 にもわからない。だからトウといえども周恩来といえども、墓を暴かれる という屈辱を受けない保証は無い。2人とも墓は無い。

参考:産経新聞「鄧(トウ)小平秘録」83回及び「ウィキペディア」執筆 2007・07・19中国インターネットの帝王、14



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キラキラネームが示す『親の変質』
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          櫻井よしこ

「キラキラネームが示す『親の変質』 家庭の立て直しこそが最重要課題だ」

月13日付の「産経新聞」に「18歳改名」という記事があった。山梨県の高 校3年生の赤池さんが、卒業を前に、親がつけた「王子様」から「肇」へ の改名を希望し甲府家庭裁判所に認められたのだ。

赤池さんは、「極めて個性的なキラキラネーム」について、「本人が嫌な ら行動できる。勇気を持ってほしい」と語っている。

教育問題の専門家である麗澤大学特任教授の高橋史朗氏は、全てを一律に 論じることはできないとしながらも、それでもキラキラネームは親の自己 中心的な思いでつけられる場合が多いと語る。

私は暫く前に、インターネットの「言論テレビ」で氏と家庭教育の在り方 を語り合った。その中で高橋氏は、或る保育園でのお母さん方との対話を 紹介した。子供の名前に「子」をつけたのはわずか2〜3人で、殆どが「オ ンリーワンの個性を尊重したい」として「特別の名前」をつけたと返答し たそうだ。

そこで聞いた子供の名前はざっと以下のようだった。漢字表記の下の ( )内が実際の読み方である。
 「輝宙(ぴかちゅう)」「一二三(わるつ)」「愛猫(きてぃ)」「七 音階(どれみ)」「強運(ラッキー)」「英雄(ひいろ)」「美貝(みっ しぇる)」などだ。

「せぶん」は「ウルトラセブン」からとったもの。「じゅりあな」はディ スコの店名から、「剣(ぶれいど)」は「仮面ライダー」の主人公の名前 からだそうだ。

「『れある』ちゃんはサッカーチームのレアルマドリードからとったそう です。『礼』は『ぺこ』ちゃんと読みます。子供が社会人になったとき、 どう感じるでしょうか。キラキラネーム全てが悪いと決めつけるのではあ りません。けれど全体的な兆候から読みとれるのは親心の崩壊です」と、 高橋氏。

赤池さんは、会員証などの作成時に偽名だと疑われたり、女子生徒から笑 われたりして、名前ゆえに「みじめな思いが蓄積」していた。高校卒業後 は「これまでの人生をリセットし、新たに始めていく」との決意で知人の 僧侶の知恵を借りて「肇」とした旨、語っている。彼には広大な未来に向 かって歩んでいってほしいと願うものだ。

高橋氏が命名の在り方に読みとる「親の変質」とは何なのか。

「厚生労働省の虐待死例の調査結果で『子供の存在の拒否・否定』が四大 加害動機のひとつに入っています。なぜ、自分に子供がいるのか、子供が いるゆえになぜ自分の行動が制限されるのかという自己中心的な思いに親 が落ち込み、子供を死に至らしめる事例が少なくありません。かつては当 然視されていた『子供のために自分を犠牲にする親』が減りつつあるのが 現代日本のひとつの断面です」

安倍晋三首相は3月12日の衆議院本会議で「これまでとは次元の異なる政 策を実行して日本を子供が産みやすい国へと大きく転換する」と述べた。

10月から3〜5歳児は原則全世帯、0〜2歳児は低所得世帯を対象に認可保育 園や幼稚園を無償化する予定だ。経済的支援も大事で、決して否定はしな い。しかし、本当に必要なのは親心を育てる支援ではないか。

「かつて日本の子育ては世界一素晴らしいと絶賛され、日本の赤ん坊は日 本を天国にするために大人を助けていると描写されていました。無邪気な 子供たちの笑顔が全ての大人を幸せにするという意味です。日本のお母さ んで癇癪を起こす人は見たことがないとも言われました。けれど今、癇癪 を起こさない母親は見たことがないような社会になりました」と高橋氏は 語る。

平成の30年間で虐待事件は、1101件から13万3778件に約120倍に増えた。 余りにも遅いかもしれないが、家庭と家庭教育の立て直しこそ、最重要課 題である。
週刊『ダイヤモンド』2019年3月23日号
 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽1272 



       
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読 者 の 声
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 ◎何となく違和感を覚えた産経の主張:前田正晶

産経新聞が「主張」欄にイチロー君の言葉を称えるような表現で「自分が 熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエ ネルギーをそそげるので、そういうものを早く見つけてほしい。(以下 略)」と子供たちへのメッセージを求められて答えたとしていた。確かに 良いことを功成り名遂げた大選手が述べたことは貴重だとは思うが、私に は何となく「何となく」の思いがあるもの確か事だった。

それは、今を去ること50年以上も前になっただろうか、日本の会社時代に 2期上の年齢になる某国立大学出身の秀才と語り合ったことだった。彼の ことはこれまでに何度も採り上げたが、名言や至言が多い人である。当時 は(乃至は今でもかな?)スポーツの世界で大いなる成績を挙げた大監督 などを招聘してその成功物語を財界人が聞く講演会が方々で開かれていた ことを捉えて、お互いの意見を述べ合ったのだった。その際に一致した見 解は「それは本末転倒ではないだろうか」ということだった。

即ち、「スポーツという言わば限定された範囲内での成功よりも、国内の みならず世界にも進出して実績を挙げられた傑出した経営者の『成功への 道』をスポーツの指導者たちが承って勉強するのが本筋ではないのか」と いう考え方だった。半世紀も昔のことなので正確な記憶ではないが「経験 談を承るのだったならば、例えば松下幸之助であるとか、井深大とか盛田 昭夫のような方々から監督やコーチ連中が聴衆になるのが適切ではないの か」というように語り合ったのだった。

今思い出しても、1964年の東京オリンピックで日紡貝塚の大松監督が女子 のヴァレーボールで優勝されたような猛練習の話は確かに大いなる感動を 呼んだ。だが、「そのある目的を持った猛練習による成功の過程の経験談 を伺って、それをどのように会社の成功(大きな利益を挙げること)とか 部下や後進の指導に応用すれば最善の結果出るのか」というような議論を したような記憶もある。即ち、参考にはなるだろうが経営の指針になるの かという意味だったと記憶する。

私はキリスト教の教えではないが「人は死ぬまで努力し向上しようとし続 けねばならない」とは承知しているが、それを実践し続けるのは余程の覚 悟と強固な意志が必要だと思う。イチロー君があれほどの名選手になった 後でも、常に練習を怠らず心身を鍛えておく努力を怠らなかった事は見習 うべきだとは思う。だが、常人には容易にやり遂げることはできないこと だと危惧する。そういう努力をする姿勢こそがビジネスパーソンたちも模 範とすべきだろうとも思うが、私はそういう見習うべき努力をしておられ たビジネスパーソンたちを数多く見てきた気もするのだ。


 ◎対ボリビア戦観戦記:前田正晶

勝って良かった:

先ずはFIFAランキングの27位が60位に勝てて良かったということ。勝てば 良いというものじゃないと言ってやりたい試合運びだった。森保という監 督は前にもこういうことをやったと思うが、折角招集したのだから全員を 使ってみようというコインの表側と相手が60位だからという裏面もあって あの二軍のような顔ぶれで前半をやらせたのだろうが、あれほど45分が長 く感じられたことも珍しいと思うほど間延びのした見るべきところがない サッカーを延々とやっていた。即ち、良いゲーム運びならば45分などあっ という間に終わるのにという意味だ。

解りやすく言えば、遠来の一国の代表テイームを相手にして二軍的な顔ぶ れで試合をすることが儀礼として如何かなと言うことだ。

森保監督の選手起用法:

香川真司にしたところで先日は単なる交代要員として使ったし、昨夜は私 の記憶にはないキャプテンとしてトップ下で使って如何にも期待している かの如きだったが、あの周りの9人の体たらくでは彼の特徴も出せずに、 空回りしただけだった。宇佐見も乾ももう少し何とかなるかと少し期待し たが、彼ら自身がヘボなのか、香川と同様に周りが下手過ぎて彼ら自身も 活かせず、周りを使うことも出来ないうちに終わって交代させられてし まった。香川という人は不思議な存在で、これまででも外国人監督たちは 先ず90分使い切ることがなかったと思う。

極端なことをいえば、森保監督はこれで心残りなく「過去の名選手香川真 司は、自分で世代交代をさせた日本代表では使えないと実証できた」とい う名目で、今後は彼を招集しないで済ませられるだろうとみた。あれほど ヘボばかりを周りに置けば、彼らが香川の意図を読んで動けるかどうかく らいは解っていたはずだ。香川を贔屓する私にとってみれば、森保監督の 思いきった世代交代作戦なのか、単なる香川真司嫌いなのかが解らないの が残念だ。

新世代のテイーム:

あの何らの策もないサッカーをするボリビアを相手にして後半の30分過ぎ まで得点がなかったということは中島、堂安、南野、柴崎を入れても前半 の二軍と出来映えに大した変わりはなかったということだと思う。欧州の テイームとの契約の不備等があって呼べなかったロシアW杯当時のメン バーが何人かいたとしても、二軍のサッカーは思い切りが悪すぎた。兎に 角、幽霊の正体見たり枯れ尾花ではないだろうが、前に誰かがいただけで 躊躇なく後ろか横への逃げのパスを回しているだけで、折角試合に出して 貰えたのだからここで一旗揚げようというような積極性は皆無だった。

選手層の薄さ:

それと比較すれば、後半の途中から森保監督が繰り出した手兵たちは手慣 れたパス回しでランキング下位のテイームを圧倒して見せたが、この程度 は出来て当たり前で、私は堂安も南野も柴崎も発展途上であるに過ぎない と思う。良くやったと賞賛すべきではないと思う。バックス陣では安西と 西の出来が中途半端でイライラさせられた。鎌田もアナウンサーは褒め称 えていたが、未だ代表の一軍に使うべき次元に達していないと見た。鈴木 武蔵はそれ以下だと評価した。要するに一軍と二軍では差がありすぎて、 選手層の薄さが目立ったという試合だった。

私の不満は大迫は良くやっているかとは思うが、あのポジションに置かれ ている割りには点を取ろうという執念が感じられないのが不満足なのだ。 これは彼が下手だといっているのではない。私の好みではないという意味 だ。鎌田もかなり良く動いてはいたが、大迫と同様に(あるいは見習った のか)点を取ってやろうという強引な動きを見せなかったのは、FWという ポジションを何か勘違いしているのかなと思わせてくれた。矢張り二軍に 置け蓮華草である。

結び:

では、26日夜の試合に良いところがなかったと言っていると非難してい るのか。冒頭に60位の相手に勝って良かったと言ったじゃないか。個人的 な極論を言えば、そろそろ森保監督の「鼎の軽重を問う」時が近くなった のではないかとすら憂いている。


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身 辺 雑 記
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28 日の東京湾岸は曇天。

散歩する都立猿江恩賜公園は満開に近いソメイヨシノとユキヤナギの花で 白一色。綺麗だ。
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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

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