政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針4995 号  2019・3・26(火)

2019/03/26

                                 
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わたなべ りやう じらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」4995号
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        2019(平成31)年  3月26日(火)



     イタリアがG7で初のBRI覚書を結んだが:宮崎正弘

           「バカヤロー」はつぶやき:渡部亮次郎

       キラキラネームが示す『親の変質』:櫻井よしこ
        
                      
                      話 の 福 袋
                        反     響
                      身 辺 雑 記

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イタリアがG7で初のBRI覚書を結んだが
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)3月25日(月曜日)
   通巻第6026号  
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 イタリアがG7で初のBRI覚書を結んだが
  エチオピア、ナミビアなどBRIに懐疑。「借金の罠」と批判渦巻く
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劣勢挽回に見える。世界各地で頓挫している中国のBRI(一帯一路)プ ロジェクト。マレーシアで新幹線中断、インドネシアでは着工に至らず、 モルディブ、パキスタン、スリランカで反中国の元首選挙結果が北京を揺 らした。

エチオピアでもジブチへと756キロの鉄道を中国が敷設し、プロジェクト 全体の70%にあたる29億ドルをアジスアベバ政府は中国の銀行から借りた。

「借金の罠」に落ちたと野党やメディアが批判した。ナミビアでも、中国 のBRIに批判が起こり、ともかく世界各地で「借金の罠」論が喧しい。 ちなみにエチオピアの負債総額は121億ドル。

ジョン・ボルトン米大統領補佐官は、「いずれアフリカは米国主導の西側 と中国との戦場となるだろう」と見通しを語った。中国が向こう3年間で 600億ドルを投資すると宣言しているため、牽制する意味が含まれる。

22日からイタリアを訪問した習近平はローマ政府との間でBRIの覚え書 きを交わした。G7のメンバーでは初。BRIへの協力を表明したことに なるが、イタリアの狙いは4つの港湾の近代化である。とくに中国が狙う はトリエステ港である。

エチオピア駐北京大使のテシューム・トガ・チャナカは、批判をかわすた めに『サウスチャイナ・モーニングポスト』(3月24日)との単独インタ ビューに応じ、「このプロジェクトは単に財政的な均衡の話ではなく、招 来の経済発展の大動脈への投資なのであり、ローンの返済方法について は、これから話し合う」として『借金の罠』論を退けた。
     
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読者の声 READERS‘ OPINIONS  どくしゃのこえ 
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(読者の声1) 23日に放送された「韓国は滅びるのか」の討論番組、印象 に残っているポイントを列挙します。

「文政権はマルクス主義の階級闘争史観。金持ちを徹底的に収奪するう え、公務員はルーズで働かない」(室谷克実先生)

「報道されないが文在寅退陣を求める百万人の抗議集会が開かれている」 (高先生)
「『漢族』という語彙は二十世紀に始めてでてきたもので、『史記』に も、漢族という表現はない」(黄色文雄先生)

「中国が反日を韓国を使ってやらせているのであり、同時に「日本人にな りすまして」ハッカー、或いはネットへの書き込みも韓国人に見せかけた 北の部隊がやっている」(高先生)。
「易姓革命ゆえに前政権への摘発は凄まじいが、李明博逮捕も、朴権惠逮 捕も、盧武鉉の自殺した日に意図的におこなった」(西村幸祐先生)。
「救う会が北朝鮮との国交を言い出したのは考えものだ」(三浦小太郎先 生)。

「自ら滅ぼうとしているのが文政権であり、日本は見放せ」(高山正之先 生)「日本の対中、体感外交は、トルコを手本としたらどうか。対アルメ ニアで妥協しないし、キプロス問題で絶対ギリシアに屈服しない。毅然と したエルドアンの姿勢を見習うべきでは」(宮崎正弘先生)。
いつも大声で目立つ石平先生も、この番組では意外におとなしかったのが 印象的でした。(DF生、栃木)

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(読者の声2)いよいよ4月1日に新元号の発表がありますが、内閣が決 定し、官房長官が発表するというのは、歴史の形式として可笑しいのでは ありませんか。(JJセブン)


(宮崎正弘のコメント)まことにご指摘の通りで、本来なら天皇の勅諭、 御名御璽で決めるべき国家の枢要な事業です。明治22年の皇室典範では 「践?の後元号を建て一世の間に再び改めざること」と明記されています。

そのうえで天皇陛下がお決めになると書かれています。
 
ところが昭和54年に制定される元号法は驚くべし「元号は政令で定める。 元号は皇位の継承があった場合に限り改める」となっていて、天皇がお決 めになるという従来の歴史を否定しています。

この法解釈でも、政令で決めるとなっているが、政令は天皇陛下の御名御 璽が必要であり、ということは新帝が御名御璽のあとに発布するのが筋と いう事になります。

光格天皇(生前御譲位の後、上皇となられて200年。今上陛下は光格天皇 のひ孫)は践?から即位、改元まで1年余も時間を経過し喩日改元、喩年 改元をなさいました。光格天皇は難民救済、飢饉対策を幕府に迫り、また 歌人としても雅びの体現者でした。
 (践?の「?」は「作」の右側。喩日の「喩」は「足」扁)。

以下は3月22日の時事通信報道です。

「元号選定の手続きは1989年の平成改元時を踏襲する。学者から提出され た多数の候補の中から、内閣官房が(1)国民の理想としてふさわしい良い 意味を持つ(2)漢字2字(3)書きやすい(4)読みやすい(5)過去に元号や天皇 の死後の「おくり名」として使用されていない(6)俗用されていない−と いう条件に合うかチェック。20〜30程度の候補を菅長官に近く報告する。
 菅長官は横畠裕介内閣法制局長官の意見も聴いた上で数個の原案を選 ぶ。原案は3案程度になるとみられ、政府はこの中から新元号を決める」 (引用止め)


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(読者の声3)30年前の新元号発表は、昭和天皇御崩御直後に「懇談会」 が緊急に開催され、「修文」「正化」と並んで議論された「平成」に決 まったことが当時の関係者から明かされています。また現在、新元号で有 力視されているのが「安久」とか。
これらに関して早耳の御誌で、情報はありませんか。(X生)


(宮崎正弘のコメント)ありません。情報漏れの懸念ではなく、本当に決 まっていないようです。
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(読者の声4)第44回 家村中佐の兵法講座 兵法書として読む『古事 記』『日本書紀』

日本最古の史書とされる『古事記』『日本書紀』には、遠い昔から今に伝 わる日本人の戦争観や武力行使のあり方、優れた戦略・戦術や軍隊の指 揮・統率など、現代社会においても十分に役立つ最高の兵法書としての教 えが数多あります。今回の兵法講座では、皇位継承をめぐる蘇我氏の内 紛、中大兄皇子と中臣鎌子の出会い、蘇我蝦夷・入鹿父子の横暴と滅亡な どにつきまして、図や絵を用いてビジュアルに、分かりやすく解説いたし ます。
         記
日 時:4月20日(土)13:00開場、13:30開演(16:30終了予定)
場 所:文京シビックセンター5階 会議室A
講 師:家村和幸(日本兵法研究会会長、元陸上自衛隊戦術教官・予備2 等陸佐)
演 題:第17話 舒明天皇と皇極天皇
参加費:1,000円(会員は500円、高校生以下無料)
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
 FAX 03-3389-6278(件名「兵法講座」にてご連絡ください。
    事前に、「新説『古事記』『日本書紀』でわかった大和統一」 (宝島社新書486)をお読みいただくと、理解が深まります。



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(読者の声5)日本の国会の議論が、非生産的な理由は、野党の多くを占 める(官僚にも与党にも)左翼の思想には、国家が存在せず、したがって 同じ土俵に立っての議論ができないからです。

その左翼の思想の土台となっているマルクス主義の特徴は、全体性である 哲学すなわち絶対的真理の否定、観念論の否定、相対的真理のみの真理 論、国家の否定、差別されている者こそ解放者だとして、あえて煽り立て て対立を作り出して国家の統一を乱そうとする等々が挙げられます。

何より極めつけは、絶対的真理を否定しておきながら、自ら相対的真理の 絶対化を行っていることです。それがプロレタリア独裁であり、共産党独 裁であり、いまや幻となりつつある習近平独裁です。この相対的真理の絶 対化は、金融グローバリズムや宗教対立にも共通してみられる、人類に不 幸をもたらす理論的誤謬です。

その理論的な誤謬に対して、学問的に正しい答えを示してくれているの が、ヘーゲルです。というより師の正しい答えをマルクスが勝手に捻じ曲 げたので、それを正すにはヘーゲルに立ち戻る必要があるということです。

ヘーゲルは、全体の否定的媒介を拒否する反省のない有は自己崩壊の運命 にあると、マルクス主義の自己崩壊をも予言していります。それはどこに 書いてあるのかと云いますと、「大論理学」の本質論の中で、全体と部分 との本質的相関について、もう少し云いますと、即自的存在としての全体 と、直接的存在としての部分との相関について、ヘーゲルは次のように述 べています。

「全体は、それぞれの自立的存立をもつところの反省した統一である。け れども、このような統一の存立は、同様にまた、その統一によって反撥さ れる。全体は、否定的統一としての自己自身への否定的関係である。その ために、この統一は自己を外化(疎外)する。

即ち、その統一は自己の存立を、自己の対立者である多様な直接性、即ち 部分の中にもつ。故に全体は部分から成立する。従って、全体は部分を欠 いてはあり得ない。その意味で、全体は全体的な相関であり、自立的な全 体性である。しかし、またまさに同一の理由で全体は単に一個の相関者に すぎない。なぜなら、それを全体者たらしめるところのものは、むしろそ れの他者、即ち部分だからである。つまり、全体は、その存立を自己自身 の中にもたず、却ってこれをその他者の中にもつのである。

同様に、部分もまた全体的な相関である。部分は反省した自立性(全体) に対立するところの直接的な自立性であって、全体の中に成立するのでは なくて、向自的に(単独に)存在する。しかし、それは更にまた、この全 体を自己の契機としてもっている。即ち全体が部分の関係を形成する。全 体がなければ部分は存在しない。

けれども部分は自立者であるから、この関係は単に外面的な契機にすぎ ず、部分はそれに対して全然無関心である。しかし同時に、部分は多様な 実存として自己自身の力で崩壊する。というのは、多様な実存は反省のな い有だからである。

それで部分は、その自律性を、ただ反省した統一、即ちこの統一であると 共にまた実存する多様性であるような統一の中にのみもつ。云いかえる と、部分は全体の中でのみその自立性をもつのであるが、しかし、この全 体はまた同時に部分とは異なる他の自立性なのである。」

マルクス・エンゲルスは、この全体と部分との関係論を全く理解できませ んでした。その理解を妨げたのが、当時台頭著しかった科学と唯物論に対 する強烈な信奉でした。科学というのは学問全体の部分を研究するものです。

唯物論も直接的な事実から出発しようとしますので部分的にならざるを得 ず相対的真理論になります。

その結果としてマルクス・エンゲルスは全体性を否定することになり、 ヘーゲルの絶対的真理論を「熱病病みの妄想」だと否定し、「へーげるを もって哲学は終焉する」と宣告し、「国法論批判」の中でマルクスは、 ヘーゲルを、対立物を媒介を通じて統一させようとするのは誤りだ。対立 をもっと激化させなければならない、と批判しました。

その教えに従って、左翼は、日本の国家として正当な形で統一化が進行し ているものを、わざわざその統一を破壊して対立を激化させようと「アイ ヌ法案」を提出し、北海道や沖縄に独立運動を巻き起こそうとしています。

また、LGBTなどのマイノリティーを不当に持ち上げて対立を煽り、国家と しての統一性を乱そう弱体化させようとしているのです。

ところで、ヘーゲルの云う、全体は即自、部分は直接性、とは何を意味す るかと云いますと、全体がそのもの自体ということであり、部分は細かな 現象として現われた直接事実としてとらえられることを云います。

これを国家で云いますと、部分は直接目に言える形で現れる一人一人の国 民であり、国軍であり、政府です。国家はこれらで構成されますが、国家 そのものは別次元のところにあるということです。

だから、日本国家は2千年近くも存在できているのであり、その原基形態 である家族や氏族をも含めるともっと長いれk氏をもつことになります。

この全体と部分との関係性からしますと、福島瑞穂氏が万種事変は日本が 画策して引き起こした事件だから侵略だと騒いでいるのは、この部分から 全体を規定しようとする誤りです。

人類全体の歩みにおける大東亜戦争そのもののもつ意味は、欧米のアジ ア・アフリカに対する人種差別的植民地主義に対する、日本を中心とする 差別されていた側の共存共栄勢力の植民地解放の戦いだったと規定するこ とができます。

だから、その後の世界はアジアが解放され、人種差別がいけないことだと いう常識がまかり通るようになったのです。
これは、大東亜戦争がなければ起こり得なかった世界の進歩です。これに 対して、部分的な事実でもって反論しようとする御仁は、上に挙げたヘー ゲルの学問的規定を反芻すべきであり、おのれの学問的劣等さを自覚すべ きです。

マルクスがヘーゲルを葬ってから、世界の学問的風土は劣化の一途をたど り、その行きついた先に「ポストトゥルース」なる言葉が出回る現実があ ります。

これは、マルクスが行った絶対的真理を否定して相対的真理のみで真理論 を構成しようとする欠点・弱点が露呈したものです。

すなわち部分的な相対的真理は、その範囲を逸脱すると誤謬に転化する真 理ですから、絶対的真理の否定的媒介によってその真理が全体の中に正し く位置付けられて真理として確定されないと、「反省のない有」となって 自己崩壊を起こして、お前の云う真理は、立場が異なる我々から見ると真 理ではないとなって、真理の意味が薄れて「ポストトゥルース」になって しまうのです。

それもマルクスが本物のヘーゲルの学問を葬ってしまった結果なのです。
それは、それを得意のお家芸とする韓国とチャイナの跋扈する世界へと世 界が堕落していくことを意味します。

だからこそ、ヘーゲルの学問の再興を通じて、学問の権威を高めていくこ とが、それを防ぐことになるのです。

では、一時期世界中を席巻していたグローバリズムはどうでしょうか?
これも金融資本という部分的な経済権力が自分たちに利益になるように世 界を従わせようとする、とりわけ国家という全体を形骸化し、解体して国 民をバラバラにして支配するという、部分的利益の絶対化がグローバリズ ムの正体ですから、このようなグローバリズムは、早晩行き詰まり自己自 身の力で崩壊する運命にあると云えます。
その崩壊過程が現在の世界の状況と云えます。  (稲村 正治)


            
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「バカヤロー」はつぶやき
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      渡部 亮次郎

産経新聞(2010.1.3)の【産経抄】に

 <昭和28(1953)年2月28日、衆院予算委の席だった。右派社会党の西村 栄一氏が国際情勢について吉田茂首相に質(ただ)していると、首相は次 第に興奮してきた。西村氏が「興奮しない方がいい」などといさめるうち に、とうとう「バカヤロー」と叫んでしまった。>とあるが、あれは叫ん だのではなかった。「つぶやき」だった。

あの頃私は、高校3年生、まだテレビは無かった時代。それでも国会紛糾 の図が脳裡に残っているという事は、映画の「ニュース」を見たのだろう。

西村氏への答弁の最後に「バカヤロー」と呟き、それがろくおんsれてし まったのだ。産経抄の筆者は戦後生まれか。いずれ、現場は現認してなく て知識としての「バカヤロー」だから、つい「叫んだ」と覚えたのだろ う。筆者の若輩さを感じる。若さと未熟さ。調べればすぐ分かることなの に調べていない。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
1953年2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と右派社会党の西村栄 一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と暴言を吐い たことがきっかけとなって衆議院が解散された。

「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えるが、映像資料で 見れば分かるように、吉田は非常に小さな声で席に着きつつ「ばかやろ う」とつぶやいたのみで、それを偶然マイクが拾った為に騒ぎが大きく なったというのが実態である。

問題となった、吉田茂と西村栄一の質疑応答の内容。

西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべき であるという根拠は一体どこにお求めになりましたか」

吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が 遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハ ウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておる から、私もそう信じたのであります(中略)」

西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総 理大臣の翻訳を承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽 観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、

(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。 (中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお 述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」

吉田「ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたので あります。私は確信するのであります」

西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃ ないか」

吉田「無礼なことを言うな!」

西村「何が無礼だ!」

吉田「無礼じゃないか!」

西村「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻 訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが 何が無礼だ! 答弁できないのか、君は……」

吉田「ばかやろう……」
西村「何がバカヤローだ!国民の代表に対してバカヤローとは何事だ!! (以下略)」

直後に吉田は発言を取り消し、西村栄一もそれを了承したものの、この失 言を議会軽視の表れとした右派社会党は、吉田首相を「議員としての懲罰 事犯」に該当するとして懲罰委員会に付託するための動議を提出(この背 景には鳩山一郎・三木武吉ら自由党非主流派の画策があったといわれる)。

3月2日に行われた採決に際しては自由党非主流派ばかりか主流派と見られ ていた広川弘禅農相らの一派も欠席し(この欠席を理由に広川は農相を罷 免された)、懲罰委員会への付託動議は可決された。

さらに追い討ちをかけるように内閣不信任決議案が提出され、先の懲罰事 犯の委員会付託動議採決で欠席した自由党鳩山派三十余名が脱党し不信任 案に賛成したために3月14日にこれも可決。これを受けて吉田は衆議院を 解散し、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われることになった。

さすがの吉田茂も発言当初は「つい言ってしまったのがマイクに入った」 としょげ返っていたが、数日後には元気を取り戻し、会合で「これからも ちょいちょい失言するかもしれないので、よろしく」と余裕しゃくしゃく のスピーチを行っている。

吉田と西村栄一の関係は以前からしっくりいっていなかった。第2次世界 大戦中、吉田は親英派として軍部に睨まれ、一時憲兵に身柄を拘束される 憂き目にも遭っていた。

逆に西村は軍人との繋がりがあり、戦時中かなり力が強かった。その様な やっかみも手伝って、吉田は西村に好感情を抱いていなかった。これが 「バカヤロー発言」の一因とする見方がある。

このときの新聞記事では、2人の興奮したやり取りの後、場内は鎮まり返 り、そんな中、岡崎勝男外相に何事かを囁かれた吉田は「ニヤリと笑って 立ち上がり丁重に取り消すとある。このことから、吉田の心中は「緊張の ための照れ笑いといい過ぎたとの思いが交錯した複雑な心境であったこと がうかがわれる。

解散後の総選挙では吉田の率いる自由党は大敗、かろうじて政権を維持し たものの少数与党に転落し吉田の影響力は急速に衰えていった。これが吉 田退陣につながる。

晩年吉田はその回想録の中で「取るに足らない言葉尻をとらえて」不信任 案に同調した与党の仲間を「裏切り」と糾弾し、「当時起こった多くの奇 怪事」で最大のもので「忘れる事が出来ない」と述べている。

上記のように、吉田が発言を取り消したため、議事録の中の、西村と吉田 が発言した「無礼」と「バカヤロー」という部分は削除されており、現在 の議事録で全てを確認する事はできない。

西村氏は西村真悟氏(落選中)の父であり、鳩山首相は、当時、吉田の足を 引っ張った鳩山一郎の孫である。

産経抄も冒頭でチョンボはしたが、材料にして突いた点はただしい。
▼そこらの夫婦げんかではない。国会での首相の発言だった。歴史家の半 藤一利氏は著書『21世紀への伝言』で、映画の寅さんの「それをいっ ちゃおしめえよ」のそれだったと書く。その通りこの暴言は、首相懲罰動 議や内閣不信任案の可決へと展開していった。

▼こんな古い話を持ち出すのは鳩山内閣の閣僚の言動がちょっと気になる からである。先日の参院予算委の質疑で答弁中に野党からヤジが飛ぶと 「うるさい!」と怒鳴る。質問者が「全大臣にお聞きしたい」と言うと 「私は全という名前ではない」と答弁を拒否する。

▼野党を小馬鹿にしたようなこの「高圧病」は鳩山由紀夫首相にも伝染し たようだ。米軍普天間飛行場の移設先を5月までに決められなかった場合 の責任を何度も問われると、すぐけんか腰になる。「その質問自体があり えない」と答えるのを拒否してしまった。

▼民主党などが野党であれば、ある程度許されるかもしれない。だが権力 を握る与党になった以上、常に謙虚に自らを律しなければならない。民主 主義の要諦(ようてい)である。「それをいっちゃおしめえよ」がわから ないようでは「政権交代をしたのだから」と胸を張る資格はない。

 ▼もっとも民主党などのイラダチもわからなくはない。小沢一郎幹事長 への疑惑などで、守勢一方に立たされているからである。そういえば「バ カヤロー」も、吉田の「ワンマン政治」に対する与野党の批判が強まって いるころに飛び出した。2010・1・30


        
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キラキラネームが示す『親の変質』
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          櫻井よしこ

「キラキラネームが示す『親の変質』 家庭の立て直しこそが最重要課題だ」

3月13日付の「産経新聞」に「18歳改名」という記事があった。山梨県の 高校3年生の赤池さんが、卒業を前に、親がつけた「王子様」から「肇」 への改名を希望し甲府家庭裁判所に認められたのだ。

赤池さんは、「極めて個性的なキラキラネーム」について、「本人が嫌な ら行動できる。勇気を持ってほしい」と語っている。

教育問題の専門家である麗澤大学特任教授の高橋史朗氏は、全てを一律に 論じることはできないとしながらも、それでもキラキラネームは親の自己 中心的な思いでつけられる場合が多いと語る。

私は暫く前に、インターネットの「言論テレビ」で氏と家庭教育の在り方 を語り合った。その中で高橋氏は、或る保育園でのお母さん方との対話を 紹介した。子供の名前に「子」をつけたのはわずか2〜3人で、殆どが「オ ンリーワンの個性を尊重したい」として「特別の名前」をつけたと返答し たそうだ。

そこで聞いた子供の名前はざっと以下のようだった。漢字表記の下の ( )内が実際の読み方である。

 「輝宙(ぴかちゅう)」「一二三(わるつ)」「愛猫(きてぃ)」「七 音階(どれみ)」「強運(ラッキー)」「英雄(ひいろ)」「美貝(みっ しぇる)」などだ。

「せぶん」は「ウルトラセブン」からとったもの。「じゅりあな」はディ スコの店名から、「剣(ぶれいど)」は「仮面ライダー」の主人公の名前 からだそうだ。

「『れある』ちゃんはサッカーチームのレアルマドリードからとったそう です。『礼』は『ぺこ』ちゃんと読みます。子供が社会人になったとき、 どう感じるでしょうか。キラキラネーム全てが悪いと決めつけるのではあ りません。けれど全体的な兆候から読みとれるのは親心の崩壊です」と、 高橋氏。

赤池さんは、会員証などの作成時に偽名だと疑われたり、女子生徒から笑 われたりして、名前ゆえに「みじめな思いが蓄積」していた。高校卒業後 は「これまでの人生をリセットし、新たに始めていく」との決意で知人の 僧侶の知恵を借りて「肇」とした旨、語っている。彼には広大な未来に向 かって歩んでいってほしいと願うものだ。

高橋氏が命名の在り方に読みとる「親の変質」とは何なのか。

「厚生労働省の虐待死例の調査結果で『子供の存在の拒否・否定』が四大 加害動機のひとつに入っています。なぜ、自分に子供がいるのか、子供が いるゆえになぜ自分の行動が制限されるのかという自己中心的な思いに親 が落ち込み、子供を死に至らしめる事例が少なくありません。かつては当 然視されていた『子供のために自分を犠牲にする親』が減りつつあるのが 現代日本のひとつの断面です」

安倍晋三首相は3月12日の衆議院本会議で「これまでとは次元の異なる政 策を実行して日本を子供が産みやすい国へと大きく転換する」と述べた。

10月から3〜5歳児は原則全世帯、0〜2歳児は低所得世帯を対象に認可保育 園や幼稚園を無償化する予定だ。経済的支援も大事で、決して否定はしな い。しかし、本当に必要なのは親心を育てる支援ではないか。

「かつて日本の子育ては世界一素晴らしいと絶賛され、日本の赤ん坊は日 本を天国にするために大人を助けていると描写されていました。無邪気な 子供たちの笑顔が全ての大人を幸せにするという意味です。日本のお母さ んで癇癪を起こす人は見たことがないとも言われました。けれど今、癇癪 を起こさない母親は見たことがないような社会になりました」と高橋氏は 語る。

平成の30年間で虐待事件は、1101件から13万3778件に約120倍に増えた。 余りにも遅いかもしれないが、家庭と家庭教育の立て直しこそ、最重要課 題である。
週刊『ダイヤモンド』2019年3月23日号
 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽1272 


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読 者 の 声
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 ◎文学とは、その人の知識、経験、価値観、判断力、人生のすべての認識を素材として、人間模様を描くストーリーです。詩的に、情緒は高貴に、悟りや知恵の深い文が織りなす物語は、言霊の織りなす芸術であると言えます。(まこと)

 ◎3月24日の、馬場氏の西暦に統一するといふ案について、私見をのべさ せて頂きます。

元号とは、それぞれの時代的雰囲気を伝へる、文化遺産である。明治の露 伴、大正の芥川、昭和の太宰、平成の?日本海の向う岸に、韓国と言ふ一 寸変った国がある。この国は、折角の文化遺産である漢字をいとも簡単に 止めてしまった。いまは表音文字のハングルしかない。その結果、韓国
の文化が薄っぺらになったことは、隣国の国民としても惜しいと思ふ。ど んなに薄っぺらになったかと言へば、かの国の大統領の顔を思ひ浮かべれ ば、思ひ半ばに過ぎる。

西暦の連続性を良しとするならば、我が朝にも「皇紀」といふ一貫したも のがあることを思ひだして欲しい。因みに本年は、2679年である。百年後 には、またどういふ元号になってゐるかは分からないが、皇紀は2779年で ある。北村維康


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身 辺 雑 記
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26日の東京湾岸は朝のうちは曇天。

東京湾岸はこのところ好天が続いていて爽快である。



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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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