政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針4980 号  2019・3・11(月)

2019/03/11

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わたなべ りや うじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」4980号
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        2019(平成31)年 3月11日(月)



「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第25章:“シーチン”修一 2.0

            全人代の経済討議から:宮崎正弘

            「風立ちぬ」の命日:渡部亮次郎
         
                            
                    話 の 福 袋
                     反     響
                    身 辺 雑 記



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「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第25章
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         “シーチン”修一 2.0

兼高かおるさん(1928年生、本名:兼高ローズ)が1月に亡くなり、2月末 に海外旅行業界有志による「偲ぶ会」が開かれたそうだ(フェイスブック で知った。たまには役立つ)。兼高さんは戦後の海外旅行ブームの火付け 役、種まく人、パイオニアだった。

1945年の敗戦、占領で明治以降に盛んになった「洋行」=海外旅行は途絶 えた。戦前、日本人は支那大陸だけでも年間1500万人が渡航していた。戦 後は衣食住の「食」の確保から始まり、ようやくどうにか生き延びたとい う1960年、政府は「もはや戦後ではない」と国民に宣言した。(さあ、反 転攻勢へ出よう!という鬨の声か)

それでも渡航に必要なドルを買えるのは海外で金を稼ぐ輸出業者(業務渡 航)や留学生などごく一部だった。「観光、物見遊山で海外旅行(ドルの 流出=輸入)なんてとんでもない」、業務渡航だって外貨持ち出し制限が あり、こっそり腹巻にドル札を忍ばせて持ち出していた時代だった。銃の 代わりにソロバンと商品サンプルをもって海外へ派遣されたのは多くが元 皇軍兵士だった。

それに先立つ1958年、兼高さんはトキの声を上げた。この年から平成天皇 皇后のご結婚を祝うミッチーブーム、パレードをテレビで見たいというTV ブームが高揚してきた。米国留学帰りで英字紙などの記者をしていた兼高 さんは「TVの時代」と同時に「1964年の東京五輪で海外旅行が盛んにな る」ことを確信したのだろう。

まずは話題作り、名を挙げるためだろう、「スカンジナビア航空が主催し た『世界早回り』に挑戦し、73時間9分35秒の新記録を樹立」「1959年よ り『兼高かおる世界の旅』がはじまった」(WIKI)。

海外観光旅行ができない時代に「海外の今」を紹介してくれるのだから、 たちまち人気番組になった。「〇〇ですのよ」といった彼女の気品あるナ レーション、解説は大変優れていたが、聞き役のアナウンサー、芥川隆行 が彼女の知性、感性を刺激して語らせる、その実に微妙な合いの手と言う かツッコミが良かった。彼女は嬉しそうに「そうなんですのよ!」と楽し く話をするのだった。

兼高さんには一度、対談に出ていただいた。その時の彼女の言葉で忘れら れないのは「天に倉を置け」だった。「世のために善い行いをしなさい、 徳を積みなさい、あなたの現世利益、金銀財宝の倉はこの地でなく、天の 倉に積みなさい」といった意味だろう。

彼女が学んだ香蘭女学校(東京)は英国系プロテスタントで、マタイによ る福音書には「天に富を積みなさい」とある。「あなたが最も心を込めて 大事にしているものこそがあなたの富である」ということらしい。

大東亜戦争中は日英は互いに敵であり、同校は敵性機関扱いされたが、そ れを体験しただろう兼高さんは「相互理解が平和を担保する」と確信した のではないか。父(インド人)母の信仰も影響したろう。兼高さんは観光 旅行、物見遊山であれ、諸国間の草の根交流が必要だ、その時代は間もな く来ると確信していたに違いない。

1964年の春、観光渡航でもドルを海外へ持ち出せるようになった。欧州旅 行が人気だったが、日数は3週間とか1か月が当たり前の時代で、ツアー価 格は初任給の2年分ほどもした。今なら500万、600万円あたり、高嶺の花 だった。それでも旅行者は右肩上がりで伸びていった。篠山紀信など大志 を抱いた若者は借金してでも世界に雄飛した。

(これを機に有名になった篠山は20歳の小生のアイドルだった南沙織(深 夜の歩哨の時ラヂオで聴くだけだったが)をGETして小生のハートを壊し たが、今でも門外不出で大事に保管しているそうだから、まあ許す。で も、ちょっとだけでも拝みたいなあ)

1970年前後からジャンボ機が普及し、運賃が劇的に下がり(バス1台=40 人用運賃登場)、海外旅行は庶民の手が届く娯楽になり、パンアメリカン 航空がスポンサーになっていた兼高さんの番組は1990年、「取材国は約 150か国、距離にして地球を180周」の記録を残して終わった。兼高さんは 日本の海外旅行復活、発展の大功労者だった。

<1990年7月31日、芥川隆行は体調不良を訴え入院、末期の肺がんだっ た。9月4日、「兼高かおる世界の旅」最終回のナレーション収録時点では 胸を押さえながら必死で挑んだが声が響いておらず、「芥川節」は本調子 ではなかった。10月2日、死去、71歳。

10月3日、入院中の9月6日に書き下ろした、兼高との思い出を振り返った 「一つの旅の終焉」は、雑誌『鳩よ!』に絶筆掲載された>(WIKI)

戦死・・・大和男児の最期はこうありたいね。

ところで河内桃子さん(1932年生、本名:久松桃子、旧姓:大河内)は女 優である。小生にとって彼女はカトリック布教のラジオ番組「心のともし び」の朗読者だった。河内さんは小生が大好きな生田緑地に近い日本女子 大学附属高等学校を卒業して女優になった。日本女子大はプロテスタント 牧師の成瀬仁蔵が創設した。

(成瀬は新教、旧教の違いにこだわらなかった。今の日本人も「宗教、宗 派の違いなんぞは些事、みんなで仲良くやろうぜ」、これが初期設定。日 本人に生まれてよかった思わないこと?)

河内さんは1998年11月5日に亡くなる直前の10月29日、病床でカトリック 神父より洗礼を受け「マリア」の洗礼名が与えられた。1980年にヨハネ・ パウロ2世から聖十字架章を親授されたほか、1996年にはバチカン市国勲 章も授与されている。

兼高さんと河内さんは、ほぼ同時代を生き、同時期に米国にいたこともあ り、共にキリスト教にも通じている。時代が「暗いと不平を言うよりも、 すすんで明かりをつけましょう」とか「置かれた場所で咲きなさい」と いった風潮だったのだろうか。政府は「飢えをなくした、経済は追い風 だ、後は国民の努力次第、3C(カー、クーラー、カラーテレビ)を目指 せ!」という感じだったようだ。

60年安保騒動の1960年から70年代は戦後リベラル≒アカモドキの残照がま だあった。80年代はバブルに代表されるように「カネ」がボディコンを着 て踊りまくっていた。「♪骨まで溶けるようなテキーラみたいなキスをし て 夜空もむせかえる 激しいダンスを踊り」まくったのだ。資本主義万 歳!てな感じ。

ところがマスコミなどの出版界は今でもジメジメしてまだ赤い。不思議に 思わないこと?

実は出版界の求人募集は「朝日の月曜朝刊」求人欄に集中していたのであ る。今はどうかは知らないが、少なくとも70年代はそうだった。だから出 版界を目指す若者は朝日を購読せざるを得ないし、学校の先生たちは日教 組の影響もあって朝日を読み、記事を試験問題にも起用していたから、生 徒たちも朝日を読むという、何やら永遠的に赤いタスキが渡されていくと いう輪廻駅伝が続いているのかもしれない。

このためにマスコミ、出版は欧米を含めて、多分7〜8割はアカかピンクの フィルターをつけている。彼らはリベラル(良識と知性ある穏やかな人、 小生にとっては福翁、岩波茂雄、陸羯南など)を自称しているが、戦後は 基本的にはML(マルクス・レーニン)教徒だ。

ひと頃(角栄バッシング前後、立花隆や赤坂“頂門”太郎が元気だった 頃)130万部を誇った「文藝春秋」は今は30万部ほどだろう(雑誌協 会)。昔のリベラル、多分今はほとんど痴呆症的な読者層に迎合している みたいで、根っからの反日的な保阪正康なんぞの論は胡散臭い。半藤一利 も怪しい感じがするから読んだ記憶はない。

岩波「世界」は寄らば大樹の中共もEUもへたってきたから絶滅危惧種、名 もないML狂徒の公衆便所みたいでレッドブック入りだ。1万部出ているの かどうか。原稿料が払えずに「そのうち新書にするから印税で」なんて綱 渡り的なことをやっているんじゃないか。「世界」に掲載されるんだか ら、ま、いいか、なんてML狂徒の学者は思っているかもしれないが、飯を 食えんと戦争できへんで。

モード・モンゴメリは一種の女傑、時代が時代ならサッチャーのような宰 相になっていたのではないか。市井の素朴なクリスチャンのご婦人方を煙 に巻いて熱烈な支持者にする才能を持っている。彼女は大宰相と言われる チャーチル(1874年11月30日 - 1965年1月24日)が生まれた時に、プリン ス・エドワード島で生まれた。モードはそれを時に楽しんでいたという。

モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」によると、父方のモンゴメリ家、母方 のマクニール家はともに名家で、エドワード島立法府の議員を務めている 先祖も多い。初代モンゴメリ家はカナダ移住を決めて故国を後にしたが、 エドワード島を目指していたわけではない。ただ、寄港しただけだが、船 酔いに苦しんだ夫人が「もう船は嫌!ここに住む!」と主張して梃子でも 動かない。旦那は「もうしょうがない」と折れるしかなかった。昔も今 も・・・男はつらいよ!なあ、同志諸君!

モリー曰く「モードの家系には気性の激しい婦人が何人もいたのである」

気性の激しさ、繊細な感覚、豊かな知性を抑えながらモードは牧師の良き 妻、母親、作家を演じる。手抜きしないから大変だ。

<忙しさに煩わされ続けた年月を通じて、モードは何とか毎日2、3時間の 時間を工面して執筆の時間を確保したのである。

「母は早朝に書きものをしていました」と息子のスチュアートは言っている。

「そして夜遅くに読書をしていました。私が覚えている限りでは、母の睡 眠時間は5時間、時には6時間でした。母は乱読家で、また、読心術を心得 ていました。

イギリス文学の古典は、すべて何度も読み返していましたし、それに信じ られないほどの記憶力で、シェイクスピア、ワーズワース、バイロンばか りか、有名なイギリス詩人の作品はすべて大部分の個所を引き合いに出す ことができました。

そればかりか、同時代の本、雑誌、新聞のすべてを読み、また、毎日1、2 冊の推理小説を読みこなしていたのです」

牧師のご主人の神経症的な憂鬱状態(小生のような抑うつ症、自殺願望、 引きこもりとかかも知れない)がどれほど深いものなのかをモードはすぐ に感知したが、会衆にはあずかり知らぬことであった。モードは時折友人 (ペンフレンド♂)たちに夫の思わしくない健康――神経衰弱、不眠症、意 気消沈――について書き送っている。

晩年もどん詰まりになって初めてモードは、夫と共に生活した期間の大部 分、彼女の心を重くしていた夫の精神状態に対する絶望を打ち明けたので あったが、その時まで、他の重みとからみ合ってモードを打ちひしいでい たのである>

モードは牧師の妻として笑顔を絶やすことなく、実は必死で夫を支え、夫 の至らぬところを補っていた。

<とはいえ(牧師の妻として)職務を果たすことで、モードがどれほど疲 れ切っていたかをよく分かっている人はいないであろう。一面では職務を 楽しんでいたが、一面ではその進入を不快に思っていたのである>(つづく)

まったく人生は皆、初心者だから想定外のことばかりだ。「これだ」と 思っていても、いつの間にか別の線路になっていたりして、「ここはど こ? 戻りたいんだけど・・・えーっ、一方通行?! 廃車置き場行 き?!って・・・」。

だから人生は面白いとも言えるし、アホくさいとも言えるのだが、ま、こ の際は笑った方がよさそうだな。ハッピーカムカムってことでさあ。

さてさて、米朝会談、半島情勢は「大山鳴動、文在寅失禁」というだけ で、どうもパッとしなかった。中共にとっても半島はただの「ババ」で、 使い道がないんじゃないか。ナイナイヅクシの北は包囲網が継続/強化さ れ、そのうち中共が見捨てれば自壊するしかないのでは。あるいは核施設 を空爆ですべて破壊されたり。文在寅らの夢見る南北赤化統一はどうもあ りそうもないような・・・

北の軍隊はどう動くのだろう。金北豚神輿を担いでもじり貧になるだけ で、中共の了解を受けてクーデターで金王朝をつぶし、ミャンマーみたい に徐々に前進した方がいいと思うが。

前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長インタビュー 元朝 鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話します』元朝鮮青年同 盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<――北との連絡は密にしていましたか。

全 あまりしなかった。向こうから言ってきましたよ、「上の人物と会 え」と。その人と井之頭公園で会って指令書(暗号)を貰ったんです。

――(橋梁専門家の)Fさんを北へ連れて来いということですね。

全 咄嗟に、これはやるべきじゃないと思いました。しかし、とにかく韓 国へ行ってFさんに接触してみようという気にはなったのです。

だけれど韓国にツテがない。さ、どうするか。知り合いの(韓国居留)民 団系の在日に、生まれ故郷の韓国へ行きたいが、どうしたらよいかと相談 しました。そうしたら、祖国訪問団というのがあるから、それにと申し込 んだらいいと。で、団体の一員として訪韓しました。1979年4月です。

――韓国ではマークされていましたか。

全 されていました。当局の人間が2人も尾行していました。総連系なの に韓国へ来たのはおかしいというわけです。

Fさんがどこにいるのか、いろいろ調べたら、ソウルの名門大学にいる と。大学に電話して「今、韓国に来てるよ」って言ったらびっくりしてい ました。それからまた付き合いが始まり、Fさんが日本に来る時は私の家 に寄るんです。

――F先生の結末はどうなったのですか。

全 結論から言えば、北の望み通りにはならなかった、ということです。 この件はFさんにも誰にも話したことはありません。旧友の人生を狂わせ ることもなく、本当に良かったと思っています。

これは人間のやることじゃないと思ったんです。相手は家庭を持っていま す、子供もいます。父親がいなくなったら、子供はどんなにさみしがるで しょう。私は小さい時に両親を亡くしました。親のいない子供の気持ちは よく分かっています。

その後、総連との関係はありませんでしたが、総連の暗い部分を知る機会 は何度もありました。帰国者が残していった不動産などが総連幹部の個人 名義になっているんですね。

総連がわが同胞に行った罪は大きいと思います。罪滅ぼしとして、世間の 疑問にきちんと答える説明責任があると思います。

――その通りだと思います。全さんのように勇気ある人たちがどんどん出て きて、明るい未来を構築するためにも真実解明に向けて貴重な証言をされ ることを期待しています。(この稿おわり)

上記の記事から15年経っても、拉致問題は一向に解決していない。子を奪 われた親の心、親・きょうだいを奪われた家族の心に寄り添う政治家、官 僚、公務員、識者は、ほとんど増えていないのではないか。むしろ「北に 寄り添う」ような人々、あるいは無関心な人々が増えているような感じが する。

今、北は経済制裁で苦しんでいる。制裁緩和のカードとして拉致被害者解 放を北の権力者は考えているかもしれない。米国トランプに振られた北は アカの文在寅や中共の支援に頼るだろうが、それだけではとても足りな い。やがて日本に秋波を送り、被害者解放をネタに支援を求めるかもしれ ない。

しかし、今さら「拉致しました、解放します、ごめんなさい」とは北は言 えない。彼らの公式見解は「拉致問題は解決済み」であり、公式に拉致を 認めることは権力基盤を弱めかねない。

正攻法では一歩も前進しないのであれば、裏の秘密交渉で「第三国(例え ば豪州)で被害者発見、保護」というあらすじでもいいのではないか。政 府認定の被害者以外を含めた全員を奪還してから身代金を払うということ で手を打つ・・・北は暴力団であり、善を説いたところで無駄。銭、燃 料、食糧、政体保障で手打ちをするしかないと思うのだが。

人質を奪還してからのことは、別に策を練っておけばよい。今はとにもか くにも救出だ。これは安倍政権の今だからこそできる禁じ手、裏取引だろ う。「狂」がなければ突破できないことはある。

発狂亭“昨日も狂、今日も狂”雀庵の病棟日記から。

【「措置入院」精神病棟の日々(116)】【2016/12/25】承前【産経】四 番手は井伊重之「アパート建設の過熱に潜む罠」。30年一括借り上げ保 証、自己資金ゼロでOK・・・建設会社やデベロッパーの甘言に乗る地主さ んが増えているとか。甘い言葉で釣る企業が倒産したらオシマイ。土地建 物は地主が銀行から借金する際に担保に差し出しているから、蓄財どころ か身上破綻して地獄へ落ちる。

小生の親戚の4家(父方の轟家、菅家、末永家、母方の久保家)は前回 1986〜1991年のバブル景気で「百姓なんてやってられん」とマンションを 建ててすべて消滅した。

それから四半世紀、喉元過ぎてまたぞろアパマン経営。企業が破産するこ とを知らない善人というか、無知蒙昧の強欲爺さん、世間知らずの長男坊 がまたまた騙されるのだ。

五番手は坂本鉄男(父親が鉄道関係?)「イタリア便り 田舎にある有名 店」、曰く「日本でも、場所は不便でも味で勝負するレストランがもっと できても良いのではないか」。地代などが安いため値段はリーズナブルだ という。

フランスに赴任していた先輩が「道路事情がいいので、1日に1000キロ走 ることもある」と言っていた。米国同様に欧州も車社会なのだろう。日 本、特に都市部は鉄道社会である。仕事を終え友人知人、お客さんと食事 をして、ほろ酔い加減で電車で帰宅するのが日本流だ。

いくら美味いレストランでも、ローマから100キロのところ、多分獣でも 出そうなド田舎のレストランへ行くのはイタリア流なのだろう。フェラー リなどスーパーカーでぶっ飛ばすのがオシャレとか。日本でそういうレス トランを造れば1年もつかどうか。日本のペンションオーナーで成功した 話は聞かないなあ。

商売の成否は、日本の都市部では立地が大きく作用する。観光地なら温泉 に入って浴衣を着て夕飯。すべて金太郎飴みたいで、美味いと言えば美味 いが、経験を積むと「ま、こんなもん」と感激は薄くなる。近隣に一流レ ストランもあるだろうが、地元料理の方が人気だろう。翌日の昼飯は「石 和温泉ってなんか風情がないよなあ、葡萄と信玄だけみたいでさあ、せっ かくだからホウトウ鍋でも食っていこうぜ」とか。

並んでありついたホウトウ鍋・・・期待が膨らみ過ぎたか、まあ、名物に 何とか、ではあるね。(つづく)2019/3/7




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全人代の経済討議から
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)3月8日(金曜日)
  通巻第6011号
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全人代の経済討議から「MADE IN CHINA 2025」が消えた
  楼継偉(前財務部長)が爆弾発言。「あれは税金の無駄使いだ」
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開催中の全人代、異様なことが連続している。

GDP成長率の下方修正(景気失速を暗に認めたことになる)。
1100万人の失業対策(つまり大量失業の発生を当局が認めた)。

誰の口からも「中国製造2025」の標語が封印されたかのように消えた。お そらく上からの指示があって、喋るなということなのだ。

5G、ロボット、宇宙、AI、EV、新素材など、10の産業分野で世界を リードする技術を中国が確立し、米国をいずれ凌駕するテクノロジー覇権 の早期達成を目標とした政治スローガンだが、これに対抗した米国が、ペ ンス副大統領演説に象徴的にでてきたように、中国に次世代技術覇権を、 絶対に渡さないという決意だった。

その一環としてファーウェイ排斥という戦略的判断が下されたのだった。

内部情報に拠れば習近平主席への批判が公然と起きているらしい。福島香 織氏の分析に拠れば「小学生の喧嘩レベル」で罵り合いが全人代の舞台裏 で展開されているという。

おりから全人代分科会で楼継偉(前財務相)が、「中国製造2025年に1000 億元も投資するなど、税金の無駄使いだ」と爆弾発言をしていた(サウス チャイナモーニング・ポスト、3月8日電子版)。

もっともブルームバーグは昨師走(12月16日付け)で、「中国製造2025」 などは「張り子の虎」と断定した報道をしていた。波瀾万丈の全人代、15 日まで開催される予定だ。
     

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日本はハイコンテクスト・ソサイエティ、和とハーモニーはまったく意味 が違う

三島由紀夫がピストル自殺だったら、日本人を震撼させただろうか?

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ヘンリー・S・ストークス著 藤田裕行 翻訳・構成
『英国人記者だからわかった日本が世界から尊敬されている本当の理由』 (SB新書)
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もはやスコット・ストークス氏について、その履歴を語る必要はないだろ う。英紙フィナンシャル・タイムズ東京支局長として赴任したのが1964 年、26歳の時だった。日本は東京五輪に湧いていた。

ついでロンドン・タイムズの東京支局長に移り、はじめて三島由紀夫にイ ンタビューを申し込んだ。半世紀以上にわたって日本に住み、日本を見つ め、そして日本を愛してきた、稀有のジャーナリスト。もちろん外国人特 派員協会で一番の古株である。

最初の頃は英国で受けた歴史教育などで「日本人は野蛮人」という固定観 念の下で日本を見ていたという。

但し、氏はクエーカー教徒であり、普遍的なキリスト圏の考え方とは少年 時代から異なっていた。日本で取材を続けるうちに、西洋人が認識してい る日本理解がまったく皮相であり、間違いであることに気がつくのだった。

ちなみに評者(宮崎)がストークス氏と知り合ったのは三島事件直後に彼 が取材にこられた時だから1971年である。以後、外国人特派員協会で 共同の講演をしたこともあれば、氏に憂国忌での追悼挨拶をして貰ったこ とも再三再四。英語の三島評伝を最初に著したのもストークス氏だった。

さて、本書のなかでストークス氏は重要なことをさりげなく書いている。

日本人の和と英語圏のハーモニーはまったく意味が違う、モラルと道徳も 異なる。

「道徳には美があるが、モラルに美はない」というのは出光佐三の指摘 だったが、まさにその通りだ。

また「自然」とネイチャーと訳したのも間違いだ。西洋人は自然を敵視 し、神が作られたという認識である。日本人のように自然と共生するとい う融和な、柔軟な発想がキリスト教社会ではなかった。

またどの著作でも氏はかならず三島を語るのだが、この本では武士道を極 めたことが特別に重要として力説したあと、もし三島由紀夫がピストル自 殺だったら、日本人をあれほど震撼させただろうか? とジャーナリス ティックは問題提議も忘れない。

通読して、「おや?」と思ったのは、ストークス氏はいつの間にか縄文時 代に遡及し、日本文明が世界最古のものと主張し始めた。これこそは本書 が持つ一等重要な箇所ではないかと思った。

曰く。

「三内丸山遺跡が知られているが、おなじく青森県の太平山元遺跡で発見 された土器は、放射性炭素年代測定法によると、約1万6500年前のもの」 (中略)「2013年に、イギリスと日本の共同研究チームは、北海道や福井 県で土器を発掘したが、これは約1満1000から5000年まえのもので、世界 最古の加熱調理の痕跡も発見された。」

つまり「太古の文明が(日本に)存在したことを示す証拠が、縄文以前の 層から発見されている」。

よくぞ言ってくれました。日本の縄文遺跡からは武器が見つからない。 「一万年以上もの長い間、平和が続いた文明が存在することは、世界を見 渡せば、想像を絶するほど珍しいことである」。

世界歴史標準から言えば旧石器以前の時代、日本の縄文遺跡の層の前に、 すでに石製の狩猟用機器が見つかっている。ようやく左翼歴史家とアメリ カの学者らが隠蔽してきた歴史の真実が明らかになりつつある。
 だが、そのことを知っている日本人はいったい何人いるのかと、ストー クスは辛口に締めくくっている。
       
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読者の声 READERS‘ OPINIONS どくしゃのこえ 読者
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(読者の声1) ネットでペンス副大統領のブレーンで対中強硬派の論客が またもや変節し、中国寄りになったと騒いでいる向きがあるようですが、 ペンスはエバンジュリカルをバックに、トランプよりはっきりとナショナ リストです。ネットに出ている情報は胡散臭いと思われます。
  (JJセブン)


(宮崎正弘のコメント)マイケル・ピルスベリーのことですね。ハドソン 研究所の。

しかし彼は共和党保守陣営では信用されていない論客。なにしろ五十年も 中国に騙されたパンダ・ハガーの代表選手ですから、急にペンスに寄って きても、ペンスが信用しないでしょう。

清水幾太郎が突然、保守に駆け寄って『核の選択』を書いたとき、福田恒 存が「デトチリ」と嗤ったように。

  ♪
(読者の声2)今晩(3月8日)の番組「フロント・ジャパン」は「パプ ア・ニューギニアで何が起きているか」としてラバウルから帰国したばか りの宮崎正弘先生の登場です。ホストはSAYAさん。
 日本文化チャンネルの他、ユーチューブでご覧になれます。
    (チャンネル櫻)
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(読者の声3)今月号の『正論』(4月号)で、宮崎さんの「明智光秀、 本能寺の変は義挙だった」を拝読しました。

目から鱗が一枚、二枚、三枚、四枚と驚きの連続。

わたしはガラシア姫で有名な長岡京に住んでおりますので、明智一族の悲 劇については歴史小説などで知っているつもりでした。ガラシア姫は明智 光秀の娘、細川藤孝の息子に嫁ぎました。その嫁入り城が長岡京にある竜 勝寺城でした。
http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html
 来年の大河ドラマ、この城でもロケが行われると聞いております。
 わたしたちはすっかり明治維新以後の歴史の洗脳にならされ、さらに近 代主義とニヒリズムに酔って、信長への過大評価、反対に明智への過小評 価に馴れてきたのですね。

仏教徒数万を虐殺した信長に合理主義をみるのはニヒリズムそのものと井 尻千男先生も、言っておられました。

とくに本能寺の変にはバックに密謀を図った人物、勢力があったとする黒 幕説は、明智への過小評価が原因にあるとの指摘、そういえばそうなの、 と首肯せざるを得ませんでした。

足利義昭説も近衛前久説も、毛利説もイエズス会説もまったく成り立たな いこと、明智がたぐいまれな鉄砲隊率いる戦さ上手だったこと、歴史小説 にはほとんど書かれていませんものね。

 また宮崎論文における、「ときはいま、天の下知る五月かな」の本当の 読み方、なるほど、そうだったのですね。原典は『古事記』にあること、 重要なご指摘でした。

当時の空気、皆が信長の排除を望んでいたという時代的雰囲気が、なんと 光秀の発句となって「愛宕百韻」に籠められていたこと。こんな衝撃的な 歴史評論、じつに久々の快挙と思いました。

真相をめぐって論壇で、大いに議論が高まることを祈っております。
                      (KO子、長岡京市)

(宮崎正弘のコメント)『正論』に寄稿した拙論、じわり反応があるよう ですが、僅か22枚の短文ですので、これに330枚書き足し、とくに愛 宕百韻の解釈と、イエズス会が敵視し、警戒した光秀。つまり切支丹伴天 連が、信長軍団のなかにあってただ一人、イエズス会の日本侵略の野望を 見抜いていたことなど詳細を書き込みました。歴史学界に挑戦する意気込 みで綴りました。

3月28日頃に、徳間書店から『明智光秀 五百年の孤独』として上梓され ますのでご期待下さい。



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(読者の声4)宮崎さんのブログが読めないと、毎日本当に寂しいです。 ところで、米韓両国が毎年春に行っていた大規模合同軍事演習を廃止しま した。

産経の社説などは「北朝鮮を喜ばせるだけの愚策だ」と、口を極めて非難 しています。それはそうかも知れませんが、トランプ米大統領は「巨額の 資金がかかるため、ずっと以前から決めていた」と述べています。

要するに多額の費用をかけてまで韓国を守る意味はないと言っている訳で す。米韓同盟はもう崩壊過程に入りました。ならば在韓米軍撤退もそれほ ど先のことではないのでしょうか?
宮崎さんのご見解はいかがですか?(加藤清隆)


(宮崎正弘のコメント)同盟関係が(日米安保条約の)改定以後もすでに 59年も続いていること自体、これまでの歴史になかったことで、いずれ 歴史的長期展望に立てば、解消に向かうでしょう。

日英同盟も、独ソ秘密条約も、基本的に「同盟関係」とは持ちつもたれつ であり、基本は国益を優先させる打算なのですから。

日米同盟が半永久的に続くというメンタリティは保守政治家特有の思考方 向ですが、もしそういう敗北主義的な発想があるとすれば、本物の保守と は言い難いでしょう。

拙著『日本が在日米軍を買収し、第七艦隊を吸収合併する日』が。本気で 読まれる日が近いかも知れません。

そうはいうものの、現時点でのリアルから言えば、日米安保はアメリカの ほうにも多きなメリットがあるわけで、シリア撤退、アフガニスタン撤退 予定と日米同盟は、基本戦略が異なります。

韓国に関してはカーター時代から撤退が議論されてきたわけで、べつにト ランプでなくても、米国はいずれ、この身勝手な国に見切りをつけるで しょう。

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(読者の声5)「チベット蹶起 60周年記念講演会」のお知らせです。 60年前の3月10日、ダライラマ法王を連れ去ろうとしていた中国共産党 に対してチベットの民衆が蹶起し、戦いました。
多くの犠牲がでて、弾圧が一層厳しくなった。

以後、亡命政権を支え続けたロディ・ギャル氏(ペマ・ギャルポ氏の兄) もその一人だった。昨年逝去したロディ・ギャル氏の人生を振り返り、ま た同時にチベットの現状についてチュイ・デンブン(理事)の講演が行わ れますので、多くの皆さんの参加を希望します。

                        記

とき   3月10日(日)午後六時半(六時開場)
ところ  TKPスター会議室四谷(JR、地下鉄「四谷」駅 徒歩二分)
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml
講演   ペマ・ギャルポ
     チュイ・デンブン(弊会理事)
参加費  1000円
主催   アジア自由民主連帯協議会
連絡先  (080)3485−7189

   
     
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「風立ちぬ」の命日
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      渡部 亮次郎

5月28日。名作「風立ちぬ」の作者。20世紀の業病(号病)肺結核をモ チーフにし、肺結核に倒れた堀辰雄の命日である。今から61年前、 1953(昭和28)年のことだった。

「風立ちぬ」という松田聖子のアルバムもあるが「立ちぬ」という感傷的 な語感を借りただけで、堀の作品とは無関係である。

堀 辰雄(ほり たつお)のことを知ったのは中学生の頃で、兄が読んでい たのを勝手に読んだのかも知れない。死去した時は既に高校2年生。関心 は別のところに変わり、その死は知らなかった。

堀 辰雄は 明治37(1904)年12月28日、東京市麹町区平河町(現在は東京 都千代田区)で生まれた。 最終学歴は東京帝国大学国文科。

東京府立三中から第一高等学校へ入学。入学とともに神西清と知り合い、 終生の友人となる。

高校在学中に室生犀星や芥川龍之介とも知る。一方で、関東大震災の際に 母を失うという経験もあり、その後の彼の文学を形作ったのがこの期間で あったといえる。

東京帝国大学文学部国文科入学後、中野重治や窪川鶴次郎たちと知り合う かたわら、小林秀雄や永井龍男らの同人誌にも関係し、プロレタリア文学 派と芸術派という、昭和文学を代表する流れの両方とのつながりをもった。

1930(昭和5)年に『聖家族』で文壇デビュー。 このころから肺結核を 病み、軽井沢に療養することも多く、そこを舞台にした作品を多くのこし たことにもつながっていく。

1934年、矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を病んでいたために、翌年、 八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。しかし、綾子はその 冬に死去。この体験が、堀の代表作として知られる『風立ちぬ』の題材と なった。

この『風立ちぬ』では、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』を引用して いる。このころから折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受ける。

王朝文学に題材を得た『かげろふの日記』のような作品や、『大和路・信 濃路』(1943年)のような随想的文章を書き始める。また、現代の女性の 姿を描くことにも挑戦し、『菜穂子』(1941年)のような、既婚女性の家 庭の中での自立を描く作品にも才能を発揮した。

戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代 の中にも多くの支持を得た。また、堀自身も後進の面倒をよく見ており、 立原道造、中村真一郎、福永武彦などが弟子のような存在として知られて いる。

戦争末期からは症状も重くなり、戦後はほとんど作品の発表もできずに、 信濃追分で闘病生活を送った。

代表作「風立ちぬ」は1936(昭和11)年から執筆、『改造』などに分載さ れたのち38年4月野田(のだ)書房より刊行。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」とバレリーの詩句の引用をもって始め、リ ルケの『鎮魂歌(レクイエム)』をエピローグに置く。

高原療養所とそこから山一つ隔てた「K村」とを舞台に、婚約者節子の病 床に寄り添い、やがて彼女に先だたれていく「私」が、死にさらされた自 分たちの生の意味と幸福の証(あかし)とを模索し、ついにそれらについ ての確信を得ていく過程を描く。

婚約者矢野綾子の死という自らの痛切な体験を、詩情あふれることばのな かで昇華し永遠の生の思想を訴えかけてくる点において、堀文学の代表的 名作となっている。

昭和28( 195年5月28日信濃追分(現・長野県北佐久郡軽井沢町)で死去 (満48歳没)2010・5・26
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


        
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読 者 の 発 言
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 ◎8、9日と活動しすぎたので:前田正晶

8日(金)と9日(土)ともに好天に恵まれ少し動きすぎたので、本日は朝 から休養に充てていた。昨日は朝10時前にここを出て新大久保駅前から大 久保通りまで、そこで渋谷駅東口行きに乗り換えて西口で東急トランセの バスに乗り換えて代官山駅前までと約1時間30分にもなったバスの旅。土 曜日の大久保通り(New Koreatown)の歩道を埋め尽くした女性の行列に 呆れ返り、明治通りの表参道周辺の賑わいにも目を奪われている間に渋谷 まで行き着いた次第。

目的は本当に暫く振りだったYM氏との懇談。天候も良く体調も安定してい たので、長時間となるだろうバスの旅を強行(は大袈裟か?)したのだっ た。代官山の賑わいもそるべきもので、特に白い外国人が多いのにも今更 ながら圧倒された感があった。そう書いて思い出したが、渋谷でバスを降 りてからあの交差点を渡るまでの人手の凄まじさにも感心するだけだっ た。代官山の風景で印象的だったのは人々が来ている物の質が高くきらび やかに見えたこ

YM氏とは11時半から2時間半ほど語り合ったが、特にこの場で公開したい ようなアメリカ関連の話題はなかった。我々2Mは今年辺りで60
年近い付き合いになるので、回顧談だけでも1
時間くらいは費やしてしまうのだ。昼食を摂った中華そばやにせよ、蔦屋 が営む高級喫茶店にせよ、代官山の物価は我が新宿区百人町と比較すれば50
%は高いような気がする。帰路もトランセを利用したが、蔦屋の駐車場か ら5台も続けてポルシェが出てきたのが「なるほど」と納得させられた。

夜は稲葉監督が率いる日本代表対メキシコの野球を半分ほど見ていたが、 監督さんが何を考えてあのような顔ぶれを以て「日本代表」としたのか (オリンピックを視野に入れての選抜とか)サッパリ見当がつかず、迫力 がない野球だったので、観戦を止めて早寝にしてしまった。筒香、坂本、 菅野、山田哲人、菊池涼介、鈴木大地、柳田、内川、今宮、松田、中田 翔、源田、山川等々がいなくても「日本代表とはこれ如何に」と言いたい ような選び方だった。

10日は多少の興味を持ってヴィッセル神戸対ベガルタ仙台のサッカーを見 たが、イニエスタ他の元スペイン代表たちは軽く相手を回して楽しんでい るかの如きプレー振りで、解説の山本昌邦が「ミニゲームをやっているよ うだ」と評していたのが全てのような気がする。矢張り、前回指摘したよ うに神戸は彼ら以外が水準(カタカナ語ならば「レベル」が低すぎるよう だ。彼らがスペイン人たちと合わせられるようになるまでには未だ時間が かかるだろう。

 ◎1月辺りから失速し始めたとか:前田正晶

8日から各メデイアが一斉に「減速」と報じ始めた。「矢張りそうだった のか」とも思うし「我が国の景気はそれ以前はそれほど好調だったのか」 という新たな疑問も湧いてきた。だが、正直なところ、リタイアーしてか ら25年も経ってしまえば、何を聞いても実感を伴わないのが残念だ。それ だけではなく、池田勇人総理の「所得倍増」を謳歌した時代を経験して高 度成長期と第一次オイルショック等を経てきた者としては、この21世紀の 好景気には「あの頃の活気というか凄み」が感じられないのだ。

とは言うものの、僅か6年前の80歳までは有り難いことに長い付き合いの 方々のご好意で景気変動の臭いくらいはかげる仕事をさせて頂いていた。 お陰様で「悪い状態ではないな」という感触は得ていた。それで永年習慣 のようにして来た「街角景気診断」の手軽な方法として、タクシーを利用 する度に運転手さんたちに「景気は」と尋ねるようにはしてきた。年金生 活者となってからはそう度々利用はしないが、殆どの運転手さんたちの答 えは「我々の段階まで好景気の恩恵は降りてきていない」となっていた。

中には詳細に“「某商社では殆どタクシーチケットの利用者がいなくなっ た」とか「接待終了後の長距離の利用者がいなくなった」等の現象を挙げ て、接待と交通費の節減を図る大手企業が増えてきたのは、好景気ではな いという事実を示しているのでは”という説を述べてくれた者もいた。 「経費節減は好調の頃に実施して初めて効果が挙がる」という方針を示す 会社もあると聞いていたが、経営者はこういうところから締めて行きたが るものだとも聞こえた。

私は長い間「我が国ではGDPは内需に支えられている」ということを聞か されて、それを信じてきたので、簡単に言えば「賃金の目立った上昇がな ければ内需の伸びもなくなるだろう」と考えてきた。それだけではなく 「高齢者というか年金生活者が増加の一途を辿れば消費(支出)が伸びな くなるのは仕方がないだろうか」と単純に考えてきた。

現に、私もこの年齢ともなると「終活」が騒がれている時代にあっては 「今更何か買っても仕方がない」と実感が出てきたので、衣類(下着)等 の非耐久消費財等を買う以外は殆ど高額の出費をしないか、避ける生活に 入っているのだ。しかも、かの「団塊の世代」が定年を迎えた現代では内 需が伸びない時期が続くのではないかと言われれば「そうだろうな」と、 我が身を引き合いに出して納得するのだ。そこに高齢者の蓄えを狙う特殊 詐欺が増える一方なのだが、現実に被害者が大金を自宅に置いているのに も驚かされている。

そこに「アメリカと中国の政治・経済・軍事(?)面での難しい対立」の 時期とはなったので、我が国へのマイナスの影響は回避できないようであ るところに、UKのEU離脱の影響が本田のUKの工場閉鎖の声明が出たりすれ ば、世界的にも不安定な要素が増えてきた気がしてならない。トランプ政 権下で好調だったアメリカでも雇用の増加が止まったとのニュースがある し、韓国では不況に悩み新卒の深刻な就職難から、何と我が国の企業での 就職を目指す傾向が顕著だと言うではないか。

この時にあって、安倍内閣は消費税率の引き上げが軽減税率と共に、7
ヶ月後に実行する方針は変更されないそうだ。私は嘗ては「直間比率の改 善」と強調された消費税の実施は悪いことではないのだろうと思ってき た。だが、今となっては引き上げが如何なる結果をもたらすかは黙って見 ているしかないと思う。我が方は軽減税率の恩恵に浴そうにもクレデイッ トカードしか持っておらず、スマートフォンのような高額な電話機擬きを 買う気はないのだ。



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身 辺 雑 記
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11 日の東京湾岸は朝のうち雨、散歩は午後に。

10日の東京湾岸は曇天、夜には雨。


                          読者:5587人
                                   

                    


                          





        

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  • 名無しさん2019/03/11

    抗癌剤のルーツは毒ガス兵器である!



    (誰も守らぬ国際禁止条約)



     抗癌剤のルーツは、大量殺戮兵器だった。抗癌剤の正体は、イペリットと言う毒ガス兵器にたどり着く。それは別名「びらんガス」と呼ばれる超猛毒である。これをいったん吸い込むと、器官粘膜を急激に爛れさせ、膨らませ、窒息死させる。この毒ガスは、マスタード(からし)の臭いがすることから、俗にマスタードガスと呼ばれてきた。それは第1次世界大戦中にドイツによって発明され、数千の英兵の命を奪った。この毒ガスは化学兵器の代表格で、その残忍性に1923年、ジュネーブ条約の化学兵器禁止条約でサリン・VXガスと並んで、最も危険な「第1剤化学兵器」に指定され使用禁止となっている。しかし、条約締結した各国は、表向き「禁止規定」に同調した振りを見せながら、裏ではマスタードガスの大量使用を極秘裏に続けていた。



    (ロックフェラーとノーベル医学賞)



     この毒ガス兵器が抗癌剤に化けた。実行に移したのはロックフェラー研究所である。約50倍もの発癌死させる超猛毒を、よりによって癌患者に投与する。まさに狂気の沙汰であり、悪魔の所業である。この研究所で抗癌剤第1号を開発した医師は、ノーベル医学・生理学賞を受賞している。この抗癌剤はアルキル化剤に分類され現在も多用されている。商品名は「シクロホスファミド」などと命名され、抗癌剤市場の約8割を占める。



    (癌を悪性化させるために打つ)



     抗癌剤のルーツは大量虐殺兵器毒ガスである。戦時には兵隊を殺戮し、平時には患者を殺戮する。癌患者の9割に毒ガス抗癌剤が投与される。50倍も癌死する薬剤をなぜ、初期患者に打つのか? 

    超猛毒発癌性で癌を悪性化させるためである。癌が悪化すれば、さらに抗癌剤、放射線、手術で荒稼ぎできるからである。それを医者に「打ってくれ」と泣いて頼む患者がいる。家族がいる。無知もここまで来ると狂気である。



     抗癌薬調製マニュアル」(じほう)と言う看護師向けの指導書には、「抗癌剤は命を奪う超猛毒である」とはっきり毒性が解説されている。



    1変異原性→DNA(遺伝子)を傷つけ異常を起こす。



    2発癌性→癌患者に投与したら、膀胱癌9倍に激増。



    3催奇形性→胎児は細胞分裂が盛んで攻撃される。妊娠3か月以内に抗がん剤投与を受けた女性が先天異常児の出産例有。



    4流産発生→抗癌剤を扱う看護師らにも流産発生。



    5精子毒性→無精子症、精子運動低下、精子染色体異常を起こす。



    6皮膚毒性→直接接触により粘膜の刺激作用、潰瘍、組織の壊死を起こす。



    (地下鉄サリンなみ重装備を指示)



     「抗癌薬調製マニュアル」は97品目抗癌剤を解説している。「催奇形性」「胎児毒性」は96品目で警告されている。同マニュアルは看護師が抗癌剤を瓶から注射器に移す作業時には重装備するように指導している。手袋、マスクは二重で、まさに地下鉄サリン事件なみである。むろん、これは看護師を守るためであり、患者を守るためではない。看護師は、恐ろしい超猛毒を生身の癌患者に注射で連日、打ち込む。患者は苦悶し、衰弱し、死んでいく。これは治療ではなく殺人である。



    (癌を治せないのは周知の事実)



     厚労省のk技官に質問した話である。



    「抗がん剤は毒性があると聞いたのですが?」



    「大変な猛毒物です」



    「ええー。その猛毒を癌患者に打っているのですか?」



    「そうです」



    「では、その毒物で亡くなる患者がいるのではないですか?」



    「大変大勢いらっしゃる」



    「それって、一般に言う毒殺じゃないですか」



    「そういう言い方は適切じゃない」



    「抗癌剤は発癌性があるのですか?」



    「大変な発癌性物質です」



    「えー、癌患者に強い発癌物質を打っている。それでは、別の癌になってしまうのではないですか?」



    「そういう方が大変大勢いらっしゃる」



    「あなたは抗癌剤の責任者ですか?」



    「担当しています」



    *つまり、「厚労省の抗癌剤責任者が抗癌剤は癌を治せない」と明言し、それは常識と断言したのである。厚労省は、「癌を治せない超猛毒の発癌性物質を癌患者に投与して大量の犠牲者を出している」という事実を認めたのである。



     思わず、激昂して怒鳴りつけた。「これでは毒殺じゃないですか」 k技官はそれ以降は沈黙するばかりだった。

  • 名無しさん2019/03/11

    “シーチン”修一 2.0 様 次回も

    宜しくお願いします 楽しみにしています

  • 名無しさん2019/03/11

    韓国は謝罪せよ

    https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AF%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%81%9B%E3%82%88&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjZ8tLJ3PjgAhVuHKYKHVBABdkQ_AUIDygC&biw=539&bih=558&dpr=1.75

    中韓に係わる情勢分析  悪く取った方が国益的に無難なのではないか

    http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1321.html

    福沢諭吉「日本の不幸は中国と朝鮮半島」

    http://hatekorea.blog.fc2.com/blog-entry-240.html

    鮮害(せんがい)の除染

    https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12087433294.html

    「持病を持つ高齢者には新型インフルエンザワクチンの接種は危険」な可能性が あるhttp://wakuchiniranee.kagome-kagome.com/%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F/?pageNo=2

    コリアン(朝鮮民族、韓国人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実

    https://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/e1f0897014374e5340858dfb7f826ce8?fm=entry_awp_sleep

    韓国生れの韓国人が日弁連副会長に!人権擁護委員会など担当!白承豪「外国籍の立場から意見したい」http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7417.html

    大杉勝男

    https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%A7%E6%9D%89%E5%8B%9D%E7%94%B7&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj83ab73vjgAhVvGKYKHY1HCHQQ_AUIDygC&biw=626&bih=434&dpr=2.25