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頂門の一針

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頂門の一針4965 号  2019・2・24(日)

2019/02/24

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わたなべ りや うじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」4965号
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        2019(平成31)年  2月24日(日)



          安全保障の脅威は日本国憲法:加瀬英明

           借金の罠』に引っかかるな」:宮崎正弘         
           「味の素」発明は108年前:渡部亮次郎
               
                       
                      話 の 福 袋
                        反     響
                      身 辺 雑 記


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安全保障の脅威は日本国憲法
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        加瀬 英明

安全保障の脅威は日本国憲法 「専守防衛」は日本だけが使う言葉

韓国の文在寅政権が日本を好きなように嬲(なぶ)っているのに対して、日 本で嫌韓感情が沸騰している。

書店に嫌韓本が並び、雑誌も韓国に呆れ果てて、韓国を憐れむ記事で埋 まっている。

慰安婦(ウイアンプ)をめぐる合意を踏み躙ったうえで、徴用工(ジンヨン ゴン)、火器管制レーダーの照射問題に続いて、文大統領が日本に「反省 (パンソン)を求める」発言を行い、常軌を逸した振舞いがとまらない。

韓国は現実に目をつむって、妄想にとらわれている。とうてい国家と呼べ ない。

日本中が韓国を疫病のようにみなすようになっている。政府もどう対応し たらよいか、途方に暮れている。つける薬がないのだ。

韓国は頭痛の種だ。といっても、日韓関係を軋(きし)ませた責任は、慰安 婦問題をつくりだした朝日新聞と、故なく謝罪した河野洋平官房長官(当 時)など、韓国に対して毅然たる態度をとるべきところを、紙面を売るた めにニュースを捏造したり、侮られるもとをつくった日本側にある。

日本は自虐的な態度をとってきたために、は国外から軽くみられて、虐げ られる原因をつくってきた。

韓国は歴史を通じて中国の属国(ソグク)だったために、物事を自主的に決 める力がなく、強い者に諂うかたわら、弱い者に対して居丈高になって、 苛める習性がある。

韓国は国として体をなしていない。このままでは、国として成り立ってゆ かないだろう。

憐れむべき国だ。だが、いったい日本に韓国を見下したり、嘲る資格があ るものだろうかと思う。

昨年、政府が3万トン級の“いずも型”ヘリコプター搭載護衛艦を空母に改 装して、F35Bステルス戦闘機を搭載すると発表したが、自公与党が「専 守防衛の枠内で運用する」という確認書を交換した。

テレビで識者が真顔をして、「攻撃空母を保有するのは、憲法違反だ」と 述べていたが、番組の他の出演者は、誰も非常識な発言だと思わなかっ た。多くの視聴者も、同じことだったにちがいない。

中国の国防支出は中国政府の発表によっても、1988年以後、毎年2桁で増 して、日本の10倍以上もあり、アメリカにつぐ軍事力を擁している。

私には、“いずも級”護衛艦を、F35B戦闘機を8機か、10機搭載する小 型空母に改装しても、どうして中国に脅威を与えることになるのか、理解 することができない。

「専守防衛」という言葉は、日本の国内だけで通用して、外国語に訳する ことがまったくできない。「専守」という概念自体が、世界のどこにも存 在していない、意味がない言葉だ。

いったい、「専守する」スポーツ競技があるものだろうか。「必要最小限 の防衛力」といっても、武芸や、スポーツに適用できるだろうか。

一国の安全を「諸国の公正に信頼して、われらの安全と生存を保持」する という日本国憲法からして、世界の現実を受けいれることを拒んで、妄想 に浸っている。

日本は人にたとえれば、幻視、幻聴を病んでいるために、人格が崩壊し て、正常な社会的な関係を結べない、統合失調症を患っている。

日本は自国の憲法が安全保障の最大の脅威となっている、唯一つの国だ。



        
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『借金の罠』に引っかかるな」
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)2月23日(土曜日)
      通巻第6000号  <六千号記念号>  
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 「『借金の罠』に引っかかるな」とミャンマー議会に懐疑論が拡がる
   スーチーは中国「一帯一路」に前向き、与党内部は慎重論が多数
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中国主導のBRI(一帯一路)プロジェクトの一環としてミャンマー西部 のチャウッピューから雲南省昆明へ、1400キロの幹線を拓き、そこに高速 鉄道を敷設するという壮大な計画は、ネピドー(首都)の国会で「見直 し」が議論され、宙に浮いたかたちとなっていた。

 すでにチャウッピューを輸出加工区、免税特区とする計画は実行に移さ れているが、大看板と事務所ビルがあるだけで、工事が始まっている気配 はない。

とはいえ、ガスと石油のパイプラインはすでに稼働しており、中国への輸 送は始まっている。チャウッピューから北北東へ、マンダレーを超え、カ チン族、シャン族の盤踞する山岳地帯をぬけて雲南省へ入るコースであ る。鉄道は、このパイプラインのルートに沿って計画され、工事は中国側 では2011年から開始されている。

ミャンマー議会の論点は、「中国のいう20億ドルは初動の段階の予算に過 ぎず、鉄道となると全体で幾らかかるのか。それを返済する条件、償還期 間、金利などが不明瞭であり、スリランカが結局『借金の罠』に陥落し て、ハンバントタ港の99年の租借を認めたように、中国の世界戦略に利用 されるのがオチではないのか」というものだ。

習近平は4月にも北京で関係国60ヶ国の首脳を集め、2回目の「BRI フォーラム」を開催するとしており、現時点で発表されている 「CMEC(中国ミャンマー経済回廊)」の高速鉄道は四期にわけて実施 されるとしている。具体的な詰めの協議は、そのとき北京でおこなわれる 予定だ。

第1期は中国国内の昆明から大理までの328キロ。

第2期は雲南省大理から国境のルイリまでの336キロ。

この区間はすでに2011年から、中国の新幹線プロジェクトとして工事が始 まっている。工事は2017年完成予定だったが、遅延が続き、2022年完成と される。というのも、峻嶮な山岳地帯であり、おおよそ中国共産党の統治 が及ばない辺疆でもあり、大東亜戦争中は蒋援ルートを絶つために大量の 日本軍が派遣され、とりわけの激戦地だった場所なのである。

下記樋泉教授の紀行文にもあるが、「拉孟・龍陵・騰越」あたり、とくに 拉孟は、激戦地として歴史に残り、桜林美佐さんが、この土地を日本部と 日本人女性との悲恋物語を講演で語るときは涙を誘う。

一帯は山また山であり、四輪駆動がなければ踏破は無理、しかも霧が深く 雨が多く、いったい何のためにこういう難所に中国は鉄道を通すのか、現 に筆者も数年前に訪れて、不思議に思ったのである、ただしすでに当時石 油ガスのパイプラインの敷設工事は、中国側で作業が進んでいた。バルブ 置き場の撮影もしてきたことを思い出した。


 ▼ミャンマー側の工事は未だ着工にも至らず

第3期工事はミャンマー側である。

第2の都市というより、華僑の街として知られるマンダレーからルイリへ いたる433」キロは、工事どころか地域の測量作業が行われている段階 だ。同地域もまた少数民族の支配する山岳、不気味な武装集団が盤踞して いる。

ミャンマー軍は掃討作戦を継続しているが、少数の武装勢力に武器をひそ かに供与しているのが中国。一帯は麻薬地帯でもあり、この無法地帯にお いて高速鉄道を敷設する工事なぞ、実現性そのものが危ぶまれている。

第4区間がマンダレーからチャウピューへの400キロ。

ミャンマーの地形を地図で確認してみると、判然とするのは南北に縦貫す る山岳地帯をくぐることになり、トンネルを掘るばかりか、絶壁に橋をか けるなどの難工事になるだろう。ミャンマーの幹線道路というのはヤンゴ ンとその周辺、首都ネピドー、第2の都市マンダレーまでしかない。
 
ャンマー議会は、「歳入の予測も立たず、ミャンマー側で工事が始まるの はまったく不透明だ」としている(『アジアタイムズ』、2019年2月21日)。
              
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1862回】        
――「長い、長い一日が仲々終わらない」
  平田敏夫『初年兵平田敏夫十九才の雲南ビルマ戦記』(宝梱包 2018年)

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昭和19年2月10日、深い雪の朝だった。19歳の平田敏夫は、歓呼の声に送 られて敦賀の部隊に入隊する。「この雄叫びが後の戦場で何度も自分を奮 い立たせた。郷土愛、郷土の声援。敵兵と対してカッー頭に血が登った 時、行軍でぶっ倒れそうになった時、背後で歓呼の渦がほむらして立ち、 なんの、なんのと奮い立ったものです」。

 戦況は急を告げる。初年兵教育は中断され、平田は「安兵団」の一員と してビルマへ。シンガポールに上陸するや、後続部隊を待たずにビルマ東 北部経由で「急遽、雲南へ」。

投入されたのは、重慶の蒋介石政権支援のために建設されたビルマ東北部 から龍陵・騰越・拉孟を貫き昆明を経て重慶に続く援?ルートを遮断する 作戦だった。

最前線の拉孟は「陸のガダルカナル」と形容されるほどの死戦だった。戦 友の死体を前にたじろぐ平田に向かって、上官は「遺骨は歯と骨を切り取 るんや」と叱咤する。歯と指の骨は飯盒に納めた。

 昭和19年6月下旬を境にして「僥倖は逃げた」。平田にとって以後の戦 いは、ひたすら食料調達と飯盒炊爨と敵の猛攻を避けることだった。

山また山がどこまでもウネウネと続く雲南の大地を、ビルマ中部のマンダ レーを目指して壊走する。その間も360度に眺望の広がる山々を前に「山 登りの癖で私は眺望に酔いしれる」。とはいえシャン高原の山々は「越え ても越えても限度がない」。

昭和20年8月22日、捕虜となってラングーン(現ヤンゴン)郊外のアーロ ン収容所に収容されたところで、平田にとっての大東亜戦争は幕を閉じた。

「兵隊は筋道たてて戦場を語ることができない。酷かった、酷かった」で 終わってしまうと振り返る平田だが、「我が身に危険が迫ると逸早く民間 人を残してラングンを飛び立つ。そんな人物が敗戦の最中、中将から大将 に昇進して金ピカの襟章を誇示する」

「女、子供を地獄に残して、モールメンの広い芝生のある白亜の建物、物 資は豊富、豪奢な生活にひたる。戦争責任を問う。戦犯裁判とは連合軍が かけるものではなく、日本人が日本人にかけるべきものだろう」と、あの 戦争における指揮系統上層のデタラメさに憤怒を隠さない。

 昭和22年7月7日、平田を乗せた復員船は宇品港に投錨する。

「内地の山々は、緑いっぱいで美しい。万感胸に迫る、帰ってきたの だ」。やがて故郷へ。平田は「村では仰山の人が戦死している。3人出征 して3人共戦死した家もある。うちは3人共帰って来た。お前1人位は戦 死して来てくれん事には、村の者に顔向けならん」と父に迎えられた。

その言葉を聞いた平田も辛かったろう。だが、そう言わざるを得ない父親 の心中は察するに余りあるなどという通俗的表現では推し量ることはでき ほどに苦しかったに違いない。

 やがて平田は故郷を離れ京都へ向かう。ここから平田にとっての新しい 戦争が始まった。「祖父が営んでいた木箱製造工場を引き継ぎ、現宝梱包 株式会社の基礎を築き、77歳まで代表取締役を務めあげました」と、ご子 息は綴る。

平田の後半生は、また戦友慰霊の旅でもあった。ある時、かつての中隊長 から「中隊集合の葉書が来た」。「(生還した)全員が集合。福知山の旅 館で抱き合った。話した、話した、話しまくって夜明けまで、朝食を食っ て、又昼まで、来年は敦賀でやろうなとなって別れた。その後、毎年やっ て、三十二回。今では私一人が生存者です」。
寂寞しくも雄々しい。

その平田も2017年9月15日、多くの亡き戦友の許に旅立つ。94歳だった。 職を辞してからの日課として書き溜めた戦争の記録が、ご遺族の手でまと められ本書となった。

2012年春、平田さんと一緒に拉孟・龍陵・騰越を回った。

こんな所まで兵士を送り込んだ戦争とはなんだったのか――考え続けること が責務だと、改めて痛感・・・合掌。《QED》


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「味の素」発明は108年前
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      渡部 亮次郎

「味の素」に特許権が降りたのは108年前の7月25日だった。経済産業省特 許庁は発明した東大教授池田菊苗(いけだ きくなえ)を日本の十大発明 家の1人として顕彰している。

また、食品添加物として広く普及し日本のみならず世界の人々の食生活を 豊かにした、と言っているが、昭和20年代の東北や北海道には味の素は無 かった。昆布があり過ぎたからでもあるまいが。

発明した池田菊苗は、元治元年(1864)京都に生まれた。明治22年東京帝 国大学理科大学化学科を卒業し、明治32年から2年間、ドイツに留学した。

帰国後、明治34年に東京帝国大学教授に就任した。彼は、専門の物理化学 の研究を行うとともに日本人の生活の改善と社会の進歩に直結するような 応用研究に関心を持ち様々の研究を行ったが、この中に昆布の「うまみ」 の研究があった。

彼は、昆布のうまみの成分を解明すれば調味料として工業的に生産できる のではないかと考え、研究を続けた結果、うまみの成分が「グルタミン酸 ソーダ」であることを突き止めた。

これを主要成分とする調味料の製造方法を発明し、特許権を得た(特許第 14805号、明治41(1908)年7月25日。我が母の生まれし年なり。今から108 年前)。

「グルタミン酸ソーダ」は、彼の働きかけによって商品化され、調味料と して広く売り出された。このグルタミン酸ソーダは、品質が安定しており 食物に独特のうまみを与えるため、食品添加物として広く普及し日本人の 食生活を豊かにした。

これが今日の「味の素」である。工業化をどこにさせるか。熟慮の結果、 池田が依頼した先は鈴木三郎助。味の素株式会社の創設者である。

また、海外にも調味料として広く受け入れられた。彼は、大正12年に東京 帝国大学を退官した後もグルタミン酸ソーダ製造技術の完成に熱意を注 ぎ、主として甜菜糖の廃液を原料としたグルタミン酸ソーダの製造法の研 究に従事した。昭和11年(1936)没。

ところで「味の素」株式会社の事である。

<味の素[株]  あじのもと 〈味の素〉で知られる総合食品化学会社。2代 目鈴木三郎助とその家族によって1888年創業された鈴木製薬所が前身。

神奈川県葉山で,ヨード製造を家内工業で行っていたが,化学薬品にも手 を広げ1907年合資会社鈴木製薬所に改組(1912年鈴木商店)。

東大教授池田菊苗が08年に取得したグルタミン酸調味料製造法の特許の工 業化を依頼された鈴木は,新化学調味料の製造に取り組み,同年11月〈味 の素〉の名で売り出した。

しかし当初はまったく売れず,軌道に乗るまでに10年近い年月を要した。 大正の末からは順調に伸び,海外へも輸出されるようになった。

35年宝製油(株)を設立(1944合併),味の素の原料となるダイズ油の製造を 開始。第2次大戦後,46年2月社名を現社名に変更,50年に原料・製品の統 制撤廃後は,急速に生産水準を回復,52年には戦前水準に戻った。

その後,グルタミン酸ソーダの製法転換(植物タンパク分解法から発酵法 へ)に協和鍋酵工業に続き成功(1959製造開始)。これに伴い油脂関連部門 を拡大,この部門でも大手になった。

また,多角化を進め,総合食品化学会社への脱皮に成功した。とくに加工 食品部門の拡大が著しく,61年にスープ,63年コーンフレーク,68年マヨ ネーズ,70年マーガリン,調理済み冷凍食品と,相次いで新分野に進出した。

73年にはゼネラル・フーズ社と提携し味の素ゼネラルフーヅを設立,イン スタントコーヒー等にも進出。最近では,飲料・乳製品部門,加工食品部 門が調味料部門を上回る。

さらに海外進出の面では,戦後も1958年にフィリピンで味の素の生産を開 始したのを最初に,欧米,東南アジアを中心に進出しており,海外売上高 比率は連結ベースで2割に達する。

また近年は発酵技術を生かして,医薬品分野への進出に力を入れてい る。>世界大百科事典  2008・07・27


    
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読 者 の 発 言
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 ◇◆◇写真映像情報網◇◆週刊AWACS 2019年2月24日◇◆◇◆◇

▼唸声一言/韓国が北朝鮮に傾けば傾くほど反日色が強くなる

文議長のとんでもない発言が日本人の反韓意識を高め、八割弱の日本人が韓国は信頼できないとの世論調査結果が出ました。徴用工やレーダー照射をはじめとして、文議長発言も全て韓国側が仕掛けたことで、日本と韓国の離反が北朝鮮との統一に必要であるからと文政権が考えているからに違いありません。

その知恵は北朝鮮と反日日本人がつけていると考えていいでしょう。それだけ北朝鮮の工作は巧妙です。自分の頭で考えない韓国人や日本人はその工作にコロリとやられてしまいます。韓国人の敵を北朝鮮から日本100%へ仕向けることが彼らのシナリオです。

今はシナリオ通りに運んでいるので新日鉄住金の資産売却は確実に行われます。これで日本人の9割以上が韓国を信頼できないとなり、その反動が韓国の反日色を益々高めることになるのです。文大統領はそのシナリオの駒に過ぎません。その駒を動かすのは金正恩委員長?習近平主席?それで韓国人は本当にいいのでしょうか?少しは自分の頭で考えてみてください!
では、今週号をお楽しみください。

https://ameblo.jp/unarigoe/entry-12442359955.html

2019/2/24 唸声

 ◎トランプ大統領とDPRK金正恩委員長との2度目の会談:前田正晶

トランプ大統領は当初は「完全で後戻りしない非核化」を目指して、将に 歴史的な金正恩委員長との会談に臨んだはずだったが、この会談は言わば 顔合わせに終わり具体的な成果に乏しかったというのが大方の専門家の見 方だった。この件やロシアゲートのような事案を捉えて、トランプ大統領 の外交的な力量やら個人的な能力を云々する向きがある。だが、彼は19ヶ 項目の公約のうちの16はその強引とも言える手法で完遂しているのだ。

実に8割以上の達成率で、我が国の閣僚や議員たちに改めて「トランプ氏 に学べ」と言いたくもなろうというもの。この完遂度こそが彼の40%を超 えたとも言われている支持層に受けている最大の要因だろうと思わざるを 得ない。言うなれば、内政面では景気の盛り上がりと労働者層の“job” (何度でも言うがこれを「雇用」と訳すのは、アメリカの事情を知らぬ誤 訳である)を増やして、彼らの支持を不動のものとしたのだ。

ところが、積み残された3項目の中でも最重要項目と思われるこの完全な 非核化を2度目の会談の1週間前になって「急がない」と表明したのだっ た。専門家の中にはそのような予測をする者もいたが、この表明は矢張り “unpredictable”だったと言えると思う。トランプ氏は矢張り重大な公約 だった「メキシコ国境の壁の建設」は“getit built”と一般教書演説で確 約した以上、如何に野党が反対しようとも議論を呼んでいた非常事態宣言 まで発令して強行する構えなのに、ここでは「急がない」となってしまった。

中国との3月1日までの猶予期間を与えた貿易交渉でも、難航するとの見通 しが出てきたのを見て60日間の延期を仄めかしたのも、確かにそのような 予測をしていた専門家の言う通りかも知れないが、私には「あれあれ」の 感があった。確かに習近平主席は「原則を変える意思はない」と明言して いたので、知的財産権問題や中国の体制を変えるという案件では難航どこ ろか、中国が屈服しないだろう事が明白になったのでは、延期もあり得る かと思わせてくれる。

トランプ大統領はこれと思う重大な案件は周囲には任せずに自らが乗り出 して、強引と言われようと何だろうと実行してきた。その為には屡々大統 領令を発行して押し切ったし、関税の賦課が国会を通さずとも出来るとい う(浅学非才の私は知らなかった)大領の権限で実行してきた。だが、こ のところフジの夜のPrime
Newsに出演する専門家たちが論うように「貿易の実務と規制をご存じな い」という問題点はあるにはあるだろうし、私以外の方でも「その辺りを 無知なのか、あるいは承知しておられても押し切っておられるのが解らな い」と言って来たのだった。

だが、「最も上に立つ指導者が実務を端から端まで熟知している必要があ るか」という考え方もあるかと思う。即ち、上に立つ指導者は実務に練達 熟練した者を置いて、その者たちに「自らが定めた目的と目標を示して、 その通りに達成するように指示を与えれば済むこと」でもあるのだ。だ が、トランプ大統領は多くの公約を大統領自身が乗り出すことで達成して きた。専門家たちはそこには「トランプ大統領はその意に染まない進言乃 至は提案は採らないのだ」とも言っている。

また、多くの専門家の中には「今や習近平主席も金正恩委員長はトランプ 大統領与し易しと読んで、その交渉に臨んでくるのではないか」とまで 言っている者も出てきた。私は在職中には「交渉事では、相手がこちらを 舐めてかかるか侮っている気配を見せた時がこちらのチャンスである。何 故ならば、そういう相手は自分たちも知らぬ間に隙が出来ているから」と 考えてその場に臨んでいたものだった。

言い方を変えれば「習近平主席も金正恩委員長のトランプ大領の “unpredictability”を余程良く理解し認識してかかるべきでは」というこ とだ。但し、多くの専門家が危惧するように「今やトランプ大統領の周囲 には本当に実務に精通した専門職の閣僚がいなくなり、ペンス副大統領の みとなってしまっている事」が難点ではないのか。私は対中国と対金正恩 委員長及びDPRKとの交渉の結果を、トランプ大統領の“unpredictable”な 豪腕に期待して見守っていくしか無いと思っている。


 ◎18年の訪日客では中国人が最多で、全体では記録更新の3,119万人:前 田正晶

政府の観光局(JNTO)は先頃2018年の訪日外客数が3,119万人と対前年比 8.7%のプラス成長で、1964年に統計を取り始めてからの最高記録となっ た旨を発表した。その内訳はといえば、第1位が中国で8,380,100人で対前 年比+13.8%、第2位は韓国で7,539,000人と+5.6%、第3位が台湾で 4,757,300人で+4.2%、第4位は香港の2,207,900人で△1.1%、第5位はア メリカで1,526,500人で+11.0%、第6位にはタイが来て1,132,100人 で+14.7%、第7位はオーストラリアの552,400人の+11.6%、第8位は フィリピンの504,000人で+18.8%、第9位がマレーシアの468,300人 で+6.8%、第10位がシンガポールで437,300人で+8.2%だった。

上位10ヶ国で対前年比でマイナスだったのは香港のみという盛況だった。 個人的には中国の+13.8%という伸び率がフィリピンの18.8%を遙かに下 回っていたのが意外だった。以下11位にはインドネシア、12位にベトナ ム、13位に英連合王国、14位にカナダ、15位がフランス、16位がドイツ、 17位がインド、18位がイタリア、19位がスペイン、20位がロシアで何 と+22.7%とベトナムの26.7%に次いで2番目の伸び率だった。因みに、 20位まででマイナス成長は香港のみだった。

私が興味を感じたのは来日した客数も兎も角、彼らの我が国での消費額 だった。その消費額の総合計は4兆5,064億円と7年連続してプラス成長を 記録していた。この金額をクルーズ客の分を除いた一般客の1人当たりの 支出額は15.3万円と対前年比△0.9%となっていた点だった。国別では人数 が多かった中国が第1位の1兆5,370億円、第2位が韓国で5,482億円、第3位 が台湾の5,839億円、第4位が香港の3,355億円、第5位がアメリカの2,890 億円となっていた。

しかしながら、この総額を1人当たりで見ると、第1位がオーストラリアの 242,050円で対前年比7.2%、第2位はスペインの236.996円で+11.5%、第 3位にはイタリアが入って+17.1%、第4位は中国の223,640円の△0.2%、 第5位は英連合王国の219,725円で+2.0%となっていた。以下第6位がフラ ンス、第7位はドイツ、第8位はアメリカ、第9位がベトナム、第10位には ロシアが△5.4%ながら入っていた。因みに、韓国は77,559円で8.0%の成 長だったが、第20位だったのである。

簡単な感想を述べておくと、矢張り遠隔地であるEU圏内からの訪日客は近 場のアジアの諸国よりは少ないのは当然だっただろうが、中国からは都内 でも何処に行っても中国人ばかりと思わせるほど多いのだが、使うお金の 額が減少していることは来日する層が変わってきたことと、所謂爆買いを する時期はもう終わったという辺りになる。ここ新宿区に住む者としては 決して意外ではないと思うが、中近東というかイスラム教徒の国からの訪 日客が一つも20以内には入っていなかったのも興味ある現象だった。


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身 辺 雑 記
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24 日の東京湾岸は快晴、爽快。

東京は好天が続いている。


                           読者:5587人



                          


                        














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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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