政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針

2019/02/12

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わたなべ りや うじらう のメイ ル・マガジン「頂門の一針」495
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        2019(平成31)年  2月12日(火)



             「の」に賭けた初入閣:渡部亮次郎

         夥しい労働者に賃金が支払われず:宮崎正弘
    
        脆くも崩れ去りかねない日露外交:櫻井よしこ
                                       
                      話 の 福 袋
                        反     響
                      身 辺 雑 記



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「の」に賭けた初入閣
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    渡部 亮次郎

建国記念「の」日が初めて施行された昭和42(1967)年2月11日。その時園 田直(すなお、故人)は衆院議員当選既に9回なのに未入閣で衆院副議長 のまま。しかも4日後に副議長に再選と言う椿事。

だが佐藤栄作首相は、園田の異能ぶりに感服していた。忘れずにこの年の 11月25日に行った第2次内閣の第1次改造で厚生大臣に抜擢した。園田は53 歳の初入閣だった。

「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて紀元節という祝日で あった。

紀元節は、『日本書紀』が伝える神武天皇が即位した日に基づき、紀元の 始まりを祝う祝日として、1872年(明治5年)に制定された。

この紀元節は、1948年(昭和23年)(連合国による占領下)に制定された 「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25 号)が廃止されたことに伴い、廃止された。

しかし独立を果たす1951(昭和26)年頃になると紀元節復活の動きが見ら れ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆院議員らによる議員 立法として、「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

とはいえ、当時野党第1党の日本社会党が、この「建国記念日」の制定を 「戦前回帰、保守反動の最たるもの」と非難・反対したため成立しなかっ た。

1957年8月2日、神社本庁、生長の家、郷友会、不二歌道会、修養団、新日 本協議会などの右翼団体は紀元節奉祝会(会長:木村篤太郎)を結成して 推進を画策した。

しかし、その後9回、法案提出と廃案を繰り返しただけだった。これに目 を付けたのが1965(昭和40)年12月20日、第45代衆院副議長に選出された 熊本県天草選出の園田直だった。

社会党国対委員長石橋政嗣(まさし=長崎選出}と密かに手を組み、建国記 念「の」日にして「2月11日」を国会ではなく政令で定めるなら反対しない と言う妥協案を創り上げた。

名称に「の」を挿入して「建国記念の日」とすることで、“建国されたと いう事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるように修正したの である。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法 改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛 する心を養う」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に 規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとする ときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければなら ない」と定めた。

建国記念日審議会は、「粋人」菅原通済を会長に学識経験者等からなり、 総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、 「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が同年12月9日に提出さ れた。

同日、「建国記念の日は、2月11日とする。」とした「建国記念の日とな る日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を公布、即日施行した。当 に「の」が自民、社会両党の妥協を成立させた。

また佐藤内閣にとっては実兄の岸信介内閣以来、歴代内閣の成しえなかっ た事実上の紀元節復活を成し遂げたのであった。この「の」という奇策へ の「回答」が園田の初入閣だったのである。

私はこうした経緯を当時NHK政治記者としてつぶさに取材。園田の頭の良 さにつくづく惚れた。彼が特攻隊生き残りである事も知って尊敬した。そ うした事が後に私を外務大臣園田直の秘書官にした理由である。(文中敬 称略)2008・2・10


       
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夥しい労働者に賃金が支払われず
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)2月8日(金曜日)弐
         通巻第5987号  
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 夥しい労働者に賃金が支払われず、座り込み抗議行動が多発
  ビル労働者「家族の医療費も払えず、ビルから飛び降りてやる」
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どうやら予測通りである。

春節(旧正月)に中国の鉄道、飛行機、長距離バス、そしてハイウェイは 未曾有の人混みで大混乱に陥ったが、例年より早い休暇入り。そして 「ゆっくり休養を取れ、連絡するまで上京しなくてもよい」と言われ、給 与不払い、当座の旅費だけ支給された。

春節があけて、かれらが職場にもどると、工場は閉鎖されているだろう。 中国ではよくある手口だ(日本に観光にきている中国人はよほど恵まれた 階層である)。昨年の企業倒産は500万社とも言う。

ビルの建設現場。3ヶ月給与不払いというケースが多く、労働者は作業を やめている。工期はベタ遅れ、クレーンは停まり、作業場では残った労働 者のシット・インが続く。

トラックの運転手はウーバーにも職を脅かされ、本社前をトラックがぐる ぐる廻っての抗議活動。配送の下請けは賃金を受け取るまで「配達はしな い」と抗議の声を挙げている。

製造工場ではラインが停まり、座り込み抗議。おおよそ給与不払いが原因 であり、経営者は雲隠れ、ビルの屋上から飛び降りてやると抗議する労働 者も現れた。悲痛な叫びは、「もう食事代もない」。「故郷の妻子の医療 費がはらえない」。

こうした風景が中国全土、あちらこちらで見られる。旧正月のお祝いどこ ろではない。解雇された従業員は鴻海精密工業の10万人が象徴するよう に、潜在失業者を含めると、おそらく数千万人単位ではないか。
        
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1855回】           
――「社稷既に亡んで、帝陵空しく存す」――大町(1)
大町桂月『遊支雜筆』(大阪屋號書店 大正8年)

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高知生まれの大町桂月(明治2=1869年〜大正14=1925年)は、明治13年 に上京し杉浦重剛の称好塾に学んだ後、東京帝大国文科へ。
「明治會叢誌」「帝國文學」などに拠って評論・美文・新体詩などを発表 し、大学派・赤門派の重鎮として活動。明治33年に博文館に招かれ『太 陽』『文藝倶樂部』『中學世界』などに文芸時評・評論・評伝・紀行文な どを発表する。文章を修行することで人間の錬磨を主張し、明治・大正期 の知識青年に大きな影響を与えた。

「序」で「朝鮮は今や皇國也。南滿洲の地は、近く日清戰爭に、日露戰爭 に、我が同胞の鮮血を流したる處にして、現に我が同胞の活躍せる處也」 と記す。「今や皇國」となった朝鮮、「我が同胞の鮮血を流したる處にし て、現に我が同胞の活躍せる」ところの南満洲を、大町は「四箇月の日 子」を掛けて歩いた。

南満洲の旅は「初は大連を根據地として、後は奉天を根據地として、南は 旅順、北は哈爾濱、東は吉林、西は鄭家屯の間を跋渉すること幾んど二箇 月」。それは「大正七年將に暮れむとす」る頃であった。

満洲に火山はないが温泉はある。「温泉宿は日本人が創めたる也。滿洲人 の在る處に風呂なし。日本人の在る處には、必ず風呂あり。風呂より温泉 の方が遥かに氣持よし」。そこで「(満鉄)本線の熊岳城、湯崗子、安奉 線の五龍背」の「3温泉は滿洲にある日本人に取りての極樂浄土」という ことになる。

3温泉の1つである五龍背に宿を取る。「ペチカは室を煖め、靂泉は身を 煖む。冬枯の滿洲に陽春の心地して、余はこゝに四宿しぬ。而して新年を 迎へぬ」。

明くる大正8年は西暦で1919年・・・ということは、今からちょうど100年 前に当たる。

その後の日本の針路に大きな影響を与えることになる国際的な出来事とし ては、パリの講和会議(1月)、朝鮮における三・一独立運動(3月)、反 伝統を掲げる一方で近代中国における最初の本格的反日運動となった五・ 四運動(5月)、ヴェルサイユ講和条約締結(6月)、シベリア撤兵開始 (9月)――日本も国際政治の主要プレーヤーとして歩みだす。

「大連より北四百三十五哩八分、長春に至りて、滿鐵の線路盡く。而して 東清鐵道始まる。長春は南滿洲の裏門にして、兼ねて北滿洲の表門也」。 その長春の八千代館で昼食。やがて日本人芸者が「一人あらはれ、二人あ らはれ、三人あらはれ、遂に四人となる。最も年老いたる藝者、聲美にし て追分を歌ふに、滿洲の野に在る心地せざりき」。まあ、それはそれは天 下泰平でゴザリマスなァ。

 長春の街を馬車で散策する。「支那人の乞兒のとぼとぼ歩くを見て」、 案内役の某氏は「あれはまだ死なず」と。続けて、「乞兒は長春の名物 也。北滿洲にある支那の乞兒、鐵道にて追還されて、長春に來り、長春に ても追はるれど、動かず。長春は乞兒の溜場所となりて、凍死する者の 年々數百人の多きに達する也」と。

「長春より哈爾濱まで、二百二十五哩」をロシアの東清鉄道に揺られる。
  途中の某駅を過ぎた頃、南への追放を免れたと思われる「支那人の乞 兒來る。兩足なし。兩手に木枕の如き木片を持ちて、兩手と兩膝にて歩 く。年は四十ばかりに見ゆるが、頭をさぐるでもなく、語を發せず、にこ にこと樂觀的の顔付きを爲す。食ひ殘したるもの一切を與ふれば、受けて 默つて立ち去れり」。汽車が某駅に着くと、「その乞兒の汽車を下りてブ ラットホームを這ひゆくを見たりき」。
  どうやら大町の満洲は、日本式の温泉と「年は40ばかりに見ゆる」 ところの「にこにこと樂觀的の顔付きを爲」した乞食との出会いから始 まったということなのか。




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脆くも崩れ去りかねない日露外交
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        櫻井よしこ

 脆くも崩れ去りかねない日露外交 河井発言は軽率のそしりを免れない」

この一言で元々脆い日露交渉が積木崩しのようになっていくかもしれな い。そう感じたのが自民党総裁外交特別補佐、河井克行氏の発言だ。

氏は1月8日、米ワシントンの政策研究機関で「中国に対抗するため」日露 平和条約が必要で、同条約締結に米国の理解を求める旨、語ったという。

安倍晋三首相は、米国の対中包囲とでもいうべき厳しい外交の前で、日中 関係の改善を目指している。従って安倍氏の外交戦略目標が河井氏の言う 中国封じ込めにあるかどうかはわからない。仮にそうだとしても、戦略と は黙って遂行するのが常道だろう。世界の政治の中心地で、安倍氏の特別 補佐が講演すれば、発言は首相の考えを示すものとして瞬時に世界を駆け 巡る。ロシアと中国の怒りは如何程か。河井発言は軽率のそしりを免れない。

まず、ロシア外務省のザハロワ情報局長がロシア国営テレビの番組で、 「対露交渉で日本はなぜ米国の支持を求めるのか、理解できない」と反 発。14日には日露外相会談後の単独記者会見で、ラブロフ外相がこう語った。

「今日何が起きたか、語っておく必要があると思い(記者会見を開い た)」、平和条約締結に関して両国の立場は「正反対」だ、「南クリール 諸島の主権は第二次世界大戦の結果としてロシアにあることを日本が全面 的に認めることが前提だ」。

ラブロフ氏は従来の厳しい主張を繰り返しただけでなく、「(北方領土を 含む)クリール諸島の主権問題は議論の対象ではない。これはロシアの領 土だ」とまで言い出した。領土交渉には応じないという意味だ。氏はこの 点を河野太郎外相に言い渡したという。

「北方領土」の表現も受け入れないとの発言が、このあとに続いた。

1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉するという安倍・プーチン合意が生 きているのなら、平和条約と北方領土問題は切り離せない。にも拘わら ず、島の主権問題は話し合いの議題から除くというのでは交渉は行き詰ま りではないか。日本側はロシアに好き放題言われてしまっている。

ラブロフ氏はその後、現在進行中の経済協力は「全くロシアの心に響かな い(very unimpressive)」、日本はもっと投資できる はずだとし、さらに深刻なことを要求した。

「国連でのロシア提案に関する日本の投票行動は日露両首脳が達成を望む 信頼関係を、全く反映していない」

北朝鮮への制裁をはじめ、ロシアや中国と日本が立場を同じくするのは難 しい。日本の外交基軸は価値観を同じくする米国との協調にある。それを 念頭に国連で日本はもっとロシア寄りになれとラブロフ氏は要求している のだ。

河井氏は日本の戦略としての中露分断を語ったが、ロシアはそのような日 本への怒りの表現として日米分断を声高く主張していると見てよいだろう。

ラブロフ氏は間違いも堂々と語る。

「1956年の日ソ共同宣言が署名されたとき、日米安全保障条約は存在しな かった。条約が60年に署名されると、日本は日ソ共同宣言から距離を置き 始めた」

「(日米同盟が中露に)安保上のリスクを投げかけている」とも非難した。

滅茶苦茶だ。米軍の占領が終わりに近づいた1951年、日本はサンフランシ スコ講和条約に調印し、52年に発効した。独立したが非武装国の日本に、 米軍駐留の継続を定めた安保条約が、そのとき同時に成立した。60年は安 保改定の年にすぎない。

ロシアの間違いや不条理な主張を百も承知で安倍首相はウラジーミル・ プーチン大統領と会談を重ねてきたはずだ。その内容については知るべく もないが、安倍首相が何らかの前向きな反応をプーチン氏から得ていると 仮定しても、河井発言で交渉はさらに難しくなると懸念するものだ。
『週刊ダイヤモンド』 2019年2月9日号
 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1266

      
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重 要 情 報
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 ◎秋篠宮妃は正式には秋篠宮妃紀子殿下です。秋篠宮妃紀子殿下を略した秋篠宮妃殿下と紀子殿下も正しい表記ですが、「紀子妃殿下」は正しいとは言えません。(まこと)

 ◎韓国につける薬を緊急に開発の必要がある:前田正晶

今回の韓国の国会議長の無礼千万の発言(ここに引用するだけでも胸が悪 くなる「天皇陛下が云々」)を見るにつけても、「彼らにつける薬の開発 は焦眉の急」だと言わざるを得ないと思うのだ。私は河野太郎外相の批判 的発言程度では余りにも生ぬるいと言いたくなる。韓国では我が国に対し ては何を言っても良いとされていると聞くが、この度の議長の発言は如何 にも度が過ぎていて、酷すぎるし程度も低いと思う。

もしも、安倍内閣がつける薬の開発をしないのであれば、彼らがここまで 彼らが国際的なルールも慣習も無視するならば、国交断絶とまで言わない までも経済的な制裁も辞さないくらいのことを真っ向から言って聞かせて も良いと思っている。私は以前から「韓国は国家としての体を為していな い」と言ってきたが、それが当たっているようだと痛感させられる事態に なってきたとも言えるだろう。

私は事ここに至れば、政府は遠慮することなく官房長官の談話などと言う 穏やかな方法ではなく、あらゆる経路を使ってでも議長と彼らに対して言 うべき事を言うと同時に、国際的に「韓国が如何に非道であるかの情報を 発信して然るべき」だと考えている。また従来のように穏やかに対応すれ ば、彼らは言い分が通ったと勝手に解釈して益々つけ上がってくるのは必 定だ。「無言は肯定と同じだ」と私は何度も言ってきた。




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身 辺 雑 記
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12日の東京湾岸は快晴。夕方、亀戸駅近くの居酒屋で会合がある。美人も来るから楽しみだ。

11 日の東京湾岸。雪のちらつく中、近くの都立猿江恩賜公園で家人に 乗ってもらった車椅子を転倒防止用に押しながら約20分、散歩してきた。

雪は午前9時半現在も降っているが車の通行に支障が無いようで、京葉道 路は渋滞ナシだ。家人も勤務先へは何時ものように車で出かけた。

隣の第三亀戸中学校は3連休、死んだように静かである。

                       読 者:5587人

                 









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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
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