政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針4922 号  2019・1.12(土)

2019/01/12

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わたなべ  り やうじらうのメイ ル・マガジン「頂門の一針」4922号
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        2019(平成31)年  1月12日(土)



          ポンペオ国務長官がカイロで演説:宮崎正弘

             切らずに治せるがん治療:田中正博

      国柄を考える、平成最後の天皇誕生日:櫻井よしこ
         
                     
                      話 の 福 袋
                       反     響
                      身 辺 雑 記
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ポンペオ国務長官がカイロで演説
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)1月11日(金曜日)参
        通巻第2950号  
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 ポンペオ国務長官がカイロで演説。「米国の新しい中東マニフェスト」
  イランを地域内で完全に封じ込め、シリアから撤退する
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1月10日、カイロにあるアメリカン大学において、中東9ヶ国歴訪中のポ ンペオ国務長官が演説した。題して「米国の新しい中東政策のマニフェス ト」。

演説の骨子は最初から最後までオバマ前政権の中東政策の失敗を批判し 「悲惨なカオスをもたらした。アラブの春の失敗が、シリアの内戦を生ん だ。完全な失敗だった。中東は惨状に陥ったのだ」。

ではどうするのか?

新しいマニフェストは何なのか、といえば、「イランを完全に封じ込め る」の一点のみ。シシ政権の人権弾圧やサウジのイエーメン介入など、人 道的な問題には触れず、またシリア撤退という、米国の政策変更がマティ ス国防長官の更迭をもたらし、トルコの関係悪化を随伴してしまった現実 にも触れず「われわれはISに勝利した。だから撤退する」と締めくくっ たという。

これを聞いたオバマ政権の元幹部は「まるで異星人の話を聞いたようだっ た」とコメントした。

他方、ジョン・ボルトン大統領補佐官は、「ISの敗北を見極めてから米 軍は引き揚げる」としており、政権内部でニュアンスの違いが浮き彫りに なっている。

トランプ大統領自身は、イスラエル贔屓が強く、またアメリカ全体はイス ラムへの潜在的敵対感が底流にあり、シリアにいつまでも関わっていてど うするんだという声が、トランプのシリア撤退を支持する声となっている。
        
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読者の声 ☆どくしゃのこえ ★READERS‘ OPINIONS
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(読者の声1)貴誌「読者の声4」の(CAM)氏の出生地が淵田美津雄 氏と全く同一だとか司馬遼太郎氏の母君がその近傍出身だとか世の中は狭 いものですね。

生出寿氏は山本五十六凡将論だったと思いますが、淵田氏は南雲・栗田と いった艦隊司令官の前時代的な頭の固さを繰り返し批判しています。

南雲長官については第二次反復攻撃を行わなかったこと、さらには真珠湾 からの帰路について、もと来た路ではなく、中央航路をまっすぐに帰った ら、出動中の二空母にも出会って、これを撃滅できるだろう、と批判しな がらも、当時の海軍航空隊が偵察を軽視しており、南雲長官が偵察能力を 信用していなかった、との反省の弁も述べている。

ミッドウェーでも偵察軽視のツケがでてしまう。

淵田氏の南雲長官批判の論拠として真珠湾は水深が12mしかなく吃水7m の戦艦が沈没しても5m沈めば海底に届いてしまい、容易に引揚げ・修理 ができるというもの。

ところが草鹿参謀長はアメリカ太平洋艦隊を撃滅して作戦目的を達成した のだから、オイルタンクだの海軍工廠の修理施設を攻撃するなど下衆のあ と知恵だという。

淵田氏が批判する点はもう一つ、「兵は勢である」ということ。

戦前のアメリカの戦争小説では日本軍はハワイを占領後アメリカ西海岸に 上陸しています。実際に開戦後、アメリカは西海岸で灯火管制を行い、製 鉄所をユタ州に疎開させることまでしています。

レイテ攻撃の栗田艦隊については、戦争の帰趨はもはや明らかであり、ア メリカ軍に出血を強いることで少しでも有利な講和条件を得るのが目的な のに、時代遅れの艦隊決戦にこだわり、囮となった小沢艦隊の犠牲を無駄 にしてしまったと強く非難している。

さて戦争も終わり、占領軍から尋問される日々。占領軍機関誌にインタ ビュー記事が載った日の午後、黒人兵3人がやってくる。

ジープに乗せられ着いた場所は丸の内の郵船ビルの裏手。狭い階段を上 がった先は彼らが働くバーの楽屋裏。大勢の黒人兵からウイスキーやらク ラッカーやらの大歓迎。

彼らのジェスチャーで「真珠湾攻撃を誰が一番喜んだと思うか」との問 い。そしてその答えは「われわれ黒人だよ」というもの。

淵田氏は人種差別の実態を知るとともに、「顧みれば日本が、大東亜解放 の大義名分をかざしたのはよい。しかし、自分こそ最優秀の天孫民族で、 大東亜の盟主であると思い上がったところに、傲慢と人種的優越感とが存 在しなかったか。このたびの敗戦は、それを懲らしめる天譴であったと、 私は受けとめていた」と記しています。

ぼくが子供のころ、親戚のおばあちゃんは霊感というか霊能のある人で、 ある日どうして日本は戦争に負けたのかときくと、日本は高慢になり過ぎ たからだというのです。自慢・高慢バカのうち、人の言うことをよく聞き なさい、と諭されました。

昭和26年(1951年)に洗礼を受けた淵田氏は昭和27年から32年まで8度のア メリカ伝道の旅に出かけ、多くの著名人にも会っています。

なかでもトルーマン前大統領との会見は興味深い。陸軍少佐だったという トルーマン、今日は軍人同士の話でいきましょう。

「キャプテン、真珠湾はね、ボス・ギュルチィ(両者有罪)だよ」と言った。

私は「そりゃ神の前にはボス・ギュルチィでしょうけれど・・・」と言い 及ぼうとしたら、トルーマンは遮ぎって、「いいや、神の前ばかりでな く、人間の前にも、いまに史実としてボス・ギュルチィが明らかになるだ ろうと言った、とあります。

マッカーシーの赤狩りや朝鮮戦争を経験し、ルーズベルトが日本を戦争に 追い込んだことやアメリカは戦う相手を間違えたことにやっと気がついた のですね。
 日本占領軍最高司令官を解任後のマッカーサーとの会見では、憲法9条 の話が出てきます。マッカーサーが言うには、原爆の出現で将来の戦争は 勝敗がつかないだろう、敵も味方もともに滅亡する。まったく人類の破滅 でしかない。
そのような見地から、世界は戦争放棄の段階に近づきつつあるとの感を抱 いていた。日本を軍事的に無力化する連合国の方針もあったし、また日本 をして率先、世界に戦争放棄の範を垂れさせようとの意図もあった。その 後の世界情勢は力に対するには力のバランスで、やっと平和を保ってい る。かくて日本も自衛力が必要だと、自分は再考を余儀なくせしめられた。
 ニミッツ元帥宅では自慢の松の盆栽を見せられ、夫人からは日本滞在中 にスケッチした油絵を案内して見せてもらう。
スプルアンス大将の家では淵田氏が送った能面が飾られるなど、昨日の敵 は今日の友を実践するアメリカ人の良い面が描かれます。
 最後に終戦記念日の戦没者慰霊祭における総理大臣の追悼文の話がでて きます。
『その追悼文で戦没者のことを「偉業に倒れ」などと謳うと、早速、日本 基督教協議会あたりの小賢しいのが、「戦争は偉業でない」などと題した ビラを撒き散らしてアジるのであった。けれども私が考えるのに、確かに 戦争は偉業でないが、ひとたび国家が戦争に入ったとなると、国民たるも のは、命をかけ体を張って戦争に従事する。そしてその事自体は偉業であ り、かくて戦場に倒れたとなると、「偉業に倒れ」と言わずして、なんと 言うか』
キリスト教徒である前に愛国者の淵田氏はキリスト教徒になってからアメ リカ人記者に真珠湾攻撃についてのインタビューを受け、まったく後悔し ていないと断言しています。
 日本基督教協議会というのはウィキペディアを見ると『いわゆる「歴史 認識問題」などで韓国キリスト教教会協議会と連携して、加害者の日本と 被害者の韓国という関係を築くために政治運動を行っている』とあります。
朝鮮系に乗っ取られた団体です。初詣の参道で「神を信じよ」などと迷惑 この上ない連中も同類なのでしょう。
昭和20年代から今に至るまで反戦左巻きの巣窟のようです。
   (PB生、千葉)


         
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切らずに治せるがん治療
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     田中 正博

がん治療の3本柱といえば、手術、化学療法(抗がん剤)と放射線療法で す。副作用なく完治する治療法が理想ですが、現実にはどの治療法も多か れ少なかれ副作用があります。

がんの発生した部位と広がりにより手術が得意(第一選択)であったり、 化学療法がよかったりします。
 
また病気が小さければ、負担の少ない内視鏡手術で治ることもあります。  放射線療法は手術と化学療法の中間の治療法と考えられています。 手 術よりも広い範囲を治療できますし、化学療法よりも強力です。

昔から放射線療法は耳鼻咽喉科のがん(手術すると声が出なくなったり、 食事が飲み込みにくくなる、など後遺症が強い。)や子宮頚がん(手術と 同じ程度の治療成績)は得意でした。 

最近は抗がん剤と放射線療法を同時に併用することで、副作用は少し強く なりますが、治療成績が随分と向上しています。

食道がんでは手術と同程度の生存率といわれるようになってきました。手 術不可能な進行したがんでも治癒する症例がでてきました。

また、手術と放射線療法を組み合わせることもしばしば行われています。  最新鋭の高精度放射線療法装置や粒子線治療装置を用いれば、副作用が 少なく、?期の肺がん、肝臓がん、前立腺がんなどは本当に切らずに治る ようになってきました。

また、残念ながら病気が進行していたり、手術後の再発や転移のため、今 の医学では完治が難しいがんでも、放射線療法を受けることで、延命効果 が期待できたり、痛みや呼吸困難などの症状が楽になることが知られてい ます。

放射線療法以外の治療が一番いいがんも沢山ありますので、この短い文章 だけで放射線療法がよいと判断することは危険ですが、がん治療=手術と 決めつけずに、主治医の先生とよく相談されて、必要に応じてセカンドオ ピニオン(他病院での専門医の意見)を受けられて、納得できる治療を受 けられることをお勧めします。(医師)      
          大阪市立総合医療センター 中央放射線部

     
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国柄を考える、平成最後の天皇誕生日
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            櫻井よしこ

12月23日、平成の時代最後の天皇陛下のお誕生日を祝って、わが家でも朝 早くから国旗を掲揚した。いつ見ても日章旗は清々しく美しい。白地に赤 い日の丸。無駄がなく、これ以上ないほどすっきりした構図である。

この日、皇居は3度にわたって日の丸の小旗の波で埋まった。誰しもが天 皇ご一家のお出ましに感動し、平成の30年をしみじみと振りかえったこと だろう。

各紙朝刊で陛下のお言葉を読んだ。お誕生日に先立って行われた皇居宮殿 での会見で、天皇陛下が読み上げられたお言葉には国民に対する慈愛が溢 れている。常に国民に寄り添いたいとのお言葉どおり、両陛下の視線はあ くまでも弱い人々、犠牲になった人々に、まず向けられている。とりわけ 沖縄の人々に対しての思いを、このように語られている。

「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太 子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解す るよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくと の私どもの思いは、これからも変わることはありません」

「先の大戦」の激戦地への慰霊の旅については、「戦後60年にサイパン島 を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリ ラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません」と語られた。

『朝日新聞』の皇室担当特別嘱託の岩井克己氏が特に言及していたが、明 治・大正・昭和から続く歴代天皇の中で、今上陛下は一度も軍服を着るこ となく、また在位中に戦争のなかった例外的存在である。

犠牲者に対して常に深い思いを語られるのは、そのようなお立場もあって のことだろうか。御自分の御世について「平成が戦争のない時代として終 わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたくだり は、今上陛下の平和に対する強い思いが反映されている。

ご結婚から60年

国内で発生した自然災害の犠牲についても多くを語られ、困難を抱えてい る人々に「心を寄せていくことも、私どもの大切な務め」とされたくだり では、自然に、今上陛下と共に各地に行幸啓なさった美智子皇后のお姿が 浮かんでくる。

国民の心にもしっかりと焼きついている美智子さまの、国民への深い思い やりと共に、民間から皇室に嫁がれた特別の体験、ご結婚から2019年で60 年になる長い道を立派に歩んでこられたことについて、天皇陛下はお心の こもった労いの言葉を語られた。

「振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の 皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共 に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしてい る今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けて くれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であっ た皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双 方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」

時折お声を詰まらせながら語られた皇后陛下への「労い」は、まさにお二 人で支え合って重ねてこられた年月の尊さを私たちに示してくださってい る。家族の大切さどころか、およそどの国の憲法にもある家族条項の一文 字さえない現行憲法の下で戦後の70余年をすごした日本人にとって、両陛 下のご夫婦としてのお姿はこの上なく立派なお手本となる。

今上陛下の慈愛に満ちたお心、天皇皇后お二人の生き方を見せていただい ていること、さらに平和な日本の国民に生まれたことを、有難く思うばか りだ。

「来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります」「天皇となる皇太子と それを支える秋篠宮は」「皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく 社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」。

天皇陛下はこのように御代替わりへの期待を示された。

皇太子さまが新天皇に即位なさる19年は、御代替わりの諸行事に加えて選 挙やW杯、G20などの国際会議、消費増税など、政府にとっても国民に とっても大変な年だ。さらに国際社会においては、トランプ大統領、習近 平国家主席、プーチン大統領、金正恩委員長や文在寅大統領らが油断も隙 もない外交戦略を展開中だ。

安倍晋三首相は新年1月4日に配信される「言論テレビ」の番組収録で、こ れら手強い外国首脳との外交においては、「率直に話をすること、約束を 守ること」が大事だと語った。

嘘も含めた駆け引きこそ外交だと心得ている国々が少なくない中で、日本 国の首相の唱える道は王道である。そうした王道を歩み続けるのが日本の 国柄である。

神道の価値観

そこで、私たちはこの御代替わりに際して、改めて日本の国柄について考 えたい。日本の国柄の核は皇室である。皇室の伝統は神話の時代に遡り、 それは神道と重なる。神道については経典や聖書に相当するものがないた めに、これを評価しない人々がいる。しかし、博覧強記の比較文化史家、 平川?弘氏は『神道とは何か』(共著・錦正社)でこう書いている。

「神道の力は、教えられようが教えられまいが、神道的感受性が多くの日 本人の中に生きている、という点にひそんでいると思います」

理屈ではない感性のなかに神道の価値観は深く根づいている。その価値観 は穏やかで、寛容である。神道の神々を祭ってきた日本は異教の教えであ る仏教を受け入れた。その寛容さを、平川氏はモーゼの十戒の第一条、 「汝我ノホカ何物ヲモ神トスベカラズ」と較べて、際立った違いを指摘す るのだ。

神道と他国の一神教は正反対であり、日本書紀、古事記の時代から一人一 人の人間を大切にするわが国の伝統も特徴だ。

このような価値観を、皇太子さま、秋篠宮さまに受け継いでほしいと、今 上陛下は仰った。

世界が混沌とする中で、19年の日本は恐らく、自らの足下を、あらゆる意 味で強化することが求められる。そうしなければ国際社会の大変化を生き 抜いていけないような局面も生まれてくる。

そのときに日本が日本らしく生き続けるために必要な力は、日本がどのよ うな文化文明、伝統に由来するか、民族の原点を認識することから生まれ るのではないか。世界情勢が急速に変化する中で、皇室に期待される役割 は、さまざまな意味で大事である。平成最後の天皇陛下のお誕生日も夕方 になり、私は掲げた日の丸を取り込み、大切に丁寧に畳んだ。
『週刊新潮』 2019年1月3日・10日号 日本ルネッサンス 第834回

           
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重 要 情 報
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 ◎渡部昇一を知る前に上智大学に好印象を抱いていたのは、高校生の時に読んだ『合格体験記』(秋元書房、1974年)に、1年間留学してその資格で受験して高2で上智大学外国語学部と慶応大学法科に合格して上智大学に入学した才女の体験談が載っていたからです。そのバイタリティと、一橋大学商学部に合格した受験生の数学の「はずの方法」に感心した記憶があります。(まこと)

 ◎FIFAランキングの50位対127位の試合:前田正晶

9日に行われたサッカーのアジア選手権の予選リーグの我が国対トルクメ ニスタンの試合のことである。言わねばなるまいが、勝ったのは我が代表 だった。私は元々このランキングは当てにならないと思っているが、昨日 の試合などはその典型的な例になると思っている。中継したNHKのBS(ど うしてNHKはサッカーをこのように扱うのだろうか)のアナウンサーだっ たか解説の福西だったかが「このトルクメニスタンのランキングの低いの は、FIFAが審査に対象にする試合数が1〜2と少なかったことにあるよう だ」と言っていたのが非常に印象的だった。

トルクメニスタンは旧ソ連の国で人口が500万人にも満たないのだが、そ のサッカー代表の水準は私の目にはとても127位とは見えなかった。それ どころか見事というか何というか、強烈なロングシューで先制したのが 127位の方だったのだ。私はその守りでの寄せの速さ、当たりの強さ、そ の昔我々が「ドッグレース」と呼んだ1対1で深い縦パスを追う時の速さな どを見れば「何れが50位か?」と思わせられたほど力強いサッカーをやっ ていた。

勿論、あの地区独特の小汚さも持ち合わせていたので、少し当たられたく らいで地ベタに寝そべって動かなくなったり、大袈裟に痛がってのたうち 回るような芸もやって見せてくれた。それに審判団が全員イラン人だった ので「中東の笛」が何時出てくるかという心配もさせてくれた。ご存じで ない方の為に解説しておけば「依怙贔屓をした判定(何れに?)をする」 という意味である。

事実、GKの権田がPKを取られた反則も、私にはあのトルクメニスタンの選 手が如何にも脚をさらわれたように演技をして見せたようにしか見えな かった。だが、中継ではその場面を何度も繰り返して見せなかったので、 シミレーションだったと言い切るだけの確証はないが。

50位の我が代表の試合振りを振り返ってみよう。余り事前の情報なしに見 たので先ず不思議に思えたのがセンターバックに私が全く評価していない 槙野を使っていたことだった。何故富安ではないのかと思えば、彼は不慣 れだったというボランチに出ていた。「エッつ、では中島は」と思えばそ こには原口がいた。そう言えば、GKが権田だったのも不思議だった。途中 で解ったが、中島は負傷欠場だった。

矢張りダメな奴を出すとダメなのは恐ろしいばかりで、50位のテイームの 守りは不出来で127位に振り回され気味だったし、あのロングシュートな どは相手のエースにあの場面であれだけ好きなようにキープされた挙げ句 の果てに狙い澄ましたシュートを許してしまった。攻める方も似たような もので、相手の11人全員がペナルティーエリアの中に閉じこもっているよ うにひいているのでは、幾ら懸命になってシュートをしても所詮は壁に向 かって蹴っているのと同じで、何処かで誰かに当たって跳ね返ってくる結 果になるのだ。

代表にまでなったのだからそれくらいは解っていても良さそうなものだ が、前半は全く何の工夫もなかったし、ここぞというチャンスがあっても 見事に外してしまう不甲斐なさだった。試合後に富安君は反省していた が、彼の責任と言うよりも他にも負傷者の遠藤航がいたことも忘れてはな らないと思う。それに、私は柴崎については未だ過大評価だとしか思えな いのだ。その柴崎と富安が2人並んでいたのでは攻め方に工夫が足りな かったのも仕方があるまいと思った。

結果的には未だに長友の上がりに依存し、未だどことなく中途半端な攻め 上がり方をする酒井宏樹が目立っているのだと思う。原口にも一頃の神通 力が薄れたし、南野も独立した点取り屋と言うよりも、周りが上手く使っ てくれないことには精彩を欠くという段階にあるようにしか見えない。堂 安も「以下同文」のように思える段階に止まっているように見えた。換言 すれば、森保監督就任以来一度も負けていないとマスコミは盛り上げる が、意外に層が薄いのかも知れない。

それよりも何よりも私には未だに評価を確定できない「半端ではない」存 在の大迫は微妙な選手だとしか思えないのだ。私は大迫には古い言葉で言 う「ポイントゲッター」が当て嵌まらないとしか思えないし、マスコミの 解説者も過大評価をしているとしか見えないのだ。「何を言うか。10日 だった2点も取っていたじゃないか」と反論されそうだが。では伺うが 「彼に往年の釜本の強力さを見出しますか」なのだ。

私はFWの真ん中に位置する以上、迫り来るデイフェンス陣をバッタバッタ となぎ倒して目にも止まらぬ強力なシュートを決めるのがポイントゲッ ターの仕事だと思っている。解説者は大迫の「ポストプレーが良い」とか 「壁になってキープして攻撃の起点になってくれるのが素晴らしい」とか 言うが、それでは点取り屋の仕事をしているとは言い切れないのではと言 う疑問が残るのだ。

確かにドイツに行ってからは当たられ強くなって前線で良く持ち堪えてく れるようになったが、それにしても得点の数が少ないというよりも「何と しても俺が取ってやる」という気迫は見えないのが残念だ。具体的に言え ば、10日の2点目などは、言うなれば岡崎慎司的なポジション取りが良 かったことが為せる業で、私が期待したい豪快さとは縁遠いのだ。もっと 言えば、「最前線で浮いているから、チャンスが来たら全部俺に回せ。必 ず決めてみせるから」というような気迫が滲み出ていないということだ し、何時かはそうなって欲しいという期待だ。

何れにせよ、中島一人の欠場であれほど多くの欠陥が浮かび上がってきた のには驚かされた。中島は私の好みの型の選手の一人だが、不安な点は体 が小さいことだ。自分自身がそうだったからも言えるのだが、その点を克 服するのは「より優れた技術と技巧と人並み外れたスピードがある技を身 につけることだろう。当たりの強弱は練習を積めばある程度は磨けるがkg
もあるような奴が全力で走ってきたのに勝つことは不可能だ。故に、如何 にして負傷せずにそれに勝る技術と技巧を身につけることが必須となるの だ。とは言ったが、矢張り小柄では辛いのだ。


 ◎FIFAランキングの50位対127位の試合:前田正晶

9日に行われたサッカーのアジア選手権の予選リーグの我が国対トルクメ ニスタンの試合のことである。言わねばなるまいが、勝ったのは我が代表 だった。私は元々このランキングは当てにならないと思っているが、昨日 の試合などはその典型的な例になると思っている。中継したNHKのBS(ど うしてNHKはサッカーをこのように扱うのだろうか)のアナウンサーだっ たか解説の福西だったかが「このトルクメニスタンのランキングの低いの は、FIFAが審査に対象にする試合数が1〜2と少なかったことにあるよう だ」と言っていたのが非常に印象的だった。

トルクメニスタンは旧ソ連の国で人口が500万人にも満たないのだが、そ のサッカー代表の水準は私の目にはとても127位とは見えなかった。それ どころか見事というか何というか、強烈なロングシューで先制したのが 127位の方だったのだ。私はその守りでの寄せの速さ、当たりの強さ、そ の昔我々が「ドッグレース」と呼んだ1対1で深い縦パスを追う時の速さな どを見れば「何れが50位か?」と思わせられたほど力強いサッカーをやっ ていた。

勿論、あの地区独特の小汚さも持ち合わせていたので、少し当たられたく らいで地ベタに寝そべって動かなくなったり、大袈裟に痛がってのたうち 回るような芸もやって見せてくれた。それに審判団が全員イラン人だった ので「中東の笛」が何時出てくるかという心配もさせてくれた。ご存じで ない方の為に解説しておけば「依怙贔屓をした判定(何れに?)をする」 という意味である。事実、GKの権田がPKを取られた反則も、私にはあのト ルクメニスタンの選手が如何にも脚をさらわれたように演技をして見せた ようにしか見えなかった。だが、中継ではその場面を何度も繰り返して見 せなかったので、シミレーションだったと言い切るだけの確証はないが。

50位の我が代表の試合振りを振り返ってみよう。余り事前の情報なしに見 たので先ず不思議に思えたのがセンターバックに私が全く評価していない 槙野を使っていたことだった。何故富安ではないのかと思えば、彼は不慣 れだったというボランチに出ていた。「エッつ、では中島は」と思えばそ こには原口がいた。そう言えば、GKが権田だったのも不思議だった。途中 で解ったが、中島は負傷欠場だった。

矢張りダメな奴を出すとダメなのは恐ろしいばかりで、50位のテイームの 守りは不出来で127位に振り回され気味だったし、あのロングシュートな どは相手のエースにあの場面であれだけ好きなようにキープされた挙げ句 の果てに狙い澄ましたシュートを許してしまった。攻める方も似たような もので、相手の11人全員がペナルティーエリアの中に閉じこもっているよ うにひいているのでは、幾ら懸命になってシュートをしても所詮は壁に向 かって蹴っているのと同じで、何処かで誰かに当たって跳ね返ってくる結 果になるのだ。

代表にまでなったのだからそれくらいは解っていても良さそうなものだ が、前半は全く何の工夫もなかったし、ここぞというチャンスがあっても 見事に外してしまう不甲斐なさだった。試合後に富安君は反省していた が、彼の責任と言うよりも他にも負傷者の遠藤航がいたことも忘れてはな らないと思う。それに、私は柴崎については未だ過大評価だとしか思えな いのだ。その柴崎と富安が2人並んでいたのでは攻め方に工夫が足りな かったのも仕方があるまいと思った。

結果的には未だに長友の上がりに依存し、未だどことなく中途半端な攻め 上がり方をする酒井宏樹が目立っているのだと思う。原口にも一頃の神通 力が薄れたし、南野も独立した点取り屋と言うよりも、周りが上手く使っ てくれないことには精彩を欠くという段階にあるようにしか見えない。堂 安も「以下同文」のように思える段階に止まっているように見えた。換言 すれば、森保監督就任以来一度も負けていないとマスコミは盛り上げる が、意外に層が薄いのかも知れない。

それよりも何よりも私には未だに評価を確定できない「半端ではない」存 在の大迫は微妙な選手だとしか思えないのだ。私は大迫には古い言葉で言 う「ポイントゲッター」が当て嵌まらないとしか思えないし、マスコミの 解説者も過大評価をしているとしか見えないのだ。「何を言うか。昨日 だった2点も取っていたじゃないか」と反論されそうだが。では伺うが 「彼に往年の釜本の強力さを見出しますか」なのだ。

私はFWの真ん中に位置する以上、迫り来るデイフェンス陣をバッタバッタ となぎ倒して目にも止まらぬ強力なシュートを決めるのがポイントゲッ ターの仕事だと思っている。解説者は大迫の「ポストプレーが良い」とか 「壁になってキープして攻撃の起点になってくれるのが素晴らしい」とか 言うが、それでは点取り屋の仕事をしているとは言い切れないのではと言 う疑問が残るのだ。

確かにドイツに行ってからは当たられ強くなって前線で良く持ち堪えてく れるようになったが、それにしても得点の数が少ないというよりも「何と しても俺が取ってやる」という気迫は見えないのが残念だ。具体的に言え ば、10日の2点目などは、言うなれば岡崎慎司的なポジション取りが良 かったことが為せる業で、私が期待したい豪快さとは縁遠いのだ。もっと 言えば、「最前線で浮いているから、チャンスが来たら全部俺に回せ。必 ず決めてみせるから」というような気迫が滲み出ていないということだ し、何時かはそうなって欲しいという期待だ。

何れにせよ、中島一人の欠場であれほど多くの欠陥が浮かび上がってきた のには驚かされた。中島は私の好みの型の選手の一人だが、不安な点は体 が小さいことだ。自分自身がそうだったからも言えるのだが、その点を克 服するのは「より優れた技術と技巧と人並み外れたスピードがある技を身 につけることだろう。当たりの強弱は練習を積めばある程度は磨けるが、 90kgもあるような奴が全力で走ってきたのに勝つことは不可能だ。故に、 如何にして負傷せずにそれに勝る技術と技巧を身につけることが必須とな るのだ。とは言ったが、矢張り小柄では辛いのだ。

 ◎上智大学合格の合格者の100%が:前田正晶

今週の週刊新潮の「早稲田大学VS慶応大学」という記事の中に恐るべき記 述があった。そもそも今や有り難いことに「4大私立大学」の一角と評価 されて大いに有り難いと思っている我が母校上智大学については「もしか してその人気にはやや過大評価があるのではないか」と一人静かに密かに 危惧している感がなきにそも非ずだった。そこを、100対0という数字を見 せつけて立証するとは夢にも思っていなかったのだ。落胆だった。

それは137ページの表を見れば、早稲田大学の文学部と上智大学の文学部 の併願者では100%が早稲田大学に入学し、同じ併願者で上智大学の外国 語学部(最も人気が高い聞く)でも100%が早稲田大学を選んでいると なっていたのだった。この表を見て何と言って良いのか全く何も思い浮か ばなかった。25年前まで現職だった頃には、多くの製造業、総合商社、所 謂外資系等々の企業で多くの上智大学出身者に出会ってきた。

その間に我が母校の評価が上昇し、もし今自分が受けても合格できなかっ ただろうという超有名校になっていたことを心の底から喜んでいた。そこ に関係がないような早稲田と慶応の両大学を対比しした記事の中で、かく も冷厳なる数字を見せつけられたのだった。ここまで書いても、未だ何と 言って反応すべきかが解らないのが悲しい。


 ◎FIFAランキングの50位対127位の試合:前田正晶

9日に行われたサッカーのアジア選手権の予選リーグの我が国対トルクメ ニスタンの試合のことである。言わねばなるまいが、勝ったのは我が代表 だった。私は元々このランキングは当てにならないと思っているが、昨日 の試合などはその典型的な例になると思っている。中継した
NHKのBS(どうしてNHKはサッカーをこのように扱うのだろうか)のアナウ ンサーだったか解説の福西だったかが「このトルクメニスタンのランキン グの低いのは、FIFAが審査に対象にする試合数が1〜2と少なかったことに あるようだ」と言っていたのが非常に印象的だった。

トルクメニスタンは旧ソ連の国で人口が500万人にも満たないのだが、そ のサッカー代表の水準は私の目にはとても127位とは見えなかった。それ どころか見事というか何というか、強烈なロングシューで先制したのが 127位の方だったのだ。私はその守りでの寄せの速さ、当たりの強さ、そ の昔我々が「ドッグレース」と呼んだ1対1で深い縦パスを追う時の速さな どを見れば「何れが50位か?」と思わせられたほど力強いサッカーをやっ ていた。

勿論、あの地区独特の小汚さも持ち合わせていたので、少し当たられたく らいで地ベタに寝そべって動かなくなったり、大袈裟に痛がってのたうち 回るような芸もやって見せてくれた。それに審判団が全員イラン人だった ので「中東の笛」が何時出てくるかという心配もさせてくれた。ご存じで ない方の為に解説しておけば「依怙贔屓をした判定(何れに?)をする」 という意味である。

事実、GKの権田がPKを取られた反則も、私にはあのトルクメニスタンの選 手が如何にも脚をさらわれたように演技をして見せたようにしか見えな かった。だが、中継ではその場面を何度も繰り返して見せなかったので、 シミレーションだったと言い切るだけの確証はないが。

50位の我が代表の試合振りを振り返ってみよう。余り事前の情報なしに見 たので先ず不思議に思えたのがセンターバックに私が全く評価していない 槙野を使っていたことだった。何故富安ではないのかと思えば、彼は不慣 れだったというボランチに出ていた。「エッつ、では中島は」と思えばそ こには原口がいた。そう言えば、GKが権田だったのも不思議だった。途中 で解ったが、中島は負傷欠場だった。

矢張りダメな奴を出すとダメなのは恐ろしいばかりで、50位のテイームの 守りは不出来で127位に振り回され気味だったし、あのロングシュートな どは相手のエースにあの場面であれだけ好きなようにキープされた挙げ句 の果てに狙い澄ましたシュートを許してしまった。攻める方も似たような もので、相手の11人全員がペナルティーエリアの中に閉じこもっているよ うにひいているのでは、幾ら懸命になってシュートをしても所詮は壁に向 かって蹴っているのと同じで、何処かで誰かに当たって跳ね返ってくる結 果になるのだ。

代表にまでなったのだからそれくらいは判っていても良さそうなものだ が、前半は全く何の工夫もなかったし、ここぞというチャンスがあっても 見事に外してしまう不甲斐なさだった。試合後に富安君は反省していた が、彼の責任と言うよりも他にも負傷者の遠藤航がいたことも忘れてはな らないと思う。それに、私は柴崎については未だ過大評価だとしか思えな いのだ。その柴崎と富安が2人並んでいたのでは攻め方に工夫が足りかっ たのも仕方があるまいと思った。

結果的には未だに長友の上がりに依存し、未だどことなく中途半端な攻め 上がり方をする酒井宏樹が目立っているのだと思う。原口にも一頃の神通 力が薄れたし、南野も独立した点取り屋と言うよりも、周りが上手く使っ てくれないことには精彩を欠くという段階にあるようにしか見えない。堂 安も「以下同文」のように思える段階に止まっているように見えた。換言 すれば、森保監督就任以来一度も負けていないとマスコミは盛り上げる が、意外に層が薄いのかも知れない。

それよりも何よりも私には未だに評価を確定できない「半端ではない」存 在の大迫は微妙な選手だとしか思えないのだ。私は大迫には古い言葉で言 う「ポイントゲッター」が当て嵌まらないとしか思えないし、マスコミの 解説者も過大評価をしているとしか見えないのだ。「何を言うか。昨日 だった2点も取っていたじゃないか」と反論されそうだが。では伺うが 「彼に往年の釜本の強力さを見出しますか」なのだ。

私はFWの真ん中に位置する以上、迫り来るデイフェンス陣をバッタバッタ となぎ倒して目にも止まらぬ強力なシュートを決めるのがポイントゲッ ターの仕事だと思っている。解説者は大迫の「ポストプレーが良い」とか 「壁になってキープして攻撃の起点になってくれるのが素晴らしい」とか 言うが、それでは点取り屋の仕事をしているとは言い切れないのではと言 う疑問が残るのだ。

確かにドイツに行ってからは当たられ強くなって前線で良く持ち堪えてく れるようになったが、それにしても得点の数が少ないというよりも「何と しても俺が取ってやる」という気迫は見えないのが残念だ。具体的に言え ば、9日の2点目などは、言うなれば岡崎慎司的なポジション取りが良 かったことが為せる業で、私が期待したい豪快さとは縁遠いのだ。もっと 言えば、「最前線で浮いているから、チャンスが来たら全部俺に回せ。必 ず決めてみせるから」というような気迫が滲み出ていないということだ し、何時かはそうなって欲しいという期待だ。

何れにせよ、中島一人の欠場であれほど多くの欠陥が浮かび上がってきた のには驚かされた。中島は私の好みの型の選手の一人だが、不安な点は体 が小さいことだ。自分自身がそうだったからも言えるのだが、その点を克 服するのは「より優れた技術と技巧と人並み外れたスピードがある技を身 につけることだろう。当たりの強弱は練習を積めばある程度は磨けるが、 90kgもあるような奴が全力で走ってきたのに勝つことは不可能だ。故に、 如何にして負傷せずにそれに勝る技術と技巧を身につけることが必須とな るのだ。とは言ったが、矢張り小柄では辛いのだ。


 ◎FIFAランキングの50位対127位の試合:前田正晶

9日に行われたサッカーのアジア選手権の予選リーグの我が国対トルクメ ニスタンの試合のことである。言わねばなるまいが、勝ったのは我が代表 だった。私は元々このランキングは当てにならないと思っているが、昨日 の試合などはその典型的な例になると思っている。中継したNHKのBS(ど うしてNHKはサッカーをこのように扱うのだろうか)のアナウンサーだっ たか解説の福西だったかが「このトルクメニスタンのランキングの低いの は、FIFAが審査に対象にする試合数が1〜2と少なかったことにあるよう だ」と言っていたのが非常に印象的だった。

トルクメニスタンは旧ソ連の国で人口が500万人にも満たないのだが、そ のサッカー代表の水準は私の目にはとても127位とは見えなかった。それ どころか見事というか何というか、強烈なロングシューで先制したのが 127位の方だったのだ。私はその守りでの寄せの速さ、当たりの強さ、そ の昔我々が「ドッグレース」と呼んだ1対1で深い縦パスを追う時の速さな どを見れば「何れが50位か?」と思わせられたほど力強いサッカーをやっ ていた。

勿論、あの地区独特の小汚さも持ち合わせていたので、少し当たられたく らいで地ベタに寝そべって動かなくなったり、大袈裟に痛がってのたうち 回るような芸もやって見せてくれた。それに審判団が全員イラン人だった ので「中東の笛」が何時出てくるかという心配もさせてくれた。ご存じで ない方の為に解説しておけば「依怙贔屓をした判定(何れに?)をする」 という意味である。

事実、GKの権田がPKを取られた反則も、私にはあのトルクメニスタンの選 手が如何にも脚をさらわれたように演技をして見せたようにしか見えな かった。だが、中継ではその場面を何度も繰り返して見せなかったので、 シミレーションだったと言い切るだけの確証はないが。

50位の我が代表の試合振りを振り返ってみよう。余り事前の情報なしに見 たので先ず不思議に思えたのがセンターバックに私が全く評価していない 槙野を使っていたことだった。何故富安ではないのかと思えば、彼は不慣 れだったというボランチに出ていた。「エッつ、では中島は」と思えばそ こには原口がいた。そう言えば、GKが権田だったのも不思議だった。途中 で解ったが、中島は負傷欠場だった。

矢張りダメな奴を出すとダメなのは恐ろしいばかりで、50位のテイームの 守りは不出来で127位に振り回され気味だったし、あのロングシュートな どは相手のエースにあの場面であれだけ好きなようにキープされた挙げ句 の果てに狙い澄ましたシュートを許してしまった。攻める方も似たような もので、相手の11人全員がペナルティーエリアの中に閉じこもっているよ うにひいているのでは、幾ら懸命になってシュートをしても所詮は壁に向 かって蹴っているのと同じで、何処かで誰かに当たって跳ね返ってくる結 果になるのだ。

代表にまでなったのだからそれくらいは解っていても良さそうなものだ が、前半は全く何の工夫もなかったし、ここぞというチャンスがあっても 見事に外してしまう不甲斐なさだった。試合後に富安君は反省していた が、彼の責任と言うよりも他にも負傷者の遠藤航がいたことも忘れてはな らないと思う。それに、私は柴崎については未だ過大評価だとしか思えな いのだ。その柴崎と富安が2人並んでいたのでは攻め方に工夫が足りな かったのも仕方があるまいと思った。

結果的には未だに長友の上がりに依存し、未だどことなく中途半端な攻め 上がり方をする酒井宏樹が目立っているのだと思う。原口にも一頃の神通 力が薄れたし、南野も独立した点取り屋と言うよりも、周りが上手く使っ てくれないことには精彩を欠くという段階にあるようにしか見えない。堂 安も「以下同文」のように思える段階に止まっているように見えた。換言 すれば、森保監督就任以来一度も負けていないとマスコミは盛り上げる が、意外に層が薄いのかも知れない。

それよりも何よりも私には未だに評価を確定できない「半端ではない」存 在の大迫は微妙な選手だとしか思えないのだ。私は大迫には古い言葉で言 う「ポイントゲッター」が当て嵌まらないとしか思えないし、マスコミの 解説者も過大評価をしているとしか見えないのだ。「何を言うか。昨日 だった2点も取っていたじゃないか」と反論されそうだが。では伺うが 「彼に往年の釜本の強力さを見出しますか」なのだ。

私はFWの真ん中に位置する以上、迫り来るデイフェンス陣をバッタバッタ となぎ倒して目にも止まらぬ強力なシュートを決めるのがポイントゲッ ターの仕事だと思っている。解説者は大迫の「ポストプレーが良い」とか 「壁になってキープして攻撃の起点になってくれるのが素晴らしい」とか 言うが、それでは点取り屋の仕事をしているとは言い切れないのではと言 う疑問が残るのだ。

確かにドイツに行ってからは当たられ強くなって前線で良く持ち堪えてく れるようになったが、それにしても得点の数が少ないというよりも「何と しても俺が取ってやる」という気迫は見えないのが残念だ。具体的に言え ば、9日の2点目などは、言うなれば岡崎慎司的なポジション取りが良 かったことが為せる業で、私が期待したい豪快さとは縁遠いのだ。もっと 言えば、「最前線で浮いているから、チャンスが来たら全部俺に回せ。必 ず決めてみせるから」というような気迫が滲み出ていないということだ し、何時かはそうなって欲しいという期待だ。

何れにせよ、中島一人の欠場であれほど多くの欠陥が浮かび上がってきた のには驚かされた。中島は私の好みの型の選手の一人だが、不安な点は体 が小さいことだ。自分自身がそうだったからも言えるのだが、その点を克 服するのは「より優れた技術と技巧と人並み外れたスピードがある技を身 につけることだろう。当たりの強弱は練習を積めばある程度は磨けるが、 90kgもあるような奴が全力で走ってきたのに勝つことは不可能だ。故に、 如何にして負傷せずにそれに勝る技術と技巧を身につけることが必須とな るのだ。とは言ったが、矢張り小柄では辛いのだ。

 ◎上智大学合格の合格者の100%が:前田正晶

今週の週刊新潮の「早稲田大学VS慶応大学」という記事の中に恐るべき記 述があった。そもそも今や有り難いことに「4大私立大学」の一角と評価 されて大いに有り難いと思っている我が母校上智大学については「もしか してその人気にはやや過大評価があるのではないか」と一人静かに密かに 危惧している感がなきにそも非ずだった。そこを、100対0という数字を見 せつけて立証するとは夢にも思っていなかったのだ。落胆だった。

れは137ページの表を見れば、早稲田大学の文学部と上智大学の文学部の 併願者では100%が早稲田大学に入学し、同じ併願者で上智大学の外国語 学部(最も人気が高い聞く)でも100%が早稲田大学を選んでいるとなっ ていたのだった。この表を見て何と言って良いのか全く何も思い浮かばな かった。25年前まで現職だった頃には、多くの製造業、総合商社、所謂外 資系等々の企業で多くの上智大学出身者に出会ってきた。

その間に我が母校の評価が上昇し、もし今自分が受けても合格できなかっ ただろうという超有名校になっていたことを心の底から喜んでいた。そこ に関係がないような早稲田と慶応の両大学を対比しした記事の中で、かく も冷厳なる数字を見せつけられたのだった。ここまで書いても、未だ何と 言って反応すべきかが解らないのが悲しい。

 ◎FIFAランキングの50位対127位の試合:前田正晶

9日に行われたサッカーのアジア選手権の予選リーグの我が国対トルクメ ニスタンの試合のことである。言わねばなるまいが、勝ったのは我が代表 だった。私は元々このランキングは当てにならないと思っているが、9日 の試合などはその典型的な例になると思っている。中継したNHKのBS(ど うしてNHKはサッカーをこのように扱うのだろうか)のアナウンサーだっ たか解説の福西だったかが「このトルクメニスタンのランキングの低いの は、FIFAが審査に対象にする試合数が1〜2と少なかったことにあるよう だ」と言っていたのが非常に印象的だった。

トルクメニスタンは旧ソ連の国で人口が500万人にも満たないのだが、そ のサッカー代表の水準は私の目にはとても127位とは見えなかった。それ どころか見事というか何というか、強烈なロングシューで先制したのが 127位の方だったのだ。私はその守りでの寄せの速さ、当たりの強さ、そ の昔我々が「ドッグレース」と呼んだ1対1で深い縦パスを追う時の速さな どを見れば「何れが50位か?」と思わせられたほど力強いサッカーをやっ ていた。

勿論、あの地区独特の小汚さも持ち合わせていたので、少し当たられたく らいで地ベタに寝そべって動かなくなったり、大袈裟に痛がってのたうち 回るような芸もやって見せてくれた。それに審判団が全員イラン人だった ので「中東の笛」が何時出てくるかという心配もさせてくれた。

ご存知でない方の為に解説しておけば「依怙贔屓をした判定(何れに?) をする」という意味である。事実、GKの権田がPKを取られた反則も、私に はあのトルクメニスタンの選手が如何にも脚をさらわれたように演技をし て見せたようにしか見えなかった。だが、中継ではその場面を何度も繰り 返して見せなかったので、シミレーションだったと言い切るだけの確証は ないが。

50位の我が代表の試合振りを振り返ってみよう。余り事前の情報なしに見 たので先ず不思議に思えたのがセンターバックに私が全く評価していない 槙野を使っていたことだった。何故富安ではないのかと思えば、彼は不慣 れだったというボランチに出ていた。「エッつ、では中島は」と思えばそ こには原口がいた。そう言えば、GKが権田だったのも不思議だった。途中 で解ったが、中島は負傷欠場だった。

矢張りダメな奴を出すとダメなのは恐ろしいばかりで、50位のテイームの 守りは不出来で127位に振り回され気味だったし、あのロングシュートな どは相手のエースにあの場面であれだけ好きなようにキープされた挙げ句 の果てに狙い澄ましたシュートを許してしまった。攻める方も似たような もので、相手の11人全員がペナルティーエリアの中に閉じこもっているよ うにひいているのでは、幾ら懸命になってシュートをしても所詮は壁に向 かって蹴っているのと同じで、何処かで誰かに当たって跳ね返ってくる結 果になるのだ。

代表にまでなったのだからそれくらいは解っていても良さそうなものだ が、前半は全く何の工夫もなかったし、ここぞというチャンスがあっても 見事に外してしまう不甲斐なさだった。試合後に富安君は反省していた が、彼の責任と言うよりも他にも負傷者の遠藤航がいたことも忘れてはな らないと思う。それに、私は柴崎については未だ過大評価だとしか思えな いのだ。その柴崎と富安が2人並んでいたのでは攻め方に工夫が足りな かったのも仕方があるまいと思った。

結果的には未だに長友の上がりに依存し、未だどことなく中途半端な攻め 上がり方をする酒井宏樹が目立っているのだと思う。原口にも一頃の神通 力が薄れたし、南野も独立した点取り屋と言うよりも、周りが上手く使っ てくれないことには精彩を欠くという段階にあるようにしか見えない。堂 安も「以下同文」のように思える段階に止まっているように見えた。換言 すれば、森保監督就任以来一度も負けていないとマスコミは盛り上げる が、意外に層が薄いのかも知れない。

それよりも何よりも私には未だに評価を確定できない「半端ではない」存 在の大迫は微妙な選手だとしか思えないのだ。私は大迫には古い言葉で言 う「ポイントゲッター」が当て嵌まらないとしか思えないし、マスコミの 解説者も過大評価をしているとしか見えないのだ。「何を言うか。昨日 だった2点も取っていたじゃないか」と反論されそうだが。では伺うが 「彼に往年の釜本の強力さを見出しますか」なのだ。

私はFWの真ん中に位置する以上、迫り来るデイフェンス陣をバッタバッタ となぎ倒して目にも止まらぬ強力なシュートを決めるのがポイントゲッ ターの仕事だと思っている。解説者は大迫の「ポストプレーが良い」とか 「壁になってキープして攻撃の起点になってくれるのが素晴らしい」とか 言うが、それでは点取り屋の仕事をしているとは言い切れないのではと言 う疑問が残るのだ。

確かにドイツに行ってからは当たられ強くなって前線で良く持ち堪えてく れるようになったが、それにしても得点の数が少ないというよりも「何と しても俺が取ってやる」という気迫は見えないのが残念だ。具体的に言え ば、9日の2点目などは、言うなれば岡崎慎司的なポジション取りが良 かったこ為せる業で、私が期待したい豪快さとは縁遠いのだ。もっと言え ば、「最前線で浮いているから、チャンスが来たら全部俺に回せ。必ず決 めてみせるから」というような気迫が滲み出ていないということだし、何 時かはそうなって欲しいという期待だ。

何れにせよ、中島一人の欠場であれほど多くの欠陥が浮かび上がってきた のには驚かされた。中島は私の好みの型の選手の一人だが、不安な点は体 が小さいことだ。自分自身がそうだったからも言えるのだが、その点を克 服するのは「より優れた技術と技巧と人並み外れたスピードがある技を身 につけることだろう。当たりの強弱は練習を積めばある程度は磨けるが、 90kgもあるような奴が全力で走ってきたのに勝つことは不可能だ。故に、 如何にして負傷せずにそれに勝る技術と技巧を身につけることが必須とな るのだ。とは言ったが、矢張り小柄では辛いのだ。

 ◎FIFAランキングの50位対127位の試合:前田正晶

9日に行われたサッカーのアジア選手権の予選リーグの我が国対トルクメ ニスタンの試合のことである。言わねばなるまいが、勝ったのは我が代表 だった。私は元々このランキングは当てにならないと思っているが、9日 の試合などはその典型的な例になると思っている。中継したNHKのBS(ど うしてNHKはサッカーをこのように扱うのだろうか)のアナウンサーだっ たか解説の福西だったかが「このトルクメニスタンのランキングの低いの は、FIFAが審査に対象にする試合数が1〜2と少なかったことにあるよう だ」と言っていたのが非常に印象的だった。

トルクメニスタンは旧ソ連の国で人口が500万人にも満たないのだが、そ のサッカー代表の水準は私の目にはとても127位とは見えなかった。それ どころか見事というか何というか、強烈なロングシューで先制したのが 127位の方だったのだ。私はその守りでの寄せの速さ、当たりの強さ、そ の昔我々が「ドッグレース」と呼んだ1対1で深い縦パスを追う時の速さな どを見れば「何れが50位か?」と思わせられたほど力強いサッカーをやっ ていた。

勿論、あの地区独特の小汚さも持ち合わせていたので、少し当たられたく らいで地ベタに寝そべって動かなくなったり、大袈裟に痛がってのたうち 回るような芸もやって見せてくれた。それに審判団が全員イラン人だった ので「中東の笛」が何時出てくるかという心配もさせてくれた。

ご存知でない方の為に解説しておけば「依怙贔屓をした判定(何れに?) をする」という意味である。事実、GKの権田がPKを取られた反則も、私に はあのトルクメニスタンの選手が如何にも脚をさらわれたように演技をし て見せたようにしか見えなかった。だが、中継ではその場面を何度も繰り 返して見せなかったので、シミレーションだったと言い切るだけの確証は ないが。

50位の我が代表の試合振りを振り返ってみよう。余り事前の情報なしに見 たので先ず不思議に思えたのがセンターバックに私が全く評価していない 槙野を使っていたことだった。何故富安ではないのかと思えば、彼は不慣 れだったというボランチに出ていた。「エッつ、では中島は」と思えばそ こには原口がいた。そう言えば、GKが権田だったのも不思議だった。途中 で解ったが、中島は負傷欠場だった。

矢張りダメな奴を出すとダメなのは恐ろしいばかりで、50位のテイームの 守りは不出来で127位に振り回され気味だったし、あのロングシュートな どは相手のエースにあの場面であれだけ好きなようにキープされた挙げ句 の果てに狙い澄ましたシュートを許してしまった。攻める方も似たような もので、相手の11人全員がペナルティーエリアの中に閉じこもっているよ うにひいているのでは、幾ら懸命になってシュートをしても所詮は壁に向 かって蹴っているのと同じで、何処かで誰かに当たって跳ね返ってくる結 果になるのだ。

代表にまでなったのだからそれくらいは解っていても良さそうなものだ が、前半は全く何の工夫もなかったし、ここぞというチャンスがあっても 見事に外してしまう不甲斐なさだった。試合後に富安君は反省していた が、彼の責任と言うよりも他にも負傷者の遠藤航がいたことも忘れてはな らないと思う。それに、私は柴崎については未だ過大評価だとしか思えな いのだ。その柴崎と富安が2人並んでいたのでは攻め方に工夫が足りな かったのも仕方があるまいと思った。

結果的には未だに長友の上がりに依存し、未だどことなく中途半端な攻め 上がり方をする酒井宏樹が目立っているのだと思う。原口にも一頃の神通 力が薄れたし、南野も独立した点取り屋と言うよりも、周りが上手く使っ てくれないことには精彩を欠くという段階にあるようにしか見えない。堂 安も「以下同文」のように思える段階に止まっているように見えた。換言 すれば、森保監督就任以来一度も負けていないとマスコミは盛り上げる が、意外に層が薄いのかも知れない。

それよりも何よりも私には未だに評価を確定できない「半端ではない」存 在の大迫は微妙な選手だとしか思えないのだ。私は大迫には古い言葉で言 う「ポイントゲッター」が当て嵌まらないとしか思えないし、マスコミの 解説者も過大評価をしているとしか見えないのだ。「何を言うか。昨日 だった2点も取っていたじゃないか」と反論されそうだが。では伺うが 「彼に往年の釜本の強力さを見出しますか」なのだ。

私はFWの真ん中に位置する以上、迫り来るデイフェンス陣をバッタバッタ となぎ倒して目にも止まらぬ強力なシュートを決めるのがポイントゲッ ターの仕事だと思っている。解説者は大迫の「ポストプレーが良い」とか 「壁になってキープして攻撃の起点になってくれるのが素晴らしい」とか 言うが、それでは点取り屋の仕事をしているとは言い切れないのではと言 う疑問が残るのだ。

確かにドイツに行ってからは当たられ強くなって前線で良く持ち堪えてく れるようになったが、それにしても得点の数が少ないというよりも「何と しても俺が取ってやる」という気迫は見えないのが残念だ。具体的に言え ば、昨日の2点目などは、言うなれば岡崎慎司的なポジション取りが良 かったことが為せる業で、私が期待したい豪快さとは縁遠いのだ。もっと 言えば、「最前線で浮いているから、チャンスが来たら全部俺に回せ。必 ず決めてみせるから」というような気迫が滲み出ていないということだ し、何時かはそうなって欲しいという期待だ。

何れにせよ、中島一人の欠場であれほど多くの欠陥が浮かび上がってきた のには驚かされた。中島は私の好みの型の選手の一人だが、不安な点は体 が小さいことだ。自分自身がそうだったからも言えるのだが、その点を克 服するのは「より優れた技術と技巧と人並み外れたスピードがある技を身 につけることだろう。当たりの強弱は練習を積めばある程度は磨けるが、 90 kgもあるような奴が全力で走ってきたのに勝つことは不可能だ。故 に、如何にして負傷せずにそれに勝る技術と技巧を身につけることが必須 となるのだ。とは言ったが、矢張り小柄では辛いのだ。




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身 辺 雑 記
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12日の東京湾岸は曇天。

東京湾岸は11日も快晴。吹雪で川に飛ばされそうになった秋田での少年時 代を東京に生まれ育った家人にいくら話しても理解できないようだ。

週に2回在宅リハビリを受けている。未婚の若い女性による。あの世が近 い身の贅沢だ。13日に83になる。向島の洋食屋「あきら」で一杯やる予定 だ。希望者にはおごる。どうぞ。

散歩する都立猿江公園が恩賜と言われる理由は公園の南側にある池が昭和 天皇の婚約記念に贈られたものだったからだそうだ。知る人は少ない。                      読 者:5587人
           
            
                     



       




       
       

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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
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