政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針4913 号  2019・1・3(木)

2019/01/03

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わたなべ  り やうじらうのメイ ル・マガジン「頂門の一針」4913号
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        2019(平成31)年  1月3日(木)



        こんなリスク、日本企業にマネが:宮崎正弘

           毛馬を出奔した蕪村の理由:石岡荘十

          南北協力の道をバラ色に描く:櫻井よしこ 
                          
                     
                      話 の 福 袋
                       反     響
                      身 辺 雑 記

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こんなリスク、日本企業にマネが
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)12月30日(日曜日)弐
          通巻第5934号  
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 こんなリスク、日本企業にマネが出来るだろうか
  米軍シリア撤退のあと、中国は150社、20億ドル投資で再建プロジェクト
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すでに中国では「シリア再建プロジェクト・フェア」が開催されている。 驚き桃の木山椒の木。

習近平の目玉「シルクロード」の一環である。

フェアにはじつに200社の中国企業が参加し、その投下を予定しているプ ロジェクト費用は20億ドル。道路改修工事、ハイウェイ工事、もちろん抜 け目なく光ファイバー網設置等々。

米軍はシリア撤退を表明しており、その空白は地域の不安定化をもたらす ことになるが、さて、こうしたリスクもなんのその、中国は空白市場へ 真っ先に乗り込んでビジネスを展開する構えにある。

中東石油に依存する中国と、中東への興味を希釈させて、「インド太平 洋」へ目を向けた米国の姿勢の違いは明瞭である。

米軍の撤退日程は未定とはいえ、安全保障面からの対応を急いでいるトル コ、イスラエルの動きを横目に、シルクロードの一環として、中国はシリ アへの再進出を虎視眈々とねらうわけだ。

内戦勃発前の中国とシリアの貿易は往復で24億ドルだった。

内戦中、中国はシリアと距離を置いたものの、ロシアのアサド梃子入れに 間接的に協力しつつ、裏でのISに武器供与を続けていた。

同時にISに加わったウィグル族の若者達の動向に神経を配らせ、ISと は裏の連絡網があったと言われる。

リビアでカダフィ政権が転覆したとき、中国は3万6000人の労働者、エン ジニアを引き揚げたが、なぜそれほどの人数が紛争地域にいたかといえ ば、リビアで100ものプロジェクトを請け負っていたからだった。
 このような冒険的リスクを取ることに躊躇しない中国。日本企業にマネ が出来るだろうか?
        
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1835回】            
 ――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋 (8)
諸橋徹次『遊支雜筆』(目?書店 昭和13年)

                 △

もう少し、新文化運動に対する諸橋の考えを追ってみたい。

諸橋は、これまでみてきた「新文化運動を社會的に實現する方法」とは別 に、「實はもう一つの運動がある」と指摘する。それを「消極的の運動」 とし、「新文化運動の精神に反對するものを破壞すると云ふ運動であ」る。

 「其の一は、過去の?――孔子の?に對する所の反對で」、「其の二は、 支那の擬制、就中家族を主とした擬制の破壞であ」る。

 先ず「其の一」だが、「支那の?」は断固として「孔子の?」であると いう考えに反対するもので、その中心は後に共産党創立者の1人で初代総 書記の陳独秀など。孔子批判は陳独秀が初めていうわけではなく、代表例 としては明代の李卓吾――吉田松陰を大いに刺激した『焚書』を著す――が挙 げられるが、彼らは歴史的・文化的には異端者として扱われている。如何 に極端な振る舞いであれ、それは個人の範囲に止まっていた。だが諸橋が 「彼地で遭遇した事は、少なくとも個人的ではない」。団体、それも「或 る一部分の大きな團體の勢力」による動きだった。

たとえば1920年の「10月にありました陝西省の孔?問題」と「11月浙江省 の全國?育會に起こつた讀經の問題であります」。前者は孔子の誕生日に 陝西女子師範学校の新文化運動論者の教頭が、偶像崇拝は無意味で孔子は 時代に合わないから恒例の孔廟参拝を中止した。また陝西省で多くの学校 で教員が反孔子ストライキを敢行し、これに同調した学生を当局が「炮烙 の刑に處したと云ふ」。

後者は全国教育会議における浙江省による「毎週日曜日に學生に經學の本 を讀ませよう」との提案に対し、同省の学生が会場に押しかけて「(伝統 的な学問である)經學は奴隷?育である、復辟教育である、君臣教育であ る。之を復活するは新文化運動の精神に反する」と気勢を挙げたというのだ。

こういった「從來の?史も何も無視して、只五四以來風氣が一變したと信 ずる新文化の諸君の態度は」程なく「取消」ということになった。新文化 運動に対し諸橋は、「兎に角、如何に新文化と云ふものと過去の??と云 ふものが衝突して居るかと云ふ一面が是で分かるかと思ひます」と。

「新文化の消極運動の他の一つは、新文化運動の中核」であり、それは 「過去の擬制、家族を中心として居る擬制に對する猛烈な反對」である。
「支那は御承知の通りに世界一の家族國」であり、美点もあれば「又幾多 の缺點も確かにあ」る。「家族問題の中心と申せば必然的に婦人の問題が 關係」し、婦人解放・男女同権に突き当たり、勢い現実離れした議論・運 動が展開されてしまう。その中には「不眞面目な部分もありますが」、 「家族を中心とした擬制に對する反對、即ち家族の問題」に対しては「兎 に角眞劍」ではある。

かくして諸橋は新文化運動を、「新文化運動の中核の問題は個人の解放、 人權の擁護、人格の尊重――一言で申せば個人の解放を絶叫するのであ り」、そのことが「英米の文化が新文化運動に歡迎せられる最大の原因で あります」と総括する。

遠い昔を振り返るまでもなく、辛亥革命から続く社会の混乱を見れば 「??、政治、一として固定する所がない中に、獨り完全に固定して昔か ら今に大した變化のないのは家族を中心とした擬制、隨つて其の擬制によ つて維持さられてゐる家族制度の強さ」である。

ところが「新文化運動の鋭鋒は正にこの一番健全である一番固定的である 家族制に向つて突貫して居る」。

その結果は「自分の矛を以て自分の盾を破る」、つまりは「支那社會を崩 壞して了」う危険性を孕んでいる――これが新文化運動に対する諸橋の見解 だった。

      
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者
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(読者の声1)「西郷隆盛の征韓論と日露関係」

19世紀の日本の日韓関係は日露関係の反映と云えるでしょう。西郷はその ために警鐘を鳴らしたのです。

彼は亡くなりましたがその予想は当たり、日本は独立を守ることが出来ま した。

日本は米国使節の来訪で開国したと云いますが実際は17世紀から北方か らロシアの侵略を受けていました。

ロシアのピーター大帝は、東方へ遠征隊を送り、一部はロサンゼルス近辺 にまで達しました。しかし沿海州では清朝の勢力が強かったので、カム チャッカ半島にペトロパブロフスカ市を建設し、そこから千島経由で南下 してきました。そしてゴローニン事件、高田屋嘉兵衛事件などを起こした のです。

樺太は既に間宮林蔵が大陸から切り離された島であることを確認し、日本 国の領土の標柱を立てています。この時間宮林蔵は対岸の清朝の警備司令 官と会い、ロシア人がまだ現れていないことを確認しました。

しかしその後、清朝が衰退するとロシア人が南下し、樺太島に上陸し、日 本人と争いになったのです。その結果が1875年の樺太千島交換条約です。 なお1861年にはロシア軍艦が対馬を占領しましたがこれは大英帝国が軍艦 を出して威嚇し追い払ってくれました。

こうした状況で明治を迎えたのです。ロシアは清朝の弱体を見て満洲に目 を付け、朝鮮半島経由で日本を狙ってきました。南北からの挟撃です。

西郷隆盛の征韓論は、朝鮮がロシアの手に落ちることを恐れたからといい ます。朝鮮半島は大陸から日本に突きつけられた短刀と云われた地政学的 な要衝です。

西郷の心配は的中します。日本はその後清朝が属国朝鮮をロシアに与える ことを恐れて日清戦争を戦い朝鮮を独立隔離しました。それでもロシアが 国王幽閉など朝鮮に手を伸ばしたので戦争を避けるための満韓交換を提案 しました。

これは満洲全土はロシアが支配し、その代わり日本は朝鮮を勢力下に入れ るというものでした。しかしロシアは拒否しました。やはり日本侵略を 狙っていたのです。

しかしロシア政府高官は戦後後悔しています。

そして最後は日露戦争となりました。当時の日本の軍事力はロシアに比べ ると、大人と赤ん坊で問題にならなかった。だから国民は富国強兵を大方 針とし全国民は驚くほど一致団結したのです。その裏に対ロシア恐怖が あったことを忘れてはなりません。

それが明治人の精神だと思います。その独特の気概が中村草田男の「降る 雪や明治は遠くなりにけり」であったのでしょう。

したがって西郷は国際的な視野を持っていたと思います。彼の最後の言葉 は、「もうよか」だったそうですが、当時の日本社会には巨大な情報 ギャップがあったのです。

彼はそれを埋めるための人柱になったのです。戦死した薩摩の勇敢な青年 達と共に惜しまれることでした。

今再び国難を迎えた日本人は明治の先人の対外警戒一致団結を想起して頑 張らなければなりません。(落合道夫)

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(読者の声2)貴著『青空の下で読むニーチェ』(勉誠出版)ですが、評 判が良ろしいようですね。愛読者としても嬉しいことです。

『月刊日本』に宮崎さんへのロングインタビューがありましたが、『正 論』の今月号でも二ページの書評が出ていました。

 読みかけだった貴書の、読み方のヒントになりました。
   (KY生、京都)




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毛馬を出奔した蕪村の理由
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        石岡 荘十

インフルエンザというか、「はやり風邪」の記述を歴史の中にたどると、 今で言う「新型インフルエンザ」はじつは昔から繰り返し起きていたこと がわかる。だからいまさら「新型」というネーミングは「いかがなもの か」と首をかしげる感染症や公衆衛生の専門家が少なくない。

南北朝時代を描いた歴史物語、「増鏡」にこんな記述がある。

「ことしはいかなるにか 、しはぶきやみはやりて、ひとおおくうせたま ふ」「しはぶき」は咳のことだから「咳をする病で多くの人が死んだ」と いうことだ。また、「大鏡」には、1006年前の寛弘8年(1011年)6月、一 条法皇が「しはぶきやみ」のため死亡したと書かれている。

ずっと時代を下って享保18年(1733年)、大阪市中で33万人が流行性感冒 にかかり、2,600人が死亡。

注(蕪村が庄屋を引き継げず、庄屋:問屋・宿屋を売却して、毛馬を出奔 した。家族も身内も、蕪村に家督を継ぐがさせようとしたが、父親が死ん だ以上、絵だけに頼って江戸へ下り、俳人巴人を訪ねて、弟子となった。 インフルエンザが人生を変えたI

この流行は江戸へ蔓延し、人々は藁人形で疫病神を作り、鉦(かね)や太 鼓を打ち鳴らし、はやし立てながら海辺で疫病神を送った、とある。

これらの出来事は、いずれも6月、7月の暑い季節に起きており、疫学的に 証明されたわけではないが、どうも、寒い時期に起きるいわゆる季節性の 風邪とは違うようだ。

さらに、江戸時代には天下の横綱・谷風がはやり風邪にかかり本場所を休 んで、連勝記録が止まってしまった。世間では「谷風もかかったはやりか ぜ」と怖れ、四股名にひっかけて、はやりかぜのことを「たにかぜ」と呼 んだそうだ。

天保6年(1835年)の「医療生始」という書物には「印弗魯英撒(いんふ りゅえんざ)」の言葉が早くも見える。

そして1918年春から翌年にかけて、第1次世界大戦の最中、海の向こうで はアメリカに端を発した史上最悪のインフルエンザ「スペイン風邪」が ヨーロッパに持ち込まれて猛威をふるい、やがて全地球に蔓延する。

感染者は当時の全地球人口の三分の一の6億人、いろいろな説があるが死 者は5000万人に達したといわれる。日本では、大正7年のことだ。当時の 人口5500万人に対し最新の研究では死者は48万人に達していたと推定する 説もある。当時の新聞の見出しはこうだ。

「西班牙風邪遂に交通機関に影響(東京朝日新聞 大正7年10月31 日)」。「電信事務も大故障(読売新聞 大正8年2月6日)」---。

スペイン風邪については↓。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4570052/

これらは明らかに、季節性のインフルエンザとは違った。スペイン風邪の 病原体が「新型インフルエンザ」と同じA型インフルエンザH1N1と分 かったのは、1933年になってからのことである。

つまり、いま問題になっている新型インフルエンザはじつは「新型」でも なんでもなく、「旧型」のリバイバルなのである。その後1997年、アラス カの凍土の中から発見された4遺体から、肺組織の検体が採取され漸くス ペイン風邪の病原体の正体が科学的に裏付けられた。

スペイン風邪だけでなく、6月や7月の湿気の多い梅雨のむし暑い季節に流 行った「しはぶきやみ」もじつはいまの新型インフルエンザのご先祖様の 仕業だったかもしれない。

「新型インフルエンザは時々現れる。1580年以来10〜13回パンデミック (世界規模の蔓延)が発生している」(国立感染症研究所の岡部信彦情報 センター長)のである。

アジア風邪は1956年に中国南西部で発生し、翌年から世界的に流行した。 ウイルスはA型のH2N2亜型である。H、Nの詳しい説明は素人には手 に負えないのでここでは省くが、新型インフルエンザH1N1の親戚筋、 「いとこ」か「はとこ」だ。死者はスペインかぜの1/10以下であったが、 抗生物質の普及以降としては重大級の流行であった。

40年ほど前、前回の「パンデミック」である香港風邪(H3N2)が1968 年に発生。6月に香港で流行を始め、8月に台湾とシンガポールに、9月に は日本に、12月にはアメリカに飛び火する。結局、日本では2,000人、世 界では56,000人が死亡したと言われている。日本では3億円事件のあの年 である。

10年前、1998年にも香港風邪が流行った。このときはH3N2ウイルスだっ たが、アジア風邪(H2N2)のフルチェンジだったといわれる。

一昨年2007年に流行ったAソ連型インフルエンザの先祖は、30年前の1977 年のソ連風邪(H1N1)だ。因みに、ソ連と名前が付いているが、“原産 地”、つまり発祥地は中国だといわれている。1977年5月に中国北西部で流 行をはじめ、同年12月にシベリア、西部ロシア、日本へ、さらに翌年1978 年6月にはアメリカへと飛び火。

ウイルスがスペイン風邪と同型だったということで、研究室に保存されて いたスペイン風邪のウィルスが何かの理由で漏れ出したという憶測もある くらいよく似ている。

これらスペイン、香港、ソ連の風邪は、いずれも近年も流行を繰り返して いるA香港型インフルエンザのご祖先、鳥インフルエンザから変異した新 種のウィルスによるものだといわれている。

「新型インフルエンザ」とは、人間はまだ感染したことがない新種のイン フルエンザのことを言い、新種のウィルスであるため、人間にとっては免 疫が働かないとされているが、じつは中にはリバイバル、ちょっと“化粧 直し”をして姿を現すものもあることがわかる。

いま大騒ぎしている新型インフルエンザは英語では‘Swine Flu’という。

‘New Type Influenza’などとは言わない。「新型」とまったく別のインフ ルエンザのような印象を与えるネーミングをしているのは日本だけのよう だ。いま流行っているのはブタ由来のインフルエンザなのだが、死亡率が 高く本当に怖いのは鳥由来のインフルエンザ(’Avian Flu’ Bird Flu’)で ある。

過去にも何度か鳥インフルエンザの“震源地”となった中国大陸の関連情報 について業界では、今ひとつマユツバだという見方もある。ことによった ら香港風邪のリバイバル型が周辺国を窺っているかもしれない。

軍事的な脅威ばかりが声高に議論されているが、ウイルスに対する警戒を 怠ってはならない。



       
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南北協力の道をバラ色に描く韓国の悲劇
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                    櫻井 よしこ

偏向報道が目に余る日本の韓国化も心配だ 

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1251 
韓国の著名な言論人、趙甲濟氏がこんなことを呟いた。「韓国人の考える 能力、理解力が低下しています。わが国が直面する危機について、どれだ け発信してもわかってもらえない」。

趙氏は昭和20年、日本で生まれたが、家族と共に韓国に引き揚げた。私は 折に触れ、氏と対談をしたり意見交換したりしてきたが、氏が生まれ故郷 の日本に対して、好意とわだかまりを混在させていると感ずることがある。

日本へのわだかまりは、韓国への思いの深さと朝鮮民族としての誇りと背 中合わせなのだと感ずる。その趙氏が、韓国人の考える能力が劣化してい ると、日本人の私に語ったことに、痛ましさを感じずにはいられなかった。
なぜ、彼はそのように言うのか。それは彼らの祖国、大韓民国を消滅に追 いやってしまうかもしれない政策を文在寅大統領が次々に実施しているに も拘わらず、韓国民がそのことに気づかないからだ。
言論人として、趙氏がどれだけ警告を発しようが、韓国民はそんなことに お構いなく、文氏に高い支持を与え続けているからでもある。

文氏の支持率は、氏が南北朝鮮首脳会談を行い、北朝鮮の金正恩朝鮮労働 党委員長との親密な関係を宣伝する度に上がってきた。

まるで北朝鮮のメディアであるかのような韓国のテレビ局や新聞社は金、 文両氏の笑顔と抱擁を大きく報じ、南北協力の道をバラ色に描き、民族統 一の夢を抱かせる。

しかし、二度行われた首脳会談の合意、「板門店宣言」(4月27日)も 「平壌共同宣言」(9月19日)も決してバラ色ではない。むしろ一方的に 北朝鮮に有利で、韓国の悲劇を招く内容だと断じてよいだろう。

4月の板門店宣言をより具体化し、強調したのが9月の平壌共同宣言だが、 その中で最も重要視されているのが、南北間の軍事的敵対関係の解消であ る。そのために彼らは軍事分野に関する合意文書を別に作成し、10月1 日、早くも実施に移したのだ。

なんと、非武装地帯(DMZ)や板門店の共同警備区域(JSA)で地雷 の除去を始めたのだ。20日以内にすべての地雷を取り除き、それから5日 以内に監視所や火力兵器を撤収し、10月末までに完全に非武装化する。さ らに11月からは軍事境界線の上空を飛行禁止区域とし、この一帯での軍事 演習はすべて取りやめるともいう。

朝鮮問題専門家である西岡力氏が警告した。
「韓国側が一方的に武装解除するのに対して、北朝鮮側はミサイルも核も 基本的に保有したままです。北朝鮮は軍事境界線に沿ってすくなくとも長 距離砲340門を配備済みです。

首都ソウルは十分射程の範囲内です。これまで韓国軍は情報監視能力を備 えた哨戒機を飛ばし、北朝鮮側の不穏な動きをキャッチしてきました。必 要なら精密打撃能力を誇るミサイルで攻撃可能な態勢が整っていました。

しかし哨戒機の飛行をやめるわけですから、万が一、北朝鮮が攻撃をかけ てきても分かりませんから、防ぎようもありません。

北朝鮮には哨戒能力はまったくないのですから、一方的に韓国側が譲っ て、ソウルを明け渡すわけです」
こんな状況が眼前に出現しているのに、なぜ韓国の国民はおかしいと思わ ないのかと、趙氏は嘆くわけだ。
氏は韓国人の考える能力を問題視したが、実は韓国メディアの発信する情 報の偏りこそが問題だ。韓国のメディア界は偏向報道の見本のような状況 に陥っている。正恩氏が恰も心優しい優れた指導者であるかのような報道 しかしない。北朝鮮の脅威も伝えないために、韓国人は事実を認識できな いのだ。

私は韓国情勢を心配しながら、日本の現状についても同様の危惧を抱く。 日本のメディアの目に余る偏った報道で日本が韓国化しつつあるのではな いかと、心底心配だ。

          
           
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重 要 情 報
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 ◎NHK「ノモンハン責任なき戦い」について:匿名希望の忠良なる受信 者より

昨年の夏にNHKが「祖父が見た戦場」を放送したのとほぼ同じ時期、ノモ ンハン事変をテーマとするとんでもない反日捏造番組も制作放映していた こともわかりました。

すがすがしい気分で2019年の新春を迎えることができましたが、昨年撮り 溜めて、未視聴だった番組を見ていたところ、怒りがふつふつと沸いてき ましたので、ご報告申し上げます。

番組では、日本がボロ負けしたという戦後のソ連の偽宣伝そのままに、 「38式小銃という時代遅れの武器しかもたない歩兵中心の日本軍を、ソ連 の戦車や航空機が攻撃し、日本軍は壊滅的打撃を受けほぼ全滅、未曾有の 大敗北を喫した」との大嘘をまき散らしていました。

ノモンハン事変の損害は、これまで、日本側の数字では日本軍の損害は戦 死8,741名、負傷8,664名であるのに、ソ連軍発表の数字では日本軍の死者 は6倍以上の52,000-55,000人、ソ連軍死者9,284人とされてきました。こ の数字だけをみたら、ソ連大勝利、日本完敗に見えます。これをいいこと に、これまでは反日サヨク勢力により日本が惨敗したことにされていまし た。番組はこの路線を忠実に踏襲する内容です。

ところが、ソ連崩壊で秘密資料が公開された結果、ソ連軍の戦死9,703 名、負傷15,952名と日本軍より大きく、日本が勝利したという事実がすで に判明しています。

番組でも「ソ連死傷者2万5000人 日本は2万」とサラリと視聴者に気付か れないように言っていましたが、ソ連崩壊で公開されたこの資料を数字の 根拠にしているようです。この数字は日本が大敗北を喫したような数字で はないことを番組でも示していることになります。にもかかわらず、番組 中に「日本陸軍の未曾有の大敗北」と何度も何度もでっち上げて、視聴者 に大敗北だったかのような印象を植え付けているのです。

「大輸送を行い周到に大量の兵器や食糧を掩体壕に集積していた」という ソ連軍は兵力、戦車数、航空力、火器力など、数字の上では日本軍の4倍 と圧倒していたのに、日本側を上回る損害を受けたと、ロシアの「戦史公 文書第5巻」という歴史雑誌にもでているとのことです。

「ソ連の戦車や航空機」に関する番組の内容はほぼすべてが、嘘・捏造で した。

ノモンハン事変の時にはソ連製戦車はありましたが、とても機械化部隊な どと呼べるようなものではありませんでした。攻め込んだソ連戦車は、日 本軍の反撃で、またたく間に、約800台が破壊されています。この4ヶ 月にわたる戦いで、日本側の戦車の損害は、わずか29台にすぎません。

ノモンハン事変に投入された日本軍の戦車の中で最も防御力に優れていた のは前面部に25?厚防弾鋼板をもつ97式中戦車でしたが、ソ連軍のBT戦車 やT-26は主要装甲厚が13-22?しかありませんでした。日本軍の旧式の89 式戦車ですら、主要装甲厚が17?あったので、ソ連の主力戦車の防御力は 日本の旧式戦車より劣っていたことになります。

さらに、ソ連の戦車隊は技量が低く、停止してからでないと射撃が出来ま せんでしたが、日本陸軍は走行射撃の技術を持ち、停止しているソ連戦車 を容易に撃破できました。またソ連戦車は火炎瓶を投げるとすぐに燃え上 がりました。番組でもソ連軍の戦車がバラバラになった残骸の映像を見せ ていたように、2百両近いソ連戦車がたちまち撃破されました。また、余 談ではありますが、破壊されたソ連戦車や装甲車の中を検分すると、兵士 の逃亡を防ぐために、足首を鎖で縛りつけられていたり、外からカギを掛 けられた状態であったことがわかっています。また、ノモンハンでもソ連 兵の背後には督戦隊が控えており、敗走してくる味方兵士を射殺したり、 火炎放射器で焼き殺していました。

航空戦においてもソ連の惨敗は同じです。ソ連のイ15、16は布張りの 旧式飛行機で、日本の最新鋭の九七式戦闘機に対して全く太刀打ちできま せんでした。戦後に明らかになった旧ソ連の公開資料をみると、ソ連の航 空機は、1,673機もの損害を出しています。対する日本側の損害は 10分の1の179機にすぎません。

ノモンハン事変当時のソ連軍の将軍ジューコフは、戦後、アメリカの学 者・記者とのミシガン大学での面談にて、彼の生涯で最も苦しい戦いは何 かという問いに対して、独ソ戦という期待に反して、それはノモンハン事 変である、、と答えています。

ノモンハン事変を指揮したシュテルン司令官はジューコフに大被害の責任 を負わされてスターリンにより処刑されていますが、これはソ連が敗北し たというなによりの証拠です。ほんとうにソ連が勝利していたなら、ソ連 邦英雄(ゲローイ)だったはずです。

ノモンハン事件を「敗北」と総括してきた左翼の歴史家は、そのときに作 戦を立案した辻政信少佐と服部卓四郎大佐を「愚将」を罵倒してきました が、番組でもその罵倒路線を忠実に踏襲する内容でした。

昭和15年5月から9月にかけてのノモンハン事変で、23万のソ連軍との戦闘 に突入した日本軍第二十三師団2万人は、「日本陸軍の未曾有の大敗北」 どころか、辻政信少佐が「断じて負けていなかった」と述べていたとお り、日本側の勝利だったというのが歴史上の真実です。

23万のソビエト軍に勝利した2万の日本軍は、ジューコフだけではなく、 スターリンを震え上がらせたのです。あのスターリンが、昭和20年の8月9 日まで我が国に手を出さなかった理由はノモンハン事変での日本軍の活躍 です。つまり、辻政信少佐と服部卓四郎大佐が指揮したノモンハンの第二 十三師団2万の将兵が最後まで日本を守っていたのだともいえます。

NHKという日本の公共放送が、恩知らずにも、日本を守ることになったノ モンハン事変をテーマとするとんでもない反日捏造番組も制作放映すると は、許しがたい行為であると考えます。

まともな日本国民であれば、このよう大嘘をさも真実のように捏造する フェイク番組が受信料により量産されている事態をこれ以上、見過ごすわ けにはいきません。

反日団体に資金提供することに、忠良なる日本国民として良心の呵責を覚 えます。NHKに受信料を支払うのは、暴力団に資金提供するのとなんら変 わりません。受信料という資金源を絶ち、NHKを町から追放しましょう。 このような違法行為を平気で為す組織団体は即刻、解体、関係者は処断さ れて然るべきと考えます。



 ◎私の表現力は:前田正晶

私は戦後間もなくから英語に親しみ、また1972年からはアメリカの会社に 転出して英語の世界に長期間滞在した為に、多分に英語式というかアメリ カ的なものの考え方に影響を受けていると思っております。その点を何卒 宜しくご理解のほどを。アメリカには「他者とは意見がこ違っていて当然 だし、また自分の独特のことを言わねば」とでも言いたいような文化があ り、それについ束縛されてしまったという感があったと言えるのです。

私は日本とアメリカの会社で現職だった時には、我が国がほとんど復興か ら高度成長期でしたので、現在のようにGDPが辛うじて1〜2%に止まって いて致命的にマイナス成長にならないということが理解し難いのです。そ の成長の鈍化の原因については、某大手製紙会社の私と同年の元社長がい みじくも言われた「経営者の劣化だ」が非常に印象的でした。

私がリタイア後に関係した複数の会社で交流した心ある若手の精鋭たちは 「現在の上役たちが何れは経営者(取締役や事業部長等)になっていくだ ろうが、その時は当社の成長も止まってしまう危険な時代となる。何とし ても彼らを今のうちに追い出してしまう方法がないか。我々の将来をあの 連中に委ねる訳にはいかない」と堂々と指摘していたのは非常に印象的で した。即ち、彼らはある世代がダメだと読み切っていたのでした。現在の 伸び悩みの原因がそこだけにあるか否かは知りませんが、当たっている気 はします。

また、その伸び悩みの主たる原因は人口が減少していては、国内消費が伸 びようがないことにあると思っております。それは経済成長を狙って増加 させた訳ではないアメリカの人口が私の在職中から6,000万人も増えたこ とが世界第1位の大国の地位を守れる原因だったと見ております。更に、 中国が2位だということも間もなく14億に迫るという人口が貢献したのだ と信じております。人口1人当たりのGDPは未だに低いではありませんか。

中国では「文明の発展の度合いのバロメーター」と言われている国民1に 辺りの紙の消費量は一昨年でも未だ77 kgに過ぎず、我が国の220 kgやア メリカの240kgの30%にすぎないのですが、これを発展途上の証拠と見る か、華為や中興通訊の存在を見ればICT化(キャッシュレス化)が著しく 進んだことの証明かとも思えるのです。

私は我が国が在りし日の高度成長を取り戻せる日が来るかについては余り 希望的にはなれません。それは人口の減少と高齢者が26%を占めているこ とがあるからです。私自身が高齢者としては内需の促進には貢献できる存 在ではもはないのです。その意味では10億を超えたという人口を抱えたイ ンドが何処まで伸ばしてくるかに少しだけ興味があります。

今年も宜しくご指導ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。



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身 辺 雑 記
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3日の東京湾岸は快晴、爽快。

江東区毛利にある都立猿江恩賜公園。ここが私の散歩場所。家人に乗って もらった車椅子を転び防止用に押しながら延べ2KMほどを歩く。2日は1月 とは言いながら寒くなくて助かった。帰宅後翌日のメルマガを編集し、終 えたらPCで歌を聴く。前田さんの嫌いな演歌も混じっている。9時には勤 めに出る家人を送り出す。家人は運転は上手だが帰って来るまで心配だ。

昼食は散歩の帰りに買って来たサンドイッチと牛乳。大好きだ。生まれ 育った秋田は米の国だが今や米は敬遠気味、ほとんどパンである。

2日の東京湾岸、昼過ぎ、南の空に長い長い飛行機雲。冬だけの現象か。                            
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創刊日:2004-01-18  
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