政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針4885 号  2018・12・6(木)

2018/12/06

                      
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わたなべ りやうじらうのメイ ル・マガジン「頂門の一針」4885号
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       2018(平成30)年  12月6日(木)



               国を想う心を学ぼう:加瀬英明

              心筋梗塞は予知できる:石岡荘十

      中国と対話を続けるダライ・ラマ法王:櫻井よしこ                                        

                      話 の 福 袋
                       反     響
                       身 辺 雑 記


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第4885号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
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国を想う心を学ぼう
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     加瀬 英明

明治を創った英傑に、国を想う心を学ぼう

今年は、明治維新150周年に当たるが、『日本の偉人物語 伊能忠敬 西 郷隆盛 小村寿太郎』(光明思想社)という、幕末から日本を創った3人 を取りあげた、良書が出版された。各家庭に1冊、常備したい本だ。

伊能忠敬(いのうただたか)(1745年〜1818年)は農家の子で、和算(数 学)、天文学、測量を学び、55歳から17年かけて全国の沿岸を測量して、 精密な日本全図をのこした。

今年は、忠敬の没200年に当たる。私は忠敬の次女しのが、千葉の銚子の 隣の旭村(現旭日市)の農民・加瀬佐兵衛に嫁いだことから、忠敬の孫の 孫の子である玄孫(やしゃご)に当たる。

この春に、忠敬の没200年を記念して、都内のホールにおいて、忠敬の測 量に協力した人々の子孫が七十数人上京して、私たち忠敬の子孫から、感 謝状を贈る式典が催された。

忠敬は日本の近海を脅かすようになっていた、西洋諸国から日本を守るた めに、精密な沿岸図をつくるのに、余世を捧げた。私の父方の祖父は、私 の生前に他界した。祖母のか津は、忠敬が養子となって酒造りをしていた 佐原の庄屋の近くの、醤油造り家の娘だったが、私に忠敬の国を想う心を 伝えた。

忠敬の直弟子であった間宮林蔵(まみやりんぞう)も、烈々たる愛国者だっ た。忠敬の没後に、北方の千島列島と樺太の測量を行ない、幕末の安政 2(1855)年に結ばれた露和新条約によって、国後(くなしり)、択捉(え とろふ)、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の北方四島を、日本領として 認めさせた。

今日でも、樺太とシベリアの間の海峡が、間宮海峡と呼ばれるが、林蔵の 業蹟である。日ロ間で明治5(1875)年に、千島樺太交換条約が結ば れ、千島列島がすべて日本領となったが、林蔵の力によるものである。

西郷隆盛は、私の母方の郷里の鹿児島が生んだ、明治維新の英雄だ。西郷 の大活躍はよく知られているが、西郷の右腕として尽力したのが、山岡鉄 舟だった。鉄舟なしには、西郷と勝海舟による江戸無血開城はなかった。

鉄舟は旗本の五男で、剣道の達人だったが、生涯、無私無欲で、日本の行 く末だけをひたすら想った。西郷に鉄舟を評して、「命もいらぬ、名もい らぬ、金もいらぬといったような、始末に困まる人です」といわせてい る。西郷だからこそ、鉄舟を見込むことができたのだった。

小村寿太郎(こむらじゅたろう)(1855年〜1911年)は、今日の宮崎県に あった、飫肥藩(おびはん)の藩士の子として生まれた、明治を代表する外 交官である。

 寿太郎は小柄だったが、日本男子の気魄(きはく)にみちていた。寿太郎 が育った、日南市にある『小村寿太郎記念館』に、寿太郎が日露戦争の講 和条約であるポーツマス条約を調印した時に着た、フロックコートが展示 されているが、七五三の少年の衣装のように小さい。

私の自宅の近くに『振徳館』という、飫肥藩の藩校の名をとった、武道 の道場があるが、毎年、新年の道場開きに招かれて、乾杯の発声を行うこ とになっている。居合、警視庁師範による逮捕術、陸上自衛隊員による銃 剣術、空手道の演武などが、繰り広げられる。

日本が明治維新という、世界の奇蹟を行うことができたのは、国民が国 を想う燃えるような心と、武を磨いたからだった。

日本国憲法は前文から、自虐精神によって始まっており、日本が自立す ることを否定している。

幕末から明治にかけた先人たちが、この憲法を読んだら、いったい、ど う思うだろうか。

      
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心筋梗塞は予知できる
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      石岡 荘十

まず、死因について。

私の父親も死因は「心不全」とされていたが、長い間、この死亡診断書に 何の疑問も感じなかった。しかし、よく考えてみれば「心不全」というの は単に「心臓が動かなくなった」という意味であるから、病気の「結果」 そのものであり、死のトリガー、「原因」ではない。

<最初は背中が痛いと言われたと報じられていた。亡くなった後では容易 に心筋梗塞だったとは解らないのではないか。誰でも経験して学習し教訓 に出来る病ではないので、発症した場合の対処は困難だろう>、これこそ が「死因」となった心筋梗塞を疑わせる症状だ。

私も大動脈弁がうまく開閉しなくなり、十数年前、人工の弁に置き換える 手 術を受けているが、そこに至る症状として<背中が痛い>を何年にも わ たって、何度も経験している。

心臓の血流が途絶えると、背中が重苦しくなる。痛いと感じる人もいる。 この苦しさは、血流が滞った程度(狭心症)の場合は、15分程度で回復す る。不整脈のひとつ心房細動の時もそうだ。

私が何度も経験したが、それ以上自覚症状が長く、30分とか続くのは血管 (冠動脈)が完全に詰まっている(心筋梗塞)だと考えた方がいい。ほっ ておけば死に至る。

胸が痛くなるという症状だと、「心臓がおかしいのではないか」と分かり やすいが、心筋梗塞になると左の奥歯がうずいたり痛くなったり、肩が 凝ったりすることもある。歯医者や整形外科に駆け込む人もいるが、これ は心筋梗塞の症状のひとつなのである。

歯医者で鎮痛剤をもらって「一丁上がり」となるが、じつは心筋梗塞の症 状だ。こういうのを「放散痛」という。

不幸にして、こんな知識がなく死んでしまった後、患者を解剖すると死因 が心筋梗塞であったことは明らかになる。

<発症した場合の対処は困難だろう>といっておられるが、心臓疾患の9 割は、対処の仕方を誤らなければ、決して「死に至る病」ではないのである。

本誌常連の前田正晶さんが書いておられる記事が見事にそのポイントを突 いている。
その要点をまとめると、

<失神するほどの、激痛と胸部に圧迫感があった。自分で119番に電話し て症状を説明していた>

<放っておけば治るとかとは思ったが、何故かこれは「一過性の痛みでは ない」と判断した>

<救急患者を受付けてくれる大病院が多いこと、救急車が搬送してくれた 先が国立国際医療センターだったこと、最も偉い先生が日曜日の当直だった>

<心筋梗塞に対応する準備が整っていたのだった。処置も素早かった>

<その判断が正しかったと後で解るのだが、私の場合は幸運の連続だった>

つまり、前田さまのケースは<幸運が重なった>結果であり、誰でもがこ ううまくいくわけではない。

年間の死者5千人を切る交通事故死にあの大騒ぎで安全運動を展開してい る。なのに、心臓疾患で年間15万人以上が死ぬ。なぜか。前田さんのよう な幸運の女神の恩寵に浴する人はそんなに多くない、それだけ啓蒙が行き わたっていないということだ。

<時間との争いであるなどとは知る由もないだろう。知識は皆無だった> とおっしゃるが、そんな人に幸運が訪れることは滅多にない。

この歳になったら、天下国家の危機を憂うる高邁な論議をする前に、わが 身の危機管理に少しのエネルギーを注ぐべきだというのが私からのアドバ イスだ。心臓病は<誰でも経験して学習し教訓に出来る病>なのである。

  
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中国と対話を続けるダライ・ラマ法王
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            櫻井よしこ

「中国と対話を続けるダライ・ラマ法王 チベット仏教は人類の幸せに貢 献する」

ダライ・ラマ法王にお会いするのは2年振りだった。昨年秋、来日予定 だったが、医師の助言で急遽中止された。今年、法王のお顔は明るく、頬 は健康的なうすいピンク色だった。

今回、ネット配信の「言論テレビ」の番組で取材したのは激動する世界 で、大国中国に弾圧され続けるチベット民族の未来や混乱する価値観の方 向性について、83歳になられた法王に聞いてみたいと考えたからだ。三度 目の番組出演に、法王は快く応じ、中国との関係についての質問には意外 な答えが返ってきた。

ダライ・ラマ法王がインドに亡命して来年で60年になる。近年、中国との 関係は断絶されたと言われてきた。法王がいくら対話を求めても、中国政 府は応じることなく、一方的に「分裂主義者」「反逆者」「犯罪人」など の酷い非難を法王に浴びせてきた。ところが状況は改善に向かっている と、法王は次のように語ったのだ。

「この数年間、(私への)批判は大幅に減りました。私と中国との関係 は、まず、1979年、私が中国政府と直接接触し、その後数年間、こちらの 代表が先方を訪れて話し合う形で対話は続きました。それは中断されたの ですが、私と中国指導部の接触は非公式な形でいまも続いています」

対話は断絶しておらず、非公式だが現在も続いているというのだ。そこで 再度、その点を確認した。

「そうです。ビジネスマンや引退した当局者が、時々私に会いにきます。 私たちは関係を続けているのです」と、法王。

中国共産党一党支配を浸透させようと、あらゆる監視体制をとって国民の 動向を見張っている習近平政権の下では、ビジネスマンであろうが引退し た当局者であろうが、自由意思でダライ・ラマ法王に接触することなどで きない。彼らの訪問が習政権の意を受けているのは明らかだ。

如何なる形であっても対話の継続は重要だ。一方で、政権の意を受けた人 間が法王に面会するのは、法王の健康状態も含めて亡命チベット政府の状 況を監視する活動の一環ではないかと、つい、私は警戒してしまう。

後継者問題についても尋ねた。中国共産党政権が次のダライ・ラマは自分 たちが選ぶと宣言したことを尋ねると、法王は「ノープロブレムだ」と、 次のように語った。

「(ダライ・ラマに次ぐ高位の)パンチェン・ラマには後継者が二人いま す。一人は私が選び、一人は中国政府が選びました。多くの中国当局者 が、中国が選んだのは偽のパンチェン・ラマだと言っています」

法王の生まれ変わりが次のダライ・ラマになる「ダライ・ラマ制度」につ いても重要なことを語った。

「後継者について深刻な心配はしていません。1969年以降、私は後継者問 題はチベット人に任せると表明してきました。最終的にはダライ・ラマと 特別な関係にあるモンゴル人を含む人々を招集して決めればよい。私が90 歳になったらダライ・ラマ制度に関する会議を開けばよいでしょう」

法王はこうも語った。

「将来のことは人々の関心事ですが、私は関与できないことです。大事な のは私に残された日々を、学びと研鑽を積むことで意義深いものにするこ とです。亡命政府の下のチベットでは僧侶も尼僧も学び続けています。昔 の信仰は、率直に言えば訳も分からず信じ込むのに近かった。しかしそれ は時代遅れです。学ぶことで確信が得られます」

日本の仏教徒も般若心経を暗唱するだけでは不十分で、もっと真剣に学ぶ ことが必要だと指摘し、仏教哲学と科学を融合させて学び続けることが、 二一世紀の仏教の重要事で、チベット仏教はその先頭に立って人類の幸せ に貢献するとの決意を、法王は強調した。
『週刊ダイヤモンド』 2018年12月1日号
 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1258

             
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重 要 情 報
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 〇大東亜戦争は勝てない戦争でした。アメリカの首都のワシントンD.C.は大西洋側にあるので、アメリカの首都を占領することは不可能であったからです。

ついでに言えば、1904-05年の日露戦争は日本が勝ったわけではありません。ロシアの首都を占領していないからです。クセジュ文庫のジャン・ドゥロルム『年表世界史』(白水社)には、「1905 ポーツマス講和」とのみ記されてます。(まこと)

 ◎「私は関税の男」トランプ大統領、習主席に最後通告 米市場で恐怖 指数20上回る

 トランプ米大統領が中国の習近平主席に最後通告を突き付けた。「私は タリフマン(関税の男)だ」と述べ、対中追加関税を拡大する強気の姿勢 を改めて示した。交渉期限を中国の全国人民代表大会(全人代)直前にあ たる来年2月末に設定。外交上の失策を許されない習指導部にとって極め て難しい局面となる。

4日のニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は前日比799・ 36ドル安の2万5027・07ドルと暴落した。

トランプ氏は4日、ツイッターで米中貿易協議について「延長しなけれ ば、90日間で終わる」と期限を強調した。

クドロー米国家経済会議(NEC)委員長は同日、中国が報復関税分も 含めて米国車に課している40%の高関税を「撤廃すべきだ」と強調。農 産品やエネルギーでも関税率を引き下げるかどうかで中国の姿勢を見極め るとした。

米国は、中国からの輸入品2000億ドル(約23兆円)分に対する追 加関税の税率引き上げを猶予したが、交渉が決裂すれば、10%から 25%に引き上げる。

米中の交渉期限の来年2月末は、中国が毎年3月上旬から開く全人代の 直前。外交で失敗すれば習主席の体制が揺らぐ懸念もあり、交渉決裂も安 易な譲歩も許されない。

米市場で、投資家心理を示す「恐怖指数(VIX)」は、不安が強まっ ている節目とされる20を上回って推移した。市場関係者も米中貿易戦争 の行方を楽観していない。

【写真】 厳しいトランプ大統領に習国家主席もたじろぎ気味か(右か ら、ロイター)
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/181205/soc1812050020-p1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsPhoto
【ZakZak】 2018.12.5 〔情報収録 − 坂元 誠〕

 ◎鳥取県米子市の伊木隆司市長が、「拉致被害者を救出するのに政府が 軍隊を派遣するなら、自分はそれを支持する」旨の勇気ある発言をされ た。(北村維康)


まことに時宜を得た、頼もしい一言である。我等国民は、「義を見てせざ るは勇無きなり」と、決然と伊木市長の応援に立ち上らうではないか。

https://www.asahi.com/articles/ASLCN5GG7LCNPUUB003.html



 ◎平成にかわる新元号 4月1日以降に公表へ

政府は、来年5月の改元に向けて、「平成」にかわる新しい元号を、4月 1日以降に公表する方針であることが明らかになった。
 政府内ではこれまで、新たな元号への移行に伴う官公庁などのシステム 改修を円滑に行うためには、1か月程度が必要だとして、元号がかわる5 月1日よりも前の新元号の発表が検討されてきた。

一方、自民党内の保守派などは、天皇一代に元号ひとつを定める「一世一 元」を重んじ、「平成」と新元号のふたつが同時に並ばないよう、5月1 日の皇太子さまの即位後に発表すべきと主張していた。

こうしたことを検討した結果、政府は新元号を4月1日以降に公表する方 針であることが明らかになった。国民生活に支障が生じないよう事前に公 表することは堅持する考えで、新元号の公表時期については、臨時国会が 終わった今月中旬以降に判断する方針。
日テレNEWS2412/5(水) 5:31配信


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身 辺 雑 記
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6日の東京湾岸は雨。

5日明け方の夢。ロンドンの地下を歩いていた。

散歩する自宅近くの都立猿江恩賜公園では一斉に銀杏の葉が散って黄色い 絨毯を敷いたようだ。贅沢な散歩だ。家人を乗せた車椅につかまって転倒 防止しながら贅沢な散歩をしてきた。

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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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