政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針4675 号  2018・5・4(金)

2018/05/04

                                  
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わたなべ りやうじらうのメイ ル・マガジン「頂門の一針」4675号
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      2018(平成30)年5月4日(金)



               痰の話で思い出す支那:石岡荘十

         野党とメディアが日本を滅ぼす:櫻井よしこ

                             
                            
                      話 の 福 袋
                       反     響
                       身 辺 雑 記


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第4675号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
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痰の話で思い出す支那
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    石岡 荘十


‘35京都で生まれ、そのすぐ後から敗戦2年後まで中国(当時は支那)に
留め置かれた。幼い頃の記憶はもちろん無いが、物心ついて以降、見聞
きしたかの国の“文化”といまの日本のギャップを、本メルマガの反響
欄が思い起こさせた。 

幼い頃の記憶はこうだ。

その1。

夏の日、父の仕事が休みのある日、「支那人と犬入るべからず」という
立て札が入り口にある公園に家族そろって出かけ、公園の中の、支那人
以外のためのプールで家族で泳ぐ。ある日、帰りに天津市内でも最高級
の中華料理店でそろって子豚の丸焼きを食った。

糞をしたくなって、用を足そうと便所へ行くと便器のはるか暗い、深い
底にうごめく動物がいて、驚いて下を見ると、数匹の豚が新鮮な私の排
泄物をむさぼっていた。今思えばここでは完璧な“食の循環”が実現し
ている。

だが、これで私は完全に食欲を失った。これがトラウマになって、決し
て宗教上の理由ではなく、長い間、私はブタが食えなかった。

その2。

小学校の同級生に、当時の天津領事の息子(小山田あきら?)がいて、
放課後、いつも領事館へ遊びにいっていた。ほとんどは広大な領事公邸
の中で遊んでいたが、ある日、門の外に来る物売りの声に誘われて外に
出た。

天秤にかけた台に切り分けた瓜が載っていた。それが喰いたくて「どれ
がうまい?」と私たちに付き添ってきた領事館の守衛に聞いた。守衛は
「ツエーガ(これだよ)」と指差したのは、ハエが一番多く群がってい
る瓜だった。

“動物学的”に言ってそれはそうだろうと納得したのはずっと後のこと
だが、ハエがたかっているのは汚いという考え方は彼らにはないらしい。

いつだったか大分昔、多分、日中国交回復の頃、「中国にいまや1匹の
ハエもいなくなった」という提灯記事をどこかの新聞で読んだ記憶があ
るが、決して信じなかった。私の幼い頃の確かな記憶が記事のウソを見
破った。

その3。

父が勤めていた会社の管理職住宅は鉄筋コンクリートの一戸建ての“豪
邸”で、玄関を入ったところに、日本流で言うと、女中部屋があった。
女は阿媽(アマ)と私たちが呼んでいた纏足の小柄な女だったが、時々、
旦那が小さな女の子を連れて泊まりに来ていた。

女中部屋は6畳ほどの小さな部屋だったが、遊びに行くと、部屋の隅に
花瓶のような形の壷が置いてあって、そこに時々、「ペッ」と痰を吐く、
というか飛ばす。

それがまた結構遠くから正確に痰壷のど真ん中に命中するのを、何の不
思議もなく見ていたのを思い出した。ホールインワンどころではない。
アルバトロス級である。北京オリンピックで「痰飛投」などという種目
が出来たら間違いなく金だろう。

人前での屁は慎むが、食事中、げっぷは割と平気でやる。屁は平気だけ
ど、げっぷは禁忌という国もあると聞く。生活習慣がそんなに違う民が
十数億人もすぐそこにいる。

痰。さてどうするか。

話題はそれますが、昭和18・9年当時、幼馴染の父、小山田天津領事
とその家族の消息を知りたいと思っています。その頃、いつもアイスキ
ャンディーを作ってくれた、髪の長い、美しいお姉さまがいました。確
か、「たえ」さんでした。(ジャーナリスト)

  
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野党とメディアが日本を滅ぼす
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         櫻井よしこ

米英仏は4月13日午後9時(日本時間14日午前10時)からシリアの化学兵器 関連施設3か所に、105発のミサイル攻撃を加えた。

1年前、トランプ大統領は米国単独でミサイル攻撃を加えた。今回、米国 がどう動くのかは米国が自由世界のリーダーとしての責任を引き受け続け るのか否か、という意味で注目された。それは、異形の価値観を掲げるロ シアや中国に国際社会の主導権を取らせるのか、という問いでもある。

米英仏軍の攻撃は、米国が自由主義世界の司令塔としてとどまることを示 した。決断はどのようになされたのか。

米紙、「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)などの報道によ ると、国防総省はトランプ氏に3つの選択肢を示したという。?シリアの化 学兵器製造能力につながる施設に最小限の攻撃をかける、?化学兵器研究 センターや軍司令部施設まで幅広く標的を広げ、アサド政権の基盤を弱め る、?シリア国内のロシア軍の拠点も攻撃し、アサド政権の軍事的基盤を 破壊する、である。

トランプ氏は?と?の組み合わせを選択した。ミサイル攻撃を一定水準に限 定しつつ、化学兵器製造能力に決定的打撃を与えるが、アサド政権の転覆 は目指さないというものだ。

結論に至るまでの議論をWSJが報じている。トランプ氏は?の選択肢に 傾いており、ニッキー・ヘイリー国連大使も大統領と同様だったという。 反対したのがジェームズ・マティス国防長官で、ロシア軍の拠点まで含め た攻撃はロシアのみならず、イランからも危険な反撃を受ける可能性があ ると説得したそうだ。

攻撃4日前の4月9日に国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任したジョ ン・ボルトン氏は今年2月、WSJに、米軍には北朝鮮に先制攻撃を行う 権利があると述べた強硬派である。マティス国防長官は国防総省でボルト ン氏に初めて会ったとき、「あなたは悪魔の化身だという噂をきいていま す」と、冗談めかして言ったそうだが、それほど、ボルトン氏のイメージ は強硬派の中の強硬派なのである。

米朝会談の展望

しかし、今回、ボルトン氏はアサド政権に潰滅的打撃を与えながらも、過 度な攻撃を避けるという「困難な妥協点を見出した」と評価された。強硬 だが、分別を持った陣容がトランプ氏の周りにいるとの見方があるのである。

それにしてもトランプ氏の考え方は矛盾に満ちている。彼は一日も早く中 東から米軍を引き上げさせたいとする一方で、シリアに大打撃を与えるべ く、強硬な攻撃を主張する。

化学兵器の使用という、人道上許されない国家犯罪には懲罰的攻撃を断行 するが、ロシアとは戦わない。今回の攻撃の目的はあくまでも人道上、国 際条約で禁止されている化学兵器の使用をやめさせることであり、政権転 覆や中東における勢力図の変更を意図するものではないというのが米国の 姿勢だと見てよいが、トランプ氏が同じように考えているのかはよくわか らない。

もっとも、共和党にはリンゼイ・グラハム上院議員の次のような考えも根 強い。

「アサド氏は米軍による攻撃を、仕事をする(doing business)ための必 要なコストだと考えている可能性がある。ロシアとイランは今回の攻撃 を、米国がシリアから撤退するための口実の第一歩と見ている。米英仏の 攻撃がロシア、シリア、イランに戦略を変えさせ、ゲームチェンジを起こ すわけではない」

米国の攻撃は状況を根本から変えるわけではないというグラハム氏の指摘 を日本は重く受けとめなくてはならないだろう。シリア政策は北朝鮮政策 にも通じるからだ。

5月にもトランプ氏と金正恩氏は会うのである。どちらも常識や理性から 懸け離れた性格の持ち主だ。周囲の意見をきくより、即断即決で勝負に出 る可能性もある。狡猾さにおいては、正恩氏の方が優っているかもしれない。

米朝会談の展望を描くのは難しいが、万が一、米国に届く大陸間弾道ミサ イルを北朝鮮が諦めるかわりに、核保有を認めるなどということになった らどうするのか。

日米首脳会談で安倍首相がトランプ氏と何を語り合い、何を確約するか は、日本にとっても拉致被害者にとっても、これ以上ない程に重要だ。本 来、首相以下、閣僚、政治家の全てがこの眼前の外交課題に集中していな ければならない時だ。

しかし、驚いた。米英仏のシリア攻撃直後のNHKの「日曜討論」ではな んとモリカケ問題などを議論していた。メディアも政治家も一体、何を考 えているのか。私はすぐにテレビを消したが、野党とメディアが日本を滅 ぼすと実感した出来事だった。

喜ぶのは某国

4月13日夜、私の主宰するネット配信の「言論テレビ」で小野寺五典防衛 大臣が日報問題について語ったことの一部を紹介しよう。

自衛隊がイラクに派遣されていた10年以上前、日報の保存期間は1年以内 だった。隊員たちも「読み終わったら捨てるものだから、何年も前の日報 は廃棄されて存在しないだろう」と思い込んでいた。

だが、自衛隊は全国に基地や駐屯地が300か所以上あり、隊員だけで25万 人もいる。思いがけずパソコン内に日報を保存していた人がいたり、ある いは書類棚の中に残っていたのが見つかった。その時点で報告し、開示す べきだったが、そこで適切な処理が行われず、これが結果的に問題を招い てしまったというのだ。このような背景をメディアが正確に報じていれ ば、日報問題への見方も異なっていたはずで、無用な混乱もなかったはずだ。

ここ数年、防衛省には年間5000件以上の情報開示請求が集中豪雨のように なされているという。大変なのは件数だけでなく、請求内容だ。「何年何 月の資料」とピンポイントで開示請求するのでなく、「イラク派遣に関す る文書」というような大雑把な請求が少なくない。当然、膨大な量にな る。資料が特定できたとして、中身を調べ、開示して差し支えないか、関 係各省にも問い合わせる必要がある。この作業を経て黒塗り箇所を決め、 提出する。これが年間5000件以上、職員はもうくたびれきっている。

防衛省をこの種の書類探しや精査の作業に追い込んで、本来の国防がおろ そかにならないはずはない。喜ぶのは某国であろう。

ちなみに日本を除く他の多くの国々では、日報は外交文書同様、機密扱い である。日報を一般の行政文書に位置づけて、情報公開の対象にしている のは恐らく日本だけだ。

問題があれば追及し、正すのは当然だ。しかし、いま行われているのは、 メディアと野党による日本潰しだと私は思う。
『週刊新潮』 2018年4月26日号 日本ルネッサンス 第800回



    
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重 要 情 報
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 ◎旧日本海軍・高雄警備府を初公開 台湾海軍が今も当時の建物使用

台湾の国防部(国防省に相当)は2日までに、南部・高雄の海軍左営基地内に残る旧日本海軍・高雄警備府の建物の取材を産経新聞に認めた。建物は現在も台湾の海軍が使用しており、内部の取材は記録に残る限り内外の報道機関を通じて初めてという。

警備府は横須賀など「軍港」に次ぐ「要港」の管理・兵站組織。台湾の海軍司令部が2016年に出版した左営基地の歴史に関する書籍「鎮海靖疆」によると、旧日本海軍は1940年(昭和15年)、南進の拠点として漁港だった左営を海軍基地に拡張する工事を開始。43年(同18年)4月、台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島の馬公から警備府を高雄に移した。高雄警備府の下には海兵団や航空戦隊、病院などが置かれ、将兵約8000人が勤務した。

基地は終戦で国民党政権が接収。警備府の建物は49〜54年に「海軍総司令部」となり、現在は海軍の戦術の考案や訓練の教本を作成する「教育訓練・準則発展指揮部」が使用している。旧軍の建物を現在も国防部で使用しているのは台湾で唯一とみられる。

建物は地上2階(一部3階)地下1階建てで、延べ床面積約6000平方メートル。室内への直射日光を避ける外廊下式で、71部屋の間取りはほぼ当時のまま。玄関には日本本土から運ばれたという飾り用の石材が用いられ、正面ホールに一歩入ると外気より気温が低く感じられた。階段の手すりは木製で、洋風の電灯と合わせて優雅な趣すら感じさせる。

同指揮部の唐華指揮官(中将)は「風の通りが良い上に、高い天井のおかげでストレスを感じにくい。排水など細かな部分が工夫されている」と話す。2階の唐氏の執務室は、高雄警備府司令官が使用していた部屋とみられる。

同指揮部は今年が創設70年に当たり、昨年9月から建物内部や日本の国立公文書館の資料の調査を行ってきた。天井裏から「昭和16年」と印刷された布地が見つかったことから、建物の建築年は41年と推定したという。

建物の周囲には亀のような外観をした防空壕(ごう)が20カ所近く残っている。建物脇から当時の滑走路と埠頭(ふとう)をつなぐ地下道の跡も見つかった。調査結果は映像にまとめ、今年8月をめどに公表する方針だ。

左営では一般人の立ち入り制限がない基地の外側にも日本統治時代の建築物が残る。旧日本軍の官舎群は、後に中国大陸から来た将兵とその家族が暮らす「眷村」となった。中でも「明徳新村」と呼ばれる地区は高級将校の官舎が多く、大戦末期に高雄警備府の主計将校だった中曽根康弘元首相が住んでいたとされる家屋もある。

台湾各地の眷村の多くは台湾の庶民が暮らす外界と隔離され、中国大陸の各地から集まった人々による特殊な「眷村文化」が醸成された。左営でも、高雄市が住宅の一部の保存を進めているほか、文化・観光施設とする動きもある。(高雄 田中靖人)

【写真】 現在も台湾海軍が使用する旧高雄警備府(田中靖人撮影)
<https://www.sankei.com/world/photos/180503/wor1805030024-p1.html>https://www.sankei.com/world/photos/180503/wor1805030024-p1.html
【産經ニュース】 2018.5.3 15:45 〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎旧日本海軍・高雄警備府を初公開 台湾海軍が今も当時の建物使用

台湾の国防部(国防省に相当)は2日までに、南部・高雄の海軍左営基地 内に残る旧日本海軍・高雄警備府の建物の取材を産経新聞に認めた。建物 は現在も台湾の海軍が使用しており、内部の取材は記録に残る限り内外の 報道機関を通じて初めてという。

警備府は横須賀など「軍港」に次ぐ「要港」の管理・兵站組織。台湾の海 軍司令部が2016年に出版した左営基地の歴史に関する書籍「鎮海靖疆」に よると、旧日本海軍は1940年(昭和15年)、南進の拠点として漁港だった 左営を海軍基地に拡張する工事を開始。43年(同18年)4月、台湾海峡に 浮かぶ澎湖諸島の馬公から警備府を高雄に移した。高雄警備府の下には海 兵団や航空戦隊、病院などが置かれ、将兵約8000人が勤務した。

基地は終戦で国民党政権が接収。警備府の建物は49〜54年に「海軍総司令 部」となり、現在は海軍の戦術の考案や訓練の教本を作成する「教育訓 練・準則発展指揮部」が使用している。旧軍の建物を現在も国防部で使用 しているのは台湾で唯一とみられる。

建物は地上2階(一部3階)地下1階建てで、延べ床面積約6000平方メー トル。室内への直射日光を避ける外廊下式で、71部屋の間取りはほぼ当時 のまま。玄関には日本本土から運ばれたという飾り用の石材が用いられ、 正面ホールに一歩入ると外気より気温が低く感じられた。階段の手すりは 木製で、洋風の電灯と合わせて優雅な趣すら感じさせる。

同指揮部の唐華指揮官(中将)は「風の通りが良い上に、高い天井のおか げでストレスを感じにくい。排水など細かな部分が工夫されている」と話 す。2階の唐氏の執務室は、高雄警備府司令官が使用していた部屋とみら れる。

同指揮部は今年が創設70年に当たり、昨年9月から建物内部や日本の国立 公文書館の資料の調査を行ってきた。天井裏から「昭和16年」と印刷され た布地が見つかったことから、建物の建築年は41年と推定したという。

建物の周囲には亀のような外観をした防空壕(ごう)が20カ所近く残って いる。建物脇から当時の滑走路と埠頭(ふとう)をつなぐ地下道の跡も見 つかった。調査結果は映像にまとめ、今年8月をめどに公表する方針だ。

左営では一般人の立ち入り制限がない基地の外側にも日本統治時代の建築 物が残る。旧日本軍の官舎群は、後に中国大陸から来た将兵とその家族が 暮らす「眷村」となった。中でも「明徳新村」と呼ばれる地区は高級将校 の官舎が多く、大戦末期に高雄警備府の主計将校だった中曽根康弘元首相 が住んでいたとされる家屋もある。

台湾各地の眷村の多くは台湾の庶民が暮らす外界と隔離され、中国大陸の 各地から集まった人々による特殊な「眷村文化」が醸成された。左営で も、高雄市が住宅の一部の保存を進めているほか、文化・観光施設とする 動きもある。(高雄 田中靖人)

【写真】 現在も台湾海軍が使用する旧高雄警備府(田中靖人撮影)
<https://www.sankei.com/world/photos/180503/wor1805030024-p1.html>https://www.sankei.com/world/photos/180503/wor1805030024-p1.html
【産經ニュース】 2018.5.3 15:45 〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎清宮幸太郎を未だ評価するのは早いか:前田正晶

2日は偶然に日本ハムの試合にチャンネルを合わせてしまった。私はまさ か栗山監督が一軍に上げたばかりの清宮幸太郎を使うとは予期していな かったので、5番でDH出だしてきたのには驚かされた。しかも、相手にな る投手は楽天に移ってきてから冴えていない岸ではあっても、我が国で は一流の部類に入るのだから、打てるかなと思っていた。しかも、岸は珍 しく好調だった。

第一打席では岸と捕手の嶋は何を思ったのか、3球目にアウトサイド(ア ウトコースという野球用語は英語ではない)の高めに言わば「訊いてみ る」とでも言いたいような「手を出すかな」というか探りを入れるかのよ うな投球をしてしまった。そこを清宮君は迷わず手を出して「あわやホー ムランか」と、一瞬私が思ったほどの良い当たりをされてしまった。嶋は 試合後に「舐めてかかったら」などと言ったそうだだが、明らかに作戦の 誤り。

それに懲りたか、次の2打席は何れも落ちる球(=チェンジアップ)で三 振に仕留めたが、私は明らかに岸も嶋も軽率だったと思っている。と言う のは、私は清宮は確かに優れた素質の持ち主ではあるが、未だ高校の頃か ら変化球には対応が不十分だったし、左投手のスライダー、特にボールに なる投球には明らかに弱点があるので、プロの世界で打ちまくれるまでに は多少時間がかかるだろうと見ていたからだ。

最後にサッカー出身者としては残念なことがある。それは清宮もそうだ が、大谷翔平もサッカー界にはむざむざと野球に取られてしまったこと だ。遺憾ながらサッカー界にはあの両名のような大型の素材が未だに見当 たらないのだ。いや、釜本以来出現しないと言っても良いかも知れない。 清宮克幸氏は「ラグビーは金にならない」と言って幸太郎に野球をやらせ たそうだが、サッカーは金にならないのだろうか。

それも兎も角、未だに欧州に行って本当の一本目になれた者がいないの は、矢張り野球(とラグビー?)に素材を持って行かれているのではと疑 わせてくれた清宮の登場だった。私はサッカーの日本代表の発展のもどか しさは何も選んできた監督のせいではなく、人材の発掘に問題があるので はないかとすら思う今日この頃だ。「サッカーはカネにならないのでしょ うか」とあらためて清宮克幸氏に尋ねてみたい気もするのだが。


 ◎糖衣にくるまれた錠剤の如き外交戦術は要注意:前田正晶

私は金正恩委員長の南北首脳会談における言辞は多くのところで「本心を 巧みに覆い隠した甘い囁き」だと思って聞きました。あのような一聴心地 良い響きがある語り口を、在職中に上司だった副社長と常に何処の何方が 相手でも 「sugar coated speechには注意しよう」と警戒をおさおさ怠り ませんでした。換言するまでもなく、甘い語り口には何か隠された裏の意 図ががあるかも知れないという意味でした。

特に名うての金正恩委員長が相手では、就任以来張成澤を始めとして義理 の兄までを葬ってしまったような人物がどれほど聞き心地が良いことを述 べても、一先ず疑ってかかるのが筋だと思うのです。文在寅大統領が如何 に南北統一にまっしぐらであるとは言え、金正恩委員長の言葉の裏に何が あるを疑ってかかるくらいの分別はあるものと思って見ていました。

金正恩委員長が如何に核実験を辞めると言おうと、ここでもアメリカは言 うに及ばず、韓国側もナイーブに信じることなく、核兵器の廃棄と同様に 徹底してCVIDに徹すべきだと思うのです。そこでは、仮令金正恩が不快感 を示そうとも怯んではならないと思います。糖衣錠の中身は何が入ってい るかなどは、先ずは疑ってかかるべきでしょうから。

しかし、問題になるだろう事は「余りに露骨にDPRK側の主張を疑ってかか れば、彼らは『疑ってかかるのであれば、我々にも考えがある』と、それ までの歩み寄りの姿勢を転換するだろう事まで計算に入れておく必要があ る」と考えます。この辺りの微妙な駆け引きは二進法的に割り切って「イ エスか、ノーか」と迫るのではなく、適当な柔軟性が求められると思って います。

私は金正恩委員長の究極の狙いは「南北統一を成し遂げて、韓国に駐在し てきた核兵器を装備しているかも知れないアメリカ軍を撤退させ、尚且つ 新たに発足する南北統一の連邦が何処かに核兵器を温存する強力な軍事国 家を形成すること」にあるのではないかと真剣に疑っています。

その大目的の為には甘い甘い砂糖でコーティングした言辞を弄して、あわ よくばアメリカと韓国を今回も騙そうとしているのではないかとの疑念を 持っています。正直なところを言えば、このような私の懐疑的な見方が杞 憂であって欲しいのですが。



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身 辺 雑 記
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4日の東京湾岸は快晴、爽快。

憲法記念日の3日、いつもの都立猿江恩賜公園を散歩した。祝日とあって 他に散歩者ナシ。寂しい公園。

引き換え、隣の第3亀戸中学校の芝生の校庭には数えきれぬほど多数の生 徒が来て遊んでいた。ここら辺りはこれといった空き地も無いので校庭が 遊び場になるのは当然だ。憲法記念日、感心にも国旗を掲揚している。 「みどりの日」「こどもの日」と続く。好天も続けばいいが。

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