政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針4612 号  2018・2・20(火)

2018/02/20

              
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わたなべ りやうじらうのメイ ル・マガジン「頂門の一針」4612号
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        2018(平成30)年2月20日(火)



「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第3章: “シーチン”修一 2.0

         「切らずに治せるがん治療」:田中正博(医師)

            英語嫌いを養成することに:前田正晶 

            のど自慢に出場したのだ:渡部亮次郎

        
                      話 の 福 袋
                       反     響
                       身 辺 雑 記


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第4612号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
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「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第3章
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              “シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(94)】太陽がずいぶん北から昇るように なった。北半球は太陽に近づき暖かい季節へ、南半球は逆に寒い季節に なっていく。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。舞台の役者と 観客は変わっても演目はいつも同じ、ということか。

らっしゃい、らっしゃい、「喜怒哀楽、美醜、愛憎、善悪、入り乱れる涙 と笑いのロングストーリー『来し方行く末』、客席からいつでも舞台に上 がれる参加型、お代は観てのお帰りに、土産はナント戒名付きのご位牌 だ!」、らっしゃい、らっしゃい・・・

「21世紀の始めの頃の世の中、世の人々、どんな様子だったのか」と、 100年後にワープしたあなたは未来人からインタビューされる。あなたは どう答えるのか。

「いいこと、いい人は多いけれど、悪いこと、悪い人もいる。平和もあれ ば戦争もある、理にかなったこともあれば、理不尽もある。昔もそうだっ たと思う。その延長だった気がする」

これを聞いて未来人は多分、こう反応するだろう。

「なんや、今と同じやんか」

宇宙の寿命は100兆年らしい。想像できないほどの長寿だ。まだ138億歳だ から「生まれたて」。太陽系宇宙、地球が誕生してから45億年、寿命は 100億年らしいから太陽系宇宙では現役バリバリの壮年か。

ホーキング博士によると「地球の100年は宇宙時間ではあっという間」。 人間のあっという間の人生の中の出来事も、人類史の中ではほとんどは忘 れられていく。ゆく川の流れは絶えずして、すべてのものは移ろいゆく、 諸行無常・・・

「さはされなれどや、その川の上に浮かぶ木の葉の上のアリにとっては、 どこに流れ着くかは一大事や。熊さんもしっかり櫓をこがんとあかんで」
「ご隠居、その“さはさは”ってのはなんですねん」

「さはされなれど、とはな、たとえそうであろうとも、というこっちゃ。 あぶくやシャボン玉のようなはかない人生でもな、一所懸命、けなげに生 きるのが人の道や。アンタもこの歌知ってるやろ。

♪シブキ 立ち込め 打ち寄す波に 右にてぐすを 左でろこぎ つらい漁師に たえて来た

あんたもいつまでもボテフリ(棒手振り)では所帯ももてんやろ、棟梁の 北さんのとこは結構繁盛しておるという話やから、あんたもそこに奉公し て、腕を磨いて一人前を目指したらどうや、っていうことや。その気があ るんならわてが話を進めてもええで」

「そうでっか・・・心配してもろうてすんません。ボテフリはのんきなも んやけど、かごにカボチャや大根を載せて寒い中、天秤棒を担いでいる と、なんや情のう気にもなってましたんや。一所懸命やってみまっさか い、お願いしますわ」

この界隈では大工の棟梁が二人いて、住んでいるところから屋号は「北 屋」と「南屋」だった。「北」は結構羽振りが良かったが、「南」は半端 仕事ばかりで、食うのがやっとという感じ。繁盛しているように見えた 「北」も実は内証がいいわけでもなく、資金不足、人手不足で足踏みして いる状態だった。

WIKI「在日韓国・朝鮮人」から――

<戦後、在日韓国・朝鮮人(以下「在日」)の帰国運動が盛り上がったの は、1958年の日本・北朝鮮赤十字会談の開催からである。

(援助頼りではなく自立的、主体的な経済発展を目指す)「千里馬運動」 で労働力を必要とした北朝鮮政府と、当時、生活保護受給者の半数を占め ていた在日問題の解決を目指す日本政府、さらには在日にとって、それぞ れの思惑が一致した結果とされる。

また、共産主義者を弾圧している韓国に帰還することが困難な者にとって も北朝鮮は希望の地であった。このとき、帰国運動に参加した在日のほと んどは朝鮮半島南部、すなわち韓国政府が支配する地域の出身者であっ た。このこともまた、韓国政府による「棄民政策」として、後に様々な方 面から批判されている。

日本における在日団体である在日本朝鮮人総連合会は、北朝鮮政府の指示 のもとで在日の『地上の楽園』北朝鮮への帰国を、強力に勧誘・説得する 活動を展開した。

当時の韓国は朝鮮戦争による荒廃のため世界最貧国であったが、北朝鮮は 国際協調によって共産諸国の支援を受けて発展を遂げ、在日朝鮮人へも支 援金を送るほどであった。日本の新聞各社、また民間の研究機関「現代コ リア研究所」も、これに同調した。

在日韓国人の犯罪発生率が日本人の十数倍に上ること、犯罪者や密入国し た韓国人の送還を韓国政府(李承晩政権)が受け入れないこと、摘発され た密入国者を日本国内へ解放するよう韓国政府から要求されるなどの治安 上の問題や、在日の生活保護予算捻出に苦慮していた日本政府は、この キャンペーンに応じた。

当時の内閣総理大臣・岸信介は国会答弁で帰国運動の「人道性」を主張 し、北朝鮮への帰国事業を受け入れた。韓国はこれを「北送」と呼んで非 難し、韓国居留民団は「北送事業」への反対運動を展開した。

韓国政府は日本に工作員を送り込み、テロ活動によって帰還事業の阻止を 図った(新潟日赤センター爆破未遂事件)。また、「在日は強制連行され た人々である」と主張するようになった>

北よりも韓国の方が以前から反日感情が強かったのだ。韓国の世論調査で は相変わらず「嫌いな国」の1位、2位は日本か米国、3位は北か中共だ。 北にとって最大の敵、一番恐れている国は米国で、日本は刺身のツマ、あ まり敵視していないようだ。近年は韓国に倣って反日音頭を踊り出した が、「総連の負債600億円を強制徴収しない大甘の日本は利用した方がい い」という見方のようである。

韓国人は終戦後から著しい反日になり、日本軍将校出身で親日的な朴正煕 政権下では激しいい反政府運動を展開した。

<1961年、韓国では5・16軍事クーデターにより朴正煕が権力を掌握し (日本の韓国居留)民団も支持、しかし第一次経済開発5カ年計画を推進 するも1964年には行き詰まり、その打破を目指して1965年2月からベトナ ム戦争に参戦、同年10月には主力部隊5万人をベトナムに派遣する。

1965年6月、日本が韓国を朝鮮半島唯一の国家として承認する「日韓基本 条約」および在日韓国人の法的地位について定めた「日韓法的地位協定」 などの付随協約が結ばれた>(WIKI)

これによる日本からの支援もあって“漢江の奇跡”と呼ばれる経済発展をな したのだが、韓国人は反朴、反日を強めたものの、北に対しては逆に宥和 的になっていった気がする。「血は水より濃い」という同民族だから親和 性が強いのかなあと思っていたのだが、実際は、知識人の戦略では「まず は朴独裁政権を倒す、ここに力を集中する、北は二の次、三の次だった」 と言うのだ。

<張俊河(チャン・ジュナ、1918年8月27日 ? 1975年8月17日)は、大韓 民国の政治家、官僚、ジャーナリスト、独立運動家、社会運動家、実業 家。雑誌『思想界』を創刊し(1953年)朴政権下での言論面での抵抗に寄 与した。日本名は張安俊河>(WIKI)

日本で反朴の運動を煽った「韓国からの通信」(岩波)の著者、池明観。

<池明観(ジ・ミョンクワン、1924年 - )は、韓国の宗教政治学者、評 論家、クリスチャン。「T・K生」の名で1973年-1988年に雑誌『世界』に 『韓国からの通信』を連載した>(WIKI)

上記の2人には師弟関係はなさそうだが、朴政権打倒という点では“同志” であったわけだ。池明観はアカモドキの盧武鉉政権誕生を支援したが(池 明観は当時KBS理事長)、盧武鉉の相変わらずの左巻に呆れたのだろう、 池明観は「もうニューレフトの時代ではない」と縁を切った。張俊河は57 歳で自殺、盧武鉉も63歳で自殺した。

池明観は自著『韓国からの通信』を読み直すのは辛いと言っているが、 2003年10月22日の日本での講演で「我々が共に経験したあの時代と我々が 直面している『いま』とは、非常に異なった時代になっている、そして、 多くの人がどうしていいのかわからないというような心情になっているの ではなかろうかと思うのです」と述べている。多くの韓国民は未だに ニューレフトの時代のままのようだ。

池明観はなぜ北への攻撃を後回しにしたのか。その講演でこう語っている。

<金大中氏などのようにカリスマ性をもった人はもう韓国には出てこない という条件の中で、どういう社会=政体を目指したらいいかを考える。今 後の政体をいかに作るべきか、これを考えるべきです。いまの混乱は、政 体をどういうふうに変えるか、そのための一種の模索であり、悶えである というように私は解釈しているのです。ですから、それほど悲観的には考 えていません。

日韓関係、日朝関係=「北」の問題に対してですが、私は「北」に今年 (2003年)の三月の終わりに一週間行ってまいりました。「北」は大々的 な変化をしない限り存続は難しくなると思います。我々が「北」を訪問し ても、いっさい「北」の人々には会えません。

ホテルの外に出られませ ん。こういうようなやり方では、もう世界的な 交流はできない。そして私 が「北」側にそういう話をすると答えないの です。〔対面する人は〕自分 の意見を言わないのですが、その表情から いって我々の言葉を受け入れて いるのです。

こういう状態なので、「北」の問題はたんにいまの六者会談だけでは解決 できないでしょう。「北」は自分自身の生き残りのための自己変革をしな いといけないというのが私の見解です。そうでないと「北」は非常に苦し い状態を続けるだろうと思います。

「北」へ行ってきたときのことです。私はもともと「北」で生まれたので すが、妙香山に行く際に旧道を通ったとき、涙なくしてはそこを通れませ んでした。こういう状況を前において、我々は人民を対象にした新しい計 画を立てないといけない。私は「北」の将来に対して非常に危機を感じて います。

南に帰ってきても危機を感じました。こういう「北」の実情に対して、自 分たちはお腹一杯食べていながら、全く交流していない。こうした南の政 権と南の国民全体に対して、私は非常な憤りを感じているのです。

とにか く「北」を自分の同胞であるという基本的な考え方で、この問題 を考えな ければならないと思うのです。政治家たちがやっている六者会 談に対し て、私はそれほど信頼を置いていません。政治家というものは 人間の問題 を考えていないと私は思うからです。それは南の政府に対し ても同じです。

それではいけない。本当にヒューマニズムに戻った考え方をもって接しな ければならない。そういう熱いヒューマニズムをもっているならば、六者 会談に参加する人々にもそれにある種の感動を与えられるだろうと思うの です。適当に政治的に交渉するやり方はやめろということが、私の基本的 な見解です>

「涙なくしてはそこを通れませんでした」・・・贅沢品も買える平壌の核 心(特権)階級と、食べるので精一杯の地方の動揺(下層)階級・・・

北にはヒューマニズムのかけらもない。ヒューマニズムとか自由、民主、 人権など、そんな西側の危険な言葉を吐いたら速攻で死刑だ。池明観はこ ういうリアルが分かっていない。“漢江の奇跡”で北を大きく引き離した韓 国にとって、北は貧しい貧乏国家、元々が同じ民族じゃないか、敵視する ほどのことではない、それよりは保守政権、財閥、それを支援する日本を やっつけるのが先だ、とリベラル≒アカモドキの国民は思い、今は盧武鉉 の子分だった文在寅を選んだのだ。バックミラーしか見ない、何も学ばな い人々。

北による日本人拉致事件は1977年から1983年までがピークだったろう。背 景には何があったのだろう。

分からないことばかりでウロウロしている発狂亭“レインメーカー”雀庵の 病棟日記から。

【2016/12/13】火曜。*産経によると「日米の労働生産性(平成22〜24 年)は、米を100とすれば製造69.7、サービス49.9、運輸44.3、卸・小売 38.4、飲食・宿泊34.0、化学143.2、機械109.6である。化学、機械以外は 著しく劣っている」。

つまり、効率が悪いということで、50なら、米国で5人で済む仕事を10人 でやっているということだろう。それが一概に悪いわけではない。

プラス面は雇用拡大、格差縮小=安定した中流層拡大、マイナス面は国際 市場における価格競争力の低下、海外への資本流出、産業空洞化などが考 えられる。海外への資本流出、産業空洞化が進めば国内の雇用は停滞、減 少、デフレになったりする。

成長率、インフレ、所得が1〜2%でいけば国の借金も目減りするからいい なあと思っても、この塩梅は難しく、企業はM&Aなどいざという時に備え て利益を貯め込まざるを得ないから、ほいほいと賃金は上げられない。勤 労者も老後の不安もあって貯め込む。競争は激しいから商品の値上げもな かなかできない。三すくみ状態のようだ。

かつての洗濯機、冷蔵庫、マイホーム、さらにカー、クーラー、カラーテ レビのように、生活を大きく変えるような商品、誰もが買いたくなるよう な商品、つまり常識を打ち破るような画期的な商品が登場すればいいが、 世界中の天才、秀才、努力家、キチ〇イが努力しているだろうけれど、ち まちました改革、改善はあるものの、革命的な新製品とかソフトはない。

数十年後には医療は信じられないほど進化しているかもしれない。今は直 らない病気でも完治できるかもしれないし、老化を抑える治療で120歳老 人が珍しくない時代が来るかもしれない。ウォルト・ディズニーは「難病 治療を未来に託して冬眠(冷蔵?)している」という都市伝説があるそうだ。

そういう機械とかサービスがあれば、たとえ高額でも利用してみたい気も するが、50年後に目が覚めたら知っている人どころか人間がまったくいな かった、猿が白衣を着て怪訝な顔をして見つめていた、なんてことにな り、希少動物として「ホモサピエンス舎」で見世物になったりして。

ジェームズ・ワットは1736年生まれ。ワットが蒸気機関を発明していなけ れば産業革命はずいぶん遅れていたろう。シドニーの「動力博物館」では 旋盤など多数の工作機械が蒸気で動いており、壮観、圧巻だ。生産性が大 いに高まった。ワットがいなければ黒船が日本人を驚かすこともなかった ろう。

ワットは神経症で頭痛と鬱に苦しんだという。健康な心身は環境適応力が 高いだろうが、発明とか起業は不健康な心身から生まれることが多いので はないか。エジソンもビル・ゲイツも発達障害のようだし、ダイエーを起 こした中内功も先輩の経済記者によると結構な変人だったという。

出でよ、天才的キチ〇イ! 小生はただのキチ〇イだから「成さず、語ら ず、残さず」だな。(つづく)2018/2/18



         
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「切らずに治せるがん治療」
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     田中正博(医師)


がん治療の3本柱といえば、手術、化学療法(抗がん剤)と放射線療法 です。副作用なく完治する治療法が理想ですが、現実にはどの治療法も多 かれ少なかれ副作用があります。

がんの発生した部位と広がりにより手術が得意(第一選択)であったり、 化学療法がよかったりします。
 
また病気が小さければ、負担の少ない内視鏡手術で治ることもあります。  放射線療法は手術と化学療法の中間の治療法と考えられています。 手 術よりも広い範囲を治療できますし、化学療法よりも強力です。

昔から放射線療法は耳鼻咽喉科のがん(手術すると声が出なくなったり、 食事が飲み込みにくくなる、など後遺症が強い。)や子宮頚がん(手術と 同じ程度の治療成績)は得意でした。 最近は抗がん剤と放射線療法を同 時に併用することで、副作用は少し強くなりますが、治療成績が随分と向 上しています。

食道がんでは手術と同程度の生存率といわれるようになってきました。手 術不可能な進行したがんでも治癒する症例がでてきました。

また、手術と放射線療法を組み合わせることもしばしば行われています。  最新鋭の高精度放射線療法装置や粒子線治療装置を用いれば、副作用が 少なく、?期の肺がん、肝臓がん、前立腺がんなどは本当に切らずに治る ようになってきました。

また、残念ながら病気が進行していたり、手術後の再発や転移のため、今 の医学では完治が難しいがんでも、放射線療法を受けることで、延命効果 が期待できたり、痛みや呼吸困難などの症状が楽になることが知られてい ます。

放射線療法以外の治療が一番いいがんも沢山ありますので、この短い文章 だけで放射線療法がよいと判断することは危険ですが、がん治療=手術と 決めつけずに、主治医の先生とよく相談されて、必要に応じてセカンドオ ピニオン(他病院での専門医の意見)を受けられて、納得できる治療を受 けられることをお勧めします。(完)      
            大阪市立総合医療センター 中央放射線部



            
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英語嫌いを養成することに
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       前田 正晶

教え方次第では早期に英語嫌いを養成することになりはしないか
私は日本語の能力が固まっていない小学校3年の児童に英語を教えるべき ではないと固く信じている。

その理由はこれから縷々述べていくが、我が国のこれま での教え方
を小学校にまで引き下げることに意味がないと思う。また、これまでに何 度も指摘し
てきたように、実際にアメリカ人を含めた英語を母国語とする人たちが日 常的に使っている表現の中には多くの慣用句と口語的表現に加えて隠語や 符牒である slangも出てくるのだ。私が問題としたいことは、かかる言葉 遣いは我が国の学校教 育の英語では十分に教えられていないのではない かという点だ。

私はこれまでに何度も同じ主張をして来たが、この主張はこれからも繰り 返していくべきだとすら考えている。私はもう20年以上も我が国の外国語 教育の至ら なさを繰り返して採り上げてきた。

「英語教育が読解力と要らざる単語の知識 だけを高めることを目的とし ていれば、現在までのところである程度以上その目的を 達成してい
ただろう」とは言って来た。

だが、「我が国のように一般的な勉強(学 問)の水準が高く、あらゆる 分野に亘って国語で学ぶことが出来る態勢が整っている国 で、万人の
英語力を高める必要があるのか」との疑問も呈してきた。

更に、「英語を高い水準までものにする必要がある者たちが、それを本気 で追求していけば良いのである」とも指摘した。そういう人たちはとは、 海外に出て も自らの目指すところを追い求めようとする研究者や学者の 方や、海外で仕事をしよ うと志す若者や、私(たち)のようにアメリカ 乃至は外国の会社で彼らの一員として 懸命に働ことする者たちであろ う。彼らが十分に意思の疎通を図れる段階を目指すか、“native speaker” 並の水準を目標として学べば良いことで、現在の我が国 で米国の支配階 層に通じるような高い英語力を身につけても、それを何処で活かそ うに もそういう場は何処にでもここにでも転がってはいないのだ。

私は何度か述べてきたが、1945年4月に旧制中学の1年生になるまでは、敵 性語の英語などは見たことも聞いたこともなかった。英語の勉強はこの13 歳から出発 して十分に間に合った。

上智大学で同級の惜しくも20歳代で亡くなった横須賀出身の K君の素晴
らしい英語の実力には驚かされた。「世の中にはこんな奴がいるのだ」と 自信家の同級生と語り合ったものだった。

同時に彼の英語だけではない学力にも圧倒 された。彼の英語力は既に “native speaker”並の領域に達していたが、それでも中学 入学の後
から学び始めたものだったと聞いて安心もしたし、同時に打ちのめされた 気分にもさせられた。

私の強調したい点は勉強法さえ適切であれば、13歳というか中学入学の年 齢から始めて十分に間に合うと言うか、外国人にも通用する英語力は身に 付くものだ という点だ。

また、私は大学1〜2年の時に偶然のご縁で中学1年の男子生徒を英語 だけ との条件で家庭教師を引き受けたが、その子は高校を卒業するまで英語だ けは 「オール5」を取っていた。また某商社では2年目の若手の個人指導 を依頼され2年足ら ずでその課で一番の英語の使い手に育てることが出来た。

では、彼らに何をどのように教えたかと言えば、上記のK君の勉強法とも 同じだった「先ずは音読である。それも中学1年程度の教科書の繰り返し ての音読、 それも完全に暗記・暗唱できるまでの音読から始める。それ は音読を重ねていけば自 ずと意味が分かるようになるものなのだ。そし て何度も暗記した教科書の暗唱の繰り 返しだった。

単語帳などは一切作らないようにすることも重要だ。意味が分からない言 葉に出会えばその都度辞書を見て覚え、絶対に書き込みはせず、英文和訳 などはせず に英語のままで意味を覚えるように努めることだ。

単語を覚えることを禁じたのは 「単語は単なる部品であり、部品をバラ バラと並べても製品にはならないのだ」という 意味で、飽くまでも流れ の中でその使い方を覚えるのが、上達への道である」と経験 からも確信
しているのだ。

商社の若手に繰り返して教え込んだことは「こういう場合はこう言えば良 いのかと記憶するように」と「自分が言いたいことを日本語で思い浮かべ てそれを すような真似をすることなく、覚えているこれはと思う表現で しゃべって見よ」だった。

何だ、それだけでは成功例が少ないではないかという反論の如きものには 何度か出会った。こちらから言ったことは「それでは我が国の学校教育の 英語での 成功例はどのくらいあったのですか」だった。また、「私が唱 える英語の勉強法で教 えられる教師などいない。偏った理想論では」と も批判されたが、それも育て損なっ た方々のご意見として承っておくだ けのことにした。

また、我が国の英語教育で気になることがある。それは無闇矢鱈に “native speaker”を有り難がることだ。私の英語をフランス文学のTK博 士がいみじ くも「支配階層の英語」と喝破されたが、普通に我が国で暮 らしていれば仮令アメ リカ人でもそういう階層の人たちの言葉に直に接 する機会はそう滅多にない。即ち、 余程気を付けていないと「何処の馬 の骨かも解らない英語圏の国の者を、仮令それが トランプ大統領の支持 層のような下層の出身であっても、有り難く押し戴くような結 果になり はしないか」ということ。そういう「英語の品格と品位を聞き分けが出来 る 人がどれほどいるのか」という問題である。

私はトランプ大統領が“I’m gonna 〜.”であるとか、“I wanna 〜.”のよう な表現を濫用ることを非難した「上品ではない」と言って。それが彼の支 持層以下に向かっての表現であり、我々日本人が初歩の段階で真似て良い 言葉遣いで はない。

だが、そうと知って「あの言葉遣いを真似てはいけません」と教えられる 人 がどれほどいるのだろうか。我々は先ず“I am going to 〜”や“I want to 〜”をまと もに使えるようにすることを優先すべきだ。

尤も、トランプ大統領が最近正式な場で使われた表現では、かかる下層階 級向けの言葉遣いは影を潜めている時もある。要するに、語りかける相手 次第で使い 分けをされているかのようだ。「流石は富豪で、Ivy League の大学の出身者だ」と認 識出来た。

私は誰も彼もが支配階層の英語を目指して学ぶこともないだろうと考えて いる。そういう教え方をすべきか否かの議論は一先ず措くが、TOEICだの 何のと、試 験と資格ばかりに集中した教え方を考え直して、実際に支配 階層の人たちとの交流に も役に立つような英語を教えられるような人材 を野に求める必要もあるのではないか と思っている。

私は実際に海外市場の現場でかなり優れた英語力の持ち主に何人も出会っ ていた。だが、現行法では彼らには大学以外で教壇に立つ資格がないとも 聞いた。そ のような優れた英語教育の適格者が不足していても、小学校3 年からを強行するのか と思うと、決して好ましいことではないと言わざ るを得ない。




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のど自慢に出場したのだ
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     渡部 亮次郎

1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始 され、それを記念してNHKが制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関 だった。
今でも12倍を超える人気長寿番組とか。1946(昭和21)年のこの日、NHK ラジオで東京)「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHK が制定しました。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関で した。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。

私も高校生のころ、秋田市での大会に出場、合格した。受験戦争ムードに 反発したもの。歌ったのは「チャペルの鐘」

   作詩:和田隆夫
   作曲:八州秀章
1)なつかしの アカシアの小径は
 白いチャペルに つづく径
 若き愁い 胸に秘めて
 アベ・マリア 夕陽に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る(以下省略)

この歌を聞くと、なぜか札幌の時計台を思い出す。理由は分からない。で もあれは時計台であってチャペルではない・・・。では「チャペル」とは 何ぞや? Wikipediaによると、「チャペル (Chapel) は、本来クリス チャンが礼拝する場所であるが、日本では私邸、ホテル、学校、兵舎、客 船、空港、病院などに設けられる、教会の所有ではない礼拝堂を指してい る。」とある。どうも教会の礼拝堂はチャペルとは言わないらしい。結婚 式場がチャペルだ。

でもこの歌詞は、何とも淡い恋でいいな〜。(オジサンには縁が無い が・・・)
白いチャペルか・・・

フト、2年前の今頃、オーストリアに行って教会を見た事を思い出した。 ヨーロッパはどこに行っても教会だ。2年前は2週間掛けてオーストリアを 一周したが、オーストリアでも、どこに行っても尖塔の教会があった。中 でも有名で「これどこかで見た事がある・・」と思った教会が2つあっ た。ハイリゲンブルートの教会とハルシュタットの教会である。この歌と はあまり関係ないが、“絵になる”教会の写真を見ながら、岡本敦郎の歌を 聞くもの一興か?

大学を出てNHKで記者になった。

政治部所属に成ってある夜、新宿のスナックでうたっていたら、見知らぬ 男に声をかけられてびっくりした。「うちへ入りませんか」という。名刺 には「ダニー飯田とパラダイスキング」とあった。「政治記者から歌手へ 転身」というのがおもしろいというのだ。

記者の仕事が面白くてたまらない時期だったこともあって断った。
あれから50年。まったく歌う機会が無いままにすごしたから今では歌は聴 くものと心得ている。2013・10・29



        
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最 新 情 報
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 ◎坂上二郎そっくりさん店閉店 横浜でお好み焼

お笑いコンビ「コント55号」の坂上二郎さん=享年(76)=のそっくりさ んが営む「お好み焼 二郎さん」(横浜市南区)が、25日に閉店する。2 人の二郎さんは生まれた年が同じで、顔や体形、しぐさまでうり二つ。地 域住民らの人気を集めていたが、建物の老朽化にあらがえず、35年近くの 歴史に幕を閉じることにした。

 「飛びます、飛びます」。昭和を代表するギャグをまねると、店内は拍 手と歓声に包まれた。店主の大塚勲さん(83)は「坂下二郎」を芸名と し、ボーイズバラエティ協会に所属する現役のものまね芸人だ。同協会に は、楽器を使用した漫談風の演芸を中心にさまざまなジャンルの芸人が加 わる。

保険外交員だった40代、友人の勧めでテレビ番組に出演。そっくりな人を 集めた番組で大賞を総なめにした。坂上さん本人からも「よう似てる」と 驚かれ、街中でも何度も間違われた。「二郎さん」と呼ばれなければ応じ ないほど坂上さんになりきって久しい。

 開店は1984年ごろ。近くのスナックのママから「高級割烹(かっぽう) だった店を畳むので、やらないか」と誘われ、即決した。飲食店の経験は なく、偶然に導かれるようにお好み焼き店にした。大塚さんは“営業”で飲 み歩く機会が多く、妻の和美さん(76)が切り盛りしてきた。

 近くには「ハマの日本橋」と呼ばれた料亭街があった。築60年にもな るという店舗は当初、「横浜マッサージ」という風俗店だったという。店 内にはコイが泳ぐ池があり、小さな「日本橋」が架かる。壁には浅間山の 噴石がはめ込まれ、廊下は油石が敷かれるなど独特の雰囲気が残る。

 名物は豚肉とネギ、大葉を具材にしたみそ風味のお好み焼き「二郎天」 (680円)。古里の群馬で子どもの頃に食べた「じじ焼き」をヒントにした。

 今では近くのマンションで暮らす親子連れの“居間”としても親しまれ、 幅広い年齢層の常連客でにぎわう。「多くの人たちと巡り合えたことが財 産。閉店まで元気に過ごせたことが何よりも幸せ」と大塚さん夫婦は笑顔 を見せた。

木曜定休。営業時間は午後5時〜翌午前0時。問い合わせは、同店電話 045(251)7777。
カナロコ by 神奈川新聞2/19(月) 13:30配信

  ◎西宮市長、辞職の意向 議会が退職金の減額条例案調整中

取材しようとした読売新聞の記者に「殺すぞ」と暴言を吐き、問題になっ た兵庫県西宮市の今村岳司市長(45)が19日、辞職する意向を市の関係者 に伝えたことがわかった。5月の任期満了で退任する意向を明らかにして いたが、暴言問題を受け、市議会では退職金を減らす条例案を20日開会 の定例会に議員提案することで調整していた。

今村市長は今年1月4日の仕事始め式で、4月の市長選に立候補しないと 明言。式の後、取材で駆け寄った読売記者に「殺すぞ」「寄るな」などと 言って取材を拒否した。

暴言問題を受け、市議会は今月6日に開いた議運委で、退職金を減らす議 案を議員提案することで合意。13日の議運委では退職金を3割減らす条例 案が示されたほか、20日開会の定例会の日程から今村市長の施政方針演説 を削除することも確認していた。

今村市長は京大卒業後、リクルート社員を経て、1999年から西宮市議を4 期15年務めた。2014年4月の市長選で自民、公明、民主(当時)の3党 が相乗りで推薦した現職を破り、初当選した。
朝日新聞デジタル2/19(月) 13:48配信


  ◎麻生氏、佐川氏への抗議デモは「立憲の指導」答弁後訂正

麻生太郎財務相は19日午前の衆院予算委員会で、確定申告初日の16日に国 税庁前で佐川宣寿長官に抗議する集会があったことについて「御(おん) 党(立憲民主党)の指導で、街宣車は財務省の前にやっておられた事実は 知っている」と述べ、野党主導による動きだとの認識を示した。

 同党の山崎誠氏の質問に答えた。その上で麻生氏は「ご指摘の行動を含 め、確定申告の初日にもさまざまなご意見があった。佐川に関して、十分 に経験を生かして職責を果たしていると認識している」と述べ、佐川氏の 続投に問題はないとの認識を示した。

山崎氏は「市民団体主催の行動であり撤回、謝罪を」と求めたが、麻生氏 は「御党の議員の方々も参加しておられた」と述べるにとどめた。続けて 質問した同党の川内博史氏が「主導という発言は訂正を」と重ねて抗議し たところ、麻生氏は「見てただけで主催か主導か判断できない。自分たち で主導していないと言うのであれば、それは訂正させて頂く」と訂正し た。朝日新聞デジタル2/19(月) 13:26配信



 ◎教え方次第では早期に英語嫌いを養成することになりはしないか:前 田正晶

私は日本語の能力が固まっていない小学校3年の児童に英語を教えるべき ではないと固く信じている。その理由はこれから縷々述べていくが、我が 国のこれまでの教え方を小学校にまで引き下げることに意味がないと思う。

また、これまでに何度も指摘してきたように、実際にアメリカ人を含めた 英語を母国語とする人たちが日常的に使っている表現の中には多くの慣用 句と口語的表現に加えて隠語や符牒である slangも出てくるのだ。私が問 題としたいことは、かかる言葉遣いは我が国の学校教育の英語では十分に 教えられていないのではないかという点だ。

私はこれまでに何度も同じ主張をして来たが、この主張はこれからも繰り 返していくべきだとすら考えている。私はもう20年以上も我が国の外国語 教育の至らなさを繰り返して採り上げてきた。

「英語教育が読解力と要らざる単語の知識だけを高めることを目的として いれば、現在までのところである程度以上その目的を達成していただろ う」とは言って来た。だが、「我が国のように一般的な勉強(学問)の水 準が高く、あらゆる分野に亘って国語で学ぶことが出来る態勢が整ってい る国で、万人の英語力を高める必要があるのか」との疑問も呈してきた。

更に、「英語を高い水準までものにする必要がある者たちが、それを本気 で追求していけば良いのである」とも指摘した。そういう人たちはとは、 海外に出ても自らの目指すところを追い求めようとする研究者や学者の方 や、海外で仕事をしようと志す若者や、私(たち)のようにアメリカ乃至 は外国の会社で彼らの一員として懸命に働こうとする者たちであろう。彼 らが十分に意思の疎通を図れる段階を目指すか、“native speaker”並の水 準を目標として学べば良いことで、現在の我が国で米国の支配階層に通じ るような高い英語力を身につけても、それを何処で活かそうにもそういう 場は何処にでもここにでも転がってはいないのだ。

私は何度か述べてきたが、1945年4月に旧制中学の1年生になるまでは、敵 性語の英語などは見たことも聞いたこともなかった。英語の勉強はこの13 歳から出発して十分に間に合った。上智大学で同級の惜しくも20歳代で亡 くなった横須賀出身のK君の素晴らしい英語の実力には驚かされた。「世 の中にはこんな奴がいるのだ」と自信家の同級生と語り合ったものだっ た。同時に彼の英語だけではない学力にも圧倒された。彼の英語力は既に “native speaker”並の領域に達していたが、それでも中学入学の後から学 び始めたものだったと聞いて安心もしたし、同時に打ちのめされた 気分 にもさせられた。

私の強調したい点は勉強法さえ適切であれば、13歳というか中学入学の年 齢から始めて十分に間に合うと言うか、外国人にも通用する英語力は身に 付くものだという点だ。また、私は大学1〜2年の時に偶然のご縁で中学1 年の男子生徒を英語だけとの条件で家庭教師を引き受けたが、その子は高 校を卒業するまで英語だけは「オール5」を取っていた。また某商社では2 年目の若手の個人指導を依頼され2年足らずでその課で一番の英語の使い 手に育てることが出来た。

では、彼らに何をどのように教えたかと言えば、上記のK君の勉強法とも 同じだった「先ずは音読である。それも中学1年程度の教科書の繰り返し ての音読、それも完全に暗記・暗唱できるまでの音読から始める。それは 音読を重ねていけば自ずと意味が分かるようになるものなのだ。そして何 度も暗記した教科書の暗唱の繰り返しだった。

単語帳などは一切作らないようにすることも重要だ。意味が分からない言 葉に出会えばその都度辞書を見て覚え、絶対に書き込みはせず、英文和訳 などはせずに英語のままで意味を覚えるように努めることだ。単語を覚え ることを禁じたのは「単語は単なる部品であり、部品をバラバラと並べて も製品にはならないのだ」という意味で、飽くまでも流れの中でその使い 方を覚えるのが、上達への道である」と経験からも確信しているのだ。

商社の若手に繰り返して教え込んだことは「こういう場合はこう言えば良 いのかと記憶するように」と「自分が言いたいことを日本語で思い浮かべ てそれを訳すような真似をすることなく、覚えているこれはと思う表現で しゃべって見よ」だった。

何だ、それだけでは成功例が少ないではないかという反論の如きものには 何度か出会った。こちらから言ったことは「それでは我が国の学校教育の 英語での成功例はどのくらいあったのですか」だった。また、「私が唱え る英語の勉強法で教えられる教師などいない。偏った理想論では」とも批 判されたが、それも育て損なった方々のご意見として承っておくだけのこ とにした。

また、我が国の英語教育で気になることがある。それは無闇矢鱈“native
speaker”を有難がることだ。私の英語をフランス文学のTK博士がいみじく も「支配階層の英語」と喝破されたが、普通に我が国で暮らしていれば仮 令アメリカ人でもそういう階層の人たちの言葉に直に接する機会はそう滅 多にない。

即ち、余程気を付けていないと「何処の馬の骨かも解らない英語圏の国の 者を、仮令それがトランプ大統領の支持層のような下層の出身であって も、有難く押し戴くような結果になりはしないか」ということ。そういう 「英語の品格と品位を聞き分けが出来る人がどれほどいるのか」という問 題である。

私はトランプ大統領が“I’m gonna 〜.”であるとか、“I wanna 〜.”のよう な表現を濫用ることを非難した「上品ではない」と言って。それが彼の支 持層以下に向かっての表現であり、我々日本人が初歩の段階で真似て良い 言葉遣いではない。だが、そうと知って「あの言葉遣いを真似てはいけま せん」と教えられる人がどれほどいるのだろうか。我々は先ず“I am going to 〜”や“I want to 〜”をまともに使えるようにすることを優先す べきだ。

尤も、トランプ大統領が最近正式な場で使われた表現では、かかる下層階 級向けの言葉遣いは影を潜めている時もある。要するに、語りかける相手 次第で使い分けをされているかのようだ。「流石は富豪で、Ivy Leagueの 大学の出身者だ」と認識出来た。

私は誰も彼もが支配階層の英語を目指して学ぶこともないだろうと考えて いる。そういう教え方をすべきか否かの議論は一先ず措くが、TOEICだの 何のと、試験と資格ばかりに集中した教え方を考え直して、実際に支配階 層の人たちとの交流にも役に立つような英語を教えられるような人材を野 に求める必要もあるのではないかと思っている。

私は実際に海外市場の現場でかなり優れた英語力の持ち主に何人も出会っ ていた。だが、現行法では彼らには大学以外で教壇に立つ資格がないとも 聞いた。そのような優れた英語教育の適格者が不足していても、小学校3 年からを強行するのかと思うと、決して好ましいことではないと言わざる を得ない。




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身 辺 雑 記
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20 日の東京湾岸は快晴、爽快。

次第に暖かくなってきている。春はすぐそこだ。春の小川はさらさら行く よのモデルは、東京・渋谷のNHK裏の今は暗渠になっている川をうたった ものだそうだ。


19日は午前中順天堂医科大学で「採血」。それだけで昼になった。大層混 んでいたのだ。昼食後の最高血圧は「135」。
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渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

















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