政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針号  217・9・11(月)

2017/09/11

   
□■■□──────────────────────────□■■   
わたなべりやうじらうのメイ ルマガジン「頂門の一針」4672号
□■■□━━━───────────────────────□■■□


           2017(平成29)年9月11日(月)



      中国、ロシア最大手の石油企業の大株主へ:宮崎正弘

      正しく理解したい戦後日本の体制の歴史:櫻井よしこ

                患者自己注射物語:渡部亮次郎
            
                        話 の 福 袋
                           読 者 の 声
                           身 辺 雑 記


□■■□──────────────────────────□■■□
第4672号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
               御意見・御感想は:
                  ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
                    下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/

    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/




     
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
中国、ロシア最大手の石油企業の大株主へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)9月10日(日曜日)弐
       通巻第54287号  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 中国、ロシア最大手の石油企業の大株主へ
  中国華信能源(CEFC)、ロフネフツの14・2%を1兆円で
**********************************

不思議なディールである。

中国の「民間企業」(事実上は共産党の先兵)である「中国華信能源」 (葉簡明CEO)は、夏頃から噂のあったロシア最大の資源企業「ロフネ フツ」の株式14・2%を取得し、ロシア政府、BP(19・75%)に次いで 第三位の株主となる。

この株式はカタール政府ファンドとスイスの資源企業グランコアの持ち分 を買い取るかたちで、買収資金は93億ドルといわれる。

なにが不思議かと言えば、中国は5000万ドルを超える海外企業の買収を事 実上、禁止している。このため王健林率いる万達集団などは、予定してい たハリウッド映画や北欧の映画館チェーン買収ができず頓挫している。海 航集団、安邦保険なども海外買収案件の悉くが暗誦に乗り上げている中、 この例外的な、しかも巨額の買収がなぜ可能なのか。

習近平の外交戦略の目玉「一帯一路」の具体的構想に寄与できるうえ、資 源企業への出資は、中国の「国家戦略」だからである。

既報のように中国はサウジのアラムコの大株主をめざしており、その取引 条件は人民元建て取引。アメリカのドル基軸体制を迂回路で挑戦する仕儀 でもあり、ワシントンは警戒している。石油先物取引を人民元建てとする 取引所も近く上海に開設する。中国は世界最大の原油輸入国である。

さてロフネフツである。

ロシアの最大の資源企業であり、世界一の石油とガスの埋蔵量を誇るとさ れるが、ソ連時代からの資源企業と言えばガスプロムとルークオイルであ り、このロフネフツなる新興企業は、いかなる経過で誕生し、かつ巨大化 したのか。

ロフネフツはプーチンの利権いがいの何者でもない。

クレムリンの権力者が、たらいまわしに社長を務めるガスプロム同様に、 このロフネフツも、プーチン政権直営企業と見て良いだろう。


 ▲設立の動機も、企業活動の中味も怪しいことばかりだ。。。。。。。

ソ連崩壊のどさくさに、多くの国有企業がクーポン、バウチャー方式で売 りに出され、マフィアと組んだ新興勢力が、旧社員等からバウチャーを買 い集め、合法的に旧国営企業を乗っ取った。

1990年、ミハイル・ドルコフスキーという先見力に富んだ新興成金はメナ テップ銀行という怪しげな銀行を経営していた。この銀行はクレムリン高 官らの海外秘密口座を運営し、権力と近かったために急成長した。

ホドルコフスキーはユダヤ人、モスクワ生まれ。その彼が1998年に 「ユ コス」を設立し、買収につぐ買収で、またたくまに有数の資源企業と なった。

ふんだんな資金を元に、ホドルコフスキーはプーチン批判を始め、プーチ ンの政敵や敵対的政党に多額を寄付し、テレビ局も買収してさかんにプー チンを攻撃、しかも大統領選挙への出馬をほのめかすなど、プーチンに とって明らかな邪魔となった。

脱税など冤罪をでっち上げ(ホドルコフスキーはエクソンモービルにユコ ス株の40%を売却し、多国籍企業への脱皮を狙っていた)、プーチンは ホドルコフスキーを逮捕し、あまつさえ、彼の経営したユコスを解体し、 巧妙な手口でロフネフツが乗っ取った。

つまり政敵の資源企業が、プーチン系の大企業への生まれ変わったのだ。

2013年、プーチンはホドルコフスキーに恩赦を与え、ドイツへ出国させた。

背後にはドイツ政府の働きかけがあったと言われ、家族とともにホドルコ フスキーは、その後、スイスへ移住した。

2015年からは政治活動も開始した。ロンドンなどへ出かけて「プーチンは 裸の王様」などと舌鋒鋭く、ロシア指導部を批判しているが、所詮は犬の 遠吠え、ほぼ影響力を失ったと見て良いだろう。

そしてロフネフツの大株主に中国が加わるのである。

    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1624】      
――「獨乙・・・將來・・・無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」(山 川14)
  山川早水『巴蜀』(成文堂 明治42年)

                ▽

ここで山川に戻るが、山川は四川の最西端に位置する貿易地の打箭?に興 味を示す。同地での貿易は「陸路直接に印度との間に行はれ、商品は茶を 以て其大宗を爲す」。四川銀の外に「印度貨幣」が通用している。住民は 漢族と「喇嘛蠻子」と称するラマ教信徒の少数民族だった。興味深いの が、「此處までは、本邦人も少なからす其踪跡を留め」、山川が確認して いるだけでも前後10人ほどとのこと。そのうちの1人である木田?治は明 治39年6月に、「商業視察」を目的に同地を訪れている。

  当時、同地には「英國宣?師夫婦、那威人1人、佛國宣?師2人、米國 宣師教師2人」が在住していたという。英人夫婦は当初は西蔵潜入を目的 に、「印度より陸路四川に入りしが、未だ其志を得ずして、打箭?に滯在 し、已に3年を經過せる趣なり」とのことだ。

こう見てくると、明治末年、イギリス、フランス、アメリカの3国は、既 に四川の最西端の地に影響力扶植の手を打っていたことになる。じつは四 川の最西端はインド、チベットに最も近い地政学上の要衝でもあったわけ だ。そう、昔も今も。ところで木田らの目的は、はたして「商業目的」だ けだったのか。同時に、彼らの旅費は誰が負担したのだろうか。まさか、 彼らが自腹を切ったとも思えないのだが。

 当時の四川における3大事業といえば、「?育擴張、兵備擴張、及び漢 口成都間に敷設せらるべき川漢鐵道」。そのうちの最難関が川漢鉄道建設 であり、「工事の困難は勿論、經費の鉅額、測り易からざる」がゆえに、 「今後5年や10年の短時日にては、恐らくは成功を期し難からん」とする が、「その初一念を貫かんとする支那人の意氣込、萬里の長城を築成した る祖先の遺血を傳ふる」点を記すことを、山川は忘れてはいない。

なお、鉄道経営に関するノーハウに関しては「明治年の春39年」、新た に鐵道學堂を設立し、本邦より工額士橘、原、百瀬の3氏を聘し、其?習 とせり」。「川人の目的は、此學堂にて養成したる學生を以て、諸般の經 營に任ずるに在るものヽ如し」。100余名の学生が学んだとのことだが、 なにせ「普通學の素養なき爲」に専門課程を教えるまでには至っていな い。

かりに日本の鉄道技術が四川に定着し、それをテコに四川全域に日本 の 影響力を保持し続けていたと考えるなら、四川の地政学上の位置からし て、その後の日本の中国政策は現実とは違った経緯を辿ったことだろうに。

さらに山川は精力的に歩いた成都とその周辺の名勝旧跡に関する記述を 残しているが、詳細な旅行案内に近く、敢えて割愛する。

「明治39年6月14日 成都を去り、歸東の途に上る」。いよいよ帰国の旅 となる。

翌15日には?習として地方に派遣されている「千葉縣人瀧口定次郎氏夫 妻」や「茨城縣人後藤美之氏」を訪ねる。「故郷への事傳てもやあらん」 というわけだ。瀧口夫妻や後藤のその後を知りたいところだ。

「20日 午前10時、重慶府に達す」。四川唯一の開港場だが、上海に較べ れば極めて小規模であり、「明治三十九年末の帝國領事館の報告に據れ ば、外国人は日本人(24人)、イギリス人(48人)、フランス人(22 人)、アメリカ人(27人)、ドイツ人(7人)、その他(2人)の総計130人。

 「重慶の本邦事業としては」商業以外に教育事業が認められるが、「支 那には西洋人の經營せる學校は各地に在れども、本邦人の創設せる者は、 極めて希に、此點に於ても、彼れ西洋人に一歩を讓り居りける」。

ビジネスに関するなら「西洋商館としては、數ふるに足るものにあらざる に似たり」。だが「竊に彼等の云爲する所を察するに、各個人の發展を謀 るよりは、先ず根柢に於て、勢力を扶植するを急とし」ているというので ある。《QED》 
        
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1) 先日のメルマガで宮崎先生が人民解放軍における習近平に よる反対派幹部粛清をスターリンの赤軍粛清になぞらえて論じておられま した。

実際、1930年代に行われたスターリンの赤軍大粛清はトハチェフスキー元 帥以下高級将校の3分の2が犠牲者になったといわれます。

お陰で赤軍はガタガタになってしまい、1939年から40年のフィンランドと の戦争では、ソ連は勝ったもののフィンランド軍の損害6万に対して赤軍 は40万以上の大損害を出しました。

翌年のドイツによるバルバロッサ作戦では赤軍は緒戦で大打撃を受け、モ スクワもレニングラードもドイツ軍によって陥落一歩手前まで押しまくら れました。

これを耐え忍んだのが、スターリンによる大粛清をかろうじて生き延び、 トハチェフスキーの軍事理論の弟子であったジューコフでした。

ノモンハンで精鋭関東軍を相手に善戦健闘したジューコフは、圧倒的な兵 力と物量で敵の数倍の犠牲は最初から折込ずみの戦法で冬将軍の助けも あってモスクワとレニングラードを守り抜き、1943年にはスターリン グ ラード決戦で独第6軍を包囲して降伏に追い込みま した。

あとはクルスク大戦車戦からベルリン攻略戦まで一直線でした。

朝鮮戦争では彭徳懐率いる中国人民義勇軍、その実、人民解放軍は圧倒的 な火力を有する米軍に対して人海戦術をもって膨大な犠牲にもかかわらず (その大部分は元の満洲国軍や国民党軍からの寝返り組だったといわれま すが)、米軍の弾丸が尽きるまでの飽和攻撃を繰り返すことによって何と か引き分けに持ち込みました。

後方に前線から退却する部隊を撃ちまくる督戦隊を配置し、犠牲をいとわ ず人海戦術で攻撃を続行する戦法は、ロシア革命期にクロンシュタット要 塞攻防戦でトロツキーとトハチェフスキーが確立し、ジューコフが継承 し、後にはベトナム戦争でも用いられた赤軍伝統の戦闘法です。

たとえ習近平が江沢民派を人民解放軍からパージして、軍内部の腐敗がす すむとしても、だから人民解放軍は張子の虎だ、鎧袖一触だと馬鹿にする のは禁物だと思います。
 
むしろ名目上は9個師団に6個旅団を有するわが陸自は、実数わずか 15万に過ぎず、そのかなりの部分が管理部門要員で実際の正面兵力が少 なく、来年には陸上総隊司令部が設けられるとやたらと陸将や将補、幕僚 だらけの頭でっかちの軍隊となってしまいます。 

兵制もない自衛隊に対して中国が伝統の人海戦術で尖閣に飽和攻撃をし かけてきたら果たして守りきれるのでしょうか。
今こそ国防のあり方を考えなおすべきときです。(武蔵国杉並住人)


(宮崎正弘のコメント)ジューコフ、忌まわしき名前。ロシア人にとって 英雄。

ウランバートルにはチンギスハーン巨大な銅像とまではいかないけれど、 レーニン像に匹敵するような、ジューコフ記念館があります。

昨年、ベラルーシへ行った折、新設されたばかりの「戦争記念館」を見学 すると、ジューコフ将軍のトルゾーが飾ってあり、彼はベラルーシでも 英雄扱いされていました。スターリンはジューコフの名声と人気に嫉妬し ていたけれど、彼の根強い戦争英雄の輝かしい戦歴を前に、失脚には追い 込めなかったのでしょう。


      

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
正しく理解したい戦後日本の体制の歴史
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

             櫻井よしこ

「北朝鮮の攻撃へ無力に陥りかねない日本 正しく理解したい戦後日本の 体制の歴史」

8月29日午前5時58分、北朝鮮の弾道ミサイルが北海道上空を越え襟裳岬の 東方、約1180キロメートルの太平洋上に落下した。

Jアラート、つまり空襲警報が影響を受けると予想される各県に早朝鳴り 響いた。その後、国民の反応が報じられたが、「子供をつれてどこに逃げ ればよいのか、どこが安全なのか、分からない」という若い母親の言葉に は実感がこもっていた。警察への問い合わせで最も多かったのが避難場所 についてだったという。

それに対して当局が答え得るのは「近くのできるだけ堅固なビルへの避 難」というような内容だ。これでは多くの人はどうしてよいか分からない だろう。しかしこれが自力で国を守ることを禁じてきた日本の当然すぎる 現実である。

憲法前文には明確に書かれている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に 信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、と。9条2項に は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを 認めない」と明記されている。

国を守るためであっても、国民を守るためであっても「交戦権」、すなわ ち国家が戦う権利を認めないのである。国の最重要の責任は国民を守り、 国民の暮らし方の基盤である文明や文化、価値観もみんな包摂する形で国 柄を守ることにある。

にも拘らず、そのために戦うことまで否定した。そんなことはおかしい、 憲法改正が必要だという意見に対して、多くのメディアや言論人はこぞっ て反対し、憲法改正を目指すことは悪事を企むことだというような主張を 展開する。

なぜ、こんな日本になったのかという疑問を、私は幾十回も繰り返してき た。明確な答えは見つからないが、色摩力夫(しかまりきお)氏の『日本 人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか』(黙出版)が貴重な示唆を与えて くれる。氏はまず、日本の、大東亜戦争の戦い方と敗北のし方について次 のように指摘する。

「わが国における降伏は、かつて経験したことのない大事件でありなが ら、いかなる意味でも国内を混乱、崩壊させるものとはならなかった。そ して国際社会の中で整然と規律をもって降伏を受諾し、連合国が課した降 伏条件を誠実に履行した。近代国際社会の歴史を通じても、国民がこれほ どの一体性をもちながら、秩序をもって終戦に対処できた例は、大戦争の 敗戦国において稀有と言ってよいだろう」

日本は「高度の規律を維持して降伏した」にも拘らず、戦後は国際社会の 中で毅然とした態度をとれずにきた。その理由は日本人が降伏の本質的意 義を正確に認識しなかったからだというのが、色摩氏の指摘だ。

降伏は征服とは異なる双務的な契約である。その契約が成立したのが、東 京湾、戦艦ミズーリ号上で日本代表と連合国代表が降伏文書に署名したと きである。少なからぬ日本人は誤解しているが、日本の降伏は無条件降伏 ではなかった。敗者ではあるが、降伏という契約を結ぶ立場においては対 等だった。百歩譲って日本の降伏が無条件降伏だったと仮定しても勝者が 敗者に勝手に振舞うことは許されない。

だが「米国は日本占領の初期の段階から『降伏文書』の契約的性格を無視 し、むしろそれには縛られないという立場」をとったと色摩氏は指摘す る。その最たる例が「東京裁判」だ。

契約破りのマッカーサーの前で、日本人は腰くだけとなった。歴史の事実 に照らしてみれば、日本はドイツに較べても、歴史上敗戦を喫したどの国 に較べても「誇り高き降伏」を実現する資格を持っていた。しかし、「そ れをみすみす放棄」したと、氏は惜しむ。

北朝鮮の攻撃の前に無力な姿に陥りかねない日本の現状を見るにつけ、戦 後日本を形づくった体制を正しく理解したいと願うものだ。
『週刊ダイヤモンド』 2017年9月9日号
 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1197 



━━━━━━━━
患者自己注射物語
━━━━━━━━


  渡部 亮次郎

日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと決 断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発見か ら既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣が60年 も拒否するという残虐行為をしてきたのである。

園田自身も実は重篤な糖尿病患者であった。しかしインスリンの注射から 逃れていたために大臣在任中、合併症としての腎臓病に罹り、1週間ほど 緊急入院したくらい。大変な痛がり屋。引きかえに命を落とした。

政治家にとって入院は命取り。大臣秘書官として事実を伏せるために余計 な苦労をしたものである。にも拘らず園田はそれから僅か3年後、人工透 析を途中で拒否したため、腎不全により70歳で死亡した。昭和59(1984)年 4月2日のことだった。

その直後、私が糖尿病を発症した。全く予期せざる事態に仰天した。糖尿 病は現時点の医学では絶対治らない病気、いうなれば不治の病というから 業病(ごうびょう)ではないか。絶望的になった。

検査などの結果、私の母方の家系に糖尿病のDNA(かかりやすい遺伝子)が 有り、弟は発症しないできたが、上2人の男兄弟は暴飲暴食による肥満が 契機となって発症したものと分かった。

しかし、あれから30年あまり、私は毎朝、ペン型をしたインスリン注射を 繰 り返すことによって血糖値を維持し、今のところ合併症状も全く無 い。普 通の生活をしていて主治医からも「文句の付けようがありません」 と褒め られている。お陰で園田の年を超えた。81。

これの大きな理由は注射針が極細(0・18mm)になって殆ど痛みを感じなく なったからである。あの時、園田が自己注射を決断したお陰で医療器具 メーカーが、患者のためと自社の利益をもちろん考え、針を細くし、簡単 に注射できるよう研鑽を積んでくれたからである。

逆に言えば、厚生省が自己注射を許可しないものだから、医療器具メー カーは、それまで全く研鑽を積まないできてしまったのである。自己注射 で注射器や針がどんどん売れるとなって初めて研鑽を積む価値があるとい うものだ。

つまり役人や医者の頭が「安全」だけに固まっている限り医療器具は1歩 たりとも前進しないわけだ。患者たちを60年も苦しめてきた厚生省と日本 医師会の罪こそは万死に値するといっても過言ではない。

そこで常日頃、昭和56年までの糖尿病患者たちの苦しみを追ってきたが、 最近、やっとそれらしい記事をインターネット上で発見した。

「インスリン自己注射への長い道のり」(2001/05/28 月曜日)と題するも ので、とある。
http://www.geocities.jp/y_not_dm/insurin2.html



東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのイン タビュー記事「インスリン自己注射の保険適用から15周年を迎えて…」よ り抜粋と要約

<インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供給 のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日本で は60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありませんで した。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医師 会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなくとも 飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入 し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運動 を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省から は、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という回答 が繰り返されました。(佐藤内閣で厚生大臣は内田常雄に続いて齋藤昇)。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手で 知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年(厚生大臣 園田)、各種の努力によりインスリンの自己注射が 公認され、その5年後には血糖値の自己測定が公認されました。保険適用。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだと いうことが公認された、医療史上最初の出来事です。

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦肉 の策。患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、残 りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受ける ことで、電話再診料として保険請求した。

新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、と いう言い逃れ。来院時に400単位を1度に注射したことにして、1〜2週 間は効いている形にした>。


1986年、研究のスタートから10年目、

血糖自己測定が健保適用に  (2003年9月)

血糖自己測定を導入した糖尿病の自己管理がスタートした頃(1976 年〜)、今では誰もがあたりまえと思っているインスリン自己注射は、医 師法に違反するという非合法のもとで行なわれていた。

日本医事新報 (1971年)の読者質問欄ではインスリン自己注射の正当性 について、当時 の厚生省担当官は「自己注射は全く不可であり、代わり に経口血糖降下剤 の使用があるではないか」と回答している。

これが1970年代の実態だった のである。このような状況に対して、当時 の「日本糖尿病協会」は、イン スリン発見50年を迎えて、なおインスリ ン自己注射が認められない現状を 打破すべく10万人の署名を集めた。そ して厚生大臣をはじめ関係各方面 に、インスリン自己注射の公認と健保 給付を陳情したが全く受け入れられ なかった。

正当化されたインスリンの自己注射(1981年)

このような状況だったため、インスリンの自己注射容認と、インスリン 自己注射に関わる諸費用の健保適用までには、なお多くの人の尽力と歳月 を要した。そして結果が出たのは1981年(昭和56年)。この年ようやくイ ンスリン自己注射の正当性の認知とこれの健保適用が得られた。その内容 は当時行なわれていた慢性疾患指導料200点に、もう200点加算するという ものであった。これはその後の医療のあり方に大きな影響をもたらし、血 糖自己測定も含め、患者を中心にした医療の実践の必要性と有用性の実証 へと繋げられていった。


<血糖自己測定の健保適用(1986年)(園田死して2年後)

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\血糖自己測定25年.htm

インスリン自己注射の健保適用から5年後、私たちが血糖自己測定研究を スタートさせてから10年目、大方の予想を上回る速さで血糖自己測定の健 保適用がなされた。これはインスリン自己注射指導料に加算する形で設定 された。

以後、何度かの改定を経て、保険点数には血糖自己測定に必要な簡易血糖 測定機器、試験紙(センサー)、穿刺用器具、穿刺針、消毒用アルコール 綿など必要な機器や備品の全ても含まれるようになっている>。

1人の政治家の柔軟な頭脳による1秒の決断が日本の歴史を変えたといって もいい決断だった。この事実を厚生省は大げさに発表しなかったが、元秘 書官として責任をもって報告する。(文中敬称略)2007・05・24

         
 
      
━━━━━━━
話 の 耳 袋
━━━━━━━


 ◎◆◇◆◇写真映像情報網◇◆週刊AWACS 2017年9月10日

米国映像/Harveyに続いてIrmaが米国を襲う
GIFはハリケーンIrmaの動き/National Hurricane Centerより
http://www.ssd.noaa.gov/goes/east/tatl/wv-animated.gif

[http://www.ssd.noaa.gov/goes/east/tatl/wv-animated.gif]
8月末に米国を襲ったハリケーンHarveyの損害額は20兆円とも言われてい る。今日にもフロリダ半島に上陸する.Irmaはカテゴリー3に弱まったとは 言え、700万人に避難命令が出されている。米国にとっては明日の北ミサ イルよりも今日のハリケーンの方が厄介な代物だ。

◇共同9/10:米ハリケーン、10日にも上陸 700万人避難呼び掛け

【ニューヨーク共同】米ハリケーンセンターは8日、大型ハリケーン 「イ ルマ」が10日朝(日本時間同日夜)にも南部フロリダ州に上陸する可 能 性があると発表した。勢力は5段階で上から3番目の「カテゴリー3」に 弱 まったが、当局は約700万人に避難を呼び掛けるなど厳戒態勢。トラン プ 大統領は対応に万全を期すと強調した。

イルマが通過した米領バージン諸島やプエルトリコなどカリブ海の島々 は、強風によって甚大な被害が出ており、CNNテレビによると、少なくと も24人が死亡。被害はさらに広がる可能性がある。共同

では、今週号をお楽しみください。
http://ameblo.jp/unarigoe/entry-12309334008.html
誕生日の音楽映像(ホセ・フェリシアーノ、歌手・ギタリスト)
http://ameblo.jp/unarigoe/entry-12309316578.html
2017/9/10 唸声


 ◎「偏向報道を許すな!」 TBS本社前で500人が抗議デモ 我那覇真 子さんも参加「テレビは真実伝えず国民をだましてる!」 

TBS(東京放送)の報道が偏向しているとして、9日、東京都港区赤坂 のTBS本社付近で「TBS偏向報道糾弾大会・デモ」と題して約500人 が抗議デモを行った。

「TBS偏向報道糾弾大会実行委員会」が主催した。千代田区永田町の星 陵会館前を出発した一行は「国民をだますな」「偏向報道・歪曲報道・印 象操作」「TBS=放送法違反」などと書かれたプラカードや日章旗を手 に行進。「TBSの偏向報道を許さないぞ!」「TBSの印象操作を許さ ないぞ!」などとシュプレヒコールを上げた。

同実行委は、TBSの偏向報道の一例として、加計学園問題をめぐり、安 倍晋三首相に「行政を歪められた」と主張した前川喜平前文科事務次官の 発言を大々的に取り上げながら、疑惑を否定した加戸守行前愛媛県知事や 原英史・国家戦略特区ワーキンググループ委員らの発言はほとんど取り上 げなかったことなどを指摘している。「TBSの報道は放送法4条に違反 しており、偏った報道は多くの視聴者を裏切っている。反省を示さないな ら、貴社の電波停止を総務省に要求するしかない」との旨の抗議文も作成 した。

TBS総務担当者は一度は本社前に現れた。が、「街宣車の上に上がっ て、俺たちに話せ」と怒る人もおり、警察官らと話し合った末、踵を返した。

「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員の我那覇 真子さん(28)も沖縄から駆けつけた。

TBS本社前で街宣車上に立った我那覇さんは「テレビは真実を伝えな い。日本を中国や北朝鮮に差し出そうとしている。Jアラートが鳴ったこ とをおかしいと言ったり、北朝鮮と話し合えば大丈夫だなどと言って国民 をだましている。自分たちの報道が正しいというなら、この街宣車に上が るべきだ」と訴えた。

これに先立ち、実行委は千代田区永田町の星陵会館で集会を開いた。大会 主催者の村田春樹氏は「どの業界も監督官庁があるのに、やりたい放題の 業界がある。それがテレビ業界だ。TBSがやっているのは報道ではな い。報道テロだ」などと語った。(WEB編集チーム)

【写真】 TBSの報道姿勢についてデモ行進する人々。前列左から2人 目は我那覇真子さん=9日午後、東京都内(古厩正樹撮影)
<http://www.sankei.com/premium/photos/170909/prm1709090028-p1.html>http://www.sankei.com/premium/photos/170909/prm1709090028-p1.html
【産經ニュース】 2017.9.10 00:30 〔情報収録 − 坂元 誠〕



 ◎北の暴挙と日本人の「自虐史観」 核実験行われても“話し合え”と主 張する進歩のない日本−ケント・ギルバート ニッポンの新常識

北朝鮮は先月29日、中距離弾道ミサイル「火星12」を発射し、北海道上空 を通過させ、襟裳岬東方の太平洋上に落下させた。

3日には「6回目の核実験」を強行し、「ICBM(大陸間弾道ミサイ ル)搭載用の水爆実験に成功した」と発表した。水爆は原爆より小型化で きるうえ、最大で原爆の約3000倍のエネルギーが出せるという。

6回目の核実験は、米軍による武力行使や斬首作戦の「レッドライン」を 越える可能性も指摘されていたが、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働 党委員長は強行した。

不良中高生やチンピラ、ギャングなど、世の中には「ナメられるくらいな ら死んだ方がマシ」という人たちが確かにいる。正恩氏も似たような思考 回路なのか。

心理学の用語でいうと正恩氏は「承認欲求」が強いとみえる。特に、自分 が他人よりも優位な立場として認められたい「上位承認」の欲求が強いよ うだ。このような人物はナルシストの傾向が強かったり、他者に対して猜 疑心や被害妄想を抱えているケースが多いとされる。他人が信用できない から、自分はそれを支配する存在として君臨したいわけだ。

日本から見れば、わが米国のドナルド・トランプ大統領も、正恩氏と大差 ないと思うだろう。米国人は私も含めて自分の個性と主張を前面に打ち出 すよう、幼いころから教育される。授業中に積極的に前に出て自説を説得 的に述べられないと、成績優秀者にはなれない。基本的に「遠慮」「謙 遜」「譲歩」などに美徳を感じない。

米国人も「ナメられる」ことが大嫌いなのだ。だから、「チキン」(臆病 者)といわれるとキレてしまう映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 の主人公、マーティに共感する。

推測だが、「ナメられたくない」という気持ちは、厳しい生存競争を生き 抜くのに必要な本能的な感情ではないのか。逆に「ナメられても構わな い」との気持ちは人生を達観した聖人のようだが、生存への欲求が薄い感 じだ。

弾道ミサイルが上空を通過し、初めてJアラートが鳴り、加えて核実験が 行われても、あくまで「話し合え」「刺激するな」と主張する進歩のない 日本国内の反応を見ていて、そんなことを考えた。

先の「承認欲求」の中には、自分が他人から蔑(さげす)まれたいと考え る「下位承認」もあるそうだ。被虐的な性癖のある人物や、社会的・道義 的な責任を背負いたくないと考える人物、そして他人に依存したい、保護 されたいと思っている人物が抱きがちであるとされる。

 戦後の自虐史観のなれの果てが「下位承認」だったのだ。妙に納得した。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952 年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『儒教に支配された中 国人・韓国人の悲劇』(講談社+α新書)、『トランプ大統領が嗤う日本 人の傾向と対策』(産経新聞出版)、『日本覚醒』(宝島社)など。

【写真】  核の兵器化事業を指導する金正恩氏。日本人は恫喝に打ち勝て るか(朝鮮中央通信=朝鮮通信)
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170909/soc1709090004-p1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsPhoto
【ZakZak】 2017.9.9 〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎核実験に関わると「突然死ぬ」 北朝鮮でうわさ広まる

北朝鮮の市民の間で、3日の核実験の影響を心配する流言飛語が広がって いると、北朝鮮関係筋が明らかにした。実験作業に加わったり、近くに住 んでいたりすると、核実験の影響で死亡するという内容。同筋は「政府が 核実験についてきちんと説明しないからだ」と語った。

「全世界を転覆できる雷」 北朝鮮、観光客に核開発宣伝

市民の間では3日以降、「核実験にかかわると(原因不明の奇病の)鬼神 病(クィシンビョン)になる」「突然死ぬこともある」などのうわさが、 市場で働く人々の口伝えなどで広がっている。根拠のない話だが、関心を 集めているという。同筋は「3日の実験で大きな地震が起きて人々が動揺 したことも影響したようだ」と話した。

 北朝鮮は3日、「実験は以前より大きな威力で行われたが、放射性物質 の流出などもなかったし、周囲の生態環境にいかなる影響も与えなかっ た」と発表した。

 ただ、韓国政府は実験場がある咸鏡北道吉州郡豊渓里(ハムギョンブク トキルジュグンプンゲリ)で、実験に使った坑道が陥没した可能性がある と分析。8日には、微量の放射性物質キセノンを検出したとも発表した。

 北朝鮮は吉州郡を通る鉄道の駅での外国人の降車を禁じるなど、厳重な 機密体制を敷いている。一方で市民には放射能が人体に与える影響などを きちんと説明していないという。核実験の準備に携わった要員にも死者が 出ているという未確認の情報もある。(ソウル=牧野愛博)
朝日新聞デジタル9/10(日) 11:37配信



 ◎「50周年が目標」吉幾三“引退宣言”の意外な真相 常習犯?実は…

吉幾三(64)が曲作りに貪欲だ。来年、音楽を学ぼうと海外に旅に出る。 「俺(お)ら東京さ行ぐだ」「雪國」などのヒット曲を生み出してきたシ ンガー・ソングライターは「もっと日本に音楽を残す」と鼻息が荒い。先 月、バラエティー番組で発して話題になった“引退宣言”の真意についても 語った。

引き際のことを聞いても明るく、ユーモアたっぷりの“幾三節”は全開だった。

「古稀を過ぎて頭が“このハゲーーー”って言われる前にやめるつもり。誰 にも“忖度(そんたく)”しないであと5年、50周年が目標だな」

 3月にデビュー45周年イヤーに突入した。歌手として一曲も原曲キーを 下げることなくコンサートで歌い、ソングライターとしてシングル「らら ばい」(5月発売)の収録曲3曲を全て作詞作曲するなど、精力的に活 動。芸能プロ「吉プロモーション」、関連会社「幾三音楽出版」の社長と して社員約10人を抱え、奔走している。

 「そりゃ大変だって。弟子も育てないといけないし。とにかく45周年を 走り切って、放浪の旅に出るよ。45年もやってきたんだから、1年ぐらい 時間ちょうだいよ」

 放浪の旅。でも休暇ではない。50周年に向けて充電するため、欧米や南 米、中南米を回って音楽と触れ合う。来年4月に旅立つ予定で、仕事があ れば帰国して、またすぐに海外に行くという。

 「来年はほとんど日本にいない。たまにバラエティー番組に出たり中途 半端なことをしているんだったら、曲を作ることに専念した方がいいと 思ったんだ。日本に音楽を残したい。いろんなバリエーションの音楽をさ」

曲作りのインスピレーションを得るための勉強の旅。記者が感心している と「他にもいいことがあるかもよ」とボソリ。「男女の“忖度”だよ。それ を人は“不倫”と言いますか?いや、ゆきずりの恋だ。“一線”越えちゃうか も」。またまた旬のワードを使って笑わせてくる。

“引退宣言”は誤解だった。先月放送のフジテレビ「ダウンタウンなう」で 「僕ね、45年で人生終えようと思ってる。歌、歌うことをね」と歌手引 退を宣言。番組内で「来年3月まで歌って、ちょっと休む」と“修正”した が、ネット上で「引退」と広がった。

「番組で引退表明なんてしないよ。ファンに申し訳ない。歌手活動をしば らく休むっていうことです」

実は90、97年にも引退宣言をしている。常習犯と思いきや「今まで辞める と言ってきた時は、実は入院していた。病気で休むって言うと何の病気か 説明しないといけない。それが嫌でさ」と意外な真相を告白。肺水腫など での長期休養を引退宣言でカムフラージュしてきたという。

45年間で一番の転機は千昌夫(70)との出会いだった。アイドル歌手「山 岡英二」で73年にデビューしたが売れず、4年後に吉幾三に改名し、自作 の再デビュー曲「俺はぜったい!プレスリー」がヒット。これを聴いた千 が「面白いヤツだ」と吉に声を掛け、付き合いが始まった。

 「再デビュー後もしばらく売れなくて、もう歌手を辞めようと思った時 に千さんに“おまえの頭には何百億の才能が眠っている”って説得されてさ」

 84年、千がプロデュースした「俺ら東京さ行ぐだ」がヒット。86年の 「雪國」は、コミックソングから演歌に路線を変えたことで千の猛反対に あったが大ヒットし、男2人で抱き合って喜んだ。

「千さんに出会えたことが大きい。そして一番支えられたのは家族。売れ ない時代に女房の貯金を使い果たしちゃった。女房には本当に感謝している」

私生活では孫が5人いる。おじいちゃんは世界を飛び回って、貪欲に音楽 と向き合う。

≪最新シングル表題曲 ららばい伝える「恋は“忖度”だ」≫最新シングルの 表題曲「ららばい」は自ら編曲も手掛けた力作。男女の恋を描き、サビの ♪情けと情けの遊びっこ…という歌詞が印象的だ。「男と女の恋っていうの は忖度、忖度でいいんだよ。それぐらい軽い恋で終わらせろっていうこ と」。7月には45周年記念CDボックス「吉幾三 193大全集」を発売。 「いくぞう」にちなんで自身の歌193曲を収録している。

  ◆吉 幾三(よし・いくぞう)本名鎌田善人。1952年(昭27)11月11 日、青森県生まれの64歳。73年に「恋人は君ひとり」でデビュー。77年に 改名後はシンガー・ソングライターとして活躍。84年に千に「津軽平野」 を楽曲提供。86年から16年連続でNHK紅白歌合戦に出場。02年から 「Dream」が新日本ハウスのCM曲に。1メートル78。血液型B。
スポニチアネックス9/10(日) 10:00配信




━━━━━━━━
読 者 の 声       
━━━━━━━━


 1)U-18W杯野球の日本代表はカナダに負けた:前田正晶

さして興味がある訳でもなく、マスコミが過剰に持て囃す清宮幸太郎を贔 屓にしていないのだが、9日には何となく早朝6時からこの対カナダの試合 を見てしまった。結論から先に言えば、余り我が代表にとっては芳しくな い閃きがあったのだが、現実にその通りとなってしまう不甲斐ない負け方 だった。

私が以前から批判してきたように、我が国の野球界では高校野球が精神論 的にはその頂点に位して、プロ野球でも1回の表無死走者一塁の場面では 決まって2番打者は犠牲バントである。それ故に、プロで犠牲バントの記 録を作った選手はその「テイ―ムの為の犠牲精神」が礼賛されるのだ。高 校野球で甲子園まで来て、このバント作戦を採らない学校は極めて例外的だ。

しかし、荒削りな素材だけで勝負してきたカナダの18歳以下の少年たち は、解説の古田敦也が指摘したように1、2回と無死で走者を出したが「バ ントの気配すら見せなかった」のだ。それでも、細かいところまでを集中 的に鍛え上げてきた我が国の高校野球の精鋭が集うテイ―ム似勝ってまっ たのだった。私は「あーあ」と思いながら、この野球における文化の違い を見守っていたのだった。

カナダの少年たちの野球は極論的に言えば「決めて大雑把」で、内野手の 一塁への送球の粗雑さなどは我が国の高校野球ではあり得ない次元の低さ だった。基礎が出来ていないという見方も出来るだろうが、基本的には優 れた身体能力というか、腕力を活かして一塁の方向に投げているだけだと 見た。打者だって同じようなもので、力の限り勝負をしてくるのだった。

投手にしたところで、我が国の元プロ野球の選手だった解説者が常に指摘 する「細かいコントロールがある訳ではない」プロの外人投手たちと同 に、相手打者の欠点を狙って投球するのではなく、言うなれば「打つなら 打って見ろ」式に自分の持ち球を次から次へと投げ込んでくるだけの事 だ。我が国の高校生のようにトーナメントを勝ち抜くべく、多種多様の球 種を投げ別けるのではないのだ。

結果的に2点を取られて敗因となってしまった回には、投手が相手打者の 長打を恐れたのか、低めへの変化球を投げ続けワンバウンドになってしま い、それを捕手がインフィールド内に弾いてしまった。これは投手が捕り にいくべき球だったが、捕手が出ていった為に本塁ががら空きで三塁走者 の生還を許してしまった。私は細かい技巧をまで鍛え上げられてはきた が、所詮は寄せ集めの悲しさで、呼吸が合っていなかった
のだと見ていた。

全体的な印象では「この試合に勝てないと上位2テイ―ムに勝ち残れない」 との重圧に負けていたのか、要らざる緊張感で動きがぎこちなかったよう にしか見えなかった。また、高校生のホームラン記録を更新したと大騒ぎ の清宮君だが、私にはヤクルトの山田哲人と何処か似たような星の下に生 まれた感があり、「ここぞ」という時には打てない打者のように見えるのだ。

また、ホームランを沢山打つというが、往年の「失投のみをとらえてホー ムランする」と密かに揶揄されていた原辰徳にも通じる向きがあると思 う。私は清宮君は運動神経としては決して万能選手的に優れてはいないと 見ているので、もしもプロに行くのだったならば有望新人を育てる技術が 劣悪な読売巨人軍だけには行かないことだ。

高校野球は甲子園で勝つ為を究極の狙い(願い?)としているので、あの 場に出てくる高校の優秀な子供たちは既に彼らなりの小宇宙が完成してい る。打者は細かく左右に打ち分ける打法を身につけており、投手は「プロ か?」と思わせるほどあらゆる球種を精密なコントロールで投げ別けてみ せる。でも、その選抜選手を集めた代表テイ
―ムは、未完成で粗雑なカナダに負けてしまった。

更に一言、例によってマスコミ批判をしておきたい。それは最後に出てき た熊本から来た田浦という投手は精密なコントロールでほとんど変化球だ けを投げ続 け7〜8人打者を処理したが、三振ではなかったのが1名だけ だった。こういう投手を 何処の局のアナウンサーも賛美するが、解説の 元横浜高校監督の渡辺元智氏も古田も 一言もその点には触れなかった。 なぜだろう。

大体からして2点リードされて終盤になってから出した田浦があれほどカ ナダの高校生を手玉に取れるのだったならば、何故もっと早く出さなかっ たのだとい う恨みも残る。だが、私の言いたいことは、高校の頃から トーナメントを勝ち抜く為 に細かいことばかり教え込む教育(乃至は練 習)方針が理解しにくいのだが。

何度も言ってきたことで、三振を取る為には少なくとも打者1人に3球を投 げねばならない。だが、1球で討ち取れれば9回完投しても81球で終わるで はないか。 高校時代には未だ未だ荒削りで三振か四球かとでも言うよう な力任せの投球をする、 将来プロに行っても大学に進学しても、成長で きるような育て方は出来ないものかと 思う。いや、出来ないだろう、頂 点に甲子園の野球がある限り。

なお、この試合に続いて日本時間の10日午前2時から行われた対韓国も敗 れて、我が代表は3位決定戦に回ったそうだ。残念だろうが、あの力では 仕方が ないだろう。清宮君が1人でホームランの記録を打ち立てたからと 言って代表テイ― ム全体が強くなる訳ではないにだから。



 2)今年のシルバー川柳入選作品がきまりました。:品川 阿生居士

http://www.yurokyo.or.jp/news/silversenryu/20170908_01.html

15578作品から

■紙おむつ地位も名誉も吸いとられ 

厚木のかずちゃん(男性・神奈川県・73歳・無職)★

ほか19作品


 3)ワシントンDCには:前田正晶

10日朝には滅多に見ないTBSのサンデーモーニングを見ていたが、これは フジテレビが27時間テレビとやらをやっているので、報道2001が放映され るのかどうか不明だったからだ。しかし、新聞などでは報道されていない 事を毎日新聞に岸井が言っていてのを聞けたのは収穫だった。

それは「アメリカの国務省(Department of the State)には未だに局長 や部長級の管理職が着任していないことがあるので、我が国の駐米大使や 国連大使が接触すべき相手が不在で意見交換も出来ず情報も取れない状態 にある。一方ではトランプ大統領が思い付きのようにTwitterで色々と発 言してしまうので、外務省も困っている」というものだった。

私でさえ、「トランプ政権下ではトランジション・テイ―ムが機能しない 状態が続き、ワシントンDCの中央官庁の管理職にオバマ政権時代の者が 残っていたり、甚だしい場合には空席もある」程度は知っていたが、ここ まで具体的に問題点を挙げた話は聞いたことがなかった。即ち、トランプ 大統領が未だにやるべきだったことをやらずに放置してあるという統治能 力の問題点の指摘だった。これでは外務省もさぞや苦労されていることだ ろうと思った。




━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━

11 日の東京湾岸は珍しく朝から晴れ。


自宅近くの都立猿江恩賜公園、うるさいほどだったあのセミの声がぱたり とやんだ。やはり夏はほんとに終わったのだ。そういえば日中平和友好条 約の締結交渉に行った時の北京の迎賓館の周りのセミの声は半端じゃな かった。煩くて相手の声が聞き取れないのだ。

マロニエの実はすべてむかれていた。

令夫人の四十九日忌をすませた大阪の池尻さんに電話。まだまだおつらい でしょうが何とか元気を出してください。

隣りの中学校。日曜日の10日。流石にプールに来るものはなし、校庭では 大人たちが野球をしていた。この第3亀戸中学校には野球部が 無い。住 宅街の真ん中で、土地が狭くてグラウンドがとれいから。気の毒だ。

秋田の昔の中学校のグラウンドは田んぼを埋め立てて造ってあった。

                         読者:5750人。 








◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら
→ http://melma.com/contents/taikai/

渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。