政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針4448号  2017・8・18(金)

2017/08/18

  
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わたなべりやうじらうのメイ ルマガジン「頂門の一針」4448号
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           2017(平成29)年8月18日(金)


             副主任に李作成将軍が有力:宮崎正弘

          大阪俳人与謝蕪村名を広めよう:毛馬 一三

               ビタミンB1を思う:渡部亮次郎               
                                  
                        話 の 福 袋
                           読 者 の 声
                           身 辺 雑 記


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第4448号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
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副主任に李作成将軍が有力
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)8月18日(金曜日)
        通巻第5397号 <前日発行>
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(速報)
 次期中央軍事委員会副主任に李作成将軍が有力
  中越戦争で戦歴、陸軍大将(64歳)、氾長龍退任と交替へ
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サウスチャイナモーニングポスト(8月17日)が伝えた。次期中央軍事委 員会副主任に前「成都軍管区」司令、陸軍大将の李作成(64歳)が最有 力と報じた。

李は安徽省出身で、1979年の中越戦争を指揮して戦果を上げた功績を習近 平が評価し、また汚職とは無縁と判断された。

しかし事情通によれば、さきに失脚した徐才厚、郭伯雄の人脈に重ならな いばかりか、彼らが副主任時代に軍隊で冷遇された過去を、習近平が気に 入ったという。
 
来月に引退が予定される氾長龍副主任のポストの後任となる。副主任は事 実上の軍最高位のポスト。

党大会前に軍人トップの交代が行われることは、習の主導権がやや固まっ た観がある。
     
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 中国が米国債保有高で、再び世界一に返り咲いたがロシアは60億ドル売 り越し、1029億ドルを保有。世界14位。
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 米財務省統計により米国の赤字国債保有高は、中国が再び日本を抜い て、第1位に返り咲き、1ヶ月で443億ドルを増やしていた。

他方、ロシアは同期間に60億ドルを売却し、保有高は1029億ドルとなった。
 
これは米国赤字国債保有ランキングで世界第14位である。

ロシアは来年の大統領選挙を控え、経済的困窮状況の克服が優先課題と なっているため、プーチン大統領は政治的に米国に対抗するポーズを示す 必要がある。だから全額の売却を控えるのだ。
 
しかし、米国との競合に明け暮れ、2022年には米国を凌駕するなどと豪語 している中国が、しかも16年10月にはIMFのSDR通貨に参入したにも かかわらず、なぜ米国債の保有高を増やす必要があるのか。

人民元経済圏を膨張させるのではなかったのか。あるいは政治的判断か経 済的事由より重要だったのだろうか?

モスクワ大学の経済学のアレキサンドル・ブズガリエ教授は『プラウダ』 (英文版、8月16日)に答え、「中国はドルが必要だからさ」と単純明快 に背景を説明した。

人民元の決裁権を増やすとはいえ、中国の輸出先はアメリカであり、しか も、多くの国々との決済はドルであり、通貨スワップを行っている香港、 マカオ、マレーシアなどでも人民元建ての貿易は少ない。

豪語していることと矛盾しているが、中国はドル基軸態勢の中で、経済活 動を維持せざるを得ないという自国通貨の脆弱性を自ら認識できているの である。
         
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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明代の公文書「皇明実録」を読み解くと、尖閣は琉球に属し、「明の領土 ではない」

と明記されているばかりか「台湾の付属島嶼でもない」と書かれていた。

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石平 vs いしゐのぞむ『中国が反論できない真実の尖閣史』(扶桑社)
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世の中には熱血漢がいるものである。

尖閣諸島は日本固有の領土だが、あれは「歴史的に中国のもの」と難癖を つけて、日本が隙を見せたら日本から奪おうとしている中国にとっては、 南シナ海の岩礁を勝手に埋立て人工島とし、軍事施設を建造して「昔から 中国領だ。文句あっか」と開き直ったパターンを繰り返そうとしているの である。

つぎにインドに楯突き、シッキム、ブータンの領土を強奪して既成事実化 せんと軍を派遣し、いまインドとにらみ合っている。ここにバングラデ シュに通じる回廊をつくり、インドの東西分断を図ろうという長期計画が あるのだろう。

もしインドが隙を見せたら電光石火、中国はあそこを盗むだろう。なぜ、 このタイミングを撰んでいるのかと言えば、米国がいま北朝鮮問題で忙し く、インド国境の問題に介入する余裕がない。インドもそれを望んでいない。

ましてスカボロー礁を中国がフィリピンから盗取したが、米艦隊は「航行 の自由作戦」と称して、付近の海域を駆逐艦が通り抜けるだけ。中国に とってまととないチャンスだからだ。

中国共産党は天下を盗んだ革命後、南モンゴルを侵略して内蒙古自治区だ と言い張り、東トルキスタンに侵略して新彊ウィグル自治区だと獅子吼 し、チベットを全部凌奪している。

尖閣諸島ばかりか、琉球回収(つまり沖縄奪還)と叫び、台湾まで「中国 の不可分の領土だ」と言い張っているのだから、その歴史意識に客観性を 求めるのは徒労でもある。

リアルポリティックスの見地に立てば、軍事戦略を行使して、相手を踏み にじっても自己の主張を達成するという弱肉強食の論理にしたがっている だけである。

さて世の中に熱血漢がいるものである、と冒頭にのべたのも、共著者のい しゐのぞむ氏のことである。

氏は中国の古文書、歴史文献の研究者だが、すでに2012年7月17日の産経 新聞が一面トップで報じたように「明代に皇帝から琉球へ派遣された使 節」が残した「上奏分」に「尖閣諸島から琉球がはじまる」と書いてある ことが判明し、中国の主張が崩壊していることを突き止めた。

 尖閣で領海侵犯した中国人漁師を民主党政権下で日本はさっさと釈放し た。日本は法治国家ではなかった。国際社会に恥を晒した。
 この体たらくに怒髪天をついたいしゐ氏は、中国語でかかれた古い文献 を収集し、そこに書かれた中国語を読解したのだ。しかし骨董的な古文書 は高価である。それを自費で購入し、誰の支援も、国の推奨金もなくやり 遂げた。
 とりわけ明代の公文書「皇明実録」を読み解くと、尖閣は琉球に属し、 「明の領土ではない」と明記されているばかりか「台湾の付属島嶼でもな い」と書かれていた。
 清朝になると「琉球紀行は次第に詳しくなり、琉球人が水先案内をする 海域も明確化されてくる。それはなんと大陸のすぐ近くの馬祖列島からな のである」(47p)。
 つまり琉球の水先案内人(向導)がいないと「琉球へ出航さえできな い」のだから、尖閣諸島を領有している筈がない。
 
 本書ではほかにも膨大な尖閣史料と世界航海地図を読み解き、石平氏と 徹底的に解題したのが本書である。
 石平氏が言うように「中国人にとって歴史はニセモノの骨董品」であ り、嘘放送に左右されず、我が国は断固として固有領土を守り抜かなけれ ばならない。
 でなければ推薦の百田尚樹氏が言うように「尖閣を奪取されたら日本は おしまい」である。
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 ▼読者の声 ▼どくしゃのこえ ▼READERS‘
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(読者の声1) アジア自由民主連帯協議会講演会報告をホームページを更 新し、つぎの報告をしております。
第29回講演会 ウイグルにおける人権弾圧最新情報
http://freeasia2011.org/japan/archives/5225
第28回講演会 南モンゴルにおける開発の実態
http://freeasia2011.org/japan/archives/5222
        (三浦小太郎)


(宮崎正弘のコメント)HPを拝読、とりわけイリハムさんのウィグルの 現状報告は衝撃的でした。こうした現状報告が広く読まれることを望みま す。読者のみなさんも、格さんにご協力下さい。



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(読者の声2)「中国ガン・台湾人医師の処方箋」(林 建良著)
 中国の本質を知る最高の解剖学とその処方箋が本書に掲載されていま す。皆様にその全貌をこれからご紹介していきます(その2)。

●台湾は中国の核心的利益ではなく核爆弾である

 中国が台湾の隣国である限り、政治的、経済的、環境的の影響はどうし ても避けられない。しかし今や台湾にある最大な武器は軍事でも経済でも なく、自由と民主主義なのである。台湾は守りから攻めの姿勢に転じ、積 極的に中国の民主化を促すことが安全保障につながるのであろう。
 中国人が台湾を中国の一部だと思っているからこそ、台湾はどの国より も中国人に影響力を持っている。中国が台湾を中国の一部であることを宣 伝すればするほど、台湾の影響力も強まる。影響力の増す台湾が本気に中 国の民主化運動に火をつければ、中国は分裂させられる可能性が大きい。 だから台湾は中国の核心的利益というよりは核爆弾と言ったほうがよさそ うだ。
 
●日本が協力すれば、台湾は完全な力を発揮できる

 しかし、今の台湾は単独で中国と対抗するほどの環境整備ができていな い。その一つの理由は国際的孤立感と、「中国を刺激するな」という国際 社会に蔓延している事なかれ主義である。
 台湾の力を完全に発揮させるため、アジアの大国である日本との連携は 不可欠なのだが、ほとんどの台湾人は、日本は中国を恐れているあまり、 台湾に政治的関心をまったく払っていないと考えている。
 実際、戦後以来、日本政府が台湾のことについて、政治的関与を避けて きたばかりだが、中国の言い分だけは唯々諾々に従っている。台湾を中国 の一部である中国の言い分を「理解して尊重」するのは一つの象徴である のだ。
 
こうした台湾を中国に押し付ける姿勢が台湾を萎縮させ、中国ガンの膨張 を増長させている。台湾人が馬英九の中国一辺倒の政策を放任しているの も、こうした孤立感から生まれた自爆自棄の心理によるのではなかろうか。
 それでも台湾人は変わらず日本に熱い視線を注いでいる。3.11大震災で 台湾人が日本に対する無私な行動はそのまま、台湾人の日本に対する情の 深さと考えてよい。日本人は忘れているが、台湾は日本の宝のような隣国 なのだ。日本政府が台湾と政府間関係を持ち、一緒に中国問題を対処して いこうという姿勢があれば、台湾の持っている力も存分に発揮できるので あろう。

●日本版台湾関係法を制定し、台湾と政府間関係を持とう

 ただ、日本が台湾と政府関係を持つには、まだ道は遠いかに見える。こ の関係に関する目途はついておらず、現在は大きな空白状態だ。これが日 本にとって大きなマイナスであることは間違いない。そこでこの問題を解 決するには、台湾関係法が必要だ。アメリカはそれがあるから、中国の邪 魔を撥ね退けられ、台湾との政府間交流ができる。
 https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%AC%E3%83%B3-%E6%9E%97-%E5%BB%BA%E8%89%AF/dp/4890633006/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1500086916&sr=8-4&keywords=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%AC%E3%83%B3
   (茂木弘道)



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大阪俳人与謝蕪村名を広めよう
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         毛馬 一三


江戸時代の3大俳人の内、松尾芭蕉と小林一茶の生誕地は、江戸時代当時 から知れ渡っていたが、与謝蕪村の生誕地だけが大阪毛馬村(大阪市都島 区毛馬町)だと「定説」になったのが、戦後直後の事である。

この事を教えてくれたのは、蕪村研究第一人者の関西大学文学部の藤田真 一教授であった。

奈良県でこれに纏わる「蕪村直筆の書簡」が見つかったのが、キッカケ だったという。藤田教授の話によると、下記のようなことだった。

(蕪村は、自分の生誕地のことは、俳人・画人として活躍の舞台だった江 戸・京都でも、何故か余り触れたがらず、主宰の「夜半亭」の弟子たちに も語ったという「記録」すら残されていないという。このため、蕪村の生 誕地を確知していた者は、誰もいなかったのではないかという。

ところが蕪村は、安永六年(1491)に発刊した冊子「夜半楽」(二十頁ほ ど)の冒頭に、「春風馬堤曲」を書き、毛馬村側の淀川の馬堤に触れ、十 八首の俳句を添えている。しかしこの時残念なことにその舞台となる淀川 毛馬馬堤近が、肝腎の自分の「生誕地」だとは一切触れていない。

しかし、その後願ってもないことが起きた。

蕪村は、この「夜半楽」冊子を贈呈した大阪在住弟子の柳女・賀端(がつ い)に宛てた添え書きの「書簡」の中に、自分の生誕地が「毛馬村」だ と、下記のように初めて綴ったのだ。これが生誕地解明の歴史的契機と なった。

「春風馬堤曲―馬堤は毛馬塘(けまのつつみ)也。即、余が故園(注釈・ふ るさと)也。余幼童之(の)時、春色清和の日ニは、必(かならず)ともどち と此(この)堤上ニのぼりて遊び候。水ニハ上下の船アリ、堤ニハ往来ノ客 アリ」。

それなら、これが物証となって、江戸時代から毛馬村が生誕地だと定説に なっても良かったのだろうが、そうならなかったのには理由がある。

というのは、江戸時代の発刊諸本には複製本が多く、勝手に削除・加筆さ れることが多々あった。このため「夜半楽」の弟子への添え状ですら、複 製なのか、それとも蕪村直筆のものか判定出来ず、結局「蕪村生誕地複数 説」を加速させる結果を招き、生誕地説は宙に浮いたままの状態だった。

ところが、終戦直後、奈良県で終戦直後偶然見つかった先述の弟子の柳 女・賀端(がつい)に宛てた添え書きの「書簡」が、公式に「蕪村直筆」 だと「認定」されたのである。

これによって「毛馬生誕地」説が確定した。終戦直後の認定だから、遅き に失したと言わざるを得ない。しかしこれは「蕪村生誕地複数説」を破棄 し、毛馬村を生誕地とする歴史的且つ画期的「決め手」となったことになる。

しかも「春風馬堤曲」冒頭の記述に淀川風景の描写や添付十八首と、柳 女・賀端(がつい)に宛てた添え書きへの想いを結びつけて考えると、 「毛馬村への切ない郷愁」を浮き彫りとなる。

以後、生誕地が毛馬村であることを不動のものになった。この経過を考え ると、蕪村生誕地を定めた一通の「蕪村直筆書簡」の存在は、実に大き かった。

これが「認定」されていなかったら、蕪村が大阪俳人として登場すること も無かったことになるだろう。)

こうして、蕪村が大阪生誕俳人と称されるようになってから、七十余年し か経たない。そのため蕪村は、芭蕉や一茶とは異なり、江戸時代以来、生 誕地大阪で「蕪村生誕顕彰」が疎かにされ、それを知る人が少なかったこ とに繋がっており、誠に慙愧に絶えない。

実は、与謝蕪村の生誕地毛馬村の庄屋の家屋や宿屋の遺跡は、明治29年 に明治政府の「淀川改修工事」で、国の河川淀川の川底に埋没させられ、 今でも何処に生誕地の生家があたったかも判然としない。

現在、淀川堤防の毛馬に「蕪村生誕地碑」があるが、この碑の場所が生誕 地ではなく、その碑の眼下に流れる「淀川川底の何処かの場所」が生誕地 ということになる。

このために、今でも地元大阪ですら「蕪村生誕地が毛馬村」であることを 知らない市民は多い。次世代を担う児童生徒の教科書にも掲載されていな いことを考えると、生誕地のことを知らない人が多いことはことも当然の ことだろう。残念で仕方がない。

余談ながら、筆者は藤田教授に下記の質問をした。

「蕪村は、淀川を下って源八橋から船を降り、浪速の弟子の下に苦吟の往 き来きしていましたが、「春風馬堤曲」に記述しているように、それほど 生誕地の毛馬に郷愁があったのであれば、源八橋の極く近郊にあった毛馬 村生家に立ち寄ってはいないとの噂ですが、何故でしょうか?その学説は ありませんか?」

藤田教授の答えは次のようだった。(それを証明する「学説」はありませ んね。恐らく立ち寄ってはいないでしょう。深い郷愁にも拘わらず立ち寄 れ無かったのには、それ超える事情があったのかもしれませんね)という ことだった。

となれば、生誕地への郷愁は人一倍あったのに、立ち寄りたくない感慨が あったのだろうという推察が浮上してくる。

恐らく奉公人だった母と実家の父が亡くなってから、私生児だった蕪村 は、庄屋の家も引き付けず、家人たちからも極めつけの「いじめ」を受け ただろう。そのために十七・八歳で家を出家せざるを得なかったのではな いか。

そのことが「ひと一倍の郷愁はあっても、いじめが再来する生家には生涯 立ち寄りたくなかった」のではないだろうか。

最後になりましたが、どうか、大阪俳人蕪村名を、芭蕉・一茶と同じ様に 「生誕祭を生誕地でお祝いするカーニバル」を開催したいのが、人生のお 願いで、今準備を進めている。 皆様のご賛同とご支援を伏してお願い申 し上げます。(了)


           
               
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ビタミンB1を思う
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   渡部 亮次郎

1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京 湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。 屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、 このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大 造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で 初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組 員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極 めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦 「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始 まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高 木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事 は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、 野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間 に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。 以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜 を必ず食事に採り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。脚気という病気はこのよう に、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわけ。皇后陛下 も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒された。明治天 皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い 「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有 効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、 飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが 足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。 その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明 治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米 ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣 の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本 人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の 学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に 玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄 米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食 べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森 一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験 ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒 でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾 病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問 題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確 たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確 立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、 「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革 案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚 気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸 軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定 する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても 「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近 代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気 に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に 対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で 発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統 計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概 に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対 する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい た。>2006.05.07



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話 の 耳 袋
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 ◎吉田茂氏、ノーベル賞候補に3度…最終候補にも

【ジュネーブ=笹沢教一】サンフランシスコ講和条約の締結など戦後日本 の針路を決める重要な政策決定を行った吉田茂元首相(1878〜1967年)が 1965〜67年に連続でノーベル賞候補に推薦され、65年には最終審査の対象 となるリストに入っていたことが、ノルウェー・ノーベル研究所(オス ロ)への情報公開請求でわかった。

ノーベル賞の選考過程については、ノーベル財団規約で「50年間は非公 開」と規定され、平和賞は、研究者やジャーナリストに解禁後の情報公開 を認めている。

 読売新聞が入手した資料によると、65年には、当時の首相で74年に平和 賞を受賞する佐藤栄作や当時の外相の椎名悦三郎ら日本の4人が推薦人に 名を連ねた推薦状が、平和賞の選考を行うノルウェー・ノーベル委員会に 送られた。読売新聞8/17(木) 7:23配信



 ◎韓国また“妄言”に安倍首相激怒「ゴールポスト動かさない」 文氏が 慰安婦、徴用工問題に言及

安倍晋三首相が、韓国の「妄言」「妄動」に激怒した−。韓国の文在寅 (ムン・ジェイン)大統領が15日、「光復節」の記念式典で、慰安婦と徴 用工の問題に言及したためだ。両問題とも、1965年の日韓請求権協定で終 結しているうえ、慰安婦問題はさらに2015年の日韓合意で「最終的かつ不 可逆的」に解決している。韓国はどこまで隣国にタカるつもりなのか。

「ゴールポストが動くことは絶対にあり得ない」「合意したことで、すべ てだ」

安倍首相は15日、官邸で日韓議員連盟幹事長を務める河村建夫元官房長官 と会談し、こう述べたという。当然のことだ。

文氏は同日の式典に元慰安婦の女性を初めて招き、慰安婦と徴用工問題に ついて、演説で「歴史問題にケジメをつけたときに両国の信頼がより深ま る」「解決には人類の普遍的価値や国民的合意のうえでの被害者の名誉回 復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際原則がある」といい、 「日本の指導者の勇気のある姿勢が必要だ」と付け加えた。

演説では、日韓首脳間の相互訪問による「シャトル外交」の拡大で、両国 関係を前進させる意向を表明したが、何と虫のいい話か。

前述のように、慰安婦と徴用工の問題は日韓間ですべて解決している。国 家間の条約や合意を破って、一方的にゴールポストを動かして、新たな要 求(金銭や謝罪など)をしてくるのは、隣国の“悪しき伝統”といえる。

それに、日本国内の左派メディアや左派団体が賛同して、日本政府を追及 するのが、戦後続いてきた日韓関係の暗部なのだ。

 慰安婦問題では、ソウルのバス運行会社が慰安婦を象徴する少女像を座 席に置いた路線バスの運行を始めた。異様な光景だ。

菅義偉官房長官は15日の記者会見で、慰安婦バスについて、「日韓双方が 未来志向の関係を発展させようとする努力に水を差すことになりかねな い」と語った。

 理不尽な要求は、断固はね返すしかない。

【写真】
・ 安倍首相も我慢の限界か 安倍首相も我慢の限界か
・ いまだに慰安婦問題を蒸し返す韓国(ソウル市提供=共同)
<http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170817/soc1708170008-p1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsPhoto>http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170817/soc1708170008-p1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsPhoto
【ZakZak】 2017.8.17 〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎10・22衆院選は「改憲」「3選」封じ

内閣改造・自民党役員人事が終わり、内閣支持率がじわりと回復基調に転 じると、政界に再び解散風が吹き始めた。平成30年暮れの衆院任期満了ま で残り1年4カ月余り。来年9月の総裁選3選を見据え、安倍晋三首相 (自民党総裁)はいつ衆院解散に踏み切るのか。そのカギは、首相が掲げ る「平成32年の新憲法施行」という政治スケジュールにある。 (岡田 浩明)

「秋の臨時国会冒頭で首相は解散を打ってくるのではないか?」

日の内閣改造後、永田町でこんな噂がまことしやかに流れ出した。

発信源は民進党だった。

学校法人「加計(かけ)学園」問題などで急落した内閣支持率は回復しつ つあるが、民進党では蓮舫代表の辞任表明後も混乱が続く。9月1日の代 表選では共産党との共闘の是非が争点となり、選挙準備どころではない。

一方、小池百合子東京都知事に近い若狭勝衆院議員が年内の新党結成に動 き出した。新党との連携を見据え、細野豪志氏に続き、民進党から離党者 が続出する可能性もある。

つまり首相から見れば「今秋に解散すれば十分勝算がある」というわけ だ。10月22日には愛媛3区と青森4区の衆院ダブル補選が予定されてお り、9月下旬の臨時国会冒頭に解散すれば「10・22衆院選」をぶつけるこ ともできる。自民党の一部には「任期満了近くになると追い込まれ解散と なる。今のうちに解散するのが得策だ」(中堅)と乗じる動きもある。

 だが、今秋の解散は基本的にあり得ない。現時点で解散すれば、自民、 公明両党で過半数は維持できても、改憲勢力3分の2超という現状を維持 するのは困難だからだ。

 首相が、昨年夏の衆参同日選や昨年末の解散を見送ったのも同じ理由 だった。当時の内閣支持率は5割超だったが、自民党などの極秘調査は 「自民党は少なくとも30議席減」という結果だった。

 衆院で改憲勢力3分の2超の議席を失えば、首相が5月3日に打ち出し た「憲法9条に自衛隊を明記する」という改憲方針は霧消する。この大目 標を失えば総裁3選の道にも黄信号がともる。首相の目に今秋解散論は 「改憲封じ」「3選封じ」に映っている。

 では首相が思い描く衆院解散はいつか。

 理想は、来年の通常国会で改憲案を衆参両院で発議し、来年秋の総裁3 選後に衆院選と国民投票の同日選挙だろう。

だが、野党・メディアの護憲勢力が「改憲潰し」「安倍潰し」に向け、総 力戦を仕掛けることは想像に難くない。逆風を受け、公明党が改憲反対に 転じることも十分あり得る。

 首相が最も憂慮しているのは、改憲案が衆参いずれかで否決されること よりも国民投票で否決されることだ。もし否決されれば、改憲論議は数十 年にわたり封印されかねないからだ。

 昭和35年の日米安全保障条約改定時のように国会を幾重ものデモ隊が取 り囲むような事態となり、強行採決で改憲案を発議せざるを得ない状況に 追い込まれたら首相はどうするか−。一か八かで「改憲の是非」を問うて 解散を打つ可能性は十分ある。来年春の平成30年度予算成立後は常在戦 場となるのではないか。産経新聞8/17(木) 7:55配信



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読 者 の 声       
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 1)英語の嫌らしさの考察:前田正晶

これは先日の「私の英語勉強法」を補うもので、日本語にはない考え方と いうか観念が多い英語という言葉を、あらためて分析しようとする試みで ある。このイヤらしさに従いていけない方が多いので、「どうにか通じ た」とか「こっちからは何とか単語を並べて解らせたが、相手の言うこと はサッパリ理解できなかった」などという結果になってしまうのだと思っ ている。

いや、後難を恐れて言えば、かかる違いがあることを良く理解できるよう に教えていないらしい、我が国の英語教育の問題点を論っているのかも知 れない。

こういう違いがあることを如何にも学問的に教えておられるようなので、 教えられた方が懸命に理屈で考えようとするから、余計に混乱するようで ある。大体からして「語学」などと称するのは誤りで、英語なんて学問で も何でもないのだ。

そういう思い違いの指導の悪い結果というか例として、先日「ペラペラ風 の英会話」の例文を挙げておいたので、出来ることならば思い出して頂け ると有難い。言うなれば、あの例は「面倒くささに負けて、易きに付いた 結果である」と言いたい。

最初に名詞の複雑さを挙げよう:

日本語にない観念で我が同胞を悩ましている例に名詞に「可算名詞」 (countablenoun)と「不可算名詞」(uncountable noun)があることを 挙げて良いだろう。前者を簡単に言えば「後に複数を表す”s”が付けられ る名詞」のことで、”book”、”boy”、”house”等がある。だが、中に は”paper”のように1枚の紙を表していながら”two sheets of paper”のよ うにsを付けない使い方があるのがイヤらしい。

不可算名詞には”service”、”water”、”help”、”bread”、”information”
のような例がある。だが、困ったことに”service”などは”financial services”のように複数形でも使える例があるのだ。私が音読・暗記・暗 唱を強調して勧める根拠に「こういう例がある以上、その場になってどっ ちだったかと迷わないように例文を暗記しておけば、イザという時に間違 えないで済む」とお考え願いたいのだ。

次なるイヤらしさは「集合名詞」(collective noun)である。辞書には 例として”committee”、”herd”(群れ)、”team”という単語が出てくる。 本格的なイヤらしさはこれから先のことである。

即ち、British Englishでは後に来る動詞を単数と複数の何れで受けても 良いようだが、アメリカ語では動詞は単数形でなければならぬようであ る。現に私は単数形でしか考えていなかったのだ。だが、British系の人 たちに「文法が間違っている」と指摘された経験はなかった。

更に「単複同形」などという例がある。そうは言ったが中々適当な例をも 出せずに悩んだ。”Japanese”もそうだと思うし、”Chinese”もそうだろう。

他には陳腐な例には”fish”もあるし、”deer”、”cattle”なんていうのもあ る。”people”なんていうのは常に複数扱いになっているので、この範疇に は入らないのだろう。兎に角、こういう嫌らしさへの対応は理屈ではな く、例文で暗記しようと言っているのだ。

動詞の変化:

名詞だけを考えてもこれほどややこしいのだから、こういう違いと後に付 く動詞の変わり方を理論的に教えられ、しかも「試験に出すよ」などと言 われては「何でこんな面倒なことを覚えなければならないのか」と英語嫌 いが増えるだろうと容易に想像できる。

私はこういう理屈を覚えることを一切無視して「音読・暗記・暗唱」に徹 底しても、何故か文法はほぼ間違うことなく身に付いたのだった。しか も、先日例を挙げたように少なくとも、私を含めて4名の「音読・暗記・ 暗唱」での成功例があったのだ。

その他のイヤらしさ:

これら以外にある英語の嫌らしさの例には「定冠詞」と「不定冠詞」んの 使い分け、「間接話法等における時制の一致」、即ち、現在形・過去形・ 現在完了・過去完了の使い分けなどという頭が痛くなるような面倒なこと が皆の行く手に立ち塞がるのだ。

特に「定冠詞不定冠詞の使い方」は多くのアメリカの知識階級の連中で も、”Don’task me.”と拒否反応だった。これらの詳細はここでは遠慮して 置くが、その他には英語にはないと思われている「敬語的な使い方」だっ てあるのだ。

繰り返して申し上げておくが、私はこれらの難関を全て「音読・暗記・暗 唱」で何とか乗り越えられたのだが、その背景には湘南中学から高校に書 けての優れた英語教育と上智大学での千葉勉教授の厳しい授業のお陰で、 何とか裏付けることが出来ていたのだった。

更に、生まれて初めて敵性語であった英語を学び始めて間もなく終戦と
なって、GHQの秘書の方に厳格に話し方を訓練されたという幸運もあった ので、何とか解るようになったのだと自覚している。

結び:

そう言って振り返ってみれば、矢張り七面倒くさい理屈を教えられること と同時進行で「話すこと」を優れた教え方で学べば、何もアメリカまで 「語学?」などを勉強にに行かずとも、何とかなるものだという事実だ。 即ち、これも繰り返して主張したことで「13歳の中学校1年から英語を学 び始めても十分に間に合う(何に?)」ということだ。




 2)英語の発音には品格が求められる:前田正晶

導入部:

私は我が国で何故あれほど英語を尊重するというか有り難がる傾向がある のかと、何時も悩んで考えている。思うに、戦後間もなくは英語が出来る というかアメリカ人と話せるような能力があることに、現代では想像でき ないほど価値があったのだからかも知れぬと思っている。

それだけではなく、進駐軍即ちアメリカとアメリカ人を仰ぎ見るような傾 向があった為に、何とかして英語が使えるようになろうといったような
憧れがあったのは否定できないと思う。それが、あれ以来72年を経た今で も、その当時の傾向を引きずっているのだとも考えている。

そういう傾向があったから、学校教育の英語と一般的な流れとして、あれ ほどQueen’s Englishを有り難がる風潮がありながら、進駐軍の(知識階 級には属していない)兵士たちの発音という言葉遣いを真似た発音を追い かけていたことが、未だに残ってしまっているのが不思議だ。

私はこれは決して褒められたことではなく、寧ろ学校教育の中で是正され て然るべき事柄だと思っている。だが、教える方にそういう認識もなく、 何が下品であるかの判断の基準の持ち合わせもないように見えるのは、
私の僻目か。

と、ここまで述べてきたが、そういうお薦めできない発音と言葉遣いとは 如何なるものを指すかの具体例を挙げていこう。動画ではないので、遺憾 ながら「これが本来あるべき発音だ」というのをカタカナ書きで表してい くことにする。

本当の発音が出来てからにしよう:

ある人気が高くなってきた私立大学の英文学の名誉教授が、以前にアメリ カの出張されて「ウオラー」という発音を聞かれて非常に印象的で「現地 ではこういう発音になるのかと、あらためて認識した」と語っていた。

これはアメリカの一部の階層以下ではごく普通の発音である。既にお気づ きの方がおられれば結構だが、これは”water”なのである。

断言しておくが「英語を勉強しようとされる方々には、絶対に真似て欲し くない品格に乏しい発音」である。あるべき形は「ウオーター」のみで あって、それ以外はあり得ない。どうしても真似したければ、その前に 「ウオーター」が完全に発音できてからに願いたい。でも、お薦めできない。

似たような例に「トウエニー」や「サーリー」がある。この類いには、我 が同胞が日本語にない発音である為に苦戦されている”t”が絡んでいる。 即ち、”twenty”と”thirty”である。両方の語尾にある”ty”が難物であるの は良く解る。しかも下層にある連中はそれだけの理由でもなく「トウエ ニー」や「サーリー」のように言うのだ。ここでもそれを真似ることなく 「トウエンテイ―」と「サーティー」のように言えるように努力するのが 先決問題である。尤も、ここには”th”が出ているが、こ
れは別途説明してみようと考えている。

先にQueen’s Englishを有り難がる傾向があると批判めいたことを述べた が、その極めて卑近な例にアルファベットの”c”の発音がある。これを 「シー」とするのはBritish Englishであり、アメリカ語では「スイ」な のである。同様に”z”を「ゼット」乃至は時たま「ゼッド」と言っている のもUKでのことで、アメリカは「ズイ」となるのをご承知か。最も頼りに しているはずの同盟国の発音をもう少し尊重したらどうだろう。

また”v”を「ブイ」とするのも、厳密に理屈を言えばおかしいのだ。 「ヴィー」があるべき姿だ。こういうアルファベットの読み方は中学1年 というか、小学校でどうしても教えたいというのならば、その最初にそこ から教えておくべき(是正しておく?)事柄だと思う。

省略はしないように:

トランプ様がよく使われる言い方に”I’m gonna 〜.”というのがある。こ の”gonna”はワードでは許されないようで、自動的に赤線が引かれてしま う。この事実が示すように、そもそもそういう類いなのである。これは元 の形である”I am goingto 〜.”を正しく覚えてから、偶に応用編とでも心 得て使っても良い程度のことだ。

ろくに自分の意志を英語で表現できない次元にある人が使うべきものでは ない。

同様な発音に”I wanna 〜.”がある。これは”I want to 〜.”が原型であ る。即ち、如何に合衆国大統領がお使いになるかといって真似ては貰いた くない言葉遣いだ。学校の先生方は、もしもnative speakerを助教などで お雇いで、こういう言い方をするのを聞かれたら、即刻窘める勇気が必要 だと思っている。基本が出来てからするべき言葉遣いだ。

アメリカ語ならではの発音:

“the”という言葉がある。これが次に来る単語の最初の字が母音である時 には「デイ」の如くに言えと教えられていると思う。しかしながら、多く のアメリカ人は、仮令知識階級であっても、全て「デイ」と発音し、カタ カナ語で「ザ」なとなる発音をしないものだと思っていて良いかも知れな い。かく申す私も「デイ」派に属している。

尤も、厳格な抑揚の付け方では通常は冠詞にはアクセントは来ないのだか ら、どっちの発音をしたのかは聞き取りにくくなっている。

この「舌の先を歯の間に挟む発音は日本語にはないので、教えられる方も 児童も生徒も学生の苦労するし、放棄して「ザ」にしているのが普通だと 思っている。これは習い始めの時にその気になってやってみることしかな いと思っている。

幸運にも私は昭和20年に最初に教えて頂いた先生のお陰で出来るように なった。偉そうに言えば「駄目だと思わずに、繰り返して試みてみること だ」なのだが。

最も悪い形で普及してしまっていると思が、”ar”、”er”、”ir”、”
or”、”ur”の”r”が絡んだ発音であると思う。これはQueen’sEnglishでは簡 単明瞭に全てが「アー」のように聞こえてくる。アメリカ語でも基本的に はそれと変わらない発音をする地域もある。だが、多くは”r”を響かせる 発音をするのだ。この「r響かせ型」が戦後に大流行したのだった。上智 大学の千葉勉教授はこれを「下品である」と一蹴された。だが、巷では流 行した。

私は「やりたければ(真似したければ)なさることを阻止しないが、真似 しない方が無難であるし、第一にチャンと何処に出ても恥ずかしくないよ うに綺麗で正確に出来るという保証はない」とだけ申し上げておく。この r響かせ型の発音をする目立った例としてヒラリー・クリントンさんがい る。私はそれだけでも、この民主党の候補を嫌っていた。



 3)交通事故は私の4歳の頃のことで詳細は記憶しておりません。数寄屋橋の交差点で黄色信号で進入してきたタクシーに、徒歩で渡り切れていなかった父が後部のバンパーに引っかけられて上向きに倒れ、後頭部を打っての「頭蓋底骨折」でした。

かつぎ込まれた病院に行った記憶はありましたが、何の為に行ったかは知りませんでした。命日は昭和12年12月24日で、45歳だったそうです。
                         (前田正晶)

 
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身 辺 雑 記
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18日の東京湾岸は曇天、午後にはまた雨のようだ。

17日野東京湾岸はさして暑くもなく上半身裸でメルマガを編集した。
奈良光枝を聴きながら。

奈良 光枝(なら みつえ、「生1923年6月13日 出身地・青森県弘前市 1977年5月14日(満53歳没) 活動期間1940年 - 1976年 レーベル日本コ ロムビア 1923年(大正12年)6月13日 - 1977年(昭和52年)5月14日) は、昭和時代の歌手。本名は佐藤 みつえ。美貌の歌手として知られた。 (ウイキ)

常連的投稿者前田正晶さんの御祖父は慶応義塾大学の医学部を福沢諭吉に 作らせた功労者だったことを17日、偶然知りました。ありがとうございま した。




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渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

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