政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針

2017/07/22

    
□■■□──────────────────────────□■■□   わたなべりやうじらうのメイ ルマガジン「頂門の一針」4421号
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           2017(平成29)年7月22日(土)



                  指導者の格言:Andy Chang

       アメリカを見縊る北朝鮮 気になる中国:加瀬英明

        世界の指導者になれない残酷な中国:櫻井よしこ

               ビタミンB1を思う:渡部亮次郎                        
                        話 の 福 袋
                           読 者 の 声
                           身 辺 雑 記


□■■□──────────────────────────□■■□
第4421号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
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指導者の格言
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Andy Chang


指導者(リーダー)の業績は歴史が決めることだが、リーダーが歴史
に名を残すのは業績だけでなくリーダーの格言、政治哲学と信念で
ある。

台湾の新総統・蔡英文は就任式で言った:

「偉大な国家はリーダーではなく国民全体が共同した努力で作る。
一国の総統は支持者だけでなく、国全体を団結させるべきである。
(A great nation is not made by a leader but the united effort of
the entire citizens.)」

ケネディ大統領は就任式で言った:

「国が何をしてくれるかを問うな。君が国に何ができるかと問え。
「Ask not what your country can do for you ? ask what you can do foryour country)」

ケネディと蔡英文の格言はまるでコインの表と裏である。蔡英文が
将来においてどれほどの業績を残すかは別として、彼女はこの格言
だけで歴史に名前を残すだろう。

●自大狂トランプ

これをトランプの発言と比べるとリーダーの資格が歴然とする。

トランプのは自分が偉大な指導者であると妄想している:「オレがアメリ カを再び偉大にする。(I will make America great again.  Believe me)」

「オレが国境に素晴らしい塀を作る、そしてメキシコに払わせる。
(I will make a beautiful wall, and make Mexico pay. Believe me.)」

いつも彼自身が偉大なリーダーであると宣伝し、いつもオレを信じろと付 け加える。

トランプには多くの支持者が居る。支持者はトランプを信じるのではな く、「トランプがとんでもないことをやらかすかもしれない」と言う期待 から支持するのである。なぜかと言うと投票には大きな欠点があるからだ。

カナダの社会学者ムンロー(1875-1957)の格言は以下の通り:
「人民は不満(怒り)に投票する。普通の人は何かに投票するのでは
なく何かに反対だから投票するのである。(People vote their
resentment, not their appreciation. The average man does not v
ote for anything, but against something.----William Bennet Munro)」

●民主主義の優点と欠点

民主主義とは自由と平等である。選挙(票の平等)で国の形を決め
ることが出来るのは民主主義の優点だ。だが民主主義には欠点もあ
る。人民は平等の権利を持つが平等の知識と道徳を持つのではない。
ムンローが喝破したように選挙とは人民が不満に投票する傾向が強
く、満足な現状に投票するのではない。

不満な現状の改善に期待する、改善を期待できるのは優点だが、誰
かの提案が最良の解決とは限らない。不満だから投票して更に不満
を募らせることもある。オバマは選挙で改革(Change)と呼びかけ
て当選した。だがオバマ政権はもっと大きな不満と怒りを招いた。

独裁的な政権を倒して民主政権と作ることが出来た台湾は民主主義
の良い例である。蒋介石が逃亡してきた中華民国政権は中国人が台
湾人を奴隷扱いしてきた政権だった。今年一月の投票で台湾人が国
民党政権を倒すことが出来たのは良かった。

アメリカには国民の不満が溜まっている。オバマの憲法違反の大統
領命令と黒人優先に対する不満、オバマケアに対する不満、国境の
安全を維持できない不満、黒人の暴動を制御できない警察に対する
不満、オバマを制御できない国会に対する不満……。

トランプは国民の不満を増幅させたから聴衆の同感を得た。だがト
ランプの解決策は人身攻撃と無茶な放言で政策ではない。つまりト
ランプはリーダーではなく民衆の不満の代表なのだ。

それでも「トランプが何とかするなら、やらせてみよう」と思う者
がいる。トランプが当選すれば外交内政ともに行き詰まり国が破綻
する。それに気が付かない支持者は愚民である。つまり民主主義は
ともすれば愚民政治、暴民政治になってしまう。

●アメリカの破滅

今年の選挙はアメリカの未曾有の危機をはらんででいる。ヒラリー
は国務長官でありながら個人の秘密を優先して国家機密の漏洩と言
う厳重な違法行為を犯した。リーダーにふさわしくない罪を犯した
のである。トランプは暴言で愚民の支持を得たが全体国民の支持を
得ることは出来ない。良識のある国民はトランプ反対だが愚民はト
ランプを支持する。

アメリカは今も2大政党政治だが、2大政党を代表するこの2人と
も大統領になる資格はない。ヒラリーを支持する者は犯罪者を支持
する愚民である。トランプを支持する者は暴言を支持する暴民であ
る。それなのにヒラリーとトランプの外に大統領選挙に立候補する
者がいない。現状はまさにアメリカの危機、民主主義の危機である。

オバマは2大政党を2極化させた。トランプは愚民政治で暴政を推
進した。ヒラリーは国家首脳の違法行為を曖昧にした。この3人が
アメリカをダメにした。

立派なリーダーと良識のある国民が偉大な国を作る。これがアンディの格 言である。



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アメリカを見縊る北朝鮮 気になる中国
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             加瀬 英明

気になるロシアの動向

5月21日に、金正恩委員長の北朝鮮がアメリカを嘲笑うように、2発の中 距離弾道ミサイルを続けて試射した。

ピョンヤンでは数万人以上の市民が、目抜き通りを埋めて動員されて、ミ サイル試射の成功を手に手に小旗を振って、万歳を叫んで祝った。

5月9日に、韓国で大統領選挙が行われて、北朝鮮に対する融和政策を公 約として掲げた文在寅候補が、当選した直後の5月14日にグアム島、アラ スカまで射程に収める長距離ミサイル1発を撃ちあげてから、僅か2週間 以内に3発試射したことになる。

5月14日は、中国にとって今年の最大の国際行事だった「一帯一路会議」 が、北京で開幕した日だったから、習近平国家主席の顔に、泥を塗ったこ とになった。

トランプ政権は1月に発足してから、もし北朝鮮が6回目の核実験を強行 するか、アメリカ本土まで届く大陸間弾道弾(ICBM)の試射を行う場 合には、北朝鮮に軍事攻撃を加えるといって、威嚇してきた。

朝鮮戦争が1953年に終わってから、北朝鮮は金日成主席、金正日第一書記 のもとで、米軍を攻撃するか、韓国に対してテロ事件をしばしば行ってき たが、一度として米韓から軍事攻撃を加えられることがなかった。

大きな事件をあげれば、1968年に米情報収集艦プエブロ号を公海上で攻撃 して、拿捕した。この時に、プエブロ号の乗組員1名が被弾して死んだ。 その3年後に、公海上を飛行する米電子偵察機を撃墜した。

そのつど、第2次朝鮮戦争が起るのではないか心配されたが、アメリカが 自制した。

プエブロ号事件直前に、北朝鮮の特殊部隊が越境し、ソウルの大統領官邸 の青瓦台襲撃未遂事件が発生し、83年にラングーン事件、87年に大韓航 空機爆破事件が起こった。韓国も北朝鮮に攻撃を加えることがなかった。

そこで、金正恩委員長はアメリカを見縊(みくび)っているのではないか。

クリントン政権が、北朝鮮が94年に黒鉛型原子炉からプルトニュウムを 抽出すると、北朝鮮が核開発を凍結するかわりに、軽水炉を提供すること で合意して、食糧援助を行った。その4年後に、北朝鮮がはじめて弾道ミ サイルを実験したが、ミサイル試射を停止するのと引き替えに、再び食糧 援助を実施した。

2006年に、北朝鮮ははじめて核実験を行った。ブッシュ(息子)政権はイ ラク戦争に忙殺されていたこともあって、北朝鮮が6ヶ国協議に戻ること と交換して、金融制裁を解除するとともに、食糧援助を提供した。

北朝鮮が5月21日に弾道ミサイルを連射すると、中国、ロシアも加わっ て、国連安保理事会が北朝鮮を非難する決議を行った。

だが、中国はアメリカの顔色を窺っているものの、北朝鮮に対して厳しい 経済制裁を加えるのを躊躇しているし、ロシアは北朝鮮に新たに石油を供 給するなど援けている。

中国にとって、アメリカが北朝鮮の核・ミサイル開発を放棄させるため に、中国を頼りにしていることから、北朝鮮がアメリカを挑発するほど、 中国の値打ちがあがることになる。もっとも、その塩加減が難しい。

ロシアはアメリカが北朝鮮を威嚇することに反対して、対話によって平和 的に解決することを主張している。ロシアはイラン、シリアなどの反米諸 国を支援しているが、北朝鮮はそのなかの駒の一国として役に立つのだ。


             
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世界の指導者になれない残酷な中国
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          櫻井よしこ

これまで多くの首脳会議の集合写真を見てきたが、アメリカの大統領が端 に立っている場面は思い出せない。その意味でドイツ・ハンブルクで7月7 日から開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)の集合写真は 印象的である。

前列ほぼ中央にアンゲラ・メルケル独首相が立ち、その左に中国の習近平 主席、さらに左にロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立った。ドナ ルド・トランプ米大統領は前列の端から2人目、中央から離れて立った。 自由主義陣営の旗手が片隅に立つ姿は現在の世界の実情を投影しているよ うに私には思えた。

G20で改めて明らかになったのが、大国主義で傍若無人の中国の強気と、 中国に目立った抗議をしない各国の対応である。トランプ大統領はドイツ 入りする直前、ポーランドを訪れ、「ポーランド国民の自由、独立、権利 と国家の運命」について語り、固い絆で支援すると演説した。

G20を、自由主義陣営とそうでない中国・ロシア陣営との価値観のぶつか り合いの場ととらえての演説だったのか。だがその言は果たしてどの程度 まで行動に反映されているのか。ノーベル平和賞受賞者で、服役中に肝臓 ガンにかかり、今や重体に陥った劉暁波氏の案件を、このG20でアメリカ も欧州も取り上げてはいない。

中国が劉氏の病状を発表した6月26日、氏はすでに末期だった。たとえ助 からなくても、外国で治療を受けたいと氏は願ったが、中国政府が出国を 許さない。7月8日までに米独の専門家が劉氏を診察し、氏の容態の「急速 な悪化」が報じられた。化学療法も停止されたという。

欧米諸国、とりわけアメリカは人権問題に強い関心を持ち、中国にも厳し く対処してきた歴史がある。それが世界の尊敬と信頼を集める理由でも あった。

しかし、トランプ政権からは、人権問題に真剣に取り組む姿勢は見えな い。欧州を牽引するドイツもまた、人権問題よりも中国との経済協力に、 強い関心を示している。ドイツが主催した今回のG20でも人権問題は殆ど 表面化せず、習主席はさぞ満足したことだろう。

知識人を拷問・殺害

中国歴代の政権が、最も恐れている民主化運動のリーダーが劉氏である。 「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が語る。

「劉氏は自由のために戦い続けてきました。いまや、民主化勢力にとって 神のような精神的リーダーです。もう1人、習氏が恐れる政敵が薄熙来氏 です。彼は民衆のために戦った政治家として、いまも根強い支持がありま す。両氏が中国の左派と右派、両陣営の精神的求心力になっているので す。その2人が揃って肝臓ガンになった。尋常ならざる事情が裏にあると 思います」

ちなみに薄氏は酒、煙草は一切のまない。趣味はマラソンという健康人で ある。酒も煙草も大いに好み、趣味はマッサージという習主席とは対照的 だ。にも拘らず、薄氏が肝臓ガンにかかったことに、中国の残忍さを知悉 する矢板氏は疑問を抱く。

劉氏に関して中国当局は病状を知っていながら必要な治療を施さなかった のであろう。治療しても到底、助からないことを見越しての公表だったの であろう。

死亡後に釈放するより、末期の氏を手厚く治療する様子を発信すれば、習 体制の悪魔のような人権弾圧や拷問の印象が薄れると踏んだ可能性もあ る。中国での人権弾圧の事例を矢板氏が説明した。

「2015年7月10日、『暗黒の金曜日』に人権派弁護士約200人が拘束されま した。その中に李和平氏がいます。非常に優秀な勇気ある男で、彼は当局 が強要して認めさせようとした罪を一切認めなかった。

服役中に拷問され、血圧を急上昇させるような食事や薬剤を投与されて、 殆ど目が見えなくなった。逮捕から約2年間収監され、今年5月に釈放され たときは、健康で頭脳明晰だったかつての姿ではなく、髪は真っ白、呆け て別人になり果てていたのです」

中国で行われる拷問のひとつに、袋をかぶせて呼吸困難にする手法がある。

「頭部をビニール袋でスッポリ覆って暫く放置すると酸素が欠乏して脳に 影響が出ます。死ぬ直前で袋を開けて息をさせる。また、袋をかぶせる。 これを繰り返すと、完全に廃人になります」と矢板氏。

カンボジアのポル・ポト政権が、毛沢東に倣って同じ方法で知識人を拷 問・殺害していたことが知られている。習政権はいまもそのようなことを 行っているわけだ。だが、習主席がこの件についてG20で注文をつけられ たり論難されたりすることはなかった。自由を謳い上げたトランプ大統領 はどうしたのか。

無実の日本人を拘束

欧米諸国が中国に物を言わないのであれば、日本が自由や人権などの普遍 的価値観を掲げて発言すべきだ。今からでもよい、劉氏の治療を日本が引 き受けると表明すべきである。

日本は中国と距離的に近い。欧州に移送するより日本に移送する方が、劉 氏にとってずっと負担が少ない。理由はもうひとつある。日本人12人が現 在中国に「スパイ」として拘束されているではないか。12人中6人は、千 葉県船橋市の地質調査会社「日本地下探査」の技術者4人と、彼らが中国 で雇った日本人2人である。

社長の佐々木吾郎氏が、4人は「まじめで一生懸命な社員ばかり」だと 語っている。全員、中国語は全くわからない。そんな人たちが郊外で温泉 を掘ろうと地質調査をしていて、どんなスパイ活動ができるのか。完全な 冤罪であろう。即ち、これは中国が日本に仕掛けた外交戦だと、断定して よいだろう。

無実の日本人をいきなり拘束してスパイ扱いし、対日交渉の材料にする中 国のやり口を、私たちは2010年に拘束されたフジタの社員4人の事件から 学んだ。あのときは中国漁船が尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当 たりして、日中関係が非常に厳しくなっていた。中国はレアアースの対日 輸出を一時止めて世界貿易機関(WTO)のルールも踏みにじった。だ が、結局日本は譲歩した。

今回、中国が勝ち取りたいのは日本の経済協力であろうし、南シナ海問題 に警戒感を強め、台湾の蔡英文政権について発言、接近する動きを見せる 安倍首相への牽制があるだろう。来年は習主席が訪日する。その前に安倍 首相が訪中する。中国にとって好ましい形で対日外交を乗り切り、大国と しての地位を確立するために日本を従わせようとしているのではないか。

日本がAIIB(アジアインフラ投資銀行)に前向きな姿勢をとること も、米国に頼り切れない現状では、戦術上、必要であろう。しかし局面は いま、日本が人道の国として、普遍的価値観重視の姿勢を、国際社会に鮮 明に打ち出すときだ。そのために6人のみならず、12人の釈放を要求し、 劉氏受け入れも表明するのがよい。
『週刊新潮』 2017年7月20日号 日本ルネッサンス 第762回
    
         
     
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ビタミンB1を思う
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    渡部 亮次郎

1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京 湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。 屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、 このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大 造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で 初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組 員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極 めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦 「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始 まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高 木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事 は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、 野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間 に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。 以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜 を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気 はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い 「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有 効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、 飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが 足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。 その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明 治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米 ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣 の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本 人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の 学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に 玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄 米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食 べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森 一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験 ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒 でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾 病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問 題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確 たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確 立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、 「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革 案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚 気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸 軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定 する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても 「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近 代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気 に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に 対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で 発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統 計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概 に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対 する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい た。>2006.05.07(再掲)



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話 の 耳 袋
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 ◎米、世界最大の闇サイト摘発 アルファベイ 違法薬物など販売 20 万人超が利用

【ワシントン=小雲規生】米司法省は20日、世界最大の闇サイト「アル ファベイ」を欧州やアジアの司法当局と連携して摘発したと発表した。ア ルファベイでは摘発時、違法薬物や毒性のある化学物質の販売告知が25 万件以上出ていたほか、偽造身分証明書、銃器なども販売されていた。4 万人の売り手が参加し、20万人超の顧客が利用していたという。
産経新聞7/21(金) 8:22配信



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読 者 の 声       
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 1)QBの力量の差が試合を決めたか:前田正晶

昨夜はシーズン中に一度も試合を見る意欲も機会もなかった社会人の日本 一を決める試合をテレビ観戦した。その中継がNHKのBSであると知るまで 対戦する2テイーム(two opponentsなどと言うようだ)が何処かすら知ら なかった不熱心振りだった。富士通フロンテイアーズとオービックシーガ ルズだった。

何年か前までは欠かさず東京ドームに観戦に出かけていたものだったが、 現在の体調ではあの人混みと決して綺麗とは感じさせないドーム内の空気 を考える時、見送ることが風邪やインフルエンザ等の最善の予防策と考え るようになった。残念だが命は惜しい。

試合開始前に両テイームが現れたところでの得意の閃きでは、何となく赤 い方が勝つように感じた。赤い方とはそういう色のユニフォームを着た富 士通フロンテイアーズのことである。しかし、オービックシーガルズの1 番をつけたラインバッカーだったと思うが、事前のインタビューでは「富 士通を0点に抑えて勝つ」と言っていたのか妙に印象的だった。

しかしながら、昨年も出ていたと記憶する富士通のアメリカはルイジアナ テック出身のQB、キャメロンは最初のドライブでオービックのエンドゾー ンに迫り、タッチダウン(TD)は逃したもののフィールドゴール(FG)で 3点を獲得して1番さんの意気込みをフイにさせてしまった。

オービックにはその昔、と言っても8〜9年ほど前のことだったかも知れな いが、日大フェニックスを憎らしいほど翻弄して見せた法政大学トマホー クスのQBだった菅原が健在だったと思ったが、出てきたQBは新加入という UCLA出身のニューハイゼル(Neuheisel)という長身・長髪の選手だっ た。私はシーガルズの新監督・古庄の失敗はこのQBを前半に使い続けたこ とだと思っているほど、ニューハイゼル君はテイームのモメンタムを失わ せてしまったほど不出来だった。

3Qからは菅原を出してきたが時既に遅く、結局はそこでのFGによる3点だ けに終わってしまった。私にはこの両者にどれほどの力の差があったか不 明だが、一度波に乗せてしまったフロンテイアーズは何をやっても上手く 行くのに対して、シーガルズは解説の有馬が不運だったとまで言ったよう な厳しい判定を2〜3度されて大きくヤーデー時を失ってしまった辺りに、 アメリカ系の球技はモメンタムのスポーツだとあらためて思わせてくれた。

確かにシーガルズは何とか守っていたので、FGによる9点は失ったが、TD は3Qに一本許しただけだった。それでも一旦失った流れを如何ともしがた く、3度もセンターがここぞという時にスナップバックを失敗するなど、 私がこれまでに見たことがなかったようなミスが多かった。

キャメロン君はシーガルズの厳しいパスデイフェンスにあって、彼自身の キープによるランプレーを多用してヤーデージを稼いだことも手伝ったか MVPを獲得していた。この富士通フロンテイアーズと来年1月3日に日本一 を決定するライスボウルで対戦するのが、18日に甲子園で対戦する早稲田 大学対関西学院大学の勝者だ。大学生がこのNFLのキャンプにも参加した と聞かされたQBを何処まで止められるかが勝敗の一つの分かれ目となるだ ろう。




 2)秘書に仕えて22年:前田正晶

私はリタイヤーするまでの12年間をA子さんという極めて有能な秘書さん に仕えて過ごした。おかしな言い方だと思われるだろうが、この度の豊田 真由子議員が政策秘書の方を怒鳴りつけている録音を聞かされて、国会議 員の方々における「秘書」の概念とアメリカの会社組織におけるそれとは 随分違うようだなと、あらためて痛感した。

あれでは議員と秘書の間柄は殿様と足軽のようではないかと聞こえた。

あの豊田議員の例が特殊だったと思いたいが、河村建夫元官房長官が「男 性議員にもあのような者がいる」と言われて直ぐに撤回されたところを見 ると、豊田議員の場合は異常に特殊な例でもないのかも知れないと、一瞬 思ってしまった。

そこで、39歳にしてアメリカの会社に転じて、初めて秘書さんと仕事をす るようになったことを思い出してみよう。

Oxfordにはsecretaryとは”A person who works in an office, working for
another person, dealing with letters and telephone calls, typing, keeping
records, arranging meetings with people, etc.”とある。Typingが入っ ている辺
りは何となく時代遅れの感もあるが、大凡こんな所だろうと思わせる。し かし、アメリカ見聞したところでも実体験からも、主従関係について は”working for”とあるから、上下関係ないしは雇用関係は示されている と思う。

英語では、秘書さんが付いているマネージャーなり副社長なりは「ボス」 (=boss)とは呼ぶが、主従関係どころか対等であると言っても誤りでは ないほど、我が国のような年功や上下関係がないと思う。

1972年8月に最初に秘書さんと出会って「さて、どうやって使うものか」 と悩んだものだった。だが、秘書さんは使うものではないと解るまではそ れほど時間はかからなかった。問題は「如何に使い、如何に使われるの
か」が重要なのだった。

1972年8月に初めてM社の本社ビルに入って、最初に出会ったマネージャー は秘書さんにコーヒーを頼みに行くのに”Will you please?”と、言うなれ ば丁寧語で依頼したのだった。何故そういう言葉遣いになるのか良く訳が 解らなかった。W社における我が事業部の部長さんも「済みませんがコ ピーを取って下さい」というような表現で依頼していた。そういう習慣と いう文化だと徐々に解っていった。

いきなり結論めいたことを言えば「ボスと秘書」の関係は言わばパート ナーであって、お互いの立場を尊重し合って仕事をしていくべきものなの である。私はA子さんを信用し信頼してOxfordの定義にあったような事柄 は全て任せ、私はマネージャーとしての外の仕事と、その判断業務を恙な く進行させることに専念した。言うなれば「内勤」の業務は信頼して全面 的に任せた、というか任せて間違いないという信頼感で依存した。

特に、悪しきカタカナ語でいう「アポ」は全面的にお任せした。と言うよ りは、私は任せた以上口出ししないようにした。時には私が直接取引先と 話し合って決めることもあったが、その際は彼女の了解を取るという取り 決めにしてあった。換言すれば、
私の責任範囲内にないことを勝手に進めるのだから、担当者の了解を得る のは当然だろうと言うこと。即ち、責任範囲を明確に取り決めておいたの である。

私がリタイヤーする時に何人かの秘書さんに「貴方はこれから先の人生で A子さん無しでやっていけないでしょう」と揶揄されたほど、彼女に任せ きっていたのだったし、それで事業部は上手くいっていたのだった。こう いう間柄が理想的だろう。

これは決して自慢話ではない。秘書さんに人を得ればこういう結果が出る と言いたいのだ。

こういう形でというか、女性と1対1で仕事するか、した経験がない方には 簡単にピンとこないだろうが、このようなボスの至らざる点を補完して貰 うような仕事をして貰った時の女性の仕事の的確さと正確さと記憶力がれ ている点は、経験してみて初めて解ることかも知れない。

A子さんとの共同での仕事が5〜6年を過ぎた辺りからは、使われているの が自分で、ボスは彼女であると思うようになってきた。

W社で1人のマネージャーが転職していった後に外部から転じてきた人 が、前任者のやり手の秘書さんをそのまま引き継いで仕事をしていた。彼 がある会合で「(秘書の)X子さんの下でマネージャーをやらせて頂いて いるPです」と自己紹介して大受けだったことがあった。言い得て妙だっ た。英語にすれば”Well put!”辺りだ。それほど、秘書さんの権限が大き いと言っているのと同じだった。

そんな関係で仕事をしているところで、秘書さんの身体的な欠陥をあから さまに罵るなどという技は、我々の秘書さん対ボスの間柄ではあり得ない だろう。誤解なきよう申し上げておくが、私は豊田議員の秘書の扱いがど うのと言いたいのではない。日米間の会社組織の中での「秘書」という文 化の違いを述べて、ご参考にしたかっただけだ。豊田議員の振る舞いにつ いての論評はマスコミにお任せしようと思っている。



 3)1970年7月7日に:前田正晶

思い起こせば、今を遡ること47年前の今日、私は生まれて初めて外国に出 掛けた記念すべき日だった、イヤ初めて海外旅行に出た日だった。それ は、未だ日本の会社にお世話になっていた頃のことで、会社の方針で東南 アジアの何処かに海外事務所を設けて世界市場に飛躍しようとの壮大な企 画が立てられたからだった。その事務所設営の場所は何処が良いかと調査 するのかが、私に与えられた重大な課題だった。

私はそれまでに海外出張は言うに及ばず、飛行機に乗ったことが2回しか なかったほどほどの田舎者だった。偶々そういうことになった出発地であ る大阪の伊丹空港では、一緒に出掛けることになった貿易担当の大阪支店 長代理の前で緊張を隠すのに必死となっていた。

その旅行の予定では、先ず台湾に入り、そこからフィリピン、シンガポー ルから香港と回って市場調査をするようになっていた。

当時の事情を知らない方の為に申し上げておけば、初めて海外に出る者の パスポートの有効期限は1度だけで、いきなり数次の旅券は交付されな かったのだ。しかも為替が$1=¥360の固定だった為に、持ち出せる外貨 は$500に制限され、その持ち出し額をパスポートに銀行で記載して貰うよ うになっていた。

誰が考えても、$500の所持金で上記の旅行が出来る訳はなく、海外専用の クレジットカードを別に申請して交付して貰って持参して、ホテル等で支 払いをしていたのだった。その際の各国へのヴィザの申請などは旅行社任 せだったので苦労はなかったが、今思えば海外に出て行くことはとても面 倒で緊張を強いられるような頃のことだった。

未だに覚えていることは台北の松山空港に降りたって入国手続きを終え、 税関の所まで到達した時には恐ろしさで膝の震えが止まらなかった。何ら 不正な物を持ち込むのではなくても、税関吏がが私のスーツケースを持ち 上げて振って見せた時には過度の緊張で倒れそうだった。

しかし、当然のことながら無事に通過した際に、同行の旅慣れた支店長代 理に「何という顔をしているんじゃ」と笑われたものだった。

台湾では会う人たちが皆「日本統治時代」を懐かしがる年齢層の方ばかり で、英語の必要もなくのんびりと初めての「海外出張」を楽しめたのだっ た。だが、15日にマニラに入ると事情は一変した。我々を出迎えてくれた 現地の取引先の社長の息子さんは何と入管の直ぐ後の所まで入っていたの に「何という国か」と驚かされたのだった。

更に宿泊先のインターコンチネンタル・ホテルでは、至る所に自動小銃を 持ったガードマン(兵士?)が立っており、外国に来たという感じを十分 に味合わせてくれたのだった。

フィリピンでは英語が公用語になっているだけのことはあって、我々の取 引先の方々はフィリピン人であれ華僑であれ皆フィリピン訛り(スペイン 語訛りとでも言うか)はあっても綺麗な英語を話すので、意思の疎通には 何ら問題はなかった。寧ろ、彼らは非常に洗練されたアメリカ風の礼儀作 法で接してくるので、台湾との文化の違いを感じたのだった。

フィリピンでは印象的だった言わば個人的な出来事があった。それは華僑 系のビジネスマンが私のホテルの部屋に入ってきた時のことだった。私が 偶々ダイナースクラブのカード入れをテーブルの上に置いていたのだが、 彼はそれを見るなり「貴方はダイナースクラブの会員だったのですか。お 見それして失礼しました」と言ったのだった。そしてそれ以降は明らかに 私を目上の人として鄭重な姿勢で接してくるように
なった。

イナースクラブの会員というかカードに権威があることは承知していた が、私の会社はダイナースクラブを主宰する富士銀行(当時)の系列であ り、そのお 陰で私たち下々の者まで「法人の記名会員」にさせて頂いていただけのこと。私個人 に資産があった訳でも、銀行に巨額の預金があったのでなかった。だが、この一件 で「ダイナースクラブ」のご威光を知り得たので、そこから先の諸国でも大いに有 効に活用できたのだった。

という具合で回顧すれば限りがないが、こういう調子で初めての外国出張 を経験したのだった。何処の国に会社として最初の海外事務所を設けたのかとお尋ね か。それは何時の日にか、機会があれば回顧する予定にさせて頂きたい 。



 4)私は前田正晶であり、正昌ではありません。ご訂正下さい。

<しかしながら、基本的な思考能力を身に着けるべき幼児期にあっては、 国語を基礎にして思考形成に努力すべきであり、その基礎ができてから、 言語の一形態である英語を学ぶことは、重要なことです。

所謂バイリンガルの環境下で育った子供が、どっちつかずのあぶはち取ら ずになってしまひ、深みのある思考ができなくなるといふ致命的な欠陥が あることは、よく認識しなければならないと思ひます。>

と言われていたのは全くその通りで、私の年来の主張であります。

何度も採り上げたことですが、1972年8月にヴァンクーヴァー空港の免税 店でウッカリswearwordを使った私に声涙ともに下る説教をされた売り場 の日系二世の夫人は「戦時下に育ったために英語も日本語もどっちつかず になったが、swearwordを使ってはならないくらいは心得ている」と言わ れました。重要な点でしょう。私は他にもどっちつかずに育った日系人を 知っています。

現在の我が国で「どっちつかず」を育てて何とすると文科省にも英語教師 にも問い質してみたいと思うのです。但し、英語に深入りすると、あの理 屈っぽい言葉の思考体系に影響されて、話し方が論理的になるのは確かで す。でも、そこまで行けるかどうかは、教え方と勉強の仕方が左右すると 思います。前田正晶



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身 辺 雑 記
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22日の東京湾岸は晴天。


隣りの中学校は夏休みにはいったはずだが、21日の炎天下、男子生徒十数 人が出 てきて校庭を走っている。勉強のできない子ほど休みの学校に来 たがる、と いうのは本当だろうか。

21日の午後になったら女子生徒たちがやってきてテニスを始めた。熱中症 とやらは大丈夫なんだろうか。

大手新聞社に入った娘はことしで21年目。3人の子供を育てながら会社で は管理職だそうだ。わが娘ながら褒めてやりたい。

ベランダの排水管を見るともなしに見ていると、排水がポタポタとひっき りなしに落ちてくる.上階のクーラーが除湿でひっきりなしに作動してい るのだ。

今年は空梅雨だった。夏の水不足が心配される。昭和39年のオリン ピッ クの時も東京では水不足で大変だった。その東京五輪担当大臣河野一 郎 担当記者が小生だった。折から総理大臣池田勇人(はやと)の喉頭がん 疑惑が持ち上がり、昼間は五輪、夜は癌に関する夜回り、基準外労働が月 200時間を超えた。最終的に総理は本物のがんだと突き止めたが、総理は 病室でNHK ニュースをかな済みているからと「没」。

このさなかに長男が生まれた。それこそ「てんやわんや」の昭和39年だっ た。まだ28歳だった。あれから53年がたった。先輩記者のみならず後輩も 死んでいる。長生きすることとは友を失うこと、とみつけたり。


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渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

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