政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針4399号  2017・6・30(金)

2017/06/30

  
□■■□──────────────────────────□■■□  
わたなべりやうらうのメイルマガジン「頂門の一針」4399 号
□■■□━━━───────────────────────□■■□


           2017(平成29)年6月30日(金)



          安倍は早期改造で局面転換を図れ:杉浦正章

        沖縄の言論空間に八重山日報の新風:櫻井よしこ

              いちごの生産者だった夏:石岡荘十

              これほどの大物が居た:渡部亮次郎   
                    
                        話 の 福 袋
                           読 者 の 声
                           身 辺 雑 記


□■■□──────────────────────────□■■□
第4399号
                             発行周期 不定期(原則毎日発行)
             
               御意見・御感想は:
                  ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
                    下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/

    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/



━━━━━━━━━━━━━━━
安倍は早期改造で局面転換を図れ
━━━━━━━━━━━━━━━


           杉浦 正章

弱り目に祟り目の稲田発言
 
こればかりはいかんともしがたい。安倍は早期の内閣改造に踏み切り、悪
い流れにストップをかけるしかあるまい。それにつけても何度も書くが、
日本の女は政治家には向かない。自民党の女性総理候補は小池百合子、野
田聖子、稲田朋美と続いたが 小池はポピュリズム一辺倒で党内的に嫌わ
れて脱落。せいぜい大衆迎合がまかり通る都知事がいいところで、とても
都議選の余勢を駆って首相になるような政治情勢にはなるまい。

野田はあらぬ時に総裁選に出馬しようとするなど焦りすぎて、党内情勢を
見誤り失敗。今度は稲田が失言の山を築いて「死に体」なってしまった。長
年政治記者をやっていると政治家を見る目だけは肥えてくるが、稲田は最
初から無理だと思っていた。

しかし野党も蓮舫が居丈高になって勝ちどきを上げるケースでもあるま
い。民進党への“逆風”も自民党に勝るとも劣らない。

蓮舫自身も自らの2重国籍問題を巻き起こし、都議選も不調では、選挙後
自分の首が危うくなりかねない情勢だ。だから、しめたとばかりに稲田を
追及しているが、ブーメラン返しがそこに見えている。

日本の女は、知的には極めて優秀で、家事や育児にも秀でているが、政治
家としては英国首相メイやドイツ首相メルケル、米大統領候補クリントン
などと比べるとあまりに低レベルである。長い封建社会で植え付けられた
男を立てる遺伝子が、まだ取り切れずに作用しているのだろう。

どうも首相・安倍晋三は昭恵夫人を選ぶのには成功したが、それ以外は女
性を見る目がないようだ。前の内閣では女性閣僚が2人も辞めている。そ
もそも稲田は、安倍の秘蔵っ子だ。

安倍が副幹事長の頃稲田のスピーチを聞いて、スカウトして12年前に初当
選させた。安倍とともに靖国参拝をしたこともある。14年に政調会長に抜
擢、今度は防衛相という重要閣僚にした。安倍はかつて「将来の総理候補
として頑張ってもらいたい」と激励したことすらある。

しかしとりわけ防衛相になってからがハチャメチャだ。資質を問われる発
言が相次いでいる。陸上自衛隊が参加する南スーダンの国連平和維持活動
(PKO)では、派遣部隊の日報をめぐる大臣報告が約1カ月もかかり、
省内を掌握していない状況が浮き彫りになった。

この答弁もちぐはぐで、不必要に野党の攻撃を集中させた。スーダンにお
ける陸自の日報問題でまるで幼稚園児のような答弁をしている。「憲法9
条上の問題になる言葉を使うべきではないから、戦闘という言葉を使わず
武力衝突という言葉を使っている」と答弁してしまった。部下が大臣に
内々にご進講したとおりの内容を答弁してしまったのだ。

「森友問題」の訴訟に原告側の代理人として出廷していた問題もコロッと
忘れて、「虚偽だ」と答弁。その後事実であることが判明した。一連の稲
田発言に対して感ずるのは、答弁が下手なのに加えて、思い違えが激しい
ことだ。年増の女性に多いど忘れ現象が頻繁なのだ。

今回の場合も仮にも防衛相であるならば、発言していいことと悪いことの
けじめを付けなければならないが、事もあろうに憲法違反そのものの発言
をしてしまった。

都議選候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願
いしたいと思っている」だ。これは公務員の地位を規定した「すべて公務
員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法15条に
紛れもなく違反している。

そもそも戦後の自衛隊員教育の根幹は、戦前の軍部独走の愚を繰り返さな
いため「政治的行為を慎め」と徹底して教えてきたのであり、稲田発言は
大臣そのものが率先してその禁を破ったことになる。組織としての自衛隊
を率いるトップの発言としてあるまじき事は言を待たない。

まさに安倍にとっては弱り目に祟り目の事態だが、この悪い流れを断ち切
るためには、内閣改造による人事刷新しかあるまい。今度ばかりは熟考し
て、憲法改正という重大テーマに対処し、衆院選挙にも対応できる人事を
する必要がある。

派閥順送りは無視して、ベテランを起用して重厚な政権に脱皮しなければ
なるまい。稲田の後任には経験者で手堅い小野寺五典が適役ではないか。

官房長官・菅義偉はよく働いたから幹事長に抜擢すべきではないか。今の
ところよく育っていて国民的人気も出てきた小泉進次郎を起用することも
よいかも知れない。奇策となるから絶対によいとは言い切れないが、盟友
の前大阪市長橋下徹などを起用する手もあるかもしれない。

いずれにしても8月中と言われる改造を7月下旬にも断行する必要があるの
ではないか。局面転換には早ければ早いほどいいのではないか。まだ安倍
本体への打撃は少ない。改造して再出発すれば支持率も回復基調に入る。



━━━━━━━━━━━━━━━━
沖縄の言論空間に八重山日報の新風
━━━━━━━━━━━━━━━━


          櫻井よしこ


長年、沖縄の言論空間は、地元の2紙、「琉球新報」と「沖縄タイムス」
によって歪められてきた。私は度々、両紙の目に余る偏向報道を批判して
きたが、その異様な状態に風穴を開けるべく、今年4月1日、「八重山日
報」が沖縄本島の新聞市場に参入した。

同紙は石垣島を中心とする八重山諸島で発行されてきた。現在、「産経新
聞」の記事を大幅に取り入れて2大紙とは対照的な8頁立ての小振りな新聞
として発行中だ。八重山日報が沖縄本島で定着すれば、沖縄の言論空間が
よりまともになることも期待できる。そこで目下の目標は、今年中に沖縄
本島で5000部の契約を獲得することだそうだ。5月末までの2か月で購読は
約2000部を超え、県民の受けはよいという。

「那覇で八重山日報を読めて本当に嬉しい、こんな新聞を待っていた、こ
れで元気になれると言って下さる人が後を絶ちません」と、八重山日報社
長の宮良薫氏が語る。

活発な言論活動を展開中の我那覇真子さんも、なぜ沖縄県民が「八重山日
報」を歓迎するのかを語った。

彼女は、6月14日にスイス・ジュネーブの国連人権理事会で、「沖縄の人
権と表現の自由が、外からやって来た基地反対活動家や共産革命主義者、
さらには偏向したメディアによって脅かされています」と報告した。シン
ポジウムでは「(国連などで、日本政府に弾圧されていると訴え)被害者
のふりをしている人たちが、本当は加害者です」と、反基地派への批判も
した。
  
 信用すべき沖縄のメディアは2大紙か八重山日報か、それを知るには国連
人権理事会で日本政府を批判した特別報告者、デビッド・ケイ氏の演説を
各紙がどう報じたかを見るべきだと、我那覇さんは強調した。

「約15分の演説でケイ氏が沖縄に触れたのは4秒間。激しい論争になって
いる場所でのデモ活動が、『たとえば沖縄のように、制限されているよう
に思う』という部分です。この演説を正確に伝えたのは八重山日報だけで
した。琉球新報も沖縄タイムスも、国連のイメージを利用して自分たちの
主張である日本政府非難を強調したにすぎません」

記者クラブ制度を批判

ケイ氏は沖縄ではデモ活動が制限されていると報告したが、沖縄では事あ
るごとに大規模なデモが行われてきた。那覇の米軍基地正門前では常に反
米軍基地派がデモをし、辺野古では暴力沙汰も珍しくない。沖縄ではデモ
は禁止などという批判が当たらないのは明らかだ。

そこで我那覇さんは演説後、ケイ氏に沖縄に行ったことはあるかと問うた。

「一度もないと、ケイ氏は答えました。それなのになぜ『たとえば沖縄の
ように』などと、恰(あたか)も沖縄を見てきたように言うのか。そこでま
た尋ねました。これから行く予定はあるか、と。今後も行く予定はない
と、彼は答えました」

このようなことも含めて、全体像を詳しく報道したのは八重山日報だけ
だった。対照的に2大紙は、ケイ氏が「16分の演説の中で沖縄にも触れ」
たと報じたが、それがわずか4秒だったことや、氏が一度も沖縄を訪れて
いないことなどは、全く報じていない。ついでに言えば、2大紙は我那覇
さんの演説もシンポジウムでの発言も報じていない。彼らが詳報したの
は、ケイ氏の日本政府批判である。

そうした中、噴飯物だったのは、沖縄タイムスによるケイ氏への取材記事
だ。その中でケイ氏が次のように記者クラブ制度を批判している。

「政府が気に入ったメディアに情報を提供し、独立メディアを排除すると
いう問題点がある」

日本の記者クラブ制度はメディアが創ったものだ。現在は外国人記者にも
雑誌記者にも開放されているが、かつてはメディア側が、記者クラブに加
入できるメディア、できないメディアを選んでおり、極めて排他的だっ
た。主役は大新聞やテレビ局であり、外国人記者も雑誌もお呼びではな
かった。

従って、記者クラブ批判はメディアに向けるべきで、政府にではない。お
門違いの日本政府批判は、ケイ氏が日本の記者クラブ制度の歴史や構図を
理解していないからであろう。

それを沖縄タイムスがそのまま報じたのは無知ゆえではないだろう。彼ら
もメディアの一員であるからには、記者クラブについて知らないはずがな
いからだ。であれば、ケイ氏の発言が日本政府批判であったために見逃し
たのだろうか。

同紙の6月14日の社説にも驚いた。日本政府がケイ氏に反論したことに関
して、「1930年代のリットン調査団への抗議を彷彿させる」と書いている。

2大紙の圧力

満州事変に関連して、国際連盟は米英仏独伊の55国からなるリットン調
査団を派遣、彼らは約8か月かけて、日本と中国でおよそすべての関係者
と面談して報告書をまとめた。日本批判の内容だと思われがちだが、実は
満州国に関して日本の立場を驚くほど認めている。

沖縄に行ったことのないケイ氏が沖縄について4秒間語った報告を権威づ
け、利用したいために、社説子はケイ報告をリットン報告書と並べたの
か。教養不足か偏見か。いずれにしても、この種の比較をする論説は全く
信用できない。

我那覇さんは問うているのだ。全体像を伝えようとする八重山日報と、自
分たちの主張したいことだけを強調する沖縄タイムスの、どちらが公平・
公正かと。

より公正なのは明らかに八重山日報だ。だが同紙は、その後伸び悩んでい
る。配達要員不足、販売店不足、沖縄紙に欠かせない「お悔やみ情報」の
欠落などに加えて、2大紙の圧力があると思われる。宮良氏が語った。

「販売店に『八重山日報を配達することを禁じます』という通達書が配ら
れたのです。これをやられたら、我々は本当にきつい。ただ明らかに独禁
法違反ですから、公正取引委員会が、通達書を出した沖縄タイムスに調査
に入りました。沖縄タイムスは慌てて通達書を回収しました」

国際社会に向かって、日本政府が沖縄に圧力をかけ続けていると訴えてき
た沖縄タイムスが、足下では弱小新聞社に違法に圧力をかけている。欺瞞
そのものではないか。

新聞社の貴重な収入源のひとつ、折り込み広告がどこかで止められている
疑いについても宮良氏が語る。

「我々の営業力不足かもしれませんが、4月1日から今日まで、折り込み広
告が1件もないのです」

沖縄における熾烈なメディア戦争の行方は、日本の国家としての在り方に
も深刻な影響を及ぼす。事実を基に全体像を伝えるメディアこそ必要な
今、偏向報道をやめず、公正な競争原理をも踏みにじる沖縄タイムスに断
固、抗議するものだ。

『週刊新潮』2017年6月29日号  日本ルネッサンス 第759回 



               
━━━━━━━━━━━
いちごの生産者だった夏
━━━━━━━━━━━
 

     石岡 荘十

「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が、本誌に掲載した「いちごの話」を
読んで思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産
者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋
田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタ
ハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやって
いたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共
に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱
えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転が
り込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマト
を作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質
せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、
小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培
を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に
畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ
行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1
時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く
毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初め
ての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が
滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通って
いた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、
学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。
そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬・高崎と決まり、
半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ
操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に
大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわ
が一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、就職。で、ここ
まで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐
るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかった
ことに気がつく。

80年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけ
だった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込む
いちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味
の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは
二度とないのかもしれない。    


          


━━━━━━━━━━
これほどの大物が居た
━━━━━━━━━━


    渡部 亮次郎

名古屋市には、その中心に、100m道路がある。道幅100mの道路が東西南北
に走っている。もちろんその100mの道幅そのものが、自動車の走行の為の
道幅ではない。道幅100mの間には、公園もあれば、テレビ塔もある。

名古屋も戦後直後は、空襲でこの辺りも焼野原となった。戦後の混乱の時
期に、市の幹部は、まず道路を設定した。その時に、未来に備えての道幅
100mの道路を設定したのである。

さて、なぜ道幅100mの道路を名古屋の中心に東西南北に走らせたか?である。

戦後の焼野原を見ながら、どんな火災が起きても、延焼を食い止め、名古
屋全域が焦土と化さないように名古屋の中心のタテヨコに幅100mの空間
(道路)を作ったのである。

一方、将来来るはずの自動車社会を見越して東京中心部の設計をしたのが
岩手県人後藤新平(ごとう しんぺい)綽名大風呂敷である。関東大震災
後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の都市復興計画を立案した。

特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と、環状道路の
双方の必要性を強く主張し、計画縮小をされながらも実際に建設した。

当初の案では、その幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・
歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので、自動車が普及する以前の当時の
時代では受け入れられなかったのも無理はない。

現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など皇居外苑付
近に見ることができる。上野と新橋を結ぶ昭和通りもそうである。日比谷
公園は計画は現在の何倍もあったそうだ。

また、文京区内の植物園前 、播磨坂桜並木、小石川5丁目間の広い並木道
もこの計画の名残りであり、先行して供用された部分が孤立したまま現在
に至っている。現在の東京の幹線道路網の大きな部分は後藤に負っている
といって良い。

関東大震災。1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ
沿いの断層を震源とするマグニチュード7・9による大災害。南関東で震度
6 被害は死者99,000人、行方不明43,000人、負傷者10万人を超え、被害
世帯も69万に及び、京浜地帯は壊滅的打撃を受けた。(以下略)「この項の
み広辞苑」

新平は関東大震災の直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝
都復興院総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な区画整理と
公園・幹線道路の整備を伴うもので、30億円という当時としては巨額の予
算(国家予算の約2年分)。

ために財界などからの猛反対に遭い、当初計画を縮小せざるを得なくなっ
た。議会に承認された予算は、3億4000万円。それでも現在の東京の都市
骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評
価されている。11%!に削られながら。

三島通陽の「スカウト十話」によれば、後藤が脳溢血で倒れる日に三島に
残した言葉は、「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ
者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」であったという。

後藤新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4
年(1929年)4月13日)は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家。
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東
京市(現・東京都)第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京
放送局(のちのNHK)初代総裁。拓殖大学第3代学長。

陸奥国胆沢郡塩釜村(現・岩手県奥州市水沢区吉小路)出身。後藤実崇の
長男。江戸時代後期の蘭学者・高野長英は後藤の親族に当たり、甥(義理)
に政治家の椎名悦三郎、娘婿に政治家の鶴見祐輔、孫に社会学者の鶴見和
子、哲学者の鶴見俊輔をもつ。椎名さんは新平の姉の婚家先に養子に入った。

母方の大伯父である高野長英の影響もあって医者を志すようになり、17歳
で須賀川医学校に入学。同校を卒業後、安場が愛知県令をつとめていた愛
知県の愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)で医者となる。

ここで彼はめざましく昇進し、24歳で学校長兼病院長となり、病院に関わ
る事務に当たっている。この間、岐阜で遊説中に暴漢に刺され負傷した板
垣退助を治療している。後藤の診察を受けた後、板垣は「彼を政治家にで
きないのが残念だ」と口にしたという。

1882年(明治15)2月、愛知県医学校での実績を認められて内務省衛生局
に入り、医者としてよりも、病院・衛生に関する行政に従事することと
なった。

1890年(明治23)、ドイツに留学。西洋文明の優れた一面を強く認識する
一方で、同時に強いコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、
留学中の研究の成果を認められて医学博士号を与えられ、1892年(明治
25)12月には長与専斎の推薦で内務省衛生局長に就任した。

1893年(明治26)、相馬事件に巻き込まれて5ヶ月間にわたって収監さ
れ、最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する
破目となった。

1883年(明治16年)に起こった相馬事件は 突発性躁暴狂(妄想型統合失
調症と考えられる)にかかり 自宅に監禁されさらに加藤癲狂院(てん
きょういん)や東京府癲狂院に 入院していた奥州旧中村藩主 相馬誠胤
(そうまともたね)のことについて

忠臣の錦織剛清(にしごおりたけきよ)が 「うちの殿様は精神病者では
ない。
悪者たちにはかられて病院に監禁された。」 と、告訴したことに始まった。
結局この騒ぎは1895年(明治28年)に 錦織が有罪となって終結すること
になった。


1898年(明治31)3月、台湾総督となった兒玉源太郎の抜擢により、台湾
総督府民政長官となる。そこで彼は、徹底した調査事業を行って現地の状
況を知悉した上で、経済改革とインフラ建設を進めた。こういった手法
を、後藤は自ら「生物学の原則」に則ったものであると説明している。

それは、社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生
したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって、現地
を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというもので
あった。

また当時、中国本土同様に台湾でもアヘンの吸引が庶民の間で常習となっ
ており、大きな社会問題となっていた。これに対し後藤は、アヘンの性急
に禁止する方法はとらなかった。

まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許
制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功
し、アヘン患者は徐々に減少した。

総督府によると、1900年(明治33年)には16万9千人であったアヘン中毒
者は、1917年(大正6)には6万2千人となり、1928年(昭和3)には2万6千
人となった。

なお、台湾は1945年(昭和20)にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。
これにより後藤の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成
功したのである(阿片漸禁策)。

こうして彼は台湾の植民地支配体制の確立を遂行した。台湾においては、
その慰撫政策から後藤は台湾の発展に大きな貢献を果たした日本人とし
て、新渡戸稲造、八田與一等とともに高く評価する声が大きい。

1906年、後藤は南満洲鉄道初代総裁に就任し、大連を拠点に満洲経営に活
躍した。ここでも後藤は中村是公や岡松参太郎ら、台湾時代の人材を多く
起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、満鉄のインフ
ラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。

また、満洲でも「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄
内に調査部を発足させている。東京の都市計画を指導するのはこの後である。

その後、第13代第2次桂内閣の元で逓信大臣・初代内閣鉄道院総裁(1908
年7月14日-1911年8月30日)、第18代寺内内閣の元で内務大臣(1916年10
月9日-1918年4月23日)、外務大臣(1918年4月23日-1918年9月28日)。

しばし国政から離れて東京市長(1920年12月17日-1923年4月20日)、第22
代第2次山本内閣の元で再び内務大臣(1923年9月2日-1924年1月7日)など
を歴任した。

鉄道院総裁の時代には、職員人事の大幅な刷新を行った。これに対しては
内外から批判も強く「汽車がゴトゴト(後藤)してシンペイ(新平)でた
まらない」と揶揄された。しかし、今日のJR九州の肥薩線に、その名前を
取った「しんぺい」号が走っている。

1941年(昭和16)7月10日、本土(下関市彦島)と九州(当時、門司市小森江)
をむすぶ、念願の日本ではじめての海底トンネルが貫通した。この日貫通
したのは本坑道で、それより先39年4月19日には試掘坑が貫通している。

新聞はこの貫通を祝っているが、関門海峡の海底をほって海底トンネルを
つくる構想ははやくも1896年(明治29)ころからあり、当時夢物語のような
この話を実現化へ向けて進言したのは、鉄道院総裁の後藤新平だったとつ
たえている。[出典]『中外商業新報』1941年(昭和16)7月10日

晩年は政治の倫理化を唱え各地を遊説した。1929年、遊説で岡山に向かう
途中列車内で脳溢血で倒れ、京都の病院で4月13日死去。72歳。

虎ノ門事件(摂政宮裕仁親王狙撃事件)の責任を取らされ内務省を辞めた正
力松太郎が読売新聞の経営に乗り出したとき、上司(内務大臣)だった後
藤は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。

その後、事業は成功し、借金を返そうとしたが、もうすでに後藤は他界し
ていた。そこで、正力はその恩返しとして、新平の故郷である水沢町(当
時)に、新平から借りた金の2倍近い金を寄付した。この資金を使って、
1941年に日本初の公民館が建設された。今は
記念館になっているようだ。

後藤は日本のボーイスカウト活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日
本連盟の初代総長を勤めている。後藤はスカウト運動の普及のために自ら
10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。

彼がボーイスカウトの半ズボンの制服姿をした写真が現在も残っている。
制服姿の後藤が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕らの好き
な総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニ
コ」と歌声が上がったという。

後藤はシチズン時計の名付け親でもある(彼と親交のあった社長から新作
懐中時計の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」とCITIZENの名を
贈った)。再掲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Microsoft(R) Encarta(R) 2006. (C) 1993-2005 Microsoft Corporation.
All rights reserved.  2007・04・15



━━━━━━━
話 の 耳 袋
━━━━━━━


 ◎【米中激戦!】「韓国消滅」への道 米国民の感情を逆なで、米中対決時代に親中的路線へ進む文政権 

米中間の激突の原因となるのは、南シナ海での中国の侵略行動だけではない。台湾独立問題や、朝鮮半島情勢も、米中対決をエスカレートさせる潜在的な要素である。

大統領選に勝利したドナルド・トランプ氏は昨年12月、台湾の蔡英文総統と電話会談をして、世界を驚かせた。就任前には、いわゆる「ワン・チャイナ(1つの中国)・ポリシーを認めない」と公言している。後に、この発言を撤回したように伝えられているが、これは米大手メディアの誤報で、フェイクニュースと言ってもよい。

トランプ大統領は、中国の習近平国家主席に対し、「われわれ(米国)の(解釈するところの)ワン・チャイナ・ポリシーを尊重する」と発言したのである。中国共産党のいうワン・チャイナ・ポリシーとは「台湾はチャイナの一部」だが、米国版の解釈では、台湾の事実上の独立を尊重したうえでのワン・チャイナ・ポリシーとなる。

つまり、台湾が「事実上の独立」を維持したいと考えれば、それを支持するのが米国版のワン・チャイナ・ポリシーなのだ。あくまで「台湾の人々の意志を尊重する」のが前提で、中国の力による台湾併合は許さない。

 米中対立時代、蔡氏はこうした米国に寄り添いながら台湾の事実上の独立を維持しようとしている。低姿勢ながら、賢明な外交政策である。

 これと対照的なのが、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領だ。

 文氏は「親北朝鮮色」が極めて濃厚な政治家であり、韓国でも際立って「反日色」も強い人物でもある。文氏の基本路線は「親北・親中・反日反米」である。

 米軍の最新鋭迎撃システム「THAAD(高高度防衛ミサイル)」の配備を環境問題などを口実にサボタージュし、拒絶する構えだ。習氏は文氏に直接、THAADの撤去を要求している。

 トランプ氏は今月8日、ジェームズ・マティス国防長官や、レックス・ティラーソン国務長官をホワイトハウスに集めて、緊急会議を開いた。韓国大統領府が「THAAD配備には2年かかる」との見通しを明らかにしたのは前日だった。トランプ氏は会議で、韓国への怒りを隠さなかったと伝えられる。

 折も折、文氏は、平昌(ピョンチャン)冬季五輪の北朝鮮との共同開催や、南北共同チームでの五輪参加を提案した。

 北朝鮮で拘束されていた米国人大学生、オットー・ワームビア氏が昏睡(こんすい)状態で解放され、直後に死亡した事件があっただけに、文氏の提案は、米国民の感情を逆なでしている。文政権は、米中対決時代に、明らかに親中的な路線を取ろうとしている。

 今後、朝鮮半島は北優位のうちに統一への道を歩むことになるだろう。「韓国消滅」といってもいい。米中対決時代のなか、韓国が日米両国と肩を並べて、アジアの平和と自由を守る同盟国と成り得ないことは、もはや明確である。

写真−
・ 韓国の文大統領は米韓同盟を破壊する気なのか。台湾の蔡総統とは対照的だ(共同) 韓国の文大統領は米韓同盟を破壊する気なのか。台湾の蔡総統とは対照的だ(共同)
・ 台湾の蔡総統
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170629/soc1706290008-p1.html?ownedref=article_not%20set_newsPhoto

 ■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。著書・共著に『最強兵器としての地政学』(ハート出版)、『米中激戦!』(ベストセラーズ)など。
【ZakZak】2017.6.29 〔情報収録 − 坂元 誠〕



 ◎NHK受信料、消費生活センターへの相談10年間で「5万5千件」…裁判記録から判明

NHKの受信料徴収などをめぐり、全国の消費生活センターに寄せられた相
談が2007年度〜2016年度の10年間で5万5344件にのぼることが分かった。
弁護士ドットコムニュースが受信料をめぐる裁判記録を閲覧したところ、
資料を発見した。

件数は年々増加しており、2016年度は8472件あった。具体的な内容は50件
しか記載されていないが、「強引に契約を結ばされた」「視聴していない
のに、払わなくてはならないのか」といったものが多く見られた。

NHKは2019年からのネット同時配信を目指している。NHKの検討委員会が6
月27日に発表した答申によると、テレビを持たない世帯(総世帯の約
5%)のうち、ネット接続端末を所持し、視聴のための「何らかのアク
ション・手続き」をとった者に対し、受信料を求めることも検討するとい
う。徴収の範囲・方法によっては、混乱・反発は必至で、今後、受信料制
度の必要性を丁寧に説明することが求められそうだ。

●10年で4倍超、外部徴収員の強引な契約方法に苦情

資料は国民生活センターが、全国の消費生活センターに寄せられた相談情
報を集計したもの。具体的な相談内容は50件しか記載されていないが、ほ
とんどが受信料をめぐるトラブルとみられる。

この資料は、徴収スタッフとのトラブルで、東京都の女性がNHKを訴えて
いた裁判の証拠として提出された。弁護士ドットコムニュースが、裁判記
録の閲覧を裁判所に申請して発見した。通常、国民生活センターは個別の
企業・団体についての統計を公表しないが、女性側の弁護士が弁護士会照
会を行い、資料を請求していた。

資料によると、2007年度に1926件だった相談件数は年々増加し、10年後の
2016年度には4倍超の8472件になった。NHKが発表している2016年度末の受
信料の推定世帯支払率は78.2%で、公表を始めてから5年連続で上昇中。
NHKは徴収業務の外部委託を進めており、徴収の強化が影響しているとみ
られる。

また、業者の徴収スタッフは契約数に応じて報酬が変動するのが通常で、
「受信設備を設置した者は…契約をしなければならない」(放送法64条)
を盾に、十分な説明をしないまま、強引に契約させてしまうトラブルが少
なくないようだ。

50件の具体例の中には、「夜8時過ぎに一人暮らしを始めたばかりの娘の
アパートに徴収員がきて、強引に契約を迫った」「テレビもワンセグも
持っていないが、受信料を払うことは法的に決まっていると執拗に迫られ
て契約してしまった」などの記載が見られる。また、衛星放送契約やワン
セグ機能付き携帯電話での契約をめぐり、「視聴していないのに支払わな
いといけないのか」といった相談も複数見られた。

●若者世代や高齢者世代のトラブルが顕著…80代以上の報告が4000件以上、
100歳代も

この衛星放送契約をめぐっては、「衛星放送の受信装置もないのに、受信
契約を7年も前にしていることが判明した。高齢の母が訪問して来た担当
者に言われるがまま契約してしまったものと思われる。解約返金交渉した
が、解約はできるが返金は難しいと言われてしまった」という相談もあった。

実際にこうしたミスは少なくないようで、NHKは6月27日、衛星放送の受信
設備がない世帯に対し、契約書を書き換え、衛星放送契約にするなど不正
手続きが4件あったと発表。衛星放送を受信できないのに誤って契約を結
んだケースも243件あったとしている。

こうしたトラブルに巻き込まれるのは、若者世代や高齢者世代が多いよう
だ。2017年4月1日〜7日までの相談5件も加えると、契約当事者の年齢で
もっとも多いのは20代で7074件、60代が7032件で続いた。10代も5531人と
いう記録が残っている。また、高齢者では、80代が3622件、90代が477
件、100代も11人いた。
.
弁護士ドットコムニュース編集部
弁護士ドットコム6/29(木) 9:52配信




━━━━━━━━
読 者 の 声       
━━━━━━━━



 1)AIの進歩発展と普及に思う:前田正晶

電子計算機の進歩と発展を振り返ってみよう。かの将棋界の新星というの
か新たな英雄、藤井颯太四段はその進歩の過程で、AI(人工知
能=artificial intelligence)を活用していると、お師匠さんが語って
おられた。マスコミはコンピュータの将棋ソフトというのかAIの棋士?
が、次から次へと対戦した生身の棋士を破って行くのを嬉々として報じて
いる。何処かで読んだことは「大型コンピュータの処理能力では極めて短
い時間に700万回もの将棋を指せるので、人に勝てるのに不思議はない」
とあった。

私は1960年代にはお世話になっていた日本の会社で「情報用紙」(=ビジ
ネス・フォーム用紙)を担当していた時期がながあったので、電子計算機
について何らの具体的な知識もないままにその業界との接触があった。そ
れは電子計算機の「アウトプット」用の用紙なのだが、紙に対する要求が
非常に厳しく、後に知るようになったのだが、そういう紙を使う機械類は
「紙という木材繊維で出来ている物の物理的な品質の限界などには全く何
の配慮もしていなかった」のだった。イヤ、紙がこちらの要求を理解して
即刻対応すべきだと頭から決めつけているといった方が正確だったかも知
れない。

その当時でも、我が友・YM氏は電算機に通暁していて「如何にして大量の
情報を機械に入れるかが肝腎で、入れた情報が少なければ吐き出される結
果も限定されると知るべきである」と言って、如何にして短時間に大量の
情報を入力して演算させるかが重要なのであると説いていた。こちらの理
解力は「そんなものかな」と受け止める程度で、何とか早くクレームにな
らない紙が出来ればと願っていた。

話変わって、1987年にW社の他の事業部の日本市場進出のお手伝いをして
いた頃に、その事業部のマネージャーと打ち合わせをしようと営業所を訪
れたことがあった。その時に彼はパソコンに向かってゴルフのゲームをや
る余裕を見せなから、私を出迎えてくれた。

この頃には確か電子計算機はコンピュータというカタカナ語の名称に変
わっていたが、アメリカでは”personal”なものまで出来していたとは不覚
にも知らなかった。

そのまま私は仕事用にpersonal computerなどを使うことなく1994年1月末
で引退となったのだが、秘書さんは既にPCを使っていたし、1987年に就職
した愚息などは入社前にワープロは使いこなせるように準備することを求
められていたと記憶する。そして、私が退職後間もなくW社ジャパンでは
全マネージャーがPCを持つ(持たされる?)ようになったと聞いた。時代
の変化であろう。

私は引退後にも物書きの真似事は続けていたが、何れは年金生活に入って
いく身では分不相応な投資をしてPCを使って原稿を書こうとは全く思って
いなかった。それが、私の運命は偶然に支配される要素があるので、2003
年の70歳の秋から、偶然の積み重ねで導入せざるを得なくなって今日に
至っている。

その便利さは十分に認識してはいるが、ワープロを使っていた頃にその道
に詳しい某メーカーの部長さんに「貴方はワープロが持つ機能の10%も
使っていない」と揶揄されたが、甘んじて受けた。現在でも「PCの機能の
中では1%ほども活用していない」と、胸を張らずに言える自信はある。

27日には我が国最大の店舗数を持つに至ったと報じられた回転寿司のHを
何回目かで訪れてみた。前回の時には未だ完全に受付業務がAI化(は大袈
裟かな)されていなかったが、28日はロボットに何名かとテーブル席かカ
ウンターを望むかを入力して、吐き出される座席の感熱紙の番号札を持っ
て#63に向かった。

ここではタッチパネルで注文し、食べ終わってから会計を要求する方法に
も慣れた。成田でのタッチパネルでのチェックインで戸惑いは十分に経験
済みだったから。国立国際医療研究センター病院でも外来の受付から会計
までのAI化は著しく進んでしまっている。

このようにAIによる合理化(人減らし)が今後とも何処まで進んでいくか
は超後期高齢者の私には想像も付かない。だが、経済性の追及や合理化は
その道の専門家によって、恐らく限界まで行くことになるだろうことは容
易に想像できる。だが、その限界が何処で如何なる形になるかを老化して
時代遅れになった頭脳で考えても解る訳がない。そこには空恐ろしいもの
がある。

私は自動車の自動運転のシステムの進歩(よく考えればおかしな言い方
で、そもそもautomobileではないか)などは危険極まりないのではないか
と、密かに恐れている。それは、これほど嘗ての電子計算機が進歩してAI
になっても常に何処かで不具合が発生しているし、ハッカーなどという不
逞の輩が続出する時代にもなってしまった。将棋用のAIが人間に勝ってい
る程度で収めておけば良いのではないかと思うが、その道の研究者は追及
を止めるとは思えない。世の中は常に進歩と発展を求めている限り。



 2)AIの進歩発展と普及に思う:前田正晶

電子計算機の進歩と発展を振り返ってみよう。かの将棋界の新星というの
か新たな英雄、藤井颯太四段はその進歩の過程で、AI(人工知
能=artificial intelligence)を活用していると、お師匠さんが語って
おられた。マスコミはコンピュータの将棋ソフトというのかAIの棋士?
が、次から次へと対戦した生身の棋士を破って行くのを嬉々として報じて
いる。何処かで読んだことは「大型コンピュータの処理能力では極めて短
い時間に700万回もの将棋を指せるので、人に勝てるのに不思議はない」
とあった。

私は1960年代にはお世話になっていた日本の会社で「情報用紙」(=ビジ
ネス・フォーム用紙)を担当していた時期がながあったので、電子計算機
について何らの具体的な知識もないままにその業界との接触があった。そ
れは電子計算機の「アウトプット」用の用紙なのだが、紙に対する要求が
非常に厳しく、後に知るようになったのだが、そういう紙を使う機械類は
「紙という木材繊維で出来ている物の物理的な品質の限界などには全く何
の配慮もしていなかった」のだった。イヤ、紙がこちらの要求を理解して
即刻対応すべきだと頭から決めつけているといった方が正確だったかも知
れない。

その当時でも、我が友・YM氏は電算機に通暁していて「如何にして大量の
情報を機械に入れるかが肝腎で、入れた情報が少なければ吐き出される結
果も限定されると知るべきである」と言って、如何にして短時間に大量の
情報を入力して演算させるかが重要なのであると説いていた。こちらの理
解力は「そんなものかな」と受け止める程度で、何とか早くクレームにな
らない紙が出来ればと願っていた。

話変わって、1987年にW社の他の事業部の日本市場進出のお手伝いをして
いた頃に、その事業部のマネージャーと打ち合わせをしようと営業所を訪
れたことがあった。その時に彼はパソコンに向かってゴルフのゲームをや
る余裕を見せなから、私を出迎えてくれた。

この頃には確か電子計算機はコンピュータというカタカナ語の名称に変
わっていたが、アメリカでは”personal”なものまで出来していたとは不覚
にも知らなかった。

そのまま私は仕事用にpersonal computerなどを使うことなく1994年1月末
で引退となったのだが、秘書さんは既にPCを使っていたし、1987年に就職
した愚息などは入社前にワープロは使いこなせるように準備することを求
められていたと記憶する。そして、私が退職後間もなくW社ジャパンでは
全マネージャーがPCを持つ(持たされる?)ようになったと聞いた。時代
の変化であろう。

私は引退後にも物書きの真似事は続けていたが、何れは年金生活に入って
いく身では分不相応な投資をしてPCを使って原稿を書こうとは全く思って
いなかった。それが、私の運命は偶然に支配される要素があるので、2003
年の70歳の秋から、偶然の積み重ねで導入せざるを得なくなって今日に
至っている。

その便利さは十分に認識してはいるが、ワープロを使っていた頃にその道
に詳しい某メーカーの部長さんに「貴方はワープロが持つ機能の10%も
使っていない」と揶揄されたが、甘んじて受けた。現在でも「PCの機能の
中では1%ほども活用していない」と、胸を張らずに言える自信はある。

27日には我が国最大の店舗数を持つに至ったと報じられた回転寿司のHを
何回目かで訪れてみた。前回の時には未だ完全に受付業務がAI化(は大袈
裟かな)されていなかったが、昨日はロボットに何名かとテーブル席かカ
ウンターを望むかを入力して、吐き出される座席の感熱紙の番号札を持っ
て#63に向かった。ここではタッチパネルで注文し、食べ終わってから会
計を要求する方法にも慣れた。成田でのタッチパネルでのチェックインで
戸惑いは十分に経験済みだったから。国立国際医療研究センター病院でも
外来の受付から会計までのAI化は著しく進んでしまっている。

このようにAIによる合理化(人減らし)が今後とも何処まで進んでいくか
は超後期高齢者の私には想像も付かない。だが、経済性の追及や合理化は
その道の専門家によって、恐らく限界まで行くことになるだろうことは
易に想像できる。だが、その限界が何処で如何なる形になるかを老化して
時代遅れになった頭脳で考えても解る訳がない。そこには空恐ろしいもの
がある。

私は自動車の自動運転のシステムの進歩(よく考えればおかしな言い方
で、そもそもautomobileではないか)などは危険極まりないのではないか
と、密かに恐れている。それは、これほど嘗ての電子計算機が進歩してAI
になっても常に何処かで不具合が発生しているし、ハッカーなどという不
逞の輩が続出する時代にもなってしまった。将棋用のAIが人間に勝ってい
る程度で収めておけば良いのではないかと思うが、その道の研究者は追及
を止めるとは思えない。世の中は常に進歩と発展を求めている限り。




━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━

30日の東京湾岸は朝から雨、傘をさしての散歩だ。





                          読者:5715人





◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら
→ http://melma.com/contents/taikai/

渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。