政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針3055号  2013・9・2(月)

2013/09/02

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3055号
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           2013(平成25)年9月2日(月)



                  誇るべき日本人の「合力」:清湖口 敏

             安倍は来月早々に消費税実施判断へ:杉浦正章

                        どこへ行くインド経済:宮崎正弘

                     11歳少女の朝鮮半島脱出記:伊勢雅臣

             朝日新聞は日本領土の防衛がお嫌い:古森義久

                          日本とエジプト(3):平井修一

                                      話 の 福 袋      
                                反     響
                    身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第3055号
                             発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             

 
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誇るべき日本人の「合力」
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      清湖口 敏

7月22日朝のJR南浦和駅(さいたま市)。停車中の電車から降りようと
した女性が足を踏み外し、電車とホームの間に挟まれた。これを見た車内
とホームの客約40人が一斉に力を合わせて車両を押し、隙間をつくって
女性を引き上げた。女性に目立ったけがはなかった。

 ◆世界で称賛の声

たまたま現場に居合わせた読売新聞記者の撮った写真がニュースとともに
海外に伝わり、各国で日本への称賛の声が広がったと、26日付同新聞が報
じている。「イタリア人だったら眺めるだけだろう」「中国で同様の事故
が起きれば、大多数の人はやじ馬見物するだけだ」「おそらく、日本だけ
で起こりうること」「とっさにこのような行動ができる日本人は、どのよ
うな教育を受けているのか」…。

他人の難儀も見て見ぬふりをする風潮が強いといわれる昨今だけに、日本
人の道徳心をたたえる声にはうれしくなった。そこでふと「合力」という
言葉を思い出し、この「合力」の精神こそが日本人を、世界でも傑出した
道徳的国民にしているのではないかと思ったのである。

「力を合わせる」意の漢字熟語といえば誰もがまず「協力」を思い浮かべ
るだろうが、わが国には「協力」よりもずっと古く「合力」という言葉が
存在した。合力は今では物理の授業で「2つ以上の力を合成した力」など
と習う程度で、小型の辞書もそれくらいの意味しか載せていないが、古典
の時代にはコウリョクと読ませ、「力を添えて助ける」意を有した。

室町時代初期の『義経記(ぎけいき)』にも「三日がうちに浮き橋を組ん
で、江戸太郎に合力す」と出てくる。源頼朝が隅田川を渡ろうと江戸太郎
(重長)に浮き橋を組ませた折、葛西三郎こと葛西清重が合力した、つま
り助勢したというのである。

 ◆施し与える

もっとも、この意味でなら中国でも「合力」は使われているが、わが国で
はそれ以外に「金品を人に施し与える」という独自の意味もあった。

「私、仕合(しあは)せの合力を請けて、思ひのままの正月を仕(つかま
つ)る」(西鶴諸国ばなし)。幸運な援助を受けて思い通りの正月を送れ
る、と訳せよう。飢饉(ききん)や災害に際しては合力金、合力米として
金品を贈り、困窮者への援助とした。

力を添えて助ける、施し与える−わが国における合力のこの2つの意味
は、いわば見返りを求めぬ人助けの要諦でもあり、それを実践したのが冒
頭の救出劇ではなかったか。力を貸した人たちはきっと、女性の無事を見
届けるや何もなかったかのように現場を後にしたに違いなく、彼らは力を
貸して、いや与えて、そして去った…。

明治期に大森貝塚を発見した米人モースは、江ノ島で過ごした経験を次の
ように書き留めている。「人力車夫や漁師達は手助けの手をよろこんで
『貸す』というよりも、いくらでも『与える』」(東洋文庫『日本その日
その日』)。近代日本の庶民に合力の精神が広く浸透していたことがうか
がい知れる。

大正12年の関東大震災でもこの精神は発揮された。例えば東京帝大の学生
は、大学構内や上野公園に避難した人たちのために食糧を調達したり、随
所に散乱する糞便(ふんべん)を清掃したりと活躍した。現代のボラン
ティア活動につながる合力である。

◆災害を越えて生きる

戦後の日本では、個を尊重するあまり他を思うことが忘れられがちとなっ
たが、それでも先の東日本大震災のとき私は、日本人は決して合力の精神
を失ってはいないと確信した。窮状のなかでも被災者は礼節と品位を保
ち、奪い合うことなく分け合い、与え合った。外国人にはこれが奇跡に思
えたという。

日本人がこのような徳を身につけることができたのも、わが国が災害列島
だからかもしれない。日本人は自然災害で多くの犠牲を払ってきはした
が、同時に、災害を乗り越えて生きるために助け合い、与え合う合力の精
神を養ってもきた。日常的には「相身互い」とか「向こう三軒両隣」、と
きには「絆」と呼ばれたりもする情義とも相通ずる徳性といえるだろう。

「東京の下町では、となり近所が助け合い、たがいの不足をおぎない合う
ことも当然だった」。関東大震災の年に生まれた池波正太郎の言葉であ
る。日本人は合力して生きてきた。

関東大震災の発生からちょうど90年となるきょうの防災の日、あらため
てその美風を思い起こし、今後ともそれを誇りとしていきたいものであ
る。(せこぐち さとし)【論説委員】

 産経ニュース[土・日曜日に書く]2013.9.1



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安倍は来月早々に消費税実施判断へ
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          杉浦 正章

官房参与大敗北で論議終息

政治は全く素人の内閣官房参与の二人が政局絡みの口出しをして大失敗し
たというのが、政府主催の消費増税ヒヤリングの図式だ。首相・安倍晋三
もあわよくばと増税回避の突破口を狙ったが、逆効果となった。7割が増
税賛成だったが数よりも説得力ある増税推進論が展開され、かえって増税
への地盤固めとなってしまった。

勝負はついた。あとは増税是認に向けて、企業の投資減税や法人税減税な
ど財務省との“条件闘争”の段階に入り、月末か来月早々には安倍が8%増
税への最終決断に踏み切るしかない情勢となった。

近ごろの新聞記者は右往左往した去年の解散判断と同じで、全く政治の展
望が読めなくなったようだ。判断する度胸もないのだろう。60人のヒヤ
リングを終えた段階の紙面で「首相、消費増税決断へ」と踏み切った新聞
は1社もない。

それどころか逆に読売が筆者の“友情ある説得”も聞かないで、「10倍返
しだ」とばかりに社説で「来春の8%は見送るべきだ」とやってしまっ
た。これもマスコミ界で孤立の様相だ。主筆のナベツネは振り上げた拳を
どう下ろすのか見物だ。

もともと、有識者なるもののヒヤリングなどは、筆者が「馬鹿馬鹿しい」
と書いたとおり、無意味なものであった。なぜなら肝心の政治の動向への
視点が欠けているからだ。消費税という超ど級政策マターは政治が判断す
べきもので、民間人の意見を聞くような筋合いのものではない。

そもそも消費税法成立の経緯を見れば、首相・野田佳彦が「党より天下国
家だ」と、勇敢にも民主党の分裂まで巻き起こして3党合意を達成して、
やっと通過させたものだ。政治家が命がけでやらなければならないほどの
“政局銘柄”なのであり、ど素人が口を出すようなものでもない。

そのど素人が官邸の首相側近なのだから安倍官邸も度し難い。しょっちゅ
う薄気味悪いにたにた笑いをしている官房参与の浜田宏一と、一見思考が
深そうで、しゃべると浅い本田悦朗だ。

必死になって「1%ずつの引き上げ」などという荒唐無稽(むけい)の説
得をしようとするが、その主張をことごとく直接、間接に論破されたとい
うのが集中点検会合と称するヒヤリングの実態だ。両参与ともアベノミク
スの“功労者”だが、もてはやされて舞い上がり、政治の火中のクリまで拾
えると誤判断したのだ。

“政治音痴”の両者を諭すかのように説明すれば、消費税法案を撤回するに
は臨時国会で法案を成立させなければ間に合わない。新法案を成立させる
ためには1からやり直しとなる。1党の分裂を招いた法案を最初からやり
直すことになるのだ。

やる場合は自民党は正式機関で審議することになるが、筆者の聞く限りに
おいては幹部で見送りや“なし崩し型引き上げ”に賛成する者はいない。不
可能だが、たとえ法案をまとめ得たとしても国会審議がある。民主党や連
立相手の公明党は黙っていない。

前外相・玄葉光一郎は「党分裂までして通したのは日本の将来を見通した
戦略的判断だった」と述べ、反対だ。元官房長官・町村信孝も1日「あま
り『内閣官房何とか』という人がたくさんいると、スピーディーな意思決
定の逆になる」と痛烈に二人を批判。

このところ難癖ばかり付けている公明党代表・山口那津男に至っては、
「数字も良くなっている状況なので、このチャンスを逃すと『消費税の決
断いつやるの?今でしょう』と心の中で思っている」と茶化しながらも安
倍官邸をいさめている。

もちろん自民党執行部も反対だ。自民党副幹事長の中谷元も「機関決定が
必要だが法案を作れるか、それを国会にかけられるかといえば不可能だ。
それにとても4月までに間に合わない」とテレビで発言している。

また「消費税を変更すれば1年後には倍返し、2年後には5倍返し、3年
後には10倍返しになる」と流行語で安倍官邸を脅している。筆者が最初
から指摘してきたとおり、見送り即政局の局面なのだ。安倍には見送りが
達成できるほどの調整力も、エネルギーもない。

だいいち秋の臨時国会は何のための国会かと言えば、アベノミクスの仕上
げのための国会だ。安部自身が唱えた3本の矢のうちの成長戦略が焦点と
なるのだ。消費税法案などを出せばそれにかかりっきりになって何も手が
付かなくなる。審議も不毛の論議に終始するだろう。かえってアベノミク
スつぶしの国会になってしまうのだ。

世界各国はこれを見て「何も出来ない政治の日本に戻った」と判断、中韓
両国は小躍りするに違いない。従って冒頭述べたように勝負はついたの
だ。議論は浜田、本田の大敗北で終息へと向かっている。予定通り8%の
増税が4月から実施となる方向だ。

もっとも安倍は引き下がる以上は財務省の譲歩を勝ち取ろうとするだろ
う。それは激変緩和策だ。いかに8%へのショックを和らげるかだ。企業
への投資減税や法人税減税が俎上(そじょう)に登るだろう。場合によっ
ては所得減税も検討課題だ。また増税で来年度のGDPは4兆円は落ち
る。これに相当する補正予算も必要不可欠になる。


荒唐無稽な8%引き上げ反対論はこうして終息の段階に入った。

  (政治評論家)<2013年09月02日>




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どこへ行くインド経済
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
 平成25(2013)年9月2日(月曜日)
      通巻第4010号  <前日発行>
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 どこへいくインド経済、極度の低迷と度し難い迷走
 インドの通貨の変動相場制移行が原因か、深層にはカースト制の弊害
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インド経済はいま、1991年の経済危機に匹敵するほど深刻な状況に陥って
いる。失速しかけていると言って良いだろう。

外資が逃げ出し、通貨が暴落し、株式が下落し、国債は利上げ、経常収支
の赤字は過去1年間で878億ドル、失業率9・9%。

しかもインドはまもなく外資の利払い時期に直面する。ロールオーバー
(借り換え)は向こう1年で2500億ドル。インドの外貨準備は2790億ド
ル、いずれ底を突く可能性がある。

経常収支改善の兆候はみられず、したがってルピーはなお暴落気配であ
る。中国と異なりインド・ルピーは変動相場制、こういう場合、気分と投
機に脆弱である上、通貨投機を狙うファンドの投機対象となりやすい。

8月17日、シン首相は官邸に経済閣僚ならびに経済財務金融担当の高官を
集めて対策を練った。このような緊急事態は91年危機以来のことで、外国
ファンドは、この事態を目撃してから本格的な逃げの態勢にはいった。

理由は1989年のアジア通貨危機に際してマレーシアが外国資本の国外移動
を凍結したような強硬措置を怖れたからだ。

加えての難題は2014年5月に行われる総選挙だ。インドは民主主義国家ゆ
えに、ポピュリズムに訴える政策が必要である。

与党は経済対策の要にある食料補給、つまり貧困層へ低価格での食料配給
制度を撤廃できない。年間140億ドルがコメ、小麦などの購入に充てら
れ、倉庫、運送、横流しなど別のコストもかかる。貧困層対策は後手後手
である。ガソリンへの補助金を打ち切ったが、たちまち与党は猛烈な批判
に曝された。

 ▼しかし日本企業は強気なのだ

ところがインドで業務拡大の日本企業がある。

インドでトヨタは「カムリ」のハイブリッド版の生産を開始した。

ホンダは年間300万台のバイクを600万台に引き上げる計画に加えて、販売
店を現行160店舗から250店に急拡大を狙い、ラジャスタン州の新工場では
乗用車24万台を2014年から生産する。

スズキの工場焼き討ち事件以来、すっかり意気消沈してきた日本企業に
とって久しぶりの快音だ。

強気なのはトヨタ、ホンダばかりか、たとえばイオンは家電、バイクなど
の割賦市場に打って出て、小売りへの金融事業に乗り出す。これはイオ
ン・クレジットサービスがムンバイの金融会社と提携し、消費者の家電分
轄ローンの融資を拡大させ2016年には100億円の市場と見込んでいる。

またみずほコープと日本企業連合はクジャラート州(ムンバイの北方)の
運河に太陽光発電装置をならべての売電事業を開始する。総工費300億
円、発電出力目標は20万キロワット。クジャラート州は自動車産業のメッ
カともいわれ、電力需要が大きいため、強気である。

しかしこれらの日本企業の新事業など、果たしてうまくいくか?

スズキのマネサール工場(ハリヤナ州)で従業員の暴動が起きたのは2012
年7月。原因はカースト制度のひずみがもたらした。階級の違う者が同じ
生産ラインで働くことはインドの伝統的習俗、文化的慣習と真っ向から対
立する。

しかしインドは法律上カーストによる差別を禁じており、日本企業は法律
を守る立場からカースト差別を助長するシステムを採用しない。
それが仇となって、進出以来30年、インドで成功したモデルケースとまで
いわれたスズキが労務管理で躓いたのだ。
 
いま一つの原因はインドの労働運動の激しさである。

賃上げ、待遇改善をもとめて屡々暴力的争議に発展し、日本ばかりか現代
自動車など韓国勢もやり玉にあがる。

インド人はビジネスにかけては華僑をしのぐほど、熱意とあくどさ、しつ
こさを持っていて、世界からは「印僑」と呼ばれて嫌われるのだが、この
伝統は労働運動にも浸透しているのである。

 ▼インドの経済発展を阻害するのはカースト制だ
 
もろさが連続して露呈した。

インドの株価と通貨が同時に下落をはじめた。主因は米国のQE3(量的
緩和第三弾)のあと、バーナンキFRB議長が五月の講演で「金融緩和に
歯止めをかけることもある」と示唆したため、外国ファンド筋が一斉に新
興国投資から撤退をはじめた。

この悪性の連鎖、連関のなかにインドは身をおかざるを得なかった。ブラ
ジルから、アルゼンチンから、インドネシアから米国系ファンドが撤退を
始めた。その流れで多くの欧米ファンドがインドからも撤退を急いだ。

インドの損害保険企業に投資してきたウォーレン・バフェットも早々と撤
退を表明し、アルセロール・ミタル(世界最大の鉄鋼企業。本籍はルクセ
ンブルグ)は印度で計画していた製鉄所新設の一部を見送るとした。

ことほど左様にインド経済は海外情勢に大きく作用される。

たとえばインドネシアの国債を外国勢は30%保有し、マレーシアは45%
(日本はちなみに5%以下)、ついでに株式投資のポートフォリオを減ら
せばインドの株価はがくんと下落し、それは通貨暴落へとつながる可能性
がきわめて高くなるだろう。


▼庶民はインド・ルピーの貯蓄より金(ゴールド)買いに走る

インドの株価は年初来21・4%も下落し、通貨は13%の下落をしめした
(数字は英誌エコノミスト、13年8月24日号)。

慌てたインド政府は通信、石油制裁、防衛産業などへの海外からの投資規
制を緩和する方向にある。しかし雇用700万人を誇る民間警備分野は武器
の問題など複雑な難問を抱えており、外貨規制がすんなり緩和されるとは
思えない。

米国議会は「IT産業のアウトソーシングをインドに集中して発注してい
る現実は、米国国内の雇用を奪っている」と警告し、法律の規制を検討し
ている。インドは強く反発している。

それでなくとも、欧米ならびにアラブ資本がインドから撤退しており、輸
出不振と投資不足によってルピーがさらなる暴落の危険性がある。

他方、庶民は自国通貨を信任せずに金購入を続けている。インドの12年度
の金輸入はGDPの3%と見られ、とくに密輸による金が大量にインドに
流入している。

こうしたインドと中国の猛烈なゴールド買いによって金相場は低迷ゾーン
を抜け出し、またまた1オンス=1400ドル台を回復した(8月30日)。

「さるにてもおそるべきインドだった」と三島由紀夫は『暁の寺』に書いた。
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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ■ BOOKREVIEW
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 ドイツ人には何故サービス精神が希薄なのか?
  やっぱり住んでみると日本が一番の安心感はなぜ?

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川口マーン恵美『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社α文庫)
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真吾十番勝負という時代小説があった。テレビドラマにもなった。

しかし日本での普遍的な比喩では相撲の星取り表のように「12勝3敗」と
かの言い方になるが、本書はやっぱり十番勝負。十の試合にわけて、日本
とドイツをカテゴリィ別に競いあう文化競争の本かと思って手にしたら、
まったく趣きが異なり、最初は川口さんが尖閣諸島へ乗り込んでの記録か
ら始まる。

原発報道にみられたようにドイツの日本報道はひどいものだが、ウィキペ
ディアのドイツ語版をしらべて川口さんは驚いてしまった。

尖閣諸島は中国領と印象づける記述があり、あれを読めばドイツ人は誰も
が、日本が侵略して奪ったという印象を抱いているという。

「こんな状態だが、危機感を持っている日本人はあまりにも少ない。戦
後、国防をアメリカ任せにしてきたツケなのか。危機感どころか、興味も
薄い。佐渡島がなくなってからようやく気がついたのでは遅いのだ」
と警告を忘れない。

この文脈からフランスとドイツの国境アルザスの悲劇を比較に用いる。国
語を奪われた最後の授業の物語は、日本人の教科書にも出た。

「確かなことは、領土問題というのは実効支配をした者が勝つということ
だ。そして、実効支配にはそれを裏付ける軍事力が必要だということ。こ
れだけは、いろいろな歴史が証明している」と正論がつづくのである。

ドイツのサービス産業は、日本からみたら信じられないほど劣悪である。
この点は中国とそっくりかも知れない。電車が遅れてもアナウンスがな
い、駅員に聞いても「それは担当ではない」。郵便局で並んでいても、時
間がくればパシャンと窓口を閉める。

川口さんの娘さんは、いま東京のとある病院でインターンをしている。ド
イツでは卒業まえに外国で訓練しないと卒業できない仕組みだからだ。そ
して、娘さんが驚きとともに言った。

「日本の看護師さんは患者の髪が汚いと、2回も3回も洗ってあげる。ド
イツ人は汚い状態であろうがなかろうが、1回でおしまい。なんであんな
ことするの?」 

「看護師の職業意識は日本のほうが圧倒的に高いらしい」「どの患者にも
親切で、敬意ある態度を崩さない」。

しかしドイツの看護師とは言えば、「肥った患者さんに手こずったりする
と、皆、不機嫌になるし、終わって病室のドアを閉めたあと、『マイゴッ
ド! あのデブ!』ぐらいは言うわよ」(この部分は川口さんの『エルネ
オス』の連載から引用)。

さもありなん、だから駄目なドイツってわけだ。さらりと読めて、じつに
面白かった。

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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ■ BOOKREVIEW
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寺井義守著、佐藤守校訂『ある駐米海軍武官の回想』(青林堂)
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軍人として奇跡の人生を歩んだ海軍大将がいた。寺井義守は石川県に生ま
れ、海軍兵学校、海軍大学卒業後、鹿屋航空隊飛行長。そして開戦時、ワ
シントン日本大使館の駐在武官だった。開戦と同時に日本大使館スタッフ
はリゾートホテルに移動させられ、しばし荏苒と時を過ごしたあと交換船
で帰国した。

戦争中は中佐。戦後は海上自衛隊に復帰し、佐世保地方総監、鹿屋航空隊
司令を経て幹部学校長。海将。

あの大東亜戦争開戦時にワシントンの大使館に駐在海軍武官として駐在し
ていた貴重な歴史的証言が本書の肯綮である。

とくに開戦ともなると、日本大使館の「館外は米国人の野次馬、警察官が
構外を警戒する」が、館員らが自宅から大使館に移動して集団生活とな
り、やがてヴィージニア州ホットスプリングに移動する。

そこは『保養地』でテニスコートもあったという。「2月11日には、シン
ガポール陥落の報道があり、同胞全てが喜び合って翌日の紀元節を盛大に
祝った」ほど、米国の抑留生活には余裕があり、また大使館員は特別待遇
をアメリカでも受けていたことが分かる。

これまで伝えられなかった一級資料である。

戦争がおわって12年後、すなわち昭和32年、アメリカ出張の機会に恵まれ
た筆者は旧敵のドン、ターナー将軍とニミッツ提督に会った。そのときの
会見印象記が併載されているが、意外なことがおこるものと感心しながら
読んだ。軍人として数奇の運命を歩んだ海将の記録である。
   
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  樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム
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 樋泉克夫のコラム
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【知道中国 959】    
   ――「それにしても我々日本人はあまりに中国を知らなすぎた」(安
部の上)
「新中国見聞記」(安部能成 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)


  ▽
昭和3年秋に北京を訪れた安部は「支那人の個人としての生活力の強さ、
その弾力の豊富さは、支那人をして圧さえればひっこみ弛めれば膨れしめ
る。支那人はこの点に於いて無気味な不死身の性を持って居る。

けれどもこれは同時に強い力の前にはちぢみ上がり、相手が弱いと見れば
むやみにのさばるという厭うべき性質ともなって現われるであろう。何と
いっても国土が広く、資源が豊かで、人間の生活力が強い支那の前途は実
に我々の前に置かれた興味ある謎でなければならない」(「瞥見の支
那」)と記した。

安部は貴族院勅撰議員、旧制第一高等学校校長(1940〜46年)、文部大臣
(46年)、学習院院長(48~66年)を歴任。戦後は岩波書店を拠点に平和
問題懇話会を主宰し、現在に続くガラパゴス化した総合雑誌『世界』の創
刊当時の代表責任者を務めている。

一方、48年には白樺派や漱石・鴎外・西田幾多郎門下を糾合し、占領下で
呻吟する日本文化を防衛すべく雑誌『心』(~81年)を創刊するなど、リ
ベラル保守派の象徴的存在だった。

そんな安部ゆえに中国は狙いを定めたに違いない。かくて昭和3年の北京
旅行から26年が過ぎた昭和29(1954)年、「日中友好協会と通じて
の・・・国慶節招待」となった。

安部は「新中国に対して・・・耳学問も読書知識もなかった」が、「新中
国を見てきた少数の人々」から「中国の面目一新と中国官民の緊張ぶりを
伝える声は聞いた」うえに、「その中の一人の若い心理学者は、『大内
(兵衛)さんよりも安倍さんがいって見て来るがいい』ともいった」そうだ。

そこで安部は「これは新中国が、より進歩的な大内君よりもより保守的な
私を教訓する所が、より多いと考えたからであろう」と考え、この招待に
応じる。大内も招待者名簿に名を連ねていたが、なぜか訪中していない。
「教訓」の2文字が象徴的だ。

「より保守的な私を教訓する所が、より多い」と記すからには、安部は中
国側の意図を承知したうえで訪中したのだろう。

「私はこれ(国慶節招待旅行)によって新中国の存在と動向を深刻に、又
今までよりは遥かに具体的に全体的に印象し得たことを喜びとして居る」
と綴っているところをみると、中国側の狙い――安部が戦前に抱いた中国認
識を棄てさせ、安部をテコにリベラル保守派に親中感情を植えつける――
は、ドンピシャだったようだ。

出発前、「私は先入見も予備知識も持たずに、無理にも虚心坦懐で新中国
を見て来ようと決心せざるを得なかった」。

だが戦前の中国旅行で冒頭に掲げたような認識をえている以上、「中国に
対して何等の先入見を持って居なかった」わけではないはじだ。だが「で
きるだけひねくれず、裏面を窺おうとする興味に執われず、又周囲の感激
や感傷に引きずられず、自分が見たことを見たとして、聞いたことを聞い
たこととして、又疑いを疑いとして伝えたいと思」いながら旅立つことに
なる。

安部は「新中国を見るにつけても、私が中国の革命史、ソ連と中国との関
係、中国から手を引く前の中国と米国との関係及び交渉、太平洋戦争中及
び戦後今日に至るまでの、日本を中心とする国際的外交関係についての知
識の欠無を著しく感じた」うえで、「今や新中国に対する日本国民の感情
は、傾向というよりもむしろ傾倒といった方がよいという状態である。左
翼の連中がそうなるのは当たり前だが、この傾向にはそれ以上の国民的感
情があるらしく思う」と、当時の日本人の中国に対する素朴な感情を忖度
してみせた。

昭和27(1952年)、日本は中国大陸での戦争状態に終止符を打つべく、台
湾に逃れた?介石率いる国民政府との間で日華平和条約を締結する一方、
新中国、つまり中華人民共和国を国家として認めない姿勢を打ち出した。
そのことを指し、安部は日本人の素朴な心持として「台湾を相手にするだ
けでは充たされないのではないか」と記すのであった。
《QED》
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【知道中国 960】     
  ――「それにしても我々日本人はあまりに中国を知らなすぎた」(安部
の中)
「新中国見聞記」(安部能成 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)


 ▽
安部は「日本は散々中国をいじめてきたにも拘らず、日本人は中国なしで
は生きてゆけない。戦争後十年間中国と離れて生きて来たということに、
日本人は利害の上ばかりでなく心にさびしさを覚えて居るのではないか」
とした後、だから日本人の「心持」として「台湾を相手にするだけでは充
たされないのではないか」と記す。

安倍の記す「台湾」は半世紀に亘って日本が領有し社会経済開発と民生の
向上に努めた台湾ではなく、国共内戦に敗れ台湾海峡を渡った?介石政権
が最後の砦とした台湾であり、内外に向けて「自由中国」を僭称・喧伝し
た中華民国を指しているはずだ。

ここで蛇足気味だが、安倍をして「台湾を相手にするだけ」となった日華
平和条約(中国語原文で「中日和平条約」)が結ばれた昭和27(1952)年
前後の情況を振り返っておく。

日本が「中共」と、アメリカが「コミュニスト・チャイナ」と呼んだ中華
人民共和国が誕生したのが昭和24(1949)年10月。一方、中国大陸に居場
所を失った?介石率いる国民政府は台湾に渡り台北を臨時首都として中華
民国維持を画策したものの、ワシントンが蒋介石政権に対し強い不信感を
表明したことで、?介石政権は進退に窮した。

だが昭和25(1950)年6月に朝鮮戦争が勃発し、アメリカが強硬な反共政
策を掲げコミュニスト・チャイナ封じ込め政策に転じたことから、?介石
政権は念願の「大陸反抗」も夢ではないとの強気の姿勢に転じた。大陸に
攻め入って共産党政権を打倒し、改めて中華民国による全土統一を図ろう
というのだ。

昭和26(1951)年9月、対日参戦55ヶ国中、中華民国、インド、ビルマ、
ユーゴスラビアを除く51ヶ国との間で日本は講和条約を結ぶ。もちろん戦
争時、地上に存在しなかった中華人民共和国が対日講和を論議する会議に
参加しているわけがない。

安部らが集った平和問題懇話会は、確かアメリカを中核とする西側の国々
との現実的な講和を「片面講和」と否定的表現で呼ぶ一方、ソ連など東側
も参加した形を「全面講和」と喧伝し、片面講和否定の論陣を張ったはずだ。
当時の日本を取巻く内外情勢から判断して全面講和は余りにも非現実的
だったことはいうまでもない。日本は復興への後ろ盾としてアメリカを選
んだ。

だが当時の吉田首相は、講和条約締結直後の10月末の国会で、「求められ
れば上海に中共との通商事務所の設置も可」「日本は講和の相手を選択す
る権利を持つ」と、中華人民共和国に対する柔軟姿勢をみせる。

その直後、特使として来日したダレス国務長官との会談を機に、吉田政権
は中華民国との講和条約締結へと踏み出していった。

日華平和条約会議(中国語で「中日和会」)の結果、昭和27(1952)年4
月、「日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日
に終了する」を第一条とする日華平和条約が台北で署名されているが、こ
こで問題になるのが中華民国の「範囲」だろう。

日本側は交換公文で「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るす
べての領域」と表明し、中華民国側は同意議事録に「(日本側が主張す
る)『又は今後入る』という表現は『及び今後入る』という意味」に解
し、これに日本側は「中華民国政府の支配下にあるすべての領域に適用が
あることを確信する」と応じている。

交渉当事者双方が蒋介石による「大陸反攻」を信じていたか否かは不明だ
が、日華平和条約が「大陸反攻」の将来に含みを持たせていたことは想像
できる。

ちなみに蒋介石は「多額の賠償を取り立てることは、戦後の日本の生命を
奪」い、「赤色帝国主義が日本を狙っている」現状からして、「日本が強
力な反共国家であってくれなくてはならない」との理由を挙げ賠償を放棄
している(『?介石秘録(下)』改訂特装版 サンケイ新聞社)
――以上が、「台湾を相手にするだけでは充たされない」「心持」の背後の
内外情勢であった。
《QED》

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読
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(読者の声1)ロスアンジェルス並びに近郊の読者の皆さん!
 国際政治学者・藤井厳喜氏が、ダウンタウン(小東京)とガーデナ市
で、LA講演を行います。
タイトルは「 戦後68年、ニッポンの今を考える。尖閣諸島、慰安婦問題
などもとりあげる。主催はL.A・日本をよみがえらせる会。

              記

日時: 9月14日(土) 午後2時開場、2時半開演
場所:ニュー・ガーデナ・ホテル (New Gardena Hotel)

日時:9月15日(日) 午後2時開場、2時半開演
場所:JACCC 日米文化会館504号室
入場料: 20ドル(ドネーション)

問い合わせ・予約 323-259-0486 
yumemakuraclub@yahoo.co.jp
案内HP:http://www.bridgeusa.com/Community/?ID=1287

 
(宮崎正弘のコメント)いよいよ在米邦人がたちあがって動き出したので
すね。声援を送りたいと思います。



  ♪
(読者の声2)貴誌通巻第4009号(読者の声1)で東海子氏が「ロシアが朝
鮮兵を使って日本を攻撃する恐れがあった」という指摘は慧眼である。

しかし、実際には既に起きたことでありこれからも起きることである。

関東大震災における朝鮮人虐殺事件は、実際には、モスクワからの指令で
共産主義インターナショナル朝鮮支部に所属する朝鮮人が破壊活動を行っ
たことに対する日本人現地住民が自主的に組織した自警団が自己防衛と隣
人の救済のために行ったものであり、東京の下町で発生した火事も彼らが
陸軍の倉庫に放火したのが原因であると、工藤美代子氏は著書の「関東大
震災『朝鮮人虐殺』の真実」で書いておられる。

私はその真偽を確かたわけではないが、大いにありうることのように思
う。事件の発生が大震災の2日後で、パニックで起きたものとは思い難
い。おそらくモスクワからの指令が届くのにそれくらいの時間を要したの
であろう。

当時、日本に住んでいた朝鮮人は、終戦直後、占領軍が日本国政府に第三
国人への警察権の行使を禁じたため、逮捕される心配なしに密造酒の製造
販売や密輸ができることを知って朝鮮半島から日本に殺到した人たち、つ
まり現在の在日韓国人・朝鮮人の大部分の祖父・祖母たちと違い、日本で
まともにビジネスを行おうとして日本に来た人たちが大部分であった。

彼らが、破壊行動を起こすなどという妄想を抱いて虐殺を行うような日本
人はいなかった。まともな隣人であることを知っていたからである。

ゆえに日本人の妄想が原因ではなく、実際に一部の被災地域にいた朝鮮人
が破壊活動を行ったのが原因である可能性は極めて大きい。彼らがおこ
なったことはまさに「ロシアが朝鮮兵を使って日本を攻撃」であった。

死んだ人間は10万人以上。ノモンハン事件をはるかに上回る被害である。

後藤新平や吉野作造が警察による介入を抑え、自警団を解散させて事実に
封印をした。彼ら、日本人と朝鮮人の融和を演出するという意図は全く裏
目にでた。

あの時、共産主義インターナショナル朝鮮支部の暴虐を暴き出していた
ら、世のインテリたちも目が覚めたはずである。

私は、彼ら自身が共産主義インターナショナルのシンパであったとは思わ
ないが、おそらく彼らの周りには多くいたであろう。大東亜戦争の後期に
ソ連に和平交渉の仲介を頼むことを策した人たちと同様である。

共産主義インターナショナル朝鮮支部の後継者が北朝鮮の独裁政党である
朝鮮労働党である。いまも、「ロシアが朝鮮兵を使って日本を攻撃」の危
険が現実に存在している。

平成25年8月30日刊の朝鮮日報に関東大震災での朝鮮人虐殺への謝罪を求
める記事が掲載された。真相を知っていればこそ韓国人の中には謝罪を求
めることへの躊躇があった。もうそんな躊躇も無くなったのであろう。
今迄の封印が解けつつある今こそ真実を解き明かさねばならない。
  (ST生、千葉)



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11歳少女の朝鮮半島脱出記
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      伊勢 雅臣

「ソ連兵が上陸してくる」との突然の警告に、11歳の擁子と母、姉3人の
満洲国境近くから母国日本への逃避行が始まった。

■1.「私も娘もこの本を読みました」

「1986年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。中学校の教材として採択
された感動秘話」。

『竹林はるかに遠く』日本語版のAmasonでの紹介である。日本語版
は発売されてからまだ2ヶ月も経っていないが122件ものレビューが寄せ
られ、うち109件、89%が「星5つ」をつけている。

 アメリカのAmasonでも同様のようで、115件のレビューが寄せられ
ている。しかし、在米韓国人からの批判も多く、「星5つ」が77件、「星
1つ」が20件と、評価が両極端に分かれている。一般の米人読者と思われ
る「星5つ」のレビューでは、

「私も娘もこの本を読みました。この本が大好きになりました。この本が
素晴らしいのは、戦争がいかにお年寄りや女性や子供たち、家族全体に惨
(むご)いものかを示している所です。

なぜ、この本を学校で子供たちに読ませてはいけないのか、分かりません」。

「学校で子供たちに読ませてはいけない」というのは、韓国で「この本に
反対しよう」という新聞記事が出て、米Amasonのレビューにも「星
1つ」で「歴史をねじ曲げている」云々のいかにも韓国人の書いたと思わ
れる意見が寄せられているからだ。韓国ではこの本は販売禁止にされてい
るという。

この本を読んでみると、事実を冷静に述べながらも、ぐいぐいと読者を
引っ張る語り口で、上記の「素晴らしい」という感想に私も共感した。し
かし、「読ませてはいけない」という韓国人の気持ちも理解できる。なに
しろ登場する韓国・朝鮮人たちは、主人公の兄を助けた1家族を除いて、
残虐な共産主義者や非情な人間が目立つからだ。

また、そんな修羅場でも主人公たちを助けてくれる何人かの日本人の姿も
描かれている。胸に迫るこの物語を読めば、「星1つ」をつけたレビュー
が負け犬の遠吠えに聞こえてくる。

これは一人の少女が自らの体験を一人称で語った迫真の物語である。こう
いう歴史があったことを、日本人としても知るべきだろう。本号で、その
さわりだけでも、味わって貰いたい。


■2.「すぐに避難するよう」

1945(昭和20)年7月29日真夜中のことだった。朝鮮北部の羅南(ラナ
ム)、満洲との国境線から80キロほど離れたこの古い町から、11歳の川嶋
擁子(ようこ)と16歳の姉・好(こう)は母親と一緒に脱出した。満洲鉄
道に勤務する父は家におらず、また長男の淑世(ひでよ)も勤労動員で、
30キロ離れた兵器工場に行っていた。

きっかけは、真夜中に松村伍長がやってきて、すぐに避難するように警告
したことだった。まもなくソ連兵が上陸してきて、満鉄に働く人の家族は
殺されてしまうでしょう、という。

松村伍長は、かつて重傷を負って入院していた時、擁子が日本舞踊で慰問
をしたことで、生きる気力を取り戻し、元気になった。その後、擁子の家
に出入りするようになっていた。

「日本人の病人を避難させている赤十字列車(傷病兵輸送列車)が、朝4
時に羅南駅を出発します。それにあなたたちが乗れるよう、私が駅長に取
り計らってあります。彼は私の友達なのです、、、」

話し声に目を覚ました擁子のおでこに唇をあて、「君のことは忘れない
よ」と言って去ろうとする松村伍長を呼び止めて、擁子は「武運長久」と
書いてある半紙を渡した。「ありがとう。自分も皆さんのご無事を祈りま
す」と言って、暗闇の中に消えていった。

父親と兄・淑世に置き手紙をし、3人は取り急いで荷物を風呂敷にまとめ
て家を出た。


■3.「乗せてあげなさい!」

3人は駅までの川沿いの道を歩いた。大きな窪みがいくつもあり、擁子が
それにつまづく度に、母親が手首を結んだ細引きを引っ張って起こしてく
れた。細引きが手首を擦って痛かった。

「気分が悪いよぉ、、、」。擁子は半泣きで言った。「静かに」と母はさ
さやいた。耳を澄ますと、遠くに軍隊の足音がした。3人は急斜面の土手
を滑り降りて隠れた。「イル(一)、イー(二)、サム(三)、サー
(四)」の掛け声で訓練している反日朝鮮軍だった。

「敵を殺す訓練をする」と部隊長が言って、敵の刺し方や、死体を引きず
る方法を教えた。擁子は吐いてしまったが、好が覆い被さり、兵たちに聞
こえないようにした。兵たちは、また掛け声とともに遠ざかっていった。

ようやく駅に着くと、病院や軍のトラックがぎっしりと止まっており、
負傷した兵隊たちや衛生兵、民間医療班でごった返していた。なんとか駅
長を見つけると、彼は朝鮮人だった。母が「乗車の許可をいただいている
のですが」と言っても、冷たい目を向けて「病気のようには見えないが。
汽車は患者専用だ」と言い放った。

そこにいあわせた日本人の軍医が「乗せてあげなさい!」と命令した。
擁子たちが陸軍病院に慰問に行った時に、その姿を見ていたのである。軍
医の威圧的な態度に、駅長は「わかった。女性患者の貨車に乗りなさい」
と言った。

三人は軍医に深々とお辞儀をした。この人が居合わせなかったら、列車
には乗れなかったろう。


■4.「目を覚まして!」

貨車の中で、多くの病人、怪我人、妊婦たちが隙間なく、むしろの上に
寝かされている間に、擁子は膝を胸につけて小さくなっていた。あちこち
から、呻き声や泣き声が聞こえてきた。

列車が走り始めてしばらくすると、空は淡いピンク色に変わり始めた。
「家よ!」と好が叫んだ。父と兄が夏の日に竹竿の先にくくりつけたラジ
オのアンテナが見えた。擁子は、少しでも長く見ようと、列車から身を乗
り出した。母は家を見ようとはせず、目頭を押さえて泣いていた。

夜になると、お腹が空いてきて、リュックサックをあさったが、母から
止められた。他の人もずっと何も口にしていないので、一人何か食べると
不公平になってしまうからだ。「皆お腹が空いているわ。皆にあげる分は
ないの。明日には京城(ソウル)に着くわ。そうしたら何か作りましょ
う。水を少し飲んで我慢しなさい」

となりに座っていた母親が赤ちゃんにおっぱいをあげようとしたが、そ
の口と目は閉じたままだった。母親が「目を覚まして!」と叫んで、赤
ちゃんをゆらしたが動かない。衛生兵と看護婦が、赤ちゃんの死を伝え、
遺体の始末をするから子供を渡すように言った。

母親は夫の名を呼んで助けを求めた。衛生兵は抵抗する母親から赤ちゃ
んを奪い取り、貨車の外に放り投げた。その小さな身体はほんの一瞬、人
形のように空中をゆっくり飛んでいき、すぐに見えなくなった。それを見
つめていた母親は、やにわに立ち上がり、貨車から飛び降りた。「あ
あ!」、擁子の母は両手で顔を覆った。


■5.「先頭の機関車がやられた!」

夜が更けた頃、汽車が突然大きく揺れて止まった。ブーン。グワン、グ
ワン、グワン、グワン。飛行機が上を飛んでいった。外を見た衛生兵が叫
んだ。「先頭の機関車がやられた!」。擁子と好が外に出ると、機関車か
ら轟々と炎が上がっていた。

衛生兵は「赤十字をつけた列車や船を攻撃してはいけないことになって
いるのに、、、」と憤慨した。母が「今何処に居るのですか?」と聞く
と、「京城から70キロ離れたところです」

3人は列車を降りて、線路沿いに南に向かって歩き始めた。燃えさかる
機関車の横を通ると、黒焦げになった機関士が見えた。「見るんじゃない
の!」好は強い口調で言った。線路は上弦の月明かりで不気味に輝き、前
方へ延々と伸びていた。

歩き続けて、夜が明け始めると、母は線路から離れた所に茂みを見つ
け、日中は共産軍に捕まらないように、そこに隠れて毛布にくるまって
眠った。

目が覚めると、飯盒で米半合を炊いて、4日目にして初めて、ご飯を口
にした。こうして次の7日間、昼は休み、夜だけ線路に沿って歩いた。擁
子が「これ以上、歩けないわ」と泣き言を言うと、好は「歩かなければい
けないの! 黙って歩きなさいっ」とぶっきらぼうに言った。


■6.「今夜楽しむには、丁度いい年頃だな」

そんなある日、食事の後片付けをしていると、突然、3人の共産兵が立
ちはだかった。擁子たちは恐怖で身動きできなかった。兵たちは銃を向
け、「立て!」と怒鳴った。3人とも好を見ていた。「お前はいくつだ」
と聞いたが、好は答えなかった。「今夜楽しむには、丁度いい年頃だな」
と一人は言った。

「お前たちは所持品を全て、、、」と兵隊の言葉が終わらないうちに、飛
行機の爆音が聞こえ、頭すれすれに飛んだので、慣れている擁子たち3人
はすぐに地面に伏せた。ドカーン! 爆弾が近くで破裂した。擁子は遠く
吹き飛ばされたようだった。目の前が真っ暗になり、気絶してしまった。

乱暴に揺すられて、擁子は目を覚ました。母は何かを言っていたが、何
も聞こえなかった。「聞こえない」と言うと、胸に激しい痛みが走った。
そこに触れると、手は温かさを感じた。血だった。「兵隊たちはどこにい
るの?」と聞くと、好の唇の動きから「死んだ」と読むことができた。

好はリュックからシュミーズを出して、擁子の胸に巻いた。母は擁子に
毛布をかけて頭を撫でながら、涙を擁子の顔にぽろぽろとこぼした。擁子
はいつしか眠りに落ちていった。

擁子はまる一日寝て、次の日の朝早く母に起こされた。まだ耳は聞こえ
なかった。次の瞬間、目に入った好の姿に驚いた。身を守るために共産軍
の軍服を着て、長い髪を切り落としていた。母も軍服を着ていた。死んだ
兵隊のものだとすぐに気づいた。

母は擁子を正座させ、大切な家宝である短剣を出して、頭を剃った。
「坊主になりたくないよぉ」と、擁子はしくしく泣いた。それが済むと、
母は擁子に死んだ兵隊の軍服を着るように言った。

「死んだ人間の服なんか脱がせたくないわ」と言うと、「私がもう脱がし
たわ」と好が言って、軍服を手渡した。汗とタバコの強い臭いがした。好
は袖とズボンを巻き上げてくれたが、それでも大きすぎた。その格好で、
3人は、それから何日も、線路を歩き続けた。


■7.「戦争は終わった」

3人は、70キロを歩いて、ようやく京城に着いた。武装した日本人の 警
官が北から逃げてくる避難民を検問していた。「これからどこに行くの
か」と尋ねられて、母は、息子が着くまで京城に留まり、戦争が終わった
ら、羅南に戻るつもりだと話した。

「戦争は終わった」と彼は言った。3人は驚きのあまり呆然とした。「い
つ?」と好が聞くと、「昨日だが、君たちは羅南には戻れない。今、朝鮮
では、日本人は危険な状況下に置かれている。だから、北からこれほど多
くの人たちが避難しているのだ。」

「今日は何日ですか?」とまた好が聞くと「8月16日だ。では、長崎と
広島に原子爆弾が落ちたことも聞いてないのか?」

羅南を脱出したのが7月29日夜だったので、3人は2週間以上もかかっ
て、京城まで辿り着いたことになる。

もう一人の警官が言った。「日本は負けた。広島も長崎も地獄そのもの
だ」 突然、母が地面に倒れた。警官は、周りに立っていた男たち数人
に、母を駅の中へ運ぶように言い、自分はウイスキーを取ってきて、ほん
の少し母の口の中に注ぎ、好は軍服の前のボタンを外し、胸をマッサージ
した。

母が意識を取り戻すと、警官たちは親切に「娘さんの怪我の手当をして
やりなさい」と、屋根に赤十字が書いてある大きなテントがいくつかある
場所を教えてくれた。


■8.竹林はるかに遠く

そこで擁子を治療してくれた若い医師、武田は、偶然にも父の同級生の
息子で、父をよく知っていた。「患者は全員、今月の末までにトラックで
釜山に向かいます。赤十字船が10月2日にそこから日本に出発すること
になっているのです。一緒に母国に戻りましょう」

しかし、母は長男の淑世に書き置きした通り、京城で待つつもりだっ
た。毎日、北からの列車が到着する度に、淑世がいないか、捜しに行っ
た。食べ物は病院裏のゴミ箱からあさってきた。初めは擁子は強い異臭を
放つゴミ箱に手をいれることなど出来なかったが、好に「やりなさい!」
と厳しく命令されて、やるようになった。

好は、朝鮮人の男達が避難民の日本の女性を藪の中に連れ込んで、乱暴
をした光景も見た。それでもう一度、髪を剃って貰い、ガーゼで胸をきつ
く巻いて、また薄汚れた軍服を着た。

一度、独立を祝いながら酔った朝鮮人たちに取り囲まれたが、この変装
で好は難を逃れた。しかし、連中は他の女性を見つけると、引きずり出し
た。たびたび悲鳴が響いたが、朝鮮人を怒らせると、何をされるか分から
ないので、誰も女性たちを助けようとはしなかった。

母国日本に戻るには、京城から釜山を経て、さらに海を渡らなければな
らない。母国に戻れても、焼け野原になったという国土で、どんな生活が
待っているのか。兄・淑世は今頃どうしているのか。

羅南の家には、ちょっとした竹林があった。それは母が青森の実家の竹
林を恋しがって、父が東京に出張した際に持ち帰った竹の根っこを植えた
ものだった。3人はすでに羅難の竹林から遙か遠くに来ていた。しかし、
母国の母の実家のまだ見ぬ竹林も、いまだ遙か遠くにあった。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(357) 同胞4万救出作戦
内蒙古在住4万人の同胞をソ連軍から守ろうと、日本軍将兵が立ち上
がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h16/jog357.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの
戦争体験記』★★★、ハート出版、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4892959219/japanontheg01-22/



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朝日新聞は日本領土の防衛がお嫌い
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           古森 義久

やっぱり朝日新聞は日本が自国領土を守ることが嫌いなようです。そんな
記事をみました。

朝日新聞8月31日付朝刊、インタビューというページ、オピニオンという
見出しもついています。内容は秋山惣一郎さんという記者による沖縄県与
那国町漁協組合長の中島勝治さんへのインタビューです。

秋山記者の質問の偏向ぶり、空疎さ、それとは対照的に中島さんのしっか
りした答え、コントラストを描いていました。

まず大見出しが「国境の島 右傾化してるの?」とあります。この朝日が右
傾化とみなす傾向は実は正常化なのです。

 記事の前文は以下のとおりです。

「日本最西端の国境の島、沖縄県与那国町で11日、自衛隊誘致を掲げる現
職が町長選に勝利し、国防の最前線へ名乗りを上げた。対中国で強硬姿勢
を示そうと、保守反動勢力が動き出しているのか。黒潮に浮かぶ南の島
は、右に傾き始めたのではないか。尖閣諸島、日台漁業協定など波立つ東
シナ海を知る漁師に聞いた。」

さあ前文で明らかなのは、この島で自衛隊誘致を求める町長が選挙で選ば
れたことが秋山記者はまず気に入らないことです。まあ朝日新聞がその結
果を嫌っているということでしょう。だから「右傾化」というあざけりだけ
の意味しかない言葉でまずレッテルを貼るのです。

そのうえに日本の国民が脅威にさらされた自国の領土を守るために自衛隊
による防衛を求めることを「保守反動勢力が動き出した」と形容するので
す。いまごろずいぶんと古い言葉ですね。

 保守反動勢力とはなんなのでしょう。「日本の国の安全を普通に気にかけ
る普通の日本国民」という人たちが朝日新聞のイロメガネだと保守反動に
なってしまうのです。

まあいつものことで、ほっとけばいいかなと思ったのですが、1ページも
使った長い記事です。しかもそのスタンスが日本というよりも、中国側の
ようなのです。だって日本が中国の脅威に備えて、領土を守ることを意味
のないレッテル言葉の「右傾化」だと決めつけ、反対しているからです。

その一方、日本にそうした防衛努力を余儀なくさせている中国の軍事的な
威嚇や脅威には一言も触れないのです。これまた朝日新聞の安全保障に関
する記事の長年の特徴です。

 以上は朝日新聞のクラッシック手法ですね。中国の反対することにはな
んでも反対するようです。

 記事の本体をみましょう。

 秋山記者は「自衛隊の配備が日中関係を今以上に緊張させるのではない
か」なんて原因と結果を逆にしての質問をしています。中国政府が主張す
ることとも同じです。

するとその偏向質問への中島さんの答えがいいんですね。

「配備が予定されているのは沿岸監視部隊、つまりただのレーダー基地で
す。ミサイルや爆撃機を配備するわけじゃない。なぜ緊張が高まるのか、
私には理解できません」

引っ掛けの質問を完膚なきまでに蹴っ飛ばしています。

さて秋山記者のさらなる中国当局者ふう質問(というよりも主張ですね)。

「沖縄の離島が右傾化しているんじゃないか、と感じます」
 「反戦・平和の沖縄も変わっていく?」

中島さんの答えの抜粋が以下です。

「一部の新聞が自衛隊を入れると、今度は米軍が来るぞ、と町民の危機感
を煽っていましたが、根も葉もない話です。」

 「離島は反戦・平和では食べていけないのですよ」
 「右とか左とか、イデオロギーの物差しで私たちを見ないでほしいんです」

要するに秋山記者も朝日新聞も日本が自国領土を防衛することが「右傾化」
であり、「保守反動」だというわけです。なんの論理もない主張です。

ただしこの奇妙なスタンスの論理も根拠もひとつだけの仮説を立てるとす
べて氷解し、なっとくができるようになります。朝日新聞は日本の立場で
はなく、日本から領土を奪おうとしている中国の立場を優先させているの
だ、という仮説です。

その仮説が間違っているのだという証拠も、みあたりませんね。

 朝日新聞は日本の領土を武力で奪おうとする中国よりも、日本を守ろう
という日本側の国民多数を「保守反動」と決め付け、敵視しているのです。

 中国の軍事脅威に備えて、レーダー部隊を起用するというごくごく控え
めの日本側の防衛行動を「対中国での強硬姿勢」と断じるのです。これは中
国政府のスタンスとまったく同じです。

 日本は自国の領土を守るな!!

 上記の一文こそこの朝日新聞の全ページ分の記事の要約です。
2013.09.02 Monday name : kajikablog



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日本とエジプト(3)
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    平井 修一

1914年、第一次世界大戦でイギリスがエジプトの名目上の宗主国であるオ
スマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離
され、事実上のイギリスの植民地となった。この戦争により、食糧事情は
悪化し、また軍夫への強制的な徴用もあって国民の英国統治への不満、独
立への期待は高まっていった。

さらにイギリスの統治下でありながら有能な政治家として評価されていた
反英独立運動のリーダー、サアド・ザグルールの逮捕・国外追放によって
運動は「1919年エジプト革命」へと燃え上がり、大戦後の1922年、イギリ
スとの妥協による「エジプト王国」として独立した。しかし、その後もイ
ギリスの間接的な支配体制は続いた。

アリー朝の流れをくむフワード国王のもとエジプト王国は立憲君主制を布
いて議会を設置し、緩やかな近代化を目指す。「独立の父」と呼ばれたザ
グルールも長い流刑から戻って最大政党を率いたが、1927年には亡くなった。

<ザグルールは疑いなく近代エジプトが生んだもっとも偉大な大衆政治家
だった。強烈なカリスマ性と雄弁の才を持ち、その一方で実務的な行政能
力をも兼ね備えていた。ただ、晩年のその政治手法には問題もあった。

ザグルールは民主主義の推進者であったが、党内政治においては極めて専
制的で、同僚という存在を認めることができなかった。そのため有為な人
材が次々と離れていき、民族主義勢力の分裂を招いた。

また、ザグルールは国王の政治介入を排除するために大衆や学生を動員し
た抗議デモを活用したが、これはその後の資質の劣る政治家に多用され、
議論ではなくデモや威嚇によって政治要求を通すという悪しき先例を作る
ことにもなった>(山口直彦)

その後は近代化も一進一退であり、1939年からの第二次世界大戦でエジプ
トはイギリスに協力したものの真の独立は依然として達成されないまま
だった。

1948年、エジプトとアラブ世界に激震が走る。イギリスによるパレスチナ
信託統治が終了すると、同地で国連の指定していた地区に暮らしていたユ
ダヤ人がイスラエルの建国をしたのだ。この問題は第二次世界大戦前後か
らくすぶっていたが、1948年から1949年にかけてパレスチナ戦争(第一次
中東戦争)になり、エジプトはイスラエルに敗北した。

この敗戦で、エジプトは王政への不信が蔓延し、経済状況の悪化、ムスリ
ム同胞団など政治のイスラム化を唱える勢力の台頭によって次第に動揺し
ていった。

この状況を受けて1952年、軍内部の秘密組織、ムハンマド・ナギーブが率
いる「自由将校団」がクーデターを起こし、国王を亡命に追い込みアリー
朝を打倒、生後間もない新王を即位させ、ナギーブが首相に就任して権力
を掌握した。さらに翌年の1953年、国王を廃位し共和政へと移行、ナギー
ブが初代大統領となり、この「エジプト革命」によりエジプト共和国が成
立した。

ガマール・アブドゥル=ナセルはこの革命でナギーブの片腕として軍を掌
握し、名を挙げた。明治維新における西郷隆盛のような国民的英雄だった
のだろう。やがてナギーブを追放し1956年、99.9%の圧倒的な得票率で第
2代大統領に就任。彼のもとエジプトはイギリスから独立を果たし、また
冷戦下での中立外交と汎アラブ主義(アラブ民族主義)を柱とする独自の
政策を進め、第三世界・アラブ諸国の雄として台頭する。

同年にエジプトはスエズ運河国有化を断行し、これによって勃発した第二
次中東戦争(スエズ戦争)で政治的に勝利。1958年にはシリアと連合して
「アラブ連合共和国」を成立させたが、これがナセルの全盛時代だった。

1961年にはシリアが連合から脱退し、アラブ連合共和国はわずか3年で崩
壊。また、1960年からは経済の社会主義化を図ったが、一時的には好調
だったもののやがて停滞した。さらに1967年の第三次中東戦争は惨敗に終
わり、これによってナセルの権威は求心力を失った。惨敗後に「アジアに
は日本がいた。アラブには日本がいない」と語ったという。

1970年9月、心臓まひで急死。享年52という若さだった。(2013/09/02)


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話 の 福 袋
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 ◎千葉で発見の白骨遺体、特定失踪者の小山さんと判明 拉致でなく事
故死か 

千葉県山武市の中古船舶輸出入会社の敷地内で、長期間保管されていた漁
網の中から8月末に白骨遺体が見つかり、県警は1日、この遺体が北朝鮮
に拉致された疑いのある「特定失踪者」とされていた新潟市の小山修司さ
ん=失踪当時(43)=と判明したと発表した。県警は小山さんが拉致され
たのではなく、操業中に漁網に巻き込まれるなどして事故死した可能性が
高いとみている。

小山さんは平成16年6月6日未明に1人で船に乗り、新潟市沖に出漁。そ
の後、僚船が無人となった小山さんの船を発見した。航行記録が消えるな
ど不審な点があったことから、特定失踪者問題調査会は17年12月、小山さ
んを特定失踪者として公表した。

県警によると、遺体は8月29日午前、山武市松尾町の同社の敷地内で、ド
ラムに巻かれていた漁網を外す作業をしていた男性が発見。つなぎや手
袋、左足用の長靴も絡まっていた。ドラムは同社が数年前、新潟市内の業
者から購入し、保管していたものだという。

県警は歯形などの資料を取り寄せ、身元を特定した。失踪当時に捜査した
第9管区海上保安本部(新潟)は、転落事故と判断したため船内の漁網を
確認せず、遺体を発見できなかったとして、「長年にわたって親族に心労
をかけ、おわび申し上げる」とのコメントを出した。
産経ニュース 2013.9.1 14:05
2013.09.02 Monday name : kajikablog




 ◎動画 −  時事問題のもろもろを早口で喝破する若い女性 −  『モヤ
モヤするとき』と題して明晰かつ、黒柳徹子女史を彷彿させる早口での若
い女性による見事なプレゼンテーションです。そして何よりも話す内容が
100%我われ愛国者たちの考え方に沿っています。これは、Twitterと
Facebookでアクティブな眞壁氏の友人、溝上氏がご教示くださったサイト
です。     
http://www.youtube.com/watch?v=67TisWJVdfI&feature=youtu.be
ぜひご覧になりますようおすすめします(坂元)。



 
━━━━━━━
反     響
━━━━━━━


 1)連日の発行に敬意を表します。ありがとうございます。発行も大変
でしょうが、読む方も大変なので隔日とか週三回とかでもいいのではと
思ったりもします。

それから「情報収録:中山」とかよくありますが、情報元(ソース)を示さ
ないのは何か嫌な感じがします。本文はポイントを短く要約して、URLで
ソースに導くという方法を取った方がすっきりしますし正直です。

                          (白井修二)


 2)情報元、サンケイやら朝鮮日報やら、高岡氏の情報を転送している
ときは
書いてあるとおもいますが、出してないものありましたか!
それはすみません。 要約してURLに導くーーやってみます。

いつもご指導ありがとう存じます。正直?!ということは不正?と言う意
味かな?と、ちょっと心外ですが、ひとまず改めてみます。
今後ともよろしくご教授のほどお願い申し上げます。 中山拝


     
━━━━━━━
身 辺 雑 記 
━━━━━━━


さるえ恩賜公園の蝉は確かに減りつつある。矢張り9月。秋が近づいてい
るのだ。暑いのもあと少しの辛抱だね。

読むほうも難儀だ、には参りました。休まず配信するのは老化防止の一環
と考えていました。なんとか読み飛ばして下さい。


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創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
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  • 名無しさん2013/09/03

    みのもんた(69)が司会を務めるTBS系情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月〜金曜午前5時半)の8月30日放送分で、みのが吉田明世アナウンサー(25)にセクハラをした疑惑が持ち上がり、ネットを中心に大騒動になった。2日、同局は「セクハラ行為があった事実はありません」とコメント、CM中に談笑していた様子が本番に出てしまったとした。みのも一般紙も含めた取材攻勢に驚き、セクハラを否定した。 



     疑惑の場面は午前8時29分、番組終了直前に起こった。CMが終わると、みのが吉田アナの腰部分に手を伸ばし、吉田アナが手で払っているような様子が一瞬、映った。吉田アナは何事もなかったように、ニュースを伝えたが、この映像が動画サイトにアップされるなどし、「セクハラか」とネットを中心に話題になった。 



     騒動を受けて2日、TBS広報部は「セクハラ行為があったという事実はありません。スタンバイの最中に、みのもんたがアナウンサーたちと談笑していました。その様子が放送にこぼれてしまうことで、誤解を与えてしまいました」と、疑惑を否定した。みのと吉田アナにも状況を聞き、双方、セクハラとの認識はまったくなかったと説明。同局は、みのに注意しない一方で「紛らわしい場面が放送された」として、番組プロデューサーに口頭で注意したという。 



     関係者によると、疑惑の場面はCM中、みのが吉田アナを驚かせようと、少し押したことが原因という。この場面の前のコーナーでは、銀行マンの闘いを描く同局系ドラマ「半沢直樹」を引き合いに、アンケートで集めた上司や部下への不満を紹介していた。吉田アナが「部下」と読むところを「バカ」と聞こえるように読んでしまい、みのが「今、バカって言ったよね」と笑いながら肩を押す場面があった。この流れで、本番に入ったところで吉田アナがちょっとよろけるという展開を予想したようだが、手が払われてしまった。セクハラ報道があって吉田アナも驚いているという。 



     みのは日刊スポーツの取材に「アナウンサーがトチった時に軽く突いたりするのは、僕としてはよくあることで、パワハラと言われるならまだしも、セクハラなんてとんでもない。そんな認識はないし、相手も戸惑っていると思う。このように報じられることに驚いている」とコメントした。 

  • 名無しさん2013/09/03



     

       人類にとって、一番良い無添加石鹸とは、一体どの商品なのか

     

    ・・・っを、数年前に調べ始めた。。。

     

    様々な「無添加」っと名の付いた石鹸を、一つ残らず買い漁り

    一個一個 ・・・

     

    っで、出た答えが・・・・・・「パックス」だっ

     

    界面活性剤は、あらゆる商品に使われているが

    特にシャンプーは危険だそうで

    女性の場合、そのまま子宮に蓄積されていくらしい

     

    っで、やはり「無添加」は 気になるところ。。。

    っで、「パックス」とやらの商品がいい・・・っと噂で聞いた。

     

    当時は、ごく限られた店舗にしかなかった このパックスだが。。

     

    とりあえず使い始めた。

    ・・・っん? あらいいじゃない

     

    っで、友人の店にも 是非商品を入荷して欲しい・・・っと頼んだところ

     

    「パックスびっくり 

                  入荷してもすぐに売り切れる程の人気」

     

                っと、報告がきた

     

                  恐るべし・・・パックス

     

  • 名無しさん2013/09/03

    市町村に就職した在日韓国人に生活保護費を担当させるな

    市町村に就職した在日韓国人は、あらそって、生活保護を担当する部署に付き、日本人を差別し、生活保護費を与えず、日本人を餓死せしめ、朝鮮人には、通名に対しても、生活保護費を与え、日本人の3倍以上の生活保護費を与えているという。このため、在日韓国人は、その4分の3が無職に拘わらず、餓死した朝鮮人は今までに誰1人としていない。なお、市町村に就職した在日韓国人本人は、当初、皆と同様に所得税を天引きされるが、朝鮮人は、180万円までの所得税について、確定申告により還付されるから、今までに1円の所得税も納めたことなし。だから、外国人選挙権デモでも、在日韓国人は、日本人と同じように税金を払っている言うが、決して、日本人と同じように税金を納めているとは決して言わないし、言えない。在日韓国人は、日本人の金を食い散らす寄生虫である。

  • 名無しさん2013/09/03

    はだしのゲンにすがる反日左翼勢力こそ大東亜戦争完遂派(笑)憲法上の「神聖不可侵」の意味

    http://oncon.seesaa.net/article/372492592.html

  • 名無しさん2013/09/03

    「・・・・この世の全ての人々や出来事は、ただの幻にすぎないこと、一瞬だけこの世に仮の姿を表して役割を演じているだけ、実際は幻なのでその者はただの宇宙の断片でしかないことをよく理解できます。







     全て、小さな小さな断片で、幻だと気がつくと、全てが宇宙へ溶け込んでその存在が無くなって消えてしまいました!」







    「全てこの世の現象のほうが、神から一瞬だけ姿を現して表現しているだけなんだ、仮の姿でしかないんだ、この世のもののほうが全て幻だったんだ!!!」

  • 名無しさん2013/09/03

    みのもんた容疑者がセクハラ! 女性アナの尻を触る

    読売新聞 - 2013年09月02日 12:01



     8月30日に放送されたTBSの情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」の中で、司会のみのもんたさんが隣に立つ女性アナウンサーの腰付近に手を伸ばし、女性アナがその手を振り払う映像が流れていたことがわかった。



      映像が流れたのは、番組終了間際の午前8時29分ごろ。CMが終わり、女性アナが原稿を手にニュースを読み上げようとしていた。TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう番組担当者に口頭で注意した」としている。



  • 名無しさん2013/09/02

    消費税は5%から0%にすべきが本当である、バラマキをやめる、共産党、公明党のきげん取る必要無、創価学会の宗教法人許可取り消せ、IMF、FRB、高利貸に誘導されている、TPPは疑問、世界中から富を高利貸のところえ、集めるのがグローバルスタンダードか、成長ホルモン付の米国牛肉より、少し硬いが安心のオージービーフが良い、遺伝子組み変えの作物、其れ専用の農薬でとんでもない病気が発生、チャイナ蒙古で発生、此れ専用に米国発の薬で人体実験、自分達会社経営のエリート達は食わない、こんな天に唾するような事許されるのか、シリヤ空爆で米国は天罰が下る、資本主義崩壊の引き金を引くのは、ユダヤ高利貸誰が此奴らを罰せられるのか、東南アジアを植民地より解放した日本人の出番である、安部総理頑張れ、黒ラブ

  • 名無しさん2013/09/02



    (白井修二)さんのコメントを翻訳します。



    */ ..隔日とか週三回とかでもいいのではと..

      ↓

    発行回数を減らせば「オリジナル」な文を書けるだろ、書けないのならおれにやらせろ、という意味。





    */ 情報元(ソース)を示さないのは何か嫌な感じがしますし、..すっきりしますし正直です。

      ↓

    「情報収録:中山」に掛けているが、盗作や偽装再掲はみんなにバレてるよ、みんないやな感じをもっているし、不正直はいやだ。サイテー、という意味。



    判っているとは思うが、 白井 = 平井 。

    この方、身辺雑記とはこう書くのだ、と意地悪しているのに、このアホ爺さんには通じない。馬の耳に念仏とはこの事か。



    てめーことを、意味も判らず主宰者だの、元大臣秘書官だと語っているお方の文章が、盗作だったり、偽装再掲とは論外だ。



    さらに、わずか自分の言葉で書いている身辺雑記が小学生の夏休みの日記レベルなのである。

    普通なら周りのものが止めさせるのだが、そんな輩はいないようだ。

    それにこいつは、嘘が多すぎる。  黒ラブ