政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針3039号  2013・8・17(土)

2013/08/17

□■■□──────────────────────────□■■□
  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3039号
□■■□━━━───────────────────────□■■□


           2013(平成25)年8月17 日(土)



“                        韓国の呉善花”さん:黒田勝弘

   吉田元首相の暗殺計画の首謀者・服部卓四郎氏:古澤 襄

            本当にあったのか?吉田茂暗殺計画:宮崎正弘

                         無意味な中東和平交渉:平井修一

                      インド直伝のカレーは:渡部亮次郎

                                       話 の 福 袋
                                反     響
                    身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第3039号
                             発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             

 
               御意見・御感想は:
                  ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
                    下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/

    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/




━━━━━━━━━━
“韓国の呉善花”さん
━━━━━━━━━━


     黒田 勝弘
 
韓国でマスコミを舞台にしきりに日本批判を展開している保坂祐二・世
宗大教授という日本人学者がいる。韓国女性と結婚し韓国国籍になった人
で、大学では「独島(竹島の韓国名)研究所」の所長までしている。日本
人が日本を批判しているので“良心的日本人”として韓国では人気だ。

その保坂教授と8・15特集テレビ討論で同席したが、他の2人の知日 派韓
国人教授よりもはるかに激しい反日強硬論で驚いた。たとえば集団的 自
衛権問題では、「日本にそれを許すと自衛隊が米軍支援を口実に韓国に
やってきて独島を奪う事態になりかねない」といったようなことまで言う。

討論の中心は「日本の右傾化」批判。当方は3対1の中で「右傾化では
なく日本の正常化だ!」といつもの応戦となったが、それはともかく、放
送を見た韓国の知人が面白いことを言ってきた。「保坂教授は日本での呉
善花だね」と。

韓国出身の女性評論家、呉善花・拓殖大教授は日本で韓国批判の著書を
出版し人気で、彼女も帰化して日本国籍だからだ。彼女は最近、韓国批判
がたたって韓国で入国拒否され話題になった。

ところが保坂教授が祖国日 本で入国拒否された話はない。保坂教授は呉
善花さんの祖国訪問の自由と いう“人権”を守ってあげなくちゃあ。
産経【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 2013.8.17


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
吉田元首相の暗殺計画の首謀者・服部卓四郎氏
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


                古澤 襄

6年前に「戦後秘史・服部卓四郎と辻政信」を書いた。昭和25年「潜行三
千里」をサンデー毎日に連載して、一躍、時代の寵児となった辻政信・元
大本営参謀だが、昭和27年総選挙で当選、昭和34年に岸首相を個人攻撃し
たことから自民党を除名されて、無所属で参院議員に転じていた。

最初こそマスコミは辻人気が高いので辻のところに日参、門前市を為す観
があったが、自民党を除名された後は一部の週刊誌を除いて辻は忘れられ
た存在であった。

私には妙な癖がある。世間が相手にしなくなった政治家のところに通い、
戦後秘史の類を聞き出す習慣が抜けない。世間が相手にしなくなった政治
家というのは、不遇を悟ると案外、本音で喋るものである。

正直にいえば、辻政信という元高級参謀はあまり好きでない。旧制中学時
代にガタルカナル玉砕の悲劇の裏に辻政信参謀の無謀な作戦指導があった
ことを知った。だから最初に辻政信に会った時には、何となく素っ気ない
切り口上の取材になった。

だが、話を聞いているうちに「この男は意外と正直」と思うようになっ
た。吉田茂元首相の暗殺計画(未遂)があったと教えてくれたのも辻政
信。だが辻政信の話だけでは記事にすることは出来ない。

吉田暗殺計画の首謀者は、これも謎の人物である服部卓四郎氏。しかし服
部卓四郎氏はこの件に関し取材を受け付けない。おまけに占領下の
GHQ・G2(情報局)のウイロビー少将と密接な関係があって、深入り
した取材には身の危険すら感じることがあった。

結局は「戦後秘史」のままで真実は解明されていない。マッカーサー司令
部による占領下についても、まだ隠蔽された「戦後秘史」が数多くある筈
である。

 <<戦後秘史・服部卓四郎と辻政信 古沢襄>>

戦後秘史の類なのだろうが、吉田茂元首相の暗殺計画(未遂)があった
と、参院議員の辻政信氏が教えてくれたことがある。昭和25年「潜行三千
里」をサンデー毎日に連載して、一躍、時代の寵児になった辻氏だった
が、昭和36年に旅行中のラオスで行方不明となり、消息を絶った。

陸軍の高級参謀として服部卓四郎氏とともに”作戦の神様”といわれた半
面、無謀な作戦指導をした張本人と指弾され、毀誉褒貶が分かれた人物。

辻氏は「吉田暗殺計画は、私が中止させた」と言って自慢した。権謀に憑
かれたスタンドプレー男と思っていたから、辻発言をにわかに信じる気に
はなれなかった。あまり気にもとめていない。ホラの類と思って調べるつ
もりもなかった。行方不明になった辻氏は、昭和43年に死亡宣告、やがて
世間から忘れ去られた。

私の先輩記者に田々宮英太郎氏という昭和史の研究家がいる。存命してい
れば98歳の大長老だったが、2年前に亡くなった。亡くなる直前まで昭和
裏面史を書いている。辻氏と同じ石川県の生まれである。

その田々宮氏が「権謀に憑かれた参謀 辻政信」という本を1999年に出し
た。これ以前にも「参謀辻政信・伝奇」(1986年)を出版している。戦時
中の辻参謀の挙動については、いろいろと書かれもしたが、戦後、政界に
出るまでの行動は、謎に包まれた部分が多い。田々宮氏はその謎の部分に
斬り込んでいる。

昭和27年8月28日に吉田首相が抜き打ち解散の挙にでたが、GHQ追放令
から解除されていた辻氏は、石川県第1区から衆院選に無所属で出馬し
て、6万4900票の最高点で当選している。

田々宮氏によると辻氏を焚きつけたのは、自由党佐藤派の木村武雄氏だっ
たという。これに反対したのは同期生の田辺新之大佐。「お前には政治家
の素質はない。止めておけ」とズケズケ言われて、辻氏もその時は大人し
く聞いていたという。

昭和29年11月に日本民主党が結成されたが、無所属だった辻氏はこの党に
加わった。田々宮氏は松村謙三氏に私淑する人であったが、富山県福光町
の旅館でドテラ姿で松村氏と懇談していたら、辻氏が現れたという。

遙かな縁側に跪き、両手を前に揃えて最敬礼したので、ドテラ姿の皆が戸
惑った。松村氏には慇懃な辻氏であったが、肌の合わない岸・佐藤兄弟に
は、噛みつく奇矯な振る舞いが多かった。

話は敗戦当時の外地に遡る。辻大佐は第39軍作戦主任参謀としてバンコク
にあったが、その時に先輩に当たる林秀澄大佐と次のような会話を交わし
た。これは田々宮氏が林大佐から聞いた秘話。

辻大佐「日本の降伏後、東亜の盟主は誰ですか?」

林大佐「蒋介石だよ。蒋介石の反共作戦を援助すべきだ。ときに辻君。重
慶に行かんか」

辻大佐「行きます」

8月15日夜、タイの僧侶に変装した辻氏は7人の部下とともにメナム河畔
の寺院に潜み、タイ脱出の機会を窺う。タイに英軍が進駐してきたのは9
月2日。東南アジア軍の最高司令官・マウントバッテン元帥は「草の根を
分けても辻参謀を捜しだせ」と命令を下していた。

 開戦当時にマレー・シンガポール作戦を行った山下奉文中将麾下の第25
軍にあって、作戦主任参謀だったのが辻中佐(当時)であった。英軍の防
衛線を突破してシンガポールを陥落させたのだが、占領後、華僑の虐殺事
件が発生している。英軍は虐殺の命令を下したのは辻作戦主任参謀とみて
いる。

辻氏が英軍に逮捕されれば、軍事法廷で戦犯として処刑されるのは避けら
れなかった。そこで辻氏は運を天に委せて、蒋介石の懐に飛び込む挙に出
ている。バンコクのスリオン街に重慶藍衣社の本部があったが、そこに単
身で逃げ込んでいる。特務機関・藍衣社のボスは戴笠将軍。

 支那派遣軍総司令部第3課長時代に辻大佐は、蒋介石の母堂の慰霊祭を
行っている。奇怪な振る舞いなのだが、ご本人は重慶政府との和平工作を
考えていたという。田々宮氏は第3課の兼任参謀だった三笠宮が、蒋介石
の故郷の写真を持っていて「お母さんのお墓だけでも祀ってあげたいです
ね」と言ったのを、辻氏が聞いていて”法要作戦”を思いついただけと手厳
しい。

だが逃げ込んだ藍衣社では、慰霊祭の殺し文句がきいたらしい。さらに
「重慶に赴き、戴笠将軍及び蒋介石主席に会見し日華合作の第一歩を開き
たい」と大風呂敷を広げたから、バンコクの藍衣社幹部たちは本気にし
て、2人の護衛をつけて辻氏のバンコク脱出を助けている。昭和21年3月
19日に辻氏は、目的地の重慶に着いた。

しかし一番当てにしていた戴笠将軍が、5日後の24日南京で飛行機事故に
よって急死してしまった。蒋介石は辻氏とは会おうともしなかった。敗戦
国の一参謀将校と国民政府を率いる蒋介石では格が違う。日華合作の第一
歩を開くどころか、招かれざる客という扱いを受けている。

 蒋介石政府は重慶から南京に還都し、辻氏も南京に送られて、一枚の辞
令を交付されている。「史政信 国防部第二庁弁公 部長白崇禧」。第二
庁は情報部門で、そこで一介の職員の扱い。

昭和23年5月27日に辻氏は引揚船で帰国した。大陸では中華人民解放軍が
延安奪回作戦に成功し、風雲急を告げていた。日華合作どころではない。

しかし辻氏の帰国は危険が伴った。占領下の日本では英軍の追及と監視が
厳しいと思われた。皮肉なことに祖国に戻って、すぐ地下にもぐることに
なった。地下潜入を助けたのは服部大佐。旧高級軍人は、いずれもGHQ
命令で公職追放処分を受けていたが、これを免れたグループがいる。

 戦後政治の中で、吉田元首相と旧高級軍人グループの関係は、GHQ・
G2(情報局)のウイロビー少将が絡んで密接であった。たとえば辰巳栄
一元陸軍中将は吉田の腹心だったといわれる。辰巳中将の部下に服部氏が
おり、ウイロビーの信任を得ている。

戦時中の服部大佐の経歴は、陸軍部内でも一頭地抜いている。昭和15年に
参謀本部作戰班長、昭和16年7月に大本營陸軍部作戰課長となり、日米開
戰からガダルカナル攻防作戰までを全般指導。

昭和17にガ島作戰失敗の責任をとらされるかたちで 辻政信作戰班長とと
もに更迭されたが、辻大佐が以後 中央復帰が出来なかったのに比し、服
部氏は東条首相・陸相秘書官兼副官の要職にとどまった。

まさに服部大佐は、辻大佐とともに日米開戦の作戦指導を行った中核人
物。敗戦後、服部氏が第一級の戦犯として逮捕されても不思議ではない。
第3師団長だった辰巳中将は歩兵65連隊長の服部大佐と同じ引揚船で中国
から帰国している。まず服部氏に戦犯容疑がかかるのは避けられないとみ
た辰巳氏は服部氏をかくまっている

やがて辰巳中将は在日米軍司令部に席を置いて、GHQ・G2(情報局)
のウイロビー少将と親しくなる。GHQ側も服部氏らを戦犯として逮捕す
るよりは、有能な日本陸軍の高級軍人として、占領政策に協力させる方策
に政策変更している。辰巳氏の働きかけがあったのではないか。

服部氏は第一復員局史実調査部長のポストを与えられ、辻氏も米軍の情報
業務につくことを条件にGHQの庇護下に置かれた。これにより英軍の追
及から免れることができた。ウイロビーの服部氏に対する信頼は絶大で、
やがて情報網{服部機関」が作られ、旧軍の「服部グループ」が形成され
ている。

これらの動きは、米ソ冷戦構造が生まれ、朝鮮戦争が勃発するに及んで、
GHQによる日本再軍備構想と並んで地下水脈で活発化されている。

自衛隊の前身となる警察予備隊の創設をめぐって、GHQ内部では、民政
局(GS ホイットニー少将)と第2部(G2 ウィロビー少将)の対立
があったのは、よく知られたところだが、ウィロビーはGHQの戦史編集
局にいた服部氏を中心に約400名の幹部人選をしている。一方、ホイット
ニーは追放中の旧軍人の起用には消極的だった。

吉田内閣の内部からも、服部氏が予備隊幹部の人選にタッチするのは不適
当という声があがった。「武官は服部が人選して新隊員を入隊させる」と
のGHQ・G2の指示は、マッカーサーの裁定によって覆されている。吉
田首相は宮内庁次長で軍幹部経験のない林敬三氏を警察予備隊の最高指揮
官に据えた。

この決定にウィロビーや服部氏は不満を持ったに違いない。理解者だと
思ってきた吉田首相に裏切られたという思いすら抱いた。吉田首相にして
みれば、GHQによる占領下にあったからウィロビーや旧軍人を近づけた
に過ぎない。独立国になれば、違ったデッサンが必要になる。

ウィロビー周辺に集まった旧軍人グループは、辰巳氏や服部氏、辻氏だけ
でない。河辺虎四郎陸軍中将(敗戦当時参謀次長)、有末精三陸軍中将、
中村勝平海軍少将らがGHQの戦史編集局の委嘱という形で参加した。い
ずれも旧軍主導による再軍備を目指している。これらの動きは、GHQや
CIAの記録を保管する米国立公文書館の情報開示で少しづつ明らかにさ
れている。

 CIA資料によると、服部氏ら旧日本軍幹部の一部が1952年、国粋
勢力に敵対的であった当時の吉田茂首相を暗殺しようとした際に、辻氏は
時期を見誤らないよう諭し、計画の中止を説得したという・・・この情報
は正しいものか、単なる噂の類か定かではない。

 占領下ではGHQとCIAは、必ずしも良い関係になかった。とくに
G2とCIAは犬猿の仲で、日本におけるCIAの活動は阻害されたとい
う。またCIA報告がすべて正しいというものではない。情報開示で飛び
つくと思わぬガセネタを掴まされることがある。

 辻氏がいう吉田首相の暗殺計画は、こういう情勢下で一部の旧軍人グ
ループの中で検討され、中心人物は服部氏だったのかもしれない。辻氏は
吉田暗殺には反対したといったが、服部氏の名には触れなかった。この説
を裏付ける日本側の証言は出ていない。

 中心人物と目された服部氏は、昭和35年4月逝去、享年58であった。盟
友を失った辻氏は翌年の昭和36年4月4日にエール・フランス機で羽田を
飛び立った。ラオスの北東部に当たるジャール平原で殺害されたという噂
を残して、消息は杳として分からない。(杜父魚ブログ 2007.04.11
Wednesday name : kajikablog)
2013.08.17 Saturday name : kajikablog

               

━━━━━━━━━━━━━━━━
本当にあったのか?吉田茂暗殺計画
━━━━━━━━━━━━━━━━
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
 平成25(2013)年8月17日(土曜日)
       通巻第4002号    土曜版
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ■ BOOKREVIE 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 本当にあったのか? 戦後のワンマン吉田首相暗殺計画
   クーデター計画を練り上げたのは嘗ての参謀本部の逸材たちだった
  ♪ 
阿羅健一『秘録・日本国防軍クーデター計画』(講談社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ノモンハン事件を「敗北」と総括してきた左翼の歴史家は、そのときに作
戦を立案した辻政信と服部卓四郎を「愚将」を罵倒した。ところがソ連崩
壊後、夥しい機密書類がモスクワから出てきた。ノモンハンは日本が勝っ
ていたか、すくなくとも辛勝したことが、いまの歴史で常識となっている。

辻政信は戦後パージが解けるや、『潜行三千里』ほかのベストセラーを書
いて戦後の人気者となり衆議院議員、参議院議員を務めた。参議院議員の
現職中、国会に40日間の休暇届を出し忽然としてラオスへ赴き、僧侶に変
装してジャール平原で消息を絶った。パテトラオに処刑されたらしいとさ
れた。

しかし、辻は「死に場所を探していたのではないか」と本書は示唆する。
理由は親友だった服部卓四郎の死である。服部は戦後、『大東亜戦争全
史』を編纂した中心人物であり、いちどは参議院に出馬準備も整えたこと
があった。

この克明な記録は歴史家の仕事でもあり、占領下の作業だった。

ともかく辻政信と服部卓四郎は毀誉褒貶が激しい。

しかし服部の生涯には「謎」の部分が多く、とくにGHQとの関係や、
GHQに出入りした女性らとの関係もすっきりしない所があるとされていた。

松本清張も、この謎に挑もうとして文春編集部に資料を集めさせていた。
編集部員は、じっさいにビエンチャンへ飛んだ。資料集めが佳境となり、
いざ書き始めようとしたとき、松本は脳溢血で仆れた。

とりわけ最大の謎は服部、辻、そして背後に児玉誉士夫らがいたとされ
た、クーデター計画である。警察予備隊、保安隊などと微温的な占領政策
の変遷の下、服部らは本当の軍隊を創設しなければ主権国家の回復はなら
ず、と関係者をまわっていた。強引にこの計画をつぶしたのは吉田茂だった。

「国防軍計画は吉田首相によって阻止され、日本は独立を果たしたが、国
防はないがしろにされた。このため、服部だけでなく、旧軍人のあいだに
も、吉田首相に対する反感が相当募ることになった。こうした昭和27年10
月、服部たちのクーデター計画が米軍の情報網にひっかかった。

3ヶ月前の7月、服部たちは吉田首相を暗殺して、鳩山一郎と首相にそえ
る計画を立てたというのである。それに対して辻政信が『今はクーデター
を起こす時ではない』と説得、服部たちは思いとどまった、と情報は具体
的でもあった」(本書391p)。

噂だけが一人歩きしたのが真相で、しかも出所を辿ると、中国の偽情報に
行き着くとされた。この戦後最大の謎に本書は挑んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 952】        
「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の8)「北
京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)


  ▽
「私たちがその恥をしのんでこの国をお訪ねいたしましたのは、日本の現
実が私たちをいつまでもそのような悔恨の涙にかきくれて、ジッとしてい
ることをゆるさないような情勢にまで刻一刻とせまってきているからであ
ります」と、一転して柳田は自らを鼓舞して大演説をはじめる。

ここで当時の日本を振り返えると、昭和27(1952)年7月にサンフランシ
スコ講和条約が発効し日本は念願の独立を果たしたが、講和条約をめぐり
「進歩的文化人」や左翼・革新陣営はソ連や中華人民共和国など社会主義
陣営を加えるべきだと主張し、これを「全面講和」と僭称して当時の吉田
政権を揺さぶる。

この年は1月の白鳥事件にはじまり、青梅事件、東大ポポロ事件、血の
メーデー、高田事件、大須事件、吹田事件、枚方事件など日本共産党が絡
んだとみられる騒擾事件が多発し、28(1953)年7月には朝鮮戦争が休戦
となり、8月にソ連が水爆実験に成功し、29(1954)年7月には自衛隊が発
足する。冷戦時代の真っ只中。内外共に社会主義陣営は攻勢にでて、日本
は革命前夜の様相を呈していた。

かくて柳田は神妙に革命への決意を披瀝する。

「すでにみなさんも御承知のように、日本の今日の政治は日本国民自身の
ために行われてはおりません。外国の軍隊はいたるところにわが国土を横
行し、七百幾十という基地は全日本を網の目のようにはりめぐらし、アジ
アにおけるもっとも重要な兵站基地として使われております。

その上に日本の青年たちをかり立ててふたたび兵隊にしたてアジアに戦争
をまきおこそうとしています。その仮想敵国はいうまでもなく貴国、中華
人民共和国なのであります」と切り出す。アジア人同士を殺し合いさせる
政策に、「どうしたものか今日の日本の政府は屈服して、理くつにならな
いような理くつをつけて、国民をだまし、日本再武装、日本軍国化、戦争
の方向へと日に日にもってゆこうとしているのであります」と、招待者側
の意向に沿った形での“現状分析”を開陳してみせた。

次いで、日本国民は戦争に懲りている。「善意の日本国民」はふたたび自
分の息子を兵士として人殺しの道具にはさせない決意だ。にもかかわらず
日本政府は「善良な国民」を自らの政策に従わせるために、「あらゆるデ
マを流し、弾圧を加え、ウソとゴマカシによって新しい国民の輿論をつく
りあげようとしてい」る。

そこで日本ではジャーナリズムを通じて流される「中国の侵略主義という
神話」「共産主義の侵略」「赤色帝国主義」という「せんでんの前に日本
国民はふたたび動揺しはじめた」と、日本政府に対する攻撃に転ずる。

だが「日本の良心は貴国に対しふたたびあの残虐をくりかえすことを」許
さない。「どんなことがあってもこれをくいとめなくては」ならない。そ
こで「私たちはどうしても新中国の現実を見なくてはな」らないし、「新
中国が今何を欲し、いかに動きつつあるか。

それをしっかりとつか」み、できれば「中国人民と手をにぎり」、「アジ
ア人の幸福をアジア人同志の協力によって作りあげてゆきたい。否、どう
してもそうしなくてはならない」と並々ならぬ“決意”を披瀝した。(な
お、「同志」は「同士」と思うが。原文のままとした)

かくして「どうかこの日本の平和活動家の誠意のあるところをおくみとり
ねがいたい。過去は過去として現在の私たちとしてはこれ以外に生きる道
はありません。その点何とぞ御了承を御願いする次第でございます――」
と、「日本の平和活動家の誠意」を理解してくれと“懇願”し挨拶を閉じた。

当然のことではあるが、会場からは「激しい拍手が起こった」。“お約束”
ということだ。
招待者は自分達の振り付けのままに演じた大演説に、大満足だったろう。
一方の柳田は大演説に相当に喉が渇いたはず。
だが問題はない。「お酒は飲み放題である」からだ。

《QED》
        ▽
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1) 貴誌4001号で朝日新聞の偏向ぶりについて書かれていた
が、あれはとうの昔に発禁処分となってしかるべき新聞である。

大正7年に米騒動が日本全国で頻発したとき、大阪朝日新聞の主筆であっ
た鳥居素川が鈴木商店がコメの買い占めを行っているという記事を連日書
いて、大衆を煽りまくった。

その結果、民衆が鈴木商店に押しかけ建物を焼き討ちした。

事件後の調査で、鈴木商店は米の買い占めを行っていないことが判明した
が、大阪朝日新聞は小さな訂正記事で済ませた。調査せず、でたらめを書
き連ねて、読者が犯罪を行うように煽るというとんでもない行為である。

大阪朝日新聞は鈴木商店と競争関係にあった三井と共謀したという説もあ
るが定かではない。

しかし、これだけは確かである。あれだけの犯罪行為を行いながら無罪放
免となったということは、朝日新聞は当時の政界との強いつながりを持っ
ていたということである。そしてそのつながりを使って自身は安全地帯に
いて汚いことをする。

いまからでも遅くない、発禁にすることが世のため人のためとなる。
 (ST生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)多くの投書のなかに「破防法を適用できないか」
というのもありました。


━━━━━━━━━━
無意味な中東和平交渉
━━━━━━━━━━


    平井 修一

小生は国内政治については素人並の知識しかなく、国際政治もおおよその
ことを把握しているだけなのだが、それでも「イスラエルとパレスチナの
中東和平交渉が再開された」という記事を見て、「おやおや、無意味なこ
とをまだやるのか」とちょっと呆れてしまった。

この和平交渉は米国の仲介で3年ぶりの開催だそうだが、小生が呆れるの
だから専門家は鼻で笑っただろう。内外のマスコミはほとんど冷めた報道
だった。

<複数の難題を前に双方が「理にかなった妥協」にどこまで近づけるかは
不透明>(産経)

<和平交渉の最大の障害はパレスチナの非妥協的な姿勢にあるが、パレス
チナの指導者に妥協を決断する能力はない>(米ウォールストリート
ジャーナル)

<今回の交渉でほとんどの人は実質的な進展を期待していない>(英フィ
ナンシャル・タイムズ)

つまりは「パレスチナには決断する能力はなく、実質的な進展は不透明」
というもので、交渉にほとんど誰も期待していないし、期待しても無駄だ
と知っているのである。

パレスチナ暫定自治政府はヨルダン川西岸地区とガザ地区で自治をしてい
るものの、産業と言えるものは全くなく、貿易の90%を占めるのはイスラ
エルであり、自立力はゼロ、これでは独立した国家などできるはずはない
のだ。

「パレスチナ自治区の人々は、イスラエルによる占領に対して大きな不満
と反発を抱きながらも、経済面では長年にわたる占領の影響で、なかなか
自立できないというジレンマに陥っています」(外務省)

しかも過激派のハマスが武力で支配しているガザ地区には暫定自治政府の
統治は及んでいない。住民が民主的な選挙で、イスラエルの生存を認めな
いハマスを選んだのだからどうしようもない。イスラエルにとって自治区
の掌握さえできない暫定自治政府はまともな交渉相手ではないのだ。

ハマスもヨルダン川西岸を支配するファタハも国連を含めて世界中からの
援助物資と莫大な献金で統治しているが、暫定自治政府の初代大統領・議
長だったヤセル・アラファトは4500億円という不正蓄財をしていたと言わ
れる。小生が尊敬するジャーナリストの大高未貴がこう書いている。

<オスロ合意以来、世界から多額の援助資金が流入。暫定政府高官の一部
はそのカネで高級車に乗り、豪邸に住み、フィリピン人メードとタイ人運
転手を雇って優雅な生活を始めました。

また、さまざまな建設工事利権はアラファト議長の血縁関係者が握りまし
た。一方、道を隔てた難民キャンプは、汚水のにおいが蔓延する劣悪な環
境のままでした>

紛争は彼ら幹部のビジネス、金の卵、打ち出の小槌であり、平和になった
ら食いはぐれてしまうのだから和平交渉がまとまるはずはないのだ。パレ
スチナがこういう有様で当事者能力を欠いているが、イスラエルも本心か
ら平和を望んでいるとはとても思えない。「譲歩するくらいなら今のまま
で結構」と思っているのではないか。

イスラエルは1948年の建国以来60年以上も戦争あるいはその緊張下にある
とはいえ、戦争は単発的で短期間、辺境地域限定で、全体としてみれば死
傷者や物的損害も小さいから、国民にとっては「小さな小競り合い」で、
関心も薄いだろう。

イスラエルは現在、右派政党(リクード)と極右政党(ベイテイヌ)を主
体とした連立政権で、右派政党のネタニヤフが首相を務めるが、紛争は政
治マターにはなっていない。イスラエル国民の最大の関心事は「住宅価格
や家賃の上昇、食料品やガソリンなどの価格高騰」(ニューズウィー
ク)、「富裕層が富を巻き上げ、物価と地価を上昇させ、貧困層は更なる
貧困に陥る二極化状態」(現地在住の日本人)あたりで、国民の意識に紛
争の陰はない。

イスラエルの平和を支えているのは、アラブ諸国が一つになって襲ってき
ても確実に迎撃できる、という圧倒的な軍事力である。日本の四国ほどの
広さだから防衛しやすいのかもしれないが、人口798万人で兵力は62万人
(正規軍17.7万人+即配備できる予備役44.5万人、徴兵制)である。自衛
隊の29万人(正規軍24万人+予備役4.6万人)と比べると2倍であり、人口
当たりにすれば20倍以上という濃密さだ。

主要装備もすごい(カッコ内は自衛隊)。戦車3340両(9100)、装甲戦闘
車7825両(2800)、戦闘機(F-15、F-16)441機(337)、攻撃ヘリコプ
ター79機(270)。
高額な最新鋭戦闘機をこれだけそろえている国は中東ではないだろうが、
小国ながらイスラエルは豊かだからこそこれが可能なのだ。主要産業は情
報通信、ハイテク、医療・光学機器、ダイヤモンド加工、化学製品、繊
維、金融・サービス業。一人当たりGDPは2万7357ドル(2012年)で世界27
位(日本は13位)。イスラエルに敵対するシリアは125位で、これでは戦
争にはならない。

イスラエルの軍事費は70年代以降激減し125億ドル。GDPの6.3%で、米国
の4.7%、フランスやイギリスの3%、日本の1%、世界平均の2.2%から見
ると、その突出ぶりは目立っている。隣国からの攻撃に備えての巨額の安
全保障支出のために税金が欧米より高いというが、国民はまあ納得してい
るのだろう。

紛争をイスラエル国民は大して苦にしていないし、苦にしているパレスチ
ナ人は選挙で過激派(ハマス)や元過激派(ファタハ)を支持し、彼ら幹
部は紛争で美味しい汁を吸っている――和平なんてあり得ない。

米国はイラク、アフガン、パキスタンでの軍事費が膨大化し、削減せざる
を得なくなっている。パレスチナ紛争が解決すればイスラエルへの軍事援
助もカットできると見て今回、和平交渉の仲介を始めたのだろうが、当事
者の双方にその気がないし、特にイスラエル殲滅の旗を掲げて大量得票し
たハマスが旗を降ろすはずもないから中東和平交渉なんて掛け声倒れに決
まっている。

マスコミは「話し合い」が好きなのだろう、大きな見出しで報じている
が、こうした本当の事情こそ報道すべきではないか。(2013/08/16)



━━━━━━━━━━
インド直伝のカレーは
━━━━━━━━━━

            
    渡部 亮次郎

日本のカレイライス乃至ライスカレーは、初めはインドからではなく、英
国海軍から明治時代の日本海軍に伝えられたものだった。それは兵士を苦
しめる病気「脚気」(かっけ)対策としてだったから、小麦粉(ビタミン
B1)一杯の「粉っぽい」ものだったのは当然である。

しかも除隊した海軍兵士たちが家庭にそのまま伝えたから、日本中のカ
レーが粉っぽいものとして定着したのは当然である。私の義兄が富士屋ホ
テルだかどこかのホテルで習ってきたカレーは、いま市販されている固形
ルーを使ったものより、黄色でもったりして、明治を思わせる。

「こんなものカレーではない」と文句をつけたインド人が1915(大正4)
年暮、日本に亡命して来た。ラス・ビハリ・ボースという。このボースが
東京・新宿の「中村屋」に入って「純インド式」のカレーを教えた。

<ボース
 Rash Bihari Bose(1886‐1945)
インド民族運動の指導者。日本に長く在住して〈中村屋のボース〉として
有名。1908年ごろからベンガル民族運動を指導し,当時の風潮のなかでテ
ロリズム系の運動を行う。

12年,インド総督ハーディング(英国人)に爆弾を投てきして負傷させた
が,15年ラホール兵営反乱は失敗に終わった。

15年,訪日し時を同じくして亡命中の孫文と邂逅し,知遇を得た。その年
の11月,イギリスの圧力による国外退去令に際して,孫文,頭山満などの
助けにより,中村屋主人の相馬愛蔵・黒光夫妻のもとに隠れた。

その後相馬夫妻の長女俊子と結婚。41年太平洋戦争勃発とともに,インド
独立連盟総裁としてインド国民軍結成のため日本に協力した。
過労のため体調を崩し,東南アジアより日本に戻り,45年1月インド独立
をみることなく没した。

2006年5月21日の産経新聞によると、もともと中村屋は東京大学のある本
郷で明治34(1901)年、パン屋として創業し、後に新宿に移転。昭和2年に
喫茶部を開設したときにボース直伝による「純インド式カリー」を出して
東京っ子の舌に衝撃を与えた。

<相馬黒光 そうまこっこう  1876‐1955(明治9‐昭和30)
芸術家を後援した商人で,自身文筆もよくした。本名良。仙台に生まれ,
押川方義の影響でキリスト教徒となる。

明治女学校を出て長野県の企業家で社会改良運動家相馬愛蔵と結婚する
が,婚家の気風になじまず,1901年夫とともに東京に出,本郷にパン屋中
村屋を開業した。

はじめは苦労を重ねたが,店を新宿に移してからは東京の西郊への発展も
幸いして事業はしだいに軌道に乗り,山手のインテリ層を中心に顧客をひ
ろめた。

彫刻家荻原守衛,肖像画家中村彝(つね),ロシア人の詩人エロシェン
コらのパトロンとなり,また15年インド独立運動家 R. B. ボースを中村
屋内にかくまい,長女を嫁がせた。自伝《黙移》がある。岡部 牧夫>(世
界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービス)

(相馬黒光のことを調べてみたら、この原稿の途中であることを忘れるぐ
らい、波乱万丈の人生を送った女性であった。いつか書いてみよう)。

インド人のボース。宗主国として植民地インドを支配するイギリス。
そのイギリスの、しかも海軍からの移入と聴いて、独立運動の戦士ボース
は耐えられなかっただろう。「東京のカレーうまいのないナ。
油が悪くてウドン粉ばかりで、胸がムカムカする」と昭和7年、日本の新
聞に喋っている。

ところでボースのカレー伝授については後で触れるとして、ボースを中村
屋に入れた頭山満は友人頭山興助(おきすけ)のお祖父さんだが、失礼な
がら、詳しくは知らなかった。

<頭山満 とうやまみつる  1855‐1944(安政2‐昭和19)
明治・大正・昭和期の国家主義者。黒田藩士の家に生まれ,のち母の実家を
継ぐ。1876年同藩の不平士族の蜂起計画に加わって逮捕され,1年間入獄。

79年板垣退助の強い影響下に箱田六輔,平岡浩太郎らと向陽社を設立,同
じころ別に組織した筑前共愛会とともに国会開設請願運動等を行い,81年
箱田や平岡らと玄洋社を設立した。

しだいに民権論を離れ,日本はアジアを制覇してその〈盟主〉となるべき
だと主張しはじめ,同社をこの国権論で統一する一方で炭坑を同社の財源
とすることに成功して,同社の事実上の最高指導者となった。

87年,国権論宣伝のため《福陵新報》を創刊。条約改正反対運動で玄洋社員
に大隈重信外相を襲わせたり,第2回総選挙で政府の選挙干渉に荷担して
福岡県内の民党派を襲撃したことなどで,国権派壮士としての地位を築いた。

また,一部の大陸浪人がつくった天佑惟と称する団体に資金を与えたり,
対露同志会などに加わり日露開戦を唱えたり,満州義軍を参謀本部の支持
の下に派遣するなど,大陸侵略と強硬外交を主張しつづけた。

金玉均やビハリ・ボースらの亡命政治家を保護し孫文ら中国人革命家の日
本での活動を支援したのも,それを日本の大陸侵略活動の足がかりにする
意図による。

この後,アメリカの排日移民法に反対した対米強硬外交の主張,普通選挙
に反対する家長選挙論の主張などのほかは表だった活動をしなくなって
いったとはいえ,右翼の巨頭として隠然たる勢力と政界への影響力をもち
つづけた。桂川 光正>(世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンド
サービス)

そこで中村屋の婿になったボースが作った純インド式カリーは海軍と違っ
て小麦粉を全く使わないものだった。だからとろみが無い。その分さらさ
らしていた。牛を神聖化しているインド人だからビーフも使わない。

蛋白質は最上級の骨付き鶏肉、インドから直輸入したスパイス、当時「日
本一美味」といわれていた武州幸手(さって)の白目米(しろめまい)、
自社牧場製のヨーグルト、バターなど厳選した高級品。

他のカレー店では10銭前後だったのに中村屋のそれは80銭。コーヒーや果
物とセットで1円だった。カリーとご飯は器が別だった。

中村屋は今も新宿本店でインド・カリーを提供している。何千円かは知ら
ない。中村屋を真似たカリーが全国各地に普及しているはずだ。

私の生まれ育ったところは秋田の純農村で、米しかできない。魚は八郎潟
の鮒とかなまず、どじょう。肉は飼っている鶏をつぶした時だけ。カレー
は戦後になって母が一度だけ作ってくれた。

しかし美味だったという記憶はない。だから脚気にもかかったわけかな。
東京へ出てきて大学の食堂では一皿20円だったように思うが、違っている
かも知れない。(文中の引用<内>はいずれも世界大百科事典(C)株式会
社日立システムアンドサービス)。(2006.05.21)再掲



━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━


 ◎読者に伝わる見出し

見出しは難しい。安倍晋三首相が15日の全国戦没者追悼式の式辞で、ア
ジアの人々に損害と苦痛を与えたとする「反省」に触れなかったという16
日付2面の記事で、改めて痛感した。

朝刊初版に当たる12版では、「アジアへの『反省』触れず 首相、御霊に
平和誓う」。事実ではあるが、何か違和感がある。首相は「歴史に対して
謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻み」と述べている。平和への
思いを、まず御霊に向けたいとの真意ではないのか。

整理部と試行錯誤の末、「首相、御霊に平和誓う 村山氏以降の『反省』
踏襲せず」に落ち着いたのは首都圏などに配達される版から。「触れな
かった」のではなく、あえて「踏襲」しなかったのだ。

早版では、おやっと思った読者もいらっしゃると思い顛末(てんまつ)を
ご報告する次第。(編集局次長兼外信部長 村上大介)
産経ニュース【編集日誌】 2013.8.17 08:01


 ◎在日米海軍司令部ウエブサイト − 海兵隊使用の垂直上昇戦闘機STOVL
F-35B
2013-08-16 25:23
http://twitpic.com/d8lbrt

日本にある全ての米海軍の陸上施設と、ディエゴ・ガルシア海軍支援施設
を指揮下に置く在日米海軍司令部は、管轄区域での米海軍の活動をサポー
トし、海上自衛隊との調整窓口を務めています。Twitterで米海軍の活動
や、日本にある米海軍基地でのイベントをお知らせします。

現在強襲揚陸艦ワスプで2度目の洋上開発テスト中の海兵隊仕様のSTOVL機
F-35B。夜間の垂直着艦の様子はまるでSFのようです。 http://ow.ly/nYRTA

〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎イタリア農業は高級化で生き残る

ピエモンテ州では標高2000メートルのアルプスの牧草地で育った牛から作
るチーズが有名。なかでも「カステルマーニョ」はイタリア産チーズで最
初にDOP(保護指定原産地呼称)に認定された


2国間や域内の関税を撤廃する自 由貿易圏が世界的に広がるなか、他国の
安価な製品から自国産業をどう守 るべきか、多くの国が頭を悩ませてい
る。TPP(環太平洋経済連携協 定)への参加が決まった日本にとって
も、農業の競争力強化は死活問題。 その点、イタリアが進めてきた高級
路線へのシフトは1つのヒントになる かもしれない。

昔から農業国として知られるイタリアは今や、ヨーロッパ随一の高級食
材の生産地でもある。ワインやチーズ、野菜、海産物など各地域の特産品
の品質を高める工夫を重ねることで差別化に成功し、国際的な価格競争に
負けないブランド価値を維持している。産地や製法についての細かい規定
を満たした製品だけに付与されるDOP(保護指定原産地呼称)など、
EU(欧州連合)の「お墨付き」を得た製品も数多くある。

品質向上の取り組みの中でも特に力を入れてきたのが、化学肥料などを
使わない有機農業への転換だ。今ではイタリア国内の耕作地のうち約8%
の110万ヘクタールで有機農業が行われており、有機農家の数は欧州最多
の4万8000以上。恵まれた気候と肥沃な土壌を武器に、生き残りを懸けた
農家の努力は日々続いている。

Photographs by Pietro Paolini-TerraProject

<本誌2013年5月28日号掲載>〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎【緊急速報】日本大使館が放火され半焼
【Livedoor】 2013年08月16日15:00

在コンゴ日本大使館が半焼 放火の疑い、警視庁が捜査へ

アフリカ中部コンゴ(旧ザイール)の首都キンシャサで6月、日本大使館
が半焼する火災があり、警視庁は、現場の状況などから放火の疑いがある
として16日、現地へ捜査員を派遣した。

捜査関係者と外務省によると、出火したのは現地時間6月20日午後7時
40分ごろ。オフィスビルの3階と4階に入る日本大使館のうち、4階部
分が半焼した。けが人はいなかった。執務時間外の出火で、大使館職員が
「焼け跡からガソリンのような臭いがした」と証言したことから、外務省
は放火の疑いがあるとして警視庁に相談していた。

捜査関係者によると、在外公館の建物・土地はウィーン条約によって所在
国からの不可侵権が認められており、日本の警察が捜査権を行使できると
判断した。

派遣されたのは捜査1課と鑑識課の捜査員ら約15人。1週間程度滞在
し、現場の実況見分や大使館職員の事情聴取を行う。大使館には約20人
が勤務し、半数は現地スタッフという。

http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201308160034.html?ref=com_top6


日本大使館が放火され半焼
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1376628746/

〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎東京都、48施設で中部電力系会社から供給へ

東京都は今年の10月から48の施設の電力供給先を東京電力から中部 電力
系の新電力に切り替えると発表しました。猪瀬都知事は「電力自由化 の
突破口を作っていく」としています。

東京都によりますと、電力供給先を切り替えるのは「都立中央ろう学
校」や「都立中央・城北職業能力開発センター」など48の施設です。 10
月1日以降、東京電力ではなく、中部電力が80%を出資する予定の 新電
力「ダイヤモンドパワー」からあわせておよそ1万キロワットの電力 の
供給を受けるということです。

大手電力会社から地域を越えて電力の販売を受けるのは異例のことで、
猪瀬都知事は「電力自由化の突破口を作っていく」としています。東京都
は10月からあわせて271の施設で電力供給先をダイヤモンドパワーを 含む
新電力4社に切り替える予定で、年間およそ3億円の節約になると見 込
んでいます。
TBS系(JNN) 8月17日(土)0時13分配信


 ◎コメ作や前方後円墳は日本の縄文人が朝鮮半島に伝えたことが史料で
確実になっている。日本の縄文人は海外進出していたらしい。

高岡氏より: 有害な反日・韓国朝鮮人は、一国も早く、朝鮮半島へ帰国
すべきでは?
------------------------------------------
【暗躍列島を追う】
(3)新大久保〜西早稲田で展開される“韓国の反日ワールド”
2013.08.16


韓流の聖地・新大久保は、今や反日の一大拠点と化しつつある

韓流ブームの熱狂が冷めた、東京・新大久保の職安通りに「高麗博物館」
なるものがある。博物館といっても雑居ビルの7Fで、高麗時代の文物が
豊富に展示されているわけではない。

一番目立つのは、いわゆる従軍慰安婦像で、他は強制連行や戦中・戦後の
民族差別に対するプロパガンダ文章や写真パネルばかり。 何も知らない
小中学生が訪れたら「ごめんなさい」と土下座したくなる代物だ。

1968年、金銭トラブルから暴力団員2人を射殺し、静岡・寸又峡にある旅
館に人質13人をとって籠城した「金嬉老(きんきろう=無期懲役判決が
確定)」を、いまだ差別と闘う民族の英雄としている。その金が仮釈放、
韓国送還後、かの地で殺人未遂と放火、監禁事件を起こし逮捕服役したこ
とには触れていない。実に、ご都合主義というしかない。

7月下旬には「鳥居としめ縄」と題する特別展をやっていた。「いずれも
日本独自のものだと思われているが、稲作の伝播とともに中国から朝鮮半
島を経て日本にもたらされた文化」との説明とともに、鳥の木彫りをてっ
ぺんに飾った祭りのポール状の写真(全羅北道のもの)があった。それが
「鳥居の起源」ということらしい。

 私に同行していた縄文時代の研究家N氏が

「鳥居は伊勢神宮の神明鳥居が基本で、山王、三輪、両部など何種類もの
形式があるが、韓国起源ではない。しめ縄は、戦前は白麻で作られており
稲作とは関係ない。」

「それに最近の研究では、稲作は縄文末期、九州から朝鮮半島に伝来した
との説が有力だが?」と問うと、館員はしどろもどろ。

剣道をはじめ、柔道、華道、歌舞伎、俳句、和歌、忍者、刺し身まで、何
でもウリジナル(=韓国起源)と言い募るお国柄だから、これもその類な
のだろう。

出口に、日本の戦争加害と共生を考える“フィールド・ワークガイド”なる
チラシが50円で売られていた。

「高麗博物館」から、戸山公園を経て、西早稲田の慰安婦プロパガンダ施
設「女たちの戦争と平和資料館」に至るイラストマップなのだが、戸山公
園に隣接する旧陸軍医学学校(現国立感染症研究所)の説明がすごい。こ
こでは89年、100体超の人骨が発見された。人体標本類であろうと推測さ
れており、納骨施設も作られたが、これを「731部隊をはじめとする戦時
医学犯罪の物証」と断定しているのだ。

新大久保〜西早稲田を“反日プロムナード”に仕立て上げる気なのか。イラ
ストマップをよく見ると「ガイド料5千円」と書かれており、あきれ果て
てしまった。 大高未貴(おおたか・みき)
 (情報収録:中山)

     

━━━━━━━
反     響
━━━━━━━


 1)ルーズベルトに日米開戦を決断させたのは英国のチャーチルでし
た。菅原出『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』(草思社、2002
年)、「第3章 アメリカを戦争に引き込んだチャーチル」、に状況証拠
が記されています。「チャーチルはアメリカの参戦を大歓迎し、『この出
来事(アメリカの参戦)を夢にまで見、それを目的とし、そしてそのため
に活動してきた』と喜びのあまりつい口を滑らせている。」(同書110
頁)。(まこと)


 2)>◎日本政府、シナ人やコリアンに土地を売るな!!(大高美貴)

シナの浸透には驚くべきものです。ネットには変わった人がいて東宮家を
追っています。冬場の休養をとったホテルは中国人経営で、夏避暑に逗留
す るところも中国人経営です。常識的に中国のホテルは日本にあっても
盗聴盗撮はあるものと思うべきでしょう。 職員が宮内庁に外務省から
入ってくる ケースが増えている様です。心配ですね。(モモ 岡山県)


 3)前田正晶さんから17日午前、主宰者に電話あり「14日、2度目の心
筋梗塞の発作を起こし、入院中」とのこと。くれぐれもお大事にとこたえ
ました。


 4)『 中国・韓国を刺激しない』、
という情報統制を感じる大手メディアについて。
なぜ、大手マスコミは、真相を報道しないか。

それは何回も引用した、New York Times 東京支局長Martin Fackler 氏
が 「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」 で言っているように
優秀な成績で一流の学歴で一流社に入社し、「閉鎖的記者クラブ」で取材
先(政府機関をふくむ)と仲良しクラブを形成し、各自がエスカレーター
昇進する各社の担当記者の保身と出世【社内)のためと思えます。

各自「御身大切」、出世志向。老後の退職金や年金まで考慮して。

日本にはアメリカ的記者は輩出しないのです。例外は一匹狼で危険は自己
負担。かつての米・新聞王 Joseph Pulitzer は言いました(本人の言葉
を引用します)

『我々は民主主義の国だ。だから個人の行為であれ、国家の行為であれ、
その中においてしっかりと地面に足をつけて立っているようにするには、
ただ一つの途しかない。

それは社会公衆に絶えず現実に起こっている事実を知らせることだ。犯
罪、不正、不良はことごとく、秘密で立っている。これらのものを悉く
明るみにだせ。そして紙面の上で描写するのだ。攻撃するのだ、嘲笑する
のだ。

すると遅かれ早かれ、与論がこういったものを退治するだろう。

公表ということは、どうしても必要な、ただ一つのことではないかも知れ
ぬ。が、それを待たずしては他のいかなる方法も効果が無い』  と。

その昔の我が国の軍閥人の時代の社会も同様であったのではないですか。
一般人は追従すれば、美味しいご飯にありつけるが、批判、反対すれば
(あばく者)『生命に危険が迫ったものでした』。軍人に賛成、その人た
ちの「ための」テロにも反対なし。

いや情状酌量願い書の洪水(5・15事件など)。見では、ほとんどの人
はそれで同調したのです。その結果が今でした。(松宮 昇)




━━━━━━━
身 辺 雑 記 
━━━━━━━ 


大谷英彦さんを15日行徳の自宅に見舞った。依然、歩行困難の由。


読者:5233人


ご投稿、ご感想をお待ちしています。下記。↓
ryochan@polka.plala.or.jp

◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら
→ http://melma.com/contents/taikai/
-- 
渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • 名無しさん2013/08/18



    **  GOM Player - ウィキペディア - Wikipedia  **

    http://ja.wikipedia.org/wiki/GOM_Player



  • 名無しさん2013/08/18

    ねつ造史観の歴史教科書を許すな

    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1287.html

  • 名無しさん2013/08/18

    教育問題

    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-category-17.html

  • 名無しさん2013/08/18

    信念が強ければ強いほど、守護霊のパワーも強くなる。それによって、自分に降りかかってくる災いが小さくなるのだ。本来なら大難が降りかかるはずなのに、それが小難になったり、小難ならば無難になったりするわけである。





     悪霊のイタズラばかりではない。ときには試練さえも軽減されることがある。守護霊が、「彼もこんなに一生懸命やっていますから、ここはひとつお手やわらかに」と、天に対してとりなしてくれるわけだ。100の試練が八十ぐらいになるかもしれないが、結局のところ、自分自身が行いをちゃんと改めて、自分を立派に磨き世のため人のために尽くすようになれば、天も守護霊の願いを聞き届けてくれるわけである。

  • 名無しさん2013/08/18

    応援しているふりしての嫌がらせだな↓

  • 名無しさん2013/08/18



    ************************************************************************



      --- 反韓、嫌韓を叫ぶ諸君たちへ  ---



    俺も同感だ。もっとやれと応援する。



    ひとつ確認したい。

    あんたら、もしかして、便利だからと「GOM PLAYER」使っていないだろうね。



    これが韓国製だと認識していたのか。

    ここからいろんな個人情報などが盗みとられていることを知っているのか。

    これこそトロイの木馬。 スパイウエアだ。 

    反日無罪。 想像してみたまえ、怖い事だよ。



    それでも、まだ使い続けますか?



    ************************************************************************



  • 名無しさん2013/08/18

    安倍首相、サンデーモーニングでフルボッコwwww

    http://fullbokko.2chblog.jp/archives/30857667.html

  • 名無しさん2013/08/18

    【速報】 テレビ朝日、「日本が悪い」と答えるよう指示して議論番組を作っていることが判明

    http://netaatoz.jp/archives/8016023.html

  • 名無しさん2013/08/18

    沖縄にいたころは俺も反日で親韓だった。沖縄はそういう人が多いんだ。

    ところがネット掲示板をやりはじめてから、愛国、嫌韓、嫌中に変わったね。

    メディアの連中は今でもせこせこと反日報道を行っているが、もう騙せないよ。

    50才になる同僚のオヤジが嫌韓に夢中な時代だからな。





    今までは、大部分の国民はむしろ「韓国が嫌い」というより、「興味がない」だったが今では、韓国のことを知った上で、明確に「韓国が嫌い」「憎悪している」に変化していることだ。

    だからもう止まらん。韓国が根底から態度を改めない限りは。

    そして、韓国が根底から態度を改めることは不可能だろう。





  • 名無しさん2013/08/18

    日本はほんとうに、歴史から学習できない 

    中国・韓国と仲良くして大陸と半島にヒト・モノ・カネ・時間とありとあらゆる資源を突っ込んで、その結果、いったい何があった? 



     日清戦争、朝鮮保護国化、中国大陸・満州・朝鮮への社会インフラ・社会保障などへの莫大な持ち出し 

     そして敗戦後から続く、日韓・日中国交正常化とその対価の謝罪と賠償、にも関わらず以降の70年代、80年代、90年代、00年代、10年代とずーっと謝罪と賠償、カネカネカネカネ… 

    特に、90年代初〜以降、日本国内の左巻きの勢力のやからと結託して、なんぼなんでも、あまりにもやり過ぎだろ 



     もういいだろ、もう十二分だろ、俺らはもう十二分にやった、やり尽くした 

    俺らの父や祖父や曾祖父や日清戦争以降の先人たちが、大陸と半島を、欧米列強に負けぬよう日本国内並みに整備しよう開発しようと必死に努力して築き上げた社会資本も、戦後の謝罪と賠償も、延々とたかられ続けるカネと謝罪も、もう十二分にやり尽くした、もう十二分にやった 



     もういいだろ、俺らはよくやった 







  • 名無しさん2013/08/17

    ダルビッシュがマー君に辛口エール 「そのぐらいはやってもらわないと」

    2013.8.17 13:47 [ダルビッシュ有]



      レンジャーズのダルビッシュが、実力を認める“弟分”の田中(楽天)がプロ野球新記録の21連勝を飾ったことに、「そのぐらいはやってもらわないと」と、驚く様子もなく淡々と話した。



      右腕は「野手も、投手もだいたいこっちに来ていることがあると思うので」と、日本で活躍したかつてのライバルたちが米球界に移籍した状況での達成をやや辛口に分析。それでも「すごいことだと思う」とも加えた。



      18日のマリナーズ戦に向け、この日はブルペンで投球練習を行った。スタンドには27歳の誕生日を祝う応援ボードも多数見られた。(共同)

  • 名無しさん2013/08/17

    古代朝鮮半島 

     北部:支那の流民 

     南部:倭人 



    4世紀頃 

     北部=高句麗:扶余族の高句麗が南下し勢力拡大 

     南西部=百済:民衆の多くは支那流民、百済人(扶余族?)が支配するが倭国の属領 

     南東部=新羅:倭人が建国に携わるが、後にエベンキに乗っ取られる→偽新羅 

     南部=任那日本府 



    軍事大国であった唐が高句麗を滅ぼす 

    エベンキに乗っ取られた偽新羅が手引きをして

    唐に百済を攻めさせる 

    百済の宗主国であった日本は海を渡り

    軍勢を朝鮮半島に送るが、唐の大軍の前に敗退する 

    これにより日本は朝鮮半島支配から手を退き、

    偽新羅が唐の属領として朝鮮半島を統一 



    この時初めてエベンキ族系偽新羅人が

    朝鮮半島の支配層となるが

    モンゴルを始めとする

    支那の覇者が交代する度に 

    民族浄化が行われ上書き混血化が繰り返される 



    モンゴル人が支配する時代、

    モンゴル系混血朝鮮人が支配層となるが 

    大陸の覇者が支那人に変わると、

    モンゴル系朝鮮人は最下層民となり、

    支那人系混血朝鮮人が支配層となる 

    つまり昨日の敵が最下層民へと落とされることにより、

    混血のルーツの違いによる多重の差別階級が誕生し 

    被支配層はより不毛の地に追いやられるため、

    地域によりルーツの異なる混血朝鮮人が誕生し 

    地域差=身分の差となり、49階級の差別階級が誕生した 



    朝鮮族という明確な人種が居るというより

    エベンキ族をルーツとする

    まだら混血集団が朝鮮族と言える 

  • 名無しさん2013/08/17

    【韓国】慰安婦の証言で分かった「少女を騙したのは韓国人同胞」朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授著「帝国の慰安婦」

    http://blog.livedoor.jp/nico3q3q/archives/67941023.html

  • 名無しさん2013/08/17

    現在82歳。このメルマガで次々と新事実を知り愕然とすることがあまりにも多いことに愕然としている。例えば、韓国のプロパガンダ施設が日本にあるなんて知らなかった。何故政府、地方自治体、有識者、マスコミは反論しないのか。激しい反日宣伝に反論しなければ認めたことになる。このマガジンの存在をもっと世に知らしめるよう努力してほしい。切に望みます。

  • 名無しさん2013/08/17

    韓国・朝鮮人が認められない歴史的事実一覧(集計)



    米作が九州から朝鮮半島に伝わったこと 

    唐辛子が日本から朝鮮に伝わったこと 

    半島南部の先住民が日本人(倭人)であること 

    新羅の建国時の宰相が日本人(倭人)であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること 

    百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと 

    大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在) 

    半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在) 

    常に属国として歩んできた歴史 

    姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること 

    秀吉の朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている) 

    オンモン(朝鮮文字/ハングル)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること 

    朝鮮半島の国王が、中国の地方長官の地位でしかなかったこと 

    清朝から、李氏朝鮮が琉球よりも格下に扱われていたこと 

    李氏朝鮮の前の高麗では、元の命令で、王妃が代々モンゴル人であり、モンゴル人の母親から生まれた息子しか国王になれなかったこと 

    朝鮮半島の国が、歴史上一度も、単独では戦争に勝ったことがないこと 

    朝鮮民族が雑多な民族の集まりであること 

    ハングルで表記できない発音がいくつもあること 

    チマチョゴリが、胸を露出して着る衣装だったこと 

    朝鮮半島に唐辛子が広まったのは、塩が手に入らないから、塩の代わりの調味料だったこと 

    李氏朝鮮の時代に、木を丸くする技術がなくて、二輪車がなかったこと 

    秀吉が朝鮮に出兵した時に、秀吉側について明と戦った朝鮮人がたくさんいたこと 

    馬に乗って戦っている倭寇がいて、日本人じゃない倭寇がいたこと 

    王仁博士の出身地に、王仁博士の一族の末裔も王という姓の人もいないこと 

    竹島は、過去に一度も朝鮮半島の国のものになったことがないこと 

    テーブルで焼き肉を焼く料理法は日本から韓国に伝わったこと 

    文盲だった朝鮮人にハングルを教えさせてハングルを広めたのは日本人であること 

    高麗の時代には、済州島は元の直轄地であって、済州島が元の領土であったこと 

    朝鮮戦争前はむろん、朝鮮戦争後もずっと、韓国人は白米を常食にできなかったこと 

    朝鮮半島の国は中国の国に朝貢するにも朝貢する文物がないので女性を献上していたこと 

    李氏朝鮮の外国からの莫大な借金を、日本が代わりに払ってやったこと 

    李氏朝鮮(大韓帝国)の李王家の帰国を韓国は拒否して李氏朝鮮と韓国は別の国であるので、今の韓国人に韓国併合のことを言及できないこと 

    2000年近い朝鮮半島の歴史の中で、朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかないこと 

    朝鮮という国名にしたのは明だが、他国に自国の国号を決めてもらった世界にただ一つの国であること 

    百済と新羅の時代に朝鮮半島に住んでいた倭人が文明人として朝鮮民族から尊敬されていたこと 

    百済と新羅から帰化した人からの朝鮮語の伝搬が見られないことから、帰化人とは朝鮮半島に住んでいた倭人であったこと(帰化人を渡来人というのは誤り。文字通り帰ってきた人達) 

    昔から今まで朝鮮半島が日本列島よりも文化文明が進んでいたことが一度もないこと 

    済州島には朝鮮民族とは別の言語・風習を持っていた、朝鮮とは別の民族が住んでいたにもかかわらず、済州島を併合してしまったこと 

    1948年に、済州島の民族を大虐殺したこと 

    済州島の民族の言語とアイヌ語に共通な語があって、済州島には日本列島と同じ民族が住んでいたことたこと 

    元寇の兵の大半は高麗人(朝鮮民族)であったこと 

    民族が到達しやすくても脱出しにくいのが半島だが、そもそも朝鮮半島には倭人が住んでいて、倭人が住んでいた朝鮮半島に後から別の民族がやってきて、それが朝鮮民族になったと考えられること 

    民族は敵性民族がいなければ暖かい所に移動するので、朝鮮半島の朝鮮民族は北のほうから南下してきたと考えられること 

    朝鮮民族が南下してきたといっても単一の民族としてではなくて、満洲民族・モンゴル民族、漢民族、北方のツングース等が南下して朝鮮民族になったと考えられること 

    韓国では中国を親の国、韓国を兄の国、日本を弟の国だと教えているが、そういう発想自体が韓国の属国思想であること(日本は独立国だったので、そういう発想はない) 

    韓国を兄の国だと思っている日本人はいないこと 

    宦官制度が新羅の時代から1894年の甲午改革で廃止されるまであって、去勢された男子の宦官がいたこと 

    朝鮮民族は漢民族・満洲民族・モンゴル民族に従属していて格下の民族とされていたこと 

    清朝の冊封体制の中で李氏朝鮮の地位は低く、朝鮮使臣のみが丸首の衣であり、朝鮮使臣のみが籠に乗ることを禁じられていたこと 

    昔の李氏朝鮮の大極旗には清国属国旗と記されていること 

    遣隋使、遣唐使、日明貿易の時代にも朝鮮を通さずに日本は交易していること 

    李氏朝鮮の時代も、水田の灌漑施設がなかったこと 

    1000年にわたる売春立国であること 

    遣隋使、遣唐使、日明貿易はあったが、遣高麗使、遣朝使のような朝鮮半島との貿易はなかったこと 

    朝鮮半島発祥と言えるのはキムチしかないこと(米作、唐辛子、焼き肉など、日本から朝鮮半島に伝わったものは多い) 

    キムチの食材の唐辛子ですら日本から朝鮮半島に伝わったものであること 

    高麗の青磁は中国の殷が起源、李氏朝鮮の白磁は中国の北斉が起源であり、どちらも朝鮮半島の発祥の文物ではないこと 

    日本の歴史は事実・真実のままで世界に誇れる立派な歴史であること(歴史を偽造する韓国に配慮して日本の教科書を記述することなどとんでもないことである) 

    韓国の教科書には「〇〇を日本に教えてあげた」という記述が山のようにあるが、そのすべてが偽造・ねつ造であること(韓国は、日本発祥のものでさえ教えてあげたと記述する傲岸不遜な国。教えたも問題だが、教えてあげたという表記は無礼千万) 

    朝鮮半島発祥の文物で日本に影響を与えたものは一つもないこと(朝鮮民族がいなくても日本の文化文明は発展していた) 

    朝鮮半島に存在しないDNAの稲が日本だけにあること(稲作は中国雲南省あたりから海路で九州に伝わったから) 

    新羅も百済も倭国のことを文化大国として敬仰していたこと(朝鮮半島初の統一国家である新羅の基礎づくりを指導したのは日本列島から渡ってきた日本人(倭種)だった。「第四代新羅王の解脱(タレ)は、倭の東北一千里にある多婆那国の生れ」(三国史記新羅本記)、多婆那(タバナ)国は、丹波、あるいは但馬と考えられている) 

    倭国は九州北部と朝鮮半島にまたがっていたこと(鉄資源を採取するための拠点が朝鮮半島南部にあり、そこから南が倭国と認識されていた。「韓は帯方郡(魏の直轄地・現ソウル付近)の南にあり、東西は海、南は倭と接す」「倭に至るには(海岸に沿って水行し韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し)その北岸、狗邪韓国に至る。(そこから)はじめて海を渡ること千余里、対馬国に至る・・」(魏志「韓伝」および「倭人伝」) 

    倭は朝鮮半島南部の拠点を通じて、1世紀ごろには中国大陸と直接交流していた。 

    戦前の朝鮮史研究では、新羅4代王が日本列島の出身者である事など常識であったこと 

    新羅16代の王のうち半数が日本人(倭種)であること(半島古史研究で基本資料とされる『三国史記4』(東洋文庫、1988年)に全文間違いの訳注がある。倭種は4代目のみとされている。訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗) 

    新羅と百済の同時代の『唐書』に、「新羅も百済も倭国を大国として敬仰している。それは倭国には優れた品々が多いためで、常に使節が倭国に赴いている」との記述があること 

    日本の皇室が世界で一番古い家系であること 

    青森県の大平山元遺跡が「世界最古」の遺跡であること 

    日本の神道のような信仰は世界中にあったが、今は日本にしか残っていないこと 

    日本の前方後円墳は3世紀に出現したが、朝鮮南部の栄山江から発見された前方後円墳は5〜6世紀のものであること 

    百済では1世紀になって初めて稲を作るべしとの王令が出たこと 

    日本の農業用語に朝鮮由来の言葉がないこと 

    日本書紀が書かれたのは8世紀だが、朝鮮の三国遺事が書かれたのは13世紀であり、日本の神話が朝鮮の神話よりも古いこと(日本の神話が朝鮮の神話を真似たというのは嘘)