政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針3036号  2013・8・14(水)

2013/08/14

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3036号
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           2013(平成25)年8月14日(水)



        みんなの党は喜美党? 旗揚げから4年:岡田浩明

                 私の8月15日 国民学校4年生:渡部亮次郎

                       行かぬ理由:靖国神社:MoMotarou

                     吉田と岸と安倍晋三(3):平井修一

                    野口英世、黄熱病との戦い:伊勢雅臣

                                       話 の 福 袋
                                反     響
                    身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第3036号
                             発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             

 
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みんなの党は喜美党? 旗揚げから4年
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         岡田 浩明

みんなの党のお家騒動は渡辺喜美代表が江田憲司幹事長を更迭する強権人
事で、一時的に収束したようにみえる。だが、政局的な動きがあれば再び
内紛は再燃し、解党騒ぎに発展しかねない「時限爆弾」を抱えた一触即発
の党内情勢に変わりはない。

「自民党は官僚依存、民主党は労組依存、真に改革できるのが我々だ。政
界再編のための起爆剤だ」

4年前の平成21年8月8日、「大安」「末広がり」と縁起を良い日を選ん
でみんなの党は旗揚げした。渡辺氏は結党の記者会見で意気軒昂にこう訴
え、「国家公務員10万人削減」などを明記したアジェンダ(政権公約)を
発表した。

参加した国会議員は当時、渡辺、江田両氏のほか、浅尾慶一郎参院議員、
広津素子、山内康一両衆院議員。衆院選で小選挙区と比例代表の重複立候
補などが可能になる所属国会議員5人の要件をギリギリ満たしての船出
だった。小規模ながら一致団結して今の政治を変えたいという意気込みが
伝わってきた。

それもそのはず。渡辺氏は20年の終盤国会で民主党が提出した衆院解散・
総選挙を求める決議案に自民党でただ一人、賛成。当時の麻生政権に弓を
引いた。

「劇団ひとり」のクーデターと揶揄され、政党要件を満たす国会議員5人
を集めることができず、混迷政局の波間に消えるのか。それとも新党を旗
揚げし、政界再編の起爆剤として化けるのか−。乾坤一擲の勝負の行方が
注目されていたからだ。

そんな永田町の喧噪をよそに、渡辺氏は各地で「国民運動体」と称する会
合を重ね、世論を味方につけようと動いた。当時、ともに汗をかいたのが
江田氏だ。 渡辺氏が「国会議員5人いれば政党をつくるのは可能だが、
国会の中の運動にとどまってしまう。各地に草の根を生やした方が効果が
高い」と訴えれば、江田氏も「今は渡辺氏と2人だが、心配しないでほし
い」と足並みをそろえた。

だが、新党結成に向けた数集めは苦難を極めた。新党結成直前、渡辺氏は
浅尾氏の地元事務所まで押しかけ、口説き落としたほどだ。パフォーマン
スに走る渡辺氏と、実務重視の江田氏との間で軋轢が生じかねないとする
周囲の懸念は当初から絶えなかった。

それから4年。党勢はそれなりに拡大したが、当初の懸念は的中した。

江田氏は党内手続きを無視して先の参院選候補者を選定したことなど、渡
辺氏のワンマンな党運営を糾弾。「『渡辺個人商店』を株式会社化し上場
するのが使命だ」と述べ、渡辺氏の“暴走”を痛烈に批判した。

対する渡辺氏。江田氏が民主党の細野豪志幹事長や日本維新の会の松野頼
久国会議員団幹事長と会談したことについて「非常によろしくない。そち
らに命をかけるなら幹事長を辞めるのが筋だ」と強い不快感を示し、亀裂
は決定的となった。

結局、渡辺氏が江田氏を幹事長ポストから外し、渡辺氏に近い浅尾氏を後
任の幹事長に選んだ。渡辺氏は「この4年間、我慢に我慢を重ねてきた」
と述べ、江田氏の“暴走”への不満を爆発させたが、結党以来、二人三脚で
党勢拡大に努めてきた2人の「破局」は後味の悪さを残した。

「2人は全く目を合わさない」(党関係者)とささやかれるほど渡辺、江
田両氏の関係は悪化し、結党時に満ちあふれていた党内の一体感は風前の
灯になりつつある。渡辺氏を古くから支えていた古参秘書も去った。

確かに、ここまで渡辺氏の持ち味で党勢を拡大してきた側面はある。た
だ、政界再編の起爆剤になる以前に党内の統治力不足が露呈した現状をみ
ると、「増税の前にやるべきことがあるだろう」とのかけ声は空しく聞こ
える。

他党からは渡辺代表のワンマンぶりについて「みんなの党は喜美党だ」と
揶揄する声も漏れる。

嫉妬に憎悪、さらに矛盾と変節が渦巻く政界。離合集散は当たり前。党首
ともなれば、いかに自らの求心力を保つかに腐心する。そんな政界を熟知
し、ミッチーの愛称で親しまれた渡辺氏の父、故渡辺美智雄氏は、最期に
渡辺氏にこう言い残したという。

「お前の話は理屈が多すぎる、理屈で人を説得しようと思うな。政治家に
とって大事なことは真心だ」

美智雄氏が亡くなり9月で丸18年を迎える。ミッチー語録は今も輝いている。
産経ニュース[岡田浩明の永田町便り]2013.8.13



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私の8月15日 国民学校4年生
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        渡部 亮次郎

昭和20年、当時は国民(小)学校4年生。学校ではボール紙に印刷された
ルーズベルトとチャーチルの顔を殴っていたのが2年生ごろか。

4年生になったら、先生がアメリカ軍の艦載機はキーンと甲高い爆音が特
徴だと教えてくれた。

7月14日の昼前、突然「キーン」が聞えた。北の空へ3機が飛んで行った
と思ったら、いきなり煙を吐いて落下。こりゃしめたと思ったら「急降
下」だった。列車に向かって機銃掃射だった。

3機とも戻ってきた。胡瓜畑に隠れて妹と肝を冷やして覘いていたら機上
から見られているから掃射されるものと覚悟を決めた。しかし銃撃される
事は無く3機は去って行った。生まれた初めて体験した「死の恐怖」だった。

この日は隣県岩手県の太平洋に面した釜石市が米海軍による艦砲射撃をう
けた日。その響きは地鳴りとなって日本海岸にも伝わってきて、日本が細
長いことを子供心に実感した。

日本海にひびいた釜石艦砲射撃。釜石艦砲射撃(かまいしかんぽうしゃげ
き)は、太平洋戦争末期に、連合国軍艦隊が岩手県釜石市に行った2度の
艦砲射撃のこと。

 昭和20年7月14日の砲撃。一度目は1945年7月14日に、アメリカ海軍の戦
艦部隊によって行われた。北海道空襲など一連の日本本土攻撃を開始した
アメリカ海軍機動部隊。

第34任務部隊から分派した第34.8.1任務隊(司令官:ジョン・F・シャフ
ロス(John F. Shafroth)少将)の戦艦3隻と重巡洋艦2隻、駆逐艦9隻に
より、釜石を砲撃した。主要な攻撃目標は、日本製鐵釜石製鉄所だった。
この砲撃で日本側は一般市民を含む515人が死亡した。

八郎潟に飛んできた艦載機はこれらとは別のところから飛来したものだっ
たろう。しかし日本海岸の住宅のガラス戸を揺らす音は愈々戦争が私にも
迫ったことを教えた。

釜石に二度目の砲撃は同年8月9日に、アメリカ海軍・イギリス海軍の合同
部隊が行った。参加したのは、前回と同じアメリカ海軍第34.8.1任務隊の
ほか、イギリス海軍第37.1.8任務隊(軽巡洋艦2隻、駆逐艦3隻)であっ
た。この攻撃では日本側は301人の死者を出した。出典;フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

本物の恐怖は1か月後に来た。東沿岸に住んでいる旧八郎潟上空を真っ赤
に染めてアメリカの大型爆撃機B29が大編隊をなして南の秋田市方面に引
き返して行く。機体の下腹が火事の明かりで赤く染まっていた。私は西側
に広がる田圃のあぜ道に腹ばいになって見上げていた。4つ上の兄は学徒
動員に出たままだった。

即ち、終戦前夜の昭和20年8月14日の22:30から翌15日の03:30まで、秋
田市「土崎(つちざき)」は米軍機による激しい爆撃を受けた。私の家は
20キロぐらいしか離れていない。

秋田県における最初で最後の大規模空襲は日本石油秋田製油所破壊を目的
にしたもので、132機のB29から投下された爆弾は12047発・約1000トン、
製油所周辺は真っ赤に燃えあがり石油精製工場の87%・貯蔵設備の70%が
破壊された。

夜間の攻撃だったために目標がそれやすく被害は工場周辺の住宅地区にも
及び、特に通称ハマナシ山の日石住宅では住民の被害が大きかった。港で
も工事中の浚渫船2隻が爆撃を受け沈没、死者が出ている。

この空襲による死者は100人とも250人以上とも言われているが、正しい人
数は判明していない。

秋田・土崎港空襲は、日本で最後の空襲となった。

戦後、明らかにされた米軍の資料によると、これらB29はマリアナ基地か
ら飛来した第315航空団の141機。当夜の天候は薄曇のち快晴だった。目標
は日本石油秋田製油所。攻撃高度10200-11800フィート。投下爆弾トン
数、計957・1トン、攻撃は14日23時48分から15日2時39分までの2時間51分間。

米側資料の「任務の概要」によると成果は未確認なるも損失機なし。これ
だけ飛来しながら目標を目視したのは2機だけだった。日本側からは「貧
弱、不正確な対空砲火」があっただけだった。

15日正午の天皇陛下の「玉音」はラジオが無かったから知らないが、夜に
なっても「灯火管制」が無かったから終戦を知った。いや敗戦だった。

この敗戦前日の空襲は埼玉県熊谷市、伊勢崎市、七尾市、下関海峡
(西)、宮津、浜田にも襲い掛かったことが米側の資料にはある。

対英米戦争は草深い田舎でも死の恐怖と対面させられながら展開していた
のである。

当然、学校は夏休みだった。15日の午後近くの「馬冷やし場」で足を洗っ
たのを明確に記憶している。理由は思い出せないが、北国の太陽も強烈
だった。あれから68年。9歳は77になった。(再掲)

  


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行かぬ理由:靖国神社
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     MoMotarou
 
寄題豊公旧宅
絶海樓船震大明 寧知此地長柴荊 千山風雨時時惡 猶作當年叱咤聲 
(荻生徂徠、江戸中期)

ーーー荒波を乗り越えて彼の地に向かった豊臣秀吉の軍船は明の国をも震
わせた。その根拠地が今、雑木生い茂る荒野になろうとは。周りの山々を
風雨が荒れ狂うが、これはなお、秀吉が軍勢を叱咤している声ではないか
とさえ思われる。

http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/3155385/

          ★

明日が8月15日で安倍総理参拝の日。行かぬ理由が見つかりません。中国
は我国の領土を侵食侵略中。大韓民国は天皇陛下を侮辱し竹島を占領中。
何も遠慮をする理由がありません。両国とも銭は無いから消費増税は賛
成。こんなに環境が整っているのに政治家として行かない手は無い。行け
ないのは政治的胆識が無いというだけ。

■大韓民国は日本海に沈む

8月10日産経新聞朝刊は韓流アイドルグループ「東方神起」の4面全面広
告で包まれておりました。韓国に厳しい論調があるサンケイに対する懐柔
策であるのは歴然としておりました。感想を聞かせて頂きたいとの記事が
ありましたので、編集部ではなく、指定の"営業部"へ電話しました。

「しっかり儲けて置けよ!」と激励。怒りの電話が遭い続いたのでありま
しょうか、大きな声で「ありがとうございます」と返事が返ってきまし
た。あの民族は叩けば叩くほどお布施が増えるのであります。

■中国は勝手に爆発する

打つ手が無い中国は大きな声で非難するでしょうが、それだけ。下手に動
けば国内の不満が大爆発します。偽反日デモも反政府運動に繋がりかねな
い。今度暴走が起きれば撤退する日本企業はたくさんおります。日本マ
ネーも技術も二度と手に入りません。

日本にいる中国留学生は日本国政府により国外退去に"次第に"追いやられ
るでしょう。日本の東大受験生にとっては朗報で、2800名の合格枠が増え
ます。

■安倍首相を心配する財務省

来年消費税増税をもくろむ財務省は安倍首相の動向を注視しております。
また首相の健康を心配しております。8日NHK7時のニュースでは、如
何に日本財政が破綻の局面にいるかを積極的に宣伝しました。しかしいつ
も放送される東京新橋駅蒸気機関車前の「街の声、消費者の声」は全くあ
りませんでした。財務省もシナやコリア並みに焦っているのがよくわかり
ます。

■繋がる戦前と戦後

国民は我国の指導者がどこの国の総理か知りたがっています。我国の総理
大臣は、中国や大韓民国が決めるのではなく、私たち国民が選ぶのであり
ます。

ドイツ首相メルケルさん風に言うならば、「日本国の首相は日本国民に
よって選ばれる。私の参拝は他国の指導者に指図されることではない」。



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吉田と岸と安倍晋三(3)
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            平井 修一

「60年安保騒動」は53年前、小生が9歳、小学3年のときだが、「あんぽ、
はんたい、きしを、たおせ!」と叫びながら友達と校庭を走り回っていた
ことを覚えている。大層な騒動だったが、終わった後は台風一過、何事も
なかったように静かになった。「一体あの騒ぎは何だったのだろう」と今
でも小生は怪訝に思っている。

戦後に共産主義革命の可能性は2回あった。1回目は1947年(昭和22年)2
月1日に実施を計画されたゼネラル・ストライキ、通称「2.1ゼネスト」の
時。これは決行直前にGHQの指令により頓挫した。2回目が60年安保騒
動である。

60年安保は、吉田茂により署名、1952年に発効した日米安保条約(旧安保
条約)に代わるものとして、1960年(昭和35年)1月19日に岸信介首相と
米国大統領との間で署名され、同年6月23日に発効した「新安保条約」で
ある。岸は1958年(昭和33年)頃から改定交渉を進めていた。

新条約は形式としては集団的自衛権を前提とした双務的体裁を採用してお
り、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定してい
る。内乱への米国介入の条項は削除された。日米共同防衛を義務づけた、
より平等な条約だという。

しかし、社会党や左翼は「米国の戦争に巻き込まれる」などと強く反発
し、大騒動になっていった。1960年5月19日に衆院特別委員会で新条約案
が強行採決され、続いて5月20日に衆院本会議を通過した。委員会採決で
は、自民党は座り込みをする社会党議員を警官隊とともに排除した。

6月15日には主催者発表で33万人、警視庁発表で13万人という規模にまで
膨れ上がったデモ隊と機動隊が国会議事堂正門前で衝突し、死者も出た
が、これをピークに騒動は下火になり、6月23日に発効した。

安保騒動は結局は壮大な空騒ぎに終わったのだが、幕末の「お陰詣り」
「ええじゃないか」のような一種の集団ヒステリーの爆発ではなかった
か。ガス抜きになったのか、これをピークに憑き物が取れたように共産主
義革命熱も冷め始め、社会党も斜陽に向かっていった。

岸信介は1896:明治29年11月13日 - 1987:昭和62年8月7日。東京帝大法
学部に在学中、北一輝に魅了され、北を訪ねている。岸は北について「大
学時代に私に最も深い印象を与えた一人。後に輩出した右翼の連中とはそ
の人物識見においてとうてい同日に論じることはできない」と語っている
という。

1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣し、戦
争中の物資動員の全てを扱った。戦後、故郷の山口に帰郷していたところ
をA級戦犯容疑者として逮捕、巣鴨拘置所に収監された。1945年9月12
日、岸は49歳だった。「断想録 巣鴨獄中にて」から――

<終戦以来、幾度か死生の問題を真剣に考えてきた。終戦直後は幾度か死
を決したが、決行しなかったのは生に執着したからではない。今次戦争の
起こらざるを得なかった理由、換言すればこの戦争はあくまで吾等の生存
の戦であって、侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではな
くして、日本としては誠に止むを得なかったものであることを千載まで鮮
明することが、開戦当初の閣僚の責任であることを痛感したからである。

終戦後、各方面に起こりつつある「戦争を起こした事がけしからぬ事であ
る」との考え方に対して、飽くまで聖戦の意義を明確ならしめねばならぬ
と信じたからである。恩師杉先生から、

二つなき 命に代えて 惜しきものは 千載に朽ちぬ 名にこそありけれ

という歌を給わったのに対して、

名に代えて 聖戦の正しさを 万代までも 伝え残さむ

と返歌した心境であった>

運命というのはどう転ぶか分からない。冷戦の激化により米国の対日政策
が大きく転換していくのである。日本を「共産主義に対する防波堤」と位
置づけ、旧体制側の人材を復権させたために岸は戦犯不起訴となる。見せ
しめの東條英機ら7名の処刑の翌日、1948年(昭和23年)12月24日に釈放
されるが公職追放となる。

それから4年後の1952年(昭和27年)、サンフランシスコ講和条約の発効
にともない岸は公職追放解除となり、4月に「自主憲法制定、自主軍備確
立、自主外交展開」をスローガンに日本再建連盟を設立、会長に就任した。

1953年(昭和28年)、自由党に入党、公認候補として衆議院選挙に当選し
たが、1954年(昭和29年)に吉田茂首相の「軽武装、対米協調」路線に反
発したため自由党を除名された。

吉田は岸を快くは思っていなかったのだろう、吉田の回想録には岸のこと
は触れられていなかった。岸は1957年2月25日、石橋内閣を引き継ぐ形で
外相兼任のまま第56代内閣総理大臣に就任、1960年7月19日まで宰相を務
めた。

岸はどんな思いで安保改定に臨んだのか。

<戦後、日本の一般国民が国防とか防衛とかというものに対して非常に無
関心になった。このようなことは世界の他の国にはない現象ではないか。
安保改定に取り組めば、各方面の議論が相当沸騰する。

そうやって、国防問題に関する国民の関心を高めて、独立国家としては防
衛と安全保障ということが非常に重大な意味をもつんだということを国民
に理解してもらいたいということが、私の考え方の根本にあったんですよ。

私は、取り組んだ以上はいかなることがあっても途中で投げ捨ててしまう
ことはすまい、自分の政治生命と肉体的生命を賭して、条約は必ず成立さ
せると考えていた。内容として、改定安保は旧安保とは比べものにならん
ほどいいもんだと、日本のため、またアジアの安定のためにという信念
で、仕舞には、議論したって始まらんから、何でもかんでも押し通して成
立せしめると考えた。成立せしめればもう自分の使命は終わるんだからと
いう気持ちだった>(岸信介・矢次一夫・伊藤隆著「岸信介の回想」)

強行突破の後、1960年6月18日に改定安保は自然成立するが、その3日前あ
たりから岸の渋谷区南平台の自宅はデモ隊に包囲され、火のついた新聞を
投げ込まれるなど命の危険まであった。岸は官邸に“籠城”したが、安全と
はいえなかった。

<新安保が自然成立する晩ではないかと思う。機動隊が今ほど強力ではな
く、しかもデモの方は次から次へと人が入れ替わるけれど、官邸警備の機
動隊は同じ人間で疲れ果てていた。それで警視総監の小倉君がやって来
て、「とても十分な官邸警備ができないから、何か事が起こってからでは
いけない、別のところへ移ってくれ」と言う。

しかし私は、「ここが警備できないというなら、どこへ行けば安全なん
だ、全力を尽くしても何か起こればそれはやむを得ないんだ」と言ったこ
とを覚えている。

その時、弟(佐藤栄作)がやって来て、「とにかくしょうがありません、
兄さん、今晩ここで二人で死のうじゃありませんか」と言う。私も「そう
なれば二人で死んでもいいよ」と答えたんだ>(同)

岸は他の政治家に迷惑がかかってはいけないという配慮からか、以上の
シーンを静かに語っているが、政治評論家の矢次一夫によれば、事態はか
なり緊迫していた。

<岸さんは南平台の家から官邸に入って、どうせ殺されるなら、官邸で男
らしく死のうと考えたんじゃないかと思う。すると、総理がその覚悟なら
と、我も我もと何十人かの代議士が一緒について官邸に入った。

ところがテレビが映し出す状況が緊迫するにしたがって、ある時、岸さん
が後ろを振り返ってみたら誰もいなくなっていて、ただ一人、弟の佐藤栄
作だけが残っていたという話がある。佐藤君から「兄貴はあの時、偉かっ
たよ」ということを何べんも聞かされた>(同)

新安保条約の批准書交換の日の6月23日、岸は閣議で辞意を表明、7月15
日、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。

<安保条約を改定したことは今日考えてみても間違いではなかったと思
う。当時、「日本はアメリカの戦争に巻き込まれて戦争になる」というよ
うなわけの分からん議論が盛んだったが、その後の歴史を見れば分かる通
り、極東アジアの平和と安全に関しては、安保のおかげで極めて望ましい
形で安全保障が行われている。私は日本のためにもアジアのためにもよ
かったと思っている>(同)

岸は「安保改定がきちんと評価されるには50年はかかる」という言葉も残
しているが、2012年1月の内閣府の「日本の防衛のあり方に関する意識調
査」では、日米安全保障条約が「日本の平和と安全に役立っている」とす
る者の割合が81.2%で、「役立っていない」とする者の割合は10.8%だっ
た。岸は確かに50年先を見越して決断した名宰相だった。

戦後に吉田茂と岸信介が復興レールを敷き、それを池田勇人が引き継ぎ、
「所得倍増」をスローガンに掲げて経済重視策を鮮明にし、国民はそれに
乗った。池田の後を受けた佐藤栄作は1968年、自由世界第2位の「経済大
国」に発展させ、さらに1972年には沖縄の祖国復帰を実現した。苦闘しな
がら復興を担った吉田と岸は戦後の名宰相として記憶されるべきだろう。

60年安保から50年たった今、岸の孫である安倍晋三が日本丸の艦橋に立っ
ている。安倍は代々の総理がやり残した仕事をしようとしている。できる
のか。(この項続く)(2013/08/13)



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野口英世、黄熱病との戦い
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      伊勢 雅臣

■1.ノグチ博士来る

1918(大正7)年7月15日、南米大陸の北端、ほぼ赤道直下にあるエクア
ドルの港町グアヤキルに野口英世は上陸した。助手として看護婦たち、医
療機器の技術者、薬剤師などを従えていた。同時に臨床医学機器11箱、薬
品類4箱、実験用のウサギやモルモットなどが陸揚げされた。

すでに米国ロックフェラー医学研究所の代表的な医学者として名をなして
いた野口のことは、到着以前からグアヤキルの新聞で報道されていたの
で、出迎えで黒山の人だかりとなった。

騒ぎを大きくしたもう一つの理由は、同じ船に乗っていたオペラ歌手のマ
リア・エバントス一行が、グアヤキルで黄熱病が流行し、町の通りで死ぬ
者がいると聞いて、上陸を拒否し、出演契約を破棄すると言い出したこと
だった。

グアヤキルはほぼ赤道直下にあり、海抜5メートル。高温多湿で、黄熱病
の他にマラリア、ペスト、赤痢、腸チフスなどの感染症の温床で「蚊が多
く汚い港町」と言われていた。公衆衛生対策も整わず、オペラ歌手たちが
怖がるのも無理からぬことであった。

身長わずか153センチの野口は、当時の東洋人としても小柄だった。その
野口が真っ白のスーツ姿にゲートルを巻いた猛獣ハンターのような奇抜な
格好をして現れた。翌日の現地の新聞の第一面には、その写真が大きく掲
載された。新聞記者には「ゲートルを巻けば蚊が防げるから、足の方には
神経を使わないで研究に専念できるでしょう」と答えている。

さらに新聞は「ノグチが他の博士たちと異なるのはスペイン語を話すこと
だ」とも報じた。野口は上陸第一声を現地の人々に直接伝わるようスペイ
ン語で語ったことが、彼等の興味をさらにそそった。

その一週間前に米国ロックフェラー財団が組織した黄熱病委員会調査団の
野口以外のメンバーが到着していたが、彼ら米国人はスペイン語を学ぶこ
となど、念頭になかっただろう。

もっとも野口がスペイン語を勉強し始めたのは、わずか1年ほど前に過ぎ
ない。英語、ドイツ語、フランス語、デンマーク語を話す野口は、外国に
溶け込むには、その国の言葉を学ばなければならない、と考えていた。

ロックフェラー医学研究所でも、「野口英世は眠らない」との伝説を生む
ほど研究に打ち込んでいたが、その勢いでスペイン語も習得したのだろう。


■2.「優秀でファイトのある医者はいないか」

野口がグアヤキルに来たきっかけは、その4年前の1914年8月に開通した
パナマ運河だった。パナマ運河建設に最初に取り組んだのはフランスのパ
ナマ運河会社だったが、その足を掬ったのが黄熱病だった。

通常、黄熱病は突然、発症し、頭と腰が痛む。発病の日から吐き気を催
し、白眼が黄色みを帯び、黄疸(おうだん)は身体中に広まる。発病後
5、6日で死亡するのが普通だが、7日目になっても死ななければ助かる
チャンスもある。この黄熱病で、大勢の建設労働者やフランス人工事関係
者が死んでいった。それが一因となって、同社は破産して、工事は頓挫する。

運河建設事業を引き継いだアメリカは黄熱病対策に取り組んだ。「黄熱病
は蚊が媒介する」という説に基づいて、4千人もの人員を投入して、近隣
地区のゴミを焼却し、ドブをさらって徹底的に清掃を行った。これが奏功
して、黄熱病発症の数も減少し、運河建設は成功した。

しかし、運河を通る船が寄港するグアヤキルなどで黄熱病対策を講じなけ
れば、パナマもすぐ元の状態に戻ると考えられた。そして、この地から黄
熱病を一掃できれば、メキシコ、ブラジル、ペルーなどの保健衛生問題は
容易だろうと米国は考えた。米西戦争でスペインを破ったアメリカは、中
南米諸国に覇権を伸ばそうと狙っており、その一環として「黄熱病撲滅」
が必要だった。

まずはエクアドルの黄熱病を叩かねばならない。危険な現地に赴いて、そ
の病原菌を解明できるような優秀でファイトのある医者はいないか、との
問い合わせに浮かび上がったのが、ロックフェラー医学研究所のドク
ター・ヒデヨ・ノグチだった。


■3.自分達を苦しめている伝染病と戦ってくれる「義人」

エクアドルに来る時点で、「ドクター・ヒデヨ・ノグチ」の名前は梅毒ス
ピロヘータの純粋培養、小児麻痺と狂犬病の病原体の発見などの業績で、
世界的に広まっていた。ロックフェラー医学研究所の4人しかいない正式
メンバーの一人であり、血清学会の会長にも選出されていた。

その「医学界への貢献」に対して、スペイン、デンマーク、スウェーデン
政府から、勲章を授与されていた。1914年にはノーベル医学生理学賞の候
補にも挙げられたが、第一次大戦の勃発で受賞そのものが中止となった。

グアヤキルの人々から見れば、世界的に著名な医学者が危険をものともせ
ずに熱帯の僻地までやってきて、自分達を苦しめている病気と闘ってくれ
る。しかも、自分達の言葉まで覚えて。そんな野口の姿は現地の人々には
「義人」と映ったようだ。

野口が現地に滞在した約3ヶ月半の間にグアヤキルのエル・テレグラホ紙
は43日間、平均すれば週に3回ほどのペースで、ドクトル・ノグチと黄熱
病関連の記事を掲載し続けた。


■4.「人間発電機」

到着の翌日から黄熱病検疫所の2階の1室を借りて仕事を開始し、深夜ま
で研究室に留まって実験を繰り返す野口は、現地の人々から「人間発電
機」と呼ばれた。

野口を中心とするロックフェラー医学研究所の黄熱病委員会調査団のアー
サー・ケンダル団長は、野口の仕事ぶりについて、次のように手紙に書い
ている。


{彼の熱意たるや恐るべきもので、今日まで彼の要求には全然ついていけ
たことがない。・・・ 野口は思いつくとすぐに指示を発する。私はあり
とあらゆるかたちの要望を受けた。・・・そのため私は寸秒も落ち着くひ
まがなかった。私の扱っている会計はめちゃくちゃになった。}[1,p40]

野口の研究を助けたのは、検疫医師のレオポルト・イスキエタ・ペレスと
ウォンセスラオ・パレハ博士の2人であった。彼らも野口に猛烈に鍛えら
れたのだろう。やがてエクアドル医学界の指導者になった。

野口が研究のためにエクアドルの小動物について知りたがっているという
噂が広まると、子供たちがイモリやヒキガエル、亀などを持って研究所に
やってくるようになった。そのたびに野口は仕事の手を休めて、子供たち
の相手をした。小動物のどれかが黄熱病の病原体を保有しているかもしれ
ない、と考えていたのである。


■5.「ロックフェラー黄熱病委員会 黄熱病の病原体を発見」

パレハ博士は、黄熱病の疑いのある患者を毎日診察して、その結果を野口
に報告していた。彼が診察した先住民の娘は、まもなく死亡したが、その
血液の培養結果を見た野口は、「やったぞ。これは黄熱病の病原体に違い
ない」と小躍りして喜んで、臨床実験を夜遅くまで続けた。

グアヤキルに到着してわずか9日目のことだった。そして黄熱病と診断さ
れた27名の患者のうち、6名から同じ微生物が発見された。

7月27日付けのエル・テレグラホ紙の第一面に「ロックフェラー黄熱病委
員会 黄熱病の病原体を発見」という大見出しの記事が掲載された。最終
的な検証が行われる前に新聞に公表されたのは、ロックフェラー医学研究
所が、その成果をいち早く国際的にアピールしようとした思惑からだった。

アーサー・ケンダル団長は、エクアドルの首都キトに赴き、厚生大臣(後
の大統領)イシドロ・アヨラに報告した。エクアドル政府が彼の報告を受
け入れたので、調査団は9月10日に帰国することにした。業績のPRさえで
きれば、あとは一日も早くアメリカに帰りたいと願っていたかのようである。

しかし、野口は一人残って、黄熱病のワクチンを開発しようとした。病原
菌の発見だけでは学問的成果ではあっても、人々は救われない。ワクチン
を作って成果をあげてこそ、人を救う医学である。


■6.ワクチンで多くの陸軍兵士が救われた

野口はロックフェラー医学研究所の所長サイモン・フレキシナー博士に次
のように報告している。

{動物実験をしたところワクチンに効果があったようです。私の実験は秘
密にしておくことはできずにおります。段階を追った臨床実験の正式の公
表はありませんが、当地の医者たちにはわかっています。パケリソ大統領
の要請で山岳地帯の兵士に予防注射をうちに首都のキトに赴きました}。
[1,p41]

9月16日、パレハ博士に伴われて野口は汽車で首都キト市を訪れた。そこ
には山岳地帯の陸軍の兵士たちが、ワクチンの実験のために集められてい
た。9月19日付けのエル・テレグラホ紙は、野口と陸軍兵士を登場させ
た風刺漫画で、次のような会話を載せた。

「私のワクチンがよい結果を出すためには注射の前に石鹸を用いて入浴す
る必要がある。

えっ! やめてください。黄熱の方がましです」。[1,p42]


熱の出るワクチンを恐れ、慣れない入浴を兵士がいやがっていた様子が風
刺されている。それはともかく、野口の製造したワクチンで多くの陸軍兵
士の命が救われた。


■7.「グラシアス、ドクトル・ノグチ!(野口博士、ありがとう)」

野口の開発したワクチンが効果を発揮したことを知ったエクアドル国民は
大喜びした。グアヤキル大学では教授会で「ドクトル・ノグチに医学部名
誉教授の称号を授与し、肖像をメダルに彫って大学の会議室に飾ること」
を満場一致で決議した。

その後、首都のキト大学、クエンカ大学も名誉教授の称号を贈った。エク
アドル陸軍は、野口を陸軍名誉大佐ならびに名誉軍医総監とし、軍服一式
と剣を贈呈した。これらは現在、福島県猪苗代町の野口英世記念館に陳列
されている。

10月23日の夜、帰国を前にした野口のための謝恩送別会がグアヤキル市の
オルメド劇場で開催された。政府、軍、市、医学界などの代表者が集ま
り、円形のオペラハウスは3階まで満席となった。エル・テレグラホ紙の
社主が次のような演説をしたことが、翌日の同紙第一面で報じられている。

{なにとぞ全国民の感謝の声をお聴き下さい。これは過去の悲劇のために
恐怖のうちに生活を営んでいた国民の声であります。あなたの業績のおか
でで平野は沃土(よくど)となり、国は富み栄えることでしょう。・・・
「ドクトル・ヒデヨ・ノグチ」の名がエクアドルから消えることは断じて
ありません}。[1,p43]


野口は英語とスペイン語で答辞を述べた。そして、その最後に「もし、お
国が私を必要とするとき、私は誰よりも先に馳せ参じましょう」と結ん
だ。会場を埋めた人々は立ち上がって、「グラシアス、ドクトル・ノグ
チ!(野口博士、ありがとう)」と叫びながら拍手を送った。

10月27日、野口は中央桟橋からランチに乗り、英国船に乗り込んだ。大勢
の人々がランチで見送る。汽笛一声、船が動き出すと、人々は「ビバ、ド
クトル・ノグチ(野口博士万歳)」とランチから叫び、帽子やハンカチを
大きく振った。


■8.「エスクエラ・フィスカル・ヒデヨ・ノグチ(野口英世小学校)」

グアヤキルは今や人口5百万人の大都市に変貌し、野口が研究した黄熱病
検疫所は国立公衆衛生研究所となり、文化財建築に指定されている。そこ
には野口の肖像付きのプレートが飾られ、ここで「野口英世が黄熱病の病
原体を発見した」という碑文が掲げられている。

その右側にもう一枚のプレートがあり、「左に記した野口の発見は誤りで
あり、のちに修正が加えられた」ことを告げている。野口が発見したの
は、黄熱病と良く似た症状を起こすワイル氏病の病原体であったようだ。
黄熱病の病原体はウィルスであり、野口が使っていた光学顕微鏡では見る
ことができなかった。その発見にはこの15年ほど後の電機顕微鏡の発達
を待たなければならなかった。

学問的に野口の発見が黄熱病の病原体ではなく、ワイルス病であったとし
ても、彼が危険を冒して現地に乗り込み、その地の多くの人々を救い、ま
たそこで後の医学界のリーダーを育てたという功績に対する人々の感謝は
変わらない。グアヤキルの2枚のプレートは同地の人々の自然な気持ちだ
ろう。

野口を首都キトで迎えた厚生大臣イシドロ・アヨラは後に大統領となって
から、キトの北東にある野口が立ち寄った小学校を「エスクエラ・フィス
カル・ヒデヨ・ノグチ(野口英世小学校)」と命名した。あちこちに野口
の写真が飾られ、学校行事のある時にはエクアドル国旗、キト市の旗とと
もに、日章旗が飾られる。

野口はエクアドルの後も、黄熱病の研究でメキシコ、ペルー、ブラジルと
10年間、中南米を回って、各地で後継者を育成し、同様に胸像、レリー
フ、あるいは「ノグチ通り」という名称で顕彰された。そして最後は、
1928(昭和3)年5月21日、アフリカ・ガーナのアクラで、自ら黄熱病に
かかって亡くなった。最後まで、危険をものともせず、医学で人々を救お
う、という志は変わらなかった。

千円札を見ていただきたい。そこに使われている野口英世の肖像は、エク
アドルに出かけた時のものだという。気負いも衒いもなく、おだやかに
まっすぐに見つめる眼差しは、ただ人々に対する慈愛が籠もっているよう
に感じられる。


■リンク■

a. JOG(463) 北里柴三郎 〜 大医は国を治(ち)す
  医の真道は人民の健康を保ち、その業を務めしめ、もって国家を興起
富強ならしむるにあり。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogdb_h18/jog463.html

b. JOG(383) サムライ化学者、高峰譲吉(上)
 大勢の飢えた人々を一度に救える道として、譲吉は化学を志した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h17/jog383.html

384 サムライ化学者、高峰譲吉(下)
  「日本は偉大な国民の一人を喪ったとともに、米国は得難き友人を、
世界は最高の化学者を喪った」
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h17/jog384.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 山本厚子『野口英世は眠らない』★★★、集英社、H16
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4777710025/japanontheg01-22/





━━━━━━━
話 の 福 袋
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 ◎韓国に北朝鮮の工作が浸透していると同じく、台湾国内にもシナ工作
が深く静かに。美人シナ工作員によって組織が分裂させられてしまったグ
ループもあるときく。

 日本も同じことになっていることだろう。スパイ防止法、必要だ。この
佛光山寺の支部が日本にも存在して活動しているという。

新設反日尖閣強奪団体に中華系宗教団体の影― 星雲大師が影の黒幕

http://bylines.news.yahoo.co.jp/bandoutadanobu/20130731-00026889/

毎年のお盆と終戦の日は、心静かにご先祖様とその友人たちや先人の苦労
を偲びたいと思うのですが、今年の夏もそうはいかないようです。

先日フェイスブックにて、台湾で新しい尖閣強奪団体が設立されたことを
お伝えしておりますが、この団体の設立に関し、既存の香港その他の各尖
閣強奪団体(彼らは「保釣団体」と呼んでいます)からは、友好団体とし
てのお祝いの言葉が送られているとのこと、

どうやら今回の新団体設立は、いつもの内部分裂が原因ではないようです。

まあ、中華民族には他人にも自分のメンツを立てさせたいという強烈な自
己主張がありますので、いずれは敵対すると思いますが(笑)

さて、この台湾で設立された新団体ですが、まず台湾国内ではもう尖閣諸
島の奪回に関してほとんど関心がないらしく、寄付もほとんど集まりませ
ん。

それでも新団体が立ち上がるということは、どこかに心強いスポンサーが
いるはず。 それは誰だ?

と言うわけで、新しく立ち上がった台湾釣魚島光復会のメンバーを確認し
てみましょう。

http://tw.people.com.cn/BIG5/n/2013/0711/c14657-22165663.html

この記事の中ほどに「謝正一博士」とあるのが見えますか。

その博士こそが、私がたびたびご紹介している佛光山寺の佛光大学で教鞭
をとる博士なのです。

http://server01.fgu.edu.tw/asp3/fgu_intrant/teacshow/oneteac.asp?dep=cyhsieh

さあ、以前から申し上げていたとおり、彼らは動き出します。

彼らを操る星雲大師は今年で87歳、動くなら今でしょう。

(注: http://www.tokyofgs.com/seiun/ シナ大陸生まれですからシナ
の工作員なのでしょう。 日本の浄土宗・宗務長も騙されています。
http://www.tokyofgs.com/seiun/archives/book/book/book1.0a.main.htm 
習近平とも親しい星雲大師 
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bandoutadanobu/20130712-000263/

今回はこの組織のネタを掲載してくれない大きな出版社を避けて、小回り
が利いて挑戦的な青林堂さんに今回新作の出版をお願いしたのです。
http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%99%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%88%A6%E5%8C%BA-SEIRINDO-BOOKS-%E5%9D%82%E6%9D%B1%E5%BF%A0%E4%BF%A1/dp/4792604737

 しかし今まで、日本は何をしていたのか? いまさら防衛戦争の可否を
論じ、法的根拠を探しているようでは話にならないのです。

時代はすでに「超限戦」と言う、これまでの限定された戦争の概念を超え
た戦いを一党独裁の軍事超大国に許しているのに、自国民を守るために戦
うことの是非を論議しているなんて、これじゃ日本は確実に滅びますよ。

9条改正も、やらないよりははるかにマシですが、それでも完全に後手を
踏んでいます。

ちなみにハッキングを含めたマルウエアによるサイバー世界の攻防は、す
でに戦争状態だそうです。

言うだけで行動の伴わない言論人を、西洋では「カフェインテリ」と言う
らしいですが、今求められているのは言論ではなく言動です。


決して「叫べ!」とか「暴れろ!」と言っているのではありません。
隣人を大切にする各自が、仕事や趣味の得意分野を活かして、できるとき
に、できることから、できるだけ、そしてできたらできるまでやる、それ
でいいのです。

ちなみに私はもう、仲間の協力を得て行動をはじめています。

これについては、いつかうちの子供たちが、子供たちでさえ正体不明の父
親の事を笑いながらお話しできる日を、楽しみにしています。

そのころまで、日本が日本でありますように。(情報収録:中山)


 ◎かえすがえすも、民主党の悪政がうらめしい。その後始末がまだでき
ないほどの爪痕を残している。日本はスイスをお手本に! 

高岡氏より:平成25年8月13日

国境の島、警官2人への「大命」

京都で薩長同盟を仲介し、寺田屋に帰った坂本龍馬は、幕府の捕吏に襲
われ、命からがら逃げ延びる。知らせを受けた薩摩屋敷の留守居役、大山
彦八は、早速救出に向かう。藩邸に残る者にはこう厳命した。「幕兵がも
し押し寄せてくれば、一歩たりとも入れるな」。

 ▼といっても、幕兵から藩邸を守るのはたった一人である。日本の最西
端に位置する国境の島、沖縄県与那国島の安全を守っているのは、2人の
警察官と彼らの携行する拳銃2丁だけだという。驚くべき事実を知らされ
たとき、『竜馬がゆく』のこの場面を思い出したものだ。
 
 ▼司馬遼太郎はいう。「一人にこれほどの『大命』を凛々(りんりん)
とあたえるところが、薩摩の家風をほうふつとさせておもしろい」。しか
し、警官2人に「大命」を押しつける日本の国柄を、「おもしろい」と片
付けるわけにはいかない。

 ▼なにしろ、中国による領海侵犯が常態化している尖閣諸島から、
150キロしか離れていない。台湾はもっと近く、万が一の有事の際は、
何千人もの難民が押し寄せてくる可能性さえある島なのだ。

 ▼その与那国町で一昨日、町長選が行われ、陸上自衛隊の誘致を訴える
自民現職の外間守吉氏が3選を果たした。ただ、反対派候補との得票差は
ごくわずかだ。これで部隊の配備がすんなり実現すると楽観はできない。

 ▼もっぱら経済効果を強調してきた外間氏は、10億円の「迷惑料」を
国に要求して計画を迷走させた張本人でもある。それにしても、町議会が
自衛隊の配備を求める決議を採択したのは、昭和40年代に遡(さかの
ぼ)る。周辺海域の防備を固めることがいかに重要か。国が前面に出て島
民を説得し、自衛隊の「かくも長き不在」に、一刻も早く終止符を打たね
ばならない。


警官2人、銃2丁で国境守れるか
2013.4.16 03:20

帝京大学教授・志方俊之氏

 冷戦時代、「北からの脅威」に備えて「基盤的防衛力」を整備・運用し
てきたわが国は今、その防衛態勢を大きく転換するという新しい段階に入
りつつある。

 ≪「西からの脅威」に態勢転換≫

 「西からの脅威」に備え「動的防衛力」を整備・運用すること、対
N(核兵器)B(生物兵器)C(化学兵器)R(放射能兵器)能力を持っ
てテロとの戦いができる態勢や弾道ミサイル防衛能力と対サイバー戦能力
を持つ態勢を整えること、国連平和維持活動(PKO)や国際緊急援助隊
を派遣し国際的活動に加わることだ。

 本稿では、一連の態勢転換のうち最大となる「西からの脅威」への備え
について考察する。

 冷戦期の「北からの脅威」への備えは、限定的かつ小規模な侵攻から北
海道を守り抜いて、短期占領の既成事実を作らせずに、わが国周辺の不安
定要素を封じ、西側陣営の一員としての責任を果たすという防衛戦略で
あった。

 筆者は冷戦末期に陸上自衛隊北部方面総監として北海道防衛に専念して
いたが、防衛戦略の構図は比較的「単純」であった。

 北海道は総面積約8万3500平方キロと広く、陸自4個師団(1個は
戦車師団)総兵力約3万が配備されていた。戦端が開かれれば本州からか
なりの増援部隊が津軽海峡を越えて馳せ参じ得る態勢だった。道内には千
歳基地、青森県には三沢基地があり、空自による北海道上空の制空権確保
はさほど難しいことではなかった。

 これだけの兵力が防衛する北海道を奪取するには、その約3倍の兵力
(約10万)を投入する必要があり、部隊の集結、渡洋、上陸に周到な準
備を要するため、ある日突然奇襲するのは難しい。

 「西からの脅威」に対する備えはまるで異なる。南西諸島は160の
島々から成り、最大の沖縄本島でも1208平方キロと、北海道の約70
分の1に過ぎない。

 沖縄防衛に当たる陸自西部方面隊は、主力が九州に分散駐屯し、沖縄本
島には第15旅団の兵力約2100が展開するのみだ。

 ≪与那国沖合に中国ミサイル≫

 南西諸島で事が起きれば、九州または本州から増援部隊を送ることにな
り、それは海を渡る約700キロの行程となる。航空機や艦艇を使っても
大規模な増援部隊を送り込むのは容易ではない。

 小兵力でも急襲できるから、自衛隊が精緻な警戒監視網を張っても増援
が間に合わない可能性がある。沖縄の米軍普天間飛行場に新型輸送機オス
プレイを配備し、陸自が水陸両用戦能力を持つ必要性は、まさにこの点に
ある。

 多数の小島に小兵力を分散配置することは合理的ではない。したがっ
て、結局は沖縄本島に主力を配置し、石垣島や与那国島に小部隊を配置す
ることになる。

 与那国島は、面積約29平方キロと東京の区の1つほどの広さに約
1600人が住む。黒潮が造り上げた特色ある美しい海岸で知られ、離島
医療をテーマにしたヒューマンテレビドラマ「Dr.コトー診療所」の舞
台ともなった。

 沖縄本島から509キロ、最寄りの石垣島からも124キロ離れてい
て、むしろ111キロの距離にある台湾の方に近い。日本最西端の国境に
位置する孤島である。

 にもかかわらず、2カ所の駐在所に勤務する警察官2人の、使われたこ
とのない拳銃2丁が島を守る唯一の武器である。危機管理、防衛、安全保
障の各面からみて実に心許ない状況だ。中国が、1996年総統選時の台
湾に軍事圧力をかけるため、撃ち込んだ弾道ミサイルが与那国沖合に飛ん
できたことを忘れてはならない。

 ≪南西諸島の防衛空白埋めよ≫

 危機管理面でいえば、外国船舶による領海侵犯、「抜け荷」「積み替
え」といった密輸行為を阻止し取り締まる必要がある。

 防衛面では、外国艦艇による接続水域通過、排他的経済水域(EEZ)
内での海洋調査活動、島の近くに設定された防空識別圏(ADIZ)への
外国機の接近、外国艦艇の通信情報を監視し、ミサイル防衛(MD)に必
要な情報収集と迎撃部隊の展開がある。

 安全保障面に広げれば、台湾海峡有事の際、台湾在留邦人約2万人の一
部は花蓮港から与那国島を目指すかもしれない。さらに、中国や台湾の住
民多数が与那国島に避難してくる可能性も考えておく必要がある。人口
1600、警官2人、拳銃2丁の島に、難民数千人が押し寄せたらどんな
状況になるか想像してみればよい。

 与那国島への陸自配備をめぐってはなお、現地との調整段階にあるよう
だ。小駐屯地でも建設・配備・訓練を考えると、使い物になるまで3〜4
年もかかる。

 与那国をはじめ南西諸島の防衛態勢を早急に構築して、領域わけても、
尖閣諸島を中国の手から守る日本の国家意志を明確にし備えを固めなけれ
ばならない。

 わが国が核抑止力を米国に頼ることは国際的に理解されよう。だが、領
土の保全や同胞の紛争地からの退避は、あなた任せにしてはならない。南
西諸島の防衛空白を埋めることは急務である。(しかた としゆき)

【若手記者が行く】
北のミサイル警戒 突如、レーダー配備と米軍駐留が決まった街
2013.4.16 10:00

青森県つがる市にある「Xバンドレーダー」。京丹後市にも配備される

京都府北部・丹後地方の通信部に配属となって9カ月。これまで大きな
事件事故はなく、地域住民と密接な関係の中で取材を進める日々が続いて
いた。そんな中、突如降って沸いたのが、日米合意に基づく「Xバンド
レーダー」配備と米軍駐留という問題。防衛省は地元への説明を繰り返す
が、住民は暮らしへの影響などさまざまな面で不安が拭えない。安全保障
をめぐり今、地元の「決断」が問われている。(舞鶴支局 五十嵐一)

急転直下の配備報道…レーダーは「米国の“目と耳”」

 2月23日に行われた日米首脳会談。安倍晋三首相はオバマ大統領にX
バンドレーダーを航空自衛隊経ケ岬分屯基地(京都府京丹後市丹後町)に
追加配備する方針を伝えた。

 Xバンドレーダーとは、ミサイル発射の早期探知と精密な追尾のため開
発された移動式早期警戒レーダーで、高周波のX帯を使っており、識別能
力が高いとされる。日本には平成18年、青森県つがる市の航空自衛隊車
力分屯基地に配備された。経ケ岬への配備は2例目だ。

 記者は大学院在学中、安全保障を専攻。米国の安全保障と日本の戦略的
位置づけについての講義でXバンドレーダーの配備に関しても学んだ。
「(Xバンドレーダーは)米国軍需産業の技術の粋を集めた米国安全保障
の目であり耳にあたる」という説明は今も耳に残っている。

 京都府北部の自衛隊は、福知山市の陸上自衛隊、舞鶴市の海上自衛隊と
いうイメージが強く、経ケ岬の空自は率直に言って影が薄い。そんな場所
に米軍のレーダーが配備される。突如飛び込んできたこのニュースに記者
として興味を覚えた。

防衛省、説明に奔走

 防衛省の対応は早かった。担当者が首脳会談から3日目の26日に京丹
後市の中山泰市長を訪問し、配備への理解を求めた。

 さらに同市に隣接する伊根町、宮津市、与謝野町にも近畿中部防衛局の
幹部を派遣し、同様の説明を行った。

 「そこまで気を使うのか」と思える対応だが、同省によると、京都府内
に米軍が駐留するのは初めてで、「とにかく不安払拭に努めたい」という
ことだった。

 同省の説明によると、レーダーの照射方向に遮断物がなく、上空に航空
路がないうえ、電波環境が良いことが配備を決めた理由だという。計画の
概要によると、分屯基地の東部と南部に空自と米軍用の用地を新規取得
し、最大で約160人の米軍人と軍属が配属される。

 こうした説明を聞いて引っかかったのは、「米軍駐留」というフレーズ
だった。実際に駐留する米軍は数人だが、反対派が力を得るには十分だと
思ったからだ。

“予定調和”な説明会

 防衛省は住民説明会も順次、開催。3月11、12の両日に京丹後市丹
後町で開催された住民説明会には計400人近くが参加した。

 レーダーから放出する電波による健康影響や周辺での農業や漁業への影
響は? 風評被害の心配は? 地域への経済効果は?

 取材では反対派が騒ぐのではないかと警戒もしたが、そういうことはな
く、実際に説明会で出た質問の多くは住民にとって当然知りたい内容で、
想定できたものだった。

 防衛省側は「(健康などへの)影響はなく、空自や米軍関係者の消費活
動により地域経済に活気がつく」と説明。沖縄県などで見られた米兵によ
る犯罪への懸念についても、「つがる市での事件発生は数件で、多くは交
通事故」などと説明し、住民の不安払拭に努めた。

 説明会終了後、住民らに感想を聞いた。ある参加者は「迷彩服の軍人が
闊歩(かっぽ)するのは少し不安に感じる。(自分の)土地があるし、農
道をふさがれると生活する上で困る」と否定的な意見だったが、別の住民
は、同分屯地に戦後、米軍が駐留した経緯を踏まえ、「あまり米兵へのア
レルギーはない。政府が決めたんだし、地域の活性化に繋がれば」と話した。

問われる地元の見識

 自治体の対応も注目される。京丹後市は今月9日、公開質問書を防衛省
に提出。その内容は健康への影響など25項目にわたるが、説明会でも出
された地元インフラ整備などは含まれていなかった。

 自衛隊や米軍が基地や施設を構えた場合、自治体には基地交付金か調整
交付金などが支出される。総務省によると、米軍が設置、建設した建物な
どには調整交付金が支出されることになっており、Xバンドレーダーが配
備されている青森県つがる市には約890万円(平成23年度)を支出。
京丹後市にも同程度の額が支出されるとみられる。

北朝鮮がミサイル発射準備を進めるなど、日本を取り巻く環境は風雲急を
告げるている。丹後の冬の訪れは早く、整備に向けた工事も時間のゆとり
はないのが現状だ。

 ある首相は普天間基地移設問題で米国に「トラスト・ミー(約束は守る
から信じてほしい)」と発言した揚げ句、約束を破り信用を損なったが、
安倍首相は米国に約束したレーダー配置を早急に実現する決意だろう。地
元利益を優先して国益を損なうことがないよう、地元の見識が問われそうだ。
 (情報収録:中山)


 
 ◎高岡氏より
「歴史のない文明」は軍事力に頼る
2013.8.14

 熱暑の東京、九段坂を上れば、ことしも蝉時雨が靖国の杜から降ってく
る。国のために殉じた人々の御霊を祭る靖国神社なのに、静かに参拝させ
てくれそうにない。

安倍晋三首相が閣僚の靖国参拝を「心の問題」と容認したことを受け、メ
ディアが境内で待ち受ける。ばかげたことに、彼らが「中国と韓国が非難
へ」と先回りするのだ。

しかし、米国ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、『月刊正論』
の誌上対談のさい、日本の政治指導者が「自国の戦死者の御霊を慰めるこ
とは、外交とはなんの関係もない」と、むしろ参拝を推奨した。

 
米国の歴代大統領は、南北戦争で敗れた南軍兵士が眠る国立アーリントン
基地で献花する。教授によれば、南軍は奴隷制度を守るために戦った軍隊
であり、中韓なみの解釈ならアーリントン基地に参る大統領は奴隷制を正
当化したことになる。だが、そんな考えの米国人はいない。

 「死者の尊厳を守るという精神文化は多くの国にある。しかし、共産主
義のような非人間的な文化の国にはありません。国のために戦った先人へ
の追悼を怠ると、このような国と同じになってしまう」

 中韓は東京裁判のA級戦犯が靖国に合祀されていることを問題視する。
だが、東京裁判は日米戦争の報復という色彩が強く、標的は日米開戦時の
東条英機首相だった。日中戦争の引き金となる満州事変の首謀者は除外さ
れ、朝鮮支配とも直接的な関係がない。

 にもかかわらず、中国がなぜ「歴史の攻撃」を企むかについてドーク教
授は、「戦争に敗れた国を使って、自分が上位に立ち、自己を正当化しよ
うとしている」と述べ、弱体政権が対外的に強く出るからくりを指摘す
る。なるほど中国は昨年9月以来、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の領有権を
主張する際に歴史カードを巧みに使う。日本が第二次世界大戦を反省せ
ず、戦後秩序を崩そうとしているとの宣伝である。

懸念されるのは、習近平国家主席が「中国の夢」を掲げ、屈辱の歴史から
の復興を鼓舞していることだ。いったい中国は、どこまで領土拡大すれば
夢が実現するというのだろう。

手元に届いた中国研究の泰斗、岡田英弘氏の『岡田英弘私書作集 歴史と
は何か』 (藤原書店)をひもとくと、中国五千年なる?歴史?が実は幻
想であることが分かる。

唐で完成した大帝国も、その後継である宋がモンゴルにのみ込まれ文明と
しての独立性を失う。一時、明が復活したかに見えるが、実は元のときに
入り込んだ外来民族で、その制度も唐や宋にさかのぼるものは、何一つ見
つからないという。明はモンゴル文明の一つにすぎず、清は文字通りモン
ゴル文明であり、清の公用語は漢語ではなく満州語で、さらに毛沢東時代
は共産革命で歴史を拒否しており、中国は典型的な「歴史のない文明」な
のだと説く。

 その文明が日欧のような「歴史のある文明」と摩擦を起こすと、故事来
歴を示す証拠が不足して分が悪くなる。そこで軍事力を増強し、「トラブ
ルが起こったときに、軍事力で圧倒するというやり方なのだ」という。

 近年の尖閣諸島をめぐる中国の対応を見ると、ピタリ平仄(ひょうそ
く)が合う。

実は「歴史」という言葉自体が明治期につくられた日本語の借用で、中国
のいう「歴史を鑑に」とは政治的詐術にすぎない。習主席が「中国の夢」
という幻想にとりつかれると、周辺国に迷惑をまき散らす。(東京特派
員)(情報収録:中山)



 ◎史実を深く検証せずにこの種の謬見を公表する文化人が目立ちます
ね。これらの誤った考え方を一つずつ、まずはSNSを活用して否定してい
かねばなりません。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

オリバー・ストーン氏の日本へのアドバイス―まずは隣国に謝罪を

[Wall Street Journal]   2013/08/14 8:40 am

「ウォール・ストリート」「プラトーン」などの作品で知られる米国の社
会派映画監督オリバー・ストーン氏は、何かと論議を巻き起こす発言でも
有名だ。広島・長崎への原爆投下は必要なかったとして米国を非難したか
と思うと、今度は中国などアジアの近隣諸国に対する日本の対応に批判的
な見解を示した。

都内の日本外国特派員協会で12日に講演した際、日本は戦時中の行為につ
いてもっとはっきりと謝罪する必要があり、また中国や北朝鮮といった隣
国がもたらす安全保障上の脅威に対処する方策として軍事力に頼ることは
慎むべきだと語った。

日本の歴代指導者はこれまで、日本がアジア諸国に及ぼした肉体的および
精神的な被害に対して深い反省と遺憾の意を表明しているが、その一方で
頻繁に東京の靖国神社の参拝を行ってきた。そのため、平和憲法の改正を
巡る国内議論の高まりとともに、近隣国の間では日本が繰り返してきた声
明の意図を懐疑的に見る動きも出てきている。

ストーン氏は講演の中で、「(戦時中の)中国での行為やそこで殺害した
中国人について、謝罪することから始めるべきだ」と述べ、日本がもっと
率直に謝罪すれば、世界中から大きく脚光を浴びるだろうという見方を披
露。さらに、尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領有権をめぐる中国との対立
がこう着状態にある中で、「日本の長期的な国益は中国と非常に強く結び
ついている」と指摘、「中国を敵国と捉えてはいけない。違った視点から
中国を見ることを始めたほうがよい」と日中関係をもっと広い目で見るべ
きだと語った。

そして中国と対立する日本については、「ケンカを始めておきながら、そ
の収拾を兄に頼るやんちゃ坊主」のようだとも表現した。もちろん、兄と
いうのは日本に対して安全保障上の義務のある米国を指している。

とにかく日本は平和的なやり方で紛争を解決する上で指導力を発揮すべき
だというのがストーン氏の主張だ。「日本のビジョンを示しながら太平洋
地域の紛争を解決し、より平和的な世界の構築において主役を演じてほし
い」と、平和憲法を持つ日本に注文した。

権力への疑心が強いストーン氏は政治権力には抑制と均衡が必要だと信じ
ており、これが同氏の観念の土台となっている。そのため、国家安全保障
上の極秘文書を暴露したとして訴追された米中央情報局(CIA)元職員エ
ドワード・スノーデン容疑者の逃亡事件については、「中国が彼を逮捕し
なかったのは喜ばしいことだ。少なくとも、中国にはこのように(米国
に)立ちはだかるだけの度胸がある」と米国に容疑者の身柄を引き渡さな
かった中国を称賛さえした。

ストーン氏は、自ら制作したドキュメンタリー作品「オリバー・ストーン
が語る もうひとつのアメリカ史(原題:The Untold History of the
United States)」がNHKで放映されたことに合わせて来日した。この作品
は20世紀における米国史を通説とは違った角度から検証したもので、広
島・長崎への原爆投下も取り上げられている。作品を共同制作した米アメ
リカン大学の歴史学教授、ピーター・カズニック氏は、日本の被爆者や歴
史学者、ジャーナリストに会えたことについて「われわれにとって学習体
験となった」と語った。

また作品では、原爆投下は戦争を終結させるために必要だったという長年
の定説は間違っており、ソ連の参戦なども日本の全面降伏を促した強力な
要因だったとの主張が展開されている。カズニック氏は「詳しく検証して
いけばいくほど、われわれにとって厄介な問題であることが分かってき
た。そして、日本だけでなく米国や世界にとっても、日本がその過去につ
いて正面から取り組んでいくことがいかに重要であるかを実感するように
なった」と述べ、日本と米国が両国の歴史全てについて共謀してうそをつ
いてきたと、過去に対する両国の姿勢に批判的な見解を示した。記者:
Mitsuru Obe

原文(英語):Oliver Stone’s Advice to Japan: Apologize

http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2013/08/13/oliver-stones-advice-to-japan-apologize/

〔情報収録 − 坂元 誠〕

     

━━━━━━━
反     響
━━━━━━━

 
 1)NHKラジオ深夜便で、8月12日午前4時からの「明日へのこと
ば」で、旧陸軍見習士官の前村さんという方が、「二度の特攻命令で生還
して」という題で話されました。

私は終戦時国民学校の4年生で、戦争の実態が分かっていないのですが、
戦後、多く出版された、いわゆる「戦記物」を数多く読みまして、ある程
度は分かっているつもりです。

前村さんは陸軍重爆撃機の搭乗員でした。、最初の特攻命令は、静岡県南
方海上の米機動部隊の攻撃で、浜松航空基地から3機編隊で出撃したそう
です。15分ほど捜索して、機動部隊が発見されなかったので、帰投した
とのこと。

2度目の攻撃は、鹿児島県の海軍鹿屋基地から、沖縄攻撃中の米機動部隊
の攻撃でした。このときは途中米グラマンに発見され、被弾して帰投した
とのこと。

この話は本当でしょうか。

疑問点1、陸軍重爆撃機が本邦南方進行中の米艦隊や、沖縄攻撃中の米機
動部隊の特別攻撃をやっていたでしょうか。

2、もし、やっていたとしても、護衛機なしで重爆撃機をわずか3機編隊
で出撃させるでしょうか。 

3、広い海上をわずか15分捜索して帰投すること自体おかしいのでは。

4、陸軍が、海軍鹿屋航空基地を使用して、米機動部隊の特別攻撃をさせ
たのでしょうか。

まさか、NHKが嘘の話を信じて、放送したとは考えにくいのですが、信
じられません。もし、このような事実をご存知の方がおられましたら、ご
教示願いたいのですが。 
                              (剛)  

 2)都バスは13〜15日間は土曜ダイヤで運行:前田 正晶

本13日は09:38のバスで国立国際医療研究センターでの定期検査に行こう
と家を出た。所がバス停には人影がなく、定刻を過ぎてもやってこなかっ
た。だが、国立の反対側にある統計局行きのバスがやってきたので止むな
くそれを利用したところ、庁舎の玄関までバスが入って行ってしまったの
で飛んだ遠回りとなった。

検査は無事に終わって結果も良く、調剤薬局での待ち時間も何時もよりは
短くて13時前に終わり、13:08のバスで帰ろうかと気分良くバス停に向
かった。所が、ここでは何と次のバスは13:19であると表示されていた。
不思議に思ってよく見れば「13〜15日間は土曜ダイヤで運行」と出てい
た。知らなかった。

ここで私は*酷暑に中で20分以上も暑さ真っ盛りの13時に立ったままで待
つか、*それとも途中までしか行かない次のバスを利用して後は約20分も
大久保通りを歩いて帰るかの決断を迫られた。そして、「エイヤッ」と明
治通りから新大久保駅経由で我が家まで歩くことを選択した。事前に運行
計画を調べておかなかった自分にペナルティーを課したのだが、熱中症に
はなるまいとも判断したのだった。

久し振りに大久保通りを歩いたのだが、この酷暑の中をKoreatownを訪れ
る女性も少ないだろうと予想ていた。しかし、この予測は見事に外れ、駅
が近くなると、それほど普段とは変わらない人の流れで、それに逆らって
歩くのは容易ではなかった。何と言うことかと情けなくなってきた。

歩きながら私は徐々に腹立たしくなってきた。それはカリフォルニア州グ
レンデール市にまでに飽き足らず、更にブエナパークにまで手を伸ばして
きたでっち上げのXX婦像設置、竹島問題、サッカーの試合での政治活動、
大統領がアメリカまで行ってオバマ大統領に我が国を罵る国際感覚の欠如
振り等々、彼らの反日活動は枚挙に暇が無い。

彼らは我が国を貶めることにあれほど集中している。それを何とも思わな
いのか、あるいはそれを知ってか知らずか、この酷暑をものともせずに押
し寄せる感覚を「嬉々として彼らの罠にはまった」と見るか「それほど韓
国産の化粧品に価格的魅力でもあるのか」とでも考えざるを得ないと、暗
い気分にさせられた。

夏休み中という条件もあるだろうが、「Koreatownが少しは寂れているの
ではないか」との希望的観測が甘かったと痛感させられた。サムギョプサ
ルの店にもちゃんと何時ものように行列が出来ていた。そういう景色を眺
めて歩いている間に、暑さを身にしみて感じさせられた20分間だった。



 3)8月中旬の「官邸」の異様な気配と靖国参拝 : 次の記事を読ん
で、昭和60年頃、藤波孝生 元官房長官から、“8月中旬に ここ(官房長
官室)に一人でいると、異様な気配を感じることがよくあるよ、−−そん
な時 私は靖国神社を遥拝するんだーーー”と語ってくれたのを思い出し
ました。(元防衛庁職員 N.H.)
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
首相公邸、幽霊出るの? 首相「怖いから一緒に…」: 朝日新聞 DIGITAL
2013年8月14日01時41分

【山下龍一】お盆前の東京・永田町で、首相公邸に幽霊のうわさが流れて
いる。安倍晋三首相が公邸に移らない理由に挙げたためだ。政治家同士の
「会談」なら珍しくないが、公邸の幽霊話も真夏の「怪談」のように浮か
んでは消えている。

 先月30日夜、首相が自民党幹部を公邸に招いた食事会。「首相が公邸に
入らないことを心配している人がいる」と語りかけた脇雅史参院幹事長
に、首相はこう応じ
た。

「怖いから一緒に住みましょうよ。幽霊がいるから嫌なんですよ」

 同席者が「他の首相もお化けが出るといっていた」と混ぜっ返し、掘り
ごたつのある和室はしばし幽霊談議に花が咲いた。

いまの公邸は1929年に首相の仕事場である官邸として建てられ、小泉政権
の2005年から居住する公邸となった。だが、安倍首相は知人らを食事に招
くものの、就任7カ月が過ぎても入居していない。15分ほど離れた自宅か
ら官邸に通い続ける理由としてささやかれているのが、幽霊のうわさだ。

官邸時代には犬養毅首相が暗殺された5・15事件や、2・26事件の舞台に
なった。官邸を襲撃した青年将校らが玄関でたき火をした跡や弾痕が残っ
ているとされる。ライト風とされる様式を基調とし、建築文化的評価も高
い。ただ、重厚なだけに昼間も薄暗く、静かだ。今月3日に見学した小学
6年生の男児は「夜になると幽霊が出そう。薄暗くて不気味だった」と話
した。

実際、羽田孜元首相の綏子夫人は対談で、隣接していた旧公邸に「庭に軍
服を着た人たちがたくさんいるというんです」と暴露。現公邸についても
野田佳彦前首相は「幽霊が出るらしいよ」と漏らした。5月には野党議員
が「引っ越さないのは幽霊のためか」とただした。

これに対し、安倍内閣は「承知していない」とする政府答弁書を閣議決
定。首相自身は6月に出演したテレビ番組で、幽霊のうわさを「都市伝説
だ」と一蹴した。

 一方、公邸の使い勝手の悪さを指摘する声もある。首相は周囲に「広く
て落ち着かない」と漏らす。官邸スタッフの評判も「壁が白っぽく、無理
やりパーティションで仕切った感じだ」と芳しくない。政府高官は「万一
の場合はヘリで移動できる。公邸に住まなくても問題ない」と話している。

関連記事.ニュースでQ(6/7)

森氏は首相公邸でお化けを見たらしい――安倍首相が語る(6/2)
公邸の幽霊「森元首相が一部を見たらしい」 安倍首相(6/1)
首相引っ越さぬ公邸、幽霊が出る? 政府「承知していない」(5/25)
首相公邸の幽霊「承知してない」答弁 ただし菅長官は…(5/24)



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  • 名無しさん2013/08/15

    願掛け地蔵尊が壊される 首を切断、錫杖も被害/川崎



    2013年8月14日





    頭部がなくなり、錫杖も曲げられた地蔵尊=川崎区藤崎







     13日午前6時半ごろ、川崎市川崎区藤崎3丁目の藤崎町内会館の敷地内で、同町内会顧問の岩瀬憲一さん(76)から、「『願掛け地蔵尊』の頭部がなくなっている」と川崎署に通報があった。同署員が駆け付けたところ、地蔵尊の頭部が首の部分で切断されていたほか、錫杖(しゃくじょう)も曲げられていた。同署が器物損壊事件として調べている。



      同署によると、地蔵尊は高さ約70センチで、会館の入り口脇に置かれている。12日午後4時ごろ、町内会員らが翌日の月例祭の準備をしていた際は、異常はなかったという。



      岩瀬さんによると、地蔵尊は江戸時代中期に起きた「天明の大飢饉(ききん)」の際、死者の弔いや豊作などを願って建立されたという。その後戦争などで損傷が激しくなり、1980年に現在のものに再建された。近くの住民らが日々参拝に訪れるなど、地域で親しまれている。



      岩瀬さんは、「いたずらにしては度が過ぎる。残念だ。良心があれば早く戻してほしい」と話した。

  • 名無しさん2013/08/15

    秋田に美人が多いのは何故なのか

    http://blog.livedoor.jp/ogenre/archives/1742916.html

  • 名無しさん2013/08/14

    昨日は、父様の祥月命日



     



                        &



     



                      お盆



     



     



     



     



       ご先祖さんたち、皆様帰ってきてるだろうから



     



          ご馳走も多めに、提灯も出しましたぁ〜



     



     



     



     



     



                    明日もご馳走用意するから



     



          お盆の間、ゆっくりお過ごし下さいねぇ

  • 名無しさん2013/08/14

    アメリカ 「日本は高校野球の投手酷使やめろ 95球以上投げさせるな 甲子園の英雄マツザカの現状を見ろ

    http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7270092.html

  • 名無しさん2013/08/14

    杉浦正章なる人物は、大変ズレていると以前から感じていたが、今回の批判記事で矢張りという思いを強くした。