政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針3001号 再編集 再配信

2013/07/07

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3001号
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        2013(平成25)年7月7日(日)



                  七夕の朝に倒れた河野一郎:渡部亮次郎

                         原発はドカ貧:山堂コラム 477

                    「国敗れて憲法残る」では:岩見隆夫

                       昭和20年「荷風の食卓」:平井修一

                         匿名の投稿は楽しい!:馬場伯明

                                       話 の 福 袋
                                反     響
                    身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第3001号
                             発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             

 
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 七夕の朝に倒れた河野一郎
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        渡部 亮次郎

半世紀前の話だが、それだけに 先の短い身だから、私が今ここで証言
しておかないと記録に残なる。、昭和40年、自民党の実力者河野一郎
は「中曽根クンを河野派から除名する」と 爆弾発言を私にしたまま、翌
朝、中目黒の私邸で倒れ、8日に死んでしまった。 

だから「中曽根氏 河野派から除名」という大特種はならなかったわけだ
が、もし現実のものとなっていたら、中曽根政権はあった老化、と考えた
りする。中曽根さんにこの話をしたことはない。

<「中曽根君を除名する!」

         渡部亮次郎

河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。
死ぬ2日前の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、
広間のソファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い
た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ
の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては
殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで
建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら「今度、
ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。奴はボクが佐藤
君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、川島(正次郎=副
総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行きたいと言ってき
た。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ
へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する
とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と
目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に
党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた
が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を
拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天
王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と
滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな
かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし
記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の
七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか
らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き
られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、
今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年
67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人
(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法
蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、NHKテレビで河野
一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の
言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫
だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだ
という。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年
後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を
歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由
民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選
出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので
神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自
由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員
河野太郎は洋平の長男である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元
よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・
との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し
た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例
であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬
で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍
団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川
崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起
こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際
に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日
は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ
ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの
か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ
た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい
た、終生。2008・07・05>



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原発はドカ貧
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     山堂コラム 477

「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならないよう御注意お願いします」と
は、日米開戦を前にした重臣会議(昭和16 .11 .29 )。海軍大臣の米
内光政がミカドに奏上した言葉。

日独伊3国同盟破棄をして満州事変以来の大陸からの兵を思い切って撤収
しておれば米英との大戦は回避できたやも知れぬ。しかし史実は真逆の真
珠湾。ミドウェーを経て沖縄戦、そして原爆・ロスケの参戦と続き、遂に
は日本国滅亡一歩手前の大敗北。国体存続さえ危ぶまれる米内の言葉通り
の「ドカ貧」の結末だった。

焼け野原からの復興、経済発展、そしてバブルへと続く戦後の70 年。こ
のうち原子力平和利用の名の下に日本全国に建設された原発50 余基―――
日本の経済繁栄の象徴的存在だったが平成23 年の東日本大震災。フクイ
チ原発が水素爆発メルトダウン。福島県の半分の国土が喪失した。

あれから2年半。廃炉に向けての工事、除染作業。全く収拾のメドが立た
ない中で今度迎える参院選。

各党公約のうち、自民党以外はだいたい反原発――原発廃止・再稼働ゼロを
訴える。ただ電気労組の方が国民より怖い海江田民主の言うことは支離滅
裂。後述の朝毎に同じ。

馬糞の川流れ、落ち目の褌(ふんどし)、吹けば飛ぶようなオンボロ野
党。いくら「原発反対」叫んでも所詮痩せ犬、虚しい遠吠え――何言われよ
うが圧勝の、安倍自民は痛くも痒くもないとばかり、行け行けドンドンの
原発再稼働に憲法9条。

主要メディア(新聞・TV)も反原発を明確に打ち出したるは東京1社の
み。元を辿ればサムライ育ち・・・じゃあない花街育ち。芸能紙・みやこ
新聞を尾張名古屋の地方紙が買収したるカストリ紙。力んでみても痩せ犬
の遠吠えに変わりなし。

それに比すればナベ○ネ瓦版。正力時代から筋金入りの原発推進大新聞。
これに晋三よいしょの3K・2Kも加わって「原発止めたら日本の経済失
速する」だで。もう失速しちょるがの。煽られるのは築地や竹橋のインテ
リ紙。

ASAもオリオンズも、論説主幹以下ストレス性下痢に神経衰弱。社説論
評コロコロ変わり、原発推進なのか、いやNOなのか。何言いたいのか食
いたいか、さっぱり分からん阿呆陀羅経。

選挙が済めば安倍政権。本格的に原発再稼働。この8日から実施となった
原子力規制委員会の「新規制基準」――何だかんだ言ったとて、目指すとこ
ろは「再稼働」。新潟をはじめとする立地自治体の反対をいかに押さえ込
むか。ただそれに向けての理屈づけ。

しかし敢えて言うならば原発再稼働――目先のジリ貧避けたいための電力会
社以下、既得権益者らの姑息なごり押し。

電力会社の片棒担ぐ売文屋。「日本のエネルギー政策行き詰まる」と、原
子力村への提灯書きまくる。売文屋だで、買ってくれないヤツや講演に呼
んでくれないヤツ向けの記事は書かんわなあ。

そうこうしている内にもどんどん溜まる使用済み核燃料。その膨大の量を
再処理するための工場を、六ヶ所村に造ってはみたが高速増殖炉「もん
じゅ」同様うんともすんとも動かねえ。

結局仏国大統領に頼みこみ、MOX燃料ウンコ飯。ほんの少しだけ再処理
してもらって高浜原発に運び込む(6/27 )。仏大統領も呆れて“盆から
先はオーランド”“もうプルサーマルはヤーランド・・・”

膨大な税金と電気料金を投入して造った原発やもんじゅ・再処理工場。こ
のまま再稼働せずに廃炉にすれば確かに大変なジリ貧だ。しかし原発だけ
再稼働して溜まる使用済み核燃料の処理、年期迎える廃炉の費用どうするの。

それに東南海大地震まで襲来すれば結局「ドカ貧」の結末必ず来たる。国
家財政の累積赤字。今や1000 兆円になんなんとす。そのかなりの部分が
原発分。早く撤収しないと「ドカ貧」必至、その時日本国遂に南無阿弥陀
仏。(了)


   
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「国敗れて憲法残る」では
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        岩見 隆夫

作家の野坂昭如は、憲法改正について、

 <自衛隊を国防軍に改める動きがある。名などどうでもいい。日本の何
を守ろうとしているのか。小さな島国において軍事で守ることが出来るの
か……>(5月21日付「毎日新聞」コラム<七転び八起き>)

と書いている。国防をどうすればいいのか、何も触れていない。

 <九条の会>のノーベル賞作家、大江健三郎らは、改憲論議が起きるた
びに、憲法9条こそ平和の礎と訴えてきた。世界の大江である。9条さえ
守れば平和は永続する、と信じる人も多かろう。

ところで、野坂、大江らは、かつての戦争末期を知り、敗戦体験を持つほ
ぼ同世代の著名な有識者だが、<国を守る>とは何か、を突き詰めて考え
たことがあったのだろうか。

野坂も書いているように、戦前・戦中は<神州不滅>という言葉が日本独
自のものとしてはびこっていた。戦後の<9条平和>もどこか信仰的で似
ている。

いま肝腎なことは、国敗れて憲法残る、にならないか、という問題提起に
どう答えるかである。憲法改正の論点はいくつもあるが、核心は当然9条
改正だ。

安倍晋三首相らは改正の論拠として、現在の陸海空自衛隊は、国際社会が
認めるれっきとした軍隊だが、9条2項は<陸海空の戦力は保持しない>
としており、実態と合わない、と主張する。その通りで、誰も反対できない。

だが、9条擁護論者は、それでも9条の理想主義を掲げ、文言を変えない
ことこそが平和を実現する道と主張し、世論の一部を形成している。安倍
の形式論とは到底かみ合わない。

安倍はここで、一歩も二歩も議論を深めなければならない。国を守ると
は、具体的に何をすることか。守る気概を持つには何が不可欠か。参考ま
でに、私の体験を少しばかり書く−−。

私は敗戦後の旧満州に1年半残留し、11歳の時日本に引き揚げてきた。
1945年8月8日、ソ連軍(ロスケと呼んでいた)が怒濤(どとう)のごと
く満州を南下、あれよあれよという間に南端の大連市になだれ込んできた
日を忘れない。

露払いをしたのは中国共産党軍(パーロと呼んでいた)だった。ソ連兵の
狼藉(ろうぜき)によって命を落とした在満日本人は数知れず、ごく一部
が残留孤児になったのだった。

精鋭といわれた関東軍は名ばかりで、非戦闘員を残したまま逃げ散った。
ポツダム宣言受諾によって戦争が終結(8月15日)したあとも、満州では
非戦闘員の犠牲が続いたのである。

敗戦までの内地空襲、広島・長崎原爆投下、沖縄地上戦、サイパンなど南
の諸島玉砕を含めると、命を奪われた非戦闘員は優に100万人に上る。こ
れが戦争だ。

肝に銘じなければならないことは二つに尽きる。第一に、二度と戦争をし
てはならないこと。そのためのあらゆる努力をする。9条1項(戦争の放
棄)が掲げる通りだ。

第二に、しかし不幸にして侵略されたり戦争に巻き込まれたりした場合、
絶対に負けてはならないこと。敗北は民族の大悲惨である。しかし、戦後
約70年、敗戦体験者が日々減り、経済繁栄のなかで戦争の記憶が薄れてきた。

日本はきわどいところにきている、と私は思う。戦後の日本は、政治も世
論、教育も<不戦>の誓いを唱えることばかり熱心だったが、<不敗>の
備えを固めるのには関心が乏しかった。なぜか、いずれ触れる機会がある
だろうが、とにかく、これまで平和が続いたから、これからも続くに違い
ない、という信じがたい楽天主義の国になっている。

独立国として、また<不敗>の備えとして精強な軍隊を持つのは初歩であ
り、軍事大国とか軍国主義とは無縁のものだ。9条擁護論者はそれに反対
している。徹底討論が必要だ。

四十数年前、佐藤政権下だが、昭和天皇が、ご進講に出向いた当時の防衛
庁長官に、

「日本は原爆を持たないでよいのか」

とご下問になったことがあった。長官に答えられるはずがなく、

「検討中であります」

と述べるしかなかったという。ベトナム戦争の最中で、まもなく米中接近
のニクソン・ショックも起きる。

天皇は、政府が国の防衛について、どこまで真剣かつ現実的に取り組んで
いるのか、を試すつもりだったのだろう。原爆保有をすすめたのではもち
ろんない。

戦前から、天皇は世界の情勢を俯瞰(ふかん)的に見てきた唯一の方であ
る。戦後の国防のあり方に、不安なものを感じておられたのではなかろう
か。戦力不保持は理想かもしれないが、このままでは国敗れて憲法残るに
なりはしないか、と。(敬称略)

毎日新聞近聞遠見: 2013年07月06日東京朝刊=第1土曜日掲載



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昭和20年「荷風の食卓」
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?

      平井 修一

昭和20年(1945)の敗戦の年までに東京を含む全国の主要都市が米軍の空
襲でほぼ焼け野原となり、都市部では前年から深刻になった食糧難が22年
頃まで続いた。

食糧がある農村では飢えに苦しむことはなかったが、物価統制などによる
売り惜しみで都市住民は食糧確保にとても苦労した。永井荷風の「断腸亭
日乗」昭和20年から――

三月九日
天気快晴。夜半空襲あり。翌暁四時、わが偏奇館焼亡す。洋人の家の樫の
木と余が庭の椎の木の大木、炎々として燃え上がり黒煙風に吹きつけて来
るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定めることあたわず。唯火炎
の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上、少なからぬ蔵
書の一時に燃えるがためと知られたり。

三月十日
町会の男来たり、「罹災のお方は炊き出しがありますから仲の町の国民学
校にお集まりください」と呼び歩む。握り飯一個を食い、茶を喫する。

午前十時過ぎ、漸くにして(杵屋)五叟の家に辿り着きぬ。一同とともに
昼飯を食す。

三月十一日
隣家フロイドル・スペルゲル氏、その家人とともに防空待避壕の中に起臥
しをれり。黒パンを焼きバタをつけて余を馳走す。

四月十五日
東中野のアパートに移らむとて夜具、食器の運搬を五叟の子弟に頼み、十
一時過ぎ、省線電車にて行く。夕飯を菅原君の部屋にて喫する。

五月一日
午前中、水道水ぎれとなる。先月十五日、大空襲ありて以来ガスなくな
り、毎日炊事をなすに、引き倒しし家屋の木屑を拾い集め、これを燃やす
なり。戦敗国の生活、水も火もなく悲惨の極みに達したりというべし。

五月十四日
阿部雪来話。野菜、鶏卵をもらう。

六月三日
午前六時過ぎ、京都駅に安着す。直ちに乗り換え明石に下車す。西林寺に
至り当分ここに宿泊することになれり。西林寺の未亡人、われら三人を客
間に迎え直ちに昼飯をつくり、夕刻にはまた晩食の後、風呂を焚き、余ら
をして一浴、羈旅(きりょ)の疲労を洗い去らしむ。

八月十四日
朝七時、谷崎(潤一郎)君来たり。正午、招かれて谷崎君の客舎に至り午
飯を恵まる。小豆、餅米にて作りし東京風の赤飯なり。燈刻、谷崎氏方よ
り、「牛肉を買いたればすぐにもお出でありたし」と言う。急ぎ小野旅館
に至るに、日本酒もあたためられたり。細君、下戸ならず。談話、すこぶ
る興あり。

八月十五日
宿屋の朝飯、鶏卵、玉葱味噌汁、はや小魚つけ焼き、茄子香の物なり。こ
れも今の世にては八百善の料理を食するがごとき心地なり。鉄道乗車券は
谷崎君の手にて買い置かれたるを見る。出発の際谷崎君夫人の贈られし弁
当を食す。白米のむすびに昆布佃煮および牛肉を添えたり。欣喜措くあた
わず。

岡山の駅に安着す。S君夫婦、今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止
せし由を公表したりと言う。あたかも好し、日暮れ、染物屋の婆、鶏肉、
葡萄酒を持ち来たる、休戦の祝宴を張り、皆々酔うて寝に就きぬ。

八月十八日
食料いよいよ欠乏するがごとし。朝、重湯をすすり、昼と夕とには粥に野
菜を煮込みたるものを口にするのみ。染物屋の老媼、親切にて、絶えず野
菜、小麦粉などを贈り来たれり。この夜、胡瓜の塩漬けをもらう。

八月二十九日
東京行き二等の切符を手にすること得たり。こと皆以外の成就にて夢見る
心地なり。村田氏の一家とともに赤飯を食す。けだし帰京出発の前祝なり。

九月六日
五叟子の借りて住める家は熱海の山の手の町はずれにあり。終日一室に静
臥し読書に空腹の苦しみを忘れんと力むるのみ。馬鈴薯、南瓜など腹のは
る野菜少なく、米飯も一日に二度炊ぐのみ。将来の健康を思い、朝夕秋風
の冷ややかなるを知るにつけ心情暗惨たらざるを得ず・・・

胡瓜の塩漬けにも感謝した荷風は苦労しながら帰京(と言っても千葉県)
したものの住まいを転々とし、偏奇館を失ってから2年後も「麻布の家を
失いてよりついに安住の処を得ず。悲しむべきなり」という有様で、昭和
23年になってからようやく落ち着いた。

当時は50歳が定年で、荷風に言わせれば、それは初老だった。にもかかわ
らず荷風は67歳から70歳までの高齢期、晩年を疎開などで放浪を余儀なく
させられたから、心身ともに大きな負担になっただろう。東京も焦土と化
して荷風が大好きだった「下町の陋屋」もほぼ壊滅した。以後は専ら浅草
に通って傷心を癒したのである。

戦後に栄養失調や餓死で死んだのは戦争孤児が多かったようだが、占領下
の検閲で報道されることもなく、具体的な数字もないようだ。敗戦と米軍
による占領は日本が近代国家になってから最大の国難であったが、食糧難
に四苦八苦しながらも敗戦の翌年からはベビーブームが始まり、GHQを
慌てさせた。

戦前の教育を受けた日本人は打たれ強かったのだ。驚異的な戦後復興もそ
のパワー故で、めげることはなかった。今はGHQによる日本弱体化計画
の最終章を迎えており、大丈夫なのだろうかと懸念される。(2013/07/06)



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匿名の投稿は楽しい!
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    馬場 伯明

本誌の本文と反響欄への投稿基準は主宰者から示されている。《ご感想、
ご投稿をお待ちしております。ただし本名で署名の上、匿名希望なりハン
ドルネームなりを書いてください。(本誌「身辺雑記」)》

つまり、掲載権限は主宰者。投稿者が本名(実名)を主宰者に開示し、誌
上掲載では匿名希望やハンドルネーム(仮名)を認めるというものだ。

《【匿名】実名をかくして知らさぬこと。「−批評」(広辞苑 第2
版)》。《【匿名】名前を隠す。また、隠し名。(角川漢和中辞典90版)》

本稿では、作家らの筆名や仮名、芸能人らの芸名など業務用のものは対象
とせず、もっぱら自分の正体を隠す目的で匿名や仮名にする人(以下「匿
名者」とする)を念頭において話を進める。

ネット掲示板、ブログ、メルマガの発信者(書き込みを含む)は匿名者が
多く、ツイッターとフェイスブックは実名者が主である。匿名者といって
も大半が真面目な善意の匿名者であろう。だが、違う匿名者もいる。冷や
かし、嫌がらせ、おせっかい、クレーマー、脅迫・・・。

新聞の「声」欄の投稿文に加え実名の投稿者の詳しい住所や電話番号を探
索しネット掲示板や匿名ブログに公開した者がいると新聞にあった。「売
国奴」「お前の家はわかっているぞ」「・・・」など匿名電話による嫌が
らせもあったという。(朝日新聞2013/6/28)。

これは卑劣な行為である。全体感では逆効果であろう。そもそも、なぜ匿
名の投稿をしたいのか。なぜ覆面で他人にそこまで干渉するのか。

夜の居酒屋で友人らと「匿名談義」になった。話すうちに高尚な理論では
なく「匿名の投稿は楽しい!」からだという平凡な結論に至った。

私は実名主義の常識人間であり投稿やコメントも実名だ。でも、匿名者の
心理にも関心がある。次は、居酒屋で出た「楽しい匿名」の事例である。

《 嘘を書いても生身の自分は特定されず気が楽。/貧乏人から金持ちに変
身。/変装と変身は楽しい。/精神の自由を満喫。/偉そうに振る舞い博士
と名乗る。/老若男女に成り済ます。/実名者を闇討ちする優越感。》

《 無責任な発言や発信が通用。/目上や上司に軽口やため口。/仕事や地
位を離れ正論を発信。/自分の書き込みに他人が賛成すると嬉しい。/スー
パーマンになったような気分。/変身は別名にすれば問題なし。》

匿名の投稿は楽しく匿名者はその甘い蜜の虜になる。実世界とはまったく
別の精神の自由と優越感が得られるという。「スーパーマンになった気
分」という話もうなずける。

本誌した欄には匿名者のコメントも自動的に掲載される。確信犯的なコメ
ント?を書く「黒ラブ」氏には少し同情する。今さら実名を明かせば「何
だ、おまえか」と集中攻撃を浴びるだろうから(最近登場が少ない?)。

実名者は匿名者を嫌う。だが中身の検討が必要である。じつは、実名者が
相手に求める真意は「真面目な投稿を!」のみ。良識と道徳性を堅持し発
信してくれれば、(私は)相手は実名・匿名のどちらでもいい。

嫌うのは理不尽な主張と罵詈雑言である。「ババア、くたばれ!」
「・・・(体の欠陥を!)」「・・・無」など。でも、それを実名者が発
信すれば「天に唾する」結果になる。(だから、実名者は愚かな発信は控
える)。

実名者のブログ等に匿名者が土足で侵入し(投稿し)軋轢が先鋭化する。
ところが匿名者はネットの治外法権である闇に逃げる。「卑怯者、名を名
乗れ!」。実名者は空しく叫ぶだけ。

だが、匿名者はしれっと余裕だ。「私の質問に答えていない。反論できな
いの?自信がないの?」と不毛な掛け合いに持ち込み、楽しむ!

唯一、匿名者間の純粋の学術論争など実名より有益な場合がある。地位・
身分・性別・年齢などの周辺要素が捨象され、先入観なく地位や肩書から
離れ自由な論争ができる。【例】A教授と(若い)B助教の論争。

【例】科学系ブログ「kikulog」では菊地誠阪大教授の関心事に匿名者の
賛否・疑問等が書き込まれ真面目な議論が展開される。100件超のときも
ある。菊地教授は「通りすがり」「匿名」等、発言者の同一性が判然とし
ない「捨てハンドル」でのコメント投稿は削除と予め宣言している。

匿名者には「匿名をやめなさい」と諭しても効果はない。なぜって「匿名
の投稿は楽しい」からやめられない。

海水浴に喩えると・・・。泳げない(匿名)者が(匿名の)浮き輪で泳
ぐ。浮き輪は沈まない。優越感から、つい、他の遊泳者の頭を押さえ、足
を引っ張る「悪さ」をしたくなる。(自分の身の危うさがわからない!)

じつは10数年前、ある雑誌に私の過激な匿名の投稿が何回か掲載されたこ
とがある。【例】「宗教団体の悪い特権」「私が殺したくなる人」など。

掲載直後は気分爽快で高揚感があった。だが、数日後、犯罪者に堕ちたよ
うな悔恨とある苦い塊が心の奥に沈澱し、長い間消えなかった。

華やかなインターネット時代における、臆病者の匿名者の心の真実と心の
(裏の)闇とはどう繋がっているのだろうか。

本稿の最後に「『大波小波』匿名批評に見る昭和文学史・第一巻」(東京
新聞1979発行)から、長くなるが、中村光夫氏の巻頭の一部を引用する。
現代の(奢れる)匿名者に正座して聞いてもらいたいが・・・。

《・・・名を秘してものを言うのは本来臆病者の仕事です。と言って悪け
れば、匿名は批評のなかでもっとも遊戯的要素が強い仕事です。そこには
顔をかくしてものを言う洒落気と、「公衆」の代表者をもって自任する正
義感と、力を自負する相手を「術」で倒す熟練とが、溌剌と結合している
ことが必要で、

さらに文学に対する無償の、自己顕示欲をはなれた愛情があれば申し分な
いのですが、その根本の魅力をなすのは、一度ごとに読み捨てられる文章
を思い切った告白の場とする人眼につかぬ誠実です。短評の文章に文学と
しての生命をあたえるのはこの半ば無意識の正直でしょう。》

匿名者であってもこのような「無意識の正直」者でありたいものである。
「文学」を自分の分野の語彙に置き換えても、中村光夫氏が書いた匿名
(批評)の意義の普遍性は今も色褪せていない。(2013/7/7千葉市在住)

(追記)

実名者と匿名者の関係を整理した。(1).匿名者が匿名の投稿をする。
(2).匿名者にとって「匿名の投稿は楽しい。(3).実名者は匿名の投
稿が嫌い。
でも実名者の真意は匿名者の排除ではなく「真面目な投稿を」である。

(4).つまり、悪意の投稿や罵詈雑言はやめてほしい。(5).だが、匿
名者は(4)には不満。なぜか?♪楽しくないから。(6).そして、匿名
者は、また(1)の匿名の投稿にもどる。

あれっ〜〜、ぐるっと一回転だ。「♪まわるまわるよ 時代はまわる 喜
び悲しみくり返し・・・」(「時代」中島みゆき)。

     


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話 の 福 袋
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 ◎<梅雨明け>関東甲信で 昨年より19日早く 史上4位タイ

気象庁は6日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した。平年より
15日早く、昨年と比べても19日早い。6日の梅雨明けは関東甲信では1951
年の統計開始以来4位タイの早さとなった。

気象庁天気相談所によると、西日本より関東甲信の梅雨明けが早くなった
が、「幾つかある明け方のパターンの一つで珍しくはない」という。夏を
もたらす太平洋高気圧の中心が東寄りにあり、九州南部や四国より関東が
影響を受けやすい状態になっているのが西日本より先に梅雨明けした理由
だという。毎日新聞 7月6日(土)11時14分配信



 ◎関東内陸を中心に猛暑日 群馬県館林市で37.4度

太平洋高気圧の勢力が強まり、日本付近に張り出しているため、6日は
各地で真夏の暑さとなった。

6日午後3時までの気温は、群馬県館林市で37.4度、茨城県古河市で
36.8度まで上がったほか、新潟県糸魚川市では午前8時過ぎに35.8度を記
録した。梅雨明けが発表された関東甲信地方の内陸部と、南西からの風に
よりフェーン現象が起きた北陸や瀬戸内では、35度以上の猛暑日となり、
各地でこの夏最高の暑さとなった。

今後、週明けにかけても太平洋高気圧の勢力が強く、東日本・西日本
の内陸を中心に35℃くらいまで上がるところも多くなる。
  また来週後半にかけて、太平洋高気圧によって暖かく湿った空気が日
本付近へ流れ込む状況が続く見込みで、33℃前後まで上がる真夏の暑さが
続く見込みだ。ウェザーマップ 7月6日(土)15時41分配信



 ◎シェールガス革命で、大復活する日の丸造船業 −  中国・韓国がマネ
できない技術力

泉谷 渉 :ジャーナリスト 【東洋経済オンライン】2013年07月06日

シェールガスが、いよいよ「世界の常識」を変えはじめた。その波は日本
へ。高いLNG(液化天然ガス)価格が下がるだけではない。LNG船の需要増
で、青息吐息だった日本の造船メーカーや関連メーカーが、いま大復活を
とげようとしているのだ。『図解 1時間でスピード解説!シェールガス革
命』(小社刊)を書いた泉谷渉氏が、息を吹き返しつつある、日本の造船
産業に熱いエールを送る。

つい最近の話だ。会食の席についたエレクトロニクスメーカー大手の幹部
は、机をたたいてこう叫んだ。

「日本の電力各社は、原発停止の影響を言い訳に、ひたすら『電力料金値
上げをお願いしたい』と、額を床にすりつけるばかりだ。国民はみな電力
会社の役員や社員の給料のバカ高さを知っているから、シラけ切ってい
る。おまけに震災復興資金はどこかの自治体のゆるキャラに使われたり、
全然関係のない県の公共建物の増改築などに投入される有様だ。まった
く、やってられない」。

2月に比べ、すでに3割も安くなったLNG価格

世界一高い電力を使わされて、おまけに税金も高いこの国にあって製造業
を維持することがいかに困難であるかを、電力各社はわかっていない。大
型工場になれば多額の電力料金を支払うわけであり、これがコストを圧迫
する。結果として価格を下げられない。国際競争に負けていく。こうした
状況が何年間続いていたことだろう。

ところが、である。直近のLNG(液化天然ガス)の日本向けスポット価格
は100万BTU当たり14ドル半ばまで下がり、2月につけた最高値から3割も
安くなった。世界各地でのシェールガス開発のインパクトは大きく、2017
年以降には米国、ロシア、日本でLNGの生産・輸出入基地の新設が予定さ
れることで、天然ガス市場の需給は大きく緩和する見込みだ。

LNG運搬船関連技術で、世界トップレベルにある日本

加えて、LNG運搬船の建造も多数計画され、米国、アジア、中東までの輸
送コストも大きく下がってくる公算だ。LNG船の需要拡大は、日本企業に
も多くのメリットをもたらす。LNGタンカーに関する日本技術は世界トッ
プレベルにある。マイナス約160℃の超低温技術は、川崎重工業やIHIの独
壇場といっても良い。貯槽タンクや液化装置でも日本は強く、日揮や千代
田化工建設のお家芸だ。

低迷してきた日本の造船業ではあるが、LNG運搬船をテコに復活をかける
状況が整ってきた。全世界で運行されるLNG運搬船の数は、現状で359隻で
あるが、今後60〜70隻の需要が生まれそうだ。14万立方メートルクラスの
LNG運搬船の価格は1隻約200億円であり、とんでもないビジネスが新たに
生まれる。

こうした需要増を見越して今治造船と三菱重工業が合弁会社を設立し、年
間8隻以上の製造を計画している。また、ジャパンマリンユナイテッドは
LNG運搬船を新たな収益源とし、3、4年後に売り上げを約4割伸ばすと
している。三井造船は天然ガスを使った船舶エンジンに強く、この技術を
横展開し、レバノンでのディーゼル発電設備の受注に成功した。また、川
崎重工業はLNGを燃料とするタンカーの製造に強く、これはアルミ材の精
密加工であるが、まさに日本の技術の見せどころなのだ。

かつて国民作家の吉川英治(故人)は、少年時代に横浜港の船がらみの雑
役に従事しており、「かんかん虫は唄う」という有名な小説を書いてい
る。以前、横浜、神戸、長崎などで活発であった造船業は、日本の得意技
であったが、中国、韓国勢に押しまくられて一気凋落の憂き目にあってき
た。しかして、海洋王国日本がシェールガス革命を追い風に、再びその勇
姿を世界に示そうとしているのだ。

三菱重工は中韓がマネできない大型客船を受注

三菱重工業は先ごろ、クルーズ客船最大手の米国カーニバル社から、2隻
の大型客船受注に成功した。受注総額は約1000億円とみられる。1番船は
2015年3月の引渡し予定で、実に12万4500トン、3300人の乗船能力を持
ち、国内で建造される客船としては過去最大のものになる。

この分野になれば、省エネ、ノイズ対策、さらには高級ホテル並みの施設
といった高いテクノロジーが必要であり、中国や韓国の造船各社にはまっ
たく作れないところなのだ。三菱重工業の大型客船製造は何と9年ぶりに
なるという。LNG船ブームが到来すると同時に、こうした大型客船もまた
シェールガスによる燃料費低下のインパクトにより、再び活発になってく
る。シェールガス革命で弾みがつく、とはまさにこのことなのだ。

「久方ぶりの大型客船の受注で、三菱重工の長崎造船所はさぞかし沸きか
えっていることだろうよ。ヨコセン(同社の横浜造船所)が桜木町駅前に
あったころには、酒と女で伊勢佐木町や野毛も、それはもう大変の元気印
だったぜ。何でもいいから船が出入りすれば、使いぷりの良いマドロスさ
んが、わが国の消費を盛り上げてくれるのよ。何たって、こちとらは四方
を海に囲まれている国なんだ」。

筆者の本家である横浜橋の江戸藤(ルーツは江戸時代にまでさかのぼる)
で、カツ煮を肴に酒を飲んでいたら、明らかに元船員とわかるマドロス帽
をかぶった70がらみの男が、スポーツ紙を読みながらニヤニヤとひとりつ
ぶやいた言葉ではある。
〔情報収録 − 坂元 誠〕

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

泉谷渉(いずみや・わたる)?

株式会社産業タイムズ社代表取締役社長。神奈川県横浜市出身。中央大学
法学部政治学科卒業。1977年産業タイムズ社に入社、91年に半導体産業新
聞を発刊、編集長に就任。現役最古参の半導体記者としてキャリア35年を
誇る。日本半導体ベンチャー協会理事としても活躍。

近著に『シェールガス革命で世界が激変する』(共著、東洋経済新報
社)、主な単著に『ニッポンの素材力』、『ニッポンの環境エネルギー
力』、『1秒でわかる!半導体業界ハンドブック』(以上、同)、『日の
丸半導体は死なず』(光文社)、『100年企業〜だけど最先端、しかも世
界一』(亜紀書房)などがある。



 ◎●●◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇写真情◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆●
*******週刊AWACS 2013年7月7日********

読売新聞社の調査によると参院選挙にネットは参考にしないと言う回答が
78%もあったと言う。40〜50歳代は70%以上、60歳以上は80%以上が参考
にしないとし、20歳代は50%近く、30歳代は30%以上がネットを参考にす
るとしている。まだまだ浸透していない。オフィシャルサイトを持ってい
ても頻繁に更新する議員は少ない。通り一遍の情報は伝わってくるが、生
の息遣いは感じられないものがほとんどである。フェイスブックやツイッ
ター中心となるのも分かる気がする。

では、今週号をお楽しみください。
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/3124359/

2013/7/7  唸声     



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反     響
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 1)祝3000号!

渡部様 おめでとうございます。硬派のメルマガですので大変です。富士
山世界遺産登録並みであります。ご健闘をお祈りいたします。(MoMo)


 2)3000号発行、おめでとうございます。大したことだと、尊敬しま
す。これからも、お身体に気をつけて継続されることを、心から祈念致し
ます。(中垣行博)


 3)3000号御芽出度う御座います。

2004年1月18日に創刊号が出て以来9年で3000号に成りました。

最近は殆ど毎日ですので、4000号に3年も掛かりません。大丈夫と思われ
ます。

ご無理をせず、緩りと頑張って下さい。(佐藤雄一)



 4)3000号真にお目出度うございます。
手の怪我とかパソコンの不具合などで到達が少し遅れましたが、見事に乗
り切って達成しましたね。心より敬意を表します。

小生は先日78才になり、人との交流も殆ど無くなって来ており、情報不足
の寂しさを感じている昨今、貴兄のメルマガは大変貴重な存在です。
これからの日本はどうあるべきか、愛と情熱をもって投稿されている方々
に対しても心から感謝申し上げます。

貴兄も益々元気で4000号、5000号目指して頑張るよう期待しています。
先日は引っ越し祝いのつもりが逆になってしまったようで大変恐縮してい
ます。錦糸町駅まで送ってもらい、手土産まで頂いたのですから。
奥様に宜しくお伝え下さい。(安宅 峯夫)



 5)従軍慰安婦について

南京金陵女子文理学院の校長で,難民区へ避難していた中国人女性の世話
をしていたミニー・ヴォートリンの日記に,日本の将兵向けの娼婦募集に
多数の中国人女性が応募することを非難している記述がある。

従軍慰安婦は,1937年末に南京特務機関が業者に慰安所の設営を依頼して
以降,各地に開設されるようになる(1993年政府調査報告書では,第一次
上海事変の際の1932年に,中国・上海に慰安所が設けられた記録がある)。

1929年10月30日、全羅南道の羅州行きの列車で日本人中学生が朝鮮人女子
生徒をからかったとして、日本人生徒と朝鮮人生徒の間に決闘が始まった。

この際、警察が朝鮮人生徒だけを逮捕したので、生徒の不満が高まり,朝
鮮各地で1930年まで、4万人以上の学生を動員する大規模な学生抗議運動
(光州学生運動)が起こった 。

さて,現地で容易に募集出来るときに,遠く離れた場所で,大規模な暴動
を誘発する恐れがありながら強制的に徴発し,兵隊や食料・弾薬の移動に
四苦八苦している際に,娼婦を逃がさないように監視しながら,遠距離を
輸送する計画を誰が立案し,決裁するだろうか?

東南アジアでは,勤勉で真面目な日本人の子供が欲しいと向こうから抱く
ように迫られ,拒否する(風呂に入る習慣のない現地の女を抱く気になれ
ないor子供ができたら日本に帰れない等の理由で)と折角の親日を反日に
変えるのではないかと苦悩している話も残っている(辻正信の『敵中三千
里』の中に,東南アジアの娼婦の値段が安いうえに多数いるので,さしも
の中国兵(中国軍とソ連軍は敵に恐怖を抱かせるため強姦・略奪を奨励し
ていた)も強姦をできなかったという記述もある)。

米軍の慰安所について

米軍の慰安施設について,韓国のウォーカーヒルやベトナム・フィリピン
の例を引用する例が目立つが,日本でも,1980年ころ,横須賀の繁華街に
米軍専用のセクスパーラーが立ち並び,角に交番が立って日本人の立ち入
りを制限している一画があつた。

1958年に売春防止法が施行されているので,明確な法律違反であるが,経
営者が三国人で利用者が米軍人であり,日本人を中に入れないことで治外
法権的に黙認していたと思われる。

ここの娼婦は,米軍医が性病検査を行い,治安維持は米軍憲兵が当たって
いたので,戦前の日本軍の慰安所との違いは無い。当時,ここで働いてい
た山田詠美が,その経験を小説にし,映画でも主演していたので,御存じ
の方も多いだろう。

為替レートが1ドル200円を下回る頃から,米軍人だけを相手に商売してい
のでは経営が成り立たなくなって,日本人も客とするようになって米軍専
用施設が姿を消したように思う。

日本軍自らが,娼婦を集め,米軍に提供していたとして,有末機関や
RAA(娯楽保養組合)に責任があるとする識者が多いが,進駐後,1月の間
に横浜市警管内だけで二千件を超える強姦事件が発生し,のちに国土庁の
事務次官で退官した当時の内務省の役人に,GHQの大佐が天皇を極東裁判
の法廷にたたせるとか,無辜の将兵を死刑にすると脅かして,娼婦を集め
させたことを,退官時に建設系公務員の機関紙である『月刊 建設』に記
載している。

この命令を受け,『肉体の門』に描写されるように,警察による私娼刈り
を行い,無関係のものまで売春業者に下げ渡すことが行われた。その他に
も「英語ができる女性事務員募集」の広告を出し,当時,英語の出来る女
性で働かなければならない者は,陸海軍士官の未亡人が主だったので,
「ご主人は国のために命を捧げたのだから,奥さんは国のために操を捧げ
るぐらいはしなさい」と説得した。

カンボジアPKOの際には,自衛隊だけが売春婦を買うことを禁止してい
て,宮嶋カメラマンが自衛隊のPKO参加に反対するため現地で活動して
いた辻本清美に,従軍慰安婦になれと雑誌の中で揶揄していた。

最近まで大っぴらに売春婦を利用していた米人や韓国人が何十年も前の日
本人の買春行為を非難するのは理屈に合わないし,彼らが非難しているの
が過去の買春行為ではなく,強制連行であるとするなら,きちっと検証し
て反論していくべきだと思う。

その点で,橋本発言は味噌も糞も一緒にしているので,言語道断で,問題
提起だと言っているが,詭弁にしか聞こえない。(河野 道之)



━━━━━━━
身 辺 雑 記 
━━━━━━━

3000号まで9年で到着 。たくさんの祝意、ありがとうございました。
健康もさることながら。読者各位の「よいしょ」に乗ってここまでこられま
した。今後ともよろしく、おねがいいたします。

このところ接続がうまくいきません。今日の発信が遅れたのもそれが原因
です。


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