政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針2971号  2013・6・8(土)

2013/06/08

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2971号
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        2013(平成25)年6月8日 (土)


                 「末期がん」を宣告された日:岩見隆夫

     衆院選挙制度改革:0増5減、今国会成立へ:古澤 襄

 教育を語る、親として、母として(講演録 2):中山恭子

        中国の軍事攻勢、尖閣をどう守るか?:櫻井よしこ

                      異形の作家「北上行山」:平井修一
  
                     話 の 福 袋
                    反     響
                    身 辺 雑 記


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第2970号
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
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「末期がん」を宣告された日
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        岩見 隆夫

高齢期に入って、自分の寿命はいつごろまでだろうか、と考えたことのない人は多分いない。

「そんなこと……」と思いたがる人はいても、頭のどこかにある。

 しかし、だれにもわからないのが、寿命問題の幻妙なところだ。手のひらの生命線を見る手相見が結構繁盛するのを見てもわかる。私の生命線は長い。若いころ、ほろ酔い加減で道端の手相見に見せたところ、

「おお、これは、これは、ご長命……」

と驚かれたことがあった。だが、何歳ぐらいとは決して言わない。いい加減なものだと思いはしたが、悪い気はしないのである。仲間が集まれば、

「長寿でなくてもいい。ピンピンコロリがいちばんだ」

などと笑い合うのが普通になったが、コロリはいいとして、その時期はやはり気になるのだ。長寿願望はいつの世も同じである。

ところで、先日、私は寿命を直視しなければならない場面に突然ぶつかった。がん宣告である。私事にわたることで恐縮だが、同病者も少なくないと思われるので、ご参考までに記してみたい−−。

この一カ月ほど、私は体調不良だった。倦怠感が続いている。好きな酒も進まない。右腹部の鈍痛がとれない。しかし、

〈がん〉

の予感はまったくなかった。自宅近くの大学病院でお世話になっている心臓病と糖尿病の医師に減量をすすめられ、約一カ月で5キロ近く体重を下げたが、

「一カ月の減量は2キロが限度。やりすぎるとパワーダウンするなど体調がおかしくなる」

と言う人もいて、ああ、それだ、といったんは思い込んでしまった。

だが、どうもおかしい。私は長年親しくしている東京都下公立病院のKベテラン内科医師に電話を入れた。

「ああ、洗いざらい全部調べましょう。あすいらっしゃい」

と快諾してくださった。

それが5月22日、新聞社時代の気の合った後輩とどういう加減かめずらしく痛飲して帰宅した夜だった。

翌23日、私は後期高齢者の医療保険証と財布、たばこを持っただけで病院に出向いた。待ち構えていたK医師は、

「とにかく検査を全部やります。血液検査、レントゲン、心電図……、ヨード造影剤を使用したCT検査、ちょっとその前におなかを触らせてください」

と言いながら、しばらく触診していたが、

「ぼくの指先に何か触る。あるんですよ」

とつぶやいた。検査場に向かおうとすると、

「もう一度お願いします」

と再び腹部を押したあと、

「やっぱり触る。予感がするなあ」

と言って私を送り出した。

手術のあと、女房が、

「先生、ゴールドフィンガーですね」

と感激したのは、この時の二度の触診のことだ。

◇「アルコール性ですな」に声をあげて笑ってしまった

検査時間は約2時間。終わるころ現れたK医師は、私に、

「全部わかりましたよ。あとで私の部屋に来てください」

とニコリともせずに告げたのだ。これは吉報か凶報か。勘の鈍い男にはさっぱりわからない。

部屋でK医師と向き合った。

「肝臓がんです。それも相当重い」

「……」

肝臓だけは強い、と思い込んでいたのだが、ついに来る時が来たか、ぐっとくるものがあったが、私は沈黙していた。

CT検査で腹部を輪切り撮影した写真を並べて、K医師は、

「右葉肝、左葉肝とも白く丸くなっているところがあるでしょ。全部腫瘍、がんです。7つか8つ、一番の問題は、右葉に大きいのがあって、そこから出血している。まずこれを止めなきゃならん。再出血、大量出血となったら、失血死に直結しますよ。ですから、きょうはお帰りいただくわけにはいかない。緊急入院です」

「末期がんということで……」

「ええ、まあ、末期ですかねえ。肝がんの場合、ステージが1から4までありますが、岩見さんのは3ですね」

満州時代の子供のころ、よく使ったメイファーズ(中国語の「仕方ない」)を思い出していた。そんな気分になりかけていた。

「あとどれくらい生きられるのでしょう」

「それはピンキリで……」

「原因は何です」

「肝臓がんはB型にしろC型にしろ、血液から移ってくるのがほとんどですが、検査の結果それはありません。まあアルコール性、お酒ですな」

ここで、礼を失するという自覚も乏しく、私は声をあげて笑ってしまったのだ。納得、という言葉が、心のどこかでひらめいたらしい、とあとで理屈をつけてみたが、真剣に取り組んでくださっているK医師には、何とも不作法なことだった。

医師は少々けげんな顔をして、

「私なら頭真っ白なんですがねえ。そうでもない?」

と質問されてしまった。返答のしようがない。真っ白でないはずはないのだが、なにしろ約60年間、ほとんど一日のすき間もなくアルコールを注ぎ込んできた人生の帰結、というあきらめみたいなものはどこかで働いていたのだろう。そんな雰囲気を察知したのかどうか、

「きょうから酒とたばこはだめです」

ときっぱり通告された。

急拠、医師団が編成され、翌24日緊急手術。その後のことはまた書く機会があるかもしれない。

とりあえず、すべての仕事を休止した。なかでもシアター・テレビジョンで一年半続いた中曽根康弘元首相との対談(月一回)の最終回が手術日と重なり、中止のやむなきに至った。大勲位にお詫びのしようもない。ただ「サンデー時評」だけは、病室で気軽に書き続けたいとお願いし、潟永編集長のお許しを得た。

<今週のひと言> 

慰安婦以外に、もっと上質の政治ニュースはないのか。

(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
2013年06月05日
サンデー時評:(サンデー毎日2013年6月16日号)



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衆院選挙制度改革:0増5減、今国会成立へ 
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                古澤 襄
 
26日の会期末まで残り20日間を切った。もっとはっきり言うなら、東京都議選が告示される14日で衆院の法案審議をほぼ終え、国会を事実上の閉会になるのではないか。
 
自民党が優位のまま都議選や参院選を迎える形勢なので、選挙の盛り上がりを欠いているが、”何も決められない国会”の元凶だった衆参ねじれ現象は久しぶりに解消に向かう。むしろ懸念すべきは与党が圧勝しすぎて、野党が弱体化、無力化することの懸念ではないか。
 
3年3ヶ月のダッチロールを露呈した民主党政権の反動が、自民党を勝たせすぎる副作用を生むとしたら、手放しで喜ぶことは出来ない。
 
<自民、民主両党は7日、衆院小選挙区の「1票の格差」を是正するために「0増5減」する公職選挙法改正案について、参院政治倫理・選挙制度特別委員会(倫選特)で週明けに審議入りさせることで合意した。

野党が多数を占める参院では、採決されても否決される見通し。だが、与党が3分の2以上を占める衆院で再可決され、今国会で成立することが確実になった。
 
自民党の脇雅史、民主党の池口修次の両国対委員長が7日、国会内で会談し、政府提出の0増5減法案と、みんなの党の「18増23減」の公選法改正案を同時に審議入りさせることを決めた。
 
民主党は0増5減法案は「1票の格差の違憲状態を解消できない」として5月29日、参院議院運営委員会に18増23減法案の審議入りを求める動議を提出。自民党は「抜本改革は切り離すべきだ」と反発し、0増5減法案は4月23日の衆院通過から約1カ月半放置された。
 
7日の会談では、自民党が18増23減法案の審議入りを容認し、民主党も動議を取り下げることで折り合った。0増5減法案の採決の見通しは流動的だが、参院が採決しない場合、否決したとみなす「60日ルール」で22日以降の再可決が可能になるため、与党は26日の会期末までに成立させる方針だ。自民党の石破茂幹事長は7日の記者会見で「0増5減法案が思惑で左右されてはならない」と成立を譲らない考えを強調した。
 
審議入りで合意した与野党だが、対立を引きずっている。脇氏は会談後、記者団に「衆院の選挙制度に関する法案を参院で先に審議するのはおかしい」と述べ、18増23減法案を委員会に付託しても実質的な審議を拒否する考えを示唆した。民主党は「与党は抜本改革を約束した昨年の3党合意をほごにしている」と反発しており、池口氏は脇氏に採決時期を明言しなかった。(毎日)>
 2013.06.08 Saturday name : kajikablog 



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教育を語る、親として、母として(講演録 2)
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                中山 恭子

私自身國家といふのは當たり前だといふ風にして何の考へもなく國家の意思の問題ですと傳へました。それは中央アジアの(資料を出して頂けたらと思ひますが)1999年から2002年、この拉致問題に關はっだのが2002年の9月ですから、8月に退任しましたので、ウズベキタン共和國の特命全權大使を3年間務めて戻って來たところでございました。

中央アジアという國について日本の中ではまだ殆ど知られてゐないかと思ひます。中國を挟んで西側、中國の西の國境、長い國境を接しているそこに5つの國があります。ソ聯の中に含まれてをりましたので、日本では「ソ聯」といふ一括りで考へられてをりました中のそれぞれの國について殆ど知らされてをりませんが、スタンというのは地域、國と考へて頂いていいと思ひます。

ウズベキスタンといふのはウズベックの國、トルクメギスタン、それからタジキスタン、キルギスで5つの國があります。ウズベキスタンとタジキスタンの大使をしてをりました。

このキルギスで拉致事件、人質事件が起きたのを覺えてらっしゃいますでしょうか。1999年の8月でした。8月に着任して12日くらゐの時に事件が起きました。

キルギスで起きたんですが、このあたりは非常に國境が入組んでまして、日本人の鑛山技師四人を拉致した犯人といふのはタジキスタンに據點を持ってゐました。この8年前、1991年にこの5つの國が獨立してゐます。獨立した後、それぞれの國の中で激しい抗爭がありました。

ウズベキスタンはカリモフ大統領といふ方の下でカザフも世俗國家です。ところがこの地域、さうですね八世紀ごろに唐とアラブが戰ふことがありましてですね、唐が大敗するんです。

その時にアラブが入りましたので強制的にイスラム化されてゐる地域なんです。ただ非常にラフなイスラムでして、女性達はノースリーブやミニスカートも平氣で穿いてますし、所謂ラマダンといふ斷食でも、大使館に勤務してゐた現地雇ひの人々も平氣でお水は飮みますしお晝ごはんも食ぺてゐます。

ラマダンしっかりやってる人ゐないのって聞いたら搜しますって言って傳へてきたのが、「居ました一人、ラマダンやってます」、40人くらゐ、警備の方もいらして4、50人ゐる中でそんな状態。

ただ、お葬式とかさういふ時にはイスラム風に、日本の佛教よりはもうちょっと違ふかも知れませんが、非常に明るい人達なんてすが、そのタジキスタンは獨立した後、内亂状態になりました。

イスラム國家を創りたいといふその動きと世俗のままいかうといふ二つの勢力がぶつかって内亂状態になりました。

その内亂状態の激しい戰鬪が繰り廣げられてゐたその一つの原因は當時アフガニスタンにタリバンとかアルカイーダができてまして、アフガニスタンと長い國境を接してゐますタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメギスタンもアフガニスタンと國境を接してゐます。

でこの一番長い國境を接しているタジキスタンにアフガニスタンからイスラム原理主義グループが入っていったといふ事で戰鬪が激しくなって内亂が收まらない状態になってゐました。

その内亂を戰ってゐたイスラム原理主義グループの者がタジキスタンだけではなくてウズベキスタンにも自分達のイスラム國家を創らうといふ動きがあって、ウズベキスタンに向って行った途中、キルギスで日本人鑛山技師を拉致したといふ事件でした。

そんな事もあってこのグループは1日か2日で夕ジキスタンの方へ人質を連れて自分の據點があるところに戻ってしまひました。私自身はウズベキスタンと夕ジキスタンを管轄してをりましたので、自分の管轄してゐる地域に、人質になった日本人を連れた犯人グループが入ってきました。さういふ状況でしたので大變緊張しました。

これまで戰後かういった事件が起きた時の外交政策は、その事件が起きた國にすぺてを任せる、救出も責任も、あらゆる事を任せるといふのが日本の戰後の外交のあり方でした。今囘この時も同じ樣に、その時の外務省の人が惡いといふわけではないと思ってゐるんですが、これまで通りにキルギス政府にすべてを任せました。

ところが犯人も人質もタジキスタンに入って來てゐます。國が違ふところに任せても救出することはできません。私か動かうとしましたんですが、情報をとるだけでよろしい、それ以外は動くなといふのが政府の方針でした。

でも、イスラム系原理主義グループの動きを見れば日本人が撃ち殺されるといふ事が目に見えてゐる情報が入ってきてをりました。

そこのウズベキスタン大使館の日本人で10人ぐらいしかゐない小さな大使館ですけれども、偶々このアフガニスタンやウズベキスタン、タジキスタンの情報をもった若い外交官がをりまして、その人を中心にして、ほんとに若手の職員がどうしても救出したいと言ったら、僕達もやりますと言ってくれました。

大使館の小さい中で必死で救出にあたりました。お蔭さまでこのタジキスタンの大統領、ウズベキスタンの大統領、そしてタジキスタンで内亂を戰ってゐたイスラム勾當のグループ。

これはイスラムの中でも過激派ではない、アフガニスタンから來た、イスラム原理主義ブルーフではない鬪士と接觸することができて、この方々が一緒になってこの拉致したイスラム原理主義グループの仲間を取り圍んで警告の中で絶對動けないカタチで取り圍んだ上で、日本人と現地人の人たちを救出してくれました。

かういった拉致事件が起きてそれぞれの國にお禮に行きましたら、%「起きて」でなく「起きた」ではないか。

「自分たちとしては當然のことをしただけですよ。」カリモフ大統領もそれからタジキスタンのそれぞれの方々みな、さう言ってくれました。

そしてその後仕事を始めました。この動きは日本では殆ど知られてをりません。キルギスタン政府が救出したといふ事になってゐますが、中央アジアの人々はみんなこの動きをよく見て知ってゐます。そんな事もあって、その後仕事をする時にほんとに樂に出來ました。

それは、この中央アジアで日本人が何らかの被害に遭ったら大使が命懸けで救出にあたる。日本といふのはさういふ國なんだ、それを理解してくれました。そして確實な信頼を與えてくれました。

そんな事もあって仕事をしていく上で、日本とは、なんて全く説明する必要はありませんでした。さらにこの中央アジアでは、もっと根っこの部分で非常に強い日本に對する信頼、親日の動きがありました。

イスラム化されてをりますが、それ以前には佛教が非常に盛んなところでしたので至る處に佛教遺跡がある地域です。それから拜火教も當時盛んで、イスラム教化された後はすべて消えてしまってゐるんですけれども、いろんな宗教がいっしょに存在してゐた地域です。

サマルカンダのレギスタン宮、の劇場の左側の壁にプレートがあります。ロシア語、英語、ウズペギ語、日本語の4枚のプレートが掛かってゐて、1945年、46年に極東から連れて來られた日本國民がこの建物の建設に携はり、出來上がるのに貢獻した、さういふ文言が書かれてゐます。

すぐお解り頂けますよね。45年、46年、極東からたくさんの人達が西に運ばれた。本來であれば東で、日本に戻る人々が西に運ばれて各地で重勞働に從事させられました。特にウズベキスタンではこのナポイ劇場だけではなくて、大きな水力發電所ナカバルといふ市があってそこには大きな水力發電所が造られてゐる。

まづはさっきの河、シルダリアといふ河、大きい河です。そこから水を引いてまづ貯水湖を造ります。これも日本の人達が造ってくれたんです。そしてその貯水湖から大きなパイプで水を落して水力で發電をし、使った水をまた大きな運河でシルガリアに戻す。一連の大事業です。

それだけではなくて、どこへ行ってもウズベキスタンの中を走ってゐますと「大便、この道路ね、日本の人達が造ってくれた道路なんだよ」。アパートに行きました時にはある年配の女性が「このアパートは日本人が造ったアパートだから、絶對安全なんだ」。ものすごい自慢なんてすね。

で、自分は十二歳の時にここに移って來たんだけれども、あそこでその前から軍が造ってゐた。日本の人達を覺えてゐる。モッコをしょって腰を屈めて、土を運んでゐたよ。さういふ事を傳へてくれます。

私に傳へるだけではなくてみんなに傳へてゐるんです。その運河にも行ってみました。運河に架かってゐる橋の上で車を停めて立ちましたら今も滔々と水が流れ遥か彼方までこの運河に沿って畑がずっと續いてゐました。

先程の水力發電のナカバル市の市長さんも日本人がこれだけ大きな貯水湖、水力發電所を造ってくれて、一日も休まずにウズベキスタン全域に電力を供給してゐます。そして水が貯まったお蔭で緑豐かな人がたくさん住む町になりました。前はここは突風が吹くやうな砂漠地帶だったんですよと教へてくれました。

ウズベキスタンには十三ヶ所日本人墓地があります。これはその水力發電所を造った時に亡くなった、土葬ですのでひとつづつかういふ風に埋葬されてゐます。それからここあるやうな黒い、號が書かれたものがそれぞれの處に挿してあります。これも拔かずにありました。

この後、日本人と一緒に働いたといふ九十歳のお爺樣がをられる。もう亡くなりましたが。「會ひますか」と言はれて是非と言ってお訪ねしました。まづ最朷に日本人だと傳へましたら、「お墓に行ってくれたか。」といふのが最初の言葉でした。「今行って來ました。」と傳へましたら、あそこは自分のとっても大切な友人達が眠ってゐるんだよ。何て言ふんですか…聲が出ませんでした。

このウズベキスタンでは日本人のお墓ではなくて、それだと更地になりますがとても大切な友人のお墓なんだ。そのお爺樣を中心に、ひ孫ぐらいの方までずっと傳へてくれてゐます。しかもこの、レコバードだけではなくてそれぞれの墓地を訪ねましてもみんなさうなんです。

「とても大切な人達が眠ってるんですよ」

かういふ答が返ってきます。

ただ、親を搜さうにも日本で隨分お聲掛けしましたけどゐませんでした。たまたま一人、どうしませうかと相談する中で、ウズベクの人達が「日本人は素晴らしかった、嘘をつかない人達だったし、とってもいい物を造ってくれた人達だといふやうな話をして、その方は「妹と貯金をしてきたけどお墓を整備してもらふために使ひます。」という事で、それではと言ふことから墓地整備をしました。

〔スライドを示し〕

この眞ん中の方、もう亡くなりましたが、ここに自分の友人が眠ってゐると言ふ事で、墓地を整備した後、訪ねてくれました。櫻も植ゑたんですが、水がないもんで、みんなでバケツリレーをし、育ててくれたりしてをります。ここの櫻は何本か殘ってゐます。

櫻は1650本、日本人のゆかりの土地に植ゑましたので、その中の半分くらゐから、今、花を咲かせてゐます。

ウズベキスタンの場合、この時の日本人違といふのは、殆どが死亡した時の年齡は當蒔で三十ちょっとてす。ですから殆ど若い人達で 1928 年生まれといふ人が數人ゐました。

親から日本人の人々は非常に規律正しい人々、禮儀正しい人、そして物を造るのがとても上手で、誰かが弱ってゐたらみんなで助け合ってゐた。それと監視の人が居ても居なくても、いいモノを造ってくれた。何かをあげれぱ必ず自分の出來ることでお返しをしっかりしてくる。

さういふ律義な人達です。「あなたも日本の人を見習って大きくなりなさい。」さう言って育てられてきました。さういふ話が各地で傳はってゐます。

十三ヶ所お墓がありますからそこでそれぞれの場所で日本の若者達が働いてゐました。どこに行っても同じ答が返ってきます。そんなこともあってウズベクの人々は非常に親日的しかも日本の人々のことを恥づかしくなるほど信頼してくれてゐます。

ここで働いてゐた人々は一つの隊が固まって移動してきてゐるわけではありません。混成部隊です。そして混成部隊といふことは日本の一つの隊が特に良かった、さういふ事ではないことを示してゐます。どの隊も同じやうに、さういふ若者達がどこへ行っても同じ囘答が返ってくる。

一ヶ所のモノだけではなく日本の當時働かされた若者達といふのは、どこで、どこに行っても、どの隊をとっても同じだったんだと實感できます。

中央アジアに働いた人達だけではなく朝鮮半島に居た人達も、中國に居た人達もみんな同じ教育を受け同じ考へで、日本にみんな同じ教育を受け同じ考えで、日本に歸れるかどうかも分からない中で、日本人として恥づかしくない、さういふ生活をし、恥づかしくないモノを造らうとして必死でがんばった。これが實態です。

かういふ中で住んでゐますと、日本といふものの素晴らしさといふものを改めて思ひ知らされますし、今の日本をウズベクの人々が見てどう思ふだらうかといふやうな心配にもなりますし、この時の日本の在り方がいろいろ問題があったかも知れませんが、日本が持ってゐるいいもの、當時頑張ってゐた日本の若者達、この人達にほんたうに敬意をはらひ感謝をしたい素直にそんな氣持になります。

本日はお話させていただく機會を作っていただき眞にありがたうございました。

(講演は4月 27 日「NPO法人百人の會」總會でのもの。要録が同會の活
動報告6月 15 日號に掲載。漢字制限假名字母制限を無視することについ
ての許諾を得て入力、算用數字も基督教暦の年數以外は原則としてあらた
めたのは位取り式では苦しい箇所があったため。長いので2囘に分けての
後半。上西俊雄)



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中国の軍事攻勢、尖閣をどう守るか?
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            櫻井よしこ
 
尖閣諸島沖の領海への中国の侵犯が日常化し、中国の戦闘機の飛来及び軍艦の通過が頻繁に行われている。
 
中国の尖閣奪取の意図は明らかで、小さな失敗も許されない十分な準備なしには日本は尖閣諸島を守れないだろう。5月24日、ネット配信の「言論テレビ」で防衛大学校教授の村井友秀氏に対処策を聞いた。
 
村井教授は、中国が「現状変更国家」であることの意味を正しく把握せよと助言する。日本周辺諸国が現状維持を基本路線とする一方、中国のみ軍拡を続け、日本の軍事力を凌駕したと、考えている。
 
「現状変更国家が現状維持国家を軍事力で追い越したとき、その国は自分の領域を一挙に固めようとして現状維持国家を攻撃すると考えられています。軍事戦略の常識では中国は日本にとって非常なる脅威です」
 
中国は4月26日、尖閣諸島を核心的利益と公式に発表した。5月8日には沖縄の帰属は未解決との論文を共産党機関紙「人民日報」が掲載した。侵略の意図はこの上なく明らかだ。村井教授が警告する。
 
「中国観察で注意すべきは、軍の果たす役割が中国と我々の側では全く異なる点です。中国は革命戦争で政権を取った国です。軍の政治への影響は強く、軍事独裁国家のような国です。常に『軍事力を使って解決する』という思考に陥り易いのです」
 
公明党、社民党、自民党の一部などに「中国とはまず話し合うべきだ」という意見が根強いが、話し合いには余り期待出来ないのである。
 
「民主主義国家は、平和的な話し合いを優先し、軍事力の行使は最後の手段と考えます。しかし中国にとって軍事的手段は外交的・平和的手段を尽くした後の最後の手段では決してありません。彼らは全ての手段を同時並行的に用意して、最も有利な手段を選んで攻めてきます」
 
■「小さな戦争」
 
孫子の兵法を基に解釈すれば、中国が外交努力をするときは、自分たちのほうが軍事的に弱いと彼らが感じているときだという。であれば、こちらが中国を軍事的に凌駕するとき初めて、外交による問題解決が可能になる。中国相手に平和的解決を望むなら、必ず強い軍事力を備えておかなければならないということだ。
 
そのことは南シナ海沿岸国と中国の関係にも示されている。中国はベトナムが領有していた南シナ海北部の西沙諸島海域に常時軍艦を遊弋させている。南沙諸島周辺にも中国の軍艦は度々姿を現す。ベトナム、フィリピン、インドネシアなどの軍事力が中国の軍事力に圧倒されているためだ。
 
「中国は弱い国には躊躇なく軍事力を使います。しかし日本が相手だと軍事力では押せない。すると外交で押す。それでも押せなければ日本の最も弱いところを突く。彼らが世論戦に走る理由です」
 
中国の対外戦略の基本は「?世論戦、?心理戦、?法律戦」の三戦である。?は内外の世論をたとえば反日に誘導し日本を追い込むことだ。?は巨大な軍事力を構築し、相手方の戦意を挫くこと。?は法律を駆使し、また中国独自の法に独自の解釈を加えて、主張を通すことである。
 
「世論戦では中国は圧倒的に有利です。そもそも独裁国家で、デモも自分たちでやるのですから。彼らは好きなように世論を作り上げることが出来ます」と、村井氏。
 
中国民主化運動のリーダーの1人、崔衛平氏も今年1月に語り合ったとき、2012年9月の反日デモは体験したことのないほど激しかったが、「中国政府による官製デモだった。中国共産党はデモコントロールの術を知っていた」と語っていた。
 
では、実際に尖閣諸島でどんなことが起き得るのか。村井氏は習近平主席が国内事情で追い詰められ、支持が低下するとき、求心力回復の手段として対日戦争を選ぶことが考えられるという。その場合、中国は「小さな戦争」を目指すと氏は見る。
 
「大きな戦争の勝敗は国民にはっきりと見えてしまいます。小規模戦争なら最終的決着をつけるところまで行かず、結果、自分たちが勝ったと言えます。絶海の孤島のような、国民の目が届かない所の小規模戦争が都合がよい」
 
尖閣諸島で戦えば、中国に勝利のチャンスは殆どない。中国軍は尖閣諸島の制空権を確立しておらず、そのため制海権もない。結果として、上陸は出来ないとも、氏は語る。
 
対照的に、深刻な懸念の声もある。尖閣諸島の情勢を踏まえて、日本は1942年8月17日のマキン島事件を忘れてはならないと警告するのは、元海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二氏である。『読売クオータリー』No.24(2013冬号)で、氏はざっと以下のように書いている。
 
ミッドウェイ海戦に敗れたものの、中部太平洋全域がまだ帝国海軍の制海空権下にあった当時、2隻の潜水艦に分乗した米海兵隊襲撃大隊200人強が日本軍の支配するマキン島沖に近づき浮上、兵はボートに分乗して上陸し、日本軍守備隊を掃討して、翌日撤収したのがマキン島事件だという。
 
■軍拡を叩くための軍拡
 
同様に尖閣諸島でも中国特殊部隊による空挺降下や潜水艦からの水中移動による上陸などで島々を確保されかねないと、香田氏は警告する。
 
尖閣諸島情勢の見通しについて必ずしも一致しないが、村井氏も香田氏も日本が準備すべきこととして、まず日本の国防上の障害となっている法律及び制度上の欠陥を正すべきだと指摘する。
 
島嶼防衛で最も大事なことは中国の上陸を許さないことだ。しかし、南西諸島には沖縄本島以外には陸上自衛隊も配備されておらず、軍事的真空地帯となっている。
 
与那国、石垣、宮古の主要な島々に自衛隊部隊を配備し増援体制を整備し、空白を埋めなければならないと、香田氏は強調している。地域全体の偵察能力を高めるために、南西諸島へのレーダーサイトの構築も急がれる。これらの任務を遂行するために自衛隊員の不足も早急に補うべきだ。
 
大事なことは中国の軍拡に見合う軍拡を日本も行い、島嶼防衛の決意を示すことだ。その意思表示が何にも増して力強い国防力となる。
 
「習近平主席は中国の夢という言葉を度々使います。太平洋を米国と共に二分割統治するのが中国の夢のひとつです。夢の実現には足下の近海、第一列島線から取らなければならない。
 
そのための軍拡です。狙われている日本こそが、中国の軍拡を叩くための軍拡をすべきです。日本の軍事的努力が尖閣諸島を守り、日中の戦いを回避する最もたしかな道なのです」
 
村井教授の指摘は、およそ全ての専門家の意見でもある。心して耳を傾け、いま日本国の決意を具体化しなければ、同盟国アメリカも力を貸さないのは当然である。(週刊新潮)
2013.06.08 Saturday name : kajikablog  


 
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異形の作家「北上行山」
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       平井修一

太宰治の「東京八景」を読んだ。

<伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとるところの無い、つまらぬ山村である。戸数三十という感じである。こんなところは、宿泊料も安いであろうという、理由だけで、私はその索寞たる山村を選んだ。昭和十五年、七月三日の事である・・・

熱海で、伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスにゆられて南下し、その戸数三十の見る影も無い山村に降り立った。

ここなら、一泊三円を越えることは無かろうと思った。憂鬱堪えがたいばかりの粗末な、小さい宿屋が四軒だけ並んでいる。私は、Fという宿屋を選んだ。四軒の中では、まだしも、少しましなところが、あるように思われたからである。

意地の悪そうな、下品な女中に案内されて二階に上り、部屋に通されて見ると、私は、いい年をして、泣きそうな気がした。三年まえに、私が借りていた荻窪の下宿屋の一室を思い出した。その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物であったのである。けれども、この蒲団部屋の隣りの六畳間は、その下宿の部屋よりも、もっと安っぽく、侘しいのである。

「他に部屋が無いのですか」
「ええ。みんな、ふさがって居ります。ここは涼しいですよ」
「そうですか」

私は、馬鹿にされていたようである。服装が悪かったせいかも知れない・・・女中は、去った。怒ってはならない。大事な仕事がある。

いまの私の身分には、これ位の待遇が、相応しているのかも知れない、と無理矢理、自分に思い込ませて、トランクの底からペン、インク、原稿用紙などを取り出した・・・

私は、いまは一箇の原稿生活者である。旅に出ても宿帳には、こだわらず、文筆業と書いている>

「文筆業」とは「文筆にたずさわる職業」と辞書にはある。「物書き」とも言うだろう。小説家から詩人、随筆家、評論家、翻訳家、記者、コピーライターまでいろいろだろうが、昔は編集者などを含めて文筆に従事する人を「操觚者(そうこしゃ)」と言うこともあった。

「觚」とは、古代中国で文字を記した四角い木の札のことで、これを操るから「操觚者」。詩文を作る人、文筆に携わる人の意で、今は死語だろう。

いずれにしてもものを書いてなにがしかの収入を得ているから、売文屋でもある。それで生活に足る収入があるかどうかは問わないが、収入があれば文筆業者である。収入を得られないのであれば、ただの趣味人だ、今の小生のように。

現役の文筆業者は有名無名、有象無象を含めて数万人はいるのではないか。知っている人はごく一部で、知らない人が圧倒的に多い。最近、陽羅義光(ひらよしみつ)という文筆業者を知った。日本ペンクラブの解説にはこうある。

<小説家、詩人、評論家。1946年、横須賀市生れ。早大卒。主な著作は『道元の風』『吉永小百合論』ほか。全作家協会理事長、日本文芸大賞選考委員長など>

今は67歳か。この方のサイト「絶対文感:付録」で「北上行山」という作家がいたことを初めて知った。陽羅の「最終兵器作家 北上行山論」がすこぶる面白い。以下はそのごく一部の(と言ってもずいぶん長いが)引用。
              ・・・

北上行山(きたがみ・こうざん)は1862年(文久2年)生まれの森鴎外よりも2歳若く、1867年(慶応3年)生まれの夏目漱石よりも3歳年上である。いずれにしろ鴎外・漱石の同時代の作家と云ってよい。むろん樋口一葉とも同時代だ。

こんにち北上行山の名を知っている者が何人いるだろう。統計をとったことはないが推定して百人前後か。そのうちの数十人は知ったかぶりだろうが。だいたいにおいて当時(明治・大正)だって、鴎外・漱石・芥川龍之介・志賀直哉の陰に隠れて一般には(おそらく文壇でも)ほとんど無名だった。

それでも漱石やまた後の文豪谷崎潤一郎などは、北上行山をある種の尊敬の念で見ていたはずだ。その証拠に皆が皆、北上行山の作品から盗んだ名作を残している。「盗んだ」が失礼なら「真似」、「真似」が失礼なら「拝借」、それでも失礼なら「換骨奪胎」か。

実はわたくしは「絶対文感」の専門家であるから、こうしたことには誰よりも精通している。例えば内田百間の名作『ツゴイネルワイゼン』は、その独特で奇妙な設定を室生犀星の『蛾』に負っている。(犀星から影響を受けた作家は想像以上に多く、川端康成の晩年の作品等はそういうものだ)。

例えば井伏鱒二の名作『黒い雨』は、その最も重要な結末部分を、太宰治の『薄明』から拝借している。(太宰から影響を受けた作家は想像以上に少なく、受けたと公言している者は総て似ても似つかぬ者だ)

本題に戻れば漱石の『吾輩は猫である』は、明らかに行山の『吾輩は豚である』の二番煎じだし、『草枕』は、明らかに行山の『臭枕』の剽窃に近い。だがこれらはタイトルに限ってのものである。ご存じのように内容に於いては、行山自身から文句をつけられるレベルのものではない。じっさい行山は何も云っていない。

一般読者というものは我が儘で贅沢で気まぐれだから、気持の悪すぎる作品は読まない。たまたま間違えて読んでしまっても便所紙にする。可哀想すぎる作品も読まない。たまたま間違えて読んでしまっても鼻紙にする。行山の作品は総て(読み得る総てという意味)この「すぎる」作品だから、読者がつかない。つまり売れない。売れないから出版社も本にしてくれない。文芸誌にも載せてくれない。

従って行山の作品は総て(読み得る総てという意味)同人雑誌とか個人誌とかに発表したものである。尤も膨大な作品の総てが載るわけがないから、ずいぶんと紛失もしくは自ら焼却したのであろう。

そんなら行山はどうやって生活していたのかと、君は聞きたいのであろう。そういう話は後回しにしたいのだけれど、話のついでという事もあるので、いささかそういうことに触れる。

さっき行山が「すぎる」作品ばかり書いたと述べたが、その生活においても同じ事が云える。つまり赤貧「すぎる」、病弱「すぎる」、女にもて「すぎる」。

私小説作家のみならず近代日本の文学者には、貧乏と病気と女がつきものだと云われる。「文学の三種の神器」だなんて宣う文芸評論家もいる。そんなら北上行山こそホンモノの三種の神器をかき抱いた文学の神様ではなかろうか。

まず、赤貧「すぎる」。ここで樋口一葉の登場である。明治の作家で赤貧洗うが如し、一葉の右に出る者はないと思われているが、その一葉が呆れたほどの赤貧が行山であった。

一葉は生活苦打開のため一時期下谷で荒物と駄菓子を売る小さな店を開いていたが、毎日そこに来て、ほんの少々の駄菓子を購入していたのが行山であった。

あるとき一葉が心から心配をして、商売っ気抜きで「そんなに毎日おやつばかり食べていると身体に悪いですよ」と忠告した事があった。すると行山は「これはおやつではなく主食です」と答えたものだ。あらためて見るとその風体は乞食も避けて通るくらいのもの。

一葉が何か仕事はしているのですかと聞くと、行山は仕事は小説を書くことだが、自分の小説は決して金にはならないから、道ばたに落ちている金目のものを拾って生活をしているという事を、切れ切れに云う。

一葉にとってこの時期は師の半五桃水への思いを裁ち切り、友人齋藤緑雨の連日の訪問を受けるその中間であった。そのせいかどうか、一葉がこのみすぼらしい行山に岡惚れした形跡が残っている。それは「一葉日記」を読破すれば解ることであるが、わたくしなど行山の研究家にしてみれば、(行山を知った後の一葉の代表作である)『たけくらべ』を読めば肯けるところがあるのである。勝ち気な少女美登利と内気な少年信如は、まさしく一葉と行山そのものなのであるから。

次に病弱「すぎる」。一葉は病弱ゆえに若くして命を落としたが、行山は病弱ゆえに長生きをした。(享年九十九歳)。一病息災と云われるが行山の場合は、万病息災。頭の天辺から爪の先までが病気。正常なところはひとつもない。

ここでテンカン、チクノウ、ムコキュウショウ・・・、ミズムシ、ウオノメ、と全部並べあげたらそれだけで日が暮れる。だがこれらの毒や菌がお互い殺し合いつつ、生きるでもなく死ぬでもなく、年輪を重ねて九十九年。

次は女にもて「すぎる」。わたくしはかつて文学的思想家吉本隆明と会談した際に、吉本から「もてすぎる文学者は大成しない」という言葉をはっきりと聞いた。どうやら吉本は埴谷雄高の事を云ったらしいのだが、わたくしはわたくし自身の事と、もう一人北上行山の事を云われた気がした。それならまさしく当たっているからである。

わたくしの事はともかく行山は貧乏で病弱で汚い身なりなのに大変にもてた。一葉のみならず行山に惚れた女流文学者は数知れず。与謝野晶子や岡本かの子や藤田愛子もそうだと云われている。文学者に限定しなければ?万と居たかもしれない。おそらくそれは行山の風貌や態度や口舌が母性本能をくすぐったためであろう。

だが女にもてるのと女と関係をもてるのと女と所帯をもてるのとではそれぞれ大きく異なる大問題である。(大でもないかな)。つまり女にもてない男でも女と関係をもてるし、所帯をもてなくとも女にもてる男がいる。まったく男女の仲は摩訶不思議である。じっさい行山は女にもてたが、一生を童貞で過ごし独身で過ごした。

丁度十年前に行山のノートが発見された。間違いなく行山の筆跡でB4版ノートにびっしり言葉が書き連ねてある。ノートと云っても「一葉日記」ほども文学的価値があるのかどうか、わたくしだけの判断では覚束ない。せっかくだから君だけにこっそり「行山ノート」の一部を教えよう。

「自分はお堀端に寝ころびながら、社会的地位もしくは存在から無縁にされていることの大いなる悦びを感じつつ、大空を見ていたものだ。すると遠くから「乞食だ乞食だ」という、子供達の囃し声が聞こえてきたものだ。幻聴かと想っていると、そのうち小石が飛んでくるので、これは現実で、乞食は自分なのだと悟ったものだ」

行山の小説の文章は極めて意識的であり、極めて徹底化されている。誤解を恐れずに云うなら、これこそが小説の文章であり、これこそが文学なのであるが、明治から平成まで、誰もそういうことを云った者はいない。それで、僭越ながら、わたくしが、云っている。

さて、わたくしたちには鴎外がいる漱石がいる。わたくしたちには谷崎がいる川端がいる。わたくしたちには安吾がいる太宰がいる。わたくしたちには大江がいる春樹がいる。

功なり名を遂げた作家たちである。数百万の読者を勝ち得た作家たちである。だがそこに危険度も恐怖性も感じられない。それはそれでいいのだろう。いやそういうものがあるという評論家もいるであろう。だが少なくとも北上行山の絶望と暗黒と空虚はない。北上行山こそ日本の文学に絶望と暗黒と空虚を埋め込んだ文学者なのだ。つまり「日本文学の最終兵器」と云っても過言ではないオソロシサノの極北とカナシサの極北とミジメサの極北が行山の文学にはある。行山の文学を知ると、行山の文学にしかないと云いたくなる。

自分で小説を書く人間が他人の小説を云々すると、遅かれ早かれ必ず自分に跳ね返ってくる。それが困るし辛い。そんならまず最初に書くべきだったのだろうが、行山と陽羅の相違点を列記してみよう。

赤貧すぎる、病弱すぎる、女にもてすぎる。これらはまったく同じ。内容に関しては他人の判断を仰ぐしかないが、似ているとも云えるし似ていないとも云える。いくつかのキーワードが行山も陽羅も同じだ。それは「極北」「山に向かって落ちる」「無」等々である。

もうこのへんでいいだろう。わが『北上行山論』は十枚のつもりで書き出して既に四十枚になりそうだ。最後に君に云いたいのは、ひとことだけ。「行山を知れ」
・・・

当然のことながら北上行山はベストセラーと無縁だった。それならベストセラーとは何かを知るために片山恭一の青春恋愛小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001年)を読んでみた。2003年に100万部を突破。2004年東宝にて映画化。映画版も大ヒットし、相乗効果で映画公開後300万部突破、大ベストセラーになったものだ。

読後感は案の定、小生が常々思っているように「ベストセラーはろくでもない」ということ。よくこんな愚作、凡作、駄作を読むものがいるものだと呆れるやら情けなくなるやら。出版文化などと言うが、出版業界にとっては売れればいいのである。「文化」が泣いている。(2013/06/06)


         
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話 の 福 袋
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 ◎「NHK記者が田中角栄の対中領土譲歩が完全な偽証だと証明」 野中売国的発言の異常な捏造実態が露呈

野中広務元官房長官が、中国共産党幹部との会談で、1972年の日中国交正常化交渉の際、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相との間で、沖縄県・尖閣諸島について「領土問題棚上げで合意していた」と発言して問題になっている。日本政府は完全否定したが、事実はどうなのか。元NHK政治部記者で、園田直元外相の政務秘書官を務めた渡部亮次郎氏(77)が緊急寄稿した。  

私は、日中国交正常化の際は、NHK記者として田中訪中に同行し、日中平和友好条約締結の際は、園田外相の政務秘書官として立ち会った。田中−周談に同席した二階堂進官房長官からは「尖閣棚上げ」について一切発表はなかった。後日、田中氏が親しい記者を通じて発表した後日談にも「棚上げ」のくだりはない。 

その後、私は外相秘書官となり、当時の関係者に聴取したところ、事実は以下のようだった。 

尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本領土だが、中国は東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された70年代以降に領有権を主張し始めた。このため、田中氏から「中国の尖閣諸島に対する態度をうかがいたい」と切り出すと、周氏はさえぎるように「今、この問題には触れたくない」といい、田中氏も追及しなかったという。 

私も同席した78年の日中平和友好条約の締結交渉では、当時の園田外相は福田赳夫首相の指示に基づき、「この際、大事な問題がある」と、最高実力者だった鄧(=登におおざと)小平副首相に迫った。すると、鄧(=登におおざと)氏は「あの島のことだろう。将来の世代がいい知恵を出すだろう」と話し合いを拒否したのだ。 

中国側はこうした経緯に基づき「棚上げ」を既成事実化しようとしているが、説明したとおり「棚上げで合意」などあり得ない。中国が勝手に先送りしただけであり、私自身が生き証人である。野中氏はこれを中国側の都合のいいように誤解し、結果的に中国側に加担している。日本政府が「日中間に領土問題は存在しない」という限り、中国は尖閣領有の手掛かりを国際的に失うが、日本に「棚上げ」を認めさせれば「手掛かり」を得るわけだ。こう考えれば、今回の野中発言は売国的というしかない。 

■渡部亮次郎(わたなべ・りょうじろう)1936年、秋田県潟上市生まれ。法政大学卒業後、59年にNHK入局。政治部記者として、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫の各内閣を取材する。77年、園田直外相の政務秘書官に抜擢され、日中平和友好条約締結に立ち会う。現在、政治、国際問題などの評論で活躍する。 【U-1速報】2013年06月08日09:30
http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50402690.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

関連サイト
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130606/plt1306061534007-n1.htm 
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1370576197/

〔情報収録 − 坂元 誠〕



 ◎【米中首脳会談】
サイバー攻撃、海洋安保 協調と牽制
 
オバマ米大統領(右)と習近平中国国家主席=7日、カリフォルニア州(ロイター)
 【パームスプリングズ(米カリフォルニア州)=佐々木類】オバマ米大統領と中国国家主席に就任したばかりの習近平氏による初の首脳会談は、今後の米中関係とアジア太平洋の安全保障を方向付ける意味合いがある。個人の信頼関係を築きつつ、サイバー攻撃や海洋の安全保障などをめぐって、双方とも相手の出方を探る展開となった。

 「早期に会うのは、それだけ米中関係が大事だということだ」。ノーネクタイで習国家主席と向かい合ったオバマ大統領はこう語りかけ、協調を演出した。

 中米歴訪の機会に立ち寄る形とはいえ、3月に就任したばかりの習氏が訪米するのは、オバマ政権サイドが早い段階での首脳会談開催を求めたためだ。中米という、いわば米国の裏庭で大国としての存在感をアピールした中国サイドに、山積する課題を通じてしっかり釘を刺しておきたいとの思惑もあったようだ。

 背景には、中国本土を発信源とする米国防産業や政府、金融機関などへの組織的なサイバー攻撃が後を絶たず、「首脳会談で直接伝えておかねば事態がより深刻化するとの懸念」(米外交専門誌フォーリン・ポリシー)があった。決定的な対立を避けるためにも、首脳レベルで個人的な信頼関係を深めておきたいとの考えをもあったようだ。

 米国はサイバー攻撃についてこれまで、発信源の特定は避けてきたが、米軍の最先端兵器技術や設計図が中国に流出していた疑いが最近になって浮上。中国に対する米国の軍事的優位性を損なう恐れがあり、中国本土を発信源としたサイバー攻撃については、中国政府が責任を持つよう求める方向に舵を切った。

 また、東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)の領有権を主張して中国公船が挑発的な海洋活動を続け、不測の事態が起きかねないとの危機感を強めており、南シナ海の航行の自由を含めて首脳レベルで中国側に自制を求める必要があるとの判断も働いたようだ。

 G2(米中2国による枠組み)論を捨てたオバマ政権が習体制とどこまで協調し、どこまで牽制を強めるのか。2日間にわたる首脳会談の行方が注目される。【産経ニュース】 2013.6.8 11:24 

〔情報収録 − 坂元 誠〕



 ◎カリフォルニアの大学近くで銃乱射、少なくとも6人死亡

【AFP=時事】米カリフォルニア(California)州サンタモニカ(Santa Monica)の大学周辺で7日、何者かが銃を乱射した。警察によると少なくとも6人が死亡し、2〜3人が負傷した。容疑者は黒づくめの人物で、大学の図書館で警察官に射殺された。

容疑者は25〜30歳の白人の男。地元警察によると、防弾チョッキを着た容疑者はまず民家に火を付けた。
 
この民家の向かいの家に住んでいるという女性は地元のKTLA 5テレビに、銃声が聞こえたので外に出ると、弾丸ベルトを身に着けて半自動ライフルを持った警察の特殊部隊(SWAT)の隊員のような格好をした男が家の前の道路に立っていたと語った。男は向かいの家の中かその前で発砲したばかりのように見えたという。
 
男は民家から離れると近くの交差点に歩いて移動し、通り掛かった車に乗っていた女性に銃を向け、車を路肩に寄せるように命じた。女性はためらった様子だったがスピードを落とした。男は至近距離から車内の女性に3〜4発発砲したという。
 
 容疑者はさらに別の車を奪い、バスや他の車に向けて発砲した。その後サンタモニカ・カレッジ(Monica College)に向かい、図書館で警察に射殺された。
 
死亡した容疑者とは別の1人が事件後に拘束されたが、警察は「死亡した容疑者が単独犯か、共犯者がいたかは確かではない」と説明している。
 
現場からわずか数キロ離れた場所では、バラク・オバマ(Barack Obama)大統領が民主党の政治資金集めのイベントで講演を行っていた。【翻訳編集】 AFPBB News AFP=時事 6月8日(土)9時52分配信 



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反     響
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 1)最近、皇居周りを片方向にしか走らないグレた走り族が多い。彼らが煽っているのか、事故が多いとも聞いた。

事故が多いのは対面交通だから起きるのではなく、双方向に走る者同士が相手を思いやる心を失って疾走しているからなのだから勘違いも甚だしい。スクランブル交差点で、あちこちぶつかり合う姿など見たこともないから納得できるはずだ。

もともとの歩行者は双方向に行きつ戻りつ、ブラブラ歩きをするのに、それらに配慮すること無き者どもが走る。しかも、どうぞ不注意にお走り下さいとばかりに片側方向にしか走らない仕組みになどなると、無配慮に片走りの走り族がブッ飛ばして、今後は、歩行者が危険きわまりない。

暴走している走り族が歩行者にブツかっても困らないのは、自身に被害が少ないからだが、双方向に走らせて、走者同士が相互の走り速度を倍化させる衝撃を与えることにより自爆させ運動能力低下を起こさせて走り族人数を減らし、走れたとしても自重を求める。

このようなやり方が自律的で、しかも、一方向向け走行規制のコストもないから、今風の掟なのに。やろうとしない。

「バカの壁」が地下鉄九段下駅で取り払われたと聞くが、ホームの反対車線に乗り換える客など見たこともないから、まだ「バカの取り払われた壁」でしかい。それに輪をかけた「バカの歩道」のお話しでした。
                         (酒井 富雄)


主宰者より:たいていの人間は心臓が左がわについているから左通行をする。皇居の周りも反時計回りに走ることと決めれば事故はおきない。これは大阪の心斎橋筋で立証ずみ(私)。
    


 2)6/11号をニューズウイークを読んで。

政治家が個人の思いで発言(コミットメント)をした事実は取り返しできない。それを猛省せずに安楽としているのは国賊。
やりきれません。(パンツクルクル)



 3)当メルマガ2790号の中山恭子さんの北朝鮮による拉致問題の話を読んでいて、ふと思ったことがある。

先月16日に民主、社民、共産、生活、みどりの風の各党と無所属の女性議員有志11人が、慰安婦問題の橋下発言に反対する記者会見を行った。糸数慶子(無所属)、福島瑞穂(社民党)、田村智子(共産党)、辻元清美(民主党)、森裕子(生活の党)、その他の各氏であるが、この人たちが慰安婦問題の橋下発言に活発に反対するのは自由だが、別面でどうも解せないのは慰安婦問題に劣らず国際課題である北朝鮮による拉致問題にたいする沈黙である。

この人たちの北朝鮮による拉致問題にたいする発言を聴いたことがない。なぜ黙っているのだろうか。

このあたり、どのような考えなのか知りたいのだが、バランスがとれた問題意識をもつ積極的なジャーナリストにその解明を期待したいのだが、居ないものか。(品川 阿生居士)


 4)藤原正彦氏が英語教育の低学年化を批判された:

私はこの教育再生実行会議の低学年化案が5月下旬に発表された時に、「解っていない」と批判したし「愚行である」とも言ってきた。理由は簡単なことで「現在までの我が国の学校教育での科学としての英語の教え方では一向に成果が上がらず、英語塾や何とかいう英語のテープを聴く勉強法が流行るのは教育法に欠陥があるからだ。

その教育法を改善せずに、英語勉強の開始学年を引き下げても結果は同じであろう。現在最も必要なことは英語教育改革である。その問題点を認識できていない教育再生実行会議の視点にこそ問題がある」というもの。更に私はこれまでに何度も改革法を述べてきたが、結果的には「偏った理想論だ」等と言われただけで、現状を初期化することとはほど遠い結果に終わっていた。同調して下さった方は極めて少数だった。

ところが、有り難いことに今週になって強力な支援者ではなかった、有名な藤原正彦氏が週刊新潮に連載しておられる「管見妄語」に“かくて「教育改革」は敗れる”と題して低学年化を真っ向から否定して下さったのである。「矢張り藤原氏のようにちゃんとものを見ておられる先生がおられたのだ」と快哉を叫びたい思いだった。その件だけを引用してみる。

>引用開始
(前略)五年生で始めて成果が出ないから四年生から、それでも駄目だから三年生から、となるだろう。一時間では足りないから二時間、そして三時間と進むだろう。三年生から毎週三時間ずつやっても日本人は英語を話せるようにならないのだ。そして英語の発音は多少うまいだけの、漢字も九九もままならない半人前の日本人が大量生産されることになるだろう。(以下略)
>引用終わる

当に仰せの通りだと思う。私もそう主張してきた。遺憾ながら、その通りの結果に終わるだろうと信じている。

これまでに何度も私の勉強法「音読(意味が分かるようになり、何処で切るかが解り、アクセントも解るまで)、暗記、暗唱、英文和訳はしないで英語のままで覚える、単語帳は作らずに流れの中でのみ覚える、解らないか知らない単語に出会えば辞書を引く等」と紹介してきたが、余り評価して貰えなかった。成功例も挙げたが、それではNが少ないと批判された。「では現在までの我が国の教え方でどれだけの成功例があり、どれだけ沢山の不成功例があったか」と訊けば答えはなかった。

しかし、もう大丈夫だ。藤原正彦氏のような方が私と同じ問題点を指摘されたのだから。教育再生実行会議の方々も藤原氏が言われたことなら考え込むだろう。この会議ももうそろそろ目が覚めても良い頃ではないのか。お断りして置くが、私の持論は「英語ペラペラ化に至るのではないまでも、無目的な英語の勉強を万人に強制する必要はなく、確たる目的を持つ者がきちんと基礎から学ぶ形を整えることが先決問題だ」ということである。

念のために、5月に教育再生実行会議の低学年化の案が発表された際に何回かに亘ってブログにエントリしたものを纏めて添付する次第。

残念ながらアクセスが予想通りに減少。

6日にブログにエントリした藍谷邦雄弁護士批判は2,000以上のアクセスがありましたが、7日の週刊新潮の藤原正彦氏のコラムを引用した英語教育の件は660台と激減。予想通りというか危惧した通りというか、残念な結果でした。

私はこの結果は「低学年化すれば何とかなる」と期待している人が多いことを立証していると疑っています。そう思っておられる方が多いということを表しているのでしょうか。

我が家の道路を隔てた反対側にあるイオン系の小型食品専門スーパー“マイバスケット”では女性店員の名札には一文字の名字が激増。謂わばレジ係です。この現象はカリフォルニア州で見たコンビニとスーパーのレジ係が韓国系だったのと同じ現象。更に共通と言える現象は、こちらではある程度以上日本語の力が備わっていて、カリフォルニア州では相当以上の英語の表現と理解力があること。但し、最近アメリカに入ってきたのか、韓国系アメリカ人かは解りませんが。

仮に、仮にですが、我が国から職を求めてアメリカに渡って単純反復の仕事にありつけた人が、アメリカ人と支障なく応対できる英語力が備わっているでしょうか。低学年化は具体的にその程度の英語力を付けることを目指しているのか、それとも無目的的にただ単に英語を早く教え始めれば力が付くと思い込んでいるのでしょうか。私は後者だと思っていますが。

兎に角、この近辺に増えてきた日本語学校に早朝から通っている(自転車通学も増加中)男女の若者は、韓国語以外を話している者が激増。私は中国語(=北京語?)だと思っています。最早、中国の若者が彼ら同士で広東語等で語り合うとは想像できないのですが。私は彼らがレジ係の職を得たくて日本語学校に通っているとは思えないのです。

自国に戻って日本語力が役に立つ仕事があるのでしょうか。それとも何か別の政治的な狙いでもあるのでしょうか。(前田正晶)


 
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身 辺 雑 記
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懲りた気象庁は、今度は8日も朝から晴天と予報したが、これがまたはずれ。今度は朝のうちは曇天だった。これじゃ空梅雨気味だが、こういう場合は、終わりごろに大被害の出る大雨が降る。

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