政治・経済

頂門の一針

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頂門の一針2960号  2013・5・19(日)

2013/05/19

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2960 号
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        2013(平成25)年5月19 日(日)

 

                             日本右傾化論への“弁明”法:黒田勝弘

                             米中韓の日本外し:山堂コラム 471

                                北朝鮮は日米韓分断意図:古澤 襄

                                  岡本一平、かの子、太郎:平井修一

                                   ウィキペディアの穴:渡部亮次郎

                      話 の 福 袋
                    反     響
                    身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第2960 号
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
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日本右傾化論への“弁明”法
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       黒田 勝弘

 “アベちゃん”のおかげでこちらも大忙しだ。安倍晋三首相の発言が出
るたびに韓国のメディアに呼び出され、弁明や反論をさせられているので
他人とは思えない。韓国メディアがいうところの同じ「日本の極右」のよ
しみから“アベちゃん”と呼ばせてもらう。

今回の韓国の反日は閣僚や国会議員の靖国神社参拝に対する反発から始ま
り、憲法改正問題や村山談話にかかわる歴史認識などで広がった。

昨年、李明博大統領(当時)の竹島上陸や「天皇謝罪要求発言」で日本世
論の激しい反発を受け守勢に回っていた韓国が、ここぞと巻き返しに出て
いるのだ。

テレビ、ラジオのインタビューや討論に呼ばれて分かったのだが、靖国問
題や憲法改正問題への反論や弁明はそれほど難しくない。靖国問題ではい
わゆるA級戦犯の合祀(ごうし)を決まって追及してくるが、これに対し
てはA級、B級、C級合わせ約1千人が合祀されている。

彼らは刑死ですでに罪をあがなっている、国のために殉じた人の霊をまつ
るのは当然ではないか、日本では「死ねばみな仏」という、韓国人も日本
人の国民感情をもっと理解してはどうか…これでだいたいOKである。

憲法改正問題も「普通の国家になるため自前の憲法を作るのだ」という
「普通の国家」論で十分対抗できる。韓国人の多くは今の日本の憲法が米
国の手でつくられ、軍隊も持てず交戦権もないことなど知らない。マスコ
ミの扇動で「改憲すれば軍国主義になる」とだけ思い込まされているのだ。

しきりに非難される「右傾化」論もそうだ。「右傾化ではなく正常化です。
憲法は自分たちで作り、自分の国は自分で守れるよう韓国のような“普通
の国”になりたいということですよ」と反論すればそれでおしまいだ。

慰安婦問題でも「日本は何もしていない!」と追及されるが、日本はすで
に官民共同の「アジア女性基金」で61人の元慰安婦に償い金を手渡し首相
のおわびの手紙も出していることなど、ほとんど知られていない。こんな
話を紹介するだけで討論の幅は広がる。

やっかいなのは村山談話問題だ。安倍発言に対し韓国では「侵略否定発言」
として官民挙げて非難キャンペーンが展開されているため「過去の戦争を
美化するのか、安倍の真意は何か、クロダ記者はどう思うか?」とくる。

「たしかに侵略の定義は立場によって異なる。ベトナム戦争参戦の韓国も
あれを侵略戦争とはいわない。日本の大東亜戦争には東南アジアをヨーロッ
パの植民地支配から解放した効果もあり、日本人の間には過去を侵略一辺
倒で語られることに不満の見方がある。

安倍首相は村山談話否定というより過去の歴史について彼なりの談話を出
したいようだから、もうちょっと見守ってはどうか」−弁明としてはこん
なあたりが精いっぱいである。

それにしても韓国は毎日、日本、日本、日本である。一般の普通の人はも
うそんなに日本、日本、日本じゃないのにメディアだけが“日本離れ”で
きず意地になって反日をやっている。ただ相手は李朝時代の“党争”をは
じめ、激烈な論争体質を持つ民族である。揚げ足を取られないよう発言に
は注意した方がいい。

ソウル駐在特別記者・ 【から(韓)くに便り】
産経ニュース2013.5.19 03:16 


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米中韓の日本外し
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  山堂コラム 471

仕掛けているのは韓国の朴・新政権。最初の訪米(5/7)ではオバマ大
統領に「アベの歴史認識はおかしい」と直訴。余計なお世話、テメエの頭
の蝿を追うのが先だと思うがの。来る7月にはソウルで日本を外した米中
韓の外相会談も画策しているとか。

折しも飯島勲内閣官房参与の訪朝。極秘裏でやるべき「下打ち合わせ」の
筈だったのに北の裏切り。ピョンヤン空港到着その瞬間から暴露戦術。禿
げ頭のメタボに無理やり得意げなポーズさせてバシャ!NO2(キム・ヨ
ンナム)に平身低頭している姿もバシャ!映像をネットで全世界に配信す
る・・・

まあ言いたくはないが、どっちもボーソー半島の同じテンション民族国家。
わが天孫民族とはハゲとハケ以上の違いがあるのだ。飯島参与が如何なる
話しをつけて帰国するかは予断を許さないが、北の狙いは明確。

「核とミサイル」を放棄寸前まで追詰めていた4カ国協調の足並みを乱す
こと。中国の経済制裁まで加えて追い詰めた北朝鮮への包囲網。これを崩
すことで、それは見事当たって網に大穴があいた。

3カ国歴訪でソウルから東京に着いた米特別代表デービスの面子は丸潰れ。
「北での会談は中身をあとで教えて欲しい」などと冷静を装っているが、
ホンネはかなり頭にクーラーよ。

靖国神社今年4月の例大祭。麻生副総理以下3閣僚(20日新藤総務相、21
日麻生と古屋拉致坦当相)、国会議員も23日「みんなで靖国神社に参拝す
る国会議員の会」会長(尾辻秀久・自・参)以下168人が参拝した「前政
権の時に参拝出来なかったのは痛恨の極み」と言っている総理自身も参拝
するかと思ったが参拝せず。供物の献上だけ。

されど国会での答弁―――植民地支配と侵略について詫びた村山談話(戦
後50年)について「侵略の定義は定まっていない」「国と国との関係で
どちらから見るかに於いて違う―――」(4/23・参予算委)。その前日
には「(村山談話を)そのまま継承しているわけではない」とも答弁。戦
後70年となる再来年に新たな談話を出す方針に変わりがない姿勢を示した。

ところがメリケン国。これを受けて米議会調査局が「安倍晋三総理の歴史
認識について」という表題の報告書を提出(5/1)。「(安倍は)侵略
の歴史を否定する修正主義者の見方の持ち主」とした上で、「極東地域安
定の懸念材料になっている」「安倍内閣の一部の閣僚は極端に国家主義的
な見解を有しており安倍氏の考えを反映している」などと指摘。

これって韓国や中国の言ってることと全く同じじゃん―――

続く3日。マンスフィールド財団のシンポジュームでシェーファー前駐日
大使の講演。「所謂・慰安婦問題の河野談話(平成5年)の見直しをすれ
ば、日本は米国内での利益を大きく損なう」と発言。米政府も外交ルート
を通じて懸念があると日本に伝えて来ているフシがある。

中国や韓国の脅しには屈しないと強気の晋三だがこれには参った。別格官
幣大社の米国だで。菅官房長官「戦後わが国は平和と繁栄のために歩んで
きた」「日本政府は村山談話を一貫して踏襲している」と軌道修正(9日
記者会見)。

中国や韓国と喧嘩しても米国が最後まで日本の味方してくれると思うは大
間違い。北東アジア地域でもどこの地域でも、米国はまずは自らの利益を
優先するだけ。日本を捨てて中国と組むことなど朝飯前。

韓国の朴新政権は朝飯前のキムチにチャン麺。日本見限って中国と手を握
ろうとしている。中韓朝は確信反日。米国だって海千山千。煮ても焼いて
も食えぬのが6カ国目のプーチン・ロシアよ。(了)



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北朝鮮は日米韓分断意図
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        古澤 襄

18日帰国した米国のデービース北朝鮮担当特別代表は、飯島勲内閣官房参
与の訪朝が事前に知らされなかったことに、不満を隠さない。これについ
て岸田文雄外相は「日米韓3カ国の連携は大事にしなければならないし、
北朝鮮に国連決議などの履行を求めていく」と述べた。
 
正直に言わせて貰えば、デービースは日米韓3カ国の連携よりも米中韓3
カ国の連携で北朝鮮対策に当たるシナリオを描いていた筈である。韓国の
ような露骨な”日本外し”ではないが、日本を軽くみていたことは否めな
い。
 
それだけに飯島訪朝は挙をつかれたのであろう。しかも帰国した飯島氏か
ら十分な北朝鮮情報を得られていないから、面子を失ったと思って帰国し
たのだろう。ズバリ言わせて貰えば、今回のデービース日中韓歴訪で得ら
れたものはない。
 
<米国のデービース北朝鮮担当特別代表は18日、最近の北朝鮮の動向につ
いて、「挑発を続けた後、(日本、米国、韓国などの)立場の違いに付け
込んで分断しようと戦略を変えることは分かっていた」と述べ、飯島勲内
閣官房参与の訪朝で、北朝鮮が日米韓の連携を乱そうとしているとの見方
を示唆した。帰国に先立ち、成田空港で記者団の取材に応じた。
 
一方で、デービース氏は、一連の日本政府高官との会談で、北朝鮮の非核
化に向けた関係国の結束の重要性を改めて確認したと強調した。ただ、飯
島氏訪朝の事前連絡がなかったことに対し「情報不足に苦しんでいる」と
重ねて不満を示し、「(今後の情報共有を)期待している」と述べた。
(時事)>
 
<岸田文雄外相は18日、飯島勲内閣官房参与の訪朝は北朝鮮が日米韓3
カ国の分断を狙ったものとの見方を、米国のデービース北朝鮮担当特別代
表が示したことについて、「コメントを控える。日米韓3カ国の連携は大
事にしなければならないし、北朝鮮に国連決議などの履行を求めていく」
と強調した。都内で記者団の質問に答えた。
 
北朝鮮が同日、日本海上に短距離ミサイルを発射したことに関しては、
「承知している。情報収集に努める」と語り、北朝鮮側の狙いなどを慎重
に分析していく考えを示した。(時事)>
 
2013.05.19 Sunday name : kajikablog 



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岡本一平、かの子、太郎
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      平井修一

わが街の岡本太郎美術館ではちょっと前まで生誕100周年の特別展示をし
ていたが、太郎の芸術は時代や人智を超越して燦然と孤高を誇っており、
最早宇宙人で、小生のような凡人にはとても理解、共感できるものではな
かった。この強烈な個性は漫画家の父、一平、歌人・小説家の母、かの子
の影響を受けたものだったのだろうか。

そもそも岡本家は伝統的、世俗的な意味で「家」をなしていたのだろうか。
大学の部室、学生寮、梁山泊のようではなかったか。それぞれ人格を持っ
た個人が自由にのびのび、それぞれ生きればいい、といった場所で、愛と
は無縁ではなかったか。

一平(1886:明治19年6月 - 1948:昭和23年10月)は北海道生まれ。
父は師範学校の教師で作家でもあった。一家は東京に転居し、一平は東京
美術学校西洋画科に進学し、ここで大貫カノ(岡本かの子)と知り合い
1910:明治43年に結婚するが、岡本家に受け入れられず、2人だけの新居
を構えた。一平24歳、かの子21歳の時である。

美術学校卒業後、夏目漱石から漫画の腕を買われて1912:明治45年に朝日
新聞社に紹介されて入社し、漫画記者となる。朝日新聞を中心に新聞や雑
誌で漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを築き、大正か
ら昭和戦前にかけて一時代を画した。

かの子(1889:明治22年3月 - 1939:昭和14年2月)は、代々幕府や諸藩
の御用達を業としていた豪商の大貫家の長女として誕生。大貫家は神奈川
県橘樹郡高津村(現川崎市高津区)二子に居を構える大地主であった。

17歳の頃、与謝野晶子を訪ね「新詩社」の同人となり、「明星」や「スバ
ル」に新体詩や和歌を発表するようになる。

結婚した翌明治44(1911)年2月、太郎が誕生し、アトリエ付きの住居も青
山に構えた。この年の9月には平塚らいてうが事実上主宰する女流文芸雑
誌「青鞜」(せいとう)が創刊され、日本でのウーマンリブの先駆けとなっ
た。かの子はその編集者になった。

青鞜の主張は女性解放、旧道徳打破で、家族制度、貞操、母性などに関す
る論議が盛んに行われた。かの子は当然影響を受け、新しい女性像を求め
ていったろう。育児や家事など真面目に主婦などやっていられるわけがな
い。

一方で一平は朝日新聞に入社してから収入が増えて放蕩が始まり、順風満
帆に見えた岡本家の生活には徐々に家庭不和の暗雲がたち始めた。

<かの子は太郎を生んだ頃から旧家育ちのもろい体質と天衣無縫の性格は、
夫婦親子の営みに合わせられず、いわゆる「魔界」の惨憺たる家庭生活が、
かの子を二度の自殺に追いつめた>(大日本百科事典)

かの子は女王然とし、崇拝者に囲まれ、恋し恋されるのがが好きだった。
早稲田大学生の堀切茂雄と恋に落ち、逢瀬を重ねるようになるが、やがて
一平の了解のもと茂雄を自宅に同居させ、かの子、一平、愛人の茂雄との
なんとも奇妙な同居生活が始まった。

茂雄はやがて結核のため郷里へ帰り死亡するが、かの子の“恋愛中毒”は
やまず、大正3(1914)年、慶応病院に入院した際に外科医新田亀三と再び
恋に落ちる。

下半身にだらしのない女を昔は自堕落、フシダラ、色キチ○イ、色情狂と
呼んで軽蔑したが、女性の解放に「理解ある夫」を演じたかったのか、一
平はその頃、かの子に自分の一生を捧げることを決意したといい、かの子
ともども2人は宗教に救いを求めていく。 

妻妾同居は聞いたことがあるが、間男同居はかの子が嚆矢だろう。奇妙と
言うか異常な家庭である。夫婦は合意の上で性交渉を絶った。

そんな折に降って湧いたように巨額の金が岡本家にもたらされた。大正15
年頃から昭和5、6年にかけて文学全集を廉価で予約販売する「円本ブーム」
が日本中を席巻するようになったのだ。

1冊1円だから爆発的に売れた。巡査の初任給が45円の頃で、1円は今なら
4000円ほどだが、当時の書籍(単行本)はべらぼうに高く、5000〜8000円
もした。総合雑誌でさえ今の3000円以上した。それがいくつもの作品が入っ
て1冊1円だから売れに売れた。

過去に書いた作品を全集にするのだから著者は労せずに印税を手にできた。
永井荷風は5万円を受領している。今なら2億円である。当時は2万円、今
の8000万円あれば利息で一生生活できたと言われている。一平は一夜にし
て大金持ちになった。

昭和4(1929)年、一平がロンドン軍縮会議に朝日新聞特派員として渡欧す
る際、その“あぶく銭”でかの子、太郎、かの子の愛人新田、一平の書生
が共に同行し、約4年間にわたってパリ、ベルリンと渡り歩いた。渡欧し
た時18歳だった太郎はパリに残り、1940年(昭和15)までフランスに
滞在し、前衛芸術を学んだ。 

かの子は1939年(昭和14)に太郎の帰国を待たずに逝去したが、太郎にとっ
てかの子はどんな人格だったのだろう。

安田光昭(元鳥取県米子市教育長)は著書「あの人この人 私の交友録」
にこう書いている。

<さて岡本の太郎さんだが、昭和何年ごろか記憶がシャンとしないけど、
出雲の国に旅をした帰りだといってヒョッコリ米子へやって来て、野坂
(米子市長の野坂寛治)のおじさんとしばらくぶりに語りたいという。

「ヤッちゃんお前も付き合わさいやい」とひさご家で晩めしということに
なった。

岡本太郎という人は、独身主義だと聞いていたが、チョッとした婦人が一
人付き添って、離れようとはしないので「ありゃ何でしょう」と市長に言
うと「詮索無用」と一喝された。

太郎さんは市長を市長さんとも野坂さんとも言わず「小父さん、小父さん」
と呼びながら、おやじさんの追憶談に花を咲かせていたが、御母堂かの子
さんの話となると、まゆに八の字寄せたようになる。

「失礼ながら太郎さんよ、かの子夫人はお父さんも、ずいぶん持て余され
たように見受けたな。あれが当に悪妻というものであろう」

ひどい事をじいさん言うと思ったところ、令息岡本太郎さんが、

「子供の私はおよそ母の愛というものを、感ぜずじまいに終わりました。
むしろ私は母をにくみました」

そういう述懐を聞くにおよび、巷間いささかその性格が尋常ではないなど
といわれる岡本画伯の生い立ちを、チラリとのぞき得たような感がした>

かの子が生まれ育った川崎市高津区二子(ふたこ)はわが家から自転車で
15分ほどのところである。二子神社境内脇の公園には多摩川を見晴らすよ
うに「岡本かの子文学碑」があり、太郎作の「誇り」と題する大きな白い
モニュメントが飾られている。その脇の歌碑にはかの子の自筆で「としと
しに わが悲しみの深くして いよいよ華やぐ いのちなりけり」と刻ま
れている。

ところが白いモニュメントの台座には、かの子の文学碑でありながら「こ
の誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」とのみ刻まれている。寝
取られた男「コキュ」の役を引き受け、好き勝手に生きた才女かの子をずっ
と見守り続けた一平を誇りに思うが、かの子も彼女なりに真摯に生きたの
は大したものだったというのが太郎の思いだったのかもしれない。

岡本家で一番ひどい目に遭ったのは、家庭に何の幻想も持てなかった太郎
だったろう。彼の作品には絶望と孤独と苦悩があふれているが、愛の片り
んもうかがえない。

かの子は書く。「新星のような美魚は多くのはした金魚を随えながら、悠
揚と胸を張り、その豊麗な豪華な尾鰭を陽の光に輝かせながら撩乱として
遊弋している」(「金魚撩乱」)

「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあっ
てはならない」という太郎の芸術宣言は、自分を美しく飾り続けたかの子
への痛烈な批判なのかもしれない。



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ウィキペディアの穴
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   渡部 亮次郎

<元特攻隊員の有名人は2代目水戸黄門の西村晃、元衆議院議員田中六助、
元東急フライヤーズ投手黒尾重明、反社会的行為を行った人物に天下一家
の会の内村健一、元特攻隊員と偽ったとされる犯罪者に3億円保険金殺人
事件の荒木虎美、等々がいる。また、自称特攻隊員の有名人では鶴田浩二
がいる。>フリー百科「ウィキペディア」。

ここに外務大臣園田直が居ないのは「ウィキペディア」の穴であり、信頼
度を甚だ傷つけるものだ。

園田は陸軍志願兵から日本陸軍最初の落下傘部隊のメンバーとなり、転じ
て陸軍航空隊の操縦士、更に転じて敗戦間際の1945年8月13日、「天雷特
別攻撃隊」の隊長として出動を命じられていた。

全身に爆雷を巻き、千歳基地から太平洋上の米戦艦に体当たりすることに
なっていたが、悪天候のため、17日に延期。ところが15日に敗戦で一命を
取り留めた。しかし本人は「一旦は覚悟した死がなくなって腰が抜けた」
とよく語っていた。

8月25日、召集解除となった時、既に園田は31歳になっていた。仕方なし
郷里熊本県天草の島に帰り、地元一町田町役場の助役にさせられたが、直
後に行われた(1946年4月10日)の衆院選挙に立候補。次点の次で落選。そ
の年の9月には町長に当選。

しかし47年4月25日の総選挙では民主党公認で再挑戦、見事当選。以後、
死ぬまで当選を続けた(15回)。野党の衆院議員を妊娠させ、離婚に至った
という事件(白亜の恋事件)でも落選しなかった。

どんなことがあっても慌てるということがなかった。「特攻から生き返っ
た後の人生はお釣みたいなもんだ。恐ろしいことなんてなくなったよ」。

特攻とは、爆弾を抱えた軍用機に搭乗員が乗り込んで直接操縦・誘導を行
い、敵艦船等に体当たりさせる事でそれらの撃滅を狙う作戦である。

太平洋大戦末期の日本で、陸海軍あげて大規模な計画的作戦として実施さ
れたが、当然のことながら、攻撃が成功して乗員が生還する可能性は皆無
に等しいと言える。

突入失敗で海面に激突したものの奇跡的に助かったり、機体故障による不
時着等の理由で乗員が生還した例もあるものの極めて稀であり、出撃すな
わち死を意味するといっても過言ではなかった。

この攻撃が行われるようになった理由は、VT信管を代表とするアメリカ軍
の対空迎撃能力の飛躍的向上と、航空機性能の開きが圧倒的になったこと、

この戦いに先立って行なわれた台湾沖航空戦により、フィリピンでの稼動
航空機数が激減した上にミッドウェー海戦以降ニューギニア戦線などで多
くの熟練搭乗員が戦死してしまい、その補充が利かなかったこともあり、
通常の航空洋上攻撃では敵空母に対して充分な戦果を期待することができ
なくなったためである。

このような状況下で確実に戦果をあげることのできる最も確率の高い方法
として採用された。

初期には、かなりの戦果を上げることができた。末期になると本土決戦の
ために練習時間の短い搭乗員を出撃させ、練習時間の長い搭乗員を温存さ
せたために戦果が減ったのである。

命中率は米国立公文書館に保管されている米軍機密資料によれば命中率が
56%以上とかなり高かったことがわかる。

特攻隊は、海軍・陸軍とも航空機や船舶など多くの部隊が編成されている
が、最も著名なものが海軍の神風特別攻撃隊である。これは、海軍航空機
からなる特別攻撃隊であり、元寇を追い払ったといわれる「神風」の思想
の影響からか、特に神風特別攻撃隊と呼称していた。

本来の読みは「しんぷうとくべつこうげきたい」であるが、初出撃を報じ
る「日本ニュース」映画第233号のナレーションで「かみかぜとくべつこ
うげきたい」と読んで以来、「かみかぜ〜」が定着した。

あまりにも著名であるために、戦後には特別攻撃隊の別称として「カミカ
ゼ」が使われる場合も多く、カミカゼ・タクシーなど。

陸軍の(航空)特別攻撃隊は、当初は海軍の「神風」のような統一した隊
名を用いなかった。フィリピン戦線に投入された富嶽隊(浜松、重爆撃機)
と万朶隊(鉾田、軽爆撃機)に始まり、その都度命名された。

その当時の陸軍特攻隊指揮官は富永恭次中将である。しかし、沖縄戦が始
まり、回数が増えると、やがて「第○振武隊」のような命名が増えていっ
た(丸には数字が入る)。

沖縄戦では知覧・都城などを基点に作戦が遂行された。陸軍の特攻を指揮
したのは菅原道大中将であった。 また、海上から海上挺身戦隊など(所謂、
連絡艇・レ艇)による攻撃も行われた。

損傷を受けた正規空母は決して少なくはないのだが、沈んだ艦が1隻もな
いのはアメリカ海軍のダメージコントロールのノウハウが日本軍との戦闘
を通じて向上していたことが大きい。

とはいえダメージコントロールや曳航も断念せざるを得ないとの判断が一
時的にせよ下されるほどの損害[8]を特攻機が与えていたことも事実であ
る。

だが、特攻機による攻撃隊とは突入機が特攻隊1隊あたり2機から6機、多
くて10機、少ないときは1機という規模の小ささであり、アメリカ海軍か
らすれば1日の来襲機数とは直掩機を含めても空母1隻分の攻撃隊にも満た
ないものである。

南太平洋海戦までのような反復攻撃を行えていたのであれば、エセックス
級空母がいかに優れた設計であっても戦没艦の発生は免れなかったであろ
う。

しかし現実には日本軍の戦力は特攻作戦に傾注してなお日に20機と揃えら
れず、主要艦艇の撃沈のための攻撃を行えるレベルに復帰できなかった。

唯一1945年4月6日の菊水1号作戦発動時に翌7日と合わせて陸海軍合わせ
て300機近くの特攻機が投入されたが、襲撃時刻を統一しなかった為に散
発的な攻撃となり、突入に成功した機は比較的多かったものの撃沈は僅か
掃海艇1隻のみであった。

確認されている軍人の特攻(航空特攻以外も含む)戦死者数は陸海軍合わせ
て6000名を超えるとされる。

隊員に指名されるも生還する例も多い。時期を逸す、機材故障、体調不良、
天候不良、理由を付け出撃を回避、突入直前に撃墜され捕虜、等々理由は
様々である。園田もこれに類する。

彼らの大多数は、一様に心に傷を負いながらも戦後復興、経済発展の為に
日本を支え、戦死者の慰霊顕彰にも尽力している。

しかし極一部の者は戦中の緊張からか自暴自棄になり反社会的な行為に走
る者や、特攻と無関係の者が自らを元特攻隊員と偽り行う犯罪も出現して
いる。

また世間の目も敗残兵として彼らに冷ややかで、彼らすべてを「特攻くず
れ」と称し蔑む風潮が蔓延した。



━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━


 ◎拉致被害者の即時帰国要求 飯島氏が北朝鮮に伝達

4日間の北朝鮮訪問を終えた飯島勲内閣官房参与が18日、経由地の北京か
ら羽田空港に帰国した。飯島氏はその後、菅義偉官房長官と都内のホテル
で約1時間会い、北朝鮮側との会談で拉致問題について

(1)被害者の即時帰国

(2)真相究明

(3)実行犯の引き渡し

−を求めたことを報告した。飯島氏の帰国を受け、安倍晋三首相は視察先
の大分県別府市で「(拉致問題は)安倍内閣で解決しなければならない」
と改めて記者団に述べた。
 
首相は18日夜、菅氏から電話で飯島氏の訪朝結果の報告を受けた。首相は
「必要があれば飯島参与から直接話を聞く」とも語り、週明けにも飯島氏
と会う考えを示唆した。
 
飯島氏は民航機で羽田空港に到着した際、記者団の前に姿を見せず、取材
にも一切応じなかった。
 産経新聞 5月18日(土)19時49分配信 


 ◎●●◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇写真情報網◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
*******週刊AWACS 2013 年5月19 日********

飯島内閣参与の秘密の訪問も北朝鮮にはまたとない宣伝となり、秘密が秘
密で無くなってしまった。拉致問題に関しては、米韓に協力を求めても一
歩も進まず、6か国協議でも全く進展なしであった。

拉致問題は我が国が北朝鮮と解決しなくてはならない問題であり、そのた
めの訪朝、米韓にとやかく言われる筋合いではない。面白いことに、「誰
がどこへ行こうと、第三者があれこれ言うことではない」と北朝鮮が韓国
を強く非難している。

飯島氏の訪朝には北朝鮮も期待している部分も多いと見られる。交渉には
タイミングが大切である。米中韓と日本外しに躍起になっている韓国に対
しても、このタイミングは絶妙であった。

日本人拉致問題が進展すれば、韓国内の拉致家族が騒ぎ出し、また朴政権
の汚点となる。始まったばかりでガタガタの政権が終わるまで反日全開で
何一つ進むことはないだろう。

早く、このバカバカしさから抜け出すことを学んでほしい。安倍政権に安
易な謝罪はありえない。

では、今週号をお楽しみください。
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/3080706/

2013/5/19  唸声 



 ◎日本の郵便システム、丸ごと輸出へ まずミャンマー検討

総務省と日本郵政グループ傘下の日本郵便ははがきや小包を受け取って配
達するまでの「日本型郵便システム」を東南アジアなどの新興国や途上国
に売り込む。途上国には郵便物がきちんと届かない国があり、現地の郵便
会社と提携するなどして、郵便番号を使って効率よく配達する仕組みや物
流網を整備する。
 
まずミャンマー郵便電信公社への導入を検討する。ミャンマーのミャト・
ヘイン情報通信技術相が20〜23日に日本を訪れて新藤義孝総務相と会い、
協力を確認する見通し。日本郵便は郵便物の収集から配達までの基本計画
づくりに参加したいと考えている。
 
ミャンマーでは郵便物が途中でなくなり、数割があて先に届かないという。
消印を押したり配達地に仕分けたりするのは職員の手作業なので時間がか
かり、郵便番号を書く習慣も浸透していない。

朝日新聞デジタル 5月19日(日)5時36分配信 



━━━━━━━
反     響
━━━━━━━


 1)西村真吾さんは、口がすべりましたね。残念です。

西村さんは「韓国の売春婦がウヨウヨいるぞと、朝鮮日報が書いていた」
と言えばよかったのに。[頂門の一針]の3月4日号で「世界に進出する韓国
の夜の文化(朴正薫(パク・チョンフン)副局長兼社会部長 朝鮮日報日本
語版」)

 これなら「俺が言っているんではない!朝鮮日報が言っているんだ」と
引用先を教えてやれば韓国もメディアも何も言えない。

ところで、辻本清美(統一会派)は「大阪の恥!」と、コメントしていまし
た。奈良の人なのにな?2002年に秘書給与流用で有罪判決。「すみません
の連発」選挙で復帰。ところが、下記では、

国会議員の身分を自覚せずに個人の性嗜好を優先 2007年週刊新潮によりア
ダルトショップ主催の女性イベントでバイブレーター(大人のおもちゃ)
にサインをしていたことが報じられた。 

この席で、辻元代議士はどんな話をしたのか、といえば、一時間以上も関
西弁で話し続けたそうだ。「週刊新潮来てへんやろな」と前置きした上で
「小泉さんってマッチョやで。単なるマッチョ男」
「私の政策の柱はピースでフェアでフェミ」
「私の事件、メディアによる2次被害、3次被害みたいなのを今も
やられてるからね」

「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、
私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかって
いう役割の国会議員や」 
(省略)
20年ほど前に流行ったラディカルな雰囲気の中、 辻元代議士は、会場で
展示販売されていたセックスグッズの中から、自分の推奨するバイブレー
ターを選び、楽屋でサインしたのである。

この件について、
翌日、別のイベント会場にいた辻元代議士に伺うと、本紙記者の名刺を目
にした瞬間、顔面が蒼白になり「こっ、こっ、国会の事務所を通してくだ
さい」の一言だけだった。 

「大阪の恥!」と、橋下市長を非難する辻本さんと上記のギャップの幅が
あまりにも大きくて、国会で、彼女が真剣に質問すればするほどバイブレ
ーターを思い出し、ちゃんちゃらおかしくて、つい笑ってしまいます。 
                     (兵庫@パンツクルクル)  

 
 2)皇位継承が混乱しないように、旧皇室典範(1889-1947年)から養
子は禁止されています。旧皇室典範42条「皇族は養子を為すことを得ず」。
現皇室典範9条「天皇及び皇族は、養子をすることができない」。

皇位継承と養子は無関係です。「過去、養子で皇位が継承された事例は一
つもなし(天皇が養子をとられた事例は若干ありますが皇位継承はしてい
ないし、皇位継承が前提となった養子もない)」。「養子制度は極左の迂
回戦術」。(まこと)
http://megu777.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html
 

 3)昨日、イタリア系アメリカ人と話をしました。

アメリカ政府に勤めていたが引退して旅行しているとのこと。日本がこん
なに素晴らしい国だとはおもっていなかった、ぜひまた来たい、と嬉しい
ことを言ってくれました。(アメリカ生まれのアメリカ国民。)

その人がイタリアに行ってみて驚いたそうです。

とにかくイタリアも、シナ人、インド、バングラディッシュ、パキスタン
人が多いがシシリーの小学校に、明らかにそういう系の子供がいて、シシ
リーの方言を話していたから、きっとシシリー生まれにちがいない、あと
数十年したら、ヨーロッパはすっかり様変わりしてしまうよ、と、哀しそ
うでした。

近年の豪州は、大陸からのシナ人、インド人、スリランカやパキスタン、
バングラディッシュ、そしてイスラム系アフリカ人にあふれています。テ
ロの準備罪で検挙されるグループのニュースもあとを絶ちません。

国連に加入していると「難民受け入れ」の枠があるらしく、そのせいか、
国柄を堅持していたスイスにも移民が多くなり、「国民全体の教育レベル
が落ちてしまった」とスイス人が言っていました。

これは、世界中の国を移民でごったにして国境の概念をとりはらい、世界
をひとつにしようという世界連邦の思想が実行されているのだと感じます。
 世界連邦をすすめる勢力は日本にもあって、友愛の鳩山氏が世界連邦日
本議員連盟の会長です。国連、EUもその概念で動いているようです。

以前、ドイツ人が「この世界は限られた人達で動かされているんだよ」
「世界はリベラルになりすぎてしまった」と言っていました。 

因みに豪州では「多文化共生主義は幻想だった」という認識が広がってい
ます。 (中山杏子)



━━━━━━━
身 辺 雑 記
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  • 名無しさん2013/05/20

    http://nanndemomatome2ch.blog.fc2.com/blog-entry-1975.html

    東大生だがおまえらの周囲の東大卒が無能ばっかりな理由教えてやる

  • 名無しさん2013/05/20

    言霊というのは、辞書で調べると「言葉に宿ると信じられている霊的な力」なのだそうです。

     

     言霊までいかずとも、言葉にはコミニケーション、いわゆる意思の疎通以上に、もっと大きな力があることを、たびたび経験します。

     

     

     

     先日、軽い相談に乗ったときのことです。

     その人は、不安をもっていたのですが、自分でも何が問題なのか、よくわからないようでした。

     

     そこで、こちらから聞いて行く形で話しをしていると、だんだんその人の不安の正体がわかってきました。

     すると先ほどまで不安の悩みを持っていたその人が、なにかスッキリしたようで、ほぼ解決してしまいました。よく人に悩みを話すと楽になると言いますが、それと似ているかもしれません。

     

     ただこの場合少し違ったのは、私に話をしたからというより、私がうまく聞きだすことで、不安の正体を言葉で的確に表現することができたからのようです。つまり、その人は不安をうまく言葉で表現することができず、それが悩みになっていたのです。

     

     

     

     なにかの本で読んだのですが、ある学校に性同一性障害の学生がいました。その学生は、誰にもその違和感を相談できず、漠然とそのことを悩んでいたそうです。

     

     ところがあるとき、性同一性障害という病名の病気があることを知ったそうです。すると、急に気持ちが楽になり、ひょっとすると自分を救うことができるのではないかと思いはじめたそうです。

     

     それからは、解決はしてませんが、誰にも言えなかった困難な苦しみからは解放され、人にも相談できるようになったそうです。

     







     これなどは、言葉にして表現することが、いかに重要なことかがわかる気がします。

     

     漠然として言葉に表現することができないため、したがって人にも説明ができず、自分でも考えがそれ以上にすすまないという、ジレンマのような苦しみがあったのでしょう。

     

     困難を解決するには、まず、そのことを的確な言葉で表現できないと、前に進むことができないわけですね。

     

     

     

  • 名無しさん2013/05/19

    もともとやりたいことが

    明確でなかった僕は、





    あれかな、これかな?

    あの仕事かな?この仕事かな?



    と、自分に向いているものは

    何か、正解を探し続けました。



    しかし、



    何年探しても見つける

    ことができませんでした。





    そのとき僕は、



    自分の外をいくら探しても、

    自分に合った答えがない

    ことを知りませんでした。



    僕は学校のテストの

    ような感覚で、正解は何か?



    自分に向いたものを探しました。



    雑誌を読んだり、

    人の話を聞いたり、



    今より良い条件のところへ

    転職すれば見つかるかも、



    あの資格をとればいいかもと、

    外に外に正解を求めていました。



    しかし、僕も



    “転職してみたら現実は違った”

    を、繰り返しました。





    自分に合った答えは、



    自分の内側にある

    ということに気づいたのは、



    それから何年も経った後でした。





    自分のルーツを辿り、

    自分はどんな人間になりたいのか?



    それを突き詰めていった結果、



    これしかないという仕事に

    出会うことができました。





    自分という、人間を徹底的に

    振り返った結果、



    自分では気づいていなかった

    新たな道が見えた方々がいらっしゃいました。



    みんな、本当の自分と触れたとき

    自然と涙が流れていました。





    外に求めて自分の道が見えないときは、



    自分は何者なのか?



    自分はどういう人間でありたいのか?



    自分の内側から考えてみると

    いいのかもしれません。





    正解は外にはない、

    答えは自分の中にある