政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針号  2013・5・13(月)

2013/05/13

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2954 号
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        2013(平成25)年 5月13 日(月)



            維新に「風」なく「一炊の夢」の危機:杉浦正章

           政権陥落の一因は小沢氏 菅直人元首相:古澤 襄

                     「愛情家族」から「利便家族」へ:平井修一

                                    台湾少年工たちの誇り:伊勢雅臣

                    「きょうから直したい言葉遣い」:前田正晶

                      話 の 福 袋
                    反     響
                    身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第2954 号
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
               御意見・御感想は:
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維新に「風」なく「一炊の夢」の危機
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           杉浦 正章

参院選で幹部が自民候補応援
 
「昨日の大尽今日の乞食」だろうか。共同代表・橋下徹によると維新が
「消滅」なのだそうだ。たしかに昨年の夏のようなブームはまったくない。
風がソヨとも吹かなくなったのだ。

ポピュリズムだけの政党に「風」が止まればどうなるか。選挙民の忘却の
彼方となる。党内には参院選挙で自民党候補を支持する幹部まで現れだし
た。早くも崩壊現象なのだろうか。
 
とにかく維新の幹部は、開けっぴろげの大阪の風潮丸出しで面白い。際ど
い自らの党の消長をあっけらかんと語るのだ。維新幹事長・松井一郎が4
月に「日本維新の会は完全にアゲンスト(逆風)で厳しい状況。大阪以
外、どこに行っても負けます」と、参院選の現状を嘆いた。

そうかと思うと橋下は11日「組織が大きくなって、全国各地のいろんな
選挙で維新の公認候補を出すことになった途端、維新は選挙屋になってし
まった。一歩でも二歩でも前に進むことを肝に銘じないと年内に維新の会
は消滅もありうる」と、自らの「消滅」を予言。

この風潮の影響を受けてか共同代表・石原慎太郎までが党の現状について
「昇り竜の去年の衆議院選挙と違って、今は、決して、昇り竜の勢いがあ
るとは言えない」「維新は賞味期限を迎えつつある」などと発言するに至っ
た。

自分の賞味期限がとっくに切れているにもかかわらず、他人事にしている
のだ。時事の定点調査でも支持率は1月4.6%、2月3.3%、3月2.
0%、4月1.5%と減少する一方だ。

なぜ、こうした風潮が生じているかと言えば、まず根底には橋下の“かっ
こよさ”だけが頼りのポピュリズム政党の宿命がある。しかしその橋下が
ワンパターンで露出を繰り返し続けた結果、飽きられてしまったのだ。民
衆はもう食傷気味なのだ。

つぎに総選挙と参院選挙の構図の違いがある。総選挙の維新票は「民主党
はダメだが、自民党にも懲りた。維新に投票しよう」という図式で獲得し
た。ところが参院選は、アベノミクスの大当たりで「民主党はダメだから
自民党へ投票」の流れに変わり、維新は飛び越されつつあるのだ。

もう一つ言えば、改革の党維新への幻滅だ。なぜ幻滅したかと言えば、
“加齢臭”ふんぷんの石原ら太陽の党系との合流だ。これがイメージを壊
した。

橋下に石原を押さえる力量がなく、改憲にしても石原ペースで綱領に現憲
法を「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)めた」と書かせてしまった。
まさにとどめの一撃である。

BBCと読売が世界22か国で実施した好感度調査で日本は58%の支持を得て
‘世界に良い影響を与えている国家’1位だ。中国は5位。韓国などどこにあ
るか分からない。平和憲法が貢献していることは間違いない。「孤立
と侮蔑」は石原本人が対象なのであって、日本ではない。

橋下は自民党の憲法改正草案を「危険だ」と述べる前に、「核武装、徴兵
制」の「石原改憲」の方がよほど危険なことを弁護士なら理解すべきだ。

こうして維新は日本の政治における“立ち位置”が不明になってしまった
のだ。橋下は「選挙の焦点は道州制など統治機構改革と大阪首都構想の実
現」と述べるが、この方向性も説得力はない。

道州制論議など50年も前からあって、埃にまみれている。大阪都構想な
どは大阪以外はどの自治体も支持しない。発想が井の中の蛙なのである。
従って維新は完全に行き詰まった状態にある。

もともと維新には「風」が頼りの候補しか集まらないとみえて、地道な選
挙運動などはそっちのけの候補が多い。橋下も「選挙区でしっかり選挙活
動をやらないといけないのに、比例区名簿に乗りたいメンバーしか集まっ
てこないとは情けない」と嘆いていることで実情は十分分かる。候補の質
が最悪なのであろう。

こうした“難破船”からはネズミが逃げるのが常だが、ネズミどころか、
“老虎”が逃げ出しそうな事態が発生した。

朝日によると自民党にとどまっていたら相当なところまでいったはずの切
れ者の維新国会議員団幹事長代理・園田博之が地元天草市の後援会会合で、
次回の参院選・熊本選挙区では自民党候補を応援する方針を明らかにした
のだ。

既に維新は同選挙区に候補を擁立、みんなの党と選挙協力で一致している
が、おそらく肝腎の園田の意向を無視して決定したに違いない。苦し紛れ
か幹事長・松井一郎は「維新の得票を上げるための手練手管をやっている」
と奇妙奇天烈な“分析”をした。

何で他党の候補の応援が維新の得票を上げるのか分かる人はいない。最大
の反党行為なのに波風を立てないで臭い物に蓋だ。

こうして維新の「全国制覇、橋下首相」などは、人生の栄華のはかなさを
あらわす「一炊の夢」に終わらんとしているのだ。参院選挙も先に自民60
議席と読んだが、自民は64〜65議席いくかも知れない。維新はせいぜい10
議席台前半の12〜 14議席にとどまる可能性が出てきた。

民主ではなく自民党が維新を食う構図である。

           (政治評論家)<2013年05月13日>



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政権陥落の一因は小沢氏 菅直人元首相
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             古澤 襄
 
何のために開いたのか、参院選を前にした民主党の「公開大反省会」だと
したら、票を失うイベントだとしか思えない。スポーツ紙から政権を失っ
た“最大の責任者”菅直人元首相は反省どころか、言い訳と悪口を連発す
るばかりだった・・・と揶揄されている。
 
”脱小沢”、”小沢切り”を主導した菅直人氏は、「(小沢氏は)ここま
でひどい(人)とは思わなかった」。小沢氏が、党政策調査会を廃止した
ことにも「あれで党と内閣がぎくしゃくしたことが、政権を失った大きな
理由だ」と述べ、政権陥落の一因は小沢氏だと言わんばかりだった。
 
これには小沢氏側も一言あってもしかるべきだろう。それとも過去の人と
なった菅直人氏?の”ひとり相撲”にはつき合っていられないということ
だろうか。
 
<民主党は11日、政権を失った原因を探る「公開大反省会」を都内で開い
た。しかし“最大の責任者”菅直人元首相(66)は反省どころか、言い訳
と悪口を連発するばかりだった。
 
菅氏は、政権時代に対立した小沢一郎・生活の党代表(70)への思いを問
われ、迷わず答えた。
 
「自分の権力が最大限の状態を維持しようとした。ここまでひどいとは思
わなかった」。さらに「現在は消費税増税を批判しているが、細川政権時
は増税に積極的だった。自分の政治的影響力を強めるには、何を言えばい
いか。そう思えば分かりやすい」とも語った。
 
小沢氏が、党政策調査会を廃止したことにも「あれで党と内閣がぎくしゃ
くしたことが、政権を失った大きな理由だ」と述べ、政権陥落の一因は小
沢氏だと言わんばかりだった。同席した枝野幸男元官房長官が「分からな
い人」、長妻昭元厚労相が「感覚は違う」と短く答えたのとは対照的だっ
た。
 
矛先は自民党にも及び、東日本大震災後に協力しなかった理由を「衆院解
散優先が、自民党のスタンスだった」。脱原発については「民主党だから
原発を少なくできた。自民党はできない」と胸を張った。
 
しかし、消費税増税を掲げて敗れた10年参院選について、枝野氏に「あそ
こで打ち出すことはない、ということは申し上げた」と暴露され「未熟だっ
た。多くの仲間も失いまずかった」と釈明に追われた。

東日本大震災、福島第1原発事故での対応を自省する半面、「もう総理大
臣はやりたくない」とあっさり答えた。
 
参加者からは「反省ではなく言い訳だ」の指摘も。大反省会のはずが、企
画倒れの側面も否めなかった。(日刊スポーツ)>
 
2013.05.12 Sunday name : kajikablog 



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「愛情家族」から「利便家族」へ
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           平井 修一

5月12日の昼、一族11人が集まり、母の日と遅ればせの端午の節句を祝っ
た。小生は相変わらずのキッチン担当で、ポテトサラダ、鶏唐揚げ、冷や
し中華でもてなした。デザートは近所の和菓子屋で求めた柏餅。料理は好
評で、皆、賑やかに楽しんでくれた。

いつものことだが、小生は体力がないので料理を作り終えるとぐったりす
る。「作りながら片づける」「片づけながら作る」という主義だから、料理
を作り終えたときはキッチンはほとんど片付いている。

それはいいのだが、この主義でやれば仕事量は2倍になるから、老化とと
もに小生にはだんだんシンドクなってきた。いつまで続くものやら・・・

昼食をとる気にもなれずに小生は横になって読書を始めたが、いつの間に
か眠ってしまった。目覚めるともう3時で、子・孫らはオヤツを食べなが
らおしゃべりを楽しんでいる。それを片づけて小生も紅茶を飲みながら一
服したが、早くも4時になり、犬の餌やりや洗濯物の片づけ、夕食の準備
が始まった。

夕食は手抜きで、サンマの塩焼きと味噌汁、それに昼の残り物で済ませた。
洗い物はカミサンがやってくれたので、小生はパソコンに向かってのんび
りするが、それにしても4歳6か月の孫娘と1歳11か月の孫息子は泣いたり
笑ったりしながら1日中ドタバタしている。賑やかと言えば賑やか、騒々
しいと言えば騒々しいが、それも今のうちだけなのだろう。

午後8時、遊び疲れた孫たちは風呂に入って寝るモードになった。小生が
キッチンで明日の朝食の準備をしていると、カミサンは子供たちから贈ら
れた赤ワインを楽しんでいる。

「いいなあ、うまいだろうなあ、疲れたときの一杯は格別だろうなあ」と
思いながら、「俺は病気なんだから飲んじゃあいけないんだ、仕方がない」
と自分に言い聞かせるのだ。自業自得だが、「くそ!」と思ってしまう。

家族とはなにか。夫婦を核とし、子供を含めてひとつ屋根の下で暮らす運
命共同体だろう。子供が育って独立すれば、家族は拡散し絆は薄くなり、
代わって「一族」になる。

今は家制度がほとんどなくなってきたから、夫婦で始まり、やがては後先
はあるが夫婦で終わる。今の世の中ではこれが普通だ。

子供は独立すれば、たとえ血脈はあろうが“他者”である。他人ではない
が他人に似たものである。子供は老親の面倒は見たがらないが、老親がそ
こそこ元気で金があれば、利用できるうちは大いに利用する。お互いに利
用し合う中になる。

かくして愛情というか子孫を残すという本能で結ばれた「愛情家族」から
「利便家族」になる。夫婦だって「愛情夫婦」から「利便夫婦」になり、
いずれは介護される側か介護する側になる。儚いと言えば儚い、寂しいと
言えば寂しいが、それが現実だろう。家族や老後に過大な幻想は持つもの
ではない。

歯を磨き、パジャマに着替え、コーヒーを入れて一服する。忙しかった1
日が終わる。明日はどんな日になるのだろうか。(2013/05/12)



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台湾少年工たちの誇り
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     伊勢 雅臣

8千4百余名の台湾少年たちが戦時下の日本で軍用機生産に貢献した。

■1.台湾からやってきた約250人の人々

台湾高座会という団体がこの5月9日、約250人ほどの会員を台湾から日
本の神奈川県座間市に送り込んだ。先の大戦中、8千4百余人もの15歳前
後の少年たちが台湾から日本にやってきて、学びながら、神奈川県座間、
大和の「高座海軍工廠(直属の軍需工場)」で軍用機製造にたずさわった。
その人々が今や80代になって、再び、来日したのである。

他の近隣諸国なら、これは戦時徴用で賠償を求める裁判に来たのか、と疑っ
てしまうが、この人々は違う。初来日から今年で70年を迎える記念式典に
参加するためである。

今年4月に日本政府から旭日小綬章を受賞した台湾高座会会長・李雪峰さ
ん(86)は当時を懐かしんで、こう語る。

「小さい子どもだから(服の)ほころびを繕えないということで、農家の
お姉さんやおばさんが、いらっしゃいよ坊やと言って、繕ってくれるんで
すよ。食料不足の中でも芋を一つ二つくれるんですよ。それを子どもたち
が非常に大事に食べて」。[1]

こう語る元少年工たちは、日本でどんな青春の日々を過ごしたのだろうか。

■2.「この親不孝者め」

少年工の一人、彭炳耀少年が父親に叩かれたのは、後にも先にも、この時
だけだったという。


「このバカ者め。親の許しもなく、みよりのない内地(日本)へ行くとは
何事か。俺の印鑑を盗んで、志願書(海軍工員)に捺印することはもって
の外である。この親不孝者め」。[2,p1]

国民学校の先生から知らされた少年工の話は、中等教育を受けつつ、工場
実習で給料も貰え、衣服、食事、住居が支給され、5年後には技師になれ
るという好条件だった。それに当時の台湾少年にとって、内地は一生に一
度で良いから行ってみたい、夢のような所だった

あるクラスでは、受験者が三十数人も出て、そのうち合格したのはわずか
3人だったというから、競争率は10倍以上だった。彭少年は無事に合格し
た。出発の際には、「お父さん行って参ります。お体お大事に」と挨拶し
たが、父親は何も言わずに、彭少年の顔を見つめるだけだった。

兄姉たちに見送られて、昭和19(1944)年4月2日夜、台北南西80キロほど
の新竹駅から他の合格者らとともに専用列車に乗った。台南の高雄港から、
輸送船に乗せられ、大荒れの海を船酔いに苦しめられながら、日本に向かっ
た。

■3.「全員一丸となって、懸命に働いた」

当時の高座海軍工廠は座間、大和など数村にまたがる30万坪の用地に、工
員1万人を擁し、最新鋭の局地戦闘機・雷電を生産していた。このうち
8400人が台湾出身の少年工であった。

この頃は日本内地では15歳以上の男子はほとんど軍隊に志願したか、徴用
工員として軍需工場で働いていた。そこで「台湾には日本教育を受けた優
秀な少年がいる」との発案から、今回の募集になったのである。

10畳の10人部屋を2階建てで20室備えた木造寄宿舎に1棟200人が入り、
それが40棟並んでいた。そこに4月頃から、台湾から到着した少年工たち
が続々と入寮した。

彭少年は基礎技術をみっちり鍛えられた後、その夏には1千名の少年工と
ともに、名古屋にある三菱大江航空機製作所に派遣された。そこでさらに
約20日間、飛行機製造の基礎を叩き込まれる。

指導員は厳しい中にも思いやりがあって、少年工たちの腕はみるみるうち
に上達した。彼らが作業に入るようになってから、生産は大きく伸び、廠
長から団体表彰を受け、また個人表彰も数人受けた。三菱のお偉方からも
「大人たちをはるかにしのいでいる。しかも優秀な飛行機を製作している」
と直々に褒められた。

本廠(大江)にきている学徒兵、女子挺身隊、製作員、そして少年工たち
も、全員一丸となって、立派な飛行機を一機でも多く生産するように、懸
命に働いていた。・・・我われの作った飛行機が、任地で終戦になるまで
に、一機も故障がなかったことを付記したい。[2,p188]


■4.「お前ら、俺を殺すなよ」

本拠地の高座工廠に残った少年工たちは、雷電の製作に携わったが、完成
した飛行機はベテラン・パイロットが試験飛行をした上で、戦地に送られ
る。

ある時、試験飛行中の雷電が墜落するという事故があった。1万1千メー
トルほどに急上昇した後、水平飛行に移ろうとした瞬間に、何の前触れも
なく、突如、機首を真下にして、真っ逆さまに落ちていった。

テスト飛行をしていた森益基(ますき)兵曹は態勢を建て直そうとあれこ
れ操縦を試みたが、全く手応えがない。機体は瞬く間に4、5千メートル
落下した。

脱出装置の引き金を何度も引いたが、気があせっているせいか、びくとも
しない。なにくそと渾身の力を出して引っ張った時、落下傘と自動扉が開
き、森兵曹の体は空中に押し出された。そのまま泥沼の田んぼの中に降り
立った。脱出時に機体に頭をぶつけ、田に降りた時に、足を挫いただけで
済んだ。

翌日、森兵曹は頭に包帯を巻き、松葉杖をついて、工場に現れた。少年工
たちはお目玉を食らうのを覚悟して、恐る恐る森兵曹の周りに集まってき
た。森兵曹は後に、この時のことを思い出しながら、こう語っている。

「おそるおそると近寄ってきた、集まった坊主らのあどけない顔を、一人
ひとり見ているうちに叱責するのを止めた。俺は笑いながら、「お前ら、
俺を殺すなよ」と言い終わるや、きびすを返して工場の門を出た」。
[2,p124]

その場に残っていた少年工たちは拍子抜けするとともに、森兵曹の態度に
胸を打たれた。なかには「兵曹殿、すみません」と涙を流した者もいた。

■5.故郷に帰れなかった少年工たちの慰霊碑

早川金次技手は、少年工たちと共に、高座海軍工廠の機械工場で軍用機の
部品を製造していた。座間町の山の下に地下壕を掘って、工場全体がその
中に入っており、昼夜交代で200人近くの少年工が作業をしていた。

高座海軍工廠で量産していた局地戦闘機「雷電」は、米国の超大型爆撃機
B迎撃のために名機・零戦の設計者・堀越二郎[a]が開発したもので、8千
メートルまで9分45秒で上昇するという高性能を発揮していた。

この雷電が少年工たちを主力とする高座海軍工廠で、終戦までに百数十機
が作られた。そして厚木の第302航空隊でB29爆撃隊を迎撃し、多大の戦果
を上げたという。

昭和20(1945)年8月15日の終戦の後、早川さんはしばらく機械工場に残っ
て、残務整理をした。9月5日、日本人の職員・工員たちはそれぞれの故
郷に帰ることとなった。別れの日には、少年工たちは早川さんを取り囲ん
で、「早川技手、元気でいてください」と涙ぐんだ。

少年工たちは、翌昭和21(1946)年1月に日本の駆逐艦で台湾に送り返され
た。その日まで、高座海軍工廠内に保管されていた一万俵の米が少年工た
ちを饑餓から救ったという。少年工たちは自分たちだけで自治会を作って、
統制ある行動をとっていた。

しかし、各地で爆撃に倒れたり、病死して、台湾に帰れなかった少年工も
いた。早川さんは、母の名を呼びながら異郷で死んでいった少年工の霊を
慰めようと、空襲で焼けた自宅の復旧を後回しにして、大和市の善徳寺に
慰霊碑を建てた。

今も、かつての少年工たちが、個人で、またグループで来日すると、この
慰霊碑をお参りしていくという。

■6.「お詫びして頭を下げなければ」

同様に少年工たちと寝食を共にした一人に、野口毅・海軍主計少尉がいる。
九州帝国大学の学生だった野口さんは学徒出陣には歳が足りなかったが、
志願して海軍経理学校に入学し、高座海軍工廠に配属された。

士官用の宿舎は用意されていたが、自ら少年工たちと同じ寄宿舎に住み、
いつも部屋のドアを開けていた。最初のうち、少年工たちは敬遠していた
が、やがて部屋に入ってくるようになった。

戦後は故郷の九州に戻り、半世紀が経った平成5(1993)年4月、かつての
友人から、元少年工たちが来日するという話を聞いて、矢も盾もたまらず、
来日した元少年工たちと会った。

野口さんは、元少年工たちからどんな恨みや非難が出るかと覚悟していた。
自分たちが復員した後、どのようにして生活し、どのように帰国したのか、
それは想像以上の苦しみであったろう。お詫びして頭を下げなければ、と
思っていた。

ところが、元少年工たちが口にしたのは、「大和は第二の故郷です」「こ
の地で経験した試練は、帰国してからも自信となって、あらゆる苦難を克
服することが出来ました」という言葉だった。

実際に、元少年工たちの中からは、銀行の頭取、大学教授、国会議員、中
小企業の社長が輩出して、戦後の台湾の発展を支えたのである。

野口さんは驚いた。しかし、半ば信じられない気持ちだった。あたら青春
を無為に過ごし、進学も出来ず、約束が違ったのではないだろうか、と。

しかし、元少年工たちは「当時のことが懐かしい。多年の念願でもあるの
で、有志そろって来日の予定です」という。2ヶ月後、その言葉通り、少
年工としての来日から50周年を祝う大会に、台湾から大挙して来日した。
戦後も日本に残った人たちと合流して、その数、実に1300人であった。


■7.靖国神社に祀られていた台湾少年工戦没者

野口さんは、早川さんの建立した慰霊碑を見て、戦没少年工のことを調べ
ようと思い立った。各地に残っていた当時の記録を調べ、それらをつき合
わせて、戦没者の名簿を作った。

その名簿を靖国神社に提出して、戦没少年工が英霊として祀られていない
か、調べて貰った。その名簿と、250万柱の合祀者を照合するという困難
な作業の結果、40人がすでに合祀されている、との通知を平成10(1998)年
に受けた。

台湾出身者の少年工たちも、当時は立派な日本国民であり、かつ軍属であ
るから、空襲や病で倒れた場合は、日本人将兵と同様に、国家に命を捧げ
た英霊として祀られる。こういう所が、我が国の律儀さである。

「私は記載された戦没台湾少年工の合祀者を一人ずつ、何度も見つめなが
ら、思わず胸がいっぱいになり、溢れ出る涙をおさえることが出来なかっ
た」。[3,p82]

しかし、野口さんの調査で、12柱の少年工がまだ合祀されていないこと
が判明した。野口さんはこの12柱についても、「元高座海軍工廠主計少尉、
野口毅」の名義により合祀の申請を行った。合祀の申請は、所定の審査を
経た後、陛下に上奏されるという。

■8.「皆さんは、恨みがましいことを一切言わない」

台湾高座会は「台湾亭」という台湾風のあずまやを工期4年、2千万円の
費用をかけて大和市の引地川公園の一角に建立し、平成9年10月22日に市
に寄贈した。かつて、少年工6人が終戦直前に米軍機の銃弾に倒れた場所
である。

将来、この公園を訪れる台湾人に対し、父や祖父の功績を偲ぶことができ
るように、また日本人に対しては、当時のことを忘れず、台湾との架け橋
となるようにとの願いからである。

その引き渡し式のために来日した台湾高座会の代表40人に対して、野口さ
んは次のように挨拶をした。

「当時の日本が、台湾少年工の皆さんにとって、感謝の対象であったとは
私にはとても考えられません。それなのに皆さんは、恨みがましいことを
一切言わない。逆に台湾の皆さんは、あのつらい体験をおのれの人生充実
の糧として生きてこられた。

私はそれが今日の少年工の皆さんの、各分野における成功につながったと
思います。台湾亭はそうした前向きの考え方、今でいうプラス思考の、堂
々たる記念碑なのです。

人生にあの厳しい時代があり、それに耐えたからこそ今日の我々があると
いうこの考え方を、私たちは日本の若い青少年に知ってもらいたい」。
[3,p156]

つらい日々に耐えた歴史を誇りに思い、それを糧として自分の人生に前向
きに向かっていった元少年工たち。それを申し訳ないと思い、せめてもの
償いにと慰霊碑を建て、靖国神社に祀る日本人の心。

歴史を偽造してまで賠償を求める他の近隣諸国とは望むべくもない、まご
ころの通い合いがここにある。


■リンク■

a. JOG(475) 零戦 〜 世界の航空常識を覆した3日間
 1941年12月8日からの3日間に、世界の航空史は新しい時代を迎えた。
http://bit.ly/17dX4VA


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. Yahoo! ニュース「台湾の元少年工、来日70周年記念集会で再会喜ぶ」
http://bit.ly/18BLe6T

2. 彭炳耀『台湾少年工回想録』

3. 野口毅(編著)『台湾少年工と第二の故郷』★★、展転社、H11
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886561683/japanontheg01-22/



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「きょうから直したい言葉遣い」
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          前田 正晶

小塚博著「きょうから直したい言葉遣い」版元・文芸社、

副題−この間違いに気付くと目が覚める:

小塚氏は元静岡放送の取締役だった方で、3月10日に「きょうから直した
い言葉遣い」を上梓された。尤もな指摘があり、これからも文章を書いて
いくために非常に役に立つと思いながら読んだので、ご紹介する次第。

 目次だけを紹介すれば、第1章 思い込みによる間違い、第2章 見過ごし
てしまう間違い、第3章 申し訳ない間違い、第4章 かなり恥ずかしい間違
い、第5章 論理的でなかった間違い、第6章 なるほどと思わせる間違い、
第7章 気付いていた間違い、第8章 間違えないためのヒント、第9章 敬語
を知る、第10章 漢字を知る となっている。

 私は誰にとっても非常にためになる本だと思って読んだ。小塚氏の知識
と学識・経験に敬意を表すると同時に、国語の乱れと漢字の使い方のおか
しさを知り、矢張り教育に問題があるのではないかと思わざるを得なかっ
た。

我が国の英語教育改革の必要性を唱えている者として、音読と暗記・暗唱
の必要性を力説しています。それは、自分の声であっても耳から入ってく
る言葉が最も影響を与えて記憶され、且つ影響を受けやすいのであるから
です。

即ち、テレビに登場する一部の、と言うか野球の解説者であるとか、コン
ビと称する芸人どもの言葉遣いが誠に芳しくなく、それらの悪影響が甚大
であると思うのです。

まともに言葉が適切か否かの判断ないしは判定する力がない者が誤った表
現を聞けば、”悪貨は良貨を駆逐する“現象が起きて、珍妙な言葉が流行っ
ていくことになります。
 
“ら抜き言葉”の横行や小塚氏も指摘されている“挙式を挙げる”等々は
皆、そこに源があると思っています。”きっちりバントで送る”が“きち
んと”であるべきだと指摘された久しいのですが、”きっちり”が“きち
ん”と定着しました。耳から入る恐ろしさです。
 
野球用語の例を挙げれば、英語では”fast ball”なので、当初は速球か
直球だったものが、何時の間にか“真っ直ぐ”になり、それを“ストレー
ト”という英語では考えられない“単語”に置き換えて定着させたのが解
説者(あれは説明者ですが)です。
 
それをアナウンサーたちが躊躇わずに使って中継するものですから、直球
も速球もどこかに消えました。そう言えというハンドブックでもあるのか
と疑いたくなります。
 
私も、告白すれば、つい先頃「救急車で搬送された」と書いてしまいまし
た。実は書きながら、”おかしいな“と感じたのですが、”ま、良いか
“だったのです。耳から入った言葉に影響されました。恥じ入りました。
「搬送」はものを送ることを言い、人を送る際には不適当だと指摘してあ
りました。
 
テレビはその点で恐ろしいほどの影響力があると思います。一流大学をど
のような成績で出てきたのか知りませんが、アナウンサーやキャスターさ
んたちの日本語の怪しさは局の責任と言うよりも、劣化した我が国の教育
の責任だと思いますが。
 
特に英語教育は惨憺たるもので、この点はブログで再三採り上げてきまし
たし、同志とも言えるTK仏文学博士、KS横浜市大・東海大等の非常勤講師
(国文学専攻)と常に語り合っております。此処では、TOEICが最悪な劣
化の材料です。
 
それと、問題はカタカナ語と英語もどきの造語の氾濫です。これを否定し
批判すると、“最早日本語として通用しているから良いではないか”との
反論が多いのです。

しかし、あの99.99%は英語ではありません。そうとは知らずに使えば大
恥をかきます。例えば屡々ナイーヴと言いますが、”naive”はバカとい
う意味で人を誹る時に使う言葉です。英語を話している時に使ってはなら
ないのです。尤も、謙遜するならば別ですが。
 
カタカナ語の乱造と乱用はもっと厳しく論じて良い問題点です。これにつ
いては、08年だったかに元興銀常務の上田正臣氏主宰の財界人OBと言うか
上場企業の元役員・元中央官庁局長等が参加される勉強会で80語ほど例を
挙げてプリゼンテーションをしたことがあります。」
 
長くなりましたが、結論としては広く読まれるべき啓蒙の書で、マスコミ
界のみならず一般の社会人が参考にすべきものだと確信しております。



━━━━━━━
話 の 福 袋
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 ◎アメリカでアジア人がヒスパニックを超えた:前田 正晶

間接的にフロリダ州の"Tampa Bay Times”が4月28日に掲載した、アメリ
カの人種別人口の比率の記事を入手したので、ここに紹介する次第。極め
て興味深い比率になっている。

それによれば、2010年の調査でアメリカの総人口が3億1,391万3,000人で、
その中白人が63.4%、ヒスパニックが16.7%、アフリカ系が13.1%、アジ
ア人は5.8%となっていた。

2000年には移民の中ではヒスパニックが60%でアジア人が20%だったが、
2010年にはアジア人が37%でヒスパニックが31%と逆転していたのだった。
だから、アメリカに行く時は韓国語を覚えていった方が良い等と言いたく
なる訳だ。

アジア系アメリカ人の内訳は、中国人が401万人で23.2%、フィリッピン
人が341万9,000人で19.7%、インド人が318万3,000人で18.4%、ヴェトナ
ム人が173万7,000人で10.0%、韓国人は増えたと言われても意外に少なく
170万,000人で9.9%、日本人は130万4,000人で7.5%となっている。矢張
り、英語が公用語ないしは英国系であった国からの移民が多い。

アジア系アメリカ人は2011年に1,820万人となったが、非ヒスパニック系
白人の1億9,750万人、ヒスパニックの5,530万人、アフリカ系の3,830万人
とは比較にならない。だが、アジア系の増加傾向は続き、特にカリフォル
ニアやハワイでは政界にも進出している。

以上のように報じられていた。韓国人はロス・アンジェルスのKoreatown
だけでも30万人以上いると聞いて驚いたが、全米ではその他にも130万人
もいることになるのもimpressiveである。さて、この界隈には何人いるの
だろう。



 ◎円相場、一時1ドル=102円台に 4年7カ月ぶり

13日朝方の外国為替市場で円相場が午前8時すぎに1ドル=102円台に下
落した。2008年10月以来、約4年7カ月ぶりの円安ドル高水準となる。1
02円10銭台まで下げたが、その後は102円をはさむ展開となってい
る。

午前8時半現在は、1ドル=101円99銭−102円01銭、1ユーロ
=132円21−24銭となっている。
 
円相場は前週の10日未明に1ドル=100円を突破し、午前中に101
円台まで下落したあとは主に101円台で取引されていた。13日朝方は
101円台後半で取引が始まったが、徐々に円が値下がりした。

産経新聞 5月13日(月)8時41分配信 



 ◎読売世論調査で内閣支持率72%  古澤襄
 
2013.05.13 Monday name : kajikablog 

演出プロデューサーがいるのかと思うくらい安倍首相の露出度が目立って
いる。昭恵夫人(50)が大の南こうせつファンという縁で、親交がある南
こうせつコンサートにゲスト出演、こうせつのギターに合わせ熱唱した。
 
「強固なナショナリスト」と米国議会調査報告書でレッテルを貼られた安
倍首相だが、やっていることはナショナリストとは似つかわない。それも
これもネット解禁の参院選で若年層の支持を意識したパフォマンスなのだ
ろう。
 
読売新聞は全国世論調査(10〜12日)を実施したが、安倍内閣の支持
率は72%。政権復帰以降、高支持率を維持している。準国政選挙と位置付
けた6月の東京都議選で民主党から第一党の座を奪還し、7月の参院選に
なだれ込む勢いだ。
 
やはりアベノミクス効果で日本経済に明るい兆しが見えていることが、世
論調査でも65%の「評価する」で現れた。衆院選での「1票の格差」を是
正するため、小選挙区定数の「0増5減」を実現する区割り法案が今国会
で成立する見通しとなったことを評価する人は68%に達した。
 
<読売新聞社は10〜12日に全国世論調査(電話方式)を実施した。
 
安倍内閣の支持率は72%(前回4月12〜14日は74%)で、内閣発足から4
回続いていた上昇は止まったが、高水準を維持した。不支持率は 20%(前
回17%)だった。 

安倍内閣が日本銀行との連携を強化し、成長重視の経済政策を進めている
ことを「評価する」は65%(前回67%)を占めた。安倍内閣が景気回復を
実現できるとの回答は55%(同57%)に上った。ただ、景気回復を「実感
している」という人は21%にとどまり、「実感していない」が76%に達し
た。
 
環太平洋経済連携協定(TPP)への参加については、「賛成」が55%
(前回60%)で、「反対」は28%(同28%)となった。
 
憲法96条で定められている憲法改正の発議要件を、衆参各院の3分の2以
上の賛成から、過半数に引き下げることに「賛成」は35%、「反対」は51
%だった。
 
衆院選での「1票の格差」を是正するため、小選挙区定数の「0増5減」
を実現する区割り法案が今国会で成立する見通しとなったことを評価する
人は68%に達した。「0増5減」の実現後、選挙制度の抜本的な見直し
を「急ぐべきだ」という回答は 66%に上った。(読売)

 

━━━━━━━
反     響
━━━━━━━


 1)> 時恰も地震国トルコから「巨大地震に耐えた日本の原発技術力と
経験を信じて購入したい」と嬉しい便りがありました。津波被害の福島第
> 一と耐震性を証明した福島第二や女川原発を正しく評価してくれたので
> す。

訂正が一つあります。

東京電力福島第一原発は津波被害で全滅したように書かれていますが、津
波被害で破壊されたのは1号機から4号機までで、5号機と6号機は現在冷温
停止状態であり、いつでも再稼働できるようになっています。
                         (荒木純夫)


 2)寿命よりも余命の方の伸びが著しい。

つまり、定年になったら、10年後には寿命が尽きたものを、その倍以上も
生きることとなった。

そのため、定年が早すぎるのではないかという、話が出てきた。定年65歳
になっても、その時点で初めて、昭和20年ころの平均余命と同レベル。今
後の医療の進歩を見れば、これからの定年は70歳でもいいのかもしれない。

でも、根性無しで意気地無しの戦後生まれには猫に小判かも。すでに、意
欲が無くなっているから。添付の37ページが、分かり易いです。     
                     (酒井 富雄)



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


なかなか5200人に迫れない。5180に減ったと思ったら突然6人も増えた。13
日の東京湾岸の天気みたいだ。予報に反して曇り、今にも降りそうかと思
ったら突然晴れだした。

読者:5186人

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創刊日:2004-01-18  
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  • 名無しさん2013/05/14

    伊勢雅臣さんの「台湾少年工たちの誇り」感動で涙が出ました。前田正晶さんの「今日から直したい言葉遣い」文章も然りで同感です。加藤 彰(AKKIR)

  • 名無しさん2013/05/14

    http://ccce.web.fc2.com/imgk/oda.html

    本来は韓国に謝罪する義務も金銭を支払う責任も無い 

     

    韓国で出産した韓国人に医療費を還付? 

    http://tonogodz.blog70.fc2.com/blog-entry-319.html



  • 名無しさん2013/05/13

    しっかりとした職業を持たなければ、先天の修行はできないからであり、常識の社会から逸脱しないストッパーにもなっている。それはまた、金銭欲に走らないようにとの自戒でもある。

  • 名無しさん2013/05/13

    私の周りの方々、特にダンスをずっとやっている方々、運動をし続けている方々は、40代で初産ばかり増えていて、中には40代で結婚して、40代初産で2人産んだ方(しかも五体満足な子供)もいます。

     

    (特に股関節を柔らかく保っている女性達です。女性の股関節の状態は大いに関係ある様子です。)

     









    ・・・彼女達と話をしていて思いましたが、45歳で2人目を産むときは、五体満足な子じゃないんじゃないかとか、リスクがどうのこうのとか、周りの先輩女性からの”脅し”みたいなことを言われることも多かったみたいですが、そんなの気にするのがアホらしい結果になったのです。

     







    中には30代でも20代でもリスクがどうのこうのになって障害を持った子供が生まれることも多いです。

     





    人によって、上記のように40代でも五体満足な子供を産む方も大勢いらっしゃるので、母体の年齢はあまり関係ないみたいですね。

     





    ホント、人によりけりです。

     







    普通にスルリと難なく45歳で五体満足な子供を産んでいらっしゃいます。安産ですよ。しかも40代で初婚ですよ。

     





    当時、どれだけ周りの先輩女性達にとやかく「リスク高いよ〜!」と言われたことか!想像つきます。

     





    でも、全く気にしなかった彼女の勝ち!

     



    (ただし股関節を柔らかく保ってダンスで鍛えていたのが秘訣です。)

     







    一昔前の女性の言うことは聞く必要がなかったのですよね。

     

    30代でなぜ女をあきらめることを周りから強要される必要があるのでしょうかね?

     







    彼女は「40代でも肉体年齢が20代」女性の世代の一人なのです。DNAが変容してきている世代です。

     



    もし彼女が結婚、出産を圧力に押しつぶされてあきらめていたらどうなっていたことでしょう???

     





    自分次第なのです。誰が、他人が、とやかく言う権利があるでしょうか?

     





    その方の影響で、その身近な女性達も、「まだ大丈夫なんだ〜!」と意識が変わって、次々と40代で初産が増えていっているのですよ。

     

    彼女は、私の周りでの、まさにパイオニアなのです。

     





    その身近で5人ってものじゃないです。

     





    どんどん、40代で初婚で初産が増えていっています。身近で。

     





    もっと増えていく一方の現象が続いているのです。現在進行形ですよ。

     





    ですから、どう見ても、現代の女性の老け速度は、実年齢とは関係なさそうです。

     









    DNAが変容している世代だと、確信しています。

     







    もしかして寿命が百歳にまで延びる人々も、ちょっとずつ出てくるのかもしれませんね。

     







    まとめると、「40代でも出産可能」だということです。

     







    とにかく、今の30〜40代の方々は、アホらしい周りのサザエさん世代の時代の人々の言うことは真に受け取らないで、気にしないで、ゴリゴリと意識を強くして高めてキープして生きていってくださいね!

     



    (プラス、股関節を柔らかくするストレッチは必ずしておくのがポイントです。開脚です☆ 日本語に”うまずめ”っていう言葉がありますが、あれは石女ということなので、文字通り、体が硬くなって石の女になってしまわないように、股関節ストレッチをして保ってくださいね〜♪ ヨガが良いらしいです☆)