政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針2909号  2013・3・26(火)

2013/03/26

□■■□──────────────────────────□■■□
  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2909号
□■■□──────────────────────────□■■□



        2013(平成25)年3月26日(火)



                           1週間に亘る休刊のお詫び:渡部亮次郎

                           4・28は日米安保の日:山堂コラム 463

                 広島高裁判決は最高裁では維持されない:杉浦正章

                               「安倍長期政権」の予感:杉浦正章

                             丹波哲郎の愛妻・貞子さん:古澤 襄

                         話 の 福 袋
                         反     響
                         身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第2909号
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
               御意見・御感想は:
                  ryochan@polka.plala.or.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
                    下記のホームページで手続きして下さい。
  
       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/

    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/



━━━━━━━━━━━━
1週間に亘る休刊のお詫び
━━━━━━━━━━━━


   主宰者 渡部亮次郎

このたびは私の不注意から転倒による右手等の負傷のため当「頂門の一
針」を8日間も休刊してしまい、大変申し訳ありませんでした。この間
多くの方々からお見舞いや激励のお言葉を賜り、允にありがとうござい
ました。

お蔭さまにて右手のギブスが25日夕方取れましてマウスの操作は自由に
なりましたので配信を再開いたします。

振り返れば18日午前10時半ごろ、猿江公園のトイレに入ろうとしたとこ
ろ、急ぎすぎて段差に左足をひっかけて前向きに転倒。右手、右胸を強
打しました。そのときはさしたる痛みを感じませんでしたが、夕方にな
って患部に強烈な痛み。

急遽かけつけた整形外科医院で右手首と左胸部肋骨にヒビがはいってお
り全治1ヶ月との診断。ヒビでは自然治癒を待つしかないためです。

右手首にギブスを装着されたため、PCのマウスは操作することが当分
不能となりましたため、当分の「休刊」をお願いせざるをえませんでし
た。

医師によれば回復は順調で、とりあえずギブスは25日限り不要となりま
したので配信再開にいたりました。

うれしいことがもう一つありました。休刊中愛読者が一人だけながらふ
えていました。ありがたいこと限りありません。

                             以上



━━━━━━━━━━
4・28は日米安保の日
━━━━━━━━━━


  山堂コラム 463

晋三君(総理)の親父(故・晋太郎氏)が外務大臣だった時、2度メキ
シコに一緒に行った。表向きの理由はメキシコ地震の見舞いということ
になっていたが他に目的があった。そのことについては機会があれば又
触れる。

2度目の時のメキシコシティの帰りに桑港に立ち寄って所謂・サンフラ
ンシスコ講和条約が結ばれたオペラハウスの見学にも行った。洋子夫人
はいっしょだったが晋三君はその時はいなかったような気がする。

以来、講和条約が結ばれたのは昭和26(1951)年9月8日だと記憶して
いたので菅官房長官が今回、4月28日に政府主催の記念式典を挙行する
と発表した(12日)折には違和感を覚えた。

菅発表によると、天皇皇后両陛下のご臨席を仰いで賑々しく「日本の主
権回復と国際社会復帰を記念する式典」にするのだという。

自民党が4月28日を主権回復記念日だとして運動を始めたのは平成に入
ってから(9年)。議員連盟(野田毅会長)も立ち上げて先の衆院選で
は選挙公約にも盛り込んだが、しかしそれ以前に4・28という日付が特別
の日として喧伝されることは無かった。

勿論、サンフランシスコ講和条約が9月8日に調印され、翌年の4月28
日に発効したというのは確たる史実である。日付で言えばその翌日4月
29日が昭和天皇の誕生日であり、晋ちゃんの親父(晋太郎)も同じ誕生
日であった。

先のミカドが御隠れになったあと、4月29日を「緑の日」にしてみたり
「昭和の日」に戻したりと、これもええ加減な対応だが、今度はその前
日を主権回復の日にするんだとか。

5月の連休を控えて旗日をもう一つ増やそうというのでもあるまいが、
肝腎なことは昭和52年4月28日のこの日に果たして日本の主権は回復し
たかという点に拘る。

講和条約といっしょに調印されたものに日米安保条約(旧)がある。こ
ちらはオペラハウスではなく桑港の米軍基地内で調印が行われた。吉田
茂は同道した池田勇人に「君はまだ若くてこれからがあるから」と言っ
て部屋に入れず単独で署名した。

安保条約によって日本が依然として米軍による隷属状態。それが続くと
分かっていたから後の池田首相にキズがつかないよう配慮したのである。

日本国憲法と日米安保条約の両輪によって戦後の復興と経済的繁栄が実
現したのは紛れもない事実。しかし60年以上経った今も、沖縄県は米軍
の前線基地であり、本土だって横須賀や岩国、三沢などには米軍が常駐
している。

軍事的主権の回復は未だし。独立国家としての主権が回復したとは言え
ぬわけで、それは「4・28主権回復の日」を推進してきたグループや自民
党の有志諸君らも十分承知している。「憲法9条改定(軍事的主権の回
復)」と「日米同盟の深化」は両刃のヤイバの二律背反、相互に矛盾す
るものであることも。


開国したばかりの明治の御代では日清・日露の戦さが日英同盟の頸木
(くびき)による請負戦争の色合い濃厚だった如く、昭和の御代も、先
の大戦以後は米国からの軍事的・経済的頸木(くびき)。

これから遁れることは容易なことではない。今でも日本国を属国だと思っ
ている米国は、日本の核武装と常任理事国入りは絶対に認めない。

バツイチ出戻りの安倍晋三内閣。怪しげなエセ右翼やネットコンに煽
(おだ)てられて調子に乗ってやっているが思わぬところでまた躓くは
必至。悪いことは言わん。腹痛再発を予防するためにも今回の4・28は止
めておいた方がいい。(了)



━━━━━━━━━━━━━━━━━━
広島高裁判決は最高裁では維持されない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━


                         杉浦 正章

恣意的な突出無効判断

いやはや訴訟を起こした弁護士も「勝訴」の垂れ幕も用意せず、「無効
のときのコメントは用意していなかった」と述べるほどの 予想外の判
決であった。

「違憲かつ無効」とは、まるで昨年の総選挙がクーデターであったとい
言わんばかりである。この判決を下した広島高裁裁判長・筏津(いかだ
つ)順子の顔が見たくなって、ネットを検索したが、ヒステリーとも思
えない顔をしていた。ごついが温和そうなフツーのおばさんであった。

しかし戦後初の無効判決は、明らかに突出している。したがって最高裁
判決では維持されないだろう。判決は1高裁の「警告」でしかない。そ
れも恣意的な目立ちたがり判決の性格を持つ。政府・与党は、0増5減
法案を早く成立させるだけだ。

政治的に見れば広島1区と2区の該当議員は明らかにとばっちりを受け
た。両区とも1票の格差は最高裁の判決で違憲とされた2.3倍より遙
かに低く、外相・岸田文男の1区で1.54倍、2区は1.92倍だ。合憲
の範囲内で選挙をやって「無効」にされたのではたまるまい。

最高裁がこれまで76年と85年の違憲判決で「無効」と断じなかったのは、
違憲性は区割り自体にあり、当該選挙区の議員だけが割を食うのは避け
たいという判断があったからだ。2区の平口洋が「無効というのはちょっ
と踏み込みすぎではないか」と不満を述べるのももっともだ。

それどころか自民党内には「 到底受け入れられない不当判決」「国会の
独立性を揺るがしかねない行為だ」という批判が生じている。このあた
りが本音だ。

最高裁がこれまで「無効」と判断しなかったのは、裁判官の間で司法は
国権の最高機関たる国会に対して抑制的に対処すべきと言う思想が定着
していたからに他ならない。当時は中選挙区制だったが格差は4倍から5
倍もあり、計算方法によっては6倍に達した例もあった。にもかかわらず
抑制的であったのだ。

今回の場合、たかがとは言わないが、2.3倍であり、それも昨年末の
与野党合意で0増5減法案が成立、これに基づき28日には衆院議員選
挙区画定審議会から区割り見直し案が勧告される予定だ。これに基づい
て政府・与党は法案を早期に提出、成立を図る段取りになっている。

高裁判決に対して最高裁がどう出るかだが、「突出判決」を維持する流
れではない。最高裁が無効判決を出す場合は、1選挙区の違憲性の判断
ではなく、区割り全体の違憲性を判断するから、訴訟全選挙区を無効に
するというのが一般的な見方だ。

そうなれば、安倍は解散に踏み切らざるを得ないことになり、せっかく
安定軌道に乗ろうとしている国政が大渋滞する。さすがに地方の裁判官
の近視眼的な判断ではなく、最高裁判事ともなれば“偉い”のだ。正確
に言うと総合判断力があるのだ。だから「広島踏み込みすぎ判決」はま
ず99%維持されない。

政府・与党はもたもたしているときではない。“偉い”最高裁判事の心
証を良くするためにはとりあえず、0増5減を早く成立させることが肝
要だ。

面白いのは、小沢一郎が、一連の違憲判決を見て首相・安倍晋三が「好
機ととらえて夏に衆参ダブル選挙があり得る」という情報を流していた
かと思ったら、また党首で発言する者が出てきた。みんなの代表・渡辺
喜美が「衆参ダブル選挙も考えなくてはいけない」と述べているという。

自民党支持率40%。内閣支持率70%。いまダブルをやれば自民党単独で
300議席突破。相乗効果で参院のねじれも一挙に解消する。まさに絶好の
機会ではあるが政治は奇道を選んではならない。

大道を選ぶべきだ。渡辺の軽さは広島高裁の判決に勝るとも劣らない。
まさに鴻毛のごとしだ。

    (政治評論家) <2013年03月26日>



━━━━━━━━━━━
「安倍長期政権」の予感
━━━━━━━━━━━


           杉浦 正章

破竹の勢いVs馬糞の川流れ

首相・安倍晋三の「野党は10年待て」発言が、早くも自民党政権の
“増長の兆し”を示しているが、まだ当分その反動が表だって生じる気
配にはない。総じて政権は破竹の勢いである。民主党は脳しんとうのま
ま、意識は回復しないかもしれない。

野党は馬糞の川流れでばらばらである。マスコミは朝日新聞などが隙あ
らばと狙っているが、経済が上り調子の政権にはその隙がない。石の上
にも3年とはよく言った。臥薪嘗胆3年3か月の歳月が長期政権への基
盤を醸成していたのだ。

安倍は「運も実力のうち」と述べているが、たしかにアベノミクスは大
当たりに当たった。なぜ当たったかといえば、国民が210年ものデフレに
飽き飽きしていたからだ。

とりわけ3年3か月の民主党政権は経済への無知蒙昧(もうまい)ぶり
をさらけだし、極左政党でも考える“景気の好転”などという文字は自
らの辞書から消去してしまっていた。

そこに安倍が1年間かけて準備をした景気対策を打ち出したのだ。あの懐
かしい自民党の景気対策だ。市場には干天の慈雨のごとくに映った。

「嘘でもいい。“上げ”が欲しい」と市場は飛び付き嘘から出た誠のよ
うに現状が推移しているのだ。民主党の元官房長官・枝野幸男をして
「われわれなりに蓄積をしてきた部分はあるけれども、自民党の蓄積と
は比べものにならない。自民党はうまい。」と驚嘆したのももっともだ。

経済に加えて安倍がラッキーなのは、悪役を演ずる“外国”の存在であ
る。国家主席に就任した習近平は、就任前から外なる敵を日本に設定し
て軍部を引き締める動きを展開した。愚昧の見本である右翼・石原慎太
郎が火をつけた結果、尖閣問題をフルに活用させてしまったのだ。

習にしてみれば汚職蔓延、貧富の格差拡大、国民の不満爆発寸前の共産
党1党独裁体制の“危機”を救ってくれる由一無二の手段が尖閣問題で
あったのだ。こうして主席となった習は今後ことあるごとに国内向けに
「尖閣カード」を切り札に使うだろう。しかし本格戦争には乗り出さな
い。

現在の中国の海軍力では、自衛隊を相手にしただけでも壊滅的打撃を食
らうからだ。一時的にせよ負ければ、それこそ体制の危機が訪れる。だ
から尖閣問題は「叫べども戦わず」が基本なのだ。

この習の基本姿勢は、保守化路線をひた走る安倍にとってはすべてプラ
スに“逆用”できる。減少し続けた自衛隊予算の増加、憲法改正、集団
的自衛権の行使、普天間基地の辺野古への移転など、重要懸案にはこと
ごとくプラスに働くのだ。

破竹の勢いが一番顕著な部分は、支持率になって現れる。内閣支持率7
0%だけでも大変なものだが、自民党支持率が40%というのは驚がくの
数字である。

いうまでもなくアベノミクスと尖閣問題が国民世論にプラスの反映をも
たらしていることになる。“嫌な外国”の存在が国民の憎悪感を外部に
向かわせているのだ。

問題は経済と外交・安保におけるこのペースが長続きするかどうかだが、
予見しうる将来にわたって崩壊する芽は生じていない。民主党政権があ
の体たらくで首相を代えながらも3年3か月持ったのは、最初に取った
308議席の“貯金”があったからだ。

過去の自民党政権では沖縄返還選挙での佐藤栄作、死んだふり解散の中
曽根康弘、郵政解散の小泉純一郎などいずれも300議席前後を取った宰相
が、長期政権を達成している。安倍は294議席を獲得した。政権維持にと
っての決定的要素は「300議席前後」がキーワードになると言ってもよい。

加えてかつて安倍が自ら作った衆参ねじれを7月の参院選挙で解消すれ
ば、破竹の勢いは継続することになる。党内的にも「安倍降ろし」は生
じようがない。

さらに民主党政権が反面教師になって、国民のガバナビリティ(被統治
能力)を向上させた側面が大きい。この政党を選べば、このように国民
生活に跳ね返るという政治の本質を国民が“学習”したのだ。

かねてから国民は馬鹿な民放ニュース番組、タブロイド版や週刊誌など
への対応はそれなりに軽蔑を伴った目で一段と軽く見るようにはなって
いる。しかし、今回の学習効果は朝日新聞などもろ手を挙げて民主党政
権を礼賛、政権交代を煽った“高級メディア”に対しても発揮される傾
向が大きいと見る。

原発反対の朝日の主張が、選挙結果にまるで反映せず惨憺たる結果に終
わったことが顕著に物語る。国民の見る目が養われれば、安易な政権交
代は控える流れが主流となり、安倍政権にはプラスに作用するのだ。い
ま一番危険なのは冒頭指摘したように政権の“慢心”だけであろう。

         (政治評論家) <2013年03月25日>




━━━━━━━━━━━━
丹波哲郎の愛妻・貞子さん
━━━━━━━━━━━━


        古澤 襄

早朝の日課なので216日のブログのアクセス状況を点検してみる。杜父魚
ブログの読者は真夜中でもアクセスしてくる。その状況を点検するのは
主催者の”礼儀”だと心得ている。時には思わぬ発見をして寝ぼけ眼の
私をたたき起こしてくれる。

午前4時現在だから、まだ3000に満たないアクセスなのだが、トップに
2006.09.26の私の記事が躍り出ていた。俳優・丹波哲郎の死を悼んだ記
事。「何故だろう」と思わず考え込んだ。

その記事は丹波哲郎のことよりも愛妻・貞子さんの想い出。女房の従姉
だった貞子さんには尽きせぬ想い出が、いまでも残っている。貞子さん
が亡くなって16年の歳月が去ったが、東京・西荻窪の丹波邸で行われた
葬儀の情景が目に焼き付いている。

1997年3月14日、貞子さんは入院、4月13日に不帰の人となった。

女房が高校の卒業間近に貞子さんに「これからどうしようかしら」と相
談したら「ドレーメーに入って、手に職をつけなさいよ。これからは女
でも独り立ちを考える時代」と即座に言った。ドレメーを出た女房は荻
窪の商店街にあった洋裁店で貞子さんと2人でミシンを踏む生活。

2階では”売れない俳優”丹波哲郎が本を読んでゴロゴロしていた。”
独り立ち”どころか、丹波哲郎を支えて懸命に働いていた女傑。親戚の
中で貞子さんは一番頭がいい人だったが、誰にも優しい姉御(あねご)
だったから慕われた。貞子さんの実兄は東大を出て静岡県・清水市で弁
護士を開業していたが「貞子の方が頭がいいよ」と即座に言っている。

その弁護士と丹波哲郎、貞子さんと私の4人が丹波邸での麻雀メンバー。
夕方になると私のところに貞子さんから「来てよ。今夜、場を立てるか
ら・・・」と電話が掛かる。その頃、貞子さんは小児マヒに冒されて下
半身が不随となっていた。

そんな不幸を感じさせない貞子さんは家の中で明るく振る舞い、俳優と
して売れっ子になった丹波哲郎は、地方巡業がないと必ず家にいて、貞
子さんを思いやる日々だった。

「愛人がいるらしいの。でもいいの」と明るく貞子さんが言ったことが
ある。それだけ、この夫婦の絆は深く固かったのだろう。丹波哲郎、貞
子さん、兄貴の大蔵弁護士も、すでにこの世にない。貞子さんから「そ
ろそろ彼岸にきてよ。麻雀の場が立たないから・・・」という声が聞こ
えてくる。

<<愛妻・貞子のもとに旅立った丹波哲郎 古沢襄>>

9月15日に思いつくままに俳優・丹波哲郎の亡妻貞子さんの想い出を
書いた。「北一輝や北昤吉のDNA」と「丹波貞子さんが亡くなって9
年」の2本である。その1週間後に入院していた丹波哲郎は貞子さんの
ところに旅立った。偶然なのだろうか?何か不思議な予感といったもの
を感じる。

半身不随の貞子さんを丹波哲郎は大切にしていた。地方ロケがない時は
家にいることが多かった。貞子さんも明るく振る舞っていて、オシドリ
夫婦のような仲睦まじさ。夜になると陽気な丹波哲郎に寂しい思いをさ
せないために、貞子さんは麻雀のメンバーを揃える毎日であった。

売れっ子の丹波哲郎だったが、夜の食事は意外と質素なものであった。
麻雀の合間にとる夕食ということもあったが、炊きたてのご飯に味噌汁、
干物を焼いたおかずといった程度。スクリーンやテレビでみる丹波哲郎
は、豪快だが人を人とも思わないユニークなキャラクターで人気がある。

だが素顔の丹波哲郎は細やかな気配りの人であった。妾腹に生まれた丹
波哲郎だったから寂しい思いをした時代があったのだろう。家族や身内
を大切にして、その仲間を連れて海水浴によく出かけた。

まだ売れない時代だったから、電車賃だけでも大変な出費となる。湘南
に行くときは貞子さんと私の女房が一駅前で下車して、最低料金の切符
を買ってくる。キセル旅行の海水浴。

霊界ものを手がけた丹波哲郎だが「本当に霊界を信じているの?」と貞
子さんに聞いたことがある。「信じている筈がないじゃーないの。趣味
よ。趣味、趣味!」と貞子さんは笑い飛ばした。

丹波哲郎にはゴースト・ライターがいない。自分でエッセイを書いた。
「たいした文章家」と私が誉めたことがある。「いやー」といって照れ
た丹波哲郎。貞子さんが亡くなった直後に「私の女房殿は魔法使い」と
題した鎮魂のエッセイを私家版で親しい人たちに送っている。

貞子さんのところに旅立った素顔の丹波哲郎に対する供養のために9年
後になったが公開したい。

◆  わが妻・貞子が逝った。突然に・・・・・。

私の心にはポッカリと大きな穴が空いてしまった。小さな頃から、広い
家には住み慣れているが、こんなに家が広いと感じたことはなかった。
ほんとうに空虚なのである。

霊界研究を続けてきた私だから、たとえ妻の死であろうと、そんなにシ
ョックは受けないだろう。大方の人は、そうお思いになるかもしれない。
実際、霊界研究の立場から言えば、「死ぬ」なんてことは、ただ「ここ」
から、地続きの「あそこ」へちょっと移動するだけのこと。そう言い続
けてきたし、実際そうだと信じている。

しかし、これは霊界研究者の誰もが感ずる矛盾であるが、理論理屈では
よくわかっていても、現実の空しさには耐え難い。辛い。ひたすら悲し
い。感情というものは、理性ではコントロールのきかない、実に厄介な
シロモノである。頭で考えることとは遊離して勝手に独り歩きし、私の
心はすぐに、妻を失った悲しみでいっぱいになってしまうのである。

◆妻の最期の笑顔

妻が不調を訴えて、検査のため入院したのは3月14日(古澤註 1997年)
のことだった。数年前から糖尿病を患っていたのだが、検査の結果、腎
臓もかなり悪いことがわかった。一時はよくなり、1週間で退院したの
だが、また悪化。自宅で点滴をしていたが、やはり入院したほうがよか
ろうということになった。

3月30日、病院で治療中、合併症などで容体が急変。意識不明に陥り、
ついには心臓が停止した。延命措置のために、歯を砕き、管をのどに差
し込んだ。3日目、出血やたんを除くために、今度はのどを切開、口は
きけなくなってしまったが、小康状態が続いた。だが、これも長くは続
かなかった。4月13日、妻は帰らぬ人となってしまう。

小康状態になったとき、妻の手をさすりながら、私は耳元で、今まで働
いた悪事の数々を白状し、懺悔した。罪状が多すぎたからというわけで
ないが、すべてを告白するのに何日もかかった。もっとも、妻は何もか
もお見通しだったろう。

口はきけなくても、妻の思いが私にはわかった。和やかな顔をしていた
から・・・。妻は、喜んでくれていたのだ。そう思う。いや、そう思い
たい。

あとで聞いたところによると、周りが随分と気をきかせてくれ、私が告
白を始めると、2人きりにしてくれていたらしい。私は夢中だったので、
申し訳ないことに、まったく気がつかなかった。死ぬ少し前に、名前を
呼んだら、妻は目を開けてくれた。

「笑ってくれる?」そうリクエストすると、なんと妻は、ほんとうにニッ
コリ笑ってくれたのである。この妻の最期の笑顔を、なんと表現したら
よいのだろう。どんな言葉よりも饒舌な、私への別れの挨拶。私への最
大の賛辞、愛情の発露でもあった。うれしかった。生涯忘れることはで
きないだろう。私の心に、強烈な感銘を与えてくれた笑顔だった。

◆「女房殿」のすごさ

わが「女房殿」については、常々一目おいてはいたのだが、これほどま
でに「すごいヤツ」だったとは思いもよらなかった。死んでしまってか
ら、再確認させられたのである。

ともかく、信じられないぐらい大勢の人から慕われていたことが判明し
た。お悔やみに来てくださる方々が、口々に妻のことを話してくれるの
だが、そのひと言ひと言に、妻への心からの感謝が込められていた。最
初は、お世辞半分かと思っていたが、皆、目に涙をため、あまりにも真
剣な表情なので、逆にドキマギしたほどである。

それよりも何より、まず「女房殿」のすごさを思い知ったのは、入院し
たときのことだった。闘病生活が始まるや、妻の親衛隊というか取り巻
き連中というのか、20人近くの人たちが懸命に看護してくれた。

親戚、縁者のみならず、遠くから仕事を投げ打って来てくれた人も多か
った。ずっと詰めて徹夜になると、からだがもたなくなるからと、自分
たちで自発的にスケジュール表を作り、やりくりしてくれていた。

あまりの人数の多さに、病院側が応接間を開放してくれたほどである。
それでも収容しきれず、食堂で寝たり、駐車場に停めてある車の中で寝
たりした人もいた。

親衛隊の大政格、第一号の浅沼好三は、車に暖房をかけられないから、
まるで蓑虫のように、着るものをありったけかけて寝たそうだ。皆、義
理で働いているのではない。妻のため、妻が喜んでくれるなら、ただそ
れだけの純粋な気持ちからだった。

◆ダンスホールの出逢い

私だけに見せた最期の笑顔のすばらしさは言うに及ばず、わが女房殿の
笑顔のきれいな人だった。そもそもの出会いから語れば、話はやたらと
長くなるが、まぁ、この際、お許しをいただきたい。

戦争中、私は学徒兵で、立川の航空隊に所属していた。今の私からは想
像もできないだろうが、何を隠そう、このとき、私はひどい吃音だった。
そのため、最前線に出ることはできなかった。ところが、終戦を迎えた
ときには、どういうわけか、その吃音がウソのように消えてしまったの
だから不思議である。

これは、天の配慮以外の何ものでもない、と考える。つまり、霊界の宣
伝マンとしての使命を全うするためには、途中で私が戦死しては困る。
最前線に出ると死ぬ確率も高い。

だが、吃音では、部下に命令が下せないため、最前線に出すわけにいか
ない。吃音は、私の生命を長らえさせるための手段だったに違いない。
今はそう思っている。

終戦を迎え、復員した私は、外務省からの要請でGHQの通訳になった。
大学で英語研究会(ΕSS)に属していたのだが、如何せん、まったく
しゃべれない、聞きとれない。お粗末そのもの。

ただ、耳がよく、発音だけはすばらしかった。皆、これにだまされた。
英語の実力のなさがバレないよう、GHQ内で「逃亡生活」をしながら、
ごまかしつつ、2年も勤め上げた。我ながら要領のよさだけは大したも
のである。

街ではすいとんをすすっている時代に、私は将校食堂で、毎日、アイス
クリームで終わるようなフルコースを食べていた。そんな贅沢な生活に
もそろそろ飽きた頃、自分で勝手に「渉外課長」なんぞという名刺を作
り、兄貴のやっていた薬品会社に勝手に入り込んだ。

あるとき、普段はケチなはずの兄貴が、なぜか服地をくれた。今の方は
ご存知ないかもしれないが、「スフ」という、いわゆる化繊地である。
仕立てるのに、高い金を出して仕立て屋に頼むのはバカバカしい、と会
社の人が女性のテイラーを紹介してくれた。

その日のうちに会いに行き、できあがったらダンスに一緒に行くという
条件で、安く仕立てを頼むことができた。このテイラー、50歳ぐらいに
見えたが独身だった。

約束通り、銀座のダンスホールに行くと、そこにもう一人女性が来てい
た。若い女性である。かのテイラーが、自分の弟子を連れてきたのだが、
これが誰あろう、わが妻となる貞子であった。私も若いから、そりゃあ、
50歳すぎの先生と踊るより、若い人と踊るほうがいいに決まっている。
何度も彼女と踊った。

そうしたら、今度は彼女のほうから会社に電話がきた。当時はダンスは
大流行だったので、友達を誘い合ってパーテイに行ったりした。これが、
いわゆる「慣れ初め」というやつだ。彼女との「この世」の縁の始まり
である。縁とは実に不思議なものだ。

◆昼は証券会社、夜は洋裁店

ちょうど時を同じうして、私には、母親同士が結婚させようと目論む許
嫁の女性がいた。素晴らしい女性ではあったのだが、なぜだか、結婚相
手とは違うな、と感じていた。にもかかわらず、この人があまりにもい
い人だったため、私にはハッキリと断わりにくかった。

いつ、どのように切り出せば、円満に別れられるか、考えているような
状態だった。彼女とは、ある程度の「肉体的接触」、といってもキスに
も至らぬほどの純情なものだったが、接触はあった。ところが、このと
きすでに、貞子とはもう事実上の夫婦になっていた。

ある日、困ったことが起こる。貞子と有楽町を歩いているときだった。
向こうから、例の許嫁の彼女が友達とやって来た。なんでも海水浴に行
くところだと言う。まさに正面衝突である。彼女は何かを感じたのだろ
う。突如、海水浴をとりやめ、私は2人の女性にはさまれた形で、自宅
に帰ることになった。

当時、私が住んでいたのが荻窪。許嫁の彼女はわが家の100メートル先、
貞子は西荻窪だった。3人とも家が近かったのである。3人でバスに乗
ると、まず私が降り、次ぎに許嫁、そして最期が貞子という順番だった。
これには、さすがの私もホトホト困り果てた。

両手に花なんてもんじゃない。両手にムチ。ほとんど拷問のような気分
だった。これをきっかけに、許嫁の彼女とは別れることになった。だが、
こんな中でも、私はまだ貞子と結婚する意志はなかった。

世の中はまだまだ混乱を極めている状態。先が見えないのである。ただ
生きているような日々だった。だから、貞子は手に職を持ちたい、技術
を修得したい、と洋裁を始めたのだろう。昼間は証券会社で働き、夜は
友達と小さな洋裁店を開いていた。そんなことが可能な時代でもあった
のだ。

私はと言えば、兄貴の会社を追い出されることになるのだが、その日の
うちに求人広告を見て、東海自動車という進駐軍の修理会社に就職した。
これも英語力を買われてのことだったが、実力が3ヶ月でバレて、あえ
なく失業。

今度は貞子の親戚筋のコネで、油糖砂糖配給公団に入った。ここも2年
勤めた。どんな勤務状態かというと、2年いて、鉛筆の芯を削る必要は
一度もなかったし、机の上に置いてある原稿用紙の一番最初のページは
チョコレート色に変色しているのだが、2枚目からは真っ白。そんな状
態だったから、公団解散の折りには、職員900人のうち、ただ1人失業し
た。

そんな婆娑羅な生活を送りながら、この頃貞子とはもう同棲を始めてい
た。できたばかりの荻窪のマーケットに、貞子は友達と店を構えた。こ
こに、貞子は住んでいたのである。

私の家はマーケットを突っ切って行ったところだったが、つい途中で寄っ
てしまう。最初にうちは家まで帰っていたが、いつの間にか、居つくよ
うになってしまった。

◆お茶とお菓子で披露

そのうち、身内同士が話し合い、正式に結婚してはどうか、ということ
になる。「じゃあ」ってことで、兄貴の会社の応接間で、お茶とお菓子
で、お互いの家族が承認し合う、ささやかな披露をした。

式を挙げたわけではない。だから、ついこの間、貞子が死ぬ間際に、枕
元で「お前が治ったら、結婚式を挙げようね」と言ったのである。

さて、この披露のとき、貞子にはほんとうに悪いことをした。貞子とし
ては、披露のあと、皆で銀ブラでもして食事でもして帰ろうという小さ
な夢を持っていたらしい。

ところが私は、貞子の夢など気づきもせず、応接間を出ると、そのまん
ま稽古場に行ってしまったのである。アマチュア劇団を主宰していたの
で、夜は毎日稽古だった。

その日、帰ってみると、貞子はカンカン。こんなんじゃやってられない、
ということで、仲人さんのところに行って、言い分を聞いてもらうこと
になった。途中、貞子に首根っこをつかまれたりしたものだから、ふり
向きざまに貞子の手を激しく払い落とした。運悪く、この一部始終を見
ていた人がいて、男が女に暴力をふるっている、と交番に通報されてし
まったのである。

険悪な雰囲気で歩く2人のところに、お巡りさんが駆けつけて来た。い
くら夫婦だと言っても信じないので、とうとうマーケットの中の家まで
連れて行き、やっと納得してもらった。これが、わが夫婦の記念すべき
新婚初夜のできごとだったのである。

よく私の下積み時代を貞子が洋裁をし、食うや食わずで支えてくれた、
などと書かれるが、これは大きな誤解である。映画はいきなり主役デビ
ューで、下積み時代はなかったし、あまり金に困ったことはなかった。
だから、貞子がミシンを踏んで儲けたお金は、遊びのための金になった。

食うものがないのなら、貞子の家に行けばいいし、私の家に行けばいい。
それより、マーケットの中で唯一のインテリだった私は、交渉ごとのと
きなど、とても頼りにされていたため、プリンス的な存在だった。

だから、マーケットを一巡すれば、食べ物なんて余るほど手に入ったの
である。よく、貞子とも話したのだが、あのマーケット時代はほんとう
に楽しかった。

◆「俳優という職業は心配・・」

貞子を始め、双方の家族全員、俳優なんて趣味でやればいいという考え
方だった。貞子は口に出して不賛成と言ったことはないが、快くは思っ
ていなかっただろう。

今思えば、女房殿は私のくだらない女性関係も含めて、何が起ころうと
ビクともしなかった。先程、「金に困ったことはない」などと豪語して
しまったが、金の心配も、私がしらなかっただけで、蔭では苦労してい
たのかもしれない。

親衛隊の一人、斎藤司はこう語る。「俳優という職業は心配だ、と奥さ
まはおっしゃっていた。自分は亭主の女に苦労させられる、とも。奥さ
んは強い人だったから、絶対泣いたことなんかなかった。

それが、入院する1週間ぐらい前だったが、泣いてらした。そのとき、
僕は初めて奥さまの涙を見た。どうして泣いたか。『自分の亭主のお世
話ができない』。そう言って泣いてらしたんです」

また親衛隊員の一人はこう語る。「奥さまは、丹波哲郎という商品を、
いたずらに安く売ることはしなかった。いつも、高く高く売ろうとなさっ
ていた。丹波哲郎には頭を下げさせたくはない。そうおっしゃっていた」

結婚して8年か9年経ったとき、突然、妻がポリオに冒される。息子の
義隆がやっと3歳になったくらいのときだった。3日間、熱が下がらな
かったのだが、おかしい、おかしいと言っているうちに、朝起きたら足
が動かなくなっていた。ポリオと言えば小児マヒである。大人なのに、
なぜ小児マヒなのか・・・・・。

熱が下がってみたら、いきなり立てなくなっていたのだ。これには、ほ
んとうに驚いた。ショックだった。足が蚊に刺されてもどうにもならな
い、と妻は言っていた。原因がわかれば、理解のしようもあるが、原因
はわからずじまいなのである。

最初は手も動かなかったが、リハビリをし、つたい歩きながら、普通の
人に劣ることなく生活をしていた。台所にも毎日立ったし、糸紡ぎから
編み物まで、それはマメにからだを動かしていた。

親衛隊員たちは、ご飯ができると、台所からテーブルまで運んだり、手
伝ってはいたようだが、妻は自分でできることはすべて自分でやってい
た。辛かったろうと思うが、一度たりとも暗い表情を見せたことはなかっ
た。いつも明るく元気だった。

◆女王様と下僕

発病後、私と妻のポジションは逆転した。それまで私が王様だったのだ
が、その日から、妻が女王様となって、私が下僕となった。気持ちの上
ではそういうつもりであったが、妻は最後の最後まで、私に尽くし切っ
てくれた。

経堂の家から今の家に越して来てしばらくした頃、台所で足元に小さい
犬がまとわりついて、妻は足の骨を折ってしまう。それから、妻は車椅
子の生活になった。

今の家を造ってくれたのは、親衛隊第一号。だから、妻のことを第一義
に考えてくれた造りになっている。妻の部屋に毎朝、犬たちが庭から挨
拶に行けるように、ぐるりを大きなガラス窓にしたり、這っても膝に負
担のかからない、厚手の絨毯を特注して敷いてもらった。

気分転換できるようにと、替えの絨毯も作ってもらった。妻が快適に暮
らせるように、というのは私の、また親衛隊員たちの何よりの願いであ
った。

貞子は、立派だった。我々にハンデキャップがあることなど、感じさせ
ることはなかった。私のスケジュールはきっちり把握しているし、経理
もすべて妻の仕事であった。私の趣味の囲碁や将棋のビデオを録ること
も忘れたことはない。お付き合いの面でも完璧にこなしてくれていた。

妻の周りには、いつも男がゴロゴロしていた。麻雀をしに来たり、ご飯
を食べに来たり。いつも笑顔があふれていた。親衛隊員、斎藤が言う。

「誰だって、奥さまにお会いすれば、きっとフアンになりますよ。ホッ
とするんです。いつもそばにいたくなる。この人のためなら、と思わせ
るものがあるんです」

この男は、妻が桜の花が大好きだったのをよく心得ていて、危篤の妻を
喜ばせようと、公園の桜の枝をぶった切り、通報されて始末書を書かさ
れたそうである。「二、三本ならよかったんでしょうが、私は部屋中、
桜でいっぱいにしたかったから・・・」こんな連中が何人もいるのであ
る。貞子というのは大した人物だったのだ。

◆よく皆で旅行に行った

マーケットの時代から、よく皆で旅行に行った。それこそ、ミシン踏ん
で二千円、三千円という時代だったが、江ノ島のパン屋の裏に部屋を借
りて、何日か過ごしたことがあった。このときは、その日のうちに予定
人数の倍になり、日が経つにつれて人がどんどん増えてしまい、とうと
う三十人ぐらいになった。床の間にも廊下にも寝た。

少し裕福になってくると、一軒家を借りたり、部屋にプールのある旅館
に行ったりもした。なんで、あんなに人が来たのだろう。妻の人徳以外
の何ものでもない。もちろん、からだが不自由になってからも旅行は続
いた。

ある年、花火を見に行ったことがあった。家族ぐるみで来るので、小さ
な子どもも来ていた。妻は花火の見やすいほうへと、這って移動する。
そのとき、ある子が「犬みたい」と言ったのである。子どもに悪気はな
いし、妻も聞き流していたようである。だが、私はハッと思った。心な
い言葉でどれだけ妻は傷つくことだろう。以来、子ども連れはご遠慮い
ただいている。

15、六,6年前からはハワイに行くようになった。貞子はハワイがお気に
入りだった。買い物も楽しかったようである。私は買い物は勘弁だが、
親衛隊グループがハリキッて連れ出してくれる。

洋服を買うときなど、妻は試着ができないため、むくつけき親衛隊員が
試着して見せていたらしい。想像しただけでも愉快である。車椅子で行
けないところは、男たちがおぶって行く。親衛隊員の浅沼は、おぶうと
きに失礼があってはと、いつもきれいに洗髪し、コロンをふりかけてか
らおぶうと言う。私も、おぶうのも車椅子を押すのも平気だが、妻は私
が車椅子を押すことすら嫌がっていた。

「丹波哲郎」には、そんなことはしてもらいたくなかったのかもしれな
い。でも、たまにおぶったりすることがあると、うれしそうにしていた。
妻はこうやって旅をして、皆が楽しそうにしているのを見るのが、何よ
りの喜びだったようである。

◆恋愛のピークと妻の死

妻の葬式は、無宗教で自宅で執行した。読経もなく、戒名もなく、好き
だった「夕焼け小焼け」と「人生いろいろ」の歌で送った。ここから出
してやれたことは、よかったと思う。彼女の希望通りだったから・・・。
 

妻は私を送ってから逝きたかったらしいが、それだけは叶わなかった。
弔問に訪れてくださった1000名近くの皆さんには、ただただ、その
ご厚意に謝するのみである。

私は今、貞子と結婚して、ほんとうによかったと思っている。考えてみ
れば、不思議な縁である。結婚するときが「恋愛」のピークだったわけ
ではない。

むしろ、淡々としたものだった。それが、結婚してから、こんないいと
ころがあったのか、あんないいところがあったのか・・・。そうやって
一つ一つ気づかせてくれた。新しい発見の連続だった。

その静かで穏やかな2人の「恋愛」のピークは、貞子が死ぬときに訪れ
た。結婚したときに端を発した、ゆるやかな恋愛上昇曲線の最高到達点
は死ぬ間際。私に笑ってくれた瞬間だった。私ほど幸せ者はいないかも
しれない。ありがとう、貞子。ありがとう。

おまえが最期に、すばらしいプレゼントをくれて死んだもんだから、私
はなかなか立ち直れそうもないよ。私の霊界研究には一切関心を示した
ことがなかったおまえだが、今、どうしているのか。

私は感じたり見えたりしないけれど、周りの人が次々と霊界通信を届け
てくれている。30歳ぐらいの髪の長い姿で現れたと聞いた。通信はこと
ごとく明るい情報ばかりだから、安心しているよ。

今頃は、棺の中に入れたダンスシューズを履いて、踊っているのか。外
出用と普段ばきの靴も入れておいたから、あちらで困ることもないだろ
う。思う存分、のびのびと歩いたり走ったり飛んだりと楽しんでくれ。
私も近いうちに行くからね。それまで、しばしのサヨナラ、だ。

(杜父魚ブログ 2006.09.26 Tuesday)

2013.03.26 Tuesday name : kajikablog 



━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━


 ◎ブタの次はアヒルの死骸だって:古澤 襄

中国の河川で1万6000頭にのぼるブタの死骸が投棄されて社会問題にな
ったが、こんどは1000羽のアヒルの死骸が河川の水面に浮かんで騒ぎと
なっている。仏AFPが伝えている。

<【3月26日 AFP】中国南西部・四川(Sichuan)省の河川で、少なくと
も1000羽のアヒルの死骸が水面に浮かんでいるのが見つかった。中国の
国営メディアが25日伝えた。同国では、上海(Shanghai)の主要河川で1
万6000匹以上のブタの死骸が見つかっており、その回収作業がほぼ完了
したことが発表されたばかり。

国営新華社(Xinhua)通信によると、アヒルの死骸は四川省当局により
回収され、ビニール袋に入れられて地下3メートルに埋められている。ア
ヒルの死因については言及されていない。(AFP)>

2013.03.26 Tuesday name : kajikablog 



 ◎脱税資金で美術品 丸源ビルオーナー起訴 東京地検

全国の繁華街で飲食店ビル「丸源ビル」を展開する不動産会社グループ
の脱税事件で、同ビルオーナー、川本源司郎容疑者(81)、法人税法違
反容疑で逮捕=が脱税して得た資金を美術品の購入に充てていたことが
25日、関係者の話で分かった。計画していた美術関連事業の資金捻出の
ため脱税を行った可能性があるとみられる。

東京地検特捜部は同日、同罪で川本容疑者を起訴。起訴状によると、平
成21年12月期から3年間、社長を務めていたビル管理会社「東京商事」
(北九州市、昨年4月清算)の法人所得計約35億4300万円を隠し、法人
税約10億6千万円を脱税したとされる。

関係者によると、川本被告は美術品の収集家として知られ、芸術家を支
援する会社も設立。丸源ビルに美術館の機能を持たせるための改装も進
めていた。

また、所得の一部を米国に送金したことも判明した。

ハワイに美術館を建設する計画もあり、不法に得た資金を建築費に充当
しようとしていた疑いもある。

弁護人によると、川本被告は「脱税の意図はなかった」と話す一方、修
正申告に応じ、同日、約11億5千万円を納付した。

産経新聞 3月26日(火)7時55分配信 



━━━━━━━
反     響
━━━━━━━



 1)犬好きが声をかけてきた:平井修一

満開の桜の下を犬連れで散歩していたら、カメラを持った30代後半ほど
の女性から「ワンちゃんの写真を撮らせてもらえますか」と声をかけら
れた。「どうぞ」と返答したが、他人の犬の写真を撮ってどうするのだ
ろうか。

犬好きはいるものである。犬を連れた女性が2人、散歩の途次に10分以上
もおしゃべりをしていたのを最近見たし、多摩川の河川敷にあるグラン
ドに行けば女性の愛犬家が数人集まって犬を遊ばせ、おしゃべりに興じ
ている。

小生は愛犬はともかく、他の犬には興味がない。嫌いではないが、好き
ではない。犬を飼う時も子供たちとカミサンが小生の反対を押し切って
買ってきた。10年以上も世話をしているのは、いつの間にかそれが小生
の仕事になったからで、好き好んでやっているわけではない。

犬好きはなぜ犬が好きか。犬嫌いの人は、子供の頃に犬に咬みつかれた
とか追いかけられたといったことがトラウマになっているようだが、自
分の飼い犬など特定の犬のみか、犬一般が好きだというのはどういうわ
けだろう。

この頃「猫カフェ」が話題になっている。

<オタク風の人物がひも状のおもちゃでネコをあやし、満面の笑みで膝
に抱きかかえてなでる。時に生ビールをすすり、携帯電話でネコを撮影
――。

逮捕前日、自らが報道機関に尾行されていることも知らず、東京・浅草
の「猫カフェ」でくつろぐ容疑者の姿。NHKなど、大手メディアで紹介さ
れた「PCなりすまし事件」の片山祐輔容疑者(30)の映像や写真に驚きを
覚えた人も多いのではないか>(2013年02月26日 週刊現代)

猫カフェがあるのなら「犬カフェ」もありそうだが、ほとんどないよう
だ。調べてみた。

<猫カフェは猫達と触れ合える場所です。でも犬カフェやドッグカフェ
は、犬と一緒に入れるお店、というものらしく、基本的に余り存在しま
せん。あるとすれば動物園の様な施設等か、オーナーさんが犬を飼って
いるお店です。

理由は簡単ですが、猫カフェは猫がいるだけで成立します。主に猫好き
の人は猫にかまってもらおうとか、遊びたいと思っても猫に拒否されれ
ばそれでいいと思っています。

逆に犬好きの人は犬と遊びたい!ふれあいたいというのが強いので、過
度のストレスになったり、クレームが出ることが予想されます>

で、結局はこうなる。

<案外手っ取り早いのは、散歩中の犬に声をかけることですよ。もちろ
ん中には犬を触られたくない方もおいでですが、大抵の愛犬家の方は、
自分の犬を褒められるのが嬉しいものです。

私は人見知りするタチですが、始めに犬に声をかけて、それからなら飼
い主さんにも挨拶がしやすかったです。犬も喜んでいるようなら、飼い
主さんに断って、よく触らせてもらいました。

見てわかっても、犬種や年齢や名前を聞いたりすると、飼い主さんも進
んで説明してくれたりして、犬ネタだけでも結構話が弾むものです。本
ではわからない、いろいろな実体験を聞くこともできますし>

病膏肓という感じである。飼う自信がない、事情があって飼えないといっ
た犬好きにとって散歩中の犬は恰好のターゲットなのだろう。それにし
ても不思議な世界だ。




 2)代官山の人気が高い:前田 正晶

代官山にベイビーバギーが押し寄せていた。去る12日にSMとYMの両氏と
Starbucksのテラスで懇談した際にも、多くの若き母親達がベビーバギー
(baby buggy。和製英語名:ベビーカー、念のため)に乳幼児を乗せて
練り歩いているのを見かけた。YM氏はあの群れはここの住人ではずでこ
の地域の人気につられて集まっていると思うと語っていた。

20日にYM氏と待ち合わせで代官山に向かった際には渋谷駅でのJRからの
乗り換えの混雑と複雑さとやらを回避すべく、副都心線を利用した。代
官山駅でエレベーターで改札口に上がろうとすると、後から3台のベィビ
ー・バギーが乗り込んできた。しかも乗り切れなかったのが2台が待って
いたという有様だった。代官山は若い乳幼児を抱えた女性にも人気の的
だと再確認できた。

また八ヶ岳から帰りの23日は土曜日だったことも手伝ってか、代官山地
区はベビーバギーは言うに及ばず、老若男女で大変な人出でその人気の
ほどをあらためて痛感させられた。これも時代の変化か、東急の巧みな
沿線開発の営業政策かと思わせられながら眺めていた次第。

因みに、アメリカではベビーカーを“baby carriage”と呼ぶようだ。我
が国では嘗ては「乳母車」と称していた。



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


右手からギブスは外れたが、痛みは多少残る。右胸もくしゃみや咳をす
ればヒビの入った肋骨がいたむ。全治1ヶ月だから、あと20日はこうなの
だろう。

猿江恩賜公園、サクラは満開のままだが、それを取り囲む落葉樹たちが新
芽を吹き始めたので、公園内の彩が賑やかになってきた。春が来たのだ。

署名なき投書は採用しません。必ずご本名を記した上にハンドルネーム
か「匿名希望」かを書いて下さい。


ご投稿、ご感想をお待ちしています。下記。↓
ryochan@polka.plala.or.jp


読者数:5168人

◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら
→ http://melma.com/contents/taikai/

渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • 名無しさん2013/03/27

    先日、何年か振りで1人の日本女性と会った。彼女、今の日本について、こんな感想を語っていた。



    今の日本、何か変です、気持ちが悪いです。テレビは朝鮮だらけ、娘も来年卒業だが、仕事があるかどうか、よく解らないが、今後、どうなるのでしょうか?



    彼女はインターネットの事は知りません、情報はテレビか新聞、所謂、情報弱者、普通の人でも感じるこのおかしさ、そこで、キチンと説明してあげました。今、日本の社会の裏側で、何が起きているかを。



    彼女、絶句していました。



    おそらく、多くの日本人は彼女と同様だと思います。



    私も具体的にはどうしてよいか、解りません。

     

  • 名無しさん2013/03/26

    神儒仏をバランスよくとらえていくのが、御心にかなった生き方なのである。



     そして、日本の歴史上、これを最もうまく活用し、しかも見事に行うことにより、我が国の基(もと)を築かれたのがほかでもない、あの聖徳太子なのである。



    彼の立場を借りて、求道の糧となる教えを敷衍するのが最も適切にして当(とう)を得ていると思える。



     神儒仏のバランスを保ちながらこれを貫き通すには、誠の道ひとすじに生きるしかない。誠の道とは天の道であり、人の道であり、人の心の道である。全ての道を成らす一本のキーであるといえる。





  • 名無しさん2013/03/26





    スポーツ報知 3月26日(火)7時5分配信 







     “洗脳騒動”を起こして長期休養しているお笑いコンビ「オセロ」の中島知子(41)が、現時点で復帰のメドが立っていないことが25日、分かった。



     この日の日本テレビ系「ミヤネ屋」で、中島から再三電話連絡を受けたという出版社社長の証言を元に、中島が現在も騒動の発端となった“自称・霊能師”の女性の影響を抜け出せていない状況が紹介された。同社長によると、中島は「(霊能師を)歌手デビューさせたい」「悪いのは私で彼女は悪くない。彼女を救うためならテレビに出る」などと話していたという。



     中島は昨年2月に霊能師の元を離れ、事務所関係者らの保護のもとで療養。近く復帰するとの報道もあったが、同社長は「全く無理だ」とコメント。所属事務所の松竹芸能では「番組については把握しておりません。復帰は全く決まっておりません」と話している。

    ・・・・・・・・・



    やはりマインドコントロールを強制的に解除するのは至難の業のようです。一般の人々ができるカルト対策はたった一つ。 























    関わらないこと。



     

    私の経験上、これしかありません。

  • 名無しさん2013/03/26

    まあ、納得がいく内容だと思いました。

     













    「いつも運が良い人にはちゃんと理由があった!」

     







    http://matome.naver.jp/odai/2136385113100021701



     









    「「運」は自分で貯金したりコントロールできる!他人や環境に左右されるだけのものではない!」

     







    http://matome.naver.jp/odai/2136401226931744601



     

















    「スピード=運のよさ」である・・・これはまったく同感ですね!

     













    「新しい挑戦やスキルアップに積極的」・・・これも同感! 昔なら一つのことだけをやり続けていればそれで安泰だった時代もあったでしょうけれど。

     



    今はもう、今までは安泰だった業界が突然、不景気になることが多いし、今までは無事だった会社がどんどん買収されたり倒産していきますから、そうなった時にスキルが一つだけだと路頭に迷ってしまいますよね。

     



    今のように不安定で、経済も収縮してきていて、大災害も多い時期は、何種類かスキルを持っているほうがサバイバルしやすいです。

     





    また、新たな分野にチャレンジしてスキルアップをすると、別の世界も広がって、今までとは別の人脈も増え、違う種類の業界の知り合いが増えるので、生活が楽しくなってきます。

     





    その分、独自のアンテナが増えるので、入ってくる貴重な情報と人脈も増えて、チャンスが広がります。

     













    あとは、付加えで、「結局、自分の波動と似たような波動の人々が集まる」というものなので、自分の意識を高めて波動をアップすると、自然に運が良くなり、結果として同じような運が良い人々が集まるということもあると思います。

     















    自分と似たような人って、集まるものですから。

     













    波動が合わなかったら、自然にかみあわないから、親しくならないですものね。

     















    自分次第ということでしょうか。

     













    ・・・自分の意識を高めて、アップし続けてキープし続けることが、一番大事なことだな〜と思います。