政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針2909号  2013・3・18(月)

2013/03/18

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2909号
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        2013(平成25)年3月18日(月)



                                    コメが鍛えた日本人:伊勢雅臣

                         団派指導陣が政権中枢を囲んで:宮崎正弘

                         怖い「単独で70議席も」の囁き:古澤 襄

                         「軍事同盟」で退陣した内閣:渡部亮次郎

                                 染井吉野の開花始まる:平井修一

                         話 の 福 袋
                         反     響
                         身 辺 雑 記


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第2909号
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
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コメが鍛えた日本人
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    伊勢 雅臣

地形も気候も不向きな日本列島でコメを育てようとする知恵と努力が、
勤勉、真面目、几帳面な日本人を育てた。

■1.稲作に不向きな日本列島の地形

日本列島は、そもそも稲作にはまったく不向きな土地であった。このこ
とはもともと熱帯性植物であったコメが東南アジアで栽培されている様
子と比較するとよく分かる。

世界をまわって稲作の研究をしている農学博士・渡部忠世(わたべ・た
だよ)京都大学名誉教授のチームが東南アジアで撮影したビデオがある。
それにはこんな風景が映し出されている。

<広大な湿地帯か沼を思わせるデルタの深い水の中に、葦のような丈の
長い食物が雑然と生い茂っている。人々は胸まで水につかりながら穂の
先をちょん切るようにして刈り取っていたり、あるいは舟で水の上を滑
りながら穂先を刈り取ったりしている。

これが「天水田」。つまり天然自然のままの水利条件に依存し、天然自
然に稲が育つのを待って、できたものだけを刈り取るという素朴な稲作
である>。[1,p22]

これが稲作の原風景であった。東南アジアには、メコン川のような大河
が広大な平野を流れており、その流域や海にそそぐデルタ地帯は、その
まま水をたたえた湿地帯になる。稲はそこで自生する。

日本列島のように山が海岸まで迫っているような国土では、川は短くて、
流れが急である。人間が知恵を絞り、地形を変えて水をコントロールし
なければならなかった。


■2.稲作には不向きな自然条件

気候条件から言っても、日本列島はコメ作りには適していなかった。稲
は本来、熱帯、亜熱帯の植物である。苗は温度が8度以下になると生育
が止まり、零下1度に下がると枯死してしまう。

東南アジアのような気候温暖な地域にこそ適した作物であって、そもそ
も雪深い新潟とか、東北地方、北海道で栽培できるような作物ではなか
ったのである。

コメが日本列島に入ってきたのは、最近の研究では縄文時代にさかのぼ
ることが分かってきている。そこで日本人は何千年もかけて、日本列島
に不向きなコメを品種改良しつつ、世界で最もおいしいコメを作り上げ
てきた。渡辺名誉教授はこう結論づけている。

「日本は地形的にも平地が少なく、急峻な川が流れ、気候的にも温帯で、
熱帯植物である稲の生育には決して恵まれた条件とはいえなかった。日
本人は知恵と努力によってそれを克服して、世界的な稲作国家になった
わけです。そういう意味では、劣悪な条件が日本人を鍛えたともいえま
す」。[1,p31]

■3.急峻な地形を水田に変えた「灌漑田」

不向きな条件を克服した日本人の知恵と努力の様を具体的に見てみよう。

まず必要なのは、急峻な地形を水田に変える事である。棚田を想像すれ
ば、その大変さがよく想像できる。傾斜地を、ある部分は削り、ある部
分は土を盛って、水平にしなければならない。一定の高さごとに区切っ
て、何段もそれを作る。

そして、近くの川から水路を作り、田に水が流れ込むようにする。田は
何段もあるから、上の田から下の田へと水が流れるようにする。

当然、一枚の田は水平に作らなければならないし、水量をコントロール
するためには、水路の大きさや傾斜を適正に設計しなければならない。
こうして人工的に水を引く田を「灌漑田」という。

灌漑田を作るためには、精密な土地測量技術、土手や畦を作る土木技術
などが必要である。また人々が力を合わせて田を造成していくために、
共同体の運営技術も発展させなければならない。

逆に天水田が行われているメコン河のような大きな河川の流域では、ひ
とたび豪雨があると大規模な洪水が起こって、あたりを呑み込んでしま
う。

灌漑などの人間の努力は消し飛んでしまうわけで、こういう面からも水
のコントロールなどはせずに、天然自然のままに稲の自生を待つ、とい
う形にならざるを得ない。

こうして考えると天然の沼地やデルタ地帯に種をばらまいて、稲が育つ
まで待つという「天水田」と、人間が地形を改良してまで水をコントロー
ルして作る「灌漑田」とは、本質的に異なることが分かる。

高天原(たかまがはら)の支配者となった天照大神(アマテラスオオミ
カミ)がまず手がけた重要な仕事が、神々を指揮してコメを作ることで
あった。高天原の「狭田(さなだ)」や「長田(ながた)」に稲を植え
たという物語が神話に語られている。

「狭田」や「長田」とは、いかにも山間の狭い土地を段々に水平になら
して作った細長い棚田を思わせる。日本によくある真田(さなだ)、長
田、さらには山田、谷田などという名字は、まさに稲作のための日本人
の水田造成の懸命な努力を象徴しているようだ。

「一生懸命」はもともとは「一所懸命」であり、一つの領地を命を懸け
て守るという鎌倉武士の時代に生まれた言葉のようだが、その土地で何
世代にも亘って水田造成をして来た努力を偲べば、先人たちの「一所懸
命」の思いも伝わってくる。


■4.雑草取りの苦行

東南アジアの天水田と、日本の灌漑田では稲の品種も異なる。天水田で
は主にインディカ米が作られている。これは場合によっては2メートル
もの背丈を持ち、深い湿地帯や沼でも容易に育つ。

日本で作られているのは、丈の短いインディカ米である。人工の灌漑田
ではそれほど深くできないので、背の低い方が適している。

インディカ米は丈が高いので、周囲に雑草が生えても、陽光が遮られて、
生育が邪魔されるということはない。ジャポニカ米は、丈が短いので、
雑草に太陽を遮られて衰弱枯死してしまう。そのために、人間による雑
草取りが欠かせない。

伊勢神宮には毎朝毎夕、神様にお供えするコメを昔ながらの自然農法で
育てている約3ヘクタール(3町)ほどの神田(しんでん)がある。

新田の管理責任者・森普(すすむ)氏によれば、育てたばかりの苗を田
植えした際には、ちょっとした雑草でも弱々しい稲の栄養を奪ってしま
うので、怠りなく草取りをしなくれはならない、という。森氏は言う。

「苗が30センチくらいになるまでに、一枚の田圃(たんぼ)で3回は草
取りをせんといかんわけですが、田圃の中を這いながら草取りをしてい
ると、苗が目にささって痛いんですよ。昔は、この時期になると、よく
目医者が流行ったものです。まさに汗と涙の結晶でした」。[1,p30]

10月に入って、収穫が終わると、田を深く掘り超して、稲を育む土に新
鮮な空気と陽光を吸収させるが、これが同時に雑草を除くことにもなる。
この耕耘(こううん)という作業を4、5回繰り返す。我々の先祖は、
こういう作業を数千年、続けてきたのである。


■5.知恵をしぼって手間をかければそれだけ収穫が上がる

耕耘の際には、土に栄養となる肥料を施す。今は化学肥料だが、戦前ま
では鰊粕(にしんかす)や大豆粕(だいずかす)が使われていた。

ジャポニカ米は、肥料を施すことで、一株の稲の茎の数がいちじるしく
増え、コメの増収につながる。しかしインディカ米の方は背丈だけが高
く伸びて倒れてしまう。インディカ米は肥料をやらない方が、むしろ収
量が安定する。

田植えにしても、ジャポニカ米は一定間隔を置いて稲を植えると適度に
栄養を吸収して収穫量が上がるが、インディカ米にはそういう性質がな
い。

伊勢神宮の別宮である伊雑宮(いぞうぐう)の作長(さくちょう)であ
る別所保氏は、こう語る。

「コメ作りというのは、知恵をしぼって手間をかければそれだけ収穫が
上がり、手を抜けばその分だけ収穫量が減る。台風のような天災は別と
して、人間の努力にたいして正直な結果で報いてくれる」。[1,p31]

これはジャポニカ米について言えることで、インディカ米では適当に種
をまいて、後は自然天然にまかせて収穫を待つ、という形となる。


■6.灌漑田耕作が、勤勉、真面目、几帳面な民族を作った

我々の祖先はこのような手間をかけて灌漑田を作り、それを毎年毎年耕
し、肥料をやり、雑草をとって、少しでも質の良いコメを、少しでも多
く作ろうと、数千年、取り組んできたのである。それが日本民族の性格
に影響を与えた。

京都大学霊長類研究所・元所長の久保田競(きそう)名誉教授は、こう
語っている。

「・・・灌漑農業をやるようになると、農業には考えるということが絶
対必要になった。水を引くとか、堤防を作るとか、耕すとか、苗を植え
るとか、雑草を取るとか、天候や気候のことを考えなくてはいけません
し、
そのようにして計画的に、先を見ながら、よく考えながら、手足身体を
こまめに動かしてコメ作りをやってきたということが、勤勉さや真面目
さ、几帳面さといった日本人の性格を作り上げ、また知的な興味も湧い
てくるようになったのではないでしょうか」。[1,p33]

東南アジアでは、天水田による天然自然に任せたままのコメ作りが行わ
れている、と冒頭で述べたが、実はいくつか例外がある。

その一つ、ベトナムでは灌漑田耕作が行われており、日本の水田のよう
に、田が整然と仕切られ、畝が作られ、苗が整然と植えられ、除草、施
肥、耕耘、土壌作りが丹念に行われている。

コメは基本的にインディカ米だが、ジャポニカ米のように背丈が低く、
相当な品種改良が行われているようだ。

ベトナム人は、東南アジアの中でも勤勉、真面目、几帳面で、「日本人
によく似た民族」と言われている。そう考えると、モンゴル帝国がアジ
アで侵攻に失敗したのは、日本とベトナムである。さらに両国とも日清
戦争や中越戦争で中国を破り、アメリカにも手を焼かせている。

日本人とベトナム人が、似たような性格を持っているのは、似たような
灌漑田耕作をしてきたからだと言えるのではないか。


■7.近代工業が花開く土壌を作った稲作文化

欧米で発達した近代工業を日本がいち早く導入し、なおかつ様々な分野
で追い越してしまった、という発展には、灌漑田耕作で培われた勤勉、
真面目、几帳面さが大きく寄与している。久保田名誉教授は、こうも語っ
ている。

「たとえば、QC(品質管理)活動などは、もともと西欧で開発されたも
のですが、日本で定着してしまった。農作業はある意味で絶え間ないQC
活動の連続のようなものですから、生産性向上、品質向上、粗悪品を出
さないといった活動をやることついては、日本人は何の抵抗もないわけ
です」。[1,p35]

ベトナムは早くからフランスの植民地とされて近代化が遅れたが、最近
は多くの日本企業が脱中国の一環として進出している。筆者もいくつか
の代表的な日系工場を訪問したことがあるが、職場は整然と規律正しく、
技能訓練は熱心に受講するなど、日本的なモノ作りとの相性の良さを感
じた。今後、ベトナムの工業は急速に発展していくだろう。


■8.コメが地球を救う

それにしても、日本人はなぜこんな苦労をしてまで、コメ作りにこだわっ
てきたのか。

まず、第一にコメの方が、小麦よりも美味しいという点がある。中国と
インドでは2千年にわたり、何億という人間がコメと小麦を食べ比べて
きたが、民衆は常にコメを望んでおり、そのためコメは小麦よりも高価
となっている。

欧州でもイタリアやスペインではリゾットやパエリアなど、コメ料理が
それぞれの食文化に定着している。人類の歴史を見ても、小麦からコメ
に転換した民族は少なくないが、その逆は存在しない。

第2に水田の持つ環境維持機能がある。小麦やトウモロコシなどの単一
作物の連作を続けると、土地がやせ衰え、不毛の半砂漠状態になってい
く。

それに対して水田は保水機能を持ち、また無数の微生物や昆虫、オタマ
ジャクシ、水鳥の共生するエコ・システムである。日本列島で何千年も
水田耕作を続けてこられた理由がこれである。[a,b]。

日本神話では天照大神が孫のニニギノミコトが地上に降りる際に、稲を
渡して、これを食物として地上で栽培するように言われた。以来、日本
人は先祖からいただいたコメに感謝し、また子々孫々のために、一所懸
命に水田を守り広げてきた。

先祖への感謝と、子孫への思いが、日本人を困難な稲作に立ち向かわせ
てきた第3の理由であろう。

日本人が稲作を通じて克服してきた食糧や環境の問題に、今や、人類全
体が直面している。篤農家・星寛治氏は著書『農業新時代−コメが地球
を救う』で、こう述べている。

「いま、地球上に広がりつつある不毛の砂漠を緑のじゅうたんに、そし
て黄金の穂波に変えることができれば、飢餓の時代は回避できる。その
ときこそ、みずほの国日本の農民が、2千年かけて蓄積してきた稲作技
術、ノウハウのすべてを注ぎこんで、途上国の、いや人類の壮大な実験
に貢献すべきだと考える」。[1,p156]

■リンク■

a. JOG(707) 農が引き出す自然の恵み
 農業はカネでは計れない価値を自然から引き出す。
http://bit.ly/Zsvihb

b. JOG(557) 瑞穂の国と食糧危機
 迫り来る食料危機に対して、世界最大の穀物輸入国・日本はいかに対
処すべきか。
http://bit.ly/Wi4YIM

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 上之郷利昭『コメと日本人と伊勢神宮』 ★★★、PHP、H8
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569552331/japanontheg01-22/



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団派指導陣が政権中枢を囲んで
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25(2013)年3月18日(月曜日)
  通巻第3905号
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上海派が少数派に転落した「習・李体制」は基軸がずれた三派鼎立政権
  李源潮、王洋、劉延東ら団派指導陣が政権中枢を囲んで
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「愛国主義による中華民族の復興は中国の夢」と習近平は二十数回も繰
り返した。ブッシュ・ジュニアの就任演説では聖書から引用が二十数カ
所あったことをつい連想してしまった。

全人代は3月17日に李克強首相の演説をもって終了したが、尖閣の「せ」
の字はでてこないまでも、軍事大国路線を確認し、国防費と治安対策は
狂気の増大、環境汚染対策は、その半分にも満たない。

李首相が記者会見で力説した、基本方針のなかで注目して良いのは政府
がもつ許認可権の三分の一を不要とすること、行政改革に大なたが振る
われ、鉄道省が解体されたことなどだ。

しかし鉄道省の解体は向こう受けを狙ったジェスチャーでしかなく、3
つの部門に再編されるが、結局、その軍事優先(軍事物資と軍人の運搬
が優先し、鉄道省は軍OBの天下り先でもある)と汚職の温床という宿
痾的体質は変わらないだろう。

しかし全人代の諸決定より、最も注目すべき変化は人事面で出た。

昨秋党大会でトップセブン(政治局常任委員会)入りが出来なかった李
源潮、王洋、劉延東の3人の団派ライジング・スターが、国家副主席と
副首相にそれぞれ選出され、事実上のトップテンを形成したことである。

常任委委員の王岐山、劉雲山、張徳江、張高麗、愈正声らは60代後半の
ため、5年後には引退である。後者4人はいずれも上海派である。

張徳江は全人代委員長(本来なら序列2位だが、李克強が上になり序列
3位)、愈正声は全国政治協商会議主任といずれも閑職)。

副首相の張高麗は江沢民の腰巾着だったが、ここまで周りが団派に囲ま
れての4人の副首相体制では、(あと3人の副首相は王洋、劉延東、馬
凱。いずれも団派)これまでの風見鶏になお拍車をかけて、カメレオン
のごとく変身するだろう。

もうひとつの人事は最高裁長官が周強(団派。前湖南省書記)になった
ことで、反腐敗キャンペーンの責任者=王岐山と呼吸が合えば、これか
らの政治的効果を劇的に上げる可能性もある。

5年後に胡春華、孫政才(現在二人とも政治局に抜擢されている)の二
人が常務委員会入りする可能性も大きく開けた。

ともかく従来の「上海派+太子党 vs 団派」という三羽鼎立構造が、
「上海派 < 団派+太子党」という権力構造になって権力中枢の基軸
がずれたという事実に刮目しておきたい。

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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)3月10日は日露の戦捷を偲ぶ陸軍記念日でありました。 
これを先の大戦における東京大空襲の戦略目標が国民の志気であったこ
とを知ってか知らずか、これに手を貸す如く歴史断絶に加勢して空襲の
悲劇の責任を自国に転嫁するに余念無きマスゴミは、一方でチベットの
悲劇には全く無関心であります。

 かかる謀略に挫けることなき我が國の良心の発露たる下記行事が齋行さ
れましたことにつき、直接の関係者ではございませんけれども、画像を
もって情報提供申し上げます。

 先日のNHK朝方の放送では役人の不正を訴える住民、報道者を妨害する
公安の様子が放送されておりました。NHKもそれなりに踏み込むものだな、
と感心しかかったところで・・・そもそも公安に妨害されたのであれば、
映像記録は全て消去を余儀なくされているのではなかろうか、との疑念
が沸きました。

 想うに、これは臭近辺もとい習金瓶梅もといシュウキンペイの賄賂撲滅
への取組支持を通じて、支那への忠誠の再興を目的として日本国民を煽
るための支那国営放送的構想になる報道だったのではないでしょうか。

なにせチベット報道は音無の構えですものねぇ。御貴見を伺いたく存じ
ます。
 
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所主催で、2013年3月10日(日)チベット
民族決起54周年記念平和行進が実施されました。

チベット民族蜂起54周年記念平和行進 (ピースマーチ)画像 
http://nekomimi.la.coocan.jp/free_tibet/ft130310/index.htm
    (熊本護国生) 



  ♪
(読者の声2)平成25(2013)年3月14日(木曜日)第3903号に「東海
子」様の読者の声に昭和天皇の御製が掲載されておりました。

私の資料にある御製と少し表記に違いがありますので指摘させて頂きま
す。専門の方からのご意見をよろしくお願いいたします。
                (菊千代)

「風さ緩み、冬は過ぎて、待ちに待ちし、八重桜咲く春となりけり」
「風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり」
                   (靖国神社社務所)

「国の春と今こそはなれ、霜凍る冬にたえこし民の力に」
「国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたえこし民のちからに」
            (国民同胞平成24年10月10日号)

「降り積もる深雪に耐えて色変えぬ、松ぞ雄々しき人もかくあれ」
「ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ松ぞをヽしき人もかくあれ」
                   (東京都神社庁) 



  ♪
(読者の声3)晋遊舎から『靖国神社がよくわかる本』というムック本
が発売されました!

中條高徳先生、小野田寛郎先生、大原康男先生、宮崎正弘先生のインタ
ビューが掲載されており、素晴らしい本です! 一応、バランスを取る
為に高橋哲哉もインタビューしていますが、靖国神社へ参拝して欲しい!
というコンセプトで編集された本ですので、とても嬉しい気分になりま
した。

コンビニで買える、というのは若い人にとっては良いことです。是非、
皆さんも口コミで広めて下さい!
アマゾンではこちら
http://www.amazon.co.jp/%EF%A8%9C%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E6%99%8B%E9%81%8A%E8%88%8E%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4863917376/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1363353704&sr=8-1
  (YS生) 

 


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怖い「単独で70議席も」の囁き
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          古澤 襄
 
上げ潮ムードに乗る自民党大会が17日開かれた。大会後に親しい議員た
ちから、まったく異なる感想がもたらされている。いずれも7月の参院
選で自民党が勝利し、政局を安定化させる点では変わりない。

6年前の2007参院選で自民党は37議席しか獲得できず、60議席を獲得し
た民主党に惨敗している。比例区得票数は自民党が1654万票、民主党の
2325万票に遠く及ばなかった。

自民党にとって2013参院選は、その雪辱戦となった。安倍首相は大会の
挨拶で「来るべき参院選は負けるわけにはいかない。この選挙で勝ち抜
いて、誇りある国、日本を取り戻す」と決意を表明した。

朝日新聞社の全国定例世論調査(電話)で自民の政党支持率が44%に
上り、2001年4月に現在の調査方法となって以来、最高となった。また
読売新聞系のNNN電話世論調査でも安倍内閣の支持率は先月よりわず
かに上昇して65・4%となった。

たしかにメデイアの調査報道をみるかぎり、安倍政権は順風満帆。週刊
誌の中には自民党が「1人区で全勝、単独で70議席も夢でない」と提灯
をつけるところも現れた。

しかし選挙を取り仕切る石破幹事長は、決して楽観視していない。まず
自民・公明両党で改選過半数を獲得するために比例区の候補者を前回参
院選よりも絞った。1人区でも岩手、山梨、三重、滋賀、奈良、沖縄の
6選挙区は苦戦するとみて、25勝6敗を視野に入れている。

手堅い石破幹事長に対して党内から不満の声も出ている。

しかし執行部サイドは手綱を緩める気はない。参院の非改選は自民49,
公明9で過半数には達していない。改選数の121議席で公明が11議席とる
とみても、自民党は58議席獲得が最低目標になる。参院議長を自民党か
ら出し、予算委員長人事などを考えると妥当な目標であろう。

これまでも自民党が楽勝と伝えられながら手痛い取りこぼしをした例が
あるから、石破幹事長の采配はかなり慎重である。「1人区で全勝、単
独で70議席も夢でない」の声に踊らされると、参院で自民党が主導権を
握る”夢”は一朝にして崩れる。

2013.03.18 Monday name : kajikablog



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「軍事同盟」で退陣した内閣
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       渡部 亮次郎

若い頃、NHK記者として4年間駐在した岩手県には、後に総理大臣になる
鈴木善幸(ぜんこう)のほか小沢佐重喜(さえき)、椎名悦三郎ら、錚
々たる政治家がいた。言うまでも無く佐重喜は小沢一郎の父、椎名は副
総裁として田中角栄の後継首相に三木武夫を推して大失敗した人物。

そうした中で目立つようで目立たなかった男が鈴木善幸だった。三陸沿
岸の漁民の出。はじめは日本社会党から代議士になったが、間違いに気
付いて保守党に鞍替え、とうとう自民党総裁、総理大臣になった。

だが日米安保条約の何たるかも知らずに過ごし、自民党内のバランスに
のっていたので総理大臣にまつり上げられたものの、「能力不足」を晒
して途中退陣した。

日本大百科全書(小学館)にはこう書かれている。

<国内では自民党の絶対多数を背景に、軍事力増強、実質的な靖国(や
すくに)神社公式参拝、参議院の比例代表制導入、人事院勧告凍結を実
現した>。

鈴木善幸内閣]は1980(昭和55)年7月成立した。前任の大平正芳が総選
挙中、糖尿病の合併症たる心筋梗塞で急死したところ、「闇将軍」とい
われて評判の悪かった田中角栄が裏で動いて、突如、鈴木善幸を後任と
して指名した。私はその現場に居合わせた。

昭和55(1980)年6月12日未明、大平が死んだ。それに先立って、ホテルに
いた私に園田直(当時は無役)から電話。「大平さんが亡くなったらしい、
調べてくれ」で確認。弔問の為、虎ノ門病院で落ち合う。

彼も当時、糖尿病が悪化。減量の為服用していた利尿剤が効き過ぎてゲッ
ソリしていたので、マスコミの目を引いたことを覚えている。

病室から出てきた園田。車に乗ると「ナベしゃん、これからどうした方
がいいかな」。すかさず「目白へ行きましょう」「そうだワシもそう考
えていた」。

角栄は先に弔問から戻っていたが、客は園田がその朝は初めてだった。
約1時間して出てきた園田。車中「善幸に決まった」と。「それは妥当な
ところでしょう。大平派の後継者でもあるし」と私。

大平の死で有権者の同情は自民党に集まって総選挙は、大勝。分裂寸前
だった自民党を結束させ、抗争なしで鈴木政権は成立したのだった。

<「増税なき財政再建」を公約とし、1981年3月には臨時行政調査会を設
置し行政改革を最大の課題とした>。(同)

9月になって厚生大臣齋藤邦吉の不正献金がばれて辞職。その後任に園田
が推されたのは、多分に角栄の押しがあったと思われた。

<1981年1月鈴木首相が東南アジア諸国を歴訪、5月には日米首脳会談を
開き日米「同盟関係」を明記し、西側陣営の一員としてアメリカの対ソ
戦略に協力していく姿勢を明らかにした>。

しかし鈴木首相は首脳会談では、そんなことは話題にならなかったと一
旦は否定。共同声明から軍事同盟云々を消そうとした。日米の首脳が会
談するという事は要するに日米安保体制を確認し、軍事同盟を再確認す
る事だという外交上の初歩的知識に首相は欠けていたのだ。

この混乱で鈴木首相は党内で孤立感を深めた。同一派閥であった外相伊
東正義が辞任した後を埋めるのに、厚生大臣のピンチヒッターだった園
田をまたピンチヒッターにした。

しかし、園田は糖尿病が悪化。外遊しても飛行機から車まで歩けない場
面がしばしばとなった。マニラではとうとう日米首脳会談の共同声明な
んてどうでもいい軽い問題でしかない、といった趣旨の問題発言をして
政権の足を引っ張った。

事後になって鈴木は日米首脳会談について「オレは踊り(外交)の素人な
んだから、手ぶり身振りの最後まで教えないと踊れないよ。教えない外
務省が悪い」といった。外務省側は「初歩知識をお教えするのは失礼に
当るか、と」。

政治における知識や情報の扱い方はビジネスの世界とまるで異なる。ビ
ジネス界は「儲け」で一丸となっているが、政治の世界では役人と政治
家の間に抗争が隠されていたり、遠慮がはさまれたりして要は単純では
ない。

しかし1982年6月2兆円以上の歳入欠陥が明らかとなって「増税なき財政
再建」は破綻し、行政改革も自民党・官僚の抵抗で後退を余儀なくされ
た。

さらに日米経済摩擦、日韓経済協力、教科書記述に対するアジア各国か
らの批判といった難問を適切に処理できず、内外ともに手詰まりの状態
のなか、1982年10月12日突如退陣を表明した。

鈴木政治は難問を先送りにして解決を図るといった消極的姿勢を特徴と
していた。また党幹事長に二階堂進を起用するなど田中角栄の影響力を
強く受け「角影内閣」との異名をとった。
                   日本大百科全書(小学館) 



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染井吉野の開花始まる
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     平井 修一

彼岸入りの3月17日、神奈川県川崎市郊外のわが街でも染井吉野の開花が
始まった。

雪柳や白木蓮も花をつけ始め、午前中の室温は21度、外は春の日差しに
あふれて汗ばむほどだ。散歩コースには日曜日ということもあって人が
増えており、カメラを持った年輩者が目立った。早くも花見のためにゴ
ザを敷いている人もいた。

カミサンと子・孫の一連隊は墓参りの後に近所の街へ買い物に出かけ、
昼食も食べてくるという。家には養生中の長女と小生だけで、一気に静
かになった。

年々歳々花相い似たり、歳々年々人同じからず。

散歩コースで見かける年配者はいろいろだが、奇妙な人は印象深い。夏
でもレインコートを着て女性が来ると下半身を見せていたような痴漢シ
ニア、朝からウーロンハイを飲みながらパズルに興じていた飲酒シニア、
用水路に配置された石に柄の長い柄杓で水をかけ続けコケを生やそうと
していた園芸シニア・・・皆消えてしまった。

死んだか寝たきりになったのだろう。小生もそのうちに「毎朝、ビーグ
ルを連れて散歩していたヒゲヂヂイ」として記憶され、やがては消えて
いく。齢を重ねれば「今年で桜も見納めか」と思う人も少なくないだろ
う。

晩年を美しく締めくくりたいと誰もが思っているだろうが、誰にとって
もそれは初めての体験であり、なかなか難しいようだ。

大塚宣夫・医療法人「慶成会」会長がこう書いている。

<この32年間に延べ1万3千名を超える高齢者の最晩年に関わらせていた
だきましたが、現在、特に強く思うことの一つは「豊かに人生を終える
ことの難しさ」です。その主な原因は次の二点にあるように思われます。

第一は、人生の晩年を取り巻く環境が、あまりにも急激に変わってきた
ことです。かつては人生50年、わが国の制度や私たちの人生設計もせい
ぜい70年を想定して組み立てられ、しかも次の世代を当てにしたもので
した。しかしながら今や人生80年の時代、頼みの綱の次世代人口は減り
始めています。

この前提条件の激変をしっかり認識することなく展開される不毛な議論
や的はずれの施策、これ等がわが国の高齢者の不安を増幅しているよう
に思われます。

第二は、一人ひとりが自分の人生の最終コーナー部分を真剣に考えてこ
なかったことです。長生きすれば当然発生する厳しい現実を直視するこ
との不安もあってか、国まかせにしたり、「私はピンピンコロリで逝く
からいいのよ」等と目をそむけてしまう人のいかに多いことか・・・。

最晩年こそは、それぞれの人生の集大成であり、人生こそは終わり良け
ればすべて良しなのです。この時期の豊かさの実現のためには、一人ひ
とりがもっと周到な準備をし、自分の持てる資源を投入してしかるべき
ではないかと思うのです>

「豊かに人生を終える」「周到な準備」・・・1万3千名の最期を看取っ
ても「難しい」と大塚先生は思うのだ。それなら小生のような凡夫がで
きるはずもない。先年万年の間、人間は準備もせずにジタバタしながら
最期を迎えてきたのである。

わが街の桜並木は昭和34年(1959)に植樹されてから54年になる。桜の
寿命は50〜60年ほどだと言い、根が弱ったり大きな洞(うろ)ができた
り立ち枯れし始めたものある。昨年の台風では2本が倒れた。

老樹は徐々に、あるいは突然に最期を迎える。人間も同じだろう。悔い
を残さぬよう、せいぜい見納めと思って桜を愛でるにしかずか。



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話 の 福 袋
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 ◎『米国リベラル派の親中的安倍批判:櫻井よしこ』と同様、

谷口さんが入手してくださった下掲の動画もきわめて重要ですので、
ぜひ、関係各位宛に「拡散」されますよう期待します。(坂元誠)

櫻井よしこ氏 従軍慰安婦の嘘を暴く!拡散してください。

http://www.dailymotion.com/video/xv1kba_yyyy-yyyyyy-yyyyyyyyyy_news#.UUUfGxyeOTE



 ◎シェフで人気も…石破氏の手腕に与党、冷たい目

与党内で、自民党の石破幹事長に不満が募り始めている。

夏の参院選の候補者調整が遅れている上、唐突な発言で公明党からひん
しゅくを買う場面も続いているためだ。有権者の人気は依然高いものの、
手腕を疑問視する声も出ている。

石破氏は16日、野田総務会長ら党幹部とともに、東日本大震災の復興を
支援する「屋台村」を党本部で開いた。シェフ姿の石破氏は、福島県産
のコメや野菜を使った手製の手羽先カレーを党支持者に振る舞い、用意
された150食は他のメニューより一足早く“完売”。写真撮影でもひっぱ
りだこで、人気の健在ぶりを印象づけた。

石破氏は、その後に開かれた党全国幹事長会議で「参院議員の任期満了
まであと134日だ。あっという間に100を切る。もうカウントダウンの段
階だ」と述べ、夏の参院選へ引き締めを図った。

しかし、幹事長の職責でもある参院選の候補者調整は4道府県が未定で、
石破氏自身が設定した「17日の自民党大会までに全て決定」との目標は
達成できなかった。

参院選後をにらんだ野党との連携も、首相に近い菅官房長官が日本維新
の会の松井幹事長と会談を重ねるなど「首相官邸主導」となっている。
首相周辺は「石破さんが調整しないので、官邸でやらないといけない」
と不満を漏らす。

公明党との摩擦も生じている。

石破氏は、国会議員の定数削減を含む衆院選挙制度改革を巡り、水面下
で与党案を調整している最中の今月初めに、テレビ番組で「3月半ばく
らいまでにやらないといけない」と踏み込んだ。

公明党からは「聞いていない」と反発を受け、謝罪に追われた。石破氏
が選挙制度改革の与党案で「公明党に配慮すべきだ」と繰り返している
ことに対しても、公明党幹部は「あまり強調されると我々がわがままを
言っているように見える」とこぼす。

読売新聞 3月17日(日)12時53分配信 



 ◎以下の2件、なかなか参考になります。

(1) 青山繁晴氏の解説(動画、ただし本件は音声のみ)
http://www.dailymotion.com/user/kigurumiutyuujin/subscriptions/2013-03-16/1:3?mode=playlist&from=email_subscriptiondigestusersunlogged&utm_source=Email&utm_medium=Email&utm_content=SubscriptionDigestUsersUnlogged&utm_campaign=Alert-SubscriptionDigestUsersUnlogged#video=xy6z2n

習近平と解放軍とのかかわり合いなど、面白い話があります。

(2) Reuters: 
Under Xi, China seeks to cool row with Japan over islands
http://www.reuters.com/article/2013/03/16/us-china-japan-military-idUSBRE92F0EH20130316

習・劉を核とする体制ならびに軍部および海上保安関係の指揮系統を一
元化することが主題ですが、最後に尖閣列島の査察予定にも触れ、日本
側がそれに大いに抵抗するはずであると結んでいます。(坂元 誠)



━━━━━━━
反     響
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 1)「2.26事件とその背景:21」 橋本徹馬

産経新聞・湯浅博記者の記事に触発され、2.26事件の真相を改めて多く
の方に知ってもらいたいと考えた。今日2月26日決起の日までになんと
かと、供養の意味も込めて、超スピードで入力をした。

橋本氏の記事から伺えること、教訓として受け止めたことが、実は今の
時代にも十分通用することをあらためて実感する。それらを自分なりに
思いつくまま整理してみた。

 1.2.26事件を風化させてはいけない。単なる青年将校の叛乱劇と受
け取る日本人のいかに多いことか・・それもいい年をした知識人まで。
2.26事件は、天皇親政とはいかなるものか、それが口先だけのものか、
そうでないか・・を教えるものでもあること。歴史の鏡として、忘れて
はならないものであること。

 2.天皇への奏請文を用意した広田内閣の不作為はかなり問題ではな
いか。広田氏はのちに、このことの悔悟があったのでは?東京裁判中の
彼の“沈黙”の態度に、なぜかそれを感じる(これは私のささやかな個
人的な直観だが)。

 3.人間の潜在意識を無視してはいけない。我々でさえ、ときどき夢
を見てうなされることがある。すると過去忘れられない憎しみの対象で
ある人物が、脈絡もなく登場する。こんなことを考えたとき、青年将校
たちの慰霊に際して彼等の魂にどういう祭文で語りかけるか、極めて大
事なことである。彼等の死に目の形相を思うにつけ、安らかになって頂
くための深い願いを込めた慰霊を行うべきと想う。

 4.登場人物はみな特権者である。然しながら、特権者と雖も、人格
者と限らないことは

火を見るよりも明らかである。特権者は付与された特権の有り難さを感
じると同時に、その重さをも知るべし。重さとは「天職」(ベルーフ)
の認識である。
 
 5.特権者の無能をどう考えればよいか?有能か無能かは、国家非常
時の振る舞いで歴然とする。然しその時に解っても、もう遅い。「人間
評価」の基準を根本的に見直すべきではないか。

 6.湯浅内大臣にはたぶん“宗教的感覚”が乏しかったのだと思う。
その感覚の一端があれば行動の仕方も変わっていたと思う。当時、若き
天皇を輔弼する身であれば、そういう感覚が不可欠であった。

 7.今でも勲章に群がる(有り難がる)官僚の何と多いことか。たっ
ぷり特権に与ってきたのだからもう遠慮していいではないか。茲に、今
も昔も、特権者の実態は何も変わっていないことが解る。昔の軍官僚や
無能側近者は、今の高級官僚や政治家に代わっただけという声もあるが、
本当であろう。

 8.外国も同じ現象があろうが、然し「日本はちょいと違うぞ」とい
うところを見せて欲しい。

 9.いずれにしても、権力の中枢が双頭のような状態はまともな国家
でない証拠。

 11.「天皇の御心」「天佑」・・ということを、皇室のあり方も含め再
度よく考える必要があるのではないか。

 12.敵国の大陰謀、歴史の観えない宿命もある。軍の中枢にもいろいろ
あった。戦地で将校・下級兵士たちが頑張ってきたことも事実。それに
は感謝あるのみ。時の為政者、特権者は襟を正せねばならない。

戦争に至るも至らぬも、紙一重にあることも、注目されたい。原爆を落
とされるか否かも同様の視点でみる必要があろう。いずれにしても“慎
重さ”と“謙虚さ”を失ったとき、人間はアキメクラになる。そして大
きな罪を犯す。

 13. 権力の犠牲になった欧米の無辜の兵士たちが沢山居たことも事実。
大東亜戦争が切っ掛けで独立を果たした国が沢山在ったことも事実。人
間としてのプライドを回復した民族が在ったことも事実。

すべてが走馬灯のように駆け巡る世界、それが現象世界である。一見、
たよりない現象世界の流れの中にも、一條の真理と教訓が存在すること
も事実。変転する現象世界の浮き沈み、一條の流れの中から大事なもの
を汲み取る作業、それはまるで掘り出した大量の土、瓦礫からダイヤモ
ンドを抽出する営みにも似ている。それが歴史の学問ではないだろうか。
慎重さと、忍耐が求められる。

 14.外だけ批判してもダメ。外患と内憂、社会は両面を観なければ事の
実相は解らない。 (濱田 實)

*のち、紫雲荘が新聞発表した格調ある声明文「日本国民に告ぐ」の大
要を紹介したい。実はそれが斉藤隆夫代議士を除名に導いた声明文であっ
たことも解る。乞御期待



 2)皇室典範2条の3「長系を先にし、同等内では、長を先にする。」
の通り、旧宮家が復活した時の皇位継承順位は長系を先に賀陽宮家、久
邇宮家、朝香宮家、東久邇宮家、竹田宮家、となります。明治天皇の皇
女をお妃にした宮家、昭和天皇の皇女をお妃にした宮家がありますが、
長系順です。

天皇との親族関係は変わるかもしれないからです。たとえば、賀陽宮家
の長男17歳が3人の内親王(11歳、21歳、18歳)の1人をお妃に迎えた
ら、賀陽宮家が天皇と最も近い親族になります。(まこと)




 3)Far Eastの何処かに日本という市場が:前田 正晶

1994か95年頃だったか、世界最大のアメリカの製紙会社のInternational
Paper(IP) の日本法人社長(日系人)が、

「私の日課の中でも最大の仕事は“Far Eastの何処かに日本という市場
もあったかな”という程度の認識と熱意の本社に、『何故日本向けに安
定的に輸出を続けねばならないのか』を説得すること」と語った。

IPは嘗てはニューヨークに本社を置いた東海岸を地盤にする会社である。
西海岸最大手のW社に19年も在籍した私にも、そう言いたい背景が非常に
良く解る告白だった。

その背景とは、何も紙パルプに限らず、全米の70%を占める東海岸をテ
リトリーとする会社は、ロッキー越え等の輸送面での幾多の悪条件を無
視して、西海岸の市場、日本というかアジアにまで出荷しようとは考え
ていないということ。

例えば、IPの対日輸出工場はArkansas(アーカンソー州)のパイン・ブ
ラフ(Pine Bluff)という中南部にあった。

そこは東西両海岸の港からは遠く、製品を出荷しようにも滅多に輸入品
を積んだ帰りで空になったコンテイナが有り余っているような場所では
なかった。そこで長い時間をかけて空のコンテイナーを西海岸の港から
鉄道輸送させねばならない。

製品を積んだコンテイナをまた鉄道で西海岸のロス・アンジェルスか南
下してガルフ沿岸の港まで輸送する。それから長時間の日本までの海上
輸送となる。明らかに西海岸の企業と比較すれば不利だ。

アメリカ東海岸は言うまでもなく、中西部、中西部の製造業者が輸出す
るためには、ジョージア州サヴァナ港かガルフに先ず鉄道貨車輸送せね
ばならないのだ。これでは納期的にもハンディキャップとなる。しかも、
彼らは敢えて輸出などしなくても、従来は内需で十分に成り立っていた
のだ。

今では多少対日に機械類の輸出も増えてきたとも聞くが、こういう事情
がありアメリカの対日輸出は西海岸からが主力だった。それも一次産品
に偏りがちだったのである。換言すれば、遠隔地からから遅い納期、不
利な内陸輸送、その上に割高となる海上運賃をかけて東海岸から日本や
アジアに出荷するメリットがあるかという問題だ。

もっと早い時点でこういう西海岸と東海岸の企業間に存在する対日と対
アジアの輸出に対する政策の相違に触れておくべきだった。



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


18日午前、公園のトイレに入ろうとした時、段差に躓き、倒れて右上半
身を強く打った。杖を引く右手も痛めたので、帰宅に難渋した。歳はと
りたくない。

平井さんの老化願望には失望を禁じ得ない。62歳はまだ青年だ。が、
私の77歳、老化反発もいけないな。

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  • 名無しさん2013/03/18

    とてもよい!

  • 名無しさん2013/03/18

    藤井聡氏が語る 橋下維新の唱える地方分権とは日本人総不幸化計画だ

  • 名無しさん2013/03/18

    全国的に強い風が吹き荒れ、「春の嵐」となった日。

  • 名無しさん2013/03/18

    道州制は、地方分権でなく、地方に韓国街を自由に作らせる事!挙句に参政権付与して、人権侵害救済法案で人権擁護したら、日本が在日朝鮮人に乗っ取られる事なんですよ!

  • 名無しさん2013/03/18

    憲法15条公務員を選定罷免する権利は日本国籍を有する日本国民と平成7年の最高裁判決。憲法93条の地方自治体の首長議員を選挙する住民は日本国民と明言。憲法優先。

    創価の公明、民主、社民、維新の会の在日参政権主張できる根拠は何も無い、そして日本に何の得もない。

  • 名無しさん2013/03/18

    県政に無関心以前に、選択ができない現状に問題がある。地方の実態を考えるなら、地方分権など、とんでもない。地方議員・首長の利権の餌食。

  • 名無しさん2013/03/18

    ラジオで近隣自治体の村長さんの話やってる、(国や地域の事を考え発言するが)地元からは「国の立場でなく村の立場で発言しなきゃいけないんだよ!」と諭される事があると。 だから地方分権が国の足を引っ張るんだよな。

  • 名無しさん2013/03/18

    宮家というのは、男系皇位継承者を維持するために存在している。「女性宮家」というのは、「女系子孫」しか生む事が出来ないから、そもそも「宮家」にはなりえない。つまり、「女性宮家」の目的は、現典範よりも更に典範を改悪する事であり、公務のご負担軽減などは詭弁でしかない。