政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針2887号  2013・2・23(土)

2013/02/23

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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2887号
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        2013(平成25)年2月23日(土)



         日本の安全保障に直結する米国シェールガス革命:加瀬英明

                   森・プーチン会談で日露の扉が開くか:古澤 襄

                  先軍政治の金正恩を見誤ったアメリカ :古森義久

                       軍の熱狂に冷や水をあびせる論文:宮崎正弘

                           饂飩も蕎麦も食べなかった:渡部亮次郎

                         話 の 福 袋
                         反     響
                         身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第2887号
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
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日本の安全保障に直結する米国シェールガス革命
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                 加瀬 英明

昨年末を、ワシントンで過した。

ホテルの部屋のテレビで固唾を呑んで、NHKの総選挙の開票速報を、リ
アルタイムで見た。自民党が圧勝して、脱原発を掲げた諸党が完敗したの
に、喜んだ。

私は朝日新聞をはじめとするマスコミが、「卒脱原発」を直前まで煽りた
てたので心配したが、安堵した。

原発を停めるのは、狂気だとしかいえない。いま、中東が激動している。
いつ、湾岸の産油国が混乱して、日本への石油の供給が絶たれるか、分か
らない。

アメリカでは、アメリカ経済の将来について、かつてなく楽観していた。

アメリカは国際エネルギー機関(IEA)によれば、2019年までにシェー
ル・オイル・ガス革命によって、サウジアラビアを追い抜いて世界最大の
産油国となり、2035年までにエネルギーの自給自足(エネジー・インディ
ペンデンス)を達成しようと、発表している。

すると、これまで中東などから石油を買うために、国外に巨額のドルを垂
れ流していたのが是正されて、外国に出た製造業が国内に戻ってくる(ホー
ム・カミング)ことが、期待されている。

日本は国の存亡を、アメリカをひたすら頼りにして縋っているから、朗報
である。

ワシントンの連邦議会議事堂のわきに、アメリカの政治関係者なら誰でも
知っている、『モノクル』(片眼鏡)という一軒屋のレストラン・バーが
ある。1階のバーが、いつも上下院議員のスタッフや、政権の中堅幹部で
賑わっている。

私はワシントンを訪れるたびに、この店を覗くようにしている。

私も常連だから、店主や、バーテンが歓迎してくれる。

今回も、旧知の議会スタッフたちと落ち合って、浅酌した。

みな、私が保守派だと知っていたから、安倍自民党が勝ったことを、祝っ
てくれた。

私はオバマ政権が、日本へのシェール・ガスの輸出を認めるように、希望
した。といっても、日本へ輸出するためには、港湾施設などのインフラが
整備されていないから、日本として投資するべきだと、意見を述べた。

しばらく後に、チャック・ヘーゲル前上院議員の元スタッフが、私たちに
合流した。

ヘーゲル前議員はアメリカのマスコミによって、パネッタ国防長官の後任
として指名される最有力候補だといって、取り上げられていた。

共和党のヘーゲル前議員は国防通で、ネブラスカ州から選出されていたが、
オバマ大統領とも親しく、超党派の起用という計算も働こうと、取り沙汰
されていた。

ヘーゲル前議員の元スタッフが加わったことから、前議員が話題となった。
「誰が次期国防長官になろうとも、もっとも重要な仕事が、国防費をどう
削減するかということになるね」と、1人がいうと、全員が頷いた。

そして、アメリカがエネルギー供給について、中東から乳離れすることに
なるという話に、戻った。

すると、また1人が、私に「アメリカが中東の石油を必要としなくなった
ら、ペルシア湾の自由航行を護るために、第5艦隊を貼り付けているが、
撤収することとなるね。年間80億ドル(約6000億円)も、かかっている。
第5艦隊がいなくなったら、日本があとを引き受けるかね?」と、たずね
た。



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森・プーチン会談で日露の扉が開くか
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            古澤 襄

安倍晋三首相の特使として訪ロした森喜朗元首相は21日、ロシアのプーチ
ン大統領とモスクワのクレムリンで会談した。約1時間15分の話し合いだ
ったという。

北方領土問題をめぐる日露首脳会談で双方の見解が一番近くなったのは、
「川奈会談」と「イルクーツク会談」だったといわれているが、この首脳
会談はいずれも秘密交渉だったから、記者会見が行われたもののすべての
真相は定かでない。

今回も森・プーチン会談で、2001年3月の「イルクーツク声明」を交渉の
基盤とすることで合意の形をみせても、交渉の機微にわたる点は明らかに
されないだろう。

領土問題は日本とロシアの国益がぶつかるのだから、双方とも国内事情が
からみ、一方が勝った、負けたの交渉にはならない。秘密交渉があるのは、
むしろ当然のことである。4島返還がすんなりいくのなら、「川奈会談」
も「イルクーツク会談」もいらない。

安倍首相は昨年12月の就任直後にプーチン氏と電話で会談し、領土問題に
ついて「双方が受け入れ可能な解決策を見いだす努力をしたい」と伝えて
いる。プーチンと親しい森・訪ロはその地均しということであろう。

「イルクーツク会談」当時と違うのは、ロシアを取り巻く情勢が変化した
ことがあげられる。疲弊したロシアの再建のためにプーチンがとった資源
外交は一定の成果をあげたが、資源外交の対象だったEU諸国はいまや混
迷をきわめている。プーチンはアジアとくに日本を相手にした資源外交に
打って出ようとしている。

森氏の腹は「歯舞、色丹両島を先行して返還して、国後、択捉両島は継続
交渉」という基本路線だろうが、むしろ「歯舞、色丹両島プラスα(アル
ファー)」を模索しているフシがある。

そのうえでロシア原油や天然ガスの輸入拡大、またシベリア開発の日本側
投資といった日露経済協力を目指しているのではないか。

プーチン大統領も「安倍首相のロシア訪問を待っている」と述べ、日ロ首
脳会談で、両国の協力関係が幅広い分野で進むことに期待感を示した。

このあとは、岸田文雄外相とロシアのラブロフ外相と電話会談などを積み
重ね、5月の大型連休を軸に調整している安倍・プーチン首脳会談に臨む
ことになる。

<安倍総理大臣の特使としてロシアを訪問している森元総理大臣は、日本
時間の21日夜、プーチン大統領と会談しました。

会談の冒頭、プーチン大統領は「安倍総理大臣のロシア訪問を待っている」
と述べ、日ロ首脳会談で、両国の協力関係が幅広い分野で進むことに期待
感を示しました。

ロシアのモスクワを訪れている森元総理大臣は、日本時間の21日午後8
時半ごろから、クレムリンでプーチン大統領との会談に臨みました。

会談の冒頭、プーチン大統領は、森元総理大臣に対し、「日本とは経済分
野での協力がうまく進んでいて農業分野での協力も軌道に乗ることを期待
している。安倍総理大臣のロシア訪問を待っている。訪ロに向けた作業を
進めているので、安倍総理大臣によろしく伝えてほしい」と述べました。

会談の内容はまだ明らかになっていませんが、森元総理大臣は、北方領土
問題について、総理大臣在任中の平成13年3月に、シベリアのイルクーツ
クで行ったプーチン大統領との首脳会談で、平和条約締結後の歯舞・色丹
の2島返還を明記した1956年の『日ソ共同宣言』の有効性を文書で確認し
たことなどに触れながら、プーチン大統領の基本的な考え方を確かめたも
のとみられます。

また、プーチン大統領が、大統領選挙に当選する前のインタビューで、北
方領土問題について「引き分け」という言葉で、歯舞・色丹以外の引き渡
しは難しいという考えを示唆したことについても、その真意を探ったもの
とみられます。(NHK)>

■日露の「川奈会談」と「イルクーツク会談」 古沢襄 

2011.04.17 Sunday name : kajikablog 

北方領土問題をめぐる日露首脳会談で双方の見解が一番近くなったのは、
「川奈会談」と「イルクーツク会談」だったといわれる。しかし、この首
脳会談はいずれも秘密交渉だったから、記者会見が行われたものの真相は
定かでない。

東郷和彦氏(外務省元欧亜局長)は「戦後の領土交渉は、これまで、5回
のチャンスがあったが、特に、イルクーツクでのプーチン・森首脳会談は
一番解決に近づいた」と回顧している。

イルクーツク会談は2001年、森元首相が訪ロしてイルクーツクでプーチン
前大統領と会談して北方領土の解決策を話合った。その内容は「イルクー
ツク声明」で明らかにされた。

 ?2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす、としたクラスノ
ヤルスク合意の実現に関する作業が重要な成果をもたらした。
 
 ?56年の日ソ共同宣言が条約交渉プロセスの出発点を設定した基本的な
法的文書であることを確認した。

 ?93年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締
結する。

 ?相互に受け入れ可能な解決に達するため、平和条約締結に向けた前進
の具体的方向性をあり得べき最も早い時点で決定する。

この声明だけでは「プーチン・森首脳会談は一番解決に近づいた」ことの
具体策が窺えない。ただプーチン氏が北方領土の解決について、かなり踏
み込んだ姿勢をみせたことだけは知ることが出来る。

河野大使はロシアの対日感情に変化の兆しがみえるので、北方四島の帰属
についてロシア側との折衝に力を入れると意欲を示していた。


ロシア側も「数百年前にプチャーチンが津波で下田に寄せられた時に、下
田の人たちが手厚い保護をして生き残った人たちを船をつくつてロシアに
送り返してくれたが、これが日ロの友好の始まりだ。今回は日本が地震や
津波で被害を受けたことに援助をし、救助隊を派遣したい」と述べている。

日本に対する救援活動に積極的なのはプーチン首相だという。東郷氏は最
近の北方領土交渉を振り返って「06年の安倍晋三政権の成立以来、昨年5
月のプーチン首相来日までは、ロシア側は『領土交渉を進めよう』という
シグナルを繰り返し出してきた」と指摘。

にもかかわらず、麻生太郎首相(当時)が「ロシアが北方領土を不法占拠
している」と発言したことが日露関係悪化の発端との認識を示している。

「大統領が『交渉を本当にやろうと真剣に思っているのなら、相手の国民
世論を憤慨させるようなことはやめてくれ』と強烈なメッセージを送った
にもかかわらず、(麻生政権の後の)鳩山前政権でも同じ趣旨の答弁書を
出した」として、ロシアの態度硬化に拍車をかけたと断定。「ロシア側は
日本は交渉する気がないと受け取った」と語り、その後の関係悪化につな
がったとの見方を示した。

東郷氏は「交渉で領土を取り返す以上、日本政府はロシア側のシグナルを
外してはならなかったのに、『やる気がない』と彼らが受け取るメッセー
ジを昨年出してしまい、現在の菅政権に至っても修復の兆しはない」と最
近の歴代政権を批判的である。

1998年、静岡県伊東市の川奈ホテルで行われた橋本首相とエリツィン大統
領の非公式会談で橋本氏は、北方領土問題の解決に関する秘密提案、いわ
ゆる川奈提案を行った。その時点で、エリツィン氏はこの提案を肯定的に
受け止めている。

しかし、あと一息というところで、7月の参議院選挙で自民党が惨敗し、
橋本内閣が退陣。ロシア側も8月にロシアが事実上のデフォルト(債務不
履行)宣言を行い、経済・社会情勢が混乱して、エリツィン政権の権力基
盤が急速に弱体化してしまった。

川奈会談にしてもイルクーツク会談にしても、日露首脳の合意の落とし場
所は「歯舞、色丹両島を先行して返還して、国後、択捉両島は継続交渉」
ということであったろう。その変形として「歯舞、色丹、択捉の三島を返
還、国後島は2割返還という3・5島返還」も模索されたというが、あく
まで4島返還を求める国内世論をクリアするのは難しいと考えられた。

ここで気になるのはメドベージェフ大統領が北方四島のロシア化で動いて
いることである。来年の大統領選挙を前して返還に消極的なロシア軍部や
外務省を意識しているのだろう。プーチン首相が大統領選挙に出馬するの
か分からない。

だがプーチン首相は日本に接近してロシアのアジア進出に活路を開こうと
しているのは疑う余地がない。つまりナホトカ港にパイプラインを引いて
天然ガスや石油を東アジアに供給して関係を深めようとする戦略だといえ
る。欧州に対して行った”資源外交”のアジア版といえる。

ロシア側の決め手はやはりプーチン氏にあるのではないか。しかし日本側
は外務省を含めて領土交渉では大きく後退したままである。このままでは
「北方領土の”ロシア化”だけが進んでいる」ことになりかねない。(杜
父魚ブログ)

2013.02.22 Friday name : kajikablog 



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先軍政治の金正恩を見誤ったアメリカ 
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            古森 義久

アメリカの専門家たちがみる北朝鮮の実態です。

<やはり北朝鮮核実験を許容している中国>

リグネット報告が提起するもう1つの重要ポイントは、北朝鮮が今回、爆
発させた核物質がプルトニウムかウランか、という点である。周知のよう
に核爆 弾にはプルトニウムとウランの2種類があるが、北朝鮮の今回の実
験爆弾が濃縮ウランだった場合の方が国際社会にとっての脅威は大きくな
る。

この点のリグ ネットの分析を見よう。

「西側諸国の最大の懸念は、北朝鮮が今回の実験で高濃縮ウランを使った
かどうか、である。もしそうであれば、北朝鮮が核兵器開発計画の規模や
内容を拡充する能力がこれまでより大きくなると見られるからだ。

北朝鮮の軍事用プルトニウムの推定保有量はすでに低くなった。国際機関
の推定では北のプルトニウムは最大限、核爆弾4個から12個分だとされる。 

しかしウランは濃縮作業がすべて地下で可能であり、プルトニウムよりも
所在の探知が難しく、密輸もより容易となる。北朝鮮の寧辺に、プルトニ
ウム抽出の施 設だけでなく、実は秘密のウラン濃縮地下施設が存在した
ことは、北朝鮮当局が2010年後半にそれを公開するまで、米国を含めて西
側諸国の情報機関はどこ も察知していなかった。濃縮ウランの探知はそ
れほど難しいのだ」

■「金正恩政権は柔軟路線」は間違いだった

リグネット報告は今回の核実験から金正恩政権の本質についても診断を下
していた。

「今回の核実験が行われるまでは、金正恩氏がスイスで教育を受けたこと
などを重視して、『改革者』だとか、『柔軟路線』だという観測も多かっ
た。しかし今回の核実験はそうした観測が間違いだったことを十二分に立
証した。

北朝鮮は金正恩体制の下、中国も含まれる世界各国からの反対や警告を無
視して核兵器実験を断行した。この事実は、金正恩第一書記が父の金正日
総書 記の路線を忠実に継承し、『先軍政治』のスローガンの下、軍事最
優先の挑発的な政策を続ける見通しを裏づけた。若い金氏は軍事強化によっ
て自分自身の権力 の基盤を固めるという道を歩むわけである」

だから他の諸国はその北朝鮮の軍事最優先の強硬路線にそのつもりで対応
しなければならない、ということだろう。北朝鮮情勢はまだまだ厳しい冬
の時代が続くということである。このリグネット報告はそんな展望を示し
ていた。(終わり)

http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/3005751/



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軍の熱狂に冷や水をあびせる論文
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25(2013)年2月21日(木曜日)
   通巻第3884号  
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  中国軍機関紙が「露梁戦争」のことを用いだした
    他方、軍の熱狂に冷や水をあびせる習近平の軍師・劉源の論文
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中国人民解放軍は先軍思想にでも取り憑かれたのか? 

軍事パラノイア路線ますます激しく、軍を増長させている。冷や水を浴び
せたのは「いまは戦争する時期ではない。チャンスを待て」という劉源
(陸軍大将)の論文だったが、一部の軍人は次に「露梁海戦で中国は勝
った。日本の海軍は弱い」と変なことを言い出した。

党の学習誌『学習時報』は歴史的事実をややねじ曲げながらも結果には正
確で、「露梁海戦は『壬辰戦争』(文禄・慶長の役のこと)六年間の最後
の海戦となったが、両軍の痛み分け、これは日中間の尖閣戦争で予測され
る海戦の教訓になる」と論じている(多維新聞、2月19日)。

「甲午戦争」(日清戦争の中国の呼び方)は明らかに日本の勝利だったが、
中国は負けたとは言わず、威海衛沖合の劉公島に「甲午戦争記念館」を造っ
て中華ナショナリズムを鼓吹している(筆者も見学したことがあるが、入
り口の揮毫は江沢民だった)。

「露梁海戦」とは、文禄・慶長の役の終盤、すなわち1598年に朝鮮半島西
海域で、撤退を開始していた日本軍を朝鮮と明の水軍が襲った戦闘を指す。

急遽「水軍」を編成して対応したのは島津義弘、立花宗茂、寺沢広高、宗
義智らだが、朝鮮水軍は李舜臣、明の応援部隊はトウ小龍が率いた。この
海戦で李舜臣もトウ小龍も戦死した。だから明は皇帝への報告に日本側の
平某(架空の武将)を退治したとでっち上げた。

朝鮮征伐は秀吉がはじめたが、これを侵略という左翼歴史観はあまりにお
粗末で、当時、キリスト宣教師らが暗躍した明征服のつぎに日本が標的で
あったことを秀吉は見抜いていた。こんにちの用語で言えばプリエンプティ
ブ・アタック(予防的先制攻撃)である。

1592年から始まった朝鮮征伐を日本では「文禄・慶長の役」と呼称する。
当然ながら渡海作戦には水軍が必要であり、日本側からは九鬼水軍、来島
水軍のほか藤堂、脇坂らの武将も水軍を急遽編成した。

名護屋城には徳川家康以下、精鋭十数万が控えた。
 
明の応援軍は大量であり、陸からは祖承訓、海からは李如松(提督)、碧
蹄館らが十余万の大軍を率いて鴨緑江にやってきた。当初、快進撃を続け
た日本軍も苦戦を強いられ、翌1593年には明軍が平壌、漢城(ソウル)を
回復した。

やがて和議が成立して日本は撤退を開始するが、その最中に秀吉が病逝す
る。

だが撤退部隊を闇討ち的に急襲するのが古来より中国の習わし、日本軍が
水軍を編成し直して応戦したのである。


 ▼「露梁海戦」をなぜいま中国軍論文が持ち出したのか?

露梁海戦は16世紀の世界史最大の海戦となった。

「日本水軍は450隻を失い、数万が死亡した」と中国の歴史書は言う。誇
張があるが、その後の歴史叙述はもっと出鱈目で「軍国主義日本をやっつ
けたルーズベルトは沖縄を蒋介石に贈呈すると言ったが、我が国は拒否し
た上、戦後賠償も受け取らなかった(ほど寛容だった)。

だから中国は日本に完勝したとは言えず、しかもいま釣魚島(尖閣)を日
本領と言い出して軍国主義を復活させようとしている。あの露梁海戦終盤
で中朝連合軍が追撃を止めず、完皮なきまでに日本をたたきのめしていれ
ば、こういうことにはならなかった」。

いかにも軍国主義パラノイア症状が如実に表現されている軍人の論文であ
る。蛇足だが、蒋介石の台湾占領と居座りは国際法的に無効で、日本は台
湾を放棄させられたが、『その後の帰属は未定」となっている。現在の馬
英九政権はこれを認めていない。

蒋介石は台湾に築きあげた日本の遺産をそっくり受け継いで世界一の金満
政党国民党を繁栄させた。だから日本はおつりを貰うべきである。

満洲の遺産をそっくりいただいた中国にも戦後賠償を言う権利はなく、貸
借対照表をつくれば日本側がおつりを貰わなければ計算が合わない(北朝
鮮も同じ)。

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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS
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  ♪
(読者の声1)貴誌で展開された藤井厳喜氏と蒙古専門家「SJ生」氏のや
りとりを愉快に拝読しました。貴誌の他誌に無い点は多くの知識人や専門
家が読む事とそういう方々からの投稿がまた魅力です。

さてやりとりで感じたのは「SJ生」氏の才気迸る気鋭の学者にありがちな
やや強引な論の立て方。米国で最新の教育を受けた藤井厳喜氏に「外来地
政学何するものぞ」「伝統の日本蒙古学を見よ」と言わんばかりな勇まし
さにはパチパチと拍手(因みにバグダッドを占領した蒙古軍は「十字軍の
影響で荒廃した」パレスチナに兵を進め今日のイスラエルのガリラヤ地方
とヨルダン川西岸地区の中間にあるイズレエル渓谷でエジプトのマムルー
ク軍と衝突して敗退)

だが御本人は強引さを分かっているのか論を引っこめるのが早い(笑)。
もう少し抵抗すれば面白いのに。

藤井厳喜氏は「ランドパワーは云々」とセオリーを作ったが、セオリーは
単純明快であるほど良い。認めなる例外は少ない方が良い。ただし数学や
科学法則と違い完璧なセオリーは存在しない。まして、それを未来予測に
応用するなら非常な慎重さが必要となる。

例えば一昨年のアラブの春革命がチュニジアからエジプトへ移転する十日
前にイスラエルのインテリジェンスコミュニティーが国会外交安保委員会
で毎年恒例の情勢説明時に「エジプト情勢は至極安定」と報告した。

情報通の友人から関連の新聞コピーを貰ったがイスラエルの情報機関が中
東情勢を見誤るかと驚いた。国が滅びるだろうに。
 
その後、分かったのは同国情報機関は平和条約の存在するエジプトやヨル
ダンは安心という「セオリー」を立て人材をレバノンやシリア(及びイラ
ン)の情報収集と分析に割いて前記の二国は軽視。事後に慌てて二国の監
視に要員を補充。反セオリー重視の伝統が生かされていない。

イスラエル軍でアラビア語インストラクターをやった知人は現在エジプト
情勢を非常な危機感を持って見守っている様だ。そういう観点から「ラン
ドパワーの中共支那はシーパワー足りえない」という思い込みは大変危険
な考えに見える。それに稚拙な意見で申し分けないが、私にはそもそも米
国はシーパワーとしてで無くランドパワーとして始まった様に思える。

その前にスペインに長い国境を塞がれている小国ポルトガルが海に活路を
見出したのは必然だし、ドイツやフランスに挟まれた小国オランダも同じ
条件下にあった。両国こそはシーパワーの典型。

第2次大戦時にユーボート部隊を駆使して海洋帝国英国を苦しめていまだ
に優秀な潜水艦を作るドイツは僅かな植民地をも失い以降はシーパワーと
見做されないが英国と欧州外で植民地獲得競争をしたフランスはランドパ
ワーとして出発。

米国の場合はもっと極端で西部開拓の幌馬車から始まり大陸横断鉄道と大
陸全土への高速道路網とライト兄弟発明による飛行機による国内交通網を
完成。そのランドパワーを充実させたモータナリゼーションを基礎とした
延長線上に世界最強海軍と空軍と宇宙開発を発展させたところからして米
国自体が藤井氏のセオリーの例外ではないか。少なくとも米国はポルトガ
ルやオランダ(やバイキングや倭寇)とは異質なる位置付けされるべきで
は?

さらに米国を前例とするとなると理論的には米国とほぼ同じ面積を持つ大
陸国家の支那がシーパワー足りえない理由は無い事になる。ただしそれに
は条件が有る。それは近隣の海洋国家日本を征服して技術を含めた能力を
自己のものとする事である。

であるとすれば中共は晴れてシーパワーとして東南アジアや南米やアフリ
カに進出して毛沢東が目指した世界制覇が実現する事になる。結論はセオ
リーに捕われ過ぎてはいけないということだ。(道楽Q)



  ♪
(読者の声2)NHKのニュース番組、北海道の台湾人観光客を中国人と
して紹介するなど、中国・韓国よりの報道姿勢にはかねてから批判が多かっ
た。

19日放送の午後9時からのニュース番組、北海道ニセコが外国人に人気。
こんなことは以前からオーストラリア人に人気という報道が多数あったの
ですが、1月の数字では前年比オーストラリア人42%増、韓国人35%増、
続いてタイ人33%増、一方中国人は40%以上減だという。

2010年にはニセコリゾートの運営会社をマレーシア企業が買収するなど滞
在型リゾートとしての人気が高まっているようです。

日本人にしてみればスキー場も温泉も湯治は別として2泊3日もあれば十分
楽しめますが、長期休暇があたりまえの豪州人や平地で雪の降らない台湾
や東南アジアの人たちにとって雪の北海道はある意味『聖地』です。
おまけにカニを始めとするグルメも楽しめる。

バンコクではタイ資本の日本食レストランでは「カニカマ」が単品メニュー
に載るほどですし、香港でも台湾でも日本のカニは大人気。日本人こそが
日本の観光資源に気づいていないのかもしれません。

幕末・明治期の欧米人の日本紀行でも上海の欧米人に日本は避暑地として
とても人気があったことがわかります。上海ナビという上海ガイドのWE
Bサイトでも夏の上海は「ひたすら暑く、避暑地や泳げる海も遠く、高い
山もなく、フェスや夏祭りもなく、夏休みという概念もない上海は、はっ
きりいってオフシーズンです」と紹介されるほど。

逆に冬の上海は雪が降るほど冷え込むのに暖房設備は貧弱、レンガの壁が
主流の建物は底冷えするほど寒い。日本の軽井沢、ビルマのメイミョー、
セイロンのキャンディと避暑地を開発した英国人、中国に避暑地の適地は
なかったのでしょうか。

NHKの番組では中国人観光客が激減している日本に対し、中国人観光客
が激増する韓国を紹介。その中で出てきたヤンヤン(襄陽)空港、韓国江原
道に位置し、ソウル・釜山・済州島につぐ空港として開港しながら一日の
利用者が10人未満で廃港の危機、2009年の年間利用者はわずか3066人。補
助金により中国路線を開拓、2012年には3万2千人の利用者を見込むといい
ますが、それでも一日100人以下に過ぎません。持ち上げ過ぎでは? ち
なみに日本では首都圏の辺境ともいえる茨城空港でも利用者は年間30万人
前後。

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=66104

番組ではタイにおける日本旅行と韓国旅行の比較をしていましたが、韓国
はビザなしで価格が半分が売り。

かつてタイ人が韓国にはビザなし渡航できることをブローカーが悪用し、
バンコク〜ソウル〜東京〜バンコクというチケットを使い、東京でトラン
ジットビザを使って入国、そのまま不法滞在という事例が相次ぎました。

そんなこともありタイ人に対するビザの発給が極端に制限されていました
が、近年はタイの経済力向上とともにビザ発給要件もだいぶ緩和され、
2012年の訪日旅行者数は26万人超で豪州を抜き6位に浮上。2012年暫定値
では、首位韓国2044千人、2位台湾1466千人、3位中国1430千人、4位米国
717千人、5位香港481千人、6位タイ260千人、7位豪州206千人など。

タイ人の旅行形態も個人が主流、リピーターが6割近い数字というのは意
外でした。他の東南アジア諸国からもシンガポール・マレーシア・インド
ネシアは各国10万人超と欧州諸国からの旅行者数に匹敵するほどです。

http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/basic.html 

から国別データが見られます。

http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/pdf/market_basic_thailand.pdf

超円高だった2012年もタイバーツから見るとさほど変動がなかった。最近
の円安でタイバーツは対円で強くなっていますから2013年はタイ人旅行者
はさらに増えることが予想されます。

テレビ東京の番組で取り上げられたタイ、洪水で浸水した日系企業では工
場の周りを囲む土盛りと防水壁は合計6メートルの高さにも及び、壁の向
こうにはホンダの新車が並んでいる。多くの工場が水没したアユタヤの工
業団地、なぜあれほどひどい状況になったのか疑問でした。

最近読んだ佐藤洋一郎氏の著書で納得。佐藤氏が1980年代のタイで稲の研
究をしていた頃の話がでてきます。当時のアユタヤはほとんどが水田地帯、
しかもただの水田ではありません。

浮き稲の水田、雨季には水深が5メートルにも及ぶという。水田自体が巨
大な貯水池だったのですね。その後の工業化で水田が工業団地に生まれ変
わり洪水が起こりやすくなっていたことがわかります。

番組ではバンコク東部の工業団地も紹介、こちらは洪水の心配がないこと
が売物。トヨタやいすゞの工場があり港に近いことから新車を積んだトレー
ラーが頻繁に行きかう光景が見られます。番組の内容についてはこちらの
ブログに詳しいのですが、

http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20130220/1361308085

中国とタイの違いを象徴するのが1年間の争議件数で、タイ66件、中国60
万件。大浜、「1年間の争議件数です。中国はタイの1万倍です」

「タイと中国とでは国民の気質という違いもあるが、それ以上に工場労働
者、農民の低所得層と中流層との格差があまりにも激しくなっている。中
国の労働者は不満がそれほど強いということです。

それに比べてタイは工場労働者も含めて中流になりつつある。それが数字
として表れている」。

昨年バンコクに行った時、BTS(高架鉄道)は工業団地にほど近いところ
まで延伸されていましたが、夕方の利用者が工場の制服を着た女性たちで
した。

工場労働者といえば安いバスを利用するのが普通だったことを思うと隔世
の感があります。

人件費での優位性がなくなった中国、社会格差が広がりすぎて日本からの
進出企業にとってリスクの方が大きいことを表しています。

中国駐在日本人に身近な中国人個人がどれほど親日であろうと、政府レベ
ルで反日を煽る中国、そろそろ真剣に撤退戦略を考える時期ではないでしょ
うか。(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)ニセコのリゾートを大規模に開発し、もっぱら中
国人金持ちに分譲したのはニトリでした。

ところで先々週、マニラにおりましたが、世界で一番古いチャイナタウン
が人通り少なく、店はがらがらでした。

理由? 言うまでのないでしょうけれど、フィリピンもスカボロー岩礁の
領海で中国と軍事対峙をつづけており、対中感情は最悪です。

中国からの観光客ゼロに近いと中華料理の女主人(広東人)が嘆いており
ました。マニラの華字紙は3つもありますが、いずれも反日でした。



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饂飩も蕎麦も食べなかった
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      渡部 亮次郎

うどん=西日本、そば=東日本と言う人がいるが、これは正しくない。

東日本にはうどん処として知られている地域が多く(吉田のうどんなど)、
大坂(現在の大阪)では天正12年に蕎麦屋「砂場」が開業し、西日本でも
江戸時代には蕎麦文化が広まったとも言われている。

うどんつゆは、西日本では昆布と鰹節・煮干で取った出汁を淡口醤油で調
味したもの、東日本では昆布と鰹節の出汁を濃口醤油で調味したものが用
いられることが多い。

手軽な庶民食、米食の代用食として、また祝い事に際して振る舞われる
「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によっ
て、調理法や具材が違う。

秋田生まれの私は、子供の頃が大東亜戦争中で、米もうどん、蕎麦も欠乏
していた時代に育ったから、もっぱら米飯中心に育ったが、母親はなぜか
饂飩を食べたがった。

日々の農作業がきつく、饂飩を食べて農作業を休めた村祭りやお盆の祝い
の日が恋しかったのだろう、と今思う。98で急死した。

秋田には有名な「稲庭(いなにわ)うどん」が有るが、子供のころは食べ
たことが無かったし、存在そのものを知らなかった。知ったのは中年にな
って、しばしば帰省して、初めて。

稲庭うどん。秋田県の手延べ製法の干しうどん。ひやむぎより若干太い。
製造工程は、食用植物油を使用せず打ち粉としてでん粉を使う点や、乾燥
前につぶす事による平べったい形状が特徴。

麺は気泡により中空になっており、そのために食感は滑らか。稲庭うどん
について記述のある「稲庭古今事蹟誌」によると、寛文年間以前に秋田藩
稲庭村小沢集落(現:秋田県湯沢市稲庭町字小沢)の佐藤市兵衛によって
始まると伝えられている。

また、その製法技術は、日本海交易により福岡からもたらされたとする説
や山伏から教えられたなどの諸説がある。

各地で食べられているうどんには小麦の生産される土壌、気候、醤油など
の醸造業や漁業などの地場産業、流通を担う商人などの存在により、その
地域独特の郷土料理となっているものと、村おこしとの一環として地域の
名物としているものなど様々な種類がある。

昔、義兄に案内されて、高松市で『讃岐饂飩』を馳走になったが、もとも
と「饂飩」に馴染の無い身だったから、大部分を残す失態を演じてしまっ


讃岐うどんは香川県特産のうどんで、ツルリとして滑らかな麺。トッピン
グや食べ方は多種多様である。

現在、東京周辺、近畿ともにうどんの専門店は従来の店とチェーン店があ
る。また日本全国には、うどんとそばの両方を供する「うどん屋」、「そ
ば屋」と称する店が多いが、うどんを主としている

店では「うどん屋」、そばを主としているお店では「そば屋」と呼ぶこと
が多い。

江戸時代の江戸の市中においても、うどんは一般に普及していた。特に江
戸前期にはまだ麺類としてのそば(そば切り)が一般に普及していなかっ
た。

そばがきとして食べられていたこと(記録としては蕎麦がきの様なものが
麺状に切られたのが「1574(天正2)年初めの建物修復工事完成に際して
の寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認できる)
から、麺類としてはうどんに人気があったようだ。

しかし、のちに麺類としてのそばが普及したこと、またそばとそば屋が独
自の文化を育む母体となっていったこと、脚気防止のためにそばが好まれ
たことなどにより、うどんは江戸における麺類の主流としての地位をそば
に取って代わられる。因みに江戸のそばは信州から甲州街道を通して伝え
られたものといわれている。

現在の関東地方は、東京都多摩地区、即ち武蔵野(小平市、東村山市など)、
埼玉県西部及び北部、群馬県などでは、「武蔵野うどん」をはじめとする
うどん専門店も多い。

実際、平成16年度のうどんの生産量でも1位は讃岐うどんで知られる香川
県だが、2位は埼玉県であり、群馬県もベスト5に入っている。これらの地
域では二毛作による小麦栽培が盛んで、うどんは日常的な食事である。

大阪、京都を初めとする近畿圏内ではうどんは麺類の主役として、今も老
若を問わず根強い人気を誇る。これは近世以前より近辺には播磨や河内な
ど良質の小麦産地が多かったこと、関東地方とは異なり、近畿地方から採
れる地下水は軟水であったため昆布との相性が良かったことなど、美味し
いうどんを作るのに最適な条件であったことが挙げられる。

そのため、関西、とりわけ大阪では麺よりだしに重きを置き、うどん玉は
だしを吸いやすいように、しなやかで柔らかい麺が好まれるようになった。

腰がないといわれる(とりわけ、讃岐うどんと比較して)のは、このよう
な文化的な背景があるためである。

20世紀後半から21世紀初頭にかけて4回の讃岐うどんブームがあり。また、
讃岐うどんを供するチェーン店が2002年より首都圏から日本各地にオープ
ンし、2005年頃まで続いた。

香川ではうどんの専門店が多く、そばとうどん両方を供している店は少な
い。

現在でも大阪では「うどん屋」が多く、京都では「うどん屋」も多い一方
で、専門の「そば屋」が多い。江戸時代には既に西と東の物資の交流は盛
んであった。

西日本方面では、うどんといなり寿司をセットにして食べることが好まれ、
多くのうどん店ではいなり寿司を二つずつ載せた小皿で販売する。



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話 の 福 袋
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 ◎日中、技術協力推進で一致=PM2.5対策で初協議

【北京時事】中国の大気汚染をめぐる日中両国政府の協議が22日、北京の
環境保護省で行われ、両国間で実施している大気汚染抑制のための技術協
力を引き続き推進するとともに、さらなる協力の可能性を検討することで
一致した。

中国で微小粒子状物質PM2.5などによる大気汚染が深刻化した1月以降、
日中政府間の協議は初めて。

日本側は、発生源の特定が難しいPM2.5に関する技術と経験を蓄積してお
り、実態研究や対策の立案、人材育成の面で協力することを想定。

また、毎年開かれる日中韓3カ国の環境相会合が5月5、6の両日に北九州市
で予定されており、韓国を含めた協力も検討している。

時事通信 2月22日(金)14時48分配信 



 ◎ <日米首脳会談>TPPで共同声明 関税撤廃の例外容認

 【ワシントン坂口裕彦】訪米中の安倍晋三首相は22日午後(日本時間
23日未明)、オバマ大統領とホワイトハウスで初めて会談した。会談後、
首相は「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活したと自信を持って宣言
したい」と記者団に表明。両政府は、環太平洋パートナーシップ協定
(TPP)に関する共同声明を発表した。

共同声明は、日本がTPP交渉に参加する場合には「すべての物品が交
渉の対象にされる」としたうえで、「一方的にすべての関税を撤廃する
ことをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認す
る」と明記。

首相は会談後の記者会見で「オバマ大統領との会談で、『聖域なき関税
撤廃』が前提ではないことが明確になった」と述べ、帰国後、自民、公
明両党から一任を取り付けたうえで、政府として交渉参加を早期に判断
する考えを示した。

毎日新聞 2月23日(土)7時54分配信 



 ◎「長野で金うれしかった」=里谷が引退会見

1998年長野五輪のフリースタイルスキー女子モーグルで、日本人女子で
初の冬季五輪金メダルを獲得し、先月引退を表明した里谷多英(36)が
22日、ワールドカップが開催される福島県猪苗代町で記者会見した。

里谷は「もう駄目だと思えるまで滑れてすっきりしている。一番うれし
かったのは、長野で金メダルを取れたこと」と選手生活を振り返った。

里谷はバンクーバー五輪まで5大会連続で五輪に出場し、ソチ五輪を目指
していたが、昨年12月の北米の大会でワールドカップ出場条件を満たせ
ず引退を決意。「ソチも出たいと思って努力したが、年を重ねて体力を
維持するのが難しかった」と話した。 

時事通信 2月22日(金)18時18分配信 



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反     響
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 1)「2.26事件とその背景3」浜田 實

当時の農業者は、士農工商の身分差別のなか、地位が向上してきた商工
業者の下につくものと世人が考えるようになり、政府の対策も農村には
薄かった。然るに軍隊に入営して来る兵士の8割までが農村出身者であっ
た。

浜口内閣の不景気政策以来、農村の疲弊が目もあてられぬ情況にある時、
兵士たちは家庭の困難が常に心にかかりながら、その困難な家庭に送金
をしつつ、兵士の給料も少ないなか、煙草も思うようにすえぬ有様であ
った。


兵士を訓練する血の気の多い将校たちは、この情況に頭を悩まし、歴代
政府の政策を農工商を順位とした昔に帰さなければ兵力の衰退が甚だし
いことを憂えていた。

それが浜口内閣以来の不景気政策に対する軍人の憤りとなり。昭和5年
の3月事件、その翌年の10月事件、昭和7年の5.15事件、さらに昭和
11年2月26日の2.26事件などの背後の動機となっていることを知らね
ばならぬ。これが当時の事情を知る或る人の話である。

その浜口内閣も次の若槻内閣も、さらにその次の選挙で大勝利を得た犬
養内閣も、その次の斉藤内閣もみな事態の重大さを知らなかった。高橋
大蔵大臣は比較的明るい財政家であったが、その政策は青年将校たちを
して、安心せしめるには遠いものであった。2.26事件が起こった所以
はここにある。

明治以来の日本の財政家は、緊縮方針を採るのが正しいと思われ、健全
財政と称して予算収支の均衡を確保するためには、相当の失業者や困窮
者が出ても余儀ないことと考える習性があった。必ず窮民を造らずにす
むのであるという、ただその道理さえ、知らぬのであった。2.26事件
の最大の原因がそこにあったことを、今でも知らぬ者が多かろう。

                           (続く) 



 2)西和賀町で雪が3メートル近く積もった:古澤襄

冷たい!2月も間もなく終わりだというのに、氷室の中にいる様な寒さ
だ。西和賀町から「雪が3メートル近く積もった」と知らせてきた。

「沢内農民の興亡」を書いた時に<<沢内村は周辺を険しい山と谷に囲
まれ、冬は2メートルを越す積雪によって閉ざされる>>と表現した。
しかし沢内村に足繁く通うようになって20年、まだ2メートルを越す積
雪を経験したことがない。それが3メートル近く積もったというのだか
ら想像を絶する。

日本海側の北陸に5年住んだが、積雪は住む人たちに忍従の生活を強い
る。生活費も太平洋側よりも高くつく。北国の人たちは、それに耐えて
きたから南国の人たちより強靱な精神力が培われてきたと思っている。

従妹から電話を貰った。「ジョー兄さんも81歳になるね」と私の誕生
日を覚えていてくれた。2月25日が私の誕生日なのだが、そのことより
よりもこの日が、麻布高校にいる孫が東京大学の受験日な方が気になる。

第2志望だった早稲田大学の政経学部の方は、センター試験が良い成績
だったので、すでに合格通知を貰っている。気持ちを楽にして東大試験
を受けなさいとは言っておいたが、試験日が近づくにつれて私の方が気
もそぞろとなっているジジ・馬鹿チャンリン。

「早稲田はまさか受かるとは思っていなかったので、正直驚いています。
特に政経は第二志望だったので、一安心できました。まあ何はともあれ、
運が良かったのだと思います。“ツイてる”と思えば、万事にご利益が
ありそうなので、あくまでそんな心持ちで・・・。

この調子で気持ちよく東大の試験に臨み、結果はどうなるか分かりませ
んが、やるだけやってすっきりした気持ちで春休みを迎えたいです。応
援しててね。しばらく遊びに行けていませんが、春休みにはすぐに行き
ます」・・・孫の方がよほどしっかりしている。

私の父・古澤元は旧制の盛岡中学から仙台の第二高等学校を受験した。
親たちは父を医者にするつもりでいたので、二高理科の受験を許したの
だが、合格者発表の掲示には古澤元の名前はなかった。落ちてしまった
と、帰りがけに文科の掲示をみたら、二番で合格していた。

孫が学校の出来がよいのは、曾祖父の血を受け継いだ隔世遺伝なのかも
しれない。だが一家眷属が一人の孫に、あまり期待すると重荷になる。
本当の勝負どころは社会に出てからなのだから、期待の方はほどほどに
して孫の成長を見守りたい。

2013.02.23 Saturday name : kajikablog 



 3)中選挙区制なら、年齢の異なる複数の自民党候補者の中から1人
の自民党候補者を有権者が選択できるので、定年制を設けなくてもよく
なります。(まこと)



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


東京湾岸は23日も強い北風が吹いている。

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か「匿名希望」かを書いて下さい。


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  • 名無しさん2013/02/24

    道州制による地域格差の拡大は自明ですが、道州内での都市間格差も拡大します。道州制に類似する北海道においては、以前は函館や旭川も札幌と並ぶ都市でしたが、今はなんと札幌市に人口の4割近くが集中し約8割の自治体が過疎地に指定されています。道州制になれば大多数の県庁所在地も衰退します。

  • 名無しさん2013/02/23

    道州制が特に危険なのは、それが移民とセットになるときです。そして、実際にこの二つは、外国人居住地という同じ方向性を目指すものでありセットで構想されている可能性が極めて高い。

  • 名無しさん2013/02/23

    自民党の道州制。壊国のスピードや壊国の種類が違うだけで、国が壊れることには変わりない。どの政党でも結局は国を壊す選択肢しか無いなんて、そこが日本の抱える病巣なんだよ。

  • 名無しさん2013/02/23

    道州制による地域格差の拡大は自明ですが、道州内での都市間格差も拡大します。道州制に類似する北海道においては、以前は函館や旭川も札幌と並ぶ都市でしたが、今はなんと札幌市に人口の4割近くが集中し約8割の自治体が過疎地に指定されています。道州制になれば大多数の県庁所在地も衰退します。

  • 名無しさん2013/02/23

    いつも、ありがとうございます。

  • 名無しさん2013/02/23

    中選挙区に戻すのはそれ程問題なさそう…かな?

  • 名無しさん2013/02/23

    『撲滅したい反日勢力』 ジャスミン革命の様な政治運動や意識改革が最も必要な国はアフリカ中韓で無く日本国であろう。反日マスコミと反日勢力に侵食された各地の現実を認識したい。

    昨年末の選挙で保守圧倒したが、反日勢力は健在だ。参議院でもさらなる反日政党を撲滅願う。

  • 名無しさん2013/02/23

    寒い日は、内観するのに良い日だな〜と思います。

     



    (ちょっとやってみました☆ 気持ちよかったです。)

     













    アメリカでは、内観、めい想を毎日のトレーニングや生活に取り入れている人々がけっこういらっしゃいます。

     













     バスケットボールのシカゴ・ブルズの監督だったフィル・ジャクソンが、選手のトレーニングに必ずめい想を入れて、禅マスターと呼ばれているそうです。

     

     マイケル・ジョーダンももちろんやっていたはずです。

     













     また、アップル創業者の故スティーブ・ジョブズも禅に傾倒していて、愛読書はヨガ・ナンダの「あるヨギの自叙伝」だったそうです。

     













     日本でも、めい想を取り入れている人々は多いでしょうか?

     













     めい想(メディテーション)は、もともと東洋の文化、技術ですものね〜。

     













     きっとアメリカの方々にとったら、メディテーションは東洋の神秘のように感じるのでしょうね! 



  • 名無しさん2013/02/23

    藤井聡著『維新・改革の正体』道州制に反対の理由 

    !)国家レベルの財政政策、金融政策の実施困難→デフレ脱却が絶望的

    !)巨大災害に対する備え・救援・復旧困難

    !)第二国土軸構想など国土レベルのプロジェクト不可能

    !)地域間格差が回復不可能な水準に拡大

    !)国民意識の希薄化、国家分断、解体

  • 名無しさん2013/02/23

    2年後、2015年に、日本の65歳以上の高齢者は、4人に1人の割合になるそうです。これから、ますます少子高齢化の時代になっていきますね。

     

     昔に比べると長生きできる時代になったわけですから、そのこと自体はいいことだと思います。ただし、長生きすれば幸せなのかと言われると、疑問に思う人も多いかもしれません。

     

    都会に住む一人暮らしの老人のお話を聞いたことがありますが、近年、孤独と不安の中に生きる老人が増えてきました。 

     

     このことは、今後、ますます大きな社会問題になっていくでしょう。何十年後かは、私も人ごとではありませんけどね。

     

    そんな高齢者の生き方を考える中で、素晴らしい老人の代表のような方として、最近、よくメディアにも登場される、日野原重明さんという方がいらっしゃいます。聖路加国際病院理事長・名誉院長として、101歳のいまも現役でバリバリ活躍されている人ですね。 

     

     見た目も大変若いし、頭も冴えてあるようですし、言葉もはっきりとされています。 

     

     年をとっても、こういう人なら、孤独や不安や不幸とはまったく縁がないように思えます。

     

     

     

     この方が、60歳すぎて、定年になる人に対して、こういわれていました。 

     







    (日野原) 60歳とか65歳というのは職業で一区切りつくだけで、人間として生きることが終わるわけではないんです。自分の得意なことを開発して、新しい人生を始めることが必要です。ぼくは、ハイジャックにあった「よど号」に乗っていました。59歳のときですが、命が助かったときに、「これからの人生は与えられたものだ」と感じました。「恩を受けた人に返すだけでなく、あらゆる人にこれからの私の人生を捧げよう」「これからがぼくの人生の本番だ」と思いました。

     

    ――実際に60歳を過ぎてから、いろいろなお仕事をされているんですね。

     

    (日野原) オーストリア出身のマルティン・ブーバーという哲学者が「人は、新しいことを始めることを忘れない限り、いつまでも若い」と言っています。普通の人は、やったことがないからできないと言います。ぼくは3年前から俳句をつくり始めました。なんでもできるんです。小学生に行っている「いのちの授業」で俳句をつくってみようと言うと、10歳の子が「いのちとは 僕の持ってる 時間だね」という句をつくってしまうのです。

     

     

     

     全部は紹介できませんが、この日野原さんに限らず、いつまでも若い人というのは、いつも夢を持っている気がします。そして、その夢に近づくために、つねに何かに向かっているように思います。

     

     

     

     「夢は年をとればとるほど、どんどん失っていくものです。だから失っていく以上に、次々と、夢を架け続けていかなければ、星のない夜空のようになってしまいますよ」。

     

     

     

     最近は老人に限らず、若い人でも夢が無い人が多いですね。自殺する人が多いのも、そういう部分と無縁ではないような気がしますが、なんだか寂しい話です。

     







     もっと若いときから夢が持てる生き方ができればなあと思います。そうすれば、高齢になっても、生きがいを持っているので、孤独な人生にはならない気がします。

     

     

     

     ちなみに私は、10代のころから、いつも大きな夢だけは持ち続けてきました。大きな夢はひとつも叶いませんでしたが、それでも、形を変えながら、夢は続いてきました。

     

     そして、まだ日野原さんの半分も生きていないのですから、これからも自信もって、夢だけは追い続けようと思います。

     

     

     

     そのなかで、おそらく死ぬまで変わらないであろう、生涯の夢があります。

     

     

     

     それは、世界が平和になって、素晴らしい理想の世の中になる夢です。もちろん、自分の力では、まったくその夢は叶いそうにありません。

     

     素晴らしい世の中になることを見届けるまでは、絶対に死ぬものかと誓っております。

     

     

     

     これが、今の私の人生の生きがいとなっていますので、少なくとも日野原さんのように、いつまでも現役で活躍できる程度のことは、やらなくてはいけないと感じています。

     

     

     

     それから、大いに夢を語り合える仲間がいることも、すばらしいことです。それも私の大きな心の支えになっています。