政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針 1199号  08・05・27(火)

2008/05/27

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  わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1199号
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         平成20(2008)年5月27日(火)


                                荷風を偲ぶ散策ツアー:平井修一

                                  政権「なぎ状態」は:花岡信昭

                                   将来の財源は示せず:宮崎正弘

                                 アスパラガスの季節:渡部亮次郎

                               「従軍記者」事始(10):平井修一

                         話 の 福 袋
                         反     響
                         身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第1199号            
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
             
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荷風を偲ぶ散策ツアー
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          平井 修一

先輩と小生と朋友は3代続いた編集長(航空新聞社)で、今は仕事を離
れたとはいえ「3バカ」と自称・自嘲して時折遊んでいる。「永井荷風
と下町っていうテーマで浅草界隈で遊ぼうよ、企画してみて」と、前回
の宴会の別れ際に朋友に軽く提案したら、5月早々すごい企画書があが
ってきた。

全長16キロ!の1日ウオーキング。「前略、中略、後略で、一気に宴会
場に行ってもいいけどさ、ま、検討してね」とA4にびっしり2枚、プ
ランを書いてきた。旅行会社出身だからお客さんへのプレゼンテーショ
ンのように盛りだくさんだ。

それにしても土曜日の散策なのだ。6キロとか8キロが限界だろう。16
キロ歩いたら小生は翌週は寝込む。本人は闘病のために朝昼晩、万歩計
をつけて都合3時間も歩いているから16キロなんざ平気だろうが、まあ、
普通の人には酷だ。決行日は5月24日である。

来春還暦を迎える先輩は正月早々椎間板ヘルニアの手術をしたので16キ
ロには不安があるのだろう、メールが来た。

先輩は空自出身だ。雨の日は戦争をしない。なかなかの根性である。

小生は「もちろん飲み屋直行。エコナチのシーシェパードとグリンピー
スの心胆寒からしむべく、浅草名物の鯨料理をまず満喫し、商業捕鯨再
開!で気勢を挙げたい」。

結局、浅草・雷門の提灯下で午前11時に待ち合わせ、「荷風を偲ぶ散策
ツアー」が始まった。荷風のように皆傘を持っているが、暑いほどの日
差しだ。雨は降るのか?

まずは荷風が「柏南蛮そば」を食した「尾張屋」へ。次いで「レバーク
レオール」とかいうシチューを愛した「アリゾナ」へ。

代表作「墨東奇譚」のなかで巡査に緋色の腰巻を持っていることを咎め
られたのは言問橋西詰めに近い「聖天町交番」に違いないとオッサン3
人が訪れたからお巡りさんはさぞ怖かったろう。

言問い通りを「山谷」(南千住)へ向かう。先輩、朋友は山谷の住人を
見ていささかショック。「明日のジョー」の舞台になった「泪橋」を左
折して「浄閑寺」へ。吉原遊女の無縁仏が供養され、その隣には荷風散
人の碑がある。合掌。

バスで浅草へ戻り「くじら料理・勇新」で昼食。鯨の刺身、ステーキ、
ベーコン、竜田揚げ、ソーセージを満喫。満腹し、そして酔った。軟弱
な「3バカ」は歩くのがしんどくなった。

で、タクシーで言問橋を渡り、向島へ(710円)。料亭と向島芸者の置屋
が点在する「検番通り」を歩く。身分が違うので芸者遊びはこれからも
縁がないが、なにやら雰囲気は残っている。

勝海舟先生ゆかりの弘福寺のシャチホコに驚き、桜の若葉を塩漬けにし
てあんころ餅を包むという発明をした「長命寺桜餅」の「名物うまいも
のなし」に驚き、その近くの「言問い団子」のブランド代(一粒200円)
にショックを受け、そして昭和の趣の残る「鳩の街通り」へ。小さな露
地にひしめく街並み。昭和レトロだ。

小生は足がつり出したが、「墨東奇譚」の舞台、荷風の愛した「玉の井」
(東向島)を訪れるのが最大の目的だから、傘を杖にして踏ん張った。

戦火で焼けて私娼屈の面影は何も残ってはいないが、裏通りを歩けばち
まちました街並みはかすかに残っている。目をつぶれば「ちょいと、お
眼鏡さん、お寄りになって」と私娼が声を掛けてきそうだ。

<やがて稲妻が鋭く閃き、ゆるやかな雷の響きにつれて、ポツリポツリ
と大きな雨の粒が落ちてきた。あれほどよく晴れていた夕方の天気は、
いつの間にか変わってしまったのである。

わたくしは多年の習慣で、傘を持たずに門を出ることはめったにない。
いくら晴れていても入梅中のことなので、その日も無論傘と風呂敷とだ
けは手にしていたから、さして驚きもせず、静かに広げる傘の下から空
と町のさまとを見ながら歩きかけると、

いきなり後ろから、「旦那、そこまで入れてってよ」と言いさま、傘の
下に真っ白な首を突っ込んだ女がある。油の匂いで結ったばかりと知ら
れる大きな潰島田(つぶし)には長めに切った銀糸をかけている。

吹き荒れる風と雨とに、結い立ての髷にかけた銀糸の乱れるのが痛々し
く見えたので、わたくしは傘を差し出して、「おれは洋服だからかまわ
ない」。

「じゃ、よくって。すぐそこ」と女は傘の柄につかまり、片手に浴衣の
裾を思うさままくり上げた>(墨東奇譚)

曳船のレトロっぽい「赤坂酒場」で打ち上げの宴会をしていると、風が
強くなり、いよいよ驟雨沛然となった。入口の暖簾は風に舞っている。
荷風は消え入りそうな美の痕跡を命懸けで探したが、私もまた「せめて
明治に生まれたかった」とせんない思いを繰り返した、実に楽しい一日
だった。



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政権「なぎ状態」は
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           花岡 信昭

<<嵐の前の静けさ>>

支持率20%を割り込む世論調査結果が目立ち始めた福田康夫首相(71)
だが、低落傾向もそろそろ「底」を迎えるのではないか。これ以上の
急激なダウンは回避できそうな雰囲気になってきた。

通常国会の攻防戦が大きなヤマを越え、民主党が問責決議案の提出を見
送ったことで、当面、与野党激突の場面はなくなった。そうした国会情
勢が作用している。

■サミット後「電撃退陣」も

この国会は6月15日までだ。一時は大幅延長論もあったのだが、当初
の会期通りに閉幕することになった。厄介な法案は9月に予定される臨
時国会に先送りされるようだ。

というわけで、福田首相はこのまま7月7日からの北海道洞爺湖(とう
やこ)サミットを迎えることになる。福田首相のことだからサミットが
終わったら「電撃的退陣表明」もあり得ないことではないという不気味
な観測もある。いわゆるサミット花道論である。

年金未納問題で、いともあっさりと官房長官を辞任した「前例」も引き
合いに出される。確かに政治家の出処進退は、大方が予想しない状況下
で電光石火に打ち出せば特大効果を生む。

そんなことを考えていたら、1989(平成元)年6月の竹下登首相(1924
〜 2000年)の退陣を思いだしてしまった。確かに、その直前「オレの支
持率、消費税(当初3%だった)に近づいちゃったよなあ」と苦笑しな
がらぼそっと漏らしたのを耳にした。だが、そこまでの決断を固めてい
たとは想定外だった。

某紙に「竹下首相、きょう退陣表明」と抜かれたのである。いまだに悔
いが残る現役時代の苦い思い出だ。竹下氏はことあるごとに「もののふ
の進退は瞬時にして決すべし」と力説していたのだが、それを実践して
みたのであった。

■「3強派閥」軸に

福田首相はどうか。党内基盤は想像以上にしっかりしている。とにかく
総裁選では9派閥のうち対立候補の麻生太郎氏(67)の麻生派以外の8
派の支持を得たのだ。ここへきて、古賀派と谷垣派が合併して新生・古
賀派が誕生したことも大きい。

これによって、自民党の派閥は町村派、津島派、古賀派の「3強」体制
となった。福田首相はこの3派を軸とした構図で支えられているわけだ
から、党内の政治基盤は以前よりも強固になったともいえる。なににつ
け、三脚で固定するのが最も安定度を生む。

民主党はなぜあれほど言っていた首相問責決議案を避けたのか。法的拘
束力はないのだが、問責を受けた首相ということになると、政治的ダメ
ージは大きい。

問責決議案を野党多数の参院で可決してしまうと、「問責された首相の
もとでの審議」には応じられなくなる。長期審議拒否は必至で、これは
国民の批判を浴びかねない。

つまり、民主党の小沢一郎代表(66)にしてみれば、問責決議の効果
が出てこないとなると、衆院山口2区補選の勝利で党内求心力が回復し
たといわれているのに、その状況をくつがえしかねないことになる。

危険はおかさずに、この状態のまま9月の代表選挙を迎えるほうが得策、
と踏んだのではないか。

となると、しばらくは福田首相も安泰ということになる。道路特定財源
の一般財源化、年金制度崩壊を避けるための消費税アップなど、難問は
山積している。自衛隊海外派遣の恒久法にも着手しなければならない。

この「なぎ状態」は、予想される秋の一大決戦を前にした「嵐の前の静
けさ」ということか。

【SANKEI EXPRESS24日付「福田政権考」】再掲
★★花岡信昭メールマガジン★★574号[2008・5・25]から許諾済み転載
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将来の財源は示せず
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◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)5月26日(月曜日)
通巻第2201号  (2200号突破記念増大号)
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 四川省大地震の再建に5000億人民元(7兆5000億円)
 初年度国家財政出動700億元だけは決定、だが将来の財源は示せず

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四川省の災害による実損は1500億元と見積もられた。

復興資金には合計5000億人民元が必要と当局の計算がなされ、初年度の
国家財政からの出動700億元だけは確保された(多維新聞網、25日付け)。

国務院には地震対策チームが発足した。

復旧の第1は交通網(鉄道、高速道路)、電話網(携帯の中継局を含め
る)、電力と水道。

とくに電力はダムが損壊して四川省内の電力は完全に不足している。
 
水道も疫病の発生が伝えられ、再建が急がれるがまったく見通しは立っ
ていない。

復旧の第2は役所、学校の建設などだが、これには地方自治体が債券発
行などにより調達する計画、また民間ならびに国際的な援助を頼みの綱
にしている。

当面は救援作業の継続であり、物資の整理、均等の分配のための監査も
必要。

同時に医療チームと病院の充実、多省の病院への搬出、仮設住宅の建設
なども急がれている。

というわけで復興に必要な資金は5000億人民元(7兆5000億円)と見積
もられる。財源の見通しが立たず、いったい神戸の再建はどのようにな
されたのか、という質問が当局に集中しているという。

神戸震災の再興費用は24兆円(当時の日本のGDPの2・5%に相当した)。

中国のGDPの3%相当額が、5000億人民元。残り4300億元の資金に関
して、具体的計画はない。

それにしても「中華」「愛国」大合唱の中国で五輪開催の秒読みが始まっ
てからというもの、SARS、AIDS、鳥インフル、そして昨年は大洪
水被害に株式、不動産の暴落。

ことし2月の大雪、3月のチベット、さらに大地震ときた。
 
孔子は『中庸』に書いた。

「国家将に興らんとするや必ず禎祥(ていしょう)あり。国家将に滅び
んとするや必ずようげきあり」

(国が興隆しようという時には人々も世の中も活力で満ち溢れ、国が滅
亡しようとする時には不吉な前兆がある)。
    ◎
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(読者の声1)貴誌2200号の(読者の声1)への貴台のコメント、

「それに比べると台湾のデモクラシーは、若いけれど、やや日本的で優
しいのでは?」

そうありたいと願いますが、すでに陳前総統への検察チームの動きが始
まっているようです。

台湾が韓国を真似る必要のないことを、貴台の隠密ルートと公然ルート
で、台湾の現政権に伝えることはできませんか? 

馬英九総統が検察を抑えれば、韓国のレベルを越えることができると。
さらに大陸への優越性を保持できると。

就任式での演説には、修辞でその気配があるように感じましたが。
そこを衝いていただければ。(NI生、東日本)


(宮崎正弘のコメント)民進党の多くが陳水扁さんから離れてしまった
ため、同情が広がっていません。その隙を巧妙に国民党が衝いてきた。

外省人と本省人の心理的乖離がこれから浮き上がるかも知れません。復
讐するは我にあり、というのが国民党の非主流派の外省人ですから。

しかし呉伯雄主席も江丙伸副主席も本省人。副総統の粛萬長も本省人で
すから、あまりやり過ぎると国民党は空中分解の危機に遭遇します。

   ♪
(読者の声2)貴誌2199号に政治学者、永井陽之助のことが出てき
ましたが、彼のデビュー作とは『平和への代償』ですね。

しかしこの分野に関しては日本の論を考究することはさておき、ラスキ
氏等西洋の社会思想家、政治学者たちが格闘した「主権在民」の矛盾と
いった議会制民主主義の根本的な問題を本来の意味での「ラジカル」に
考え抜くことが非常に大切であると思います。

議会制民主主義が社会に根付くために必須の過程が日本には欠けていた
ように思います。

特に戦後にはまったく等閑視されてきたのではないのでしょうか。

むしろ戦前の多少左がかった末弘厳太郎氏のような法学者がこの問題を
取り上げています。

私にはこの西洋社会思想史の難問と取り組むことが、翻って、日本の国
体を現代という視点に立って理解し再創造するために肝要であると考え
ます。(ST生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント)こんどは懐かしい情景を思い出しました。

『日本学生新聞』のインタビューで、(昭和42年だった記憶があります)、
東京工業大学に赴任されたばかりの永井陽之助教授を訪ねたのです。

カメラを当時、目白にあった「論争ジャーナル」へ借りに行き、テープ
レコーダーは小生が英文科のLL教室で買わされた、とてつもなく重い
機械でした。えっちら運び込みました。

同行したのは山浦嘉久氏で、着くなりインタビューそっちのけの議論が
始まり、結局、記事にならず『平和の代償』の読み方のような囲み記事を
書いた記憶があります。

その後、しばし永井氏はレトリックのうまさで論壇を風靡しましたね。
いまとなっては、あの議論は何であったのか? 丸山真男からレトリッ
クだけ学んだのでしょうか?


   ♪
(読者の声3)御誌2200号、おめでとうございます。毎日のように
配信があり、中味もさりながら、その根気と努力に感嘆するばかりであ
ります。とりいそぎお祝い申し上げます。 (NH生、新宿区)

  ♪
(読者の声4)2200号おめでとう御座います。私事のように嬉しく思い
ます。

ところで辻井喬の小説「風の生涯」を読んで、浅野晃さんのことが少し
わかったけれど、林房雄さんのことも出てきます。そしたら昨日の配信
コメントに、林先生が名付けたという「 珍歩的ブンカジン」。きついジ
ョークもありました。(FF子、小平)


   ♪
(読者の声5)すこし前のことですが、中央大学で李登輝先生のインター
ネット講演会を開催した者です。あの時は、いろいろありがとうござい
ました。

先生のメルマガを拝見し勉強させてもらっています。
 
先月まで私は高雄に留学をしていましたが、その高雄で許昭栄先生には
大変お世話になっていました。 

私自身、高雄の旗津にある公園のことでお手伝いをしていましたので、
先週のあの事はとてもショックでした。
 
去年、台湾国際放送で公園の事について紹介する番組を放送し、現在も
オンデマンドで聞くことができます。
http://japanese.rti.org.tw/Content/WhatsOnRtiSingle.aspx?ContentID=50383

高雄の「戦争と平和紀念公園」は許昭栄先生、自身が私財をなげうって
ようやく第一期工事が完了したばかりで、第2期工事に関しては見込み
も立ってない現状でした。
 
実は生前に、許昭栄先生と、台湾無名戦士記念碑の歴史と公園の事を紹
介する日本語の本を作成する話をしていました。

日本人の我々で何か公園のこと、許先生の遺志を継いでできることがあ
ればと切実に思います。(KW生)


(宮崎正弘のコメント)許さんは80歳という老齢をおして、台湾政治に
抗議して焼身自殺を遂げられた。

老烈士の名にふさわしい。

近く追悼の催しがあると伺っております。次回、高雄を訪問したら、当
該の公園に出向き、記念碑に合掌したいと考えています。
        ◎  ◎



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アスパラガスの季節
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         渡部亮次郎

アスパラガス Garden Asparagus ユリ科の多年草。野菜として食用に
栽培されている品種のほとんどは、ヨーロッパ原産である。1つの株に雌
雄どちらかの花をつけ、雌雄は生育1年目で見分けられる。

アスパラガスの親株は50年も生育しつづけることがある。最もよく育つ
のは、新しい砂質土壌である。若い茎は2年目か3年目までは収穫しない。

若い茎はビタミンAとアスコルビン酸に富み、かつては薬として利用され
た。アメリカでは作物として、主にカリフォルニア州、ニュージャージー
州、ワシントン州で栽培されている。ヨーロッパではフランスとイタリ
アが主要産地である。

観賞用として栽培されているものも数種あり、繊細なレースのような葉
が、花束をつくるときにつかわれたり、いけばななどにそえられたりす
る。

若芽をそのままのばした緑色のものをグリーンアスパラガス、土を盛っ
て光をさえぎり、やわらかくした白いものをホワイトアスパラガスと呼
んでいる。

ホワイトアスパラガスは缶詰に加工されるが、近年はグリーンアスパラ
ガスが主流になっている。

これらは同じ種類の植物で、日本での栽培は北海道をはじめ、東北、信
州など、気候の冷涼な地方で盛んである。

日本へは1781年(天明1)以前にオランダ人によって観賞用として長崎に伝
えられ,1871年開拓使によって食用として再導入された。

しかし私の少年時代には秋田県ではお目にかからず、東京へ出てきて初
めて食べた。

従ってマヨネーズをつけて食べる事は勿論、マヨネーズそのものを、そ
の時はじめて知った。2008・04・25

Microsoft(R) Encarta(R) 2006..及び世界大百科事典【平凡社】



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「従軍記者」事始(10)
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            平井 修一

松村博士によると、開戦後間もなくロイター通信社やAP通信社から
「通信船および無線装置ならびに伝書鳩の使用許可」について申請がな
された。

ロシアも傍受しているから日本軍の動向を無線で速報されたらたまった
ものではない。そこで「従軍外国通信員海上通信規定」に従わせること
とした。

それにはこんな条項もある。

 ・通信には必ず秘密暗号を用い、決して平文を用ゆべからざること、
而して其の暗号書は予(あらかじ)め大本営へ提出すべきこと

 ・帝国艦船に於て現に無線電信の電信を為しつつあるときは、決して
通信を試みざること

 ・帝国艦船より「送信を中止せよ」なる合図(――・・――)あると
きは、送信中たりとも直に之を中止すべきこと

このようにして日本軍は厳しく従軍報道を取り締まった。記者や新聞社
にとって残念なことは多かったろうが、国家としては当然の措置だった
という評価が戦後、国際社会で高まった。

米国はボーア戦争、米西戦争で従軍報道を規制せずに軍機が漏洩されて
大きな損害を蒙った経験があるため、「日露戦争の終結後に米国政府が
軍事当局者を日本へ派遣して、同戦争の開始後に日本陸海軍当局がまも
なく作成して実行した外国新聞記者の従軍規則やその実施状況について
調査させ将来への参考にした」と当時の金子堅太郎・駐米大使は書き残
している。

松村博士が語る。

<現在もなお終結を見ていないイラク戦争の従軍記者の行動を規制する
取締り規則の原型であったことを思うと、日露戦争100年に当たって、同
戦争で日本軍当局が果した対外貢献の一部を改めて見直したくなる位で
ある。

ましてや、彼ら米国の陸海軍軍人たちが、「今回、日本政府は、内外の
新聞紙の勢力偉大なるを熟知したるにも係らず、毅然たる態度を以て当
初より厳密なる規則を設け、記者の戦地出発を制限し又彼等をして漫り
に戦線区域に進入せしめず、只戦争結了後始めて其の戦場を踏査観覧せ
しめたることは、明に戦時に於ける規程に向て一大進歩を促し且つ欧米
諸国の政府に適切なる模範を示したるものなりと」(金子大使)したと
するにおいておや。

まさに、日露戦争の開戦後まもなく日本政府が鋭意設定した外国新聞従
軍記者規則が、図らずもその後の戦時の関係規程の制定に向けて欧米諸
国の適切なモデルとなったというのも、誇ってよいことの一つにしてよ
いであろう。>

最後に小生・平井の感想を記す。

精悍だが小さな柴犬が巨大で獰猛な敵に挑んだ死闘。清国、露国、蒋介
石軍、米国との日本の戦争を振り返ると小生はいつもその思いを新たに
する。「勝ち負けは兵家の常」だが、大東亜戦争で負けた日本は「負け
っぷりが良すぎて」米国により唯々諾々と「100年間戦争をできない国」
(マッカーサー)にさせられてしまった。

明治の同時代の英国人思想家、ジョン・ラスキンは1865年、王立軍事ア
カデミーでこう語っている。

<戦争はあらゆる技術の基礎である。同時に人間のあらゆる徳と能力の
基礎でもある。この発見は私にとり奇異であり、すこぶる怖ろしいもの
であったが、否定し難い事実なのだ。

偉大な国民は、戦争の中で言葉の真理、思想の力を学ぶ。戦争によって
涵養し、戦争によって教えられ、戦争によって訓練された叡智を、平和
によって浪費し、平和によって欺かれ、平和によって裏切られる。要す
るに戦争で得たものを、平和の中で失うのである>(The Crown of Wild
Olive: Three Lectures on Work, Traffic and War  
1866)

日本は「戦争を奪われた」ことにより、偉大なる国民としてあらゆる叡
智を高める術を失ったのである。偽装の平和の中で日本人は劣化し、弱
体化し、愚昧化し、溶解し、解体していく。

休日の電車内。正面の座席の女性2人が化粧をし、小生の隣の女性も化
粧に余念がない。この女性がやがては親になる。間もなく日本壊滅・民
族浄化計画は完了するに違いない。嗚呼・・・(終)



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話 の 福 袋
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 ◎<四川大地震>救援物資「横流し」職員1人を拘束、1人免職―徳陽市

2008年5月23日、四川省徳陽市人民政府は22日、四川大地震の被災者に配
られる救援物資を横流ししていた武装警察の基地管理職員1人の身柄を拘
束したと発表した。同省成都市の「四川在線」が報じた。 

発表によると、今回の不正が発覚したのは住民からの通報によるもの。
今月21日、羅江県公安局万安派出所に老北街で救援物資を売っている男
がいるとの情報が住民から寄せられ、当局はただちに捜査を開始。

事件の報告を受けた羅江県は緊急会議を開き、本案の迅速な解決と厳粛
な処罰を求めた。その結果、公安当局は武装警察の某訓練基地管理職員、
王亜棟(ワン・ヤードン)の身柄を同日夜に拘留したとのこと。

徳陽市紀律委員会と監察部門は地震発生後に市民からの「ホットライン」
を設立。21日までに救援物資の分配や被災者テントの設置、医薬品や食
料品、飲料水の価格高騰など143件の訴えが市民か寄せられた。

また、当局の抜き打ち訪問調査などで問題が発覚したケースが10件あり、
このうち135件の調査がすでに終わっている。これらの結果から、同市の
幹部職員1人がすでに免職されており、3人が批判教育を受けたという。
5月25日11時51分配信 Record China
 

 ◎法輪功を「気功を推し広める」グループと思っている甘い人間が多
いが、そうではない、法輪功は「気功を道具」として信者を集め、共産
中国の打倒を目標とする革命グループである。

世界中で5ヶ国語のメディアを持つ大紀元という新聞、インターネット
を通じて中国の悪逆非道を宣伝する。世界各国に拠点を持ち、情報収集
はもちろん、気功を通じて信者の獲得、信者に反中国の宣伝を手伝わせ
る。台湾でも法輪功が反中国だから存在するが、法輪功は反国民党でな
く「彼らと同じ中国人」である。

今の中国にとって、台湾人は中国人ではないから易姓革命、殺九族はや
らないし、中国を征服する心配はない。しかも台湾は海を隔てている。

チベットやウイグルのは完全に制圧しているし、彼らが独立を目指して
も政権を倒すのが目的ではない。だから中国政府は台湾、チベット、ウ
イグル、香港などは恐れることはない。中国が恐いのは法輪功である。

法輪功は同じ中国人である。彼らは中国人の殺戮DNAを持っていて、しか
も共産党打倒を主目的としている。法輪功が政権を取れば易姓革命の粛
清が必ず起きる。

法輪功の首領、李功志は共産党の情報部出身で、共産党の手口を知悉し
ているから、緊密な世界的組織を持っている。中国は法輪功を殲滅する
ことができない。

法輪功は中国人の革命団体であることを忘れてはならない。法輪功が政
権を取れば次は台湾を攻略するだろう。法輪功を平和を愛する反共産グ
ループと思っている台湾人は目を覚ますべきである。(アンディ・チャ
ン)AC通信 No.235より。

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 ◎76歳ネパール人が世界最高齢エベレスト登頂成功

AP通信によると、ネパール観光省当局者は25日、76歳のネパール人男
性、ミン・バハドゥール・シェルチャンさんが同日朝、世界最高峰・エ
ベレスト(8848メートル)の登頂に成功したと発表した。昨年5月、元
中学教諭の柳沢勝輔さんが71歳で登頂した記録を更新し、世界最高齢と
なる。5月25日18時29分配信 産経新聞 

 
 ◎ニワトリも恐怖!?5倍の卵 四川大地震

四川大地震で深刻な被害の出ている被災地のひとつ、彭州(ほうしゅう)
市近郊の小魚洞(しょうぎょどう)村では鶏が通常より大きな卵を産ん
だ。

「みてくれ、うちの鶏が今日生んだ卵を」。朱順学さん(44)が差し出
す鶏卵は通常の卵の5倍はあった。地震後、飼育している鶏の様子がずっ
とおかしく、卵も産まなくなっていた。ところが25日に、大きな卵が見
つかった。「地震の恐怖で異常産卵したのかな」と朱さん。

同村は地震の発生源である竜門山(りゅうもんざん)断層付近に位置し、
地震のときは「農地が目の前でむくむくと1メートルほど盛り上がった」
(朱さん)。朱さんは、この大きな卵を、大地震を忘れないよう食べず
にとっておくという。5月26日8時1分配信 産経新聞

 
 ◎<ミャンマー>日赤の医師帰国「コレラ対策急務」

サイクロン「ナルギス」で被害を受けたミャンマーのヤンゴンで、国際
赤十字災害調査・調整チームに参加した日本赤十字社医療センター国際
医療救援部長の槇島敏治医師(57)が26日朝、成田国際空港に帰国
した。現地でコレラの発生が確認されたといい、「ミャンマー政府は早
急に医療チームか医療用機材を海外から受け入れてほしい」と訴えた。
5月26日11時2分配信 毎日新聞

 
 ◎あわや乱闘…朝青龍と白鵬にらみ合い

「大相撲夏場所、千秋楽」(25日、両国国技館)

結びの朝青龍-白鵬の一番で、あわや乱闘のハプニングが起こった。決着
後、引き落とされた後に駄目押しを受けたととらえての報復行為として、
白鵬が右肩をぶつけた。数秒間にらみ合い、一触即発ムード。新たな遺
恨がぼっ発しかねない後味の悪い千秋楽となった。
  ◇  ◇
欧州勢初Vの翌日に、モンゴル帝国の内乱だ。引き落とされて土俵に両
手両ひざをついた白鵬が、朝青龍に背中を押された。駄目押しととらえ、
右肩をぶつけて報復すると、朝青龍も右手を顔の近くに振り上げ、一触
即発ムード。神聖な土俵上で、横綱同士のにらみ合いが数秒間続く見苦
しいシーンだった。

首をかしげ、苦笑いを浮かべた朝青龍が引き下がったため、前代未聞の
大乱闘は回避されたが、琴欧洲の優勝に水を差す乱暴な行為に変わりは
ない。

朝青龍の行為が、流れの中で白鵬を押さえつけただけと見た北の湖理事
長(元横綱北の湖)は「朝青龍は何で?と思ったのでは」と、白鵬の報
復に疑問を投げ掛けた。

両横綱の言い分は対立した。白鵬は「先に仕掛けられたから。駄目押し
されたからね。手が当たったか覚えていない」と主張。朝青龍は「殴ら
れるかと思った。

彼はまだ若いな。自分の出足があるから相手が熱くなったんだろうな」
と、暗に駄目押しを否定したが、後輩に大人の余裕を見せた格好だ。

青白時代となって初めて、下位力士に優勝をさらわれた。両者がため込
んだ欲求不満が最後の最後に爆発してしまった。遺恨は名古屋に持ち越
されかねない。朝青龍は白鵬について「しっかりしてほしい」と言い放っ
た。完全決着は、優勝を懸けた直接対決でつけるしかなさそうだ。  
5月26日9時40分配信 デイリースポーツ

 

━━━━━━━
反     響
━━━━━━━


 1)5月18日(日)に縁あって、練馬の光が丘美術館で開催された
“イエルク・デームス”(Jorg Demus)という、今年80歳のオーストリ
アの3大ピアニストの演奏会を聴きに 行ってきた。

顧みれば、クラシカルのピアニストの独奏会を聴きに行ったのは生涯初
のことであった。それも、楽器がかのベーゼンドルファーであることに
も惹かれたからだ。

先ず本題から外れれば、初めて行った光が丘の広さと活気に溢れた盛況
に度肝を抜かれた。若い親に連れられた子供たちがかけずり回り、IMAと
やら言う商業ビルは大繁盛だった。

さて、光が丘美術館だが、個人の所有物で木造建築。その2階に所有者が
世界に12台しかないと言われる限定品のピアノを置いておられる。それ
を使っての演奏会だった。

まず、モーツアルトからだったが、プログラムの誤記ではないかと一瞬
思ったほど力強い演奏と、名器ベーゼンドルファーの音色だった。80歳
とは思えない力強さ等というのは陳腐な表現だろう。兎に角いきなり圧
倒された。

続いてベートーベン。当に「これぞベートーベン」という迫力。全身が
熱くなってきた。隣に座っておられたご婦人はジャケットを脱がれた。
なんと言えない音色と凄まじい力強さだった。後に主催者がデームスの
演奏では熱気を感じるのは普通の現象と解説してくれた

続いて休憩を挟んでショパン。これもこういう解釈でショパンを弾くこ
とも可能なのかと疑わせた強烈な音色だった。その鋭さがデームスの技
術なのだろうが、ピアノの影響もあるかと思っているうちに終わった。

実は、ここまでで、遙か日比谷で遠来のアメリカの友人との会談の予定
があり、最後のドビュッシーを聴けずに退出した。残念だし非礼だった
かも知れないが、止むを得ないと主催者に詫びて退席した。

主催者は抜かりなく演奏を録音されており、間もなくCDが発売される。
我が家のありきたりの再生装置で聴けばどうなるかが楽しみだ。冷房で
も入れて聴くことになると良いが。以上 前田正晶 


 2)1198号拝読。

>森鴎外が嫌いなわけ<

私が鴎外を嫌いなのは北里柴三郎を学問上の嫉妬心から徹底的に「いび
った」のも理由です。現在、北里大学が健在です。bravo!

随分前に何かで読んだ知識で、文献も明らかではありません。
ネットでは以下の様なものがあります。
森鴎外を―――で囲いました。

http://www.pag1u.net/genealogy/ougai.html

北里柴三郎がノーベル賞を受賞しそこなったり、伝染病研究所の計画を
邪魔されたり、乗っ取られたりして不遇だった原因の1つに森鴎外の暗
躍があったというのは、多くの天才の困難な生涯を描いた漫画「栄光な
き天才たち」(4巻らしい)に出てきた記憶があります。

脚気について反対しただけでなく、北里がペスト菌を発見したときにも
偽物呼ばわりしていたのですね。医学の歴史の中で森鴎外は 場外乱闘専
門の悪役プロレスラーみたいなものですね。

秀才にして人でなしという様な官僚についてのステロタイプな見方が出
来上がったのは、彼のお陰でしょうか? 福沢諭吉、後藤新平もAND検索
で高い頻度で出てきますが、北里を応援した側の人だったのですね。

http://www.iph.pref.hokkaido.jp/charivari/2007_01/2007_01.htm
北海道立衛生研究所感染症センター微生物部細菌科長 木村浩一

妨げられた?ノーベル賞-北里柴三郎

時は明治中期、文明開化に必死の日本は、優秀な人材を当時の科学の中
心であったヨーロッパに次々と留学させていました。森鴎外は陸軍、北
里柴三郎は内務省の留学生です。

森鴎外は留学時まだ22歳でしたが、当時最年少(19歳)で東大医学部を卒
業した超エリート、後に軍医としての最高位、陸軍軍医総監の座にのぼ
りつめ、陸軍省医務局長の椅子につきます。

一方の北里柴三郎は源氏の流れを組む名門武家の出、武士となる夢を明
治維新により絶たれますが、顕微鏡で見た人体の組織に魅せられて東大
医学部に入ります。

卒業後は衛生事業を志して内務省衛生局に入り、2年後、ドイツのコッホ
のもとに留学します。当時、コッホはパスツールと並ぶ医学界の巨人で
した。

それまで、病気の原因というのは全く分かっておらず、治療は経験的あ
るいは迷信的な方法のみで、今から考えると病気を悪化させるような
「治療」も行われていました。

しかし、この2人の巨人は、病気の原因として「細菌」という微生物の
存在を初めて明らかにしたのです。

北里の快進撃

このコッホのもと、北里は一気にその才能を開化させ、まずは世界初、
破傷風菌の純粋培養に成功します。

破傷風は、傷口から入り込んだ破傷風菌の出す毒素によって起こる病気
で、全身の筋収縮、つまり、全身「足がつった」状態となり激烈な痛み
に苦しみながら死んでいきます。

この破傷風菌は嫌気性菌、すなわち酸素があると死んでしまう変な生き
物なのですが、当時そのような菌があることは誰も知りません。

培地に他の雑菌が混ざった時のみ破傷風菌が増えるため、「他の菌との
共生によってのみ生存可能」であり純粋培養は不可能と考えられていま
した。

しかし北里は破傷風菌の増え方から「酸素を嫌う」という仮説を立て、
「嫌気培養」という方法を考案して純粋培養を成功させます。

北里はさらに、破傷風の治療として「血清療法」という革新的な方法を
開発します。それまで、感染症に対してはパスツールによって確立され
た予防接種、すなわち「予防」方法しかなく、「治療」することはでき
なかったので、病気を「治療」できる血清療法は、医療の革命でした。

およそ50年後に抗生物質が使用されるようになるまで、多くの感染症に
血清療法が行われ、死亡率を激減させました。ちなみに、破傷風には現
在でも北里の開発した血清療法を使っています。

忘恩の輩? 北里

北里はコッホ四天王の一人に数えられ、世界中で争奪戦が始まります。
イギリスは、細菌研究所を設立し北里を所長に迎えようと働きかけ、ア
メリカは、年額40万円(現在の価値で約40憶円)の研究費と年額4万円(約4
億円)の報酬を提示しました。

しかし、北里は科学後進国である日本の科学推進、国民の健康増進のた
めにすべての誘いを断り、日本に帰国します。帰国の際、ドイツ皇帝は
明治天皇に対し北里を絶賛するメッセージを送り、北里にはドイツ人以
外には与えたことのない「プロフェッサー(大博士)」の称号を贈りまし
た。

こうして日本に帰ってきた北里ですが、当時日本では医学研究施設は東
大にしかなく、留学から戻った内務省では研究が出来ませんでした。し
かし、この世界的な研究者の受け入れを東大は完全に拒否します。

実は、北里は留学直前に緒方正規(当時東大医学部講師) から細菌の扱
い方を習いました。つまり、緒方に弟子入りしたのです。この緒方は北
里が留学したその年に「脚気菌」を発見したと発表しました(当時日本で
は年間3万人が脚気で死亡するという深刻な状況でした)。

留学中の北里は、緒方の発見した「脚気菌」について実験を行い「脚気
とは無関係である」という論文を発表します。

脚気はビタミンB1の不足で起こる病気なので北里の発表の方が正しいの
ですが、弟子である北里が師である緒方に逆らったのですから、東大で
は忘恩の輩として非難の嵐が吹き荒れました。

―――森鴎外も北里を激しく非難する論文を発表しています(東大の脚気
菌派の人々は、この後も「脚気薗」説を主張し続け、日清・日露戦争で
は脚気によって3万人を超える陸軍兵士を死亡させた上、脚気治療薬とし
てビタミンを世界最初に発見した東大農学部教授の鈴木梅太郎を散々批
判し、彼のノーベル賞受賞のチャンスをもつぶすことになります)。――


内務省は、このままでは研究の道を経たれた北里が国外に去ってしまう
と、感染症研究所の設立計画を閣議に提出しますが、廃案にされてしま
います。そこで内務省はOBを介し福澤諭吉に助けを求めました。

福澤諭吉は、すぐれた学者を擁しながらこれを無為に置くのは国家の恥
だと、自分の所有地を提供し私財を投じて研究所を建設してしまいます。

北里が帰国した1892年暮れのことです。福沢の友人、森村市左衛門(TOTO、
INAX、日本碍子などの創始者)が研究設備や機器の購入代金を寄付しまし
た。

こうして日本初の伝染病研究所は民間の力によってスタートし、やがて、
コッホ研究所、パスツール研究所と並んで、世界3大研究所の一つと称さ
れるようになるのです。

ノーベル賞を逸す

北里の伝染病研究所からは、27歳で赤痢菌を発見した志賀潔、梅毒の特
効薬を発見した秦佐八郎、さらに野口英世ら優秀な人材を次々と輩出し
ます。

北里自身も、1894年、ペストが流行している香港に内務省から派遣され、
到着2日後にはペスト菌を発見してイギリスの雑誌に発表、コッホの追試
によって間違いなくペスト菌と確認されました。

東大も内科教授青山を派遣しましたが、彼はペストに感染して命からが
ら日本に戻って来ます。ペストは黒死病ともいい、中世ヨーロッパでは
大流行により総人口の約半数を死滅させたとされる恐ろしい病気です。

この様な歴史があったので、欧米各国はペストを大変恐れ原因菌の発見
に全力を挙げていました。ですから、北里のペスト菌発見という業績を、
世界各国は絶賛します。しかし、日本では北里は「忘恩の輩」です。

―――北里の発見したのはペスト菌ではないと非難する論文が科学的証
拠も無しに次々と発表されました。森鵬外もその一人でした。―――

こうして北里が日本で散々叩かれている最中の1901年、科学界にビッグ
・イベントが誕生します。ノーベル賞です。

欧米では国を挙げての獲得運動に走り、コッホの弟子であるベーリング
が第1回のノーベル医学生理学賞を獲得します。受賞理由は、「ジフテ
リア血清療法の開発」。

血清療法は医学に革命をもたらした治療法であり、ノーベル賞受賞は当
然ですが、ベーリングの研究は北里の破傷風研究の二番煎じに過ぎませ
ん。

しかし、ベーリングにはドイツの国を挙げての応援があったのに対し、
北里は国を挙げて足を引っ張られていたという決定的な違いがありまし
た。日本はこうして、ノーベル賞の最初のページに日本人の名前を残す
という栄誉を自らの手で逃してしまったのです。

1914年、北里の伝染病研究所は突然東大に乗っ取られ、北里以下、所員
全員は辞表を叩きつけて伝染病研究所を去ることになります。

しかし、北里は北里大学の創立、慶應大学医学部初代学部長就任と活躍
を続け、1931年に78歳で亡くなりました。北里が取れなかったノーベル
医学生理学賞を日本人がようやく受賞するのは、北里の死後56年経った
1987年でした。

われわれ北海道立衛生研究所では、今年、道内としては初めて患者さん
の傷口から破傷風菌を分離しました。これには、北里の開発した嫌気培
養法を用いただけでなく、遺伝子工学など最新の技術も導入しています。

ノーベル賞とは無縁かも知れませんが、先人達の築いた伝統を受け継ぎ
ながら、先端の学術的知見や研究結果を道民の方々に還元すべく日々努
力しているのです。

木村浩一(きむら こういち) 氏

1985年北大医学部卒業。ボツリヌス毒素の遺伝子解析、大腸菌O157の無
毒化、ピロリ菌の胃癌形成過程の解析、ライム病病原体遺伝子の検出な
どに取り組んでいる。  

http://homepage3.nifty.com/ymorita/neta5.htm

脚気と悪者森鴎外

森鴎外って知っていますか? そう、夏目漱石と並んで明治の文豪とし
て有名です。

では、彼の本業を知っていますか? 彼の本業は作家ではないのですよ。
そうそう、よく知っていますね、彼は医者、陸軍の軍医です。しかも、
最終的には陸軍軍医総監(陸軍軍医の最高職)にまでなります。

私も高校生のとき、「舞姫」を読みました。そのときの感想は正直に言
って「ひどい人だ」でした。さらに、軍医として彼が犯した過ちを知っ
たときは、「とんでもないヤツだ」と思いました。

病気の原因が細菌によるということは今では常識です。しかし、これは
1876年に、コッホが見事に証明してみせるまで、なかなか明らかにはな
らなかったのです(今からたかだか120余年前のことです)。

それまでは病気の原因に、悪い空気や生活環境や果ては悪霊まで持ち出
していました。当然その治療方法は、せいぜい患者自身の体力に頼るも
のであり、意味のないもの、さらにはかえって病気を悪化させるものま
でありました。

コッホの登場により病気の原因がはっきりすると、まずその防法(例え
ばコレラに対しては汚染された川の水を生のまま飲まないこと、ワクチ
ンなど)が、さらには治療法(細菌だけを殺す薬:サルバルサンの開発
や後に抗生物質など)が確立されていきました。

これとほぼ同時期に日本では江戸時代が終わりを告げ、新政府による明
治が始まりました。医学においても西洋の知識を急速に取り入れるため、
日本はめざましい進歩を遂げたドイツ医学を学ぶことにしたのです。

ただ、海軍だけは航海術とともに昔から結びつきの強かったイギリスに
学びました。このころのイギリス医学は原因の追及よりも治療に重点を
置いたもので、ドイツの華やかさに比べればやや見劣りがしました。

このような中で、政府、陸軍、海軍ともに優秀な人材をそれぞれドイツ
やイギリスに派遣し、第一線の医学を学んで日本に持ち帰らせました。
北里柴三郎(コッホ)、森鴎外(コッホ)、高木兼寛(セント・トーマ
ス病院)などが有名です。

西欧では全く見ることがなかった病気が日本にはありました。脚気とい
う病気です。この病気は、手足のしびれ、動機、足のむくみ、食欲不振
という症状で、進行すると歩行困難になり最後には心不全で死亡すると
いうものです。西欧にはなくアジアにだけ存在するので風土病であると
考えられていました。

この脚気が日本の軍隊で猛威をふるい、深刻な事態となっていました。
一端患者が出始めると次々と患者が増えていくことから、伝染病という
見方も有力でした。

ひどいときには、兵士の大半が脚気にかかり、とても戦争などすること
ができる状態ではなく、軍隊の存亡に関わる問題となってきました。

そんな中で、海軍医務局長の高木兼寛(後の海軍軍医総監)は、西欧と
日本の軍隊の違いは食事にあるとして、白米ではなくパンを中心とした
食事(後に同じ麦ということで麦飯に変えている。当時の日本人の中に
は「パンを食うぐらいなら死んだ方がまし」というくらい洋食が苦手だ
ったらしい)をとれば、脚気にかからないことを証明し、脚気の解決法
を明らかにしました。その結果、海軍では脚気患者はほとんど見られな
くなりました。

しかし、ドイツの細菌学を中心とした陸軍軍医の上層部には納得できま
せんでした。病気の原因もはっきりしないまま、食事の改善などという
ことで、病気が治るはずがないと考えたのです。

彼らにはコッホ以前の迷信的な治療法のように感じられたのです。また、
脚気の病原菌が発見されたという誤報もあり、高木兼寛に対して、露骨
に反対をしました。

ここで登場するのが、悪役の森鴎外です。ドイツに留学中の森は、高木
兼寛に反対する論文を送ってきました。これは、高木批判の大きな力と
なりました。

さらに、帰国して一等軍医となった森は、脚気の原因は細菌であるとい
う信念のもとに、徹底的に高木を攻撃しました。

こうして、陸軍の中央では麦飯の導入には徹底して反対していました。
ところが、実際に現地で兵を管理している地方の軍医たちにとって相変
わらず脚気は脅威でした。そこで、独自に麦飯を取り入れ、大いに効果
を上げて脚気の患者を減らしていました。

しかし、戦争が起こると話は変わります。日本から離れた場所で行動す
る軍隊に後方から食料を送るのは中央の権限です。

ここでも森鴎外は、頑固に麦飯の効果を否定し続け、現場からの要求に
応じず、麦を供給しませんでした。

その結果、海軍では脚気による死亡患者はほとんどなかったのに対して、
陸軍では、日清戦争では 3944人(戦死者は293人)、日露戦争では27800
人(戦死者は47000人(この中にも多くの脚気患者がいた))という非常
に多くの兵士の命を脚気によって奪う結果となったのです。

森鴎外らが高木の成果に対して柔軟な姿勢をとっていれば、死なずにす
んだ多くの人間の命を奪ったのです。しかし、森鴎外は生涯、誤りを認
めませんでした。

さらに、脚気については、思わぬ展開もありました。

東京医学校(後の東大医学部)を卒業し、医学校の緒方正規の世話でド
イツに留学していた北里柴三郎は、留学先のドイツで恩師である緒方の
「脚気の病原菌説」を誤りであるとして否定しました。

日本では、恩を仇で返したとされました(真実を求めるのに恩など関係
ないと思うが)。帰国後、伝染病研究所をつくり、内務省に所属させよ
うとしていた彼の計画を、東大と文部省が反対し、彼は窮地に立たされ
ました。

この窮地を救ったのが福沢諭吉です。私財を投じて伝染病研究所を自分
の所有していた土地につくりました。また、その後も北里の力になり続
けました(これに恩義を感じた北里は後に慶応医学部の初代部長を引き
受けています)。

こうして、活躍の場をあたえられた北里は、香港でペストの原因である
ペスト菌を発見しました(世界で最初ですが、確認したのはコッホです)。

しかし、またもや日本の東大を中心とした医学会は北里の発
見したものはペスト菌ではなかったとして批判しました。

―――また、森鴎外もこれに同調し、辛辣な批判をしています。―――

結局森鴎外は、陸軍軍医の最高位まで出世し、文豪としてもを馳せまし
たが、医学の歴史の中では、百害あって一利無し(無いわけではないと
思うけど)という人物だったように思えます。

参考文献
「白い航跡」吉村昭著(講談社)
「世界の科学者100人」竹内均監修(教育社)
(北海道)


 3)毎日ありがとうございますなんと言っても 取り上げられる話
題が面白いですね チリ地震 東京のゴミ 売春防止法 国家総動員森
鴎外。。。

何が出てくるか 何が書かれているか予想だにつかない毎日に 開くの
が楽しみです 他の方々の記事は飛ばして読みながら「成程」と相槌を
打つばかりです 

とくに政治記事が低調な各紙に愛想が尽きてますので じんわり来ます
一体どうしてこんなに幅広い話題が沸いてくるのですか すごいなあ 
やはり人生経験の深さ あるいは人間性の違いなのだなあと感服してい
ます

それだけ勉強されているのがじいっと伝わってきます駆け出し時代に 
デスクからよく小説を読め 酒を飲め 女と話せ 裏町を歩け ゴミ箱
を覗けなどと言われたことが思い出されます 

目の前の課題大して事でもないのにそれにかかりきり 他には目もいか
ないとい余裕のなさを笑われました 渡部さんを見習うべしと大いに反
省してますが果たして間に合うか 毎日懸命に頑張ります感謝してます
 ありがとうございます (一)


 4)「預ける荷物すべての有料化を発表」と今朝の産経の“ポトマッ
ク通信”で山本秀也記者が書いていた。

「何処が最初にやるかと思ったら、アメリカン航空が〜」とある。6月中
旬から実施だそうだ。

アメリカの航空会社は相も変わらぬ過当競争で、大手がバタバタと会社
更生法という時代であれば、このニュースは驚きではなかった。何しろ
そこに燃料価格の急騰と高騰があるのだから。それにしても15!)/一個
とは・・・。

アメリカの旅客は極めて順法精神に乏しく、機内持ち込み荷物の制限を
無視している。国内線に乗ってみれば良く解るが、兎に角身上ありった
け持ち込んだかと思うような量を堂々と持ちに込む。規定はあったはず
で、確か2個までだったか?

それがどれほどの程度かを言わねばなるまい。ある時、国内線で早く搭
乗しファースト・クラスに入っていった時のことだった。

着席してみていると「身上ありったけ組」は澄ました顔でファーストの
荷物入れに押し込んで、エコノミー・クラスの席を目指していく。

それも1人だけならまだしもほぼ全員である。瞬く間に一杯になり後か
ら搭乗してきたファースト・クラスの乗客はとぼとぼとエコノミー・ク
ラスの棚に入れに行った。

ところで、彼らは何故荷物を機内に持ち込みたがるのか?私は「これぞ
まさしく性悪説の国ならではの現象で、彼らは預けた荷物が目的地で出
てこないことを怖れているのである」。彼らは自国民の労働力の質を疑
ってかかっているに過ぎないのだ。

当然の帰結として間もなく機内中の荷物入れは全部満杯となった。それ
から先はキャビン・アテンダントが力業で後から来た荷物を押し込んで
いた。

それも限界に達すると恐ろしいことに「これから先は手荷物を持ってい
るお客の搭乗を断ろう」とアテンダント全員の意見が一致した。さもな
ければチェックイン・カウンターに戻って預けてこいと言うのである。

こんな人たちの国で15ドルなどと宣言すれば、ただひたすら機内持ち込
みを奨励するようなものではないか。結果はどうなるか解っているでは
ないか。

何れ他の航空会社も追随するだろうから、15ドル節約のためには6月から
先のアメリカ旅行は手ぶらで行って必要品をすべて現地調達にして機内
持ち込みで帰ってくるしかないかも知れない。

あのキャスターがついた機内持ち込み適格サイズのケースは頭上の荷物
入れに3個も4個も入る代物ではない。

ところで、OPECは何時になったら原油を沢山生産し、投機筋が投機を止
めてくれるのだろうか? 以上 前田正晶



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


東京には梅雨の前に夏が来た。暑い。散歩を義務付けられている身には
酷だ。

紹介された「国際広報官 張超英」を読みましたが日本人について誤り
が見逃されています。

237Pに大河原良雄氏が国連大使も務めたとの記述がありますが事実では
ありません。アメリカ大使を務めた人物が格下の国連大使を務めるわけ
がありません。

1954年以来 19人の国連大使が居りますが、大河原氏が国連大使だった事
はありません。翻訳の人たち(元中国語圏特派員)も粗末ですね。所詮
「言葉屋」、国内政治には盲目的ですね。

大河原氏は最初、オーストラリア大使でした。当時(1979)事務次官の有
田圭輔氏が次期アメリカ大使と目されていましたが家庭の問題があって
海外勤務は無理、と辞退、JICA総裁に転じ、大河原氏に白羽の矢が立ち
ました。私は大臣秘書官で経緯をよく覚えています。

外務官僚がなりたいのは国連大使ではない大使。後に小和田亘(雅子様
の父上)も国連大使を言い渡されてショックでした。事務次官だったから
ワシントンが当然と考えていたのに、いろいろ圧力があって国連どまり。
その代り4年半も居座って、省内の人事序列を乱した、と評判を落とした。

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