政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

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頂門の一針 1167号  08・04・27(日)

2008/04/27

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  わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1167号
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         平成20(2008)年4月27日(日)


                                   松下幸之助の生涯:渡部亮次郎

                                知ラシムベカラズ:山堂コラム213

                                     安全率残りの5%:渡邉由喜

                                     ごくせん、3度目:馬場伯明

                                   毅然と軟弱の狭間で:平井修一

                         話 の 福 袋
                         反     響
                         身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第1167号            
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
                :      御意見・御感想は
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松下幸之助の生涯
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         渡部亮次郎

松下幸之助(まつした こうのすけ)は4月27日に死んだ。平成元年
(1989年)のこと。享年94。一生で約5,000億円の資産を築いたと推定さ
れる。

明治27(1894)年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌
山市禰宜)に小地主松下政楠・とく枝の3男として生まれた。家が松の
大樹の下にあったところから松下の姓がつけられたといわれる。

松下電器産業創業者であり、松下電器産業を一代で築き上げた日本屈指
の経営者である。また、政治家の育成にもあたり、松下政経塾を創設し
た。その他、PHP研究所の創立者でもある。松下関係者からは「社主」と
称されたこともある。

血液型はA型。1899年頃、父親が米相場で失敗して財産を失ったため、一
家は和歌山市本町1丁目で下駄商を始めたものの商売に失敗し店を畳んだ
ため、小学校を4年で中退しわずか9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出た。

その後、五代自転車での丁稚を経て、16歳で大阪電燈(現:関西電力)
に入社し、7年間勤務する。

後に同社を退社し、当時生活していた大阪府東成郡鶴橋町猪飼野(現:
大阪市東成区玉津2丁目)にて、妻むめのとその弟である井植歳男(後に
三洋電機を設立、1969年没)の3人でソケットの開発を開始した。

1918年に大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)へ移転
し、「松下電気器具製作所」(現:松下電器産業)を個人創業する。ア
タッチメントプラグ、電池式自転車用ランプなどを開発し、ヒット商品
を数多く生み出した。

1925年には「ナショナル」ブランドを立ち上げ、乾電池やラジオ受信機
などの製造を始める。1989年3月31日までは音響部門もナショナルだった
が、1989年4月1日以降はパナソニックにブランドを変更、2009年度内に
パナソニックへ統一予定。

戦後はGHQにより制限会社に指定され、幸之助も公職追放になってしまう。
しかし、幸之助は「松下は一代で今の会社を築いたものであり、買収な
どで大きくなったわけでもない。松下は財閥ではない」とGHQに抗議を続
けた。

1946年11月、PHP研究所を設立。その後、松下電器労働組合のGHQへの抗
議もあり、制限会社指定を解除され、1947年に社長に復帰する。

戦後のデフレ経済に松下も例外無く苦境に陥り経営危機を迎えたが、直
営工場の操業時間短縮・人員大量整理・賃金抑制を断行し危機を乗り切
った。この当時の経営手法を当時のマスコミが揶揄して物品税の滞納王
などと報道された。

しかし、自ら営業本部長代行を兼務、窮地を救った。1960年に和歌山市
名誉市民となる。1973年、80歳になるのを機に現役引退し、相談役に退
いた。1974年には明日香村名誉村民となる。1989年4月27日に肺癌のため
逝去。法名は光雲院釋眞幸。

1950年以降長者番付で10回全国1位を記録(1955年〜1959年、1961年〜
1963年、1968年、1984年)、また40年連続で全国100位以内に登場した。

松下幸之助は経営の神様と呼ばれ多くの経営者の目標とされた。米タイ
ム誌国際版の表紙を飾った2人目の日本人の実業家である(1人目は戦前
日本郵船の各務鎌吉)

有名な発言として「月給10万円の人は月100万円の働きを、月給20万円の
人は月 200万円の働きをして欲しい」と語ったとされる。

また、「松下はどのような会社ですか?」という質問に対し「松下電器は
人を作る会社です。あわせて家電を作っています」と答えた。

1970年にはナショナルショップの後継者を育成する学校「松下電器商学
院(現:松下幸之助商学院)」を設立。のちに中村邦夫が創設した「ス
ーパープロショップ」の母体となった。

浅草寺大提灯東京都台東区にある、浅草寺の正面雷門と大提灯は、1960年
に幸之助による寄贈で再建されたものである。
 
自転車屋に丁稚奉公していた頃、使い走りでよくタバコを買いに行かさ
れた。そのときいちいち買いに出かけるよりもまとめ買いしておけばす
ぐにタバコを出せる上、当時まとめ買いすると単価が安くなるため、こ
れを利用し独りで儲けた。

しかしこれを奉公仲間から告げ口され店主から大目玉を食らう。この頃
から経営の才覚をあらわしていたと同時に独りだけ大きく得をしてはな
らないということに気づく。
 
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)開催中のある真夏の暑い日、松下
電器の展示館の前に並ぶ客と一緒に並び、実際に展示館に入るまで2時間
ほど並んで待った。

その際、並んで待っている間は全く陽射しを避けるところがないことに
幸之助が気付き、展示館の担当者に紙製の日よけ帽子を配布するよう指
示した。

この帽子に「松下館」と文字を入れたためにそれが宣伝効果となり、松
下館は連日満員で長蛇の列をつくったという。顧客への細かい配慮を利
益に結びつけた良い例である。

完成直後の新商品を見て、製造担当者に「ご苦労さん。ええもんができ
たな。さあ、今日からこの商品が売れなくなるような新商品をすぐに作
ってや」といった話は余りにも有名である。
 
郷里に和歌山県出身の友人達から贈られた「松下幸之助君生誕の地」の
石碑があるが、題字は同郷の湯川秀樹博士の筆によったものである。 
2008・04・24 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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知ラシムベカラズ
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          山堂コラム213

「姥捨て山」に準(なぞら)えられる「後期高齢者医療(以下・後高医)」
が実施された。弊害続出で福田総理は「国民に分かりやすく説明する必
要あり」と力説するが、そんなこと言われてもシラケルだけ。

そりゃそうだろう、もともと「説明しても分からない制度」、「わざと
分かりにくく作ってある制度」なのだから。

新聞・TVは今ごろになって騒ぎ始めた。医師会や地方の病院が騒ぎ出
したから騒ぎ始めた・・・とも言えるが、いまごろつられて騒いだとこ
ろでもう「手遅れ」、「あとの祭り」―――、まあそれでも騒がないよ
りましか。

「後高医」、この制度が閣議決定されたのは平成15年3月28日のこと。
小泉行政改革の一環とやらで、純ちゃんは「医療ビッグバン」と鼻高々。

当時の新聞・TVは戸惑いとてなく、「改革に痛みが伴うは当然」との
「小泉・猫騙し」の注射効いてマタタビ猫かBSE牛。

平成18年(おととし)6月。国会での強行可決の時も各紙の扱いは3段
か4段。「政府広報」か「お知らせ」程度の記事。角さんの「70歳以上
はですねえ、皆さん!みんなタダですよ」を180度引っくり返す大転換・
大暴挙というに。あまたいる厚労省の記者は何やってたんだ、アン。

でもオラの現役時代から役所担当の記者が「知らない」ということ、こ
れ多々あるのこと。担当記者が不勉強で無知―――、これに尽きるのだ
が、まあそれ言っちゃあおしメエよ。五十歩譲って「役所が肝腎なこと
を隠すから」―――

隠すということは、いみじくも以下を露呈。「後高医」は、役所が法案
通る(成立する)まで知られたくない制度だったということ。そう、老
人をはじめとする国民一般だけでなく、医師会にも病院にも。なかみを
明らかにしたくない制度・・・。つまりはじめから「善政」ではなく
「悪政」の制度であったということ。「善政」ならば隠す必要さらさら
無し。

国会に提案された時もまだマスコミは気がつかない。記者も法案は読ん
だ筈。しかしそれでも恐ろしい。法案読んで役所の趣旨説明聞いたくら
いでは、実は制度の本当のなかみが分からなかったから。

この種の厚労省など役所がつくる制度というのは、年金も含めてだが、
堅気の素人には「わざと分からないように作ってある」。これが常識な
のだ。

提案された金バッチの先生方もよくは分からない(分かっているふりは
するが)。実は末端の社会保険事務所も下っ端は分からない。まして説
明のためと社会保険庁が急遽動員した派遣・アルバイトなどの窓口担当
が分かる筈がない。

複雑怪奇・精緻な仕組み。人手を沢山かけ、天下り先も幅広く通し、や
やこしく、そうしなければ運用できない。そういう風にワザとしてある。
ジッちゃんバアちゃんがいくら問い合わせをしても埒があかないのはそ
のためだ。

かつて日本の医者はドイツ語でカルテ(診療記録カード・正式には診療
録)を書いた。当時はドイツ医学が主流。「医療用語そのものがドイツ
語だから」とか、「ドイツ語で書くとスマート(今流でいうカッコイイ)
だから」とか・・・オラもそんな風に思っていた。どっこい都々逸、デ
ル・デス・デム。本当の理由は違う。患者や看護婦、素人(しろうと)
さまに、診療の内容を分からせないようにするため。

いまドイツ語でカルテを書く医者は少ない。「インフォームドなんとか」
とか言って、医者は患者に状況を出来るだけあけっぴろげに知らせ、説
明しなければならない。分かりやすく。

医者はそうなったが役所は旧態依然。いや、ますます悪くなる。上の方
は威張りくさり、下の方はやる気なし。上から下まで隠蔽工作。縄張り
天下り先、その確保に汲々。

荒廃する日本の医療―――。冒頭、「総理が分かりやすく説明すべしな
どと嘯くは何のかんばせあってか」と書いた理由、どうです皆さん!分
かったかいや。(了)



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安全率残りの5%
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           渡邉 由喜

安全率を90%から95%まで高めるために、0から90%に注いだ努力の何
倍もの努力を追加して、やっと次の5%が達成出来る。安全率とはそう
いう性格と思うのだが、この追加の努力をどう取るかは国や文化によっ
て大きく違う。たった5%のためにと思うか、5%が大切と思うか。

そこが日本がある意味成功した鍵だと思うし、一方で海外でぶつかる壁
でもある。ここベトナムでも同様。物事を確実に行うために設けている
幾つかのチェック機能も「大丈夫大丈夫」と軽視されることが多い。何
をどう説明しても「ホン・サオ」(問題ない)で終わってしまう。実際、
まだ何も起こってないのだから「ホン・サオ」だし、何か起こっても何
とか回復出来るのなら「ホン・サオ」。

先日夫がこちらの事務所から東京の本社へ社外秘の書類を民間の宅配業
者を使って送った。郵便はあまりあてにならないから、世界的にネット
ワークを持っている民間会社を使うのが常である。

数日後、東京の他社本社に届いたと連絡があった。その会社のハノイ支
店からの連絡で、夫は最初何のことか想像もつかなかったという。

「いや、よくわからないんですがね、どうもうちの本社に届けた書類の
中にお宅に届くべきものが入っているようだと、受け取った社員から連
絡がありまして....」

夫の勤める会社は建設コンサルタントで、間違って届いた会社はゼネコ
ン。こう考えるだけで恐怖が襲う。よりによって絶対選ばれてはならな
い所に届いてしまったわけだ。コンサルタントとゼネコンの関係で簡単
な例えだと、試験問題を作る会社が作った解答付き試験問題が(コンサ
ルタント)、試験を行う会場に届かず、受験する者のところ(ゼネコン)
に届くようなものだ。

今回はこの手のものは含まれていなかったが、可能性としてはなくはな
い。

「お宅なんかの立派な会社ですと、採用されるのも躾けが行き届いた方
ばかりだと思うので、中を見てしまうことなどないとは思いますが...」
と夫もしどろもどろだったらしい。

「多分大丈夫だと思います。何を言っても気休めにしかならないとは思
いますが...」と相手も苦笑している。「それにしても怖いですよね。
うちにも起こり得るんですよね。本当に怖い。」

夫はすぐさま東京本社に連絡し、直ちに件のゼネコンへ書類を受け取り
に行ってもらうよう頼み、一方で当然のことながら、その宅配会社に連
絡した。金曜日の夕方4時過ぎのことだったらしい。事の大きさを考え
るなら、すぐに担当者+上司で謝罪に来ると期待するのが日本人。しか
しそうはならなかった。上司がもう帰ってしまったらしい。謝罪に来た
のは翌日土曜日。

日本の雑誌を数冊とちょっと高価なウィスキーを持って謝罪に来た。し
かし何故こういうことが起こったのかはちっとも説明がなかったし、何
よりあまり物事を重要と考えてないその態度に腹が立ったそうで、何も
受け取らず帰そうとしたが、後で気が付くとウィスキーだけが現地スタッ
フの手に渡っていたという。

ここでクレームをしても効果はないし、日本の方で扱う問題としたそう
だが、夫にとって気になるのはやはり送った書類の中身。聞いてみると、
最重要ではないものの、かなり重要な書類がある。大抵のことには動じ
ないベトナム仕様になっている夫も今回ばかりはトホホの表情である。
「見られてるかな」を繰り返す。

育ちが悪い私は、「私なら見るしコピーを取るかもしれない。」と夫に
追い討ちをかける。

昔、仕事をしていた頃、ある大きなプロジェクトに応札するのに、同業
他社とチームを組もうとしていたところ、その他社の担当エンジニアか
ら送られたファックスを見て仰天したことがある。他社は他とも組んで
いた。二股。担当エンジニアが他社に送るファックスを間違えてうちの
会社に送ってきたのだ。アホ。

こういう間違えは割りとよく起きる。人間が人間である以上ゼロにする
ことは無理なのだ。そこに安全率残りの5%をどう考えるかが問題とな
る。普段から緊張のないチェック機能を持ち5%を諦め物事が起こった
とき大いに怒り嘆き悲しむか、普段から緊張してチェック機能を高めて
5%を獲得するか。

しかし5%を獲得しても決して100にはならないことに気が付いてから、
私はどっちがいいのかわからなくなってしまった。夫は日本の方に、事
の説明を求めているが、未だに返答は来ない。  ハノイ喜怒哀楽(65)



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ごくせん、3度目
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           馬場 伯明

2008/4/19(土)、あの「ヤンクミ」が帰ってきた。2002、2005年に続くシ
リーズとして3度目の登場である。日本テレビの学園ドラマ「ごくせん」
では熱血教師ヤンクミこと山口久美子先生が大活躍である。

「ごくせん」とは「極道(出身の)先生」の略語。私の好きな仲間由紀
恵のはまり役である。この日のTV視聴率がNHKの人気の大河ドラマ
「篤姫(22.4%)」を押さえて、26.4%で早くも週間トップに立ったと
いう。いいぞ。

第1回のあらすじ。《 ヤンクミは新しい高校に赴任し、荒れる教室のワ
ルたちに向き合っていく。ヤンクミは南の島で教師をしていたが、赤銅
学園高校の教頭を務める因縁の猿渡五郎(生瀬勝久)に誘われ、同校へ。
受け持った3年D組は、番長格のワル2人が対立する異様な雰囲気だ。

ワルのうちの1人、風間廉(三浦春馬)が、連続強盗事件の容
疑をかけられるが、彼女は、風間の目撃情報をもとに連日「真犯人」を(
愚直に)探しつづける。(そして遂に真犯人を追い詰め撃破)

人を信じること(の大切さ)を身をもって示したヤンクミは、祖父が任
侠(大江戸一家3代目)の世界の住人という設定。話し振りはすがすがし
く、シンプルな筋立てもメッセージを浮き立たせる。 》(2008/4/19朝
日新聞TV欄)

還暦を越えたいい年のおっさん(じいさん?)が、何が楽しくてガキの
学園ドラマにうつつを抜かしているといわれそうだが・・・、これがま
た、いいんですよねえ・・・。

ワルの生徒どもや世間の「悪業」に耐えて、耐えて、耐え切った後に、
ついに爆発するヤンクミの「出入り」。定番の大立ち回りだ。今回は連
続強盗事件の犯人と10人以上チンピラどもが相手だった。

脚を広く踏ん張り、相手を正面から見据え、お下げ髪の髪止め(輪ゴム)
を外し、ロングヘアをさっと振り払い、メガネを放り投げ、ズイッと前
へ進む。ジャーン! そして、相手をぶん投げ、ぶっ飛ばす。仕上げは
気合の正拳突きだ。

ヤンクミは現代の水戸黄門である。しかも、黄門様、助さん、格さんを3
人まとめて同時に演じるようなもの、筋書きやその結果は見る前から、
わかっちゃいるけどやめられない。胸がすくこと限りなし。

水戸黄門といえば、就職しテレビを買った頃始まった(昭和44年)。配
役は、黄門様(東野英次郎)、助さん(杉良太郎)、格さん(横内正)。
杉良太郎は私と同年、かっこよかったな。

松下幸之助の「世のため人のためになる番組を提供しなはれ」というこ
とで始まったというが、単純な私はすんなり乗せられた。

「ごくせん」は各世代にまんべんなく人気がある国民的世直し作品であ
る。私たちは、この平成の「時代閉塞の現状」から、つかの間のひとと
きの逃避を試み、ばかばかしい仮想事であっても、溜飲を下げたいのだ。

「ごくせん」とヤンクミ(仲間由紀恵)は、現代を生きる老若男女の心
の深層に入り込み、その琴線に触れ、叫びたくなるように追い込まれて
いる多くの人々の切ない期待にみごとに応えた。

仲間由紀恵はこの6年間にそれこそ大ブレイクし、TVドラマ、映画、さ
らに多くのCMに出演するなど七面八臂の活躍である。

私にとって大活躍はうれしいことだが、活躍し過ぎるということが自分
の持分が減っていくような感じがして、私は少し悲しい。

ともあれ、「てめえら、それでも、男か!」とヤンクミに指をさされな
いように日々を過ごしたいものだ。(ばば のりあき氏は会社員 千葉
市在住2008/4/25)



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毅然と軟弱の狭間で
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         平井 修一

人はいろいろだ。

初対面のO氏が我が本社経由でお客さんを紹介してくれた。「ありがと
うございます」ということで、いつもの仕事をいつも通り処理したら、
後日「リベートはどうなっているのか」とO氏からクレームが来た。

「あなたね、私がどういうつもりでお客さんを紹介したのか分かってい
るの?」とえらい剣幕だ。

小生は、O氏はただただ善意で客を紹介してくれたのだろう、逆の立場
なら小生もそうするし、相身互いで小生のビジネス人生30年間そうして
きたから、「なんなんだ、こいつは。契約を解除したっていいのだぞ」
と思いつつも、一応大人の振りをして(誰か誉めてくれ!)、いろいろ打
開策を提案し、そして最後は突き放した。

「O様がそのご意向でしたら、最初からそう言って頂ければ私どももそ
ういたしました。以上の打開策で納得いただけないでしょうか」。

丁寧に、しかも毅然と言う。談判決裂を覚悟して交渉する。これは一民
間企業であっても、社益(国益)にかかわる外交なのだ。

小生の本音は「リベートがほしいなら最初から言えよな、今回の問題は
あんたが悪いんだぜ、下請がいつも仕事欲しさにへいこらすると思うな
よ、うちは契約解除したっていいんだぜ、舐めたらいかんぜよ」。

O氏だって、小生の言葉の裏、本音、韜晦は分かっている。小生の剣幕
に恐れをなしたのだろう、「後日連絡します」とO氏の電話は終わった。

小生はその後、O氏から音沙汰なかったから本社に問い合わせたが、結
局、O氏が振り上げたこぶしは空中分解、雲散霧消してしまった。

「そのようなトラブルをめぐる議論自体を記録から抹消する。トラブル
はなかったのだ、すべては白紙に戻す、以後、一切この件はもちださな
いように、というのがO氏の希望である」

本社からは以上の回答だった。それ以上の外交的ソフトランディング
(軟着陸)を小生も求めない。自分の役職、能力、社内での力関係など
を考えれば妥当な線で、それ以上を求めるのは「過ぎた想い」と承知は
しているが、なにか「イヤな、スエルような野郎というのはいるのだな
あ」と、この手打ちには一件落着の爽快感はない。

ま、それにしても仕事や人生、あるいは国家の外交はそんなものかとは
思う。今回の教訓は、ビジネス交渉でも国家の外交でも、毅然と職(命)
を賭して「談判決裂を覚悟して交渉する」決意は大事だろうということ
だろう。東京営業所を所管する小生を本社がレスペクト(評価)し、O
氏(とその背後にあるデベロッパー)よりも小生を尊重してくれたのだ。

それは「ありがたい」と社長や上司の営業本部長には感謝しつつも小生
は結構えげつないから、「まあ、一事が万事だからね、もうしばらく首
都圏は俺に任せろやい、俺以外にできる奴はいまいが。基礎を作ったら
若い者に譲るからさ、それまでは俺の勝手にさせてくれ」と以心伝心、
本音を韜晦を交えて主張している。
・・・・

ここで原稿を終えようとしていたら、財務省から再び三度お叱りの電話
が入ったと本社から連絡。今度は本社のミス&トラブルを小生が尻拭い
する番だ。

財務省を蹴っ飛ばすためには証拠が要るが、営業本部長に質せば「書類
はなくなっちゃったからね、当時の担当者が異動したから分からないっ
てことで、まあ、うまくやってよ。ゴメンネ」だと。ああ・・・

もしかしたら、このいい加減さが小生には合っているのかも知れない。
「国益、外交、戦争とか言う以前にさ、適当にうまく丸めてよ」・・・
ってか? 我が足元を見れば長野の聖火リレー云々の余裕はないし、来
週もバタバタどころかジタバタだ。これが人生の醍醐味か? 人生はや
っぱり生きているから面白い!?


 
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話 の 福 袋
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 ◎拉致、仏で異例の報道=「悪夢」と反響呼ぶ

【パリ25日時事】北朝鮮にフランス人女性3人が拉致されていたとの情報
が最近、仏紙フィガロに異例の大きな扱いで掲載された。拉致事件はフ
ランスではほとんど知られておらず、「悪夢のような話」と読者から驚
きの声が上がっている。

記事を書いたのはフランソワ・オテール記者。拉致問題への国際世論喚
起を目指す日本政府の招きで3月末に訪日し、拉致被害者支援団体「救う
会」の西岡力常任副会長らに取材。

「アジアの富豪の息子」と称する男にパリで誘惑され、中国経由で平壌
へ連れ去られた女性を含め、1970年代末に北朝鮮がスパイにフランス語
を教えさせる狙いで拉致したフランス人女性が3人いると19〜20日付の同
紙で2面ぶち抜きで伝えた。

同紙(電子版)の読者欄には「なぜ日本だけが真実を知るために戦って
いるのか」「仏政府も事実の解明を進めてほしい」といった声が相次い
で寄せられた。24日には一部メディアが仏外務省に確認を求めるなど反
響を呼んでいる。 4月25日15時0分配信 時事通信

 
 ◎新型インフルに鼻からワクチン、聖マリアンナ医科大開発 

聖マリアンナ医科大学の清野研一郎・准教授らは新型インフルエンザの
発生に備え、鼻の粘膜にスプレーで吹き付けて使う予防ワクチンを開発
した。

実用化できれば注射器が不要になるうえ、様々な系統のウイルスに対し
ても効果が期待できる。マウスを使った実験で、2系統の鳥インフルエン
ザウイルスへの感染予防効果を確認した。3―5年以内の臨床応用を目指
している。 

開発したワクチンは、ベトナムで採取された病原性の強い「H5N1型」
の鳥インフルエンザウイルスをもとに作製した。免疫効果を高めるため、
「海綿」という海洋生物から発見された化合物を補助剤として加えてあ
る。

鼻の粘膜に投与すると、体内の免疫細胞が活性化されて粘膜にウイルス
への抗体ができ、感染を防止する。NIKKEI NET 26日 (16:00)


 ◎亀田兄弟が協栄ジムと離別、法廷闘争も

亀田兄弟と協栄ジムの対立が、法廷闘争に発展する可能性が出てきた。
WBA世界フライ級1位の長男興毅(21)と次男大毅(19)が同ジムを
離れることが25日、分かった。今年2月に解雇騒動が起きるなど、両者
対立は深まっていた。

亀田サイドは金銭を含めた待遇面に不満を持ち、協栄サイドは昨年10月
の反則騒動などトラブルの多い亀田兄弟に被害を受けたと主張する構え
だ。

互いに「離別」の意思は固いが、条件交渉は平行線で、亀田兄弟の今後
は不透明のまま。最悪の場合、決着は法廷に持ち込まれる。

亀田兄弟と協栄ジムの対立は修復不可能となった。両者は今年に入って
対立が深まり、最近は弁護士を通して交渉を続けていた。互いに「離別」
の意思は強いが、金銭面を含めた条件は合意できていない。泥沼の法廷
闘争も現実味を帯びてきた。

離婚に例えれば、協栄ジム側が慰謝料を、亀田側が財産分与を求めてい
る構図だ。 4月26日9時53分配信 日刊スポーツ


 ◎黒人男性に銃弾50発浴びせ殺害、NYの3警官に無罪評決

【ニューヨーク=佐々木良寿】米ニューヨーク・クイーンズで2006年年
11月、黒人男性(当時23歳)が警察官から50発の銃弾を浴びて殺害され
た事件で、ニューヨーク州の裁判所は25日、故殺(一時的な激情による
殺人)の罪に問われていた警官3人に無罪の評決を下した。

事件は、同月25日未明に起きたもので、結婚式を間近に控え独身最後の
夜を友人2人とクラブで楽しんだ黒人男性らが、麻薬や買春の捜査をし
ていた警官の制止を聞かずに乗用車を警察車両にぶつけるなどして逃走
しようとしたため、警官が一斉に発砲した。

この日の評決で、裁判官は、「検察側証人の証言には重大な矛盾点があ
り、被告の行動の不当性を証明できない」などとした。

警察側は当時、この男性らが銃を所持していると判断したため発砲した
と説明していたが、男性らが銃を所持していなかったことが判明し、黒
人を中心とした地元住民らは「行き過ぎだ」と強く反発していた。

米国では1992年、白人警官による黒人男性への暴行をきっかけに人種暴
動が起きた。今回の評決について、住民指導者らは連邦司法当局に捜査
を要請したほか、抗議行動に出る構えを示している。4月26日11時1分配
信 読売新聞
  

 ◎ <オリックス>フェニックス、中国企業に「1円売却」

オリックスグループが、全額出資するスキーウエア大手「フェニックス」
(東京都品川区)の株式の大半を中国のスポーツアパレル企業「中国動
向」(北京)に1円で売却することが分かった。中国動向が25日に香港
証券取引所に情報開示した。

フェニックスはスキーウエアの「フェニックス」のほか、イタリアのス
ポーツウエア「Kappa(カッパ)」ブランドを展開している。中国
動向は両ブランドを活用し、北京五輪の開催でスポーツ関連市場の拡大
が見込まれる中国でもアパレル事業を広げたい考えだ。

フェニックスはスキー部門の販売不振や取引先スポーツ用品店の倒産な
どで業績が悪化。04年に産業再生機構が支援を決定し、オリックスがス
ポンサーとなり経営再建を目指したが、国内のスキー人気が低迷する中、
オリックスは自力での再建は難しいと判断したとみられる。

オリックスと中国動向は25日、株式の売却で合意。中国動向はフェニッ
クスの債権も1円で買い取り、株式と合わせた買収価格は2円となる。 
4月26日11時58分配信 毎日新聞



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反     響
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 1)第1165號の「高校生に廣がる電子辭書」で『新クラウン英和辭典』
のことに觸れた。『月刊言語』昭和57年3月號(特集「こんな辭典が欲し
い」)にビジネスの現場からのものがある。

執筆者は關ヶ原石材社長の故矢橋謙一郎氏。世界50ヶ國以上を相手に石
の取引きをするのに專門語のこともあって、すべてご自分でなさったと
いふ實業界屈指のポリグロット。遺稿集は『石の文化誌──石屋になっ
た地理屋の記録』
  
英和辭典については、かうある。
  
// ここから引用(傳統的表記に變更)
  
かう考へてくると、私の求める辭書は、高校程度の學習辭書がもっとも
近いといへるだらう。事實、私の愛用するのは三省堂『新クラウン英和
第3版』である。──殘念ながら第4版では語數が増えた。──例文は
きはめて豐富であり、これで類語の差異の説明が加はれば、全く理想的
といへる。

ただし最近視力がやや衰へてきたために、研究社『新英和中辭典第4版
机上版』を使ふことが多くなってきた。デスクの横の棚には、他に研究
社『英和大辭典』(第5版に最近買ひ替へた)が飾られてゐる。

ただし、かう書いてはこの日本英學會最高の辭書の編者たちには甚しく
失禮だが、滅多に手にとることはないのが實情である。

和英辭典も『スタンダード』──大修館のは他の辭書もさうだが、活字
が大へん讀みづらい──と研究社『和英第辭典第3版』とがあるが、こ
れらはあまり使用しない。手紙を書くときも、英和を和英より多用する
のが實情である。

まう一册、外國旅行時に持ち歩くための『三省堂小英和』。これこそ詰
め込みの極致には違ひないが、この特異な小辭典は、この目的には全く
理想的にできてゐる。// ここまで
  
矢橋氏に見拔かれてゐたやうに第4版は木に竹を繼いだやうなところが
あった。第5版は頁數を減じて3版に戻した。矢橋氏が言ふやうに研究
社『英和大辭典』の編者は日本英學會最高の人達であらう。

河村重治郎は『英和大辭典』第3版の編集主幹である。

その河村の『新クラウン』が時流に合はないとされる理由の一つは品詞
表示が英語の略字であること。學習者用辭書であれば品詞は漢字で示す
のが普通。

漢字の方が目立つし、n. とあるより[名]とある方が分かりやすい。だ
から市場競爭で n. とするのが不利なことは決まってゐる。しかし英和辭
典を使ふならば、品詞名ぐらいは英語で覺えておくべきだとするのが河
村重治郎の流儀であった。

その方が單語帳をつくるにも便利であり、英米の本格的辭典を使ふとき
の導入にもなると考へてゐたのだ。「辭書利用のこつ」の最後に「それ
でも駄目な場合はもっと大きな辭書を引く」と書くことができたのは新
クラウンなればこそであった。  上西俊雄

 

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身 辺 雑 記
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江戸から明治時代にかけて日本だけで大流行した脚気について、イギリ
ス帰りの海軍医高木兼寛は米糠や麦粉が有効ならいい、なんだか知らん
が効くならそれでいいじゃないかと水兵にはパンを食わせて撲滅に成功
した。明治天皇は宮中に招いて食事を共にした(陪食)。

一方、ドイツ帰りの陸軍医森 林太郎(欧外)は理屈が分からなければ
食わすわけには行かぬ、と兵士を何万人も死なせた。糠で病気がなおる
というなら小便でも治ると言ったとも噂に残っている。

果たせるかな鈴木梅太郎が後に世界で初めてビタミンB1の抽出に成功
(オリザニン)、高木のやり方に軍配が上がった。実証派はイギリス流,
理論派はドイツ流の生き方。今の世にもいるね。

角福戦争(1972年)の取材をしてみて実証派が角さん。福田赳夫さんは動
かないで理屈や哲学、倫理ばかりを論じる。こりゃ負けだと思ったらそ
うなった。

角さんに理屈や哲学、倫理の話を向けると、途端に横を向き「そんな事
を言っていたら日が暮れる」と突き放した。「政治は解決しなければ政
治とはいえない」と断言した。角さんからすれば福田さんは不十分な政治
家に見えただろう。

いろいろなスキャンダルで政権を投げ出す時も「福田にだけは渡したく
ない」といった。憎い三木を倒す時に仕方なく福田を使い「2年」の条件付
きで総理をやらせたが、福田が密約を反故にしたときは立腹して倒した。

福田は己の「反故」を棚に上げて後継の大平をいじめ続けた。大平はそ
れが元で急死した。だから福田アゲインの声はどこからも出なかった。
こうした場面を外務大臣秘書官として直に見続けたので政治家になるの
を止めた。


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