政治・経済

頂門の一針

急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

全て表示する >

頂門の一針 1135号  08・03・26(水)

2008/03/26

□■■□───────────────────────────□■■□
 わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1135号
□■■□───────────────────────────□■■□  


         平成20(2008)年3月26日(水)

 
 
                                   三重野総裁の再評価:原野辰三

                                     馬政権は2期8年:宮崎正弘

                                 「革命ごっこ」の記録:石岡荘十

                               ベートーヴェンの命日:渡部亮次郎

                                     ジャズって良いな:前田正晶

                         話 の 福 袋
                         反     響
                         身 辺 雑 記


□■■□  ──────────────────────────□■■□
第1135号            
                              発行周期 不定期(原則日曜日発行)
           御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp

                購読(無料)申し込み御希望の方は
                    下記のホームページで手続きして下さい。

       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/

    ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/



━━━━━━━━━
三重野総裁の再評価
━━━━━━━━━


         原野 辰三

世界第2の経済大国である日本は、総理大臣がいながら総理不在の様な
状況が続いている。チベット問題に言及する事も出来ないばかりか、欧
米諸国が、サブプライム・ローン問題で混乱を極めていると言うのにで
ある。

日本は、失われた10年のバブルの崩壊で、国内経済はガタガタになり、
今尚その後遺症から脱皮できず、中小企業は自力再生もままならず、原
油高の追い討ちで仮死状態に近い状況に立ち至っている。

そう言う状況の中で、一部の大企業はこの機に便乗しリストラの大義名
分で公然と正社員を減らし派遣社員に切り替え、人件費を低く抑えたま
ま放置している。

その典型が、ワンサイド・ゲームの一人勝ちでわが世の春を謳歌してい
る世界のトヨタを初めとする日本の優良企業、これが今日の日本の真の
実態である。

日本政府は、バブルが崩壊して歳入が減っているにも拘らず、切り詰め
るべき歳出は垂れ流しのまま放置しながら、機に便乗して消費税は上げ、
医療費や福祉の国民負担は増やし、弱者救済の政治は切り捨て御免を断
行している。

その場限りの政策を続け、目に見えない様々な負担は国民に押し付け、
役人の失政は棚に上げたまま、役人天国のお手盛り行政を恣にしている。

道路特定財源を廃止していいとは思ぬが、問題はその使い途であろう。
国民の目の届かないところで、勝手気ままに使い放題を続けてきたこと
にある。こんなことでいいのだろうか?

折りしも、1割負担になったばかりの医療費が、またまた“3割負担”
に逆戻りするとの報せが届いているが、国民は、余りにも“おとなしす
ぎる”と言わざるを得ない。

“おなしい”とは、大人しいと書くのか、音無しと書くのか、温和しい
と書くのか、馬鹿げたことで怒りを抑えるしかないが、朝令暮改の政府
の無策には、呆れるのを通り越してため息が出るばかりである。

バブルを崩壊させた元凶とも言うべき第一級の売国奴は、誰が何と言っ
ても、当時の三重野元日銀総裁であった。しかし、そもそものバブルを
呼び込んだのは、歴代内閣の元総理以下の金融の舵取りをしてきた閣僚
や、代々の日銀総裁達、更には、政府と連帯責任のある旧大蔵省の金融
担当者達であった。

最後の土壇場の引くに引けない状態で“火中の栗”を拾わされたのが三
重野元日銀総裁であったことを考えれば一抹の同情も禁じえない。

しかし、短期間に立て続けに実施した金利の引上げは無謀の誹りを免れ
ないが、追い討ちの最後の引上げは日本経済を自殺に追い込んだものと
言わざるを得ない。

かくしてバブルは崩壊し、長く暗い失われた10年が始まったが、何れに
しろ、バブルの崩壊は起きるべくして起きたのもので、言い換えれば、
日本経済の緊急手術であったと解釈する事も出来よう。

当時の筆者は、バブルの崩壊で積年の血と汗と涙の結晶の様な苦労も水
の泡となり、多くの投資家同様に大打撃を被った一人であるが、名前そ
のままに先の見えない三重野元日銀総裁にはやり場のない怒りを覚えて
いた。維新前夜なら“天誅の血祭り”にしたいと思った程だった。

しかし、冷静に考えればバブルはいつかは崩壊するものであり、当時の
日本は国全体(国民も含む)が米国の扇動に乗せられ、バブルの中で泡
踊りを踊らされていたのであるから、謂わば自業自得の結果であり、国
民も皆同罪であったと大いに反省せざるを得ない。

現在もその後遺症を引きずっているが、そんな状況の中で、世界中の金
融界を震撼させ、世界経済を大混乱に陥れているのが、正体不明に近い
厄介な問題の米国発“サブプライム・ローン”である。

米国は、自ら原因を作り出し、その被害を最小限に留め様と目論み、確
信犯的に証券化して世界にばら撒いた結果、ブーメランの様に自国の首
も絞めているのが現在の実態であろう。坂本九の歌ではないが、上を向
いて唾を撒き散らしたのが米国金融業界自身であれば、身から出たさび
と言うべきである。

幸いにして日本は、国家経済を揺るがす程の大きな被害を被っていない
様であるが、その経済的影響はボデーブローの様にじわじわとい効いて
くることを覚悟して置かねばならないだろう。

現状では、サブプライム・ローンの影響が軽微であるとは言え、これは
日本の金融業界が賢明だったからではない。ある意味で偶然の結果とも
言うべきもので、近年の日本の金融業界には、サブプライム・ローンに
手を染めるだけの余裕がなかっただけで、謂わば成行きに近い結果の賜
物であると見るべきである。

何故なら、三重野元日銀総裁が金融(金利)政策を時間を掛けて慎重に
進め、綱渡りであっても、バブルを“ソフトランディング”させ、崩壊
を食い止めていれば、それ以後の日本経済の破綻は緩やかなものとなり、
失われた 10年は回避できたはずである。さすれば日本経済の回復も早く、
今日の様な低迷状態ではないだろうと考えられるからである。

即ち、20年前に遡り、バブルが崩壊せずに日本経済が堅調な状態を維持
していたならばと仮説を立てて、今日の状況を推測すると、果たしてど
んな状態でサブプライム・ローンの問題に直面していただろうか?

日本の金融業界は、恐らく、政府も民間も報じられている様な“軽微”
な被害状況で難を遁れる事ができていたとは考えられない。

日本経済が、バブルが崩壊する前の状態、或いはそれに近い状態で近年
まで続いていたと仮定すれば、日本は国を挙げて護送船団を組み、金融
機関は米国債は無論のこと、米国が押し付ける“金融商品=サブプライ
ム・ローン”に群がり、無防備と言ってもいい程の危機意識を欠如させ
たまま、麻薬の様な“サブプライム・ローン証券”の優良顧客となり、
バブル時の数倍の規模で不良債権を抱え込み、のっぴきならぬ緊急事態
になっていたであろう事は間違いない。

従って、今回の底なし沼の様な“サブプライム・ローン証券”の及ぼす
被害は、最小規模で考えても、日本経済を根底から崩壊させる程の大き
な被害となっていたであろうことは想像に難くない。

内閣は吹っ飛び、金融機関は軒並み破綻し、ハゲタカファンドの餌食と
なり、完膚なきまでに打ちのめされる結果を招来していたであろう。

バブル当時の日銀総裁は、一時は“昭和の鬼平=長谷川平蔵”とまで賞賛
されながら、バブル崩壊の引き金を引いたと同じ“金利政策の大失敗”
のために、任期終了とともに表の世界から消え、ついぞその名前すらも
聞かないが、

現在の状況に置き換えて考えて見た場合、バブルの崩壊は、転ばぬ先の
杖と同じで、怪我の功名の荒療治であったのかと、見直しの再評価をし
なければならないのではあるまいか。

それにしても、日本の政治家の能力の拙劣さは、サブプライム・ローン
問題以上の深刻度を増幅させている

1党独裁がいいとは言えぬが、2大政党論は日本にそぐわない。

国政を機能麻痺に追いこみ、不毛の議論を氾濫させるだけではないのだ
ろうか。政治家の能力が、あまりにも低過ぎると言うに尽きるが・・・

米国の大統領選の予備選をCNNで見ながら痛感するのは、党の指名を
獲得するためだけでも、実に一年にも及ぶ遊説活動をフルに展開し、更
に、本選の戦いに挑み続けなければならない。

心身ともに健全である事が絶対の要件であり、それ以上に、頭脳明晰で
あることはもちろんのこと、過去の実績に加え、言動も国益に沿う正義
感に溢れた立派なものでなければならず、並みの能力か、それ以下では、
初めから候補者になる事すらもできない。日本の大衆政治家とは大違い
である。

それに引き換え、我が国の総理大臣はと言えば、全くその気もなかった
人が、あっという間に“総理の椅子”に座っている。

言語も不明・意味も不明の記者会見で毎日お茶を濁し、悩みなど全く無
さそうな「お顔」を拝見していると、日本は平和なのだとつくづく思っ
てしまう。

本当の平和であるなら不足はないが、これでいいのかと不安が頭を掠め
る。日本に“明日は在るか”と、本気で心配している一市民。(仮名)


 
━━━━━━━━
馬政権は2期8年
━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成20年(2008年)  3月26日(水曜日) 
通巻第2132号   (25日発行)
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080325/22545
反日馬英九政権で日本は大丈夫か?
(とりあえずの宮崎正弘の台湾報告は上にあります ↑)
  △
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(読者の声1) 台湾ご取材行大儀に存じます。お疲れさまでした。

台湾総統選挙は、想定内とはいえ独立派の敗けでした。予想外だったの
は、独立派の敗けっぷりです。もう少し追い上げるかと思っていました。

「人間は自分の歴史を作るが、自由に作るのではなく、目の前にある与
へられた条件、過去とつながりのある条件のもとで作る。その条件は自
分では選べない」とカール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメ
ール十八日』で指摘しています。

ある識者は、小泉氏が総理の座を射止めたことを、フランス革命時のこ
の「ブリュメール18日」に比しています。ナポレオンはかつて自分たち
農民に利益をもたらしてくれた。

そこにルイ・ボナパルトというナポレオンの甥と称する男が現れた。彼
も叔父と同じように、再び自分たち農民に何か"おいしいもの"をもたら
してくれるのではないかという「伝説」が生まれた。その結果、選挙で
ルイ・ボナパルトに投票し、権力を与えてしまった。

日本人は「改革を止めるな」というシングルメッセージを発し続けた小
泉氏に何かを見てしまった、というのです。

今回の台湾総統選挙を振り返りますと、台湾の有権者は馬英九に「何か
を見てしまった」のでしょう。 

それはより強い願望形の「何かを見せて欲しい」だったのかも知れませ
ん。国民党の選挙戦術の巧みさより、過去8年間の民進党陳水扁政権の、
特に経済施策(の不作為)が台湾国民に齎した失望の当然の帰結のよう
に思えます。

選挙の結果出る民意とは賢明な選択となることは稀です。

民主政治とは衆愚、愚かと言おうと思えば言えますが、独裁や暴政より
はマシというのが民意の最大公約数ですから、仕方のないものなのでしょ
う。

新総統はすぐに外交上の舵を大きく切ることはないでしょう。内政、特
に経済的な政策を施さないと民心が安定しません。台湾の行く末は不安
ですが、わが日本丸が沈んでしまってはたいへんです。
大丈夫なんでしょか・・・。こちらのほうが心配です。(有楽生)


(宮崎正弘のコメント)馬圧勝という、予想しなかった結果ですが、日本
の保守の「本省人」vs「外省人」の捉え方、「統一」vs「独立」の
二分思考では捉えられない社会の動きが顕現したのです。

征服・統治側の末裔が、被征服、被抑圧側の共感を得て、大勝するという
ことは、民主主義の成熟 (或る人は、これを『爛熟、腐食の始まり』と
比喩しましたが)ですか。

ともかく台湾社会の激甚な様変わりと世代間の認識の激変ぶりを物語り、
それが情報操作だとか、国民党の買収によるものと、短絡的に裁断して
しまうは一種危険な解釈となりです。

馬英九は、決定的失策がないかぎり、2期8年やりそうです。

今度の台湾選挙、ひとことで言えば、藍と緑それぞれが 40vs40とい
う互角の鉄票に、20%の浮動票という基本構造のうちの、浮動票の90%
を馬が奪ったわけで、その勝因を社会学的心理学的に分析してみる必要
を感じました。

たぶん、次号の週刊朝日で。お楽しみに。

なお拙論の台湾報告ですが、月末発行の『エルネオス』、4月1日発行
の『正論』に書きました。

いずれも台湾から携帯パソコンで原稿を送りました。上のオーマイニュー
スも、昨日(24日午前)台北から送稿したものです。


  ♪
(読者の声2)貴誌平成19年(2007年)9月3日(月曜日)に以下の読
者の記事がありました。

(引用開始)

「中野校友会の方から、吉原先生がご講演した時のVTR「真木和泉守
を語る」を頂戴し、手許にございます。また平成14年8月には、吉原
先生の論集『維新史談(全370頁)』が非売品として刊行されています。

同著には『神皇正統記』についての論文は掲載されておりませんが、第
一章「明治維新史譚」には、中野学校でご講義なされたであろうと思わ
れる「国体学」に係わるところが数多く見受けられます。

中野学校教育と関連して、大川周明博士の「大川塾」(満鉄・東亜経済
調査局附属研究所)や安岡正篤氏の「日本農士学校」、これらの教育機
関のカリキュラム内容をはじめ、その精神哲学を調査・研究し実践する
ことが、現下我が国教育改革の端緒となるのではないでしょうか?(T
H生、埼玉県)」(引用止め)。

小生は大学時代に神奈川県厚木市に住んでおりました。吉原政巳にはそ
の時に接し、車イスの障害者となる前の1年間は日本史の講義を受け、
その後は手紙にて親しくご指導いただきました。

お嬢様が監修された『維新史談(全370頁)』は持っておりますが、VT
R「真木和泉守を語る」については知りませんでした。

真木和泉について先生は維新史の中で非常に重要な人物として考えられ
ておられました。このこと今後研究したいと思っております。
 
(TH生、埼玉県)への連絡がおつきになるのであれば、宜しければ小
生の方までご連絡していただけるようにご連絡してもらえないでしょう
か。 非常に失礼ですが宜しくお願い致します。(馬場能久、福岡)



━━━━━━━━━━
「革命ごっこ」の記録
━━━━━━━━━━


           石岡 荘十

日米安保条約は、いまや日本の安全保障にとって皮膚のような存在とな
ったが、条約の改訂(’60)と延長(’70)をめぐって、国中が轟々と
揺れ動いた時代があった。

その時代、学生でありながら条約の延長に鋭く牙を剥いた若者たちの生
き様の記録ともいえる映画「実録・連合赤軍」(監督・若松孝二)を観
た。
あれから間もなく40年だから、「連合赤軍」とは何か、いささか説明が
必要だろう。

その母体は赤軍派である。当時京都大学生で共産主義者同盟(ブント)
のメンバーだった塩見孝也が、「こんな生ぬるい運動では70年安保は乗
り越えられない」という危機感から、関西地方の学生を糾合して結成し
た超過激派集団で、塩見本人が議長におさまった。

警視庁で公安・警備事件担当の記者だった当時のメモをひっくり返して
みると、赤軍派が公然と名乗って姿を現したのは1969年9月4日の東京
・葛飾公会堂での結成大会だった。

300人ほどが女物のナイロンストッキングを頭からかぶって、「われわれ
はーぁ---」と“新左翼用語”をわめきまくる変な集団だった。

その年、治安当局は日米安保条約の自動延長を翌年に控え、正月早々東
大安田講堂の”城攻め“を敢行、これで学生運動は急速に沈静化するだ
ろう、と肩の力を抜きつつあった。

そのころ、塩見赤軍派議長は、山梨県の大菩薩峠で“軍事訓練”をする
が早朝、山梨県警・警視庁の機動隊に寝込みを襲われ、53人が逮捕
(‘69.11.5)されて失敗。

併行して、航空機をハイジャックしてキューバか北朝鮮で本格的な軍事
訓練を受け、日本に帰って革命を実現しようと計画する。ところが、塩
見は計画実行直前に治安当局に察知され、東京・駒込のアジトを出たと
ころで逮捕される。その日は一人息子の満1歳の誕生日だった。

が、残る“同志”9人が2週間後(‘71.3.31)、日航機「よど号」をハイ
ジャック、北鮮に飛びこむ。逮捕された塩見元議長の手帳に「HJ」の
文字があったが、これがハイジャックを意味すると分かったのは、事件
後のことだった。それから37年、4人が北鮮で生存している。

塩見がシャバに出てきたのは20年後(‘89.12.27)だった。

その間、「革命は銃口から生まれる」という過激理論のもと、京浜工業
地帯の労働者や学生で結成した京浜安保共闘(革命左派)は、米大使館
や米軍基地を火炎瓶で攻撃したり、各地での銀行強盗や拳銃を狙って交
番を襲ったりするが拳銃強奪は失敗。

が、71年2月、栃木県真岡市の銃砲店を襲って、遂に、銃と銃弾を獲得す
る。この武装左派集団と赤軍派が地下でひそかに接触、ドッキングする。
これが「連合赤軍」だ。それで、その後、彼らはどうなったのか。

これまでにも、「光の雨」(’01)、「にっぽん零年」(‘02)、「突
入せよ!『浅間山荘事件』」(‘02)などで映画化されているほか、関
連の出版物も少なくないが、今回の「実録・連合赤軍事件」は、当時の
実写フィルムと、無名の役者を使ったどぎついドラマ仕立ての演出画像
を巧みに組み合わせて、彼らの行動・心理に入り込んで、ドキュメンタ
リータッチで描いている。

若松監督は私と同世代(72)のちょっと太りぎみの男で、若い時代、い
わば赤軍派を頂点(?)とする極左学生運動のシンパだった。

映画の公開に先立って2月、都内のライブハウスで、あるフォーラム開か
れた。塩見元議長や若松監督も交え、若き日の専門用語「路線」と「運
動」の「総括」について深夜にわたって“極左専門用語”で延々と議論
を交わした。

しかし、言語明瞭、意味不明。これでは今の若い人たちに理解されるわ
けもなく、老人の懐旧マスタベーション大会で終わった。

いわゆる羽田闘争(‘67)から、浅間山荘事件(‘72)まで、公安事件
のほとんどを現場で目撃し、取材し、中継リポートし、ニュース原稿を
書きまくった。その経験からいうと、どう理屈をつけようと、彼らの理
想・行動は所詮、屁理屈で、現実離れした「革命ごっこ」に過ぎなかっ
た、と私は総括している。

法治国家という建前でいえば、彼らは破壊活動・殺人・強盗・監禁---破
防法、刑法上の犯罪集団に過ぎなかった。その動機・思想・目的が”世
直し“だったからといって、正当化されると考えるのは甘ったれでしか
ない。

彼らが自分勝手な高邁な(?)理論を展開して群馬山中アジとで殺した
12の人柱は、世直しのなんの足しにもならなかった。彼らはいわば赤軍
派の”鬼っ子“だった。彼らが「銃を持って立ち向かった」と豪語する
警察機動隊は、権力の心臓部からは程遠い、じつは手足に過ぎなかった。

大菩薩峠事件に引き続き警察部隊を率い、浅間山荘で被弾、警視庁公安
部の内田尚孝警部(死後2階級特進で警視正)ら警察官2人が殉職してい
るが、その後、時代は何事もなかったように進行している。

しかし、映画は、あの時代に何が起きていたのか再確認する手がかりと
して、同時に、若さとは何か、今の若者との対比を考える上での記録と
して、一見に値する。

浅間山荘事件へ至る”連続殺人”の主犯である永田洋子(63)は、死刑
判決が確定し、脳腫瘍を患いながら獄中にある。山中のアジトを2人で抜
け出して、東京都内で永田と肉体関係を結んでいたと言われる元塩見の
部下・森恒夫は逮捕された(’72)翌年の元日、東京拘置所内で首吊り
自殺している。
 
懲役労働で、20年間、国家に扶養されて生き、出獄した後、いまだ革命
家を自称している塩身元議長(66)は、「獄中ボケが治っていない」と
一部の元同士から批判される中、雑誌、新聞の原稿料、講演料、本の印
税などで生活の糧を得ていたが、最近は時給1000円で西武線沿線の大型
スーパーで駐車場の管理の仕事をしている。(20080325)

なお、映画は「テアトル東京」(新宿)で上映中。全席指定席です。



━━━━━━━━━━
ベートーヴェンの命日
━━━━━━━━━━


         渡部亮次郎

3月26日は楽聖忌として知られるが、これはベートーヴェンの命日だから
である。40過ぎの頃、ボンの生家を訪ねたことがあるが、休日で入館で
きなかった。以下「ウィキペディア」で「勉強」する。

《楽聖》は他にもバッハやモーツァルト、ショパン、エルマン(ヴァイ
オリニスト)などにも冠される称号であるが、単に《楽聖》とだけ言っ
た場合はベートーヴェンを指すことが殆どである。日本では《楽聖》と
いえばベートーヴェンが定着している。

ところが、容姿は小太りで身長も低く、黒い顔は天然痘の痕で酷く荒れ
ていたという。表情は有名な肖像画の数々や、デスマスクや生前ライフ
マスクを作っていたこともあり判明している。生涯独身。

若い頃は結構着るものに気を遣っていたが、歳を取ってからは一向に構
わなくなり、「汚れ熊」が彼のあだ名となった。そうした風体のため、
弟子のチェルニーは少年時代に初めて会った時、ロビ
ンソン・クルーソーを思わせる、という感想を抱いた。

浮浪者と間違われて逮捕される事も何度も有った。ただ身なりには無頓
着だったが手だけは念入りに洗うのが常であった。

性格は、ゲーテに「その才能には驚くほかないが、残念なことに傍若無
人な人柄だ」と評されるように、傲慢不遜であったとされる。頑固さは
作品にも反映されている。ゲーテには絶交された。

このように非常に厳しかった反面、実は冗談・語呂合わせを好んだ。諧
謔性が発揮された作品も幾つも残っている。また自分も必ずしも楽譜通
りに演奏しないのに、楽譜通りに弾かない演奏家には激しい非難を浴び
せたという。

日本では、クラシック界の作曲家は「バッハ」、「モーツァルト」のよ
うに原語の発音で表記されることも多いが、ベートーヴェンの場合だけ
なぜか英語読みが一般的になっている。

ドイツ語では“Beethoven”は「ベートホーフェン」、一般的には「ベー
トーフェン」と読まれる。だから日本でも明治時代の書物の中には「ベー
トホーフェン(ビートホーフェン)」と記したものが若干ある。

しかしなぜか程なく「ベートーヴェン」が浸透した(唯一の例外は、NHK
および教科書における表記の「ベートーベン」である)。

中国では外来語のvをfまたはwの異音と見なすので、「貝多芬
(Beiduofen)」となる。

ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van
Beethoven、は1770年12月16日ごろ寒村ボンで生まれ1827年に死去した。
60歳に満たなかった。

父ヨハン、母マリアの次男。ヨハンは宮廷歌手であったが、アルコール
依存のために喉を患っており、収入はほとんどなかった。

だから一家ケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であった祖父の支援に
より生計を立てていた。この祖父が亡くなると一層生活が苦しくなった。

幼い頃から、ベートーヴェンは父から強制的に音楽の教育を受けた。父
の目的は、才能を利用し収入を得ることだった。1778年にはケルンでの
演奏会に出演し、1782年よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ
に師事した。

10代には、父に代わって家計を支えていた。母マリアは父とは対照的に
ベートーヴェンを大切に育てた。ベートーヴェンの才能が認められ、収
入を得た際には涙を流して喜んだという。

1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンでかねてから憧れを抱いてい
たモーツァルトに出会い弟子入りを申し入る。しかし申し入れた矢先に
母が死去し、父と幼い2人の弟の世話のためモーツァルトに師事すること
を断念した。

1792年からウィーンに移住して活動を開始するものの、そのころ既にモー
ツァルトは死去しておりハイドンに師事した。ウィーンでのベートーヴェ
ンはピアノの即興演奏の名手として名声を高めた。このころに父は死去
する。

20歳代後半ごろからベートーヴェンは持病の「難聴」が徐々に悪化、後
年には中途失聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死に等しい絶
望感から1802年には自殺も考えた。

しかし「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる文書を書くことによ
って、強い精神力をもって自らの苦悩と向き合い、再び生きる意思を得
て新しい芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを手始めに、その後10年間にわたって
中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(作
家ロマン・ロランによる命名)と呼ばれる時期となる。

晩年は、慢性的な腹痛や下痢など体調の悪化に加え、甥カールをめぐる
養育権争いやカールの自殺未遂事件が起こり、苦悩の日々を送っている。

しかし交響曲9番やミサ・ソレムニスといった大作を発表した前後からの
晩年の作品群はベートーヴェンが到達した境地の高さを示すものとなっ
ている。

こうして名実ともに一流の作曲家となったベートーヴェンであったが、
長期間の飲酒癖(とくに質の悪いワインを好んだ)により肝硬変から黄
疸と肝不全を患って、もはや治癒の見込みはなくなっていた。

1826年、ベートヴェンの病は命を脅かすほどまでに進行し、シューベル
トなどが見舞いに訪れるなどしていたが、1827年3月26日、ついに波乱に
満ちた56年の生涯を終えた。

ベートーヴェンが亡くなったとき、ウィーンには嵐が吹き荒れていた。
臨終の床のベートーヴェンは、稲妻が閃きすさまじい雷鳴がとどろいた
瞬間に起き上がり、自分の拳を睨みつけ、目に見えぬ何者かと戦うよう
なしぐさをしたかと思うと、そのまま息を引き取ったと伝えられる。

医学的に見て、肝不全の患者は光に脳過敏状態となり、大げさに反応す
るとされ、ベートーヴェンの場合もそれにあてはまる。その葬儀は3万人
もの人々が駆けつけるという異例のものであった。

ベートーヴェンの後の音楽家への影響は甚だ大きい。彼以降の音楽家は
大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・
私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。

ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係を拒否し、大衆に向け
た作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言
した彼の態度表明は、音楽の歴史において重要な分岐点となる。

中でもワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲第9番などの作品に触発さ
れた。その後ワーグナーはロマン派の急先鋒として、音響効果の増大に
成功し、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン
和音の代表される和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派に加
わらず、あくまでもベートーヴェンと同じ音楽形式を用いて作曲をし、
ロマン派の時代の中で古典派的な作風を保った。

彼を評価する際に、聾者となりながらも音楽家として最高の成果をあげ
た不屈の精神からロマン・ロランをはじめ彼を英雄視する人々が多く生
まれた。

この考え方により、聴衆や評論家が、ベートーヴェンの恋愛状態・経済
状態、シンドラーによる逸話を、鑑賞の際に重視してしまい、客観的な
音楽事象より先に立たせ、ベートーヴェンを理解しようとした事は否め
ない。

ベートーヴェンは、とかく、神童・天才と呼ばれたモーツァルトと比較
されるが、モーツァルトが生まれながらの音楽の天才であったのに対し、
ベートーヴェンは寧ろ努力肌であり、曲の中に表れるその人間性に惹か
れる人が多い。

日本ではモーツアルトよりファンが多いといわれている。私はその日の
気分によって好みが違い、ベートーヴェンを聴くと沈む。2008・03・25

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



━━━━━━━━
ジャズって良いな
━━━━━━━━


         前田 正晶

自慢じゃないがが1940年代からジャズを聴いている。いわば、ファンで
あるが、よくある話で良い音楽ならば何でも、という姿勢をとってクラ
シカルもハワイアンも聴いたが、国産の流行歌だけは願い下げの態度を
維持していた。

数えたことはないがアナログだったら2,000枚近く持っているし、CD時代
になってからは200枚も買っただろうか。1990年代には好きな音源を選ん
でソファーに寝ながら聴いていると不思議に色々なアイディアが浮かん
できたものだった。

1995年頃からワープロで原稿を書くようになり、目が疲れてくるのを防
止するために極力60分に近い演奏時間のものを選んで、それが終わった
ら休憩するようにしていた。この頃はジャズに限定していた。リズム感
がキーを叩くのに適したBGMになると信じていたから。

そのためには余り深刻なジャズよりも、粟村政昭氏が言う偉大なる通俗
小説作家のようなオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)のピアノ
が最適だった。

ジャズという音楽は不思議なもので、店頭で試聴して良いと思って買っ
た物でも、いざ自宅で聴いてみるとそれほど良くないと感じることが多
い。

しかも良いか悪いかの感覚が日によって変わるのだから始末に困る。だ
が、街を歩いていて何処からともなく聞こえてくる有線放送のジャズな
どは、仮令自分が持っているアルバムであっても、つい聞き惚れる程良
いのである。

先週も鹿児島の土産物屋さんで流れていた有線放送が、先ずトランペッ
トのリー・モーガン(Lee Morgan)、次が何とビリー・ホリデー
(Billie Holiday)の名唱”Lover man”であった。何とも言えない素晴
らしさだった。矢張りジャズは良いなと心の底から感じてその店に感謝
したが、何も買わずに集合時間が迫ったバスに向かった。

これほどのジャズ愛好家でありながら、2006年1月の入院の際にお見舞い
で頂いたモーツアルトにすっかり心惹かれて、今や原稿打ち(物理的に
は書くのではなく打っている)のバックには完全にモーツアルトが主体
となっている有様である。

だが、先週は2003年からPCに転向する切掛けとなった紙パルプ業界の海
外ニュースの翻訳の仕事が急に忙しくなり、多少眼精疲労気味となって
きた。そこで、久し振りにカウチ・ジャズ(?)を決め込んで休憩して
気分転換を図った。

嘗ての?愛聴盤の一つだったトミー・フラナガン(Tommy Flanagan)の”
Plays the Music of Harold Arlen”を引っ張り出して聴いてみた。しか
し何故か眠気を催してきた。

そこで、入院中にも聴いていたオイゲン・キケロ(Eugen Cicero)の”
Classics in Rhythm”に替えてみた。何故か、クラシカルの名曲をジャ
ズ風に編曲したこのアルバムの方が快適なのである。何処かで一度この
アルバムを街中で通りすがりで聴いたみたいと思いながら聴いていた。

因みに、今週の海外ニュースは個人感情としては好ましくないのだが、
今年のアメリカの紙パルプ業界の十大ニュースのトップになるかも知れ
ないような話題だった。



━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━


 ◎ 北京五輪聖火採火式:抗議活動で、演説が中断

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d14936.html

【大紀元日本3月25日】ギリシャの古代オリンピア遺跡で五輪の聖火採火
式が行われた3月24日、、多くの人権活動家らが抗議、中国共産党(中共)
政府の人権状況を厳しく非難し、国際社会に北京五輪の開催見直しを求
める中、北京五輪組織委員会の劉淇会長の演説が中断され、騒然となる
一幕があった。

報道によると、この日は、気象予報では大雨が懸念されていたことから、
採火式は30分ほど早めに行われた。オリンピア遺跡周辺には、警備員ら
約千人が配備され、チベット武装鎮圧に対する抗議デモを警戒していた。

ところが、北京五輪組織委員会の劉淇会長の演説の際、「国境なき記者
団」のロベール・メナール事務局長を含むメンバー3人が、手錠の五輪
が描かれている黒い幕をかざし、「自由」「自由」などと叫びながら、
演壇の後ろから乱入した。

中国国内のテレビ中継では、会場が騒然となった模様は放送されず、音
声をカットして遺跡や来賓などの映像に替えた。

「国境なき記者団」は、中共政府の日増しに悪化する人権状況に抗議し、
各国政府首脳などに今年8月8日の北京五輪開幕式に出席しないよう要請
している。

「国境なき記者団」は、「中国は、五輪開催に向けて人権状況を改善す
るとした約束を果たしておらず、それどころか、チベットの武力鎮圧や
情報封鎖を行っている。また、人権活動家・胡佳氏は、公正な裁判も経
ず、5年の禁固刑が科せられようとしている」と指摘する。

式典後も、オリンピアの路上で、チベット武力鎮圧に抗議する人々など
がリレーを阻止したり、建物の窓から、チベットの自由を求める横断幕
などが掲げられた。

この後、五輪聖火は、2万2千人ほどが引き継ぎ、5月にエベレスト登頂を
始め、6月19日、20日には、チベット自治区を通過する予定になっている。
 

 ◎中国:昨年の肺結核による死者14万人

【大紀元日本3月24日】中国医師協会秘書長・楊鏡氏の報告によれば、中
国では毎年150万人が新たに結核患者となっており、そのうち65万人は伝
染性を持っているという。昨年だけで肺結核による死者数は14万人であっ
た。

3月24日は世界結核デー。中新社によれば、中国医師協会、中国健康保証
協会が、慈銘健康診断管理グループ100万人の受診者資料をもとに行った
研究により、ここ5年来肺結核発見率が毎年平均4%増加していることと、
昨年の発見率が10000万分の3であったことを発表したという。

慈銘総裁であり、医学博士でもある韓小紅が提供した調査データから、
同グループが昨年発見した300人の肺結核患者中、25歳から35歳が54%を
占め、36歳から45歳が37%、残りが年配者であったということが明らか
になった。1日の仕事が10時間を超し、長期に亘り疲労状態が続くホワイ
トカラー層の数が特に目立つようだ。

このほか、毎月の出張が10日を超え、2回以上という流動人口も肺結核が
高確率で発生している。

韓氏は咳、痰もしくは血の混じった痰、発熱あるいは胸痛などの症状が
出たらすぐに疾病予防センターの各検査を受けることを提案している。
特に肺結核患者、HIV感染者との接触が密接な者、糖尿病、珪肺症や長期
間副腎皮質ホルモンを免疫抑制剤として使用している者、長期間粉じん
に接触している作業者が定期的に胸部レントゲン検査を受けることを建
議している。

結核病は結核菌が引き起こす慢性伝染病で、一度は影をひそめたものの、
90年代以来世界中で再発生している。結核の蔓延を抑えることができて
いる国を含めた多くの国で様々なレベルの発生状況がみられるようだ。

中国は世界22ヶ国の結核病患者数が多い国の一つでインドに続き第2位。
 

 ◎最長商店街に巨大塗りばし   福井・小浜から大阪へ 

日本一長いとされる大阪市北区の天神橋筋商店街に25日、長さ2・6メート
ルの巨大な塗りばしが登場した。

NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台となった塗りばしの産
地、福井県小浜市と落語定席・天満天神繁昌亭がある天神橋筋商店街と
の交流を深めるイベントの一環。

小浜市の塗りばし製造会社が約1カ月かけて6膳のはしを製作。1膳ず
つ、ちりとてちんに登場する落語家の師匠と弟子5人のイメージに合わ
せたという。

商店街に近い学問の神様・菅原道真をまつる大阪天満宮に奉納するため、
「合格」にかけた「5角」のはしも作った。

http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008032501000263.html
 
2008/03/25 11:15  【共同通信】 
 

 ◎軍事スパイと認定 中国系米国人に禁固24年5月

勤務先の米軍需企業から得た海軍関連の技術情報を中国に渡したとして、
軍事技術の輸出規制を定める連邦法違反などの罪に問われた中国系米国
人、チ・マク被告(67)に、カリフォルニア州サンタアナの連邦地裁は
24日、禁固24年5カ月(求刑同30年5カ月)を言い渡した。判決はマク
被告が長期にわたり中国政府に情報を渡していたと認定。被告側は控訴
する方針だ。 

公判資料などによると、マク被告は米海軍の仕事を請け負う同州の企業
に技術者として勤務。05年10月、同社から持ち出した軍事情報をCDに
コピーし、マク被告から受け取った弟夫婦が中国に渡航しようとしてロ
サンゼルス空港で逮捕された。

CDには米海軍の核推進システムに関するデータが記録され、マク被告
の自宅からは次世代駆逐艦開発や潜水艦の静音化技術に関する資料が見
つかった。 

検察側は、マク被告が逮捕後の取り調べで「83年以降、中国政府に情報
を渡し続けていた」と供述したと主張した。

弁護側は取り調べの録画がないことを理由に供述の信用性を争い、「技
術に関心があった一介の技術者にすぎない」とスパイ説を否定したが、
判決は検察側の主張を支持した。 アサヒ・コム 2008年03月25日11時00



  ◎福岡県公立小中高教員 心の病で休職85人  3年前の2倍

福岡県教委は24日、政令市を除く県内の公立小中学校、高校、特別支援
学校の教員のうち、精神性疾患を理由とした病気休職者は85人(昨年5
月1日現在)で、3年前の約2倍に上ることを明らかにした。

同県田川郡内の町立中学校で、生徒が授業妨害などを続け、校長と教頭
が体調を崩して2月から休職や自宅療養しているが、学校現場で教員の
ストレスが高まっている傾向がうかがえる。

県教委によると、昨年5月現在の病気休職者は116人(前年比12人増)で、
精神性疾患はそのうち85人(同26人増)。2004年の精神性疾患による休
職者は44人だった。

24日の県議会予算特別委員会でこの問題が取り上げられ、県教委側は
「生徒との問題、保護者の対応なども含め複雑な問題があると思う。家
庭の問題など、公私の複合した要因もあるのでは」と答えた。

県教委は03年度から、10年程度の中堅教員を対象にストレスレベルの自
己診断などメンタルケアの研修会を実施。本年度からは管理職に対象を
広げて行っている。=2008/03/25付 西日本新聞朝刊=


 ◎退職校長に「卒業式」 吉野中学の全校生が手作り企画    
  
徳島県阿波市の吉野中学校の生徒たちが24日、3月末で定年退職する堀
北茂生校長(60)の“卒業式”を体育館で開いた。

成長を温かく見守ってくれた恩師に、手作りの卒業証書や記念品をプレ
ゼント。何も知らされていなかった堀北校長は、生徒主催のサプライズ
卒業式に大粒の涙を流した。

堀北校長は5年前に赴任。毎朝、グラウンドを整備した後、校門で生徒
たちに「おはよう」と声を掛け続けた。地元のお年寄りを招いたコンサ
ートを開く吹奏楽部に、ポケットマネーで衣装を贈ったこともある。礼
儀に厳しい指導者で、生徒との触れ合いを大切にする熱血漢として人気
があったという。

生徒たちは体育館であった離任式の後、紅白幕や赤いじゅうたん、大き
な看板を準備。体育館のベランダから校長室に向かって「校長先生」と
叫んで堀北校長を吹奏楽部の演奏と拍手で迎えた。

体育館には生徒に招かれた堀北校長の家族や卒業生の姿も。生徒代表が
「校長先生に見守ってもらえて幸せでした」と書いた卒業証書や全生徒
214人がメッセージを添えた笑顔の写真、「WE●吉中」とプリントした
Tシャツを贈った。 (注)●=ハートマーク

心の込もった式に堀北校長は何度もハンカチで涙をぬぐい「本当にあり
がとう」と“答辞”。生徒と校歌を合唱し紙吹雪が舞う中、体育館を後
にした。生徒会長の2年西岡伸悟君(14)は「教師生活一番の思い出に
してもらえれば、僕たちも最高です」と喜んだ。

式は生徒会に「校長の退職を祝おう」との声が多数寄せられ、生徒会や
ボランティアスタッフらが昨年末から準備を進めた。徳島新聞
2008/03/25 10:37 

 

━━━━━━━
反     響
━━━━━━━


 1)私もトミー・フラナガンは大好きです。

やっぱり名盤の「Overseas」でしょうか?ここでドラムを叩いているの
がエルビン・ジョーンズ、今から20数年前に神保町のジャズ喫茶「響」
で会いました。

私が折角英語で質問しても、答えるのは奥さんの鈴木ケイコさんでした。
葉巻のような指が印象的だったなぁ。父ちゃんはドラムを叩くだけで、
後は全て奥さんがやっておりました。「響」での出会いが2人の結婚に
繋がったようです。

トミー・フラナガンもエルビン・ジョーンズも既に鬼籍に入っております。

Overseas↓試聴できます
http://www.amazon.co.jp/Overseas-Tommy-Flanagan-Trio/dp/B0000296N8

(唸声)


 2)産経抄に「福田総理のみがチベット問題に音無である」と書かれ
ていた。ある意味で当然だろう。

だが、私が再三言ってきたことだが欧米人の世界では「自分の意見を公
表できない、または、しない人は居ないと同じ」なのである。

この考え方を当て嵌めれば、我が国では空席なのは日銀総裁だけではな
く、総理大臣だったことになる。

そう考えれば、昨今の自民党と政府の混乱というか無為無策は総理不在
が原因だったとなる。民主党だけの責任ではないことになる。悲しいか
な、そう考えると納得できる事態が続いている。

これでも麻生を退けて福田を推した人々は満足なのだろうか?

(前田正晶) 



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


旅行中の体調管理の杜撰さが、未だに血糖値に残っている。旅に出ても
散歩を欠かさないというのには無理があり、食事時間を動かさないとい
うのは他人が一緒だと無理である。

この状態だとヘモグロビンA1Cは上昇している事だろう。しかし、これが
人生というものだ。生きる事は死に近付いて行くことだからだ。

年々歳々花相似たり、暖かさに東京湾岸のソメイヨシノは爛漫たり。多
分来春もこうだろうが、私がそこに必ずいられるという保証は無い。せ
めて今日はベートーヴェンを聴いて精一杯生きよう。

ご投稿、ご感想、ご意見を待っています。読者:3316
…………………………………………………………………………………
◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら→
http://melma.com/contents/taikai/

--------------------- Original Message Ends --------------------
-- 
渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2004-01-18  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。