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頂門の一針 812号  07・05・25

発行日:5/25

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            渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第812号
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           平成19(2007)年05月25日(金)


                                  患者自己注射物語:渡部亮次郎

                                 戊辰戦争と岩手県人:古澤 襄

                                ハノイ喜怒哀楽(44):渡邉由喜

                                 キルギスの米軍基地:宮崎正弘

                        話 の 福 袋
                        反     響
                        身 辺 雑 記

□■■□  ─────────────────────────── □■■□ 
第812号


                発行周期 不定期(原則日曜日発行)
                  御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp

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       http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
    バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/



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患者自己注射物語
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           渡部亮次郎

日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと
決断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発
見から既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣
が60年も拒否するという残虐行為をしてきたのである。

園田自身も実は重篤な糖尿病患者であった。しかしインスリンの注射の
痛さから逃れていたために大臣在任中、合併症としての腎臓病に罹り、1
週間ほど緊急入院したくらい。大変な痛がり屋。引きかえに命を落とし
た。

政治家にとって入院は命取り。大臣秘書官として事実を伏せるために余
計な苦労をしたものである。にも拘らず園田はそれから僅か3年後、人工
透析を途中で拒否したため、腎不全のため70歳で死亡した。昭和59(1984)
年4月2日のことだった。

その直後、私が糖尿病を発症した。全く予期せざる事態に仰天した。糖
尿病は現時点の医学では絶対治らない病気、いうなれば不治の病という
から業病(ごうびょう)ではないか。私も70歳の死を考えた。

検査などの結果、私の母方の家系に糖尿病のDNA(かかりやすい遺伝子)
が有り、弟は発症しないできたが、上2人の男兄弟は暴飲暴食による肥満
が契機となって発症したものと分かった。

しかし、あれから23年、私は毎朝と夕方の2回、ペン型をしたインスリン
注射を繰り返すことによって血糖値を維持し、今のところ合併症状も全
く無い。普通の生活をしていて主治医からも「文句の付けようがありま
せん」と褒められている。お陰で園田の年を超えた。

これの大きな理由は注射針が極細(0・23mm)になって殆ど痛みを感じなく
なったからである。あの時、園田が自己注射を決断したお陰で医療器具
メーカーが、患者のためと自社の利益をもちろん考え、針を細くし、簡
単に注射できるよう研鑽を積んでくれたからである。

逆に言えば、厚生省が自己注射を許可しないものだから、医療器具メー
カーは、それまで全く研鑽を積まないできてしまったのである。自己注
射で注射器や針がどんどん売れるとなって初めて研鑽を積む価値がある
というものだ。

つまり役人や医者の頭が「安全」だけに固まっている限り医療器具は1歩
たりとも前進しないわけだ。患者たちを60年も苦しめてきた厚生省と日
本医師会の罪こそは万死に値するといっても過言ではない。

そこで常日頃、昭和56年までの糖尿病患者たちの苦しみを追ってきたが、
最近、やっとそれらしい記事をインターネット上で発見した。

「インスリン自己注射への長い道のり」(2001/05/28 月曜日)と題する
もので、とある。
http://www.geocities.jp/y_not_dm/insurin2.html

東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのイ
ンタビュー記事「インスリン自己注射の保険適用から15周年を迎えて…」
より抜粋と要約

<インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供
給のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日
本では60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありま
せんでした。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医
師会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなく
とも飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入
し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運
動を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省か
らは、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という
回答が繰り返されました。(佐藤内閣で厚生大臣は内田常雄に続いて齋藤
昇)。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手
で知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年、各種の努力によりインスリンの自己注射が公認され、その5年
後には血糖値の自己測定が公認されました。保険適用。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだ
ということが公認された、医療史上最初の出来事です。

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦
肉の策。患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、
残りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受け
ることで、電話再診料として保険請求した。

新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、
という言い逃れ。来院時に400単位を1度に注射したことにして、1〜2
週間は効いている形にした>。

患者にとって1日も欠かさず医院や病院に朝夕通うとは如何なることか厚
生省と医師会は考えて事がなかったのか。

1986年、研究のスタートから10年目、血糖自己測定が健保適用に  
(2003年9月)
 
血糖自己測定を導入した糖尿病の自己管理がスタートした頃(1976年〜)、
今では誰もがあたりまえと思っているインスリン自己注射は、医師法に
違反するという非合法のもとで行なわれていた。

日本医事新報(1971年)の読者質問欄ではインスリン自己注射の正当性
について、当時の厚生省担当官は「自己注射は全く不可であり、代わり
に経口血糖降下剤の使用があるではないか」と回答している。

(渡部註:血糖降下剤とインスリンは全く別物である。阿呆!)

これが1970年代の実態だったのである。このような状況に対して、当時
の「日本糖尿病協会」は、インスリン発見50年を迎えて、なおインスリ
ン自己注射が認められない現状を打破すべく10万人の署名を集めた。そ
して厚生大臣をはじめ関係各方面に、インスリン自己注射の公認と健保
給付を陳情したが全く受け入れられなかった。 

正当化されたインスリンの自己注射(1981年)

このような状況だったため、インスリンの自己注射容認と、インスリン
自己注射に関わる諸費用の健保適用までには、なお多くの人の尽力と歳
月を要した。

結果が出たのは1981年(昭和56年)。この年ようやくインスリン自己注
射の正当性の認知とこれの健保適用が得られた。その内容は当時行なわ
れていた慢性疾患指導料200点に、もう200点加算するというものであっ
た。これはその後の医療のあり方に大きな影響をもたらし、血糖自己測
定も含め、患者を中心にした医療の実践の必要性と有用性の実証へと繋
げられていった。 


<血糖自己測定の健保適用(1986年)(園田死して2年後) 

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\血糖自己測定25年.htm

インスリン自己注射の健保適用から5年後、私たちが血糖自己測定研究
をスタートさせてから10年目、大方の予想を上回る速さで血糖自己測定
の健保適用がなされた。これはインスリン自己注射指導料に加算する形
で設定された。 

以後、何度かの改定を経て、保険点数には血糖自己測定に必要な簡易血
糖測定機器、試験紙(センサー)、穿刺用器具、穿刺針、消毒用アルコー
ル綿など必要な機器や備品の全ても含まれるようになっている>。 

1人の政治家の柔軟な頭脳による1秒の決断が日本の歴史を変えたといっ
てもいい決断だった。この事実を厚生省は大げさに発表しなかったが、
元秘書官として責任をもって報告する。(文中敬称略)2007・05・24



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戊辰戦争と岩手県人
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          古澤 襄

『東北を理解するには、戊辰(ぼしん)戦争まで遡らないとわからない』
と言ったのは、共同通信社仙台支社長になった高木早苗氏の言葉である。

<戊辰戦争 1868(慶応4・明治1、戊辰の年)から翌年まで行われた新政
府軍と旧幕府側との戦い>「広辞苑」。東北では秋田藩が遅れて新政府
軍となって東北各藩と対立した。

青森県出身の高木氏は、東北人であるが故に戊辰戦争を他人よりもよく
知っていたが、仙台支社長になって改めてこの凄絶な戦いの歴史が、現
在も生きていることを思い知ったという。

江戸城を明け渡し、朝廷に恭順の意を表した徳川慶喜だったが、東北・
北越の各藩はこれに納得せず、奥羽越列藩同盟を結んで新政府軍と干戈
を交えた。

藩士上下をあげて城とともに滅びた会津白虎隊の悲劇は、歴史に悲しい
物語として残るが、北越の河井継之助の壮烈な戦い、薩摩の官軍と戦っ
て負けなかった庄内藩など東北・北越の兵は辛抱強く、戦いに強かった。

岩手の盛岡藩が、この戦争に参加したのは、奥羽越列藩同盟の敗色が濃
厚となった末期のことで、官軍に寝返った秋田藩を討つために明治元年
8月9日に秋田藩領に進入、大館を落とし、県北の中央鷹巣まで攻め込
んだ。

しかし増強された官軍と近代兵器の前に血涙を飲んで9月24日降伏する。
盛岡藩が何故、不利を承知の戦争に参加し、戊辰戦争の最後の抵抗者に
なったのかという点については諸説がある。

藩の筆頭家老だった楢山佐渡が京都にあって、薩・長の専横を恐れた岩
倉具視の策謀に乗り、藩論を参戦に持っていった説、

東北になだれ込んだ官軍、とくに薩軍から残虐な乱暴、狼藉を受けた会
津の農民・婦女子が船で逃れ、下北半島(南部領)に漂着し、南部藩によ
って救助されているが、これが藩論を決めたという説、

盛岡藩の戦意を支えていたのは薩・長政権に代わる新政権を自らの手で
樹立し、新しい統一国家を目指したのだとする説など様々である。

楢山佐渡は敗戦の責任を一身に負って『反逆首謀』の名のもとに切腹し
て果てるが、大正6年盛岡市内の報恩寺で挙行された『戊辰戦争殉難者
50年祭』で、時の政友会総裁の原敬が出席して、『戊辰戦争は政見の異
同のみ』と祭文を読んだのは有名である。

明治維新以降の岩手県には、貧困と蔑視に耐えた忍従の歴史がある。そ
の多くは軍人となり、皇室に忠誠を誓って、朝敵の汚名を漱ぎ、さらに
は貧困と蔑視の桎梏から逃れる数少ない道を選んでいる。

岩手県の東条英機陸軍大将と米内光政海軍大将が、昭和天皇の信頼が特
に厚かったことは周知の事実である。「日米戦争は東条の下で開戦、米
内の力で終戦に持ち込めた」とさえ言われている。2人の軍人としての
生き方、性格は対照的である。

幕末の慶応元年、盛岡藩士の子弟を教育する藩校明義堂が、作人館と改
められた。修文所と昭武所のふたつの学館からなる文武一致の人材教育
が主眼で、水戸の藩学・弘道館をモデルにした。

明治13年に、南部藩校・作人館の伝統を引き継いで旧制盛岡中学が創立
される。創立当時は、岩手県下には、盛中のほかに、一関、遠野、福岡
の3校があったが、盛中は別格で3校に先駆けて、全県下のえり抜きの
エリートを集めて選抜した。しかも各学年の生徒数は、僅か2クラス100
人という狭き門だった。 

盛中の前身である南部藩校・作人館からは、東洋史の第一人者那珂通世
氏、日本陸軍切っての英才といわれた東条英教氏、そして平民宰相とし
て首相の座にのぼり南部人の喝采を浴びた原敬氏が輩出している。

盛中になってからは、野村胡堂、石川啄木、宮沢賢治、金田一京助氏と
いう文人が育ち、軍人では陸軍の板垣征四郎氏(陸軍大臣)、海軍の米
内氏(総理大臣)を双璧にして、山屋他人氏(海軍大将)、栃内曾次郎
氏(海軍大将)、及川古志郎氏(海軍大将)、原敢二郎氏(海軍中将)
が生まれた。

海軍大将は薩摩が17人で断然トップだが、岩手は斎藤実氏(総理大臣)
を含めて5人、薩摩海軍に次ぐ南部海軍とまで言われた。総理大臣も長
州の8人に次いで岩手は原敬氏、斎藤実氏、米内光政氏、東条英機氏、
鈴木善幸氏と5人出している。

人材輩出の理由は、盛中が単なるエリート校でなく、程度の差はあるが
『白河以北は一山百文の夷狄のなるぞ、攘夷の試練の場に至る。今ぞ、
宸襟を安んじ奉る秋なり』と官軍から蔑視された郷土の名誉回復に燃え
た気風が全校に漲っていたからである。太田秀穂氏(岩手放送社長)、古
津四郎氏(元同盟通信記者)の強烈とも言うべき郷土愛は、ここから生ま
れたといえる。

古津氏は、満州事変のときには現地特派員として満州に渡るが、そこで
盛中の先輩になる関東軍高級参謀板垣征四郎氏、山形県人の作戦主任参
謀石原莞爾氏と出合う。

板垣氏は、南部藩筆頭教授佐々木(板垣)直作氏の孫で、盛中から仙台
陸軍幼年学校に入り、近衛、平沼内閣の陸軍大臣となり、敗戦によって
A級戦犯として処刑された。

古津氏は『同郷の将星たち』という9回続きの連載で、板垣、東条、米
内3氏を偲ぶ作品を発表したが、『歴史は過去の出来事の綴り方だが、
時の愛憎、興亡、権威の盛衰によって歴史観が違う。いつ、どこで過去
の毀誉褒貶を逆転させるような新発見が掘り出されないとも限らない』
と述べている。

だから古津氏が盛岡に来ると日蓮宗・法華寺に詣で、板垣家の墓にお線
香とお花を捧げている。そのあと曹洞宗・久昌寺に寄り、東条家の墓に
詣で、さらに米内光政氏の墓所も訪れていた。

占領政策の一環として、国際法上疑義がある『東京裁判』が開かれたが、
一面では戦前には知らされなかった歴史的証言を引き出したが、勝者が
敗者を一方的に裁く強引なやり方は、広田弘毅氏の死刑判決を持ち出す
までもなく公正な裁判史上の汚点を残したと思う。やはり日本人が自ら
戦争責任を裁く必要があった。

『戊辰戦争は政見の異同のみ』と原敬氏が言い放ったのは、盛岡藩が敗
戦してから50年たっている。岩手県人が自信をとり戻すのに半世紀の月
日が必要だったといえる。

敗戦後、60年以上の歳月が過ぎ去ったが、日本人は真に自信をとり戻し
たのであろうか。予想もしなかった経済復興で、経済大国の夢をむさぼ
り、安逸な現状を是とする気分が、国民全体を覆っていた気がする。自
ら戦争責任を裁かなかった代償は大きい。



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代理謝罪ってあるんだ
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          ハノイ喜怒哀楽(44)

     
             渡邉 由喜

先日書いたハノイ喜怒哀楽について、頂門の一針の主宰者渡部亮次郎氏
より、ベトナムの習慣に代理謝罪という概念があるのではないかとの質
問を頂いた。

キリスト教や武士道だけで世の中が回っているのではないことはここに
住んでいると納得せざるを得ない。しかし数十年前、典型的な九州長男
の家に嫁いだ母が何年も苦労した話を思い出すと、不思議なことに根の
部分では日本にも似ていると感じることも多い。

腸が煮えくり返るほど腹の立つことが起きても、当事者は絶対に謝らず、
周りがまぁまぁと此方を諌めにかかる。年配者に「この場は私に免じて
…」などと言われようものなら、それ以上諍いを続けることは出来ない。
ぐっと我慢するしかない。こう書くと特に珍しい場面ではない。

ベトナム人の友人に実際に聞いてみた。代理謝罪について、および謝罪
ということについて。彼女は代理謝罪はあると言った。

ベトナムでは仮に悪いと思っていても本人が膝をあわせ謝ることはまず
ない。謝るということは恥をかくということなのだそうだ。

だから周りがそれを斟酌して代わりに謝る。特に当人よりも年齢の多い
もの、家族の中で立場の上のものが当人に代わって謝り、相手もそれを
受け入れるのが一般的なのだそうだ。

今回の件は私が外国人でそれを受け入れなかったから大きな問題になっ
たということ。普段はあの人馬鹿だから無視しちゃいましょうで済ませ
るらしい。

確かに謝るということは非常に微妙な問題を孕んでいる。誰が謝ったの
謝らないの大騒ぎしている隣国を考えると、それでなくても謝るのが苦
手なこの国の人々が簡単に謝るわけはない。

謝るということは認めるということで、認めたら次の段階が待っている。
次の段階では損得が絡む。恥を忍んで自らの非を認めて損をするのは割
に合わない。だから謝るわけにはいかない。確かに分りやすい理屈であ
る。

そうした場合、例えば今回の件では私の名誉はどうなるのかとその友人
に聞いてみると、そんなもの皆わかっているから大丈夫と簡潔明瞭な答
えを頂いた。その妻が言っていることが間違いだと周りの人間がわかっ
た時点で全てOKなのだそうだ。

思わず語尾を思いっきり揚げて日本語で「はい〜?」と聞いてしまった
私。日本語がわからなくてもそのニュアンスは彼女に伝わり、彼女はす
まなそうに笑う。

周りがどんな風に思おうが、当人同士がきちんと納得しなければと頑な
に言い続ける私がこの国でうまくいくわけないという一番わかりやすい
例である。

また、謝れないと同様、ここの人たちはまず自分の意見を曲げない。ど
んなに理屈に合わず、途中で間違いに気が付いても、一度言い出したこ
とは絶対に変えない。これもまた、途中で自分の意見を変えるのは恥じ
と思っているかららしい。だから議論は延々と続く。

こうなると「『あの人馬鹿ね』で済む」と相反するようだが、実のとこ
ろは、途中で結論は出てしまい、段々と本流の意見の人だけが話のメイ
ンとなっていくだけのことで、謝らない人や意見を変えない人は、なん
となく無視されていく。

少なくとも面前で恥をかかされなかったのだから段々本人のボルテージ
も下がっていくらしい。そして自然消滅的に議論から姿を消す。

となると反対に周囲に思いっきり恥をかかされた私が依然として怒って
いても、それはそれで可笑しいことではないらしいから、やっぱり私は
怒っているのだが、それにしても、もう疲れた。

1+1=2ではないこの地に私がいるのは、きっと神から与えられた試
練なのかもしれない。子育てや家事で思いっきり楽をしていて得したと
思って喜んでいたが、何のことはない、ナントカ改造という一番厄介な
試練を与えられているのである。



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キルギスの米軍基地
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 5月25日(金曜日)   
通巻第1807号  
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 キルギスの米軍基地撤去キャンペーンが激化。「イラン空爆に使用さ
せるな」
   代替の空軍基地借用にインドが急浮上している
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2001年9月11日。米国を襲った同時多発テロ。

直後から米軍はアフガニスタンのタリバン秘密基地を空爆した。

そのおりにアフガニスタンに隣接するウズベキスタンとキルギスの空港
を米軍の空軍が使用する契約をした。

名目は「イスラム過激派のテロリズムに対抗するため」。

2年前に、ウズベキスタンから米軍は撤退した。

空軍基地使用期限が切れ、カリモフ大統領が、米国からの人権批判に立
腹し、突如、反米路線に転じたからである。

残るはキルギスのみ。

キルギスの首都ビシュケクに近いマナス空軍基地には米軍2000人が
駐屯している。

そこから30キロのカント空軍基地にはロシア空軍が駐屯している。キ
ルギス東部と陸地で国境の繋がる中国からは、多くの“ビジネスマン”
と“エンジニア”がキルギスに入りこんでいる。

キルギスは「上海協力機構」のメンバーだからである。

キルギスは、この間に、アカーエフ大統領が無血革命によって国外(ロ
シア)に追われ、かわってバキーエフ大統領が登場した。

彼は当初、親米派と見られていた。

バキーエフ政権は経済的困窮を脱するために、まず駐屯米軍のレンタル
料金の値上げを要求した。

地周辺の雇用と波及効果により、多少の経済的恩恵も米軍によってもた
らされたが、過去2年ほど、野党が「環境問題」を表看板に「米軍撤退」
キャンペーンを始めた。

にわかに反米感情が横溢したのは、2006年。米軍兵士が輸送中にキ
ルギス市民をひき殺す事故がおきたためだ。

いで、この2ヶ月ほどの反米運動の高まりは、「イラン空爆が予定され
ており、そのとき、米軍は攻撃機をキルギスから発進させるだろう」と
いう多くのマスコミ報道である。これはまったくの噂に過ぎない。

5月21日、バキーエフ大統領は「特別諮問委員会」を設置し、米軍駐
留とキルギスの国益に関しての調査をするように命じた。


 ▼インド空軍基地が代替となりうるのか?

同日にアルマンベト・マツブライモフ首相は、キルギス国会に対し、
「合法的に米軍が撤退する法的根拠の研究」を命令する。「イラン攻撃
が開始される前に」との条件を付けたという(アキプレス、21日)。

サツタノフ国会議長は、反米派を代表する政治家。「ロシアの駐在は条
約上、合法的であるが、米軍の駐在に法的根拠はない」と強硬姿勢を崩
さず、駐キルギス米国大使のマリエ・ヨバノヴィッチは翌日に「米空軍
の駐屯は、あくまでもイスラム原理主義過激派テロリスト対策であり、
イラン攻撃など噂に過ぎない」と否定した。

米軍擁護派とみられてきた外相のエドナン・カラバエフも「米軍の任務
は終わった」と姿勢を大きく後退させて、背後にあるロシアの猛烈なキャ
ンペーンに覆われてしまった。

代替地として急浮上したのがインドである。

インドにはタジキスタン国境に、嘗てのアフガニスタン戦争のおりにミ
グ武装ヘリコプター基地として使用され、その後、閉鎖されている空軍
基地がある。

もっともインドは親米でもなく、中国とも関係を強化しつつあり、しか
も過去の冷戦時代の経緯もあってインド空軍の7割の装備がロシア製だ。

ロシア式訓練を受けたインド空軍、その戦闘機の部品をロシアに握られ
ている関係から、すぐに米軍の空軍基地貸与には結び付かないだろう。

かくて中央アジア、きょうも有為転変の最中。



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話 の 福 袋
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 ◎ 英BA、客室乗務員のカレーが電子レンジで爆発

[ロンドン 22日 ロイター] 英航空大手ブリティッシュ・エアウェ
イズ(BA)<BAY>は、客室乗務員が自分用の食事を電子レンジで加熱す
ることを禁止した。

4月30日のヒースロー発マイアミ行きのBA便で、客室乗務員がスー
パーで買ったカレーを高度3万5000フィート上空で電子レンジを使っ
て温めたところ、レンジ内部で爆発を起こしたことが背景。

機体には約4万ドル(約490万円)の損害を与える結果になったとい
う。

BAのスポークスマンは「予防措置として特殊な消火器が電子レンジ内
で使われ、火はわずか数秒で消えました。しかし、乗客や機体に危険が
及ぶことはなかった」と話した。5月23日13時35分配信 ロイター


 ◎ 中国株、ある時点で劇的に下落する可能性=前FRB議長

グリーンスパン前米連邦準備理事会(FRB)議長は23日、中国株式
市場について「劇的な収縮」が懸念されるが、世界経済は資産価格低下
の痛手を受けずにすむ可能性がある、との見解を示した。

電話会議形式で当地の会合で講演した前議長は、昨今の中国株ブームは
「明らかに持続不可能」と指摘。「ある時点で劇的な収縮(dramatic
contraction)があるだろう」と述べた。

前議長はまた、調整は中国の個人の富に問題を引き起こす可能性がある
との見方を示した。一部のアナリストは、損失を被った投資家救済と社
会不安を回避するため、中国政府は準備金を利用する可能性を指摘して
いる。

前議長は安価な中国の輸出品は、東欧の労働力、低インフレ・低金利の
波及効果と並んで、世界的な成長に拍車をかける要素の一つだと指摘。

「この5年間、世界は全体として、歴史上のどの時代よりも速く成長し
ている。持続は不可能であり、持続はしないだろう。なぜならば一度限
りの調整だからだ」と述べた。

前議長は米国の経常赤字に言及し、「そのものについては特に心配して
いない。基本的には市場の力だと思う」とし、むしろ財政赤字の方を懸
念していると述べた。[マドリード 23日 ロイター] 
(07/05/24 09:50)


 ◎ 東京・銀座に4000本のヒマワリ畑

東京・銀座にヒマワリ畑が現れた。数寄屋橋交差点に面した銀座ソニー
ビルの1階イベント広場に、千葉県館山市から運ばれた2品種、
約4000本のヒマワリがぎっしり並んだ。

ヒマワリの展示は3年前に続き2回目。31日まで、午前11時から午
後9時まで展示される。 Asahi Com 2007年05月23日15時36分


 ◎ 日本は9193円、米国は3万9240円――時間の価値、“格差”は4倍

日本は9193円、中国は9735円、米国は3万9240円、ドイツは4万2869円―
―。東京、ニューヨーク、ベルリン、北京のビジネスパーソンが答えた
「1時間の価値」である。

カシオ計算機では5月23日、各都市100人、計400人の男女を対象にインター
ネット上で調査した「時間の感覚」を発表した。

 各国の差が大きかったのが、冒頭で挙げた「1時間の価値」だ。日本では
9193円、中国では1673元(1元15円として9735円)とアジア勢が1万円を
切ったのに対して、米国では327ドル(1ドル120円として3万9240円)、
ドイツでは263ユーロ(1ユーロ163円として4万2869円)と欧米勢は4万円
前後になった。為替や購買力平価などを勘案する必要があったとしても、
日本円に変換して4倍近い“格差”だ。

一方、1日24時間に足したい時間は、日本が2位以下を大きく引き離して
平均8時間32分と最も多かった。2位と3位は僅差で、中国の6時間54分に
続いて米国が6時間32分となった。最も少なかったのはドイツの5時間27
分。

時間の価値を最も低く見積もった日本のビジネスパーソンが最も時間が
足りないと考えており、時間に対して最も高い価値を付けたドイツのビ
ジネスパーソンの足りない時間が最少だったのは、面白い結果だろう。

ちなみに、増やした時間を使いたい時間帯は、21時〜6時といった夜から
早朝にかけての時間帯が日本では6割を超えた。9時から18時のオンタイ
ムを増やしたいと回答した人は4カ国で最も少ない8.5%だった。

「同じオフタイムでも朝と夜早めの時間帯選択している米国や中国に比
べ、夜から深夜にかけての時間帯に集中する日本のビジネスパーソンは
普段寝不足気味なのだろうか」(カシオ計算機)

時間に正確といわれる日本人だが、時計が正確でないと気がすまない人
の割合は、日本と中国がそれぞれ43%と“最低”。ドイツが64%、米国
が69%と続いた。「少しくらい正確でなくても許せる」と回答した許容
値で最も多かったのは各国とも「2分」で、米国が38%、中国が36%、ド
イツが35%、日本が29%と3割前後に落ち着いた。

最も差が少なかったのは、恋人との待ち合わせの時間。遅刻しない人は
中国で95%、日本で88%、米国で85%、ドイツで84%と軒並み高率にな
った。

一方、友人との待ち合わせの時間となると、遅刻しない人の割合は半減。
中国が55%、ドイツが54%、米国が43%、日本が40%となった。

さて、あなたの「時間の価値」はおいくらだろうか?
5月24日9時30分配信 ITmedia Biz.ID


 ◎ 北京の豚肉価格、1年で2倍に上昇

【大紀元日本5月24日】中国大陸においては、株式市場の暴騰に伴って民
生物資もまた高騰している。北京の豚肉価格は1年で2倍となり、上海株
式市場の上げ幅に迫っており、民衆には耐え難い状況となっている。

「北京日報」の報道によると、北京市の豚肉・鶏卵の価格が最近急騰し
ており、昨年ならば同じ価格で500グラムの肉が買えたが、現在ではその
半分しか買えないため、市民らの不満を募らせている。北京麗沢橋の住
民は「豚肉の価格上昇は明らかに異常で、2、3日に1回値上がりしている。
豚肉は一体どうなってしまったのか」と不安を隠せない。

新発地市場の商店主によると、豚肉価格は1カ月前、1キロあたり12・4
元前後であったが、現在は16・6元に達しており、3割超の上げ幅となっ
ている。この価格は、前年同期の価格8・1元と比べると、2倍余りの上昇
となっている。

専門家の見解によると、飼料価格の上昇などの要因が市場価格を引き上
げているという。一般的に、豚肉価格には周期があり、旧正月期間の値
上がりが最も顕著で、価格はピーク期に入り、その後順当な価格に戻る
が、今年は予想外で、旧正月を過ぎても豚肉価格が急騰している。

業者によると、豚肉のほか北京の鶏卵価格も5年来の最高値となっており、
民衆には耐え難い水準となっている。鶏卵価格の上昇は、毎年5月に雌鶏
の多くが淘汰されるが、今年はその後継となる鶏が不足し、これが産卵
量の減少をもたらしたことに加え、飼料価格上昇の影響による養殖コス
トが上昇したためであり、今後暫くの間、鶏卵価格は過去最高水準を維
持することが予想されるという。 (07/05/24 08:24)


 ◎ 中国、65歳以上の人口が1億400万人に 

【北京23日新華網=衛敏麗】 2006年末時点で、中国の65歳以
上の人口が1億419万人に達した。総人口に占める比率は7.9%と
なり、05年より0.2ポイント上昇した。中国民政部が23日に発表
した「2006年民政事業発展統計報告」で明らかになった。

人口の高齢化の加速に対応するため、06年、全国老齢弁公室は関係機
関と協調し、「中国老齢事業の発展第11次5ヶ年規画(2006〜2
010年)」を作成、公布した。

中国は高齢者の基本的生活を保障するための効果的な対策を講じている
ほか、農村の高齢化問題に取り組み、高齢者へのサービス施設の建設を
推進している。06年末時点で高齢者法律援助センターは1万9000
ヶ所、高齢者の権利保護組織は7万4000団体、各種高齢者活動ルー
ムの数は31万7000室ある。高齢者学校は3万7176校で、38
3万4000人の高齢者が学んでいる。(2007/05/24 14:55:46)



━━━━━━━
反     響
━━━━━━━

なし


━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━


記憶違いは無いと思うが、鶏肉1Kgを作るのに餌は2Kg要る。豚肉はその
2倍、さらにその2倍を要するのが牛肉である。中国の富裕層が安価な
鶏肉よりも美味な豚、牛の肉を欲すれば餌の価格はたちどころに上がる。

それが資本主義というものだが、人民が資本主義を知っているとは限ら
ない。日本だって嘗て石油ショックの時、誰かがどこかにトイレット・
ペーパーを隠したから品薄になったとパニックになった。中国で物価騒
乱の起きるのは間近い。

愚兄は癌ではなかった。開腹手術で採り出した検体の病理検査の結果が24
日に出て、大腸癌ではなかったと分った。来週、退院予定。心配して下
さって、有難うございました。

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