メンタルヘルス

こうじ神父今週の説教

とあるカトリック教会の日曜礼拝で実際に話している「日曜説教」をお届けします。

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こうじ神父今週の説教No.924

2018/01/13

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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2018/1/14(No.924)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第2主日
(ヨハ1:35-42)
わたしたちはメシアに出会った
‥‥‥†‥‥‥‥

主の降誕と降誕節が終わり、年間の主日が少し進みます。2月半ばの肺の水曜日
を迎えるまで、イエスの語りかけに耳を傾け、また復活後の献堂百周年に向けて、
高い目標をもって過ごすことにしましょう。

わたしの洗礼名は聖トマ使徒です。祝日表で7月3日を見るとそう書いています。
ただ祝日表の後ろのほうにある教会住所録で田平教会を見ると、田平教会の主任
司祭としてトマス中田輝次と記載されています。

なぜ違うのかは、今日の説教からずいぶん離れるのですが、教区に履歴書を届け
る際、当時は新共同訳聖書が浸透し始めたころで、新共同訳に倣って洗礼名を
「トマス」と届けたのでした。教会の典礼で使用される呼び名で届けるべきだっ
たと、今となっては後悔しています。

さてこの洗礼名をいただいたのは、代父になってくれた喜蔵おじさんの洗礼名が
トマだったからです。50年前のことですから、はほぼすべての人が代父母の洗礼
名をもらっていたのです。小さいころから「抱き親」と言って親しくしていまし
て、正月とか大切な日には遊びに行っていました。

喜蔵おじさんはわが家と違って非常に信仰熱心でしたので、おじさんの家に長居
すれば、ロザリオと晩の祈りのおまけつきでした。それには閉口しましたが、よ
く鍛えてもらったものです。誰かの家に寄せてもらえば、その家のしきたりに従
うのが当然のことで、その家のしきたりから多くを学びます。もし自分に合わな
いしきたりであれば、早めにお暇することになります。

今週の福音朗読で、ヨハネの二人の弟子が、洗礼者ヨハネに促されるようにして
「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」(1・38)とイエスのもとを訪ねて
行きます。彼らはどこにイエスが泊っておられるかを見、そしてイエスのもとに
泊まりました(1・39参照)。

わたしが代父となってくれたおじさんの家にお世話になってそのしきたりを学ん
だように、ヨハネの二人の弟子は、イエスのもとに泊まったことで、多くを学ん
だに違いありません。ヨハネ福音記者が「見た」という言葉を使うとき、それは
ただ肉眼で見ただけではなく、「理解した」という意味でも使われています。

ですからヨハネの二人の弟子はどこにイエスが泊っておられるかを見たとあるの
は、イエスがどのように時間を用いているか、どのように食事を始めて、食事を
終えるのか、一日の終わりをどのように過ごして床に就くのか、事細かに見て理
解したのです。

「泊る」ということも同じように考えて間違いないでしょう。イエスの暮らしを
体験し、イエスの生き方に自分も共感し、こんな生き方をわたしたちもこれから
したい。そう思わせるだけの豊かな体験をしたのです。ただ単に泊っただけでは
なく、イエスと一緒に寝食を共にすることに決めたのです。

わたしたちも想像してみましょう。わたしたちはイエスと時代も場所もまったく
違いますから、ふつうに考えればイエスがどこに泊まっておられるかを見ること
もできないし、イエスのもとに泊まることも叶いません。しかしわたしは、イエ
スがどこに泊まっておられるかを見る方法を、イエスのもとに泊まる方法を示し
たいと思います。

こういうことです。ヨハネの二人の弟子はイエスが暮らしの中でごく自然に御父
に祈り、祝福をして食事をし、御父と共に眠りにつく様子を見たはずです。わた
したちが同じ生活を目指すなら、そこにはイエスがおられ、わたしたちはイエス
のもとに泊まる者ではないでしょうか。

時代と場所を超えて、わたしたちはイエスがどこに泊まっておられるかを理解し
ています。望めば、イエスのもとに泊まることもできます。わたしたちが暮らし
の中で、父なる神に祈り、父なる神と共に眠りにつくなら、そこはイエスが泊っ
ておられる場所なのです。

もう一つ加えましょう。イエスに従った二人の弟子は、シモンに出会って、「わ
たしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言いま
した(1・41)。それはイエスに出会った者、イエスのもとに泊まった者にしか
語れない言葉です。

ではわたしたちには語れない言葉でしょうか?わたしはそうは思いません。わた
したちもまた、「わたしたちはメシアに出会った」と、人々に語ることができま
す。もしわたしたちがイエスのもとに泊まる生活を価値あるものだと思うなら、
語る必要があるのではないでしょうか。

「わたしたちはメシアに出会った。」これは二千年前の、わたしたちには望むこ
とすらできない出来事なのではなく、今もわたしたちの暮らしの中で、望めば叶
えることができるし、告げ知らせることができるのです。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第3主日
(マコ1:14-30)
‥‥‥†‥‥‥‥

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼新成人が1月1日9時のミサで祝福を受けた。わたしより31歳若い。30歳も!
愕然とする。認めたくないものだから、いろいろ馬鹿なことを考える。たとえば
1月28日の地区対抗駅伝大会に出たいなぁとか、その2日後に司祭団マラソンに
出ようかなぁとか。
▼地区対抗駅伝はまじめに走ろうと思うが(真面目に走ってもビリに違いない)、
司祭団マラソンには「田平教会献堂百周年」という文字をラミネートしてウエア
に留めて走ろうと思っている。ポスターとか、そういう正当な方法もあるだろう
が、わたしは馬鹿だから、自分の売り込みと、教会の行事の売り込みを同時にや
ろうという魂胆だ。
▼寒いからなのか、猛烈なペースで教会信徒が亡くなり、葬儀を引き受けている。
日曜日やお休みを入れる月曜日に葬儀をすると、曜日も分からなくなり、一週間
ペースが崩れたまま過ごすことになる。曜日が分からない一週間は、体に良くな
いことが実感できた。
▼海上自衛隊では、曜日が分かるように決まった曜日、カレーが出るそうである。
何曜日なのかは知らないが、食事で曜日を確認している司祭をわたしは知ってい
る。食事で曜日をお知らせするのはけっこう使われているようだ。
▼こう葬儀が続くと、葬儀の説教はつらくなる。悲しい面持ちで葬儀をするのも
マンネリ化する。むしろ、思うところをそのまま話し、復活の門前に送り出した
と思って晴れやかな顔で送ることにしよう。
▼自画自賛だが、葬儀の説教がよかったといわれた。話した本人の「出来栄え」
としてはイマイチだったのに、その人たちには心を打つ話になったらしい。そう
だとすればそれはもうカミワザ、神がそのように感じさせたとしか言いようがな
い。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第531回目。長崎や五島では12cmとか16cmとか積もったのに、平戸はうっすら。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/180114.jpg

過去の掲載写真は、ブログをご覧ください。
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