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総合創作団体・雲上回廊が送るメール文芸マガジン。

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雲上マガジン 増刊号(2)

発行日:3/10

 ----■ □ 1000字企画「雲上の庭園」   第2回募集 投稿作品掲載 □ ■----

 23┠》 顧みるには近すぎて
 24┠》 日本オワタwww\(^o^)/
 25┠》 蜃気楼
 26┠》 禁則施術
 27┠》 黒猫
 28┠》 フィールドセオリー 1
 29┠》 フィールドセオリー 2
 30┠》 フィールドセオリー 3
 31┠》 しおり
 32┠》 フォビア
 33┠》 境界線上散歩
 34┠》 サンタクロースよりも偉大なモノ
 35┠》 AくんとKくんの比較
 36┠》 かわいいかわいいわたしのねこ
 37┠》 あなたの真実の物語
 38┠》 猫とマオ老人
 39┠》 I'm home
 40┠》 模型職人
 41┠》 嗤うな。
 42┠》 夜の秘密
 43┠》 1.大学時代に取り組んだことを記入してください。
 44┠》 旅の終わりに

     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  23┠》 顧みるには近すぎて

   同窓会は、花見に決まった。母校の桜はやや満開の頃を過ぎ、そ
  よぐ風にほどかれた花びらが舞っていた。懐かしい水銀灯の明かり
  の中に、僕の探す面影は、まだない。
   エル・ナナン??僕が恋した異国の少女。
  
  「私ね、ホントは宇宙人なの」
   未だ夢と現も曖昧な幼いある日、僕はエルに打ち明けられた。
   それはきっと、日本人離れした容姿への中傷を飲み込んだ、彼女
  なりの気概だったのだろう。けれど当時の僕はそんな秘密の共有に
  心躍らせ、そして恋に落ちた。一人、クラスに蔓延る宇宙人差別と
  闘って、いつか宇宙船に乗せてもらう約束までした。すっかり彼女
  を護る騎士のつもりだった。
  
  「よ、久しぶり! おまえエルと一緒に来るのかと思ったぜ。こう、
  宇宙船で??」
   僕が不穏な顔で振り向いたので、旧友はUFOの身振りのまま、
  与太話を中断した。
  
   十年前、エルは僕の前からいなくなった。少年はあまりに幼く、
  少女は驚くほど大人な、十二歳という特別な季節。おとぎの国から
  戻って来ようとしない幼馴染を、彼女はどんなに鬱陶しく思ったん
  だろう。
   僕の罪は、エルは自分の星に帰ったんだという妄想に逃げた事。
  いまだに彼女の顔を正しく思い出せないのは、その罰だ。尖った耳、
  純白の髪、金の瞳。気が付けば、空想世界の宇宙人エルが、浮かん
  でしまう。
  
  「んもう。エルちゃん遅いなあ……」
   エルとも仲が良かった幹事の娘が、空を見上げてつぶやいた、次
  の瞬間。
  
   僕らの頭上に金色の円盤が出現していた。
  
  「みんな久しぶりーっ! ゴメン! NASAの手続き手間取って、
  遅刻しちゃった」
   昔と変わらないベタな言い訳に皆が沸く中、光の束を伝って降り
  てきたエル・ナナンは、僕の所にやって来て微笑んだ。尖った耳、
  純白の髪、金の瞳。僕が恋したあの笑顔。
  「乗せてあげる約束、覚えてる?」
  
   まいったな、僕は一体、どこで思い違いをしたんだろう。夢から
  覚めようともがく長い悪夢から、たった今、僕は覚めた。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  24┠》 日本オワタwww\(^o^)/
      
         目玉焼き、コーヒー、レトルトの野菜スープ、厚切り食パンに苺
        ジャム。一人きりの気楽な朝食。さて、めざましテレビ観よっと。
         ドタバタと足音。花柄パジャマに寝癖頭の娘が、ムスッとした顔
        で駆け込んできた。問答無用で僕からリモコンを奪いとる。
         珍しいな。いつもならギリギリまで寝て朝食は抜くのに。真剣な
        顔でニュース番組を次々チェックしている。じゃあしかたない、新
        聞でも読もうっと。
         グシャリ。僕の手から新聞を奪いとり、娘はせわしなくページを
        めくった。
        「パパ、テロの記事は? 大阪の暴動は?」
         ヘー、大阪でテロがあったのかい?
        「違うよ、テロは千葉。パピコちゃんのママが警察官に殺されたっ
        て」
         ヘー、千葉か。パピコちゃんって?
        「マイミクの……もういい! パパに説明したって時間の無駄!」
         戸口にスーツ姿の妻が現れた。あれ、今日は早めに出社するん
        じゃなかったっけ?
         それがもうひどいのよ。妻は僕の手からコーヒーを奪いとった。
        山手線どころか地下鉄も全部止まってるんだって。
        「ママ! 聞いて! それどころじゃないの、大変なことになってる
        の! サーバが中国から攻撃受けて2ch大騒ぎだし、ニコ動に米軍の
        映像がアップされてるし」
         ナーンダ、またパソコンか。いいかい、ネットなんてデタラメば
        かりなんだぞ。
        「パパ、正気で言ってるの? いつの時代の人? ブログとかTwitter
        とか、日本中みんな家が燃えたり身近な人が殺されたり大騒ぎなの
        に、テレビもラジオもなにも報道してない! 暴動のこともテロの
        ことも、全然ニュース流れてない! これがどれだけ大変なことな
        のか、パパわかってるの?」
         妻は、ぼんやりした顔をしていた。たぶん、僕も似たような顔に
        なっているだろう。娘の頬を、大粒の涙がゆっくり流れ落ちていく。
         テレビのほうを向くと、軽部アナウンサーが満面の笑みをしてい
        た。突然ですが、きょうのわんこは総集編スペシャルです。四時間
        たっぷりお楽しみください。
         あなた、パン焼いて。妻が娘を抱き、背中を撫でていた。二人分
        よ。うん、二人分だね。コーヒーも、目玉焼きも、野菜スープも。
         今日は、みんなでめざましテレビ観ような。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  25┠》 蜃気楼

   海沿いの土地に着いて三日目に、蜃気楼を見た。
  「あんたは運がいいよ」宿のおかみは顔じゅうをほころばせて、し
  みじみと語る。「古くから、ここは海上の蜃気楼で知られているさ
  ね。でも、景色とちがって自然のものは、そこへゆけば必ず見られ
  るわけじゃない」
   確かに恵まれている。高鳴る胸の鼓動とともに、そう感じた。
   それは忽然とあらわれた。
   海原の上空にゆらゆらと大気のゆらぎが生じて、見るうちにほの
  かに黄色い光を放つ柱状のものがいくつか浮かびあがってくる。柱
  群はそれぞれの濃淡をかさねあわせ、陰影を深めてゆく。やがて、
  線がきわだち、輪郭が整い、ひとつのすがたをとった。
  
   夢のようにあらわれたのは巨大な宮城だった。まぼろしとは思え
  ぬほど細かくまでがあらわされている。中央に建てられた宮殿の黄
  色い瓦の一枚一枚までをも見てとれた。なおもおどろくべきことに、
  宮殿へと往き来する人や馬車のくっきりしたすがたやその細かな動
  きまでをもとらえられた。海上に映しだされたこの世ならぬ映像。
  ときの移ろうのも忘れて、まぼろしの都を前に立ち尽くす。
  
   不意にあたりに無数の影を見受ける。往きかう人の群れ。見まわ
  すとまぼろしの都城の雑踏のうちにいた。いつのまにと思うまもな
  く、あたりの光景に目を奪われる。露店や屋台の店先。物売りのか
  ける声。集う客のすがた。にぎわいのざわめき。なにをいっている
  ものやら聞きとれない。のぞきこむと、目にしたこともない珍しい
  品が並べられている。路上に茣蓙を敷いた物売り。だれかの歌声。
  さんざめき。驢馬に荷車を引かせた車夫。大道芸人の派手な技巧。
  それを取り巻く拍手と歓声。酒楼。店先に卓子を並べ、酒を酌み交
  わし、料理をつまみ、談笑するひとびと。楽人の奏でる調べ。耳に
  したこともない楽曲。果ても知れずに往来は続いている。
   目の前を歩いていた女の子がつまずいて転ぶ。駆け寄って手を差
  し伸べる。されど、彼女はなにも見えないようすで、みずから手を
  ついて起きあがり、膝頭の砂埃を払い、わが身をすり抜けてそのま
  ま駈け去ってゆく。ため息をつくと、あたりの映像は掻き消え、も
  とのなにもない海原を前に、ひとり、たたずんだままでいた。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  26┠》 禁則施術
      
         気がつくと『詩人』になっていた。高円寺のライブハウスで感染
        したに違いない。詩人は死に至る病だ。
        「オレ、詩人になっちゃったよ。どうしよう」
         リストカットで入院中の彼女に電話した。
        「カッコいいじゃん。一緒に死のうよ」
         だめだ。もっと社会に適応しているヤツに相談しよう。証券会社
        の友達に電話した。
        「オレに詩人をうつすな。連絡するな。ひとりで死ね」
         詩人に対する社会適応者の反応はキツイ。
         しかたがないので薬を買うことにした。
        「詩人を治す薬をください」
        「はいはい、鬱病ですか?」
         薬局のおやじは、愛想よく返事した。
        「違う。詩人の薬だよ」
        「かまってちゃん、じゃないんですか?」
         このオヤジ、オレをバカにしてるのか?
         オレはカウンターにあったボールペンに手を触れた。ポールペン
        は立ち上がると、カンツォーネを歌い出した。
        「わかったろ?」
         オレが言うと、オヤジは青い顔でうなずいた。
        「詩人を治す薬は、かなりきついですよ。中国の妥協というとこで
        できた妥協の産物です。今、お出ししますね」
         おやじは続けて言った。しかし、薬を出す気配がない。ヘンだな、
        と思ったオレが、思った時、後ろで声がした。
        「詩人だな」
         振り向くと、ふたりの警官が立っていた。拳銃をオレの額に押し
        つけてくる。薬局のおやじが通報したに違いない。
        「詩人は息してるだけで迷惑だ。見つけ次第、射殺していいんだよ」
        「詩人は病人なだけでしょ?」
         警官は、いまにも、オレの頭を撃ちそうだった。
        「オレが治してやる。お前の頭を撃てば、詩人の汚い血が噴き出し
        て治るのさ」
        「でも、それだと、死ぬんじゃあ?」
        「手術は成功しましたが、患者は死にました、ってやつだよ」
         カッコ悪いけど命乞いをしようかな、とオレが思った時、警官が
        引き金を引いた。額に穴が開いて、詩想がどばーっと噴き出した。
         薬屋のおやじが、あわてて詩想に妥協を振りまいた。噴き出した
        詩想は、たちまち、つまらないブログに変わった。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  27┠》 黒猫

   黒い服を着た男が笑っている夢を見たようだが、よく憶えていな
  い。何だか身体が軽いな、と思って目をこすると、手に肉球がつい
  ていたので度肝を抜かれた。慌てて自分の身体をよく見てみると、
  黒い艶のある毛が全身を覆っている。身体にくるまったパジャマか
  ら抜け出し、布団の上に座って、しばし考えた。なるほど、どうや
  ら僕は、黒い猫になったようだ。
   今日は土曜日だし、特に用事もないから、僕はちょっと散策に出
  かけることにした。多少苦労して窓を開け、隣りの家の屋根に飛び
  移る。この辺はやたら治安が良い所だから、部屋の窓が開けっ放し
  でも空き巣に入られることはないだろう。あちこち右往左往しなが
  らようやく地面に降り立つと、僕はきょろきょろと辺りを見回した。
  そして、突き上げるような開放感に身を任せて走り出した。
   猫の身体は、まるでそれが僕の本来の姿であるかのように馴染む。
  塀から塀を飛び移り、公園に集まる鳩の群れを追い立てて遊んだ。
  ショーウィンドウに映る自分の姿は、正真正銘の黒猫だった。僕は
  時を忘れて町中を駆け巡った。
   気がつくと日が暮れていた。僕は眠気と疲れを感じていたので、
  ごく自然に寝床を探し始めた。しばらく歩き回ると、古ぼけたお寺
  を見つけた。縁の下なら寒さをしのげそうだ。おそるおそる入って
  みると、けっこう暖かい。僕は丸くなって、すぐに眠りに落ちた。
  夢の中で、またあの黒い服の男が笑っていたような気がする。
  
   早朝、日の出とともに起床した住職は、歩いて十分の所にある彼
  の職場、すなわち寺へと向かった。急な坂道が老体に堪えるが、春
  先の心地よい微風に励まされ、住職は一歩また一歩と踏み出してい
  く。樹木生い茂る境内を通り抜け、ひと休みのあと掃き掃除を始め
  ようとしたとき、一匹の黒猫に目がとまった。寺の縁の下をしきり
  に覗き込んでいる。住職に気がついて走り去る黒猫を横目に、縁の
  下に視線を向けると、全裸の若い男が丸くなって熟睡していた。寝
  息がうるさい。一瞬の間のあと、孫に買ってもらった最新式の携帯
  電話を、住職はそっと取り出した。もちろん、写真を撮るためでは
  ない。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  28┠》 フィールドセオリー 1
      
         巨大な魚の化石のからだがあらゆる壁や残骸の、上を優雅に泳い
        でいる。
         旧市街。
         座標、88,66。
        
        
         俺は廃墟の屋敷の一角で、クローディアの到来を待ち続けている。
        両手に装着したカタールをカチャカチャとすり合わせ、時折ニヤリ
        と笑いながら。
         まとったボロのマントが風を孕んで、ふわりと舞った……。
        
        
         砕けたガラスの散乱する窓辺から、旧市街を俯瞰しているのは、
        ディアボロ。俺は細めた双眸で、そいつをぼんやりと睨んでいる。
        睨みながら、机の上の装置をてのひらに包んで、弄んでいる。ディ
        アボロが死んだ時この装置は、作動する。
         コトン。コトン。
         装置を机に戻してやると、軽やかな金属音が、よく響いた……。
        
        
         やがてクローディアが、舞い降りた。
         俺は再びニヤリと笑んだ。ディアボロは、ニヤリと口を、吊り上
        げた。マントをひるがえしてカタールを構える。
         窓辺の厚いカーテンが、揺れている……。
        
        
         クローディアの指先が、遮光のクロスをそっと放すと彼女の白い
        細腕は、昏い法衣の中へといざなわれていった。
        
        
         さあ、ゲームの始まりだ。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  29┠》 フィールドセオリー 2

  「確かに見たんだ。はじめのうちは“それ”がズレているのだと
  思った。だがそうじゃない。あれは???」
  
  
  “それ”に異変の兆候が表れてからもう数世紀経つ。
   おかげでどの京も無作為な情景にしか、育たなくなった。だから
  そんな京しか、誰も知らない。
  
  
  『主も、“それ”の真実を知りたくはないか? 腰の帯刀(たてわ
  き)、錆びてはいないのだろう?』
  “それ”を誅せんとする奇妙な剣奴たちと共に、私はもう何年も世
  界を渡り歩いていた。
   私は立派なナガレらしい。
  
  
   何時の頃からか、誰も口を開かなくなった。
   開く者は、“それ”の幻覚じみた姿を見たという剣奴の中の、そ
  れ一人。
  
  
  「確かに見たんだ。はじめのうちは“それ”がズレているのだと
  思った。だがそうじゃない。あれは???」
  
  
   時は、重機の刻に差し掛かっている。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  30┠》 フィールドセオリー 3
      
        「それでは次は……アヤコの番ね?」
        
         アコヤはまるで、テレビの司会者のように明るく振舞いながら、
        穏やかな表情をアヤコに向けた。小さく漏らしたアヤコの吐息はろ
        うそくの、炎を仄かに泳がせる。すると壁に伸びた人影も、一緒に
        なって、ゆらりと揺れた。
         二人は畳の上に寝そべっている。
        
        「いい? ほんとに怖いんだから」
        
         アコヤはアヤコの小声に体をふるわせて、着物を鳴らした。
         アヤコは長い黒髪の、細い束を抓むと口にくわえた。
        
        「知ってる? この傾斜の住宅街で、古い白骨死体が見つかったこ
        とがあるのを」
        
         アコヤは知っていると、うなずいた。
         だからアヤコは話を続けた。
        
        「白骨死体はメモの紙切れをもっていて、そこには、他のメモの紙
        切れの場所が書かれていた……」
        「他のメモの、紙切れの場所?」
        「そう。警察が調べてみると、ほんとに紙切れがたくさん見つかっ
        たの。そこには白骨死体の生前のことが、少しずつ書かれていて……」
        
         アヤコの話をまとめると、警察の見つけた紙切れは、謎の死体が
        生前に書いていたのだろう日頃の日記をバラバラにしたものだった
        らしい。
        
        「事件や死因に関することはぜんぜん書かれていなくて……だから
        ひっそり孤独死した人が、ちょっとした遊び心でやったことなん
        だって、誰しもが思った。でも……」
        
         ろうそくが、ふっと消えた。
         消したのは、アヤだった。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  31┠》 しおり

  「ねえ、それ何?」
   顔を上げると白い犬を連れた少女がいた。
   驚く。この寂れた公園で、真っ昼間に紺のエプロン姿で読書して
  いるような三十男に声を掛ける子どもがいることに。
   あらためて少女を見た。セミロングの黒髪に、切れ長だが愛らし
  い瞳。黒いセーターと赤いプリーツスカートに、濃紺タイツとブー
  ツを合わせていた。十歳そこそこだろう。
  「それは、僕に言ってるのかな?」
  「他に誰かいるの?」
   犬は少女の細い脚にすり寄っていた。
  「そうだね。これは本だよ。興味あるの?」
   諦めて頁の端を見た。P146。記憶した。僕の数少ない特技だ。
  「持ってみる?」
   四六判閉じて手渡す。彼女は頁をめくったり振ったりしていたが、
  「こんな字ばっかりなのはじめて見たわ」と言うと、僕に返す。
  「そう、実体がある。触れる」
   すると少女は僕の手を取って「こんな風に?」と自分の頬にあて
  た。ひやりとした感触が、やわらかな熱となって、心を叩いた。
  「そういうことをするもんじゃないよ」
   やんわりと小さな手を苦労して引き離す。
  「でも不便じゃないの? 重いし」
  「そんなことない。こんな風にも使えるし」
   僕は本を開いて顔面に置いた。少女が「変なの」と言うのと、犬
  が鳴くのは同時だった。
  「もういかなきゃ。えっと──」
   少女が名を問う。僕はそのままの姿勢で答えた。すると彼女は、
  三音を三文字の漢字で表す凝った名前を説明してくれた。
   そこが限界だったらしい。犬は一際大きく鳴くと走り出したよう
  だった。少女の声と足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
   僕は見送らなかった。
  
   右腿に振動を感じ目を覚ました。昼休み終了七分前をMINMES(高
  汎用携帯端末)が伝える。不覚にも寝落ちしたらしい。膝の上に落
  ちていた本を手に立ち上がる。
   握った瞬間に違和感。
   歩きつつ頁を繰ると小さな紙片があった。表は黒で裏は赤く左下
  に白い犬の絵。上には濃紺の帯がある。
   ふっとため息をついて、職場の自動ドアをくぐる。人気のない書
  集館(紙媒体資料専門の図書館)は、身に馴染んだ匂いがした。
   僕は146頁にその栞を挟んだ。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  32┠》 フォビア
      
         蜘蛛のように憂鬱な空から、かぼそい雨がするする降りてくる四
        月の午後、例によって小説を書きあぐねて窓外をぼんやり見上げる
        私の耳に、さきほどからえんえんと子供の泣き叫ぶ声が聞こえてい
        るのだった。私は団地住まいで、少なく見積もっても周辺二百戸を
        下らないおそらくは私に住まいと間取りを違えない部屋部屋の、ど
        こかに泣き叫ぶこともがいるらしい。らしい、というのは、私はで
        きるだけその声を意識から遠ざけたいと望み、気を紛らわせて聞こ
        えない振りをずっとし続けているからだ。何故ならその泣き叫ぶ声
        が、たとえば近頃テレビなどで喧しく伝えられる、例の児童虐待な
        どだったとしたら、私は何かせねばならぬと思い、けれどもこの私
        の住む団地の、数百に及ぶ部屋部屋を、その扉に面してつなぐコン
        クリートの廊下を、その声を辿りながらその源を探して彷徨うのか
        と思えば、気が遠くなるというものだし(というよりもむしろそん
        な行動は現実的にはまったく不可能だ)、また、そもそも親に叱ら
        れて泣き叫ぶ子供など、べつだん昔からさして珍しい存在でもない
        わけで、そのうちに疲れて泣きやむさ、とも思われる(それが当然
        のなりゆきというものだ)。だがしかし、しかし私の心臓は落ち着
        かなくなるのだった。ぞわぞわと、この身の上にゆっくりと、だが
        確実に這い上がってくる悪寒、この恐怖は何なのか。
         ……雨の雫が入ってくるのを避けるために私は窓を閉め、椅子に
        座り直しふたたびパソコンのモニターに向いあう。おそるおそる意
        識を澄ます、と、嘘のようにまっさらな静謐が戻って、もうどんな
        声も聞こえない。そう、と心弾み、そうさ考え過ぎなんだよ、出歯
        亀趣味のメディアが垂れ流すいいかげんな情報に踊らされて強迫妄
        想が膨らんでいるだけなんだ、と思って微笑みを浮かべ、……と、
        その微笑みがうっすらと映っているモニターの、開いたテキスト
        ディターの白い画面に「ちがうよ」と打ち込んだ憶えのない文字が
        浮かんでいるのだった。
         とつぜん雨の音が大きくなった。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  33┠》 境界線上散歩

   こうして、駅前の雑踏を泳いでいるとき、わたしはこちら側にい
  るのだろうか? それとも、向こう側? ヘッドホンからは、シャ
  ンパンゴールドの音が聞こえてる。宵の帳が降りはじめた街に、ネ
  オンサインの星が昼間の太陽のように光を放つ。その眩しさに目が
  眩むような感じがして、足元に顔を伏せる。くすんだアスファルト、
  黒いローファー。踏み出す一歩。とどまらない。徘徊する精神。画
  面の向こう側、どこにでもあるような夕闇の風景。逢魔が刻に潜ん
  でいた異形たちは、はるか遠いどこかへと消え去ってしまって、既
  に幾星霜。代わりに闊歩するのは、疲れたサラリーマン、意気揚々
  なOL、無目的な大学生、雑多な若者、そして、わたしのようにアイ
  コン化した女子高生。いくら個性だと叫んでみても、代わり映えの
  しない街角の中で、どこかで見たような制服姿の女の子の顔を覚え
  るような人なんていないだろう。少し、髪型を変えてみても、新し
  いメイクを試してみても、気が付いてくれるのは仲間内だけ。結局、
  個性なんてそれくらいのもの。
   こちら側と向こう側の境目を探して、止め処もなく歩き回る。だ
  んだんと、夜の冷たい空気が身の回りに立ち込め始め、わたしの身
  体を冷やしていく。そして、だんだんと醒めていく心。もう、帰ろ
  うか。そんなことを考える。でも、どこに? わたしの帰る場所は
  どこ? わからない。だから、帰る場所を探す。
   何気ない日常。
   でも、どこか違う、と感じていた。
   違和感。
   きっと、こことは違うどこかに。
   どうやって歩けば、境界線を越えられるのか? 永遠に遠ざかり
  続けるの、極限のライン。
   異邦人のわたしは、落ち着ける場所、暖かい毛布を求めて、硬い
  アスファルトとコンクリートの間を縫う。
   リノリウムを踏みしめて、階段を登る。
   きっと、高い場所になら、わたしの居場所があると思って。
   鉄柵のすきま。空間の狭間。ここが、きっとわたしの居場所。は
  るか下に聞こえる遠ざかった雑踏。そばから聞こえるスパンコール
  のような音。
   きらきらと、きらきらと。
   そして、わたしは眠りに落ちた。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  34┠》 サンタクロースよりも偉大なモノ
      
         子供達にプレゼントする虚構は、サンタクロースよりも神様の方
        が適している。
         母親とキスするのを目撃することはないし、一旦信じたら止めら
        れるものでもない。神様は誰も壊せず、誰も覆せない存在だ。信じ
        てしまったが最後、真実は麻薬を手放すのと同じくらい猛毒に犯さ
        れる。
        「私達は神様によって作られ、神様によって作られたこの地に住ま
        わせてもらっているのです。だから私達は神様に感謝の印として寄
        付をしなければなりません」
         戦で親を失った子供達に我が宗教の教えを説いた。子供達は算数
        や国語よりも興味があるのか。私の話を熱心に聞いてくれている。
        「しかし、世の中には悪い人がいるのです」それは私だよと言わず
        に、他の神様を信じる宗教や、宗教という存在を嫌っている無神論
        者どものことを語る。子供達はそいつらを怪獣よりも悪いのだと勝
        手に信じ込んでくれる。
         無償の愛とは何て素晴らしいのだろう。適当に育てるだけでこん
        なにも富が落ちてくる。親のいない彼らは、親代わりである私の言
        うことを何でも聞いてくれる。
         疑われることのない暗殺者にもなるし、コアな変態の遊具にもな
        る。彼らほど金になる木はこの世に存在しない。
        「神父様。先日、ニーナは無事に悪魔を退けて殉職しました」
         私の部屋に少年がそんな報告をしに来た。殉職したのに何が無事
        なのか。もしかして、無事に自爆テロが遂行されたことを言ってい
        るのだろうか。子供達の信仰心には呆れる。
        「私のためなら、爆弾、愛玩道具、泥棒、何にでもなる」
         子供達のおかげで得た財宝を机の上にばらまき、一つ一つ、手に
        取って鑑賞していた。
        「この十字架のネックレスなど最高だな。純金ではないか。売った
        らいくらくらいするのだろうか」
         興奮のあまり、私はそれにキスをしてしまった。拳銃を持った少
        年が近くにいることを知らずに。
        「神父様、他宗教への愛には罰が必要となります」
         私の胸は咎人の罪を与えられた。死して旅立つ前に、私は思考す
        る。そうか、彼らは私を愛したのではなく、私が口にした神様を愛
        したのだと、ここにやってようやく自分がした虚構に気付いた。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  35┠》 AくんとKくんの比較

   Aくんは夢を叶えるために、必死に努力をしました。
  「俺は夢を叶えるしか生きる術がないんだ。もうダメなんだ。それ
  以外の人生なんて考えられない。このためなら、俺は人生の全てを
  賭けたってかまわない」
   Kくんは夢を叶えようとする夢を見ていました。
  「俺、■■になりたいんだ。だから、そこら辺の奴らとは違うんだ
  ぜ」
   けど、Aくんと比べると、Kくんは努力しているように見えませ
  んでした。
  「絶対に■■になってやる」
   Kくんは一体何になろうとしているのでしょう。
  「ちきしょう、何で俺のは受け入れられないんだ」
   Aくんは努力している途中に挫折しました。
  「くそっ、誰も俺の才能を分かっちゃいない」
   Kくんも挫折。
  「でも、がんばるしかないな。ここであきらめたらダメだ」「もし
  かしたら、他の才能が俺にはあるのかも」
   Aくんはあきらめず、Kくんはあきらめました。
   そして最後に、明確な差が生まれました。
  「ついに……夢が叶ったぞ!」
  「ま、いつか叶うでしょ」
   Aくんは夢が叶い、Kくんは未だに夢を見ているだけでした。
   現実に溢れる嘘。アリとキリギリス。
   夢を目指す自分になりたいから夢を見る若者。言い訳をする馬鹿
  者。
  「夢を見るのはタダだよね」
   そんなはずない。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  36┠》 かわいいかわいいわたしのねこ
      
         ごめんなさいね。折角うちのねこ見に来ていただいたのに。あの
        ねこったら気まぐれで、何も言わずにふらっと外に行っちゃうんで
        す。もうすぐ戻って来ると思うので、ゆっくり待っていてください。
        コーヒーと紅茶、どちらにします?
         それにしても、ねこって何であんなにかわいいんでしょうね。ふ
        さふさの毛とか、つぶらな瞳とか……もうたまりません。あなたも
        そう思いますでしょう。同じ、ねこを飼う者同士、共通する想いっ
        てあると思うんです。
         わたし、特にねこのあの肉球が一番好きなんです。肉球。手のひ
        らにくっついてる。ええ。あそこをぷにっと押すときの感触が……
        素晴らしいですよね。生きてて良かったって、そう思います。あな
        たはねこのどのあたりが一番? え、しっぽ? あー……あれを
        しっぽっておっしゃる方もいらっしゃるんですね。確かに、見方に
        よってはあれはしっぽかもしれませんね。
         ところで、あまりにねこが好きすぎてつい虐めちゃうことってあ
        りません? わたし、たまにあるんですよ。いけないことだと思い
        つつも、額を突っついたり、ベッドに向かって放り投げてみたり。
        そういうときの驚いた顔とか、あたりをキョロキョロ見回す様が、
        いつもと違ってて、やっぱりすごくかわいいんです。でも昨日は
        ちょっとやりすぎちゃって、右腕を思いきり爪で引っ掻かれてしま
        いました。ええ、この包帯はそのせいです。ねこって毒を持ってい
        ますでしょう。一時は二倍くらいにふくれて、大変でしたよ。
         そうやって虐めたあとは、少し罪悪感にかられることが多くて、
        罪滅ぼしをするようにかわいがったりもするんです。ちょっと高級
        なご飯をあげたりして。いや缶詰じゃないですよ。例えばミミズの
        いる腐葉土とか、生きたタコとか、そのあたりがねこは大好きみた
        いです。あとはツノですね。あれを優しくなでてやると本当に気持
        ちよさそうに鳴くんですよ。にゃあ? わたしにはがぎゃごって聞
        こえますけれど。
         あ、帰ってきたみたいですよ。ほら、ねこ、こっちにおいで。
         あれ、お帰りになるんですか? もう少しゆっくりしていただい
        ても良いのに。せめてしっぽをなでていってください。あなたお好
        きだって言ってましたものね。



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   ◇◆
 ◇◆◆  37┠》 あなたの真実の物語

  (この小説は権利者の申し立てにより削除されました)



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       ◇◆◆  38┠》 猫とマオ老人
      
         蔵書室に勤めている父のもとにお弁当を届けにゆく。父は書棚の
        整理をしているさなかだったが、わたしを認めると笑みとともに、
        手を休め、いっしょに食べよう、と席をすすめてくれた。わたしは
        お茶を淹れた。
         吹き抜ける春の薫風が心地よい。大きな湖の南側にある蔵書室は
        陽あたりがよい。午後のうららかな陽射しを浴びた庭の緑は煙るよ
        うに映えわたり、目に痛いほどだった。
         父はお茶を飲みながら、仕事の話をきかせてくれた。ずっと蔵書
        吏をしているが、これほど湿気や鼠の害に悩まされないところはは
        じめてだ、とほがらかに語った。
         でも、わたしは庭の猫のようすに気をとられていた。黒猫がのど
        かにあくびをしながら、後ろ肢で毛並みを整えているすがたを目に
        していると、たまらなくなり、父に一礼して、庭の陽だまりへと歩
        み寄った。
         猫は飛び起きて駈けはじめる。あらあら、と目を細める。庭には
        猫がいっぱいいて、めいめいが気ままにくつろいでいた。
         父は鼠の害の少なさにおどろいていたが、これだけ猫がいれば然
        るべきではないか。猫たちの放恣を見やりながら、そう思う。
         駈けだした黒猫を追いかける。やにわに立ちどまる。見ると、柳
        の樹下に老人がひとりたたずんでいた。なにやら困った表情でこち
        らを見ている。気品ある顔立ちと装いに、おのずと拝礼していた。
        だが、頭をあげると老人のすがたはなく、柳と黒猫と祠があるばか
        りだった。思えば、やけに影の薄い老人で、身なりもかなり古い世
        のものだった。
         祠に歩み寄ると、毛という老人を祀っている旨が石碑に刻まれて
        いた。
         かつて、帝から蔵書を護るように命じられた毛老人は、陽あたり
        のよい東西を向いた室を築いたのち、自分が死んだら、この庭にわ
        が身を埋めて欲しいと子供たちに言を遺した。わたしの姓は毛(マ
        オ)だから、死んだのちは猫(マオ)に生まれ変わり、鼠を捕って
        この蔵書室を護りつづけましょう。
         戻って、この一幕を告げると、父は仕事の手を休め、すみやかに
        豚肉と酒を整えて祠を祀った。わたしも父にならう。
         あたりに温かみをおぼえ、見まわすと、猫たちが祠のまわりに輪
        を成して集まっていた。いずれも鳴き声もあげずに、前後の肢を地
        にそろえ、背筋を伸ばし、目を閉ざしていた。熱いもので胸が満た
        されて、わたしはなおも祠の前で手をあわせる。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  39┠》 I'm home

   満月の晩、我々は一斉に舟を湖に出す。櫂で水を掻き、ぐんぐん
  進むと間もなく湖の中央へ辿り着く。その湖は広大で全方位に渡っ
  て水面が空を切り分けていた。
   その湖の下には都市が沈んでいるのが見える。尖塔がいくつも連
  なった台地の砦だ。しかしよくよく見てみれば哨兵が立って巡回し
  ているのが見える。鷲の大旗は雄大にそよぎ、門から豆粒みたいな
  馬車が出入りする。
   我々は長の言葉を待つ。長は立ち上がると周囲をぐるりと見回し
  口を開いた。
  「かつて我々は郷を追いやられ、流浪の世紀を過ごした。しかし今、
  我々は帰ってきた。年月は我々の体を変えたが心は不変であり続け
  た。諸君はその胸に手を当てるが良い。諸君の胸に溢れるものは何
  だ」
   感極まった一人が、帰りたい、と叫ぶ。連鎖的に皆が声を上げる。
  帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい!
  「帰ろう、我々の郷へ」
   そして我々は湖へ身を投げた。水は肺に満ち満ち、頭を朦朧とさ
  せる。それでも帰郷を諦める者はいない。代わりに一人また一人と
  息絶え身を浮かべていくのだ。長も息絶えた。しかし我々は諦めな
  い。醜悪な翼が水を泳ぐひれに変わり、鋭い爪が水を掻くひだに変
  わり、柘榴色の肺が水で呼吸するえらに変わるまで。意識が途絶え
  る狭間で我々は我々を阻む水の抵抗がだんだんと薄らいでいくのを
  感じていた。そして青灰色の景色がその色を失い代わりに草木の緑
  や城壁の灰色が鮮やかに映えるようになる。ここはもはや水の中で
  はない。大気である。魚に身を変えた我々はぼとぼとと地表へ落ち、
  瞬く速度で進化を始める。魚類から両生類へ、爬虫類へ、そして哺
  乳類へ。急速な進化は我々の体に更なる負担を強いた。その過程で
  また多くの仲間が耐え切れずに倒れていった。今や生き残っている
  のは初めの百分の一にも満たない。我々は瞬く間にヒトへ進化した
  が、しかし試練はまだまだ続く。ヒトの更なる先へ。脳の肥大化と
  体の縮小化の時代を経て続くは、それに対する反動とも言うべき肉
  体の過膨張、肉体が肉体を飲み込む、我々は我々と融合する。
   ——どれほど時間が経ったことだろう。気付くと我々は痛みを乗
  り越えていた。我々の周りには郷の者らが集い我々を囲んでいる。
  我々は彼らを懐かしい面持ちで見下ろし、ようやっと口を開く。
  (我々は帰ってきたのだ!)



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  40┠》 模型職人
      
         わたしの祖父は、小さな模型製作所を営んでいた。祖父は特に、
        細緻な歴史的建造物を、木工で作り上げるのを得意とした。
         目を閉じると、工房に並んでいた模型たちを思い出す。天平時代
        の寺院も、西洋の煉瓦造りの要塞も、祖父が切り出し、磨きぬいた
        ヒノキで出来ていた。木の香りと色とりどりの塗料の瓶、祖母がく
        れる菓子、組みあがっていく古の建築、子ども時代のわたしにとっ
        て、祖父の家は魅力的な場所だった。
         その客は、八重桜が咲く頃にやって来た。中年の依頼人は、職人
        然とした祖父の作業着姿を見て、微笑した。
        「明治時代の、小学校の教室を作って頂きたい」
         明治とは、祖父の仕事にしては時代が新しかった。
        「所有地から、明治時代の小学校の遺構が見つかりまして。出土品
        をご覧になりますか」
         依頼人が開けたトランクの中身を、祖父は興味深そうにのぞきこ
        んだ。気泡の目立つ硝子で出来た大小のビー玉、帳面代わりの黒い
        石板、教室の壁らしき傷んだ木材のポラロイド写真。
        「成る程。新しい考古学というわけですな」
         突然の訪問に少々不機嫌だった祖父が、目を輝かせるのが分かっ
        た。
         祖父は依頼を受けた。早速図面が引かれた。屋根は作らず、十分
        の一スケールの教室と子供達と先生を、上から見下ろす形だった。
         わたしは、他の模型よりもずっと、この教室が出来あがっていく
        のを楽しみにしたが、おなじ夢を繰り返し見るようになった。夢の
        中でわたしは、粗末な木の椅子に座っていた。石板に白い蝋石で、
        猫のらくがきをしていた。男の子に肩をたたかれ、「しょうぶしよ
        うぜ」とビー玉を見せられる。頷いてふところを探ると、サイダー
        に似た気泡をもつビー玉が出てくる。男の子の顔は、眉が太く目が
        つりあがって、どこか祖父に似ていた。
         完成した模型を見せられて、わたしの視線は教室の真ん中に吸い
        寄せられた。絣の着物の男の子が、石板に何か書いている。その肩
        を抱くようにした、もう一人の男の子が、青いビー玉をてのひらに
        乗せていた。図面にはなかった構図だった。
         祖父にわけをきくと、「まあ、なんとなくさ。勉強してるより、
        絵になるだろ」と、つり目を満足そうにやわらげた。模型はすぐ依
        頼人に渡され、以来あの夢は見ていない。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  41┠》 嗤うな。

   給料日前の寂しい懐を遣り繰りして、社員食堂でたぬきソバを
  啜っていると、食器の返却口で同じ営業部の木村がこちらの様子を
  窺っているのが見えた。木村は水野と一緒にチラチラと視線を寄こ
  しながら、クスクスと笑っている。俺は完全に無視を決め込んだ。
   見積書の見誤りからの一桁ゼロの多い商品大量発注ミス。凡ミス
  といえば凡ミスだ。しかし大口取引だからと念のため事前確認を要
  請した時には誰も間違いを指摘しなかったし、そもそも部長だって
  決済印を押したではないか。俺個人に責任を問うのは間違いだ。
   定刻にオフィスに戻ると部内全員が一瞬俺に視線を注ぎ、慌てた
  様にそそくさと手を動かし始める。ああ、そうだよ、悪いのは俺だ
  よと胸の中で毒吐いていると、わざとらしい重々しさで部長が「綿
  貫君」と俺を呼んだ。
  「お蔭様で会社は不良在庫を大量に抱え込んでしまった訳だが」
   部長は直立不動の俺には目もくれず、書類に目を落としたまま俺
  を詰る。正論過ぎてぐうの音も出ない。ここは負けじと「お言葉で
  すが」と切り返すと、部長は肩をピクッとさせて椅子を回転させて
  横を向いた。
  「大量一括購入により、仕入れ単価のコストダウンが図れたと考え
  るべきです」
   部長の肩がワナワナと震えている。構うもんか。この際だから言
  うだけ言ってやる。
   相変わらず視線を合わせようとしない部長に業を煮やし、俺はデ
  スクを迂回して部長の正面に回り込んだ。
  「部長」と声を上げ詰め寄ると、ようやく部長と目が合った。しば
  しの沈黙。部長は震えながら顔を真っ赤にして「くうっ」と声を漏
  らして硬直した。それを合図にオフィス中からドッと笑い声が起
  こった。
   何事かと見ると部内全員が、ある者は腹を抱え、ある者は仰け
  反って「し、死ぬ」「もうだめ」と口にしながらヒイヒイ喘いで笑
  い転げている。「お前らどういうつもりだっ」と怒鳴った俺に、部
  長は笑いを堪えながら、
  「わ……わ、たぬきくん……これ、これ」
   と俺の腰に手をやりポフポフと叩いた。
   嫌な予感がして振り返ると、あろう事か長年ひた隠しにしてきた
  ものがはみ出しているではないか。道理で今日はクッションがよく
  効く訳だ。お前ら気付いてやがったのか。
   俺は堪らず廊下に飛び出した。畜生。巫山戯るな。リーマンにな
  んか二度となってやるるもんか。俺はそう心に固く誓った。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  42┠》 夜の秘密
      
         それは僕がもう寝ようかと思ったときのことで、「もう」と言っ
        ても時刻はまだ午後六時、外は少し日が翳ってきたかな、という程
        度でまったく就寝にはふさわしくないがしかし宵寝の気持よさはお
        そらく堪えられない逢う魔が時のこと。パソコンが置いてある机が
        面した北側の窓が出し抜けにガラッと開いて、濃厚な気配と一緒に
        「どうも」と言って夜が僕の部屋に入ってきたのだった。うわっと
        驚いた僕は椅子から転げ落ちるように立ち上がり、眠気がすっかり
        醒めた目でまじまじと夜を見つめたのだが夜はまったく物怖じする
        ことなく部屋の中にどんどん侵入してき、あっという間に天井の全
        面にひろがりおもむろに落ちかかって来ようとしている。もう髪の
        毛に触れそうで、恐くなった僕は素早く身を翻し部屋から出ると廊
        下の南側のガラス戸からも夜は入ってきていたのだった。唖然とし
        逃げなければと気持ちだけは焦るのだが浸食する/し続ける夜たち
        の前に僕の逃げ場は何処にもあるはずはないことは火を見るよりも
        明らかに思われ、しかしこういうときの悪い癖で僕は突然現実逃避
        と言っていい判断停止状態に陥り何事も起こっていないかのように
        口笛さえ吹く調子でそぞろ歩き廊下の奥のトイレのドアを開けまた
        まったく何事も起こっていないかのように中に入って閉めた。しか
        し案外なことに(?鮭々世の中そういうものなのだ)これが正しい
        選択であったらしく団地の一室である僕の家のトイレには窓がない
        ので何処からも侵入される気配はなくホッと息をつくことができた
        のだった。白い壁が百ワット電球の黄色い光に染まっているので
        ずっと見るともなしに目が疲れしょぼしょぼする。あれからどれく
        らいの時間が経過したのかもはやまったくわからない。さしあたっ
        てとりあえず何度目か十何度目かの用を足しながら僕はぼんやりと
        無表情に閉ざされたトイレのドアを見、その向こう側でいっぱいに
        なっている夜のことを考えた。何を考えたのかは秘密だ。



     ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
   ◇◆
 ◇◆◆  43┠》 1.大学時代に取り組んだことを記入してください。

   所属している幻術サークルでは幹事長を務め、いわゆる《第三存
  在》とのファーストコンタクトに成功しました。もともと噂されて
  いながらも、その存在が確認されていなかった第三存在は、《人間》
  と《幻影》の両方の特徴を兼ね備えているとされていることから、
  仮に《人影》と呼ばれていることは周知の通りです。
   幹事長に就任した私は、第三存在と接触するべく、まず《第二存
  在》、即ち幻影を統治するWPAにアポイントメントを取りました。
  もちろんそのためには、《障壁》を限界速度で突破しなくてはいけ
  ません。その過程で、私たちはサークル員三名の尊い命を喪いまし
  た。破片になって飛散する彼らの肉体を見詰めながら、絶対に第三
  存在との接触に成功すると誓ったことを思い出します。
   障壁を突破した後も困難が待ち構えていました。WPAの上層部と
  接触した結果、第三存在がいると推測されている《極点》に到達す
  るためには、そこにいる《幻獣》を掃討しなくてはいけないという
  のです。それでも第三存在と出会うためには仕方がありません。私
  たちは極点に赴き、五十ターンに及ぶ戦闘のすえ、幻獣を撃破しま
  した。その過程で、私たちは二十二名のサークル員の尊い命を喪い
  ました。存在破壊により、彼らは跡形もなく消滅しました。
   第三存在のもとにたどり着くためには、さらに極点の中心にある
  《証明》を手に入れなくてはいけませんでした。迷宮の形状をした
  ダンジョンを通り抜ける過程で、収斂病によって、私たちは三百五
  十八名のサークル員を喪いました。多大なる犠牲の果てに得た《証
  明》は、書物の形をしていました。それを持ち、私は三日三晩祈り
  を捧げました。そうしてようやく、私たちは第三存在と出逢うこと
  ができたのです。
   その後、私たちと第三存在はWin-Winの関係を結び、マーケット
  の趨勢をもとにロングテール層のカスタマーを獲得する新たなソ
  リューションを解析し、BtoBビジネスの構築に成功しました。これ
  らの経験で、私が得ることができたコミュニケーション能力は、ス
  クリプトによるブログへのコメント記録をもとにしたバズマーケ
  ティングという、貴社のビジネスにおいてもプラスに働くものと考
  えております。



           ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆■
         ◇◆
       ◇◆◆  44┠》 旅の終わりに
      
         隣の町にゆくのが大冒険だったのはうんと小さな子供のときの話。
        塀の上で寝そべってあくびをしている猫も、見知らぬ家の花壇に咲
        いている花もすべてが目新しく、刺激に満ちていた。
         自転車に乗るようになってからは、めまぐるしいまでに新しい景
        色が増えていった。
         はじめての都会。おんぼろアパートでのひとり暮らし。電車に
        乗って出かける都心。高層ビルや広い公園、思いもかけないくらい
        に緑に囲まれた都会の暮らしはそれでも胸がときめいた。
         でも、大人になるにつれて、新鮮な驚きとのめぐりあいの機会は
        減ってゆく。
         知らない街に引っ越せば、しばらくのあいだは目新しいものに触
        れていられる。でも、それもすぐに見慣れたものに変わる。
         パスポートを手に入れてからは、地球のすべてが新しい世界だ。
        スーツケースは重いが、はじめての地に向かう期待で胸は弾んでい
        る。靴音を立てて、ゲートをくぐる。
         目にするもの、聞くもののすべてが目新しい異国の風景。水の都
        をゆきかうたくさんの小舟。はじめて見た逆に流れる潮流。見渡す
        かぎりの大草原。象の背にも乗ったし、白孔雀が羽をひろげる場面
        にも出くわした。
         愛用のデジカメでたくさんの写真を撮る。わたしのパソコンは旅
        先の画像でいっぱいになっている。でも、まだ足りない。
         翻訳の知識とプログラミング技術だけでは、会社もなかなか報酬
        をあげてはくれない。おまけにわたしは月に一度は熱を出して寝込
        んでしまう体質だし、上司にはいつも小言ばかりもらっている。そ
        れでも、時間もお金もなんとかやりくりして、旅に出る。
        
         いま、目の前で、赤い砂漠の地平線に燃えるような色あいの太陽
        が沈んでゆく。空も真っ赤だ。こんなに雄大な景色なのに、現地の
        人はだれもが目もくれないで先を急いで去ってゆく。わたしだけが
        立ち尽くして、目を輝かせている。でも、そんな情景もまさしく異
        邦の地らしくてよい。まるでひとりでこの世の終わりに立ちあって
        いるみたいで。
         この旅ももうすぐ終わる。わたしは毎日の暮らしのなかにもどっ
        てゆくけれども、またすぐに旅に出るだろう。わたしのなかにもう
        ひとつ物語をふやすために。
         わたしはなおも新しい世界をもとめてやまない。ずっとずっとい
        つまでも。

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 いかがでしたでしょうか?
 今回も寸評を募集いたします。掲載作の中から、あなたが特に良いと思った5作を選び、
寸評と一緒に、3月31日までにお送りください。
 
 応募フォーム:http://magazine.kairou.com/info/contact.html

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