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雲上マガジン vol_200

発行日:2/17

 ……………………………………… も く じ …………………………………………

 【1】 前書
 【2】 200号達成記念/読み切り短編「ハイブリッドレッド」
 【3】 連載小説「私と彼女と、それと首」      第四回
 【4】 後記

 ……………………………………………………………………………………………………
◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【1】 前書
 ──────────────────────────────────────

 はるかです。まずは私的な事情により配信が遅れましたことを、お詫び申し上げます。

 おかげさまで「雲上」、今回で200号を達成いたしました。記念に、ということで、秋
山真琴さんが短編を一編、贈ってくださいました。

 「ハイブリッドレッド」、おたのしみください。

◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【2】 ハイブリッドレッド
                                    著/秋山真琴
 ──────────────────────────────────────

 遠く、夏の空気が揺れている。
 抜けるように青い空は、どうしようもないほどに清々しくて。うだるような熱気さえ湛
えていなければ、きっと吹き抜ける風も爽やかに感じるだろう。
「いい天気だなあ」
 ゆっくりと歩を進めながら、麦わら帽子をそっと傾け、草薙琳瑚(クサナギ・リンゴ)
は両目を細めた。
 琳瑚が思わずそう呟いてしまうのも無理はない。バケツを引っくり返したような集中豪
雨から一晩、空気はみごとに澄み渡り、彼女が歩いている道の両脇に植えられたひまわり
は、実に瑞々しく輝いていた。
 夏の熱気さえなければ、完璧だっただろう。
「それは、どうかな?」
 琳瑚は口元に笑みを浮かべた。
「この世界の神たる私にとって完璧でない一瞬なんてありえるだろうか、いやない」
 地上に降り立った神〈オンリー・ワン〉は両手を掲げて空を仰ぎ見た。
 風の精が彼女の周囲を踊り、丘のうえの林檎の木の枝葉を揺らしていった。
 夏の熱気がわずかにやわらいだ。



 ことの発端は、ルインとの接近遭遇〈エンゲージ〉だ。



「よう」
 気がついたとき、琳瑚の前方、七メートルほどの場所に奇怪な格好の男が立っていた。
 イタリア出身のその男は、腰に日本刀を佩き、総白髪を背中で結わい、片目に眼帯をあ
て、和服を身にまとっていた。
「俺様の前に立つ女。あんた、神なんだってな」
「誰にも呼ばれたことはないけどね。そういう貴方は、イタリアに流れし伊達政宗の末裔、
欧州筆頭……今は、ルインと名乗っているんだっけ?」
「くくく。さすがは神。お見通しか」
「だって、ねえ」
 にやりと口元を歪め、琳瑚は周囲に視線を向けた。
 先ほどまで彼女は、シャワーを浴びていたはずだ。それが今この瞬間、どうしてか服を
ちゃんと着ており、街中に出ている。それも渋谷のスクランブル交差点だ。赤に変る様子
のない青信号と、琳瑚とルインの傍をすりぬける人波。
 何らかの手が加えられていることは、火を見るより明らかだった。
 だから、琳瑚は強く目の前の人物に視線をぶつける。
「『真理』だったっけ? 世界を改変する書物〈プラクティス・ノート〉」
「当然のように知っているようだな、俺様の能力を。とは言え、俺様の前に立つ女、あん
たがほんとうに神なら、この『真理』さえ、あんたが作ったということなんだろう」
「さあて、どうだったかな。今まで色んなものを創ったり壊したりしてきたからね。全部
は覚えてないよ」
「ははははは」
 ルインは口を大きく開けて笑うと手を組んだ。
 尊大な仕草だ。
「その通り! 俺様の前に立つ女、あんたはそうやってはぐらかすしかない。何故なら、
今、俺様とあんたが見ているこの風景、この景色はすでに『真理』が俺様に見せてくれた
ものだからだ」
「『真理』が? 貴方に?」
 琳瑚は眉をひそめた。
「果たしてあんたが本当に神なのか、この世界の造物主なのか、それは『真理』に聞いて
も分からない。何故なら『真理』とは世界を改変する書物であって、世界を記録する書物
ではないからだ。そして、次に、あんたは『貴方は何が言いたい?』と言う」
「貴方は何が言いたい……はっ!」
「くくく」
 堪えきれないとでもいうかのように、ルインは肩をすくめて失笑した。
「俺様が言わんとしていること、そんなことは自明だ、頼んだんだよ、『真理』に、見せ
てくれと。草薙琳瑚という、この世でただひとり、俺様の前に立ち塞がりうる危険な女が、
全人類を気まぐれに滅ぼしうるほどに強力な神が、神でもなんでもない、ただの女として
暮らしている世界を見せてくれないかと」
「ふーん」
「だから、これは反逆、もしくは戦争だ。人類が神を相手に仕掛ける。一世一代、一人対
一柱の最小規模にして、全人類対唯一神の最大規模、空前絶後の世界大戦だ」
 琳瑚はすこし唇を尖らせると、右手を伸ばしてルインを指差した。
 彼女はそのまま右腕を少し持ち上げ、指差す先を SHIBUYA109 に修正し、何気ない風を
装いながら呟いた。
「戦争? くだらないね。リンゴビーム」
 その刹那、琳瑚の人差し指から紅色の光線が放たれ、SHIBUYA109 の七階から上は地球
上から消滅した。
「へえ、すごいね。最近の女の子って指からビーム出るんだ」
 振り向いて惨状を確認したルインは、軽く眉をひそめた。
「話が違うではないか『真理』よ……お前の見せてくれる世界はこんなものなのか。重ね
て願おう。あの建物が破壊されず、草薙琳瑚が指先から何も放てない世界を見せてくれ」

 いいだろう。



「ふーん」
 琳瑚はすこし唇を尖らせると、右手を伸ばしてルインを指差した。
 彼女はそのまま右腕を少し持ち上げ、指差す先を SHIBUYA109 に修正し、何気ない風を
装いながら呟いた。
「リンゴビーム」
 一拍の間をおいて琳瑚は腕を下ろした。
「おろ、左手だっけ?」
 そうひとりごちながら今度は左手を伸ばし、 SHIBUYA109 に向かって「リンゴビーム」
と唱えたが、やはり、何も起こらなかった。
「俺様の前に立つ女、何度やっても意味はないぞ。左右の区別なく、指先から何も放てな
くさせた。今度こそ、お前はただの女であり、ただの女でしかありえない」
「そっか」
 琳瑚は両手をポケットに入れた。
──草薙琳瑚がただの女として暮らしている世界。
 先ほど、ルインはそう言っていたな、と琳瑚は頭のなかで思いだす。
 同時に、
──私をただの女にするなんて面倒なことはせず、殺しちゃえばいいのに。
 とも、そっけなく思った。思いながら、やはり人格と記憶とを分けて保管し、リスク回
避に務めたのは正解だったなと過去の自分を褒め称えた。五百年前の偽神戦役〈スマリヤ
ンズパズル〉における惨敗から学べたものは大きかったなあ、とも思った。けど、神でな
くなるだけでこんなに弱くなってしまうなんて、もっと様々な事態を想定してないと駄目
だなと反省もした。ついでに、二週間前から付き合っている彼氏の飼っている猫の可愛ら
しさを思い出して、口元が緩みそうになる自分を戒めた。
 いろいろなことを並行して考えながら、琳瑚は対策を講じ始めた。
 リンゴビームが使えないこと、『何度やっても意味はない』というルインの言葉、そし
てルインの自信の満ちた態度から、瞬時に彼を無力化する必要があった。予備動作さえ見
せず、一瞬でどうにかしないと、『真理』のちからで逆にどうにかされてしまう。
「うーん、そうだなー」
 琳瑚はルインに聞こえないように囁いた。
 その囁きが聞こえていないルインは、琳瑚がうな垂れているのを見て最後通牒を言い渡
すかのように口を開いた。
「無用な殺生は俺様の好むところではない。だが、同じ言葉がふたつは要らないように、
神は唯一で、必要にして充分だ。どうだ、昨日までの神よ、あんたもそう思わないか?」
「残像に口紅を、で行ってみようかな」
「ん? なんのことだ?」
「テリトリーの設定をするよん。今から【し】【ん】【り】この三つの言葉を使うのを禁
ずるよ。使うたびにちょびっとずつ世界はあるべき姿に帰る、ってことで。わた……では
なくて、こっちが使ったら一個ずつ解放するからね。よーい、すたーと!」
 伝説の少女Aのように指を三本たてた琳瑚は、にっこり笑った。
「テ【リ】トリー? な【ん】のことだ?」
「あはっ、早速、言っちゃったねぇ」
 琳瑚の不敵な態度が理解できず、眉をひそめていたルインだったが、突如、背後から悲
鳴が聞こえ振り向き、彼は大きく目を見開いた。
 道玄坂の先に見える SHIBUYA109、その七階から先が消えていた。
「ばかな……先ほどのかいへ【ん】が無効化されたとでも言うのか……!」
「ふふーん。早くもサードタイムユーズド。そろそろ使えるかな? アップルビームっ」
 無造作に伸ばされた右の人差し指から紅色の光線が放たれ、大盛堂書店駅前店および店
の前に設置されていた喫煙スペース、さらに周辺で喫煙していた五人の男女が霧散した。
「やたっ、好調好調ー」
 琳瑚はそのままぐるりと右手を回転させ、一億の星と京王井の頭線を両断し、仕上げと
ばかりにルインに向けた。
 渋谷が、極東の列島の首都──東京において、新宿、池袋と肩を並べる三大副都心の一
角が、ちからを取り戻しつつある神によって蹂躙されるのを目の当たりにし、呆然として
いたルインだったが、脅威が自分に向けられるのを知るとその動きは早かった。
 素早くその場に膝をつくと、佩いていた日本刀を迷いなく抜刀。襲いくるビームの照準
に、その切っ先を重ねた。
 ルインの構えた日本刀の切っ先にビームが触れた瞬間、いかなる不可思議だろうか、ビ
ームはその軌道を変え、忠犬ハチ公と東急百貨店東横店をこの世から消し去ってから、琳
瑚の足元
を穿った。
「げ、まさかゼロ……うっ」
 ゼロ次元マトリクスを展開したとでも言うの? と呟いてしまいそうになった琳瑚は、
そのフレーズが禁忌に二回も抵触することを寸前で気づき、慌てて口を噤んだ。
 そして、琳瑚はそのまま慌ててビームを解除した琳瑚は、日本刀を大上段に振りかぶり
駆け寄ってくるルインに背を向けて逃げ始めた。だが、三歩ほど行ったところであっさり
追いつかれてしまった。
 撫でるような斬撃をその背に受けようとした瞬間、彼らの足元にあったマンホールが横
にずれ、ふたりは仲良く地下の暗闇に飲み込まれていった。



 一方、その頃。
 草薙琳瑚のリンゴビーム改めアップルビームによって攪拌された宇宙から、最初の隕石
が、アメリカ国防総省の本庁舎、通称ペンタゴンに向かって落下しつつあった。



「あいたたた」
 したたかに腰を打った琳瑚は、それでも素早く立ち上がると埃を払いながら身近な壁に
背を寄せた。
 ずいぶんと長い時間、落下していたように思う。ルインの作戦か、それとも第三者の介
入か。
 あのまま落ちなければ背中に斬撃を受け、人間としての死を迎えようとしていたことを
考えると、ルインの作戦であることは考えづらい。だとすれば、何物かが関わっている可
能性が極めて高い。
 問題はそれが味方なのか、敵なのか。そして、ここが何処であるか。
 琳瑚は床に耳を当てて、目を瞑った。
 音は、しない。
 落下している最中に、ルインとは引き離されたようだった。しばらくは安全が保障され
ていると見て間違いない。
 僅かながら余裕が生まれたところで、琳瑚はもう一度、周囲を観察する。
 地下は光源のない、完全なる暗闇ではあったが、目に見える世界が闇に閉ざされている
ことが何も見えないとは限らない。神であった草薙琳瑚は、いつだって自分の見たいもの
を見て、見たくないものはこの世から消し去ってきた。その流儀は神でないという歴史を
持つこの世界においても変わらない。琳瑚は周囲を観察した。
 ずらりと本棚が並んでいる。
 琳瑚の背の丈のざっと五倍はあるであろう。見上げるほどに高い書棚だ。それが何処ま
でも続いている。そっと手を伸ばし、収められている本の一冊に触れてみる。背表紙は革
で作られていて、撫でると、がさり、と音がして、古くさい匂いが漂った。
「これは……」
 古い本であった。
 科学のちからが未知を駆逐するより以前、まだ神話が綿々と語り継がれ、神々や妖怪が
平然と日本中を闊歩していた時代の本だ。懐かしい時代の本だ。
 琳瑚はそのときのことを思う。かつて、草薙琳瑚は書神〈ザ・ブック〉と呼ばれていた。
この世界が一冊の書物であるとしたら、草薙琳瑚はその書物に綴られた登場人物でありな
がら、記された言葉を書き換えることのできる類の神であった。
 琳瑚のような神は、八百万〈ヤオヨロズ〉のなかでは少数派で、大半が自然を母体とし
ていた。炎帝〈パーペチュアル・フレイム〉や黄龍〈ホワンロン・ネットワーク〉などは
その代表例で、よく喧嘩したものだ。
「けれど、なぜこれほど古い書がこのようなところに」
 既に失われたか、もしくは約定にしたがって封印されたものだと思っていた。
 約定〈ブックマーク〉。
 科学と自然のバランスが、科学の方に傾き始めた頃、神々は人間を隠すことを止め、逆
に自ら人間に隠されることを選んだ。琳瑚のように人間社会に溶けこんだり、自ら神であ
ることを忘却もしくは喪失したものもいたが、大半の神が人隠しに遭った。
 神として死ぬことと人隠しに遭うことは異なる。
 一度、神になったものが消滅することはない。何度、死んでも時間をかければ蘇るのだ。
自然に。
 逆に人隠しに遭った神は、人為的にしか蘇ることがない。人々の記憶の隅に、伝承の末
端に追いやられることで封印され、求められたときにしか蘇らない。蘇れない。
「まさか……」
 琳瑚の全身に鳥肌が立った。
 まさか、ここが、そうであると言うのだろうか。
 ここが天皇と神々の代表が結んだ約定〈ブックマーク〉によって定められた、封印の地
〈プロミスドクラドル〉であると言うのだろうか。
 琳瑚は震える手で一冊の書を本棚から抜き取った。
『葦原の楽園』。
 書を開きかけ……急いで閉じた。
 たらり、と汗が垂れた。
 間違いない。ここには天神地祇の眷属が、それも海神〈ワダツミ〉に近しいものが封じ
られている。下手をすると、十字星の向こう〈ケイオス・クロス〉に飛び去った高天原
〈サークリッドムーン〉を呼び戻すことになるかもしれない。
 琳瑚は乱暴な手つきで本を棚に戻した。
「おやおや、困りますね。私どもが優先順位の第一次に置いている史書を、そのような乱
暴な手つきで扱われては。今、貴方が手にした本。もし、その本をうっかり落として破損
でもしていたら大事件ですよ。最悪、この地球から海が一瞬にして蒸発しかねません。そ
のことを貴方、分かっておいでですか」
 振り向いてみれば、立ち並ぶ本棚の間にひとりの男が立っていた。
 スーツのうえに白衣をまとい、鋭角的な眼鏡を神経質そうに持ち上げている。
「言うまでもなく」
 琳瑚は静かに答えた。
「承知のうえさ」
「そうでしたか、それは失礼」
 男はにこりと微笑んだ。
「申し遅れました、私、司書のタカツギと申します。この国会図書館においては、地下二
十階より下を担当させていただいております」
「……へえ」
 国会図書館。
 千代田区永田町は確かに渋谷区渋谷に近いと言えなくもないが、やはり距離がある。地
階がこんなところにまで伸びていると考えるのは不自然だが、収納されている書がどうい
ったものであるかを思うならば、ありえないとも言い切れない。
「それで、なにか用?」
「用件でございますか。その前にたいへん失礼とは思いますが、お名前を伺ってもよろし
いでしょうか?」
「草薙アップル。神、だったよ、昨日までね」
 タカツギは右手をポケットから離すと、そのままポケットに手を入れた。
「やはり、貴方がそうでしたか、草薙琳瑚様。ミスター・ルインが思い切った手段に訴え
るのを見たとき、『真理』を全力で使う相手が存在するのならば、現存する唯一の神であ
るところの草薙様ではないかと考えていました。ところで、先ほどより、やや言葉を選ん
でいるような節があるように思いますが、何かしらご事情があるのでしょうか」
「まあね」
 琳瑚は短く答えた。
 答えながら、このタカツギという謎の男が、どこまで知っているのか、そして目的が何
であるかを考えた。
 同時に、琳瑚はこの第三者の介入に関して、客観的に分析する。
 戦争。という言葉を、ルインは用いていた。今や、神でも何でもない琳瑚にとって、ル
インとの戦いは戦争と言うよりかは、闘争。闘争と言うよりかは、私闘に近い。その規模
は極めて狭く小さく限定的で、極めて私的で、極めて個人的だ。
 しかし、だ。
 封印の地〈プロミスドクラドル〉の管理者と思われる人物が、舞台に上がってきたとな
ったら話は別だ。凄まじい勢いで、そして、自分がまったく関与していない場所で、事態
が急速に進展しているのが感じられた。だから、琳瑚は軽く手を挙げて言った。
「続けて」
「承知致しました。それでは、答えにくい質問に関しましては、どうぞ看過してください
ませ」
「元より。そのつもりだよ」
「そうでしたか」
 タカツギは乾いた笑い声をあげた。
「まず、申し上げたいのは私が貴方様の敵ではないこと。そして」
「見つけたぜ、俺様の前に立つお【ん】な。こ【ん】どこそ、撫で斬【り】に【し】てく
れよう」

 ふわり。

 琳瑚は身体が軽くなるのを感じた。
 振り向くとルインが立っていた。両手で日本刀を握り締めている。彼の脚力ならば、息
を飲む間もなく間合いを詰め、一瞬で琳瑚の身体を両断することができるだろう。しかし、
果たして、その一瞬は訪れることができるだろうか。
 絶命線が真っ直ぐに自分に人間としての命を切り裂くのを感じながら、琳瑚は自分が神
のちからを取り戻したことを知った。そして同時に、ここでルインの斬撃を受けなければ、
事態の進捗率が一気に進んでしまうことも知ってしまった。
 だから琳瑚は一瞬に満たない、刹那という時間のなかで覚悟を決めた。
 そして実際に、琳瑚は「ひっ」と息を飲むこともせず、二十メートルはあったであろう
距離を詰めたルインが、すでに振りかぶっていた日本刀を袈裟斬りに振り下ろすのを許し
た。
 タカツギの眉がぴくりと跳ねた。
 二秒ほど間を置いてから、タカツギの目の前で、背中を向けていた琳瑚の上半身がずる
りが落ちた。そして、その向こうに、日本刀を完全に振り切ったルインの姿が見えていた。
「やってしまいましたか……」
 タカツギは独白するように言った。
「確かに、自分勝手にそのちからを振り回す可能性のある草薙琳瑚様は、我々、人類にと
って唯一、残された危険な存在と言えました。しかし、だからと言って殺してしまうのは、
どうでしょうか。ミスター・ルイン。残念ながら神殺しは、人間の身にあっては贖うこと
など適わないほどの大罪です。審議者権限を発動させていただきます、ミスター・ルイン、
貴方の『真理』の所有者権を剥奪させていただきます」
 タカツギはポケットから右手を出すと、パチンと指を……鳴らしたつもりが、しかし音
は生まれなかった。
 タカツギはそっと自分の右手を、正確には右手があった場所を見た。
 虚空。
 赤と白、見えたのは右手ではなく、断面図であった。タカツギが指を鳴らすよりも早く、
彼の右手はルインによって斬り飛ばされていた。タカツギは大きく目を見開き、次いで絶
叫を上げようとしたが、その前に返す刃で心臓が両断され、即死した。
 草薙琳瑚、タカツギ、二体の屍を見下ろし、ルインはそっと息を吐いた。
『真理』に頼んで強化した身体での動きではあったが、十拳流〈トツカ〉は術者の身体を
著しく破壊する、老体には厳しい動きだった。
 タカツギの着ていた白衣で日本刀の血糊を拭うと、ルインはどかりとその場に腰を下ろ
した。
 草薙琳瑚の殺神は想定内の出来事であった。神のちからを奪って事なきを得られればよ
し、駄目であっても全力で屠る。そして、タカツギの殺害は、当初から計画の内であった。
琳瑚を無力化するにせよ、殺すにせよ『真理』の審議者権限を有しているタカツギの存在
は邪魔であった。
「【し】【ん】【り】よ……最後の願いがある。この世界、に【ん】げ【ん】の世界に、
神のちからは大きすぎる、世界をかいへ【ん】することのできるちからなど、ひとの手に
余るのだ。そ【ん】なものはふうい【ん】されなければならない。だから、最後の願いだ。
【し】【ん】【り】よ……二度と、俺様の願いに答えないでもらいたい」

…………。

『真理』からの返答はなかった。
 未だ草薙琳瑚のテリトリーの内にあるため『真理』にその言葉が届かないのか、それと
も沈黙を以って承諾の意を示したのか。
 ルインはもう一度、大きく息を吐いてから立ち上がった。
 老体が重かった。『真理』の効果が切れたのか、もう若々しくちからに満ち溢れた動き
はできず、ルインの動きは老人のそれだった。
 国会図書館地下は広大だった。ルインは二週間ほどさ迷い歩き、ようやく見つけた階段
で休み休み二十階分を上り、地上に戻った。
「これは……」
 十秒、ルインの脳は、そこが地上であることを拒否した。
 そこにあったのは残骸だった。
 かつて人間という知性体が暮らし、歩き、生きていた都市という空間の残骸だった。
 空は茶色に塗りつぶされ、地面は燃え屑で覆われていた。
 それはルインの見たことのない光景であった。
 もう一度、ルインは世界を見る。大空は青でも橙でも黒でもなく、茶色であった。毒々
しい、食虫花の持つ色だった。そして大地は荒廃していた。建造物はひとつもない。かつ
てそうであった、そうであったかもしれないものなら転がっていたが、大半は分からない、
燃え尽きた後の何かであった。
 世界は一変していた。
 ルインの知っている世界ではなかった。
 ルインが愛し、維持し、残さなければならないと決意したものではなかった。
「これが……」
 ルインの老いた心臓が大きく跳ねた。
 視界が急激に狭まり、ルインは呼吸を続けることができなくなり、地面に倒れた。
「俺様の自分勝手な願いが招いた結果。『真理』……いや、これこそが真理、俺様が見た
いと願った都市のあるべき姿、自由の果てにあるもの、そして……廃墟、」
 一柱の神と一人の人間。一対一の戦争の勝者、人類最後のひとり〈オンリー・ワン〉は
死んだ。
 その死を褐色の粉塵の覆われた空を通して看取った落日は、いつものように無言で、大
空を月に譲った。



 一度、神になったものが消滅することはない。
 何度、死んでも時間をかければ蘇る。
 目を覚ました草薙琳瑚は「光あれ」と呟いた。
 それから鍬を手に作りだし、林檎の種を足元の地面に蒔いた。

 …………………………………………… おわり …………………………………………

 このコーナーに対するご意見・ご感想は編集部まで:info@kairou.com

◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【3】 私と彼女と、それと首             第四回
                                    著/佐多椋
 ──────────────────────────────────────

依存症(1)・・・-----------------------------------------------------------------

 私はまだテレビを見ていた楓のもとに行き、掃除をしたいと云った。楓は露骨に嫌がっ
たが、さすがにわざと散らかしているからとは云わなかった。そのあたりを突き、さらに
早めに楓が手伝う必要がないことを伝えることで、私は掃除をする許可を取り付けた。早
速始めようと思い、掃除機を持って二階の端の部屋へ行ったが、良く見るとほとんど埃の
類も落ちていない。なぜか自分では云わなかったが、楓は掃除機もかなり頻繁にかけてい
るようだ。それゆえに散らかしようの異様さが再び意識を支配して、全身から力が抜けて
ゆくのを感じる。それでも整理整頓だけはしようと、物を分類し片付けていく。整理する
のに使えそうな箱も、そのほかのものと同じように放置されていた。それらの箱を一箇所
にあつめ、何を入れるかについて厳密な基準を設けそのとおりに分類した。ふたつの箱の
どちらに入れるかについて二十分ほど悩んだりした。なぜか雑貨ばかりが置かれていてま
ったく本が入っていなかった巨大な本棚に、家じゅうの本を入れた。半分くらいは埋まっ
た。ジャンルはばらばらだった。ベストセラーになった恋愛小説から推理小説、難解なプ
ログラミング言語の概説書、ギターの教習本、ゲームの攻略本、精神病理学に関する書物。
古いものだった。「分裂症──精神秩序の一形態について」。
 整理整頓を終えるまでに四時間がかかった。窓の外は、もう蜜柑色に染まっていた。ひ
どく疲れていたが、自分の荷物を自宅から持ってくる必要があった。居間(もちろんここ
も、テレビを見続ける楓を横目に整理した)に戻ると楓は、いつの間にか本棚から持って
きたのか、十年くらい前に流行った女性作家が書き飛ばした露骨なタイトルのエッセイ集
を読んでいた。本から顔をあげ、終わったの、と訊いた。私は頷いて、
「家戻って、荷物持ってくるから」
 と云って家を出た。楓は引きとめようともしなかった。外に出た私は、このまま逃げる、
という選択肢があることに気が付いた。仕事を辞めて、変な女の子に家に行って、掃除だ
けして帰ってくる。そんな変な一日。そういうことにしてこの一日は処理しうるのだ。何
かの比喩的体験として使えそうだと思った。でも、と小さく呟いて、私は眼の前の一軒家
を見上げる。ここに住むことはもう決まってしまったのだと思う。だから私には、もはや
どうしようもできない。私は見られたら怪しまれそうな笑みを浮かべて、公園の前を通り
過ぎる。とりあえず今日は、こまごまとしたものだけ持っていけばいい。旅行の前の日の
ような、なんとなくうきうきとした気分になった。こんな気分になったのはいつ以来だろ
うか、と考えたところで、私は気付いてしまった。
 そんな経験をしたことなどない。一度も。二十年くらい生きているはずだけれど、そん
なことは一度もなかった。
 そのまま、何も考えることなく、ただ脚を動かしていた。そうしていたら、自分の部屋
のあるアパートの眼の前で赤信号に当たって、立ち止まらざるを得なくなった。仕方がな
く考える。私はああいう場所が欲しかったのだろうか。それはひどく気恥ずかしいことに
思えたが、そうとしか思えなくなっていた。誰かと生きているという、そういう感覚が欲
しかったように思えた。そのために、どうすればいいのだろう。わからない。ただ、ふた
りの生活を維持するためにできることはすべてしようと思った。何があろうと、耐え切ろ
うと思った、ふたりでいるために。
 信号が青になったころから、なんとなく右眼の下に違和感を覚えていた。私はそれを放
っておいた。涙が、あるいはごみか何かだったのかは、最後までわからなかった。暗に涙
であったとほのめかしているのではない。ほんとうにずっと、わからないままにしておい
たのだ。
 このような経過をへて、私は楓を暮らし始めた。私は楓が夜の仕事か、あるいはその延
長の非合法な手段で生活費を稼いでいるのではないかと思っていた。少しでもそんなそぶ
りを見せたら絶対に止めさせようと思っていたのだが、彼女は朝七時に出て六時に帰って
きた。そして生活が滞ることはなかった。だが職業を訊いても教えてくれない。だが年齢
は十八を上回り、学校には行っていないことは聞き出せた。すると、思っていたより私と
の年齢の差は少ないらしい。
 では、あの夜のセーラー服はなんだったのか。家を探してもそのようなものは見当たら
なかった。ましてや、夜な夜な出て行って公園で穴を掘るようなことなどまったくなかっ
た。あの夜自体がどういう意味を持っていたのか、私にはわかりえなかった。

--------------------------------------------------------------------・・・つづく

 次回は第201号(2月25日発行)に掲載されます。
 このコーナーに対するご意見・ご感想は編集部まで:info@kairou.com


◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【4】 編集後記
 ──────────────────────────────────────

 いかがでしたでしょうか。200号代に突入した雲上も、みなさま、よろしくお願いいた
します。

 あ、そうそう、「雲上の庭園」、28日まで原稿募集中ですよ。(http://magazine.kairou.com/)こちらも奮ってご参加くださいませ。

 ではまた次回まで、ごきげんよう。

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    気になる日中間の動向から、中国の経済・文化・社会ニュースまで、最新の情報をお届けしてまいります。

  4. 鉄道トリビア・なるほど納得へぇの世界

    最終発行日:
    2014/01/03
    読者数:
    422人

    ホームページ一新!100円でどこまでも行ける鉄道とは!?など鉄道の面白さをトリビアとして紹介しているサイトです。読み物としてだけでなく実践してみると100倍楽しめます。

  5. フォトレシピ。やさしいおやつ。おいしいお菓子。

    最終発行日:
    2012/07/21
    読者数:
    489人

    作り方は詳しい写真付き。お菓子教室 Studio-gemma が、分りやすく、おいしいレシピをお届けします。 “おいしい情報”もね。

発行者プロフィール

雲上回廊

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http://magazine.kairou.com/

総合創作団体・雲上回廊。夢の追求。

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