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雲上マガジン vol_181

発行日:8/15

 ……………………………………… も く じ …………………………………………

 【1】 前書
 【2】 1000字企画「雲上の庭園」     作品掲載 第1回(募集第1回)
 【3】 後記

 ……………………………………………………………………………………………………
◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【1】 前書
 ──────────────────────────────────────

 いらっしゃいませ、みなさま。
 この度は、みなさまと私共とで築きましたる「雲上の庭園」へ、ようこそ。


◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【2】 雲上の庭園           作品掲載 第1回 (募集第1回)
 ──────────────────────────────────────

 今号、20日号、25日号に掲載の作品を読み、気に入った5作に【寸評】を書き、応募
フォームからお送りください。
 寸評の〆切りは9月7日です。
 作者名と作品に寄せられた寸評は9月15日の『雲上』から掲載します。

              【寸評】応募フォーム:http://magazine.kairou.com/info/contact.html
 ……………………………………………  庭  ……………………………………………

   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【01】──┨ 何も無い

   山々に囲まれ、飲み込まれそうな村だった。
  「こんにちは」
   私は、その初老の男に声をかけた。背を丸めて庭の草むしりをし
  ていた男は顔も上げず、答えもしない。怯んだが、気を取り直した。
  最後の一人だ。諦めて帰るわけにはいかない。
  「いい天気ですね。山の緑も美しい」
   やはり、男は何も答えない。
  「私は、上本と申しまして、東京の大学の研究室に勤めています。
  先日、取材の連絡をさせていただきました」
  「写真いいですか? 出来上がったら送ります。最近のデジカメは
  性能がいいんですよ。素人でも上手く撮れる」
  「ご結婚はされているんですか? 私は子供はいませんが、家内と
  二人暮らしでして――」
   言葉を重ねていくが、男からの返答は無い。
   やはり、無理なのだろうか。だが、薬を使うのは、証言から信憑
  性を奪ってしまう。攻撃の材料になるだけだ。
   どさりと、男の傍に籠が置かれた。この男の姪だ。皴のたるむ首
  にかけたタオルで額を拭いながら、話しかけてくる。
  「暑いですねえ。どうです? 麦茶でも」
  「いえ、まだ終わっていませんので……」
   無言のまま男は籠を手繰り寄せ、中の豆を選別する。私は根気よ
  く質問を重ねた。
  「休みにどこかに行ったりするんですか?」
   姪は、呆れたような顔をした。
  「そいつに聞いたって無駄ですよ。何も答えやしねえ。昔からそう
  なんだ。いくら結婚しちゃいけねえ、小遣いも貰えねえからって」
   曖昧な笑みを浮かべていると、女は去っていった。私は男に向き
  直る。
  「大変だったでしょう。いくらこの辺りの習慣だからって……私も
  三男だ。時代が時代ならば、私も同じだったかもしれませんね」
   ――私は口を噤んだ。無神経すぎる言葉を吐いてしまった。窺う
  ように男の顔を見る。その目に微かに、光が灯った気がした。
   ふらりと男が立ち上がり、初めて口を開く。
  「オレはあたらしい世界にいくんだ」
  「新しい世界……?」
  「おまえは持っている。でも、オレには何もない。あたらしい世界
  に行く」
  「待て、待ってくれ。もうあなたしか残っていないんだ」
   男が去っていく。追うべきだったが、私の足は縫いとめられたか
  のように動かなかった。
   そうして、私は最後の一人を失った。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【02】──┨ 七月二十三日早朝、大楠の前で
      
         大きな楠があるお寺の大池に落ちた春子ちゃんは幸いにもすぐに
        助けられたが、そのまま三日も目を醒まさないでいる。わたしは夜
        を徹して黄粉餅を五十個作り、夜明け前にお寺の大楠の前でかな
        ちゃんと待ちあわせをした。かなちゃんも五十個の黄粉餅を包んで
        いた。わたしたちは百個のお餅を楠の前に捧げて、タルコさまを呼
        びだした。「眠ったままの春子ちゃんを助けてあげてください」
         あらわれた白い巨大な大山椒魚のすがたをしたタルコさまは、な
        にもいわずに山と積まれたお餅をがつがつと食べはじめる。百個食
        べ終えると、そのまま寝転んでしまった。
        「ちょっとなに寝てるのよ」揺り動かす。
        「あわてるな。その春子ちゃんの夢のなかに入るには、おれも眠ら
        なくてはならない」いいざまに、いびきをかきはじめる。
         でも、すぐにタルコさまはむくりと起きあがる。「おまえたちに
        も手伝ってもらう」
        「えっ、もう、ようすがわかったの」
        「もう、とはなんだ。ひとの夢のなかは、この世よりもはるかに時
        の流れがゆるやかなのだ。おれは春子ちゃんの精神の宇宙の三千世
        界のなかから、ようやく彼女の心の病源を見出してもどってきたと
        ころだ」
         近くのお寺から、夜明けを告げる荘厳なる鐘が鳴りはじめた。
        「わたしたちも彼女の夢のなかにゆきます。連れていってくださ
        い」かなちゃんが前に進み出て、タルコさまの前肢をとる。いつも
        おとなしい彼女の瞳がきらめいていた。
         わたしたちはタルコさまの両腕にそれぞれ抱きかかえられて、宇
        宙空間を飛んだ。眼下に星がきらめいていた。これが春子ちゃんの
        夢のなか。星のひとつに急降下する。
         浅い水辺に横たわり、胸の前で手を組んだまま眠っている女のひ
        と。春子ちゃんのお姉さんみたい。いや、将来の春子ちゃんだ。
        「子供のころ、池でおぼれていた子犬を助けられなかった悔いが彼
        女を縛りつけている。おまえたちが抱え起こしてあげるとよい」
         胸が詰まった。水辺の春子ちゃんは大人なのに、なんだかかよわ
        いように見えた。濡れるのもいとわずにかなちゃんが近寄る。わた
        しもつづいた。ふたりして息を切らして、岸辺に彼女をひきあげる。
        とたんに、いっせいに水辺の睡蓮の花が開いた。
         楠の前にもどる。ちょうどお寺の鐘が鳴り終え、朝日が射したと
        ころだった。きっと、春子ちゃんも目を醒ましているだろう。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【03】──┨ 夢買い人

   まずは仕事を辞めた。暇な時間が増え、対人関係のしがらみが
  減った。その分訪問販売や勧誘電話等は増えたけど。でも仲良くも
  ない同僚に媚びられるより、ずっといい。
   カーテンを開けると朝の光が部屋に広がる。狭い部屋だからそれ
  だけで光が行き渡る。確かにそれは気に入っていたけど、今は狭さ
  が気に障る。光は床の傷、壁のシミをくっきりと浮かび上がらせて
  いた。一つ溜め息を吐くと立ち上がる。住宅情報誌じゃいまいちイ
  メージが涌かない。今日は少し歩くけど不動産屋に行くとしよう。
   アパートを出ると、通行人の視線が気になった。誰も彼もがこち
  らを見ている気がする。いや、実際見ているのだろう。私はこのあ
  たりでは有名人だ。吹聴したわけではないけれど、人の口に戸は立
  てられない。私は、肩にかけたバッグの肩紐を握り締めた。バッグ
  には通帳やら判子が入っている。申し訳程度の鍵しかついてないア
  パートに置いておくのは不安なのだ。すれ違う人を警戒し、道を尋
  ねに近付いて来た人に怯え。でも人通りのない道を行くのも怖くて。
  不動産屋に着いた時には、何しに来たのかがどうでもよくなるくら
  い疲れ果ててしまった。それでもここまで来たのだから、と気を取
  り直して入口に近付き

   とん、と肩紐を握る手に衝撃が来た。集中していたせいで対応が
  遅れる。もし今私に触れた人がひったくりだったのなら、まんまと
  カバンを奪われてしまっていただろう。
   しかし実際はそんなことはなく。
   男の人が怪訝そうに私を見ていた。
  「前、空きましたよ」
   そう言って私の前の空間を指し示す。私は礼を言って空いた場所
  につめた。売り場の前。だから空想…いや、イメージトレーニング
  はこれで終わり。今回のはちょっとビクビクしすぎだったけど、こ
  こで経験したのだから本番はもっと上手く出来るだろう。

   それは、薄い紙でできた夢。
  「連番で10枚お願いします」
  「3000円になります」

   そして私は夢を買う。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【04】──┨ Innocent Love
      
        「群青」
         こないだの事故から物や図形を上手い具合に理解できなくなって
        しまった。医者から小難しい説明を受けたけれど、正直よくわかっ
        ていない。とりあえず僕は、物や図形に立ち現れる細やかな色差や
        色相だけは辛うじて理解できるので、せめて彼女を彼女と識別する
        ため、色差や色相の認識に努めた。
        「ファ ド ファ シ ラ」
         秋の空ほどじゃないけれど、気まぐれに移ろう彼女の表情は、だ
        いたいいつも穏やかな紅藤色なのだけれど、感情に応じて色差だけ
        に留まらず、色相さえも変化した。僕は迂濶な言葉で何度も彼女を
        空五倍子色に変えてしまったし、彼女は彼女でその瞬間その瞬間、
        自分が何色なのかをひどく気にして僕に確認した。
        「鴇色」
         だからなのかもしれない。彼女は住んでたマンションの屋上から
        飛び下りた。
        「シ シ ラ シ ド」
         ここまで説明すればあとはもうわかってもらえるだろう。今の僕
        にとって言葉や概念、観念や定義なんかはよくわからないあやふや
        なモノで、こうして意味順番に並べていくと、とてつもなく疲れて
        しまう。おそらく、そう遠くない未来に僕は色差や色相すら区別で
        きなくなって、世界は水で薄めすぎた絵の具のように滲んでしまう
        だろう。
        「利久鼠」
         それでもかまわない。
        「レ ファ ラ」
         僕と彼女は、事故をきっかけに僕と彼女だけのルールにしたがっ
        て、僕と彼女だけの方法でコミュニケーションを図っているから。
        色と音を直接、等価に交換できるから。
        「縹色」
         カラーパレットも五線譜も、もちろん中間言語だっていらない、
        サイケデリックに美しい、曖昧に滑らかな僕と彼女だけの。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【05】──┨ 想像力

   郊外の老朽化した一戸建て。二階の書斎にて、作家が小説を書い
  ている。机の前に座ってキーボードを叩き始めてから既にかなりの
  時間が経過しているが、作家は充血した双眸を見開いて一身に物語
  を綴っていた。時折壁に掛かった時計を見上げ、そっと溜め息を漏
  らす。
   あれよあれよと言ううちに、締め切りは3日後に迫っていた。日
  曜日にやって来る編集者に、出来上がった原稿を手渡さねばならな
  い。小説家の締め切りは破られるものであるとはいえ、今回遅れた
  らおそらく陰湿な嫌味をぶつけられるだけでは済まないだろう。
   書き始めたのが今週の月曜日で、一週間で新作を完成させなけれ
  ばならないという状況であったにもかかわらず、今日は駄目だ今日
  も気が乗らないと仕事を先送りにしたのがいけなかった。いつもの
  ことではあるが、まったく情けない。
   しかし、いわゆる火事場の馬鹿力という奴であろう、作家は驚異
  的なスピードで執筆を続けた。彼は追い込まれるほどに能力を発揮
  するタイプの男なのか、絶え間ない焦りや忍び寄る睡魔にも打ち
  勝って物語は着々と進む。
   「新しい現実の誕生」というテーマに名前負けすることなく、彼
  の小説は躍動感に満ち、この世のものとは思えない美しい風景で溢
  れていた。作中で彼は昼と夜とを描き、海と山とを作り、鳥や魚や
  獣たちは生き生きと動き出す。締め切りの前日、彼の物語はさらに
  複雑さを増し、人間という生き物に関するエピソードを書き終えた
  あと、舞台となる星の壮絶な最期を描ききった頃には土曜日は終
  わっていた。彼は死んだように眠り、日曜日を迎えた。確かな満足
  感と共に、完成した長編の原稿を、自分がたった一週間で創造した
  世界を編集者に手渡しながら作家は思う。「今回の作品には、並み
  居るSF界の大家たちも感嘆を漏らさざるを得まい……」


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【06】──┨ 部屋を明るくして離れてご覧下さい
      
         バス停の前で、麗子はヒマそうに空中浮遊をしていた。「遅いわ
        よ」と俺を一瞥し、すとんと歩道に着地する。先週まで肩の上に留
        まらせていたはずの遣い魔の姿が、今はない。
         ……ああそうか、今日から新番組だった。
        「また転校生が来るらしいわ。『念力遣いたちが繰り広げるドタバ
        タ学園ラブコメ』だって」
        「『魔法学園を舞台にしたスラップスティックアクションドラマ』
        と何が違うんだよ」
         さあ、と麗子は肩をすくめる。「魔法力No.1級ツンデレ生徒会長」
        と準ヒロイン格だった麗子だが、今回も同じような役どころらしい。
         ちなみに俺は「一見クールだが微妙にボケの入った親友B」だっ
        た。今回も似た配役になるのだろう。番組《現実》が何度変わろう
        が、持って生まれた役割《性格》はそう変わるものではない。
         バスが空を飛んできた。俺達は身体を浮かせてドアに滑り込んだ。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【07】──┨ チャイカ

   怒り狂った父は、大きな手で髪を引っ掴み、私を庭に放り出した。
  「きのう、先生と寝たの」
   窓ガラスに身体のあちこちを切り裂かれながら、私は冷たい土の
  上に転がる。
  「ひとりでやるより、ずっとよかった」
   父は私の横腹を蹴り上げる。私は苦い吐瀉物を、そこらじゅうに
  まき散らしてしまう。
  「お父さんが一度もそんなふうにしてくれなかったくらい優しく抱
  いてくれた」
   最後に父はゴルフクラブを幾度も振りおろして、私を完全にぐ
  ちゃぐちゃにした。
   十五年間たったひとりで私を育ててくれた父。私の欲しがるもの
  は何だって全部買ってくれたけど、一度も笑いかけてはくれなかっ
  た。
   彼が去った後には、ただ洗い立ての白だけが、静かに、どこまで
  も静かに残っていた。
  「ねぇ、お父さん……」
   遠くから、甲高いかもめの鳴き声が聞こえてくる。幾重にも重な
  り合い、響き合う。
   竜が一匹、真っ白な空の中、赤銅色の身体をくねらせて泳いでい
  く。無数のかもめたちに囲まれて、進んでいく。
   私は起き上がり、血と吐瀉物に塗れた死骸を残して走り出す。塀
  を越え、時計屋の屋根を駆け、書店の緑色のひさしを蹴る。海の匂
  いを含んだ冷たい風が身体を包む。
   ああ、なんて、軽いんだろう……!
   対して、竜は圧倒的な重量感とともに私の頭の上にあった。彼が
  港に降りることを、昔夢に見た私は知っている。かもめたちに交渉
  すれば、背中に乗せてもらえるかもしれない。
   私はふと思いついて、肉屋の角で跳ねた。校門を毀し、理科室を
  過ぎ、図書室の向かいの倉庫を開けると、先生が天井からぶら下
  がっている。
   二度と動かない手のひら。チョークの粉に汚れた白衣の裾。私は
  目を細めて、少し泣いた。
   竜が吠える。かもめが啼く。学校の中か外か、夢か現か、空か海
  の底か。あらゆる場所で響き合う。
   学校が腐れて崩れてゆく。海が広がる。ざわと波が打ち寄せて、
  私の靴を濡らしていった。黒い水の上、曇天に向けて首を伸ばした
  竜が、長く、太く、吠える。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【08】──┨ ロボットの脳
      
         国際プロジェクトとして数十年が費やされた人間型ロボットの開
        発チームが、重大な発表を行った。プロジェクトの中心となってい
        た博士が口を開き、現在の科学技術では今後さらに研究を重ねても、
        人間と同等の働きをする人工知能の開発は不可能である、との見解
        が示されたのである。
         さすがに、その場には失望した空気が流れた。人間と同じように
        思考し行動するロボットの実現は、不可能なのであろうか。 
         だが、博士は続いて、意外な発表をしたのである。人間と同様に
        思考させたいのであれば、人間の脳を利用すればいい。
         すなわち、人間の脳の大部分は普段から使用されていない。その
        使われていない部分に機械を埋め込み、遠隔でロボットの人工知能
        に援用、いわば脳を間借りする、という方法である。もちろん、人
        間側に不都合のない方法は研究済みである。もともと不要な部分だ
        し、両者の感覚や意識、記憶が混乱することもない、と説明があっ
        た。
         こうして、その日のうちに国際機関を通じて、脳の提供者が募ら
        れたのである。
         もちろん、ロボットのために脳の提供などしたくないと、世間の
        多くは反対した。だが、人間と同じようなロボットの誕生を熱望し
        ていた人も少なくなく、世界中から多くの希望
        者が集まった。そして、彼らの脳に処置がなされたのであった。
         当初の成果は目覚ましく思われた。人間と同じ複雑な思考ができ
        るようになったことで、ロボットの活躍できる範囲は大きく広がっ
        たかに見えたたのである。
         だが、ほどなくして、大きな問題が持ち上がった。そう、脳の提
        供をする人間が、その後ほとんど増えなかったのである。これでは、
        せっかくの技術を活かすことができず、実用的な成果をあげるまで
        に至らないことは明白であった。
        「どうにかならないのか」
         各方面からの突き上げを食らって、某国首脳が博士に泣きついた。
        「わかりました。世間の反対を考えて公表していませんが、対策は
        考えてあります」
        「どんな方法だ?」
        「宇宙の別の惑星の知的生命体の脳を利用するのです。さいわい、
        かねてからの調査で、技術的に可能な距離にある太陽系の第三惑星
        に、われわれと近い構造の脳を持った生命体が文明を築いているこ
        とが判明しています」


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【09】──┨ 哲 夫

   はじめまして。こういうところに登録するのは初めてでなにを書
  いていいのかわからないな。とりあえず俺の事は「てっちゃん」と
  でも呼んでくれ。趣味は将棋と映画鑑賞、洋楽が好きで愛用のアイ
  ポットにはロックばかりはいっている。性格はいたって温厚、情に
  厚く涙もろい。この間も映画館で号泣して、彼女にしかられてし
  まったよ。あ、そうそう付き合って3年になる彼女がいます。もち
  ろん1人ね。容姿は中の上で、すこし気が強い女の子で――あ、こ
  んなこと書くとしかられるだろうけど――相性はかなり良い。ただ
  彼女のほうが俺のことを好きすぎてたまに喧嘩になるかな。それ以
  外は至って順調です。(のろけ?)ここだけの話いつかけ

   携帯が鳴った。哲夫はパソコンのキーボードから右手をはずし、
  横ある携帯をつかむ。
  「もしもし、―― ああ、美恵子? なんだよこんな時間に。え?
  いや、インターネットやってた……うん……だから言っただろう。
  お前は馬鹿なんだからそういうところに行っても進歩しないんだっ
  て。俺の言うことを聞いていればいいんだよ。――ん、……え? 
  なんだ、またそのことか。ちっ――俺は別れないって言っているだ
  ろう? は? それはお前の受け取り方が悪いんだよ。俺はお前の
  ことを思っていろいろと改善点を挙げているだけなんだから。
  ――は? 馬鹿いうなよ、俺以外の男がお前に言い寄るわけないだ
  ろ。自意識過剰もいい加減にしてくれ。……だから、さっきから別
  れねェっていってるだろう、馬鹿やろうッ!! お前が1人で生きて
  いけると思ってんのかッ!! 別れやがったら一生後悔させてやるか
  らな!! ちょっと待ってろ、今からそっちに行ってやる。くだらな
  いカウンセラーになにをそそのかされたのか知らないけどな、目を
  覚まさしてやるッ!!」
   受話ボタンを乱暴に押すと、哲夫はパソコンデスクの上に携帯を
  叩きつけた。

   ――ここだけの話いつか結婚したい。彼女は俺がいなきゃだめだ
  から。たまにわがままを言われて愛情を試されるけど、どんな困難
  だって乗り越えられる気になるんだ。彼女となら。
  こんな俺と友達になりたい人はいつでメッセージをください。誰で
  も受け入れるよ。心の広さには自信があるんだ。これから彼女の家
  へ行ってきます。ではでは、またね。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【10】──┨ レッド・プール
      
         肌に泥を塗る。黒と緑の混色で臭いがきつい。刷り込むようにし
        て、皮膚に馴染ませる。たるんで出来た皺の間にも丹念に塗りたく
        る。
         目は、どうしただろうか。瞼には塗った。だが、眼球はどうした
        のだろうか。朋輩たちの様子を思い出し、迷った。
         昔から思っていた。思考とは、老いと共に保守的になるのか、そ
        れとも周囲に磨耗されて丸くなるものなのだろうか。思い出すのも
        困難なほど長く一人でいると、およそ前者のほうが正しい気がして
        くる。年月が人を変え、磨り減らせる。眼球に塗るのは止めた。
         目の前の赤く濁ったプールに足を踏み入れる。それを合図に、す
        ぐさま音がした。蚊だ。黒い靄のような、大群の蚊に目を閉じる。
         目元でかさりと感触がした。蚊の一匹を瞼で挟んでしまったよう
        だ。死なないのか、ふちの下で身動きをし、私の目に針を突き立て
        ようとする。痒さに怯んでいる暇は無い。早くプールを渡らなけれ
        ば、蚊どもは水中にまでやってくる。奴らは泳げもしないのに水に
        飛び込む愚かさを披露する。朋輩の一人は、彼らは愚直だと言った。
        自分の仕事にあたっているだけなのだと。
         目を閉じた闇の中、プールを渡る。
         泥で固めた耳の中まで、蚊たちの飛ぶ音が木霊し、頭中に無数の
        蚊が飛び交う幻覚が浮かんだ。水が跳ねた部分から泥が流れ、そこ
        を狙うように蚊たちが針を刺す。
         進むしかない。だが、終わりは来ない。
         がつんと何かが足にあたった。岸ではない。プールには水と、蚊
        の死体しか無かったはずだ。足で弄る。丸みを帯びた形、いくつか
        の穴。片足で乗れば、踏み抜ける硬さ。足で脇にどかし、進んだ。
         ふいに、波が見えた。目を閉じ、視界を閉ざしているというのに、
        プールから赤く大きくうねり、こちらに迫ってくるのが見えた。黒
        い靄も、世界も、全てを飲み込む――
         目を開く。そこに何万という蚊がいた。
         蚊の目が、黒く丸く笑う。眼球に蚊たちが殺到する。悲鳴をあげ、
        手を振り回したが、効果が無い。跳ね上げた水で泥が落ち、そこへ
        も蚊が押し寄せる。
         血がどんどん抜けていく。腹を膨らした蚊がふらふらと宙を飛ぶ。
        蚊の針のお陰で見えないというのに目はその光景を捉えていた。
         ぐらりと体が傾ぎ、プールの中に没する。
         そこにはいなくなったはずの朋輩たちが濁った笑みを浮かべて、
        膝を抱えていた。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【11】──┨ タンギング

   まず大きく口をあけて、舌をまえに出す。
   とがらせるのではなく左右に広げることを意識して、舌の裏側で
  アゴをなめる感覚。
   そのままの状態で、呼吸をする。小さく繰り返すのがコツだ。あ
  まり大きく吸うとセキが出て、ノドも苦しい。
   全力で散歩を終えた犬のように。
   短く、吸う、吐く、吸う。最初はすぐに苦しくなるけど、ノドを
  きたえればできるようになる。だけど、これはノドではなく、舌の
  訓練だ。舌の表面がかわかされるぐらいまで続くようになれば、空
  気の味が感じられる。
   味覚。
   人の感覚は、きたえて発達させることができる。けれど、味覚を
  きたえる人はいない。料理人にしても、食事にしか味覚を使わない
  点では普通の人と大差ない。生まれたての目があかない子供と同じ
  だ。機能の大半がとじている。味覚を発達させることは新しい感覚
  を得ることに近い。世界が変わる。
   次は舌先を上にそらせて、ゆっくりと縦に動かす。ミルクをなめ
  る猫のように。ただしこの舌の訓練は、他人のまえでやれないのが
  難点だ。そのうえ鏡を見ながらだと、ひどいばかヅラをおがむこと
  になる。
   鏡の中にある白いドアがあいて、湯上がりに肌を紅潮させた若い
  男が全裸で出てくる。
   わたしは鏡を向いたまま、舌を口に戻す。
  「遅いじゃない……」
   男の肩に手をかけ、押さえ込むようにしてベッドに座らせる。お
  湯の熱を残す肌に、手のひらが汗で濡れる。それだけで舌の上に塩
  の味が広がる。わたしはベッドの横に立ち、自分の顔を上から、男
  の顔にかぶせる。
  「舌を出しなさい、早く」
   男はピンク色の舌を突き出す。目が半分、とじたようになる。わ
  たしは顔を横にして、あごを近づける。舌を口で挟み、味わう。
   水たまりの上を静かに歩く音がする。
   ミントの味。口臭剤の香り。嗅覚は味覚のよきパートナーだ。自
  分の舌を出して、男の舌をなめる。だ液がすべり、顔を動かす。
   甘くにがい、欲情の味が見える。
   色は赤。木から落ちて割れたザクロ。中の空洞で幾何学的に並ぶ、
  赤い果実。その一つひとつにアラビア式の宮殿が映り込み、雑色の
  布を肢体に巻いた踊り子たちが舞う。
   わたしは口内にあふれるそれらの世界を味わいつくし、だ液と共
  に飲み込む。
   ごくり、と。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【12】──┨ 7月25日4時43分12秒
      
        『もしもし──』
        「こちらは留守番電話サービスです。御用の方は、」
        『悠奈《ゆうな》ちゃん』
         ため息をついて、しぶしぶ「聞いてるよ、なあに」と言った。
        ケータイから聞こえる秋の沈んだ声には、風の音が混じっていた。
        『ごめんね起こしちゃって、でも悠奈ちゃんとは最期に話したくて』
        「最後? 最後ってどういうこと?」
         視界の端にランドセルを見、私は言った。
        『悠奈ちゃん。私もう、ダメ』
        「何、何があったの? 言ってよ、聞くから」
        『ダメなの。私、もう現実に耐えられない』
         そこで、秋の声は急に明るくなった。
        『だから私、新しい現実へ行く事にしたの』
        「ねえ秋、今どこにいるの?」
        『ごめん、もう夜が終わるから。悠奈ちゃん。今まで……、友達で
        いてくれてありがとう』
         風の音が強くなった。
        『──さよなら』
         電話が唐突に切れた。ケータイの画面には『7月25日4時43
        分12秒』とあった。
      
         結局、いつもの時間に学校へ行った。するとグラウンドの一角に
        人が集まっていた。警官らしい人もいた。黄色と黒の帯で囲われた
        中にシートが広げてあった。教室に行くと「誰かが飛び降り自殺し
        た」という噂話を聞いた。屋上に行くのは、意外と簡単だ。校舎の
        壁に古い非常階段があって、入り口の扉は塞いであるけど、ペンチ
        があれば簡単に開けられる。
         終業式で秋が死んだと告げられた。あの時、秋がどこにいたかを
        知った。特別親しくはなかったというのは言い訳かもしれないけれ
        ど、悲しくなかった。死因も見当が付かない。 みんな「現場」が
        気になるらしくて、帰りがけに近づいて教師に追い払われていた。
        私はそんな光景を遠巻きにして、ケータイを開いた。やっぱり悲し
        いとは思わなかった。
         ──7月25日4時43分12秒
         それは、秋が飛び降り自殺した時刻だ。
        「莫迦だよ秋は。新しい現実なんて。いつだって今は新しい現実な
        んだよ」
         気づくと、そんなことを言っていた。頬に雫がつうっと流れて
        いった。
         夏休みがはじまる。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【13】──┨ 扉

   波打ち際を歩く。夜明け間近の海岸、うつむき、ときどき目元を
  拭いながら。昨夜の嵐が、さまざまなものを運んできていた。海草
  がもつれあい、木材の破片が散っている。
   あれは、なんだろう。白い波にミュールを洗われながら、歩み寄
  る。波打ち際に横たわる、平たいもの。青いペンキが剥げかけ、木
  目が覗いている。
   ノブがついた扉を、無言で見下ろした。屈み込み、引き起こす。
  それは、なんとかバランスを保ち自立した。逆光を受け、目の前に
  黒く立ち塞がる。
   息を吸った。とぎれとぎれの記憶がよみがえる。口論と怒号、投
  げつけた指輪。嵐に怯えるように、毛布のなかで泣いた夜。
  (いい? これは儀式)絡んでいた海草を払いのけ、ノブを握る。
  (ジョーイのことは、ぜんぶ忘れるの。この向こうにあるのは、新
  しい世界)
   扉を開ける。朝陽を待つ水平線が、銀色に輝いていた。波の上を
  漂う丸太、それにしがみついている、黒髪の男性。遭難者。次の瞬
  間、波に向かって走りだした。
   ぎりぎりだった。爪先が届く深さのうちに、たくましい腕をつか
  んでいた。波の助けを借りながら、少しずつ丸太を押しやる。
  「――誰?」
   睫毛が、震えた。黒い瞳、優美な眉。濡れたシャツ越し、鍛えら
  れた肉体を感じる。波の下、足がもつれそうになった。この人が、
  私の新しい世界?
  「竜巻が……歩いていたら急に……呑み込まれて……」
   大丈夫、しゃべらないほうがいいわ。そう呼びかけても、男はう
  めき続ける。
  「メリッサが……別居している妻が……たった一人……こんな夜に
  一人……心配で……」
   力が、抜けるのを感じた。海の冷たさに、包み込まれる。深く、
  深く、胸の内側まで染み込む冷たさ。
   男が顔をあげる。遠く、砂浜に目をやる。信じられないほど大き
  く、瞼を見開く。
  「あれは……メリッサの家のドアだ!」
   丸太から、男が滑り落ちる。水飛沫をあげ沈み込んだ身体が、次
  の瞬間、勢いよく浮かびあがった。犬のように身震いし、歩きだす。
  力強く波をあげながら、まっすぐに砂浜へ。
   待って。細く声をあげる。待って、お願い、行かないで。打ち付
  ける波に背中を洗われながら、震える喉に手をあてた。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【14】──┨ ここにキスして
      
        それはきっともうすぐ夜になる頃合で、どうしても眠たいから少し
        だけ蒲団に入ろうかなどと思いつつけれどもいま寝てしまうとどう
        せ真夜中までは目を醒まさないのだろうという気もするし、だとす
        れば先に眠いのを我慢しながら食事だけは接っておいたほうがいい
        かとも思うのだけれど、そうやって無理して起きているとかえって
        目が冴えてしまい、いまこの瞬間の、少し傷みだした水蜜桃のよう
        な甘い眠りの誘惑の空気が鼻孔から目の周囲にはりついている陶然
        が揮発して棘が刺さったように白けてしまうので、やはり眠ろうと
        いう気を起こしたとき、まるでそうするのが当たり前であるかのよ
        うに、彼女が僕のベッドで眠っていて、柔らかに、小さな子供を抱
        くようにして身体を丸め、思いのほか量のある黒髪が波を流してひ
        ろがっているので表情が見えず、六畳の部屋の、フローリングの洋
        間だから和室よりは少しだけ広いとはいえ、ぺらぺらの安物カーテ
        ンを透かして滑り込んでくる微弱な光は地平線から10度下の太陽の
        ためいきに過ぎず彼女の身体のそばで猫のように寄り添い尾てい骨
        の隆起がはみ出したパンティーが、ぴん、とその表面を張りきらさ
        せ、左肩の外れたブラのストラップが中空で奇跡的に静止している
        ので、どうしたらいいかわからなくなってしまうのだが、しかし、
        彼女の呼吸の運動は、横隔膜の膨張収縮に伴い貝殻骨のゆるやかな
        揺れにあらわれており、僕が自分自身の指先を見つめながらおっか
        なびっくり彼女の肩に触れると彼女はあっさりと、まるで一睡もし
        ていなかったように瞼を開けて僕を見、とてもはっきりした発声で、
        ここにキスして、というので、とどのつまり今日も僕は眠れない。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【15】──┨ 不眠症

   今日も眠ることができずに男は苦しむ。ふと窓を見るとミミズク
  の姿がある。「お邪魔しますほー」茶と灰の不吉な色をした鳥が部
  屋のなかを飛び回る。「眠らせてあげましょうかほっほー」ミミズ
  クが頭上で言う。邪魔しないでくれ、と男は思う。これは私の沽券
  に関わる問題なのだ。しかしミミズクは男の思惑に構おうとしない。
  「ミミズクなのに聞くミミを持たない。これ如何に」そしてほっほ
  と笑うとその翼で男の頭をかち割り、泡立つ脳みそをちゅーちゅー
  と吸う。そこで漸く男に眠気が生じる。眠ることの出来る喜びと、
  このようなものに頼らざるを得ない自分の不甲斐なさを同時に噛み
  締めながら男は心地悪い眠りの世界に落ちてゆく。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【16】──┨ 万歳
      
        「なあ、人が爆発するところって、見たことあるか」
         俺は菊川の顔をまじまじと見つめた。
         深夜にこんな遠くのファミレスへ呼び出したと思ったら、藪から
        棒にこれだ。さては気でも違ったか。それともただふざけているだ
        けか。
        「いや本当にシリアスな話なんだ。とにかく聞いてくれ」
         親友にそう言われては黙るしかない。
         曰く。
      
         僕には二歳年下の彼女がいた。いた、と言っても別れたわけじゃ
        ない。ある日デート中に入った喫茶店で、彼女は「人が爆発する
        のって見たことある?」と訊いてきた。何でも、親しい女友達が目
        の前で万歳をしたかと思うと、手の先からぶくぶくと膨れて仕舞い
        にはごばんと爆発したのだという。しかし彼女以外にその事件を知
        る者はいなかった。それどころか皆その女友達のこと自体を忘れて
        いた。どうも、初めから存在しなかったことになってしまったらし
        い。尋ねる端から笑われて、もう自分の思い違いにしようと考えて
        いたのだけれど、最後に彼氏である僕に訊くことにしたのだと。
         僕は判断を迷った。風変わりな別れ話かとも思ったが違うようだ。
        悩んだけれど、最終的に僕は「信じるよ」と答えた。
         すると彼女は「やった!」と叫んで万歳をした。
         後はもうわかるだろう。彼女は爆発した。
      
         信じられるわけのない話だと思った。そもそも俺は菊川に彼女が
        いたなんて聞いたことがない。やっぱりこいつはふざけてやがるの
        だ。
         せっかくだから俺はそのふざけに乗っかってやることにした。
        「わかった。俺は信じる」
         そう言うと菊川は目を輝かせた。
        「本当か? やった!」
         そして彼は万歳をした。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【17】──┨ 魔女の花園

   何度目かの紛争も、どうにか幕を下したらしい。
   性懲りも無く繰り返される代物の争点がどこにあるのかなど、末
  端の魔砲少女である自分には、とうとう知る由も無かった。
   周囲には華の園。誰かの残骸と自分の臓腑の入り混じった、朱と
  紅の庭園がこじんまりと広がっている。
   此処は確か、自分が陣地を敷く前は、確かに。
   偽り無き花園が広がっていたのではないか。
   それは遠い日の記憶か、見果てぬ夢の幻か。
   機銃座にもたれて、泡沫を彷徨う。夢か。はたまた現か。
   ともあれ、今の此処はどうにも血腥い花園だった。
   そして、遠からず繰り返されるであろう紛争の続きにおいてなお
  死臭の蜜に群がる蝶の楽園となるのだろう。
   自分のような誰かが陣を敷き、自分のように墜ちて行く。夢のよ
  うに。逃れようの無い現実として。
  ――平和であれ。
   ただそれだけを願って、自分は戦った。少女は抗った。魔砲少女
  は咆哮を謳った。
   夢が終わる。
   その続きに向けて、少女の現実は幕を下す。
   願わくば束の間の平穏と共にあれ。安息の夢と共に眠れ。
  ――ただ一つきり残された、奇跡の弾頭に、彼女は願いを託した。
   どうか、この楽園が、美しい花園として在り続けられますよう。
  
   数年後。
   誰かが撃った迫撃爆裂焼夷弾が、どういうわけか全て不発のまま
  着弾し、誰かが敷いていた魔砲陣を楔る地形の要因そのままに穿た
  れた結果。
   そこは新たなる人類不到の地となった。夢と現が融けて交わり、
  永遠の泡沫を彷徨う秘密の花園となっていた。
   絶滅危惧種の生態系が栄華を極める地上の楽土と化した其処を、
  誰かが魔女の花園と呼んだかどうかは、もはや夢の彼方に木霊する
  誰かにさえ、知る由も無かった。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【18】──┨ 朝が怖い
      
           こんなにも死にたいのに、自殺もしないで悶えているのは、結
        局のところ生きていたいのだからだと思う。
          だがたまらなく苦しい。死にたい死にたい死にたい死にたい死に
        たい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
        死にたい死にたい……でも死ねない。苦しい。
         自宅から自転車でちょっと行ったところに新しい工業大学がある。
        そこのセキュリティはゆるゆるで、深夜なんども忍び込んだことが
        ある。もちろん建物の中には入れないが、外は自由自在だ。非常階
        段を上って、柵も何もない屋上から下を見下ろすことができる。こ
        の頃いつもそこから見下ろした暗闇を思う。
          ぽっかりと空いた黒い闇。
          七階建てのそこから身を投じれば、二秒ほどでこの苦しみを中絶
        できるだろう。
          一、二、終わり。
          簡単な事だ。だけど僕は実行しない。苦しみ苦しみブレーキをか
        ける。なんのために?  なにが引き留める? 家族か、友達か、そ
        れともやっぱり生きたいのか?
          今日もようやく青空に茜色が差し、夜の気配が漂い始める。夜は
        良い。心がほんの少し穏やかになる。ゆったりと眠りたい。けれど
        眠れない。午前三時を回った頃、やっと眠りに落ちる。
          そして夢を見る。それがどんな夢であれ、たとえ悪夢であっても
        目覚めよりはいい。
          朝が怖い。
          最初はなぜだかわからなかった。ただ朝が、目覚めが怖かった。
        でも今はわかる。目覚めればまた生と死の境界で、進むも退くもで
        きず苦しまなければならないからだ。
          そしてどうにかして夢の中に逃げ込もうとする。でも結果として
        悶えながら起き、ずっと布団の中に篭っていることはなかった。
          どうしてだ?  生きていても無価値で無意味なのに。
          それでも今日も僕は、泥沼から這い上がるようにして歩き出す。
          旧い夢を捨てて、新しい現実へと。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【19】──┨ オカルト判事遠山越前名裁き
           ┃   第一話 ラーメン天一坊事件

   ラーメン天一坊の屋号を巡る一太郎と三四郎の争いはとうとう法
  廷に持ち込まれることとなった。この事件の担当となったのはオカ
  ルト判事の異名で知られる名裁判官、遠山越前その人である。
   一太郎と三四郎は遠山判事を前にして、それぞれ故天一坊下品の
  正統な後継者が自分であることを力説し、スープを作り、麺を打っ
  てみせた。しかし、彼らのラーメン職人としての技術は五分五分で、
  どちらに軍配を上げたらいいのか、さすがの遠山判事にも判断がで
  きない。
   そこで判事は腕組みをしてこう言った。
  「先代を召喚して判定してもらいましょう」
   そう、遠山判事がオカルト判事と呼ばれる所以は、死者との交感
  能力にあったのである。
   一太郎、三四郎ともに異存なく、直ちにラーメン天一坊初代店主、
  天一坊下品の霊が法廷に呼び出された。
  「わざわざ霊界からお越し頂き恐縮です。実は……」と遠山判事が
  事情を説明すると、先代の霊は黙って一太郎と三四郎が作ったラー
  メンを試食し、そしてカッと霊眼を開いて怒鳴った。
  「てめえらに天一坊の暖簾は渡せねぇ! ラーメン天一坊の跡を継
  ぐのはこの人でぃ」
   天一坊下品が霊指を向けた先には遠山判事がいたのである。判事
  にとっての新しい現実の誕生を告げる出来事であった。
   遠山越前は裁判官の職を辞し、二代目天一坊下品を襲名すること
  となった。彼女がプリンセス・テンイチボーとして全米に名を馳せ
  るととなるのはそれから五年後のことである。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【20】──┨ 検閲警察
      
         カーキ色の、いかにも軍服といった感じの出で立ちの男は、僕を
        呼び止めるなり耳に指を突っ込んだ。
        「ちょっと、何ですかいきなり」
        「いや、最近この辺を不適合思想者がうろついていると聞くものだ
        から。ちょっと検問みたいなものだと思って」
         そう言うと、黒縁メガネの警察官は、僕の耳に髭の剃り跡が色濃
        く残った顔を近づけてくる。耳の外側でコツン、コツンと何かが
        引っかかる音がしていた。
        「ちょっと取れないみたいだから近くの交番に来てもらえると助か
        るんだが」
         ……冗談じゃない、僕だって次の仕事のために急いでいるんだ。
        たまたまの空き時間を使って街に出ただけなのに、何でこんなつま
        らないことで捕まらなければならない?
        「いや、僕は忙しいんだ、また後にしてもらえないだろうか」
        「そう言うわけにはいきません。私も仕事ですから、簡単には」
        「僕が忙しいのは君なら分かるだろ? 少なくとも、日本人だった
        ら全員が知ってる」
        「あいにく、私の家はテレビも新聞もネットもないもので」
         僕は頭を抱えた。この男のまん丸い目は、その言葉が嘘ではない
        ことを物語っている。
        「あまり頑なだと、署に来て貰わないといけないんですけれどねぇ」
         懇願されても困る。さすがに今チップを見られるのはまずい。今
        朝方スパムメールで送られてきたわいせつ画像が脳裏に残ってし
        まっているのだ。……しまった、今また思い出してしまった。これ
        はまずい。
         僕はひとまず……その場から逃げ出した。警官が静止するのも聞
        かずに。
      
        (以下、三時間後に発行された『朝売新聞』号外より引用)
        『藤川首相緊急逮捕──不適合思想防止法違反で・内閣総辞職は不
        可避
         ○○日昼、○○駅側の路上で内閣総理大臣、藤川一正容疑者(五
        七)を警備中の警官が職務質問したところ、その場から逃走しよう
        としたため取り押さえた。その後の取り調べにより藤川容疑者のM
        チップ(耳に埋め込む思想記録チップ)からわいせつな内容のデー
        タが読み出されたため緊急逮捕した。(中略)
         藤川容疑者は不適合思想防止法推進の中心人物として知られてお
        り──(後略)』


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【21】──┨ 無題

   雨中、わたしは男と対峙する。そこらへんの通勤電車に揺られて
  いるのが似合いそうな男が、街中を無意味に笑いながら歩いている
  のがお似合いのわたしを見ている。お互い、手には、風貌と不釣り
  合いな、刀を持って。「終わらせる、ということで良いんだね?」
  男の口調は、あくまで事務的。「違う。始めるの」まるで、子ども
  がすねて反抗しているみたい。そう。これは、反抗。とどめること
  のできない反逆の始まり。ただただ、突き進むだけ。ゆっくりと歩
  き始め、そして、抜く。剣閃は、届かない。男は、抜くまでもなく
  わたしの刀をかわした。闇雲にでも振わなければならない。止めて
  はいけない。動き続けることで、何かが始まるはず。転がり続ける
  運命と、加速し続ける生命。わたしたちは、走り続けるために、反
  逆し続けるために、燃やし尽くすために生まれてきたのだから。息
  が切れる。少し距離を置き、構え直す。そして、力をためる。ただ
  一点。そこを突き崩すために。男は、壁だ。男は、打ち破らなけれ
  ばならない、この世界そのものだ。わたしは、負けるわけにはいか
  ない。この刀に、全生命全存在がかかっている。「おおおっ!」鋭
  く、衝く。男の身体は間に合わない。その骨と骨の間に切っ先が届
  こうかという瞬間、男は、はじめて刀を抜いた。琴、と、甲高い音
  が鳴る。金属と金属。存在と存在が触れる音。そうだ! これこそ
  が、わたしが望んでいた闘争だ! 今、やっとわたしはこの世界と
  戦うことができたのだ! ならば、次はそれを打ち破るだけだ! 
  この世界を斬り伏せ、蹂躙し、そして、わたしという存在を世界に
  するのだ! わたしの衝きはまだ伸びる。もはや、男の刀など怖く
  はない。もし、男が刀で剣線を逸らそうというのなら、その逸らし
  た先のものをすべて薙ぎ払えば良い。受け止めようと言うのなら、
  受け止める刀ごと断ち切ってしまえば良い。今のわたしには、それ
  が可能なのだ。気合一閃。大上段から振り下ろす。わずかに身体を
  ひねり、かわし、避けながらもわたしに向かって横からの薙ぎ。斬
  れるはずがない。古い男に、新しいわたしが! 遅い。そんな斬戟、
  意味などないということがわからないのか? 瞬間刹那、それすら
  も冗長なときの流れにいらだちながらも、わたしも刀筋を曲げる。
  縦から、横へ。男の刀を、腕ごと両断する。銀刃は、留まることを
  知らず、胴体をも真っ二つにする。そして、新しい世界を告げる咆
  哮が。


         ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
        ▼ △
       ▼ △  【22】──┨ 伝道師
      
         夜の街を歩いていると、黒ずくめで痩せぎすの若い男に呼び止め
        られた。哲学者の叡智と賭博師の危うさを兼ね備えたような風貌の
        男は、信号機のように機械的なティッシュ配りにも、あるいは暗が
        りで目を光らせる麻薬の売人にも見えない。
        「本物の世界を見たくありませんか」しかし、男は催眠術師のよう
        な口調でそんな言葉をかけてきた。
         くだらない内容だったらすぐに無視して歩き去るつもりだったの
        に、男の息苦しくなるほど澄んだ目をまともに覗き込んでしまうと、
        もう何事もなく家に帰ることもできなくなった。簡単な説明を受け
        たあと、ポケットに入れた右手には青い小さな鍵が収まっていた。
      
        「鍵はよく噛み砕いて、水と一緒に飲み込むんです」男は、それが
        真実を見る方法なのだと語った。青い小さな鍵は意外に脆く、口の
        中であっと言う間に細かく砕かれた。味はしなかったが、かすかな
        耳鳴りを感じてふと不安になる。男の指示通り自宅を出て夜の街に
        舞い戻り、周囲を見渡すと、見慣れた風景は人ではなく豚で溢れか
        えっていた。アタッシェケースを提げてまっすぐ歩く生真面目そう
        な豚、高校の制服を着て煙草を吸う若い豚、顔が赤い酔っ払った中
        年豚、などなど、装いも様々な豚たちが通りを巨体と悪臭で埋め尽
        くしていた。豚じゃない生き物といえば、腐敗した生ゴミを漁るカ
        ラスやネズミくらいのものだ。
         少しだけ疑いを持ち、ショーウィンドウに顔を近づけると、映っ
        たものが人間であることが確認できて安心した。風俗店の呼び込み
        と思しき豚が話しかけてきたが、豚の言葉が理解できるはずもなく、
        無視して目的の場所へ向かうことにする。
         先ほどの場所に、黒ずくめの男の姿はもはやなかった。代わりに
        蓋のついたガラス壜が置かれていて、中は青い小さな鍵でいっぱい
        だった。それをバッグにしまい込み、あの男と同じ位置に立って、
        ただ待つ。しばらくすると一頭のみすぼらしい豚が通りかかったの
        で、そっと声をかけた。青い小さな鍵を一つ、壜から出して手渡さ
        なければならない。こうして、豚たちは一頭また一頭と人間になっ
        ていくのだ。


   ▼ △━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ▼ △
 ▼ △  【23】──┨ 小さい人魚の姫

   人魚姫はお姉さま達がその美しい髪と引換えに海の魔女からも
  らった短剣を胸に抱いて、王子様の寝室へとむかいました。大きな
  寝台では、昨日結婚したばかりの美しいお妃を胸に抱いた王子様が
  深い眠りについています
   人魚姫は震える手で短剣を王子様の胸の上に振りかざしました

   この短剣が男の胸板を覆う筋肉を切裂き、血管を切断して、傷口
  から溢れ出す血潮が私の足にふれた瞬間、失った鱗が戻り私は海へ
  と帰ることができる。だが本当にそれでいいのだろうか?
   私は二つの世界をすでにこの目で見た
   海と陸
   世界を覆う水と世界を覆う土に触れた私が、再び海底へと戻り人
  魚族としての長い長い三百年の人生に満足できるのだろうか?
   私はこの目で見た
   世界は広い
   ほんの少しの勇気があれば、世界を自分の手で広げることは可能
  だと私は知った
   私はこの目で見た
   世界とは唯一絶対の存在ではない
   愛した男の胸に鋭い刃を突き立てねば、海の泡となるこの小さな
  人魚の姫を人は哀れだというかもしれない。だがそれは一つの世界
  しか知らぬ人の思考なのだ
   魚の尾を捨てたとき、海に属する父や祖母や姉達には私は死んだ
  も同然だった
   だが私という存在は変わらず、陸という新しい世界に生きた
   外見が変化したにすぎない
   この肉体を失って、海の泡という実体のない存在へと変化したと
  き、死が私に訪れたことになるのだろうか?
   否 否 否
   それは一つの世界しか知らぬ人の思考なのだ
   別の世界には別の在り方があることを知らぬ人の恐れなのだ

   初陽を合図に 新しい世界へと 私はダイブする

 ……………………………………………  幻  ……………………………………………

 このコーナーに対するご意見・ご感想は編集部まで:info@kairou.com


◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【3】 後記
 ──────────────────────────────────────

 久々に『雲上』が1000行近いですよ! これはやはり100文字効果!?
 次号、「雲上の庭園」特別増刊号、8月20日、配信予定です! お楽しみに!


*公式サイト
http://magazine.kairou.com/unjyou/
*編集部
info@kairou.com

 次回の配信は8月20日を予定しております。

   ……………………………………… 公 募 ………………………………………

 本誌『雲上』では、アイデアと感動に満ちた作品を募集しています。

 対象は「文章で表現されるすべての作品」です。
 著作権等の問題が無ければ、既に何らかの形で公開された作品でも構いません。
 編集部では作者との共同作業で作品をより良くするシステムを整えております。
 たくさんのご応募を、お待ちしております。

         まずは編集部までご連絡ください:info@kairou.com

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