文学

雲上マガジン

総合創作団体・雲上回廊が送るメール文芸マガジン。

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雲上マガジン vol_130

2007/03/15

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    メールマガジン『雲上』 〜読者へつなぐ〜         第130号
         毎月、05日、15日、25日配信         2007/3/15
                     http://magazine.kairou.com/unjyou/

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 ……………………………………… も く じ …………………………………………

 【1】 前書
 【2】 連載小説「夢盗奴」                 第6回
 【3】 連載超短編「赤井都超短編集」      第19回
 【4】 集中連載「第一回文芸座談会」      第2回
 【5】 編集後記

◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【1】 前書
 ──────────────────────────────────────

 諸事情あってサークルの看板のデザインをしたのですが、特にオチはありません。
                                     後略。

◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【2】 連載小説「夢盗奴」                 第6回
                 著/宮本淳世
 ──────────────────────────────────────

 俗世の縁と怨が絡まりあうこの長編は、あなたの一部をいやおうなく書き換えてゆくで
しょう。五ヶ月に及ぶ長期連載第6回。

 ……………………………………………連載小説……………………………………………

 
結局、裁判で明らかになったのだが、洋子は勝の病気のことなど何も知らなかった。金
のペンダントは勝が暴れた時に、山口が誤って引き千切ってしまったようだ。そして、車
に押し込んだ時、その発作は起こった。二人は苦しむ子供をどうしたらよいのか分からず、
手をこまねいていただけだと言う。
 勝はその発作で事切れた。それでも二人は気を取り直し、必死の思いで篠田の家に脅迫
電話を入れたというのが真相である。そもそも誘拐そのものが、朝思い付き、昼行動を起
すという杜撰極まりないものだった。
 洋子と山口はその日のお金に事欠くような生活から抜け出そうと頭を絞った。そして洋
子が上野から聞いた話を思い出したのだ。それは篠田が無類の子煩悩だという話である。
二人は近くのファミリーレストランで昼食を済ませ、その足で篠田の家に向かっただ。
 二人が犯行のため事前に準備したものは何もない。あったとすれば車だけで、その車の
トランクから勝の遺体が発見された。犯行があの時間になったのも、洋子が篠田邸までの
道程を覚えておらず、探し回った結果だった。
 二人は夕方近くなって、ようやく篠田という表札を見つけ車を止めた。その時、子供が
門から顔を出したという。洋子が道を聞く振りをして、ウインドウを開けて話しかけた。
山口は運転席から降りると、後ろへ回り、勝の首をつかんで後部座席に押し込んだのだ。
 計画性の欠片もない。山口は、大きな体をすぼめるだけすぼめ、震える声で証言した。
二人の犯行のお粗末さ、身勝手な思考と行動、篠田は、山口のその歪んだ口からこぼれる
言葉をただ呆然と聞いていた。
 それでは何故、洋子は勝の病気を知っていたと言ったのか? 知っていて薬を捨てたと
言い放った。もし、あんなことさえ言わなければ、篠田もあれほどの凶行には及ばなかっ
たはずだ。知らなかったと許しを請えば、まさか殺すまで殴りはしなかったのだ。
 篠田は裁判で終始無言のまま過ごした。妻の雇った弁護士の前でもそれを通した。何を
言っても空しく、魂が体から離れて、裁判の成り行きを上の方から見ていた。その目には、
明らかに自分自身も映っていたのだ。髪の毛が真っ白に染まり、やせ衰え、まるで老人の
ようであった。

 一瞬、篠田の脳裏に、前世の惨たらしい記憶が一瞬にして甦りそして消えていった。ふ
と、我に返ると、質屋から出てくる若き日の自分に釘付けになっているのを意識した。次
瞬間、若者に向って足早に近付いていった。
 何かを言わなければ。彼を、いや自分を説得しなければ。再びこの世の地獄へと突き進
んでしまう。前世では闇雲に自分の激情をぶっつけてしまった。果たしてあれが良かった
かどうか、迷いが渦巻いた。ではどうすればいいのだ。
 若者は篠田を見て、驚いたように立ち止まった。白髪の男がじっと自分を見詰めながら
近付いて来たからだ。若者の驚いた表情を見て、一瞬、篠田の脳裏に前世の過酷な結末が
思い浮んだ。篠田の足はぱたりと止まった。若者が唐突に声を掛けてきた。
「僕に、何か? 」
篠田は、荒い息を整えながら言葉を選んだ。
「君は、喫茶店で、彼女と待ち合わせしているんだろう」
「ええ、お爺さんは、彼女を知っているんですか」
篠田は、一瞬迷ったが、思い切って前世とは別の道を選ぶことにした。
「いいや、知らない。ただ、さっき、君と彼女が喫茶店で話しているのをたまたま見たん
だ。彼女は、昔別れた女房にそっくりだった。その女房には随分と酷い仕打ちをしてしま
ってね。もしかしたら、彼女はその人の縁者じゃないかと思ったんだ。名前は何て言う?」
「樋口洋子です」
 篠田は首を傾げ、ふーんと唸っただけだ。若者はすぐにでも立ち去りたい素振りで篠田
を見ている。篠田は若い自分に一言だけ言葉をかけた。
「彼女を大事にしなさい」
 屈託のない笑顔を浮かべ、若者は通りに向って歩き出した。その後姿をじっと見詰めた。
前生では、自分であるあの老人の言葉に洋子のイメージが大きく傷付けられた。その傷つ
けられたイメージは大きく膨らむことはなかったが、人生のどの局面においても脳裏にふ
わっと浮かんできた。
 それがために洋子と別れる道筋を自ら作っていってしまったのだ。洋子とは結ばれるべ
きだった。そうすれば、あんな悲劇を招くことはなかったのだ。勝という愛する者を失い、
自暴自棄に陥って人生を狂わせた。前世ではその憎しみのあまり洋子を殺してしまった。
 考えてみれば、洋子の自殺未遂も、篠田を失うという恐れに端を発していた。人は誰し
も愛する人を失えば自暴自棄に陥る。洋子は篠田を心から愛していた。だから自殺を試み
たのだ。そして、相手を憎む気持ちを極端に増幅させたことが道を大きく誤らせる結果を
招いた。
 まして、12年ぶりの再会で、洋子が最初に言った言葉が篠田を困惑させた。「この嘘
吐き。やっぱりあの女と結婚したんじゃない」洋子はずっと篠田を憎みそして愛していた
のだ。やはり洋子を許すべきだ。篠田は先ほど過去の自分に投げかけた言葉を反芻した。
「彼女を大事にしなさい」
 その言葉は篠田の胸に心地よく響いた。そうだ、これで良かったのだ。篠田は目を閉じ
勝が再び生まれてくることを願った。篠田の分身である勝が、今度は洋子を介してこの世
に生をうける。これも一つの道かもしれない。そう思った。

 意識が遠のいた。地面がぐるりと回り、空も回った。砂利が頬の肌を傷つける。確かア
スファルトで舗装されていたはずだ。薄目を開けて地面を見ると、砂利道がすっとアスフ
ァルトに変わった。大通りから人が歩みよってくる。足取りが速くなった。
 しばらく気を失っていたらしい。体が浮いたような感覚で目覚めた。目の前に白衣に白
いヘルメットを被った男の顔があった。何かを話しかけている様子だが、声は聞こえない。
視界の周辺がじわじわと黒く染まり、終いには漆黒を塗りたくったような暗闇に変わった。

 目覚めるとそこには暗闇が広がっていた。額の真ん中あたりに意識の核があり、そこで
自己を認識しているだけだ。今の自分の状態がどうなっているのか、目蓋を開こうにもそ
の目蓋の筋肉がどこにあるのかさえ分からない。すべての感覚がないのだ。
 いや、唯一、一つの感覚がある。聴覚だ。廊下を行過ぎる人々の足音や話し声が聞こえ
てくる。楽しそうな笑い声、スリッパのぱたぱたという音、そこは音に溢れていた。人が
入ってくる。カーテンを開ける音。そしてその人が話しかけてきた。若い女性の声だ。
「篠田さん、今日の御加減はいかがですか」
何度も聞いた優しい声だ。いや、違う。そんなはずはない。何故なら、ほんの少し前、若
き日の自分に出会った。前世の失敗を省みて、若い日の自分に、洋子の悪いイメージを植
えつけるのを止めた。今、その鮮明な記憶が残っている。
 若き日の自分に話しかけた直後、気を失った。そして病院に運ばれたのだ。だから、そ
の看護婦の声にこれほど馴染んでいるはずはないのだ。それとも、若き日の自分と出会っ
たのは夢だったのだろうか。その時、もう一度その声が聞こえた。
「さあ、体温を測りますよ」
 確かに聞き覚えのある声だ。ということは、救急車で運ばれてから何度か目覚めて、こ
の看護婦の声を聞いているのかもしれない。そのことを思い出そうと神経を集中している
と、激しい頭痛に襲われた。そして朦朧としてくる。
 いつの間に寝てしまったのだろう。物音に気付いて目を覚ますと、人の動き回る気配を
感じた。そして先ほどの看護婦のことを思い出した。あの女性がまだ部屋にいるのだ。鼻
歌が聞こえる。清んだ優しそうな声だ。その声が話しかけてきた。
「篠田さん、寝巻きを替えて置きましたからね。また明日来ますから」
この言葉を聴いて微かに記憶が甦った。「また明日来ますからね」と彼女はいつも言い残
し部屋を去る。そして、それはかなり長い間続いていたような気がする。記憶の糸を必死
で手繰り寄せた。そして漸く一つの感情に思い当たった。
 それは、その声を聞いた瞬間の喜びの感情だった。その声を聞きたくて、毎日毎日心待
ちにしていた。その声が唯一の心の支えだった。そう思った瞬間、全ての記憶が甦った。
俺はここで気の遠くなるような時を過ごしてきている。やはり、若き日の自分に会ったの
は夢だったのだ。
 そうだ、俺は植物人間状態になってしまったのだ。今から三年前、二度目の脳卒中が引
き金だった。心がゆっくりと落ち着いてゆくと、目覚めるたびに味わう不安と動揺が胸を
締め付ける。そして、今度は絶望という奈落へ落ちてゆくのだ。

 …………………………………………… つづく ……………………………………………

 この作品に対するご意見・ご感想は編集部まで:info@kairou.com
 次回は第132号(4月5日配信予定)に掲載予定です。お楽しみに!

◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【3】 連載超短編「赤井都超短編集」      第19回
                 著/赤井都
 ──────────────────────────────────────

 時に清新、時に残酷。超短編界屈指の言霊遣い、赤井都の作品を集成! 今回は四作品
を掲載します。

 ………………………………………… 「武者谷」 …………………………………………

 十八で免許を取ってから、休暇のたびにツーリングに出るようになった。その夏もバイ
クにまたがり、風を感じる一人旅に出かけた。とある谷にさしかかったとき、前ぶれなし
にエンジンがストンと止まってしまった。道端にバイクを寄せて、ガソリンをチェックし
たり、あちこちを点検したが、機械に悪いところはない。携帯でJAFを呼ぼうとしたが山奥
で電波も届かない。そのまま日が暮れてきた。
 ガードレールの下には川が流れている。真っ暗になる前に野営の準備をしようと私は川
へ降りた。
 あたりには何キロも集落がなく、車もまるで通らない。山に囲まれて川と細い県道がう
ねっているだけの土地だ。しかし、川べりには一人の僧形の者が座っていた。水を汲もう
とする私を留めて言う。
「この水は、わたしのものです。あなたがわたしに、何か話を聞かせてくれるなら、この
川の水をいくらでも汲ませてあげましょう」
 妙なことを言う、と私は思った。目下は自分の動かないバイクのことで頭がいっぱいで、
こんな不可思議めいた酔狂につきあっている閑はない。
「すみませんが、あなたに聞かせられるほどの話なんて、私にはありません」
 応えたとたん、背後から放り投げられるように飛ばされていた。落ちたのは、三人の首
のない男の足元だった。立派な鎧装束をつけているのだが血と泥に汚れていて、いかんせ
ん首がない。
「そら、また一人来よったわ」
「おぬしなら見つけられるかの」
「早く見つけてたもれ」
 昔の人らしく、喉が切れていても腹式呼吸で殷々としゃべる。傍らのうすくらがりには、
川原の大石と見えて、実は首の塚があった。どれも刀で切り取られたものらしい、血みど
ろの首の山にすっかり驚愕していると、また背後からどん、と突かれるような衝撃があっ
て、首塚の中に押し倒された。ごろごろと首が幾つも私の両脇を転がり落ちた。
「さあさあ、夜が明けるまでにな」
「われらの首を見つけてたもれ」
「できなければ、おぬしの首も切って塚に混ぜるわな」
 三人の武士の手元で、抜き身の刀が血で錆びかけている。
 あまりにも気味悪かったが、私は首を一つずつ取っては、武者の肩の上に載せた。いろ
んな顔があった。目を剥いたもの、舌が飛び出したもの、血で髪が固まったもの、一つず
つを詳細に思い出したくはない。
 どの首も、置いたとたんにごろごろと転がり落ちた。
 一つずつ首を載せていったはずだが、首の山が全部なくなって、転がったばらばらの広
がりになっても、まだ武士たちに合う首はない。
 このまま朝までここにいたら、殺されてしまう。
 暗闇にまぎれて、逃げることにした。なにしろ向こうは首がないから目だってない。
 首を探すふりをして少しずつ遠ざかり、踝を返して走り始めた。
 すぐに後ろから、どん、と飛ばされる衝撃があった。
「これで話が、できるわな」
「する話が、できたわな」
「聞かれてする話が、できたわな」
 気がつくと私はバイクの横に倒れていた。朝の日差しが山の端を照らし、木々の葉が光
り輝いていた。喉がからからだった。バイクのセルを回すと、簡単にエンジンは始動した。
私はその谷を全速で離れ、遠く離れた町に着いてからようやく、自動販売機で缶コーヒー
を買った。そのときに味わったほど美味い飲み物を、それ以来飲んだことがない。

 …………………………………………「荒城の姫」…………………………………………

 夏休み、山の方へ行く電車に乗って、湖のほとりにまで来た。底を見通せない翡翠色の
湖の縁に城跡がある。門前に茶店が真っ赤な毛氈を広げ、姫最中や氷あずきを売っている。
 それなりに由緒ある城のようだ。掘割に立つ看板で説明書きを読んだが、内容をつかみ
にくい文章なうえに、城主が次々に変わっていて、由来がよくわからない。
 崩れかけた石垣の横に資料館が建っている。数百円を払って中に入った。
 クーラーが入っていない。熱い空気の中を泳ぐように、ガラスケースに入った展示物を
見ていった。
 鎧、兜、刀、手紙。
 小さな琴があり、「姫君ご愛用の品」と墨書された黄ばんだ紙が横に立てかけてある。
姫とは誰なのか、それ以上の説明はなかった。資料館の中をひとめぐりしたが、古い物が
ただ並んでいるだけで、城の歴史はやっぱり理解できなかった。
 資料館から出て、あまりの暑さに木陰のベンチに座り込んだ。濃い緑の影が、強い蝉時
雨で濡れていくようだ。石垣の上を小さな蛇が這っている。それを見ながら、眠り込んで
しまったらしい。
 辺りの情景は一変し、夜の城になった。緑に埋もれた石積みに、往時の面影はない。
 静かな風が門がわりのような立派な松を吹き抜けていくとき、かすかな音楽に聞こえる。
 琴の音に違いない。
 姫君のほそい指がつまびくのだ。
 その手が巧いのかどうかは私にはわからないが、哀愁を漂わせていることは確かだ。
 私は思わず立ち上がって、その手の主を探していた。
 松の幹をぐるりと回ったとき、私が眠っていたベンチに人影を見つけた。着物を着て、
座って、かがみこんで手を動かしている。その袖が揺れるたび、小さな琴の音が鳴る。
 姫の手が、はたと止まった。
 顔を上げて、私を見て、差し招く。
 私が姫を見ていたのは、とうに気づかれていた。
 招かれるまま、不思議に引き寄せられるように、警戒も忘れて姫のそばに寄った。
 姫は小さく、美しかった。
 艶のある黒髪で覆われた頭も、袖口からのぞく手も、全て子供のもののように小さい。
昔の人はおしなべて小さかったのだろう。
 私を見上げたまま、表情を変えずに姫はするりと帯を解き、着物を脱いでベンチの上に
広げた。夜目にも華やかな着物を剥いて出てきた小さな芯は、白く儚げに月光を受けてい
た。
「ですが……私は女ですよ。男のようななりをして、体も大きいですが?」
 姫はちょっと驚いた顔をしたが、すぐにくつくつと喉で笑って、私の手を取って柔肌に
導いた。触れたとたん、のめりこむ透明感があった。半月が辺りに長く青い影を添え、姫
の鎖骨にも影が溜まっている。女を抱くなど初めてだ。しかしこの姫を悦ばせたいと思っ
ている私の心の動きは、男のそれに近かったのかもしれない。後世の人間が、名も知らな
い姫を抱くなんて、どうしてそんなことになっているのかはわからないまま、ただ秘めら
れた内側へ内側へ、解き放つような舌と指を伝わせる。
 月の傾き始めた天に吊るされるように、のけぞらせた喉で浅い呼吸を繰り返し、それで
も止められない震えが足の指先から滴り落ち、そうして姫は私の腕の中で、ゆっくりと白
骨に変わった。肉が削げ落ち、長い髪だけが揺れ、続いて骨も髪も風の中に崩れていった。
私は空を掴んで、
 目を覚ました。
 辺りはまぶしい西日にかっと照らされ、蝉時雨のどしゃぶり。
 今がいったいいつで、ここがどこなのか、しばらくわからなかった。
 姫最中と書かれた鮮やかなピンクの暖簾が、湖水の前ではためいている。

 ……………………………………… 「三つの願い」 ………………………………………

 かつて貧乏な学生だったとき、私はビヤホールで夜更けまでアルバイトしていた。明け
方近くに、飲み屋の外に止めたバイクにまたがって、灯の消えた通りを走って帰るのが常
だった。
 ある朝、白み始めた道路の脇に人が倒れているのを見かけた。
 繁華街の道路には、夜が明けると共に、酔漢が残した白茶けた汚物だの、投げ捨てられ
たゴミだのが姿を現す。こんな道に倒れているのはどうせ飲みすぎたオヤジだろう。関り
合うのが面倒くさくはあり、女である自分の身の安全も大事に思っていたが、少し行き過
ぎたところで急ブレーキをかけた。その人がうめくのが、通りすがりのヘルメットごしに
も耳に入ったからだ。
 バイクのスタンドを立てて、小走りに近づいて、私は状況を見て取った。うつぶせに倒
れたその人は、マンホールの蓋に鬚を挟まれていた。どうしてそんなになってしまったの
かはわからないが、ともかく今、その人は鬚を抜こうとして苦しげにうめいているのだっ
た。
「だいじょうぶですか」
 声をかけて、マンホールの蓋を持ち上げるのに手を貸した。
 その人の手は、なぜだか鳥の鉤爪のような非力な形をしていて、豊かな赤い鬚の上には
恐ろしいぐらい大きな鼻がそびえていた。
 マンホールの蓋は、上から見るのと違って分厚く、ひどく重かった。私は、蓋を持ち上
げるのを手伝うというよりは、その人の鬚を引っ張って幾分か抜いてしまっていたかもし
れない。
 ようやくその人の顎がマンホールの重しに邪魔されず、道路の上高くに持ち上げられた
とき、私はへとへとだったし、一夜ぶっ通しで努力を続けていたのだろうその人も、解放
されても疲れきっていた。
「さて、お礼を言わねばならん。あんたは力はあまりないとはいえ、心やさしい乙女じゃ」
「それはどうも。これで、よかったですね」
「待て待て。わしはあんたにお礼をするぞ。たいした妖力はないが、落ちぶれても天狗の
端くれじゃ。願いを三つ、言ってみなされ」
 私はむろん驚いた。が、この変な風体の男が、人間ではなく天狗だと聞いて、かえって
納得していた。
 三つの願いとは、また古典的なお題だ。たいていの話の登場人物は、この一世一代の機
会に、くだらない願い事をしてしまい、好機をふいにしてしまう。
 私は、賢く、いい願い事をしよう。
 そうだな、大学卒業の単位を。いやいや、そんな目先の願いではなく、就職先を。いや
いや、働かなくても黄金をもらえばいい。いや、黄金もそのままでは身を滅ぼす元になる
かもしれない。
「さあさあ、朝日が昇る前に、早く言いなされ」
 天狗は立ち上がり、今にも羽ばたき出しそうに空を仰ぎながら、私をせかす。ごくん、
と唾を呑む猶予もなく、私は緊張につぶれた声で言った。
「宝くじを買ったら、必ず当たるようにしてください」
「よし、一つ。次の願いを言え、早く早く」
「ゴキブリを二度と見ないですむようにしてください」
 言ってしまってから、しまったと思った。私はゴキブリが大嫌いとはいえ、これは人生
の大事とは関係ない願いではないか。しかしそれは早速、受け容れられてしまった。
「よし、二つ。では最後の願いを言え、早く早く」
「あ、あの。お風呂いっぱいのプリンをください」
 焦って、さらにたいしたことのない願いを口にしてしまった。嫌いなものより好きなも
ののことを頼もう、と思って口をついて出てきたのがこの願いだ。
「よし、三つ。聞き遂げたぞ」
「毎晩! 毎晩お風呂いっぱいのプリンです」
 慌てて修正したが、それでもやっぱり、たいしたことはなかった。いや、いっそう悪く
なった。
「願い、聞き遂げた」
 天狗の表情に侮蔑が浮かんでいた、と思うのは私の考えすぎだろうか。せっかく与えた
三つの願いを、よくもまあくだらない事に使うものだ、というような侮蔑。白い空に最初
の光の矢が一閃すると同時に、天狗は羽ばたいて飛び去った。汚れきった繁華街のビルの
向こうに。
 私の願いは、叶えられた。
 三百円の宝くじを買うと、三百円が当たる。時にはささやかに三千円、稀にうれしい一
万円が当たる。
 ゴキブリの姿は見ない。部屋の隅でかさかさと怪しい物音がするが、殺虫スプレー片手
に振り返ると姿はない。
 お風呂は毎晩、いっぱいのプリンで満たされる。食べて楽しめるのは最初の一週間まで。
いくらプリン好きとはいえ、毎晩お風呂いっぱいのプリンは食べられない。プリン浴もお
もしろがれるのは最初の一週間程度。売るとしてもカラメルに到達するまで縦の長さが五
十センチのプリンというのはどうにもしようがない。むろん掬って崩れたプリンなど誰も
欲しがらない。私の日常には、大量の生ゴミの処理という厄介な仕事がひとつ増えること
になった。年末年始も一日も休まず、だ。毎晩出現するゴミ袋三杯のプリンなぞ、置く場
所もない。こんなプリン付きの体では結婚もできないだろう。
 もう一度あの天狗に会えたら、と私は願う。
 呼んだらいつでも来て私の願いを叶えてください、という願い事は賢いだろうか。

 ………………………………………… 「河童橋」 …………………………………………

 酔っ払って橋の上で眠りこけていたら、河童に起こされた。
「あれまあ、女の子が、こんなに呑みすぎとるなんて。こうしてわしの戸口に寝とったの
も何かの縁じゃ。わしの嫁になるか? いやいや、酒癖が悪いうえにこんな器量ではなあ」
 どす、と覚め際のアッパーをお見舞いすると、河童は簡単に橋げたを越えて河に転がり
落ち、怒って飛び上がった。
「なんて乱暴な女じゃ。よっしゃ女とは思わんが。乱暴な奴め。仕置きしてくれる。わし
の家来になれ」
 言うが早いか、私の頭に皿を被せた。
「この皿に水がたまっとる間は、人に姿は見えん。よし、ついてこい」
 河童はえらそうに命令すると、すたすたと歩き始める。
 私も、綱で引かれたように河童について否応なく進む。
 着いたのは、さっきまで私が飲んでいた繁華街だった。
 地方都市のことで、どの店も十二時を過ぎて早々と看板をしまい、灯も消えている。
「こだわり地酒の店、よっしゃここにするか。ついてこい」
 河童は鍵穴からするりと中に入り込む。いったいどうしてそんなに小さくなれるものか、
さっぱりわからなかったが、私も河童の後について、するりと中に入り込んだ。
「酔鯨、美少年、住吉、久保田、空(くう)、ほっほう空があるんか」
 河童はカウンターに入り込み、まっさらの一升瓶を取り出してさっさと手酌を始めた。
当然のように私も相伴し、二人してしたたかに酔いつぶれた。
 おぼつかない足取りながら、河童は鍵穴から外に出て、私も続いて外に出た。橋にまで
来ると、河童は私の頭から皿を取り上げ、また明日の夜も来るようにと言って河に飛び込
んでいった。
 地方ながら環境汚染が進んでいるだろう河に、河童が棲息しているのは驚きだったが、
只酒に全く腹一杯で、もうろうとして、深く考える余裕もなく、よろよろと夜明け前に家
に帰った。
 翌日、河童はまた私に皿をかぶせ、違う店に入り込んだ。そこでも好きなだけ飲み、二
人してよい機嫌で別れた。
 翌日も、その翌日も、にわか家来の同行は続いた。
 このまま、この仕置きが永遠に続けばいい、と思い始めたある夜、私はさすがに飲みす
ぎて、河童の後に続いて外に出ることができなかった。ついてこい、と言われたような気
がするが、店の床に倒れたまま起き上がることができず、そのまま正体もなく寝込んでし
まった。
 気づくと真昼間で、私は怒った店主と、駆けつけた警察官に囲まれていた。皿は乾き、
あまつさえ私の頭の上から転がり落ちていた。見えないはずの私の姿ははっきりと現れて
しまっていた。
「署まで来てもらいましょう。いいですか」
 穏やかながら有無を言わせない、かなり男前な警官に、パトカーに乗せられた。あの白
と黒のパンダみたいなボディの内側に乗っているんだ、という興奮はすぐ終わり、短すぎ
るドライブは終わった。
 取調室というものに入れられて、自白すればうわさどおりカツ丼が出るのだろうか、と
やはり滅多にない体験に一瞬興奮したが、ブルドッグが岩と化したような、厳しそうな年
配の男性が私の前に座ったとき、そのわくわくは吹き飛んだ。
 河童の家来になったと言って、信じてもらえるだろうか。
 余罪もきっちり追及されるに違いない。
「お願いです。私の頭に、水で濡らした皿を載せてください。そうしたら、本当のことを
教えますから」
 こういうときに限って、女らしくしおしおとしてみせた。
 取調官は変な顔をさらに変なふうに曲げたが、私の希望どおりに、証拠物件のほうに回
っていた皿を濡らして持ってきてくれた。
 頭に皿を載せたとたん、私はぴゅーっと飛び上がり、窓の格子の隙間から抜けて、河に
飛んでいった。
 ぼしゃん、とそのまま河に落ち、皿は水の中にひらひら潜って見えなくなった。ついて
こい、と言われてついていけなかった私は、家来失格だ。
 それはとても惜しいことだったが、私は皿と別れて泳いで岸に帰った。
 岸に上がるとき、泥に埋もれた真っ青のトンボ玉を拾った。
 それは今も私の携帯ストラップを飾っている。飲みすぎないように、という自戒をこめ
て、そのトンボ玉を見つめることにしている。

 …………………………………………… つづく ……………………………………………

 この作品に対するご意見・ご感想は編集部まで:info@kairou.com
 次回は第132号(4月5日配信予定)に掲載予定です。お楽しみに!

◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【4】 集中連載「第一回文芸座談会」      第1回
 ──────────────────────────────────────

 去る二月三日に行われた第一回文芸座談会。「回廊」参加者不参加者入り乱れ創作につ
いて語り合った一部始終を三号連続で「雲上」独占公開!

 ………………………………………… 文芸座談会 …………………………………………

秋山真琴(秋 山):
言わずと知れた「回廊」編集長。小説に「断片化するカリグラフィ」(「回廊」第九号)
など。

奏美(奏 美):
サイト「碧い雫降る処」で、創作小説や詩を公開。

言村律広(言 村):
「雲上」元編集長。小説に「トリニティ -運命の時の可能性-」(「回廊」第二号)など。

時磴茶菜々(茶菜々):
イラストに桂たたら「小国テスタ」(「回廊」第九号)など。

六門イサイ(六 門):
「回廊」副編集長。小説に「FANTASIAN HOLIC.」(「回廊」第七号」)など。

踝祐吾( 踝 ):
「回廊」コラム班長、製作班長。連載コラムに「積読にいたる病」、小説に「公園通りの
懐かない猫」(「回廊」第七号」)など。

フルヤマメグミ(めぐん):
超短編に「DANCING FINGER」(「回廊」第七号」)など。

恵久地健一(恵久地):
「回廊」副編集長。小説に「エンジェル・ノイズ」(「回廊」第九号)など。

痛田三(痛 田):
「回廊」宣伝部員。小説に「グラン・グラン・ギニョール」(「回廊」第九号)など。
東雅夫・福澤徹三・加門七海編「てのひら怪談」(ポプラ社)に作品が掲載されている。

                *

秋 山:次はちゃななさんにお願いしたいと思います。「作品を良くするために行ってい
    る努力を教えてください」。

茶菜々:えーと、イラストの場合は特に考えていませんね。どうしたら自分がキレイと思
    えるグラデになるかとは思っていますが

秋 山:ちゃななさんは背景に写真を使うことを、自らの作風と言っていますが、どうし
    て好んで写真を使っているのでしょう?

茶菜々:色の移り変わりは結構考えてやってます。気に入るまで塗りなおしたり。だから
    いつもレイヤー一杯です。何度描いても人物は納得できる出来になっても、建物
    は絶対気に入らないのですよ。森とかになると別なんですが。

秋 山:なるほど。写真は気に入る、と。

茶菜々:建物は描くより加工が断然楽しいのです。今回描いた"都市の夜空"の光の入れ方
    とか逆光処理とか特に楽しかったです。

恵久地:背景は、プロでも既存の素材をそのまま使用する人がいますしね。建物のパース
    とか。

茶菜々:小説の方は、とにかく読みやすくて、でも平坦ではない表現を心がけています。
    だった とか最後が た・だ・ですと続かないように、とか。後は自分の作品を客
    観的に何度も読み直すくらいですかね。それでも誤字出てくるけど。

                *

秋 山:では次、奏美さんどうぞ。「作品を良くするために行っている努力を教えてくだ
       さい」

奏 美:努力ですね……。

秋 山:工夫、などでも構いませんよ。

奏 美:私の場合「キャラクター」を作ることですね。主人公やそのほかの主なキャスト
    のイラストを描いてみたり、しゃべり口調などの細かな設定も、書き出してみま
    す。

秋 山:頭の中で思い浮かべるだけでなく、実際にイラストや設定を紙に書くというのは、
    有効な手段かもしれませんね。イラストにするひとは少ないかもしれませんが、
    設定を書き出すひとは多いように思います。

言 村:いらすとかあ。描けるといいよねえ。

茶菜々:ですねー。あたしもオリジキャラ書くときはイメージ描きだしますから。

六 門:自分のキャラの絵は──自分で描こうとして、その絵を見て、絶望して、二度と
    やらなくなりました。

奏 美:ぇぇっと、キャラ設定しておくと、意外に動いてくれるんですよ(笑)。頭の中
    で、イメージしている登場人物が動いてくれることで。

 踝 :ああ、わかりますわかります>キャラ設定

恵久地:奏美さんは、実写のイメージじゃなくて、イラスト系のイメージで自分の作品を
    動かすんですね。

奏 美:時には……作者の感情が入り混じることもありますけどね(笑)。

めぐん:いやまぁ、妄想を作れるか作れないかってのは、人を大きく二分する概念じゃな
    いかと思うのですよ。

秋 山:ほほう、具体的にどういうことでしょう?<妄想を作る。

 踝 :妄想を作る、ってのはそのままネタを作る、と同義じゃないんですかね? と横
    から失礼。

めぐん:いや、単に妄想というか嘘八百を並べ立てて、それを指から出力できる人は、そ
    んなに多くないものなのですよ。ネタ=妄想と言い換えても成立するかも。

奏 美:妄想……。いい言葉かもしれない。

六 門:良質の妄想を想像と言うのだよ。

 踝 :なるほど、深い。

六 門:まあ、妄想と想像の境なんてそんなもんだってことで。

痛 田:個人的には妄想を自覚する人(想像)としない人(妄想)ですかねー。

                *

秋 山:さて、次は痛田さん、どうぞ。「作品を良くするために行っている努力を教えて
    ください」

痛 田:作品を良くするっていうか、今のところ完成させることが目標ですね。小説に関
    してはまだまだまだ触れ始めたって程度なんで

秋 山:完成、具体的にはどういうことでしょう?

痛 田:そのままの意味です。まだ、「作品」と呼べるものがひとつかふたつくらいしか
    ない…。

めぐん:広げた風呂敷を畳むのは、結構大変だと思うのですよ。実感。

秋 山:なるほど。まだ感触を掴もうとしている最中、ということですね。

奏 美:「作品」と言えるだけでも、いいことです。

痛 田:それもありますが、本格的に書き出したのって1,2年? くらい?

六 門:……その年月でグラグラみたいなの書けるのは凄いよ。おいらが書き出した頃の
    やつ(8年くらい前かな)なんて、目もあてられん二次創作だもん(笑)。

恵久地:スゴイですね。

秋 山:そうですね、グラングランの完成度を考えると、痛田さんの成長性は恐いぐらい
    ですね。

 踝 :イタダさんって回廊に書くまではどの辺で書かれていたんですか? と空気の読め
    ない発言をしてみたり。

痛 田:以前の活動ですか…怪談もどきをかいて…

秋 山:そこを詳しく!

痛 田:怖い話が好きだったので、みようみまねで創作怪談を。超短編に関しては、だか
    ら怪談が基盤にあるのかなぁと…

秋 山:百物語!

めぐん:怪談って、レベルアップに向いてるって言いますからね。常に読者の存在を意識
    しなければならないので。

 …………………………………………… つづく ……………………………………………

 この作品に対するご意見・ご感想は編集部まで:info@kairou.com
 次回は第131号(3月25日配信予定)に掲載予定です。お楽しみに!


◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆
 【4】 編集後記
 ──────────────────────────────────────
 前略。
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 次回の配信は2月15日を予定しています、それでは。

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 対象は「文章で表現されるすべての作品」です。
 著作権等の問題が無ければ、既に何らかの形で公開された作品でも構いません。
 編集部では作者との共同作業で作品をより良くするシステムを整えております。
 たくさんのご応募を、お待ちしております。

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   ……………………………………… 奥 付 ………………………………………

       発行日:2007年3月15日
       発行元:雲上回廊
       発行者:秋山真琴
       編集者:キセン
           遥彼方
           言村律広
           恵久地健一
       ご意見ご感想:
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創刊日:2003-11-08  
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