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成功の条件〜仕事で私生活で生きる新しい成功哲学

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成功の条件 号外 日々徒然

2005/03/18

************成功の条件 号外**********

仕事で私生活で生きる新しい成功哲学

          by 作家・占学研究家 木村天山



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日々徒然



 自称芸術家どもの、根強い劣等感に裏打ちされたプライドと、社会性の無さには、
辟易する。社会一般通念、つまり常識の無さも悲劇的である。

 それは、なまじ金があるせいで、芸術なるものに身を置くことになったという僥倖
の不幸である。

 たかがピアノ弾きと、たかがと私は言う。たかが、焼き物屋が、陶芸家と名乗るよ
うになってから、おかしくなったとも言える。

 昔、作家になるのは、ごろつきや、やくざになるようなものと受け取られた。それ
が、いつしか作家なるものが、作家先生と言われるに及んで、おかしくなった。たか
が、作家である。

 芸能人などは、体を売ってなんぼのものであると、思われていた。今もそうではあ
るが。 有名になると、何でも許されると思う程、アホになったとも言える。

 さて、芸術家である。たかが、ピアノ弾きやヴァイオリン弾きが、たかがと思わな
くなって、おかしくなってきた。

 希代の芸術家ならともかく、たかがのピアノ弾きが、社会通念、常識をわきまえな
いで、許されるはずがない。が、しかし、許されると思い込んでいるのが、哀れであ
る。

 芸術家と言っても、他の人は、芸人、あるいは、下人と思っているということを知
るべきである。

 昔、津軽三味線弾きは、家の軒先で弾いて、なんぼかの金銭や、食べ物をもらって
食っていた。今、それを忘れて、芸術云々と言い、いい気になっているとしたら、悲
劇である。 たかが、芸人であり、たかが三味線弾きである。

 ある、室町時代からの芸人の家柄の者が、伝統ある家柄である云々と言った時は、
驚いた。一体、あの頃と、何が違っているのか。何も変わっていないではないか。ど
こから、伝統ある家柄という言葉が出るのか、私は唖然とした。

 日本で伝統ある家柄と言えば、天皇家くらいで、後は、下々の出である。まして
や、芸人が、何をか言わんやである。

 ピアノ演奏を何時間もし始めたのは、リストからである。リストだから、聴けたの
であり、お前のピアノではないと言いたいが、ゆえあって言わないことにする。

 古楽と言われる音楽は、貴族がお茶やお菓子を食べながら、適当に聴いていたので
ある。それが、今の日本では、席に座らせて、二時間ほど、たっぷりと聴かせる。聴
けと言う方が無理であろうが、誰も言わない。

 もっとおかしいのは、オペラである。オペラフアンだと言うが、本場のオペラも知
らないで、オペラフアンだとは、笑わせる。日本の民謡には、渋面をするが、オペラ
は、それより高尚だとでも言うのだろうか。これも笑う。

 言葉も知らぬ者が、オペラを楽しんでいますという滑稽さには、悲劇を感じる。

 さて、そこに連なる芸術家である。そこに連なると思い込む程、人生が悲しいもの
なのであろう。

 芸のおもしろさは、芸は無用のものであるという芸人から受けるものである。無用
の用が、時に人生を豊かにする。この時にというのが、ポイトンである。いつでもで
はない。 昔、多くチンドンヤという芸人がいた。開店や何かのお知らせ、広告をす
る。芸とは、そんな程度であった。それを知っている芸人が、芸が出来るという。

 芸は未熟だがプライドはある。社会性はない。たかがを知らない。嘘八百のコン
クールに入賞して得意になっているのは、本人ばかりである。

 本当に上手であるとは誰も知らないから、皆も知らない振りをして聴いている。







日々徒然



 中国で開催されている、サッカーアジアカップでは、五万人もの中国の観客が、反
日感情を露に、ブーイングを行ったという。中国政府は、節度ある応援を呼びかけた
というが効果なしである。

 これは1990年代からの、過去の歴史を利用しての徹底した愛国心教育の成果で
ある。つまり日本の対する民族的反感を増幅させた。

 旧日本軍の行状を徹底して宣伝し、現代日本に対しても、批判してきた。

 南京事件、重慶爆破など、日本軍の行状は、目に余るものがある。戦争という名の
無謀かつ無益な殺人を犯した。

 日本は中国な謝罪し、今も謝罪し続けている。また多くの援助を行うという状態で
ある。勿論、それで過去の行状が消える訳もない。

 加えて、小泉首相の靖国神社参拝から、尖閣諸島を巡る対立、日本人のアホが行っ
た集団売春、中国人女性の裸体に料理を盛り付けた事件などと、中国国民を刺激する
事件が相次いだ。

 対日関係の安定を図る中国政府に対して、売国奴との批判も飛び交っている。

 日本軍の過去の行状を利用しての愛国心教育。直接的で成果の上がるものだっただ
ろう。 大陸の国、中国からは、日本の歴史上、大きな影響を受け続けた。それは政
治から文化等々、今の日本の伝統文化に、甚大なる影響を与えた国である。尊敬の念
も甚大である。

 これから、この中国とどうのように付き合っていくのか。

 過去の過ちを認め、謝罪し、日本も、国として中国と付き合うのである。多くの無
償援助も、その一つである。しかし、いつまでも、中国が日本に対して、過去の過ち
のみを責め立てて、謝罪と援助を永遠に求めるのだろうか。そしてまた、それを、中
国の若者が善しとするのだろうか。

 それでは、いつまでも成長しない子供のようではないか。

 愛国心の教育に、日本の過去の行状を利用し、それから愛国心を養うというのは、
あまりにも卑しいのであはないか。

 過ちを責め続けるという、ましてや、過ちを認めて謝罪している者をである。それ
が、中国の伝統というものであるのか。

 愛国心は中国人だけのものではない。日本にも愛国心がある。過去の行状を責め立
てて、現代の日本の若者との会話を閉ざして、一体、何を得るというのか。

 過去の日本軍の行状を、現代の日本に責め立てるという精神的苦痛を与えるという
ことは、自分たちも同じレベルに落ちているということに気づかないのか。

 それはまた、韓国にも言える。無限の謝罪を求めるのか。決して許さないという、
非常に未成熟な態度をとり続けるということは、過去のままにあり、そこから進化、
進歩もしない。

 歴史は、国の変転の様を伝える。過ちを繰り返しつつ、歴史は進化、進歩する。

 完全無欠の国があろうか。

 私は、中国が成熟した国であって欲しいと願う者である。中国の持つ伝統的考え方
は、中華思想である。それは、世界の中心の国である。大きな器を持つ国である。そ
の伝統に立って、許すことは許し、新たに関係を構築するという姿勢を持って欲し
い。そういう成熟した国になって欲しい。

 スポーツや文化交流の中に、反日感情を持って望むことは、あまりにも未熟である
と思われる。

 今、日本では、中国の文化人や芸術家が多く活動、活躍している。彼らは、過去の
歴史を忘れず、新しい関係構築に寄与している。中華思想の大いなる器を持って対処
している。



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2003年11月25日創刊 2005年3月18日発行    著作権はオフィスTW2に属す。
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創刊日:2003-10-16  
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