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メールマガジン日台共栄

日本の「生命線」台湾との交流活動や、他では知りえない台湾情報などを、日本李登輝友の会の活動とともに配信するメールマガジン。

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【メルマガ日台共栄:第2762号】 道案内から観光案内所へ─観光客誘致の秘策  傳田 晴久

2016/10/08

>>>>> http://www.ritouki.jp/ ━━━━━━━━━━━━━平成28年(2016年)10月8日】

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1>> 道案内から観光案内所へ─観光客誘致の秘策  傳田 晴久
2>> 台湾の烏山頭ダムを訪れてほしい  上田 真弓(成田市)
3>> 【読者の声】 蓮舫議員は信用に値せず!  好田 良弘(李登輝学校研修団1期生)
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1>> 道案内から観光案内所へ─観光客誘致の秘策  傳田 晴久

【台湾通信(第115回):2016年10月3日】

◆はじめに

 台湾も現在、観光客誘致に力を入れています。それは、蔡英文政権発足に対する大陸の報復
(?)、大陸からの観光客激減に対する対策ではなく、かなり以前から努力していることです。

 8月中旬、新聞を見ていましたら、劉克襄さんという作家が書かれた「問路店から借問站へ」と
いうエッセーが目に留まりました。

 今回は観光客誘致の秘策について報告いたします。

◆「問路店」から「借問站」へ

 劉克襄さんのエッセーのタイトルは上記のとおりですが、「問路店」は道案内と訳してよいと思
いますが、「借問站」はいかが訳しましょうか。「借問」は「ちょっとお尋ねいたしますが……」
という日常語のようです。「站」は駅とかサービス施設という意味です。インターネットで調べま
したら、「借問站」は「まちかど観光案内所」と訳されていました。ナルホド。

 「借問站」は台湾の交通部観光局が海外からの観光客向けに設置したもので、2015年9月現在115
カ所に設けられているといいます。

◆問路店

 劉克襄さんは「昨年(2015年)末、観光局が各地に『借問站』を設け、便利なサービスを提供し
始めたが、それを見ると6年前を思い出す」と述べ、この6年前にスタートした台南の「問路店」
サービスを紹介しています。

 当時、台南には200軒以上の商店が緑の下地に「i」の白文字の看板を掲げた。コンビニ、土産物
店、小吃店(台南名物の軽食を提供する店)などサービスに携わる店々が看板を掛けることを申請
し、観光客が訪ねて来ることを歓迎した。

 「問路店」のアイディアは、観光客が便利になっただけでなく、看板を掲げた店にもまた利益を
もたらしている。訪れる人が多くなり、ついでに買い物をしてくれるので、業者の商売は知らぬ間
に増大する。

 問路店は、その後、道案内サービスを提供するだけでなく、市政府の指導の下に、さらに基礎的
な解説訓練を受け、その土地の歴史や交通などの情報を深く知ることになる。ひいてはその土地の
経験に基づいて個人の私邸を観光スポットとして分かち合う。あるいは手慣れた人が地図を持ち、
観光客を親切に導き環境を解説することは、間違いなく「問路店」のもっとも素晴らしい情景であ
る。

 今のところ「問路店」は400店をこえるまでに増加したことから、「問路店」は受け入れられて
いるといえます。

◆借問站

 最新の情報としては、先週の土曜日(9月17日)の新聞「自由時報」に「台北の観光案内所(旅
遊借問站)が12カ所に拡大」という記事がありました。

 「道がわからない時はどうしますか? あるいは観光スポットへどうやって行きますか?」そん
な時、このお店に「ちょっとお尋ねください」!

 台北市の観光伝播局と著名な観光スポット、主要な商圏の店が共同して12カ所の「借問站」を設
立し、観光客に「その土地の観光情報」「散歩地図」「Wi-Fiスポット」などのサービスを提供し
ます。

 「ちょっとお尋ねいたします、2016 通(つう)は誰か?」という運動を展開しますので、どう
ぞ皆様ご参加ください、そして「小礼物」(ささやかな贈り物)をゲットしましょう。

 市の観光科長王施佳さんは、「各々の借問站は入口に黄色の地に黒色文字の円形の標識を設け、
観光客に分かり易いようにしてあり、その土地の観光情報サービスを提供するので、台湾を訪れた
観光客がもしわからないことがあれば、どんなことでも良いから、借問站を訪ねてほしい」と述べ
ています。

◆作家の劉克襄さんは……

 公共機関が観光客に対するサービス施設を設置し、政府のきめ細かい心遣いは当然肯定するに値
するが、それは所詮専門の観光サービスセンターではないので、やがて一部の店は形式的なものに
ならざるを得ない。

 私は何軒かの店を訪ねてみたが、バスの交通状況についていつも十分な回答を得ることが難し
かったし、あるいはまた簡単な英語すらはっきり示されなかった。「問路店」が伸ばすはずの国際
サービスは値引かざるを得ず、新しい従業員の訓練が間に合わず、何を聞いても「知らない」の一
点張りで、観光客が期待する答えを容易に得られないこともある。

 しかし、名もない店で素晴らしいものもある。台南の土溝村に一軒のコンビニ「大蘋果(リン
ゴ)」があり、黒砂糖冰と碗[米果](小吃の一種)を売っている。この店のニックネームは土溝村
のセブンイレブンと呼ばれ、大きなリンゴをイメージした標識がある。ここは観光客が必ず訪れる
場所で、コンビニもまたその景色となっている。

*小吃(シャオチー)=[虫可]仔煎(牡蠣のオムレツ)、臭豆腐、胡椒餅、肉粽、肉圓、黒輪(お
 でん)など50元以下で食べられる、屋台などの軽食やデザートのこと。

 この店の大きなお椀のかき氷あるいは香ばしい米の味に満ちた碗[米果]は、全てそこを通り過ぎ
る人が必ず食する小吃である。「大蘋果」自体はまたフェースブックで、折につけ土溝村の各種の
情報、店内の多くの面白い催し、季節ごとの景観等々を更新し、「問路」の素晴らしさをさらに発
揮している。

 店のおかみさんの親切はさらに都会人の熱情に勝っている。多くの人々が道を尋ね、あわただし
く去来し、店内の飾りつけを見、お椀かき氷あるいは碗[米果]を食べていく。

 世の中には面白い標語があり、あるところでは「不買東西,也可以問南北」(物を買わなくて
も、モノは尋ねていいよ)というのがあった。「東西」は北京語で「物」の意、「南北」は東西に
引っ掛けた言葉で、方角も表している。

 この種のユーモアあふれるもの、あるいは友好的な創意ある看板は観光客の注意をひきつけ、郷
里を宣伝する素晴らしい手法である。

 観光は重要なサービス産業であり、看板を付けない店は自らの特色を生かし、魅力を遠くへ伝え
ようとしている。しかし、看板を掲げればより人の目を引き、人から信頼される。「借問站」と
「問路店」は共に持続的に推進する必要がある。

 そして、劉克襄さんは最後に次のように締めくくります。

「当然、両店が統一して運用され、屋上屋を重ねることを避け、台湾式の観光情熱を十分発揮され
ることを願うものである。それぞれの小さなお店が風景となり、違った角度の台湾を表すのであ
る。」

◆一見(いちげん)さんとリピーター

 日本語に「一見(いちげん)」という言葉があり、初めて会うこと、特に旅館や料理店などの客
がなじみでなく、初めてであることを指し、「一見さんはお断り」などと使います。対語は「リ
ピーター」あるいは「おなじみさん」です。

 観光客相手の「問路店」「借問站」は、どうしても一見さんが主たる対象になるでしょう。一見
さんにコスト(訓練や準備)をかけて、心を込めてサービスしてもリピーターになるはずはなく、
無駄ではないかとの考えがよぎります。マーケティングではいかにしてリピーターを増やすかに心
を砕きます。だから顧客にカードをもたせ、ポイントを与えたりします。しかし、考えればリピー
ター(その周辺に住む人々)はもともと周辺の情報を持っているわけで、「問路店」「借問站」の
対象ではない。

 台湾が試みている「問路店」「借問站」はそんな「ケチな」考えではない。

 新しい土地へ何かを求めて出かける観光客は大いなる期待と同時に、いささかの不安を抱いてい
ると考えられます。不案内の土地で、何か困った時「すみません、ちょっとお尋ねいたします」と
言って、気軽にものを尋ねられたらどんなに心強いことでしょうか。

 昔、家族を連れて台湾の高雄で道に迷ったことがある。薄暗い路地で、若い女性に出遭ったが、
先方が怖がるであろうと思い、道を尋ねることを躊躇したことを思い出します。幸い、彼女は親切
に、恐らく遠回りであろうに、駅まで案内してくれました。もし、当時「問路店」「借問站」があ
れば、真っ先にそこを訪ねたことでしょう。

◆おわりに

 「一見さんお断り」なんていう小さな根性では、大きな商いはできないのではないか? 国ぐる
みで、「ちょっとお尋ねいたします」を気安く発せられる環境が作れたら、またその地へ行きたく
なるでしょうね。

 実は私はまだ台湾の「問路店」「借問站」を訪ねていませんが、近いうちに訪ねてみたいと思い
ます。

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2>> 台湾の烏山頭ダムを訪れてほしい  上田 真弓(成田市)

【稲毛新聞:2016年10月号「読者論壇」】
 
 近年、台湾を旅行する日本人が増えていることを大変嬉しく思っているが、日本人ならぜひ日本
とゆかりの深い場所を訪れてほしい。そのひとつ、台南の烏山頭(うさんとう)ダムを紹介した
い。私は二度訪れたことがある。かつてはこの地方一帯は不毛地帯だったが、日本人の土木技師・
八田與一(石川県出身)が設計して工事の責任者となり、十年かけた大工事の末、1930(昭和5)
年にダムが完成した。

 ここから用水路を張り巡らせて計画的な農業ができるようになり、広大な平野は肥沃な穀倉地帯
に変貌して、人々の暮らしが豊かになった。ダムの畔には八田與一・外代樹夫妻のお墓があり、お
墓の前にはダム工事に携わった台湾の人たちによって建てられた八田與一の像がある。

 八田與一は戦時中の昭和17年に、乗っていた船がアメリカ軍の攻撃で沈没して亡くなった。幸い
後日、遺体が見つかったため、お骨は台湾の家族の元に戻った。

 昭和20年に日本が戦争に負けて、日本人が台湾から引き揚げなければならなくなった時に、外代
樹夫人は夫と苦楽を共にした台湾を去りがたく、ダムの放水口に身を投げて夫のあとを追った。嘆
き悲しむ地元の人たちによって、夫人は夫と共にダムの畔の墓に葬られた。

 毎年5月8日の八田與一の命日には、地元の人たちによって八田夫妻のお墓の前で慰霊祭が行なわ
れている。それほど八田夫妻は、地元の台湾の人たちに敬愛されているのだ。

 私は13年前にここを訪れた時、ダムの畔にある八田技師記念室という資料館に入った。ダムの工
事がいかに困難であったかの説明と共に、八田與一がどんなに素晴らしい人物であったかが紹介さ
れており、地元の台湾の人たちが八田與一という日本人を尊敬している気持ちがひしひしと伝わっ
てきた。

 5年前、ダムの近くに八田與一の一家が住んでいた家などが再建され、八田與一記念公園として
整備された。

 3年前に台湾人の友人たちと訪れた時、見学していた若い男性に話を聴くと、「おじいさんがこ
の近くで農業をしていて、このダムのおかげでお米がたくさん作れるようになったといつも話して
いた。八田さんに感謝したくて来ました」と言うので、私は日本人として非常に嬉しかった。

 若者の顔にも、「日本から来てくれてありがとう」という気持ちが表れていた。

 台湾の人たちのこの思いは本当に嬉しいものである。台湾の人々に敬愛されている八田與一のこ
とを、ぜひ多くの日本人に知ってほしい。

 台湾に行く機会があったら、ぜひ台南の烏山頭ダムを訪れてください。 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3>> 【読者の声】 蓮舫議員は信用に値せず!  好田 良弘(李登輝学校研修団1期生)

 「メールマガジン日台共栄」第2761号で紹介された、「民進党が、国益がぶつかり合う国際社会
の舵(かじ)取りを任せられる政党ではない」という、門田隆将先生のご見解に賛同いたします。

 私は、下記の報道に接して、その思いを強くいたしました。ここでは、あえて、朝日新聞の報道
をご紹介いたします。

◆香港・雨傘運動の元リーダーがタイで拘束 中国が圧力か[朝日新聞:2016年10月5日]
 http://www.asahi.com/articles/ASJB52TTPJB5UHBI00B.html

 9月24日配信の「メールマガジン日台共栄」第2753号が引用しているとおり、蓮舫代表は、二重
国籍問題に関連して、自分の中華民国国籍について、「(日本と中華民国が断交した)1972年以降
は、国籍の表記としては『中国籍』となっていました」、従って、「1972年以降、私の国籍は形式
上『中国』。中国(中華人民共和国)の国内法では外国籍を取得した者は自動的に(中国籍を)喪
失をしているので、二重国籍にはならない」と発言しています。

 つまり、民選議員による立法制度が確立している台湾の出身者に、選んでもいない中国共産党の
一党独裁化で制定された法律が適用されることを肯定しています。

 これでは、蓮舫代表が、民選議員である自分自身の職責を自覚しているのか、全く信用できませ
ん。

 これは、苦し紛れの発言であるかもしれません。しかし、門田隆将先生が言及されているとお
り、「外交や防衛の最前線では、言うまでもなく、ぎりぎりの判断が求められる」のであって、国
家の運営を託する人物の資質を探るためには、苦し紛れの発言であっても、同情の余地に限度があ
ります。

 現実に、我が国に対する中国の圧力は絶えることがありません。自民党政権下でも、これに屈し
て、李登輝先生の来日が困難な時期がありました。

 有権者が選択を誤れば、今回のタイ政府の対応も、決して対岸の火事ではありません。

 日本国内で、台湾出身者に対し、中華人民共和国の国内法が適用されると主張する議員は信用に
値せず、その議員を代表選で圧勝させる民進党は、「国益がぶつかり合う国際社会」で、「国の舵
取りを任せられる政党」ではありません。

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・野口健先生講演録「台湾からの再出発」(2010年12月23日)
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・2004年 李登輝前総統来日特集(2004年12月27日〜2005年1月2日)
・許世楷先生講演録「台湾の現状と日台関係の展望」(2005年4月3日)
・盧千恵先生講演録「私と世界人権宣言─深い日本との関わり」(2004年12月23日)
・許世楷新駐日代表歓迎会(2004年7月18日)
・平成15年 日台共栄の夕べ(2003年11月30日)
・中嶋嶺雄先生講演録「台湾の将来と日本」(2003年6月1日)
・日本李登輝友の会設立総会(2002年12月15日)

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  • 名無しさん2016/10/09

    !)捨てられた「中華植民地帝国」の視点



     植民地といえば、たいてい近代植民地(西洋植民地)を連想する。古代の植民地で最も古いのは、地中海沿岸地域で多くの植民地を作って移民したフェニキア人である。フェニキア人の後にギリシャ人が人口問題解決のために紀元前8世紀頃から地中海世界で多くの植民地を建設した。ギリシャ植民地の発展は、地中海文明、そして世界文明に貢献していた。ローマの植民地は国土を拡張することが目的だった。ローマ帝国の植民地政策とは、世界の都ローマを中心とする帝国建設であり、ローマ法、言語、習俗のローマ化を扶植していった。中華帝国の拡大は、ローマ帝国の拡大と似ている。



     周や春秋戦国時代の「封土」は新しい植民地であり、「県」は軍事の前進基地としてローマの「州」に類似している。そして王化・華化は植民地のローマ化に似ている。大航海時代以前の世界の歴史の舞台は陸であり、ユーラシア大陸の草原を中心に活躍した遊牧民が主人公だった。モンゴル人は集団移民をしながら、南の中華世界だけでなく、中央アジア・西アジアからヨーロッパ北東部に至るまで各地でモンゴル人の「ウルス」(国家)を作り、移住している。



     中国の植民地史は捨象されてきた。戦後、日本だけがわざとロシアと中国の植民地史を削除した。



    !)中国人は漢人でも唐人でもない



     「中国人はどこから来たのか?」という問いに、中国人はほとんど知る気がない。中国の常識として、中国人は人類の流源であるだけでなく、文化も文明もすべて中国から生まれ伝えたのだと考えているからである。人類史と語系から、夏人はマレイ・ポリネシア系、殷人はタイ系、周人は西戎系であろう。先秦時代には黄河と長江両文明圏の間には、少なくとも4つの種族的文化集団が存在していた。黄河中流の中原地方の華夏(かか)、下流と黄河流域の東夷、長江中流域の苗蛮(みょうばん)、下流の百越(ひゃくえつ)、さらに上流の巴蜀(はしょく)を入れると5つの文化集団が存在していた。秦の始皇帝の中国統一後、共通の文字を使用し始め「字族」として成熟したのが秦・漢人で、約4百年間にわたって漢字族として熟成していた。漢以後の魏晋南北朝時代に北方は約4百年間にわたって北方夷狄(五胡)に支配され、漢の遺民は南方に逃れた。北方では漢と胡が野合、南方では漢と越が混合、そこから生まれたのが新人類としての唐人である。唐に至って中華文明の拡散力は限界に達し、約千年にわたって華夷が交替で中華世界を支配した。満州人による支配から脱した中華民国以後の新々人類の中国人は、漢人とも唐人とも全く質的に異なった人種となった。「中国人」という言葉は、「史記」に初めて現れる。しかし、それは、あくまでも「中原から来た人」を意味するもので、20世紀になってからの「中華民族」とは意味概念が異なる。



    !)中国は清の植民地だった



     清王朝は最後の中華帝国、中華文化・文明の完成者として見られている。一方で、清王朝支配下の中国については、清の植民地と見る学者もいる。「清帝国は第3中華帝国」とも言える。満州人は「関外」(かんがい)「塞外」(さいがい)の民族である。後金国を建設した満州人ヌルハチは、明と敵対関係にあった。2代目の太宗ホンタイジの代に、モンゴル人と連合帝国を作り、元朝伝国の印璽を北元の後継者から引き受けて、清と号した。そして、モンゴル帝国の後継国家として、長城を越えて、明を滅ぼした農民反乱軍の首領・李自成(りじせい)の大順王朝を北京から追い出し、次の順治帝の時代から中国を征服した。その後、康熙(こうき)・雍正(ようせい)・乾隆(けんりゅう)まで三代百三十余年をかけて、西の草原帝国であったジュンガル帝国を滅ぼし、チベットも勢力下に収めた。それが清帝国のアジア征服史である。しかし、朝鮮は属国、越南などは朝貢国であり、モンゴルは朋友とした。清の皇帝は、「国家を外人(列強)に渡すも、家奴(中国人)には渡さない」という意識を強く持っていた。だからこそ、孫文ら最初の革命派の政治綱領は「韃靼(たたーる)を駆逐し、中華を回復す」というものであり、満州人を追い出して、植民地からの解放を目指していた。



    !)台湾は日本によって解放された



     台湾から見れば、いくら中国が「古来より不可分の固有の領土」と主張しても、オランダ・スペイン・鄭氏王朝・清朝・日本・中華民国はすべて外来政権である。台湾から見れば、中国大陸からやってきた鄭成功の親子3代の台湾統治は、2代目の鄭経が清と対抗するため独立王国である「東寧王国」を建設した歴史があっても、それは外来の植民地政府であった。また、康熙帝の台湾征服(1683年)から212年間にわたる清王朝支配は、海禁を断続的にしき、山禁までして、その植民地収奪は極めて過酷だった。だから、日清戦争後、台湾を日本に永久割譲したことは台湾人にとっては清の植民地統治からの解放であった。戦後台湾は中華民国の統治化に入ったが、そこには中国人(外省人)による台湾人の2・28大虐殺(1947年に2万8千人を殺害)の歴史があり、40年近くにわたる「白色テロ」の時代があった。



    !)なぜ満州国に中国人が殺到したのか?



     満州は万里の長城の外で、古代から「関外」「塞外」の地であった。歴史から見て、中国とは天敵だった。清の太祖ヌルハチが後金国を作った目的は、明の迫害に対する復仇の為であり、「七大恨」を掲げて、中国を征服したのが満州人の歴史である。3代目の順治帝以後から中国統治のために、満州人は徐々に中国に移住、満州は入植禁止という「封禁」(ほうきん)の地となった。「封禁」を解除したのは、回教徒(イスラム教徒)の反乱以後、19世紀末からのことである。1900年の義和団の乱で、満州全域はロシア軍に占領され、1905年の日露戦争後、日本とロシアによって南満と北満に2分された。満州国の国造りからは崩壊に至るまで13年しかなかったが、満州国は素晴らしい地となった。



    日本の開国維新後の文明開化・殖産興業を十分の一の時間で集約的に作り上げた、五族共和の近代国民国家としての最高のモデル国家だった。中国人にとっては、「王道楽土」であった。満州は日露戦争後、日本の満鉄経営と共に人口が急増した。そこに中国からの流民が殺到した。平均百万人以上の流民が満州という駆け込み寺に殺到した。結果的に、日本が作った王道楽土は中国人の植民地となり、中華人民共和国の建国後、満州は中国の最先進地域として、その遺産は文革終結まで中華人民共和国を支えた。すなわち、満州国の遺産を食い尽くしてから改革開放へと転換せざるを得なかった。