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メールマガジン日台共栄

日本の「生命線」台湾との交流活動や、他では知りえない台湾情報などを、日本李登輝友の会の活動とともに配信するメールマガジン。

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【メルマガ日台共栄:第1908号】 戒厳令解除から26年目を迎えた台湾

2013/07/17

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1>> 戒厳令解除から26年目を迎えた台湾
2>> 日本人に「!」と「?」突きつける映画=台湾アイデンティティー
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1>> 戒厳令解除から26年目を迎えた台湾

 7月15日、台湾は戒厳令が解除されて26年目を迎えた。台湾に戒厳令が布かれたのは1949
年5月20日。蒋介石の国民政府が毛沢東率いる中国共産党と内戦中のときで、国府側が台湾
撤退を準備に入りつつあったときのことだ。

 戒厳令下においては集会の自由や結社の自由も許されず、新たな政党の結成も禁止され
た。報道の自由も制限された・

 この戒厳令に先立ち、共産党を征伐するとの理由で、憲法を超越する「動員戡乱時期臨
時条款」を1948年5月10日から施行している。これが蒋介石政権の独裁を許した。総統は立
法院の制限を受けず、意のままに緊急命令を発令する独裁権限を得たからだ。

 これによって蒋介石は、大陸反攻が成功するまで立法委員や国民大会代表(いずれも国
会議員に相当)を改選しないという緊急命令を発し、台湾人の国政参与の権限を剥奪した
のだった。

 そして、2・28事件で芽生えた台湾の人々の台湾独立思想を監視し摘発するため、いわゆ
る特務が暗躍し、密告が励行される「白色テロ」といわれる時代が始まる。雷震事件や彭
明敏事件、林義雄家族殺害事件、江南事件など、不可解な事件が次々と起こるまさに暗黒
時代だった。すべてが「共産党への利敵行為」とされた。「1人の共産党員を摘発するため
なら、100人を犠牲にしてもよい」とさえ囁かれていたという。

 台湾は暗黒時代を経て、1980年代後半に民主化のうねりを受け、戒厳令解除要求や台湾
独立の声が公然と聞かれるようになり、ついに1987年7月15日午前零時、世界一長いと言わ
れた戒厳令が解除される。

 李登輝が総統に就任後は民主化が急速に進み、動員戡乱時期臨時条款も1991年5月1日 
午前零時、廃止されるに至っている。戒厳令より長い43年を経ての廃止だった。これで、
台湾としては共産党との内戦状態を法的に消滅させた。

 また、台湾の独立を唱えることも「反乱罪」とみなした悪法「刑法100条」の見直しも進
み、1992年5月16日に改正施行され、ここに初めて言論の自由が確立される。

 7月15日は、戦後台湾の暗黒時代が終わったシンボルのような記念日だ。だが、未だ白色
テロの恐怖は台湾の人々の記憶に新しく鮮明なようだ。

 台湾の暗黒時代、日本は何も手助けできないでいた。台湾を暗黒時代に後戻りさせず、
国際舞台に羽ばたくよう、今度は日本が手を差し伸べる番だ。

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きょう台湾で戒厳令解除26周年
【中央通信社:2013年7月15日】

 (台北 15日 中央社)15日午前、台北市内の介寿公園「白色テロ政治受難者記念碑」の
前で、1949〜1987年まで38年間の長きにわたる戒厳令時代の期間に犠牲となった人々をし
のぶ記念式典が、冤罪に対する補償を行う基金団体によって開催され、馬英九総統、林政
則基金団体会長、被害者およびその家族らが出席して行われた。

 式典では2・28事件や白色テロによる冤罪被害に遭った本人・家族・遺族に対し、馬総統
は頭を下げ謝罪、名誉回復証の交付が行われ、参会者は1分間の黙祷を行った。

 被害者代表として挨拶に立った馮守娥さんは、女子高時代に勉強会に参加していたとし
て卒業後の1950年5月に逮捕され10年の刑に服し、小学校の教諭をしていた兄も同じ日に逮
捕、ほどなくして死刑となったと語った。また馮さんの夫も1947年の2・28事件に関わって
いたとして10年間服役、自分たち家族はこのような理不尽な歴史に青春時代を翻弄され続
けたと語った。

 馬総統は挨拶の中で、これら白色テロによる人々の犠牲は国家の内戦に根本的な原因が
あり、一度戦争になれば権力濫用が許され見過ごされるとし、就任以来、両岸関係改善に
力を尽くしてきたことを強調した。また、現時点で補償基金会では195億台湾元分、二二八
基金会では72億元分と、すでに合わせて2万人余りについて補償が行われていると説明した。

                               (編集:谷口一康)
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2>> 日本人に「!」と「?」突きつける映画=台湾アイデンティティー

【サーチナ:2013年7月7日】

 決して“楽しい”映画ではない。ドキュメンタリー作品だ。紹介されるエピソードひと
つひとつに、衝撃を受ける。見ている自分は日本人だ。日本に生まれたことで、ずいぶん
と恩恵も受けている。しかし、日本という国は、日本人は、彼らをどう扱ってきたのだろ
う。今からでもよい。やるべきこと、やれることはないのか。改めて考えてしまわざるを
えない。酒井充子監督の作品『台湾アイデンティティー』を見た。日本統治下に生まれ育
った台湾人たちの、戦後における「その後」を追った作品だ。同作品は7月6日よりポレポ
レ東中野ほか全国順次ロードショー。(写真:(c) 2013マクザム/太秦)

 日本統治下の台湾で生まれた出演者数人が、自分の人生を語る。いずれも、日本による
教育で自分が形成されたと主張。そのことに対する恨みはない。逆に、日本的な精神を得
たことを誇りに思っている。「日本人にはよくしてもらった」との言葉も出る。男性は日
本の軍人にもなった。軍人になることが「当時は誇りでした」と語る。

 日本の敗戦後、彼らの運命は苛酷だった。中国から戦勝国として蒋介石率いる国民党が
やって来た。まずは、中国大陸部で始まった国共内戦の「財源」として台湾を利用した。
台湾の経済は混乱した。

 決定的だったのは、1947年の2.28事件だ。たばこを密売していた女性に国民党当局の取
締官が暴行を加え、集まった群衆に発砲したことで死者も出た。大規模な抗議運動が発生
し、公的施設のいくつかを掌握。反撃に出た国民党側は大規模な武力投入で弾圧。台湾人2
万8000人あまりが殺害・処刑されたとされるが、被害者の数は今なお定説がない。

 『台湾アイデンティティー』の出演者は、当時の状況を生々しく語る。「裁判もなにも
ありません。疑いだけで連行して、見せつけるために銃殺」、「(勤めていた)学校で
も、殺された先生がいました」などの証言が次々に出る。

 日本の教育を受けた人、自らの努力で「日本社会の一員」としての将来への展望を得は
じめていた人にとって、自分がいつ抹殺されてもおかしくない状況だった。その後も、国
民党による恐怖政治、いわゆる「白色テロの時代」が1987年まで続いた。

 出演者は「日本は負けた。そうしたら、『さよなら』と帰っていっちゃった」と語る。
そして、大陸から国民党がやって来た。酒井監督に、出演者の日本統治時代への記憶につ
いて尋ねたところ、「日本統治時代を、美化している面はあると思う」という。その後の
時代がひどすぎたからだ。

 「日本が負けたからしかたない」と涙する出演者もいる。撮影スタッフももらい泣きし
たのだろうか。カメラに向かって「泣かないでください」と語る。敗戦で力を失った日本
に見捨てられたことで人生が暗転したのに、目の前にいる日本人への気づかいを忘れな
い。こちらも目頭が熱くなる。

 それ以外の出演者からも「生まれた時代が悪かった」、「これが私の運命」という言葉
があった。日本を大いに恨む気持ちを持ってもおかしくない。しかし、他者に対する憎し
みで自分のつらさを解消しようとはしない心のありかたには、崇高さすら感じる。

 日本を信じ、戦争に身を投げ出して戦った台湾人。日本はその後、彼らに何をしてきた
か。ほとんど何もしていないとしか言いようがない。「日本語世代」などと言われる彼ら
は高齢だ。彼らに対してできること、すべきことはないのか。現実として、残り時間は少
ない。

 終戦当時、日本軍の軍人だった呉正男さんは、現在の北朝鮮で勤務していたため、ソ連
軍の捕虜となりシベリア抑留生活を送ることになった。抑留生活を送っていたから、台湾
における白色テロに巻き込まれずにすんだと語る。しかし、重労働や配給食料の不足、い
つ帰れるか、生きて帰れるか分からない抑留生活を強いられたことには変わりない。

 2010年になり日本の国会で「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」が成立
し、シベリア抑留者に特別給付金が支払われることになった。金額は25万から最大で150万
円とわずかだ。抑留者が長期間にわたり強いられた心身両面の苦痛からすれば、本当
に“気持ち”としか言えないものだ。

 上映に併催されたトークイベントで、呉さんは同給付金に触れた。支給のために、「平
成22年6月16日に存命」であるだけでなく、「日本国籍を有する」との条件が設けらたこと
を批判。「日本国籍」は戦争関連の補償などについて回る条件と説明し、シベリア抑留に
は数千人規模の朝鮮出身者もいたことも説明しつつ、対象を現在の日本国籍保有者だけに
限ることを「日本の評判を落としてしまう。日本を愛する台湾人として、残念なことで
す」などと述べた。

                   * * *

 『台湾アイデンティティー』では、出演者が直接語った内容以外にも、彼らの「アイデ
ンティティー」について考えされられるシーンがあった。例えば、学校教員をしていたと
いう90歳男性、黄茂己さんの話だ。撮影場所は、かつて勤務していた学校の運動場にある
ベンチだ。しっかりとした日本語で、さまざまな思い出を語る。そこに、年配の女性が通
りかかる。

 黄さんは「彼女は僕の教え子」、「(彼女には)孫もできた」と紹介。女性とあいさつ
を交わすが、台湾語だ。女性は改めて撮影スタッフの方を向き、「いい先生だったんです
よ」などと黄さんを紹介。今度は北京語だ。

 台湾語は福建省方言に近い言葉。北京語は台湾の公用語で、「国語(グオユー)」と呼
ばれている。相互の意思疎通は、ほとんど不可能だ。女性は「外部から来た撮影スタッ
フ」を見て、北京語で話しかけたのだろう。

 黄さんと女性はもうしばらく会話を続けるが、最初は北京語のまま。しかししばらくす
ると、自然に台湾語での会話に切り替わる。女性が去り、改めてカメラに向った黄さん
は、再び日本語で語りはじめた。

 人格形成期に身につけ、今でも精神的基盤と直結している日本語、必要に応じては問題
なく使える北京語、そして同郷人との自然な意思疎通の手段である台湾語。たしかに、す
ばらしい語学能力だ。しかし、そのような語学能力を身につけざるをえなかった彼らのこ
れまでの人生を考えると、どうしても複雑な気持ちになる。

                             (編集担当:如月隼人)
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  • 下津井よいとこ2013/07/18

    参議院選挙では自民党の優勢が伝えられています。実際にそうであればよいのですが、不安要因もあります。アナウンス効果の懸念も払拭出来ないでしょう。過去の国政選挙では自民党優勢が繰り返し伝えられたことで、どうも実際の得票が減ったのでないかと言われたことがありました。また以前から感じているのですが、自民党支持者のなかには投票に行かない人がどうも時々見受けられるように思われます。今回、優勢と伝えられていることで安心してしまって、投票に行かない人が更に出てくることも懸念されます。また、自民党は過去に二回分裂を経験していることで、基盤が弱くなっていると云うこともあります。

     優勢であることには変わりはなかったとしても、予想される議席数が70議席近くから、60議席程度に後退しているとの報道もあります。

     最後の最後迄、自民党の関係者は、気を抜かずに、誤解を招く発言等は決してないようにして、票の掘り起こしに力を注いでほしいと思います。



     日本維新の会は終盤にきて、勢いを得ているとの報道もあります。大幅な議席増は難しいと思いますが、一議席でも増やせるよう、最後迄、票の獲得に力を入れて欲しいと思います。

     慰安婦の強制など全く事実無根であり、あり得る筈がないことをはっきりと訴えてほしいと思います。沖縄の米軍基地を、適切に再配分する方策も(無論、闇雲に移設すればいいと云うものではありませんが)、多くの有権者に訴えて欲しいと思います。八尾飛行場の利用はオスプレイの離発着訓練に相応しいかどうか分かりませんが、一案ではあるでしょう。



     維新政党新風は、今回も苦戦しているようですが、最後迄奮闘して欲しいと思います。維新政党新風の政策には、日米安保を基軸としない一国安全保障や地方分権等、支持出来ないものもあります。然し、全体としては維新政党新風は、戦後我が国の抱えてきた問題を克服して日本のあるべき姿を目指すと云う、真の保守政治を追求する政党であると思います。少しでも有権者の間に滲透出来るよう尽力して欲しいと思います。

  • 下津井よいとこ2013/07/18

    「第28回 文京朝顔・ほおずき市」は7月20日、21日に開かれます。

    東京都心での朝顔市とほおずき市と云えば、無論、入谷鬼子母神と浅草寺で開かれる市が筆頭に挙げられます。あの賑わい、そして伝統から、東京が「古い都会」であることを実感させられます。文京区で行われる市は、規模が小さく、当然それには及びません。然し、規模が小さいことで、買う人も眺めるだけの人もゆっくり見られる、また朝顔とほおずきを同時に見られると云うことが利点として挙げられるかも知れません。物産販売、大道芸、講演会、寄席等の行事があるのも特徴の一つです。

     本郷小石川・谷中根津千駄木地区は、全国有数の神社仏閣地帯であると迄言ってよいかどうかは分かりません。然し例えば、ですが、本富士町(この地名も、嘗て富士神社があったことに由来しています。)あたりの東側に神田明神、妻恋神社、湯島天神、根津神社、谷中天王寺、等が、それ程距離をおかずして並んでいる(更に東側に寛永寺や上野東照宮等があります)ことからも、矢張りこの地域は、お寺と神社が多いと言えましょう。

     

     朝顔・ほおずき市は、小石川地区の四つのお寺で開かれます。

     源覚寺・・・宝暦年間、眼病治癒の祈願を続けていたおばあさんの為、閻魔大王が身代わりになって目を治してくれた、おばあさんは感謝の気持ちを表わす為に好物の蒟蒻を断ってお供えを続けたと云う話があります。このお寺の鐘は昭和12年から20年にかけて、サイパン島の南洋寺に寄贈されていました。戦後返還されたことが知られています。

     善光寺・・・「牛に引かれて・・・」のあの善光寺の末寺。建物は年季が入っており境内は江戸時代から余り変わっていないのではないかと思います。このお寺では、市の期間中、今ではなかなか見られない変化朝顔が観賞出来ます。(展示のみです)

     沢蔵司稲荷・・・元和の頃伝通院で修行していた沢蔵司と云う学僧が修行終了時「自分は実は千代田城の稲荷大明神である。修行が成ったお礼としてこのお寺を永久に守護しよう」と和尚さんの夢枕で語った、そこで伝通院の別当を建てお稲荷さんを祀ったのがこのお寺のはじまりと云うことのようです。その沢蔵司と云う人物は毎日近くの店で蕎麦を食べていた、店を出た後杳として姿を消してしまっていた、矢張りお稲荷さんに違いない、と云う言い伝えもあるそうです。

     伝通院・・・徳川家の菩提寺。家康の母親である於大の方をはじめ徳川家の人達が供養されています。家康も「人の一生は・・・」の言葉通り苦労しましたが、子供を三歳で人質に出した於大の方も心労の連続だったと思います。

     一説によると秀頼は大坂落城の時、薩摩に逃げ落ちたと言われ、現在も地元の人によって秀頼の墓と言われるお墓が供養されています。そのお墓が本物であるとすると、伝通院の千姫と東西遠く離れて供養されていることなり、大坂落城の悲劇を物語っていると言えましょう。(秀頼が人情深い薩摩の人達に守られて(唯、「谷山犬の食い逃げ」などと陰口をたたく向きもなかったわけではないと言われていますが)長生きしたのが事実であれば、それは良かったと思いますが)

     色々と物語があるお寺に参詣出来るのも、この市の特色です。近くには、牛天神、小石川七福神、捕物帳好きの人に知られる喜運寺、礫川浮世絵美術館等々(その他まだまだあります)もあります。

  • 下津井よいとこ2013/07/18

    先程投稿した文章の冒頭(嵐吹きまく・・)で題名の「サヨンの鐘」を「歌」と誤って書いてしまいました。訂正します。また私が投稿したことで、他の方の投稿文が隠れてしまいました。各日の配信記事を開いて、他の方の投稿文も読んで下さるようお願いします。

  • 下津井よいとこ2013/07/18

    嵐吹きまく 峰ふもと/ながれ危ふき 丸木橋/渡るは誰ぞ うるはし乙女/紅き唇 あゝサヨン

    晴れの戦に 出で給ふ/雄々し師の君 なつかしや/担ふ荷物に 歌さへ朗ら/雨は降る降る あゝサヨン

    散るや嵐に 花一重/消えて悲しき 水けむり/蕃社の森に 小鳥は啼けど/何故に帰らぬ あゝサヨン

    清き乙女の 真心を/誰か涙に 偲ばざる/南の島の たそがれ深く/鐘は鳴る鳴る あゝサヨン                  (サヨンの歌)

     サヨンの殉国の話と言えば、日本統治時代の台湾に於ける話のうち、戦後も長らく日本人の脳裡に残っていたものの一つでしょう。支那事変が長期化の様相を呈していた昭和13年秋、台湾の山奥でも応召の声が谺するようになり、タイヤル族のリヨヘン社では、警察官であり、また教育所の教員として子供達の教育に当たっていた田北巡査が出征することになりました。門脇朝秀氏の編著書によると、田北巡査は万歳の声に送られてリヨヘン社を出発し、二十里程下ったブタ−社と云う集落で一泊してから平地の南澳へ下る予定でした。田北巡査の荷物の搬送を手伝っていたリヨヘン社の青年達は、ブター社で宿泊せずに、その儘、南澳へ向かったそうです。その途中の大南澳渓谷では、丸木橋を渡らなければならなかったそうですが、その年は降雨量が多く、激しく水が流れていたそうです。一行のうち、サヨンは足を滑らしてしまい、激流に呑まれてしまいました。山に慣れている原住民の青年達には自分達に任せて欲しいとの気概があり、それも、慕わしい恩師が国の為に出征すると云うことなら、尚更だったでしょう。然し、濁流渦巻く渓谷を超えるのは大変であったのでした。サヨンの話は、リヨヘン社の人達が長谷川清台湾総督に面会する機会があった時に総督に伝え、感激した総督から慰霊の鐘がリヨヘン社に寄贈されました。これが「サヨンの鐘」です。その後、渡辺はま子さんが歌をレコードに吹き込み、また映画も制作され、サヨンの話は全国的に知られるようになりました。

     映画「サヨンの鐘」では、サヨンや周辺の青年達の、恩師との恩愛そして国に尽くそうとする意気を描くと同時に、内地だけでなく恐らく台湾の平地に住む人達にも余り知られていなかったであろう山岳原住民の世界が描かれていたと思います。(私が前回見たのは、大分前だったので、余り正確には覚えていないのですが。)今回、フィルムセンターで上映されるとのことですが、こう云う映画が折に触れて上映されるのは良いことだと思います。

     (尚、現在出ているカセットやCDには、「サヨン」の歌としては、大抵「花を摘み摘み山から山へ歌ひ暮らして夜露に濡れる・・・」と云う「サヨンの歌」の方が収録されています。多分以前のレコードでも同様でしょう。こちらの歌は、山岳原住民一般の情景を歌ったものでしょう。殉国乙女サヨンを直接取りあげた歌は、上記の「サヨンの鐘」の方です。嘗ては佐塚佐和子さんや渡辺はま子さんが、この「サヨンの鐘」を歌っていたそうですが、現在では、どうも「胡美芳全曲集」ぐらいでしか、この歌は聞けないのではないかと思われます。若しかしたら、戦後は日本では実際に聞く機会がそれ程なかった歌かもしれません。戒厳令解除以後の台湾では、特に東部でよく耳にするそうです。)

     この文章を書くにあたり、門脇朝秀編著『祖国はるか第七巻 みなみのほそ道』(あけぼの会、平成9年)、名越二荒之助編著『大東亜戦争とアジアの歌声』(展転社、平成6年)、鈴木明著『高砂族に捧げる』(中央公論社、昭和51年)を参照しています。

  • 下津井よいとこ2013/07/18

    1 今日よりは かへりみなくて 大君の 醜の御楯と 出で起つ我は (今奉部与曽布)

         嗚呼防人の昔より 御民我らの雄心は 御国の護り 富士が嶺の 千古の雪と輝けり

     2 天皇(すめろぎ)の 御楯と誓ふ 真心は 留めおかまし 命死すとも (山本五十六)

         嗚呼陸海に大空に 高く雄叫ぶ軍神の 後にぞ続く我等亦(また) 万朶の花と咲き咲かん

     3 青雲(あをぐも)の 向伏す(むかふす)きはみ 天皇(すめろぎ)の 御稜威輝く 御代になしてん (平野国臣)

         嗚呼一億の起つところ 如何で神風吹かざらん 困苦はものの数ならず 必ず勝たんこの戦

      

       この「必勝歌」は、大東亜戦争中の歌のなかで、最高のものと言って良いでしょう。       

      

      東京国立近代美術館フィルムセンターの上映日程を、同所のホームページでみていますと、「サヨンの鐘」と同じ上映企画のなかで、映画「必勝歌」(昭和20年、佐々木康監督)が上映されると、出ていました。この映画には、上記の「必勝歌」が挿入歌として取り入れられています。

     

     この映画では、前線の兵隊達が故郷を偲ぶと云うかたちで、銃後の生活が描かれています。思いやりのある上官(小隊長でしょうか)が、束の間の小休止の時、「皆故郷へ帰れ、船に乗ってもいいぞ、飛行機でもいいぞ。」と部下に命じます。浮かびあがってきたのは、決戦下の故国の情景でした。立ち往生した汽車を走らせようと雪かきに励む人達、防空壕の強度を確認する隣組の組長さん、「君達のお父さんお母さんも元気で頑張っていますよ」と疎開児童を励ます校長先生、灯火管制下の列車の車内、等々の情景が次々と浮かんできます。

      前線と銃後の絆、困難な時局下にあっても助け合う心、健気な児童達等々が描かれています。またこの映画のなかで「最近の若い者は」と云う言葉が出てくる時は、現在とは全く逆に、しっかりしていると云う文脈で用いられています。少年航空兵志願の場面には、台湾少年工の意気と共通したものが感じられます。

     この映画は劇映画ですが、今では戦時下の情景を映像に残した記録映画としての性格があると思います。  



     大東亜戦争末期の映画として「かくて神風は吹く」(元寇の映画)や「乙女のゐる基地」に言及されることが多いと思いますが、この「必勝歌」も記憶に残しておくべき映画だと思います。このような映画が折に触れて上映されることは良いことだと思います。

  • 名無しさん2013/07/17

    香港で配布されている教科書では「台湾は中国の神聖な領土」と記しているそうだ。香港の民も怒っているらしい。中国がそのようなでたらめな言い分を取り下げない限り、台湾が中国と「和平協定」を結べば、名実ともに中国の完全な属国となるだろう。

  • 名無しさん2013/07/17

    台湾少年野球団に対しての仕打ちhttp://www.tamanegiya.com/taiwannsyounnenyakyu18.8.3.html